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西鶴作品におげる典拠の問題(上)−『武道伝来記』を中心に−

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Academic year: 2022

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(1)西鶴作品におげる典拠の問題︵上︶. 脇. 理. 史. 昨今の西鶴研究の主流となっているかに見られるのは︑作品の典拠. とは異なる研究老気質も関連していたであろう︒いずれにしても︑昨. くだくだしく説明するというような野暮なことは避けるという︑昨今. −﹃武道伝来記﹄を中心に−. 谷. ほどに精密ではなかったということでもあろうが︑同時に︑その典拠. ︵より所︶の指摘の多くが︑その引用・紹介のみでもほぽ読者を納得. ︵と称するよりも巾広くその作品がより所としたものと言った方がよ. 今の諸論のごとく︑一見明らかでないものを︑論老の眼力や博捜によ. させうるものであり︑また︑一見明らかなそれと西鶴作品との距離を. いかもしれないが︶を問題としつつ︑個々の作品やその中の一短編の. 開し︑何としてでも読老を納得させずぱやまじとするかのごときもの. って探り当て︑それを前提に精細な︑時に恋意的とも見られる論を展. ある︒もちろん︑西鶴のより所としたものを指摘し︑それを応用・転. は存しなかったと言ってよい︒典拠を問題とする点では同じとは言っ. 発想や方法を解明して︑その内実を明らかにして行こうとする諸論で. 化する方法を考えて西鶴の特質を明らかにしようとするという研究自. とは言え私は︑そのようなあり方を否定しようと思っているわけで. ても︑昨今のあり方は︑これまでとはいささかならず趣を異にしてい. しかし︑昭和三十年代ころまでの右のような研究の多くは︑より所. はない︒西鶴のより所としたものが常に一見明らかなものぱかりであ. 体は︑戦前の研究にも少くはないから︑昨今の諸論もまたそれを継ぐ. を指摘することを中心とするのみである場合が多く︑それと西鶴作品. るはずもなく︑読老を説得せずぽやまじという野暮さ加減も︑研究を. るように見うけられるのである︒. との距離をはかり︑その応用・転化の過程を詳細に問題とするといっ. 称する以上当然必要でもあろう︒精細・克明な博捜による論証の成果. ものにすぎないとも言いうる︒. たものは︑ほとんど見うけられなかった︒それは︑西鶴研究が︑昨今 西鶴作品における典拠の間題︵上︶.

(2) が︑これまで見えなかったものを明らかにしている︵のではないか︶. 別の機会を待つことにしたいと思う︶︒. した方がよさそうだから︑ここではささやかな印象を記すにとどめ︑. 二. と思われるものも少ぐはないようだからである︒. に求めるという研究も昨今では多い︒言うまでもなく西鶴作品の場合︑. 右の佐竹氏とは少しく方向が異なるが︑西鶴作品の典拠を実在事件. 辞句のパロディ︑良く読まれていた古典類からの転化や応用︑すでに. 巷問の事件や巷説を種としている例は数多く︑市井の見聞をその重要. しかし︑これからも行なわれるであろう一見明らかな典拠︵引用や. 行われていたことが明らかな写本類からの流用や転用等︶の指摘や︑. 波書店︶である︒氏は﹃本朝二十不孝﹄二十章の典拠を﹃本朝孝子. たとえぽ︑佐竹昭広氏︐絵入本朝二十不孝﹄︵平成二年一月刊︑岩. 料が少なく︑享保期以後の編纂物を用いることが多くなるから︑それ. とく︑元禄以前の場合は︑とりわけ市井の事件・巷説などに生まな資. 巾を広げることは︑どうしても必要となってくる︒しかし︑周知のご. た素材としているわけだから︑そのより所としたものを明らかにする. 伝﹄今世の部の二十話に求めることを前提として種々な考証を精細・. ぞれについての資料の吟味が常に要請されるわけであり︑同時に資料. 一見明らかならずとも簡単な論証の手続きを経るだけで納得できるも. 克明に行なっている︒が︑その考証に貴重な指摘も数多いとは言え︑. の欠如ゆえにいかに博捜しても探索が困難といった場合も少なくはな. ことが︑作品の内実を究明する上で有効なことは明らかである︒従っ. 同書によって右の典拠を承認するには︑余りにもその手続きが複雑に. い︒また︑いわゆる実説なるものが︑すでに後年作られたものである. のは︑問題が少ないと思われるが︑昨今では︑いささか無理をしすぎ. すぎるのである︒ということは︑佐竹氏が考証の腕をふるいすぎ︑時. 場合も少しとしない︒それ故に︑種さがしは必要であると分かっては. て︑各種の文献や記録にそれを求め︑時には伝承等にまでその探索の. に牽強附会と圭言うぺき推論を行なっているのではないかと見られる. いても︑さ程容易ではなく︑とりわけ武家物系統の作品などは︑後述. ているのではないかと見られるものもあるようなのである︒. 部分も少くはないと言うことでもあるが︑私などは︑その深読みの鋭. の事情もあって︑一層困難であるように思われてくるのである︒. にもかかわらず︑事実の探索は︑昨今広く行なわれ続けている︒も. さに敬意を表することはできても︑その論証を十分に納得することが できない︒無理をしすぎているように思われて仕方がないのである︒. 拠説を含めた佐竹氏の︐二十不孝﹄全体への御見解は︑本稿締切り後. て来ると︑真山青果が言ったと伝えるが︑西鶴作品の場合︑事実かど. 価すぺきものではある︒西鶴は嘘を書かない︑調べれぱ必ず事実は出. ちろん︑前述のごとくそれはあくまで必要なことであり︑積極的に評. に出刊が予定されている新日本古典文学大系︵岩波書店︶の注・解説. うかは別として種があったことは確かと思われるから︑青果の精神を. ︵が︑同書でとりあげているのは﹃二十不孝﹄全体ではなく︑右の典. に記される模様である︒佐竹氏説への私見は︑その出刊を待って提示.

