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資 本 主 義 世 界 市 場 と 南 北 問 題

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(1)105. 資本主義世界市場と南北問題. 一︑問題点. ②. ω. EECの発展とその限界. 第二次大戦後の世界貿易拡大とその矛盾. 旧体制下の世界貿易とその特徴. 二︑曲り角に来た世男経済. ③. 先進国側からみた低開発諸国の開発と貿易拡犬の必要性. 三︑脚 光 を あ び る 寓 北 間 題. ω. 点. 低開発諸国からみた南北問題. 題. ②. 閥. 町. 田. 核停をキヅカケとする米ソの歩み寄り︑逆に共産圏においては︑中ソの理論闘争から政治的対立への移行︑フラン. スの中共承認︑さらには今春ジュネーブで開催の国連貿易開発会議といった一連の世界情勢と共に︑英国のEEC加. 盟の失敗とその後におげるEECの内部対立の顕在化とその発展率の鈍化︑米国のケネディニフウソド推進と輸出促. 進の積極化等にみられる最近の動向は︑第二次大戦後飛躍的た発展を示した世界貿易と世界経済に︑今や飽り角に来. i05. 実.

(2) 106. たの感をあたえている︒果してそれは曲り角に釆たのであろうか︒われわれはその背後にある具体的な事実に眼をす え︑その底に流れる動きを的確に把握し︑今後の動向をさぐってみなければたらない︒. そこで︑まず分析の眼を世界経済の現状をどのように把握するかの間題に向けてみることから始めなげればたらな. いが︑われわれは脚光をあびて登場してきた南北間題に一つの焦点をおき︑それを歴史的必然性として把握すると同. 時に︑資本主義の現段階におげるその意義を検討することによって︑世界貿易今後の動向をさぐる一助としたいと思. う︒それには︑現在表面にあらわれている各種の渥乱や矛盾対立の要因を単に分析の対象とするに止めず︑その歴史. 的背景から間題の本質を捌挟することが必要であろう︒それはきわめて経済的な分析の対象であると同時に︑政治. 的︑杜会的︑文化的諸要因を内包していることに注意しなげれぱならない︒しかし︑この小論においては︑そのすべ. てにわたって論じつくすことは紙数の関係上到底困難であると思われるので︑できる限り主として貿易上の問題炉﹂隈. 曲り角に来た世界経済. 旧体制下の世界貿易とその特徴. 二. 定して論じてみたいと思う︒. ω. 世界貿易の展開は︑資本主義的世界市場の形成とともに始まったのであるが︑それを具体的に特徴ずけたものは︑. イギリス産業資本を中核とした世界市場の組織化であり︑金本位制と自由貿易を根幹とした国際分業体制であった︒. そこでは︑イギリスとその植民地は相互に密接に緕びつけられ︑それが正当化されていたし︑他の資本主義諸国との. 間では自由貿易が相互の経済発展を保証するものとされた︒比較生産費の原理がこれを理想化していた︒ 刀 しかし︑﹁世界経済において発展の自由はただ資本の所有老にとってのみ存在したのであった︒﹂当時は︑各自の内. 106.

(3) 灘にこれを阻害する要因はそれほど多くはなかったので︑企業家にとって向上発展の可能性は比較的大きかった︒も. ちろん︑初期の産業資本主義の段階でも︑国内的には農業資本の反対︑対外的には諸国の保護関税という妨害措掻は. あったげれども︑わずかな例外を除いては︑国際的な商品流通︑世界経済の発展を極度に妨げるほどの重大な障害と. はならなかったのである︒しかし︑頁の意味で曹由貿易が世界市場を大きく発展させたのは一九世紀後半︑とくに六. 〇年代以後のことであった︒この聞︑自由貿易の捷進は︑資本主義の発展を促進したぼかりでなく︑これによって世. ﹁技術上の発明が︑ます. 自曲貿易の発展過程は同時に他の経済的杜会的要因の世界的流通を呼びおこL︑それが世界経済と世界貿易の拡大. に大きく作用したという事実を見逃してはならない︒クチソスキーが指摘しているように︑. ます大きた数になって︑また︑ますます大きな速度で国から国へと国境をこえて進んでいったように︑人間もまたそ. うであった︒ ﹁自由競争﹂の資本主義の時期にみられるほどのかくも多数の人間が一国から他の国へ︑一つの大隆か 到 ら他の大陸へ︑と移動したことは︑歴史上において一度もなかった︒L この人口の移動は大部分ヨーロツバから他の. 大隆への移動であった︒このヨーロヅバ人の海外移動こそは︑海外諸地域の部分的工業化を可龍にし︑世界中いたる ところに資本主義制度が経済上︑軍事上の根拠 ︶. れてはならない︒. 107. 界貿易はいちじるしく拡大した︒. 07. ら凧轍○・ 蓋W碧 移鴉︑︑︑・︑︑︑︒㎞・・ 鵬G 1嚢できる吉にした重要塞礎差一た 盗帥5︒︒︒6︒一8.9︒︒︒一2.3︒如5︒一ぺのであ奄世界の後進的な諸地域婁. 工.

