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鰭騨響β芸弊習腎管葦£Q  Ω.

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(1)

華僑社会における幇派主義と経済 1

華橋社会における幇派主義と経済

1 帯派発生の社会歴史的背景

 華僑の出国の歴史的動機を振りかえってみると,それの多くの場合は,郷土における定 着的な農民的性格を固執しつつ,本意なく離郷排出されて行く流亡者的性格さえ観取され る。たとえば,福建,埋門の商人が積極的に遠く出海して「性質は生を以て利に易う」

(船商人は命を賭けてでも利益を求める)といわれた如く,また,福建では「海外に出赴 く10人の者は3名が死亡し,6名が残り,そして最後の1人だけが郷里に帰省するのであ

注(1)

る」といわれた冒険的性格がそれであるが,その経過は政権の交代,戦乱,水害,旱ばつ,

蜂害などの天災,人災のほか,人口過剰,土地配分の不均等,農村生活の不安定など,政 治的,自然的,経済的な諸事情から政治的亡命,避難者,出稼労働者として受動的に流出 する場合が一般的であったといって差支えない。

 このような華僑の受動的な流亡者としての性格は,漢民族の南帯の歴史に一貫するとこ ろのものであり,歴代の塞外諸民族の侵憲にさいして南遷を余儀なくされ,華南の諸地方 に僑居するとともに出身地の郡県をそこに僑卸し,つねに失われた郷土再現と同族結集の 強い意欲を示していた。すでに晋の聖帝の時,百姓の南奔するものを「聖人」といい,み な旧懐の名をとって郡県を僑罪したことが「階書食貨志」にも明らかにされている。さら に,海外に遷陣してからも血縁,地縁的集団が踏襲されたが,殊に他郷において商業ない しは労働に従事する者は,いずれもみな原住民から区別されて「客幣」または「籍幣」と 称せられ,客甜は原住民その他の圧迫に対し,自家防衛のために同郷の誼(地縁)によっ          注②

て団体を取り結んだ,かくてこれら典拠からして辮という名称はすでに古代中世から繭芽 的に国内において使用されていたものと思われる。誓は言わば,中国の伝統的な組織であっ て,政治的,経済的に不安定な社会条件に対応するための自衛的,自治的集団化の組織と して,すこぶる重要な意義をもち,集団構成員相互間の絶対的信頼という基本原理を基盤 として成り立つものである。

 それ故に,中国人の歴史にはその集団が血縁・地縁的集団として,原型を想起せしめる ものに,彼等の移住現象に表現せられる同族同伴して一村(部落)を開くという特性さえ ある。例えば,福州府志の流寓の項によれば,晋代(第3世紀末より第4世紀)に福建に        注(3)

移住した同族は林,陳,黄,鄭,讐,郵,何,胡の8姓だといわれ,現在でも東南アジア 諸地域の華僑で,福建,広東出身者にはこの同性のものが多い。もちろん,これら同姓の

(2)

範囲はすべて家長的系譜により関係づけられているが,その親縁関係の程度は歴史的にき わめて古いものである。しかし,擬制的に同族としての親しみをもっことは,異郷の交通 不便の地や移住の条件などからみて当然ありうることであろう。元来,中国においては集

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(3)

華僑社会における蕎派主義と経済 3 団(団体)のうちに家族的観念を取り入れることは団体を輩固にする利益があるから,い かなる集団でもなるべく準血族関係を生ぜしむることに努めている。従来東南アジアにお いては,その業務を担当するものを家長と呼び,その下にあって事務を分担するものを互        注(4)

に兄弟と呼んでいる程であるから,これらの意味から判断しても,華僑の間には彼ら自身 が中国の何処から来住したとか,或いはその語る方言がどうであろうとも,同姓であれば 彼が使用する方言と同一の字体を紐帯として一つの集団の単位が作られるのである。例え ば,次表に示すように,同姓であっても,広東人,福建人,興化人,およびその他の出身 によって全く違って発音されているが,中国人として字体が同一であれば,その相互の結 合には大した困難とはならない。

 それのみではない,彼らはまた血縁的集団生活を一層強固ならしめるために,林氏は西 河,陳氏は穎川,黄氏は江夏,王氏は太原,李氏は瞠西,二品は栄陽,呉氏は延陵,謝氏 は高話,面出は南陽などというように姓に対する各血忌(Place:Name)を表示してその 姓氏と出身地との関係を一目瞭然たらしめている。これは西マレーシアの華僑の各戸を開 けば住居の中央に減号を大書するか,或いは彫刻した華麗な郡号牌を各戸の入口の上部に 掲げているなどの多くの現象がみられる。これらの記号牌は登録されない会社の名称や公 にされない看板に書かれる名称の類であって,普通一般には商社ないし会社の名称として 看板に書かれているのは「公司」 (Kong See)という文字であって,郡部牌ではこの公 司とかCompanyが意味しているのとは異ったものである。

