〔 論 文〕 弘前大学経済研究 第11 号
近代 日本 の製紙業 と新 聞業 の洋 紙輸入税 を め ぐる対立 関係
‑ 新 聞用紙輸入税問題 を中心に‑
四 官
H は じめに
近代 日本の産業化過程において,洋紙製造業 は欧米先進 国 よ りの移植 ・模倣型の「 近代産業」
として明治前期か ら早 くも自立的発達を見せた ことで知 られている。既に一連の拙論
1)で も検 討 した よ うに ,1 8 8 0 (明治 1 3 ) 年末には 日本の 近代鉱工業分野で最初の同業者団体 としての製 紙所連合会 が設立 ( 1 8 8 9 年に 日本製紙所組合, 1 9 06 年 か ら 日本製紙連合会 となる) されて, 1 8 8 3 年 まで 「 新 聞用紙即普通印刷用紙」 の 「 下 等品」についての最低販売価格 と 「 上等品」に ついての最高販売価格を協定 して市場価格の人 為的統制 と輸入の防過に取組んでいた。 この カ ルテル的統制の試みは結局失敗 した ものの,逮 合会加盟製紙企業 の製紙高総計か ら割出した洋 紙 の国内 自給率 ( 輸 出を除 く重量比)は 1 8 8 0 年 代に平均で 6 0% を上 回 り ,1 8 9 0‑1 9 0 0 年代に 7 0
%近 くに及んだ後 ,1 9 1 0‑1 9 2 0 年代になると 8 0
%台を示 した。 それは同時にまた少数の有力 メ ー カーの台頭を伴 っていた。 なかで も王子製紙 ( 1 8 7 5 年抄紙会社 として創業 。1 8 7 6 年に製紙会 社 ,1 8 9 3 年に王子 と改称) と富士製紙 ( 1 89 0 年 に創業)は業界の 2 大企業 として成長を遂 げた。
勿論, 国内の洋紙製造業 と,そ こでの有カ メ
1 ) 拙論 「 製紙所連合会の設立 と価格協定」( 弘前大学 『 文 経論叢』第1 5 巻第 2 ・3 合併号, 1 9 8 0 年. 41 ‑7 1 貢) 。 同 「 第一次大戦以降の 日本製紙連合会 と製紙業経営の展 開」 ( 同上誌, 第1 8巻第 1 号, 1 9 82 年, 1‑ 2 頁) 。同
「 明治中期〜大正期における王子製紙 と富士 製 紙」 ( 経 営 史学会 『 経営史学』第 1 0巻第 3 号, 1 9 7 6 年, 4 2 ‑62 頁)な ど。
俊 之
Oc t ob e I1 9 8 8
‑カーの明治前期か らの 自立的発達には産業や 企業 レベルでの人材や資本,機械設備,原材料 な ど経営諸資源の適切な調達 と,その運用 のた めの技術や組織の相応な確立や市場の存在が必 要 とされたが,その内の市場の形成をめ ぐって は 1 8 7 7 年の西南戦争以後における国内新聞業の 発達が深 く関わ っていた。新聞用紙は明治末に 国内洋紙製造高の 3 分の 1 以上,大正期 の第一 次世界大戦後に 2 分の 1 を 占めた ことに伺える
ごと く,国内洋紙市場の主要商品であった。
だが,国内での新聞用紙需要の増加は国内 の
新聞用紙 メ‑カーにのみ市場機会を提供 したの ではなか った。周知の ごと く,近代 日本におけ る貿易関税制度は徳川幕府がオ ラ ン ダ と 1 85 5
( 安政 2) 年 の 日蘭和親条約に続いて 1 85 7 年 に 結 んだ同追加条約における関税率規定を起源 と し,次いで 1 8 5 8 年にア メ リカ, イギ リスな ど 5 カ国 と相次いで結んだ修好通商条約に付属 した 貿易章程の規定で一応の確定を見た とされ てい る。貿易章程 では 日本の輸入税 を従価 5 ‑3 57 6
原則 として 2 0% ,輸 出税を 5% と定めていた。
しかし,その後 1 86 6 年 に各国 と結ばれた改税約 書 と付属税 目では,幕府の譲歩に よって輸入税 は輸 出税 と同様の従価 5% か,それを基準に換 算 した従量税額にまで引下げ られた。本論で検 討す る洋紙輸入税 もまた総 て 「 元代 二従 ヒ五分 ノ税 ヲ収 ム‑キ品」 として該当 させ られ ていた のである
2)。
但 し, この改税約書の もとでの輸入税率は 日 本側に とって先の貿易章程 の場合に比 し著 し く 不利な上に,修好通商条約に よる関税 自主権の 喪失に縛は られた片務的協定税率であった。そ
