は じ め に
総務省「労働力調査年報(2016年)」によれば,2016年の労働力人口6,648 万人が,2065年(推計)には3,946万人と約4割減少するという。そうした 状況のもと,国の豊かさを維持するには,生産性をあげることが求められる。
国の豊かさは単純に言えば「投下労働量×生産性」であり,投下労働量とは 労働者数で決まる部分が多い1)。人口減少に伴う投下労働量が減少するので あれば,働く人たちの生産性を上げることが重要となる。そうした中,総務 省は
AI
を成長戦略の重点分野としており,「AIネットワーク化検討会議」を設置した。そして,その中間報告書「AIネットワーク化が拓く智連社会」
を公表した2)。そこでは,「情報」・「知識」(知)に着目する社会像である
「高度情報通信ネットワーク社会」・「知識社会」の次に目指すべき社会像と して,「智慧」(智)に着目する社会像として「智連社会」を構想するという ことが提言されている(図表参照)。知識社会の時代,智慧の時代(智連社 会)と表現されるが,それらの言葉自体は,仏教用語で目新しいものではな
1) 中原淳「はたらく人の『リアル』な問題」THE21,PHP研究所,2018年2月号, p.5
2) 『平成28年版情報通信白書』総務省,2016年
仏教的知識と労働観
―― 日本における仏教の普及と労働観 ――
菊 池 英 貴
( 1 )
知識社会
(〜2030年)
高度情報通信 ネットワーク社会
(2000年〜)
智連社会
(Wisdom Network Society)
【WINS】
AIネットワーク化 データ(Data) 知能(Intelligence)
智慧(Wisdom)
情報(Information)
知識(Knowledge)
「知」(Knowledge)から「智」(Wisdom)へ 図表 智連社会(WINS)
出所: 平成28年度版情報通信白書』総務省,2016年,p.263
い。ただし,近年欧米において,ナレッジ・マネジメント(knowledge man-
agement)のように,知識という概念が注目を浴びているという。本稿では,
なぜ,古くからある「知識」に焦点があてられるかを探ることにする。そし て,西洋と日本の労働観成り立ちの比較を行う。その違いは,日本における 仏教「知識」の浸透をきっかけにした労働観の成立にあるのではないか,と いう視点から考察する。1.情報・知識社会と経営
1.1 情報化社会の到来と知識
情報とは,知らせる内容であり,意味を持っている。辞書によれば「情報」
とは,「あることがらについての知らせ。判断を下したり行動を起こしたり するために必要な種々の媒介を介しての知識3)」とある。この「情報」とい う言葉を最初に公に使ったのは,クラウゼウィッツの著書『戦争論』(1903 年)の翻訳をした森鴎外といわれている。それによれば,「情報とは敵と敵
3) 『広辞苑』岩波書店,2008年
国に関するわが知識の全体をいう」。一方,それより以前に「情報」は陸軍 の部内資料(1876年)に用いられていたともいわれる4)。いずれにせよ情報 という概念は,軍事戦!略!上,重要な役割を持っていた。ただし,知らせると いう意味において,情報という概念は狼煙,飛脚,早馬,電信,文書などの 手段が使われ,情報伝達の重要性は認識されていた。しかし,情報化社会と いった観点から,情報という表現が意識されたのは19世紀以降のことであ る5)。
つまり,歴史的に見れば,比較的最近になり,生み出された知識の流通量 が豊富になり,情報化社会の到来といわれるようになった6)。このように,
情報の開発が知識の開発より遅れたといわれる理由は,技術が追いついてこ なかったことや,価値の不安定さ・信頼性の不足にあった。また,情報を独 占しようとした権力の執心も無視できないといわれる7)。情報技術が発達し 情報輸送の速度が速くなるまでは,知識保持・情報収集力が優位性を持つ状 況であった。情報化が進んだ状況では,情報収集のみならず,収集し入力し た情報と出力する情報の差を生むことが優位性となる。現代では情報技術の 発展により,膨大な情報をデータとして収集・処理し(データ処理),そこ から意味を考慮した情報を処理することが可能になった。そして,そこにさ らに価値を付与した知識という概念に焦点が当てられるようになった。やが て,知識自体は新しい概念ではないが,「ナレッジ・マネジメント」のよう
4) 仲本秀四郎, 情報を考える』丸善,2000年,pp.1‑6
5) 同上書,p.8,p.14, ファーブルの昆虫記』に寄れば,蜂のような存在でさえ,
情報を仲間に伝える手段を持っている。
6) 『通信白書』昭和48年版が発行され,情報化社会における通信技術などの基盤 整備が取りざたされるようになった。また,大学の学部に関しても,1979年の産 業能率大学の経営情報学部の設置以降,1980年代から2000年代にかけて経営情 報学部が新設されている。経営資源における情報の重要性が認識されることになっ たことの証であろう。しかし,その後,摂南大学(経営学部),甲子園大学(現代 経営学部),大阪国際大学(ビジネス学部)などのように経営情報学部から改組さ れたものも多い。
7) 仲本,前掲註(4)p.32
( 3 )
共有化 情報化
媒体化 社会化
みんなで 共有する
発行・登 録する
知識・知 見を文字 にする
印刷・磁 気化する
に経営のキーワードとして,90年代後半から米!欧!でなかばブームになってき たという8)。次に,情報と知識の関係とそれらのサイクルについてみていく。
1.2 情報と知識のサイクル
情報化にはサイクルがあり,そのサイクルは次のように考えられている。
まず,知識が得られる,そして,得られた知見や知識を文字などにする(情 報化),次に印刷・磁気化する(媒体化),それを発行・登録する(社会化), そして,配布,流通させることにより,みんなが情報を共有する(共有化)
というものである。「知らなければ知識も情報である。他人にとっては既知 であっても,知らない人にとっては情報といえる9)」。そして,電算機や通信 技術の発達により,情報の入手,生産が容易になり,情報化社会が始まった といわれる10)。
