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狂言「拄杖」と『無門関』第四四則「芭蕉拄杖」

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(1)

狂言「拄杖」と『無門関』第四四則「芭蕉拄杖」

大   谷   節   子

得拄杖子

七縱八橫。作麼生會。 (『五燈全書』八十七巻)

しゆ

ぢやう

きやう

あり。 横

わう

せつ

しゆ

せつ

、おのづから 空

くう

を破し 有

を破す。 払

ふつ

きやう

あり。雪を 澡

さう

し霜を澡す。

(『正法眼蔵』 「自証三昧」 )

  拄

しゆ

ぢやう

とは禅僧が持つ背丈を超える長さの杖である。修行の具でありながら、仏性そのものを表し、拄杖を識得 するとは一生参学の 事

畢る、つまりは悟りを意味する 。これを作品名とする狂言「拄杖」を取り上げる。この作

(2)

品は和泉流のみがこれを現行曲として伝えているが、今日演じられる機会はほとんどないと言ってよい。上演の 機会が失われてしまったのは、難解さの陰にこの作品の「をかし」が埋没してしまっているためであり、この狂 言にもかつて確かに「をかし」は存在した。

  こうした上演状況に比例して、狂言「拄杖」についてのまとまった研究は未だ無く、類曲である「呂蓮」の作 品研究において「呂蓮」が先に成立し、新たに創作した禅問答をこれに加えて「拄杖」が形成されたとする稲田 秀雄氏の見解 を知るに留まる。

  「拄杖」は、天正狂言本には含まれていないものの、和泉流は最古本である天理図書館蔵『狂言六義』

(以下、 天理本)に既に見え、大蔵流も最古本の虎明本がこれを収録する 。なお、虎明本以降これを上演曲から外した大 蔵流は、後述するように既に虎明本が書写された寛永十九(一六四二)年の時点で、この狂言の「をかし」の所 在がわからなくなっており、そのために混乱した本文を有している。このことは、虎明本が書写された時点で既 に「拄杖」の成立から少なからぬ年月が経過していたことを推測させる。まずは、この作品が持つ「をかし」を 掘り起こす ことから始めたい。

  狂 言「 拄 杖 」 は 天 理 本 と 虎 明 本 で い く つ か の 相 違 点 を 持 つ が、 ま ず は 天 理 本 に 従 い、 最 初 に 全 体 の 構 成 を 示 す。

(3)

〔1〕初めて京の都に上った記念にと拄杖を誂えていた僧が、出来上がった頃合いにこれを取りに行く。 〔 2〕 亭 主 か ら 手 渡 さ れ た 白 木 の 拄 杖 を 見 た 僧 が 粗 末 だ と 呟 く と、 亭 主 は「 お 僧 へ 一 句 も つ て ま い ら う 」 と 問 答 を仕掛ける。 〔 3〕 第 一 の 問 い は「 如 何 な る か こ れ 白 木 の 拄 杖 」。 僧 は「 漆 無 け れ ば ゑ 塗 ら ず し て 」 と 答 え、 亭 主 の 鼻 を 撫 で る。亭主は「はな塗りまで遊ばいた」と呟いて、第二の問い「その拄杖折つての後はさて如何に」を提示す る。僧が「一念はつぐと二念はつがじ」と返答すると、亭主はこれに感服して僧に一飯を勧め、弟子となっ て諸国行脚するのが望みであると、出家剃髪を申し出る。 〔 4〕 僧 は、 出 家 と い う も の は 縁 者 に 相 談 の 上 で す る こ と だ と 諫 め る が、 亭 主 は、 皆 は 既 に 了 解 し て お り、 妻 に 至っては、おまえが出家すれば自分の後生のためになると、常々出家を勧めているほどだと答える。それな らばと僧は亭主の髪を剃り、法衣を着せる。ところが、その姿を見た妻は仰天し、自分の許可無しに亭主が 出家したことに立腹し、亭主を引き回す。亭主は、僧に無理矢理頭を剃られたのだと嘘をついて逃げ、妻は 僧を引き倒す。

  僧と亭主の問答から成る前半と、僧を導師として出家した亭主が妻の反対によって還俗する後半に分かれ、後 半部にあたる〔4〕は、虎明本が「呂蓮のごとく」として本文の一部を省略しているように、狂言「呂蓮」の後 半と共通する内容である。

(4)

  次に、天理本と虎明本を列記して、両本の相違点を詳しく見ていく。虎明本も、都に初めて上ったしるしに拄 杖を誂えていた僧が登場するところから始まる。冒頭のこの場面〔1〕は、天理本の僧が「諸国一見の僧」と名 乗るのに対して、虎明本の僧が「東国がたの者」と名乗るほか、大きな相違はない。

〔1〕 竹 に 衣 と づ き ん を 付 て か た げ て、 僧 一 人 出 る。

「 諸 国 一 見 の 者、 み や こ を 見 物 い た さ い で、 今 度 上 た 」 と 云、

「 み や こ へ 上 た し る し に、 し ゆ じ や う を 調 て く だ ら う と 思 ふ て あ つ ら へ た、 定 而 出 来 せ う 」 と 云 て、取に行、シカ〳〵。 (天理 本『 狂 言六義』 )

