育児ストレスと子どもの発達との関連についての一考察
数井 みゆき*
(1996年11月1日受理)
Miyuki KAZUI*
(Received November 1,1996)
はじめに
乳幼児を育てている母親をとりまく今日において,「母親のあり方」を左右する情報が流し続けら れており,その情報はさらに細分化・精密化し,マニュアル化している。育児書コーナーでは,その ような本があふれかえっており,自分の子どもが「例」のような典型的な行動をしないと悩む母親 からの電話相談があるということが話題になっている。また,社会の風潮として「男女共同参画型 社会」をめざし,男女平等とするという意識だけは高まっているようであるが,こと,出産育児と いう分野になると,そのような声はせいぜい「お父さんの協力」という程度のものになっている。
つまり,日本においては,子育てとは母親の仕事であり,子育てにまつわる様々な諸問題はあいか わらず,「母親の課題」という形をとっている。
日本では,特に第二次世界大戦以前の頑強な家父長制度のもとで,女性は家庭の中に生活を限定さ せられ,出産機能のみに価値が認められてきた歴史があり,「子の幸せは母の幸せ」という母子一 体を美化する社会の中,女性も積極的に期待されている「良妻賢母」の役割を担うようになり,自 分のアイデンティティをそのような役割に見いだしていった(落合,1994;大日向,1992;田中,1988;
上野,1994)。特に,戦後は高度成長期を支える裏方として,家事・育児をいっさい支えてきたので ある。社会では,「母親」を美化するような母性神話や母性本能説がまかり通っており(大日向,
1992),子どもを産んだ後には「母親」として生きることが何にもまして重要視され当然視される。
しかし,子どもが問題行動や何らかの病的あるいは心理的症状を示すと,その原因探しが育児に専 念している母親へと循環するという現実に向き合わざるをえなくなっていった。母親が悪いから,
子どもがうまく育たないという具合に,「母原病」という言葉までうまれた(久徳 1978)。
また,多くの外来文化や思想が,日本在来のものと融合して,日本的に都合よく解釈されてきた過 程があるが,それにもれることなく,欧米の心理学的・児童精神医学的な研究報告(例えば,初期経 験の重要さや母性剥奪)も,家父長制度の状況と一致して,母親の役割をより強固にしていく方向で 作用していった(柏木,1993,1995a)と考えられる。たとえば,日本には「三つ子の魂百まで」と いうことわざがあるが,これがいつ頃か「3歳までは母の手で」というスローガンに変わっていった 過程には,そのような欧米主体の初期経験の重要性をとく「科学的」情報が一役かっているのでは
* 茨城大学教育学部家政教育講座(〒310−8512水戸市文京2−1−1).
ないかと考えられる。1950年代から70年代の欧米では確かに,母親という「養育者」に焦点を合わ せた言及が大多数であったが,その後には「子どもに関わる第一養育者のあり方が重要である」と いう観点に変わっていったにもかかわらず(特に規範的・非臨床的なサンプルに対しては),日本で はそのような情報は全く取り入れられていない(たとえば,Bretherton,19921))。つまり,日本にと って都合のよい部分が輸入され,解釈されて伝播していく。これは,特に母親のあり方を強調する文 化の圧力下にあった日本人研究者の姿勢の問題でもあろう(例えば,小嶋,1993)。
しかし,現代の日本では出生率の低下や晩婚化などの社会現象が日本を特徴づけているが,どうし て女性が子どもを生まなくなったのか,という現象を考えるにあたって,「子育てがそれほど魅力 的ではない」という心理作用もあるのではないか,と一部の学者が報告している(柏木,1995b;大橋 1993)。つまりそのような見解がでてくる裏には,今の状態で「大変さ」を実感している母親がかな り多くいることにほかならない。また,同時に母親であることへの比重が大きかった過去の女性た ちに比べて,現代では仕事を続けることや,有職ではなくても,社会的なつながりを継続していき たいという女性は非常に多い。子どもを持ちつつも,どのようにして「自分」であり続けるのか,
という問いを反鋼している人も多い。母親として生きるということは,以前であれば「自分」より も子どや家の制度を優先させて生きるということと同義であったが,現代ではそれが「自分」と「家 族」の関係をどう折り合いつけつつやっていくのか,という方向へ変わってきていると考えられる。
そのようななかで,母親(そして父親)たちはどのような課題に直面しており,そしてそれは実際に 子どもの発達とどのように関連している,あるいはしていない,のであろうか?
