4
章 社会的身体1
節 問題の所在‑社会的身体の視角‑猪山 勝利
現代の人間 ・社会問題 として,身体問題が大 きな問題 となっている。脳死問 題などの身体の根源にかかわる生死問題,病気問題,健康問題などの生理 ・生 化学的問題か ら,薬物身体問題,性問題,心身症,仮想現実的身体問題,過労 死問題など種々の身体問題が社会問題化 している
1 )。
本稿 は,種々の身体問題 の うち 「社会的身体」問題にかん して考察す ることを目的としている0考察を加え る前 に,論議の前提 と して
2
つの ことについて,触れてお きた い。1
つは,「身体」 とい うカテ ゴ リーを どのよ うに把握す るかである。
「身 体」カテ ゴ リーについて は,種 々の論議が あ るが, ここで は( a
,「肉体」性,
b
,「身体」性, C,「身 《錯綜体》2 ) J)
とい う身体把握視角の うち,筆者 はbの身体性 として身体を考察 してい く。 身体を このように把握す るのは,身 体論の基底をなす 「精神 と身体」問題 に関 して,近代主義的2
元論のように精 神 と切 り離 した身 《体》一肉体性把握で もな く,心身 1元 (心身‑如)論の視 角を取 る。 しか し,身体を 「身 《錯綜体》」ととらえる精神優位的な 《身》体 性把握で もな く,精神 との連環性を根源にふまえた 《身体》性把握の視角に立 つか らである。2
つは,現代の身体問題 には, 「個体」 としての身体把握では対応できない 問題が種々生 じてお り, この種の身体問題の研究が進む中で,身体を 「個体」として把握す るのではな く,「間身体」 として把握 しよ うとす る視点が進展 し ている3)。筆者 も,対他 ・対 日的身体性を重視す る視点か ら 「間身体」的視角 を前提 として論議 していきたい。
ところで,現代の身体問題を把握 してい くと,あ らためて身体の総合的構造 について再把握する必要 にせま られる。身体を 《身》 として,総合的に把握 L
と把握す る視点を提起 してお り,身体総合学 ともいえる論を構築 している。筆 者 は,市川浩の総合的身体構造論に学びつつ も,哲学 としての視角ではな く, 現実的身体機能論の視角か ら 「身体の諸相」構造を提起 したい。
筆者 は,身体機能論の視角か ら,身体の諸相を以下の
6
層に類別 して把握す る。( 1)
生理的身体相( 2 )
運動的身体相( 3)
生産的身体相( 4)
生活的身体相( 5)
文化的身体相( 6)
社会的身体相身体機能論の視角か ら,身体の機能構造を
6
の相 に類別することについては 詳細な検討が必要であるが,その構造論については別稿にゆず り, ここでは筆 者が当面の課題 に している 「社会的身体相」について,一応の概念づけを して おきたい。「社会的身体相」 とは, 「人間の身体柏の うち,『間身体』 として,対地関 係 ・行為において能動的,受動的に生 じる対他 ・対 日的身体相の ことであ り, 当人が属す る社会共同集団 ・組織の在 り方 と相互規定す る身体相である。 この 身体相の具体的態様 としては,コ ミュニケーション行為,性関係行為,人間関 係行為,集団 ・組織参加行為などが含 まれる。」なお,「社会的身体」 という用 語 については,「ある特定の文化 において意識 され る身体であ り,社会 システ ムの要請 による整合性か ら生 じる」脳化身体 という独 自概念を提起 している養 老孟司 も,「脳化身体を社会的身体 とい うべ きか もしれない」 と問題提起 して
いる5).
ところで,生理的身体相,運動的身体相,文化的身体相の身体問題 は,身体 と精神の相関問題まで含めて,今 までかな りの研究がなされている。 しか し, 生産的身体相,生活的身体相,社会的身体相については,現代において多 くの 身体問題が発生 しているにもかかわ らず,身体問題 としては(1)や
( 2 )
の身体性の 適用論議 に終始 しがちであった。現代の身体問題を総合的に明 らかに してい く4 章 社会的身体
には,それ らの各相の身体問題 は独自領域の研究課題 として設定される必要が あ り,本稿は
,( 6)
の社会的身体問題について,若干の問題提起をするものである。
2節 「閉 じた」身体
1.