 こうして擬制的な形で血縁が結合の基礎をなしているといっても,その反面出身地の異 同を問わず,現実の問題としての集団生活にあっては,同郷の範囲は広くなるに従ってそ の団結力は薄弱となり,また,狭くなるにつれて団結の力は輩固となるのが普通であるか ら,蓄派の基礎というのも,つねに(1)血統(2)友誼(3)郡居の三関係を主軸として支えられて いることになる。内田直作博士の所説によると,この三支柱を血統,地縁,熟識(顔)

の三範疇として規定しておられると共にその中でも華僑の構成分子たる華南人は,とく に党派心いわゆる幣派的観念が強く,血縁,地縁,熟識(顔)による人的結合関係のうえ に基礎をおく自治集団生活を展開し,マレーシアのような法治社会のうちにあっても,個 々人に分裂しないで,いわゆる幣的結合をあくまで保守している,と述べられている。ま た,根岸情博:士も「支那ギルドの研究」において,中国人の社会生活に三様式のあること を指摘され,その1は家族,2は郷党,3はギルドであるが,中国人はその宗族が繁昌し,

郷党が平和で,ギルドが安固であって,生を楽しみ死を厚うするを得れば,それで満足し たと述べ,とくに中国ギルドは宗族的面影を存して郷党的色彩が強く,それは郷党が宗族 制度を模倣し,ギルドもまた郷党を模倣して,中国ギルドが欧州や日本のそれに比較して        注(5)

郷党観念の熾んなことを特色としているということを述べておられる。この意味において,

中国人社会をその内面構造的に捉えてみれば,同族(血縁)や同郷(地縁)や同学(学 縁:)や同教(教縁)や同業(業縁)や,また血縁の擬制と云うべき親分,子分,兄弟分関係

(4)

の諸結合など,大小幾つもの,又幾種もの社会集団が重なり合っていることが分明であっ        注⑥

て,人はその中の一つに限らず,その幾つにも関係をもっていた。

 このように人は生きていくためにより良くその生命と財産を守るために,血縁のような 自然的結合関係に依存するのは勿論のこと,人為的な結合関係をも,出来るだけ作って,

       異く7)

努めてこれを頼りにしようとしていることがわかる。かくて蓄の解釈も広義的には郷党観 念を統一的契機として内包した人的結合体と見倣すことができる。

 それ故に,蓄派はそのそれぞれの側面として,同郷の縁に沿って団体を組織することを 常としているが,彼の商工業者の如きも,まず同郷のものが相集って同業的集団を作り,

ついで他郷のそれと連合して全市の同業的集団を作ると同時に,同郷を基礎とする各種の 幣派が相結んで一大同郷団体を結成するといった発展現象をみるのである。したがって,

幕の機能的発展は,単に職業上の利益を保護増進せんと図ることにとどまらず,共同の神 を杞り,吉凶禍福を共にして相互扶助の面にまで及んでいる。例えば,シンガポールの姓 氏自体として西河堂林氏公会,上記公会,葉氏家族公会,清河張氏公会等々の如きJee Seh Society(姓氏団体)の林立をみ,さらにペナンの楊,林,陳,謝,邸の五大姓の如 きは相集って福建公司を組織し,また,広東幣の場合には二二会館,二二会館,広東会館 のような拡大された同郷団体を組織してゆくのである。さらには,これらの同郷団体,姓 氏団体を中心にして各個に墓地,学校,病院,クラブ,娯楽機関等を設置し,また,相当 に蓄財した華僑の如きは領袖として,自記同姓のため現地と郷里におけるこれらの諸施設 へ投資,二二さえなすのである。

 これを要するにi華僑の流亡者性格に由来する二二結合は,つねにその基底に有事に際し ての自衛的態度が非合理的な同性,同郷友誼の形態をとりながら存在しているである。こ れらの特性は華僑の社会についてみる場合,特別に注意を引くつぎの存在形態に気付かれ

るであろう。すなわち,(1)は同郷人が一個処に集居していること,②は同郷人が一業へ加 入していることである。もともと華僑(移民)が国を出て行く進路は,往々東南アジアに 居住する同族,或いは同郷人の経験と協助とに依存しているのであるが,以上の二つの点 は華僑の自然の趨勢を表示するに足るものである。したがって,移民としての華僑の先輩 は,後来者に対して大体血統,友誼,或いは旧居の関係をもち,或いは広義の同郷関係の いずれかをもっている。概説すれば,東南アジアに居住する華僑の先輩は,たまたま適当 な機会があれば,家族の者,或いは親戚,或いは朋友,或いは辮居人を引率して南洋へ渡 ったものである。これがため,後から行った華僑は,大抵先輩の居住している地域および 先輩の選択した職業に随従するのである。そして長い年月を経るに従って,こうしたこと       注(8)

は一般華僑の習慣となった。

 かくして,華僑の血縁的,地縁的な出身別を基礎におく幣派組織は,単なる言語的,習 俗的共通性からする同郷者の友誼団体ではなく,郷土経済と出先経済との間の緊密な連関 の基盤のうえに成立する集団であることが,その特徴であるといわなければならない。

