長崎大学学芸学部自然科学研究報告第14号27‑32,図版1‑5 (1963〕
貝殻結晶の成長に関する合成的研究 第1報 基準母液からの結晶
今井壮一
(昭和38年1月16日受理)
Synthetic Studies on the Growth of Shell Crystals I. Crystals from Standard Mother Liquor
Soiti IMAI
均質溶液沈殿反応を利用して炭酸カルシウムを徐々に析出させることにより,それの結 晶成長におよぼすタンパク質やリン酸塩の影響を検討した。その結果,カゼイン,ホルム アルデヒドおよびリン酸塩が適当に作用すると,新型式の渦巻状や複環状の顕微鏡的な美 しいJ醋晶が得られることを発見した。
1.緒冨
貝殻は主成分が炭酸カルシウムであるが,なお数パ‑セソ下の有機物と,さらに微量の無機 成分を幾種類も含んでいて決して単純なものではない.また顕微鏡で観察すれば種々な型式の 組織が形成されていることが認められる。これらの点について最も詳しく研究されているのは アコヤ貝の殻であろう。その真珠層の表面には所によって渦巻,同心円,平行する波形‑cの他 の美しい紋様が観察され,また稜柱層の表面には多角形の石がき模様が現われている。和田(1 ) は貝殻について詳細な研究を行なった結果,純粋な結晶の成長に関するラセソ転位の理論を適 用して真珠層の紋様の形成を説明している。しかし稜柱層の成長との開運には触れていない。
とにかく貝殻をつくりだす母液は高分子有機物その他を含みきわめて複雑なものであるから, これら副成分の作用が充分に考慮されねばならないであろう。筆者は前報(2)でリン酸根と有 機物との作用を強調したところの一つの粗案を述べた。以来この考えに基いて人工的な合成母 液による結晶の成長を検討してきた。目下のところ生物による結晶とは全く異なるけれども示 唆に富むものが得られたので,ひとまず報告する。
2.実験
多数の実験を行なった結果,次のような組成の液を基準母液とみなすようになった。
*長崎大学学芸学部化学教室
28 今 井 一壮 一
カルシウム液15cc+カゼイγ液4cc+リγ酸液4cc+ホルマリン1滴
この調合に用いる液は下記のようにして造った。薬品はすべて国産試薬の1級品を用いた。
a)カルシウム液: トリク・ル酢酸の水溶液に炭酸カルシウム粉末を過剰に加えて充分に反 応させてからこし分ける。 EDTAの滴定でCa++の濃度を定めておき,使用するときに Ca艸濃度が0.9〜1.O mg/ccになるように希釈したものを15cc用いた。
b)カゼィン液: 粉末カゼィγの19を濃アンモニア水20CCに入れて溶かしたものを,痩 用のさいに10倍にうすめ約10分間遠心沈殿機にかけてから上澄の部分を用いた。
c)リγ酸液: 市販のピ・リγ酸ナトリウムNa4P207・10H20を水溶液とし,無水物量と して1.2mg/CCに相当する濃さの液を用いた。
d)ホルマリγ: 原液を4〜8倍にうすめたものを,1ccのメスピペットを用いて1滴加
えた。
上のようにして調製した基準母液のpHは通常10,5〜11・0であった。簡略のため以後の記 述においては基準母液をS L4またはS L8などと記し,最後の数字はホルマリγの希釈倍率 を意味するものとする。
結晶を析出させる器具としては,大形試験管に母液23ccを入れ,その中へ顕微鏡用のスラ ィドガラスを縦半分に切ったものを入れてから蒸発を防ぐために管口にガラス球をのせ,温度 を調節した電気水浴器につけて放置した。温度の変動は±2。前後であった。
結晶を付着させるのに用いたガラス板は,使用前に合成洗剤で洗ってからク・ム酸混液に一 夜つけたのちよく水洗した場合と,約10%の水酸化ナトリウム溶液に入れて3り分ちかく煮沸し てから水洗い,希塩酸洗い,水洗いを行なった場合とがある。その結果には差が認められなか ったので多くの場合は後の方法で洗った。
結晶がついたガラス板は母液から取り出し,蒸留水を入れたビーカー中につけて洗ったの ち,さらに洗浄びんからの水を直接静かに注いで母液をよく洗い去り,水を切って自然に乾か
した。
3.結果および考察
炭酸カノレシウムの生成反応としては酵素を利用する方法が貝におげる実情に近いので望まし いことであるが,それは実施に困難が多いので均一溶液沈殿反応を利用して炭酸カルシウムの 析出を徐々に行なうようにした。その反応を幾種類か試みたなかでトリク・ル酢酸カルシウム
(以下Ca TC Aと略す)の溶液を弱アルカリ性として加温する方法が好都合であることを知 った。これによって今日までに試作したプレパラートの数は1000枚を越えたが,球晶あるいは ブドー状の微粒晶または・なまこ形の結晶欺どを生じた場合が多かった。前記の基準母液は興 昧架い結晶を生じ易いが,これでも残念ながら再現性が良いとは言い得ない。その主要な原因 はおそらく夕γパク質の,溶液中における分子状態,あるいは結晶成長面付近における母液の
