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古 ロ ー マ 法 に お け る 形 式 主 義 に か ん す る

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(1)形式研究の従来の視点. 諸形式. 田. 俊. 一ご二. 彦. 古ローマ法における形式主義にかんする 一試論 ーi古ローマ私法研究序論ー. 形式主義の研究. はじめに 一. 一. 二 形式の研究. 一. 二 形式分析の視角 三 形式の分析. 形式の体系. 二形式の類型 三. 展望ーまとめに代えてー 古ローマ法における形式主義にかんする一試論. 原.

(2) 早法六一巻一号︵一九八五︶. はじめに. 一. 四. 古・ーマ私法の研究に着手する場合︑我々はいったい何を素材としうるのか︒本稿の問題設定を一言で述べるとす. れば︑以上のものに尽きる︒本稿においては︑その素材の発見のために︑古ローマ私法即自の在り方を見出そうとす. る︒そうして︑その在り方の中で主題と認められる問題を発見することができれば︑それこそ研究の素材となりうる. のではないかと考える︒何らかの素材について展開する場合に︑その素材を通時的に検討したうえで一定体系内に位. 置づけるという仕方が一般的ではあろう︒とすれば︑何故その素材に着目できたのか︒むしろ︑一定体系内における. 位置づけを前提としたうえで通時的あとづけが行なわれるにすぎず︑素材への着目自体は所与のものとされ問題とは. されてこなかったのではないか︒本稿のアプ・ーチはこれとはまったく異なるものである︒すなわち︑何故ある素材. に着目でぎるかについて︑その素材が存する体系自体の在り方からみていこうとする︒従って︑本稿の視角はつねに. 共時的である︒けれども︑このような分析視覚が可能となる基礎は古・ーマ私法研究自体から得られなければならな. い︒すなわち︑私法体系というレベル︑そのレベルを分析する視角が共時的であること︑これらがどのようにして古. ・ーマ私法研究から得られるか︒このため本稿は︑古pーマ私法の特質である形式主義とそれにもとづく形式の体系. をテーマとする︒古・iマの私法は︑法律行為・訴訟行為いづれにも要式行為が遵守され︑要式行為を欠けば法効果 ︵1︶ の発生が認められないという形式主義を特徴とした︒この形式主義から私法体系というレベルを持ち出し︑形式主義. 研究の一つは形式によって構成される法体系の考察であることを述べたい︒そうして︑形式の考察が共時的分析であ.

(3) ることを示したうえで︑体系内においてどのような形式が基礎となっているか︑どのような素材が主題となっている. のかについて示そうと考える︒この考察のレベルは︑体系という抽象的レベルであり︑しかも後に述べるように︑形. 式という徹底的に実体を排しうる対象についての分析であるから︑その分析によって得られたものは︑おそらく具体. 的イメージを導びくものではないであろう︒本稿で描かれるものは︑実像ではなく影である︒そこに実体を投影する. 作業は続稿で行なうとしても︑研究に着手するための素材は発見できるだろう︒くり返すけれども︑木稿における問. とりあえず︑原田慶吉﹁・ーマ法﹂︵一九五五︶七八頁︑船田享二﹁ローマ法 第二巻﹂︵一九六九︶二三九頁以下︑吉野. 題はそうした素材の発見である︒従って︑本稿は︑私にとっての古・ーマ私法研究のまったくの前提・序論である︒ ︵1︶. 1﹂︵一九八二︶五八頁以下等を参照︒事例としては︑. 本稿第二章第一節五において若千触. 悟﹁・ーマ法とその社会﹂︵一九七六︶二三六頁︑マックス・カーザー﹁・ーマ私法概説﹂︵柴田光蔵訳︑一九七九︶六六頁 以下︑佐藤篤士﹁ローマ法史. れるであろうO塾♪一一における記事を参照︒. 形式主義の研究. 本章では︑形式分析による抽象的私法体系の抽出の前提として︑先述した古ローマ私法に特徴的である形式主義に. もとづいて︑古・ーマ私法体系を形式分析によって得る視点を得ておきたい︒そうして︑形式主義の研究の一つが形. 一一五. 式分析による抽象的体系の理解であるという視点を獲得したい︒そのために︑形式主義について従来どのように扱わ れてきたかにつき︑諸学説を検討することが必要となる︒ 古ローマ法に お け る 形 式 主 義 に か ん す る 一 試 論.

(4) 一. 早法六一巻一号︵一九八五︶. 一一六. 今や形式主義は具体的事象に見出されるよりも︑諸学説の内に見出されるべきである︒まず︑形式主義の定義. はどのようなものであったのか︒ ︵1︶ 目葺虫ωは︑形式主義について︑ω外的形式主義︑②内的形式主義を示している︒それぞれ次のように定義されて. いる︒①︑外的形式主義とは︑当事者意思の表明そのものに重点がおかれず︑特定の形式において表明される当事者. 意思をのみ評価するものである︒②︑内的形式主義とは︑法規範が一定の枠の内にはいっており︑個々の生活関係を 潔2︶︵3︶. それぞれの持つ特性に応じて法規範に適合させることなく︑一定の規律が前提としてあり︑この前提に個々の生活関 係を服さしめるというものである︒. これら二つの形式主義については︑一法律行為ないし一訴訟行為のレベルと法体系全体に注目すべきレベルとを見. 出すことができよう︒外的および内的形式主義を一法律行為ないし一訴訟行為というレベルでみると︑次のようにな. ろう︒外的形式主義とは︑ある行為の持つ形式を遵守しなけれぽその行為の効果が発生しないというものである︒内. 的形式主義とは︑ある行為の形式が遵守されれば︑その行為の効果の発生が望まれているか否かにかかわらず︑その ︵4︶. 効果が発生してしまうというものとなろう︒一方︑法体系全体に着目しそのレベルから形式主義をみると︑先述した. 一行為というレベルにおける形式主義の前提としての形式主義を理解できる︒すなわち︑このレベルでの形式主義と. は︑法律行為・訴訟行為それら一般は形式を通じてしか効果を発生しないし︑またある形式が遵守されればそのこと. だけによって行為の効果が発生してしまうという思考全体である︒敷衛すれぽ次のようになろう︒ある法体系が存在. し︑その体系は完結したものである︒その法体系は自らの予定していないものを排除する︒この法体系内において.

(5) は︑形式であらわされるものに比べ形式を優位させる思考がある︒このような思考こそ形式主義である︒以上から︑ ︵5︶ このレベルにおける形式主義は︑法体系内における形式主義としての内的形式主義であると考えることができる︒. 以上みた形式主義の定義のうち︑本稿にとって重要であるのは︑法体系というレベルからみた形式主義である︒実. 際︑古・ーマ私法が形式主義的であるといいうるのは︑各々の法律行為・訴訟行為においてその形式を遵守せよと要. 求した法体系が存在した場合である︒近年形式主義についてまとまったモノグラフを発表した旨霞駕09目碧犀も次. のように述べている︒﹁形式主義とは︑ある行為や手続が一定の形式に従属し従属せざるをえないということをいう ︵6︶ のではなく︑法体系のすべての領域において形式にこそ重要性があるということである︒﹂以上より︑形式主義の研 ︵7︶ 究とは古・ーマ私法体系の研究であるという視点を得ることができたと考える︒. 二 ところで︑法体系の研究としての形式主義研究には︑二つのアプ・ーチが考えられよう︒一つは︑いうまでも. なく︑形式主義の原因ないし基礎について明らかにしようとするものである︒もう一つは︑従来形式主義の研究とは. されてこなかったものであるが︑形式主義はどのような形式によってなりたっていたのかについて明らかにしようと. する仕方である︒単純に考えれば︑形式主義の研究とは前者の仕方につきると思われがちである︒けれども︑二つの. 仕方は︑その重要性において等価であると考えねばなるまい︒後者における問題は︑各形式それ自体ではなく︑また. 各形式の通時的図式を想定したd陳8目でもなく︑共時的体系における各形式の基礎となった抽象的基底形式を発. 見することである︒従って︑体系が排除することのなかった諸形式を通じて︑基底的な形式を見出し︑その基底形式. 一一七. によって即自に法体系を考察しようとする仕方が後者である︒この仕方によって法体系を考察しうるのは︑法体系は 古・iマ法における形式主義にかんする一試論.