(3) 継いで調査に調査を重ねる努力を怠ってはならないこと︑言うまでも ない︒. 従って︑今問題となるのは︑その調査の網にかかった事実なるもの が︑はたして西鶴作品の種であったと言えるのかどうかであり︑何の ための調査かということである︒. たまたま類似している︵とも見られるような︶率実があった時︑そ. ることにする︒. 前田金五郎氏﹁西鶴片々﹂ ︵文学・1989年−月号︶では︑﹁青. 侍﹂と題した項に四ぺージ半の考証を行なっているが︑その冒頭部分. でもない︒従って︑その事実を種としたという認定は十分に慎重であ. れぱ︑その前提が崩れた時︑その作品理解が誤解となることは言うま. 通よりして文章命姦程に次第くに書越一したラプレターにほ. の青侍︑其身はしたなくて︑いやらしき事なる﹂男からの︑﹁初. 貞享三年刊﹃好色一代女﹄一の一に︑主人公一代女が︑﹁去御方. は以下のごとくである︒. らねぱならないのである︒また︑事実探索のための調査が︑作品を理. く︑それに身をまかせて︑浮名の立事をやめがたく︑ある朝ぽら. だされ︑﹁いつの比かもだくとおもひ初︑逢れ箸髪かしこ. った趣を呈する場合も間題なしとしないであろう︒その調査をいかに. ルを︑慶長十四年に発覚処罰された︑宮廷公家宮女乱交事件の当. けにあらはれ渡り︑宇治橋の辺に追出されて身をこらしめげるに︑. 確かに西鶴作品の場合︑事実を種としていることが多いにはちがい. 事老の一人︑朝廷付典薬兼安備後と推定し︑備後の身分が﹁﹁青. 重ねてみても︑作品と結ぴつかなけれぱ︑それが十分な意味を持てる. ない︒しかし︑西鶴作品は事実ではないのである︒むしろ事実離れを. 侍﹂というには遠いが︑そこまで事件の事実性と密着するのは︑. 墓なや其男は此事に命とられし﹂説話があるが︑﹁其男﹂のモデ. 積極的に行なおうとして作られている作品と見た方がいいとさえ思え. ︵傍点︑谷脇︶との新説. かえって小説的方法に反するであろう﹂. ︑. る︒そのようなことを考えてみると︑昨今の事実をより所とする指摘. ︵高田衛氏﹁世に有程の女物語−﹃好色一代女﹄序章の解読1﹂. 犯行に及んだ一事件︵傍点︑谷脇︶を︑西鶴が素材として使用し. ︑. には︑慎重さを欠いていると見られるものも少くはないようなのであ. ︵﹃文学﹄一九八五年十月号︶が見えるが︑これはやはり青侍が. これまで︑やや抽象的に一般論を述べてしまったが︑以下︑右のよ. 三. たものと判断される︵同上︶ので︑その事件を記載した史料を列 西鶴作品における典拠の間題︵上︶. うな事実を種と指摘する昨今の一例をかかげ︑具体的に間題にしてみ. ︵1︺. る︒. はずもないからである︒. 解するためのものであるという前提を忘れて︑調査のための調査とい. れを簡単に種と認定してしまい︑それを前提に作品を考えて行くとす. 二.

(4) 天和元年の小倉大納言騒動︑その後遺症とも言うべき︑高倉大納. 結論を出す︒. と記した後︑﹃藤岡屋日記﹄﹃常憲院殿御実記﹄﹃改正甘露叢﹄﹃続史愚. 言刺殺事件と︑その犯人﹁青侍﹂︑以上の六年前の史実を︑西鶴. 記して見よう︒. 抄﹄を引いて﹁青侍が犯行に及んだ一事件﹂が考証され︑その後︑次. は﹁青侍﹂︵または﹁後花園院の御時⁝﹂を含めて︶の一語で︑. 記憶から呼び戻し︑本文とオーバーラップさせて︑その比較・対. のように記す︒. 以上の諸記録︵︐藤岡屋日記﹄等をさす︒谷脇注︶には︑﹁青侍﹂. そして氏は︑﹁その比較・対照またはデフォルメぷり﹂を詳述する野. 照またはデフォルメぶりを︑読老に楽しませたのではあるまいか︒. 言二手ヲハセ︑其外青侍一人切殺︑一人手負︑其老ハ即刻からめ. 暮を避け︑﹁この点については読老諸氏各自の考究に一任して﹂︑右の. の語は見えぬが︑後水尾天皇第十皇子﹃尭如法親王日記﹄二・天. とるよし風聞也︑価テ使遣レ之之処︑右之通弥必定也︑今夜高倉. 考証過程から生まれる西鶴作品読解のために今後必要な四項目を提示. ︵傍点・谷脇︶. 前大納言則死去︑不便事也︑前代未聞︒﹂と始めて﹁青侍﹂と記. する︒. 和元年十一月十五日の条は︑﹁今日高倉大納言青侍俄乱心︑大納. すが︑京都蓮華王院︵通称三十三間堂︶の本坊妙法院に︑当時居. 前田氏が諸資料を提示し︑﹁その比較・対照またはデフォルメぶり﹂. やや長すぎる紹介になってしまったが︑以上のごとく︑博覧強記の. と記し︑その後︑この事件の背景や原因︑この事件が西鶴の耳に入っ. を﹁読者諸氏各自の考究に一任﹂すると言われれぱ︑我々は当然一読. 住の法親王の日記であるから︑正確な記述であろう︒. た可能性に言及し︑さらに︑二代女﹄の語りの冒頭部﹁母こそ筋な. 老として﹁考究﹂してみざるを得ないであろうし︑昨今の前述した研. 究風潮からすれぱ︑それを﹁考究﹂することこそ必要と考え︑資料を. けれ︑父は後花園院の御時︑殿上のまじはり近き人のすゑぐ一の ﹁後花園院﹂の時代は﹁高倉家の祖永藤・永豊父子が故実家として確. 読老が高倉家の経歴を知っていたと仮定したならぱ︑﹁後花園院. か︒確かに﹁青侍が犯行に及んだ一事件﹂という史実は明らかとなっ. が︑果たしてそのような﹁考究﹂を行なってもいいものなのかどう. 増補しつつ﹁考究﹂する大論文が書かれることになるかもしれない︒. の御時⁝﹂と﹁青侍﹂とにより︑すぐさま天和元年の高倉家事件. た︒この史実を介すれぱ︑﹁後花園院の御時﹂と高倉家の父祖の活躍. 立した﹂時期と重なることから︑. を思い出したであろうし︑﹁青侍﹂一語だけでも同様に想起した. 時代とを結びつけることも可能かもしれない︒しかし︑この史実を. ﹁西鶴が素材として使用したものと判断される﹂とは言うものの︑そ. ものと思われる︒. とされた上で︑﹁以上の推定に誤りが無けれぱ﹂と前置きして以下の.