8) 野中郁次郎,紺野登『知識経営のすすめ』1999年,筑摩書房,p.7 9) 仲本,前掲註(4)pp.48‑49
10) 同上書,p.8。昭和49年に『通信白書』がはじめて発行され,その中でも,情 報化社会と通信について取り上げられている。この通信白書は平成13年版からは
『情報通信白書』となっている。
知識 ⇔(流通)⇔ 情報 ⇔(内部化)⇔ 知識 ⇔(流通)⇔ 情報 …
↑
経験や外部から得た知識・情報
↑
新たな解釈や知見
…
情報・知識の相違は,次のように考えられる。「同じく言葉で記述されな がら,ある期間,固定しているのが知識,動くものが情報とされており,知 識も情報になり,情報も知識になる11)」。つまり,様々な知らせや知識が世 の中に流通している場合,それらは情報と呼ばれる。われわれがその情報を 入手し,活用し定着したなら知識となる。一方,データとは資料や事実を指 す言葉であり,問題解決に役立つ材料が情報である。情報は,行動の参考に するものであり,意思決定は知識と情報の相互作用に基づくことが多い。そ して,長期的に影響を及ぼす意思決定は,知識に基づくことが多くなる。こ のように「情報は流れて流通を形成し,断片的で寿命は短く,信用できない 内容を含んでいる。このまったく反対が知識といってよいであろう。その中 で解析と実証が加えられることによって情報は知識になりうるし,流通の条 件が整えられることによって知識は情報となる12)」のである。そのプロセス は以下のように考えられる。
知識が流通し情報となり,その得られた情報が解析され,新たな解釈や知 見を加味することで,新たな知識となる。さらに,その知識が流通されて,
情報となる。そのサイクルを繰り返すのである13)。その過程で,利用されな くなった情報は,生きていない情報だと考えられる。つまり,利用の老化で ある。これは古い新しいといった問題ではない。古いデータであっても,利
11) 仲本,前掲註(4)p.13 12) 同上書,p.15
13) そうした一連の活動を「知恵を絞る」というように言われる。Taylor W. Freder- ick, The Priciples of Scientific Management, 2006. 有賀裕子訳『新訳科学的管理法』
ダイヤモンド社,2009年,p.15。1969年の邦訳では,Knowledgeを「知識」と訳 されているが,新訳では「知恵」に変っている。
( 5 )
用されれば新しい情報になり,知識になる。つまり,「新しさや精緻さでは なく,それを使う者の創造力と技能にある14)」。
情報・通信技術の発達などもあり,情報化が進展し,やがて「情報・知識 時代」の到来,「情報の時代から知識の時代へ15)」と表現されるようになっ た16)。しかし,これらは本来,コインの裏表のようなものであり,鶏が先か 卵が先かという問いと同様,切り離すことはできない。そして,近年,経営 研究において,知識という概念に焦点があてられるようになった。その嚆矢 となったのは,ドラッカー(Peter F. Drucker)が『断絶の時代17)』(1968年)
の中で,「知識経済」,「知識労働者」という考えを示してからといわれる。
この概念を思いついた新しい国家である米国では,職人が不足しており,テ イラー(Taylor W. Frederick)の科学的管理法が考案され,労働現場におけ る知識の標準化・規格化がすすめられ,大きな成果が見られた。その後,
フォードシステムが登場し,その手法が生産分野の世界を席巻することにな る。その状況に鑑みて,経済の基盤は肉体労働から知識労働へと移行した,
とドラッカーは指摘した。そして,知識労働の萌芽は,テイラーの科学的管 理法にみられたというのである18)。
1.3 知識経済の萌芽的生成 ― 科学的管理法の情報・知識
ドラッカーによれば,「知識経済に向けての最も重要な一歩は,19世紀末 のフレデリック・テイラー(1856〜1915)による肉体労働への知識の体系的
14) Drucker F. Peter, The Age of discontinuity,上田惇生訳『断絶の時代』ダイヤモン ド社,1999年,p.294
15) 野中・紺野,前掲註(8)p.9
16) 『平成19年版情報通信白書』においては,「情報・知識の時代」の到来と表現 され,これらは区別するというより,密接に関連しているというように解釈でき る。
17) Drucker,前掲註(14)
18) 同上書,p.312
な適用,すなわち科学的管理法だった19)」という。そこで,テイラーの科学 的管理法が,知識経済・経営に果たした貢献について,知識の情報化と情報 の知識化という観点からみていくことにする。
19世紀末,米国においては,すでに重化学工業化が進行していた。激化す る企業間競争に対応するため,米国産業界ではコスト削減の手段として頻繁 に労働者の賃率切下げが行われていた。そして,労働現場においては,会社 側の行う賃率切下げに対抗すべく「組織的怠業」が蔓延していたのである。
テイラーは,次のように指摘している。当時,この問題が認識されていたに もかかわらず,「より重要なテーマである『怠業』に注意を払うべきだとい う声はほとんど聞こえてこない。しかし,怠業の問題こそが,賃金や豊かさ, ほぼすべての勤労者の生活さらには国内のあらゆる企業の将来に直接大きな 影響を及ぼすのである」20)。そこで,テイラーはこの問題を分析し,原因を 追究し解決しようとした。テイラーが考えるには,企業と労働者が,最大の 豊かさを享受するには「一人ひとりの働き手が意識して,日々の労働成果を できる限り高めるほかに方法がない。にもかかわらず,大多数の働き手はあ えて正反対の行動21)」をとっていた。こうした非効率の原因は,間違った情 報と誤解の流布,マネジメントの不備によるものであり,それらは以下のよ うなものである。
(1)働き手の間に,一人当たり,または機械一台あたりの生産量が増える といずれは大勢が職を失うことになるという誤解がはびこっている。
(2)一般に用いられているマネジメントの仕組みに欠陥があるため,働き 手が自分の最大の利益を守るためには,仕事を怠けたり作業のペース を落とさざるをえない状況になっている。
19) 同上書,p.296
20) Taylor,前掲註(13)p.15 21) 同上書p.16
