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ガルブレイスの現代資本主義危機論 -日本講演を基にして-(下)

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Title

ガルブレイスの現代資本主義危機論 -日本講演を基にして-(下)

Author(s)

田口, 信夫

Citation

経営と経済, 59(3), pp.1-23; 1979

Issue Date

1979-11-30

URL

http://hdl.handle.net/10069/28076

Right

http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp

(2)

ガルブレイスの現代資本主義危概論

ガルブレイスの現代資本主義危機論

−日本講演を基にして−(下)

田口信夫

I 「狭義の拾抗力」と「広義の桔抗力」

ガルブレイスの現代資本主義危機論が桔抗力理論の上に組み立てられて いることは,すでに前稿(「経営と経済」第58巻第4号)においてみたとお りである。それは要するに,現代資本主義が括抗力経済の上に成り立ってい るにもかかわらず,国家がそのような現実を認めず,桔抗力の働きに正常に 対応する努力をおこたったことの結果であった。別の言葉でガルブレイス が,「工業国が今日の困難−一部の人々にいわせると危機−に立ち至っ た理由をもっともよく説明することができるのは,まさにこの市場機能の衰 退という事態への適応の遅れなのである1)」といっているのは,まさしくそ のことを指している。したがって,培抗力理論こそがガルブレイス現代資本 主義危機論の要であり,ガルブレイスの現代資本主義危機論を検討するとい うことはほかならぬ培抗力理論を検討するということになるのだが,その前 に,われわれは桔抗力の概念そのものについて若干の検討をしておく必要が ある。というのは,括抗力の概念についてのガルブレイスの認識には,『ア メリカの資本主義』とそれ以降では,若干の変化がみられると患われるから である。まず,『アメリカの資本主義』では,括抗力は次のように述べられ ている。 「経済学者はもっぱら競争にのみ,これ(経済の自動調整作用−引用 者)を求めたし,公式の理論もまたそうである。経済にはいま1つ別の自動 調整作用があるという考えは殆んど完全に経済忠恕から除外されていた。か くして古い型の競争が消滅し,これに代わって,公然ではないにしても,事 実上,或いは暗黙のうちの共謀によって少数会社の支配が登上すると,既に

(3)

競争は消滅したのだから,私的な力に対する有効的な抑制もとれと共に消滅 したと考えがちである。実際,乙の結論は,競争以外に抑制作用をするもの を求めようとしない場合には,殆んど避け得られない。しかも事実,競争に ついての先入観は非常に強いから,誰もそれ以外に抑制作用をするものを求 めようとはしないのであるo しかし事実,私的な力を抑制する新しいものが競争に代わって出現したの であるD それは競争を阻害し或いは破壊したところの集中と同じ過程によっ て生み出されたのであるo しかしこれは市助の同じ側面にではなく反対の側 に,競争者の問にではなく顧客と先手との聞に生まれたのであるD この競争 に代わる新しいものを,平衡力(指抗力一引用者)と呼ぷ乙とにしよう2)J。 みられるように,ここでは,巨大法人企業の

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場支配力に対する抑止力と しての措抗力,自動調整力としての拾抗力,克子と買手との悶における措抗 力というものが問題にされているoそしてこの措抗力は次のような分野で作 用すると考えられていた。 ①労働市助における大企業と労働組合 ②大製造企業と大商業企業(たとえば,デパート,チェーン・ストア,ス ーノマー・マーケット等) ③生産財市場における

5

2

手企業と買手企業 ④農産物市場における農民と大企業 ところがその後,この拾抗力という用語はあまり使用されず,これに代わ るものとして, ヨリ普遍的で拡大された見iJの言い方が現代資本主義の分析に 使用されているのであるo たとえば,ガJレフーレイスは日本での講演の中で次 のような言い方をしているo

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寡占の成立によるilI!易機能の喪失と同じくー引用者),さらに同じよう に根本的な市場の後退が,佃別に,組織を通じて,あるいは国家を通じて自 らの所得の支配を求める人々によってもたらされます。アダム・スミスが 100年前に認めたように, 個人にとって市協とは,誰もが逃げ出したくなる 1つの専制君主です。たとえば,うi

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働組合の目的は,組合員の所得の支配力 を市場から奪うことです。却代のJHl業団体の存在も同じです。 i!f場の非人格

(4)

ガノレプレイスの現代代本主義危機程 3 的な決定に農産物価格を任せている産業国家はありません。どの国でも農家 はそれを汗そうとはしない。最低賃金制度も同じことで,それは未組織労働 者を市場ーから守るためにある。また失業手当ておよび疾病,老齢年金。乙れ らは市場が不必要もしくは無益なものとして凡拾てている人々にも,所得を 配分しているoそれだけではない。会社役只,弁

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士,会計士,そして大学 教授でさえ,交渉権を強め,あるいは市場の支配力から免責をうる地位保証 を確保するために,知立]、をふりしぼっています3)

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。 みられるように,ここでは,措抗力という概念が必ずしも寡占の市場支配 力に対する抑止力としてではなく,また先手と只手との関係としてだけでは なく 1自らの所得は自らの力で決定しようとする力」一般として規定され 使用されているのであるoなるほど,労働者や農民の場合には,拾抗力を直 接行使する容体としての,労働力の買手としてのぷ I~i 企業,民産物の主要な 買手としての寡占企業が存在するが,その他の弁護士,会計士,大学教授, さらには医者,年金生活者,失業者といった者には,措抗力を直接-行使する 客体としての寡占企業は存在しないのであるoすなわち,ここでは,措抗力 という概念が,寡占企業をも合めて,ある者は自らの能力により,ある者は 組織力により,ある者は国家を突き上げる乙とによって,めいめいが勝手に 自らの利益を主張する無秩序な利益集団としてとらえられているのであるo われわれは,ここに

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アメリカの資本主義』における拾抗力とその後にお ける拾抗力には概念上の大きな飛躍があるのをみてとる乙とができる。便宜 上,われわれは前者の拾抗力を「狭義の拍抗力」と11子び,後者の拾抗力を 4) 「広義の拾抗力」と呼び,この両者を区別したい o というのは

1

狭義の 拾抗力」すなわち『アメリカの資本主義』で、伎われたようなな味での拾抗力 は,理論的にも現実的にも破産し,ガjレ7"レイス自身もそのことを認めてい るようなふしがあると思われるからである。両者を区別することの重要性は この点にあるo では

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狭義の拾抗力」理論はどの点で;lV

1

私立してしまっているのだろう か。われわれはこれをインフレーションについてのガルフーレイスの説明の中 に求めることができる。というのは,ガjレフーレイス自身

1

インフレーショ

(5)