(6) 早法六一巻一号︵一九八五︶. 一一八. まさに形式主義を特徴とし︑それ故︑法体系は形式によって構成され形式のコンテクストの中にその最も基底的な姿. を現すであろうからである︒そうして︑この仕方が形式主義の研究であるのは︑所与の形式主義にもとづき︑具体的. 形式を通じ抽象的法体系を導くという法体系の研究こそ形式主義の研究であるからである︒一方︑形式主義の基礎を. 問う前者の仕方は︑法体系の実際の在り方を直接の問題とするものではなく︑法体系の性格についての解明を主題と. している︒すなわち︑形式主義という法体系の所与の特徴を通じてその法体系を性格づけようとするものであり︑法. 体系の在り方に比し法体系の基礎に焦点がおかれる︒とすれば︑法体系を扱う限りにおいて︑法体系の在り方を扱う. 後者の仕方と法体系の性格を問う前者の仕方とでは︑両者ともに重要であるといわねばなるまい︒形式主義とは法体. 系の研究であるから︑法体系が問題とされる限りでは︑重要性は両者とも異ならないものである︒加えて︑了解事項. である形式主義にのっとって︑法体系の在り方と基礎づけの作業は︑ともに等価なのである︒ただし︑形式主義の基. 礎を問う仕方が古・ーマ法体系即自の性格を問題とするものであったか︑その方法はどのようなものであったかにつ. いて︑以下に触れておきたい︒というのも︑従来支配的であるこの仕方は︑法体系即自の性格づけにとっても︑あま. 先に引用した譲809目8悶の論文も形式主義の基礎をテーマとしており︑以下では彼の主張を手掛りに形式. り実り多いものではなかったと言いうるからである︒. 三. 主義の基礎を扱う仕方がどのようなものであったかについてみていくこととしたい︒竃809B霧犀は次のように述. べている︒形式主義の基礎にかんする通説は︑形式主義の基礎を法と呪術・宗教とが未分離である状態に求め︑この ︵8︶ 状態は法の発展段階が低い段階に常に認められるものであるとする︒この通説は︑寄器R・.︑↓冨Oo崔窪国○轟げ.

(7) ︵邦訳.フレイザー﹁金枝篇﹂︶︑.︑まくマ︼W毎巨︑.冨ヨ窪琶竃R旨三話︵邦訳・レヴィ・ブリュール﹁未開社会 ︵9︶ の思惟﹂︶︑︑︑白毒窪︑.<9ぎ∈亀魯〇一轟ぴ︑︑などの古い人類学上の成果にもとづいている︒けれども︑こうした見解 ︵10︶. は近年の人類学上の成果によって否定され︑生活空間は超自然的諸力の作用によって活動すると始源的人間が考えた. という説は根拠のないものとされたのである︒近年の人類学上の成果にもとづくと次のように言うことができる︒始. 源的な段階にあって行為は形式を伴わず柔軟で自由であった︒後になって︑法体系が行為の確実性を要求する段階. で︑行為に特定の形式が生じた︒従って︑形式主義は始源的段階におけるものではなく進化した段階に見出せるもの い11︶︵12︶. であり︑呪術・宗教に基礎を置くものではない︒また︑特定のひな型が作成されるのは事例の集積が必要であり︑従 って︑進化した段階を想定させるものである︒. 冨碧09ヨ8犀の以上の主張について深く立入るつもりはないが︑一見して解ることは︑支配的地位にある見解が ︵13︶. 形式主義を呪術・宗教にもとづかせる説であり︑通説批判のために近年の人類学上の成果を用いることである︒とこ. ろで︑蜜809B霧犀が通説としてあげた諸文献に目を通すと︑必ずしもすべてが一様に呪術・宗教に形式主義をも. とづかせているわけではない︒また︑これら諸文献がすべて形式主義をテーマとするものでもないことが解る︒そこ. で︑以下では︑これら諸文献をいま一度整理して︑形式主義の基礎を問う仕方がどのような方法をとったかにつぎ確 認しておきたい︒ ︵16︶. ︵14︶ ︵15︶ 寓碧09ヨ8犀は︑先の通説にかんして︑形式主義を呪術よりも宗教にもとづかせる見解を紹介し︑また各見解が. 一一九. どの程度宰器段等に依拠しているかにつぎ類感呪術・感染呪術についての言及が有るか否かについても検討してい 古ローマ法 に お け る 形 式 主 義 に か ん す る 一 試 論.

(8) ︵17︶. 早法六一巻一号︵一九八五︶ ︵18︶. 一二〇. る︒けれども︑以下においては︑形式主義を呪術・宗教に関連させる見解に基本的に見出せる視点︑すなわち︑法と. 呪術・宗教との関係を史的段階を設けて把握する視点に立ち︑その把握の仕方が各々異なるという仕方で︑諸見解を ︵1 6 ︶. 整理してみようと考える︒前提となるのは次のことである︒始源的段階では現実の行為があり︑やがてそれが仮装行. 為︵ω3①ぎ鴨零湿津︑亀目び9零訂○窃9鎌什︶に変り形式となるという発展図式である︒この図式のどの段階に呪. 術・宗教をからませるかによって︑各見解に差異が生じてくる︒その差異から諸見解をみると次のようになる︒O︑. 始源的には現実の行為がザッハリヅヒに効果を生みだした︒ところが︑仮装行為も現実の行為と同じ効果を発生させ. るという呪術的観念が受けいれられ法が現実の行為を必要とせず仮装行為で足りるという仮装行為の段階となり︑現 ︵20︶. 実の行為は呪術的仮装行為となり形式となった︒このように︑仮装行為を呪術・宗教的行為と考え︑仮装行為 形式. として︑法形式主義を呪術・宗教にもとづかせる見解がある︒⇔︑ところが︑次の見解もある︒始源的段階では現実. の行為がなされたが︑その行為が効果を発生したのは︑行為の持つ呪術的力によったからである︒やがて︑現実の行. 為は仮装行為・形式となるが︑これが効果を生み出しうるものはやはりその行為の持つ呪術的力による︒このよう ︵21︶ に︑始源的段階から常に法は呪術・宗教にもとづいていたとして︑法形式主義を論ずる見解である︒白︑さらに次の. 見解がある︒始源的には現実の行為によって現実の効果が生じた︒やがて︑呪術的観念にもとづいて仮装行為.形式. も現実の効果を発生させるという段階になり︑仮装行為・形式が形成される︒けれども︑この段階は早くに克服さ ︵22︶. れ︑法の世俗化がなされ︑世俗的法意識にもとづく法技術によって形式が確定し︑法的安定性の遵守を目的として形. 式主義が成立した︒㊨︑加えて︑呪術・宗教自体の発展段階を設けて︑その各段階で形式主義の各々の在り方を定.

(9) ︵23︶ め︑さらに古典期にいたっても法は呪術・宗教より影響をうけたとするほとんど例外的な見解もある︒以上︑諸見解. を整理してみると︑なるほど各説とも形式が呪術・宗教にもとづく段階を設定しているが︑㊧説にたてばもはや ︵24︶. 竃80霞ヨ8犀の主張と大差がないことになろう︒当見解において法形式主義は世俗化した法技術にもとづき法的安. 定性を目的とするものであるから︒もっとも︑㊧説にも寄鶴R等の引用が見られるが︑引用すること自体が竃8−. 09唐8賦の攻撃を招いたのであろうか︒形式主義それ自体の基礎を問う限りで︑その攻撃は無意味であろう︒ ︵25︶. ところで︑竃80簿営霧犀は︑形式主義が呪術・宗教にもとづくという見解が通説であることを示すために︑各行. 為・制度を呪術・宗教にもとづいて解釈する見解を詳細に紹介している︒けれども︑そこで引用された作品は︑明ら. かに︑個々の行為・制度の呪術・宗教的性格につき言及するものにすぎず︑法体系の形式主義に関わるものではな ︵26︶. い︒例えば︑ω怠℃包卑δに推論されるその始源的行為にかんする見解をみてみよう︒始源的段階における鋒冨一緯δ. には︑ω菖傷を用いる形式が存在したと推論する見解がある︒この形式は次のように解釈される︒例えば︑呪術的諸 ︵27︶ 力を藁︵ω識甥︶をつなぐことで継続させ︑これによって契約のもつ拘束力を維持させようとしたという解釈︒あるい ︵28︶. は︑自己の魂を象徴する8霧を相手方に引ぎ渡すという感染呪術によって契約の拘束力が生じたとする解釈︒これ. らは︑契約の持つ拘束力を呪術・宗教的に解明しようという目的を持ち︑形式自体は呪術・宗教的なものであること. を前提としている︒故に︑法ないし形式の呪術・宗教的基礎はあらためて問われることはなく︑この前提の下で︑あ. る行為の性格づけや解釈がなされる︒従って︑これらの作品におけるテーマは︑個々の法律行為なのであり︑個々の. 一一二. 法律行為をその前提に矛盾せず解釈することなのである︒竃碧09目8闘の引用する文献はほとんどこうした作品で 古ローマ法における形式主義にかんする一試論.