( 7 )
(3)産業界においては,非効率な経験則が広く行き渡っており,それをそ のまま実践していたため,働き手の努力が水泡に帰している22)。 その結果,労働者側では「 日々の仕事を通して最大限の成果をあげたり しては,自分たちの首を絞めることになる』という考えに取りつかれて23)」 いたのである。一方,「雇用主の多くは, 本来この仕事はもっとペースを上 げられるはずだ』と確信めいたものを感じるだろうが,動かしがたいデータ でもない限り,働き手の尻を叩くために大胆な手段をとることはまずな い24)」状況であった。こうして,雇用側と労働側双方が相互に不信感を抱く ことになる。そして,リーダーとの間に本来あるべき信頼関係,仕事への熱 意,職場一丸となって同じ目的のために働くといった意識が完全に失われる ことになっていた25)。そこで,テイラーは,動!か!し!が!た!い!デ!ー!タ!を収集・活 用することで双方の不信感を払拭しようとしたのである。次に,テイラーの 取組みとその成果について情報と知識という観点からみていく。
1.4 知識の収集から情報化へ ― クチコミ・経験則のシステム化
従来,各職場で働く人々は,クチコミを通して,または見よう見まねで仕 事に必要な知識を手に入れてきた。こうした経験則や古くからある知識は,
それぞれの働き手の大切な資産であった26)。そして,そうした資産は,共有 されることはない。従来の管理のもとでは,次のような行動がとられていた。
「もし仮にそれまでは経験則しかなかった分野で法則を見つけたなら,自分 の利益を守るために法則を秘密にし,その大切な知識を基に抜け駆けして出 来高を増やし,高い賃金を得ようとするだろう27)」。なぜなら,その知識を
22) 同上書p.16 23) 同上書p.18 24) 同上書p.24 25) 同上書p.27 26) 同上書p.38 27) 同上書p.122
みんなに教え(共有化),現場全体の生産性が上昇すれば,「組織的怠業」を 誘発した,「賃率切下げ」が実施されるからである。このように,彼らが獲 得した仕事上の情報や知識の流通は滞った状態であった。
テイラーによれば, 当時の最善のマネジメントは, 「自主性とインセンティ ブを柱としたマネジメント28)」である。しかし,実際に自主性を発揮できる 人はまれであり,ほとんどの労働者はそうではなかった。また,まれに自主 性を発揮して新たな法則を発見した人は,先に述べた理由で他の労働者に教 えることはないのである。このようのことから,労働者の知識は標準化され ず,彼らの知識が流通していない状況であった。このような環境下で,現場 労働者は,せいぜい見よう見まねで得た技能で仕事をしていたにすぎない29)。
テイラーは,そうした状況を調査し次のように考えた。それまでそれぞれ の職場において,優れた手法が編み出されてきている。その中で,最適な手 法だけが生き残り,それが用いられているはずである。そして,その手法は 見よう見まねや口伝えで教えられてきた。ただし,そのやり方では,この知 識の普及には限界がある。そこで,「部下たちの間で伝えられてきた知
!
恵
!
を 残らず集め,それらを分類,整理して,決まり,法則,定石などへとまとめ 上げ,部下たちの日々の作業をおおいに助ける(傍点筆者)30)」ようにした。
こうして,マネジャーが現場の労働者が保持しているバラバラの知識を集め, 法則をつくり,労働者へ情報として流通させたのである。そして,マネ ジャーが経験則に代わる法則性を見つけ出し,作業者全員に最も効率的な方 法を公平に教える。これが,マネジャーの義務であり,喜びとなるというの である。テイラーが実践した知識の収集と活用の成果の一例を見てみる。
28) 同上書p.41 29) 同上書p.38
30) 同上書p.44。この中で旧『科学的管理法』ではknowledgeを「知識」と表現さ
れていたが,新版では『知恵』となっている。知恵という方が,知恵を絞るなど の意味に近いのではないか。
( 9 )
ベスレヘム・スチールの銑鉄運搬作業において,次のような取り組みが行 われた。従来,一人当たり,1日平均12.5トンの銑鉄が運ばれていた。しか し,調査し,何度も検証した結果,腕利きの作業者であれば,47トンから48 トン運べることが判明した。そこで,監督者が,そこから得られたデータ・
情報をもとに,作業担当者に作業の方法や休憩について指示を出し,達成し た場合,約60%増の賃金支払いを約束した。当然,賃金・賃率の切下げはな い。その結果,作業者は3年間,47トンの運搬を達成した。さらに同じよう な条件で,次々と候補者を選び実践したところ,彼らは目標値を達成し,全 員が通常より60%増しの賃金を得ていたのである。また,シャベルすくい作 業においても,作業の名人を観察し,1回にすくう量を測定した。会社が,
すくおうとする中身に応じて,10種類ほどのシャベルを用意する。また,
シャベルをすくう姿勢など最適の動作が調べられた。そして,つるはしや金 てこなど規格化された道具が準備され,最適な道具や動作が作業者に教えら れたのである。その結果,一人当たりの作業量は,1日16トンから59トンに, 一人当たりの平均賃金も,1.15ドルから1.88ドルに上昇したのである。そし て1トン当たりの平均コストは,0.072ドルから0.033ドルにまで下がること になった31)。そして,余剰となった人員は,適性に合わせ他の部門へと異動 し,職を失うことはなかったのである。このように労使双方にとって,好ま しい結果が出た。
テイラーは,作業者を個として扱うことの重要性を指摘し,次のように述 べた。「一人ひとりを尊重せず,集団の一員としてしか扱わなかった場合に, 志や自主性が損なわれる32)」と。こうした成果を取り入れ実践した結果,テ イラーによれば,科学的管理法のもとで,5万人が働き,彼らは相場より 30〜100%ほど高い日給を受け取ることになったというのである。また,働
31) 同上書pp.49‑84
き手一人当たり,機械一台当たりの生産量は,おおむね倍増した33)。このよ うに,マネジメントの二大目的である「低生産費(雇用主の繁栄)」と「高 賃金(働き手を豊かに)」が可能であることを示したのである。