「 罷 出 た る 者 は、 東 国 が た の 者 で ご ざ る。 某 い ま だ 都 を 一 見 仕 ら ず、 此 度 罷 上 り 爰 か し こ を の こ ら ず 見 物致てござる程に、追付国本へ罷下らふと存るが、爰にしゆじやうをあつらへておいて御ざるが、此比出つ るはずで御ざる程に、とりに参らふ。此しゆじやうを持て下り、都へのぼりたるしるしにいたさう、参る程 に是じや、もの申す」 (『大蔵虎明本』 )

  続 く 〔 2〕 と〔 3〕 の 場 面 で は、 天 理 本 は、 僧 が「 そ さ う( 麁 相 ) に 見 ゆ る 」 と 拄 杖 に 不 満 を 漏 ら し た た め に、亭主は僧へ「お僧へ一句もってまいろう」と問答を仕掛ける。これに対して虎明本は、亭主(虎明本は「細 工人」と表記)がいきなり問答を仕掛けながら僧へ拄杖を渡す形であり、僧が杖について不満を漏らす場面がな

(5)

い。 〔2〕 あ ん な い を こ う。   ア ド 出 る。  

「 し ゆ じ や う が で き た か 」 と 云。  

「 出 来 た 」 と 云 て、 取 出 し わ た す。  

シテ

「これはそさうにみゆる」と云。 (天理本『狂言六義』 )

「 た そ 」 

「 身 共 で お じ や る が、 せ ん ど あ つ ら へ た し ゆ じ や う は 出 き て 御 ざ る か 」 

「 其 事、せんど仰られたは、近日国本へ下らせ(ら)るゝと仰られたに依て、一日の間もはやふ出かしてしんぜ うと存て、でかひておいてござる」  

(出家)

「それは近比満足致た。さあらばくだされひ」

(『大蔵虎明本』 )

〔3〕

「 お さ う へ 一 句 も つ て ま い ら う 」 と 云 て、 「 い か な る か 是 し ら き の し ゆ じ や う 」 

「 う る し な け れ ば ゑ ぬ ら ず し て 」 と 云 て、 は な を な づ る。  

「 は な ぬ り ま で あ そ ば い た 」 と 云 て、 「 そ の し ゆ じ や う、 お つ て の後は扨いかに」  

シテ

「一念はつぐと二念はつがじ」 (天理本『狂言六義』 )

し ゆ じ や う を わ た す 時、 う け と る 時  

「 い

一、いかなれしらきなるかな此しゆじやうとも云

か な る か 是 し ら き の し ゆ じ や う 」 

「 う る し な け れ ば

(6)

一〇

ゑ ぬ ら ず し て 」  其 時 さ い く 人、 鼻 を な ず る  

「 は あ、 て い し ゆ た ゞ 人 で は お り な ひ、 は な ぬ り ま で あ そ ば ひ た 」 

「 そ の し ゆ じ や う、 お つ て の 後 は 扨 い か に 」 

「 い ち ね ん は つ ぐ と も 二 ね ん は つ が じ」 (『大蔵虎明本』 )   そして、右のやりとりの中で両本が大きく異なるのは、天理本では僧が亭主の鼻を撫でるのに対し、虎明本で は逆に亭主(細工人)の方が僧の鼻を撫でる点である。果たしてどちらが本来の形であろうか。これを知るため には 、この問答において何が交わされているかを解かなければならない。

  亭主の第一の問い「如何なるかこれ白木の拄杖」は、天理本の本文においては、その直前に僧が塗りを施して いない白木の拄杖を見て「麁相に見ゆる」と評したことを受けての発話である。従って、僧の不満に対する返答 として、亭主は「何故この拄杖が白木であるか、おわかりか」と尋ねたのだと、まずは解釈するのが穏当であろ う。しかし、これが禅の公案の体裁を取っていることは一目瞭然である。例に挙げるには、拄杖が龍と化して山 河大地を吞み込む「雲門の拄杖」の一節が最も相応しい。

垂 示云、諸仏衆生、本来無異。山河自己、寧有等差。為什麼却渾成両辺去也。若能潑転話頭、坐断要津、

(7)

一一

放過即不可。若不放過、尽大地不消一捏。且作麼生是潑転話頭処。試挙看。 本則   挙。雲門以拄杖示衆云、拄杖子化為竜、吞却乾坤了也。山河大地甚処得来。   〔現代語訳〕 雲 門 が 拄 杖 を 衆 僧 に 示 し て い っ た、 「 こ の 拄 杖 は 竜 と 化 し て、 天 地 を 呑 み こ ん で し ま っ た。 ( お 前 た ち は ) 山河大地をどこから手にいれるのだ」 。 評唱 只如雲門道、拄杖子化為竜吞却乾坤了也、山河大地甚処得来、若道有則瞎、若道無則死。還見雲門為人処 麼。 還 我 拄 杖 子 来。 ( 中 略 ) 古 人 道、 一 塵 纔 起、 大 地 全 収。 且 道、 是 那 箇 一 塵。 若 識 得 這 一 塵、 便 識 得 拄 杖 子。 纔 拈 起 拄 杖 子、 便 見 縦 横 妙 用。 恁 麼 説 話、 早 是 葛 藤 了 也。 何 況 更 化 為 竜。 ( 中 略 ) 雲 門 毎 向 拄 杖 処 拈 、全機大用、活潑潑地為人。芭蕉示衆云、衲僧巴鼻、尽在拄杖頭上。永嘉亦云、不是標形虚事褫。如 来 宝 杖 親 蹤 跡。 ( 中 略 ) 怱 有 人 問 如 何 是 拄 杖 子 、 莫 是 打 筋 斗 麼、 莫 是 撫 掌 一 下 麼。 総 是 弄 精 魂。 且 喜 没 交 渉。 (以下略)

