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第2回シンポジウム インド政治の過去と現在 ―支配の正統性をめぐって―

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Academic year: 2021

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第2回シンポジウムでは、インドの権力者は多様な被支配者を相手に、 いかなる形で正統性を確保しようとしてきたのかについて学際的に検討 した。そこでは被支配者側の既存の価値や要求を支配者側がとりいれる 下からの過程と同時に、権力者側が被支配者側の支持と受容を新たに構 築するような上からの過程もあったものと想定される。つまり正統性の 観点から見れば、インド政治は、社会の多様な価値と要求を反映しつつ、 それらを創意的に統合して全体に受容されるような権力・権威の形をつ くりだそうとするダイナミックな営みであった(ある)ということがで きる。こうした観点から、支配の正統性についての長期的な歴史とその 現代的な現れを理解し、その構造的な特徴を明らかにすることを試みた。 まず、小茄子川歩が「『国家』なき文明社会の統合原理」という報告 を行った。インダス文明とは、前2600年ころに現在のパキスタンおよび 北西インドを中心とする地域に成立した南アジア最古の広域ネットワー ク型社会である。都市やインダス式印章、おもりなどに代表される当文 明の「統一性」、いわゆるハラッパー文化の分布範囲は、南北1,500 km、 東西1,800 km をはかる。また当文明社会は、王や一つの明確な中心が 存在しない、社会全体にいきわたるような強力な宗教が存在しない、暴 力・軍隊の存在を認めることができない、という中央集権的な「国家」 とは大きく異なる性格を持つ。 インダス文明の中心=都市(「上」)は、各地域に既存のものとして存 在していた多層な「下」(周縁=村落)からの多様な文化要素を統合・ 再構造化するために、「下」が主体となる形で創出されたリージョナル

第2回シンポジウム

インド政治の過去と現在

―支配の正統性をめぐって―

小茄子川歩、藤井正人、三田昌彦、間永次郎、

近藤則夫、内川秀二、太田信宏、田辺明生、

加藤篤史

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な中心であり、市場的・文化的・社会的なまとまりにとどまり続けた。 そして各地域に点在するリージョナルな中心=都市は、ほぼ同位レベル を維持したままに共生し、多中心の広域ネットワークを形成するにい たった。当文明の「統一性=ハラッパー文化」は、この多中心の広域 ネットワーク内でのみ共有されているといってよい。つまりこの多中心 の広域ネットワークが活性化した後においても、「統一性」が「下」ま で浸透することはなく、「下」の「多様性=多様な地域文化・伝統」は そのまま保持され続けているのである。 当文明の権力者と非支配者、そして政治システムのあり方は明らかで はないが、その支配の正統性に言及するのであれば、それは多層かつ多 様な「下」からの価値と要求を反映する形で創りだされた多中心の広域 ネットワークによって確保されていたものと考えられる。多様な社会を まとめるネットワークそれ自体が統合の正統性を維持していたのであり、 超越的権威は政治的にも、宗教的にも存在しない。 次に、藤井正人が「ヴェーダ王権儀礼における王の正統性の確保」と いう報告を行った。大規模王権儀礼の形成から、後期ヴェーダ時代初期 に王による支配体制が確立されたと考えられる。当時の統治システムは 明らかではないが、王権儀礼を分析することによって、王権の特徴をさ ぐることは可能である。この時代に王がどのように儀礼において正統性 を確保したかを、王権儀礼を含むヴェーダ祭式におけるブラフマン祭官 (主席祭官)の役割と、即位式における王性の変化をもとに考察した。 ヴェーダ祭式においてブラフマン祭官は、他の祭官たちから離れて、祭 主の傍らでいわば祭主の半身となって祭式に臨んでいる。王権儀礼では、 王のプローヒタ(王付司祭)がブラフマン祭官の職務を担当した。即位 式において、王座に座った王と祭官たちとが互いに「ブラフマン」と呼 びかけあい、ある祭儀書では、王は即位式の開始時にバラモンとなり、 終了時にクシャトリヤに戻ると説かれている。これらは、王がプローヒ タないしブラフマン祭官を媒介として、あるいは儀礼的にバラモンとな ることによって、儀礼上の正統性(聖性)を確保した上で、支配権を確 立・宣揚するための儀式を行っていたことを意味している。 この時代、王権は飛躍的に拡大しつつあったが、支配の正統性のため に祭官の聖性を必要としている点で、それ自体が単独で神聖視される後 代の王権とは異なっている。王が正統性の確保のために祭官の聖性を必