(5) の前提自体が正しいのかどうか︒また︑その﹁判断される﹂という根. する史実とは︑あくまでも﹁青侍が犯行に及んだ一事件﹂にすぎない︒. こと︑﹁青侍﹂と記すのが﹃秦恕法親王日記﹄のみであったにしても︑. の史実と結びつくのか︑理解不能である︒﹁青侍﹂が両者に出てくる. 料を熟読してみても私には︑何故=代女﹄の青侍との恋の話が︑こ. くだくだしい説明を行なう野暮を避けたのであろうが︑提示された資. おそらく前田氏は︑以下に示す資料を見れぱ自から明らかと考えて︑. 罰された青侍と︑同じ青侍でも同一人物と見なすことはできないであ. い︒従って︑主君を切殺した青侍と︑おそらくは密通という名目で処. 憤を晴らすといったものであり︑=代女﹄の話と結びつきそうにな. 晃淵著︑明治二十七年刊︶の記事の通りとしても︑それは元主君の麓. た資料によって記したかとされる前田氏所引の﹃大奥の女中﹄︵池田. は言え︑主人を切殺した青侍の話にすぎず︑その動機が︑今は散侠し. ﹁前代未聞﹂︵前出︶のこととして喧伝され諸資料に書き留められたと. 他の資料の﹁瀧︵又は瀧野︶勘右衛門﹂が﹁青侍﹂であったであろう. ろう︒これをしも︑昨今流行の典拠論で時に用いられる﹁逆設定﹂と. 拠は ど の よ う な も のなのか︒. こと︑などはその通りである︒. か作り変えとか言って説明するとすれぱ︑それは強弁にすぎないであ. るのは︑かえって小説的方法に反する﹂といった弁明を行なうとして. しかし︑二代女﹄の話は︑すでに前田氏も一部引用するごとく︑. 女の口を借りて︑﹁されぱ公家がたの御暮しは︑歌のさま鞠も色にち. も︑そこでいう﹁そこまで﹂にも至っていないと言うべきであろう︒. ろうし︑前田氏引用の高田衛氏の言﹁そこまで事件の事実性と密着す. かく枕隙なきその事のみ﹂などと当世の公家方の暮しをさりげなく調. 恋愛︑密通︑それ故の処罰という話の流れがない以上︑たとえ﹁青. ﹁大内のまたうへもなき官女﹂に仕えた時の話である︒西鶴は︑一代. し︑一代女のもてぶりを強調し︑そのあと﹁去御方の青侍其身はした. 侍﹂が一致するとしても︑それを﹁素材として使用﹂などと簡単に. ﹁判断﹂できるはずはないし︑﹁判断﹂してはならないのである︒. なくていやらしき﹂男の﹁命を取る程﹂の﹁文章﹂にひかれて﹁いつ. の比かもだくとおもひ初﹂め︑﹁逢れぬ首尾をかしこくそれに身を. ︑. とすれぱ︑右の前提が崩れる以上︑この史実をいかに克明・精細に. ︑. まかせて︑浮名の立事をやめがたく︑ある朝ぽらけにあらはれ渡り﹂︑. ︑. 考証しても︑二代女﹄の﹁本文とオーバーラップさせて︑その比. ︑. 自分は親元の宇治に返され︑男は﹁此事に命をとられ﹂たという話を. ︑. 較・対照またはデ7オルメぶり﹂などを﹁考究﹂することは不可能と. ︑. 続けている︒さらに︑四五日はその男の姿が枕元に現れたが︑﹁日数 ︑. いうことになる︒やはり︑その種を認定するためには︑その話の中心. ︑. ふりて其人の事はさらにわすれける﹂といった=代女﹄らしい後日. 部分が一致していなけれぽならず︑わずかな部分の類似に注目して︑. ^2︺. 五. 一致しない部分を﹁逆設定﹂﹁小説的方法﹂︑作り変えなどと言いだし. 談を続けるが︑今︑この部分を問題にする必要はないだろう︒. 一方︑前田氏の﹁西鶴が素材として使用したものと判断される﹂と 西鶴作品における典拠の問題︵上︶.

(6) たりするとすれぱ︑誤解を増幅するための空しい考証を行うのみとい. 軽々にその﹁素材﹂を指摘することなどはできないのである︒西鶴が︑. 代であれぱよくある話であるから︑よ程明らかな一致がないかぎり︑. 六. うことになってしまうのである︒. る︒それが﹁大内﹂でのことということで︑ただちに慶長十四年︵一. 状況を思えぱ西鶴の見聞の中にいくらでもあったと見られるものであ. の指摘された素材が確実なものでない場合︑そこからの﹁考証﹂は︑. たが︑要は︑素材を指摘することの意味は十分に認めるとしても︑そ. 以上︑先学の論にあえて逆らうかのごとき言辞を連ねて来てしまっ. 十三歳の一代女の早熟ぶりを強調する一挿話としてよくある話を種と. 六〇九︶︑すなわち二代女﹄出刊よりも七七年も前の事件と結びつ. おそらく空しいものとならざるを得ないだろうということである︒と. それでは︑前田氏所引の高田氏説はどうか︒高田氏の指摘する史実. くものであろうか︒二代女﹄は︑浮世草子︑すなわち現代風俗小説. りわけ昨今流行の︑一部の類似に注目して類似しない部分を諸種の材. しながら作ったかもしれない話に︑おそらくはことごとしい素材の詮. としての側面を十二分に備えている作品であることは周知である︒前. 料を用いたり︑﹁逆設定﹂︑連想の飛躍等によって埋めることに腕をふ. は︑確かに恋愛︑密通︑それ故の処罰という経緯は一致するであろう︒. 引の公家方の暮し向きへの調刺なども︑当世の公家方を調しているの. るうやり方は︑時に誤解を増幅するのみに終わるように思われて来る︒. 索などは無用ということになりそうなのである︒. であり︑そんな公家方にありそうな話として以下の話を展開している. 特にその素材の指摘が︑史実である時︑前述の資料的制約もあって︑. しかし︑そのような話は︑どれと特定できないとしても︑当時の杜会. のである︒その点から見ても︑もしこの部分に種があるとすれぽ近年. いささかならず恋意的た﹁判断﹂となりがちであるようである︒. さらに︑恋愛・密通︑それによる処罰は類似するとは言っても︑高. さらに又︑これから問題とする﹃武道伝来記﹄などの場合は︑とりわ. 定すれぱ︑それを前提に作品を考えることになってしまうのだから︒. ︵3︺. のものでなけれぱならないはずであり︑さもなけれぱ読者に分かるは. 田氏指摘の人物は刑死しているわけでもなく︑青侍でもない︒その点. け史実を種と認定する場合︑確実な種をさがしあてるのは一層困難で. 種の認定には慎重であらねぱならぬ︑どうしても一度それを種と認. を弁明して氏は︑﹁そこまで事件の事実性と密着するのは︑かえって. あるように思える︒そこには︑以下のような問題があるからである︒. ずもないのである︒. 小説的方法に反する﹂と言われるわけだが︑類似する都合のよい部分. はそのまま導入したと考え︑都合の悪い部分を﹁小説的方法に反す る﹂として許容するとすれぱ︑その種の認定は︑すこぶる窓意的なも のとならざるを得ないであろう︒とりわげ︑この話の場合は︑江戸時.

