• 検索結果がありません。

對支文化事業と吾人の之に對する若干の希望

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "對支文化事業と吾人の之に對する若干の希望"

Copied!
25
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

雑録

對支文化事業と吾人の之に對する若干の希望

田崎仁義

l一

現に企てられ既に其の貨行に薯芋せられて

居り︑日華両国人の一部のものによりて初茸 に期待せられて居る封支文化事業なるものは

如何なる目的意義を以て起されたるや三言ふ に︑大正十二年三月十五日第四十六試合衆議

院に於て時の外務大臣内田伯が封支文化事業

特別合計法条を提出したる際に行ひたる説明

演説に其の要旨は亜されて居る︑白く︒

我国と支那とが古雑特殊賢慮の関係にあ

りまするこ亡は︑私が立に喋々する迄もあ りませぬ︒而して此日支両国民の問に具の 了解を訝す薯には狗ら政治的経済的方面の みならず︑文化的方面に於きましても互に 大いに努力を致す必要があると存じます︒ 帥ち之が南国民間の了解の根概をなすもの ど存じまする︒時々起うまする時々の皆河 の問題を離れて︑永遠の国是と致すべきも のど信するのであります︒之まで支那に於 きまして︑本邦人の手に経螢せられました 文化事業は和合にございますが︑其規模が 概して小さく其範囲も割会に狭かったので

ぁります政府に於きましては︑放て是等の

対立文化串琴羞口人の之に封ずる若干の希望 一七一

(2)

商 業 さ 怪 涜

w

﹂ ご

遺憾ご致しまして若干の施設に謝し

v f

ては図裂を支出して補助ケ加へ︑且つ之ケ

奨励し来ったのでめります︑然るに御承知

の如︿大正六年十二月より昨年十二月まで

印ち過去五箇年間支梯延期中でありました 所の義和問事件賠償金の支挑が再開せられ まして︑昨年の十二月よりは所定の金額が 日本に経入るこごになったのであ

h

す ︒

此賠償金元利は今後二十三倍年間に年賦を 以て償却を受けるこさになって居

b

す ︑

又山束餓道の補償ご致しまして交付な受け まする図庫詮券中賠償金特別合計に属する 分が公有財産及び製臨業の補償ごして交付

ケ受ける図庫詮応分中製崎山業者に交付すべき

ものや‑除きましたものは︑十五ヶ年間に其

一冗利を償還するこど冶なって居

b

ます︑又

山来に於げる鎖山に濁する補償さ致しまし て交付を受けまする現金中.賠償金特別合

計に繰入れらるべき一分を除きたる残額をも

加べまして本特別合計の財源ざ致しまして

一一般お支文化事業の結局に査すこど﹀致した

く本案を提出いたしました次第でご

5

い ま

す︑而して此事業が永年に亙

h ノ継続すべき

性質のものでありまするが故に︑成く可く 多︿の資金合積立てるの必要があります

4 }

之に鑑みまして︑之を特別合計ご致した次

第であり・ます︑本特別合計泌案の目的さ致

しまする事業の範同は大陸之ケ殺育︑

m T

義 ︑ 衛生及び救他に限るこ芝︑致しまして︑事

柄 の

性 質

上 急

速 に

其 ・

淡 町

ポ ル

仏 政

め る

こ さ

は 誠

に困難であります唱﹄ごは申す迄もない三}ご でありますが︑其賀施の方治に悶しまして

は篤ご考究調査や‑裂する必一妥がゐります︑

ぞれ放に十二年皮に於きましては差掛り必

要訟成じて足ります所の在本邦支那沼山学生

の皐資補給及び山東省に於げる病院.氏ナ校

経 政

官 の

補 助

︑ 其

他 一

一 一

二 の

事 柄

に 到

し ま

し て

必突なる支出じ止め十二年度に於きまし

ては専ら将来行ふべき事柄に閲する調査に

カを議したい考へでごぎいます︑一姿細は別

(3)

に提出致しました所の本特別合計大正十二

年度追加珠算に依り御承知子頗

ο

たうごぎ

います︑倫ほ文化事業なるものは其性質上

各方面の協力を侯つにあらぎれば其始以果ケ

奉げ得るものではありませぬから︑本事業

におしまする調査及び其経後方針等に付き

まして︑我朝野有識者の意見を徴する潟め︑

追て迫秒間の機関ケ設くるのみなら歩︑又進

んで支那官民の立見をも徴する結局め︑相岱

な る

方 ︑

法 令

﹂ 議

じ た

い 積

り で

5

い ま

す ︒

而して其合計注案は僅かの字句の修正争加

へたるのみにて一同協ケ遮過し公布せられた次

の如きものでゐる︒

調支文化事業特別合計法

第一俗説支文化事業助長の忽特別合計子

設置し其の歳入を以て其の歳出に充つ︒

第二一保左に掲くる詮券は之ケ本合計に邸

屈せしむ

J

一明治三十四年支那図及列国最終議定

川バ支文化事業吉正口人の之に封する若干の希望 者第六僚の規定に依り支那国政府より 受卸したる四分利付支那園債券︒ 二山東懸案解決に閲する俊約第六俊及

第二十五係並山束懸案細目協定第十九

伎の規定に依り支那国政府より交付を

受くる図庫詮券中製臨業者に交付する

ものを除きたるもの︒

三山東懸案解決に関する倹約第十五係

及第十八保並山来懸案銭道細目協定第

四僚の規定により支那国政府より交付

を受くる図庫詮券中賠償金特別合計に

蹄屈せしめらるへきもの訟除きたるも

の ︒

第三保山束懸案解決に関する倹約第二十二

僚の規定に依り設立せら︑れたる舎一枇より

山東懸案細目協定第二十四伎の規定によ

り支桃子受くる補償金中賠償金特別合計

に繰入れらるへきものや﹂除きたる残領は

之を本合計に絞入るへし︒

第四僚本合計に於ては左に掲︿る諸政入

一 七

(4)

