雑録
對支文化事業と吾人の之に對する若干の希望
田崎仁義
l一
現に企てられ既に其の貨行に薯芋せられて
居り︑日華両国人の一部のものによりて初茸 に期待せられて居る封支文化事業なるものは
如何なる目的意義を以て起されたるや三言ふ に︑大正十二年三月十五日第四十六試合衆議
院に於て時の外務大臣内田伯が封支文化事業
特別合計法条を提出したる際に行ひたる説明
演説に其の要旨は亜されて居る︑白く︒
我国と支那とが古雑特殊賢慮の関係にあ
りまするこ亡は︑私が立に喋々する迄もあ りませぬ︒而して此日支両国民の問に具の 了解を訝す薯には狗ら政治的経済的方面の みならず︑文化的方面に於きましても互に 大いに努力を致す必要があると存じます︒ 帥ち之が南国民間の了解の根概をなすもの ど存じまする︒時々起うまする時々の皆河 の問題を離れて︑永遠の国是と致すべきも のど信するのであります︒之まで支那に於 きまして︑本邦人の手に経螢せられました 文化事業は和合にございますが︑其規模が 概して小さく其範囲も割会に狭かったので
ぁります政府に於きましては︑放て是等の
対立文化串琴羞口人の之に封ずる若干の希望 一七一
商 業 さ 怪 涜
w
﹂ ご
遺憾ご致しまして若干の施設に謝し
v fては図裂を支出して補助ケ加へ︑且つ之ケ
奨励し来ったのでめります︑然るに御承知
の如︿大正六年十二月より昨年十二月まで
印ち過去五箇年間支梯延期中でありました 所の義和問事件賠償金の支挑が再開せられ まして︑昨年の十二月よりは所定の金額が 日本に経入るこごになったのであ
h
ま
す ︒
此賠償金元利は今後二十三倍年間に年賦を 以て償却を受けるこさになって居
b
ま
す ︑
又山束餓道の補償ご致しまして交付な受け まする図庫詮券中賠償金特別合計に属する 分が公有財産及び製臨業の補償ごして交付
ケ受ける図庫詮応分中製崎山業者に交付すべき
ものや‑除きましたものは︑十五ヶ年間に其
一冗利を償還するこど冶なって居
bます︑又
山来に於げる鎖山に濁する補償さ致しまし て交付を受けまする現金中.賠償金特別合
計に繰入れらるべき一分を除きたる残額をも
加べまして本特別合計の財源ざ致しまして
七
一一般お支文化事業の結局に査すこど﹀致した
く本案を提出いたしました次第でご
5
い ま
す︑而して此事業が永年に亙
h ノ継続すべき
性質のものでありまするが故に︑成く可く 多︿の資金合積立てるの必要があります
4 }
之に鑑みまして︑之を特別合計ご致した次
第であり・ます︑本特別合計泌案の目的さ致
しまする事業の範同は大陸之ケ殺育︑
m T
義 ︑ 衛生及び救他に限るこ芝︑致しまして︑事
柄 の
性 質
上 急
速 に
其 ・
淡 町
ポ ル
仏 政
め る
こ さ
は 誠
に困難であります唱﹄ごは申す迄もない三}ご でありますが︑其賀施の方治に悶しまして
は篤ご考究調査や‑裂する必一妥がゐります︑
ぞれ放に十二年皮に於きましては差掛り必
要訟成じて足ります所の在本邦支那沼山学生
の皐資補給及び山東省に於げる病院.氏ナ校
経 政
官 の
補 助
︑ 其
他 一
一 一
二 の
事 柄
に 到
し ま
し て
必突なる支出じ止め十二年度に於きまし
ては専ら将来行ふべき事柄に閲する調査に
カを議したい考へでごぎいます︑一姿細は別
に提出致しました所の本特別合計大正十二
年度追加珠算に依り御承知子頗
οたうごぎ
います︑倫ほ文化事業なるものは其性質上
各方面の協力を侯つにあらぎれば其始以果ケ
奉げ得るものではありませぬから︑本事業
におしまする調査及び其経後方針等に付き
まして︑我朝野有識者の意見を徴する潟め︑
追て迫秒間の機関ケ設くるのみなら歩︑又進
んで支那官民の立見をも徴する結局め︑相岱
な る
方 ︑
法 令
﹂ 議
じ た
い 積
り で
ご
5
い ま
す ︒
而して其合計注案は僅かの字句の修正争加
へたるのみにて一同協ケ遮過し公布せられた次
の如きものでゐる︒
調支文化事業特別合計法
第一俗説支文化事業助長の忽特別合計子
設置し其の歳入を以て其の歳出に充つ︒
第二一保左に掲くる詮券は之ケ本合計に邸
屈せしむ
J一明治三十四年支那図及列国最終議定
川バ支文化事業吉正口人の之に封する若干の希望 者第六僚の規定に依り支那国政府より 受卸したる四分利付支那園債券︒ 二山東懸案解決に閲する俊約第六俊及
第二十五係並山束懸案細目協定第十九
伎の規定に依り支那国政府より交付を
受くる図庫詮券中製臨業者に交付する
ものを除きたるもの︒
三山東懸案解決に関する倹約第十五係
及第十八保並山来懸案銭道細目協定第
四僚の規定により支那国政府より交付
を受くる図庫詮券中賠償金特別合計に
蹄屈せしめらるへきもの訟除きたるも