(4) 108. さらに︑﹁自由麓争﹂の資本主義がつくり出した重要な世界貿易拡大の要因は︑新らLい資本蓄積の方法︑とくに︑. 一八七〇年代にはじまる国際的な資本流通︑すなわち︑資本輸出という方法をあみ出した︸﹂とであり︑このことによ. ってイギリス資本は︑世界の銀行家として多角的決済制度の確立に貢献することとなづたのである︒. また︑海陸におげる運輸部門のイギリス資本による独占が︑イギリスを中心とする資本主義酌世界市場に具体的た 基礎を与えた−﹂とについてはとくに指摘するまでもないであろう︒. ところで︑このような自由貿易︑すなわち自由競争の資本主義の発展は︑いいかえれぱ資本主義が鰯熟期に入った. ことを意味する︒いわぼ︑それは独占資本主義を生み出す・﹂とによって︑自由貿易の推進を阻止し︑世界貿易の発展. を抑制する要因となったのである︒クチソスキーは︑自由競争の資本主義が最も強力に発展した時期には︑外国貿易 副 ︵ の増大は七〇%まで上昇したが︑独占の成熟した時期において増大テンポは二分の一に低下Lたと指橘Lている︒. しかし︑独占段階では資本の輸出をテコとする植民地主義の一層の強化がはかられ︑列強の独占体の閲での原料及び. 販売市揚の獲得競争は熾烈をきわめたが︑世界貿易拡大は︑決して以前のごとくではなく︑その繕果は第一次大戦に. 突入したのであった︒この段階におげる世界貿易の特徴は市場問題の激化であり︑戦争は・﹂れを解決することたく︑. かえって︑従来の世界市場組織を麻揮させ︑崩壊においやったことである︒. 第一次大戦を契機とLて︑イギリス的世界市場の崩襲の兆があらわれ︑−﹂れに代って米国が進出した︒いまや米禺. が世界経済発展の中心となった︒しかし︑米国にはまだ世界市場を自ら組織し︑統括Lて発展させるというほどの能. 力はなかったから︑米大陸中心の経済に閉ぢこもり︑他国の経済に対し防衛的となってしまった︒この聞における米. 国の南北アメリカ大陸への直接投資の増加︑その結果としての米州貿易の増大という事実を見逃してはならない︒イ. ギリス経済は弱体化したとはいえ︑戦後の安定をとり戻すと金本位制を復帰し︑世界市場の再組織化を意図したが︑. 108.

(5) 109. それは音日の大英帝国へのノスタカジアに遇ぎず︑一九三〇年の世界恐慌が勃発すると︑その意図を縮小Lブロヅク. 化による解決をはからざるを得なかったのである︒一方︑これに対抗して︑ドイツ︑イタリア︑冒本などの諾列強. は︑それぞれの経済圏にたて︸﹂もると同時に︑自由貿易を排除する態勢をとるにいたった︒. 世界貿易の趨勢をみるに︑その数量指数は︑一九ニニ年を基準として︑一九〇〇年の六二から一九二〇年において. も八Oにすぎず︑戦前の水源を回復したのはようやく一九二四年のことであった︒しかL︑第一次大戦後の経済発展. は米国が先駆したのであって︑世界貿易においても︑米国はすでに一九二〇年には一四二︑一九二九年にはニハ三の ピークに達したことは注目されよう︒. 16. 30. 48. 35. 52. 64. 46. 59. 72. 65. 67. 100. 100. 100. ユ02. 142. 95. 110. 163. 93. 幽0J. 8・. d叫 ㎞ ㎜蛇 出 n出 ・s. ・一 r ㎞32 此 恥& 蛇. 13. 23. 理の間題はぬきさLならぬ関係になっていたし︑戦勝. まった感がある︒童た戦勝国と戦殿国との悶の戦後処. ヨーロツパ経済の弱体化は︑そのために隠蔽されてし. く︑その資本力に幻惑され︑イギリスをはじめとする. ︑﹂のように一九二〇年代は︑世界経済の一般的安定をみたとはいえ︑それは︑米国緩済の興隆によるとト﹂ろが多. 展 17. 5 8 8. 65. 76. 9 12. 世. 1860. 17. ユ870 1880. 24. 80. 6 9. 1840. 1850. 1890. 49. 1900. 62. 1913. 工oo. 曲d. 83. 鮒蚊. 恐慌は−﹂のような矛盾を内蔵して発生したのである. 4 ︵. 戦争による負債を植民地・半植民地から特別利潤によ. 叩枕. 榊㎞. ってまかなわなければならなかったからである︒世界. C止 u e. ■﹄. Km45KW. 98. 1933. C e ud. 130. ユ920 1929. 36. の 醐篇胃志羨して勇霜姦持できる書禽係では 易 脾蛇 −爬 . 貿挑物ω なかった︒さらに先進諾国と植民地および半植民地と 界 ぷ鳶の関係は全く矛盾隻ちをので一め︷先嚢震. 発. 23. 35. J. 109. 主要国の貿易数量指数 世界貿易 数量指数 イギリス アメリカ フヲンス 年代.

(6) 110. が︑その結果︑世界貿易は沈滞の極に達し︑一九三八年にたっても二九年を基準とする貿易額指数は四〇・四にすぎ. (単位100万旧ドル). 貿易数量 貿易総額 貿易額 価格指数 指 数 指 数 109.4. 75,7 113.4. 83,2. 56.828. 82.8. 64.701. 94.3. 1924. 1925. 78,2. 81,8 43.7. 48.0. 85,8 96,5 45.5. 88.8. 37,5. 75,4 24.175. 23.314. 1935. 23.802. 1936. 25.723. 1937. 31.769. 46,3. 1938. 27.736. 40,4. 93,0. 85,5. 62.037. 90.4. 106.1. 85,2 1927. 65.280. 95・1. 103.5. 91,9 1928. 67.380. 98.2. 103.1. 1929. 68.619 1930. 55.552. 81,0. 87.1. 1931. 39.701. 57,9. 67.7. 1932. 26.853. 39,1. 42.4 34,7. 46・7 35,2. 74,6 1934. 95.5. 1926. 100.0 100.0. 43.5 34,0. 52.4. 1933. 100,0. 同上 訳書. 一四〇頁︒. ﹁現代資本主義の諸問題﹂ソ連科学アカデミー編. 三菱経済研究所﹁世界貿易﹂四〇頁〜四四頁参照︒. 一一九頁︒. 年にいたるまで低落をつづけた︒ここで注目Lたい. のは︑この貿易商品の価格下落は主として植民地・. 半植民地の産物においていちじるしかったことであ. る︒すなわち︑一九二九年を一〇〇とする価格指数. は︑一九三二年に工業製晶六三・五︑食糧五二︑原. 料四四となっているが︑価格の底をついた三五年に. は︑それぞれ四八︑四〇・五︑三九とたっており︑. これらの事実は︑いかに植民地・半植民地の犠牲が. 大きかったかを示している︒しかし︑・﹂の︸﹂とは同. 時に資本主義世界市場が弱体化したとはいえ︑植民. 旨o〇一. 加藤・二見訳﹁世界経済吏﹂二三ハ頁︒. 地・半植民地の経済が︑いかに密接に先進国本位に. −丙自富㌣冒ωζ一ωggo目N目﹃Ω鶉o巨o窯①og峯o冒事−﹃房o−良戸ω一. 三菱経済研究所r世界貿易」仏頁. なかったのである︒貿易数量は︑一九三二年に大幅に減少したのち︑徐々に増大に転じたとはいえ︑貿易価格は三五. 註. つくり上げられていたかを示すものであるo. 世界貿易の推移 (勾(3〕(2)(1〕. llo.