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近代 日本 の製紙業 と新 聞業 の洋紋輸入税 をめ ぐる対立関係
こで, この改訂が明治期 になる と日本の国是 と された治外法権の撤廃化 な どとともに 「 関税改 正」問題 として 「 条約改正」運動の対象 とな っ たのである。 これに一応の 目途がついたのは, 周知の ごと く 1 8 9 4 年に イギ リスやア メ リカと調 印した改定通商航海条約に よってであ った。 日 本政府 は 1 8 9 9 年か らの同条約発効に よる関税 自 主権 の原則的な回復に備え ,1 8 9 7 年に関税定率 法を公布 して 1 8 9 9 年か ら施行す るとした。 同法 では新たに輸入税を品 目別に従価 5‑4 0% ,主 として2 0% 前後, もし くは同程度 の従量換算額 にする とし, また輸出税 の全廃 も定めていた。
だが, 日本は改定通商航海条約 の調印 と併せて 別に イギ リスや ドイツな ど 4 カ国 との間で重要 輸入品を対象 とす る従価 1 0%の依然 として片務 的な期間1 2 カ年 の協定税率を定めた追加条約 の 締結を余儀な くされていた。 したが って,それ が失効す る 1 9 1 1 ( 明治 4 4 ) 年 までは関税 自主権を 完全に回復す るまでに至 らなか ったのであ 8 3) a
この よ うな関税制 と税率をめ ぐる一連の 「 改 正」経過の中で,本論 の検討す る洋紙輸入税に ついて も,国内産業の保護,育成の観点か ら税 額改訂 の動 きが見 られた。 しか し,その税額を め ぐっては印刷用紙,なかで も新聞用紙につい て国内産業問に利害の対立が顕在化 した。 国内 の新聞用紙 メーカーが税額の引上げを要望 した のに対 して,新聞業者は引下げを主張 して譲 ら なか った。その上,新聞業者は 「 関税改正」問 題 に取組む国内の政治動向に,言論報道機関 と
して多分に深 く構造的な関わ りを もっていた。
因 って,新聞用紙 についての 「 関税改正」は国 内の洋紙製造業界 よ りも新聞業界の意向を強 く 反映 した方向でなされた。新 聞用紙 の国内 メー カーは, この よ うな新聞業界 の意向 と折 り合い をつけなが ら産業 としての 自立的な発達をほか っていかねばならなか った。本論の課題は近代
製紙業経営史 との関わ りの中で, この新聞用紙 輸入税をめ ぐる第二次世界大戦前の国内製紙業 と新聞業の対立関係 と市場の構造的な特徴を歴 史的に解 明,考察す る ことにある。
目 梨粧,新聞業 の雁行的発達 と関税問題
明治初期に民業 として創業 された国内の洋紙 製造企業は,技術や原料資源,市場な どの制約 か ら暫 く一様に不安定な経営を余儀 な くされた。
初期 の各 メーカーは 1 8 7 6 (明治 9) 年に政府 よ り 「 地券」用紙 の製造を受注 して累積欠損を償 却 したが,それに先立ち一部の メーカーは既に 新聞用紙の製造を手掛けていた よ うである。 だ が,当時の新聞は有力紙で も 1 日当 りの発行部 数が付表の よ うに未だ殆 ど 1 万部以下に過 ぎな か った。新聞用紙 としては一部で和紙 もあった が,多 くは イギ リスな どか らの輸入紙が使われ て,国産洋紙になると未だ品質な どで難点が多 か った。 外 国紙は輸入税が 1 8 6 6 年以来の 「 元 代 」 ( 輸出地での市価)を基準 とした従価 5%
に過 ぎず, 価格面 で も 強い競争力 を もってい た4 ) 0
但 し ,1 8 7 7 年の西南戦争に際 しての戦況報道 な どに よって国内の新聞業が徐 々に発達を見せ る と,国産洋紙 も次第に販路を拡 げてい くよ う にな った。 国内 メーカーに よる新聞業者や印刷 請 負業者‑の販売は初め直売の方法が多 く採 ら れたが,やがて独立洋紙商経 由の方法が一般化 して, メーカ‑の特約洋紙商 も現れ るよ うにな った。洋紙商は単に新聞用紙 の流通を仲介 した に止 まらず,新聞用紙を作 る裁断業 も併営 した。
これは当初 の新聞が発行元 ごとにサ イズの異な る平判紙に印刷 されたためであ が ) .