官 主 主 経 部

を以て其歳入ざす︒ 一所属設券の償還元利金︒

二所属資金の運用利殖金

Q

三寄附金︒

四 所 属 雑 牧 入

ω

第五係本合計に於ては左に掲ぐる事業に

関する諸費用ぞ以て其の歳出ごす

J

一支那闘に於て行ふへき殺育︑皐装︑

街生︑其他文化の助長(原案には街生

の次に﹁及救他に閲する事業﹄さあり しケ﹃其他文化の助長﹄さ修正せられ

た り

) ︒

二帝国に在留する支那図人民に劃して

行ふへき前就に謁︿る事業さ同担の事

三帝国に於て行ふへき支那国に関する 業 ︒

向 学

術 研

究 の

事 業

︒ 第六俊寄附金にして特に用念ケ指定した

るものは英の伐件に従ひ之を使用すヘし

第七保本合計の歳出額は寄附金に依るも

一 七 四

のや﹂除くの外毎年皮二百五十前回全超過

するこごケ得す︒

第八傑本合計の決算上剃徐金全生するご

きは之を積立つへし︒

第九俊本合計の資金は大戒名預金部じ預

入れ之合運用するこどを得︒

第十保政府は毎年本合計の歳入歳出珠算

n ‑

調製し一成入歳出の総務算ご倶に之ケ帝

図議舎に提出すへし︒

附 則

本法は大正十二年度より之を施行す︒

大正十一年一般合計に於て明治三十四年支

那国及列図最終議定書第六僚の規定により 支那国政府より受領したる四分利付支那図 債券の元利償還金投入ごして受入れたる金

額に相常するものは本法施行の際之を本合 計の歳入に繰入るへしぜ本決施行前第二保

第二波及第三械に規定する図庫設券にして

本法施行前支那国政府より交付守受けたる ものは本治施行の際之合本合計に防局せし

(5)

tt 

其後調支文化事業調査委員が選任せられ︑ 又外務省内にお支文化事務局が設置せられ束

亜局長たる出淵勝治氏が其の局長を粂ね.其

下に岡部事務官朝岡事務官等が美事に蛍るこ

ご︑なb.並(事業に閲して度々委員等が支那

に出張して程々の調査をなしたる上︑昨大正

十二年十二月廿九日及三十一日に外務省に於

て日支雨図問に非↓公式の打合が行はれ.日本

側よ

b

は 出

︑ 淵

局 長

︑ 岡

部 事

務 官

︑ 伊

膝 書

記 官

朝同事務官︑支那側からは在一公使︑未設育部

特 涙

員 ︑

間 以

盗 事

官 ︑

隊 部

e

務専員.銭秘書官等

出席して十二ヶ僚の協定事項ケ得たが支那側

の傍ふる英の内容は左の如くである︒ 一︑日本に於て割支文化事業に闘し立案す

る時は支那布識階絞代表の立見を十分等

宣 す

る こ

ご ︒

二︑国民賠償金に関する資金は主ざして支

自文文化卒業さ耳目人の之に泊する若干の希望 那人経挫の文化事業に用ひ︑日本の山束 に設立せる的学校病院及び現在日本の各国 陸が支那に於て経管しつ﹀ある文化事業 の補助費は山束賠償金中よ

b

支 出

す ︒

三︑北京じ同書館及び精一脚科卒研究所を設

立 す

(註)支那閣議では支那人の誤解を慮

b

文化科卒ご訂正3れた模様である︒

問︑上海に自然科卒研究所守設立す︒

五︑前二項の事業費は別に定む︒ (附記)前二項の図書館及び研究所の館

長所長は支那人中よ

b

雨園の協定せる

者合以て充ク︒ 六︑終・系図匪賠償金項目の資金に剰徐ある

時は︑夏に下記各事業を越す︒ (甲)泡蛍の地営選んで博物館を設立す

(乙)済甫に答率校及び附属病院な設立

す ︒

七︑第三項よ

b

第六項に至る各項の事業に

就ては評議員合合設置し︑日支雨図人を

一 七

(6)

商 業 さ 経 許

以て之を組織す︑主(員数は各評議員合ご

も二十名ぎし日支雨図より各十名か山出し

雨図の協定により支那人中より一名を選

ん で

合 長

ざ す

入︑北京岡書館及び研究所の用地は支那攻

府より無償支給す︒

九︑救悩費の名義は之ケ怒善費又は其他の

名稀に改

h u o

(附記)十三年の此項の費用は出淵局長

の盛明により十両一苅診以て限皮ざし十 四年度より之子廃止す︒

十︑留日支那向学生に調し明年反より次の如

き方法により準設な給興す︒

(附記)向学費支給の期限は雨図の協定に

よ り

十 年

ぎ す

(甲)皐授は一人毎月入十図ざす(一時 毎月十八一冗ご報じたるものあれど其は

謎 弘

) ︒

(乙)此項の準設の支給予受︿る留早生 の数は毎年度三百二十名を超ゆるか山待

一 七 六

(丙)前項山中生は各省選出衆議院議員数 十 ︒

及各省の図匪賠償金負携績により各省

人 員

含 決

定 し

︑ 大

卒 及

び 専

門 的

学 校

在 的

生中より之子選ぶ︒

前 惑

の 大

向 学

専 門

的 学

校 は

濁 支

文 化

事 業

及 駐

日 支

那 一

公 使

館 協

商 指

定 す

(丁)前項により選抜せらるぺき向学生は

官費生に限ら十忍費生訟も加ふ︒

(戊)選抜せられたる些生にして成総劣

等或は操行不良なる者は直ちに其亭授

の 支

給 を

停 止

す ︒

十一︑留日支那的学生本年度給奥は下の方法

に よ

る ︒

(甲)第十項ご同一の方泌による︒

(乙)民国十三年一月分より支給すっ (丙)従来未納の各

m

学校の授業料は本年 末の分な以て支銚ふ︒

十 二

︑ 右

卒 尚

武 は

支 那

一 公

使 館

よ り

支 給

す ︒

而して本年(大正十三年)六月下旬開催せら

(7)

れたる割支文化事業調査委員合第二回総合に 於て第一一事業ごして左の如き計霊が決定せら れ︑業の珠算は臨時議舎営通過し本年度の支 出額九十五一両国も可決せらる﹀に至った