5) ンとそが措抗力経済の中心問題」だと考えており i狭義の措抗力」理論 が現代資本主義の分析において,有効性をもつかどうかの成否はまさにこの 点にかかっているといえるからであるo

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狭 義 の 拾 抗 力 」 と イ ン フ レ ー シ ョ ン すでにみたように i狭義の拾抗力」が現代資本主義を貫徹するとした場 合,その均衡は拾抗力の正常な作用にかかっているといえよう。(以下,本 節で拾抗力という場合は,

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狭義の拾抗力」を指す)。拾抗力が独占の市場支配 力iζ対して有効に作動する限り,現代資本主義は安定的に運行されるので あるo しかし,ガノレプレイスはこの拾抗力はあらゆる条件のもとに一様に 行使されるのではないと言うo拾抗力lこは限界がある。それは需要が生産能 力を圧迫し,デイマンド・プノレ・インフレをひきおこす場合である6)。乙の 場合には,措抗力は正常に働かない。なぜなら,このような場合には,買手 は大勢であり i他の場合であったなら,価格引上げに対して措抗力を行使 するであろうと乙ろの良子は,皆同じようにその行動をひかえるの」からで ある。かくして,乙のような場合には,企業の利潤は増大するが,労働者は 利潤の分け前を要求して賃上げ要求をおこない,経営者はその賃上げコスト をそっくりそのまま価格に転嫁することによって,利潤の維持をはかること が可能になるo なぜなら,このような時期には,価格を引き上げても需要が 減る恐れはなく,むしろ,労働者がストライキをお乙なう乙とによって生じ る時間の空費や労働者の士気喪失によって生じる損失の方が大きいからであ る8)

かくして,今や,経営者と労働者は安易に妥協し,新しい型のインフレー ションが生ずることになるo それはいわゆるコスト・プッシュ・インフレー ションである。これこそが、ゆたかな社会、に輩出した新しい病いであり, 現代資本主義が真剣にとりくまねばならない最大の課題なのだと,ガルプレ イスは主張するのである。 では,どのようにしたら現代の新しいインフレーションは解消できるのだ

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ガルプレイスの現資資本主義危機諭 5 ろうか。ガルプレイスの「狭義の桔抗力」理論からいけば,それは当然,拾 抗力が正常に作用する状態を作り出すことでなければならない。なぜなら, 力。ノレ7'レイスによれば,現代のインフレは需要増加のため,買手の措抗力が 正常に作用しなかったことの結果だからである。したがって,拾抗力理論に もとづいて,現代の新しいインフレ=コスト・プッシュ・インフレを収束し ようと思えば,それは当然,その起勤因たる需要増加(ディマンド・プJレ・ インフレ)に向けられねばならない乙とを意味するo もし需要水準を低下さ せたならば,買手側の拾抗力は正常に働き,コスト・プッシュ・インフレは さけられるだろうo では,需要水準を抑制するということは可能であろうか。これはすでにみ たように,カツレフ*レイスの論理的大前提からして不可能であるロなぜなら ば,総需要を生産能力いっぱいのと乙ろまで維持するというのが現代資本主 義の基本的宿命であり,このことがガノレプレイス現代資本義論の大前提をな しているからであるo したがって,需要水準を抑制するということは,ガjレ プレイスにとって,現代資本主義を支えてきた屋台骨(ケインズ政策)を放 棄することであり,ひいては資本主義そのものを黙殺することにつながるの である。 乙乙l乙,ガノレプレイスの「狭義の拾抗力」理論の論理的限界が露呈する。 すなわち,拾抗力に自動調整機能を期待しながら,インフレ(ディマンド・ プノレ・インフレ)の時にはそれは正常に働かないというのは,抑止力として のあるいチェック・アンド・バランス機能としての拾抗力を否認したに等し いといわねばならない。なぜなら,ここで言うインフレは一時的なものでは なく,不況や貧困,不平等といった旧来の資本主義の病弊を克服する過程 で,体質・恒常化してしまったものだからである。そしてこの点について は,ガJレ7'レイス自身,現代資本主義の新しい病のlつであるスタグフレー ジョンについて,次のように説明する時,それは彼自身

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狭義の拾抗力

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現論そのものを完全に放棄してしまったことを高らかに宣言したものといわ ねばならない。 「市場が権威を失っている場合には,総需要を抑制しても,市場機能から

(7)

免れている以上,価格と所得の上昇に歯止めをかけるととにはならない9)

J

。 もし拾抗力が,需要が比較的不足の状態の下で,正常に働くなら,スタグ フレーションという事態はおこらないであろうoなぜなら,総需要を減らす ととによって,生産と雇用は減退するが,買手側の拾抗力が正常に働いて価 格と所得の上昇に歯止めがかけられるからである。すなわち

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狭義の拾抗 力」理論ではスタグフレーションは説明できないのであるo 乙のように

r

狭義の拾抗力」理論は理論的にすでに破産してしまってい るといわねばならないが,現実的にもそれは破綻しているといわねばならな い。というのは

r

狭義の拾抗力」理論では,拾抗力が正常に働かない状態 をディマンド・プノレ・インフレの場合に限定しているが,実際には,需要が 生産能力を圧迫していない状態の下でも,買手側の拾抗力は,独占が存在して いる下では,正常に働かないからである10)oたとえば,オーブリー・ジョー ンズはカツレフ。レイスとほぼ同じコスト・プッシュ・インフレの立場に立ちな がらも,次のように現実を認識しているo 「規模の経済が重視されているという条件下で, T・ヒックスの言葉を使 うと“fixprice"市湯が“f1exprice"市 場 に ま す ま す 多 く と っ て 代 っ た と仮定すれば〈また仮定せざるをえないが) ,消費者に対する管理者の交 渉力は相当大きい。彼らは,増加した労働コストを,それが被管理者(=労 働者一引用者)に対して交渉力が同じであることから生じると,あるいは劣 っていることに起因するとを問わず,転嫁することができるo そして,乙の

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"i完全走市ゐ次元予を

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,毛示ふ示ゐ次元予毛も企之ら

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11〉」。 かくて, ライト・ミノレズがカツレブ、レイスの措抗力理論を評して

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ガノレプ レイスの『大プロック聞の、拾抗力、という考えは,事実の叙述というより はイ手オロギー的希望であり, リアリズムであるよりもドクoマである

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巨 大な均衡という理論は,現実の事実についての理論ではなくて,公共政策の 方向についての提案である』 12〉」と述べるのは当然のことといわねばなら ない。さらに, p ・スウイージーがジョン・ロビンソンの言葉を引用して, 「ジョン・ロビンソンは,乙の理論を『自由放任の安易な焼き直し』の努力 と,機知l乙富んだしかも適切な特徴づけをしたものである13)と述べている

