古 代 権 力 と 刑 罰
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(2) 早法六七巻一号︵一九九一︶. 二. んなに変わりがないのではないかと思わざるを得なかったし︑それ故に︑個人を﹁奴隷﹂として駆使している﹁国. 家﹂の本質を考えざるを得なかった︒敗戦間近の頃でさえ﹁国体護持﹂という事により︑どの位の日本人が死なな. ければならなかったのであろうか︒﹁国体﹂とは何十万の生命と︑その生命に連なる数えきれぬ人々の働巽で購わな. ければならない程貴重な存在なのであろうか︒﹁国家﹂﹁国体﹂等々に対する日頃欝積していた素朴な疑問を︑当時 の多くの日本人と同 じ よ う に 私 も 持 っ た ︒. 繰り上げ卒業で不足した分を取り戻そうと大学に帰えり︑江家義男先生に刑事法のご指導を受けたが︑﹁国家権力﹂. の問題は常に私の意識の中に存在していた︒法史学の研究に携わる事になった折︑研究の中心に﹁国家権力﹂の分. 析を置き︑﹁分析﹂の媒体として刑事法をおく事にした︒それは︑国家刑罰権の名のもとに︑国家は個人に対し︑自. 由を拘束し︑財産を奪い︑生命すら断ち何らかの利益を護って来た︒斯くの如く︑刑法は何らかの利益を護るため. 行使される﹁国家﹂の物理的暴力に対して正当化の根拠を与える法であり︑他の法と比べて極めて特殊な本質をも. っているといえる︒このような刑事法史に取組む事により︑﹁国家権力﹂の一つの側面を明らかにする事ができると 思ったからである︒. 国家権力の分析といっても︑人間関係が複雑に織り重なっている時代の﹁権力﹂は︑複雑な面容を持っており﹁権. 力﹂の本質を簡単には見せてくれない︒しかし︑時代が遡るにつれて︑人間関係が単純素朴の度合を深めてゆくと. ﹁権力﹂はその素地をみせ始める︒そういった点で︑﹁権力﹂の発芽期が︑﹁権力﹂の本質そして﹁刑罰﹂の本質を 最も素朴な姿でみせてくれる時代であると思った︒. ところで︑法諺q獣ω099霧﹂9言ω・のごωを﹁法﹂と狭く訳し︑﹁社会あるところに法あり﹂とした事は法学部.
(3) の低学年の学生に誤解を与える不適切な訳であると思う︒法は︑﹁国家﹂による規範であり︑法の発生の前提として. は︑政治権力が成立していなければならない︒古代君主などにより古代国家がつくられる以前においても︑人間集. 団の秩序は︑﹁キマリ﹂﹁サダメ﹂﹁オキテ﹂﹁ノリ﹂など法以前の何らかの規範により護られていたと思われるが︑. まだそこには法は見られていない︒. 古代国家成立以前の社会に於て︑社会秩序維持のため︑﹁オキテ﹂等の規範が存在していた事は︑集団内において︑. 規範違背者が現われた場合︑集団として違背者に何等かの制裁を科す事を予定していたと思われる︒しからば︑ま. ず︑この古代以前の社会における制裁は︑いかなる規範的特性を持つ制裁であったであろうか︒そして︑古代国家. が成立する事により︑この古代国家以前の制裁は変貌したであろうか︑しなかったであろうか︒変貌したとするな. らば︑どの様に変貌したであろうか︑また︑変貌の根底に在るものは何であったであろうか︑等々の疑問の解明が なされなければならない︒. 古代国家の刑罰は︑前古代国家における社会制裁より発展したものと私はみるが︑先述の如く︑刑法は他の法領. 域とは違い︑すぐれて権力に親しい性格を持っているといえる︒そこで︑前古代国家の社会制裁から古代国家の刑. 罰への移行を分析する事により︑古代権力の本質の或る部分を明らかにする事が可能であるし︑ひいては︑各時代 を通じての﹁権力﹂の本質的共通部分に迫る事も可能であると思った︒. 古代権力と刑罰. 三. ︵1︶ 刑罰の始源として復讐をあげる事は︑穂積陳重以来わが国でも多く見られる論説である︒しかし︑﹁復讐から刑罰. 二.
(4) 早法六七巻一号︵一九九一︶. 四. へ﹂との説に対しては︑まず︑この提言自体に対して︑さらに︑日本の古代史の史料上この提言が可能か否かを検 証しなければならない︒. ︵2︶ 古代における復讐と刑罰については︑コーラ;︑ミッタイス︑ウエーバーなど西欧の学者等により広く紹介され. ている︒例えば︑コーラーはその著において﹁単に個々の小さなトーテム及び家族共同体が相互に並立している間. は⁝刑法は必ず二つの形式において﹂現われるとし︑コつの集団から他の集団に対して侵害を加え︑そうして被害. 集団が加害集団に対して反撃する場合﹂の﹁外部的刑法﹂と︑﹁同一の集団内においてその集団に属する一人が他の ︵3V. 一人を侵害した場合﹂の﹁内部的刑法﹂の二つをあげている︒前者の﹁外部的刑法﹂が復讐の問題になるのである︒. ミッタイスは︑その著において加害者の属するジッペに対する復讐は︑現代的意味における﹁犯罪﹂とは見倣さ. れておらず︑﹁むしろ挑戦行為︑ジッペ間の潜在的敵対関係が公然のフェーデ頴区①︵菖巨o筐節︶︷敵対行為︸に転. 化される最初の戦闘行為とみられていた﹂としているが︑この戦闘行為に対して﹁直接に国家団体または人民団体. の利益を害するがごとき行為︑または不名誉な心情の発露たるごとき行為﹂に対しては︑犯人は﹁平和喪失﹂に処 ︵4︶. せられ︑共同体からの追放︑殺害など﹁>o窪︵迫害︶事件﹂になるとした︒. ウエーバーもジッペ相互間に行われる﹁復讐﹂とは別に︑﹁内部的刑罰﹂と呼び得るものとして︑ジッペ等を超え. て﹁団体全体を危険にさらす﹂﹁宗教的犯罪と軍事的犯罪﹂の二種類の行為により生じ︑前者では﹁犯罪者自身に対. してのほかに︑この犯罪者を自分たちの仲間として甘受している共同体に対してもまた︑悪しき呪力の形で招来す. ることがありえた﹂のであり︑犯罪者は﹁追放︵平和喪失︶やリンチ裁判︵ユダヤ人の投石刑もその一つである︶. や呪術的な購罪手続によって︑それに対処した﹂とし︑また後者の場合には﹁軍事団体の安全性を危く﹂するので.