ω

一︑六箇年総絞事業ごして北京に人文科的学

研究所並に図書館を︑上海に自然科息子肝 究所伝設置す︑此の総珠算五百表拾五高 図(立︿後新聞に表れたる所によるご六百

五拾高図ごあるが渓りならん!大ム旬︑七

月 十

入 日

) ︒

一︑十三年反追加珠算ごして九拾五南国を

計上す(北京の分は五拾七お図︑上海の

分は会拾入荷四三

一︑北京の研究所及び図書館は銭筋コンク

I

ト建三府楼︑延坪二千坪五ヶ年で竣

功︑上海の研究所は銭筋コジク

7

1

二居楼延坪二千坪三ヶ年の竣功の設定︒

一︑北京の俳究所には左の入部門伝設く︒ 哲卒︑文附学︑宗致︑美術︑天文︑考古

庭史︑法制経済︒

説文文化事栄之吾人の之に封する若干の希望 上海の研究所には左の二部門を置︿︒

盤 的

九 千

︑ 理

息 子

而して其の建築は本年中に着手せらる︾答

で︑共の設計は帝大の内田祥一二︑伊東忠太雨 博士之に蛍

‑ b

︑北京の方のものは古典的に支

那 趣

味 ︒

γ

多分に取入れた立波なる建物に作る 佐官で︑上海のものは賞用を主ざする近世式の

も の

﹀ 由

で あ

る ︒

ぬ 川

ほ 右

事 業

に つ

き 出

︑ 淵

局 長

の談ごして新紙上に表れたるもの(大毎七月

十八日)含見るに︒

図民事件の賠償金の費念に就ては各図共 に可なり窓を用ひて居るが︑我闘は右の金

にて北京に人文科卒併究所を建て︑日支雨

図から卒者研究生密集め宗教︑哲率︑法制経 済の研究所ざし︑上海には自然科卒研究所

?設けて之を理皐部.答率部の二部に分け

て︑理的学部では支那特有の動物や支那地質 の研究に従事し︑隆盛

e

部では楊子江流域の

特殊病たる官民江亦痢を始め支那特殊の病気

を 併

究 す

る の

で 一

附 図

か ら

J

でんな卒者を集め

一 七

(8)

商 業 主 経 済

るさか︑所長には諮ケ任命するごか一エふ細

目については今後支那側ごよく協議した上

で決定されるが︑支那有力の向学術図陛たる

北京大串ゃ︑中華皐葱一祉︑教育改進一肱等か

らも程々真面目な意見を提出されて居るか

ら︑十分に之等の意見をも曾重し︑異に

m

問的に日支親善を周

b

︑一つの立振な機関

ごする様努力するつもりである︑康束の有

力者逮からも支那の文明を形遣るものは中

部に於ける上海︑北部の北京︑南の康束で

あるのに︑その庚来だけには何等の施設も

なちないのは不明であるぜ一玄ふて来て居る

が第二の事業ざしては勿論庚束にも立涙な

施設合する積

b d

あ る

目疋で見れば此の濁支文化事業なるものが如

何にして企てられ︑又た如何なる主回目で大要

如何なる絡固の事業?忽さんざするものであ

るかさ一式ふこさは明かな様であるが︑然し日疋

一 七 入

れに濁して支那側の人々は如何なる戚を抱い

て居るかさ云ふに︑無論大に喜び︑且つ期待

して居るものもあるけれピも.叉た一部のも

のは又例の﹃日支親善の抑寅﹄かさ一式ふて潮笑

して居るものもあり︑叉た中には︑日本は裳

に軍事提携さ一玄ふ甲}ごを申込んで来たが其の

質侵略主義を抱戒して居るのである芭て大反

調に泡ふて失敗に蹄したから︑今度は文化提

携さ一式ふこさで考へたのであらう︒要するに

日本が中園に濁して珠て抱て居る野心密行は んさーする手段に過ぎぬ︒今日世界の大勢は卒

和ケ欲求して軍事的.偏式的行局局を退けるが

故 に

︑ ロ

聞 を

換 ヘ

て 文

化 ざ

一 式

ふ 美

p

m

り て

たものであらうさ一去ふ様に猪疑の肢を以て現

て居︑り︑或は事業︑の執行機関の組織等に関し

でも少なから子疑問︒

γ

懐て居るものもあり︑

本年五月上旬頃に会園教育合聯合合︑庚子賠

款事宜委員合︑中事会問殺育経費委員合︑中図

科 卒

一 祉

︑ 中

華 亭

葱 一

耽 .

的 学

術 研

究 祉

︑ 中

園 地

事合.留日大高同率敦誼壮︑北京師範大

mA

(9)

東南大卒︑山西大卒︑式日日師範大卒等伐各国

陸は聯名を以て大妥左の如き宣言を後表せる

こ ご

が 報

体 ﹂

ら れ

て 居

o

要するに文化事業は日本内政の延長でゐ

る今回服部博士.朝問︑小村諸氏系京し文

化事唯一本は政治?超越するものであるぜ説明

されたが︑我々も諸氏の誠意ご日本朝野の

熱心ごを信宇るものであるが︑但しこの形

式方法は完全に政治の支配を受けてゐる︒

この結は如何に説明されても多数の懐疑な

免れないごこんである︒況や日本のこの事

業に聾する方法たるや全然官設の性質に扇

し勝家支那側より奉加する場合支那側の資

格が客員でゐるか︑一庭口貝であるか︑乃至は

属僚でみのるか剣明しない︑この結は最も誤

解ケ招き H 勿く且つ解決し難い賂である︒以

上の読解を除き良好の結果?得る匁に左の

郷泌を希望する印ち日支雨図よ︑り専門の与

者訟推一応し︑日本の皮子賠款合以てする文

化事業の一切の事務合誇主決定並に管理す

封文文化事業て苦人の之に皆マ Z 庶干の希望 るこご︑理事の人員は日支折宇し別に理事 長一名を設り支那側より之に蛍る事︑右の 希望は最低限反のものである

o

日本が若し

この希望守容れなければ奉加する事ケ願は

な い

云 々

以て一部の人々の意向の一斑一念窺ふこ之が

出来るのであって︑一には未だ相互の諒解が

充分徹底するに至らぬ結局めであ

b

︑又一つは

近来彼図に起りつ︑みある排外思想.利擁回投

論等の影響に基くものであるかご思はれる︒

丁皮英国(奉天文那人間には数百楼回段︑蓮勤起

b

︒溺銭沿線各地に於ける漏銭経営の支那人

小山学校は日本の利盆を主ざするものであって

支那図民性伝破壊するものでゐる︑之ケ放置

するは支郊の前︑途を危くするものであるから

支那人におする殺育雄

満銭より回投しなけ

e T

ればならぬご唱道宣侍した甲}ごもあったが︑

要するに其の根本勤機は同一であるご見てよ からう︒然し・斯様な誤解や反割は何時如何な

る事業にもゐ

易い‑﹂ごであるから敢て格別

h J

一 七

J

(10)