(10) 早法六一巻一号︵一九八五︶ ︵29︶. ︵⑳︶. ︵盟︶. ︵32︶. 一二二. ある︒それらは︑例えば︑8怠o︵日鑑︶酵おヨ︑目弩o言簿δ︑ぎ図器8象菖o︑08唇讐δ等を呪術・宗教的に解. 明する目的での作品なのである︒従って︑形式主義の基礎を呪術・宗教とする見解がこれらの文献によって通説とさ. れるのではなく︑その見解は検討する必要もない通説として前提されていることが示されているにすぎない︒とすれ. ば︑その見解が何故通説たりえたのかは︑これらの作品からは判らない︒ましてやこの見解の正当性にかんする挙証 は︑これらの作品からは得られないのである︒. ここで重要であることは︑形式主義に呪術・宗教を関連づける見解の根拠が古ローマ法即自の分析によって与えら ︵33︶. れているか否かである︒ところが︑霞碧09目8闘が指摘した如く︑これらの見解は︑すべて︑寄目Rや巧暮身. を引用することで挙証を終えている︒従ってこの見解は︑一般前提ー竃80畦目碧犀にとり批判の要点であったものー. ︵34︶. を疑うことなく古・ーマ法に適用したものにすぎず︑古・ーマ法即自の分析によって得られたものではなかったので ある︒. ︵35︶. 一方︑形式主義の基礎に呪術・宗教を関連させず︑始源的な現実の行為の史的残津が形式であり︑これらによって ︵36︶. 形式主義が構成されているという見解もある︒蜜80自目碧犀はこの説を形式のもつ象徴的要素を史的に解釈する見. 解としているが︑この見解を形式主義と明記して述べている文献もあるから︑見落すことはできない︒例えぽ︑ ︵37︶. 寓置色ωはま碧什ご目b霞器ω①二一ぼ四目にかんし次のように述べている︒自然発生的な現実の支払行為が︑鋳造. 貨幣の出現によって︑鋳造貨幣を支払う余地のない仮装行為となり形式となった︒このように社会経済的要因により. 生じた諸形式の構成する形式主義という視角を持つことは可能である︒ただし︑この仕方は︑竃葺虫ωが慎重に述べ.

(11) ︵38︶. たように︑外的形式主義の解明︑すなわち︑各法律行為を歴史的に跡づけた結果生じてくる形式主義の解明にすぎな. ︵40︶. い︒とすれば︑法体系としての内的形式主義の基礎は︑この仕方からは直接に明らかになることはない︒けれども︑ ︵39︶ ま馨巴ωは次のように述べる︒形式主義は﹁従来伝わってぎた形式を守ろうとする・ーマに特徴的な保守主義﹂によ. る︑あるいは︑﹁発展段階の低い諸民族すべてに認められる段階﹂に共通のものである︒とすれぽ︑この見解におい. てもやはり︑呪術・宗教に形式主義の基礎を求めた見解と同様︑古・ーマ法を即自に分析することによってではな ︵41︶ く︑一般前提が古・ーマ法に直接あてはめられているにすぎない︒. 先にも述べたように︑家80自旨8貯の批判・主張は︑現在の・ーマ法研究者は牢器R等を典拠とすべぎではな. く最近の業績にもとづくべぎである︑という点につきる︒とすれば︑彼もこれまでみてぎた諸見解と同レベルにいる ︵42︶︵43︶. ことになろう︒彼が近年の人類学の成果によって得た﹁始源的段階にあって︑形式主義は各民族にすべて見出される. ものではなく︑呪術的思考も普遍的なものとしては存在しない﹂というテーゼは︑目下のところでは肯定されるとし. よう︒ところが︑ごく素朴にいうと︑彼は︑古い見解は新しい見解によって否定された︑その新しい見解とはこうで. ある︑としか言っていない︒この新しい見解がさらに新しい見解に否定されるとすれば︑そのより新しい見解を再び. 古・ーマ法に適用せよと言うのであろうか︒この新しい見解が何時何如なる社会にも妥当しうる一般前提であること. を彼は証明したのか︒少くとも︑この見解を古・ーマ法に適用しうる方法が確立されていたのか︒そもそも古・ーマ. 法に先のテーゼが妥当するということが立証されているのか︒このような手続をへず︑たんに他学の新しい業績を適. 一二三. 用したとしたら︑それは無意昧であろう︒他学の分析結果を直接適用しうるための条件が前提として確立されておら 古・iマ法における形式主義にかんする一試論.

(12) 早法六一巻一号︵一九八五︶. 一二四. なければならず︑確立が不可能であるならば︑分析の結果ではなく分析の方法にとどめなければならないであろう︒ ︵44︶. 以上みてきたように︑形式主義の基礎をあつかう論考は︑いずれも古・ーマ法即自の分析を目的とするものではな. く︑無批判に他学の業績を導入するとか︑一般的言説にもとづくとかした解明でしかなかった︒そのようにしてしか. その主題を扱いえなかったのである︒我々は古ローマ法即自の問題を即自に解明することをめざす︒方法的に困難な. 形式主義の基礎を問う立場を離れ︑古ローマ法即自の立場にかえるために︑もう一つの仕方をとる︒すなわち︑法体 系を構成する基底形式の研究である︒. 霞雰①量い4菊α巨の9︒ω℃ユ黄貸8馨び一の鎧︷象oNΦ犀90匹&きの一︵一〇〇〇︒︶﹇ 園型﹈謡伊. 竃葺虫ののこの定義︑とりわけ外的形式主義についての叙述が︑近代的ドグマティークにもとづくありきたりの見解とし. て︑批判をうけることは多い︒U三畠o芦04問ω︒ω9巳N一︵這脇︶S聾. 一つは︑男o学. 甘鼠轟 国●︿opO①一ω什号ωa旨の昌窪寄9酔の9 ︒9q窪<Rω︒岳a窪窪ωg︷窪ω①ぎ霞国馨註︒冠自αq一︒︵一80︒︶﹇. すなわち︑法律行為をなすにあたって一定の. ω9三呂8ごω禦︑末川博︑法と経済五−五︵一九三六︶. 耳δ昌巴o問9日巴一ω目拐に︑白o旨一旨震冥9讐δpは38壱話叶魯貯o男8ヨ巴冨ヨ奉に該当する︒ωo﹃三斜. 四頁︑小菅芳太郎︑北法一五︵一九六五︶六六七頁注㈹等を参照︒. 男︸Ooωoビ9冨α震aヨδ魯象閑①昌a惹器Φ器99ゆ坤︵おO一︶﹇. 閃簿導巴一ωヨ議は. 葉にのみ限られるというものである︒甘震ぎ磯のこの概念は︑後述されるω9三Nの次の概念に受けつがれる︒すなわち︑. ︵≦o旨一旨R冥o鼠鼠8︶と呼ばれ︑具体的意思内容の表現である言葉の選択は許されるが︑内容を直接明示的に表現する言. 言葉︑定まった形式を使用しなければならないという行為の外形に拘束される形式主義である︒もう一つは︑文言解釈. 日巴冨き霧と呼ばれ寓葺愈ωの言うω外的形式主義に接続するものである︒. 甘震ぽ西﹈目占 詮o︒いにおいて叙述されている形式主義の持つ二つの側面について紹介すべきであろう︒. ︵3︶. (( 21 )).

(13) 竃霧Oo﹃含碧ぎ一. ↓勾oo﹃︵一〇8︶倉一︒. 竃809ヨ8ぎ↓幻ω3魔↑. o8倉ド 蜜曽oOo﹃ヨ霧F↓沁o. 一行為の形式が行為内容に優位するという程度で触れられるにすぎない︒法体系とは明言し. 竃80段臣8F↓国ω8倉ρ瞳㎝. ︵8︶. ︵−o︶. 竃80自ヨ碧犀の主張は︑∪ま盆蔚Pイ. 竃800騰ヨ8F↓勾GoJ魔①h. ︵9︶. ︵11︶. U器&巨ω畠o℃﹃凶轟樗︒︒算ご丁幻即昌︵一︒刈一︶ωOなど︒. 関連して︑凶負昌藤︵お$︶嶺ooいも参照︒. OO日轟9一口8ヨ餌昌冨名︵這oo一︶8いにおいて積極的に評価されている︒. 20巴=窃 型 Uq響o詳鋸o冨mq繕o詳9≦冨︵お﹄︶﹇. 匡80蔑ヨ霧ぎ臼勾ooざ齢寧ここにおいて一応代表的と考えられる作品があがっている︒. 竃809導碧F↓勾ω8瞳噸. 濠㎝●. して︑観点は異なるが︑じ ご8F︾ 男9国8畠薗犀R固︵お器︶一律を参照︒. 類感呪術とは︑雨乞いのために水をまくという類似した行為が本来の行為を引ぎ起すという呪術︒. 古・ーマ法における形式主義にかんする一試論. 一二五. フレイザi﹁金枝篇. Uo o山旨・なお︑古獄ーマ法に呪術をまったく否定するものと. ︵13︶. ︵16︶. ︵15︶. ︵14︶. ︵12︶. 翫Oh. 巨ω︒訂一拐︵一︒お︶7と︒﹈ωOP凶山. ないまでも︑全体的な法思考を想起させる文献を若干あげておく︒U三畠Φ熔男幹ω昌巳Nど呂一h脳因器Φ5客4U簿ω鉱胃α−. 義を主題と す る も の で は な く ︑. 形式主義の研究は法体系の研究であると明言する文言はさしてみられない︒ほとんどの文献は︑後述するように︑形式主. 76. る尺度は与えられても︑体系というレベルは得られない︒それ故に︑本稿では︑手掛りとして霞葺虫ωを引いたのである︒. 得られるもので︑この側面から体系が導びかれるものではない︒この視点によって一法律行為のもっ形式の抽象度にかんす. きよう︒末川︑法と経済五ー五︑四頁︒けれども︑この二つの側面は︑あくまで一法律行為ないし一訴訟行為に着目すれば. が拘束する︶︑巧o旨凶暮R冥o鼠菖3を具体的形式主義︵個々の主観的要素を具体的外部表現が拘束する︶と考えることはで. 甘R置晦の前述二つの形式主義について︑問巽ヨ巴一の目拐を抽象的形式主義︵個々の主観的要素を抽象的外部表現H形式. o・. 冒一〇蝕Rl蜜畠○一窃り田馨oユs一凶旨8α¢9一889Φω言q網○協8ヨき冨妻︵お認︶﹇匹︸〇一〇慧oNー蜜oげo一器・﹈卜Oo. (( 54 )). (( )).