「閉 じた」身体状態本稿 は, 「社会的身体相」の身体問題について論 じることを主 としてこども の身体問題を題材に把握 したい。 こどもの身体その ものについては,本書別稿 の小原論文で論 じられているので,参照 していただき,本稿ではこどもの身体 を題材に現代の社会的身体問題を論 じてい くこととしたい。
まず,筆者が社会的身体相について強い関心を抱いた動機について記 してお きたい。社会的身体に関心をもったは じめは
,1 9 7 0
年代にはいって,高校の生 活指導研究の場であった。高校生活指導研究の重要な課題のひとつは,生徒が 自主的,自治的に集団づ くりをすることによって,友人関係や社会関係を形成 す ることを支援 ・指導することにあるが,1 9 7 0
年代以前 は支援 ・指導の内容は 自治的集団づ くりの意義 と集団組織化の方法を支援 ・指導すればよかったので ある。 しか し,1 9 7 0
年代になって,集団の意義や集団組織化の方法を学習 し, 集団活動を しても集団活動は形式的な参加活動にとどまり,友人関係や自治的 社会関係を主体的に形成す ることが弱体化 し,そのため集団自体が形式化 して い くという研究報告が提出されるようにな り,教師の支援や指導方法以前の生 徒の問題状況の分析の必要に迫 られたことが,筆者が社会的身体問題に出会 っ たきっかけであった。当時,すでに生徒の身体の生理的問題や運動的問題については,種 々の問題 提起がなされはじめていた5㌔ すなわち, こどもの成人病などの発生や身長な どの体格は大 きくなったが体力は低下 したなどの身体諸問題の発生である。 そ のよ うな こどもの生理的問題や運動 ・体力問題の発生 とともに,「社会的身 体」問題が発生 していたのである。すなわち,「閉 じた身体」 と総称 される問 題である。
「閉 じた身体」 とは,「触れ合えぬ体」,「出会えぬ体」,「離れてい く体」な
いるが,俗に身体がついていけない身体問題の発生である。つまり,対他関係 において 「社会的身体」意欲はもちなが ら,実際の関係場面では身体が関係を 防衛 した り,拒否す る身体状態である。 このような身体状態が学校の生活指導 (教育課程の正式名 は 「特別活動
」 )
の場面に出現 してきたのである。 したが っ て,上記 したように生活指導における生徒の主体的集団組織化や参加が弱体なものになっていたのである。
こどもや青年の演劇指導において 「閉 じた身体」を問題視 した竹内敏晴は, こどもや青年 だけでな く教師など成人 に も同様な身体状態があることを指摘 し,そのような主体 としての身体の喪失状態である 「社会的身体」問題 はこど もだけでな く現代人の身体問題 として把握す ることを問題提起 している8)。 こ のような身体状態について,現代の大 きな身体問題 と して指摘 した論者 とし て,三橋修がいる。 三橋修 は,筆者の類別では生産的身体問題を主軸 として運 動的身体,生活的身体,社会的身体を中心に現代の身体問題を総合的に分析 し
ているが,身体問題の把握を 「身体 とは,社会的な ものの関係の中でつ くられ てい く9)」とす る視角か ら身体問題をとらえ,現代の身体問題の特質を総称 して
「期べない身体」 として特質づける。三橋は,竹内の 「閉 じた身体」よりもラ ジカルに把握 し,現代の社会的身体を 「個々の身体が消去され,情報単位」と な ってお り, 「徹底 して『孤独』な身体 となっている」いると指摘 している
1 0)
。 このような社会的身体状態は,現代 コ ミュニケーションの特質 として指摘 され る 「コ ミュニケーシ ョン疎外」状況 と極めて類似 している11)。そのような身体の対他関係状態は,対 日状態 として自己の身体を主体 として 把握できず, 自己の身体をモノ化 し,客体化す る身体意識を もち,他者のまな
ざ しに適応す る社会的身体 として身体を操作す る身体状態 となるのである。
2.