本論文では,「日本の母親の心理状態」,特に育児にまつわる様々な諸問題を「育児ストレス」と いう概念で包括し,子どもの発達が実際に母親の育児様式から直接的に影響を受けるのかどうかを 発達心理学的見地から検討することを第一の目的とする。後に詳しく述べるが,日本では一部のメ ディアによってとりげられる臨床家や教育者などが,様々な子どもの問題行動が起こる原因を母親 のあり方に帰する発言を続けている(例えば,久徳1978;高石・加藤,1986)。一部の臨床例または 問題例が,一般的・規範的な非臨床群にまで当てはめられて言及されたり,特に研究や調査をせずに,
子どもに現れている面の原因を「母親の育て方」と関連させている。そこで,筆者は一般的な家庭 においては,母親のあり方がどのように子どもの心理的な状態と関連するのかを文献の検討と筆者 自身の研究成果から概観的に考察することによって,子どもの発達にとって本質的に保証されなけ ればならないことは何なのかを考えていく。
現代日本の母親と育児
子育てや子どもの発達に関連する本が,幅広く出版されている。多くの本は,臨床的な立場にある 小児科医,精神科医,または臨床心理関連のカウンセラーや教育者といった「現場」と対面してい る人たちによって書かれている。しかし,そのような本の多くの視点は,子どもの問題が生じた原 点は母子関係だというものである。たとえば,久徳(1978)は,子どもがなかなか治癒しないような 疾患を煩っているとき,登校拒否になっているとき,自閉傾向があるときなどは,すべて母親のか かわり方が原点にあるという立場で「母原病」という名をつけている。また,著名な小児科医であ る小林登と文部省の元官僚である高石邦夫などを交えての有識者による対談では,幼稚園児のしつ
け状態が低下していることを母親がまじめに育児に取り組まず,母としての自覚がなく,育児にた いして文句をいうなど(高石・加藤,1986),それもデータをとっていない自分たちの感覚的な部分 を基礎とした判断で,すべて母親の責任に帰している。また,1970年代から少年非行が増えてきた ことが,時を同じくして増えてきた主婦のパート就労などと関連づけられて(正しく統計をとったの ではなく),有職の母親が増えると非行少年が増えるという,働く母親を非難する結果を招いた(田 中,1988)。このような例をあげていけばきりがないであろう。
ここから見えることは非常に悲しいことである。それぞれの分野での専門家たちでさえ,子どもた ちの問題をただ,「母親のかかわり方」というところでしか論ずることができていない貧困さはい ったいどうしたものであろうか。ただし,このような専門家だけではないことも付け加えて起きた い。たとえば,小児科医の山田(1990)はその著書なかで,小児科医の多くが「健康な」子どもをじ っくりと観察したことも研究したこともなく(医学教育では,「病気ではない子ども」を理解するこ とをうたっているにもかかわらず),また,育児ということに真剣に立ち向かった経験のない男性の 小児科医が,むやみに「母親批判」を繰り返していることは,問題の本質を見失うことであると警 告している。同様な立場には,小児精神科医の石川(1990)がおり,さまざまに現れる子どもの問題は
「母親のかかわり方」以外の観点からでも説明がつき,治癒していった例を自身の臨床経験の中から 挙げている。
っまり,それだけ根の深い「母親幻想」が日本人の中にはあり,問題はこのような専門家たちでさ え,一部の人をのぞいて,「幻想」を意識的・無意識的に自分の専門家としての判断の中核へ据えて いるということであろう。また,事実臨床場面では,母親のかかわり方が主要因で何らかの問題が 発生していることもあるだろうが,ではその母親がなぜそのような関わりをするにいたったかとい う経緯についてはまず,触れられることはない。ただ,臨床的な場面からの知見が現代の諸相をう まく反映し,われわれに熟考する刺激を提供することはあるかもしれない。しかし,実際に問題が おこった家族関係を安易に一般化すること,特に一般的なサンプルによる研究での検証なしで,家 族へ当てはめることは危険なのではないだろうか。