の ︒
第三保山束懸案解決に関する倹約第二十二
僚の規定に依り設立せら︑れたる舎一枇より
山東懸案細目協定第二十四伎の規定によ
り支桃子受くる補償金中賠償金特別合計
に繰入れらるへきものや﹂除きたる残領は
之を本合計に絞入るへし︒
第四僚本合計に於ては左に掲︿る諸政入
一 七
三
官 主 主 経 部
を以て其歳入ざす︒ 一所属設券の償還元利金︒
二所属資金の運用利殖金
Q
三寄附金︒
四 所 属 雑 牧 入
ω
第五係本合計に於ては左に掲ぐる事業に
関する諸費用ぞ以て其の歳出ごす
J一支那闘に於て行ふへき殺育︑皐装︑
街生︑其他文化の助長(原案には街生
の次に﹁及救他に閲する事業﹄さあり しケ﹃其他文化の助長﹄さ修正せられ
た り
) ︒
二帝国に在留する支那図人民に劃して
行ふへき前就に謁︿る事業さ同担の事
三帝国に於て行ふへき支那国に関する 業 ︒
向 学
術 研
究 の
事 業
︒ 第六俊寄附金にして特に用念ケ指定した
るものは英の伐件に従ひ之を使用すヘし
第七保本合計の歳出額は寄附金に依るも
一 七 四
のや﹂除くの外毎年皮二百五十前回全超過
するこごケ得す︒
第八傑本合計の決算上剃徐金全生するご
きは之を積立つへし︒
第九俊本合計の資金は大戒名預金部じ預
入れ之合運用するこどを得︒
第十保政府は毎年本合計の歳入歳出珠算
ル
n ‑
調製し一成入歳出の総務算ご倶に之ケ帝
図議舎に提出すへし︒
附 則
本法は大正十二年度より之を施行す︒
大正十一年一般合計に於て明治三十四年支
那国及列図最終議定書第六僚の規定により 支那国政府より受領したる四分利付支那図 債券の元利償還金投入ごして受入れたる金
額に相常するものは本法施行の際之を本合 計の歳入に繰入るへしぜ本決施行前第二保
第二波及第三械に規定する図庫設券にして
本法施行前支那国政府より交付守受けたる ものは本治施行の際之合本合計に防局せし
tt, 。
其後調支文化事業調査委員が選任せられ︑ 又外務省内にお支文化事務局が設置せられ束
亜局長たる出淵勝治氏が其の局長を粂ね.其
下に岡部事務官朝岡事務官等が美事に蛍るこ
ご︑なb.並(事業に閲して度々委員等が支那
に出張して程々の調査をなしたる上︑昨大正
十二年十二月廿九日及三十一日に外務省に於
て日支雨図問に非↓公式の打合が行はれ.日本
側よ
bは 出
︑ 淵
局 長
︑ 岡
部 事
務 官
︑ 伊
膝 書
記 官
︑
朝同事務官︑支那側からは在一公使︑未設育部
特 涙
員 ︑
間 以
盗 事
官 ︑
隊 部
一
e
務専員.銭秘書官等
出席して十二ヶ僚の協定事項ケ得たが支那側
の傍ふる英の内容は左の如くである︒ 一︑日本に於て割支文化事業に闘し立案す
る時は支那布識階絞代表の立見を十分等
宣 す
る こ
ご ︒
二︑国民賠償金に関する資金は主ざして支
自文文化卒業さ耳目人の之に泊する若干の希望 那人経挫の文化事業に用ひ︑日本の山束 に設立せる的学校病院及び現在日本の各国 陸が支那に於て経管しつ﹀ある文化事業 の補助費は山束賠償金中よ
b支 出
す ︒
三︑北京じ同書館及び精一脚科卒研究所を設
立 す
︒
(註)支那閣議では支那人の誤解を慮
b文化科卒ご訂正3れた模様である︒
問︑上海に自然科卒研究所守設立す︒
五︑前二項の事業費は別に定む︒ (附記)前二項の図書館及び研究所の館
長所長は支那人中よ
b雨園の協定せる
者合以て充ク︒ 六︑終・系図匪賠償金項目の資金に剰徐ある
時は︑夏に下記各事業を越す︒ (甲)泡蛍の地営選んで博物館を設立す
(乙)済甫に答率校及び附属病院な設立
す ︒
七︑第三項よ
b第六項に至る各項の事業に
就ては評議員合合設置し︑日支雨図人を
一 七
五
商 業 さ 経 許
以て之を組織す︑主(員数は各評議員合ご
も二十名ぎし日支雨図より各十名か山出し
雨図の協定により支那人中より一名を選
ん で
合 長
ざ す
︒
入︑北京岡書館及び研究所の用地は支那攻
府より無償支給す︒
九︑救悩費の名義は之ケ怒善費又は其他の
名稀に改
h u o
(附記)十三年の此項の費用は出淵局長
の盛明により十両一苅診以て限皮ざし十 四年度より之子廃止す︒
十︑留日支那向学生に調し明年反より次の如
き方法により準設な給興す︒
(附記)向学費支給の期限は雨図の協定に
よ り
十 年
ぎ す
︒
(甲)皐授は一人毎月入十図ざす(一時 毎月十八一冗ご報じたるものあれど其は
謎 弘
) ︒
(乙)此項の準設の支給予受︿る留早生 の数は毎年度三百二十名を超ゆるか山待
一 七 六
(丙)前項山中生は各省選出衆議院議員数 十 ︒
及各省の図匪賠償金負携績により各省
人 員
含 決
定 し
︑ 大
卒 及
び 専
門 的
学 校
在 的
