「 ヴ ォル ン ドの歌
」にみる円環詩法
水野 知昭
Ⅰ. 並置法 について
古英詩の特徴をなすヴァリエ‑ションについて、チ‑サー
・G・プロウダー は次のような定義を与えている。
幾っかの異なる単語を用いて、力点を置 く位置を多かれ少なかれ知覚 ・ 認識上移行させなが ら、同 じ意味概念や観念を表わす二重ないしは複合 的な陳述である。たとえばヴァリエーションのある一部は、他に比べて より一般的に、またはより特定的に想念を表示する場合があれば、また 別の一部 は、基本的には同 じ意味概念や観念を繰 り返 しなが らも、幾分 異なった側面を強調する手法をもって表示する場合 もある
。lしば しば引用される古典的な学説だが、このヴァリエーションの定義につい てスタンリー ・グリーンフィール ドは 「ある所定の語に対 して、見たところ並 置された " 異なる語群"が、はた して真に同 じ概念をあえて繰 り返 して陳述 し ているのか、あるいはそれとも、それ らの語群が一種の列挙 もしくは進展を示 す ものであるかは、実際のところ俄かには判断できかねる」、 と疑念を表明 し ている
。2 グリーンフィール ドによれば、並置された語句の意味内容が、時 と して 「 一般か ら特殊へ」移行 してゆく場合と、逆に 「 特殊か ら一般へ」進展 し てゆ く場合があるとされる
。3 盲英詩の特徴をなす
variation「変異」 または
apposition「 並置」 と呼ばれる、並列的な語群は、まさに一種の詩的技法であ
1ArthurG.Brodeur,TheATEOlBeowull(1959:U ofCaliforniaP,1971)40.2stanleyB.Greenfield,ThelntetpTetatl'onololdEtZglL'shPoems(Routledge
&KeganPaul,1972)64. IGreenfield,66.
り、 けっして同一概念を羅列的に指示する、単なる繰 り返 しではあるまい。以 下の論では、「 並置法」でこれを表記することに したい。
近年、 フレッド・ロビンソンは例えばっぎのような用例を提示することによっ て、並置法が詩歌の解釈上す こぶ る重要な 「暗示的な意味」を内包 している場 合がある、 と主張 している
。1(1)Nemeahtonwegelaeran leofnebeOden, riceshyrde raedだnlgne,
beethenegrette goldweardbone,...(Beowulf 3079‑81)5
私たちは、愛する主君にして、 王国の守護者なる方に対 し、
その黄金の守 り手 ( 竜)の方へは ゆめゆめ近寄 るなという、
いかなる忠告 も して差 しあげることが出来なか った、
イェーア ト王国を
50年間統治 したベ‑オウルフは、最期 は竜 と戦 って死を遂 げたが、その死を見届けた家臣ウィ‑イラーフの言糞である。「 黄金の守 り手」
は
300年の長 さにわたって海辺の塚穴にて美大な黄金を守護 し占有 してきた 竜をさ している。 そ して 「 愛する主君 にして、王国の守護者」 は、むろん逝去 したばか りのベーオウルフを指す並置法である。 ロビンソンによれば、 この並 置法 は 「 忠告する家臣がいたが、その説得に耳を傾けなか った王についての回 想」が基 になっているとされ、つ ぎのような意味を内包 しているとい う。 「主 君 は私 どもにとって愛すべき方であるので、竜 と一戦を交えないように願い出 たのだが、かの君 は王国の守護者 としての本分を堅持 され、 ( 命取 りとな る) 戦闘を敢行 されたのだ」 と
。6その解釈の是非 は別 として、並置法がこのように暗示的な意味を含み、ある
.FredC.Robinson,BeowuJlandtheApposltLlveStyle(UofTennesseeP,1985). 6Fr.Klaeber,ed.BeowullandtheFl'ghtoln'nnsbuL・g(1922:D.C.Heath,1950).以下の引用は本編著に拠る。
̀Robinson,4.