1.5 科学的管理法と知識労働者
テイラーの科学的管理法が目指したことは,作業者各々が持っている知識 を情報化しただけではなく,流通させた情報から新たな知識を生み出すこと であった。会社側は,それまでの作業者が取り入れてきた最善の動作や道具 を標準化し,指導者や職長がそれらを身につけ,そして,それを作業者に教 える。これらが標準化し定番となる。そして,動作研究・時間研究によって, さらに優れた動作や道具が発見され,それが新たな定番となるという循環を 作り出すことであった34)。つまり,この管理法のもとでは,作業者は,先達 から知識を授けられるだけでなく,独創性を発揮して古いものを刷新するに とどまらず,新たな標準(ベストプラクティス)を作るといういわゆる知識 創造を行うのである。こうして,指導者と歩調を合わせて仕事をする人は,
何の助けもなく仕事を丸投げされていた時より,多くの場合,より多くの進 歩の機会をつかめることになったのである35)。つまり,ドラッカーが指摘し た「知識労働者の動機づけは知識労働者自身から生まれなければならな い36)」ということを実践させようとしていたのである。そして,「科学的管 理法を用いると,働き手は確実に『自主性』を発揮する37)」ようになるとい
32) 同上書p.85。科学的管理法(テイラーシステム)に関して,機械人モデルと批
判されるが,テイラーは一人ひとりに個別対応の必要性を取り上げている。また, 賃金に関してもあくまでも副次的なものであり,それまでの現場で見られた賃率 の切下げが行われなかったことによる,作業員の会社側への信頼感の醸成の方が 貢献したと考えられる。
33) 同上書p.31 34) 同上書pp.137‑138 35) 同上書p.147
36) Drucker,前掲註(14)p.313
( 11 )
うのである。また,「経営層と最前線の働き手が,このように密接に協力し 合うことこそ,時代の最先端を行く科学的管理法(課業タスクのマネジメン ト)の真髄38)」といわれたのである。
一方,テイラーについて,次のような指摘がある。「テイラーは,成功は 工員の自発性に依存してしまい,成功するのはまれなケースだと断じてし まった」。「テイラーがまれなケースだと切り捨ててしまったことが,条件さ え揃えてやれば,本当は頻繁に起こりうるものであったことが実証されたの だ。自発性を信じてもよかったのである39)」と。しかし,テイラーがまず取 り組まなければならないと考えたことは,当時の現場における最善の手法 (ベストプラクティス)を集め,労働者が自主性を発揮できるように条
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揃!え!て!や!る!ことであった。そして,その手法を情報として流し,各作業者の 作業レベルを上げることであった。そして,この管理法が目指したことは,
各作業者が提供された情報をもとに,独創性を発揮するように導いてやるこ とであった。テイラーが取り組んだことは,知識の収集と流通である。つま り,情報のサイクルである,知識の情報化,媒体化,社会化,共有化を目指 したのである。自発性・自主性を発揮する前に,まずは知識の収集と流通に 取り組まなければならなかった40)。つまり,知識の情報化が率先して取り組 まれ,その後に各作業者の自発性・自主性による知識化の実践を目指したの である。そして,ドラッカーは,科学的管理法を「世界に受け入れられ,世 界に影響をもたらした唯一のアメリカ生まれのイノベーションとなった41)」 と評した。これが,知識経済に向けての重要な第一歩であるといわれる。そ して,知識という観点から,労働者を考えるようになった。次に,それまで
37) Taylor前掲註(20)p.42 38) 同上書p.31
39) 高橋信夫『虚妄の成果主義』日経BP社,2004年,pp.130‑131 40) 仲本,前掲註(4),p.48
41) Drucker,前掲註(14)p.297
労働に対して,どのように考えられてきたか西洋における労働観からみて いく。
2 労働観と人間仮説
2.1 西洋の労働観
古代ギリシャでは,手仕事は「メカニック」な労働と呼ばれており,軽蔑 的な意味が含まれていた。手仕事をする職人は,注文主の命令と要求によっ て物を制作する。そして,彼らが作ったものを「使用する」ことが,価値の ある行動と考えられていたのである。メカニックな労働としての手仕事は,
汚らしく,恥ずべき仕事と考えられていた。この仕事の極限は奴隷労働で あった42)。あくせくして働き,多忙な人生を送るなら,自律的にものを考え ことができない。また,労働は,政治的共同体のことや人間の存在の意味な どのような哲学的な思索を妨げるものと考えられていたのである。労働は卑 しく,呪いに満ちたものとみなされていたので,自由な市民は労働しないこ とが徳と考えられていた43)。つまり,現代のわれわれが考えるような「労 働」などは存在していなかった。
古代世界で労働を担うのは奴隷,自由人とは働かない者のことであった。
そして,労働苦痛説が宗教になったといわれるのである44)。「この労働苦痛 説は,歴史の中でユダヤ教からキリスト教に伝わり,今日まで人間が働くこ とを嫌う観念の原点となっている45)」という。ユダヤ人は,モーゼに導かれ てエジプトを脱出するまで,奴隷的な苦役に従事していた。ユダヤ人が労働
42) 今村仁司『近代の労働観』岩波書店,2014年,p.4
43) 橘木俊詔「働くということ」(橘木俊詔編著『働くことの意味 )ミネルヴァ書 房,2009年,p.4
44) 河原宏『日本人は何のために働いてきたのか』2006年,ユビキタスタジオ,
p.103 45) 同上書p.85
( 13 )
に人間の原罪を見るのは,このような体験からと考えられる46)。そして,労 働はキリスト教倫理の観点から「贖罪」の手段と考えられていた47)。
初期近代においても同じように考えられてきた。当時,都市に登場した民 衆の具体的な姿は,浮浪者であった。農村から出てきて職があるはずがない ので,人々は浮浪者となった。この対策が国家の課題となる。そこで彼らは,