(7) 111. ②第二次大戦後の世界貿易拡大とその矛盾. 一九三〇年代は︑大不況の深化と長期化の中で︑諸列強は︑ブロック化と農業自給の政策をおしすすめ︑貿易は双. 務主義と差別待遇の一般化によって益々縮小していった︒しかし︑一方では互に軍傭拡充を推進し︑戦略物資の確保. に狂奔するといった状態で︑ついには第二次大戦を誘発するにいたったのであるが︑戦争は︑未曾有の杜会的渥乱と 経済的破壊をもたらL︑その有形無形の損害ははかり知れたいものがあった︒. しかるに︑戦争が終緕すると世界恐慌後の世界経済の地域化と︑世界貿易の縮小化に終止符をうつとともに︑戦後. の復興は予想外に早く︑しかも︑世界貿易は未曾有の発展期を迎えた︒事実︑世界輸出数量の増力率は︑一九二二〜. 二九年には二六%で︑年平均一・六%にすぎなかったのに︑一九三七〜五六年には七二%︑年平均三・八%に達した. のである︒市場間題の困難を増してきたこの段階においてこのように世界貿易の拡大を見たのは何故であろうか︒. 第二次大戦が終繕すると世界の政治経済構造は大きく変化していた︒一般に指摘されているように︑それは次の三. リ 点に要約することが出来る︒. ω 資本主義諸国聞の発展の不均等が激化し︑アメリカが飛びは恋れて強大化Lたため︑アメリカは資本主義諸国 の主導力として世界市場の再組織を目論むにいたった︒. ② 東欧および中国等人類の三分の一以上が杜会主義陣営をつくりあげ︑資本主義陣営とはげしく対立するように. 帝国主義的植民地支配のもとにあった諸地域が︑政治的独立の機会をかち得た︒. なつた︒. ③. こういった特徴の挙げ方はいろいろあるであろう︒しかし︑ ﹁どのようた列挙の仕方を﹂ようとも︑こういった諸 到 ︵ 特徴はそれぞれ互いは孤立し無関係なものではなく︑相互に密接な関達をもったものであることはいうまでもない︒L. 111.

(8) 112. われわれはこ︸﹂で︑これらの政治・経済構造の変化が︑その後の世界経済にどのような影響をあたえたかを現時点に 焦点をおいて明らかにしてみたい︒. 第一の点は︑アメリカ経済の強大化と資本主義諸国の発展の不均等が強まったことによる影響であるが︑これが戦 後の世界貿易拡大の主要な背景をなしていることは指橋するまでもないであろう︒. ところで︑世界貿易拡大の根低にある最大の要因は︑いうまでもなく︑生産能力の増大であろう︒その源泉をたど. ると︑アメリカの戦跨中に開発した技術革新と戦後におげる固定設傭の更新という事実につきあたる︒そしてそ脱を ⑱ 推進したのは︑国家猿占資本の発達とこれを土台とした軍拡競争ならびに経済の軍事化政策であったことがわかる︒. 生産龍力の増大は必然的に新市場の開拓を要請する︒アメリカの場合それは二つの方向をたどった︒一つは米州講. 国閻貿易の拡大であり︑他は︑ヨーロヅバ諸国の復興を援助することによってその市場猿占をねらいとするものであ った︒. 米州諸国聞貿易の拡大は︑すでに大恐慌後において着手されたものであり︑直接投資にょる市場独占が進められて. いたが︑戦後は石油ならびに戦略資源の確保をねらいとして一層強カに推進された︒職後の資本主義貿易の増加額の. うち三分の一以上が︑米州諾国間貿易によってLめられたのは偶然ではない︒カナダを含む北アメリカの輸出︵数量︶. は一九三七年を基準として︑一九四八年には一九二︑五二年には二二三に達した︒戦後︑対アメリカ貿易依存度の増. 大は世界議地域の一般的債向ではあったが︑最も密接な関係にあるラテン・アメリカの対北アメリカ輸入依存度は︑. 戦前︵一九三八年︶の三四・三%から戦後の四八年には五三・七%へと増加を示した︒しかし︑北アメリカの輸出の. つぎに︑アメリカとヨーロヅパ犬陸諸国との関係をみよう︒戦後アメリカは荒廃したヨーロヅパに対し︑その復興. 増大は︑一九四八年を頂点として次第に伸び率を減退していったのである︒. 112.