(14) 早法六一巻一号︵一九八五︶. 一二六. 〇﹂六〇頁以下参照︒感染呪術とは︑他人を傷つけるために当人の爪などを焼くといった行為で︑本体に一度接触していた. ﹁呪術・宗教﹂という表現は︑呪術という概念と宗教という概念とを厳格に区別すべきという態度をとらないことを示. 困帥oOo目ヨ㊤oぎ↓即ω3. 参照︒. ものは︑本体から離脱しても︑本体に作用しつづけるという考え方にもとづく呪術︒フレイザー﹁金枝篇e﹂一〇五頁以下. ︵17︶. αO︒. ︵18︶. ﹁呪術 霊的な存在を強制し統制しようとする行為﹂︑﹁宗教. 霊的な存在に懇願しようとする態度﹂という概念上の峻別. す︒累80黛ヨ8犀もこの二つを概念上区別しないことにしている︒私も本稿ではそれらを区別すべき必要はないと考える︒. は︑キリスト教を背景とした近代西欧的立場を表明するものにすぎない︒この峻別を盲目的に諸文化にあてはめることは︑. の概念ω畠①旨鵬8畠蝉津とはさしあたり関連しない︒なお︑以下の文章において﹁仮装行為﹂という表現がある場合は︑そ. ω畠①3鴨ω畠母什というタームは一般に仮装行為と訳されるものとして示したにすぎない︒次章二節に検討する冒震β磯. いて﹁呪術的﹂とのみ表現されていれば︑それは私の表現ではなく引用される文献における表現である︒. 近代西欧エスノセントリズムを招来する︒これを避けるために﹁呪術・宗教﹂という表現を用いる︒また︑以下の文章にお. ︵19︶. 用いない︒. 囚餌ω①ぴ︾ン認N地旧践. 例えば︑い帥げ8ヨい●︿oPωN9︵ご毬︶N窃ヌなど︒. ﹈一〇酒09∪三畠o登岡幹ω9三N超一〇N胤引︾声昌笹oー. れは引用される文献にその表現があるということである︒私は︑﹁仮装行為﹂とは表現せず︑もっばら形式という表現しか. 例えば︑冒お1囚自ロ犀o一︸肉αヨ一のoげoの準ぞ讐おo耳︒︒︵おお︶﹇旺閑. ︵21︶. =凝oお需αβ諺こU段&ヨ一ω900窪窓瓜gωげ①ひQ鳳頃身口98αR毘αQ﹃oヨΦ陣昌窪&巨ω畠窪肉oo算ωきのo富⁝躍一. 園鼠斜くこω8ユ帥α巴α騨一#08ヨ印旨気︵這お︶$など︒. ︵20︶. ︵22︶. 囚器9︾一. GoOω詮認Nこ︒●. o麻い oN8︵一〇藤Go︶曽O眺こNo ︵一〇ミy<o吋名○需一戸爲︸GoOO訣ωO b︒ 窓ωω一旨二α己o. 勾即トNQQなど︒. ︵23︶. ︵24︶.

(15) ︵25︶. Hω算μ 障 b O に も と づ く 推 論 ︒. 蜜鋤oOO 円 ヨ 四 〇 ぎ ↓ 殉 ω 8 禽 O 跨. ω菖℃三暮δ︵這8︶謡障卑︸謡斜ωRを. 行為の再構成にかんしては様々な推論があるが︑本稿の検討対象ではないから︑それら. 仮説を逐一紹介すべき必要はなかろう︒とりあえず︑詣o凶9甲博知中一目︾1炉幹. ︵6 2︶. の始源的形式の再構成は不可能であるとする見解である︒例えば︑さおー〆ρ昌瞠①ど菊雫堕零ごω9巨卸Ω四ωω8巴3旨蝉⇒冨名. 参照︒ただし︑推論すること自体を否定的にとらえる見解もある︒すなわち︑前述史料にもとづいても確定的な駐℃三讐δ. ∪三朗因4ωN①o o︵る竃︶おO舜. いても扱わないこととする︒. Uo一8びコω邑6瞳︵一〇も︒刈︶HOo ︒矯嵩O︒. Uω48二負幻国餌お︵ごさ\藤一︶O塗鳩霧. ︵一〇鰹︶恥誤参照︒従って︑再構成自体が疑わしいから︑この始源的形式については︑三章一節における形式の再構成にお. ︵28︶. ︵7 2︶. 毘ぎお韓にかんし︑一例として♂の98の解釈をあげておこう︒Z8ヨ霧. N8矯・. ︵29︶. こにおいて問題は︑跳ぎ器ヨの宗教起源説を前提として︑眺oω98という要素のその起源説に従った解釈を示すことであ. 恥によると︑凡ぎおヨは宗教的起源のものであり︑︷φψ98は宗教的・儀礼的な力を表現するものであるとされる︒こ. る︒なお︑当該行為を例として︑行為ないし形式の起源にかんする解釈は次章一節において扱う︒. ヨ騨昌o首簿δ一般については︑国鋤αq①あ謹α目の解釈を示しておこう︒頃似磯R雪a彗・鉾鉾ρ翫宍・ω鳶Rによると︑ヨ㌣. ロo首簿δの形式はごω9奪風q目ρ諾び巴εヨにおいて戦利品を取得する行為であり︑従って︑最も重要な形式的要素は譲. 0︶ ︵3. て現実の支配が生じたとされる︒この解釈も︑前提として︑目きoな典δが呪術・宗教的な行為であることを示し︑その前. 受人が対象をつかむ行為と秤を簿oので打つ行為であり︑これらの行為は呪術的なもので︑この行為の持つ呪術的力によっ. 提にのっとって各要素および行為の効果を論ずるものである︒閃凝R雪&旨が重要なものとした秤を餌①ので打つ行為のう. 炉堕Oま5仁oω賓○げ観日霧αq霞霰き9①暮母o詳8ヨ巴昌. oごい蝕諭びωN瑠︵おoo刈︶5一中によると︑譲受人が譲渡人に渡す帥oのは︑譲受人の人格を呪術的に象徴する ︵おら o腿︶置し. ち︑帥①のにかんして︑例えば次のような見解がある︒ピひくマ切貰窪. 一二七. もので︑これを引渡すことによって前主の防禦責任が呪術的に生ずるとされる︒この見解も︑行為の呪術的性格を前提とし. 古・ーマ法における形式主義にかんする一試論.