68
芸術的な効果を狙って詩人が意図 した技法であることが次第に明 らかになって きた。並匿法について、「 幾つかの異なる単語を用いて、 " 同 じ意味概念や観 忠"を表わす二重ないしは複合的な陳述」であるというA
.G.プロウダーが 与えた定義は、近年に進展 した文芸批評の見地からも、 もはや従うことができ な くなってきている。ちなみ
Fr.ロビンソン
(1979)は次のような定義を与 えている。
ある指示対象
(referent)を共有 し、ある. 単一 の文節
(clause)の中で 生起する統語論的に並置された語または語群をいう
。7Ⅱ. 「 封入型」の詩法
今か ら
65年以上 も前に、アデライン・ バー トレットは、全体で約
3万余行 に及ぶ盲英詩のコーパス全体について
、E・ジーフェルス以来、韻律に関す る 議論は数多 く提示されてきたが、詩歌の様式についての論議がほとんどなされ て こなかった、 という苦言を呈 している
。8 バー トレットが指摘 したよ うに、
舌英詩には、ある種の 「 修辞的な定型
」(rhetoricalpattern)が確かに認め ら れ、詩作の伝統 としてのある約定
(convention)に基づいた 「 詩節の区切 り」
(verseparagraph)
が存在 している。詩人たちは、「 単語や語句、 また詩行
(verse)のみならず、語群
(group)と " より大 きな思考の単位"
(thelarger thoughtunit)を注視 していた」とされる
。'叙事詩 「ベ‑オウルフJの中か らバー トレットがあげた幾つかの具体例を紹 介 しておくが、 まず 「 封入型
」(Envelopepattern)と呼ばれ る修辞法が認 め
られる箇所にここでは下線をほどこした。
FredC.Robinson,"TwoAspectsorVariationinOldEnglishPoetry"
(1979).In:TheTombolBeowullandothereSSSaySOnOldEnglL'sh.Ed.Fred C.Rpbinson(別ackwellPubl,1993)73.
AdelineC.Bartlett,TheLatget・Rheton'caJPattems)'nAnglo‑SaxonPoeETy (1935:rpt.AMSP,1966)3‑5.
Bartlett,5‑6.4
(2) Selrebibeghwa3m, beethehisfreondwrece, bonnehefelamurne. Ureだghwylcsceal endegebidan
woroldelifes; wyrcesebemote domes8erdeabe; bzZ!tbibdrihtguman
unlifgendum eefterselest.10 (Beowulf1384‑89)
何人にとっても、
多 くを嘆 くよりは その友のために復讐するのがより良きことだ。
我 らの誰 しも この世での生の
終 りに至 りつ くことになる ; 叶うことならば死ぬる前に 名誉を求めたさもの ; たとえ息絶えた後であって も 武人にとってはその事が 最 もす ぐれたものとなる。
怪物 グレンデルの母によって寵臣を殺された老王フロースガールが悲哀に満ち たスピーチをし、それに対 して若 き勇者ベ‑オウルフが 「 賢 さ君よ、お嘆き召 さるな」 と語 りかけて、発せ られた言葉である。「 我 らの誰 しも」 がやがては 死を迎えましょうが、いたず らに悲嘆に暮れるのではなく、まずは殺されたアッ シュへ レの死に報いることが肝心だと訴えている。友愛の士アッシュへ レのた めに 「 報復する
」(wrecan)ことは、戦士社会の一般的原理 に照 らせば、「何 人にとって も、より良 きことだ」と語 られ、「より良 き
」(selre)とい う比較級 の表現が、 引用の最終句では 「 武人にとってはその事が最 もす ぐれた もの
(selest)となる」 という最上級に転換されている。言い換えると、 ここで期 待されるべ き報復行為が、生 きているうちに 「 名誉