(7) 多く見られることは︑拙稿に記した通りである︒. ︑. ︑. が︑﹃二十不孝﹄以後の西鶴の書き方には︑それ以前とは異なり︑. 側面にうかがわれるようになるのではないか︒周知のものではあるが︑. ^6︺. 出版取締りを意識し︑それとの抵触を避けようとする配慮が︑種々の. 西鶴がその作品を執筆する時︑どの程度に当時行なわれていた出版. 立論の都合上︑貞享元年四月発令の取締り例の一部を左記に引用する︒. ⁝⁝御公儀之儀ハ不及中︑諸人可致迷惑儀︑其外可相障儀︑開板. 一切無用二可仕候︒うたかわしく存候儀ハ︑両御番所江窺︑御差. 図を受板行可仕候︒若隠候而致開板候ハ∫︑御穿襲の上︑急度曲. 事二可被仰付候間︑板木屋共井町中之老︑此旨堅く可相守者也︒. ︵引用は﹃徳川禁令考﹄による︒傍点谷脇︶︒. 右は︑現在知られる最古のものと思われる明暦三年二月の禁令が拡. 大された寛文十三年五月の禁令を増補したものの後半部であるが︑. ﹁御公儀之儀﹂は言うまでもなく︑﹁諸人﹂が﹁迷惑﹂したり﹁相障﹂. ったりする可能性のあることの執筆・出版を禁じ︑問題がありそうな. なさそうでもある︒自在に自らの世界を常に新たに求めて書き続けて. それが書騨たちに出版物の内容の自主規制を求めたものでもあること. 出版した場合は﹁板木屋共井町中之者﹂も処罰するというわけだから︑. 場合は奉行所の指示を受けるべしとしたものである︒さらに︑隠して. いる西鶴という定評は︑ゆるぐことがないかのごとくなのである︒. は言うまでもない︒そして︑このような取締り令は︑当然︑内容によ. いに書く等の事態が生まれるであろうことは︑容易に想像しうるとこ. っては︑作老の自主規制を要請し︑時には曲筆︑時にはわざとあいま. 時施行されている出版取締り令を︑厳密に︑あるいはいささかの拡大. 七. 従って︑問題は︑自主規制をどのような内容の場合行なわねぱなら. ろである︒. 西鶴作品における典拠の問題︵上︶. にまぎらしながら平然と書いている︒とりわけ二代女﹄にそれが数. 解釈を行なって適用すれぱ︑取締りの対象となりそうなことを︑笑い. れていると見られるとしても︑﹃好色一代女﹄以前の西鶴は︑もし当. と同時に︑前出拙稿で略述したごとくに︑いささかの配慮は行なわ. っているごとくであり︑出版書璋からの制約なども余り考える必要は. ︹5︺. 跡はない︒また︑出版書韓との関連を考えても︑西鶴の方が優位に立. 確かに西鶴には︑出版取締りに抵触してトラプルを生じたという形. である︒. 約を見るという発想自体が封じ込められてしまったかのごとくだから. て︑十分な根拠の上に立って否定され︑西鶴の創作活動に外からの制. 年2月︶でその経緯を略述したように︑貞享三年に好色本禁令が出さ ︵4︺ れ︑それ故に西鶴が方向を転じたという旧説は︑暉峻康隆氏らによっ. 換1﹃好色一代女﹄の危険度1﹂︵日本語と日本文学.12号︑平成2. ているようではない︒というのは︑拙稿﹁出版取締りと西鶴の方向転. 取締り令を意識していたかについては︑これまで十分な考察が行われ. 三.

(8) ないかである︒もっとも右の取締り令のうち﹁御公儀之儀﹂は︑比較 的明らかである︒西鶴に関して言えぽ︑徳川幕府の将軍の名を出して 書くことなどはしないし︑太平の御代の当世を寿ぐのみである︒また︑. ﹃本朝桜陰比楽﹄で京都所司代板倉氏を一応示唆するごとくであって. も︑その名を出したりはしない︒﹁御公儀﹂の治政に対する皮肉は時 に見られるが︑もとよりそれをあらわに打ち出すといったものではな い︒﹁御公儀﹂への配慮は︑少くとも取締りに抵触しない程度には︑ 十分に行なわれていたと見てよいであろう︒. それに対し︑﹁諸人﹂の場合︑その範囲はどの程度の巾で考えたら 良いのか︒. 拡大解釈を行なえぱ︑それはだれであってもよいわけだが︑大名.. 公家.武家といった階層の人々︑僧侶や神官︑世に知られた芸道者と いった面々が﹁諸人﹂の中心であったことは︑当時の杜会状況からし て明らかであり︵もちろん遊女や役老といった公界者は︑いかに世に. 知られた老であっても︑その中には入らない︶︑世の中の上層に位置 づけられているものたちである︒当然かれらに﹁迷惑﹂を及ぽし﹁相 障﹂るようなことは︑明らかに︵例えぱ実名を出す等のことをして︶. あらわに︵例えぱ実際に起った事件の風聞をそのまま取り入れる等の ことをして︶書いて出版することは許されないであろう︒それらは︑. 直接取締りの対象となる﹁板木屋﹂︵書璋︶が敏感にチェックするで. あろうし︑奉行所に伺えぱ︑許可されることもないにちがいない︒右 の﹁諸人﹂が﹁迷惑﹂し﹁相障﹂ることを書くことで何らかのトラブ. 八. ルが起る恐れのあることを書く場合には︑作者も自主規制し︑それが. トラブルを起すことのないような書き方をせざるをえない体制が︑す. でにでき上っていたと見てよいのではなかろうか︒︵にもかかわらず︑. 二代女﹄以前の西鶴に︑出版取締りへの配慮がやや欠げているよう. に見られる理由については︑当時の西鶴作品を出版する書摩が出版を. 始めたぱかりの老であり︑大阪の出版界そのものが未成熟であったこ ︷7︺ と等と関わりを持つと思うが︑その点については︑前出拙稿で略述し. たので︑ここでは触れないこととする︶︒. 一方︑農工商といった庶人の場合︑﹁諸人﹂の範囲内に入いるかど. うか︒もちろん︑名もなき庶人は間題とするに足らないであろうが︑. 少くとも書かれた事にクレームをつけることのできる︑経済的な実力. を背景とした杜会的位置を確保していると見られる町人層の場合はど うか︒. ︵目︺. ﹃武道伝来記﹄より八ケ月後に刊行された﹃日本永代蔵﹄を例として︑ その点を簡単に見てみる︒. 三井呉服店の駿河町店開店の成功ぶりを描く巻一の四︑禁欲的な合. 理主義に徹して生きる人物として吝薔な藤市という従来のイメージを. 転ずる巻二の一︑堅実な仕事ぶりの酒田の大問屋鐙屋を賞讃する巻二. の五といった作品では︑そのモデルとした人物の実名が記されて書か. れているが︑これらは当然問題はないであろう︒それらは︑書かれた. 当人が﹁迷惑﹂するはずも﹁相障﹂ることになることもなく︑むしろ. モデルとされた当人が宣伝にでも使いたいような書きぶりで︑理想の.

