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著者 井上 実由紀

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漁業研修生「マス・エンダン」について[含 質疑応 答] (公開シンポジウム 日本・インドネシア交流の 過去・現在・未来‑‑日本・インドネシア国交正常化 50周年記念シンポジウム) ‑‑ (日本・インドネシア の人的交流の現代的課題と未来)

著者 井上 実由紀

雑誌名 東西南北

巻 2009

ページ 54‑59

発行年 2009‑03‑18

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00001693/

(2)

映画を製作しておきながら、上映会になると毎回、

本人が一番泣いてしまいます。

本日は、新聞記事で私の活動をお知りになった和光 大学の鈴木先生が、こうして上映会をしましょうとい うお声をかけてくださいました。

昨年9月のことでした。私はインドネシアの西ジャ ワ州にありますバンドン日本人学校に勤務していたの ですが、私のもとに友人から1通のメールがまいりま した。「今日の『じゃかるた新聞』を読んで、あなた

の教える子どもたちにエンダンさんのことを伝えてほしい」という内容のメール でした。毎日配達されてくるその新聞を見ると、1面トップに、エンダンさんの 希望に満ちた表情の写真と、「インドネシア人漁業研修生、荒海で中学生を救助 し死亡」という大きな見出しが出ていました。何度も記事を読み返し、校内であ るのも忘れてただ涙したことを、昨日のことのように思い出します。

これは私が出会う子どもたちに伝えただけでいいのだろうか。インドネシアに 住んでいる日本人として自分ができることは何だろうか、とさまざまな思いが頭 をよぎりました。映像を通してなら真実の声を伝えられるのではないかという考 えで、製作に乗り出したのです。

遺体がご家族のもとに届いた約1カ月後から取材を始めまして、このような悲 しみの中にいるご家族に向けてカメラを回すことは、映画の中で語っている通り、

「ああ、不謹慎だな」と、本当にやるせない気持ちにもなりました。でもとにか くこの話が、小さな村の話としていずれ風化してしまうことが本当に悲しかった ので、そのような葛藤をかかえつつ、撮影をしてまいりました。

その悲しみの中でもご家族は、私が会いに行くのを楽しみにしてくれていまし た。毎週のように金曜日に仕事が終わると、その足で4〜5時間かけてエンダン さんの故郷に足を運びました。「今度はいつ来るの?」と、本当に優しく迎え入 れてくれました。

公開シンポジウム:日本・インドネシア交流の過去・現在・未来

漁業研修生「マス・エンダン」について

井上実由紀

青梅市立若草小学校教諭/元バンドン日本人学校教員

(3)

なぜ私がここまで突き動かされたかと、取材等でよくきかれるのですが、自分 でも振り返ってみて、本当になぜだろうと思います。それはやはり、エンダンさ んが漁業研修生であったことが大きいと思います。

私は、小学校の頃から教員になりたいと思い、両親になに不自由なく育てても らい、教員として毎日楽しく仕事ができています。夢をかなえられた私だからこ そ、そうでない人のために何かできないかと、インドネシアの生活の中で常日頃 考えていました。エンダンさんだけではなく、夢があっても、能力や実力があっ ても、スタートラインに立つまでが本当に厳しい道のりのインドネシアの友人を たくさん見てきたからです。

エンダンさんもきっと夢を抱いていたことでしょう。だからこそ日本の文化や 習慣に慣れようと努力しながら、一生懸命お仕事をされていたのでしょう。それ にもかかわらず、志半ばで日本人を助けるために亡くなってしまいました。これ は、どうしても1人でも多く

の人に知ってほしいという思 いから、映画の製作を始めま した。

研修生はあまり裕福でない 家庭の出身者が多いのです。

エンダンさんもそうでしたが、

自分が働いて自分で学費を稼 いで、いずれ国に帰り、そこ からが人生の本当のスタート という、長い道のりなのです。

このようなインドネシアの若 者たちと比べて、私たち日本 人はとても恵まれているとい えるのではないでしょうか。

この差は何なのだろうかとよ く考えます。

インドネシアに住んでいま すと、「国や政府がこうだか ら仕方ない」と、日本人も含 め、いろいろな人が言います。

もちろんその原因はいろいろ あるのですが、「仕方ない」

ですませてしまうことが私は 嫌だったのです。だから、今

事故の詳細と勇気ある行動を伝えた『じゃかるた新聞』トッ プ記事。

捜索難航の中、人びとの願いもむなしく帰らぬ人となって収 容された。

(4)