  〔現代語訳〕

雲 門 は「 こ の 拄 杖 は 竜 と 化 し て、 天 地 を 呑 み こ ん で し ま っ た。 山 河 大 地 を ど こ か ら 手 に い れ る の だ 」 と い っ た が、 ( そ の 山 河 大 地 が ) あ る と い え ば め く ら、 な い と い え ば 死 ん で い る。 雲 門 の 教 化 の や り 方 を 見 たか。わしに拄杖をよこせ。 (中略)古人が言った、 「一塵が起こるや、大地が完全に収まる」と。さて、

(8)

一二

これはいかなる一塵なのか。この一塵を理解すれば、すぐさま拄杖を理解することができよう。拄杖をつ まみあげるや、自在のはたらきを見るだろう。このような話も、はや文字言説にとらわれている。拄杖が 竜 と 化 す に 至 っ て は な お さ ら だ。 ( 中 略 ) 雲 門 は 常 に、 拄 杖 に つ い て 話 題 に 取 り あ げ、 禅 機 の 大 い な る は た ら き を も っ て 生 き 生 き と 人 を 教 導 し た。 芭 蕉 は 僧 衆 に 示 し て、 「 禅 坊 主 た る 所 以 は、 す べ て 拄 杖 の 上 に ある」と言った。永嘉もまた、 「(拄杖は)形式的な表徴として意味なく持っているのではない。如来の宝 杖 と し て 親 し く そ の 足 跡 を た ど っ て い る の だ 」 と 言 っ た。 ( 中 略 ) も し 人 が、 「 拄 杖 と は い か な る も の か 」 と問うたら、とんぼを切るか、手を一つ拍つかするのではあるまいか。みな精神を無駄に費やす振舞だ。 お見事に的外れ。

(末木文美士編『現代語訳   碧巌録中』 )

右『碧巌録』第六十則は、龍と化して乾坤を吞み込んだ拄杖を前に、山河大地がどこにあるかを問う公案。評唱 中 の「 如 何 是 拄 杖 子 」 の「 拄 杖 」 を「 白 木 の 拄 杖 」 と す れ ば、 狂 言「 拄 杖 」 の 亭 主 の 第 一 の 問 い と な る。 『 碧 巌 録 』 第 六 十 則 で の 拄 杖 が 悟 り を 示 す よ う に、 こ の 公 案 の 体 を 借 り て「 白 木 の 拄 杖 を 何 と 見 る 」 と 発 話 し た 狂 言 「拄杖」の亭主も、僧の悟りを試していると見るべきであろう。

  問 わ れ た 僧 は「 漆 無 け れ ば 得( 柄 ) 塗 ら ず し て 」 と 答 え て、 亭 主 の 鼻 を 撫 で る。 も と よ り 白 木 の 拄 杖 を 見 て 「麁相なり(不出来だ )」と評した僧である。その返答は俗世界の事柄に終始し、このような粗末な拄杖であるの は「漆がないので塗ることができずに」と解釈するのが妥当であろう。そして天理本の僧は亭主の鼻を撫で、虎

(9)

一三

明本の僧は、逆に亭主に鼻を撫でられる。従来この部分は「鼻の脂を花塗漆に見立てた洒落 」と理解されている に過ぎないが、そもそもこうした情況で相手の鼻を撫でる行為は極めて侮蔑的と言わざるを得ない。ところが、 こ の 屈 辱 的 な 行 為 を 受 け た 天 理 本 の 亭 主 は、 怒 る ど こ ろ か「 は な ぬ り ま で あ そ ば い た 」 と、 僧 に 感 服 し て し ま う。京の都へ初めて上り、白木の杖を見て不出来だと文句を言う、およそ「悟り」にはほど遠い出家にも関わら ず、である。つまり、ここには何らかの勘違いが生じているに違いない。   では、僧の返答と、鼻を撫でられるという屈辱的な行為を、亭主は一体どのように解釈したのであろうか。そ れ を 解 く た め の 鍵 は、 先 に 引 用 し た『 碧 巌 録 』 第 六 十 則 評 唱 で も 引 用 さ れ る 芭 蕉 慧 清 の 公 案「 芭 蕉 拄 杖 」 に あ る 。

芭蕉和尚示

衆云。你有

拄杖子

、我与

你拄杖子

。你無

拄杖子

、我奪

拄杖子

。 無門云。扶過

断橋水

、伴帰

無月村

。若喚作

拄杖

、入

地獄

箭。 頌云、諸方深与

浅、都在

掌握中

。撑

天并拄

地、隨

処振

宗風

。(岩波文庫『無門関』第四四則)