(5) ﹁刑罰的制裁にさらされた﹂としている︒. ︵5︶ これらの諸説における﹁外部的刑法﹂や﹁外部的刑罰﹂は︑まさにミッタイスのいうフェーデに転化される最初. の戦闘行為であり︑現代的意味の﹁犯罪﹂と見倣されず︑むしろ﹁挑戦行為﹂であった︒論者の言う﹁外部的﹂刑. 法や刑罰は︑それぞれ独立した共同体と共同体の間に於て成立する関係である︒そして︑これら相対立する共同体. は︑それぞれの内部秩序を維持する為の規範を持っており︑内部統制上の規範関係から見るならば︑これらの共同. 体は︑現在の独立國と同じ地位にあると言うことが出来る︒この点︑﹁外部的﹂刑法や刑罰における暴力行為︵復讐︶. は︑共同体内部の問題ではなく︑共同体の対外関係に属する敵対行為であり︑現代の独立國家間における﹁戦争﹂. と同じ性格を持つといわねばなるまい︒それ故︑﹁復讐﹂は︑同じ内部統制規範を持つ共同体内における犯行と︑そ ︵6︶ れに対する制裁としての﹁刑事事件﹂とは︑本質的に峻別しなければならないと︑私は思わざるを得ない︒. 以上により復讐が︑共同体の対外的戦闘行為であり︑内部統制規範としての﹁刑法﹂とは︑直接結び付かない事. が明らかになった︒復讐が﹁刑法﹂上の関係となる為には︑共同体の外の問題とされていた復讐が︑内部秩序に関. する﹁内﹂の規範上直接の関係として人々に意識され︑取扱われる事が最も必要な要件である︒それは︑復讐それ. 自体の変化により生起するものではなく︑復讐関係が存する社会的基盤の変化の結果として生起する︒. 即ち︑対外的関係として認識されていた復讐が︑共同体内部の問題として意識されるためには︑﹁外﹂の存在とし. て意識されていた他の共同体構成員が︑吸収︑合併等により﹁内﹂に入り︑共同体構成員のそれまでの質的同一性. が失われた場合がまず考えられる︒この場合︑共同体内には異質の構成員が混在し︑同質共同体構成員の間では見. 五. られなかった対抗関係が発生し︑侵害に対する復讐が共同体内部の問題として見られるに至ったのである︒ 古代権力と刑罰.
(6) 早法六七巻﹃号︵一九九﹃︶. 六. ﹁外﹂の関係であった復讐が︑﹁内﹂の問題として共同体内部で発生するためには︑それ迄︑保持存続してきた共. 同体構成員の質的同一性が害なわれる事により︑共同体構成員間に対抗関係が発生する事が前提になるとすると︑. この様な基底的条件の変化は︑共同体内部における経済的諸条件変化の結果としても現われてくる︒後述の如く︑. 採取経済時代における牧歌的人間関係は︑農耕生産など積極的な生産経済生活を採り入れる事により大きく変化し. てゆく︒さらに︑農耕等の経済生活の進展により生産手段の私有が始まり︑人々に徐々ではあるが﹁個﹂としての. 意識が働き︑人々は﹁個﹂に即して主体的に行動し始める︒その結果︑共同体構成員間に富める者と貧しき者︑力. ある者と弱き者の差が次第に顕在化し︑同質であり平等であった共同体構成員達の関係に︑ついには階級的差序の. 出現を見るにまで至るのである︒此等の過程に於て共同体など集団内部の人々の間に︑利害関係などに基づく対抗. 関係が発生し︑争の場に於て力のある者は力により威圧し︑相手はこれに対して反抗する事が見られる様になっ. て来たのではないかと私は思っている︒かかる場合に於て復讐が︑共同体内部の問題として考えられて来るので ある︒. 以上の如く︑理論上﹁外部的刑罰﹂である復讐は︑刑罰の直接的始源としては考えられない︒﹁外部的刑罰﹂の復. 讐が共同体など集団の﹁内部﹂規範上の問題として扱われる為には︑基盤社会の変化が前提にならねばならない事 が明らかになった︒. ﹁外部的﹂な復讐が︑基盤社会の変化により集団内部の存在として︑人々に意識され始めると︑共同体など集団. 内部の規範関係に於ては︑対抗関係による私的な力の行使を如何に制御するかが問題となって来るのである︒ここ ︵7︶ に初めて復讐が共同体の﹁内部﹂規範上の問題になってくると私は思っている︒.
(7) 八四頁以下. 穂積陳重﹁法律進化論﹂一九二七︑岩波書店︑﹁復讐と法律﹂一九一三︑岩波書店︑︵一九八二︑岩波文庫︶. 改訂版﹂一九七一︑創文社︑五四頁以下. 世良晃志郎訳﹁ドイツ法制史概説﹂四三頁︑四四頁︒. ﹃刑事手続﹄と﹃復讐﹄すなわち﹃外部的﹄を意味する﹂とされ︵一七頁︶︑天津罪に対して﹁国津罪として掲げられた罪そのも. する刑罰の﹃類型﹄を示す﹂とされ︵一一頁︶︑﹁天津罪は︑共同体防衛を目的とする﹃復讐﹄を喚起する犯罪であり︑解除は︑呪術. 石尾芳久教授は︑その著﹁日本古代法の研究﹂︵一九五七︑法律文化社︶において﹁天津罪と︑国津罪とが︑むしろ︑鋭く対立. 前掲. 世良晃志郎訳﹁マッタス・ウエーバー法社会学﹂﹃九七四︑創文社︑二五頁︑入六頁以下. 世良晃志郎 訳 ﹁ ド イ ツ 法 制 史 概 説. 小野清一郎訳﹁ヨゼフ・コ!レル︑法の一般的歴史﹂一九五三︑日本評論社. 654321 古代権力と刑罰. 七. 正に﹁戦争﹂そのものであり︑このような﹁外部的﹂刑罰を国際関係の始源として取り上げる事は可能であっても︑同一社会内︑同. また︑私は﹁外部的﹂刑罰は︑同一規範により結集している共同体内部の事件ではなく︑規範を異にする他の集団との事件であり︑. 原神話における速須佐之男命の神話上の位置が解るのではあるまいか︒. は︑速須佐之男命に対して﹁千位ノ置戸ヲ負セ︑亦髭ヲ切リ︑手足ノ爪モ抜カシメテ神ヤラヒ﹂に処している︒この制裁にも高天ケ. である速須佐之男命に託し︑集中的に命の犯行として高天ケ原神話で語られているのが﹁天津罪﹂である︒それ故︑高天ケ原の神々. 過チ犯シケム雑雑ノ罪事﹂は︑天津罪︑国津罪として数えられたもの以外にも存在しており︑それらの雑雑のツミの内で︑強暴な神. えている人もいるが︑私は︑ツミを天津罪と国津罪に分けている事について︑それ程意味があるとは思っていない︒﹁天ノ益人等ガ. さらに﹁六月の晦の大祓﹂の祝詞等においてツミを天津罪と国津罪に分けている事について︑学者によっては︑実質的な意味を考. 刑罰としての﹁追放﹂に値するツミと言わねばなるまい︒. における速須佐之男命が天照大神に犯した﹁生剥・逆剥﹂などのツミは正に共同体の神の神聖を犯す重大なツミであり︑﹁内部的﹂. 九︑敬文堂︑三頁以下︶私は古代のツミ・ハラヘの問題は︑原始的な宗俗上の犯行と制裁の問題として理解している︒﹁高天ケ原﹂. 天津罪と国津罪に︑質的な差が存するとの石尾説には︑賛同する事が出来にくい︑︵拙著﹁日本の古代社会と刑法の成立﹂一九六. おられる︒. である﹂︵二〇頁︶とされ︑ウエーバーなどが指摘した﹁外部的﹂刑罰﹁内部的﹂刑罰の概念を︑わが古代のツミに当てはめ論じて. のの存在︑或いは共同体が国津罪を犯した犯罪者の存在を許容することが︑共同体全体に神の怒を招くことになると考えられる犯罪. 的.