」(don)を勝 ち取 りたい
という願望に連結 されている。
確かにバー トレットが指摘 したように、上の詩節は全体として 「ひとつの枠
lOBartlett,ll.70
組み
」(asimpleframe)をなしており
、11 最初 と最後の下線部 は、 「用語上 の反響
」(verbalecho)をもって一種の繰 り返 し句として位置づけられる。 こ のように、始めと終 りの語句や文が、時には統語上の変容をきたしなが らも、
意味的な照合を有することによって、全体の詩節を包摂する修辞法を、バー ト レットは 「 封入型」 と称 したのである
。12仮にここで封入型の外枠にあたる繰 り返 し句をそれぞれ大文字 と小文字 の
[Ⅹ]
と
[Ⅹ]で表記 し、詩歌の意味内容を鍵括弧[ ]の中で表わせば、上 の詩節 はおおむね次のような連鎖になるだろうか。
[ Ⅹ]‑ [ 復讐]‑ [ 生の終 り :死]‑ [ 名誉]‑
[Ⅹ]上に述べたように、殺 された友の[ 復讐]をすることが、戦士社会での[ 名誉]の 獲得につながるのであれば、 この
2項 目は相互 に連関を有す るもの として、
[Y]
と
[y]で表記できるであろう。 そ うす ると、「この世の生 の終 り
」 (ende woroldeユifes)という誰にも避けられない意味項 目は、 まさに 「 生 と死」 と いう大 きな主題として、引用
(2)の詩節の中核に位置付 けられるように思える。以下では 「ひとっの枠組み」を形成する詩節の 「 中核をなす表現要素」を
【 Z ‑ Z】で表記することにしたい。
[ Ⅹ] ‑ [ Y]‑ 【
Z‑Z】‑
[y]‑
[Ⅹ]まるで 【
Z‑Z】を中核に置き、全体として円環の構造をな しているよ うに見 える。バー トレットは封入型の外枠に注視するあまりに、 ここでいう 「 中核を なす主題」 と全体としての円環構造に気づき得なかったようである。
llBartlett,12.
12Bartlett,9‑29.
Ⅱ . 円環構成の詩法
古英詩の特定詩節が、 しば しば円環構成の詩法に基づいていることについて は
H.W.トンズフェル トや
J.D.ナイルズによって指摘 されて きた
。11 た とえ ばナイルズは、 円環詩作法の好例 として rペ‑オウルフ」か ら次 の詩節を引用
している
.ll(3)Deem eaferawees JZBftercenned geongingeardllm
,
boneGodsende folcetofrofre; fyrenaearfeongeat, behieiZtrdrugon aldorlease langehwile; him baeSLiffrea.
wuldresWealdend woroldareforgeaf, Beowulfweesbreme ‑ blだdwidesprang‑
Scyldeseafera Scedelandum in. (Beowulf 12‑19)
かの君 に世継が 宮の内にあ って若 き王子が、
その後に生 まれた、 神がその子 を民 にとっての
慰め として送 りた もうたのだ。 とい うの も、民が長 い間 かつて主君 もな く忍 び耐えた、 その苦難を看取 されたか らだ。
命の王君 に して 栄光を司る主 は
その若君 に この世の栄誉を授 けたのだ。
シェデラン ドにて ‑ その名声 は広が りわたった‑
シュル ド王 の後継者 としての ベーオウルフは高名をはせたのだ。
バー トレッ トの方式を援用すれば、「かの君 に世継が生 まれた 」(
12)という、H.WardTonsfeldt
,
"RingStructureinBeowulJ:"Neophl'logus61(1977): 443‑52.Jolm D.Niles,
̀̀RingStructureandtheStructureofBeowulJ:''PMLA94(1979):924̲35.
JohnD.Niles,Beowulf:ThePoem andItsTradition(HarvardUP,1983)
152‑53.