(9) 113. を援助するため︑老大な資本輸出を行ったが︑輸出貿易も著しく増大した︒本来︑ヨーロッバ大陸諾国はイギリスの. 輸出市場であったが︑戦後アメリカがこれにとって代ったのである︒しかし︑アメリカの対ヨーロヅパ輸出は︑一九. 三七年における二億六千万ドルから一九四七隼の五一億八千万ドルヘと増大したにもかかわらず︑その後は停滞を 続けている︒. アメリカ貿易の停滞は︑ただちに世界貿易全体の問題でもあるが︑戦後期を通じて最大の間題は︑いわゆる﹁ドル. 不足﹂という現象に象徴された︒酉ヨーロヅパ諸国の復興とその後のEECの発足は︑この困難を解消したかに見え. るげれども︑低開発地域の間題をかかえている現在︑世界貿易の前途には︑依然として困難な間題を内包していると みたければならたいo. アメリカを指導力とする戦後︑世界貿易再組織の運動は︑1・T・0の設置が不胎におわると︑その申の子としての. ガヅトが関税率の引下げを通じて世界貿易の拡大を意図してきたが︑資本主義諸国の復興によってかなりにその成果. をあげているとはいえ︑かえって低開発地域の経済的困難を深めている事実は見逃しえない︒アメリカ余剰農産物の. 対外放出が︑むしろ低開発地域の輸出市場を狭め︑輸入力を弱化していることはよく指摘されていると壮﹂ろである. が︑何よりもガットの組織は︑本来先進諸国を中心とするものであっただげに︑それが推進されれぱされるほど︑低. 開発諸国はかえって防衛的とならざるをえなかった︒そして︑先進講国とくにアメリカの生産力の増大は︑農産物の. みに止まらず︑工業製品の進出を通じて低開発諸国の交易条件を悪化させ︑財政的困窮を深めることに作用したので あったo. このように︑戦後アメリカ経済の悩みは︑遇剰生産物のための市場開拓を至上命令としているにもかかわらず︑低. 開発諸国がその販売市場として有機的に結びつくに至らず︑かえって︑それら地域の薪興勢力の反撃に出合っている. 工13.

(10) 114. という事実であろう︒. 第二点の杜会主義陣営の成立と資本主義世界市場に対立して杜会主義世界市場の緕成にまで進展するにいたった事. 情は一冷戦下におげる東西の対立から最近の緩和の事態にいたるまで今後の世界貿易の動向に徴妙にからみ合ってい. る︒少くとも︑地球上の三分の一以上の人類を擁する杜会主義圏の成立は︑対立観をもってみる限り資本主義市場を. 狭めたことは否定しえない︒とくに中国市場の喪失は先進資本主義国とくにアメリカ資本主義にとって莫大な損失で あった︒アメリカの極東政策がその市場奪回にあることは今更指摘するまでもない︒. 杜会主義陣営の強化は一方では︑米ソの低開発地域への援助競争の激化とたって現われ︑他方︑丙ヨーロヅバにお. いては︑資本主義諸困を大きく団結させ︑EECの結成に踏み切らせた一つの重要な契機をなしていた︒この意味に. おいて︑逆説的ではあるが︑珪会主義世界市場との対立は資本主義世界市場の発展に寄与したともみたすことができ ようo. しかしながら︑申ソの対立の深化と米ソ関係の緩和という現撰階においては︑世界貿易における東西貿易の意義が. 再検討される必要があるばかりでなく︑資本主義陣営においても米仏の対立から︑EECの内都矛盾を顕在化してい. るだけに閲題は複雑で︑単純に割り切ることはゆるされない︒事実︑東西貿易は拡大しつつあり︑資本主義の発展に っとてマイナス要困はプラス要因に転化しないとは限らない状況にある︒. 最後に低開発地域が戦後政治的独立をかちとり︑経済的自立化の政策を推進しはじめたことの世界貿易への影響に ついてふれておこ ξ ノ O. まず注意されねばならないことは︑旧植民地や半植民地の中には︑帝国主義的植民地協度を完全に廃絶して︑社会. 主義陣営の一環をなすにいたった国があることである︒これら講国に聡いては︑資本主義は大きく後退した︒. l14.

(11) 115. しかし︑低開発講国の多くは︑政浴酎猿立をかちえたとばいえ︑いまだに経済的自立化にばほど遠く︑かっての宗. 主国による政治的支配にかわって経済的支配が依然として続けられ︑困窮を脱しえないでいるのが事情である︒アメ. リカ経済との関連でものべたが︑戦後・﹂れら諸国の相互間次らびに先進国との貿易はむしろ縮小化をたどっているの. である︒植民地が先進資本主義諸国の搾取の対象とされ︑多くの利益をむきぽってきた時代は遇去の物語となった︒. 経済的開発と貿易の拡大による経済の自立的発展は︑これら低開発諾国自体の間題であると同時に︑その成否は︑先 進資本主義講国の将来をトする重大関心事となっている︒. 同上. 七五頁. 謡ω 三菱経済研究所﹁世界貿易﹂第二章. ②. EECの発展とその限界. ③ 吉村正晴﹁貿易問題﹂第七章第一節. ⑧. 策二次大戦後︑西ヨーロッパの諾国は︑急テンポの復翼を遂げ︑一九四九年ないL五〇年には生産も貿易も戦前水. 準に達することができた︒これは︑アメリカの酉ヨーロヅパ向け輸出の拡大とマーシャル.プランの実施などによる. ところは大きく︑その戦後資本主義世界市場再編成に果した役割は特記されていい︒その後の西ヨーロヅバ諾国の生. 産と貿易の拡大は︑全体として世界貿易の拡大に原動力とたってきた︒アメリカ経済の停滞と対比される︒世界経済. は一九五四年から五六年にかけても好況をつづげ︑生産と貿易の拡大をもたらした︒しかL︑一九五七年から五八年. にかけて戦後はτめて世界酌な景気の後退を経験し︑資本主義諸国の生産と貿易は縮小した︒政治的には冷戦の高ま. りの中で︑西ヨーロツパ諸国は︑すでに存在したベネルツ︒ク■ス関税同盟や欧州石炭鉄鋼共同体︵ECSC︶の経験を. 115.