(8) 早法六七巻一号︵一九九一︶. 一九六九︑ 敬文堂︶穂積陳重﹁復讐と法律﹂前掲岩波. 一内部規範関係の問題としての刑事法の始源として論ずる事は出来ないと思っている︒. 文庫版解説三二一頁以下. ︵7︶ 拙稿﹁刑罰の始源としての復讐について﹂︵日本古代社会と刑法の成立. ノ\. 允恭紀二年. 忍坂大中姫に︑かつて無礼な言辞のあった闘鶏国造を︑彼女が皇后になったのち探し求め︑これを. 復讐についての物語は︑大王の時代に入ると多く見られてくる︒. 略等の戦闘問の出来事であり︑ミッタイスの言うフェーデそのものであり︑刑罰の始源としては到底考えられない︒. は神武東征物語︑或いは景行天皇さらには倭建命についての物語にも散見されるが︑これらは他共同体に対する侵. ワニを欺き︑ワニに裸にされた菟の物語は︑まさに異質集団間の報復物語として考えられる︒異質集団間の復讐. ・フQ. い︒同様に汚横き物を献じた大宜津比売神を殺した速須佐之男命の物語も禁忌違反に付いての物語としてよいと思. 害の原因の除去を︑また︑黄泉軍に追われた物語は禁忌違反と制裁についてのものであり︑復讐とみるべきではな. れた伊邪那岐命の物語を考えてみると︑まず︑伊邪那美命の死を齎らした迦具土の神を殺した物語は︑火による災. 那岐命が︑迦具土神の頚を斬った物語︑黄泉の国に伊邪那美命を訪ね︑妻に辱をかかせてしまい︑妻の軍勢に追わ. 神代の物語から若干のものを拾ってみると︑まず︑迦具土神の出産により︑妻伊邪那美命を失ってしまった伊邪. 復讐について次に検討を要すべきは︑わが古代の典籍上で﹁復讐﹂はどの様に語られているかである︒. 三.
(9) 殺さんとしたが︑国造の謝罪をいれ︑姓を既し稲置とした︒. ごの物語と同類の物語が古事記顕宗天皇のくだりに︑かつて天皇が難に逢い逃げていた時︑食料をうばった猪甘 老人を探しもとめ︑飛鳥河の河原で斬殺し︑其の族の膝の筋を断ったとある︒. 雄略即位前紀︑古事記安康天皇のくだりに︑眉輪王は︑父を殺した安康天皇を斬殺したが︑眉輪王と王をかくま. った圓大臣を大泊瀬王子︵雄略︶が軍をもって囲み︑殺した物語があるが︑古事記によると︑この時︑急報を受け. た王子の二人の兄︑黒日子王と白日子王が﹁驚カズテ怠緩ノ心﹂があり︑これに怒った王子が﹁一ニハ天皇ニマシ︑. 一ニハ兄弟ニマスヲ︑何力侍ム心モ無クテ︑其ノ兄ヲ殺セシコトヲ聞キテ︑驚カズテ怠ナル﹂と罵り︑二人を殺し たとされている︒. さらに強烈な復讐物語は︑顕宗天皇が︑父市辺王子を殺した雄略天皇を怨み︑その霊に報復しようとして雄略陵. を殿すべき事を命じたが︑この事に対し顕宗の兄の意郡命︵後の仁賢天皇︶が自ら陵の殿損を買って出たが︑陵の. 傍を少し掘ったにしかすぎなかった︒顕宗の問いに対して意那命は﹁父王ノ怨ミヲ其ノ霊二報イムト欲ホスハ︑是. レ誠二理ナリ︒然レドモソノ大長谷天皇ハ︑父ノ怨ミニアレドモ︑還リテハ我ガ従父ニマシ︑亦天ノ下治ラシメシ. シ天皇ナリ︑是二今単二父ノ仇トイフ志ヲ取リテ︑ツブサニ天ノ下治ラシメシシ天皇ノ陵ヲ破リナバ︑後ノ人必ズ. 誹諺ラム︒唯父王ノ仇ハ︑報イザルベカラズ︒故︑少シ其ノ辺ヲ掘リツ︒既二是ク恥ミセツレバ︑後ノ世二示スニ 足ラム﹂と答えたと︑しるしている︒. これらの物語は︑人間の復讐感情の強烈さを物語ってはいるが︑ここに表われている復讐をもって︑刑罰の始源. 九. に位置付けることには︑本質的に無理がある︒まず︑これらの物語は︑顕宗のそれを除き︑例えば忍坂大中姫が雄 古代権力と刑罰.