72
最初の文章は、「シュル ド王の後継者」(
19)という最終部と対応 し、まざれ も なく 「 封入型」 に属する詩節である。 しか しそれにとどまらず、ナイルズによ れば、ベ‑オウルフという名のその王子が 「 宮の内にあって若 い」
(13)とい う語句 と、「 高名をはせた」(
18)という語句が対応 して内側で円環を形成する とされる。 さらにまた 「 神がその子を民にとっての慰めとして送 りたもうたの だ」(
13b‑14a)という言い回 しが、「命の王君 ( 神)が、 この世の栄誉を授 けた」(
16b‑17)とほとんど等価であるとされる。そして、「民が長い間かつ て主君 もな く忍 び耐えた」 という一文がこの詩節の 「中核」 (
kernel ) をなす と説いている
。L5このように詩歌の中のあるまとまった 「 詩連」 (
a series)において、最初の 要素 と最後の要素が 「 共鳴」 し、最初の要素に後続する次の要素が、最後の要 素に先行する要素と 「 共鳴」するといった体裁を もってお り、 いわば一種の
「 交差対句法」(
chiasticdesign)を成 していることが認められる。そして しばしば、 これ らの共鳴する要素が、当該の詩連の中で、「中心的な要素 と しての 役割 りを有するひとつの中核」を取 り巻 くように配列され、全体として[
ABC…X ...CBA]
という形式を有 している。 このような特徴が、 「円環詩法」 (
ring composition)と名づけられているのである
。16ここでナイルズが、相互の詩的要素が 「 共鳴する
」 (echo)とい う言 い方 を しているのは、彼自身 も参照文献にあげているように、 ジ ョン
・〇 ・ビーテ ィ の所論
(1934)に基づいている。1' そして周知のように、「円環詩法」は当初、
W ・ファン・オッテルロー
(1944)によって古代ギ リシアのホメーロスの叙事詩に認められることが指摘され
、18セ ドリク・ホィットマン
(1958)やスティーl
SNiles198 3
,152‑53. 1̀Niles,ibid.,152.r7John0.Beaty."TheEcho‑WordinBeowullwithA NoteonTheFinnsburg Fragment.''PMLA49(1934):365‑73.
1‑W.A.A.VanOtterlo
,
"UntersuchungentiberBegriff,Anwendung,undEntste‑ hungdergriechischenRingkomposition,"MededeIJngendet・Nedez11and‑scheAkademL'evanWetenschappen,n.S.7,no.3(Noord‑Hollandsche UitgeversMaatschappij,1944).
ヴ ン ・バ ー トマ ン
(1966)その他 によって、詩論が発展 して きた。1' その理 論 を古英詩 の詩作法 に適用 したのが
、70年代後半 の
H・ウォー ド・トンズフ ェ ル ドや
J・D・ナイル ズであ った。最近で は、 そ うした過去 の学史 をふ まえて、
ウォー ド・パー クスがホメー ロスの詩歌 と古英詩 rベーオウル フJ の詩作法 を 比較 し、 釦 また ジョゼ フ ・デー ンは、 ホメー ロスの詩歌 に関す る
40‑ 50年 代 の理論 が古英詩 に応用 され るにつれて、幾っかの定義上 の相異 と唆昧 さが生 じた ことを指摘 して いる
。21その他、特 にジ ョン
・M・フォ リーが、 ホメー ロ スや 「ベーオウル フ」 のみな らず、近代 のユー ゴス ラビアの口承詩 などにつ い ての先進 的な研究を行 な っている。 2 2
円環詩法 は、 ナイルズによれば、 ある特定 の短 い段落
(paragraph)のみ な らず、有機的に関連す る長 い詩節
(passage)や作品全体 に も認 め られ るという。2 3 彼が ここで 「作品全体」 とい った意味 は、rベーオ ウル フJ が語 りの全 体 の流 れ と して、次 のよ うな 「 規模 の大 きい対称性」を成 しているとい う主張 に基づ いている :
(A)「序」
、(B)「グレンデル との闘争」、(C)「宴会 での勝 利 の祝賀」
、(D)「グ レンデルの母 との闘争」、 (C)「宴 会 で の勝 利 の祝 賀」、
( B)「竜 との闘争」、 ( A)「終結
」。2.詩人 は、大 な り小 な りこのよ うな 「 形式化」 に深 く依存 して いたので、 「均 衡 と思考 の対称」 が ほとん ど彼にとっての 「 第二 の性」 にな っていたに相違 な い、 とナイルズは付言 している。 2 5 しか し
、J・デー ンが批判 した よ うに、 円 環詩作法を議論す る際 に、繰 り返 され るモチーフを 「 単語や語句」 にとどめ る
L'CedricWhitman,Homez・andtheHez・olcTTadLIEL'on(HarvardUP.1958).StephenBertman
,
"TheTelemachyandStructuralSymmetry, "
TAPA97 (1966):15‑27.SeeNiles1983.291.20WardParks
,
"RingStructureandNarrativeEmbeddinginHomerand Beowul/ ,
"Neuphl'lolog)'scheML'Etel'1ungen89(1988):237‑51.21JosephA.Dane,"TheNotionofRingCompositioninClassicalasn MedievalStudies,''NM94(1993):61‑67.