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要とする背景として、ヴェーダ期のインドでは、王権と司祭権は完全に は分離しておらず、王は司祭権をプローヒタないしブラフマン祭官に委 託する形で保持していたことが考えられる。このことはまた、聖性自体 もバラモンによって独占的に所有されるものではなく、儀礼上とはいえ、 バラモン以外へ拡大可能なものと理解されていたことも示唆している。 三番目に、三田昌彦が「ラージプートの歴史叙述とムスリム支配:多 元的文化世界における正統性の模索」という報告を行った。南アジア中 世の在地支配者は、ペルシア・イスラーム文化の帝国支配が進行すると、 かつてのようにサンスクリット神話に自己の系譜を接続し正統クシャト リヤを誇るだけでは支配の正統性を主張できなくなる。本報告は、ほぼ 全てのラージプート王家がムガル帝国官僚になり、ヴァナキュラーな言 語で自己の歴史を記す17世紀前半に、改宗ラージプート、キャームカー ニーがいかに自己を正統化し、他のラージプートがいかに対応するかを 見ることで、文化的に多様なバックグラウンドの支配集団内における正 統性承認のプロセスを考察することにある。 ラージャスターン北部の改宗ラージプート、キャームカーニーはその 歴史書『キャーム・カーン・ラーサー』において、名門ラージプート・ チャウハーンの流れを汲みつつも、改宗したスルターン直属の家臣を始 祖と主張するとともに、そのチャウハーンの歴史をイスラームの人類史 の系譜に接続し、名門ラージプートとムスリム貴族とのハイブリッドで あることを強調する。これに対して彼らと政治的競合関係にあり、しか も正統ラージプートとされるラートールの歴史書『ナインシーリー・ キャート』では、キャームカーニーをスルターンの一武将の奴隷(go-lau)の子孫であるために堕落したとして排除する一方、チャウハーン の出自は認めていた。このように両者は互いに相反するキャームカー ニー観を提示しつつも、その血統の真正自体は確認されている。 ムガル体制下ではムスリムとの交流やイスラーム文化の影響下でラー ジプート集団が再編・序列化されることになり、ラージプートたちは新 たにその集団としての正統性を模索せざるをえなくなる。そうした中で のラージプートの集団形成とその正統化は、この事例のように、互いに 相容れない歴史叙述を提示し合う敵対的・競合的な正統化のプロセスの 中で確認と再編成が繰り返される、かなり流動的なものとして見ていく 必要があろう。

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四番目に、間永次郎が「独立運動期における民族統合:ガーンディー にとっての正統的統治とは何か」という報告を行った。しばしばガーン ディーが率いた反英独立運動は、農民を取り込んだ植民地史上初の全イ ンド的な民族運動として高く賞賛される。だが、イギリスの植民地支配 に代替すべきとする「正統的な」インド統治をめぐる理解のあり方は、 ガーンディーと農民の間で著しく異なっていた。本発表では、ガーン ディー自身が独立運動の理想として掲げた「インドの自治(ヒンド・ス ワラージ)」と、農民たちが思い描いていた「ガーンディー王国(ガー ンディー・ラージ)」の理想とがいかにすれ違い交わる中で運動が展開 していたのかを論じる。 ガーンディーの自治の理想とは、インドが非暴力的手段を用いてイギ リス支配から制度的に独立することと、国民一人一人が物質文明の呪縛 から逃れて自己の身体を統御することを意味した。この点で、ガーン ディーは文明の利器に頼ることなく自足している農民こそが、独立運動 の主要な参加主体となるに相応しいと考えた。 一方で、マス・メディアのない農村地域では、ガーンディーの理念は 噂によって伝搬され、それはいつしか神話化されたガーンディー王国の 理想に変貌していた。さらに、ガーンディーの考える一義的な「農民」 理解と異なり、インドの農民の実情は、地域毎のカースト・部族・宗教 によって複雑に分割され、経済的・社会的地位も様々であった。ガーン ディー王国の理想はそれぞれの農民集団の自己利害に結びつき、あるも のは千年王国思想として、あるものは暴力を肯定する革命思想として発 展していった。 このように、独立運動期の民族統合はガーンディーと農民の「統治」 の理想をめぐるずれを内包しながらも、なおも緩やかなまとまりを持つ 政治的集合体として機能していた点に特徴付けられるものであった。 五番目に、近藤則夫が「現代インド政治と支配の正統性」という報告 を行った。一般的に、近代的な政治体制の支配の正統性の源泉とは、 人々が権力を自発的に授受する状況であると考えられる。選挙や他の政 治過程への参加がその自発的授受の現れとすると、選挙の投票率などを 見れば現代インドで支配の正統性はかなり高いレベルにあると言ってよ い。しかし、正統性の在り方は、時代、状況によって変化しており、よ り細かくその様相を見ることが重要である。