「矯正院」,「労働の家」と呼ばれる場所に収容される。このような労働収容 所の中で,貧民は労働させられ,労働によって懲罰され,教育されるので あった。矯正院という名前の収容所は刑務所と変わらない救貧院であった。
こうした事情は,オランダでも,ドイツでもフランスでも同様であった48)。 このような懲罰と贖罪としての労働というキリスト教的倫理は,強い影響力 を発揮していた49)。
このように中世以前からフランス革命に至るまで,労働は不名誉なもの,
隷属のしるしと考えられていた。何もしないことが,生まれつきの優越性の しるしであり,それが王や貴族の特権であったというのである50)。そうした 状況下でも,中世の神学者は,肉体労働を非難する古代ギリシャの哲人の考 えに対して,批判の目を向けた。そこでは生!活!に!必!要!な!も!の!を得るために働 くことは,貴重なことであると主張はされていた51)。ただし,根本的には労 働に対する次のような思考が存在する。「この労働苦痛説は歴史の中でユダ ヤ教からキリスト教に伝わり,今日まで人間が働くことを嫌う観念の原点と なっている52)」と。こうした労働観は,資本主義の発展により変化させられ
46) 同上書p.102
47) 今村仁司,前掲註(42)p.46 48) 同上書,pp.30‑31
49) 同上書p.30 50) 同上書p.59
51) 橘木,前掲註(43)p.7,仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む 講談社,2014 年,p.39
52) 河原,前掲註(44)p.85
ることになる。
近代世界が最初に登場した西欧において,初期資本主義の交流の中で手仕 事,労働の重要度が増大する。産業が興隆し,産業資本家が登場して,人々 にいかに労働者として働いてもらうかが,社会の要請となる。ウェーバー (Max Weber)が指摘するように,キリスト教において,営利追求が神の栄 光を現す行為とみなされるようになったのである53)。こうした労働の重要性 が高まるにつれて,生産を担当する多くの人材を確保しなくてはならなく なった。そして,労働は徐々に否定的なものから肯定的なものへ,格下げ状 態から格上げ状態へと移行し始めるというのである54)。また,資本主義の発 展により,工場労働者は,勤勉が自分たちの生活を豊かにすることを認識す るようになった。「労使が同じ価値を認識し,かつ共有することになったの で,資本主義は発展することになる55)」。そして,ブルジョアも労働者も同 じ勤勉倫理を共有するようになったという。労働の中に人間的なものがあり, 古代の労働観から脱却し「労働の本質は人間の本質であると宣伝56)」される ようになる。こうした労働倫理が強かったのは,新大陸で成立した米国で あった。
2.2 新大陸における労働
清教徒を中心に,欧州から米国に移住した人たちは,「新大陸での生活に おいて仕事に精励し富を蓄積することが,神への忠誠につながると考え た」57)。カトリックと異なりプロテスタントを信じる人々にとって,勤勉と 倹約は,神の教えに従うことにつながる,と教えられた。米国憲法起草者の 53) 橘木,前掲註(43)p.10,仲正,前掲註(51)pp.47-48.ベネディクト会の修道生
活のモットーは「祈れ,そして働け」である 54) 今村,前掲註(42)p.162
55) 橘木,前掲註(43)pp.10-11 56) 今村,前掲註(42)p.164 57) 橘木,前掲註(43)p.11
( 15 )
一人であるベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)は「アメリカ 国民が勤勉に励むことと,倹約の意義を説くことによって,国民が富を蓄積 できるとした。富の蓄積は個人を幸福にすると説いた58)」。また,米国が欧 州と異なり,初めから労働をしない貴族や国王のいない国家として成立した ことが,大きく影響した。このように建国時より米国においては,勤勉な労 働と倹約の意義が強く意識されていた。
しかし,第一次大戦前後から米国資本主義が最盛期に入り,巨額な資産を 保持する資本家が出現するようになり,状況が転換することになる。「初期 のアメリカ資本主義の時代の特色であった倹約がやや後退し,大量消費とい う時代に突入し59)」,資本家と労働者の間に大きな格差が生じる。そして,
労働者は,工場のベルトコンベアなどの生産現場において,「まさにロボッ ト労働者を理想とした60)」働き方が求められるようになる。こうして労働が, 機械化によって細分化されることで,他律的労働になり,労働の喜びも消滅 しようとしている,と指摘されることになる61)。こうして仕事の細分化や標 準化の問題が露呈してくる62)。労働に精励することが,「神の教えに従う」
という信念がゆらぐことになる。そして,企業が発展するためには,新たな システムが必要とされる。そこで,テイラーが期待したような,新たな標準 を発見する必要が認識され,労働者に肉体労働を期待するのではなく,知識 労働者としての役割が強く期待されるようになる。そして,近年米欧で知識 に注目があてられることになった。
58) 同上書,p.11 59) 同上書,p.12
60) 河原,前掲註(44)p.144 61) 今村,前掲註(42)p.120
62) 河原,前掲註(44)p.88やがて,「本来は欧米人のものだった労働苦痛説に,日 本人も無縁ではいられなくなった」と指摘された。
2.3 労働観の変遷と人間仮説
古代欧州では,労働は忌み嫌うもの,贖罪のため,苦役である,と考えら れていた。やがて,中世頃から,修道院において労働は,祈りや瞑想ととも に重要な行いと考えられるようになった。そして,産業が興隆し,資本主義 経済が発展すると,多くの労働者が必要となり,働いてもらわなければなら なくなった。そして,「今や労働は人間であることの基本的要素,あるいは なくてはならない土台になった63)」,「魅惑の労働64)」とさえ言われるように なる。特に欧州からの移民を中心に成立した米国では「労働は人間の第一級 の義務であり,第一の功績になっている。開拓者が英雄になった。人は血を 流すのではなくて,汗を流す。誰もが自分の身体をはって働く65)」といわれ るのである。このようにして,労働することは名誉であり,人間の本質であ ると指摘されるようになったのである。また,心理学などによる人間理解の ための研究が進み,哲学や宗教の影響から脱却した思考法により,労働や学 習についての研究が進められるようになる。そして,仕事や勉強はいやなも ので回避したい,怠けものと考えられていた人間が,積極的に行動するとい うことが解明されてきた。そして,労働観が変化したように,管理者が人間 をどう取り扱うべきかという仮説も変化することになる。