2)3 )大蔵省編 『 明治大正財政史』第 8巻,経 済往来社 , 1 9 59 年, 1‑4 9 ,1 5 5 ‑1 8 6,57 5 ‑61 5 見 通商産業省編
『 商工政策史』第 5 巻,商工政策史刊行会,1 9 6 5 年, 3
‑ 8,2 0 0 ‑2 2 5 ,2 3 3 ‑2 50 ,2 7 4 ‑2 80 , 4 2 7 ‑4 5 2 , 4 85
‑5 4 6 貫。 「 洋紙輸 入税 の沿革」 (日本製紙連合会 『 紙業 雄志』第 1巻 第 1 号,1 9 0 6年, 3 貫。
‑ ガ
4 )成 田潔英 : 王子製紙社 史』 第 1巻, 王子製紙, 1 9 5 7 午,1 0 3 ‑1 1 6 頁。前掲 :明治大正財政史と 第 8 巻, 1 5 8
‑1 6 9 頁。
5) 大 日本印刷編刊 『 七十五年 7 )歩み一大 日本印刷株式会 社 史』1 9 5 2 年,1 9 ‑2 5 頁C前掲 『 王子製紙社 史』第 1巻, 1 1 0 ‑1 1 3 ,1 8 7 ‑1 9 8 頁。前 田和利 「 洋紙流通枚情 の形戎 過程」 (指句大経営研究ご第11 巻 第 2・3 号,1 9 8 0 年,1 6 2
‑1 6 5 貢。 日本紙パル プ商事編刊 『 百三十年史 』 1 9 7 5 年,
4 8 頁。
慕‑ 全国有力新聞の 1 日当 り発行部数 ( 概数) ( 単位 :1万部) 大阪毎 日 J #京 日日l報 知 J読 売 朝 野 恒 事新報l万朝報 l中 央
0 . 3. ‑0 . 6 0. 9 ‑1 . 1 1 . 8‑2 . 1 2 . 4‑3 . 3 2 . 9‑3 . 4 3 . 5 ‑4. 6 5 . 0‑6. 6 5 . 8‑7 . 6 6. 9‑1 0 . 2
9. 9. ‑1 2 l l . 3‑1 2
1 1 . 9 1 0 . 4‑1 3 . 2 1 3 . 3‑1 4. 3 1 3 . 7‑1 5 . 8 1 6‑3 0 1 8 , 3. ‑3 5 1 9 . 9‑21 2 4. 1 ‑2 9 . 6 31 . 6‑3 5, 8 3 4 . 1 ‑3 9 . 6 4 4. 5‑5 7 . 8
5 8 . 5 7 5 . 4 85 . 6‑1 2 6 . 1
9 6 . 6 91 . 4 1 0 4. 1
8) . 8
1 . 8 1 . 4 3. 3‑6
5 . 6 5 . 9‑7 . 1
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