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Academic year: 2022

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「古代キリスト教言説史におけるレプラ―脱神話化 と脱医学化に向けての試論」

著者 堀 忠

URL http://hdl.handle.net/10236/00029859

(2)

論 文 内 容 の 要 旨

 ここに審査報告を行う堀氏の研究は、「レプラ」という言葉に関して展開されたキリスト教的言説史に関 するものとなる。おおむね7世紀までのギリシア語文献を対象とし、レプラがヨーロッパ中世以降において 差別の対象となったその端緒を古代世界に求め、この言葉が「エレファンテイアシス」と混同されるに至っ た経緯とその言説史的背景を明らかにすることを主たる目的とする。研究全体を通してその方法の特徴は、

ギリシア語文献のデータベースである Thesaurus Linguae Graecae を用いて徹底的に用例を調査して研究 を展開した点にあり、何世紀にもわたる膨大な用例を一つひとつ丹念に調べて仮説を構築し、結論に導くあ たりは、内科医としての堀氏の実証的態度がよく現れているといえる。

 第1章から第4章までが第一部を構成しており、古代のキリスト教著作家たちの置かれていた言説環境に ついての予備的検討に充てられる。第一章ではレプラとエレファンティアシスをめぐって、ギリシア語で著 された古代の医師たちの論述が検討される。レプラ、エレファンティアシス(またカルキノス)は、いずれ も古代の医学者の25-30% に用例があり、ギリシア語で著作を残した医学者の間で一般的な語彙であったと いえる。そのなかでレプラを追放や虐殺を要するほどの重い病気として描いたものはなく、エレファンティ アシスについては約半数の医師が今日の「感染」につながる現象であることを認めていた。これに対しレプ ラについて「感染」を指摘した医師は見いだせない。医師たちはレプラとエレファンティアシスを異なる概 念として理解していたといえる。

 第2章と第3章では七十人訳聖書においてヘブライ語の「ツァラアト」がギリシア語の「レプラ」と翻 訳された経緯について新たな仮説を提示する。第2章では七十人訳聖書における「ラーパー」(癒す)の訳 語としてのἰάομαιと ἰατρεύωの用法・用例の検討から、七十人訳聖書の翻訳者たちは、すでに医学と祭儀が、

またそれぞれに属する語彙が十分に区別され得る時代に生き、著作していたことを明らかにしている。

 つづく第3章では前6世紀以降前3世紀まで、すなわち七十人訳聖書のレビ記が訳出された時代のギリシ ア語文献に残されたすべての「レプラ」の用例を網羅的に検討し、それらが医学用語としての用法と祭儀 的禁忌を表す用法に截然と区別できるものであることを論ずる。また七十人訳聖書におけるヘブライ語の

「ツァラアト」と「ナーガー」の訳語としてのギリシア語λέπρα(レプラ)とἁφή(ハフェー)の用例を検 討し、文脈及び周辺に配される語彙から、翻訳者たちは医学用語としてではなく祭儀的禁忌を表す用語とし て、「ツァラアト」の訳語としてλέπραの語を採用したものであることを明らかにしている。この時期七十

氏 名

学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目

論 文 審 査 委 員 (主査)

(副査)

堀     忠

「古代キリスト教言説史におけるレプラ  ―脱神話化と脱医学化に向けての試論」

博 士(神学)

甲神第15号(文部科学省への報告番号甲第729号)

学位規則第4条第1項該当 2021年2月16日

土 井 健 司 淺 野 淳 博

津 田 謙 治

(京都大学大学院文学研究科准教授)

教 授 教 授

(3)

人訳聖書の翻訳者と読者の間では、レプラを重症の身体疾患とする理解は、少なくとも広く一般的には存在 していなかったと考えられる。

 第4章では、レプラと名指された旧・新約聖書の登場人物たちが具体的に、どのように描かれていたかを 検討する。古代のキリスト教著作家たちは、第1章で示される時代の医学上の通説を参照しつつ、また七十 人訳聖書、新約聖書の物語を念頭に置いて、その言説を展開しようとしたからである。