学
生中より之子選ぶ︒
前 惑
の 大
向 学
専 門
的 学
校 は
濁 支
文 化
事 業
局
及 駐
日 支
那 一
公 使
館 協
商 指
定 す
︒
(丁)前項により選抜せらるぺき向学生は
官費生に限ら十忍費生訟も加ふ︒
(戊)選抜せられたる些生にして成総劣
等或は操行不良なる者は直ちに其亭授
の 支
給 を
停 止
す ︒
十一︑留日支那的学生本年度給奥は下の方法
に よ
る ︒
(甲)第十項ご同一の方泌による︒
(乙)民国十三年一月分より支給すっ (丙)従来未納の各
m学校の授業料は本年 末の分な以て支銚ふ︒
十 二
︑ 右
卒 尚
武 は
支 那
一 公
使 館
よ り
支 給
す ︒
而して本年(大正十三年)六月下旬開催せら
れたる割支文化事業調査委員合第二回総合に 於て第一一事業ごして左の如き計霊が決定せら れ︑業の珠算は臨時議舎営通過し本年度の支 出額九十五一両国も可決せらる﹀に至った
ω一︑六箇年総絞事業ごして北京に人文科的学
研究所並に図書館を︑上海に自然科息子肝 究所伝設置す︑此の総珠算五百表拾五高 図(立︿後新聞に表れたる所によるご六百
五拾高図ごあるが渓りならん!大ム旬︑七
月 十
入 日
) ︒
一︑十三年反追加珠算ごして九拾五南国を
計上す(北京の分は五拾七お図︑上海の
分は会拾入荷四三
一︑北京の研究所及び図書館は銭筋コンク
クI
ト建三府楼︑延坪二千坪五ヶ年で竣
功︑上海の研究所は銭筋コジク
7
ト
1建
二居楼延坪二千坪三ヶ年の竣功の設定︒
一︑北京の俳究所には左の入部門伝設く︒ 哲卒︑文附学︑宗致︑美術︑天文︑考古
庭史︑法制経済︒
説文文化事栄之吾人の之に封する若干の希望 上海の研究所には左の二部門を置︿︒
盤 的
九 千
︑ 理
息 子
︒
而して其の建築は本年中に着手せらる︾答
で︑共の設計は帝大の内田祥一二︑伊東忠太雨 博士之に蛍
‑ b
︑北京の方のものは古典的に支
那 趣
味 ︒
γ
多分に取入れた立波なる建物に作る 佐官で︑上海のものは賞用を主ざする近世式の
も の
﹀ 由
で あ
る ︒
ぬ 川
ほ 右
事 業
に つ
き 出
︑ 淵
局 長
の談ごして新紙上に表れたるもの(大毎七月
十八日)含見るに︒
図民事件の賠償金の費念に就ては各図共 に可なり窓を用ひて居るが︑我闘は右の金
にて北京に人文科卒併究所を建て︑日支雨
図から卒者研究生密集め宗教︑哲率︑法制経 済の研究所ざし︑上海には自然科卒研究所
?設けて之を理皐部.答率部の二部に分け
て︑理的学部では支那特有の動物や支那地質 の研究に従事し︑隆盛
e部では楊子江流域の
特殊病たる官民江亦痢を始め支那特殊の病気
を 併
究 す
る の
で 一
附 図
か ら
J
でんな卒者を集め
一 七
七
商 業 主 経 済
るさか︑所長には諮ケ任命するごか一エふ細
目については今後支那側ごよく協議した上
で決定されるが︑支那有力の向学術図陛たる
北京大串ゃ︑中華皐葱一祉︑教育改進一肱等か
らも程々真面目な意見を提出されて居るか
ら︑十分に之等の意見をも曾重し︑異に
m学
問的に日支親善を周
b︑一つの立振な機関
ごする様努力するつもりである︑康束の有
力者逮からも支那の文明を形遣るものは中
部に於ける上海︑北部の北京︑南の康束で
あるのに︑その庚来だけには何等の施設も
なちないのは不明であるぜ一玄ふて来て居る
が第二の事業ざしては勿論庚束にも立涙な
施設合する積
b d
で
あ る
︒
目疋で見れば此の濁支文化事業なるものが如
何にして企てられ︑又た如何なる主回目で大要
如何なる絡固の事業?忽さんざするものであ
るかさ一式ふこさは明かな様であるが︑然し日疋
一 七 入
れに濁して支那側の人々は如何なる戚を抱い
て居るかさ云ふに︑無論大に喜び︑且つ期待
して居るものもあるけれピも.叉た一部のも
のは又例の﹃日支親善の抑寅﹄かさ一式ふて潮笑
して居るものもあり︑叉た中には︑日本は裳
に軍事提携さ一玄ふ甲}ごを申込んで来たが其の
質侵略主義を抱戒して居るのである芭て大反
調に泡ふて失敗に蹄したから︑今度は文化提
携さ一式ふこさで考へたのであらう︒要するに
日本が中園に濁して珠て抱て居る野心密行は んさーする手段に過ぎぬ︒今日世界の大勢は卒
和ケ欲求して軍事的.偏式的行局局を退けるが
故 に
︑ ロ
聞 を
換 ヘ
て 文
化 ざ
一 式
ふ 美
名
p眠
mり て
来
たものであらうさ一去ふ様に猪疑の肢を以て現
て居︑り︑或は事業︑の執行機関の組織等に関し
でも少なから子疑問︒
γ懐て居るものもあり︑
本年五月上旬頃に会園教育合聯合合︑庚子賠
款事宜委員合︑中事会問殺育経費委員合︑中図
科 卒
一 祉
︑ 中
華 亭
葱 一
耽 .