22JohnMilesFoley.TTadL'lL'onalOTa1Epl'C.・TheOdyssey,Beowull.at7dthe SeTbo‑CTOatL'anReturnSong(U ofCaliforniaP,1990).AlsoseeFoley. Homer'sTraditionalArt(PennsylvaniaStateUP.1999).
23Niles1983,153.
a.Niles19
8
3,157‑78.28Niles1983,153.
74
か、またはより広範囲に、複数の語句や主題にまで拡大するかという問題が依 然として唆味なままにされている
.2 6 また上記の引用
(3)について、ナイルズによって円環構成の
(B)に該当させ られた
"geongingeardum"「 宮 の内 にあって若き」( ナイルズ訳は 「その土地において若い
」)が、主語
eafora「 世 継」 と並置関係にあるのに対 して、詩節後半の要素
(B)とみなされた
"Beo‑Wulfwaョsbreme"
「ペーオウルフは高名をはせた」は、完結 した主文である。
J
・デーンは、 このように統語論の上で 「 異なる要素」 が 「共鳴 している」、
とはたして言えるのだろうかと疑問視 し、 2
7「ナイルズが同一 モチーフの ヴァ リアント ( 変異)として提示 した語句は、形式 と意味のいずれにおいて も同 じ ではなく、また統語的に等価ではない」 と述べて、その所論を槍玉にあげてい る。 2 8 確かにデーンが批判 したように、ナイルズの円環詩法に関する議論は、
しば しば語句の レベルを離れて、語 りの 「 主題
」 (thesis)や挿話の様式や全 体の粗筋にまで及んでいるので、「 共鳴 ・対応する要素」 の定義その ものが き わめて唆味になっていることは否めない。円環構成を論ずる際に、「共鳴す る 表現要素」は、 さしあたり語句 と文の レベルに留め置いたほうがよさそうであ
る。
Ⅳ. 「 入れ子型」の詩法
バー トレットが 「 封入型」 とみなした幾つかの詩節は、その外枠の内側に複 数の対応する要素が認められ、「 中核の主題」を取 り巻 く円環構造をな してい
る。その事をバー トレットが掲げた詩節を引いて再度検証 してみよう
。29(4)Dryhtseledynede; Denum eallum weard, ceasterbuendum, cenragewhylcum,
26Dane,62. 27Dane,67. 28Dane.62. 2'Bartlett.9.
eorlum ealuscerwen. YrrewaerOnbegen,
reberenweardas. Recedhlynsode. (Beowulf767‑70)
戦士の館が響 きわたった ; デネのすべての人に、
城郭の内に住む者たちに、 勇猛なおのおの方に、
武人にすさまじさ戦懐が走 った。館の支配をめ ぐり激 しく争 う者たち、
その両雄には憤怒の情が湧 き立 った。 建物が鳴動 した。
イェーア ト ( 南西 スウェーデン)出身のペーオウルフが、デネ国 ( デンマーク) の王館にて怪物 グレンデルと激闘を繰 り広げる場面であり、「館の支配をめ ぐ り激 しく争 う者たち」は、その両雄をさしている。「デネのすべての人」から、
「 城郭の内に住む者たち」 、「 勇猛なおのおの方」 、そして 「 武人」の用語にいた るまでは、すべて複数与格形をとっていて、 ほぼ同一の意味内容の繰 り返 しで あり、一般にヴァリエーションまたは並置法
(apposition)と呼ばれる詩的技 法である。 しか しフレッド・ロビンソンが例証 しているように、盲英詩の特徴 をなす並置法は、けっして意味のない繰 り返 しではありえない。先述 したよう に、 スタンリー ・グリーンフィール ドによれば、並置された語句の意味内容が、
「 一般か ら特殊へ」移行 してゆ く場合と、逆に 「 特殊か ら一般へ」進展 してゆ く場合があるとされる。 3 ' グリーンフィール ドによれば、 たとえば前者 は、
「 武器
」〜「 武具
」〜「 剣
」〜「 鎧」の順番に詩語が並置 された例 に認め られ ( r ベーオウルフ
J139140行) 、後者の例は、「 彼 ら (フリージアにいたデネ の戦士たち)は海の路をわたり、気高 さ女性 ( 異国に嫁いだヒルデプルフ)を、
デネ人の もとへ、( 彼女が慕 う)民のもとへと導いていった
」(1158‑59)とい う詩文において、「デネ人
」〜「 彼女の民」の並置関係に認め られるとされる。
ただ し、後者の並置法は 「 特殊か ら一般へ」の好例であるとは必ず しも言えな い。
30Greenfield,66.