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カ勺レフeレイスの現代資本主義危機諭 7 のも由なきにあらずである。乙のようにして,抑止力としてのあるいは自 動調整力としての「狭義の出抗力」理論は,理論的にもまた巨大法人企業の 巨大な市場支配力という現実の前にも,すでに破産を余儀なくされてしまっ たといわなければならない。おそらく,ガJレプレイス自身もとのことを十分 認識して,

r

アメリカの資本主義』あるいは『ゆたかな社会』以降拾抗力と いう用語を極力さけ

r

自らの所得は自らの力で決定しようとする力」とい う,必ずしも抑止力を前提としない別の言い方(=

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広義の拾抗力)を用い ているのだろう。もともと,市場の一方の側に危険な力が現われた場合,他 方の側にそれを相殺する拾抗力が自然発生的に生まれ,それが経済を自動的 に均衡させるという発想自体が無理なのである。 このように

r

狭義の拾抗力」理論は,理論的にも現実的にも破産してし まっているのであるが,だからといって「広義の拾抗力」理論まで破産して しまったというのは早計にすぎるだろう。

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狭義の拾抗力」理論と「広義の 拾抗力」理論とでは中味がちがう。たとえば,一ノ瀬秀文氏は現代資本主義 の今日の深刻な構造的危機をもって,

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IT'拾抗力』の破綻は,インフレだけ でなく,不況圧力のもとでも生じているo

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拾抗力』理論そのものが 14) 現実の前に破綻しているといえる 」と述べているが, 乙れは「狭義の拾 抗力」と「広義の拾抗力」を区別しなかったことによる混乱といわねばなら ない。破綻してしまったのは「狭義の拾抗力」理論であって

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広義の拾抗 力J理論ではない。

r

広義の拾抗力」理論は現代資本主義の分析において依 然として有効性をもっているoなぜなら

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広義の出抗力」理論は,現代資 本主義が,自由競争段階の資本主義とちがって,国家の介在なくして自動的 に調整される乙とはないということを初めから前提とした理論であるからで あるo そしてガソレ7'レイス自身も今や,このような理論に依拠して現代資本 主義の分析をおし進めているのであるo したがって,この際われわれは,ガ ルプレイスの拾抗力理論を理解するに当って,危機が生じたから拾抗力の理 論が破綻したというふうにではなく,資本主義が「広義の拍抗力」経済,す なわち抑止力のない経済に変容したからこそ,新しい危機が生じたのである というふうに解釈すべきであろうo前に

r

狭義の拾抗力」と「広義の拾抗

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力」を区別して考えるのが重要であるといったのは,とのととを指してい るo くりかえして言うが,破綻してしまったのは「狭義の拾抗力」理論であ って i広義の拾抗力

J

理論ではないのであるo そしてわれわれが注目する のも,まさに乙の「広義の拾抗力」理論なのである。では

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広 義 の 桔 抗 力」理論とはそもそも何なのか。あるいは,資本主義が「広義の措抗力」経 済に変容したという乙とはどういうことを意味するのか。次にその乙との検 討に入っていきたい。

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広義の拾抗力」理論の意義

すでに述べたように i広義の拾抗力」とは「組織化することによって, あるいは国家に頼ることによって,さらにはまた独自の能力を取得,活用す るととによって,自分の所得あるいは所得のー側面である価格に対して,よ 15) り大きな支配力を得ょうと努める 」力であるo いいかえると,寡占をも 含めて,めいめいが自己の利益を主張してやまない「利益集団

J

,乙れ乙そ が「広義の措抗力

J

,こ他ならない。われわれは,現実に,乙のような力が多 数存在し,それが資本主義経済を動かしているのを知る乙とができるo大企 業はその市場支配力を利用することによって管理価格政策を採用し,価格を 計画的に決定することによって所得の安定をはかつているo労働者は労働組 合を結成・強化するととによって,交渉で自らに有利な賃金を引き出す。医 者は医師会を結成し,農民は農業協同組合を組織して所得の安泰をはかる等 々であるo そしてさらに,乙れらさまざまの集団が自らに有利な所得を確保 するために,さまざまの手口で国家に働きかけているのであるoガノレプレイ スが「市場機能の衰退」といっているのは,価格や所得がまさにこのような 利益集団の力関係によってきまるという事態を指しているo i市場機能の衰 退」とは,他ならぬ

i

広義の拾抗力」が出現した乙とを意味しているので ある。 では,資本主義が「広義の拾抗力」が支配する経済へ変容したということ は,どのような意味をもつのだろうか。それは他ならぬ「ケインズ時代の終 湾」を怠味するo ガルフ、、レイスはそれを「ケインズ的社会からケインズ以降

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ガルプレイスの現代資本主義危機諭 9 の社会への移行16〉」と呼んでいるが,それではなぜケインズ時代は終鳶し たのだろうか。その理由は,乙れまでの行論の過程においても,ある程度明 らかになってきたと思われるが,その点をさらに明らかにする上で,われわ れはガjレプレイスの理論を忠実に受け継いでいると思われるR・スカイデル スキーの「ケインズ草命の政治的意味17)」を参照する乙とによって, 乙の 点を補足していきたい。 スカイデJレスキーによれば,ケインズの最大の功績は大恐慌後の長期停滞 のさなか,資本主義的民主主義が右と左(ファシズムと共産主義)の攻撃に よって苦吟にあえいでいた時,それを民主主義的に救済する 1つの思想大系 を与えた乙とであった。この思想大系は,政府と市場に個有の役割をもた せ,政府には完全雇用に対応する総需要の確保を,市場には合理的な資源と 報酬の再配分の機能をもたせることによって,ファシズムと共産主義に対抗 する乙とを可能にするものであった。なぜなら,ケインズ体系は次のような 政治的意味合いをもっていたからであるo ①社会主義者が主張する資本主義下における(所得の)配分機能の非能率 と不公正は,税制による国民所得および宮の再配分によって改善されるo ②有効需要の創出によって労使聞の対立,すなわち階級闘争は緩和され る。なぜなら,有効需要の創出によって,企業には高収益が,労働者には完 全雇用と高賃金が保証されるからである。 ③政府の経済介入が間接的で一般的なため,統制経済的要素が極力排除さ れるD すなわち,能率と自由を温存しながら,資本主義的病弊を治療するこ とができるo 乙のように,ケインズはファシズムと共産主義に対抗する 1つの政治哲学 を生みだしたのであるが,乙れが正常に作動するには 2つ の 前 提 が 必 要 であった。 1つは,行政を指導する当事者(政府)の「責任ある知性の行 使18)