(9) 町人像として描かれているからである︒. が︑巻一の三﹁浪風静かに神通丸﹂の後半部の書き方の場合は︑右. に記されていることと関連するであろう︒今は﹁大名衆の掛屋﹂とな. って威勢をふるう﹁此男﹂にとって隠したい﹁昔の事﹂が暴露されて. 北浜で筒落米を拾って生活していた老女は︑その食い余しを﹁ひそ. とき仮名を用いるのは︑地元大阪の話でもあり︑読老の多くもそれが. 恐れが十分にあるのである︒されぱと言って︑他の作品に見られるご. ︵o︺. いるこの話は︑もし実名を出して書けぱ﹁此男﹂からクレームのつく. かに売﹂って﹁胞くり金﹂を作る︒その息子も九歳の時から﹁小口俵. だれかを知るゆえに︑そらぞらしさが生まれる︒﹁此男﹂とのみ記し︑. とは趣を異にするように見うけられる︒. のすたるをひろひ集て︑銭さし﹂をなって﹁人の思ひよらざる銭まう. 名を出さない書き方には︑わげがあったのであり︑あえて言えば西鶴. は︑取締りを配慮して名を隠したと見ることができるのである︒. ﹁当座がし﹂であこぎに儲け︑銭見世をや. け﹂をし︑高利の﹁日借﹂. っては秤の目をごまかしてかせぎ︑ついには﹁小判市も︑此男買出せ. ﹁金銀の威勢﹂を背景に﹁後は大名衆の掛屋︑あなたこなたの御出入. とともに斬罪に処せられたことが知られている︒が︑西鶴は︑萬屋三. 山弥之助は︑密貿易や騎著を藩主に各められ︑正保四年に一族十数人. また︑巻三の二﹁国に移して風呂釜の大臣﹂のモデルとされる萬屋. をもっぱら﹂にするようになった︒かくて︑﹁昔の事はいひ出す人も. 弥を﹁真似の長者﹂とからかって諏しつつ︑その騎著による没落を軽. ぱ俄にあがり︑売出せぱ忽ちさがり口にな﹂るといった実力老になり︑. なく︑歴々の鐸となって︑家蔵数をつく﹂ったが︑昔母親の使ってい. 妙な話として展開するものの︑その蓄財は新田開発と﹁上方への船商. !︐. た筒落.掃や渋団扇は︑家の宝として乾の隅に収めておき︑苦境の頃. ひ﹂によるとして密貿易等はさりげなく伏せ︑その没落が︑領主の処. 罰による一族斬罪であることなどは︑﹁其身に悪事かさなり︑一命迄. を思出し戒めとするためにそれをまつった︒. 右の話は︑一見︑昔の母親の苦労をしのぶ美談︑商才によって一代. ほろび﹂というおぽろげな表現で示唆するに止めているのである︒史. 実を隠蔽して曲筆を行なうこのような書き方の中に︑御政治向きにか. で財を築いた男の成功談とも見られる話である︒が︑西鶴は︑ここで. この人物を﹁此男﹂と称するのみであり︑屋号も名前も出さない︒地. かわることによってクレームが生ずることを避けようとする姿勢を感. さらに︑巻四の一﹁祈るしるしの神の折敷﹂のような場合もある︒. 得することは容易であろう︒. 元大阪北浜の話であり︑﹁大名衆の掛屡︑あなたこなたの御出入もっ ぱらに﹂する人物の名を知らぬはずはないと思われるにもかかわらず︑. これは︑貧乏神をまつり︑その御告げをヒソトに紅染めを工夫して成. その名を記そうとはしないのである︒何故だろうか︒. その理由は︑当然﹁昔の事はいひ出す﹂人もなくなった今︑﹁此男﹂. 功し︑今は︑七十五人の奉公人を雇い︑願いのままの大屋敷に﹁七つ. 九. の﹁迷惑﹂となり﹁相障﹂ると見られる・﹁昔の事﹂が︑ここであらわ 西鶴作品における典拠の間題︵上︶.

(10) の内蔵.九の座敷︑万木千草の外︑銀の生る名木はびこりて︑所はし. 一〇. く︑右の町人層までも含めた﹁諸人﹂の﹁迷惑﹂となり﹁相障﹂るこ. 屋は︑﹃永代蔵﹄出刊六年余り前の延宝九年︑京都百万遍の智恩寺で. である︒モデル小説と称し続けられている﹃永代蔵﹄であるにもかか. に分かるようには︑書こうともしないし︑また書くこともできないの. とであるとすれぱ︑それをその人物のこと︑その事件のこととあらわ. 女敵討のために斬殺された桔梗屋甚三郎であり︑そのことがその名は. わらず︑思いの外︑実在のモデルの不分明なものが多いのは︑そのよ. かも︑長者町にす﹂んでいるという桔梗屋の話である︒が︑この桔梗. 出さずとも貞享四年二月刊の﹃新竹斎﹄にも記されている以上︑西鶴. うな書き方をしているからであることを︑﹃永代蔵﹄の一面として把. ︵皿︺. 時に曲筆︑隠蔽を行っているとすれぱ︑当然﹁諸人﹂の中心であり︑. 町人の場合ですら︑その﹁迷惑﹂となることはあらわにせずに書き︑. 握しておく必要がありそうである︒. もそのことを知っていた可能性が高い︒にもかかわらず西鶴は︑今も その桔梗屋の一代目が存し︑豊かに栄えていると記しているのである︒. この場合などは︑やや臆測にすぎるかもしれないが︑現存の呉服所で. ある桔梗屋の二代目や桔梗屋の分家の存在を配慮し︑あえて不名誉な 事実に目をつぶりそれを記述することを避げたと見ることもでぎるの ではないだろうか︒. 以上︑やや臆測にすぎる一例を加えた三例を記したが︑﹃永代蔵﹄. 名誉を重んじ家名を尊重する武家の世界の史実を種として作品を書く. 場合︑より慎重な配慮が行われたであろうことは︑推測するに難くな. の場合︑とりあげる人物の不名誉になる所行︑つまり書かれた人︵ま. たはその子孫など︶の﹁迷惑﹂となり︑さし障りとなるようなことを. い︒前述の﹃永代蔵﹄の例では︑賞讃する時には実名を出し︑どの事. 実に基くかを明らかにしているわけだが︑武家の場合には︑賞讃する. 書く場合には︑種々の方法によって隠蔽や曲筆を行ない︑泰実そのも のをあいまいにしていると見られるのである︒その例は︑他にも少く. やや脇道にそれたごとくだが︑﹁諸人﹂が﹁迷惑﹂し﹁相障﹂るこ. こと自体が︑武家の立場から見れぱ不名誉︑﹁迷惑﹂なことと受けと. 慰み草に過ぎない浮世草子の中の素材となって実名を出されたりする. 場合でもその点には慎重である必要があったであろう︒というのは︑. とは出版すぺからずとする取締り令中の﹁諸人﹂には︑右の﹃永代. める感覚が存するであろうことも︑十分推測可能だからである︒いず. はないが︑詳細は別稿にゆずることにする︒. 蔵﹄中の例からも見られるごとく︑経済力を持った富裕な上流町人ま. れにしても︑武家の世界をとりあげ︑そこでの史実を種とする場合︑ 一. でも含まれると作老には意識されていたと考えてよいと思う︒すなわ. 若干の例外を別にすれぱ︑その史実をそのまま書くことなどはできな. ︵. ち︑取締り令を意識する以上︑作老は﹁御公儀之儀﹂は言うまでもな.