(12) 工16. 土台として︑ここにEEC︵欧州経済共同体︶の繕成にふみきったのである︒. EECは本来・加盟各国聞の関税を全廃し︑数量制限を撤廃し︑加盟国間の商品の自由交流はもとより︑サiビ. ス︑資本︑労働カまで自由に移動できる単一の市場をつくりあげ︑経済統合をおし進め︑いずれは共通の通貨をつく. り︑政治的にも共通の外交︑防衛政策を行いうる強力な単一国家にまで育てあげようというのが︑発足にあたつての. 六畠首纂の蕎であ︷蓋・が発足するや域内霧の引き下げ︑数量躍の撤馨菱施し多くの部門で劃 期的な成果をあげ︑生産と貿易の驚異的な発展をもたらした︒. EECに見られる共同市場結成による利点ともいうべきものをあげると︑第一に新技術の利用可能性が強まるとい. うこと・第二に大企業の活碧妻ひらき︑大量生産︑大叢売寄能写るという︑︑と︑第三姦争寄襲を1増. 大させる・といったような諸点であろう︒まだ他に多くの利点をあげることもできようが︑概ねこれらの点に代表さ. 第一の利点は︑戦後開発されたエネルギi資源とそれを利用する新技術の産業への導入は︑もはや狭い市場では困. れよう︒. 難だが・大市場が成立すれぼ・こ註よって容易妄るということである︒差この点は︑第二の利点と茜琴る. が︑大市揚の成立は大企業にとって有効に作用するということである︒事実︑EECの結成は︑企業の集中︑提携を. 促進し・大企業の閻の競争姦化させている︒たしかに︑墨姦えての外資の導入が活琵し︑工場や運撃警. 近代化が進められた︒その繕果︑数ヵ国にまたがる巨大企業が出現している︒第三に大市場の成立によつて競争の可. 能性が増大すれぱ︑本来ならぱ︑第二の利点がこれによつて生かきれ︑機械な設傭のフルの活用とひいては︑生産コ. ストの引き下げをも可能とするであろう︒しかし︑独占的産業︑寡占的産業は一国内においてもそうだが︑それが︑. 国際酌な舞治においても︑いっ競争を規制する要周となるかわからたいし︑十分にありうることである︒. 1工6.

(13) 117. これら共同市場の利点が真に効果的に作用するかどうかは︑フラソスの場合にとくに椿橘されるように︑経済の詐. 画化の動きと密接に関連しているように思われる︒このことはすでにジャソ・マルシャル教援も指摘されたところで 1︺ ︵ あるが︑EEC成立に先だってフランスにはモネ・プラソ以来の二次︑三次にわたる経済計画化の努力があったこと. を忘れる−﹂とはできないのであって︑EECの発展は決して偶然ではなかった︒もちろん︑フラソス以外の誇国につ. いてもいいうる㌔﹂とで︑とくに欧州石炭鉄鋼共同体の経験は︑加盟諸国共通のものとLて共同市場を効果的ならしめ た要因といえよう︒. ところで︑EECは一九六二年その第二段階に入り︑多くの論者によってその曲り角に来たことが指摘された︒し. かし︑現実にはインフレの目珊揚と域内の対立が表面化して発展のテソポを若干緩めたとはいえ︑なお大きな経済拡大. を示し︑世界経済の中軸をなすにいたった︒そのため︑アメリカ経済が世界経済にしめる地位は椙対的に低下した︒. ただ︑ここで︑われわれは二つの点を指橋しなげればならない︒一つは始めから構想におり−﹂まれていた︸﹂とではあ. るが︑主としてフラソスとアフリカの旧植民地諾国との問にみられる関係に新らしい動きがあらわれてきている一﹂と. である︒いわゆる﹁ドゴールニフウンド﹂とも称せられている﹁市場組織化案﹂にもられた構想であるが︑それは︑. フラソスとアフリカ連合諸国との関係を世界的基盤に広げて発展させようとするものであり︑EECの困難打解の一. つの方向を示している︒もう一つの問題は︑同様にフラソスにおいて積極的に見られる傾向であるが︑中共承認間題. にもうかがえるように︑対共産圏貿易拡大の意欲である︒もちろん︑一﹂れには冷戦の緩和という世界的傾向が作用し. ていると見ることも出来ようが︑アメリカや︑イギリスの狙いとは自ら異るものがある−﹂とはいうまでもない︒EE. Cの最近の動きには︑このまま推移するたらぱ︑地域化の傾向を辿ることにならないとは保証しえないものがあるか. らである︒ここに東西貿易拡大の間題をふまえたがら︑低開発諸国の間題に立ち向っているフランスの立場があり︑. 11フ.

(14) 118. 脚光をあびる南北間題. 先進国側からみた低開発諸国の開発と貿易拡大の必要性. 三. J・マルシャル﹁フランス経済計画の構造﹂︵経済評論一九六四年一月所収︶. その成否はEECの運命にかかわるものと見ることが出来よう︒ 註ω. ω. われわれはすでに旧体制下におげる国際分業が何を意図し︑またどのようた成果をあげてきたかについてふれた︒. イギリスの自由貿易は︑そのまま資本主義的世界市場の形成とその組織的発展という理想につたがるものであった. が︑第二次大戦後︑イギリスに背変りしたアメリカの構想には依然としてイギリス的組織を夢み︑あるいはそれを利. 用しょうとする考えがひそんでいたかに思われる︒表現こそ異なれ︑それはイギリス的世界政策の現代板の観があ. る︒いまここでは︑その具体的論証は避げるが︑第二次大戦後の戦後処理案とLて出されたいくつかの提案︵ブレト む ソウヅズ機構にもられた︶を些綱に検討すれば明らかであろなそれは単なる理想図というには余りにも意欲的であ. また・戦後先進国の経済学者によって発表された低開発諸国開発の間題をみると︑そこには幾つかの類型があり︑. り︑アメリカ的であった︒. ニュアソスは異っているとはいえ︑いずれも先進国本位の政策がもり込まれていた︒農業開発以外にないとする論者. はさておき︑開発の必要を説く論者も工業化の困難を口にするに止まった︒現実はむしろ︑工業化を阻み︑貿易を縮. 小させ・かえって低開発諸国の貧困を固定化し︑いわゆるモノカルチュア構造を強化しているのである︒そのためか えって低開発諸国における民族運動を刺戟し高めることに作用しているほどである︒. 先進諸国は一体何を低開発講国に希望しているのか︒EECの間題に関違Lてフラソスの最近の動きについて一寸.