「閉 じた身体」の規定要因つ ぎに,上記 したような 「閉 じた身体」身体状態を規定 している現代的要因 について述べてみたい。
現代的要因 として,社会的身体 は生理的身体や運動的身体が生得的な要素が 強いのにたい し,生得的要素は低位であり,発達的要素 は高いので,まず こど
もの社会的身体の発達に焦点をあてて規定要因について把握 してみたい。
4 章 社会的身体
こどもの 「閉 じたか らだ」状態を規定す る要因 として,とくに3つの要因を あげることができよう
。 1
つは,遊びをとお したこどもの社会的身体関係づ くりである。 この点について,総合的なこども調査をふまえて,深谷昌志は 「現 代 もこどもの遊びは喪失 していないが, 『群れ』か ら 『孤独』へ,『活動型』
か ら 『静止型』へ,そ して 『自発』か ら 『受身』へ と変質 している
1 2) 」
と指摘 している。 このようなこども間の自主的な遊びの変質は,こどもの 「間身体」体験の弱体化を促進 している現代的要因である。
2
つは,生活,社会関係体験による社会的身体づ くりである。 この点につい て,竹内は地域共同体におけるこどもの社会的任務をとお した 『共生態として の こどものか らだ』学習の喪失をあげている。筆者 らもこどもの生活体験学習 実践の研究か ら,現代の こどもの問題状態 として地域におけるこどもの役割喪 失 と他世代 との社会関係体験の喪失が大きな要因であることを指摘 した1 3)
03
つは,いわゆる 「仮想現実的体験」(
バーチャル ・リア リティ)による社会 的身体への規定要因である。現代のこどもは,生活や地域での直接体験の弱体 化 と逆比例 して,テ レビ, ビデオ,ラジオ,マガジン,コミックなどの視聴体 験や電話,パ ソコンデの通信体験の比重が高まってお り,「身体なき器官1 4) 」
化 とさえ指摘 される身体状態である。
上記 したこどもの現代の社会的身体状態は, こどもにだけ限定 されず大人に も共通する現代の社会的身体状態であるが,現代の社会的身体問題を規定する 基底要因として,つ ぎの 2点はこどもか ら大人にまで共通する社会的要因であ る。すべての社会的身体を規定 している要因 として,社会 システムの管理化が ある。言 うまで もな く,社会 システムの管理化 とは,労働や学校教育が労働者 や学習者の主体的な自己管理下にな く,主導的決定権は管理層にあ り,労働者 や学習者は操作対象 として競争 させれ,管理 される社会 システムによる管理化 の ことである。 三橋 も指摘するように,管理 される身体 は管理 システムに適合 す るために, 自分の身体を操作可能な もの とす るため,操作物 としてモノ化 し,主体的身体は疎外 され,徹底的に 「孤独化」する身体である
1 5 )
。 このよう な社会的身体は,会社人問,学校化人間として企業や学校化外の時間の身体をも規定するのであり,現代の社会的身体の基底要因 となっている。
2つは,創 り,参画する身体を否定 しがちな消費生活の進展である。遊びや
生活領域において,受け身の消費生活が拡大 していることである。こどもの家 庭や地域での直接体験が喪失 しているだけでな く,大人の生活や遊びも身体を 能動的に動かす創造体験が弱体化 しており,そのことはこどもや大人の身体を 受 け身にす るだけでな く,『個化』 している。 この ことは,社会的身体づ くり の原点 ともいうべき 『間柄』関係をつ くる性関係や家族の人間関係を も規定 し てお り,地域の共有身体体験の場 とされていた祭 りもイベ ン ト化す ることに
よって能動的身体体験が弱体化 している
1 6)
。近年は,さらに上記 した 「仮想現 実体験」の比重が こどもだけでな く,大人の世界にも浸透 しつつあり,このことも消費生活の進展に加重 して社会的身体の 『個化』を強めている。
3
節 「開かれた身体」づ くり1.
「開かれた身体」体験づ くり1節で も述べたよ うに,社会的身体相 は当該の社会 システムに規定 され る が,逆に反規定する相互規定の関係であると記 したが,本節では社会的身体の 自己組織化,主体化 としての 「開かれた身体」体験づ くりについて,若干の問 題提起を試みたい。
1
つは,いわゆる 「修行」体験である。修行については,東洋的身体論を形成 している湯浅泰雄の論稿に詳細に論述 されているが
1 7 )
,修行 とは 「身体の諸能力を訓練することを通 じて,新 しい自 己を目覚めさせ,誕生させ るエネルギー」であり,具体的には隈想,常行,苦 行,武道などの身体体験である。それ らの修行体験 は,湯浅泰雄によれば,身 体における体性系 (感覚一運動神経系)とは異なる自律系 (内蔵系)の身体訓 練であり,身体の前意識化地平の活力化であって,身体の自然治癒力の活性化 を もた らす ものである1 8 )