(11) いという制約がある以上︑それを前提に作老は虚構を行なって行かざ. ないと思われる若干の話の種は江戸時代になってからのものであり︑. て︑当世の武家の行為や心情を描いている︒また︑現在推定に誤りが. 近年の事件に取材しているものが大部分ではないかという推定も可能. るをえないのである︒. ところで︑︐武道伝来記﹄は︑その全三十二章のすべてが武家の世. である︒従って︑﹃伝来記﹄の場合西鶴は︑江戸時代のこと︑とりわ. ったクレームが生ずることを時代設定によって回避しようとしている. ュを行なっているわけであり︑当世の武家から﹁迷惑﹂﹁相障﹂とい. け近年のことを︑江戸時代以前のこととして書くというカムフラージ. 界をとりあげている作品である︒そこには︑史実を隠すためのどのよ. ︵文学・1983年7月︶で記したことと重なるが︑. うな慎重な配慮が行なわれているであろうか︒すでに拙稿﹁﹃武道伝 来 記﹄論序説﹂. 以下︑出版取締り令を考慮に入れつつ︑その要点を個条書き風にまと. 江戸時代︑すなわち徳川氏の時代を豊臣氏滅亡後ととらえていたと思. 設定が行なわれているものと見てよいであろう︒西鶴は大阪人らしく︑. とされる諸章を配している以上︑それらも一応慶長以前という時代の. ﹁昔日﹂などと簡単に時代が設定されるが︑前記の明らかに慶長以前. のこととされていると見られる︒多くの章は︑﹁むかし﹂. ﹁以前﹂. 阪冬夏の陣以前︑すなわち豊臣氏が減び徳川政権が確立した時より前. 設定されているわけだが︑他の作中より推測可能な時代の設定も︑大. 前のものである︒すなわち︑﹃伝来記﹄出刊の百年以上も前に時代が. 城下のこととする;早があるが︑それらは︑天正時代︵信長時代︶以. 一︑作中には実在の年号が時代の設定として出される三章及び安土. 書き方となっていることは明らかである︒このような書き方の例は他. 実はこれが当世の話であることを読老に示唆する仕掛けとなるような. ぱ危険であることを承知の上で︑あえて天正三年のこととし︑同時に︑. らざることを記す︒この場合などは︑内容上︑当世のこととして書け. が発令されたぱかりの﹃伝来記﹄出刊時とすれぱ︑いささか隠やかな. 憶病武士を諏し︑﹁犬を切には生くら物よし﹂などと︑生類哀みの令. ﹁扱も今は︑御代静諾に治り︑血臭き事なきによって﹂などと書いて. 戦国時代のただ中のはずだが︑西鶴は︑犬を突き殺した話を記した後︑. 正三年は︑﹃伝来記﹄出刊の百十二年前︑長篠の合戦等の行なわれた. かれるが︑それは﹁天正三年十一月廿八日﹂のこととされている︒天. 三︑巻五の四﹁火燵もありく四足の庭﹂では︑犬を突き殺す話が書. と見ることができる︒. われるが︑﹃伝来記﹄の設定する時代は︑徳川政権確立以前の時代で. にも多いと思われるが︑﹁御公儀之儀﹂にかかわることを書く場合︑. めておくことにする︒. あり︑あくまでも江戸時代のことではないという前提で書かれている︒. あるいは当世の武家のありようを諏したりする場合︑当世のことなら. ^u︺. 二︑ただし︑その中にとりあげられる人情・風俗は当世のものであ. ぬ︑はるか﹁むかし﹂のこととする時代の設定によって︑トラブルが. 一一. り︑一応江戸時代以前のこととしながらも︑浮世草子の特質を保持し 西鶴作品における典拠の問題︵上︶.

(12) 生ずる危険を避けていると見ることができるであろう︒もちろん︑厳 しい検閲が行なわれる時代であれぱ︑この程度のカムフラージュで検. 一二. の地津軽の北の浜に変えられ︑その事件の発端の地宇都宮が巻八の一. で﹁丹波﹂に変えられていることよりする推定であるが︑仮名の場合. るものはない︒又︑前出巻五の四のごとく﹁目前の白山︑水辺はなれ. と同じく︑他の素材と推定される史実と対比しても︑場所の一致があ. 者にはっきり当世のことと理解されても許容されることの多いのが江. て﹂と記されるのみで場所がおぽめかされる場合もある︒さらに︑. 閲の目をのがれ得たとは思われないが︑一応の自主規制があれぱ︑読. 戸時代である︵﹃忠臣蔵﹄などの例あり︶︒また︑後述のような方法で︑. 述に見られるごとく︑今はなき信貴城下において︑当世に流行するフ. ﹁髪の結振︑信貴の城下にはやる︑しめ付嶋田のふき蟹﹂といった記. 西鶴のこの程度の﹁御公儀﹂に対する調刺は︑一応のカム7ラージュ. ァッショソの女性を登場させて︑実はこの﹁信貴の城下﹂が江戸なる. 少くとも当事老が誰かは不分明であるような書き方もなされている︒. によってトラプルを生ずる危険がないと︑自主規制を行なう書璋たち. 三の四を﹁作州津山の古き城下﹂のこととしながら︑江戸又は大阪を. ことを示唆するかに見られる例︑旗本奴と町奴の恋の鞘当てを書く巻. 四︑時代を江戸時代以前とするぱかりでなく︑西鶴は︑登場人物の. 思わせる﹁本町二丁目﹂住の町六方を登場させて実は近年の江戸又は. にも判断されたのであろう︒. すべてを仮名にしていると見られる︒それは︑巻八の四で伊賀上野の. の場合でも︑その素材かと推定される史実との人物名の一致はない︒. 所がないという所から行なわれる推定であるが︑右の二つの敵討以外. ているにもかかわらず︑一人として史実に登場する人物名と一致する. るのは問題だが︑それは︑もはや五十数年以前の公許の敵討であり︑. いであろう︒伊賀上野の敵討の場合︑巻八の四で実事をとりいれてい. ることによってクレームが生ずることを避けるための書き方と見てよ. 隠すための場所の変更が行なわれている︒これ又︑実事を感得させ. ︵H︺. 大阪での話をとり入れていることを暗示する例等︑おそらくは史実を. 実名の使用を避けるという書き方によって︑﹁諸人﹂の﹁迷惑﹂﹁相. ﹁迷惑﹂﹁相障﹂を称してクレームが生ずる恐れがなかったためと考え. 敵討︑巻七の二︑巻八の一で浄瑠璃坂の敵討といった史実をとり入れ. 障﹂といったクレームが生ずることを避け︑あくまでも仮構の話とい. れぽ十分であろう︒そしてその事は逆に︑場所を変えている場合︑そ. ︑. ︑. 発端と結末とを別の作品に用いている︒ということは︑史実を種とし. ︑. 六︑右の浄瑠璃坂の敵討の導入に見られるように西鶴は︑一事件の. である︒. のような恐れを配慮して変えたということを証することにもなるはず. う前提を貫こうとするための仮名の採用と見ることができる︒. 五︑時代︑人物名を仮構する以上当然ながら︑巻八の五で史実に従 って伊賀上野を敵討の場とするのを例外として︑他では事件の発端や 敵討が行なわれる場所を意図的に変えていると考えられる︒これは︑. 前出巻七の二で用いられる浄瑠璃坂の敵討の場が︑江戸市谷から僻遠.