的 学
術 研
究 祉
︑ 中
園 地
質
事合.留日大高同率敦誼壮︑北京師範大
mA
て
東南大卒︑山西大卒︑式日日師範大卒等伐各国
陸は聯名を以て大妥左の如き宣言を後表せる
こ ご
が 報
体 ﹂
ら れ
て 居
る
o
要するに文化事業は日本内政の延長でゐ
る今回服部博士.朝問︑小村諸氏系京し文
化事唯一本は政治?超越するものであるぜ説明
されたが︑我々も諸氏の誠意ご日本朝野の
熱心ごを信宇るものであるが︑但しこの形
式方法は完全に政治の支配を受けてゐる︒
この結は如何に説明されても多数の懐疑な
免れないごこんである︒況や日本のこの事
業に聾する方法たるや全然官設の性質に扇
し勝家支那側より奉加する場合支那側の資
格が客員でゐるか︑一庭口貝であるか︑乃至は
属僚でみのるか剣明しない︑この結は最も誤
解ケ招き H 勿く且つ解決し難い賂である︒以
上の読解を除き良好の結果?得る匁に左の
郷泌を希望する印ち日支雨図よ︑り専門の与
者訟推一応し︑日本の皮子賠款合以てする文
化事業の一切の事務合誇主決定並に管理す
封文文化事業て苦人の之に皆マ Z 庶干の希望 るこご︑理事の人員は日支折宇し別に理事 長一名を設り支那側より之に蛍る事︑右の 希望は最低限反のものである
o日本が若し
この希望守容れなければ奉加する事ケ願は
な い
云 々
︒
以て一部の人々の意向の一斑一念窺ふこ之が
出来るのであって︑一には未だ相互の諒解が
充分徹底するに至らぬ結局めであ
b︑又一つは
近来彼図に起りつ︑みある排外思想.利擁回投
論等の影響に基くものであるかご思はれる︒
丁皮英国(奉天文那人間には数百楼回段︑蓮勤起
b︒溺銭沿線各地に於ける漏銭経営の支那人
小山学校は日本の利盆を主ざするものであって
支那図民性伝破壊するものでゐる︑之ケ放置
するは支郊の前︑途を危くするものであるから
支那人におする殺育雄
満銭より回投しなけ
e Tればならぬご唱道宣侍した甲}ごもあったが︑
要するに其の根本勤機は同一であるご見てよ からう︒然し・斯様な誤解や反割は何時如何な
る事業にもゐ
易い‑﹂ごであるから敢て格別
h J一 七
J
丸
商 業 さ 経 持
立に介するこさも無かる可く︑前記協定事項
には支那方面有識者階級の代表的立見は之を
舎宣するこごになって居るのであるから︑兵
面白な立見は勿論相営な方法によりて採用通
達せらる﹀答である︒
四
山川ほも一つの議論は此のお支文化事業は純
然たる向学術上の事業で︑政治上には何等関係
がないのであるから政客又は政客式卒者守
して業の研究所長︑図書館長︑評議員︑評議
合長等の地位に割込ましめて︑之ケ攻略的の
道具に伎はす様なこごをしたくないこご︑又
同事業は其仕事を各地じ設けるこごは事業の
寅際の放呆を上げるに困難であるから︑其の
カを分割したく無いぜ一再ふ様な議論で︑主ぎ
して北京大卒側の主張する所である︒印ち同
大卒は左の如き怠見書を後表して居る︒
一︑図書館長研究所長及び評議合長評議員
の選捧は努めて慎重に忽し︑純粋の向学者
一 人
O
に限︑り︑政客或ひは政客式卒者
b J
﹄
併 入
せ
しめではならぬ︒
二︑精紳科卒研究所及び自然科卒研究所を
北京之上海の雨彪に分設するさの案に劃
しては満足するこさが出来ない︒ぞれは
精紳科皐さ白然科阜の研究は理論上或ひ
は事業上均し︿淫絡交通の必要があるか
ら︑分離して幾多不便子生壱しなぺきで
ないからである︒地貼に就て一式へば︑北
京は民図の首都であるから︑向学術研究所
吾北京に設けるこごは︑決して北を主ん
じ市子保叫ん十るものではなからうかさ顧
慮する必姿がない︒
さ云ひ︑更に博物館段科大卒及び病院のこご
に 関
し で
は ︑
一︑博物館の重姿なるこどは図書館研究所
に議らない︑宜しく速かに設立すぺきで
ある︒剃徐金のあるを待って之れぞ設け
る ぺ
き で
な い
︒
二︑本大践すは絡始問書館博物館研究所の三
磁の事業を兵正永久の文化事業であるご
してゐる︑宜しく賠償金の全数を以て事
業に若手ずべきである︒故に︑防府系賠償
金に剃徐のゐった時山来炭来等に器科大
山 学
︑ 器
等 専
門 的
学 校
或 ひ
は 病
院 を
設 り
る ご
の計書には賛同するこさが出来ない︒
此の議論の加さは相蛍に傾聴す可き一議論で
ゐるぜ思ふ ρ 単に卒業を行ふ三一去ふこどは政
客又は政客的卒者どおせらる﹀人誌の方が或
は手際良くするかも知れないが︑元々純然た
る
m晶 子
術 上
︑ 文
化 上
の 提
携 後
反 を
期 す
る こ
さ や
﹃
目的ごして居るのであって︑除程長年月ケか
けて事在校本的に進めるのが本旨であるから
政治上政策上に超然ぎして俗ま中急が十純然
たる皐術的研究上の法大高賞なる立場から総
ての事ぞ立案し寅施して行ける人物を選任す
るこさが最も肝要の事でゐるから︑北京大卒
の主張する人諮問題に謝する立見は日支雨図
共に充分の注意ケ挑はねばならぬ貼でむるご
信宇る︒事栄質施の機関設佐の場所に関して
白文文化事誌で奇人の之に劉寸
Z宕 干
の 品
川 ・
翠
は︑北京に人文化等研究所及図書館︑上海に
自然科卒研究所ぞ設立するこどは既に決せら
れ ︑
一 見
に 資
金 に
剰 徐
あ る
時 は
済 南
に 皆
向 学
校 仏
外
病院を置く‑﹂ごも協定一事項中に合まれて居る
のであるが博物館の位地は未定で︑盟・に遊山首
の地を選んで之を設立するこごになって居る
前記出淵局長の話によ
bて見れば既定北京上
海の二ヶ所ケ選むに常
bては全く其の研究所
の目的事業の性質から此等の二地を各最も有
放であり便利であるこごが明かである結果︑
定められたるもので何等攻略的効機が合ま︑れ
居らぬご信
得らる﹀さ思ふのであるが︑第
h u二事業ごして康来にも何か施設営する積りの
如く後表せられて居る対なぜは︑来して如何
なる目的性質の事業であるか︑立(の種類の'如
何によ
bて理論上必十しも不可ではあるまい
けれざも︑要するに事業を各地に分配するが
如きは第一攻略的勢力に来性られ易きの慨も
ゐ
b︑人や金のカケ分割する結果伝来すから
規模殺カが弱小務弱になるので︑折角の事業
j ¥ J
商 業 さ 経 済
も姑息不徹底に陥
b.