中 国南宋の禅僧無門慧開によって編纂された公案集『無門関』第四四則の公案は 、拄杖が「有」る者には与え、 拄杖が「無」い者からは奪う、というもの。これは「有無」と「与奪」との常識的な結び付きを裏切るもので、 常 識の二元論を超えなければ不可解の谷間から抜けることはできない。古注の解釈を辿れば、

(10)

一四

拄杖ハ法身ノ表相也。号拄杖、用理ハ法身当著ノ処デ、煩悩ノ業山ヲ打破スル也。此一拄杖ハ人々自己ニ具 足スレドモ、迷ニ仍テ外ニ向テ求也。此ノ拄杖ハ有トミタモ無イト見モ度量シタコト也程ニ、你ニ有ラバ与 エントハ、 有

ヲバ 有

ヲ以テ推詰タコト也。無バ 奪

ウバワン

トハ、無ヲバ無ヲ以テ推落ス也。如此接シ詰テ有無ニ亘ザ ル 一 拄 杖 当 著 ヲ ミ ル 也。 亦 ノ 説 ニ、 有

アラバアタヱン

与 ト ハ、 一 拄 杖 当 著 ノ 活 機 ア ラ バ 我 証 拠 人 ト 成 テ 汝 ニ 印 可 セ ヌ ト 也。印可トハ 伝

デン

ジユノ

コト也。無バ奪トハ、一拄杖当著ノ活機ヲ不発、我你ニ不是処剗却セント也。剗却ガ奪羊 也。剗ハケヅル。

(京都大学附属図書館蔵『無門関注』 )

「拄杖」は「法身ノ表相」であり、

注ニ云、汝ニ 有

ラバ

拄杖子

、我レ汝ニ拄杖子ヲ与ントハ、真ノ拄杖子ヲ識得シタラバ徹所ノ為メナ程ニ拄杖 子 ヲ 与 ヱ 用 之。 亦 你 ジ ニ 無

拄 杖 子

我 レ 奪

你 ジ ガ 拄 杖 子

ト ハ 真 ノ 拄 杖 子 ヲ 心 得 ズ ン バ 何 ニ ヲ 証 拠 ニ 与之 用ズ。譬ヱバ持ツタ拄杖子ナリトモ奪ハデゾ。拄杖トハ心ノ譬喩ダト云ゾ。与奪ニ渡ラヌガ心ノ拄杖ヂ ヤ。 ▲ 無 門 云、 扶 テ ハ 置 ── 水

ト ハ 衲 子 ヲ 一 度 ビ 真 ノ 拄 杖 ヲ 識 得 ス レ バ 断 橋 ノ 時 ハ 橋 ト ナ リ、 無 月 ノ 村 デ ハ一燈トモナリ(中略)▲無門ノ頌ハ有ラバ与ン無クンバ奪ント行ジタ掌内ニ諸方ノ深浅トモニアル。此ノ 威 風 ガ 天 地 ニ サ シ タ 拄 杖 子 識 得 ノ 時 ヲ 随

処 ニ 振

宗 風

ド コ デ モ 宗 風 ヲ 立 シ タ、 畢 竟 真 ノ 拄 杖 識 得 ガ 無 門 関心ヂヤ。

(11)

一五

(山田忠雄氏旧蔵『無門関抄』 )   「心ノ譬喩」と説かれ、この公案が「真ノ拄杖識得」を問うものとして理解されているのが知られる

  こ の よ う に、 「 芭 蕉 拄 杖 」 の 公 案 が、 悟 り が 既 に あ る と 言 う 傲 慢 な 者 に は そ の 悟 り な る も の に 屋 上 屋 を 架 し、 悟りは無いと悟り澄ました者からはそれを剥ぎ取るという、有無のレトリックによる悟りの問い直しであること に着目するならば、狂言「拄杖」における亭主と僧との問答が同じ構図を持っていることに気付かされる。つま り、 公 案「 如 何 是 白 木 拄 杖 」 を 仕 掛 け た 亭 主 に 対 し て、 「 漆 無 け れ ば ゑ 塗 ら ず し て 」 と 答 え て 鼻 を 撫 で る 動 作 に、 「(無ければ塗ることはできぬが)おまえの鼻に脂があるのならば、さらに上塗りをしてやろう」という解釈 が可能となる。

  そう考える理由は、鼻を撫でられた時に亭主が言った言葉「はな塗りまで致いた」にある。 「はな」には「鼻」 と「 花 」 が 掛 け ら れ て お り、 「 花 塗 り 」 と は 塗 り の 行 程 の 最 後 に 行 う 艶 出 し の 仕 上 げ 塗 り を い う。 す れ ば、 鼻 を 撫でる行為は、もしおまえの鼻にそれが「有」のならば、さらに上塗りしてそれを「与」えてやろう、という意 味 を 持 つ こ と に な る。 「 有 」 な ら ば「 与 」 え よ う と い う「 そ れ 」 は、 俗 の 次 元 で は「 漆 塗 り 」 も し く は 結 果 と し ての「艶」 「照り」であり、俗を離れた次元では「悟り」である 。

  このような解釈によって、亭主は僧から侮辱を受けたにも拘わらず、生悟りを諫める一喝を受けたものと勘違 いしたのであろう。この時の亭主の脳裏には、飛び去った野鴨はどこにいるかと問われ、野鴨は他でもない、こ こにいるぞと導師に鼻を摘まみ上げられた『碧巌録』第五十三則「百丈野鴨子」の話 が脳裏をよぎったのかもし