(16) 早法六一巻一号︵一九八五︶. 加害者が死亡した場合の昌o図8号象諏○にかんし呪術的解釈が見出される︒例えば︑囚霧R. て︑その前提に従う前主のき99津器の呪術的解釈である︒. この挙証として図器R. 一二八. ︾ン一〇〇S二皇閑劉どま鳶馴. これは死者の霊にやすらぎを与えないという呪術的観. 客堕目段B霧ooO. この形式主. ︾いおよび閑型固を引く︒従って︑形式主義が呪術・宗. ︵33︶. 前述白説を発展させれば︑この陥穽から免れることができるかもしれない︒その際日説において前提となった﹁呪術にも. 前注︵20︶︵21︶︵22︶︵24︶の該当箇所参照︒. 例えば区器R︸︾ンoo8﹁呪術的要素は・ーマに固有のものではな. このように︑形式主義の基礎を論ずるには︑法と呪術.宗教との. ωoωo一震は︑﹁呪術にもとづいている限りでは︑古代法は何ものも生みだすことができなかった﹂と明言している︒切oωΦ−. 争にまで加わる意図はないため︑本稿では︑その基礎につき論ずることを断念せざるをえない︒. o︶ω8ヌとでは︑時代差はともかく︑かなり相違が見られる︒宗教学上の論 ︵一〇旨︶とい28一醤 因一①冒oωo貸置什①⇒︵這Oo. て︑宗教ないし呪術の存在態様を定めねばならない︒管見した限りでも︑名凶のωo翰欝のご園①凝笹8仁昌儀囚三9のαR菊α日R. れは極めて困難である︒法史研究の課題たるべき国家権力態様を定め︑そこから法のレベルを確定せねばならないし︑加え. 関連を古ローマに即自の問題として問い直すべき必要があり︑その検討の上で所論を展開することができよう︒ただし︑そ. の段階︵である︶﹂1についても検証されねばなるまい︒. く︑各民族が史的に一般に経験するものであって︑国家や時代を超えてあらゆる始源的段階にある人間・民族の共通の思考. とづく仮装行為の段階﹂1これは普遍的段階とされる︒. ︵34︶. 教にもとづくとするのは︑囚器Rという権威によってであり︑前提についての疑問は何ら抱かれていない︒. 義は呪術や宗 教 に も と づ い て い た と し ︑. ︵ご㎝o o ︶一卑は︑08仁短自oの始源的な宗教的形式を再構成するに先だって︑古ローマ法に形式主義が存在し︑. 08 冨訟oにかんしては竃809ヨ8犀に言及はないが︑補う意味で示しておく︒例えば︑ω#o器9匹. るものにすぎない︒. 念にもとづくものであるとされる︒ここに至っては︑行為の形式すら問題ではなく︑たんに一事例を呪術.宗教的に解釈す. 加害者死亡の場合の昌o図器牙良二〇は︑加害者の遺体を対象とし︑. 罫∪器a巨零訂N三甘吋︒器裟8響︵お8︶一︒鐸胴=8墓旦斜国矧ω唇箪自9ダZ・釜一δ貧δ︵這お︶によると︑. ( 31 ) ( 32 ) ( 35 ).

(17) 曽oo中馴く魁9︸αお1国 昌犀Φ一一園戸︶OOい. 竃80曾旨pooぎ↓閑ωざ潟O℃蕊O評&どホト●. 一g9切①箭競鴨N弩図旨一犀山雲a巨ω畠窪国Φ昌房ρ信︒一一窪一く︵一旨︒︶一〇一●. 霞一拝o量園型. 蜜一辞o量国型り80h. ﹈蚤菖①一ρ園℃こ留9. 竃葺虫のは薫q昌象を引く︒竃凶辞o量国コ謡竃︒. ﹈≦9①一9園FN緕h. 一九六七︶を参照︒. 零震震︑寂毒1ω毎窪等に対する機能主義人類学からの批判は︑エヴァンス. プリチャード﹁宗教人類学の基礎理論﹂. この想定は研究対象たる一社会におけ. 諸社会をみて法と呪術・宗教との関連が普遍的でないという想定はえられるかもしれない︒とりあえず︑ホーベル﹁法人. ︵佐々木宏 幹 ・ 大 森 元 吉 訳 ︑. ただし︑. 例えば︑甘霞ぎαqは︑﹁人間のもつ形式を愛好する心﹂をあげている︒その意義はこうである︒過去に実際に存在した行. 存在するとする︒ω9三夢もoP︵ω9三勢ω曽で=鼠N置讐植=oヨo冒号拐が引かれている︒︶. 古ローマ法における形式主義にかんする一試論. 一二九. すなわち︑人間には︑語りの美しさや意味ありげな動作を愛好する心があり︑この感情から形式は生まれ︑形式は普遍的に. 証するそのような感性である︒冒Rぎ讐目1ρミρ親O︒また︑ω畠三Nは男aヨ鼠3︵形式を愛好する心︶を述べている︒. 為の遺物である形式に生活の連続性を見出し︑過去に依拠することで生活を安定させ︑さらに未来への接続をみて生活を保. ︵44︶. 研究対象である一社会の在り様を明らかにするものでなければならない︒. 遍的ではないというテーゼは︑ある社会においては関連が見出され︑またある社会においては関連が見出されない︑という. る法と呪術・宗教との関連の程度の高低を明らかにするものでなければならない︒すなわち︑法と呪術・宗教との関連が普. 類学の基礎理論﹂︵千葉正士・中村孚美訳︑ 一九八四︶二五九頁以下参照︒. ︵43︶. ( ( ( ( ( ( ( 42 41 40 39 38 37 36 ) ) ) ) ) ) ).

(18) 形式の研究. 早法六一巻 一 号 ︵ 一 九 八 五 ︶. 二. 一三〇. 法体系の研究としての形式主義研究という視座のもとに形式分析をなす視点をさきに得ることができたと考える. が︑本章では形式の分析をなすにあたって︑まず従来どのような視点から形式研究がなされてきたかについて概観. し︑その成果を我々の視点と連関させることから始めたい︒その後︑形式の概念を検討し︑それによって形式を分析. 形式研究の従来の視点 ︵1︶. 形式は一般的には次のように理解されている︒すなわち︑すでにみたように︑始源的段階においては︑自然発. 扁. する方法を得ることとしたい︒. 一. 生的な現実の行為が存在した︒この現実の行為に様々な形式的要素が付加され︑あるいは︑本来の要素が形式的要素. に変えられる︒それら形式的要素とは︑例えば︑式語であり︑式語とは︑本来は自由であった発言が固定され変更し ︵2︶ えなくなったものであり︑これがもっとも特徴的な形式的要素とされる︒また︑特定数の証人も形式的要素とされ︑ ︵3︶ というのも数において本来制限をうけなかったのに制限されるに至ったからである︒さらに︑対象を手でつかむ行 ︵4︶ 為︑対象に︷oω98を置く行為も形式的要素とされる︒以上のような形式的要素が確定し︑また︑行為における主 ︵5︶. ︵6︶. たる行為も形式となり︑さらには︑本来の主たる行為は消滅し形式的要素例えば式語のみによって行為が構成される に至る︒このようにして︑始源的段階での現実の行為が形式となっていくとされる︒.

(19) このいわば一行為の持つ形式発生というべき視点は︑具体的には次の形で研究に用いられている︒すなわち︑形式. よりみた当該行為の起源論である︒一例として︑駄3お旨における法廷手続の起源論の一つを紹介しておこう︒民. 事訴訟自力救済起源論を唱える研究者たちは︑法廷手続における両当事者の行為に︑その形式から︑係争物について. の始源的な物理的闘争を見出す︒始源的闘争にかんしさらに説が展開される︒例えぽ︑この闘争は国家権力の如ぎ集. 中的権威が確立される以前の段階における肉体的闘争であり︑当事者の肉体的力すなわち自力救済によってのみ解決 ︵7︶ されるものであって︑法廷手続における形式はそのような段階が存在したことを想定させるものであるとする︒一 ︵8︶. 方︑この闘争は︑自力救済が法制度のうちにとりこまれた段階のもので︑司法を背景とした法的な現実の闘争なので. あるとする見解もある︒このように︑鬼冒お臼における法廷手続の形式から民事訴訟自力救済起源を展開する説. にも︑古・ーマにおける国家権力態様の把え方︑民事訴訟の起源をどの権力段階に求めるかという点にかんする差異. から︑形式理解について相違が生じている︒換言すれば︑この相違は︑形式そのものから生じているのではなくて︑. 形式を解釈する前提としての民事訴訟自力救済起源論の差異にもとづくものである︒まして︑民事訴訟自力救済起源 ︵9︶ 論に立たない研究者は︑これと異なる民訴起源論を前提として︑当該行為の起源につぎ異なる解釈を示すであろう︒. 従って︑起源論からの形式の考察は︑形式自体を考察の対象とするものではなく︑形式の前提となる行為・制度の起. 源論の傍証にすぎない︒とすれば︑この視点は︑形式即自の研究という本稿の問題と離れることとなる︒ ︵10︶ 一方︑起源論というのではなく︑一行為が始源的な現実の行為から形式へ化すその契機についての研究は︑すでに. 二一コ. 述べたように︑外的形式主義・一行為の形式にかんする研究に限定され︑体系という視座を得ることは困難である︒ 古ローマ法における形式主義にかんする一試論.