北(の成果の法大台期す るこさが出来なくなるの良がある︒金額八九
千持闘の賠償金ケ基従ざして企てられたる事
業であるから︑之
oM
﹂
A分 散
体 ﹂
ム に極めて使用す γ
るごせば相営の仕事は出来可き筈であるけれ
ポこも︑彼所にも此所にも︑此の事業にも其の
仕事にもさ気津山に八方美人的に使用しては
其の殺果は甚だ薄弱なものさなってしまう︒
元 来
支 那
は ニ
一 一
口 ふ
迄 も
無 く
世 界
第 一
の 大
図 で
あ
る ︑
図 ご
一 一
一 一
回 ふ
て 趨
蛍 か
何 う
か 疑
問 で
あ る
が ︑
兎に角四億民衆含有する大赴舎であるから︑
入千認や宣伝の金で彼方にも此方にも喜ばれ
る撲な事業?仕様等さ考へる事が抑も間遠
である︑況んや貫際に於ては其の資金の利息
によるのでんすの庭年額は僅かじ武百五拾高回
以内さ云ふ事に協定せられて居るのであるか
ら︑少し念の入りたる事業ならば︑一図書館
一研究所を設立経鋒する費用子ししてすら決し
て豊かな金額ごは謂へない金初である︒銃に
定めた北京及び上海に於ける上記の事業につ
4・v︑ ︑ ‑ . ︐ ︐ ︐いては強ち異論争﹂唱んさはせ︑ざるも︑資金を
成る可く分散せ宇︑集中的に比較的完備せる
有力なる機関ケ建設する誌なる方針ケ以て迩
ま ん
‑ }
ざ +
ゲ ム
仰 望
し て
己 ま
ゴ る
所 で
あ る
︒ 五
次に其の事業は然らば果して'如何なる都類
を包合するのであるか︑北京の方は人文科卒
郎ち哲卒︑文卒︑宗敬︑美術︑天文︑考古︑
歴史︑治制︑経済等を研究する所ごし︑且つ
岡市一育館診廷で︑研究資料合蒐集整理し︑上海
の方には自然科挙印ち主ざして理的学部︑野町学
部の二部を設けるさ云ふこさであるが︑無論
宜(も不可はないが︑然し支那の向学問は非常に
宏大であるから︑日疋も徐り種々なる方面に手
ケ著けでは結局何の方面の仕事も不徹底に了
る様なこごになるかの良がらのる︒或る案によ
るご︑経子史集会陸に亙
b更に之訟時代や性
質の上から分類し︑其の上人類卒︑土俗的学さ
一玄ふ様な新しき方面も加ヘ︑更に事業ざして
は研究資料の蒐集保存︑又は其の複製出版︑
或は秘書及索引の編纂出版を行ふさ同時に股
虚ケ始め︑洛防長安宜(他歴史的の遺跡底嘘等
の探険調査念行はんざするの希望も有力なる
卒者間にある様に問て居るが.何れも必要で
あ
b結構ではゐる︑併し寅際問題さしては左
様に何も彼も一時に仕掛る誇にも行くまじく
何れも皆な相営に大事業であるから寧ろ某等
の中何か最も根本的に重要なる事業に先づ英
主力を注ぐが得策ではあるまいかど考へられ
るのである
J是につき五口人が︑最も緊急重要
且つ根本的なる事業ざ信歩る所のものは次の
如き事柄である︒
‑ ︑
‑J ︑
@
@
・
・
@
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@
@
・
・
@
@
第 二 研 究 資 料 の 蒐 集 保 存 及 整 理 北 京 及
上海の研究所の事業ごして研究資料の蒐集の
必姿なるこごは頗る営然にして多言を妥せ︐さ
るこごなるが︑炭く一般文化的事業ざしても
此の事は最も根本的‑いして且緊姿の‑一ぜなり
野文文化事業さ否人の之に︑却する若干の希望 支那には民間にも往々驚く可き熱心努カを以 て大資金ケ投じて惜まざる大図書蒐集家印ち 大成書家ゐ‑りて︑立︿の保存にも整理にも相蛍 の方泌を議じ居るの士も敢て少なからざるも 実家累代の人々が皆な同様に国書を愛好し之 金併究するごは限ら歩︑或る場合には全く利 用せられ宇空しく死蔵せられ居るこさあ
b.