(12)

一六

れ な い。 こ の 野 鴨 も「 仏 性 」「 悟 り 」 と 理 解 さ れ る も の で あ る。 も ち ろ ん 白 木 の 拄 杖 に 文 句 を 付 け た 僧 の 発 言 に、このような禅的深意があったはずはない。あくまで禅語を弄するのは亭主であり、僧の意図せぬままに事が 進んでいくところに「をかし」は存在する。

  と こ ろ で、 先 に 見 た よ う に 虎 明 本 で は、 亭 主 は 拄 杖 を 渡 す と 同 時 に 僧 へ「 い か な る か 是 し ら き の し ゆ じ や う 」 と問い掛け、亭主の方が僧の鼻を撫でる。そして天理本とは逆に僧が「ていしゆたゞ人ではおりなひ、はなぬり まであそばひた」と亭主に感心する。この場合は、僧と亭主の双方が、拄杖をめぐる古来の公案を周知している ことが前提となる。しかし、このように僧が亭主に感服する虎明本の形では、亭主が僧に帰依して出家する理由 がなくなってしまう。天理本の形を古形と考えてよいであろう。

  続いて第二の問答が交わされる。

その拄杖おつての後は扨いかに

  一念はつ ぐと二念はつがじ

亭 主 の 問 い は、 「 拄 杖 が 折 れ た 後 は、 ど う す る の か 」 で あ る。 し か し、 先 に「 如 何 是 白 木 拄 杖 」 と 問 う た 亭 主 で

(13)

一七

ある。当然ここの拄杖も仏性(悟り)を指すと理解しなければならない。この亭主は、生悟りであることを僧に よ っ て 見 破 ら れ た と 思 っ て い る の で あ る か ら、 そ の 文 脈 で 問 い を 立 て る な ら ば、 「 悟 り だ と 思 っ て い た も の が 折 れ てしまったら、一体どうすればよいのか」となろう。   これに対する僧の答え「一念はつぐと二念はつがじ 」は、即物的な文脈に沿って「一つなる物は一つなる物で あり、折れて二つになったものは接ぐことはしない」と解釈するのが相応しい。しかし、亭主はこれを再び深読 みする。禅における「一念」とは、わずかな妄心も起きぬ境地であり、そこに「二」は存在しない。つまり、悟 りに余念はない、と。こうして再び喝を入れられたと感じ入った亭主は、僧の弟子になることを申し出る展開と なる。 〔4〕

「 扨 々、 そ な た の や う な お 僧 は あ る ま い、 一 飯 を 申 さ う 」 と 云、  

「 い や、 ま か り 帰 る 」 と 云、  

「ぜんあく」と云て、おくへ通す、 「お僧を申入た、一ばんをこしらへてだせ」と云つくる也。シカ〳〵。  

アド

「ちとおそうへむしんが申たい」 と云。  

シテ

「なに事ぞ」 と云。  

アド

「その方のやうな人もあれかし、 かみそりをいただいて、お弟子になつて、諸国をおともしたいと存た、さいわいじや、かみそりをあてゝた まわれ」と云。 (天理本『狂言六義』 )

「 さ て 〳〵 し ゆ せ う に こ そ 御 ざ れ。 今 ま で い く た り も 出 家 達 が、 し ゆ じ や う お ゝ ふ あ つ ら や つ た れ

(14)

一八

共、 そ な た 程 な 出 家 は お り な ひ 程 に、 一 飯 を 申 さ う、 お く の 間 へ と を ら せ ら れ ひ 」 

「 い や 参 る ま ひ 」

「 ぜ ひ と も と を ら せ ら れ ひ 」 

「 さ ら ば か う ま い ら ふ か 」 

「 中 々、 た ゞ い ま も 申 ご と く、かた〴〵のやうなるしゆせうな御出家にあふた事が御ざなひ。是はそつじな申事なれ共、かた〴〵のや うな御出家にあふて、ほつたいいたしたひとぞんじてござあるに、ねがひがかなふて御ざるほどに、れう じ ながら、剃刀をあてゝ下れひ」 (『大蔵虎明本』 )

そして両本とも、僧は親類縁者が了解済みであることを亭主に確認した後、髪を剃って 亭主を 出家させる。

「 思 ひ も よ ら ぬ。 さ や う の 儀 は、 お や こ し ん る い に も 御 だ ん か う あ つ て、 そ の 上 で の 事 で こ そ あ れ、 思 ひ も よ ら ぬ 」 と 云。  

「 常 に だ ん か う し て お い た。 何 事 に よ ら ず、 こ な た の や う な 人 に あ ふ た ら ば、 そ の ま ゝ 出 家 に な れ と 申 」 と 云。  

「 お 内 儀 に も、 よ う 御 だ ん か う あ つ た か 」 と 云。  

「 女 共 は 常 々 申。身共が後生をねがへばぬしが後生にもなるほどに、 さう〳〵出家になれと申」と云。シカ〳〵  

シテ

「是 非におよばぬ」と云。シカ〳〵 (天理本『狂言六義』 )