(20) 早法六一巻一号︵一九八五︶. ︵11︶. 一三二. もっとも︑始源的に現実の行為が存在したという想定自体が︑形式からの推測にもとづく前提にすぎない︒この推測. 自体真であるかにつぎ問題とされるべきではあるが︑確定的な結論を得ることは不可能であろう︒従って︑形式発生. の契機を問うべぎ確たる根拠はなくなり︑この視点はさほど重大なものではないと考えざるをえない︒. 二 先の形式についての一般的理解から︑形式の有する諸要素にもとづぎ︑各形式の成立の順位を確定しようとい. う視点が生ずる︒例えば︑始源的に現実の行為が存在しこれが呪術・宗教にもとづく形式となり最終的に世俗的法技. 術にもとづく形式となったとする前述臼説は︑次のようにして形式相互の成立順位を確定しようとする︒すなわち︑ ︵12︶. かつての呪術・宗教にもとづく要素を含む形式は︑それを含まない形式に比べ古いものであると判断し︑このように ︵13︶. ︵14︶. して各形式の成立を順序づけようとする︒その要素とは︑例えば︑手で対象をつかむ行為は感染呪術にもとづくもの. であり︑特定数の証人は行為の公示性にかんする目的を持つものであり呪術的性格を持たないとする︒こうして得ら. れた結論は具体的には次のようになる︒もっとも古いものはくぼ島8江o︵先述掌捕の動作︑富ω98を置く行為は感. 染呪術にもとづく︒式語には≦o旨巨品富の観念が認められる︶であり︑目弩o骨蝕o︵器ωや特定数の証人は世俗. 的法技術にもとづく要素である︶はこれより新しく︑冒冒お8隆o︵呪術的要素が何ら認められない︶はもっとも 新しい形式である︒. 以上の概観からただちに解るように︑この視点は結局のところ古・ーマ法の性格づけという前章で扱った問題に帰. 着してしまう︒呪術・宗教的要素の有無が判断基準となれば︑始源の段階に呪術・宗教の影響を否定する見解には支. 持されないであろう︒一方︑形式を呪術・宗教にのみもとづかせる見解もまた︑先の見解では世俗的法技術にょる要.

(21) 素も判断基準となっているから︑否定するであろう︒さらに︑個々の要素それ自体の性格づけも︑その要素を含む形. 式・行為をテーマとするモノグラフ間で相違を見出しうるであろう︒従って︑判断の前提となる古・ーマ法の性格に. かんし一致をみない限り︑単純にこの仕方を貫くことはできない︒しかも︑前章でみたように︑古揖ーマ法の基礎・. 性格にかんする視点は︑すくなくとも呪術・宗教的段階を想定する限りで︑古・ーマ法即自の分析をめざすものでは. ない︒以上より︑形式の成立順位という視点は本稿にとりさして重要なものではないということとなろう︒なお︑諸. 第三に形式の作成という視点がある︒これは︑いうまでもなく︑法学者の活動というテーマから形式研究ヘア ︵15︶. 形式の通時的関係にかんし形式相互の発生関係と呼べる視点があるが︑これについては次節において検討する︒. 三. プ皿ーチするものであり︑ω9三Nは畏ぎ鍔ざ閏8臼巴冨日霧と表現し形式主義の一態様として研究する︒そこで 以下ではωoビ冒の見解をみていこう︒. ωoど冒は次のように述べている︒形式作成には諸民族に普遍的な次の三段階がある︒O︑自由な形式を発見する. 段階︑⇔︑形式が確定しその形式を変更することが不可能である段階︑㊧︑旧来の形式が利用不能となり︑そのため ︵16︶ 新しい形式が作成されるないし形式自体が廃される段階︑以上である︒古・ーマ法は⇔の段階にある︒例えば︑⑦ヨ甲 ︵17︶. 昌o一B寓oや包o鷲δは︑旧来の形式がそのまま用いられるのにもかかわらず︑その形式本来の目的とはまったく異. なる目的を持つものである︒ところが︑目程o昼暮δ昌qヨヨo鐸ぎ︑8Φヨ営δ︑什oω蜜唐窪蜜B℃R器ω9=嘗帥目. ヤ. ヤ. ヤ. のように︑Oの段階を想起させる形式もある︒すなわち︑8Φヨ讐δやけ①ω貫目窪εヨ℃R器の簿ま蚕目は︑本来. ニニ三. の目聾oぎ讐δの式語が自由に変更された形式であり︑B窪o首&o霊導筥o自oは目窪9冨寓oにおける価格支 古・ーマ法における形式主義にかんする一試論.

(22) い18︶︵19︶. 早法六一巻一号︵一九八五︶ ⁝. 払が象徴的な支払に自由に変更された形式である︵傍点筆者︶︒. ヤ. ヤ. ヤ. 二二四. 以上の見解において形式作成の発展図式があらかじめ与えられた前提であることはとりあえずおくとして︑8①学 ︵20︶. 営δや富ω$含窪9ヨづR器ω9一5茜ヨが自由な形式作成にもとづくとは断言しがたい︒従来いわれているよう. に︑これらが営碧o督&oにもとづいているとすれば︑むしろ式語を変更してまでも目窪︒骨緯δの形式に拘泥する. サごの子に対する. 宕8馨霧が3賞お8ω巴oにおいてヨ窪目窃器という表現で示されたから︑変更される必要はなかった. 形式であるとも考えられる︒式語のみに注目すれば︑匿8ぼoの式語は︑短什R壁ヨ良器︵. 冨鼠. とも考えられる︒むしろ︑これらの諸形式を共時的体系の枠でくるみ︑基底形式を想定したうえで︑基底形式から︑. ある時は8①日冥δの形式が︑ある時は銭o讐δの形式が︑さらには目目o首銭oの形式も作成されたと考えた. い︒この視点は厳密には次項で得ることとしたいが︑こう考えれば︑形式作成という視点は︑本稿における形式主義 研究としての形式分析に吸収されることとなろう︒. 四 形式の作成という先の視点に接続して︑形式の作成者すなわち法学者の性格から形式を扱おうとする視点が得. ︵21︶. られる︒古・ーマ期における法学者は唇算菖8ωであり︑彼らが排他的に形式を作成することがでぎた︒この零−. β鉱ぼ霧の有する性格から︑彼らが形成した法体系およびその特徴である形式主義について解明しようとする立場が. 見出せる︒けれども︑この視点は︑形式主義の基礎を問う仕方に立ち返ってしまうのである︒. この仕方は簡単に述べれば次のようになる︒宕導昼8ω自体は呪術・宗教上の職能であるから︑そうした性格を持. つ者たちによって形成された古・ーマ法は呪術・宗教的性格を持ち︑形式主義も呪術・宗教にもとづくとされる︒け.

(23) ︵23︶. ︵22︶ れども︑9暮筋8ω就任者をみれば︑たんに呪術・宗教領域にのみその性格を求めるべぎではなかろう︒. 宕算菖8ω. は通常政務官経験者であり従って支配冒鼠息層であるから︑社会階層の中における位置づけから性格づけるべぎで. ︵25︶︵26︶. あろう︒また︑ω3三Nは︑9暮籏8ωが呪術者でも予言者でも呪医でもなく名望家であり︑従って︑法の形成に呪 ︵24︶ 術的力があづかったことにつき彼らの性格より導く見解を否定する︒これに対し︑国毒ぎ一は︑2算β8ωが呪術者. でなく支配貴族階層の成員であることに異論はないとしつつも︑彼らの活動には呪術的背景があったとしている︒こ. こに至ると︑2旨菖8ωの性格から直接古・ーマ法・形式主義の呪術・宗教的基礎が導かれるのではなく︑むしろ︑. 法学者の活動をも含めた全体としての在り方の基礎に呪術・宗教があったということになる︒とすれば︑ある前提の. 下に法学者の活動を性格づけることになり︑形式作成者という視点は導きの糸にはならない︒そうして︑その前提と. は︑前章でみた古ローマ法の性格づけとしての形式主義の基礎という問題である︒以上から︑当視点は古・ーマ法の. 最後に︑ ︵27︶. 一部分形式研究に関連する視点として︑形式の解釈という視点をあげ︑以下にω魯琶Nのいう冒−. 性格づけ・形式主義の基礎という視点に吸収されるのである︒. 五. 8εお3二奉男9目讐ωヨ霧について紹介しておく︒. ぎ言∈話鑓菖話司o糞影房目霧は先の曽ぎ一自巴Φ男a目毘ωき霧に応じ次の三つの発展段階を持つ︒すなわち︑e ︵28︶. 自由な解釈の段階︑⇔文言に拘束される段階︑㊧自由な解釈が復活する段階︑以上である︒この発展図式も所与のも ︵29︶. のとされ︑eの段階に一二表法期を位置づける︒従って︑形式主義を特徴とする法体系においては︑形式が固定して. 一三五. いるが故に︑かえって解釈は現実にそくして自由になされたと考えられる︒この視点を形式に限定して把えるため 古・ーマ法における形式主義にかんする一試論.

