アフガニスタンの現状と子どもたち : アフガニス タンはどこに向かっているのか<文通による対話の 試み>
著者 谷山 由子
雑誌名 PRIME = プライム
号 28
ページ 45‑49
発行年 2008‑10
URL http://hdl.handle.net/10723/701
“日本にいる親友のみなさんへ
今日、 みなさんの映っているビデオを見てとて もうれしくなりました。
手紙や絵を、 ありがとう。 手紙をもらって、 私 も返事を書くことにしました。 みなさんの国の 人たちが、 私たちのためにすばらしい仕事をし てくれています。 私も一生懸命勉強し、 働くよ うにしています。 季節についてですが、 私たち の国の季節もみなさんの国と同じです。 スポー ツは、 テニスやサッカーなどたくさんの種類が あります。
私の手紙を読んでもらえることを、 楽しみにし ています。
Love
ソヘラ”一見どこにでもありそうなこの手紙は、 実は日 本から約1,600Km離れた文化や宗教、 言葉などま るっきり異なるアフガニスタンの小さな村から
2004年4月日本の中学生宛に届いた数少ない手紙 です。 手紙が届く1年前の2003年春、 学校で私の アフガニスタン報告を聞いた日本の女子中学生が
“アフガンの女の子たちの暮らしぶりをもっと詳
しく知りたい”と、 その年の秋に12の質問を私に 送ってきました。 これがこの後続く文通の始まり です。 せっかくもらった質問に、 ただアンケート のように答えを集めたのではつまらないと、 仕事 でアフガニスタンに戻った際に学校側と生徒自身 から許可をもらって質問に答えている女子生徒た ちのようすをビデオに収め現地の言葉を英語に翻 訳して、 日本にもちかえりました。 次の帰国の時、質問を投げた女子生徒たちにそのビデオを見せる と、 本当にアフガニスタンの女の子たちがひとつ ひとつの質問に答えているようすが伝わり、 それ までは異次元にも思えたであろうアフガニスタン が急に彼女たちの傍に寄ってきたことに驚きを隠 しきれない様子でした。 彼女たちの感動はそこで
終わらず
“せっかくだからこんどは手紙を持って
行ってほしい” と思い思いの短い言葉を書いた
“うちわ”
のメッセージカードを、 次の出張を控えた私に送ってきました。 加えて、 日本の生徒た ちも相手に投げかけた質問に同じように答えてい るようすをビデオに収め、 それを再びアフガニス タンで見せてほしいということになりました。 いっ たいこの先どういう展開になるのか皆目見当がつ かないまま始まったこのやりとり。 このとき既に 1年半がたち、 日本の生徒は高校生になりクラス
アフガニスタンの現状と子どもたち
―アフガニスタンはどこに向かっているのか<文通による対話の試み>
谷 山 由 子 (日本国際ボランティアセンター)
アフガニスタンの現状と子どもたち―アフガニスタンはどこに向かっているのか<文通による対話の試み>
もばらばらになってしまい、 この先続けてもいい のですが返事が届いてもどうやって受け取っても らえるのかという心配がありました。 しかし、 そ の学校が中高一貫校であったことや交流に熱心な 先生がいらしたこともあって、 課外の有志グルー プの活動として学校の中に残ることになり心配は 解消されました。 同じ頃、 アフガニスタンでは生 徒たちがビデオに収めたメッセージの返事を待ち 続けていました。 それでもずいぶん時間も経って いたのでほとんどの生徒が返事を諦めかけていた ようすでした。 そこへ日本からのビデオレターと うちわのメッセージを手に私が学校に来たことを 知ると、 みんな信じられないという顔をし、 日本 からの返事をとても喜んでくれました。 そして、
彼女たちは自分たちへのメッセージとビデオを見 ると 「忘れていなかったのですね」 と口ぐちに言 い、 何かを確かめるかのようにしばらくそこから 目を離しませんでした。
“アラーの名によって親愛なる日本のお友達へ
こんにちは 由子さんが持ってきてくださった 手紙を私たちはとても嬉しくおもっています。お手紙拝見しました。
誰かに私たちが気にかけられているというのは、
嬉しいものです。
なにしろ、 私たちは、 救いようのない状態にい るものですから。
23年以上も戦争がつづいていて、 国の中で内戦 状態が続いていて、 国は荒れてしまいました。
おねがいですから、 日本政府の要人に働きかけ て、 私たちの国を援助してくれるように言って ください。
私は、 スポーツがとても好きです。 母が家のま わりの仕事をするのを私も手伝います。 週に6 日間学校に行っています。 あなたのお支えとご 協力に心から感謝いたします。
では、 また ヘレマ・ジャン”
同じように学校に通う十代の女の子たちが、 戦 火の中で難民生活を送ったり祖国に戻ってからも 生活が厳しいということがどういうことなのか、 こ の手紙をきっかけに日本の女の子たちは遠いアフ ガニスタンに思いを馳せるようになっていきました。
JVC