斯の如きものは宜しく通営の手綾を以て之を
↓公の国書館又は研究所に移して之を保存し利
用す可きな
bJ
倫ほな人の所戒の場合は相砂田
深き注意を以てするも某の保存の安全を期す
るこごは甚だ困難な
b︑特に戦乱等の際掠略
兵火によりて分散滅失せらる︑の危険甚だ多
く︑従来期かる事由によ
bて貴重なる文戯及
び文献以外の資粋が永久に己はれたるもの甚
だ砂なから十して識者の痛く遺憾ざする所な
bo
一方に於て欧米人は卓越せる先見明識を
以て夙に此の方面に蕃服して
E大の金カご巧
妙なる方法さな以て︑之を蒐集牒只して︑之
を 自 国 図 書 館
︑ 博 物 館 に 運 び 去
b
︑偽の
一 八
三
商 業 主 経 沼
一 入 四
E
回 一
o p g c o Z 主 o S F
に 於
て も
︑ 英
の 甲
山 円
山 岳
民
525
に於ても数高又は十数前の支那図書 ぞ股戒し魯綿し於ても亦た同じく︑米図の如
きは此の貼に注意し出したるは比較的近時に
屈するに拘ら宇驚く可き熱心を以て其の蒐集
中γ
なし居
b︑主(の股減数は年一年著しく増加 しつ﹀ゐ
bQ
予 が
始 め
て 米
図 事
府 内
︒ ロ
旬 ︑
g ω
ロ可句︑を訪ねたるは一九一七年九月な
bし
が︑立(時同館東洋部の支那国宝日所減数は四高
徐冊に︑過ぎぎりしが︑其翌年十一月予が同地
を去らんさする際は既に入誌に返さ数に遣し 居た
bき o 故に今日に於ては優に十徐高冊を 有するならん
o紐育︑市俄古等の諮図書館亦
た之に準歩る有様なり︑者し期かる勢に放任 して何等の策を議性ゴらんか来訪日文化の研究 資粋は皆な悉く欧米大図書館の全日庫内に集ま
り︑東洋に於て東洋子研究するこ式全然不可
能 さ
な る
に 至
る 可
し ︑
明 一
同 ふ
︑ 向
山 手
間 に
図 抗
な し
さ︑故に東洋の研究を西洋に於てなすこさ敢 て不可なし︑然れざも︑西洋の書庫に行くに あら.ざれば来洋の資料を見るぞ得子︑東洋に 於て来持ぞ併先ずるこご不可能なりご云ふに 至
り で
は ︑
山 一
品 主
容 を
郎 倒
し 事
理 子
矛 盾
す る
ものにあら十ゃ︑東洋人の恥辱買に是より大
なるはなしご一去はなければならぬ︒是等の賂
から見ても支那各般の研究資料は之を此際充
分蒐集して散逸滅失せざる丈けの方法令‑講じ
て 置
く 甲
﹄ 之
は 緊
急 の
必 要
で あ
る ︒
図書の種類は所謂経子史集の四大部門に亙
りて何れも皆な必要であるが︑吾人の見る所
ケ以てすれば)近来迄徐
b一般世人の注怠を
︒ ︒
引 か
な か
っ た
士 山
類 (
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︒ ︒
さ 議
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885
︒ 門
出 ︒
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の 円 円 円
L︒
ごを特 ω )
に炉︑く且つ多数に蒐集する事を急務さ考へる のである︒前者は風土記さか地方誌ぜか一エふ
楼なもので︑省志︑府志.州士山.勝士山又は山
士 山
︑ 河
士 山
等 争
包 介
す る
も の
で ︑
地 理
︑ 歴
史 ︑
土俗.産業等に亙る頗る炭汎なる記述であっ て買際的︑且(陸的なる人文的並に科率的併究
上に重要なるものである︒十九世紀の率問が
世田介諮方面の放行記に負ふ所甚だ少から︑ざり
しに鑑み︑最近の等間が列闘の鋭意努力する
諾調査の報告に基かぬものなきゃ白山はい支那
文化研先上︑上記の士山類を重要ざする吾人の
主張の所以あるこごが自ら明かであろう︒欧
米の諸大阜︑諸図書館は近家裁ふて支那の此
方面の悶書を蒐集しつ︑
fの
b .
如何にも彼等
の先見ゐ
b且つ其の芯闘の法大非凡なるこご
は買に長敬に堪ヘぎる所である
Q我図に於て
も近来幾分此の方面の必要を深く成十るの士
を生宇るに至
b︑東西帝図大卒︑岩崎家東洋
文庫︑大辿満銭問書館︑上海来亜同文書院問
書館等訟始め其他に於ても各数十部乃至数百
部を蒐集しつ¥ゴの
bご雄も未だ蒐集せられ
︐さるもの甚だ多きケ泣憾ざするのであるが︑
調支文化一卒業の一事業ごして行ふ場合は之を
蒐集するには一一般便宜も多レこぜであらうか
ら︑是非共侠漏なき殺に完全に其の蒐集?な
︒ ︒
したきものである︒次に議書は支那苧問上の
一 大
叢 林
で あ
っ て
︑ 主
( 内
府 ゅ
の 笠
宮 に
し て
且 つ
封文文化早栄之吾人の之に封する若干の希望 其の形位外観も雄偉であるこごは世界何れの 図も某の比信子提供するこぎは困難であらう ぎ思はる﹀のである︒尤も甲の議書ご乙の議 事
一 一
日 さ
の 問
に 内
容 の
重 複
す る
も の
あ る
が 如
き こ
さは免れないが︑之は巳を待ないさしなけれ
ばならぬ
Q要するに支那苧向上の大探険大研
究は此等の叢林を奥深く一分け入るこさにより
て始めて遂げられるであらうど思はれるごこ
ゐの紹大の質成であるご一玄ふてもよいのであ
る︒走れ五口人が特に此等のもの﹀蒐集に就て
業必一安企高唱する所以である︒きて︑此等の
資料を蒐集したならば︑之を完全に保存して
置くこごが必姿であるから先づ之営通気︑乾
燥等を通営にした不燃性の保存所に股戒しな
ければならない︒次には其等の資料を程々な
る目的標準によりて分類して系統立川
Jたる且
︒
︒
︒
︒
つ賞用上便利を旨ごする目録及び猿引を調製
するこさが︑業等の資料を活用する準備事業
ざして最も必要でゐる︒此の目録や索引の調
製の如きは甚だ乾燥無味の仕事であ
b︑且つ
一 入
玉
商 業 さ 経 済
技術的の如︿でもあるから一般に卒者研究家
なピが是ケ等関に附するの傾があり︑自ら斯
様な仕事に携るよごは好まない様な風習もあ
るが︑然し異質深大なる研究を遂げて其始以来
争来げん
εするには︑先づ以て最も大なる努
費ぞ之に費さねばならぬ︒始めに此事をしっ
かりやって置かなくては念賞際の研究ケ進め
て行く際に非常なる能率上の損失を兎る︾こ
さが出来ぬ︒大なる目録には分類が大切であ
り︑系統含立てるこごが必要であるが v 同時
に目銭其者の索引を附するこさも亦た甚だ必
要である︒他方に於て大なる統一的目録の外 に各積の目的標準によ
bて分けたる部門目録
事項目録︑著者目録さ一玄ふ様に大小各樟の目
的に便利なる各種の目録を調製するこさが必
要でゐる︒特に支那には一部の書にして数百
忽又は数千窓︑或は一時忽二世内忽さ云ふ治大
なる議書又は百科字
A果的の書物があるから其 等の内容目録を作成するこ之が必要である︒
嘗て我文部省の作成したる﹃古今図書集成﹄
一 八 六
の目録の如きものを︑もっさ庚く他の書物に
濁しでも作るこどが必要である︒目録の次に
は索引を作成するこさが又た侠く可から
eさ る
こごでゐる︒十三経索引︑二十五史索引︑先
秦渓魂諸子の索引等無論必要であるが︑一見に
進 ん
で は
庚 く
其 他
の 主
要 事
一 一
日 に
も 及
し た
い ︒
少
くさも主要なる議書及び志類には是非其々の
目録及び索引を附するこぜが必要でゐる︒
七
︒@@@@@@ ..