(24) 早法六一巻一号︵一九八五︶. =二六. に︑形式の一要素である式語の解釈に注目してみよう︒その事例としては︑09合目が考えられる︒. O鉢企目∵−⁝窪βρq一8<蕊どω霊8巨ωぎ畠奮9暮営四︒ぎ器ξ冨ωぎ巨冨壁計お呂g撃目①馨. おヨ℃Rα釜ωωρρ9餌号び鼠ωω9巽ぴoおωぎ巨ロ巽①ΦP20山一霞﹀日貫び巳餌﹃qβ震ρ轟αo<一賦ゴω霊8一−. ω一ω8怠08昌℃①梓R9鴨器轟痒R留碧げ9ぎ5霊8巨ωδρ器冨9μ︵⁝⁝ぶどうの樹が切り倒された場合の訴. 訟でぶどうの樹と明言して訴えた者は敗訴したと解釈された︒というのは︑ぶどうの樹が切り倒された場合の訴訟. を認めた一二表法は︑一般に樹木が切り倒された場合について示したため︑樹木と明言しなければならなかったの であるからである︒︶. これは確定している形式︵式語︶についての自由な文言解釈の段階におけるおε8鐙と考えられる︒すなわち形. 式は︑︑胃び窪︵樹木︶︑.という語を持ち︑この語を変更してはならない︒この原則の上で︑..巽げ簿︵樹木︶.︑という ︵30︶ 語は実際の事例において..<試ω︵ぶどうの樹︶.︑に適用され︑また適用しうるように解釈されたのである︒従って︑形. ︵31︶ 式自体は固持され形式主義も貫徹され︑その枠の中で文言は事例にそって自由に解釈されたのである︒以上より︑形. 式の解釈という視点も︑形式主義という体系内でのものであり︑形式主義研究の内に吸収されるものである︒. 二 形式分析の視角. 前節でみたように︑従来の形式研究は︑ より広範な問題設定にもとづぎ形式即自の研究とは離れるものないし本稿. における形式主義研究に吸収されるもの︑ いづれかであった︒そこで︑以下では︑形式主義研究としての形式分析の.

(25) ために︑ひとまづ形式とはどのようなものであるかにつき確認し︑そこで理解された形式に適切な分析の仕方を述べ. ておく︒通常考えられる形式分析の仕方は二つあろう︒一つは︑形式内部にある形式・実体の緊張関係にかんするも. のである︒他の一つは︑この緊張関係を基底におき︑形式と形式との相互関係についての分析である︒この二つの仕. 方自体が密接に関連していると考えられ︑甘Φユ鑛のいうω魯a凝窃9諜什の概念を手掛りとして考察するが︑以下. 前節二項末において示唆するにとどめた形式相互の発生関係とでも呼ぶことのできる視点が︑手掛りとなろ. では︑考察の端緒として︑形式相互の関係から述べていく︒. 一. う︒形式相互の発生関係と呼ぶものは︑先述した形式の発生順位とは異なるものである︒後者は︑各形式を構成する. 諸要素について一定の基準をあてはめ︑各要素の発生の時期を推定し︑それにもとづいて︑発生が古いと推定された. 要素を多く持っ形式が古いと推定された要素をさほど含んではいない形式に比べ古いものであるという研究であっ ︵32︶. た︒一方︑形式相互の発生関係と私が呼ぶものは︑ある形式の母型ないし祖型が別の形式である︑すなわち︑形式A. は形式Bから発生したという視点である︒この視点は︑古ローマ期の私法上の形式をみれば︑ただちに得られるもの. である︒例えば︑ーより具体的には次章第一節を参照されたいIo睡碧息短ぎは日き06讐陣o︑巨弩q且ωωδ<冒象. o$等によって構成され︑銭8自oはこのoヨ窪o凶冨怠o︑話ヨ馨息B江o︑3凶霞Φ8ω巴oによって構成される︒従. って︑①臣窪06壁oは目き9短ぎ等を母型としており︑これらの形式が存在しない時期には存在しえない形式で. ある︒さらに︑&o営δは︑こののヨ§o一冨謡oを構成要素とするから︑①目彗06簿δをも母型とする形式であると ︵33︶. コニ七. いえよう︒ところで︑従来述べられているような︑例えば︑80ヨ冥δが巳導06鉾δから発生したという点にかんし 古・ーマ法における形式主義にかんする一試論.

(26) 早法六一巻一号︵一九八五︶. 二一一八. ては慎重になるべきであろう︒80旨筥δは︑目窪o言豊o壼臼目o§oとしてヨ弩o甘呂oの形式が確定した後にそ ︵34︶. の形式を借りたのか︑始源的売買婚としての形態で存在していて8①目讐δ壼目目oβぎとしての形式を確立した. のか︑にかんしてにわかには断じがたい︒8①目営δおよび巨碧o帯呂oにとって形式上の9な宕ωが存在してい. たのであり︑両者の形式はそれにもとづいて発生したのだという推定も可能なのである︒従って︑8Φ目筥δと目甲. 昌oゼ讐δとは類似した形式を持つといいうるが︑8⑦日営δがBき9短鉱8よりその形式を発生させたとは断定で. ︵36︶. きない︒けれども︑前述したように︑oヨ彗9短謡oや&o冥δは母型から発生した形式であるといいうる︒この意 ︵35︶ 義で︑形式と形式との発生関係を確認することができる︒. 以上の形式相互の発生関係という視点は︑あくまで通時的レベルのものであるが︑この視点から共時的分析視角を. 得るために︑また形式・実体にもとづく分析視覚をこの視点の基礎におきさらに形式分析にとって解消するために︑. 甘Φユ凝は︑古代の形式主義の中核こそω畠Φ冒鴨零湿砕であるという︒ω9Φぎ鷺零冨坤とは︑始源的な. 甘R一凝の述べるω9①﹃鴨蓉湿坤についてみていこう︒. 二. 竃暮けR鴨ω9鐵けが↓09冨お8零鼠津を生む場合に︑各々そのω9①3は共通しているが︑行為自体の目的は各々. まるで異なっている︑そのような↓8洋①おoωo湿陣である︒例えば︑ヨきo甘簿ごは始源的には現実売買であるが︑. ︵37︶. 目窪9冨鉱o昌q目目o§oはけっして現実売買を目的とはしない︒このような目磐9B位o⁝ヨ目o信ぎがω魯o− 置鷺総豆津である︒. 以上の概念は︑諸形式の通時的発生関係と諸形式の形式・実体関係という二つの側面から得られている︒すなわ.

(27) ち︑母型と派生型との形式上の類似︑母型の目的ほ母型の実体と派生型の目的. 派生型の実体との差異から得られて. いる︒けれども︑形式上の類似を前提としたうえで︑むしろ実体間における差異に力点をおくことで︑も090冒とい う表現が与えられていると考えられる︒. 甘R一凝はさらに次のように述べる︒形式自体が類似することが前提となるため︑ω畠Φ冒鴨零冨津においては︑. それがその母型と異なっていることが示されねばならない︒というのは︑新しい行為は︑それが母型と区別されなけ ︵38︶. れば︑法的に承認されることもないからである︒このために︑例えぽ︑8①目冥δにおいては目睾9短瓜oの式語が. 変更され︑また他の行為においては行為の8霧曽が附加されることになった︒. 以上の叙述から︑形式・実体関係における実体の形式への干与ないし形式に対する実体の優位をみてとることがで. きる︒そうして︑ここにおいては︑母型からの派生型の発生という通時的レベルではなく︑母型と派生型とがともに. 存する共時的レベルが問題となっていることがわかる︒すなわち︑問題は同時に存在する母型と派生型との差異であ. る︒母型がもはや消滅していれば︑派生型相互間で差異を生み出すべき必要はあるが︑母型と派生型とに差異を見出. す必要はないからである︒このように︑共時的レベルにおける形式に対する実体優位が扱われている︒. ところが︑甘①ユ轟は︑さらに次のように述べる︒式語を修正する場合でも︑新しい行為がその母型である行為の. 属する法領域から外れたり︑母型の持つ効果を廃したりすることは認められなかった︒とすれば︑例えばヨ窪oゼ甲. 怠oにおいては︑どのような範囲内ではその式語の変更が認められうるのか︑という間題が主要な問題となる︒この. コニ九. 場合︑すなわち︑目§o昼呂oにおいては︑ヨ餌b息℃置目の状態を設定することこそ行為の効果として必然であるこ 古・ーマ法における形式主義にかんする一試論.

(28) 早法六一巻一号︵一九八五︶. 一四〇. とが確認され︑この効果の範囲内で式語が変更されたのである︒従って︑新しい行為が形式上目き9冨寓oを用いる. とすれば︑その対象を目きo畳ロβの下におくことが必要となり︑例えば︑o目きo首魯δや&o讐δは︑目碧o一・ ︵39︶ 冨餓oを用いたために︑少くとも一度は旨きo且偉ヨの状態を設定し通過しなければならなかったのである︒. 以上の叙述から形式主義を再確認することができる︒実体による形式への干与は︑結局のところ形式による制限を. 被り︑形式の実体に対する優位が圧倒的に現前するのである︒どのような実体も形式を拘束しえない︒形式の効果は ︵40︶. 実体を超えて生じ︑実体は形式のうちに掻き消されてしまう︒かくて冒R一畠は叫ぶ︑﹁人はその欲するところを語. らない︑語ったところを欲しない︒これが共和政における法律行為である︒﹂こうして︑形式分析にあたっては︑形. 式・実体関係を解消しうること︑あるいは︑徹底して実体を排斥することが可能となる︒加えて︑形式分析の共時的. レベルも得られたと考えるが︑ここで︑閃ぎΦ一のいう冨魯ひq臥9目富ω肉8鐸詔o零鼠津の概念について触れておき たい︒. 勾ぎ巴は次のように述べている︒古・ーマ法の形式においては︑↓8窪巽鵯零悪津において︑竃暮富茜①ωo鼠沖の. 形式への依存があったり︑その形式の簡略化がなされたわけではない︒換言すれば︑↓098お窃o鼠沖の形式は. 冨暮8おoωo鼠濤の形式のω90ぎではない︒冒暮冨お80鼠津の形式は↓8耳oお①ωo感津の形式において実際に. ︵41︶︵42︶. 用いられ機能したのである︒このように︑形式もその効果も包括して母型より借りた新しい行為をb8凝臥8目富ω 勾8算品80冨坤と呼ぶ︒. 国き巴の以上の主張は︑冒R一轟に比べ︑より形式に力点がおかれている︒すなわち︑通時的関係にあった母型.