(5)

華僑社会における幣派主義と経済 5  それでは主題に言う幕派主義とは何か,ここでは仮りに黄枝連氏の定義についてあげれ ば次のごとくである。「蓄派主義というのは,次のような社会現象を広く指す。中国の同じ 省・県からきた一群の華人が,近所に住み,同じ職業に従事するため,密接な社会関係,相 互扶助の思想,感情の生まれること。つまり,籍派主義は同じ職業(業縁),同郷関係

(地縁)を基礎としており,同族(血縁)はあまり重要ではない。『業縁』はここでは二 重の意義をもつ。つまり移民の中国にいたときの職業,南下後の職業である。『地縁』も       注⑨

同じで,南下前後の居住地域が近い。」黄枝連氏はここで祭派主義の基礎として業縁と地 縁とを重視している。

 このようにして,幣は同じ郷里(同省,同県,同郷)から出た者が,他郷で仕事をする 場合,彼らの利益を擁護するために結成する組織体であるが,中国の蓄はヨーロッパのギ ルド(Guild)のそれに比較して同郷性が強く,世界に拡がるi華僑の赴くところ常に報を 携えて行くと言われる所以も,この点にあると言わなければならない。

注 (1)Ju−K!arlg Tien, ph. D(田如康), The Chinese of Sarawake, a Study of Social    Structure,1953, p.2.

  (2)根岸浩「支那ギルドの研究」 (斯文書院,昭和15年版)75〜76頁   (3)台湾総督府熱帯産業調査会「福州考」昭和12年,87〜90頁   (4)根岸浩,前掲書,101頁

  (5)同上書,2頁

  (6)仁井田陞『中国法制史』増訂版,岩波新書,昭和49年5,月,160頁   (7)仁井田陞,同上書,160頁

  (8)陳達『南洋華僑与閲磐社会』 (商務印書院)51〜52頁

  (9)黄酒連『馬華社会史導論』万里文化企業公団,1971年,126頁,また同氏は幣派主義の内    部機構について次の如く表式化している。

結成要素1 中国での居住の場合 マレーシアでの状況

地 縁:黒 羽 縁 性 血 縁 性

同省同県及び同郷 同農業を生業となす 必ずしも同宗族ではない

居住地域が近いこと 相似の職業に従事すること 非同宗族性

(出所):同上書 126頁

(6)

2 華僑蕎派主義の性格と経済

 a 各幕の特性

 マレーシアにおいて,華僑の構成を種族別にみると,福建(Hokkien),広東

(Cantoese),潮州(Tie chiu),海南(Hailam),身心(Kheh),福州(Hok chiu)

福清(Hok chia),出血(Hin Hoa),広西(Kwong sai),およびその他種族(Other tribes)に分類されるが,そのうち,福建人は福建省より,広東人は広東省より広西人は 広西省よりそれぞれ出ている。また,因州人は広東省出身というものの,広東語と異る地 方方言の山州語を使用し,福建人は福州附近の地域からきた地方方言の福州語を使用する。

福清人および興宮人もまた福建省の地方からきたものであるが,客家は中国における特殊 の種族と見倣され,彼らは数省にわたって散在していて特有の方言と性格を保っている。

海南人は海南島の硬州附近から渡来したものであるが,その使用する言語は広東人とは甚 だしく異りその性格もまた他種族と異っている。これらの言語上,習慣上,地方的に差異 し,或いは利害関係によって種々の集団が組織されているが,かつて清末において孫文お よび注精衛がシンガポールにおいて華僑に対して祖国の革命を提唱したとき,華僑社会を

分って(1)福建幣,(2)広亡君,(3)潮州幣,(4)客轄,(5)環州翻,(6)土生幣(Straits Born)の

6幣となしたことは有名である。そして各寝ごとに革命思想を鼓舞するために一個の図書 報社を設けたことでも有名である。

 しかし現在においてはマレーシアの曲馬は,地縁的な郷幕と業種別の業翻別に分たれる が,郷幣が優先的に華僑社会の基盤的な役割を果しているこ.とは云うまでもない。シンガ ポールの中華総商会の構成メンバーについてみても,翔派に分って福幕,面隠,広幣,三 江蓄,哺智,硬蓄,梅常,その他の幕となっている。これらの各幕は言語関係からも出身 地を各々異にしているが,同郷人の一業への加入原則がかなり徹底した形をとりながら各 職業部門に反映されている。

 つぎに各報の特徴についてみてみよう。「福建幕」は貿易を中心としてそれに附随する 造船(ジャンク),航業,自動車,自転車関係の輸送部門,信局銀行などの為替ないしは 金融方面に進出し,輸出品ないし地場消費のためのゴム製品,精糖,搾油,パイナップル罐 詰,製菓,石けんなどの近代的軽工業部門,さらにゴム,椰子エステート経営などの生産          注(1①

部門へも進出している。

 「潮州常」は山回一福倦(学老とも書く)の別称あるごと、く,その業務部門も福建幣に 相似して商人的であり,米穀,生産食料品,塩干魚,胡椒などの貿易,販売部門を中心と