シェイン(Schein H. Edgar)によれば,われわれはだれでも人間や人間の 動機について,人間をどう扱うべきか,ということについて仮説を持ってい る66),という。そして,管理者の持つ人間に関する仮説が,組織構成員を扱 うときに指導的役割を果たしてきた67)。歴史的に見れば,組織における人間 についての仮説は,人間性についての哲学を反映しており,(1)「合理的経
63) 今村,前掲註(42)p.62 64) 同上書,p.60
65) 同上書,p.60
66) Schein H. Edgar, Organizational Psychology, Prentice-Hall Inc. 1965,松井賚夫訳
『組織心理学』岩波書店,1966年 67) 同上書,p.59
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済」人,(2)「社会」人,(3)「自己実現」人,(4)「複雑」人の順序で取り 上げられてきたという。
1 「合理的経済」人の管理
この合理的経済人の考え方の根底にあるのは,人間は自分の利益を最大な らしめるように行動を計画し,行動するというというものである。人は本質 的には経済的刺激によって動機づけられ,その収穫を最大なものにしようと する。一生懸命働く目的は,より多くの金を稼ぐためである。ここで基本的 に強調されるのは能率であり,人びとの感情やモラールに対する管理者の責 任は重視されない。「余剰価値」(すなわち金銭)を増やせばもめごとがなく なることに,労働者も経営者も気づいたといわれる68)。この管理方式に基づ くものは,テイラーの人間観といわれることが多い。テイラーの科学的管理 法のエッセンスである,「課業管理」と「差別出来高給制」を導入した鉄鋼 所の生産性は,大いに向上した。また,フォード
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型車生産において,流 れ作業方式の効率性,賃金上昇が離職率改善と求人者増に効果的であるとい うことが証明された。19世紀から20世紀の初頭頃は,それまでの小規模自営 業から,大規模な産業組織への転換が進み,鉄鋼や自動車などの巨大産業が 発達し,大量のサラリーマンが登場する時代である。差別出来高給制は,頑 張った分だけ,公平にお金で払うことが最も重要な,時代のニーズに合致し たものであった。しかし,「テイラーのように,労働者を怠けものと決めつけてしまうと,
彼らが好奇心・向上心を発揮しえないのは,労働条件の側に問題があるから だ,というとらえ方ができなくなるばかりか,彼らをますます怠け者にして しまう69)」と指摘が後になされる。当時は,怠けものの心理学70)が幅を利か
68) Gary Latham, Work Motivation,金井壽宏監訳『ワーク・モティベーション』
2009年,NTT出版,p.48
せていた時代であった。ただし,仕事がますます複雑になり,組織間の競争 も激しくなった状況で,管理者は労働者の判断や能力をますます頼りにせざ るを得なくなる71)。そして,「社会」人という仮説が登場することになる。
2 「社会」人の管理
社会人という仮説が導き出される大きな契機のひとつとなったのが,人間 関係論研究の緒となったホーソン実験であった。この実験は,もともと科学 的管理法やフォーディズムと呼ばれる管理法の成果をさらに進化させようと して行われた。しかし,この実験から,当初考えられていたこととは異なる 成果が得られることになる。この実験結果によれば,従業員の「仲間から受 け入れられたい・好かれたい」という欲求が,管理者によって与えられる経 済的刺激と同じかそれ以上に重要であり,彼らの仕事ぶりの決め手だという ことが判明した。この一連の実験の中で行われた面接調査において,多くの 労働者が疎外感と一体感の喪失を訴えたことから,メイヨー(Elton Mayor) は,合理的経済人とは全く異なった人間性の仮説を作った。その特徴は次の ようなものであった72)。
人間は基本的に社会的欲求によって動機づけられ,仲間との関係を通じて 基本的な一体感を持つ。また,産業革命と仕事の合理化の結果,仕事そのも のから意義が消え,仕事における社会的関係の中に意義を求めざるをえなく なった。そして,従業員は管理者が与える経済的刺激や統制よりも,仲間集 団の社会的力に感応する,というのである。この仮説から考えられる管理は, それまでの合理的経済人のそれとは異なる。管理者は,部下の仕事だけに注 意を払うだけでなく,彼らの欲求により多くの注意を注ぐべきである。管理
69) 波多野誼余夫,稲垣佳世子『知的好奇心』中央公論社,1973年,p.168 70) 同上書,p.5
71) Schein,前掲註(66)p.68
72) 同上書,p.69,大橋昭一,竹林浩志『ホーソン実験の研究』同文館,2008年
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者は,部下の個人的刺激よりも集団的刺激について考え,部下の感情に配慮 し共感を示さなければならない73)。また,「好みや意見を言える機会が与え られ,厳しい監視の目がなく,基準 ― 能力に見合った目標 ― を与えられれ ば,人は効率的に働くことを示してくれた74)」のである。そして,賃金のよ うな経済的動機や人間関係論のような,外部からの刺激に依存しない自律し た人間観に注目するものが出てきた。マズロー(Maslow A. Harold)が提唱 した欲求階層説で広く知られるようになった「自己実現」人である。
3 「自己実現」人の管理