(13) た場合でも︑それをそのまま用いず︑分割して新しい話として作って. 行っていることを意味する︒この例のみからの類推は臆測に過ぎるか もしれないが︑少くともこの例から︑西鶴は︑史実に忠実に書こうと. 合︑当然のことながら︑その典拠︑とりわげ素材となった史実を探索. 右のような書き方が行なわれていると見られる﹃武道伝来記﹄の場. 持っているとする推定が可能となるであろう︒これ又︑実事をそのま. するのは︑すこぶる困難となる︒作者が︑時も処も人物名も変えてい. の巻八の四の場合は︑敵討の発端︑途中経過︑人物名が全く変えられ. まに導入することから生じかねない危険を避けるための書き方と称す. 以上︑多岐に渡ってしまったが︑﹃伝来記﹄の西鶴は︑たとえ史実. 時代は﹁むかし﹂であっても︑﹁伊賀上野﹂が出されているわけだか. る以上︑それをより所とすることはでぎない︒唯一の例外として前出. を導入しているとしても︑時︑処︑人物名を変え︑史実を分割して作. ︵帖︺. ら︑その敵討の場面に史実の一部が導入されているということを確証. ︑. り変えるといった配慮によって︑史実そのものが作中であらわになる. ︑. することができる︒しかし︑他の場合はどうか︒. これまで典拠かとして指摘されている史実は少なくない︒その一々. 向の多くを出版取締り令と結びつける必要は︑必ずしもない︒しかし︑. 自在に虚構をまじえて書いていること言うまでもなく︑虚構化への志. たものと言ったら言い過ぎになるであろう︒西鶴は︑二代男﹄以後︑. もちろん︑右のすべてを︑出版取締りを配慮することのみから生じ. はないようである︒﹁伊賀上野﹂のごとく︑作者が読老に示唆を与え. も可能ではあろうが︑多くは︑無理をせずに納得できるようなもので. い︑論老の腕を振るいさえすれぱ︑その史実を素材としたという論証. る︒従って︑前述の﹁逆説定﹂﹁小説的方法に反する﹂等の弁明を用. わぱ類話︑時にいささか類似しているのみと見られるものぱかりであ. について︑ここで触れることはしないが︑そのほとんどすべては︑い. 右のような方法をとることによって﹃伝来記﹄は︑文字通り﹁虚妄の. ていることが明らかなものは別だが︑そうでない場合は︑どうとでも. ︵15︺. 書﹂となったのであり︑それ故に﹁御公儀之儀ハ不及申︑諸人可致迷. 言えてしまうのである︒. にクリヤーできることになったのである︒. 西鶴作品における典拠の問題︵上︶. 一三. の前提となってしまうこと︑前述のごとくである︒そして︑あやふや. が︑素材を一たん指摘すれぱ︑当然それはその作品を理解するため. 惑儀︑其外可相障儀︑開板一切無用﹂という規制を︑おそらくは簡単. れを積極的に仕組もうとしているようにも見られる︒. の古典類の話を導入・応用するという方法を数多く取り入れ︑史実離. ことを回避しているようなのである︒さらには︑後述のごとく︑種々. ることができる︒. する姿勢は持たず︑むしろそれを別のものに仕立てようとする意図を. 五.

(14) な前提のもとに構築された論証がいかなる説得力を持とうと︑前提が. が何による虚構化であるかを示唆する場合が多いようだからである︒. ように見うけられる︒なぜなら︑虚構化の過程で作老は︑時に︑それ. 一四. 崩れれぽ︑誤解を増幅するのみに終ってしまうことも又明らかである︒. もちろん︑前述の論理からするぽ︑その認定には慎重でなけれぱな. らない︒無理は禁物である︒が︑西鶴は嘘を書かないとする真山青果. とすれぱ︑少くとも﹃武道伝来記﹄のような書き方をされている作品 の場合︑その素材︑その典拠とした史実の認定には︑十二分に慎重で. 流の史実探索にこれまで記したような問題がある以上︑別の側面から. 攻めて行く必要が当然あるはずである︒. ある必要があるであろう︒. 作老が隠していることを明かにすること︑それは確かに痛快至極で. 拠を見出せない場合︑ただちに典拠等の指摘を行なうべきではないの. 似した素材を見出しえたとしても︑それを素材としたという明確な根. いかに博覧強記であっても容易なことではない︒従って︑いささか類. 離れの一面にすぎないが︑明らかと見られる虚構化の様相をさぐるに. 方法で虚構を行なって行こうとする側面である︒それは︑確かに史実. いた作品︑とりわけ読者に馴染みのある古典類の応用︑転用といった. 面があるのかどうか︒私は︑あると思う︒それは︑当時よく読まれて. しかし︑あまり無理をしない程度に︑西鶴の虚溝化を認定でぎる側. である︒これまでは︑その点への配慮を欠いて︑気楽に︑と同時にい. は︑史実が明らかでない以上︑今の所その方面にきり手がかりはなさ. ある︒しかし︑三百年以前のこと︑資料の制約のあることを思えぼ︑. ささか恋意的に典拠の指摘が行なわれて来ていたといえるのではなか. そうなのである︒. 方がないことも明らかである︒以下︑具体例をとり上げつつ︑右の側. のはごくわずかにすぎないが︑当面はできる所からやって行くより仕. それを私自身のみで行えるはずもなく︑私のこれまでに気付いたも. ろうか︒. それでは︑その種とする史実を簡単に見出せない時︑どうすべきな のか︒. 前述のごとく︑﹃伝来記﹄に旺盛な虚構化への意図がうかがわれる. 分がもしあれぱ︑それを明らかにしてみるのも一つの方法であろう︒. いうるのかという疑問はあるにしても︑明らかな虚構と認められる部. とさえ称することができる︒とすれぱ︑史実を解明することなく行な. は︑古典類を典拠と見うる諸例︑とりわけ﹃源氏物語﹄との関連︑. 説に終始して紙数を費してしまったことをおわびしたい︒なお続稿で. いるうちに制隈枚数に近づいてしまった︒いささかならず抽象的な言. ︵出版取締りの問題たどに脇道をしたため︑本稿は︑前置きを述べて. 面を問題にして行くこととしたい︒. ともあれ︑それは︑作老が隠そうとした史実を︑限定された資料の上. ﹃源氏﹄の当時の受けとめ方と西鶴の文芸意識のあり方︑そのことが. のは確実である︒西鶴は︑史実離れを行うためにそれを行なっている. に立っていささかならず大胆に類似の話を探索するよりは容易である.