して進出し,生産部門もそれに即応して精米業,都市近郊の菜園経営,酒造業,タバコ栽        注(11)

培労働者としての地盤をもっている。

 「客家蓄」の経済活動は福潮両箒より広肇常に近似し,製靴,洋服仕立,金銀細工など の職人的業務のほか,錫鉱山,精米業,鋳物工場などの生産部門から,別に小規模な雑貨

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華僑社会における幕派主義と経済       7

商,薬種商,古物金銀商などの商業部門,さらに質屋業をも経営する。女子労働者の多い ことも本蓄の特徴であの,他面,近代的企業経営においては広福二に及ばない。その勢力        注(12 範囲はバンカ,ビリトン,西マレーシアなどの錫鉱地帯を中心として進出している。

 「海南幕」の経済活動は小規模の料理飲食店を中心として展開され,コック,ボーイな どの家事使用人から喫茶,下級飲食店,それと関連をもつ清涼飲料水,製氷工場,漁業な どの諸部門からジャンクの船頭,工場労働者として進出する。資本的には各幣中の最下位       ハイラムキャプテン

にあって企業活動としてみるべきものがない。その勢力範囲は海南船長として名を馳せ るジャンク航海の中心地のマラッカ海峡,ゴム園労働者の集中するマラッカ州があげられ

る。

 以上の三智のほか,海南舗と同様下級飲食店,雑貨商として資本的地位の低い「志州幣」

があり,南部の品品二州の貿易商を中心とする福建幣から閉め出されて二二を形成してい  注㈱

る。

 (b>各甜の発展・変化とその諸形態

 華僑の各幕と職業との関係は以上に述べてきたように,各回の出身地における血縁,地 縁関係の一線に沿いながら,それときわめて符合している現象がみられるが,これらの現 象は各移民が職業選択にあたって,社会経済的な便宜上から同族なり,或いは同郷人の経 験と協助に依照して一個処に集居し,一業へ加入することが,古くから慣例的一家族組織,

村落組織および種族的意識を基礎にして一に行なわれていた結果によるのである。

 しかし,この職業選択の此分は必ずしも幕派の原則を厳格に貫徹させた端初的形態を 保持しているというわけでなく,その保持の仕方はあたかも人種的血縁関係 (ethnic relationship)が除々に民衆的組織(Demotic Organization)にとって代るところの近        注(14)

代的社会として出現の過程にあるように,漸次的な修正と脱皮の過程を通じて擬制的な色 彩を濃厚にしつつあるということである。したがって,二六の職業の二分は一つの職業の 範疇だけでなく数種の部門に及ぶ場合がある。それ故に,各幣の職域における経済的機能 は各蓄の本来の性格を否定しつつ漸次各蓄の結合ないしは連合的形態をとりつつ拡大の方 向に向きつつある。まず,その基礎的な中心は「中華総商会」の結成過程に求めなければ ならない。

 マレーシアの場合,中華総商会の発端はシンガポールにおける「中華商務総会」に始ま るが,その動機となったのは,中国が清未商会(商業会議所)を設ける法律を制定したの を契機に,海外の華僑に対してもこれを奨励するところがあった。このため1905年(民国 前6年)清廷派遣の張罵士,山回の2人の農商部官吏は,南洋の商業を視察するためシン          注(15>

ガポールに来航したが,彼らは華僑の団結と商業発展のため中華商総会の設立を唱導し,

自ら基金3,000元を寄付した。そして,1906年3月ユ5日シンガポール同済医院弁事処にお いて創立準備総会が初あて開かれ,ここに正式に中華商務総会の創設をみた。この当時,

商務総会の組織は福建,広東の二大幣が基幹をなしており,験州とくに広東蓄は広州,潮

(8)

州,嘉応州,大門の五小幕からなっていた。当初,本会への入会者も600名程度にすぎな かったが,除々に増大して2,500余名となり,役員の構成をみても福蓄13,広幣5,潮干        注(161

9,梅田旧幕各2,捕幕1,特別役員6という配分,構成となった。

 このように名称は商務総会であっても,その実質は郷智および業幣を中心とした結合体 であって,むしろ郷辮の優先的支配が強力であった。ついで,1917年9月この商務総会は 現在のシンガポール中華総商会が存在する47,Hill Street(禧街)に移転し,その名称

も「中華総商会」 (Singapore Chinese Chamber of Comrnerce)と改めた。その事務        し内容としてはこの段階ではすでに幣的結合が要求する以上の経済的要請に対応しようとす

る動きがあった。すなわち,その主なるものとしては,(1庫僑商業の改良発展 (2嘩僑商 工業に関する質問ならびに通報,(3)国際貿易の斡旋指導 (4)華僑工商業の仲裁調停 (5嘩 僑工商業に関する証明ならびに鑑定 (6)華僑工商業の統計調査・編集 (7)商品陳列所学校 その他商工業と関係ある公共事業 (8)居留地政府との交渉などのほか,各商工団体の指導       ノ