マズローらによれば,近代産業において組織生活は,仕事から意義を奪い 去ってしまったという。この仕事の意義の喪失は,人間の社会的欲求よりも, 自分の能力を発揮したいという人間の生来の欲求と関係がある,と考えられ る。大部分の仕事が,細分化され専門化されたために,労働者たちはその能 力を発揮したり,自分のしていることと全組織の使命との関係を理解できな いことが問題である,と指摘される。これは工場などの生産に携わるものの みならず,ホワイトカラーに関しても同様な状況である75)。そこでマズロー は,合理的経済人や社会人と異なる人間仮説による管理を提唱した。マズ ロー理論の特徴は,以下のようなものである。
人は仕事のうえで成長することを求め,かつ成長する能力を持っている。
また,人間は,本来的に内的に動機づけられ自己統制的である。そして,自 己実現と組織を効果的に運営することは,本来的に矛盾することではない。
適切な機会さえ与えられれば,個人と組織の目標を統合する,というので 73) Schein,前掲註(66)p.69,リッカートの言うところの「連結ピン」の役割を担 うというものである。(R. Likert, New patterns of management, New York : McGraw- Hill, 1961)
74) 同上書,p.60
75) 同上書,p.77,Mills C. Wright, White Collor, Oxford University Press,杉山政孝 訳『ホワイトカラー』東京創元社,1957年
ある。
「管理者は,部下を動機づけたり統制する人であるよりもむしろ,部下の 援助者であり,なかんずく適当な権限を部下に与えるという意味での権限の 委譲者でもある76)」。これまでの人間観に立脚すると,従業員の業績に対し ては,経済的・社会的報酬といった外的報酬を与えることが想定されていた。
一方,自己実現人の仮説によれば,従業員は,優れた業績や創造性に対して は,完成のよろこびや自分の能力発揮などの内的報酬を得ることになる。そ して,こうした自己実現を希求する人間仮説にこたえるための管理方策が,
示されることになる。アージリス(Chris Argyris)は,職務拡大(多能化)
と自主管理化を提唱した77)。マグレガー(Douglas M. McGregor)は,旧来の 外部からの刺激による管理を
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理論,マズローの自己実現人を前提にした 管理をY
理論と呼び,後者による管理を推奨した。そして,Y理論による 管理方法として,「目標による管理」,「職務拡大」,「意思決定プロセスへの 参加と自己評価」などを適用例としてあげたのである78)。また,ハーズバー グ(Frederick Herzberg)は「職務の垂直的負荷」の導入などによる「職務充 実」を提唱した79)。4 「複雑」人の管理
これまで述べた理論は,それまでの時代に見落とされていた思考を補い,
それぞれの時代を彩るものであった。しかし,シェインは,それぞれの主張 は妥当なものであるが,人間を単純化,一般化して考える傾向があった,と 指摘する。人間関係論や自己実現人が提唱されても,経済的報酬が機能しな
76) Schein,同上書,p.79
77) Chris Argyris, Personarity and Organization Harper & Raw, 1957,伊吹山太郎・中 村実訳『組織とパーソナリティ』日本能率協会,1970年
78) Gary Latham,前掲註(68),p.74
79) Herzberg Frederick I. Work and The Nature of Man, Staples Press, 1968,北野利信 訳『仕事と人間性』東洋経済新報社,1968年
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くなったわけではない80)。人間は,多くの欲求や潜在能力を備え,合理的経 済人,社会人,自己実現人よりも複雑なものである。社会や組織が複雑化し 分化するにつれて,一般化がますます難しくなった。そこで提唱されたのが,
「複雑」人モデルである。その特徴を概説すると次のようになる81)。
人間は複雑であり,かつ極めて変化しやすい。そして,人は組織での経験 を通して,新しい動機を学び取る能力を持つ。ある人と組織が結ぶ心的契 約82)は,その人がもともと持っていた欲求と組織での経験との相互作用の結 果である。また,組織が違えば,また組織内の部署が異なれば人々の動機も 異なるかもしれない。そして,人はいろいろな欲求にもとづいて,組織に生 産的にかかわることができる。個人の満足と組織の有効性とは,ただ部分的 にその個人の性質に依存するにすぎず,常にすべての人に有効なただ一つの 正しい管理戦略は存在しない。また,部下の欲求や動機に違いがあれば,そ れぞれの部下を違ったように扱わなければならない83)。その意味において,
それまでの人間に関する仮説で述べられたことは矛盾するものではない。
西洋において,ギリシャ哲学やユダヤ教,キリスト教の影響を受け,「労 働は苦痛である」が基本にあると考えられた。しかし,徐々にその考え方が 改められ,資本主義の発展とともに労働の価値上昇がはかられた。また,心 理学や社会学研究等において,働くひとの研究がすすみ,怠けものでなく意 欲的に行動する人間像が明確になってきた。この仮説が登場し説得力がある のは,労働が嫌なものであり,なるべく回避したいということが出発点にあ るからであろう。しかし,宗教改革により,労働観が大きく変化することに
80) http://content.time.com/time/magazine/.../0,9171,2019628,00.html(2017年9月28 日)プリンストン大学の調査結果において,年収約700万円くらいまでは,賃金 の上昇と幸福感が上昇の関係に相関関係があることが報告されている。
81) Schein,前掲註(66)pp.83‑84
82) 服部泰宏「ルソー組織における心理的契約」, 日本労働研究雑誌 ,労働政策研 究・研修機構,2016年,4月号,pp.56‑59
83) Schein,前掲註(66)p.84