それでは,いったい現代を生きている一般的な母親が抱えている「心理的な問題」とはどのような ことであろうか。そのことで,特に1980年代に入って,母親の育児への不安やストレスという領域 が,主に「心理的な問題」として浮かび上がってきている。例えば,育児への不安感が高い母親の 特徴として,夫との関係が良好ではなく,かつあまり社交的ではないということや,家庭や子ども に生き甲斐を求めている母親の方が育児不安が強いことがわかってきた(牧野,1982)。また,専業 主婦の母親で,「育児は女性の責任」という意識が高いと,「子育ては楽しめない」という項目へ 賛同する率が,有職の母親よりも多いことも報告されている(永久,1995)。そして,育児期におい て母親であることへの葛藤が高いかどうかを世代間調査した結果から,1970年代に育児を体験した 世代は,1940年代に体験した世代よりも,子育てを価値のあるものとは考えていないことがわかっ た(大日向,1988)。また,父親との比較から,母親の方が全体的に子育てに対して,役割制約感や アンビバレントな気持ちを抱いていること(柏木・若松,1994)や,母親の方が育児ストレスがその 配偶者(子の父親)よりも高いこと(数井,1995)がわかっている。
もちろん,全ての母親が同じように育児不安,困難ストレスを体験しているわけではない。しか し,たとえば,64%の母親が感情的に子どもに当たってしまう自分が情けないと感じ,また,子育 て以外にも自分らしくいられる何かを確立したいという焦りを感じている母親は53%にのぼった(数
井,1995)。このような母親の状況は,大きく分けると2つの課題を提示しているようである。まず,
第一には以前より期待され続けてきた「母親役割」への迎合欲求と不一致感・不全感からの葛藤であ ろう。東(1994)や河合(1995)によると,母親とは,母親という「性役割」にのっとった規範で行動 を求められる存在であり,また本人もその部分で評価されたいという願いが強い。東(1994)は日本 は西欧化の過程で役割からの脱皮なしで近代化を遂げてきて,役割と個とを互いに独立のものとし て対置する必要もなかったと述べている。これは,森岡(1991)の「自発的役割人間」という考え方 も受けて,日本人は(一般論で)周りの期待を取り入れつつ,自分から進んでその期待された役割で 評価されようとするということである。
つまり,母親も子どもを生んだ女に期待される役割を自発的に取り入れて,その部分で評価(「い いお母さん」)されたいと思っていることは事実であろう。しかしその部分が自分の中で圧倒的な多 さを占めると,自分という人間の「母親以外の部分」が非常に過小に考えられてしまう危険性もあ る。実際期待された「役割」としての母親像がこれだけ鮮明にある日本では(『神のように愛を注 ぐ賢母像』,石川,1990,p.194),そのような母親になりきれないというストレスが,養育態度や行動 に影響をあたえるのではないだろうか。例えば,子育てグループの母親たちが,「よい母親」であ らねばという世間の風潮に対して,無理はストレスのもとでありリラックスして育児をしようと呼 びかける活動をしている(子育てネット,1995)。これはまさに,「いいお母さん」を期待され,そ の部分で評価されたいという母親の裏側の心理をついたものでもあろう。
第2の課題は,社会から期待される役割そのものに疑問を感じ,「母親」という部分への葛藤だけ ではなく,「自分をどのように生きるのか」という人生への総合的な視点を持つことにかかわって いる。この日本という国では,専業で母親をしている女性にどのような選択肢があるのであろうか。
また,子どもを持つ前には対等な関係を築いて(いると思って)きた夫婦関係において,自分だけが 子育ての全責任を負うという状況になったときなど,社会的な性役割規範への疑問,またそれに乗
っとって構造されている社会へのやるせなさ(柏木,1995b)のようなものを,どのように自分の中で 建設的に対処していけるのか,ということなどの要因もまた,自身の育児のあり方へも反映してい
くのではないだろうか。
男性と同じように教育を受け,仕事をしてきたのにもかかわらず,女性であるということだけで,
家事・育児を自動的にこなすことが期待されている。さらに,それが幸せであると男性が思っている 現実は確かに存在する。研究活動で家庭訪問をした時,お母さんが, 「育児の合間に以前から続け てきた翻訳の仕事を少しやることで,育児や家事もむしろ楽しめます」という話をして下さった。
しかし,このことを夫に伝えたら,「君は翻訳をやらなければ,家事・育児が楽しめないのか」と否 定的に取られ,自分の気持ちが全く伝わらないつらさを感じたと,コメントされていたのがとても 印象に残っている。