統轄および記聞斡旋機関としての機能さえもっていた。このように中華総商会の職務的弓

   へ能が単純な共済的もしくは相互扶助的団体としての職能のほか,半政治的半経済的団体と して作用しつつあることは,中華総商会の幣的結合の範囲をさらに拡大して政治経済的な 組織体とならざるを得ないことを示している。後にも述べるように華僑の同郷的な団体と

しては,早くから省,県,区,種族等を単位として同郷族中の失業者や帰国旅費のない者や身 寄りのないものを救済するのを主要な任務とする組織が作られているが,時と環境の変 遷するに伴って,この種の団体の任務も次第に拡大され,のちには華僑教育の振興と故郷 事業の援助或いは祖国の危機の救済というような活動範囲までも含む組織体にまで発展し てきている。もっとも普遍的なものは福建,広東,硬州八邑などの諸会館であるが,凡そ 大都市においてこの団体の設置せられないところはない。これはこれらの地方出身者が多 く,経済力も強大で,集団機関を組織すれば仕事もしゃすく,対外内の一致も企てられ,

近代経済社会の必要にも対応できるという動機から発生していることはいうまでもない。

 このような機能のもとに・シンガポールの中華緯商会の如きは・マレーシアにおける各 種団体に対する指導的地位にあるが,現在における任務においては従前の職務マ)ほか,と

くに指摘される事業目的には商品展覧,工商学校の創設によって教育と公共福利事業を促 進し,また,海外に商工業視察団を派遣して,世界各国との貿易,連絡,友誼関係を促進

し,業務上の連繋を増進したいということが新たに加えられている。西マレーシアに存在 する中華総商会にはペナン(Penang)中華総商会,マラッカ中華総商会,セランゴール 中華総商会,ペラー中華総商会,パハン中華総商会,ブンタン中華総商会,ラブ中華総商 会,ジョホール州のバッパハッ (Patu pahat)中華商会,ポンティアン(Pontain)中華 商会,ベヌット(Benut)中華商会,ケダー中華商会,ケランタン中華商会などがあり,こ れらの中華総商会のもとに同業団体として公会,公所,商会が存在するが,公会または商 会は同業の公共利益の増進および営業上の弊害を矯正することを目的としている。したが

(9)

華僑社会における幕儲主義と経済 9 って,この種の団体には多くは郷誓の区別がなく,同業者であれば原則的には加入できる のであるが,しかし,同一郷蓄をもって一事業を営む傾向があり,商工団体といってもつ ぎのような商工団体は依然として郷四団体の観を呈していることは見逃せない。

 例えば,一常一業の組織としては,樹膠(ゴム)公会,酒商公会,三衣業公会,酒楼茶 室公会,燭業連合会,機器行などがあり,また一業であってもその取扱う貨物の種類によ って数個のグループによって経営されるものがある。例えば,海填郊公所,華洋百貨公会,

華僑出入口商会,布行商務局などの輸出入業を主とするものであって,郷幣別をもっとも 明瞭にしているものには涯免公会の閾南,潮橋,硬僑,広肇などの各公所(為替業)があ

り,また客二業(旅館業)の広需客桟行,環南客桟行,潮幣桟行などがある。

 以上のように需の諸形態には,その職業との関係において一幣一業の組織或いは一絹複 業の組織に至るまでの種々の形態を蔵しているが,その組織の根底にはきわめて擬制的な 存在ではあるが,地域的な同郷観念がこれを支配しており,それはそのまま商業上の責任 の連帯観念とさえ思われるような形において非分裂的な人的結合が保守されている。

 幣の発展,変化が血縁,地縁の関係を一層深める意味で,擬制的な要素を取入れながら,

ますます自衛的な集団生活を展開していった諸形態の発展については,つぎに述べるが如

くである。

 (c)氏族および省・県を単位とする箒派の諸形態

 甜の機能的発展は,典型的にはシンガポールにおける頴川堂陳氏公司や,汝南堂藍氏公 司などのように姓氏団体を林立せしめているが,それらの姓氏団体は単に祖先崇拝の祭四 団体としてのみの機能任務に終らないで,例えば,シンガポールの質屋業が哺箒の藍氏一 族の掌中にある如く,経済生活の面まで包摂して行くのである。かくして,広い拡うがり をみせているSorne clanは一種の連帯関係(ないしは結び付)を予想させる如くに経済 的・商業的コネクションの網として利用される作用を強く内包している。それのみならず,

各種の社会的保障さえもまたこれらの組織を通じて与えられているのが一般である。

 しかし・他面・中国人社会のこのような伝統的な姓氏観念も一定の限界を越す場合には・

あたかもマレーシアが中国人秘密結社のフロンティア (開拓地の最前線)と呼ばれ,18 世紀以来,その結社の拡大と跳梁とがマラヤ治安当局を悩まし続けてきた歴史は周知のと ころであり,姓氏団体の行き過ぎを連想させるものである。この種の秘密結社について Chinese Secret Societies in Malaya,1957 の著者L・カンバー(Deon Cornber)