商 業 さ 経 持

立に介するこさも無かる可く︑前記協定事項

には支那方面有識者階級の代表的立見は之を

舎宣するこごになって居るのであるから︑兵

面白な立見は勿論相営な方法によりて採用通

達せらる﹀答である︒

山川ほも一つの議論は此のお支文化事業は純

然たる向学術上の事業で︑政治上には何等関係

がないのであるから政客又は政客式卒者守

して業の研究所長︑図書館長︑評議員︑評議

合長等の地位に割込ましめて︑之ケ攻略的の

道具に伎はす様なこごをしたくないこご︑又

同事業は其仕事を各地じ設けるこごは事業の

寅際の放呆を上げるに困難であるから︑其の

カを分割したく無いぜ一再ふ様な議論で︑主ぎ

して北京大卒側の主張する所である︒印ち同

大卒は左の如き怠見書を後表して居る︒

一︑図書館長研究所長及び評議合長評議員

の選捧は努めて慎重に忽し︑純粋の向学者

一 人

O

に限︑り︑政客或ひは政客式卒者

b J

併 入

しめではならぬ︒

二︑精紳科卒研究所及び自然科卒研究所を

北京之上海の雨彪に分設するさの案に劃

しては満足するこさが出来ない︒ぞれは

精紳科皐さ白然科阜の研究は理論上或ひ

は事業上均し︿淫絡交通の必要があるか

ら︑分離して幾多不便子生壱しなぺきで

ないからである︒地貼に就て一式へば︑北

京は民図の首都であるから︑向学術研究所

吾北京に設けるこごは︑決して北を主ん

じ市子保叫ん十るものではなからうかさ顧

慮する必姿がない︒

さ云ひ︑更に博物館段科大卒及び病院のこご

に 関

し で

は ︑

一︑博物館の重姿なるこどは図書館研究所

に議らない︑宜しく速かに設立すぺきで

ある︒剃徐金のあるを待って之れぞ設け

る ぺ

き で

な い

二︑本大践すは絡始問書館博物館研究所の三

(11)

磁の事業を兵正永久の文化事業であるご

してゐる︑宜しく賠償金の全数を以て事

業に若手ずべきである︒故に︑防府系賠償

金に剃徐のゐった時山来炭来等に器科大

山 学

︑ 器

等 専

門 的

学 校

或 ひ

は 病

院 を

設 り

る ご

の計書には賛同するこさが出来ない︒

此の議論の加さは相蛍に傾聴す可き一議論で

ゐるぜ思ふ ρ 単に卒業を行ふ三一去ふこどは政

客又は政客的卒者どおせらる﹀人誌の方が或

は手際良くするかも知れないが︑元々純然た

m

晶 子

術 上

︑ 文

化 上

の 提

携 後

反 を

期 す

る こ

さ や

目的ごして居るのであって︑除程長年月ケか

けて事在校本的に進めるのが本旨であるから

政治上政策上に超然ぎして俗ま中急が十純然

たる皐術的研究上の法大高賞なる立場から総

ての事ぞ立案し寅施して行ける人物を選任す

るこさが最も肝要の事でゐるから︑北京大卒

の主張する人諮問題に謝する立見は日支雨図

共に充分の注意ケ挑はねばならぬ貼でむるご

信宇る︒事栄質施の機関設佐の場所に関して

白文文化事誌で奇人の之に劉寸

Z

宕 干

の 品

川 ・

は︑北京に人文化等研究所及図書館︑上海に

自然科卒研究所ぞ設立するこどは既に決せら

れ ︑

一 見

に 資

金 に

剰 徐

あ る

時 は

済 南

に 皆

向 学

校 仏

病院を置く‑﹂ごも協定一事項中に合まれて居る

のであるが博物館の位地は未定で︑盟・に遊山首

の地を選んで之を設立するこごになって居る

前記出淵局長の話によ

b

て見れば既定北京上

海の二ヶ所ケ選むに常

b

ては全く其の研究所

の目的事業の性質から此等の二地を各最も有

放であり便利であるこごが明かである結果︑

定められたるもので何等攻略的効機が合ま︑れ

居らぬご信

得らる﹀さ思ふのであるが︑第

h u

二事業ごして康来にも何か施設営する積りの

如く後表せられて居る対なぜは︑来して如何

なる目的性質の事業であるか︑立(の種類の'如

何によ

b

て理論上必十しも不可ではあるまい

けれざも︑要するに事業を各地に分配するが

如きは第一攻略的勢力に来性られ易きの慨も

b

︑人や金のカケ分割する結果伝来すから

規模殺カが弱小務弱になるので︑折角の事業

j ¥ J  

(12)

商 業 さ 経 済

も姑息不徹底に陥

b.

北(の成果の法大台期す るこさが出来なくなるの良がある︒金額八九

千持闘の賠償金ケ基従ざして企てられたる事

業であるから︑之

oM

A

分 散

体 ﹂

ム に極めて使用す γ

るごせば相営の仕事は出来可き筈であるけれ

ポこも︑彼所にも此所にも︑此の事業にも其の

仕事にもさ気津山に八方美人的に使用しては

其の殺果は甚だ薄弱なものさなってしまう︒

元 来

支 那

は ニ

一 一

口 ふ

迄 も

無 く

世 界

第 一

の 大

図 で

る ︑

図 ご

一 一

一 一

回 ふ

て 趨

蛍 か

何 う

か 疑

問 で

あ る

が ︑

兎に角四億民衆含有する大赴舎であるから︑

入千認や宣伝の金で彼方にも此方にも喜ばれ

る撲な事業?仕様等さ考へる事が抑も間遠

である︑況んや貫際に於ては其の資金の利息

によるのでんすの庭年額は僅かじ武百五拾高回

以内さ云ふ事に協定せられて居るのであるか

ら︑少し念の入りたる事業ならば︑一図書館

一研究所を設立経鋒する費用子ししてすら決し

て豊かな金額ごは謂へない金初である︒銃に

定めた北京及び上海に於ける上記の事業につ

4v︑ ︑ ‑ . ︐ ︐ ︐  

いては強ち異論争﹂唱んさはせ︑ざるも︑資金を

成る可く分散せ宇︑集中的に比較的完備せる

有力なる機関ケ建設する誌なる方針ケ以て迩

ま ん

‑ }

ざ +

ゲ ム

仰 望

し て

己 ま

ゴ る

所 で

あ る

︒ 五

次に其の事業は然らば果して'如何なる都類

を包合するのであるか︑北京の方は人文科卒

郎ち哲卒︑文卒︑宗敬︑美術︑天文︑考古︑

歴史︑治制︑経済等を研究する所ごし︑且つ

岡市一育館診廷で︑研究資料合蒐集整理し︑上海

の方には自然科挙印ち主ざして理的学部︑野町学

部の二部を設けるさ云ふこさであるが︑無論

宜(も不可はないが︑然し支那の向学問は非常に

宏大であるから︑日疋も徐り種々なる方面に手

ケ著けでは結局何の方面の仕事も不徹底に了

る様なこごになるかの良がらのる︒或る案によ

るご︑経子史集会陸に亙

b

更に之訟時代や性

質の上から分類し︑其の上人類卒︑土俗的学さ

一玄ふ様な新しき方面も加ヘ︑更に事業ざして

(13)