(29) と派生型とが共時的レベルで関係を設定され︑そこにおいて︑形式そのものが有する諸要素はそれ独自の機能を持つ. ということをみてとれる︒例えば︑ΦBき9B賦oにおける目きo一冨識oはまさに目き息冒怠oとしての機能を果す︒. ところが︑①目き9冨餓oにおいては︑目窪06緯δの機能は︑旨鋤釜巨一ωωδ<ぢ島o富の持つ機能︑あるいは︑お唐習−. o一窟自oの持つ機能によって否定される︒そうして︑この諸要素の持つ機能のコンテクストがΦ目磐oむ讐δの形式. となる︒このように︑寄ぴ巴の概念は︑要素としての形式とその形式を要素として持つ形式の関係が共時的であるこ. と︑また︑形式を要素として持つ形式がその要素の機能のコンテクストであることを理解させるのである︒とすれ. ば︑形式一般について次のように述べることがでぎるであろう︒形式とはそれを構成する諸要素の持つ機能のコンテ. クストである︒この場合︑要素の機能とは︑形式分析に際し実体を排しうるから︑各要素のもつ実体的機能ではな. く︑形式というコンテクストにおいてある要素が次にどの要素を導くのかという機能と考えられる︒従って︑形式を 分析するには︑諸要素のコンテクストを発見し確定すればよいということになる︒. 一方︑形式と形式との関係としての形式の体系はどのようにして得られるのか︒前提として︑かなり複雑にして持. ち出した諸形式の関係の共時性を確認しておこう︒共時的レベルにおいてこそ体系という概念が得られる︒ここにお. いて︑体系と形式との関係は︑形式とその要素との関係と考えることがでぎる︒すなわち︑形式を体系の諸要素と考. 一四一. え︑その諸要素によって成立するコンテクストを体系として把えるのである︒このような仕方で︑次章においては︑. 諸形式についての分析ならびに諸形式によって成立している体系について考察することとする︒. 古ローマ法における形式主義にかんする一試論.

(30) ︵−︶. 早法六一巻一号︵一九八五︶. 一四二. 形式主義の基礎を扱う諸文献の前提がこの点であったことは前述した︒本稿一二こ頁以下参照︒冒おの次の表現が象徴的. である︒すなわち︑法律行為・訴訟行為の始源は﹁ローマ民族の祭祀や法生活の自然発生的な産物︵昌暮弩名8冴蒔霧零o−. 含仁9q霞〇三9吋q昌αα窃閑OO算巴魯①拐血$aヨ謎OげO昌<α涛8︶﹂である︒冒お︶型矯勾αヨ彷畠①菊9窪の名諺器霧Oげ㊤坤N畦 No凶什山R園ε仁三涛︵一〇︒o o︒ o ︶﹇H匂驚ω●﹈器︒. ︵3︶. ︵2︶. 民霧R噂国コ朗ωO. ︒ご罐一●国 竃一辞①一の矯国コboo. 寓濤8一即国国堕ミ9<αQ一. 藤ρ. ︵4︶. ただし︑ このようにして生じた形式も現実の形式︵幻$罵零ヨΦ昌・譲首ぎ葭9ヨ①昌︶と表現されている︒竃一洋①量国︐︸. U偉耳oぎωN㎝9Nおh. ω9国勺﹂. ︵5︶. 国餌のR︸国型一りもoOい. ︵6︶. 為の装いとなるものではなく︑その内容自体を表現しあるいは具体化するもの︵勾Φ巴︷9B①P良oα窪︾葬巳o洋三島巴の. 謡曾国霧R・園即ど認⁝︸驚の1囚q昌閃①一・国■・Oρ囚霧震に従うと︑国o巴賄RBとは次のものである︒﹁外的附属物として行. 鐘粉RoN暮讐冨笹色3昌℃8昌号舅器ぎΦP騨げ巴けω①ま鴇四器α急畠ΦP&R︿①戦ドα壱R昌︶﹂である︒この考え方に従えば︑. ≦8鴨お■. 一湯鼻9凶o昌窪80・a目一の魯窪N一く一一冥oN8段oo窪ω︵一〇謡︶一8勢曽oo旧い自器洋PO●℃ωNお︵一〇ま︶㎝ε. 形式的要素をとり払うことによって︑その始源的現実の行為を見出すことができるという仕方が得られるであろう︒ ︵7︶. 甘蓉ぎぴンOo︒︒ω8悶①一︵一〇ミ︶一8卑︸NOざ漣錦∪9一りωN㎝oo︵一800︶ωω︷.. ω富ωNまヨ一≦●︾ωNooO︵一8ω︶一〇〇.. ︵9︶. oR ヨについての考察︵本稿二一四頁以下︶︒冨一雰①ぴ閑コ謡o. ︵8︶. 形式. 例えば︑民事訴訟宗教起源論として︑28旨oρ閑=︒一P8魯. 国帥ωoさ︾一4ω漣R. 園8罵9旨という前提にもとづく推測であることは本章注︵6︶みよ︒. ︵n︶. 例えば︑前述匡葺蝕のの審αq9言B℃R器ω9出ぼ. ︵2 1︶. 囚霧⑦び︾ン ω N O ●. ︵−o︶. ︵13︶.

(31) ωωρ. ω魯三FN鋳前章注︵3︶における甘R日㎎の概念閃9昌巴一ωB5に相当すると考えられる︒ ω魯巳N ωOい. 国霧oび︾ ︸. ω9亀N;GoH︒. ︵M︶. ︵16︶. ω9三N9︸ω一●. ︵15︶. ︵18︶. なお︑ω魯鼠Nは働辟δ昌巴o閃RS巴冨ヨ房を私法のみに限定する傾向を批判し︑古・ーマ期において9︒民謡8巴o閃R・. ︵17︶. ︵19︶. 冒議こ蜀 勢 曽 ︸ N 藤 い 旧 冒 層 ω i 囚. この点にかんし若干異論がある︒本稿二二九頁以下参照されたい︒. で現象的に認められるこの9犀一8巴①司9旨巴齢旨萄は過大評価されるべきでないとしている︒ω9亀劃ω鯉認G︒・. ヨ巴駐ヨ参は宗教法︑公法︑私法︑訴訟法等すべての法領域において認められたとする︒ω3鼠黛N璽けれども︑諸法領域. ︵0 2︶. また︑・ーマ宗教史学の側から宗教上の形式主義を宕旨温8ωから導くものとして︑い暮貫国α旨δ90閃①一黄一〇霧鴨零獣−. ロ犀巴︸沁即導おい脳囚器Oび︾ン鍵q宍旧箆■︸勾即斜NoQW一〇一〇名8NlZ8﹃O富9QQOいなど︒. ︵21︶. ℃oP鉱ゆ8ω一般については︑さしあたり︑閃R鴨び︾︸国P290需α陣O島9ざ昌餌曙98導鎖昌冨霜る・〜℃o旨蕎8の︵お器︶. 93︵お零︶おo︒舞博曽ド唱o旨臨8ωの活動一般については︑さしあたり︑小菅︑北法一五︑六五六頁以下を参照︒ ︵22︶. ω9三駅聾具体的には︑政務官就任者のリストとB暮58ω就任者のリストとを対比すれば明白になろう︒とりあえず︑. oω一卑などを参照︒ Oω㎝旧ωNo菖一〇さP︸y閑中ω唇℃ど図<︸9︿●℃o馨龍霞︵ごお︶G. ooい旧く磯一●ピお4一〇・. o︵這鐸︶呂N︒ 犀①一︸ωN①o. ωoびεN. ). 古冒ーマ法における形式主義にかんする一試論. 一四三. ω9三Fもo蒔前章注︵3︶における冒Rぎαqの概念譲o旨ぎけR冥9暮凶8に相当すると考えられる︒ω昌包駅Go望. なお︑この論争にかんする若干の学説整理が小萱北法一五︑六七一頁注㈹にある︒. 国鶴. ). のリストおよび3凶α・ω8界も参照︒. ω魯三夢5いにおける宕暮臨08のリストを参照︒また︑ω器目一R・男国・ωq℃覧・図ざω島いにおける℃o旨隣o図旨帥嵐導拐. ︵23︶. ( (. 24. 25. (. 27. ). ). 26. (.

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