はつぎのように述べている。すなわち,マラヤの秘密結社は急速に彼らの頭領の指図に従 って彼ら本位の政治的,経済的および社会的集団を結成したが,これをなすについては,

彼らは伝統的に中国人社会が百万人の者でも百家族の集団に分ってこれを制限するか,或 いは大家族として同一姓氏団体をつくることを奨励されてきた事実に力を得たものであっ た。華僑の偏狭な忠誠心は彼らが渡来した中国の特殊の地域や省の住民によって懐かられ たものであり,したがって彼らは種々の同業者ギルドや組合をもった職業に分れたのであ

(10)

      注(17)

ると述べている。

 これを要するにマレーシアにおける主要な姓氏団体についてみればつぎの通りである。

 林氏宗桐,陳氏宗桐,張氏宗桐,岡氏宗桐,葉氏宗桐,謝氏宗桐,李氏宗掴,許氏家廟,

會氏家廟,梁氏家廟,韓江家廟,伍氏家廟,梅氏家廟,江夏堂,太原堂,済陽堂,高陽堂,

西河公司,藍山堂,九竜堂,蘇氏家族会,薩西堂,至徳堂,黄家舘,汝南堂,頴川家族会,

雲氏公会,卓氏公会,環崖陳氏公会,環崖林氏公会,曹家舘,台山黄家舘,葉氏家族公会,

韓氏禰,陸氏宗桐。

 つぎに,会館は本来同郷の客幣が基本となって組織せられるものであるが,しかし,こ れがどこまで同郷であるかということはすこぶる曖昧である。祖先の墳墓の現存する郷里 を同じくする者は真に同郷者であることに相違ないが,彼らの他郷に滞在する人数がきわ めて少ない場合には,客誓を作るだけの力がないので客幣の基礎は県単位となって会館を         注㈹

組織することになる。とくにここに言う場合の「県」についての解釈であるが,根岸博士 によると,県は周の末から存在した中国最旧の行政区域であって,爾来その境域が変遷し たことは疑いないが,大抵地域によらず戸数によってできたものであるから,擬制的血族       注(19

団体に似たところがある。と述べられている。もしそうだとすれば,県単位に作られてい る会館は,その組織的基礎において幣派結合を前提としているといってもさしっかえない。

会館の設立は主として同郷者の誼を厚うせんとするものであるから,原則として同郷人の 会館所在地に来住したものは,個人たると商店たるとを問わずその会員となることができ る。シンガポールの場合,華僑人ロ多くして籍員も不同であるところがら,会館は林立し て数十を下らないが,その歴史においても悠久なものである。例えば,福建会館,福州会 館,環州会館、永春会館,肇慶会館,応和会館,茶陽会館,恵州会館,南順会館などは創       注⑳ 立以来いつれも80年以上の歴史をもっており,会員数もまた多数に上っている。

 ここでは福州会館を例にとって考察してみよう。この会館はユ840年代に創設された福建 会館とは別個に清末葉に設立されたものであり,福建蕎の組織体であるが,その構成は閾 侯,長楽,福清,連江,羅源,古田,屏南,閾清,永泰,平潭の小幣派から成り,福州府 に属している同郷人相互の紛議の調停,救済事業をおもなものとしているが,会館内には 諸種の常派が存在するのであるから,事務の繁劇を防ぐために正副旧事のほかに庶務,会 計,交渉などの係員を雇用して専門に事務に当らしめている。それを司事もしくは二二と 名づける。もちろん,このほかに会館は外に対して代表し,内においては会務を処理する 理事,通例董事と呼ばれる本業をもっている正副の旧事が就任しているが,会館の組織は かなり複雑であり,大体において吉凶禍福をともにする擬血族的団体としての性格の一面 性をも有しているので,董事の職分も自然家長または族長に類似したところがある。すな わち董事の任務としては,まず第一は族長と等しく会館の祭杞長となるものである。つぎ には会館の財産を管理し,金銭の出納を支配し,会員間に紛議が起った場合にはその和解 仲裁等を試み,会員内に規則違反のものがあったならば,一定の規則に従ってその徴戒処

(11)

華僑社会における幣派主義と経済 11 分をせねばならぬ。会館と官憲との折衝,会館と他の団体との交渉などの一切その局に当 るべきは勿論,自己の団体の会員と他の団体の会員との間に紛議を生ずるとか,もしくは 会員と官辺との間に交渉事件の発生した際にも,大抵該会員のため会館の代表者となって        注⑳

談判もしくは訴訟に従事するものである。このようにして,彼らは他郷において生活する こと沼代に及べば,すなわち,祖先の出生の地を故郷と呼び,同時にまた,彼らは居留地 においては客籍となるが故に,故郷にあるときと同様に聚族同居の慣例に従って同郷者相 図って相互扶助を保持する必要があり,とくに,華僑の如く,本来中国国家の後援を受け ること少なく,在留国家の官憲や原住民の圧迫を受ける可能性の多い環境下にあっては,

