Ts.ローホーズ : 追放を生き抜いた政治家
雑誌名 国立民族学博物館調査報告
巻 71
ページ 11‑156
発行年 2007‑08‑28
URL http://doi.org/10.15021/00001399
Ts.ローホーズ
― 追放を生き抜いた政治家
解説
1 1930年代のモンゴル 2 小学校時代
3 ウランバートルの生活 4 党幹部学校へ進学 5 党中央委員会講師局 6 ツェデンバルとの関係 7 ソ連留学
8 マルクス・レーニン主義室 9 ゴビアルタイ県にて 10 国営農場管理局長に
11 学位取得をめざして 12 ツェデンバルへの批判 13 党中央委員会第 6 回総会にて 14 私生活
15 未開地開墾事業 16 私たちの正義 17 反逆者として 18 モンゴルの伝統技術 19 刑務所での生活
20 20年後のツェデンバルの更迭 21 民主化以降
解説
国立民族学博物館調査報告 SER 41号(日本語版)および SER 42号(モンゴル語版)
やその普及版とも言うべき 『モンゴルの二十世紀―社会主義を生きた人びとの証言』 (中 央公論社)では,社会主義時代に農業部門を担った政治家として Sh. ゴンガードルジ氏 に対するインタビューを掲載した。そのインタビューにおいて, Sh. ゴンガードルジ氏 の恐い上司として登場するのが Ts. ローホーズ氏である。
モンゴル高原では,その縁辺部や水利の便のよい一部の地域において農耕が行われて きたけれども,国家経済を担う 1 分野として本格的に農業部門が確立されたのは20世 紀後半である。言い換えれば,農業部門の確立は,社会主義時代の主要な経済目標の 1 つであった。 Ts. ローホーズこそは,この部門の設立史をひもとくにあたってもっと も重要なキーパーソンである。
それゆえに私は彼との面会を強く希望していたが,先述の Sh. ゴンガードルジ氏にイ ンタビューを行った2001年 8 月の時点では, Ts. ローホーズ氏との連絡がつかず,また 体調が悪いとの噂を聞き,ひとたび断念した。そして,当時,農業専門家として JICA から派遣されていた鈴木由紀夫氏に彼とのインタビューを託した。その後,鈴木氏が 行ったインタビューは 『モンゴル研究 ・ 日本モンゴル学会紀要』 に掲載されている。もっ ぱら農業推進に関する聞き取り調査の結果が示されている。
また彼はしばしば TV 番組にも登場するようになった。社会主義時代に30年余にわ
たって追放されていたことが民主系の TV 局によって取り上げられたのである。それゆ
えに,番組では往々にして,偽装離婚しなければならなかったなど党からの除名や地方
追放の悲惨さにもっぱら焦点がしぼられていた。そうしたエピソードも興味深いが,よ り重要なのは彼の特異な人生経験を,当時の社会の反映として包括的に理解することで あろう。
そこで,2005年 6 月 8 日と10日の 2 日間にわたって長時間のインタビューを行った。
さらに,2005年11月には来日していただき,国立民族学博物館においてモンゴル現代 史に興味をもつ人びとに公開しつつ,その語りを聞いた。モンゴルおよび日本における これらのインタビューはのべ20時間に及ぶ。あまりに長いため,言及されている時代 が前後する場合には,部分的に順序を入れ替えるなどして語りのテキストを再構成し た。したがって, 本書のテキストは語られたままではない。時間にかかわる順序の入れ 替えを含めてここに掲載する全文について, Ts. ローホーズ氏自身から承諾を得ている。
Ts. ローホーズ氏は1964年のモンゴル人民革命党中央委員会第 6 回総会において,
Y. ツェデンバル書記長をはげしく批判し,その結果,地方へ追放され,また監獄生活 も余儀なくされた。そうした追放生活は1984年の Y. ツェデンバルの解任まで続く。す なわち20年にわたって辛酸を舐めたのである。新しい政治体制が胎動したとき,彼は 初代大統領候補に推薦されたものの,高齢を理由に辞退した。現在,彼は自宅に工房を もうけて多様な工芸品等の製造と販売に従事している。現在を自力で生きている彼に は,自らの過去を回想記としてしるす意思は当面なさそうである。したがって,このイ ンタビューはきわめて貴重な歴史証言になっている。
彼らの政治闘争が, Y. ツェデンバル書記長による独裁体制への批判であったことは 明白である。批判の根拠として,人材登用方法などについても言及されていたが,全国 の国営農場の経営に対して責任を持ち,また黒字経営を果たすことのできる能力を有し ていた彼にとって,もっとも問題視すべきは国家の経営であった。社会主義下における 飛躍的な経済発展がひとたび鈍化の兆しを見せ始めていた頃である。また,それまでの 飛躍的発展にも国際的な負債という大きな落とし穴のあることがもはや明らかになって いた時である。中ソ対立のあおりをうけ,モンゴルはソ連への従属性をいっそう高めて いくことになった時期である。
なぜ,社会主義体制のもとで経済がうまく展開しなかったのだろうかという問いに対
して,彼の追放生活は 1 つの回答を提供しているように思われる。意外にも,彼の追
放生活は十分に楽しく,かつまた裕福になる道でもあった。彼が追放されているあいだ
にしていたことごとは,すべて禁じられていた経済活動である。言い換えれば,そうし
た創意工夫に満ちた経済活動を禁じていたのが社会主義だったのである。社会主義を生
きる人びとにとって日常的な経済生活とは何であったかがこの語りによって「反証」さ
れていると言えよう。それは同時に,農業や牧畜業の社会化を果たした道のりについ
て,その成果とともにその失敗原因をも明らかにしてくれる。
文 献
鈴木由紀夫
2005 「モンゴル社会主義の証人・ローホーズ氏へのインタビュー」『日本モンゴル学会紀要』53
号,87 97頁,日本モンゴル学会。