貝殼結晶の成長に関する合成的研究 29
粘弾性のごとき物理化学的条件が影響しているためではないかとも感じられる。このような次 第で以下に述べる事項も概略の傾向を例示したものに過ぎない。
写真1,2はCa TCAのみを基準母液と同濃度にし,アγモニア水でP:Hを11に調節し600 と500とで約40時間放置して得られた結晶から代表的な形を選び出したものである。 どちらも 1の形のものが多いが50Qの方には2の形のものが600の方に比して多くなる。pH6付近の液 で試みると60Qでも2の形に類する結晶がよく現われる。結局炭酸カルシウムの析出速度が早 いか,または非常に遅い場合に1の形になり易く,その中問のある範囲内で2の形が現われ易 いように感じた。
写真3,4はS L4から60Q,25時間で成長したものである。4は3の中央付近の結晶を高 倍率で写したもので,直径は約0.08mmで,かまぼこ形の半丸ひもを巻いたように,巻き線 が中高になっている。これに類するものを以後丸ひも型と呼ぶことにする。4は中心部よりも 外輪の方がよく発達して高さも幾分高い。3でも見られるように渦巻は右巻きと左巻きがどち らも現われる。二つの渦が連接している場合でも同方向巻きの二つより成る組と,反対方向巻 きの二つより成る組が現われる。
写真5の母液はS L4に比してカルシウム液12.6ccに飽和石灰水2.4ccを加えたものを用 いた点と,カゼイγ液に少量の塩酸グアニジγを加えたものを4cc用いた点が変っている。
57Q,25時間で生じたもので丸ひも型の同心複環状によく発達した例である。
写真6の母液は5に比べて塩酸グアニジγを除き,ホルマリγは20倍希釈液を用いた点が異 なる。温度や時間は5と同程度である。
写真7はSL8で580,25時間の結晶。
写真8は5と同じプレパラートに成長していたものであるが,写真で臼黒の点集合に見える 部分は,巻き線の中央が盛り上っていない。これを平ひも型と呼ぶことにする。
写真9,10は7と同じ条件で日時を変えて造った別のブレパラートに現われたもので,10 は高倍率の像である。10の白線と白線との間に丸ひも型の結晶が充てんしつつあるような段 階の結晶も存在する。
以上の結晶を偏光顕微鏡の十字ニコルで鋭敏色検板を入れて観察すると丸ひも型の部分は大 体において干渉色を現わさない。しかし小部分が呈色する例もある。また複環状の結晶では同 一半径上にある環の一部が外方の環と内部の環とで青色どだいだい色との異色を呈し,結晶軸 の方向が9りQ近く異なっていると思われる例もある。上の事から考えると,この結晶を方解石 型の炭酸カルシウムと仮定すれば,C軸がガラス面にほぼ垂直な方向に向いているが,所によ
ってはかなり乱れている部分もあるといえよう。これに対して平ひも型の環では干渉色がよく 現われて,C軸は半径方向に近づいて放射状になっているように思われる。10では白線に見 える部分のみが干渉色を示し,青色とだいだい色の数珠玉を無造作に連らねたように見える。
写真11712714はS L8を用いて数時間でとり出したブレパラートに現われたものであり,
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13は6と同じプレパラート上にできていたものである。いずれも結晶発達の初期段階と思われ る。15,16は6の母液に比べてホルマリγを全く加えなかった場合の初期状況の例である。
17は15と同じ母液に40倍にうすめたホルマリンを1滴追加した母液から得たものである。以 上の比較からも明らかなようにホルマリγが存在しないと糸状体ができない。ホルマリγが多 過ぎると糸状体が伸びにくくなり球晶が発達し易くなることは他の例から感じた,ことである。
11の周縁に見られる連接した粒子や,14,17の中心部にある独立粒子および15の周囲の粒子 などの直径を実測したところによると,いずれも1μ前後であって,この辺に一応安定な大き さの領域があるように感じた。
結晶の形成過程について著しく注目をひくことは,円形の基礎組織が先行している点であ る。さらにこの円周の外方に少し離れて微かな線が先行しているのが認められることもある。
基礎組織には17と18のような二種類が現われたが,多くの場合は17,10に見られるような放射 状の糸状体より成る網状組織であった。18,19,20は同一母液によるプレパラートから得た写 真であって,SL8の母液から50Q,50時間および71時問で生成したものである。組織がちが
う原因については推定に苦しむが温度が低いことも関係があるかも知れない。