 レプラに関して伝えられる具体的な出来事のほとんどはモーセ、エリシャからイザヤ、イエスの公生涯と いう長いユダヤの歴史の中で非常に限定的な時期に限って生じており、地理的にもヨルダン川からそう離れ ない範囲に収まっている。エリシャ伝承の記事には多少とも残されていた具体性のある形容詞(句)は、福 音書の記事ではまったく消失している。描かれた症状はあまりにもあいまいで、むしろ当時通用していた医 学用語を避けているようにさえ感じられる。レプラとされた21名の登場人物のなかには、身体機能にも、生 命予後にも、容姿・外貌にも極めて重大な障害を被った人物が誰一人存在しないことが確認される。

 第二部を構成する第5章から第7章は、レプラとエレファンティアシスの混同の端緒を探り、キリスト論 論争の時代に生じた「レプラ」に関する言説の分岐とその背景を探る試みとなっている。

 第5章では、医師たちの言説を参照しつつ、また七十人訳聖書と新約聖書を起点として積み重ねられた7 世紀までのキリスト教著作家たちの言説史が検討される。おおむね4世紀末以前には、「レプラ」の語が具 体的な意味の定かでないままに漫然と用いられていたこと、他方「エレファンティアシス」の概念が4世紀 から5世紀にようやくキリスト教著作家たちに広く知られるようになったことを明らかにする。

 第6章では、キリスト教の言説史にエレファンティアシスの概念が登場する時期に属する二人の代表的な 教父ヨハネス・クリュソストモスとアレクサンドリアのキュリロスの言説・用例を検討する。その結果、キュ リロスは、エレファンティシスを、聖書のレプラと同一視しようとするが、他方でクリュソスソモスはレプ ラを古代の祭儀的禁忌を意味するものとして両者を判然と区別して語っていることが明らかにされる。

 第7章はこの両者の背景にある神学思想としての奇跡論、キリスト論の違いに着目しつつ、ふたつの異なっ たレプラ理解が形成されるにいたる言説史の再構成を試みる。その結果が以下となる。

(1)キュリロスにおいて、旧約に預言された奇跡の現実化こそがイエスが神、唯一の救済者であることの 中心的な根拠であった。そのため奇跡物語に登場するレプラは、人間的な医術や呪術の遠く及ばないような、

重く癒しがたい病でなければならないこととなっている。

(2)クリュソストモスにおいて、レプラ治癒の奇跡も隣人愛の教説全体の中で相対的な意味を持つにすぎ ないのであって、キリストの神たる権威が最大限に示されるのは、モーセ以前からの、原初からの存在する 者として、新たな「法(=山上の教えなど)」の制定者としてであった。

 以上この研究の内容を一言で表現するなら、まず第一部において概念の網羅的、統計学的考察を基にしつ つ旧・新約聖書における「レプラ」の概念が決して医学用語としては用いられず、重篤な皮膚病と認識され ていた「エレファンティアシス」と区別されていたことを明らかにし、第二部においては、古代キリスト教 においてもおおむねこの区別が踏襲されていたが5世紀になる頃アレクサンドリアのキュリロスがその奇跡 論において「レプラ」を「エレファンティアシス」と同定したことが確認され、これが後代のスティグマ化 されたレプラ概念の歴史の端緒となったとの示唆を与えている。

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

 本研究は、「レプラ」という概念が、重篤な皮膚病を意味する「エレファンティアシス」という概念と混 同されることによってヨーロッパ中世以降の社会的スティグマとしての「レプラ」概念が形成されるのでは ないかとの理解から、その混同の端緒がどこに定められるのかを、概念の用例・用法を網羅的に調査し、統

(4)

計学的考察を加えることで明らかにしようとしたものであり、結論としてアレクサンドリアのキュリロス、

そしてキュリロスの奇跡論にその端緒を認めたものとなっている。

 以下、本研究に不足すると認められた点を挙げていく。

(1)ヘブライ語聖書、七十人訳聖書、そして新約聖書において、ツァアラトあるいはレプラ / レプロスが 医学用語として用いられていないという議論は、これらの文献に加えて同時代のギリシア語文献の分析の結 果、説得性が高いと評価できる。それを受けた第3章「レビ記13:2–46の『脱医学化』のための試論」の結 論部において、著者は Kaplan の解釈を評価しつつ「現実の病気を『穢れ』の観念に巻き込むことを将来的 にも確実に阻止する」(80頁)という観点からこれを否定的に捉えている。この箇所と「考察および結論」(と くに167頁)に著者の研究の背景にある大きな問題意識の1つが見てとれる。もっとも、穢れの問題を考察 する際にツァアラト自体を扱うことは、研究対象を絞り込むという論文執筆上の決断は適切だと思われるが、