︒ @
︒ 第二︑研究資料を複製出版頒布上記の如
くして蒐集整理保存せられたる資料は各其の
方面の専門の研究家によりて利用せられ︑其
の債値ご先輝三会後揚せらる﹀であらうが︑
然し其等の研究所を利用するこごの出来る卒
者は其の数に限がある
o而して重要なる研究
資料は今日立(の残存部数甚だ少く︑且つ其の
多︿は甚だ治併にして其の僚が不廉である忽
め研究所を利用する事を得る人々の濁占に蹄
して︑他の篤士山なる向学者は容易に之を利用す
るこさも︑手に入る﹀こさも出来ないで困難
するものが少くない︒然るに現下の欣態に於
て は
民 間
の 香
津 等
で 業
等 の
宝 日
台 ︑
汎 く
複 製
刊 行
するが如'きこごは採算上からも.又た其の他
の 賂
か ら
も 殆
ん 乞
不 可
能 の
事 に
寸 属
す る
︒ 一
一 同
年前上海の商務印書局が﹃欽定四庫金書﹄を
刊行せんご企てた事があったが︑北京政府は 其の原本が︑運送の途中又は其他の場令に散
逸するの危険があるからさ云ふ撲な理由で之
を同書誌・に貸下げるこさやム目じない忽めに折
角の企も中止せらる︑に至ったさ問て居る︒
故に右様なものは是非共北京の人文科向学研究 所の事業ごして複製印行して貰ひ皮い︑出来 るならば︑新かる来洋文化の精華さも云ふ可
き大典籍は之を世界各凶の王皇室︑政府︑大
率︑大国書館︑及有志卒者に頒布する位の事
は我が割支文化事業ごしてはやって貰ひ皮い
ものである u 勿論日支爾闘の大卒︑専門皐校
府防相図書館等にも是非備へ皮いものである︒
是等は仕事ごしては緩まった大きな方面であ
封文文化事業さ吾人の之に封する若干の希翠 るが︑もっさ小さい方面に就ても︑数の少い 書籍は之を複製出版して世の有志研究者岳山一し て其の使盆に均話せしむる誌にせられん‑}さ や
﹄ 希
望 す
る も
の で
あ る
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八
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@
③
S B e e s
‑ Q
第三︑文字に闘する研究を行ふこご文字
に関する研究は之をこっに分って行ふこさが 必要であるさ信宇る︒印ち(甲)古代文字の
研究︑(乙)将来日支を奨の同文図たらしめ
ん ざ
す る
大 計
幸 一
の ゑ
め .