写:真21,22,23,24,25,26は50〜120時間の長時間にわたって成長させた状況である。
22はカゼィγ液に少量の尿素を加えて用いた例であるが,その他はS L8によった。24,は 23を高倍率で写したものである。25は末期に発達した組織が同心環結晶を埋めたと考えられ
るが,26は空所であった部分に末期になって組織が均一に形成されたもので,これら末期の 糸状体の成長には放射的な配列傾向が見られない。
写真27は6と同じプレパラートに現はれたもので,渦巻状の結晶を台としてその上方に発 達したように思われ,滑らかな表面に微細な線が放射状にはいっているように見える。ζれに 類似して全体が半球状になっている例は渦巻や同心環の結晶よりも出現率が大きい。
写真28はピ・リγ酸塩の代りに市販の棒状メタリン酸の1%溶液を0。5cc加えた母液から 得られたものである。
写真29,30はアコヤ貝の殼を開いたとき流れ出た液の5ccをカルシウム液20ccに加えた のみの母液から得られた結晶である。母液のpHは6.6であた。結晶の欠損部を見た感じでは 半円形に近い薄片の群が種々な方向に集合して球状を呈しているように思われる。
なおカゼィγの代りに精製ゼラチγを用いて試みた結果は岩塊状の結晶になり易く,美しい 結晶は得られなかった。卵白も試みたが塩類と加温の作用とで凝固沈殿して使用に耐えなか った。カゼィγが有効であったのは,それがリγ夕γパク質であってカルシウムと結合し易い 性質を有し,その上比較的沈殿しにくいことが大きな原因であろうと考える。
コγド・イチン硫酸の2%液をS L8に0.5〜2cc加えて試みた場合はゼラチγを用いた場 合に近いような結果を得た。
基準母液からリン酸液を除いた母液では同心円結晶の傾向が初期の状態では感じられるが成
貝殼結晶の成長に関する合成的研究 31
長すれば球晶に類するものになる.オルトリγ酸塩も試みたが著しい作用はなかった。メタリ γ酸の作用はかなり特色があるように感じるが現状ではピ・リγ酸塩が最も好結果を生じるよ
うに、思、われる。
以上に報告した渦巻その他の結晶は貝殼に見られるものに比べると形式が非常に異なるもの ではある。しかしながら炭酸カルシウムがタγパク質その他の副成分の影響の下に結晶したも のであるという点において貝殼と相通じる点があるように思われる。従ってこのような結晶の 成長問題を考究することは貝殻形成のなぞを解く上に大きな示唆を与えるものと信じる。
この研究に関する多数のプレパラートの作製はすべて森修一,山本昭夫,松尾英夫の諸君の 努力によるものであって,ここにその協力を厚く感謝する。
文 献
1)K6ji WADム:国立真珠研究所報告7,705〜828(1961)
2)今井壮一:長崎大学学芸学部自然科学研究報告12号,7〜17(1961)
写 真 説 明
第1図版
1。
2.
3.
4.
5.
6.
トリク・ル酢酸カルシウムのみの水溶液から生じた炭酸カルシウムの結晶. ×150
同上 ×150
基準母液,60QC,25時間. ×150
同上 ×600
石灰水と塩酸グアニジγを含む母液,570C,25時間. ×150 石灰水を含み20倍希釈ホルマリγ使用,5gQC,20時間. ×100
第2図版
7.
8.
9.
10.
11.
12。
基準母液,580C,25時間. ×600
5と同じプレパラートにあったもの. ×600 7と同じ条件で日時を異にす.×150
同上 ×600
基準母液,480C,2時間.×650 基準母液,580C,6時間. ×650
52 今 井 壮 一
第3図1版
13.
14.
15。
16。
17.
18.
6と同じプレパラートにあったもの. ×650 12と同じブレパラートにあったもの. ×650 ホルマリγを含まない母液,600C,22時間. ×650
同上 ×650
40倍にうすめたホルマリγを使用,600C,23時間. ×600 基準母液,500C,52時間. ×600
第4図版
19。
20.
21.
22.
23.
24.
18と同じプレパラートにあったもの. ×160 18と同じ母液,500C,71時間.×95 基準母液,47。C,81時間. ×160
基準母液に尿素を追加,46。C,128時間. ×75 基準母液,60QC,48時間. ×100
同上 ×600
第5図版
21と同じプレパラートにあったもの. ×600 基準母液,47。C,55時間. ×600
6と同じプレパラートにあったもの. ×160 メタリy酸を加えたもの.×600
生貝の汁液をトリク・ル酢酸カルシウム液に加えた母液から得たもの 600C,20時間.×150
30. 同上×600
25。
26。
27.
28.
29.
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