ここには,家父長制度の名残り的な状況がミックスされて存在している。現代の高等教育を受けて きており,自分の生き方を漠然と考えているにもかかわらず,母親役割にとらわれている女性自身 と,女は家事・育児でこそ幸せを感じ,それ以外の存在があるから家事・育児が楽しめるなどと考え れない男性。もちろん,全部の女性が同じような立場であるわけではないし,そこには程度の差が 存在するだろう。しかし,母親役割への迎合と自分の生き方への模索という2つの葛藤の程度は,育 児ストレスを高じる要因であることは確かなのである。そして,育児ストレスは場合によっては直 接的・間接的に子どもの心理発達へと影響するし,逆にある状況がそろえば子どもの心理状態へとは
それほど関連しないのである。
育児ストレスと子どもの心理状態
では,どのような状況下で,母親の育児ストレスや悩み・困難性というものは,子どもの発達へ関 連してくるのであろうか。ここでは筆者の2つの研究をもとに,育児ストレスと子どもの発達に関連 する要因を検討していく。育児ストレスは大きくわけると,子どもの発達・発育状態などが気になる
「子ストレス」と,親自身が感じる役割制約感や親としての自信の有無子どもができたことから 生じた家族(親族)関連の諸問題などを中心とする「親ストレス」から構成されている。これらのス
トレス状態は,質問紙によって測定された。また,先行研究などで指摘されているように(例えば,
Howes&Markmann,1989),夫婦関係の良好さが子どもの心理的な状態をよい方向で促進していくと いうことがある。そこで,夫婦関係の良好さのデータも質問紙によって収集した。また,子どもの 心理状態を表す指標として,母親との愛着の安定性を第3者による子どもの行動の観察から測定した。
愛着の安定性は,乳幼児期に養育者との間での育児様態によって子どもが自身の中に培っていく心 の土台であり,人格や社会性発達の基礎と考えられる(Ainsworth, Blehaf, Waters,&Wa11,1978)。それ が「より安定的」に築かれている場合には,子どもの後の社会的なコンピテンスや認知的な課題へ の取り組みなどが良好に関連してくることがわかっている(Jacobson, Edelstein,&Hofmann,1994;
Sloufe,1996)。ここでは特に,育児ストレスが強いことが直接的に子どもの心理状態へ関連するとい うよりも,夫婦関係などの肯定的な要素が緩和機能を果たし,そのようなサポート状態があるかな いかによって,育児ストレスと子どもの変数との関連が変わってくるという仮説を考えた。これら の指標・尺度をもとに,,1つはアメリカのワシントンDCとその近郊に一時的に居住している53組の 日本人家庭(父親の赴任に伴う)を中心にデータ収集をし(Nakagawa[Kazui】, Teti,&Lamb,1992),2 つめでは東京近郊に住んでいる48組の家族に同様な研究を行った(数井・無籐・園田,1996)。
アメリカ居住の日本人の子どもの平均年齢は2歳9ヶ月であった。子どもの具体的な行動や発達状 態への心配や懸念からくる子に関するストレスが高いと,その子の愛着の安定性が有意に低くなる
(不安定になる)傾向が強く,親としての拘束感やストレス感の高さは,傾向程度に子の愛着の不安 定化と連動していたことがわかった。しかし,夫婦関係の状態が育児ストレスと子どもの心理状態 との間で,交互作用をしていなかった。つまり,子どもにたいして成長や発育の悩みが強かったり,
子どもとの間での関係がうまくとれていないのではないかという不安が強い母親は,その子どもが 心理的に不安定な状態になっている確率が高い,という関連が見つかった。しかし,夫との関係状 態が特にそのような母子関係を緩和しているような結果は見られなかった。
しかし,東京で収集したデータから(子の平均年齢は3歳5ヶ月),親としての自分がどうである のかという部分(親として自信がない,自分の生き方を確立したい)からの親ストレスが高いと,子 どもの愛着の安定性が低くなるという結果がでて,子に関するストレスと愛着の変数は関連してい なかったばかりか,親ストレスの方が子ストレスよりも有意に高いという結果がでた。さらに,夫 との間での夫婦関係の状態が,親ストレスと子どもの愛着安定性との間に交互作用をしていた。つ まり,親であることのストレスが高い母親でも夫との関係が良好であると,子どもの心理状態が親 としてのストレスが低い母親と同じ程度に安定的であった。が,親ストレスも高く夫との関係も悪