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時代的には独立時、民族運動を率いた国民会議派が広範な人々の支持 を集め、国家運営の正統性を人々の間で認められたといえる。しかし、 1960年代までに経済政策の失敗などにより、次第にその正統性を失った。 それに対して投票率などに示されるように選挙制度への参加は上昇し、 中心的政党の正統性の低下を補うように選挙民主主義制度の正統性は定 着していったといえる。 一方、現代インドの正統性の源泉をその多様性も含めてより詳細に分 析する場合、正統性を代表する指標が重要になるが、人々の自発的授受 が重要であるとすると、政治体制の各要素に対する信頼感がその指標に なりうる。これを手がかりとして複雑な正統性の状況を見る。 2005年の大規模な世論調査では主要機関への人々の信頼感が調査され ており、それによると軍、選挙委員会、中央政府などへの信頼感は非常 に高く、逆に政党、警察などの信頼感は非常に低い。軍を除いて考える と、選挙委員会、中央政府等への信頼感が高いことは、人々の間で選挙 制度など民主主義体制の根幹に対する正統性が高いことを意味する。そ れに対して政党への信頼感が低いということは、一見矛盾にも見える。 しかし、政党は選挙で人々の審判を仰ぎ民主主義プロセスの中で定期 的に取り替えることができる部分であり、人々は選挙制度と政党を分け て評価しているからであると考えられる。その上で様々な問題を解決で きない政党を低く評価しているのである。したがって政党の正統性が低 いことは通常、制度の正統性に決定的ダメージを与えることはない。 インド民主主義体制では、政治体制の各要素の信頼感、正統性がこの ように複合的に連結された状況があり、それが体制全体に対する正統性 認識を左右しているといえる。しからば、その全体的認識であるが、投 票率などの指標を見る限り、正統性認識は一定の高いレベルにあるとい える。これが今日の人々の間でのインドの正統性認識の状況と言えよう。 最後に以上の議論には限界がある点も述べる必要がある。端的な具体 例は紛争地域であるムスリム多住地域のカシミールである。世論調査で 見る限りこの地域の人々はインド国家の主権がこの地域におよぶことの 正統性を認めていない。このような地域の存在によってインド国家の支 配の正統性は限界が課せられていると見るべきであろう。 最後に、内川秀二が「経済成長と社会政策:政権の正統化と貧困対 策」という報告を行った。インドにおいては独立運動の中で独立後の経

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済体制についての構想が議論されていた。その中で重要産業については 国営企業が中心となっていくことと土地改革の方向が定まった。第2次 5カ年計画では国営企業中心の輸入代替工業化が開始され、民間企業の 活動を制約することが正統化された。一方、土地改革は実施されたもの の、土地所有の基本構造を変えるものではなかった。圧倒的な政治力を 持っていた地主勢力は大胆な土地改革を許さなかった。政策の理念が あっても、実施に際しては既存の政治勢力によって政策の選択の余地は 狭められる。インディラ・ガーンディーは1971年の総選挙に際して貧困 追放というスローガンを掲げ、膨大な票田である貧困層からの支持を取 り付けた。1970年代に入ってもインドの経済成長率は一向に上昇しな かったため、1980年代には漸進的な自由化が進んだ。政府主導の輸入代 替工業化の限界は明らかになっていた。 インド経済が経済成長を続ける中で、農村部においても生活水準の向 上が見られた。しかし、この成長の恩恵に預かっていない層には彼らの 「貧困」を認識させることになった。政府も対策を打ち出した。2005年 には全国農村雇用保障法が成立した。この計画が実施されると、農業労 働者の交渉力を高め、賃金の上昇につながる。この法案が国会を通過し たことは、農村部でも地主と小作および農業労働者の力関係が徐々に変 化してきたことを反映している。 これらの報告に対し、コメンテーターが以下の点を指摘した。太田信 宏によると、前近代インドにおいて、支配権力は単一主体が独占するも のではなく、上下の権力者、宗教権威が分かち持ち、相互に認め合うも のであり、権力を受け入れる側は「国民」のような一体性をもたなかっ た。支配権力の正統化戦略は必然的に多様なものとなり、状況に応じて 柔軟に戦略が選ばれることになる。様々な文化・社会的な力が働く場の 中で、正統性は誰もが追い求めつつ完全には掴み取れない「蜃気楼」で あった。 田辺明生によると、歴史の中で、支配の正統性をめぐる政治は、より 複雑化してきた。インド的政治の特徴は、差異への働きかけではなかろ うか。さまざまな差異 カースト、宗教、階層、言語など によって分 断したり(させたり)、差異を越えて連帯したり(させたり)をつうじ て、支配の正統性は主張される。つまりインド政治においては、「いか に正統性は確保されるのか」に一定の答えがあるのではなく、この問い

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をめぐって政治過程が展開する。 加藤篤史は、政治学の Selectorate 理論に基づけば、発表者の報告が あった各時代の権力者は自らの勝利連合のメンバーから正統性を獲得す ることを目指して適切な戦略をとっていたと考えることができるのでは ないか、州間での経済的成果や人間開発指数における大きな格差は、各 州の権力者が誰を勝利連合のメンバーとみなして政策を決定しているか に依存しているのではないか、という2点を指摘した。 こなすかわ あゆむ ●京都大学 ふじい まさと ●京都大学 みた まさひこ ●名古屋大学 はざま えいじろう ●日本学術振興会特別研究員(PD) こんどう のりお ●ジェトロ・アジア経済研究所 うちかわ しゅうじ ●専修大学 おおた のぶひろ ●東京外国語大学 たなべ あきお ●東京大学 かとう あつし ●早稲田大学

参照

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