は研究資料の蒐集保存︑又は其の複製出版︑

或は秘書及索引の編纂出版を行ふさ同時に股

虚ケ始め︑洛防長安宜(他歴史的の遺跡底嘘等

の探険調査念行はんざするの希望も有力なる

卒者間にある様に問て居るが.何れも必要で

b

結構ではゐる︑併し寅際問題さしては左

様に何も彼も一時に仕掛る誇にも行くまじく

何れも皆な相営に大事業であるから寧ろ某等

の中何か最も根本的に重要なる事業に先づ英

主力を注ぐが得策ではあるまいかど考へられ

るのである

J

是につき五口人が︑最も緊急重要

且つ根本的なる事業ざ信歩る所のものは次の

如き事柄である︒

‑J 

@

@

@

@

@

@

@

@

第 二 研 究 資 料 の 蒐 集 保 存 及 整 理 北 京 及

上海の研究所の事業ごして研究資料の蒐集の

必姿なるこごは頗る営然にして多言を妥せ︐さ

るこごなるが︑炭く一般文化的事業ざしても

此の事は最も根本的‑いして且緊姿の‑一ぜなり

野文文化事業さ否人の之に︑却する若干の希望 支那には民間にも往々驚く可き熱心努カを以 て大資金ケ投じて惜まざる大図書蒐集家印ち 大成書家ゐ‑りて︑立︿の保存にも整理にも相蛍 の方泌を議じ居るの士も敢て少なからざるも 実家累代の人々が皆な同様に国書を愛好し之 金併究するごは限ら歩︑或る場合には全く利 用せられ宇空しく死蔵せられ居るこさあ

b.

斯の如きものは宜しく通営の手綾を以て之を

↓公の国書館又は研究所に移して之を保存し利

用す可きな

bJ

倫ほな人の所戒の場合は相砂田

深き注意を以てするも某の保存の安全を期す

るこごは甚だ困難な

b

︑特に戦乱等の際掠略

兵火によりて分散滅失せらる︑の危険甚だ多

く︑従来期かる事由によ

b

て貴重なる文戯及

び文献以外の資粋が永久に己はれたるもの甚

だ砂なから十して識者の痛く遺憾ざする所な

bo

一方に於て欧米人は卓越せる先見明識を

以て夙に此の方面に蕃服して

E

大の金カご巧

妙なる方法さな以て︑之を蒐集牒只して︑之

を 自 国 図 書 館

︑ 博 物 館 に 運 び 去

b

︑偽の

一 八

(14)

商 業 主 経 沼

一 入 四

E

回 一

o p g c o Z o S F

に 於

て も

︑ 英

の 甲

山 円

山 岳

5

25

に於ても数高又は十数前の支那図書 ぞ股戒し魯綿し於ても亦た同じく︑米図の如

きは此の貼に注意し出したるは比較的近時に

屈するに拘ら宇驚く可き熱心を以て其の蒐集

γ

なし居

b

︑主(の股減数は年一年著しく増加 しつ﹀ゐ

bQ

予 が

始 め

て 米

図 事

府 内

︒ ロ

旬 ︑

g ω

ロ可句︑を訪ねたるは一九一七年九月な

b

が︑立(時同館東洋部の支那国宝日所減数は四高

徐冊に︑過ぎぎりしが︑其翌年十一月予が同地

を去らんさする際は既に入誌に返さ数に遣し 居た

b

き o 故に今日に於ては優に十徐高冊を 有するならん

o

紐育︑市俄古等の諮図書館亦

た之に準歩る有様なり︑者し期かる勢に放任 して何等の策を議性ゴらんか来訪日文化の研究 資粋は皆な悉く欧米大図書館の全日庫内に集ま

り︑東洋に於て東洋子研究するこ式全然不可

能 さ

な る

に 至

る 可

し ︑

明 一

同 ふ

︑ 向

山 手

間 に

図 抗

な し

さ︑故に東洋の研究を西洋に於てなすこさ敢 て不可なし︑然れざも︑西洋の書庫に行くに あら.ざれば来洋の資料を見るぞ得子︑東洋に 於て来持ぞ併先ずるこご不可能なりご云ふに 至

り で

は ︑

山 一

品 主

容 を

郎 倒

し 事

理 子

矛 盾

す る

ものにあら十ゃ︑東洋人の恥辱買に是より大

なるはなしご一去はなければならぬ︒是等の賂

から見ても支那各般の研究資料は之を此際充

分蒐集して散逸滅失せざる丈けの方法令‑講じ

て 置

く 甲

﹄ 之

は 緊

急 の

必 要

で あ

る ︒

図書の種類は所謂経子史集の四大部門に亙

りて何れも皆な必要であるが︑吾人の見る所

ケ以てすれば)近来迄徐

b

一般世人の注怠を

︒ ︒

引 か

な か

っ た

士 山

類 (

の の

o m g h

︼お吋

L

O

o m g r

可 )

︒ ︒

さ 議

室 日

( 呂

町 の

の ロ

885

︒ 門

出 ︒

ο ω

H

の 円 円 円

L

ごを特 ω )

に炉︑く且つ多数に蒐集する事を急務さ考へる のである︒前者は風土記さか地方誌ぜか一エふ

楼なもので︑省志︑府志.州士山.勝士山又は山

士 山

︑ 河

士 山

等 争

包 介

す る

も の

で ︑

地 理

︑ 歴

史 ︑

土俗.産業等に亙る頗る炭汎なる記述であっ て買際的︑且(陸的なる人文的並に科率的併究

上に重要なるものである︒十九世紀の率問が

(15)

世田介諮方面の放行記に負ふ所甚だ少から︑ざり

しに鑑み︑最近の等間が列闘の鋭意努力する

諾調査の報告に基かぬものなきゃ白山はい支那

文化研先上︑上記の士山類を重要ざする吾人の

主張の所以あるこごが自ら明かであろう︒欧

米の諸大阜︑諸図書館は近家裁ふて支那の此

方面の悶書を蒐集しつ︑

f

b .