が武力ではない対話による問題解決を訴 えアフガニスタンでの活動を開始して、 今年で7 年目になります。 2001年9月11日ニューヨークで 起きた同時多発事件の後に開始された米英の連合 軍によるアフガニスタンへの空爆が、 その引き金 です。 空爆開始前から反対声明を出し、 空爆が開 始された後には現地に入りそこに住む人たちによ る復興を支え、 武力でもテロでもない対話を基本 とした社会の立て直しを模索してきました。 2003 年にはそれまでアフガニスタン東部ナンガルハル 県で続けてきた緊急活動を徐々に地域をベースと した復興支援活動に移行し、 その一貫としてタリ バーン時代 (1997年〜2001年末) 禁止されていた 女子教育支援を開始しました。 支援先となった同 県シェワ郡には現在人口16万7千人が暮らし、 27 校の小中高等学校 (小学校12校、 中学校7校、 高 校6校、 マドラサ2校/内8校が女子学校で小学 校が4校、 中学校2校、 2校が高校) があります。約1万9千人が学校に通っているといわれており、
その数はアフガニスタンでいう
“人口のおよそ18%
が就学年齢”と考え計算すると、 その内の63%が 就学していることになり他の地域に比べ割合が高 いといえます。
JVC
は8校の中のひとつ、 シギ村 女子高等学校 (付属の小学校、 中学校を入れ全生 徒数は支援開始当初900人、 2007年末には1,241人) で、 03年から06年にかけて教室7部屋とトイレお よび職員室の増築と、 椅子(肘掛け机付き)480脚 の支援を行いました。 そしてこれらの支援をきっ かけに、 戦争を経て一旦崩壊した学校が地域の人々 に支えられ運営されていくよう、 学校の職員だけ でなく地元のシューラ(村の評議会)や郡の教育事務所とも相談しながら教室建設や物品の購入を進 めていきました。 このように活動を通し村の先生 や長老、 郡の役人との信頼関係を築きながら進め てきた中で、 この継続的な文通が実現したのです。
実際どのようにメッセージのやりとりがあった のか、 ビデオの記録を基に辿ってみました (表―
1参照)。 これを見ると、 手紙を送ってから返事 が来るまで数カ月あいていることがわかります。
私が日本とアフガニスタンを往復するのにあわせ て手紙やメッセージが行き来したからで、 日頃E メールや携帯メールのように即、 返信が来ること に慣れている日本の中学生、 高校生には馴染みが なかったかもしれません。 ですがこの文通が続い ていた間、 東京と千葉の2校の同じ女子高校生17、
8名はずっと手紙のやり取りを続け、 その合間に は文化祭でアフガニスタンをテーマに平和につい ての展示や募金集めをしたり、 アフガニスタンの 女子生徒が描いた絵手紙をモチーフにポスト・カー ド・セットを作って販売したりして私たち団体に 寄付をしてくれました。 「自分たちのやり方でア フガニスタンを忘れないようにしよう」 という思 いから、 こういった自主活動を始めたそうです。
一方アフガニスタンでは、 私が仕事でシギ村の女 子学校に行くことがあると、 生徒たちが私を遠巻 きにしながら集まってきて恥ずかしそうに 「いつ 日本に行くの?」 「手紙は持って行ってくれるの?」
と聞くようになりました。 彼女たちにとって行っ たことも見たこともない国の人が、 まるで友だち のように語りかけてくれるのがうれしいのでしょ う、 日本の女の子たちといつまでもつながってい たいという思いが伝わってきました。
“私のアフガニスタンの友達へ
谷山さんが持ってきてくれた、 手紙とビデオ見 ました!!ビデオに私たちがみんなに書いた手紙 が映った時は、 ちゃんとアフガニスタンに届い たことがわかり、 本当に嬉しかったです。 会っ
たことのない人とやりとりができるなんて夢の ようです。
この手紙をきっかけに私はアフガニスタンにつ いて前より考えることが増えました。 お互いの 良いところ・悪いところを知ることができると ても良い機会だと思っています。 それに、 アフ ガニスタンの友達ができたことは私にとってと ても嬉しいことです。 良い経験になっています。
日本では外国の情報が簡単に手に入りますが、
やっぱり直接つながっているのとでは思い入れ が違います。
最後に日本について…日本は、 今冬で毎日とて も寒いです。 去年は多くの場所で大雪が降りま した。 でも、 3カ月もすれば春になり、 梅の花 や桜の花がたくさん咲いて本当にきれいです。
1度みせてあげたいなぁ。 3日前、 新年を迎え ました。 良い年になると良いです。 みなさんに も、 毎日笑顔のたえない日が続くことを祈って います。 世界中が平和になりますよぉに…
安田 優”
こういったほのぼのとした手紙が行き来してい る間にも、 2003年3月のイラク戦争開始以降アフ ガニスタンでは治安が徐々に悪化し、 米軍主導の テロ掃討作戦による犠牲者が年々増え、 2006年頃 にはさらに先行きの見えない状況になっていきま した。 比較的治安の安定したアフガニスタン東部 の地域も、 例外ではありません。 しかし、 シギ村 の女の子たちにとってまた以前のような戦争状態 になってほしいわけはないのです。