いという状態で,子どもの愛着安定性が不安定化していた。
これら2つの結果から何が考えられるであろうか。まず,横断的なサンプルであることと,日本入 とはいえ1つはアメリカ1つは日本で収集されたデータであるという現状から,解釈には慎重さが求 められることを留意したい。そして,子どもの年齢が多少低めのアメリカでのサンプルは,子ども の世話を見なければならない状況が多いため,子どもの様子に気をより多く配りやすく,その点が
「子どもの成長や発達が気になる」というストレスへ荷担している可能性を考えることができるの ではないだろうか。ちょうど,「3歳までは母の手で」というような3歳児神話の時期にあてはまる 被験者が多かったため,母親も「自分」よりも「子ども」への関心が強いのかもしれない。
さらに,日米という文化差からの要因も考えられるかもしれない。データ収集中に,しばしば滞米 中の母親から聞いた感想では,「アメリカでの方が『母親業』を気楽にできるような気がする。」
というものがあった。ただ,「気楽」ということは実際の育児のルーティンのことではないことを 断っておきたい。アメリカであっても,日常の育児活動は日本でするのと大差がない。しかし,多 くの母親があげた「気楽さ」は何かというと,「母親役割期待」という社会レベルのコンセンサス が日本のように強くないという点である。具体的には,育児を点検されていない気楽さ,特に夫の 家族からの干渉のなさ,同じ母親同士の横並び意識のなさ,などをあげていた。つまり,「親役割 に関連するストレス」を感じさせられる機会が,日本においてよりも少ないことが考えられる。
そして,東京のサンプルで顕著になったことだが,子どもが成長し3歳半にもなって,ましてや幼 稚園。保育園へ通うようにでもなると,子どもが無事に成長した分,母親の意識は今まで以上に自分
自身へ向けられるのかもしれない。そのような時に,前述したような,自分であることと社会から 期待されている「母親」であることが,何かしら合いいれないと感じてしまうと,その部分からの ストレスが高まる可能性がある。そして,特に夫との関係がよくない状況で,子どもの心理状態へ 否定的に関連してくる様態がある(数井ら,1996)。つまり,文化・社会からの見えざる圧力として 存在する「母親役割期待」とひとりの人間としてどのように人生を送るのかという課題との葛藤に おいて,日本では特に顕著な育児ストレスが存在するのかもしれない。そこへ,パートナーである 夫からの理解のなさ,全体的な関係性での問題などがあると,親ストレスと夫婦関係不良状態が相
まって,子どもの心の土台の不安定化傾向をまねきやすくなる。
親のストレス・夫婦関係はどうして子どもの心理的状態を左右するのか?
以上の結果をみると,①アメリカに滞在中の日本人サンプルでは,子ども関連のストレスが高い と,その母親の子どもは心理的に不安定な状態となっている確率が高かったことと,②日本では,
母親の親としてのあり方に関するストレスが高くかつ夫婦関係が良好ではないと,子どもの心理状 態が不安定化していることがわかった。もちろん,片方は滞米中ということで,日本でふつう日常 的に暮らしている状態とは,様々な面で異なる可能性があり,それが家族それぞれのメンバーに与 える影響は国内でのものと,違いがあることも考えられる。変数間の相関のパターンがこのように 2つのサンプルでことなってきた理由の1つには,そのような背景もあるであろう。そこで,変数的 な差を超えて示唆されることを考えてみる。
この2つに共通な事柄は,つまりストレスが高いにしろ,夫婦関係が良好でないにしろ,そこから
は,「情動のネガティブ性」が高まるという事態が起こることが予想されることである。つまり,
親ストレスだけでなくとも,ストレス状態が高い時には「気分がすっきりしない」「物事を楽しめ ない」という心理的不快感,または,疾病を伴うというような全体的な心身状態の低下が体験され ることが報告されている(Lin&Ense1,1989)。さらに,夫婦関係を含む人間関係が良好でないときに も同様な心理状態,または心身状態が現れることがある(例えば,鈴木,1991)。つまり,母親の情 動的な状態が,「不快」方向でとどまっている状態であろう。このように「情動がネガティブ」で
あるということは,実際の育児行動において,子どもとの間でのやりとりの調子を狂わせ,子ども の要求に対して応答する際の敏感性,つまり子どもが出す信号の意味を正しく解釈することができ なくなる,などと深く関連していることがわかっている(Dix,1991;Maccoby,1980;Magai&