し す
る 文
字 の
研 究
是 で
品 川 り る
(甲)古代文字の研究従来古代文字に関 ︒
しては金文︑石文又は士日金文等ご砕し︑或は 古代の鐙鼎努器の如き遺器遺物又は款識等に 遺れる文字を集めて︑主(の真偽を論じ其の読
解を試みたるものあり︑或は夏代に既に文字
ありさ一式ひ或は股商の字形新の如しご稀し
たるものあれぎ
40
ふの読もあ 他方に於ては其の呉を疑
.hJ
たるが︑夏代に文字の有りたる
一 八
七
商 業 さ 経 潰
や否に就ては今日に於て未だ之を賃詮し得十
ざするも︑股代以後に之有りた
bざするは略
ぽ定説ごし来れる所︑然るに近時河南省股虚
の地より多数の亀甲獣品目の文字後見せられし
以来︑股代に文字有りたるこごは盆々明確ご
なりたるも︑此の出土の亀甲獣
m h H
は羅振玉氏
及び日支の二三の卒者の外未だ之を詳細に
研究するに至らざるは甚だ残念のこごである
是等は無論人文科卒研究所の研先事項の一つ 三して充分科率的に研究す可きものである
J而して縫った研究が世界的に後表せらる﹀に 至らば︑支那の古代の研究に非常に大なる先
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︐
明争放っ事さなるであらう︒支那の古代研究 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑・.︑︑︑︑︑︑︑︑ を迩なる上に於で最も校本的の.障碍さなるこ
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
さは︑一位支那には何の時代頃から文字が使
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑ 晴
︑ ︑
︑ ︑
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︑ ︑
︑
用 せ
ら れ
て 居
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ふ 甲
﹄ ご
が 科
向 学
的 に
明
︑︑︑︑︑︑︑︑ 確でない貼にゐる︑支那の太古には結縄がゐ
b︑ 一
紳 農
E A
の頃から金日契合以て之に代へたご 一去ふ易の文や︑又は資帝の時に斉誌が文字合
制したさ一玄ふ侍設はあるけれぜも︑従来の亭
一 入 入
者の多くは単に侍読ごして看過し深く之合研
究せんごするものは甚だ稀であった︑然し股
虚出土の亀甲獄骨文を見て之ぞ今日現存する 原始的民族たる亜弗利加印句放の諸種の給文
字
20
円 高
5 1H ω
や ﹁
冬 紀
﹄ 当
日 ロ
門
2oのロ ロ
円 一
等 三
比較調照して見れば︑前者が後者に比して徐
程進化したものであるこさが明瞭であって︑
践に股代に亀甲段骨文の如き相営に進化した
る文字があったものごすれば︑これより進化
の幼雅な文字は其の時代より活かに以前の時
代にあったであらうご云ふ甲コ﹂が推定出来る
こ ご
で あ
る ︒
五 口
人 は
舎 で
拙 著
﹃ 一
山 内
実 論
﹄ の
中
に支那の股代よ
b渓代に至る約二千年間に於
ける︑支那文字の愛恋ど︑カ
YJ プアの摂形文字
の商組前三十世紀乃至十世紀の約二千年間に
於ける其の愛還︑並に波及の西紀前四十五世
紀乃至西結後四世紀の約五十世紀問に於ける
︒ 骨 位
︒ ︒ ︒
日公遼等合比殺して︑文字には迩化遅々性のゐ るこご佐認め得るこごを論じたるこごあ
b︑
印ち文字の如き文化的保件の最根本的姿素を
なす機関には其の本性ごして容易に旋化せら
れ難いものがある︑枝葉末節の小事は時脱化す
るこ芯も改遺するこごも容易であるが︑基礎
的根本的のものは︑時鈍化し難き性質がある︑
強固性又は抵硬性ごでも呼ぶか︑日鈍化するに
も遅々ざして長き歳月ぞ要するご一エふ性質が
ある︒印ち吾人が名けて迩化遅々性さ呼ぷ所
の性質含有するものであるさ一五ふこごを.吾
人は信宇るものである︒ヵ Y デアの校形文字
は西紀前三十世紀程に存したる形?混今立(の
遺物によりて見るこごが出来るのであるが︑
共さ西紀前十世紀頃のものさ比殺して見れば
相営に旋返しては居るが︑しかし比の約二十
世紀問ご一玄ふ長歳月の問の経化ごしては窪に
軽微なものであるご一去はねばなら子︑又た波
及 の
出 一
2 6
m
グdz g
は
7 y
グ
iyス ・
ペ ト
ソ イ
殺授によれば︑第一王朝の創建者たるメネス
に閲するものが現存物中最古のもので︑主(の
年代は西紀前四千七百伶年なりご一去はれて居
るが︑其の形さ出江主
G
ざ呼ばる﹀西紀前
首文文化卒業ミヱ日人の之に封する若干の希望 三千五百年頃に使用せられたるのさの問には 可息に著しき経化のあるこごケ認めるこさが 出来るけれども︑口一
0
2 一 の
ω ざり
0 5
0
2さ務 巴
する西紀前九百年乃至西紀後四百年頃迄使用
せられた文字ごを比絞するご︑甚しき鐙化は
認められない︑立(がご一千年間の愛還さして見
るさきに如何に其の愛化の遅々たるか子知る
こごが出来る︒斯く文字なるものは進化遅々
性を有するものであるざすれば︑裳に一言せ
る支那河南省湯陰騒の古美里城の遺跡から後
掘せられたる誼甲獣品目の文字が︑あれ丈けの
形陸
T
得る迄の進化?途ぐるには頗る遼遠の
年月営費した‑}三でゐらうさ推論するこさは
強ち無理のこさではない︒今日人程卒者等の
調査した所によれば︑文字ざ一式ふもの︑原始
的の形態は或はメキジコの
O戸 守
口 印
ち 結
縮 ︑
又は北米印句人の﹁ヲジプジ﹄巧
E d z H H
滑 に
織出されたる
h仰木形︑或は近時西欧の諸所に後
見せられたる後の氷河期以前に洞窟内に住九
だ原始的民放が洞窟の側壁に刻みて遣したる
一 八
九
商 業 主 経 諒
山 石
刻 給
伊 丹
円
om q
ち
ω 又は北米印旬放某他の原
始的民族が岩石︑木皮︑獣骨︑獣牙︑亀甲等
に刻し又は書き遺したる給文字句片
Zm
g
句 } 冨
等
‑ T見れば︑買に最も原始的なる︑幼稚此上
もないものさ認めらる﹀ものから漸次に幾分
づっの進化後遣をなしたりさ認な可き各都の
程反のものを見るこごが出来るのであって︑
股虚の地よ
b出でたる亀甲獣骨の文字の加さ
は某等のものご比摂して大に進歩したる高放
の俊一遥進化を遂げたるものであって︑而して
最も原始的なるものから︑此の程反の後法令‑
遂げるまでの進化を克くするには︑京社易なら
ぬ歳月を要したであらうさ考へられるのであ
る︒換ム一目すれば︑支那の頗る迩還の太古には
今日迄に後見せられたる原始的文字の中の最
も幼稚なるものに調蛍す可き程度の萌芽的文
字︑若し文字ご一去ふが夫常なれば︑意一不表示
の符就が後生して︑立(から漸次に序ケ逐ふて 進歩の階段を遅々ごして経過し︑其の問には
メキジコの
O z
f l
の如き形︒伊きりたるものも
一 九 O