自己の生活や商売を維持しようとする際には,同郷の誼みをもって一種の団結を作ること は殊更ら当然のことであり,この意味においては会館の存在意義は歴史的になお暫らく余 命を保ちうる必要条件を兼備しているものといわなければならない。しかし,それにして も,会館の範囲については大小不同があって,大体,その種類は六つの範疇に分つことが できよう。すなわけ,(1)一県人のみで組織するもの,(2)ただ県内の区域の大小単位で 組織するもの,(3)地理,言語,歴史諸方面の特殊関係から一会館を組織するもの,(4)一 省人単位で組織するもの,(5)同省入が少いため隣…接諸省と合同して組織するもの,(6)海 外においてその出身地異同にかかわりなく,一つの中華会館なぞを組織するもの等が

ある。

 西マレーシアの場合,省,県を単位とする会館の代表的なものはつぎの如くである。

 (1)省を単位とするもの

 福建会館,広東会館,広西会館,華北同郷会,江西同郷会,三江会館,雲南公司。

 (2>県を単位とするもの

 金門会館,恵安会館,永春会館,南安会館,詰安会館,同安会館,晋江会館,福清会館,

永定会館,安渓会館,福州会館,竜岩同郷会,禾山公会,東山会館,潭州会館,興安会館,

上海公会,寧波同郷会,三水会館,環州会館,八二会館,二三会館,大捕同郷会,清遠会 館,中山会館,嘉応会館,二二会館,南海会館,肇慶会館,岡州会館,三山会館,応和会 館,南順会館,潮安連丁丁,花県会館,古城会館,潮陽会館,丁寧会館,丁寧会館,茶陽 会館,広肇会館,東安会館,赤渓会館,温州会館。

3 華僑資本の事々的活動一結言

 i華僑資本の活動状況を一瞥して感ぜられる点は,その企業形態において東南アジア諸国 内の経済機構について共通的にみられる現象ではあるが,「合股」 (Hoku) と呼ばれる 商事組合組織のものが圧倒的な数を占めていることであり,たとえ資本額のうえでは公 開株式会社組織が優越していても,証券市場に上場されることなく,いわゆる轄派的結合 関係の強い人的会社の範囲を出ることはまれであって,むしろ,幕的結合の束縛を離れた 非人格的な資本会社の成立を阻止していると云っても過言ではない。また,株式会社組織

(12)

の公称資本がかなり正確であっても,合股,個人組織のそれはきわめて内輪の発表であり,

資本総額においては,株式会社のそれに及ばないが,その実体においてははるかに大きい というような場合が往々にして発生している。彼らは仲間的結合によって多角的経営と危 険分散を意図する合股組織を尊重している結果,そこでの資本調達は同族的,郷党的な人的 結合関係に依存していることは華僑経済の特徴といわなければならない。このようないわ ば華僑の幕派的な企業形態は,1943年のシンガポール中華総商会に登録された統計による        注㈲

と,帯別による企業総数は552に及び,その資本総額は5,300万マレイ・ドルに達している。

華僑資本の誓派的活動の展開過程はまずその出発点において,当初の苦力労働から血汁の 蓄積による商業資本としての活動から開始され,ついで,第二段階では資本蓄積の最短距 離としてヨーロッパ資本側に完全に従属した阿片,賭博,質屋,収税請負,道路鉄道建設 の下請,投機的な山山開発,他方,商業面ではヨーロッパ資本のための特産品の集荷,輸 入商品の販売仲介機関として進出するが,第三段階では華僑資本は一部は華僑の定着性を 反映して都市の劇場,飲食店,ビルなどのサービス部門と結びつく不動産投資へ,一部は 帯別構造と結びつく地方市場を対象とする消費財工業,すなわち,ゴム製品のほか,アルミ ニウム製品,椰子油,石鹸製造,パイナップル罐詰,製氷,自転車修理,ビスケット製造 などの安定した近接市場開拓のための仲間金融を通じての長期投資により資本を固定化し,

ヨーロッパ資本のみに従属しない自主的経済構造の形成の方向に進展していることは注目 されなければならない。ことに西マレーシアの場合,ヨーロッパ産業資本の世界市場を対 象とする独占機構の形成と,金融,保険,海運倉庫等の補助商業部門,政治機構と結びつ いた鉄道,電気,電信,電話,ガス,港湾等の公共企業部門への長期投資による資本形 成に比較すれば,華僑資本のそれは小規模であり幣的結合に制約され,華僑経済の翔派別 の分業的構造,独占的商業機構の如きは,依然として制度的に保守せられている。それに も拘らず,当面の現実的な要請はマレーシア地域の経済・社会開発に対して華僑資本の積 極的な参加と協力とが期待せられるという皮肉な実情にある。だから東南アジア経済開発 に関して世界的にその名を馳せているラ・ミントHla Myint(現ロンドン大学教授)は 次の如く指摘するのである。すなわち『東南アジアの政治情勢のなかで,見落すことので きない問題は,中国人問題である。多くの東南アジア諸国では,中国人が商人,仲介業者とし て,農民と銀行,農民と市場を結び,資金や物の流通に極めて効率的な役割を果たしてきた。

