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著者 家山 華子

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Academic year: 2022

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牧会の理論と実践における聖書の役割についての考 察 : ヘルムート・タケとの対話を通して

著者 家山 華子

URL http://hdl.handle.net/10236/00029074

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論 文 内 容 の 要 旨

 請求論文は、20世紀の初めから現在に至るまでの間に、理論を重んじる牧会学と実践を重んじる牧会カウ ンセリングの間で交わされた議論の変遷を概観し、カウンセリングが重んじられている現状の中で、牧会の 独自性を再考することを目的としている。そのために、ヘルムート・タケが提唱した「聖書に方向づけられ た牧会」と批判的に対話することを通して、心理学などの他の学問領域との対話に開かれた牧会理論の構築 を目指すものである。

 序論において、論者は牧会の理論と実践の関係史を概観した上で、1章において特にこの議論が明確に なった20世紀以降の米国の牧会学の動向を4つの時期に分けて分析している。第1期では、アントン・ボ イセンらによって牧会に精神医学が取り入れられ、聖書や神学よりも人間の生きた記録(Living Human Documents)によって神学が構築された。第2期は、第2次世界大戦後の精神的危機に対応するためにカー ル・ロジャーズのクライエント中心療法に基づいた臨床牧会訓練が全国に広まっていった。第3期には米国 で心理学に傾いていった牧会カウンセリングが批判されるが、第4期である現代において、多様化した社会 に適応するため「パストラル」という言葉が「スピリチュアル」に変更される傾向にある。これらの分析を 通して、論者は現在は牧会の独自性が失われる危機に直面していることを指摘している。

 2章では、米国の影響を強く受けている日本の牧会学における理論と実践の問題が取り上げられている。

日本の実践神学が1960年代に米国から牧会カウンセリングを学びつつも、トゥルンアイゼンの牧会学におけ る心理学に対する排他的な面を重視し、牧会カウンセリングに対して批判的な姿勢を取っていたため、牧会 カウンセリング及び臨床牧会訓練の神学教育への導入が進まなかった経緯を明らかにしている。一方、70年 代には学生紛争の影響を受け牧会における理論と実践の二極化が起こり、今なお課題となっている状況が指 摘されている。

 1、2章では研究の背景になる牧会の理論と実践に関する議論の変遷を整理してきたが、3章においては、

その議論の一つの大きな要となり、実践側から批判の対象となったトゥルンアイゼンの「断絶線」の概念に 着目し、そこで問われた問題点、その批判の妥当性について検討することに取り組んでいる。トゥルンアイ ゼンの「断絶線」は、人間の判断と神の判断の差異を明確にし、人間の判断には限界があることを示し、「断 絶線」を越えて働く神の働きがあることを主張するものである。一方、対話の理論や牧会カウンセリングの 立場から、トゥルンアイゼンの牧会学は、神の言葉の「上からの告知」に固執することによって、対話の実

氏 名

学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目

論 文 審 査 委 員 (主査)

(副査)

家 山 華 子

牧会の理論と実践における聖書の役割についての考察  ―ヘルムート・タケとの対話を通して―

博 士(神学)

甲神第14号(文部科学省への報告番号甲第703号)

学位規則第4条第1項該当 2020年2月26日

中 道 基 夫 淺 野 淳 博

才 藤 千津子

(西南学院大学神学部教授)

教 授 教 授

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践において牧会者が独断的になり、相談相手との間に断絶線が引かれてしまうとの批判を受けてきた。論者 は、その批判者の文献を詳細に読み、議論を整理し、その批判がトゥルンアイゼンの真意を十分に理解した ものではないことを詳論している。しかし、トゥルンアイゼンの考えが牧会的会話の独断的な側面を生み出 しかねないという問題点も指摘され、批判的に再評価する必要性が言及されている。

 そこで4章では、牧会における理論と実践の対立を止揚するためにヘルムート・タケに注目している。「聖 書に方向づけられた牧会」を提唱したタケは、トゥルンアイゼンと同じ立場に立ちつつもその理論を批判的 に継承し、トゥルンアイゼンとは違う牧会における聖書の位置付けに取り組んでいる。トゥルンアイゼンが、

上からの言葉として聖書を位置づけていたのに対し、タケは関係の言葉として聖書を位置づけており、牧会 的対話において神と人との関係が回復されることによって、信仰の助けとなることを主張した。トゥルンア イゼンが心理学を牧会の「ひとつの補助学」として位置づけていたのに対して、タケやブコウスキーは心理 学から積極的に学ぶことの重要性を強調し、理論と実践の橋渡しを試みていることを明らかにしている。

 5章では、タケの「聖書に方向づけられた牧会」をさらに実践に資するものにするために、牧会における 聖書の役割を強調するビブリカル・カウンセリング及びナラティヴ・アプローチとの対話を試み、牧会的対 話における聖書の役割について考察を行っている。ビブリカル・カウンセリングに関しては「聖書の十分性」

が強調されるあまり、権威的な構造が残り、対話の自由が損なわれる傾向があると評価している。一方論者 は、ナラティヴ・アプローチの牧会的対話に対する有効性に言及するが、ナラティヴ・アプローチの方法論 だけに着目された場合、キリスト教が持つ大きな方向性を失ってしまう可能性があるために、方法論を支え る神学的パースペクティヴの必要性を訴えている。