如何にも彼等

の先見ゐ

b

且つ其の芯闘の法大非凡なるこご

は買に長敬に堪ヘぎる所である

Q

我図に於て

も近来幾分此の方面の必要を深く成十るの士

を生宇るに至

b

︑東西帝図大卒︑岩崎家東洋

文庫︑大辿満銭問書館︑上海来亜同文書院問

書館等訟始め其他に於ても各数十部乃至数百

部を蒐集しつ¥ゴの

b

ご雄も未だ蒐集せられ

︐さるもの甚だ多きケ泣憾ざするのであるが︑

調支文化一卒業の一事業ごして行ふ場合は之を

蒐集するには一一般便宜も多レこぜであらうか

ら︑是非共侠漏なき殺に完全に其の蒐集?な

︒ ︒

したきものである︒次に議書は支那苧問上の

一 大

叢 林

で あ

っ て

︑ 主

( 内

府 ゅ

の 笠

宮 に

し て

且 つ

封文文化早栄之吾人の之に封する若干の希望 其の形位外観も雄偉であるこごは世界何れの 図も某の比信子提供するこぎは困難であらう ぎ思はる﹀のである︒尤も甲の議書ご乙の議 事

一 一

日 さ

の 問

に 内

容 の

重 複

す る

も の

あ る

が 如

き こ

さは免れないが︑之は巳を待ないさしなけれ

ばならぬ

Q

要するに支那苧向上の大探険大研

究は此等の叢林を奥深く一分け入るこさにより

て始めて遂げられるであらうど思はれるごこ

ゐの紹大の質成であるご一玄ふてもよいのであ

る︒走れ五口人が特に此等のもの﹀蒐集に就て

業必一安企高唱する所以である︒きて︑此等の

資料を蒐集したならば︑之を完全に保存して

置くこごが必姿であるから先づ之営通気︑乾

燥等を通営にした不燃性の保存所に股戒しな

ければならない︒次には其等の資料を程々な

る目的標準によりて分類して系統立川

J

たる且

つ賞用上便利を旨ごする目録及び猿引を調製

するこさが︑業等の資料を活用する準備事業

ざして最も必要でゐる︒此の目録や索引の調

製の如きは甚だ乾燥無味の仕事であ

b

︑且つ

一 入

(16)

商 業 さ 経 済

技術的の如︿でもあるから一般に卒者研究家

なピが是ケ等関に附するの傾があり︑自ら斯

様な仕事に携るよごは好まない様な風習もあ

るが︑然し異質深大なる研究を遂げて其始以来

争来げん

ε

するには︑先づ以て最も大なる努

費ぞ之に費さねばならぬ︒始めに此事をしっ

かりやって置かなくては念賞際の研究ケ進め

て行く際に非常なる能率上の損失を兎る︾こ

さが出来ぬ︒大なる目録には分類が大切であ

り︑系統含立てるこごが必要であるが v 同時

に目銭其者の索引を附するこさも亦た甚だ必

要である︒他方に於て大なる統一的目録の外 に各積の目的標準によ

b

て分けたる部門目録

事項目録︑著者目録さ一玄ふ様に大小各樟の目

的に便利なる各種の目録を調製するこさが必

要でゐる︒特に支那には一部の書にして数百

忽又は数千窓︑或は一時忽二世内忽さ云ふ治大

なる議書又は百科字

A

果的の書物があるから其 等の内容目録を作成するこ之が必要である︒

嘗て我文部省の作成したる﹃古今図書集成﹄

一 八 六

の目録の如きものを︑もっさ庚く他の書物に

濁しでも作るこどが必要である︒目録の次に

は索引を作成するこさが又た侠く可から

e

さ る

こごでゐる︒十三経索引︑二十五史索引︑先

秦渓魂諸子の索引等無論必要であるが︑一見に

進 ん

で は

庚 く

其 他

の 主

要 事

一 一

日 に

も 及

し た

い ︒

くさも主要なる議書及び志類には是非其々の

目録及び索引を附するこぜが必要でゐる︒

︒@@@@@@ .. 

︒ @

︒ 第二︑研究資料を複製出版頒布上記の如

くして蒐集整理保存せられたる資料は各其の

方面の専門の研究家によりて利用せられ︑其

の債値ご先輝三会後揚せらる﹀であらうが︑

然し其等の研究所を利用するこごの出来る卒

者は其の数に限がある

o

而して重要なる研究

資料は今日立(の残存部数甚だ少く︑且つ其の

多︿は甚だ治併にして其の僚が不廉である忽

め研究所を利用する事を得る人々の濁占に蹄

して︑他の篤士山なる向学者は容易に之を利用す

(17)

るこさも︑手に入る﹀こさも出来ないで困難

するものが少くない︒然るに現下の欣態に於

て は

民 間

の 香

津 等

で 業

等 の

宝 日

台 ︑

汎 く

複 製

刊 行

するが如'きこごは採算上からも.又た其の他

の 賂

か ら

も 殆

ん 乞

不 可

能 の

事 に

寸 属

す る

︒ 一

一 同

年前上海の商務印書局が﹃欽定四庫金書﹄を

刊行せんご企てた事があったが︑北京政府は 其の原本が︑運送の途中又は其他の場令に散

逸するの危険があるからさ云ふ撲な理由で之

を同書誌・に貸下げるこさやム目じない忽めに折

角の企も中止せらる︑に至ったさ問て居る︒

故に右様なものは是非共北京の人文科向学研究 所の事業ごして複製印行して貰ひ皮い︑出来 るならば︑新かる来洋文化の精華さも云ふ可

き大典籍は之を世界各凶の王皇室︑政府︑大

率︑大国書館︑及有志卒者に頒布する位の事

は我が割支文化事業ごしてはやって貰ひ皮い

ものである u 勿論日支爾闘の大卒︑専門皐校

府防相図書館等にも是非備へ皮いものである︒

是等は仕事ごしては緩まった大きな方面であ

封文文化事業さ吾人の之に封する若干の希翠 るが︑もっさ小さい方面に就ても︑数の少い 書籍は之を複製出版して世の有志研究者岳山一し て其の使盆に均話せしむる誌にせられん‑}さ や

﹄ 希

望 す

る も

の で

あ る

@

@

@

@

@

S B e e s

‑ Q  

第三︑文字に闘する研究を行ふこご文字

に関する研究は之をこっに分って行ふこさが 必要であるさ信宇る︒印ち(甲)古代文字の

研究︑(乙)将来日支を奨の同文図たらしめ

ん ざ

す る

大 計

幸 一

の ゑ

め .