「 そ れ は や す ひ 事 で 御 ざ れ 共、 さ や う の 儀 は、 お や こ 衆 へ 仰 せ ら れ ひ。 そ の 上 お 内 儀 と も 御 談 合 な さ れ て、 御 が て ん で 御 ざ ら ば、 其 上 何 時 成 共 剃 刀 を あ て ゝ し ん ぜ う 」 

「 い や さ や う の 義 は か ね て よ り 申

(15)

一九

て御ざる。皆も同心をいたひた程に、そつともくるしう御ざなひ。こなたへ申いるゝも、さやうの望で御ざ る程に、ぜひともたのみぞんずる」   

(出家)

「其儀ならばぜひに及ばぬ」 (『大蔵虎明本』 )   以 前に取り上げた狂言「八句連歌 」においては、借金をめぐって借手と貸手が詠む連歌と互いの評に仕組まれ た 雅 俗 の 意 味 の 二 重 性 が「 を か し 」 を 生 ん で い た。 雅 の 文 脈 で は 連 歌 の 表 現 と 俳 諧 連 歌 の 表 現 の 差 異 が 論 じ ら れ、俗の文脈では借金返済をめぐる丁々発止の攻防が交わされ、 雅俗紙一重の均衡を保ちながら 一触即発の掛け 引きが進行する。

  狂言「拄杖」も言葉の解釈の二重性によって「をかし」が仕組まれている点では同じ趣向の作品である。亭主 は凡僧が発した俗な言葉を禅的に解釈し 、一方、俗な世界に終始する僧は、亭主が頭の中に描いている禅的な解 釈を理解することはない。雅俗ならぬ聖俗の解釈のすれ違いがこの作品における「をかし」の核心であり、後半 はそのすれ違いの結末、つまりは破局の場面として作られている。

  稲 田 秀 雄 氏 は 前 掲「 狂 言「 呂 蓮 」 考 」 に お い て、 『 松 虫 鈴 虫 物 語 』 等 に 見 え る、 親 族 の 同 意 を 得 ず に 出 家 し た 女 性 が 親 族 の 反 対 に 抗 し 得 ず 還 俗 す る 話 型( 氏 に よ っ て ク ラ ン 女 説 話 と 名 付 け ら れ て い る ) を 指 摘 し、 こ れ が 「安易で軽率な人間」の「愚かさやおかしさ」の話として「狂言において再発見され」 、狂言「呂蓮」が生れ、周

(16)

二〇

知の諺の類 を元に創作された禅問答に先行する「呂蓮」を加えて狂言「拄杖」が成立したと位置付けられた。

  出 家 し た 者 と 残 さ れ た 親 族 と の 葛 藤 の 物 語 と い う 枠 で 把 え る な ら ば、 こ れ は 氏 の 言 う ク ラ ン 女 説 話 の み な ら ず、高僧伝を初め脈々と語り伝えられる話型の一つである。能の物狂能は、この話型を用いて別離と再会の物語 を枠組みとしており、ここから多くの物狂能が作られている が、その結末の典型は、出家した者を追って探し求 めた末に、残された親族もまた再会した出家者に導かれて出家する。狂言「呂蓮」 「拄杖」 、和泉流番外曲「三人 僧」に共通する、妻の反対によって還俗する筋立ては、こうした高僧伝や物狂能における「模範的」な出家譚の パロディと見なし得る。これらの狂言においては、仏教にとって最も悟りから遠いが故に救われるべき存在であ る は ず の 妻 は、 無 常 と 出 家 の 功 徳 を 説 く 夫 に、 「 後 生 も 何 も 要 ら ぬ 」 と 断 言 し て 憚 ら な い。 後 生 の 存 在 な ど 鼻 か ら信じていない現世主義者としての妻の造型は、愚身を救うべく来世を願う「模範的」女性像の裏返しである。

  なお、この後半部が拠ったとされる「呂蓮」は、次のような狂言である。──旅僧の教化説法を聞いて出家剃 髪した亭主が、旅僧に法名を付けてもらうことを申し出るが、無学な僧は「蓮」の文字の上に「いろは」を順に 付 け て 提 案 し、 「 呂 蓮 」 と 命 名 す る。 そ こ に 妻 が 現 れ、 こ れ を 覆 し、 妻 は 僧 を 追 込 む。──「 呂 蓮 」 に お い て は、妻に加えて旅僧の造型もまた、救われぬ霊を成仏させる能の「模範的な」旅僧のパロディーとして造型され ている。

  前述のように狂言「拄杖」の前半部において亭主は、第二の問い「その拄杖折つての後はさていかに」に対す る僧の返答「一念はつぐと二念はつがじ」を、悟りを求める心(出家の決心)に二念はないと解釈して、自ら弟 子になることを望んだのであった。狂言「拄杖」の後半部は、この亭主がその舌の根が乾かぬ内に余念を起し一

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念を翻して出家の志を折る様子を、面白おかしく見せたものでもある。

身共はいやと云たれ共、あの人がむりにつかまへてあたまをそられた。 出家になれば何やらよい事があるほどに、善悪弟子にせうと云て、むりにそられた。 (天理本『狂言六義』 )