(10) 早法六七巻一号︵一九九﹄︶. 略の母である如く︑全て雄略に関係がある人物についての復讐物語として構成されている︒. 一〇. ﹁雄略﹂については︑稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文に﹁ワカタケル大王等︑斯鬼の宮に在しし時﹂とあり︑. 記・紀よりすれば︑﹁ワカタケル大王﹂は若建命・幼武尊に︑また﹁斯鬼の宮﹂は︑彼が都した磯城地方と考えるの. が自然だと思われる︒さらに︑﹁宋書﹂に見える﹁倭王武﹂を考慮に入れるならば︑これらの物語は五世紀後半の大. 王である﹁雄略﹂に事寄せて語られていることになり︑既にして︑古代権力が確立され︑階級社会が確固たる基盤. を築いた後の物語である︒それ故︑これらの物語では︑復讐が権力者の刑罰として科せられており︑刑罰の始源と. しての復讐を︑これらの物語から考える事は無理であるし︑また︑復讐から刑罰へと変化してゆく過程を︑記紀な ど︑わが国の古代をしるした典籍から明白に証明する事は出来ない︒. 以上の如く﹁外的刑罰﹂は︑共同体の他共同体に対する戦闘行為であり︑共同体の内部規範による対内的制裁と. しての刑罰とは異質のものと言わねばならない︒また︑わが︑古代社会をしるしている記紀などの典籍から︑復讐. から刑罰へとの展開過程が証明し得ないとするならば︑わが国刑罰の始原として復讐を考える事は無理と言わねば なるまい︒. ーが﹁内部的刑罰﹂をもたらす犯行は︑﹁団体成員全体を危険にさらすという現象﹂であり︑とりわけ﹁宗教的犯罪 ︵1︶ と軍事的犯罪﹂の﹁二種類の行為より生じえた﹂とし︑ ミッタイスも︑この﹁内的刑罰﹂をもたらす﹁真の犯罪﹂. 以上述べた如く︑わが国刑罰の始原をたどると︑論者のいう︑﹁内的刑罰﹂に至らざるを得ないと思う︒ウエーバ. 四.
(11) である﹁アハト事件﹂は︑﹁直接に国家団体または人民団体の利益を害するごとき行為︑または不名誉な心情の発露. たるごとき行為﹂であるとし︑﹁かかる行為はジッペのきずなを絶ち﹂犯人は﹁平和喪失﹂閃ユΦ色oω蒔ぎ犀に処せら ︵2︶ れ︑﹁いっさいの共同体から追放され︑今まで彼に平和を保障してきたジッペからも排除された﹂としている︒. ﹁内部的刑罰﹂をもたらす犯行は︑共同体の根本規範により維持されている基本的秩序を破壊する犯行である︒ それ故︑その根本規範に対する侵害は︑共同体の存立に影響を与える行為といえる︒. しからば︑わが未開から古代にかけての共同体基本秩序を維持した規範は︑如何なる本質を持った規範であった. であろうか︒古代権力の出現前後における集団秩序維持の為の社会規範は︑宗教的要素を多分に持った規範である︒ ︵3︶. この事は﹁記紀﹂あるいは﹁風土記﹂等の記述をひもとくならば︑否定し得ざる事と言わねばなるまい︒. 人々の上に﹁神﹂が居り︑﹁神﹂に由来する規範が集団の秩序を護り︑また︑集団の意思は﹁神﹂の意思として統. 一され︑人々に示されていた︒この意味に於て︑ウエーバーが﹁内部的刑罰﹂をもたらす犯行として︑﹁宗教的犯罪. と軍事的犯罪﹂二つを揚げているが︑わが未開から古代にかけての事を考えると﹁軍事的犯罪﹂すら﹁宗教的犯罪﹂. として考えるべきではないかと思っている︒共同体秩序に対する犯行は︑﹁神﹂の権威に対する侵害として意識され︑. その犯行に対する制裁は︑﹁神﹂に対する謝罪︑或いは﹁神﹂の嫌悪するものの除去として行われたと思われる︒か ︵4︶ かる観点にたって︑はじめてわが古昔のツミそしてハラヘの本質が理解出来るのではあるまいか︒. 古昔における犯行と制裁について︑古語拾遺には︑大地主神が田づくりした時︑牛宍を田人に食べさせた時に御. 歳神の子が︑その田にきて︑饗に唾して還り︑その様を親神に告げた︒御歳神は怒り︑蛙をその田に放ったので︑. 一一. 苗葉は枯れ篠竹の如くなってしまった︒大地主神は︑片巫︑肱巫をしてその由を占わしめたところ︑御歳神の崇と 古代権力と刑罰.
(12) 早法六七巻一号︵﹄九九一︶. 一二. わかったので︑白猪︑白馬︑白鶏を奉献し︑神の怒を和らげんとした︒御歳神は怒を和らげ苗葉を元の如くにする ︵5︶ マジナイを教えてくれたので︑その教に従い処置したところ︑苗葉は再び茂り年穀が豊に稔った︒という﹁六月ノ 晦ノ大祓﹂祝詞にみえる﹁昆虫之災﹂を思わせるくだりがある︒. 天ツ罪︑国ツ罪として祝詞に示されているツミは︑犯行︑それに対する﹁神﹂の罰が混記されており︑この点︑. 従来の解釈には混乱があると思う︒これは学者が指摘している様に古代社会のツミは︑後世の犯罪と刑罰とを含む. 言葉であるが︑ツミを後世の﹁罪﹂としてのみ見てしまう誤解から生じた混乱である︒しかし︑上に揚げた古語拾. 遺の物語では︑犯行と罰︑そして謝罪の本質が︑明快に示されており︑ツミ︑ハラヘを理解するものとしては︑わ が典籍のなかで︑この物語以上のものはないと思っている︒. この物語でも判るように︑犯行は︑﹁神﹂の嫌悪するところのものであるが︑﹁神﹂の怒による罰が下され︑巫や. 蜆などと称せられていた﹁神﹂と人の間を交通する職能をもった者により︑その罰が︑﹁神﹂の嫌悪する如何なるこ. とにより惹起されたか︑また﹁神﹂の怒りを和らげるのには︑如何なる方策を採るべきかを︑彼等は﹁神﹂の代弁 者として人々に告げていた︒. ツミに関する場合のみならず︑共同体秩序維持の為の規範が﹁神﹂の権威を究極的拠り所としていたとすると︑. ﹁神﹂の意思を人々に伝え︑人々の気持ちを﹁神﹂に伝える︑﹁神﹂と人々の間を交通する職能を持つ﹁巫﹂とか﹁蜆﹂. などと称せられた者が存在した︒彼等は︑未開社会における指導層の重要部分を構成していた︒三国史における女. 王卑弥呼が︑共立され邪馬台国の王になる為には︑彼女が﹁鬼道に事え﹂た職能が前提になっていたし︑また︑神. 武東征物語︑崇仁をめぐる物語をはじめ︑わが未開から古代の生活を知るための資料である記紀や風土記などで︑.