76
いずれにせよ、その視点をここで適用すれば、上の詩節
(4)のヴァリエーションは、「デネのすべての人」 という 「 一般
」 (general ) か ら、次第 に集団 の概念が限定され、「 貴なる武人」にいたるまで、「 特殊
」(specific)に移行 し ているように思える。類似 した意味内容を有 しなが ら、語句を多様に重ねてゆ く並置法においてt後続する語句が 「 特殊性」を増 している場合には、ある種 のクライマ ックスに向かう意識が働いている、 とも説かれている
。31上の四つ の複合的な並置法にも同 じ事がいえるか もしれない。複合語
ceaster‑buendの 罪‑要素は、 ラテン語
castra「 宿営地
」(Castrum「 城」の複数形) か らの借 用語の可能性が高いので、「 城郭の内に住むもの」 という訳語を与えた。「デネ 人」 という一般語に比 して、空間的にも局限された集B] 概念である。それか ら
「 勇猛なおのおの方」 となると、特定の戦士集団をさし、 さらに限定 されて く る。並置された語句の最後にくるものが
eorl「 貴なる武人」であって、本来 な らば怪物グレンデルの襲来に際 してはその戟関に参ずべき者たちであった。 と ころが、戦士のあるべき姿とは裏腹に、 これ らすべての者たちは恐怖におのの くばか りであったと見える。 これ らの人々に一様に走 った 「 戦債」 と 「 恐怖」
は、対立する勇者と怪物が等 区り立て られている 「 憤怒の情」 と好対照をなして いる。
こうして四つの表現要素が 「 一般か ら特殊へ」の方向性をもって並置されて いるのを見ていると、ちょうどビデオ・ カメラのアングルが、全体を映 し出す 広角か ら、特定の被写体にフォーカスを絞 ってゆくような印象を覚える。 これ ら 「デネの人々」の大集団を、城郭内の周縁部から、次第に中央部の館にいる 特定の少数 グループに視点が転 じられているが、彼 らはみな 「 恐怖」に怯える 人ばかりである。そのカメラのアングルが最終的には、「 館の支配をめ ぐり激 しく争 う者たち」すなわち
begen「 両雄」 と呼ばれて、ほとん ど対等関係 に置 かれたベーオウルフと怪物グレンデルの争闘に、焦点が絞 られていっている。
31Greenfield,66‑67.
詩節の最初 と最後に、ヘオロト ( 「 鹿」の意)という名の館が、両雄の激闘 によって 「 ふるえ轟 く」 ことを表わす文章が置かれ、全体を包摂する枠組みを 形成 していると言える。 まさしく 「 封入型」の技法である。詩節
(4)について、置かれた表現要素の配列を表記すれば、つぎのようになる。
lA]
‑ [ デネの人々]‑ [ 戦懐 ・恐怖]‑ [ 憤怒]‑ [ 両雄]
‑ la〕封入型の外枠の
[A]と
[a]を除 き、枠組みの内側で対照的な意味内容 を有す る ものを、それぞれ
Bと
Cの大文字と小文字で記号化 してみれば、詩節
(4)で は、 [ 恐怖 と憤怒]の情緒表現が 【中核の主題】を成 しているように思われる。
[A]
‑
lB]‑ 【
Ⅹ‑Ⅹ】‑
[b]‑
[a]「 生 と死」を 【 中核の主題】 としていた詩節
(2)と、詩節 (4)は構造上一致 している。「 封入型」の名称では、詩節の外枠の