。 これ らの体験は,精神分析の基本的には言語を基底 とした治癒力回復よりも,より能動的な身体体験であり,現在かなりな身体体 験ブームとなりつつあるO2
つは,「身体表現」体験づ くりである。この体験づ くりについては,竹内敏晴の演劇 トレーニ ン訓練 ・療法があ
4 章 社会的身体
る
1 9)
。竹内は,「《か らだ》を解 きほ ぐし,歪みを破 り,《か らだ方が他人にふ れ ることを怖れず,喜びを感 じるまでになる」ような演劇による表現体験づ くりを試み,管理化された身体の回復体験づ くりを展開 している。 この体験によ って,他のひとと 「触れ合え」,「出会える」基盤づ くりが可能である実践を形 成 している。 とくに,竹内の支援 ・指導管理化の底辺に位置づけられたこども のか らだの硬直性の開放実践による 「開かれた身体」づ くりは,管理 システム
‑の逆基底体験 として注 目に値す る。 この実践には,修行が現実の管理状況か らの 「逃れ」や 「現実超越」‑傾斜す ることと対比すると, この体験の現代的
「社会的身体」体験が もっ基本的意義が了承されよう。 竹内の理論を支柱に学 校の授業で こどもの表現体験づ くりについて追求 している鳥山敏子 も,身体の 表現を重視 し,「自分の自然 (身体)を他の価値観,評価か ら自由になる」身 体体験学習実践を身体論 として提起 している
20)
。鳥山は,「硬 くなっている」か らだ感覚の解放 と表出活動を基礎 とし,か らだ表現活動をこどもたちが 自己 組織化 してい くことによって,「相手の世界 に入 り,相手 も自分の世界に入 っ て,世界を共有する。互いに別々でありなが らそれぞれのイメ‑ジを共有 して しまうか らだになる。」体験を創出 している。その体験づ くりは,「表現を抑 制する現代の社会 システム」か らの離脱 と逆組織化の実践を組織化する基礎づ
くりを構築 していると言えよう。
3
つは,「遊び創造」体験づ くりである。深谷昌志 も指摘 しているように,現代のこどもは遊びを喪失 しているのでは な く, こどもの遊びが 「孤独化」,「静止化」 していることに特質がある。 この ような遊びは,おとなの遊びが労働の延長のように機械化 し,消費化 している と同様 に,「学校化」の延長 となっていることを示 している。 このような遊び の特質は,身体を生理的健康や運動的機能に特化 して,身体を 「手段 として客 体化,無化」 してい く身体作用に限定する遊びといえる。M.
チ クセ ン トミ‑
イは,従来の遊び研究をふまえて, フロー経験 となる 「自己目的的,創造活 動」 こそ遊びの本質であると再把握 して, この遊び体験 こそ学習や仕事の組み 替えとなることを問題提起 している
2
1)。彼のフロー活動体験は,まず 「こども の学習は身体を自己目的的,創造的に行為することが基礎である」 ととらえ, そのことによって 「他の こどもたちと共同化が形成され,学習が自主的,主体的身体づ くりとして再生,再評価 されていく必要があろう。
4
つは,生活参加体験づ くりである。生活体験を用務 としての 「家事」や消費化 ととらえるのではな く,生活創造 体験であり,協同参加体験 として再把握 してい くと,生活参加体験は
M.
チク セ ン トミハイがフロー活動論で指摘 しているような,身体行為の自己目的的な 自己組織化が働 き,身体活動による他 との協同化が促進 される。 今 日,生活を 生活文化 として再構築 し,創造 と協同の生活参加が問題提起されているが22) 、
そのような生活文化への参加体験は,創造的な社会的身体づ くりを促進するこ とが判明 しつつある。筆者 らの生活体験研究で も,生活体験によるこども問の 身体開放 と他世代 との身体活動交流が促進されることが論証されている
23)
。 こ のような生活参加体験 と同様に,仕事や学習体験 も同様の再構築がなされれば「開かれた」社会的身体づ くりとして作用 していくことはいうまで もない。
5
つは,環境文化体験づ くりである。現在,環境破壊や資源問題を主体に環境保全活動が活発になっている。環境 保全活動の取 り組みの中か ら,近年環境文化体験づ くりが形成されつつある。