なり,資本主義の発達に大きく貢献したと指摘されるのである。次に日本に おける仏教の普及と労働観や働く意識ということについてみていく。
3 日本人の労働観と知識の適用について
― 日本における仏教の普及と労働観 ―
3.1 「知識」の発見と働くこと
日本では働くことの意義は,「知識」 の発見によるところが大きいという84)。
「知識」はもともと仏教用語であり,人が誰しも持っている信仰・労働・技 術の諸能力をよき目的(利他行)のために提供することを意味する。たとえ ば,多くの人がひとつの目的のために協力して働くことである。聖武天皇が, 東大寺大仏建立の計画時に「ともに知識とならん」と呼びかけている。これ は,皆がともに働こうという意味である85)。700年代,聖武天皇は,行基の 教えをうけ,この「知識」を自発的に提供することを期待し,大仏の建立を 成し遂げた。その考え方をするようになったきっかけが,奈良時代初期,聖 武天皇による河内国の知識寺参詣であった。そこには,近隣の土豪や住民が
「知識結」を作り創建した大仏があった。聖武天皇がこの大仏を拝んで感動 し, 東大寺大仏の建立の構想につながった。 とくに, 聖武天皇は, 「知識結」
によって建てられたことに意義を見出した。また,その人民の結合力も聖武 天皇の心をとらえたという86)。
「知識結とは,人々がそれぞれの能力・資金・技能を提供し,協力して仏 像・仏閣を作る結合体を意味する。財力のあるものは資金を,ない者は労力 を,また建築・石造・冶金などの固有の技術を持つ者はその技能を持って参
84) 河原,前掲註(44)p.298 85) 河原,前掲註(44)p.299
86) 井上薫『行基』吉川弘文館,2013年,p.113
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加すればよい87)」というものである。どんな小さなことでも,一人ひとりが できることを提供することにより,大事業が成功したというのである。
「結」とは,田植えや収穫時に近隣の人々が集合し共同作業することである。
これは,日本の農村でも広く行われ,受け継がれてきたものである88)。この 東大寺の大仏建立工事に携わった労働者(知識)は,延べ260万人以上であ り(当時の日本の推定人口約560万人),「当時の日本のほとんど総力を結集 した大事業89)」であった。こうして共同(協働)することの意義が広く日本 中に伝播したと考えられる。これを可能にしたのが行基であった。聖武天皇 は,行基のもと,急流に橋をかける危険な仕事などにも民衆が「知識」とし て,喜々として自発的に働いているのをみて,感銘を受けたのである。
3.2 仏教の普及と労働観
当時の僧尼は,寺院に寂居し,国家の安寧を祈る官僧であり,一般の民衆 を布教の対象とはしてはいけない,禁止されていた。一方,行基は,法令に 従わず民衆の貧窮と苦悩からの救済を行うために,伝道と社会事業を積極的 に推し進めていた。当時の政府は,こうした行基の活動を弾圧していたとい う90)。行基は,新都平城京の建設に諸国から駆り出され,行き倒れになる者 や多数の役民の苦労を見て,独自の布教を始めた。山陽道の要地に,彼らを 宿泊させ粥を食べさせる「布施屋」を建てた。行基は,「布施屋」を拠点に して,彼らの労働を使い土地改良の工事などを行った。そこで,行基は,悪 行を行ったものは地獄に堕ち,善行を積んだ者は菩薩となる,つまり,利他 の善行を積めば恐ろしい地獄行きを免れることができると教えたのである91)。
87) 河原,前掲註(44)p.300
88) 同上書,p.300,https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/27html(2018年11月) 89) 長部日出雄『仏教と資本主義』新潮社,2004年,p.70
90) 井上,前掲註(86),p.72 91) 長部,前掲註(89),p.57
その教えをもとに,行基は土地の豪族には資本を提供させ,「布施屋」を建 築し,貧窮に苦しむ民衆に対し粥を施したのである。そして,集まってくる 窮民の力で農業用の地溝をつくり,道や橋を架けた。その結果,土地が潤い, 豪族には出した元手以上の利益がもどってきたのである。「かれにしたがう 民衆は,菩薩になるための行としてよく働くので,池溝の掘削も,道路の建 設も,橋の架橋も,見る者が驚くほどの速さで92)」進んだのである。
このように行基は官憲からは反逆者とみなされながら,一途に窮民救済の 菩薩行・利他行を実践したのである。それが「知識」であった93)。こうして, 一般に布教することが禁止されていた仏教が,民衆に浸透することになる。
その結果,働くことは,利他業であり自己救済につながると考えられ,その 認識が広く浸透してくことになったのである。そして,「仏教における働く ことの意義が発露した94)」と指摘されるのである。こうした長年の実績から, 聖武天皇によって,東大寺の造営と大仏の造営の勧進僧に起用されることに なった。そして,ここでも「知識」により大事業がなしとげられたのである。
こうした「知識」にもとづいた事業は,空海や道元などにも受け継がれ,
日本に浸透していく。空海は,寺を建て,学校をつくり,池を掘り,堤を築 いた。香川の満濃池(万農池)の築堤は,空海によるものである。この堤の 工事は,国家事業として造成が試みられたが成功していなかった。「権力が かき集めた労働力としての農民は,伱を見て逃げてしまう。働いても心がこ もっていない。それが空海という『人』を得て三ヶ月足らずで完成した95)」。
92) 同上書,p.87
93) 河原,前掲註(44),p.302
94) 橘木,前掲註(43),p.15,本郷真紹「行基と律令国家」(速見侑編著『行基』)
吉川弘文館,2004年,pp.109‑136「知識の活動内容とその意義について十分認識 していた光明皇后は,全国的なレベルで天皇自ら菩薩としての役割を果たし,知 識活動を導くことが王権の威信を回復するための手段として受け止め,これを実 行せんとした」(本郷,前掲註(94),p.74)
95) 河原,前掲註(44)p.306
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