McFadden,1995)。そして,愛着理論が提唱するように,そのような敏感で応答的ではないかかわり は,養育者と子どもの間の愛着関係を不安定化する(Ainsworth, et a1.,1978)結果となり,これら2つ のサンプルでみられたような関連が,結果として出てきたと考えられる。つまり,家族の中の情動的 なバランスがどのようになっているのか,ということを規定する要因としての育児ストレスや夫婦 関係があるのではないか,と仮説される。実際対象は母親のみであるが,家庭における情動の表 出が,子どもの愛着形成とどのように関連をしているのかを検討したところ(数井,1996),特定の 子に対してではなく,家庭内において全体的に陰性感情よりも,肯定的な(快)感情の表現が多いと 答えた母親の子どもの方が,そのようなバランスが陰性感情側がより多く表現されている母親の子 どもよりも,愛着が安定的であることがわかった。これにさらに,「父子」という関係も加わるの で,つまりは「家庭における情緒的な風土」のあり方が,より肯定的感情側にバランスがとれてい る点が子どもの発達にとって重要であることが示唆される。
さいごに
日本では「母親」を強調する精神病理学的なアプローチや心理学的な研究が盛んに行われているに もかかわらず,もし,本当に母親が病原であるならば,それがどのようなプロセスを形成して子ど もへ影響するのかを,実証的に検証した研究はほとんどないのではないだろうか。「母親」という ことにしておけば,たいていのことが「つじつまが合う」という部分がかなりあったのではないだ ろうか。「母親」も人間であり,さまざまな影響を生育史の中や社会からも受け取ってきた上に,
子育てが成り立っているという視点を忘れてはならない。子どもが育っているのは,家族という「現 場」であり,母親一人が育てているのではないことも明確にすべきである。
子どもの,特に人格情緒,対人関係の発達を研究している研究者は,自分自身のなかにある「母 親幻想」を一度正確に把握すべきではないか,と考える。学問的なアプローチをしておきながら,
その中にながれているのは,母親幻想であってはどうしようもない。その学問的アプローチである が,1つアメリカの例を考えてみる。研究などからの知見が,アメリカにおいては,日常的な育児状 況へ日本のように,メディアなどを通じて「だからお母さんが大切なのだ」という形で循環してい
ることが少ないのである。例えば,恒吉(1994)がアメリカの育児出版物をベースにした育児観のレ ビューの中で,アメリカ政府刊行物のベストセラー育児小冊子1ψη∫Cα7εの1914年版から1989年番 までをランダムに追ってみたところ,1929年頃までは育児の担い手は母親として想定され,母親が
全責任を負って育児にあたるべきであるという示唆が見られた。しかし,1940年代には母親のみな らず父親も毎日子どもと遊ぶべきであるという記述が目立つようになる。さらに,1945年に入り父 親の育児参加の重要性がすでに説かれ,1980年版には父親の育児参加も当然視した記述となり,「性 役割意識に関してのアメリカ社会の変化を反映するような内容」(p.87)と恒吉は結んでいる。
つまり,子どもの発達を健康であれと願うのであれば,その子どもの成長に関係している全ての人 物がかかわり,関心を持つ必要があるのではないだろうか。母親が育児に対して全責任をおって担 っているからこそ,「育児ストレス」を父親よりもより高く味わっている状況である。つまり,そ のような状況では,情動のあり方も陰性感情に支配されやすい。なんとか,感情状態を肯定的な部 分が多少上回るような家族の雰囲気を保てるように,父親のみならず,社会的な協力が必要なので はないだろうか。その1歩として,過剰な「母親への期待」を減少させてはどうであろうか。
1)Bretherton(1992)はその論文のなかで,母子愛着関係を最初に理論化したボウルビーが,「母親や それに代わる養育者は」という書き方を以前よりしていたにもかかわらず,多くの母子関係研究者 が,その「それに代わる養育者」の部分を無視してきた歴史が,さらにいっそう,母子関係への固 着を生み出してきた,と論じている。
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