(13) これらの職能を持つ人の存在について︑多くの例証を見る事が出来る︒. ﹁巫﹂や﹁蜆﹂などは︑本来は﹁神﹂の代弁者であるが︑容易に﹁神﹂の代理者となり︑﹁神﹂の権威を代行する. 者として人々に対する場合も見られたであろう︒﹁倭人伝﹂の卑弥呼についての﹁自為王以来︑少有見者︑以碑千人. 自侍︑唯有男子一人︑給飲食︑伝辞出入居処︑宮室・楼観・城棚厳設︑常有人持兵守衛﹂といった記載︑さらには. ﹁崇神紀﹂にみえる大王と﹁神﹂との同殿居住︑また︑﹁雄略紀﹂に見られる一事主神との物語︑そして自らを﹁神﹂. として﹁呉床座ノ神ノ御手モチ弾タ琴二︑⁝﹂とうたった﹁雄略﹂など︑これらは︑すでにして共同体や﹁国﹂に. おける単なる職能的指導者としての域を脱して︑﹁神﹂の権威を背後に持ち神の代理人として︑時によると意識の上 に於ては︑神そのものとして人々に対していたことが分かる︒ ︵1︶ 世良訳︑前掲八八頁 ︵2︶ 世良訳︑前掲五五頁. この論文では﹁神﹂という言葉を使うが︑この﹁神﹂は必ずしも人格神のみを意味しているのではない︒この論文では︑従来﹁超. 自然的権威﹂などと呼ばれていたものも含む概念として﹁神﹂とした︒人格神の出現は︑仏教伝来以降のこととする説もあるが︑私. ︵3︶. ツミのあるものを単なる物理的侵害行為とみる説がある︑しかし︑私は﹁天津罪﹂の畔放︑溝埋︑樋放︑頻蒔︑串刺などは農耕. は︑わが古代社会における︑政治権力の発生にともない︑人々の意識の上に出現したと思っている︒ ︵4︶. 拙著﹁日本の古代社会と刑法の成立﹂所収. 妨害の犯行として考えるべきではなく神の権威の冒漬を本質とする犯行と考えている︒拙稿﹃﹁シキマキ﹂考﹄︑﹃﹁国津罪﹂考﹄前掲. 発レ怒︑以レ蛙放二其田﹄苗葉忽枯損似二篠竹の於レ是︑大地主神︑令三片巫︹志止々鳥︒︺・肱巫︹今俗竈輪及米占也︒︺占二求其由︑一御. ︵5︶ 一︑昔在神代︑大地主神︑営レ田之日︑以二牛完一食二田人﹂干レ時︑御歳神之子︑至二於其田︑一唾レ饗而還︑以レ状告レ父︒御歳神. 歳神為レ崇︒宜下献二白猪・白馬・白鶏︑﹇以解中其怒F依レ教奉レ謝︒御歳神答日︑実吾意也︒宜下以二麻柄一作レ桂々レ之︑乃以二其葉一. 二二. 掃レ之︑以二天押草一押レ之︑以二鳥扇一扇吉之︒若如レ此不二出去一者︑宜下以二牛宍一置溝口︑︸作二男茎形一以加レ之︑︹是︑所三以厭二其. 古代権力と刑罰.
(14) 早法六七巻一号︵一九九一︶. 以二白猪・白馬・白鶏︑一祭二御歳神一之縁也︒. 心﹇也︒︺以二慧子・蜀椒・呉桃葉及塩︑一班中置其畔F. セ. ︹古語︑慧玉都須玉也︒︺傍︑従二其教︑一 苗葉復茂︑年穀豊稔︒. 一四. 是︑今袖一祇呂目︑. 原始共同体内部の人間関係に大きな変化が生じて来た︒これ迄は職能的な相違は見られても︑人問関係の同質性. んで来たと思われる︒. ついての意識が人々の中で発芽し︑この意識は急速に進展拡充し︑収穫物から始まり土地などの生産手段にまで及. の様な慢性的な飢餓状態から逃れる事が出来たし︑他方では貯蔵収穫物に対し︑これまで抱いた事がなかった富に. 米などは︑採取経済時代の収穫物に比べ︑腐敗しにくく貯蔵に適した農耕生産物である︒それ故に︑人々は︑前代. 何時︑何処から︑どの様にして初期の農耕が︑わが国土に齎らされたか︑これも現時点では判らない︒しかし︑. そして︑その経済生活の上に築かれた人間関係に︑質的な変化が現われた事は否定しえない処である︒. を制圧し大将軍倭王に叙せられた﹁武﹂との間には︑この時代の経済生活に決定的影響を与えた農耕の飛躍的展開︑. までの資料では︑詳しくは判らない︒しかし︑権力者としての君主には一歩手前の女王卑弥呼と︑武力により国土. 表書の呈出は四七八年と目されるが︑この問の二世紀に︑わが国土に何が起こったのであろうか︒もとより︑現在. は論ずるまでもない︒邪馬台国についての︑これらの記載は︑大体三世紀の頃のことであり︑倭王武の順帝への上. 山川ヲ践渉シ︑寧所二邊アラズ﹂と︑順帝に上表した倭王武とでは︑同じく王︑女王と称しても質的な差がある事. ﹁魏志倭人伝﹂で﹁鬼道二事へ︑能ク衆ヲ惑ワス﹂とされた卑弥呼と︑宋書倭国伝で﹁昔祖禰躬ラ甲冑ヲ撮キ︑. 五.