(15) ユユ. 9. ふれたが︑アメリカの場合はどうかについてもう少L検討してみよう︒. アメリカの輸出貿易は戦後大幅に増大したが︑一九四七年をピークに停滞をつづけ︑五一年以降わずかに四七年の. 輸入は贈与・援助を除く。 (註). 出. 88. 91. 102. 100. ユ957 1958. 91. 95. 111. 112 96. 95. 94. 94. 1959. 1ユ4. 111. 94. 94. 1960. 109. 108. 112. 1工3. 1961. 108. 105. 113. 115 ヱ22. 117. 117. ユ20. ジエトロ「海外市場白書」1964年瓶76頁. 年をピークとして停滞をつづけている︒しかし︑アメリカの貿易収支. は戦後いちじるしく好転し︑大きな出超を記録している︒にも拘ら. ず︑国際収支の赤字は慢性化し︑金の流出がつづき防衛策が説かれる. にいたった︒EECの発展はこの煩向に拍車をかけるかに見えた︒. 六〇年以降各種のドル防衛策が講じられたげれども︑終始一貫して. 変らない対策は︑輸出振興と世界貿易の拡大政策である︒たしかにア. メリカの場合︑輸出の国民総生産に占める割合はわずかに四%程度に. すぎないため︑一般に輸出に対する関心の度合はすくないといえる. が︑最近のアメリカ政府当局の肝の入れ方は並々たらぬものがある︒. 六二年以来毎年一回ワシソトンで全米輸出拡大会議が開かれ︑業界の. や国内市場の分野から国際市場の分野に適用することが︑要請されているのである︒. 国際マーケティソグはもともと第一次大戦後のアメリカ経済の拡大期にさかのぽる市場開拓の技術であるが︑いま. バイアメリカソ政策が推進され︑国際マーケティソグの強化が要請されている︒. 啓蒙に乗り出す一方︑商務省を中心に官民一体の輸出拡大運動が展開されている︒国際市場では国際協調が畔ばれ︑. (1957〜59==100). 水準を越えたとはいえ︑その後は殆んど増加の煩向を示していない︒輸入は戦後大きく増大を示したげれども︑五一. 1956. 1962. 数量1金額 数量 ]金額. 輸 総 入. 輸 総. このようなアメリカの輸出振興政策の根本は︑戦後対外援劫︑贈与等の名において支出されたドルを如何にしてア. ユ19. 米国輸出入の推移.

(16) 120. メリカに還元させるかというさしせまった要請に基ずくものであり︑援助の額からいづても西ヨーロヅパを最大の目. 標とするのは当然であるが︑戦後一貫して行われた低開発諸国の間題はまた大きな関心事でたげればならない︒従. 来︑軍事支出がその多くの割合を占めていたとはいえ︑赤字の累積とドル不安をかもし出している現在︑アメリカ市. 酉ヨー艀ヅパ諸国. 中部アフリカ諾国 ギリシャ・トルコ その他中近東諸国. ソ本湾国国. ピ台 補諸 びジ リよ敵米 お東 7目朝そ中. イ. ソ タ ス キ パ. 96.2. 国際機関を通じての援助額70億ドル は上の数字に含まれていない。 〔出所〕US News&Wor1d Report,. 9Sep−1963(ジュトロ「海外市. 場白書」1964年版所収). 諸国はガヅト改組案によって低開発諸国の. ても︑アメリカを中心とする先進資本主義. ュネーブで開催の国連貿易開発会議におい. が必要となって−﹂ざるを得ない︒ト﹂の春ジ. するようには行かない︒どうしても手直L. トの組織一点張りの先進資本主義諸国に対. ネックとなっているので︑輸出振興はガッ. れたようにアメリカ経済の構造自体もその. しかし︑低開発諸国の間題はまえにもふ. 1. 民の税によってまかなわれるこれらの支出が無駄に費消されることは許されたいことであり︑重点的次援助が要請さ. 北アフリカ諾国. れると同時に効果的な反対給付を期待することになるのは当然といわねぱならない︒. (霧麦犠麓酸毫). このような先進国の立場はひとりアメリカだけに限らず︑西ヨーロヅパ諾国の場合も同じで︑ようやく自信をとり. ることを忘れてはなるまい︒. くりあげた組織であるという性格には変りがないのである︒いいかえれぼ︑先進国資本の立場がそこには貫かれてい. 間題に対処しようとしていることには理由があるわげである︒ガヅトはあくまでアメリカを中心とする先進諸国がつ. 米困の主要地域別対外援助累計. 120.

(17) 121. もどした各国猿占体は︑きそって低開発諾国の市場開拓に進出しはじめている︒フラソスの如きも輸出促進のための. 援助を強化しており︑長期的に旧植民地諸国の経済的・杜会的・文化的な支配をかためている︒ベルギーのようたか. つての植民帝国も旧ベルギー領のアフリカ諾国に官民一体の輸出戦略をおし進めていることは注目される︒. ︸﹂のようにみてくるとき︑低開発諾国は先進資本主義国にとって︑巨大企業による生産財の輸出市場でしかないの である︒. 低開発講国からみた南北間題. 註ω 片山謙二﹁世界貿易の発展﹂を参照されたいo. ②. 一九六二年ガヅトの年次報告﹁国際貿易の発展﹂によれぼ︑一九五三〜六一年に︑世界の輸出総額は七七・一%増. 加したが︑この間先進誇国の輸出が八七・八%伸びたのにたいし︑低開発諸国の輸出は︑三七・八%しかふえなかっ. た︒また一九五〇〜六〇年の世界貿易におげる先進諾国の比重が山ハ○%から六六%に拡大したのにくらぺて︑低開発. 諾国のそれは︑三〇%から二〇%に低下している︒低開発諸国にとって南北閥題は議論の間題ではたく死活の間題次 のである︒. ﹁この現象の存在は︑最近までは論議の対象となっていたのだが︑現在では︑はっ. ﹁プレビヅシュ報告﹂は︑国連貿易開発会議の開催を前にして︑低開発諾国の立場を代弁して︑低開発諸国におげ る貿易の不均衡の 事 実 を 指 摘 し ︑. きりと関心事となっている﹂と述べ︑さらに︑﹁少数の例外は別として一次商品の輸出の拡大は割り合いに緩慢だが︑. 2. 工業製品の輸入需要は開発速度の上昇と歩調を合わせて急激に増大する僚向がある︒その結果生ずる貿易の不均衡が. 貿易上の重大た障害となり開発を困難にしている︒開発を促進しようとするのであれぼ︑この不均衡を除去せねばた. ユ 工.