し す

る 文

字 の

研 究

是 で

品 川 り る

(甲)古代文字の研究従来古代文字に関 ︒

しては金文︑石文又は士日金文等ご砕し︑或は 古代の鐙鼎努器の如き遺器遺物又は款識等に 遺れる文字を集めて︑主(の真偽を論じ其の読

解を試みたるものあり︑或は夏代に既に文字

ありさ一式ひ或は股商の字形新の如しご稀し

たるものあれぎ

40

ふの読もあ 他方に於ては其の呉を疑

.

hJ

たるが︑夏代に文字の有りたる

一 八

(18)

商 業 さ 経 潰

や否に就ては今日に於て未だ之を賃詮し得十

ざするも︑股代以後に之有りた

b

ざするは略

ぽ定説ごし来れる所︑然るに近時河南省股虚

の地より多数の亀甲獣品目の文字後見せられし

以来︑股代に文字有りたるこごは盆々明確ご

なりたるも︑此の出土の亀甲獣

m h H

は羅振玉氏

及び日支の二三の卒者の外未だ之を詳細に

研究するに至らざるは甚だ残念のこごである

是等は無論人文科卒研究所の研先事項の一つ 三して充分科率的に研究す可きものである

J

而して縫った研究が世界的に後表せらる﹀に 至らば︑支那の古代の研究に非常に大なる先

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︐

明争放っ事さなるであらう︒支那の古代研究 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑・.︑︑︑︑︑︑︑︑ を迩なる上に於で最も校本的の.障碍さなるこ

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

さは︑一位支那には何の時代頃から文字が使

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

︑ 晴

︑ ︑

︑ ︑

︐ ︑

︑ ︑

用 せ

ら れ

て 居

っ た

か ぎ

一 玄

ふ 甲

﹄ ご

が 科

向 学

的 に

︑︑︑︑︑︑︑︑ 確でない貼にゐる︑支那の太古には結縄がゐ

b

︑ 一

紳 農

E A

の頃から金日契合以て之に代へたご 一去ふ易の文や︑又は資帝の時に斉誌が文字合

制したさ一玄ふ侍設はあるけれぜも︑従来の亭

一 入 入

者の多くは単に侍読ごして看過し深く之合研

究せんごするものは甚だ稀であった︑然し股

虚出土の亀甲獄骨文を見て之ぞ今日現存する 原始的民族たる亜弗利加印句放の諸種の給文

20

円 高

5 1

H ω

や ﹁

冬 紀

﹄ 当

日 ロ

2o

ロ ロ

円 一

等 三

比較調照して見れば︑前者が後者に比して徐

程進化したものであるこさが明瞭であって︑

践に股代に亀甲段骨文の如き相営に進化した

る文字があったものごすれば︑これより進化

の幼雅な文字は其の時代より活かに以前の時

代にあったであらうご云ふ甲コ﹂が推定出来る

こ ご

で あ

る ︒

五 口

人 は

舎 で

拙 著

﹃ 一

山 内

実 論

﹄ の

に支那の股代よ

b

渓代に至る約二千年間に於

ける︑支那文字の愛恋ど︑カ

YJ プアの摂形文字

の商組前三十世紀乃至十世紀の約二千年間に

於ける其の愛還︑並に波及の西紀前四十五世

紀乃至西結後四世紀の約五十世紀問に於ける

︒ 骨 位

︒ ︒ ︒

日公遼等合比殺して︑文字には迩化遅々性のゐ るこご佐認め得るこごを論じたるこごあ

b

印ち文字の如き文化的保件の最根本的姿素を

(19)

なす機関には其の本性ごして容易に旋化せら

れ難いものがある︑枝葉末節の小事は時脱化す

るこ芯も改遺するこごも容易であるが︑基礎

的根本的のものは︑時鈍化し難き性質がある︑

強固性又は抵硬性ごでも呼ぶか︑日鈍化するに

も遅々ざして長き歳月ぞ要するご一エふ性質が

ある︒印ち吾人が名けて迩化遅々性さ呼ぷ所

の性質含有するものであるさ一五ふこごを.吾

人は信宇るものである︒ヵ Y デアの校形文字

は西紀前三十世紀程に存したる形?混今立(の

遺物によりて見るこごが出来るのであるが︑

共さ西紀前十世紀頃のものさ比殺して見れば

相営に旋返しては居るが︑しかし比の約二十

世紀問ご一玄ふ長歳月の問の経化ごしては窪に

軽微なものであるご一去はねばなら子︑又た波

及 の

出 一

2 6

m

d

z g

7 y

iy

ス ・

ペ ト

ソ イ

殺授によれば︑第一王朝の創建者たるメネス

に閲するものが現存物中最古のもので︑主(の

年代は西紀前四千七百伶年なりご一去はれて居

るが︑其の形さ出江主

G

ざ呼ばる﹀西紀前

首文文化卒業ミヱ日人の之に封する若干の希望 三千五百年頃に使用せられたるのさの問には 可息に著しき経化のあるこごケ認めるこさが 出来るけれども︑口一

0

2 一 の

ω ざり

0 5

0

2

さ務 巴

する西紀前九百年乃至西紀後四百年頃迄使用

せられた文字ごを比絞するご︑甚しき鐙化は

認められない︑立(がご一千年間の愛還さして見

るさきに如何に其の愛化の遅々たるか子知る

こごが出来る︒斯く文字なるものは進化遅々

性を有するものであるざすれば︑裳に一言せ

る支那河南省湯陰騒の古美里城の遺跡から後

掘せられたる誼甲獣品目の文字が︑あれ丈けの

形陸

T

得る迄の進化?途ぐるには頗る遼遠の

年月営費した‑}三でゐらうさ推論するこさは

強ち無理のこさではない︒今日人程卒者等の

調査した所によれば︑文字ざ一式ふもの︑原始

的の形態は或はメキジコの

O

戸 守

口 印

ち 結

縮 ︑

又は北米印句人の﹁ヲジプジ﹄巧

E d z H H

滑 に

織出されたる

h

仰木形︑或は近時西欧の諸所に後

見せられたる後の氷河期以前に洞窟内に住九

だ原始的民放が洞窟の側壁に刻みて遣したる

一 八

(20)