回のエンダンさんのことを通 じて、自分が動いて少しでも

「何か」が変るのであればや りたいという気持ちから、半 年間映画製作に打ち込みまし た。

私が今日、皆様とお会いで きているのも、たくさんの 方々の支えのおかげです。今 までインドネシアでは5ヶ所、

実は、今日もジャカルタで上 映会が開催されています。そ

れから日本では、すでに7ヶ所で上映会がおこなわれてきました。私と、映画の 中に出ていたインタビュアーの沢村さんと2人で、とにかく必死でつくったもの です。その中で、関わってくださる方々が本当によく協力してくださって、また 共感してくださいました。そして半年の間に、この和光大学までたどり着きまし た。マスコミの方々もお仕事の枠を超えて広めてくださっています。

素人が作った映画ですので、お見苦しい点もあったかと思いますが、皆様の心 の中にも、何かエンダンさんのことが残ってくれたらいいと願っています。

ひとつお願いがあります。今も私とエンダンさんのご家族は交流を続けていま す。エンダンさんが亡くなってしまったのでご家族はまだ悲しみのさなかにいる のですが、この映画の上映会ではいつも、皆様からエンダンさんのご家族へのメ ッセージをこちらのノートに書いていただいています。今度は3月にインドネシ アにうかがってお渡ししたいと思っていますので、どうかご協力をお願いします。

[いのうえ みゆき]

質疑応答

──────────────────────────────

司会:井上先生に対してご質問やご意見などがございましたら、どうぞ。

参会者A:今日はすばらしい映画をありがとうございました。私は中学校で子ど もと関わっておりますが、命の大切さを教えることはとても難しいと日ごろ感じ ています。一人でも多くの子どもたちに、この映画を観せたいと思いました。あ りがとうございました。

参会者B:私は今、青梅市の井上先生と同じ学校で働いています。「井上先生が

エンダンが日本語で書いた生前の手記。

(5)

映画撮っているの、すごいな」と、今日は気軽な気持ちで来たのですが、「漁業 研修生」という言葉を初めて知りました。エンダンさん、漁業研修生という、大 変な仕事をしている方がいらっしゃることを知ることができて、私は本当に良か ったし、言葉にできない感動が広がっています。いろいろな方が見るべき映画だ と感じています。ありがとうございました。

参会者C:私はこの映画を見まして、エンダンさんの勇敢さや、命を第一に考え ることに感動しました。人と人をつなげていくということに、井上先生がすごく 力を注いでいらっしゃると感じました。

最後のところに出てきましたが、もしこの映画を撮られた後、救助された中学 生たちとのつながりが何かありましたら、是非教えてください。私もぜひ、この 映画を職場で生かしていきたいと思います。

井上:救助された事故関係者とのつながりは、実は大変大きな私の課題でした。

製作過程ですでに事故関係者のコメントを入れたいと考えておりました。それは インドネシアに住むご家族のためでもあるし、救助された中学生が、何もできな い辛さと戦っているのではないかという気持ちからでした。でも、まだ中学生と いうこともありまして、取材をさせてもらえませんでした。それで、救助場面を 多くしてまとめたものになりました。

でも私の中では、映画より何よりも、インドネシアのエンダンさんの家族と、

その事故関係者をつなぎたいという思いがとても強かったので、3月に任期を終 え、インドネシアでの上映会を終え、4月に帰国すると、すぐに宮崎に足を運び ました。そこでやっとお会いすることができたのですが、当初はマスコミを恐れ ていらっしゃって、私はものすごく批判されました。「どうしてこういうものを つくったんですか? 私たちの気持ちがわかりませんか?」ということを、涙な がらに語られました。

私が半年間打ち込んでいる間にも、この方たちは本当に苦悩し、自責の念で暮 らしていたのだということを、そのとき強く感じました。なんとかして、わかっ てほしいと思っていたところ、たまたまニュース番組で私が話したことをご家族 の一人が聞いて、すぐに私に連絡をくださいました。「本当にあなたに失礼なこ とをしました。私たちがやらなければいけないことを、井上さんがやっていてく れたんですね」ということで、理解していただけたのです。

今もそのご家族とは連絡をとりあって、少しずつ前向きになってくださってい ます。いつか必ずエンダンさんのご家族のもとに、お墓に手を合わせに行きたい というところまでいっております。

参会者D:質問です。映画の中では中学生の2人がおぼれたとなっているのです

(6)

が、当時の現地の新聞記事では、6人が流されて、助けに出た研修生やそばにい た日本人たちに助けられたと出ています。中学生は2人だったのですか?