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であり 1つは

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市場機能」の正常な作動であった。しかし,ス カイデルスキーによれば,乙の2つの前提は次第にくずれてきた。というの は,政府の「責任ある知性の行使」と「市場機能」に大きな障害が生じてき たからであるD

(11)

まず,政府の「責任ある知性の行使」について言うならば,ケインズは民 主的政府による合理的な経済運営の可能性を過大に見積っていた。しかし, 現実には,政府がその経済的意志を貫くには,あまりにも外部勢力が浸透し すぎ,またそれに依存しすぎ,さらにそれに支配されすぎるようになってき たのである。ひとたび,経済生活が政治的決定の道具になってしまうと,経 済的合理性は,競争的政治体制下の投京獲得競争を通じて,政治的要求ζl屈 つするようになる。資本主義が「広義の拾抗力」経済に変容したとは,まさ にこのような事態を指しているのであるoかくて,ケインズ体系の1つの前 提であった民主的政府による「責任ある知性の行使Jは「広義の拾抗力」の 前にくずれる乙とになった。 次に,ケインズ体系の2つ自の前提である「市場機能」について言うと, ζ.れはケインズ的有効需要創出政策とカツレブ、レイスが「計画化体制19)Jと 呼んだところの寡占の登上によって崩壊を余儀なくされた。というのは,乙 れらによって価格は下方硬直性(コスト・プッシュ・インフレによる)を強 め,価格はもはや,資源、と報酬を合理的に配分する適切な信号たる乙とを停 止してしまったからであるD いいかえると,完全雇用を目標にしたケインズ 政策それ自体が,経済体制の硬直性を一層強め,その乙とが「市場機能」の 衰退をもたらしたのである。と同時にそのことは,ケインズの体系からすれ ば,政府が立ち入らないものとされるミクロ経済の領域に,政府が否応なし にひきずりこまれることをも芯味するものであった20〉oケ イ ン ズ が 当 初 考 えていたような政府と市場の分業関係は,かくて,ケインズ体系それ自体が 自らに内包する否定的要因によって,もろくも崩れる乙とになったのであ る。 以上のように,スカイデJレスキーは,ケインズ時代が終意した要因を,政 府による「責任ある知性の行使」の限界と「市場機能」の衰退に求めたので あるが,乙れがガノレプレイスの考えと同一線上にあることは明らかであろ うo ガJレ7'レイス流ζ言い換えるならば,ケインズ時代は「広義の拾抗力」l と「計画化体制」の巨大な市場支配力という存在を前に,崩壊してしまった といってよい。今や資本主義は,巨大な市場支配力をかかえた寡占を筆頭

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ガノレフeレイスの現代資本主義危機諭 11 l乙,各々が各自の利益を主張してやまない「広義の措抗力」が存在する無秩 序な政治力学の社会に転化してしまったのである1"広義の措抗力」理論の 意義は,このような現実をふまえた上で,現代資本主義がかかえる諸矛盾を えりすぐり,来たるべき社会の方向性,性格,態様を明示したことにあると 言うことができょう。 かくして,ガルブ、レイスの「広義の拾抗力」理論が意味するところはおの ずから明らかである。それは「広義の拾抗力」経済を前にして,従来の経済 理論(近経,マル経を問わず)の無効性を主張する。それはまた,既成の経 済理論に依拠した経済政策の限界性をも主張するO すなわち1"広義の拾抗 力」理論は従来の経済理論と自由主義的経済政策に対して,破産を宣告した のであるo それは代わって,われわれに,政治力学に基つ。いた新しい理論の 構築と新しい事態に対応する来たるべき社会(=統制経済)についての研究 の必要性を要求する。今,われわれに選択を迫られているのはまさに乙のこ とであり,乙れこそが「ケインズ以後の社会における新しい指導原理」なの だとガルプレイスは主張するのである21) 以上のように,ガノレフ、、レイスの現代資本主義論はきわめて独創的であり, 挑戦的性格がきわめて強いのであるが,そうであるがゆえにそれは,暫新で 豊かな現代資本主義分析の素材を含んでいるという乙とがいえようo なぜな ら,北原男氏も言うように,マルクス経済学の側においても,現代資本主義 の全体像の把握にまだ成功しておらず,現代の危機の真の原因をえぐり出 し,その意味すると乙ろを明らかにし,その行方を正確に展望する力量を十 分に備えているとはいいがたい現状だからである22〉oその窓味で, ガJレプ レイスの「広義の拾抗力」理論は,近代経済学の側から現代資本主義分析の 一定の方向性を与えたものとして大いに注目する乙とができょう"と 町 ガ 、 ル プ レ イ ス 現 代 資 本 主 義 危 機 論 の 検 討 以上,ガJレフーレイスの現代資本主義危機論が「広義の拾抗力」理論の上に 組み立てられてきた乙と,そしてその「広義の措抗力」理論がどういう内容 と意義をもっているのかという乙とについて検討してきた。1"広義の拾抗

(13)

力」理論は,産業の発展と政治的民主主義の発達によってひきおとされる資 本主義の構造変化を土台に,現代資本主義の危機を説明し,来たるべき社会 に対して一定の方向づけを与えたという点では高く評価さるべきであるけれ ども,その中にはいくつかの間題点も含まれているo次にそれらの問題点に 言及していきたい。 ①まず第1に i広義の措抗力」理論のもつ功罪について言及したい。 「広義の拾抗力」理論は,たしかに,寡占をはじめ種々の利益集団の存在とい う現実を前にして,現代資本主義がかかえるさまざまな矛盾(たとえば,現 代のコスト・プッシュ・インフレーション,産業部門間の発展の不均等,社 会的アンバランス等)を説明してきた。その意味で i広義の拾抗力」理論 は,政治と経済の相互作用を総体においてとらえることによって,現代資本 主義の分析に一定の貢献をなしたということができるだろう。しかし i広 義の拾抗力」理論は反面で,個々の経済現象を政治力学の問題に帰すること によって,経済理論の有用性を排斥するものであった。ことに,乙の理論の 重大な特徴があるといえるoそしてこのことが,実は,ガノレプレイスの現代 資本主義の危機認識の仕方に対して丞大な影響をおよぼしているのであるo それは,現代資本主義がかかえるもっとも深刻な危機のうちのlつであるス タグフレーションの評価と大いに関連してくるoすなわち,スタグプレーシ ョンという現象のうち,インフレ的側面と不況的側面のどちらを重視するの かという認識の仕方の問題である。ガルプレイスは「現在の危機は繁栄の危 機だ24)Jという観点から,不況的側面を軽視し,インフレ的側面を重視して いるが,現代資本主義の危機認識としてはこれでいいのだろうか。不況とい う乙とは問題にならないのだろうか。乙の点は,同じスタグフレーションと いう現象に対する見方でも,マルクス経済学者とその観点を大いに追にする ものといわなければならない。たとえば,ガJレプレイスと同じアメリカ国籍 のマルクス経済学者であるP・スウイージーは,今日のスタグフレーション について,過剰生産恐慌的側面を重視し,乙れは「資本財部門がこれ以上維 持できない, したがって崩壊を余儀なくされざるをえない規校にまで膨れ上 がった結果おとった現象」だとして,次のように述べているo