環境文化体験 とは,当初環境保全活動'o基礎作 りあるいは取 り掛か りとして, 環境に親 しむ体験 として出発 した。 しか し,今 日では従来の機能 とともに,あ らたに身体 とのかかわりで体験評価がなされつつある。環境文化体験 とは,具 体的には,自然感受体験活動,ネイチャーゲーム,創作体験活動,野外スポー ツなどか ら構成 され るが
2 4)
,「自然 との親和 による身体の開放や再確認」 とい われ,身体感覚の覚醒,身体の リラクセーション, 自然 と人々との共生感情が 形成 され る。 このよ うな環境文化体験 は,社会的身体 にとって 自然 との 「共 生」感覚の習得 とともに,他の人々との親和感情の生成を形成す るものであり,「開かれた身体
」
の基礎づ くりとして機能 していくのである。( 2 )
「開かれた身体」の規定要因前節において,「閉 じた身体」の規定要因について述べたが,本項では 「開 かれた身体」づ くりを保障する要因について,述べてみたい。
元来,身体の働きには管理的なタテ ・ツリー型の自己組織化よりも,多次元 ネ ッ トワーク型の 自己組織化を主体 とす る向性的働 きがあ る
2 5)
。 したが っ4 章 社会的身体
て,「開かれた身体」体験づ くりそれ自体が,「閉 じた身体」を規定 している要 因を改革 してい く基盤であり,その ことを抜いて改革はない。 しか し,「開か れた身体」を保障 してい くには,身体を規定する外在的要因自体の形成 も重要 である。
その 1は,身体がはた らく 「場」の再組織化が求め られる。自然体験の場, 遊び体験の場,身体表現の場づ くりであり,家庭や地域社会など生活文化が展 開する生活の場での身体がはた らく空間設定である。
その 2は,学習や労働の細分化,効率化 システムを改革 して,身体のはた ら きを内包 した総合化を推進 してい くことである。
その
3
は,学校,企業など社会 システムの管理 システムの改革である。 現代「労働の人間化」として企業経営 システムを自己組織化 してい く動向
2 6)
や学校 文化の改革動向2 7 )
が胎動 しっっあるが,そのような社会 システムの改革が 2節 で述べたように,社会的身体を 「開かれた身体」として形成 してい くための,もっとも基本的な保障要因である。
(注)
( 1
)松岡正剛 「 何故,人間は身体 に懐か しさを感 じるのか」 萩原朔美監修 『 身体の 現在形』 愛知芸術文化セ ンター 1 9 9 2
年( 2 ) 市川 浩 『 《 身》の構造』 青土社 1 9 8 4 年 2 0
頁( 3 ) 広松 渉 『 哲学の越境』 勤葦書房 1 9 9 2 年 9 8
頁湯浅泰雄 「 身体 と間身体関係 」 『 現代社会学 4』 岩波書店 1 9 9 6 年 6 7
頁( 4 ) 市川 浩 前掲書 4 2
頁( 5 ) 養老孟 司 「 『日本的身体』論」 前掲 『 現代社会学 4』
( 6 ) 正木健雄 『こどもの体力』 大月書店 1 9 8 0 年
宮下充正他 「こどもの 『 か らだ』総点検
」『 児童心理 』5 0 0 号 金子書房 1 9 8 6 年の 各論文参照
(7
) 竹内敏晴 『こどものか らだとことば』 晶文社 1 9 8 3 年 ( 8 ) 竹内敏晴 前掲書 6 5 頁
( 9 ) 三橋 修 『 期べない身体一身体性の社会学』 三省堂 1 9 8 2 年 1 9 2 頁
( 1 0 ) 三橋 修 前掲書 1 7 9 頁
( 1 2 ) 深谷昌志 『 孤立化するこどもたち 』NHK ブックス 4 3 6 1 9 8 3 年
( 1 3 ) 竹内敏晴 上掲書 3 0 貢
横山正幸,猪山勝利,正平辰男 『 生活体験学習入門』 北大路書房 1 9 9 5 年
( 1 4 ) 浦 達也
( 1 5 ) 三橋 修 ( 1 6 ) 三橋 修 ( 1 7 ) 湯浅泰雄 ( 1 8 ) 湯浅泰雄 ( 1 9 ) 竹内敏晴 留 0 ) 鳥山敏子
「 身体なき器官」 上掲書( 1 ) 1 9 9 頁 上掲書 1 7 9 真
上掲書 2 5 8 頁
『 気 ・修行 ・身体』 平河出版社 1 9 8 6 年 上掲書 6 6 頁
「か らだとことば」 上掲 『 現代社会学 4』
「 身体の表現」 上掲 『 現代社会学 4』 1 2 4 頁 el )
M.チクセ ン トミ‑イ 『 楽 しみの社会学』 思索社 1 9 7 9 年
C Z Z ) 谷川一男編著 『 生活文化の経済学』 嵯峨野書院 1 9 8 9 年 C 3 ) 横山,猪山,正平 上掲書 ( 1 3 ) 参照
C 4 ) 清里環境教育 フォーラム実行委員会 『日本型環境教育の提案』 小学館 1 9 9 2 年 C Z 5 ) 市川 浩 上掲書 7 6 亘
を 6 ) 嶺 学 『 労働の人間化の展開過程』 お茶の水書房 1 9 9 5 年
即