井上:事故の詳しい状況について、私も救助に当たった方々にいろいろ取材させ ていただきました。実際に海に入っていたのが女子中学生2名で、その他に一緒 に遊んでいた子が4名。計6名ということだそうです。

司会:映画『マス・エンダン』だけでなくて、井上先生からボランティアのご経 験のことなども簡単にお話しいただきたいと思います。井上先生は日本人として インドネシアのために役立ちたいという気持ちが強く、これから日本人がインド ネシアのためにできることはなにかお考えがありましたら、どうぞご発言をお願 いします。

井上:私は5年間東京都の小学校で教員をしておりましたが、一時退職をして、

インドネシアに修行に出ました。というのは、教育を受けられないアジアの子ど もたちのために、何かしたかったからです。インドネシアの孤児院に体一つで乗 り込んでいきました。

無償でそういう子どもたちと接していて、私のほうがたくさんのことを学ばせ てもらいました。人間としてどうあるべきか、今の日本人が忘れかけているよう な優しさなど、そういうものにたくさん触れさせてもらいました。

やはり日本の子どもを見ていますと、豊かな中で育てられているので生活力の なさ、精神的な弱さといったマイナスの状況をすごく感じるのです。たとえば、

インドネシアの孤児院の子どもたちは、たいてい5〜6人の兄弟姉妹がいるので すが、そのうち1人か2人は病気で命をおとしています。病院に行くお金がない ので、風邪などの簡単な病気で兄弟を亡くしています。だから自分が一生懸命勉 強して親を食べさせなければいけないと、子どもたちは小学校の時点から言って いるのです。

私は彼らがなんとか自立できるように手助けしたいと考えました。バリ島は日 本人にも人気のリゾート地でもあるので、日本語を話せれば仕事に就け、自立で きるのではと考え、日本語を教えていました。住み込みで彼らと寝食を共にしな がら教えてきました。また、体を清潔にすることや、人身売買等もありますので、

女の子には身の安全を守ることなども教えていました。

そういった経験の中で出会ったインドネシア人たちは素晴らしい方々でした。

とにかく能力があって、夢もあって、すごい人たちです。もし彼らが日本で生ま れていたら、どのようになっているのだろうと日常的に考えるようになりました。

たまたまインドネシアのこの村だから、それ以上向上していけないことに歯がゆ さを感じていました。

(7)

和光大学のバンバン先生もおそらく大変な努力をされて、今、この場でこのよ うに流暢な日本語を話していらっしゃいます。日本語だけではありません。イン ドネシアという国は宗教色も強いですし、この日本という国でこれだけご活躍さ れているというのは、並大抵な努力ではないと思います。

私がインドネシアを見て戻ってきた者として言えることは、とにかく、これか ら日本に入ってくる研修生など、たくさんのインドネシア人や、また他のアジア の外国人労働者たちと、一人の人間として付き合っていただきたいということで す。インドネシアのことで報道されることは、残念ながら負の情報が多いです。

研修生にしても、逃走、脱走、不法就労などはニュースになりますけれど、実際 エンダンさんのことは私が映画を製作する以前は、あまり大きく取り上げられて きませんでした。

一人間として、今後どのように外国人とかかわっていくかということは、私も 考えていきたいと思っています。

司会:井上先生は絵本も出版していらっしゃいます。それについて簡単にお話し ください。

井上:この絵本1)は、バンドン日本人学校で知り合った幼稚部の先生と、私のイ ンドネシアの体験の物語です。彼女は24歳のインドネシア人で、幼稚部の入園式 では祝辞を日本語できちんと話すなど、大変有能な方です。こういった素敵なイ ンドネシア人がいることを知ってほしいと思いました。

彼女は私の孤児院の活動などに一緒になって参加してくれて、無償でやってい ることなのに、授業のたびに「実由紀ちゃん、今日の私の授業、どうだった?」

と聞きに来たり、「志」を持って生きている人です。

この本の中には、私のインドネシアでの経験や孤児院の子どもたちが語った言 葉、そして、その友人との出会いなどを描きました。どこであろうが、友達と笑 顔と音楽を忘れなければ、人間はつながっていけるのではないか、楽しく幸せに 生きていけるのではないかというメッセージをつづった本です。

司会:ありがとうございました。

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1)井上 実由紀(文)、カデ スタルナ(絵)『かえるくんとイスラムの少女カニザ』文芸社、2008年。

参照

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