この研究をツァアラトの分析に限定することは、医学的治療のメタファを用いるならば「対症療法」であっ て「原因療法」ではない。ユダヤ教における「穢れ」の概念は祭儀上の都合——誰が祭儀に参加でき誰がで きないか——に関わるもので、これ自体の道徳や社会階層等との関連性が非常に曖昧である。たとえば家族 成員に死者が出れば同居する家族成員全員が穢れを受ける。女性の多くは月に1度穢れをとおる。その意味 で、ツァアラトもたまたま穢れと見なされた現象の1つに過ぎない。しかもツァアラトの穢れは、死体と接 触した際の穢れ——7日間の穢れ——と同レベルのものとして扱われているようである。それならば、最終 的に取りかからねばならない「原因療法」はむしろ「穢れ」という概念の言語化であり、この語の訳語を再 考することだと思われる。その意味で本論文は、この「原因療法」の確立をめざすプロセスの中の1つの「対 症療法」と位置づけられよう。そこで「穢れ」というさらに大きな視点からの研究が望まれる。

(2)著者は第4章で、2世紀以降の教会著作家らのあいだでツァアラトという現象の記憶が薄れたことが「医 学化」の傾向を促し、現在の解釈と実践上の混乱に繋がったことを示唆している(93頁。116頁参照)。この 評価は、ツァアラトの「医学化」をキリスト教会史の内側でのみ理解しようとする限定的な視点に立つよう に思われる。しかしレビ記の解釈は、1世紀の思想を受け継ぎつつ2世紀後半に編纂された『ミシュナ』を はじめとするタンナ文献においてさかんに行われている。実際に『ミシュナ・トホロート』はツァアラトに 関して詳細に考察しており、『バビロニア・タルムード』の同じトラクテートにおいても議論が継続されて いる。すなわち、同語の理解は歴史的な連続性をもって継承されていると考えられ、少なくともユダヤ教の 諸共同体のあいだではツァアラトという現象の記憶が薄れたとは思われない。したがって、ユダヤ教と隣接 するキリスト教会においても、現象としてのツァアラトの記憶が薄れて、その実体を知る手だてがまったく なかったとは言い難い。もっとも、3世紀以降にどれほどの教会著作家がタンナ文献に親しんだかは不明な ので、神殿崩壊後に儀礼上の穢れを実際問題として意識しなくなった教会のあいだで、ツァアラトに関する 理解が薄れていったという想定を否定することはできなかろう。したがって、今回の研究の範囲を大幅に超 えることは理解するものの、本研究の結論について精度をより高めようとするならば、タンナ文献をもその 視野に入れて考察を深めることが今後の課題となろう。

(3)すでに述べたように著者は4世紀から5世紀に「レプラ」と「エレファンティアシス」の混同が発生 したことを分析し、その際にコンスタンティノポリス(ないしはアンティオキア)とアレクサンドリアの相 違を扱っているが、しかし地中海の東方世界と西方世界での類似と相違など、より広い範囲での比較なども 必要であったのではないか。少なくともローマ帝国下のギリシア語圏とラテン語圏の相互の交流は確認でき、

本格的にラテン語文献の調査も実施していれば、研究の精度はさらに高まったであろう。たとえば2世紀に 活躍したエフェソスのソラノスは産婦人科医として有名であるが、多くの他の医術にも関わっており、カル タゴのテルトゥリアヌスのようなラテン教父もこれを積極的に引用している。古代のラテン語文献のデータ ベースも利用可能なので、さらなる考察を今後に期待したい。

(5)

 以上の三点は、とくに試問をへて審査委員会において認められた不足点であるが、いずれも今後の研究課 題となるものであって、本研究が博士学位に相応しい成果を収めているとの評価を妨げるものではない。先 行研究を渉猟した上で膨大なギリシア語文献を丁寧に調査して7世紀までのレプラの言説史を構築し、さら にエレファンティアシスとレプラの混同をめぐって4世紀から5世紀にかけて活躍したヨハネス・クリソス トモスとアレクサンドリアのキュリロスを取りあげ、キュリロスの奇跡論に後代のスティグマにつながる端 緒を認めたこと、いずれにおいても本研究のオリジナリティを認めることができる。以上により堀忠氏によ る申請研究は、博士(神学)の学位に相応しいと評価され、ここにその旨、報告する次第である。

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