(14)

ガルプレイスの現代資本主義危機諭 13 「第 2次大戦に始まる時期は,生産の急激な拡張にとってきわめて有利で あった。乙の期間は40年代, 50年代, 60年代と30年間まるまる続いた。しか し危機が1974年にお乙り,それ以降も続いている。そして,乙の新たな期聞 における不況の様相は, 30年代(ある者はそれをスタグネーションと呼びた がる)をほうふつさせるものがあるo それがいつまで続くのかは予言できな い。それは経済学者が考えているような政府の政策のたぐいといったもので はなく,新たな歴史的局面が急速な生産の拡張と資本の蓄積の再開にとっ て,有利な環境を実現できるかどうかにかかっている。明らかに,乙ういっ たことがおこらないとは誰も断言できないが,このような新しい歴史的局面 の様相がまだ現われていないということだはけ,自信をもって言えると思 う。…………われわれは決定論的思考方法におちいるのを厳にいましめなけ ればならないが,少くとも, 1970年代の危機が重大な歴史的転換点であり, 基本的な変化に欠けるものはいかなるものといえども,われわれを新しい軌 道に乗せるものではない,ということは確信をもって主張できると信じてい る25)

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このように,同じスタグフレーションという現象をみるに,ガノレ7'レイスと スウイージーではその評価が天地の差ほど異なっているのだが,乙の評価の ちがいの中に,われわれはガルプレイス理論の大きな盲点をみる乙とができ る26)。そもそも,ガルプレイスも認めているとおり,インフレとは不況対 策として打ち出されてきたケインズ政策の1つの副産物にほかならない。と すれば,副産物としてのインフレよりも,ケインズ的有効需要創出政策を恒 常的に必要とする資本主義の体質そのものが問題にされなければならないは ずである27)。そして,そのためには,そういった不況あるいは景気変動とい った経済現象を生み出すメカニズムを法則的に説明する経済理論が必要とさ れなければならないだろうo前にも述べたように,ガルフレイスは現代資本 主義において,貧困や不平等,不安や不況はケインズ政策によって解決ずみ だとみなしているが,そう言い切ってしまうには現代の不況はあまりにも根 深いといわなければならない。現代資本主義は,ケインズ政策をもってしで も,依然として過剰生産恐慌という妖怪から逃れきってしまってはいないの

(15)

であるo そういう意味で,資本主義がもっ生産と消費の矛盾について述べた スウイージーの次の指摘は,まさに示唆に宮んだものと言えるであろうo 「もし引力の法則が純粋な形で作用するならば,飛行機といったようなも のは出現しなかったろうdしかし,飛行機は永久にはとべない。おそかれは やかれ,引力の法則が働くoそして,そのことは資本主義の基本的な矛盾に ついても言えるのである28)

J

。 「広義の措抗力」理論は,政治力学の観点から,たしかに,現代資本主義が 包摂する諸矛盾を説明するのに一定の貢献を果してきたが,それは資本主義 の表層的部面をみたものであり,それのみにあまりにも依拠しすぎると資本 主義が内在的に有する基本矛盾が隠蔽され,テクノストラクチュアとか利益 集団といった人格的要因にのみその責任が帰せしめられ,制度的に資本主義 を分析するという視点が見失なわれてしまうことになるだろう29)。この点 は,われわれが大いに注意しなければならないところであるo ②次に,ガ戸ルプレイスが来たるべき社会として大いに期待を寄せている統 制経済と国家の問題について言及していきたい。ガノレプレイスは「広義の拾 抗力」理論によって,現代資本主義が進むべき方向を統制経済に求めている が,その場合,問題となるのは,当然,国家の役割と性質であるo な ぜ な ら,統制経済とは,政府を頂点にすえた一種の計画経済であり,政府の性格 と役割いかんによって,統制経済の内容が規定されてくるからであるoそし て,そのことは,現代資本主義が大企業体制の上に成り立っているという現 実からみて,公共目的と大企業との関係をどうみるかという大企業に対する 評価の問題とかかわってくるo もし大企業の行動と目的が公共目的と大部分 において一致しているならば,統制経済下における政府の大企業に対する規 制はゆるやかなものとなるだろう口他方,大企業の行動と目的が公共目的と いちぢるしくその利害を異にしているならば,統制経済下における政府の大 企業に対する関係は,当然,きびしいものにならざるをえない。 しかし,乙の点でのカツレプレイスの評価は『新しい産業国家』と『経済学 と公共目的』では大いに異なっており,一貫性をはなはだしく欠いていると いわなければならない。以下,乙の点を検討していきたい。

(16)

ガノレプレイスの現代資本主義危機諭 15 まず

r

新しい産業国家』第27章「大企業体制と国家J(2)で,カ勺レフーレイ スは大企業体制と公共目的について次のように述べている。 「われわれがみてきたように,テクノストラクチュアの構成員は,その目 標が自分たちの目標よりすぐれ,かっそれらを自分自身の自標に適合させる 可能性があるから(ある場合?一一引用者) ,自らもそうした目標に共鳴す る。成熟した法人企業のテクノストラクチュアが国家にたいしてもつ関係も 同じであるo 国家は経済の安定lζ強い関心をもっているoそして経済の拡大 や成長について関心をもっているし,教育についてもそうである。科学や技 術の進歩についてもそうである。そして,わけでも国防について関心をもっ ているO 乙れらこそが国民的目標であるo これらはあまりにも言いふるされ てきたことなので,それを口にするについても,自明の乙とを言っているに すぎないという安心感があるくらいだ白乙れらの目標はすべて,実はテクノ ストラクチュアの必要や目標に対応している。テクノストラクチュアは,計 画化のために需要の安定を必要とするo成長は前進と威信をもたらす。それ は訓練された人的能力を要求する。それは,研究開発についての政府の手助 けを必要とする。軍需品やその他の技術関係の購入は,最も発達した形態の 計画化を支持するo いずれの点でも,政府はテクノストラクチュアが共鳴し うる目標をもっているのだ30〉」。 このようにガルフーレイスは「新しい産業国家』で,大企業体制の目的と公 共目的とが一致すると説色成熟した法人企業の公共性格的側面を強調する のだが