(18) i22. 現在までのところ︑低開発諸国が︑輸出より輸入を伸ぱすことができたのは︑援助や民聞資本の導入があったから. らない︒﹂と主張している︒. であるが・その援助や民間資本にしても総計は年閻八○億ドルにみたず︑輸出総額の二七〇億ドルにくらべれぱ非常. に少ないといわねぽならない︒したがって︑輸出を伸ぱすことが先決であ︒て︑それが解決されないかぎり︑低開発 国にとって工業化も経済成長も画餅に帰することにたる︒. 国違開発十年計画の目的の一つは︑一九七〇年までに低開発諸国の国民所得を年平均五%増加させる︐﹂とに山のると. されている︒この五%の成長率を達成するには︑低開発諸国の輸入を年平均約六%増加せねぱならないという︒FA. 0︵国違食糧農業機関︶の経済杜会局特殊研究部長のプラウ女史の推計では︑一九七〇年までに低開発諸国がこの成. 長率五%を達成するには︑低開発国全体として他地域からの輸入が一九七〇年には四一〇億ドル︵一九五九年価格︶ になる必要があるという︒. ところが︑輸出は現在の傾向が続くかぎり︵五〇年代の輸出の増加率は年四%にすぎない︒︶七〇年にはせいぜい. 二九〇億程度しか期待できない︒これに予想される貿易外収支の赤字八○億ドルを加えると︑七〇年の経常収支は二. 〇〇億ドルの赤字ということになろう︒一方︑援助を含む資本収支は︑一九五九年の黒字五〇億ドルが九〇億ドルま. ﹁この赤字は潜在的なもので実際ではないから︑. で増加するとしても︑なお一一〇億ドルの純赤字が残る計算になるわげだ︒この赤字をどうやって埋めるか︑きわめ て難間たるを失わたい︒﹁ブレピヅシュ報告﹂も述べているように︑. もしも間題が解決されなけれぱ︑成長率をかなり引き下げねばならない事態となろう﹂というのであるが︑それでは 先進国の期待にも反することにもたろう︒. では︑間題の解決策とは何か︒いうまでもなく︑低開発講国の外貨をふやす方法であるが︑それは︑一次商品の輸.

(19) 出を増加すること︑工業製品の輸出を増加すること︑外国からの援助を増加することにつきるわげだ︒. いずれも難間だが︑一次商品の間題をとってみても︑きわめて複雑な間題点を含んでいる︒たとえぱ価格の間題︑. 工業諾国の市場に入り込む間題︑余剰農産物および開発政策における余剰農産物の利用間題等がそれであるが一次商. 品といってもいろいろあって一律に論ずることは六カ敷い︒しかし︑何といっても低開発諸国の輸出に占める食糧︑. 原材料等の一次商品の割合は大きく︑一九六〇年についていえぱ︑総輸出の八六%にも上っているのであるから︑現. 段階において︑この閲題の成否はきわめて重大であるといわねぼならない︒︵﹁プレビヅシユ報告﹂第二部第;皐参. 価格の間題はもちろん︑輸出国と輸入国との需給関係を反映するのであるが︑ある種の一次商品にあっては工業国. 照︶. における代替製品の出現と技術革新の進展にょる需要の相対的減少もあって︑輸出国にとって不利な傾向を示してい. る︒若干の商晶については︑工業国側に大き注原因がひそんでいる︒巨大企業に関達した一次商品は︑工業原料︑農. 産原料たるを閲わず︑世界市場において値下げを余儀たくされる場合が多い︒現に︑先進資本主義国が景気の後退を. 見た一九五七〜五八年には︑低開発諸国の輸出商品の価格ぼ大きな下落を示したのである︒一九五七年だけで︑世界. さらに︑第二の困難は工業諾国の市揚におげる競合の間題である︒西ヨーロヅパの場合︑総穀物生産は︑現在︑消. いては指橘するまでもなかろう︒. 二億ドルヘ・さらに五七年には四〇億ドル以上に上ったのは主としてこの原料価務の下藩を原因としているト﹂とにつ. が二九%︑トウモロコシが二三%︑小麦が一四%︑砂糖が二一%であった︒一九五八年には︑錫︑羊毛︑ジユート︑ つ コーヒー︑小麦︑砂糖の価格がひき続いて下落しな︒低開発諸国の貿易赤字が一九五五年の四億ドルから五六年の一. 市場価格の下落は︑亜鉛が一一〇%︑鉛が三八%︑銅が三三%︑ゴムが二四%︑羊毛が二〇%︑綿花が一九%︑大麦. 123.

(20) ﹁︒フレビヅシュ報告﹂でも宿橘されているよ. ︑. ︑. ︑. 業製品輸出によってまかなわれるという超楽観的な仮定のもとでも︑これは一九七〇年までに先進私企業諸国で実現. 要としている工業製品の量は︑決して手に負えない量ではなく︑一九七〇年の推定潜在赤宇一〇〇慮ドルの半分が工. カとイギリスの政策の無理解が︑この間題の解決を妨げている一﹂とがあげられ︑その上︑﹁開発途上講国が輸出を必. ・﹂の事態に対する明確な政策の欠除に原因があるとされている︒とくに﹁︒7レビッシュ報告﹂では︑不幸にもアメリ. ︑. うに︑先進工業国の側に輸入制限や行政的制限が増大している優向さえあるという実情と︑低開発諸国の側におげる. このように低開発諾国の工業製品輸出が低下しているということは︑. 七%にすぎなかったが︑一九六一年には七・四%へとかえって低下しているのである︒. なろう︒ところが︑事実は低開発諾国の工業製品の輸出は︑一九五五年には︸﹂れら諸国の総工業生産高のわずか七・. んで考えなげれぼならないとしたら︑どうしても︑工業製晶の輸出を増大きせる・﹂とは絶対的に必要だということに. 題であるといっていいが︑一時的な解決策になるおそれがある︒長期的観点にたって低開発諸国の経済成長を織り込. ろう︒一次商品の輸出を増大することの必要は︑それが低開発諸国において占める割合からいっても当面の喫緊の間. 低開発諸国にとって一次商品におとらず重要な意味をもつのは︑工業化と工業製品の輸出をふやすという間塵であ. しているということである︒. いるため︑いまなお余剰農匿物として世界市揚に進出し︑主とLて食糧輸出に依存している低開発誇国の貿易を圧迫. ぐ年六%以上のテンポで伸びていることが推定されているほど︑化学肥料の使用や品種の改良等農業近代化が進んで. 最後の困難はまえにもふれたように︑とくにアメリカとの関係であるが︑この国の農業生産性は工業生産性をしの. とされる︒しかるに︑若干の一次商品については︑先進国側に輸入を阻止する動きがあることが指摘される︒. 費の九〇%をしめているが︑少くとも現在輸入している一〇%の比率を穀物全体について維持されることが望ましい. 1泌. 124.