商 業 主 経 諒

山 石

刻 給

伊 丹

o

m q

ω 又は北米印旬放某他の原

始的民族が岩石︑木皮︑獣骨︑獣牙︑亀甲等

に刻し又は書き遺したる給文字句片

Zm

g

句 } 冨

‑ T

見れば︑買に最も原始的なる︑幼稚此上

もないものさ認めらる﹀ものから漸次に幾分

づっの進化後遣をなしたりさ認な可き各都の

程反のものを見るこごが出来るのであって︑

股虚の地よ

b

出でたる亀甲獣骨の文字の加さ

は某等のものご比摂して大に進歩したる高放

の俊一遥進化を遂げたるものであって︑而して

最も原始的なるものから︑此の程反の後法令‑

遂げるまでの進化を克くするには︑京社易なら

ぬ歳月を要したであらうさ考へられるのであ

る︒換ム一目すれば︑支那の頗る迩還の太古には

今日迄に後見せられたる原始的文字の中の最

も幼稚なるものに調蛍す可き程度の萌芽的文

字︑若し文字ご一去ふが夫常なれば︑意一不表示

の符就が後生して︑立(から漸次に序ケ逐ふて 進歩の階段を遅々ごして経過し︑其の問には

メキジコの

O z

f l

の如き形︒伊きりたるものも

一 九 O

出来たであらう︑此を目却には結純一玄々さ云ふ

傍設になって泣ったのではないか︑又た河固

さか洛書さかなざの傍設も強ちに荒唐無稽で

ある.後世の仮作担迩でゐるご抹殺し去ら子

に結縄さか入索三か一玄ふものさ共じ

O Z J 己 さ

か又は其他の民族の間にある結締法.或は古

代﹃マヤ﹄の使用したる暦石に現はされたる

知劃給文字ご比較研究をなす可き性質含有

するものさして科卒的の‑アスト守加へて見る

ぺきものではないか︑其他︑孔安闘の﹃倫全日

序﹄や﹃周鵡﹄並びに﹃左傍﹄の上なざに見ゆ ︒︒︒︒︒︒︒︒ る所の三墳五典入索九丘等ご稀せらる

kh

も の

も︑原始的文字を刻せる墓︑碑.立(他のレコ

ードではなかったかさ一式ふ風に考へて研究を

して児ては如何なものであらうか︑﹃斡詩外

傍 ﹄

に は

黄 帝

デ 乎

大 墳

一 鍛

源 氏

子 一

一 乎

総 岡

一 さ

あ る

が之を何さ見る可きか︑車に侍設なりさ笑殺

し去ら中ごすれば︑ざう見るか︑大墳さ総闘

を人名さ見る従来の見方に謝して︑噴さ岡さ

一式ふ宇に宝きや﹄置て︑三墳の墳︑河固の如き

(21)

意味にごりで解蒋を試みるこさは無用であら

うか︑斯︿考へれば︑話々なる疑問も起って

・ 来

︑ 叉

た 少

な か

出来ぬでもないかご思ふのである︒要するに ら る暗示ケ戚得するこ

ε

5

股底出土の甲や骨に刻したる文字の如き形躍 さ一式ふものは.決して一時一代に出来たもの

ではないご一式ふ甲}ご丈けは科亭的に頗る明瞭

なこごであら

5

︑守ぞうして見るさ︑あれ丈り

の進化を途げた文字が股代に使用せられて居 たごすれば︑主(の前代にも其より幼稚な形の

文字があったさ見るのが至蛍でゐb'而して左 様な考を以て見れば︑是迄単に荒唐無稽ごし

て等閑に付せられ来った傍設の中に幼稚なる

文字の存在を傍ふるものが少なからヂあるこ

ごが分って京市で︑而して其が︑世界の各地の

原始的民族が︑舎で使用し又は現今に使用し

っ︑ある原始的文字の彼れや是れやに相営す る形陸含有して居った如くであるこごが考定

せらる︑こごになるのであって︑支那の古代 史営研究する上に於て︑非常に重大なる関係

割支文化審議さ晋人の之に封する若干の希望 や﹂有?﹄ごになるのである︒印ち﹃易経﹄ご か﹃借金己其他の周代以前の経書が全然文字 の

無 か

り し

時 代

に 只

だ 語

り 縫

ぎ 一

一 一

一 口

ひ 絵

い で

たものや﹄突然文字に書き下3れたものである

か︑或は太古の時代から其の時代に存した極

めて幼稚な文字︑印ち給文字の如きものに記

録せられ︑其の記録守中心ごして停設含附帯 して京市たものが︑後世文字が進化後達して一見

に詳しきこさ伝記越するこさが出来る時代に

至って書き改められて︑現時に建3れて居る

様な文書ざなったのであるかの'如何によりて 其等の古書の記録ごしての債値は非常なる相 遣を蒸す二ごになる︑私は舎で拙著﹃一尚文論﹄ に於て︑約七十頁に亙る論究の結果︑発舜高

時代に既に幼稚ながら文字的の記録用具既に

存し︑一尚一良篇は業内容事買のありたる蛍時に

文書的記録ごせられて後世に傍へられたるも

のなるこさ(但し誌の時代より.孔子の時代迄

は約千七百年の時間的距離あるが故に其の閉 じ原文に多少の増減議化ケ加へられたる可言

参照

関連したドキュメント

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

明治初期には、横浜や築地に外国人居留地が でき、そこでは演奏会も開かれ、オペラ歌手の

の総体と言える。事例の客観的な情報とは、事例に関わる人の感性によって多様な色付けが行われ

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その

されていない「裏マンガ」なるものがやり玉にあげられました。それ以来、同人誌などへ

あれば、その逸脱に対しては N400 が惹起され、 ELAN や P600 は惹起しないと 考えられる。もし、シカの認可処理に統語的処理と意味的処理の両方が関わっ

海に携わる事業者の高齢化と一般家庭の核家族化の進行により、子育て世代との