r

経済学と公共目的』ではその評価がガラリと変り,反独占の姿勢 に一変するoすなわち,そこでは,大企業こそが諸悪の根源とみられ

r

信 条の解放J,

r

国家の解放」といったととが強調されているのである。 まず,

r

信条の解放」についてみていってみようo彼は次のように述べる。 「経済体制には,みずからを完全なものにしていく傾向があるというとと は,今日ではもはやだれも信じないといってよい。不均等な発展,不平等, 役にもたたぬ場当り的な技術草新,環境破壊,人間性の無視,国家l乙対する 支配力,インフレーション,業種間の調整の失敗といったものは,いずれも 動かしがたい現実であると同時に,体制と切離せないその一部である。それ

(17)

は狂った歯車のように一一見つけ出して取替えさえすればよいような欠陥で はなく,体制に深く根ざした欠陥である31)j。 カーノレ7'レイスによれば, これらの欠陥は,計画化体制(大企業)の支配力 によって

r

計画化体制の提供する財貨の生産と消費は,人間の幸福や善行 につながるという命題j,すなわち「計画化体制の目的に奉仕する行為は公 私を問わずすべて,一般的公共目的にも奉仕するという信条」を,われわれ が思い乙まされていることからきている。そして,乙ういった信条をわれわ れに思いこませるにあずかずかつて力あったのは,次の 4つの道具立てであ っTこ。 ①計画化体制の目的を合理化する現在の経済学教育 ②計画化体制に奉仕するものは大いに尊重するが,それ以外のものは学問 の世界では尊重しないという現在の教育制度の在り方 ③計画化体制が広告,宣伝を通じておこなう説得をなんの抵抗もなく受け 入れてきた乙と ④公共政策(規制をはじめ,租税,軍事,外交政策など)についての決定 が,議員以外に,計画化体制と関係をもった政府の役人,御用学者,弁護士 などによっておとなわれてきたこと。 かくて,ガ、Jレプレイスは次のように言うo 「信条が計画化体制の支配力の源泉(したがってまた現代資本主義の諸悪 の根源一一引用者)だとすれば,信条乙そ攻撃の対象でなければならない。 …中略……それは,新古典派経済学をど法度にするのではなく,その体制 護持の機能を明らかにして,それに代わるものを提供するととであるo広告 を禁止するのでなく,その説得方式に抵抗するととであるo 法律によって科 学,技術の偏重を打破するのでなく,人文科学と比べて科学,技術が格別重 んぜられているのを,計画化体制の悪だくみと見破ることである32)j。 すなわち,ガJレフ守レイスは「信条の解放」のためには,計画化体制の目的 を,公共目的とは違ったものとしてはっきり区別する必要があるというので ある。彼は,乙れを「公共性の認識j

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)

と呼んで いる。

(18)

ガJレフ.レイスの現代資本主義危機論 17 しかし,ガルプレイスは現代資本主義の欠陥を排除するには,

r

公共性の 認識」をもつだけでは十分でないと言うoそれは,国家が計画化体制の支配 力から解放されること,すなわち国家と大企業との癒着関係を絶ち切る乙と を必要とする。なぜなら,国家は不均等な発展,所得分配の不公平,公共資 源のおそまつな配分,環境の破壊,いかさま規制や骨抜きにされた規制など の問題に,深いかかわりあいがあると同時に,これら諸問題の解決に当っ て,もっとも頼りにしなければならない主体でもあるからである33)。 では,どのようにして国家を解放しようというのであろうか。この間に対 してガルプレイスは,国家の解放のカギをにぎっているのは議会であり, 「国家の解放はあらゆる選挙で取りあげられる最大の問題として一一まさに 34) 選挙の争点として一一承認されねばならない 」と述べている。そして, そのためには

r

公共性の認識」を受け入れ,公共の目的のために身を挺す る「政治集団」がなければならないこと,さらに,議員と計画化体制との癒 着を絶つ怠味で,議員の再選を原則として禁止すべきであり

r

公共性の認 識」を打ち出した議員の場合にのみ例外を認めることが必要であるとしてい るoそして,最後に次のように言う。 「公共性の認識が支配するようになり,国家の解放が実現したあかつきに は,公共のための7つの行動路線が可能にまた必要になってくるお

)

J

。 その7つの行動路線とは次のようなものであるo ①経済体制内の支配力(

r

広義の拾抗力」一一引用者)を均等にする措置 ②経済体制内の生活条件を直接均等にする措置 ③市場体制と計画化体制聞の,また計画化体制内の所得の平等化を直接は かる惜-[LL ④計岡化体制の目的は環境に悪影響をおよぼすので,これを公共目的に反 しないものにする措置 ⑤財政支出を計画化体制の目的でなく,公共目的に奉仕するようにコント ロールしていく措u5: ⑤計四化体制がたえずデフレとインフレをくりかえす傾向を除去する措置 ⑦計画化体制がやろうとしてやれない産業問の調整をはかる措置

(19)

以上

r

新しい産業国家』と『経済学と公共目的』によって,カ勺レ7.レイ スの大企業に対する見方を紹介してきたが,みられるとおり,ガルプレイス の大企業に対する評価は,前者と後者とではいちぢるしく異なっており,一 貫性をはなはだしく欠いているといわねばならない。すなわち

r

新しい産 業国家』では,大企業礼賛論的側面が濃厚に打ち出されているのに対し,

r

経済学と公共目的』では,大企業批判的な側面が強力に打ち出されている のである36)。そして,乙の評価はまた,本邦講演でカツレフ'レイスが「新古典 派経済学の教義は独占や寡占について心配し,競争的市場を賛美している が,現実の生活では,われわれは寡占によって乙そ最良の発展をえているの で す37)

J

と述べ,将来における国家と大企業との関係について次のように 言う場合

r

新しい産業国家』に逆戻りしているといわねばならない。 「近年,われわれは,大企業と国家との関係について,かなり激しい討論 を行ってきました。その討論はまだ原始的なもので,大企業の影響の大きさ を発見するという程度のものでした。今後,この影響力はかなり増大するで しょうoそして,国と大法人企業という 2つの権力の中心がいかにして和解 しえるかどうかに,焦点が移るでしょうo マルクス流に近代国家は結局は大 法人企業の執行委員会になるだろう,とは私は思いません。しかし,私は産 業国家の政治はますます両者閣の妥協にかかわるようになると,考えていま