(21) 125. されると予想される工業製品消費のごく小さな一部分︵約一%︶にしかあたらない︒Lとまでいっている︒低開発諸国. の側から極論すれぼ先進講国は低開発諾国の工業化を希望していないのではないかとの疑閥を持っのは当然である︒. 低開発諾国におげる赤字を埋めるもう一つの方法は︑先進諸国からの援助あるいは民問資本の導入であるが︑ト﹂れ. をもって赤字のすべてを埋める−﹂とは到底出来ないことであろう︒たとえ︑これにょってある程度効果をあげること. ができても一時的なものでしかないし︑長期的な解決にはならない︒かえって︑先進諸国の側の貿易拡大には放って. も︑低開発諸因白身の輸出をふやす︑﹂とにはならたいであろう︒必要たト﹂とは︑長期的な相互の貿易拡大につら放ら なけれぼたらないということである︒. それにしても︑現在︑低開発諾国への援助が多分に軍事的な要素をもち︑低開発諸国自体もまたその財政の大きた. 部分を軍備やその他の軍凄的必要のために支出しているという・﹂とは︑国内的には資本形成のテソポを削減し︑輸出. カの増強ど︸﹂ろか︑むしろ赤字要因の増大に作用しているのであって︑援助は実質的た援助でなければならず︑そう でたげれば︑﹁援助よりも貿易﹂をというのが︑低開発諸国の真実の芦であろう︒. 最後に︑﹁国違貿易開発会議﹂の開催に際し︑﹁プレビツシュ報告﹂はどのよう改要議を行ったかについてのべてお. 特恵制度の原則を樹立すること︒先進工業国は低開発諸国から輸入する工業製品の一定額を︑一応十年の期隈. 開発諸国の一次商品および工業製品について先進国側は量的な輸入目標をきめることが要講される︒. 貿易目標を設定する︑﹂と︒低開発諸国の不均衡を是正する︸﹂とが会議の主要な目的なので︑その一つとして低. こう︒ブレビヅシュ博士は骨子次のような諸点をあげ︑討論を要請している︒ ω. ㈲. をきって無税とする︒ただし︑轄定の輸入商品が市場に混乱をひきおこした場合には︑例外を設げることができ るが︑この場合でも少くとも通常の最恵国待遇は保証しなけれぱならない︒. 125.

(22) 126. ω一蕎品の商品協奏よび穣馨︒一次商品の価婁緯持差は上昇言︑工業製品との比価を改善するた め国際商品協髪締箏亀裏商品協定だけで濤げない交易条件の悪隻よ姦着たいしては︑国際補償 クレジヅト機関が管理する補償融資の制度を設げる︒. ⇔ガ一トとの関連および機麓弩ガヅトは︑先進工業諾国問の貿髪処琴るには適当であろうが︑低開発諸 塞貿易間覆関しては・何らかの新貿易機関が必要である︒しかし︑一応墨の中蕎馨員会言うけ姦 的た会議をもつことが要請される︒. 豆してわかる吉に・嚢奏諸票従来︑ガヅーを中心として考えてきたのに対し︑きわめて大彊低繋諸. さらに﹁プレピッシュ報告﹂によれぱ︑東西貿易の拡大が︑低開発諸国の経済発展に寄与する可能性のあることが. 国の立場と要望︑がもちこまれている︒. 強調される︒杜会主義外国貿易の犠徴である双務主義につきものの硬直性がたくなれぱ︑杜会主義圏も工業諾国でつ. くられた製品の顧客になることは十分ありうることである︒近年コメコソ諸国との間の貿易が拡大傾向にある事実を. ﹁事実・計画立案が多角主義と矛盾するという理由はないし︑適当在条件のもとでは︑二国間貿. 指橘し︑杜会主義講因の貿易潜在力に言及し︑それが発展すれぱ︑低開発諸国にとっても大いに利益になろうという のである︒そして・. 易均衡を計繭でさると全く同様に︑多角的均衝貿易を計画できるはずである︒﹂と﹁プレピヅシユ報告﹂は述べてい. ﹁プレビヅシュ報告﹂の狙いは︑杜会主義講国と先進工業国と低開発講国を含. る︒このことは一すでにコメコソ講国ではじまっていることであるし︑低開発諾国の立場からも魅カある審実である ことはいうまでもない︒・﹂のぱあい︑. む多角貿易体制に進むことに世界貿易の拡大︑ひいては低開発諸国の経済発展に対する一つの望みがかけられている ということであるo. 126.

(23) 127. かくLて︑﹁南北閥題﹂は﹁東酉間題﹂とからみ合い︑その間におげる利害関係は︑西ヨーロヅパ諾国の中でも一. つのまとまりがあるとはいえない上に︑アメリカもイギリスも複雑に利害はからみ合っており︑その上に杜会主義諸. 国とのかけ引き︑低開発諾国との主導権を綾っての対立など多元化しつつあるといえよう︒今や︑国際経済関係は東. 西関係の対立といったような二極観をもって二兀的にかたずけることは困難となったのである︒ 註ω ソ連科学アカデミー編﹁現代資本主義の諸問題﹂一七〇頁︒. 127.

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