 中国人は,いわば経済のメカニズムの中核にあって,活動していたのだから,彼らの活 動をそのまま認めていれば経済運営がスムーズに行く面があったと思う。しかし,政治的 な理由でみすみす損と知りつつ,中国人を利用できない。……各国政府は役人を使って,

      注㈱

中国人の穴を埋めようとしているがこれが役人仕事で,全然機渤的に動いていない』と。

 これはミント教授による華僑の認識であるが,もし華僑の経済的利害がマレーシア独立

(1963年)当時と同等の諸条件の取扱いを受けているとしたら,華僑の従来の都派的経済 活動の余地はその基盤を失い,華僑達のマレーシア公民としての意識は一層高揚せられる

(13)

華僑社会における謂派主義と経済 13 ことになり,華僑資本の現地諸国の開発部門への積極的参加は現地の国民経済的意味を必 然的に強化する契機となったであろうとみる認識的見解は,ミント教授とともに私見の立 場において同感である。だがしかし,これらのことが政治的な理由によって,みすみす損 であることを知りながら,中国人(華僑)を利用出来なかったところに大きな問題の核心 があるのである。その諸原因の一つには中国の現政府の華僑事務局の情報に関する限り,

その政策路線において,文化革命以前と同じ路線を考えていることを伝えている。このこ とは現地政府当局にとっては,非植民化を決定するうえで最も強く作用する重要な要因で あり,それが表面的に表示し得るものは,正に華僑社会に対する現地東南アジア・ナショ ナリズムの敵意であった。それはほかの要素とも結びついて中国にたいする敵意になり,

       注㈲

スキンナー G.W.Skinnerのいわゆる「反中国伝統」になっている。

 その第2の原因は,もっと具体的になるのであるが,華僑達の本国政府である中華人民 共和国政府の政策的意図を変えるのは,華僑達自身である。つまり,華僑居住地における 華僑の立場,その伝統的な中国とのつながり,東南アジア現住民の態度などであるが,華 僑社会の本来的伝統となっている家父長的同姓による社会的機能,和戦の集団生活の慣習 化の潜在力は,却って手段を選ばない投機的商業資本の活動を刺激し,しかも漸次現地社 会をして第2の故郷化を促進している定着的な不動産投資に偏筒してゆく傾向にあって,

このこと自体がむしろマレーシア経済の発展を阻害する要因として作用していることが看 取されるからである。

 華僑達が以上のような諸原因に活眼を開き近代化の道を進むことによって,急いで居住 地国人になることに応じ,中国人である痕跡を消そうとしないで現地社会に貢献しようと するならば,華僑問題は東南アジアにとっても中国にとっても,着実に規模が小さくなる

   注(25)

であろう。事実,シンガポールの華字紙「南洋早早」が機会あるごとに幣派的観念(ρ克服 を強調し,また華僑社会においても昨今著しく帰化ないし市民権獲得の傾向が増大し,強 められてきている事実は,見方によりかかる諸現象がまさに,需派主義理念の衣替えを意 味するばかりでなく,既往の移民社会にたいする新たな変容時代の到来として注目されね ばならないであろう。

 勿論,幣派主義は華僑社会本来の歴史貫通的なものに相違ないが,しかし客観的現実は この体制をして動きのとれない硬直化を生みつつあることもまた事実である。華僑社会が 新しい経済事態に対処するために幣派主義自体の反省と吟味とが要請せられる時代的段階 にあると言うべきである。

注 ⑩ 内田直作「東南アジアの華僑」外政講座シリーズ・東南アジア ∬・昭和31年131頁  (11)同上132頁

 (12)同上132頁  ㈲ 同上133頁

 ω Ta Chen, Bruno Lasker Emigrant Communitles in South china,1938, P.6。

(14)

       「㈲ 星洲日報「星洲10年」1940年933頁

㈱ 同上933〜934頁

αの Lean Camber, chinese Secret Societies in Malaya,1957, P.23.

(18 根岸倍「前掲書」76頁

⑲ 同上76頁

(2①星洲日報「前掲書」937頁

⑳ 根岸倍「前掲書」84頁

㈲ 拙稿「マラヤ経済の特質と経済開発計画」経済企画庁企画課経済協力室,昭和33年,

 「マラヤ複合社会憲法の変化」67頁

⑳毎日新聞社『エコノミスト』1975年4,月23日号ラ・ミント「東南アジア開発は農業から」

 47頁

(2の Stephen Fitzgerald, China and Overseas chinese,1972, P.193  スティーブン・フィッツジェラルド著,鹿島平和研究所訳『中国と華僑』291頁

⑳  Stephen Fitzgerald, Ibid, P.195.

 スティーブン・フィッツジェラルド著,同上書295頁

参照

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