 6章では、牧会における神学的パースペクティヴを明確にするため、タケが主張した「神の名の保護領 域」という包括的な概念との対話を行っている。タケが意図する「神の名」は、存在論的にではなく、「対 話のプロセスにおいて働く」神の行為として理解されるべきであると分析し、論者はこの「神の名」が牧会 的対話において平静さと確信を与え、配慮への自由をもたらすことに着目している。このタケの主張とナラ ティヴ・アプローチとの対話を通して、牧会的対話のプロセス全体を支える牧会の基礎づけが試みられてい る。従来の〈セラピスト-クライエント〉といった固定した関係からの自由を重んじるナラティヴ・アプロー チにおいては、「クライエントこそ専門家」という考えをもって対話のプロセスが進められる。これにより、

対話の相手が主体的に対話に参加する自由が保障される。また、論者は、ナラティヴ・アプローチにおいて

「問題そのものを外在化」されることによって、問題とクライエント自身とが切り離され、問題に対して自 ら主体的に関わることができる自由に注目している。紹介されたナラティヴ・アプローチによる牧会事例で は、牧会的対話において、聖書のたとえ話的要素の物語に対話の焦点を当てることによって、個人的な神話 が書き換えられ、問題による支配から自由になる過程が見いだされた。論者は、本論文の結論として、聖書 の物語、特にたとえ話の中に、相談者にとってのキリストの受肉、十字架と復活、昇天そして聖霊降臨の神 の救いの物語を発見することによって、牧会者と相談者の両者が共に神の救いの大きな物語の中に置かれる という対話のプロセスが、聖書に方向づけられた牧会的対話において重要であると主張している。

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

 申請者が「牧会学の古典と呼ばれるものに関して批判的に論じている文献はほとんど見られない」(51頁)

と日本の牧会学の問題点を指摘しているように、これまで日本の牧会学においてドイツや米国の牧会学の成 果が紹介され、それに追従する傾向が強かったと言える。その反省から、申請者は、日本、ドイツ、米国の 牧会の理論と実践に関する文献を渉猟し、それぞれの立場の微妙な差異を丁寧に分類しつつそれらの対話を 追うという慎重な作業を行っていることは高く評価される。特に、これまで取り上げられることがなかった

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タケやブコウスキーというトゥルンアイゼン以降のドイツの実践神学者が紹介され、それぞれの功績と限界 を明確にしているところにひとつの貢献がある。そのような作業を通して、牧会の理論と実践に関する問題 点を明確にしたことは、本論文の重要な成果であるといえる。

 また、近年、対象をキリスト教信者に限定せず、信仰に導くことを主眼としないスピリチュアルケアが注 目され、それについての関心が高まる一方で、聖書や信仰へと招くことを主眼とする牧会についての理解や 関心が弱まっている。その中で、ナラティヴ・アプローチという新しい視点を得て、牧会をもう一度見直そ うする本研究は独自性があり、次の牧会学の議論を開くとともに、今後の教会や牧師のあり方に資する研究 であると言える。

 問題設定も明確であり、論文の展開においてもぶれることがなく、論旨も一貫しており、考察においても 申請者本人の実践的経験が分析へ鋭い洞察を向ける助けとなっている。それは結論部のさらなる問題提起に おいても明らに表れている。

 しかしながら、口頭試問において以下の課題が指摘された。まず、本論文の主張の実証性の問題である。

牧会の理論と実践の相克に関して、文献を用いて理論的に議論を展開しているが、その主張の実証性の弱さ が残念である。理論と実践の相克が生み出す問題点についても、具体的実例を含んでいれば、その実証可能 なデータによって、本論文の説得性がより高まったことと思われる。また、本研究の成果が実証されるため にも、米国の中でも理論と実践の相克に取り組んできた臨床牧会教育が重要視する「事例研究(ケース・ス タディ)」を積み重ねていく必要がある。申請者が牧師としての経験においてさらに研究を深め、実証性を 備え、実践に耐える理論を構築することを強く願う。本論文の公刊にあたっては、実証可能なデータによる 理論のサポートを付加することが肝要と思われる。

 また、トゥルンアイゼンを再考する中でも、牧会における現代的な課題との具体的な対話までには及んで いない点も課題として残る。たとえば、牧会現場での様々なハラスメントが問題になっている今日の牧会者 にとって、トウルンアイゼンの「人間の判断の相対性・限界性」という言葉が持つ意味の研究が求められる。

 また、ナラティヴ・アプローチとの対話は評価されるが、さらなる検証が必要である。ナラティヴ・アプ ローチにおける「クライエントは専門家」という視点は、実際に専門家たりうるか-主観性と客観性とのバ ランスをいかに保つか-という疑問を読者に与え、この点は牧会ケアの困難さとその定義の曖昧さをかえっ て露呈することになっているようにさえ感じられる。

 以上の批判点は、今後の研究課題として挙げられたものであり、申請者は口頭試問においてこれらの指摘 に応答し、研究課題として認識していることも示した。

 以上のような審査の結果、審査委員会は、本論文が神学研究科の定める博士論文審査基準を満たしており、

博士学位を授与されるに相応しいものと判断し、報告する。

参照

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