38) す

-

J。

このように,ガソレプレイスの独占あるいは寡占に対する評価は終始一貫性 を欠き,そのゆえにまた,来たるべき社会における国家の大企業に対するか かわり方もあやふやなものとなっているのだが,この点のあいまいさはガJレ プレイス現代資本主義論の存在価値を左右するほどの致命的欠陥といわざる をえない。なぜなら,いやしくも現代資本主義論を主たる研究の対象とする 者が,現代資本主義の根幹をなす寡占に対してその都度評価を変えるという のであれば,その理論の真偽に対して疑いをもたれてもしかたがないからで あるo たとえば,乙の点に関して,一ノ瀬秀文氏は「彼は徹底した資本主義 批判者=改革論者でもなく,徹底した現代資本主義擁護論者でもない,その 39) 2つの極をゆれ動く,二重性格の理論家だといえる 」とさえ言っている

(20)

カ勺レプレイスの現代資本主義危機論 19 ほどである。現代の寡占の在り方に対してどういう一貫した評価を確定する か一一乙れこそがガルフ'レイスの現代資本主義論に残された最大の課題であ り,来たるべきケインズ以後の社会の性格を占なう重要なカギであるといえ ようo もし,ガJレプレイスの「広義の拾抗力」理論の論理的帰結が,乙の点 を不聞にふしたまま,単なるコスト・プッシュ・インフレ=所得・価格政策 だけに終るのであれば一一本邦講演は残念ながらこのような乙とだけで終っ たような気がする一一,それはわれわれを大いに失望させるものといわなけ ればならなし、われわれは

r

経済学と公共目的』に貫ぬかれた反独占の姿 勢とその中で述べられた種々の改革論議は高く評価するが

r

新しい産業国 家』そして「本邦講演」で貫ぬかれた独占擁護の立場は支持するわけにはい かないのである。 以上のように,ガノレ7"レイスの現代資本主義危機論にはいくつかの間題点 が含まれており,またそれ以外にも分析の重点が国民経済におかれ,対外的 要因がほとんど考慮されていないという一国資本主義的分析の制約もある が,それはともあれ,彼が「広義の措抗力」理論にもとづいてケインズ的社 会の限界性を分析し,統制経済という過渡的社会の到来を描いてみせたの は,現代資本主義分析における一定の貢献といえるだろうo もし,資本主義 がガjレプレイスの言う混沌とした無秩序な政治力学の社会に変化し,そこか らの社会主義への急激な移行が不可能であるとしたならば,そしてそういう 状態の中で国民の生活を少しでも改善しようと考えたならば,そしてまた, ガル 7~ レイスの真意が『経済学と公共目的 J

ζ貫ぬかれた反独占の姿勢にあ るとするならば,われわれがガルプレイスの理論から学びとるものは多くあ るのではなかろうか。以上が,本邦講演を基にして,ガ Jレ 7~ レイス現代資本 主義危機論を検討して得た私の結論であるo (注) 1)

J

.

K. ガルプレイス「ケインズ以後の新しい指導原理

J

(r朝日ジャーナJvJ 78年4月 7日号.18頁)。 2)

J

.

K. カ勺レフ.レイス,膝瀬五郎訳『アメリカの資本主義』時事通信社. 1955年, 145-146頁。

(21)

3) J.K.ガノレフeレイス「不確実性の時代を超えてJC

r

エコノミスト』昭和53年 11月10日号.149-150頁)。 4)拾抗力

C

countervailing power)という用語は、相殺する 、平均する'と いう意味で使われているから, 、めいめいが勝手に利益を主張する無秩序な利益 集団'をもって「広義の拾抗力」とすることには,抵抗があるかもしれないが, 他に適当な用語もなく,またf占抗力という用語を生かす意味で,あえて「広義の 桔抗力

J

という表現を用いた。 5)

J

.

K.ガノレフれレイス, 鈴木哲太郎訳『ゆたかな社会』第二版, 岩波書庖.1970 年.196頁。 6)もっとも,ガノレプレイスによれば,需要の増加がただちに価格の上昇をもたらす とはかぎらない。というのは,ただちに価格を上昇させるならば,反トラスト法 にふれたり,世論の反対にあったり,さらには,みずからの競争上の地位を危う くするおそれがあるからである。したがって,寡占企業は「ふくみ

J

C

i

隠し財源 の予備

J

)をのこしたまま,価格を都合のいい時期まで引き延しておくと,ガJレ プレイスは主張する。その時期は,企業の考えている長期の利益に短期の極大化 がほぼ合致するようになる時期一一具体的には組合からの賃上げ要求があった時 期である。 このようなガソレフ。レイスのコスト・プッシュ・インフレ論に対して,都留重人 氏は次のような評価をしている。 「インフレーションの下では『拍抗力

J

が 効 果 的 に は た ら か な い こ と を 自 認 す るガノレフーレイスにとっては,この『コスト・インフレーションJの問題はとくに 重要であり,すでに2・3の個所で注目すべき議論を展開している。とくに彼 が, オリゴポリー的産業における巨大企業が短期の利潤極大化と長期視点の利潤 極大化とを区別し,短期の利潤稼得可能性をしばしば政策的におさえて『ふく みJをのこしておき,組合からの賃上げ要求があったとき初めてその『ふくみ』 を利用し,表面的には賃上げのために価格が上がったという印象を与えるように 行動するーーという分析を展開しているあたりは,示唆に富む洞察といわなけ ればならない

J

C都留重人編『現代資本主義の再検討』岩波書庖. 1976年.230 頁)。 7)

J

.

K.ガノレフーレイス『アメリカの資本主義j171頁。 8)乙れと反対に,需要が比較的不足している場合には,賃上げコストの価格への転

(22)

カ勺レプレイスの現代資本主義危機論 21 嫁はできにくくなり, リカード=マルクス命題が働いて,分配率をめぐっての労 使聞の対立ははげしくなる。ガJレフeレイスは, 乙の場合lと,拾抗力は正常に作用 すると述べている。 9)

J

.