こうして亭主はそそくさと逃げ、残った妻は一人で僧を引き倒して終わる 。

  拄杖を識得することが「一生参学の事畢」を意味するのであれば、狂言「拄杖」において、 「如何是白木拄杖」 と問いを発して凡僧の言葉を禅的に深読みする亭主と、俗の世界に終始した返答をする僧と、果たしていずれが 拄杖を識得していたのであろうか。

  しかし、この作品は賢者の職人と愚僧を対比し、俗人と僧、俗と聖の関係を逆転させるといった単純な構図で 理解されるべきものではない。亭主は、僧に公案禅の問答を仕掛けて出家の本懐を遂げたが、その志は妻の反対 に よ っ て 易 々 と 翻 り、 即 座 に 還 俗 す る。 亭 主 の 一 念 と は、 こ の よ う な 体 た ら く の も の で あ っ た。 『 無 門 関 』 第 四四則「芭蕉拄杖」に照らせば、亭主はこれを拄杖と呼んだがために、地獄へ堕ちた、とでもなろうか。では、 終始俗の世界を離れることのない僧にとって、拄杖とは何であったのか。その解釈は台本によって、そして場合

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によっては時々の演者によっても異なっていくであろう。

  以上、亭主(拄杖細工人・塗師)と僧の拄杖をめぐる問答における聖と俗の解釈の二重性に、狂言「拄杖」が 持つ「をかし」を見てきたが、この作品に仕組まれた「をかし」は、禅における拄杖の扱い、具体的には『無門 関』第四四則「芭蕉拄杖」の知識の上に成り立っている。狂言「呂蓮」と重複する後半部については、第二の問 い「 そ の 拄 杖 折 つ て の 後 は さ て 如 何 に( 拄 杖 が 折 れ た ら、 ど う す る か )」 の 答 え「 一 念 は つ ぐ も 二 念 は つ が じ 」 を聞いて出家を志した亭主のお粗末な結末として、この作品における整合性は持っているが、全体の分量配分を 考えると、些か長い印象を持つ。前半部の知的な構成に対して、後半は視覚的な面白さに負うところが多いこと からも、後半部を「呂蓮」の流用とみる稲田氏の見解は首肯されるが、それは必ずしも「拄杖」の新しさを決定 す る も の で は な い で あ ろ う。 「 模 範 的 」 な 出 家 譚 の 枠 組 み を 持 つ 能 を 戯 画 化 し た 出 家 狂 言 の パ タ ー ン の 嚆 矢 が い つ か と い う 問 題 は 保 留 せ ざ る を 得 な い が、 「 拄 杖 」 の 前 半 部 の「 を か し 」 が 理 解 不 能 と な っ た 時 点 で、 既 存 の 出 家 狂 言 の パ タ ー ン が 取 り 入 れ ら れ、 情 強 な 妻 と 自 己 保 身 に 走 る 小 心 者 の 夫 と の ド タ バ タ 劇 の 部 分 が 肥 大 化 し て いった可能性も残る。

  狂 言「 八 句 連 歌 」 は、 雅 に 遊 ぶ「 や さ し 」 が 俗 の 世 界 で あ る 借 金 返 済 の 難 題 を 見 事 に 解 決 し て 大 団 円 を 迎 え る、 「 を か し 」 く「 や さ し 」 き 作 品 で あ っ た。 恐 ら く こ の 作 品 は、 連 歌 の 式 目 や 連 歌 的 表 現 に 通 じ た 者 が 言 語 遊 戯を仕組んで作ったものと思われる。狂言「拄杖」の作者にも、言葉の意味の聖俗の二重性を用いた言語遊戯に 興じ、公案の知識を持って、これを自在に操り遊ぶことのできた知識層を同じく想定しておきたい。

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〔注〕 ①「無錫華蔵致果毅禅師」 (『大日本続蔵経』 )

②日本思想大系『道元   下』 (岩波書店、一九七二年) ③秋月龍珉『無門関を読む』 (講談社、二〇〇二年)

④「狂言「呂蓮」考」 (『山口県立大学国際文化学部紀要』第六号、二〇〇〇年) 。 ⑤鷺流台本は現存しない。版本では『狂言記拾遺』がこれを収録するが、古形を伝えるものではない。

⑥中世の文学『天理本狂言六義』 (三弥井書店、一九九四年) ⑦大塚光信注解『大蔵虎明能狂言集   翻刻註解』 (清文堂、二〇〇六年)

⑧連歌の長句十七文字に整えられた異演出の形は、第二の問いの形に揃えて整えられた改変本文と判断される。 ⑨岩波書店、二〇〇二年

⑩「 Sosǒ. 不出来な、粗雑な、粗野なもの」 (土井忠生他編訳『

邦訳

日葡辞書』岩波書店、一九八〇年) 。 ⑪注⑦前掲書

⑫『 無 門 関 白 雲 鈔 』( 『 禅 学 典 籍 叢 刊 』 第 九 巻、 臨 川 書 店、 一 九 九 九 年 ) が『 五 灯 会 元 』 巻 九 芭 蕉 慧 清 章 に 見 え る こ と を 記す。