(15) は揺るぎ無いものであったし︑また共同体の一体性も維持されていたが︑此処に至り原始共同体の中に富める者と. 貧しき者︑強き者と弱き者の差が次第に顕在化してき︑格差が出現しはじめた︒原始共同体の中で人間関係の細胞. 分裂とも思われる現象が見られるに至った︒この傾向を更に進めたのが︑奴隷の出現である︒. 富はさらなる富を求める︒富を生みなす土地そして労働力︑これらを求めて共同体の力は︑共同体の内外に向け. られる︒内部に於ては︑垂仁紀︑景行紀︑応神紀︑仁徳紀などに普くみられる池溝など灌概用水施設の造営が行. われ︑耕地などの整備拡大等が図られている︒これに対して﹁記紀﹂などの典籍に見られる︑戦乱や討伐について. の多くの物語に於ては︑共同体が他の共同体の土地等の財産︑そして労働力を暴力により収奪する力の行使と思. われる侵略が行われている︒﹁倭国乱︑相攻伐歴年﹂と倭人伝が語っている実体もこれらの侵略における戦闘であ ろう︒. 奴隷労働力が共同体内に取込まれると︑貧しき者︑力弱き者は次第に奴隷に近い立場に追い込まれて行き︑共同. 体内部に於ては︑富める力ある者と︑貧しく力弱き者の差異が顕在化してきた︒この事は︑一方では原始共同体の. 中で︑家族等の小集団が一つの単位としての存在となり︑更にこの勢が進むと︑極めて原始的ではあるが︑個人が. 全体の中の﹁個﹂の存在として意識されるに至るのである︒この事を私は﹁原始的共同体の細胞分裂﹂と称してき た︒. しかし︑他方︑農業社会に於ては︑共同体内部の人々が集団的結束を強固に維持して事に当たらなければならな. い問題が存在している︒例えば︑用水についての灌概排水施設の築造や管理︑さらには︑﹁神﹂の摂理に属するとさ. 一五. れていた天候気象上の問題︑また︑他の共同体との戦闘等々︑これらは共同体を構成する人々の強力な団結を必要 古代権力と刑罰.
(16) 早法六七巻一号︵一九九一︶. 一六. としなければならない︒一方では︑原始共同体内部における細胞分裂的傾向︑そして︑他方に於ては共同体構成員 の団結を要する事実︑この矛盾する二つの命題は如何に解決されたであろうか︒. 共同体の内部分裂を回避し一体制を保持するためには︑共同体の一体制を保持する為の規範の強化を必要とする︒. 共同体が内部分裂の危機を胎めば胎むほど︑この規範を強化しなければならない︒共同体内部規範の強化は︑規範. の効力淵源である﹁神﹂の権威を高める事により行われ︑是により︑﹁神﹂の代理者である指導者の権限強化が見ら れるに至った︒. これらの指導者は︑自己の為に︑その立場を有利に使い︑富の支配者としての地位を築きあげて来たと思われる︒. 即ち︑彼等は︑指導者であると同時に富める者であった︒本来ならば︑彼等が持つ力は︑共同体全体の為に使わな ければならないのであるが︑彼等は自己の利益の為に彼等に許された権限を行使した︒. 古代君主の多くの者に見られるデスポット的性格は︑この様にしてつくられて来たと思われる︒彼等は﹁神﹂の. 崇神紀六二年の詔に﹁農ハ天下ノ大キナル本ナリ︑民ノ侍ミテ生クル所ナリ︑今︑河内ノ狭山ノ埴田水少シ︑是ヲ以テ︑其ノ国. 権威を背後に背負い︑既に述べた如く︑﹁神﹂としてすら人々に対していたのである︒. ︵1︶. 行方郡﹂に現れる壬生連麻呂のごとき者ではないだろうか︒. 百姓︑農ノ事二怠ル︑其レ多二池溝ヲ開リテ︑民ノ業ヲ寛メヨ﹂として多くの池溝を造らせている︒ これらの指導者のあるべき姿. ︵2︶ 応神紀等に依ると︑高麗︑百済︑任那︑新羅などより来た人々が池溝の造営に利用されている︒. は﹁日立風土紀. ノ.
(17) 一一. 古代権力と刑罰. 一七. ﹁又頻二諸悪ヲ造タマフ︑一モ善ヲ修タマハズ︑凡ソ諸ノ酷刑︑親ラ覧ハサズトイフコト無シ︑国ノ内ノ居人︑威. ヲ畏リズシテ︑貞シカラヌ心ヲ用テ︑妄シク轍軽二答ヘツル﹂として殺さんとした︒また︑武烈紀ではこの天皇は. 例えば雄略紀=二年九月の木工章那部真根の物語では︑名人の作業を妊策を講じて誤らせ︑その誤作業に対し﹁朕. 一般的に見て︑犯人側にそれなりの責任は問える︒しかし︑君主の気侭により人々が罰せられる例も散見される︒. まず︑犯行であるが︑先に掲げた允恭紀の忍坂大中姫や顕宗記の猪甘老人の犯行など﹁記紀﹂にみられる犯罪は︑. 赦というシェーマは︑﹁記紀﹂などに多く見られる古代君主に対する犯罪と刑罰の関係にその侭みられる︒. に謝罪し︑その謝罪により﹁神﹂の怒りが和らぐと︑赦されるという事になっている︒このような犯行︑崇︑謝罪︑. 罪的行為として考えられていた事であり︑人々のその様な犯行に対して神は出示をあたえる︒そして︑人々が﹁神﹂. この物語から判る事は︑まず︑人が知ろうと知るまいとに拘らず︑﹁神﹂の嫌う事を行う事が︑﹁神﹂に対する犯. 作物再生のマジナイを教えてくれた︑としている︒. せたところ︑御歳神の出示と判明した︒そこで︑﹁大地主神﹂は謝罪の献物をした︒それにより︑御歳神は機嫌を直し︑. 御歳神が作物を枯損させてしまった︒大地主神は︑作物の枯損が如何なる事により招来されたか判らず︑巫に占わ. 先に掲げた古語拾遺﹁御歳神﹂のくだりで︑嫌っていた﹁牛宍の喫食﹂を︑大地主神が農夫にさせた事を怒り︑. 出来る︒. 古代君主のデスポット的本質は︑其の時代の犯罪や刑罰についての資料を分析する事によって︑明白にする事が. ノ\.