[A]‑[a]の対応をさすの みであり、その内部連関が無視されて しまう。先述 したように、詩節の全体 と しての語句の配列が意味内容の上で円環構造をなしており、「 入 れ子型」 の詩 法と命名 した方がふさわ しい。ただし、 【 恐怖 と憤怒】が詩節の中核をなして いると説いて も、異論の提示される怖れがあるので、いささか補足的な説明を 要するだろうか。
Ⅴ . 恐怖 と憤怒の心情
ある意味では当然だが、戟閲の直前または戦闘中の 「 激 しい心情」 は
、yrre「 激憤 した」
、yrre‑mod「 憤然 として」あるいは
grim「 怒 り猛 って」 その他の 語で表わされた。たとえば激闘中のベ‑オウルフについて
yrreoretta「 怒れ る戦士
」(1532)という呼称が与え られているが、その宿敵 グレンデル も
yrre‑ mod「 憤然 と」進んできたとか
(726)、yrre「 憤怒 に燃えて
」 (2073)襲来 し
7 8
てきたと記 されている。第二の散であるグレンデルの母について も、侵入 して きたベーオウルフを待ち構えて
、grim ondgraedig「憤怒 に猛 り立 ち」 館 を 支配するものとして措かれている。同様に、第三の宿敵 となった竜は
yrre「激 怒 して
」(2669)攻撃 し
、heabo‑grim「 猛然と闘志に駆 られて
」 (2691 ) ペーオ
ウルフの首筋を噛んだ、 と表現されている。
引用
(4)では、「館の支配をめ ぐり激 しく争 う者たち」という語句は、ベー オウルフとグレンデルの 「 双方
」(begen)をさ してお り、 いわば怪物 と勇者 は 「 怒れる両雄」として同化されている。デンマークの王館 へオロ トは、「か かる怒れる者同志が激闘するところである
」(777)という表現 も見える。
すでに拙論で も紹介 したが、ハ ンブルグの司教アダム ・フォン・ブレーメン
(1070年頃)が書 き著 した、
"Wodan,idestfuror"「ウォーダン、 それ は
" 憤怒"なり」という言葉は有名である。「 かれは戦いをけしかけ、敵を前 に し て人に勇気を吹き込む」ということばがこれに続 く
。3 2 むろん ラテ ン名
Wodanは北欧神話の主神オージンに対応 し、オージンの代表的な特性がここではラテ ン語
furorの一語で表記 されているのである。戦闘において戦士 を奮 い立 たせ る勇気 は、 オージンの神威が, 憑依 した
furor「 憤怒;激憤」 にその根源があ る とみなされたのだろう。それは散をなぎ倒す「 荒々 しい激情」である
。Yggrは 剣にて宛れた死者を受け取るオージンの別名であるが、「 戦懐 させる者」 を意 味 していた ( 水野
1998)。 3 3
オージンの神名そのものも
ddrと関連づけることが一般的だが、
dbrは名詞 では 「 狂操状態;激情;詩作;詩歌」 を意味 し、形容詞では 「荒れた;猛 り 立っ;恐るべき」を意味 し、「 風、梅波、火などの高揚 した、素早い運動状態」
を表わ した。 3 4 あわせてオージンが蜜酒の神であることを考えると
、「dbrを持 つ
」(dbanhafa)ことが「 正体を失 うほどの甑町状態 にある」ことを意味 してい
92E.0.G.Turville‑Petre,MythandRell'gl'onoltheNorth(GreenwoodP,1964)244
.