(15) 持つ諸間題等に触れる予定である︶︒. このような点は﹃好色一代男−以後の西鶴作品のほとんどに見られる︒私. このような後日談が加えられることによって︑従来のサソゲ物の伝統が切. ︵3︶. 唖峻康隆氏﹁貞享三年好色本禁令説について﹂︵西鶴研究・第一冊︑﹃西鶴. 拙稿﹁︐好色一代女−の一設定﹂︵︐西鶴研究序説﹄第二部第五章︶参照︒. 西鶴と出版書摩との関係をどう見るかについては︑現在説の分かれるとこ. このような点は︑今後個々の作品にそくして︑より詳しく問題にしてみる. ︵︐西鶴研究論孜﹄第一部第一章︶に記した︒. 以下に述ぺる点についての詳細は︑別稿﹁︐日本永代蔵﹂の一側面−隠蔽・. 西鶴作品における典拠の問題︵上︶. 曲墾・調刺の方法1﹂︵国語と国文学・平成2年12月号︶参照︒. ︵8︶. ︵7︶ 注5及び6の拙稿︒. 見通しを記した︒. 向転換﹂︵日本語と日本文学・12号︑平成2年2月︶において︑おおまかな. 必要があると思われるが︑その若干については拙稿﹁出版取締りと西鶴の方. ︵6︶. ろであるが︑このように見る私見の根拠は﹁出版ジャーナリズムと西鶴﹂. ︵5︶. ど︒. 評論と研究 研究ノート﹂所収︶︑野間光辰氏﹃西鶴年譜考護﹄の当該項な. ︵4︶. そのしたたかな生と性−︵上︶﹂︵文学・昭和60年7月号︶参照︒. りすてられることになる意味などについては︑拙稿﹁﹃好色一代女﹄試論−. ︵2︶. ただけれぽ幸である︒. 説﹄︵新典祉︑昭和56年6月刊︶中のそれらについて触れた論述を御参照い. 代男−﹃好色一代女−などの初期作品の場合については︑拙著﹃西鶴研究序. れる︒︐武道伝来記﹄﹃日本永代蔵﹄については少しく後述するが︑︐好色一. のようたやり方やそうする理由は︑作品によって相異があるように見うけら. 自身もその点について若干の作品をとりあげて考えてみたことがあるが︑そ. ︵1︶. 注. 出さず仮名を用いている可能性が高いと考えられる点︑及ぴそれらがどの作. ︵9︶とりあげたモデルの悪泰︑問題のある所行等を記した作品の場合︑突名を. 品かといった点については︑注8の拙論において略述した︒. ︵10︶もちろんこの作品の場合︑これまでに指摘されているモデルが誤っている. ず︑また西鶴は︐新竹斎﹄を読んで桔梗屋が妻敵討で斬殺された事件である. 可能性も考えられる︒が︑現在のところ︑これに相当する他の人物は見当ら. ことに当然気づくことと思われる︒それ故に︑﹃永代蔵﹄四の一の執簸時を. 貞享四年の半頃と考えてよいと見る私は︑西鶴が桔梗屋初代の斬殺を知りつ. つ︑それを隠蔽していると見る︒又︑そのことがどのような問題を生むかに. ついては︑注8の拙論において︑憶説を記した︒. ︐武家義理物語﹄二の一︑二でとりあげる御堂前の敵討などが例外に属す. ︵n︶注8に同じ︒. ︵12︶. る︒それがどこまで史実そのままかは間題だが︑右は明らかに︐武道伝来. 記﹄の書き方とは異なり︑人名・時・処を史実によって書いている︒その理. ムのつく心配がなかったことを中心に考えることができるのではないかと思. 由は︑種々考えられるが︑公許の敵討でもあり︑さしさわりが生まれクレー. うo. ︵13︶この点については︑前出﹁︐武道伝来記﹄論序説﹂でも若干の例を略記した. 2年2月︶においては︑別の一面からこの問題をとりあげた︒. が︑拙稿﹁﹃武道伝来記﹂のおける調刺の方法﹁︵季刊江戸文学・2号︑平成. ︵14︶右に記したもの及ぴその他の諸例は︑新日本古奥文学犬系﹃武道伝来記他﹂. ︐日本武士鑑﹄序文中にある︐伝来記﹄批判の言葉だが︑﹃伝来記﹂は西鶴. の脚注に略記した︒. によって意図的に虚構化されたものであり︑むしろ史突に忠実ならざる﹁虚. ︵15︶. 妄の書﹂ゆえに意味を持つものとなったことは明らかであると思われる︒な. お︑その虚構化の方法については︑すでに前出の拙稿でも触れたわげだが︑. 本稿では︑これまでの拙論でほとんど触れえなかった点を中心に論を進めて. 行くことにしたいと考えている︒. 一五.

(16) 氏校注﹃武道伝来記﹄︵岩波文庫︶で︑それまでの所説が集成され︑又新し. ︵16︶前田金五郎氏﹁﹃武道伝来記﹄の泰突と創作﹂︵文学・昭和姐年10月号︶︑同. く数多くの指摘が行なわれている︒. =ハ.

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参照

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