(18) ︵2︶. ︵3︶. 早法六七巻一号︵一九九一︶ 一八 ︵1︶ 二皆震ヒ怖ヅ﹂と記紀としては珍しく述べられている天皇であるが︑彼の所行として︑妊婦の腹を瓠いて胎児を見る︑ ︵4︶. ︵5︶. 生爪を解いて︑暑預を掘らしめる︑人の髪の毛を抜いて樹に昇らせ︑樹を本から切り倒して昇った人を落し殺す︑. 塘の械に人を伏せ入れ︑外に流れ出るのを︑鉾で刺し殺す︑人を樹に昇らせ弓で射落とす等︑強烈な物語の主人公. として語られているが︑これは彼が行なった事というより︑中国伝来の物語を﹁武烈﹂の名に事寄せて作り上げた. 話であろう︒ただ八年春三月に︑裸の女性を平板に座らせ︑馬の交尾を見させ︑沽漂した者を殺し︑沽混せざる者. を官脾としたという︑淫卑な話が︑﹁武烈﹂の所業として残されている︒しかし︑これらの話は歴史的事実であると. 否とを問わず︑﹁国ノ内ノ居人︑威二皆震ヒ怖ヅ﹂とされた専制君主の存在と︑この君主の刑罰権行使の一面を我々 に語ってくれているのではあるまいか︒. 安閑紀元年より始まる大河内直味張の物語では︑肥えた良田を取り上げんとした勅使に︑良田でないと偽りの返. 事をした事が﹁万死﹂に当たる罪とされている︒確かに勅使を欺いた事は問題だが︑百姓の土地を取りあげようと. し︑それに抵抗すると﹁万死﹂にあたる犯罪とされてしまう︑﹁雄略﹂﹁武烈﹂の話では天皇自体が民を陥し入れて. 犯人としてしまったのだが︑﹁安閑﹂の話では︑天皇の土地侵奪に対する抵抗が犯罪とされている︒. 原始共同体における犯行は︑共同体構成員の誰にでも平等にかかわる﹁慎む﹂ものとして考えられていた︒しか. し︑階級社会に入ると為政者により刑法は制定されるのだが︑其の制定は︑果たして社会全体の利益を護るための. ものであったであろうか︒正義とか社会防衛とか表面的理由をうたってはいるが︑その刑法は為政者利益を護る為. に制定運用される場合が多く見られる事を我々は知っている︒デスポットとしての古代君主の刑罰権をみると︑そ の事が極めて鮮やかに︑そして素朴に資料の上に表われている︒.
(19) ︵6︶ 原始社会に於ける﹁神﹂は︑嫌悪する事を人が犯した時︑崇りをするとされていたが︑古代君主もまた︑彼が嫌. 悪する事を罪として人々を処罰した︒﹁神﹂は︑犯行を犯した人が謝罪のためのセレモニ!等を開き︑それにより怒. りが和らいだ時には人々の所業を赦すとされていた︒それでは古代君主の場合は︑この点如何なものであろうか︒ ︵7︶ ︵8V. ︵9︶. ︵10︶. ︵11︶. かつて私は︑この点に関しふれたことがある︒古代君主による赦刑の例は﹁記紀﹂等に多く語られている︒例え. ︵12︶. ︵B︶. ︵14︶. ︵15︶. ︵16︶. ば︑仁徳紀四〇年の阿俄能故︑履中即位前紀の倭直吾子篭︑同元年の阿曇連浜子︑雄略紀五年の舎人︑同十年の水. 間君︑同ごこ年の木工猪名部真根︑継体紀二二年の筑紫君葛子︑安閑紀元年の国造稚子直︑また先出の大河内直味張︑. など多くのものを見る事が出来る︒古代君主も又かつての神と同じ様に罪を赦したのである︒. 前掲古語拾遺の大地主神は御歳神に︑白猪︑白馬︑白鶏を奉献して御歳神の怒を和らげた︒古代君主も罪あると. した人や家族から︑土地などの財産や女を献ぜられて︑罪を赦しているが︑罪を赦す前提には︑古代君主が抱いて. いる権威を侵害された心理的不快感情の中和がなければならない︒財産や土地の提出によって不快感情の中和をは. かる場合もあるが︑古代君主の感情に取り入り︑憐懸の情をもようさせ不快感を中和させる場合もみられる︒前掲. 雄略紀五年の舎人の処刑に際し︑舎人がよんだ歌を聴いた皇后が諌めたのでとか︑同一三年の木工猪名部真根も処 刑されるにおよび︑よんだ歌に悔惜した雄略が処刑を赦した等はその例である︒. 一九. この様な赦刑は︑飽くまでも古代君主の不快感情の中和が必要であるが︑罪ある人が如何に努力しても︑不快感 ︵17V 情が中和されない場合には赦される事はない︒雄略即位前紀の眉輪王の変で圓大臣が﹁女ノ韓姫ト葛城ノ宅七区ト. 武烈紀二年 秋 九 月. ヲ奉献﹂し赦されん事を願ったが︑天皇は赦さなかったとしている等はその例である︒ ︵1︶. 古代権力と刑罰.
(20) 早法六七巻一号︵﹃九九一︶. 同三年冬十月. わが 古 代 に お け る ﹁ 赦 ﹂ に つ い て の 一 考 察. ﹁日本の古代社会と刑法の成立﹂所収. 遊ばしし︑猪の︑怒声畏み︑我が逃げ縁りし在丘の榛が枝. あせを﹂. 二〇. 木工の真根は︑手斧で材を終日削っても誤って刃を損傷する事は無かったので︑誤る事は無いと天皇に断言した︒天皇は采女を. ゐなベノ工匠. 懸ケシ墨縄. 其ガ無カバ. 筑紫の国造磐井の乱で︑父の罪に坐す事を恐れた葛子が糟屋の屯倉を献じ死罪を購う事を求めた︒. アラタ墨縄﹂. 後宮蘭入の罪を購わんと︑皇后に伊甚屯倉を献じた︒. 誰ガ懸ケムヨ. ︵14︶. ︵16︶ 味張は郡毎に︑春秋︑鍵丁五百丁献ずる事により罪を赦されん事を望んでいる︒. ︵15︶. とよんだのを聞き︑﹁悔惜﹂して殺すのをやめた︒. ﹁アタラシキ. く断言した真根を殺さんとした︒真根が嘆き悲しみ. 集め︑﹁衣裾ヲ脱ギテ︑著犠シテ︑露ナル所二相撲トラシ﹂めたので︑真根は思わず過って刃を損傷してしまった︒天皇は軽がるし. ︵13︶. ︵12︶ 献上の鳥を喰い殺した犬の飼主である水間君が鴻を献じ罪をあがない赦される︒. と歌ったが︑皇后がこれを聞き悲しみ興感して︑天皇をいさめ︑天皇は機嫌を直している︒. ﹁ヤスミシシ我が大君の. のぞみ︑. 天皇が葛城山での狩りの節︑猪が出てき︑舎人に猪を討つ事を命じたが舎人は恐れて逃げ︑天皇が猪を殺した︒舎人殺されるに. 仲皇子事件に座した阿曇連浜子の死を免し墨刑とした︒. 友情で仲皇子を履中よりふせいだ倭吾子篭を殺さんとした時︑妹の日之媛を献じ︑赦された︒. o. 佐伯直阿俄能胡が鳥皇女を殺害した時皇女の裳中から球を奪った︑この事が発覚し殺されんとした時︑ 私地を献上して赦され. 拙稿. ツミは神に対し慎むことであり︑﹁慎む﹂より転化してツミになったとの説は興味深い︒. 同七年春二月. 同五年夏六月. 同四年夏四月. 11109 8765432 ___る_______.