K.カ勺レフeレイス「ケインズ以後の新しい指導原理

J

, 20頁。 10)乙のことは, したがってまた,コスト・プッシュ・インフレ論の部分的否定にも つながる。というのは,ガノレプレイスの言うコスト・プヅシュ・インフレは,完 全雇用を保証する産出量の公約がなければ不可能だからである。したがって,不 況下におけるインフレは,コスト・プッシュでは説明できないのであって,あえ て説明しようとすれば,不況下において,なぜ労働者が賃上げ要求をするのか, そのプロセスを説明しなければならない。

11) A. Jones,“lnflation as an lndustrial probleηt"R. Skidelsky, ed. The

End of the Keynesian Era, p.55. r調査月報』第67とtrs5号, 60目。 中村達也訳『ケインズ時代の終r.GJ日本経済新聞社,昭和54年, 57瓦。

12)C.Wright Mills, The Power elite, 1956, p. 126n.長洲一二『現代資本主 義の名著』日経新古,昭和52年, 75頁より引用。 13)P.スウイージー,畠山次郎訳『現代資本主義』岩波苫居,昭和50年, 85瓦。 14)一ノ瀬秀文「資本主義は変わったかー現代資本主義のイデオロギー的虚像につい て一一J(講座「史的唯物論と現代J4a r現代資本主義J(1)) . 59頁。 15) J. K.ガソレフeレイス「ケインズ以後の析しい指導原理J• 19頁。 16)向上.18頁。

17) R. Skidelsky,“The Political meaning of the Keynesian Revolution"R. Skidelsky, ed.op. cit, pp. 33-40. 18)

r

立-任ある知性の行使」がいかに重要かということは,金本位制と管理通貨制下 における通貨の発行システムがどのようになっているかということをひとつとっ てみてもわかる。金本位制下では,通貨の発行が企の存在によって,自動的に規 定されるのに対して,管理通貨制の下では,それが政府当局の自由裁量にゆだね られている。それだけ,管理通貨制下においては,政府の慎重さが要求されると いうことである。 19)

r

高度の技術と多額の資本使用は,市場の需要の干山に従属的である乙とはでき ない。そ乙には計画化が必要とされる

J (

]

.

K

.

ガjレフeレイス,都留主人監沢 『新しい産業国家』河出苫房.1969年.361頁)。

(23)

20) スカイデJレスキーは,政府の経済への干渉がどの程度まで進むのか,具体的に明 らかにしていないが,乙の点で,同じ『ケインズ時代の終駕』の執筆者である

J

.

T.ウインクラーは,ケインズ時代の終罵の後に来るものは,社会主義でな く協調組合主義 (corporatism)だと考え,政府の干渉は次のように変化するだ ろうと述べている。 「ケインズ的干渉から協調組合主事的干渉への漸次的変化は次のようなことを 伴う。集計的あるいはマクロ的水準の規制から制度的あるいはミクロ的水準の規 制への移行,一般的で間接的な措置から特殊的で直接的な措置への移行,需要の 管理から供給をも含む管理への移行,微調整の考え方から統制の考え方への移 行,国家の支持的な役割から指導的役割への移行,市場を通じて機能する戦略か ら市場を破壊する戦略への移行,一一要するに,資本主義を維持しようと企てた 国家干渉の形態から資本主義にとっ/て代わろうとする国家干渉の形態への移行で ある

J

(J.T Winkler.“T he Coming Corporatism"R. Skidelsky. ed.

ρoit..p.83.)

ウインクラーによれば,協調組合主義とは,私有と国家統制の結合を基礎とした 独特な型の経済主既設を示すまともな概念であり,協調組合国家は,会社の内部意 志決定と労働組合の交渉戦略に直接統制を行使する。 21)1.K. カ勺レプレイス「ケインズ以後の新しい指導原理

J

, 20頁。 22)北原勇「現代資本主義分析の課題と方法

J

(経済セミナー増刊『マルクス経済学 のすべて』日本評論社,浦和53年), 37頁。 23) との点で,週刊『束洋経済J(臨時増刊,昭和54年 1月12日号)に掲載された正 村,内田,脇山3氏の「現代の圧力団体と利害調整のメカニズム」と題うったシ ンポジウムは,ガJレプレイスの「広義の桔抗力

J

理論と一脈通じるものがあり, 「広義の拾抗力」経済を理解する上で,興味ある試みといえる。 24)J.K. カ勺レ7*レイス「不確実性の時代を超えてJ(rエコノミスト』臨時増刊, 昭和53年11月10日号), 148頁。

25)P. M. Sweezy. The tresent stage 01 the global Crisis 01 Capitalism. Month-1y R view. Vol. 29.No. 1,1 Apri11978.pp.11-12.

26)カ勺レフゃレイスが不況的側面を軽視する理由は,ケインズ的有効需要創出政策の他 l乙依存効果によって,大企業は自らが作り出した生産物に対して需要を作り出 す能力があると信じているととにもよる。その意味で,依存効果は‘セイの法

(24)

ガJレフ。レイスの現代資本主義危機論 23 則、の現代的やき直しともいえる。 27)

r

われわれがすでに十分みてきたように,そうした(総需要の統御は).大企業 体制の有効な計画化,したがってラクノストラクチュアの安全と成功にとって不 可欠のものである

J 0.

K. ガノレフeレイス『新しい産業国家j345頁)。 28)P. M. Sweezy,op.oit., pp.10-11. 29) ガノレプレイスの議論は,抽象的に理論を展開するというのでなく,個々の事実を とりあげて具体的に説明するという性格をもっているので,それだけに説得力が あり,現実性を帯びてわれわれに迫ってくるのであるが,反面で,そのことが事 の本質を隠蔽するような役割をも果しているという乙とが,いえるのではなかろ うか。 30)J.

K

.

カ勺レフ事レイス『新しい産業国家J351ー352頁。 31)

J

.

K. ガノレプレイス,久我豊雄訳『経済学と公共目的』河出書房新社, 1975年, 292頁。 32)同書. 316-317頁。 33)同書. 333頁。 34)同書. 334頁。 35)同書. 344頁。 36) さらにこれが,

r

不確実性の時代』になると,大企業に対する評価は次のように なっている。

r

r

不確実性の時代』において,法人企業はその不確実性の主要な源泉である。 それは,人びとが,いかに,誰によって,そしてどのような目的に向って支配さ れるのかに関し,疑問を抱かせたまま答えを出さない。この不確実性に対する 1 つの応答は明白なものであろう。それは神話を突き破って,現代の法人企業の実 態をを眺めるととである

J 0. K

.

ガJレプレイス,都留重人監訳『不確実性の 時代JTBSプリタニカ, 1978年. 349頁〉。 37)

J

.

K. ガjレフーレイス「不確実性の時代を超えて

J

.

155-156頁。 38)

J

.

K. カ勺レフ'レイス「不確実性の時代と世界経済

J

(rエコノミスト』臨時増 刊,昭和53年11月10日号). 166頁。 39)一ノ瀬秀文,前掲論文, 49頁。 (完)

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