⑬寛永二年刊『無門関春夕鈔』に小異。 ⑭『無門関白雲鈔』には、彫刻も塗りも施されていない山から取ってきたままの拄杖を山形拄杖子と呼んでいる。

古 ハ 鐵 ヲ 用 テ 作 ル。 後 ニ 木 ヲ 用 フ。 山 形 拄 杖 子 ト 云 ハ 山 ヨ リ 取 来 ル 只 其 マ ヽ 雕 飾 モ 無 キ ヲ 云。 宗 門 ニ ハ 神 剣 宝 刀 ト ナ シ テ 癡 頑 ヲ 截 断 シ、 鉄 棒 ト ナ シ テ 人 我 ノ 山 ヲ 打 破 シ、 𡸴 難 ノ 路 ヲ モ 是 ニ 助 ツ テ 過 ル 也。 此 故 ニ 一 仏 法 身 ノ 表

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相ト成ス上、諸仏ヨリ下一切衆生ニ至ルマデ一箇ノ拄杖子ニ助カラザル者無シ ⑮ 虎 明 本 は 亭 主 の 職 を 細 工 人 と す る。 天 理 本『 狂 言 六 義 』 は 職 に つ い て 説 明 す る 言 葉 が な い が、 塗 師 の 可 能 性 も あ ろ う

か。 ⑯ 挙。 馬 大 師 与 百 丈 行 次、 見 野 鴨 子 飛 過。 大 師 云、 是 什 麼。 丈 云、 野 鴨 子。 大 師 云、 什 麼 処 去 也。 丈 云、 飛 過 去 也。 大

師遂扭百丈鼻頭。丈作忍痛声。大師云、何會飛去。 (『碧巌録』第五十三則   本則) ⑰『 譬 喩 盡 』 に「 一 念 は 発 す と も 二 念 を 続 な 」、 『 諺 苑 』 に「 一 念 ハ 続 く ト モ 二 念 ハ 発 ス ナ 」 と あ る こ と か ら、 「 一 つ の 事 を 思 い 立 っ た ら、 そ れ を 完 遂 す る ま で は、 他 心 を お こ さ な い よ う に せ よ 」( 池 田 博 司・ 北 原 保 雄『 大 蔵 虎 明 本 狂 言 集 の 研 究   本 文 篇 中 』 頭 注、 表 現 社、 一 九 七 三 年 )、 「 一 つ の こ と に 専 念 し て 他 の こ と に は 目 を 向 け な い と い う 意 に、

一回は継ぐが二回目は継がないという意を重ねる」 (注⑥頭注)と解釈されている。 ⑱拙稿「狂言「八句連歌」の「をかし」──狂言と俳諧連歌──」 (『国語と国文学』二〇一八年九月号)

⑲ 凡 人 の 言 動 を 誇 大 解 釈 し て 崇 め る 滑 稽 譚 の 話 形 は 古 く か ら 説 話 集 に 見 え る。 下 っ て は 落 語「 百 川 」 や「 蒟 蒻 問 答 」 に 流れる話型である。

⑳『 古 今 夷 曲 集 』 巻 十 に 夢 窓 国 師 詠 と し て 見 え る 道 歌「 山 賤 の 白 木 の 合 子 そ の ま ゝ に 漆 つ け ね ば 剥 げ 色 も な し 」 や、 注 ⑰所掲の諺。

㉑拙著『世阿弥の中世』第三章「物狂能」 (岩波書店、一九九七年)

㉒ 虎 明本の亭主は、妻と一緒に僧を倒して終曲となる。なお、虎明本の後半は前述のように類曲「呂蓮」を示して本文 が 大 幅 に 省 略 さ れ て い る の で あ る が、 女 房 が 亭 主 の 剃 髪 を 知 っ て 驚 愕 す る 場 面 の 直 前 に、 天 理 本 に は な い 次 の 文 言 が 一ツ書で記されている。

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一、 し ゆ じ や う し の じ ゆ に い は く、 汝 に し ゆ じ や う し あ ら ば、 わ れ な ん ぢ に し ゆ じ や う し を あ た ゑ ん。 汝 に し ゆ じ や う し な く ん ば、 我 が し ゆ じ や う し を う ば は ん。 む も ん の い は く、 た す か つ て は だ ん け う の 水 を す ぎ、 と も な

つ て は む げ つ の そ ん に か へ る。 も し よ ん で、 し ゆ じ や う し と な さ ば、 ぢ ご く に い る 事 矢 の ご と し。 じ ゆ に い は く、 し よ ほ う の し ん と ぜ ん と、 す べ て し や う あ く の う ち に あ り。 て ん に さ ゝ へ ち に さ そ ふ、 所 に し た が つ て し う

ふうをふるう。

  こ れ は、 先 に こ の 狂 言 が そ の 体 現 化 で あ る と し て 示 し た『 無 門 関 』 第 四 四 則「 芭 蕉 拄 杖 」 の 冒 頭「 芭 蕉 和 尚 示 衆 云 」

を「 拄 杖 子 の じ ゆ に い は く 」 と 変 え た も の で あ る。 虎 明 は 狂 言 や 間 狂 言 台 本 の 筆 録 に あ た っ て 一 部 典 拠 考 証 を 行 っ て お り、 筆 写 に あ た っ て こ れ が 本 文 に 混 入 し た も の と 判 断 さ れ る が、 狂 言「 拄 杖 」 が『 無 門 関 』 第 四 四 則「 芭 蕉 拄 杖 」

の狂言であることを、少なくとも虎明は本文と共に伝えようとした一証となろう。

参照

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︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

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