(21) ︵17︶ ﹁安康記﹂によると詞良比売は﹁雄略﹂との間に﹁清寧﹂などを生んでいる︒韓姫は詞良比売である︒. 古代権力と刑罰. 二一. 成長してきている︒わが古代の大王は︑軍事的指揮者等の指導者としての地位を持っていたが︑彼等の持つ権力者. わが国の古代君主は︑この様な原始社会における宗教的指導者の色彩を濃く持ちながら其の地位を確立し︑また. 負いながら人々に接し︑﹁神﹂の意思を人々に伝えていた︒. 導者として︑共同体において重要な地位を占めていたと思われる︒そして︑彼等は神の代理者として神の権威を背. この様な社会において︑﹁神﹂と人々の間を交通する職能を持つ人々は︑共同体規範の立案︑運用等についての指. 範により行われていた︒それ故︑共同体全体の利害に付いての共通意思も︑﹁神﹂の意思として人々を拘束していた︒. 原始共同体においては︑﹁神﹂は絶対者として人々に君臨し︑社会秩序の担保は︑﹁神﹂の権威を拠り所にした規. 問題を考えてみよう︒. このような恩赦と天皇の掛かり合いは歴史的にどの様に考えたらよいのであろうか︒この小論の結論として︑この. の影響そして怨霊への恐怖と︑その時々の歴史的条件により理由は別れてはいるが︑死刑を含め刑罰の減軽・免除 ︵4︶ は︑天皇による﹁赦﹂によって行われた︒明治憲法上でも恩赦が天皇大権の一つであった事は周知の事実であるが︑. 約三五〇年間︑地方はともかく︑死刑が停止されていた事は世界の刑法吏上特記すべき事実である︒私は︑これら ︵3︶ の法令に基づく死刑停止に至る迄の刑罰史の動向を大化以後について見た事がある︒その基本は︑祥瑞思想︑佛教. ︵2︶. ︵1︶ 弘仁九年︵八一八︶︑弘仁二二年︵八二二︶両年に出された盗犯について罪に軽重なく死刑を停止する法令により︑. 七.
(22) 早法六七巻一号︵一九九一︶. 二二. としての権威は︑権力に由来するところもあったが︑彼の背後にある﹁神﹂の権威によるものと考えられる︒. 古事記朝倉宮︵雄略︶のくだりには興味のある話が収められている︒﹁雄略﹂が葛城山に︑﹁紅キ紐著ケシ青摺ノ. 衣服﹂を着けた官人達を連れ登った時︑向い側の尾根を同じ人数同じ服装で二言主大神も登ってきた︒二言主大神. と判ったので︑天皇は︑太刀︑弓矢をはじめ官人の着けている衣服を脱がせ一言主大神に献じた︒大神はいたく喜. ばれ︑天皇が帰る時﹁長谷ノ山口﹂まで送って来た︒同じ事が日本書紀にも見えているが︑此処では大神と天皇は. ﹁面貌容儀﹂が似ており︑共に狩猟で遊び︑日暮れて大神に送られて天皇は帰っている︒神と天皇の関係は︑古事. 記では神の優越としてしるされているが︑日本書紀では同格と思わせる記載になっている︒﹁雄略﹂についての記紀 の物語では︑先にも述べた如く天皇の神格についての話が多くある︒. 同じく古事記に︑志幾大県主が自分の家に堅魚木をあげているのを﹁雄略﹂が難じ︑其の家を焼かんとしたとい. う話が伝えられている︒志幾大県主は大いに驚き﹁能美ノ御幣物ヲ献ル︒白キ犬二布ヲ繋ケテ鈴ヲ著ケテ︑己ガ族. 名腰侃ト謂フ人二犬ノ縄ヲ取ラシメテ献上リキ︑故其ノ火著クルコトヲ止メタ﹂とされているが︑志幾大県主が﹁雄. 略﹂に献じた﹁白キ犬﹂は前掲﹁古語拾遺﹂の話で大地主神が御歳神の怒を和らげるため献じた﹁白猪︑白馬︑白. 鶏﹂を思わせる奉献物である︒即ち︑志幾大県主は﹁雄略﹂を神として崇めている事が判る話である︒. 曾ての共同体の指導者が︑権力を握り︑それを強化し﹁王﹂そして﹁大王﹂へと地歩を固め︑古代の専制君主へ. と登りつめていった︒古代君主の持つ絶体的ともいえる君主制は﹁富﹂や暴力によってのみ達成されたのではない︒. 彼等は︑﹁神﹂の権威を背後に背負いながら人々に対し︑﹁神﹂の代理人から﹁神﹂と同じ権威を持つ者へと自己を. 昇華させ︑人々の上に君臨し︑﹁神﹂として人々を脾睨している︒この事は︑古代君主の刑罰権実施の問題をみると︑.
(23) 人が知ると知らざるとに関わらず︑﹁神﹂の好まざる事を人々が犯すと︑﹁神﹂は人々に崇をし︑人々の謝罪により. ﹁神﹂の怒が和むと赦すという︑わが原始時代の制裁が其のまま古代君主に受け継がれ︑君主の好まざる︑嫌悪す. る事が犯罪になり︑その犯罪に対して君主は報復的な刑罰を科し︑献物などにより君主の怒りが中和されると︑罪. を赦すといった事が行われていた︒この古代君主の刑罰権行使の現実は︑古代君主権力の本質の或る面を的確に表 わしたものと見て良いのではあるまいか︒. ︵1︶ 弘仁九年︵八一八︶の宣旨では盗犯者の罪に軽重なく役所に配する事にしたが︑この宣旨によると︑終身刑になってしまうので︑. 保元物語. 為義最後の事﹁⁝⁝帝王二六代︑年記三四七年絶タル死刑ヲ申行ヒケルコソウタテケリ﹂. 弘仁一三年︵八二二︶の宣旨により本刑の軽重により配役年限を定めた︒石井良助﹁日本法制史概説﹂一四八頁︑一五〇頁 ︵3︶ 前掲拙稿 わが古代における﹁赦﹂についての一考察. ︵2︶. ⁝二. 本編は私の早稲田大学定年退職に際し︑︸九九︸年︸月九日に行われた最終講義﹁日本法史における刑罰﹂の前編の一部 分を基に執筆したものである︒. 古代権力と刑罰.
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