3 3水野知昭
,「 荒ぶる軍勢を統べる神オージン
」r荒猟師伝承の東西」所収,篠田知和基
(編),(名古屋大学文学部1998):85‑93;89.た ことは注 目に値す る(「ア トリの歌
」40)。 ヤ ン ・ドゥ ・フ リースによれば、
この表現 は 「 神 の力が膿依 した状態」 を さ していた
.3 5 従来68r の同系語 と し て ゴー ト語
wobSや古英語
wod,また関連語嚢 と して、 ラテ ン語
vates「詩人 ;予言者」、古 アイル ラン ド語
faith「詩人」お よび ドイツ語Wut「 憤怒」 な どが掲 げ られて きた。特筆すべ きことに、 ゴー ト語 のwobs「荒 れ狂 った ; ( 悪 魔 に) と り退 か れ た」 が ギ リシ ア語 の
daimonizomenos/daimonistheis「 霊力 の患依 した状態(
daimonios)」 の訳語 として用 い られている(
rゴー ト語 聖書J マル コ伝Ⅴ
,15&18). 3 S いずれにせ よ、 シャーマ ン、予言者、 そ して 詩人 たちの 「 神懸か り」 した極度 の 「 狂操状態」 をさ した ことば と見 られる。
なお ここで は詳述 しないが、北欧 の異教信仰 の基底 に シャーマニズムの特徴が 認 め られ ることについて は
、D.ス トレムペ ックや
P・プー フホル ツな どの研 究
に詳 しい
。3 7その簡略 な説明につ いて は拙著を参照 されたい ( 水野2
002)。 3 8 さて こうしてみ ると、戦闘 にお ける 「 恐怖」 と 「 憤激」 の心情 は、 まさに表 裏一体であ り、生 と死 を左右 す る戦場 にて、戦士 たちがその時 にいずれの心情 に等 区られ るか は、 つ ぎの記述 にあ るよ うにオー ジンの神意 その ものに関わ って いる、 と考え られていたようであ る。
オー ジンは戟 いにおいて散を盲や聾 に し、 または恐怖 に陥れ ることがで き た。 それで彼 らの武器はなま くらにな り杖 ほどの効力 さえ も失 った。 しか るにオー ジンにつ き従 う者たちは鎧 も着 けず に突 き進 み、 まるで犬や狼 の よ うに荒 れ狂 い(
galnir)、敵 の楯を喰い破 り、熊 や野生 の牛 のよ うに狂暴
34JamdeVries,
"ContributionstotheStudyofOthinespeciallyinHisRelationtoAgriculturalPracticesinModernPopularLore,"FFCom.94 (1931):3‑79;31.
36DeVries,30
‑
31
.38w.Streitberg,hrsg.I)ieGotischeBibel(CarlWinter,1971).
37DagStromback,SeJ'dITextstudl'erl'noTdl'skTeh'glonshl'ston'&.Nordiska texterochundersokningar(Lund:CarlBlom,1935).PeterBuchholz.
"Shamanism:theTestimonyofOldIcelandicLiteraryTradition,''Medie‑ valScandllnavl'a4(1971):7‑20.
3‑水野知昭 r生 と死の北欧神話Jl(松柏杜,2002)82. 80
になった.彼 らは敵勢の殺教をほしいままにし、火や鉄 もそれを阻むこと は出来なかった。 これはベルゼルク( 狂暴戦士)の怒 り
(berserksgangr)と 呼ばれている。 (「ユングリンガ・ サガ
」 6章)39オージンはその神意に叶わぬ敵勢を
dttafullr「 恐怖 に陥れる」ことがで きたと される。それに対 して
、bansmen「オージンに付 き従 う者たち」 、すなわちそ の神意に叶 う者たちは、いわば
「Odinnが司る、まさ
にdbr(憤激)の心情 に取 り退かれた者たち」であった。その者たちの 「 荒れ狂 う」 さまを表 したことば が
gallr「 荒ぶる
」(OSw.gall「 叫び;騒音」)であった。 オージンの別名 と して
Omi「 呪え猛る者:額々しい者」という名称があることも、基本的には同 じ着想か ら来ているだろう。当然のことなが ら、 戦士たちの 「荒れ狂 う」 状態 は永続的なものではなく、一方ではそれを 「 鎮める」機能 もなければならない。
拙論でも詳述 したが、つぎの一節はそうしたオージンの二面性を表 していると みられる ( 水野
1998)。 一 〇
かれ( オージン)が友輩 とともにあるときは、その容貌は実に美 しく気高 く、
誰 しも心が浮き立つばか りであった。 しかるに戦争の場に居合わせると、
かれの散には凄まじい戦懐を与える
(grimligr)者として映 った。
(
「ユ ングリンガ ・サガ
」 6章)さて、「 入れ子型」の構造を有する引用
(4)において、 その中核 に 【恐怖 ( 戦懐)と憤怒】の表現要素が置かれていたことは、これで充分に納得がゆ く であろうか。北欧神話のオージンは、 ア ングロ ・サクソン人 の問では
Wodenと呼ばれていたことは、典型的には英語の
Wednesday 「Wodenの日」 の週 日
39BjarniAbalbjarnarson,ed.Hel'mskrlnglaIIslenzkFornrit26(lslenzk Fornrit,1941).