“私の名前はナズィアです。 7年生です。 日本の姉
妹のみなさんへのメッセージを詩にしてみました。私がほしいのは 銃ではなくペンの力
平和について様々なことを知りたい
アフガニスタンの現状と子どもたち―アフガニスタンはどこに向かっているのか<文通による対話の試み>
戦争は私たちの国を破壊しつくした 私がほしいのは
平和について考えるための時間
壊すことは簡単だけど、 造るのは難しい だから 私がほしいのは 立ち上がるための時間 新しい世代のための神の教え
私たちの思いがおいてけぼりにならないように 私たちがほしいのは 準備するための時間
ナズィヤ”
村では治安の悪化とともに再びイスラム原理主 義の勢いが増し、 村全体の緊張が高まり始めまし た。 その矢先、 日本の女の子たちの写真が同封さ れていたりスポーツや音楽など趣味について書か れた手紙が村の女の子たちの手元に届いたことを、
村人の間で強く非難する声があがりました。 こう いった外からの情報は、 村の女の子たちに悪い影
響を与えるというのです。
それでも中には文通を評価する人たちもいまし た。 しかし、 アフガニスタンの情勢がその声をか き消し、 村から文通を中止させよという指示が学 校に入ったのです。 2006年の秋頃のことでした。
このことを日本の女子高生がどう理解してくれる か予想がつきませんでしたが、 ことの成行きをそ のまま説明し文通が継続できないことを11月帰国 した際に伝えることにしました。 アフガンの女の 子たちを取り巻く状況が、 刻々と悪くなっていく のが感じ取れたからです。 日本では、 それまで文 通をリードしてきた女子生徒から 「忘れられてい ないってことがうれしいと言っていた女の子たち は、 これからどうなってしまうのですか」 「手紙 を送ると女の子たちが困るなら、 他の方法でつな がれないのですか」 と問いかけてきました。 手紙 に代わるものが何なのかその時にはすぐに答えら れませんでしたが、 少なくともアフガニスタンに 文通をしていた女の子たちがいること、 そして違っ た形でも一緒に何かやれることがあるかもしれな いと探し続けることを確かめ合い、 文通の中止が 決まりました。 皮肉なことにこれが最後と言って 預かった手紙には、 アフガニスタンからも日本か らも 「返事を待っています」 と結ばれていました。
アフガニスタンがこれからいったいどこへ向かっ ていくのか、 想像することができません。 少なく とも今のままでは良い方向にいかないことは、 予 想がつきます。 しかし、 それをどうやって導いて いけるかを考えるのは、 もう私たちの世代では限 界があるのかもしれません。 この女の子たちの文 通が示してくれたような、 こだわりをもたずにひょ いっと垣根をこえてしまうような若い世代の対話 が、 もしかしたら平和を紡ぎだしていくのかもし れません。 そのためにも、 私たち大人が武力に頼 るのではなく、 若者が対話できる環境を用意して あげる必要があるのだということをこの文通から 学ばせてもらいました。
<表−1>
実施した年月 日 本 アフガニスタン 備 考
2003年 東京都内の女子中学校で谷山由子が アフガニスタン活動報告をする。 そ の後、 アフガニスタンの女子生徒に
宛てた“12の質問”を預かる。
文通①日本→アフ ガニスタン (往)
2004年3月 教室建設計画中のシギ村を訪問し、
中学部の教室で生徒に“12の質問”
をしビデオに収録する。
2004年4月 質問に答えるアフガンの生徒の映像 を見せると、 今度は日本の生徒も
“12の質問”に答え、 それをビデオ・
メッセージとして収録する。
文通①アフガニス タン→日本 (復)
2004年7月 ビデオ・メッセージと共に日本から
の手紙を届ける
文通②日本→アフ ガニスタン (往)
2004年12月 新校舎の落成式に日本から贈られた
「シギ鳥〜おなじ空見て飛ぶ〜」 と いう畳2畳分ある絵のメッセージと 生徒の寄せ書きを飾る
2005年1月 日本の生徒宛の手紙を預かる 文通②アフガニス
タン→日本 (復)
2005年10月 生徒からのメッセージをビデオレ
ターとして収録する 2005年12月 アフガニスタンの女子学校のビデオ
見た生徒が、 1枚の布に寄せ書きで メッセージを書く
2006年2月 日本からの手紙を預かる
2006年4月 教室完成後に支援した480客の椅子
の贈呈式に集まった長老や郡・県教 育局長の前で日本の生徒からの手紙 を紹介する
2006年9月 日本からの手紙を届ける
2006年11月 アフガニスタンの女子生徒との文通 中止を伝える
2007年3月 日本からの最後の手紙を届ける 文通③日本→アフ
ガニスタン (往) 2007年
3月23日
シギ女子学校から最後の手紙を日本 に届ける
文通③アフガニス タン→日本 (復)
※文通は、 それぞれの国の言語で書かれたものを一旦英語に訳してから相手の国の言語に訳すという方法で行わ れました。 パシュトゥ語 (アフガニスタンの共通言語) と英語の翻訳は現地職員が、 英語から日本語に翻訳す る際には日本の生徒さんたちにも協力してもらいました。