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近代 日本 の製紙業 と新 聞業 の洋 紙輸入税 を め ぐる対立 関係

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(1)

〔 論 文〕 弘前大学経済研究 第11

近代 日本 の製紙業 と新 聞業 の洋 紙輸入税 を め ぐる対立 関係

‑ 新 聞用紙輸入税問題 を中心に‑

四 官

H は じめに

近代 日本の産業化過程において,洋紙製造業 は欧米先進 国 よ りの移植 ・模倣型の「 近代産業」

として明治前期か ら早 くも自立的発達を見せた ことで知 られている。既に一連の拙論

1)

で も検 討 した よ うに ,1 8 8 0 (明治 1 3 ) 年末には 日本の 近代鉱工業分野で最初の同業者団体 としての製 紙所連合会 が設立 ( 1 8 8 9 年に 日本製紙所組合, 1 9 06 年 か ら 日本製紙連合会 となる) されて, 1 8 8 3 年 まで 「 新 聞用紙即普通印刷用紙」 の 「 下 等品」についての最低販売価格 と 「 上等品」に ついての最高販売価格を協定 して市場価格の人 為的統制 と輸入の防過に取組んでいた。 この カ ルテル的統制の試みは結局失敗 した ものの,逮 合会加盟製紙企業 の製紙高総計か ら割出した洋 紙 の国内 自給率 ( 輸 出を除 く重量比)は 1 8 8 0 年 代に平均で 6 0% を上 回 り ,1 8 9 0‑1 9 0 0 年代に 7 0

%近 くに及んだ後 ,1 9 1 0‑1 9 2 0 年代になると 8 0

%台を示 した。 それは同時にまた少数の有力 メ ー カーの台頭を伴 っていた。 なかで も王子製紙 ( 1 8 7 5 年抄紙会社 として創業 。1 8 7 6 年に製紙会 社 ,1 8 9 3 年に王子 と改称) と富士製紙 ( 1 89 0 年 に創業)は業界の 2 大企業 として成長を遂 げた。

勿論, 国内の洋紙製造業 と,そ こでの有カ メ

1 ) 拙論 「 製紙所連合会の設立 と価格協定」( 弘前大学 『 文 経論叢』第1 5 巻第 2 ・3 合併号, 1 9 8 0 年. 41 ‑7 1 貢) 。 同 「 第一次大戦以降の 日本製紙連合会 と製紙業経営の展 開」 ( 同上誌, 第1 8巻第 1 号, 1 9 82 年, 1‑ 2 頁) 。同

「 明治中期〜大正期における王子製紙 と富士 製 紙」 ( 経 営 史学会 『 経営史学』第 1 0巻第 3 号, 1 9 7 6 年, 4 2 ‑62 頁)な ど。

俊 之

Oc t ob e I1 9 8 8

‑カーの明治前期か らの 自立的発達には産業や 企業 レベルでの人材や資本,機械設備,原材料 な ど経営諸資源の適切な調達 と,その運用 のた めの技術や組織の相応な確立や市場の存在が必 要 とされたが,その内の市場の形成をめ ぐって は 1 8 7 7 年の西南戦争以後における国内新聞業の 発達が深 く関わ っていた。新聞用紙は明治末に 国内洋紙製造高の 3 分の 1 以上,大正期 の第一 次世界大戦後に 2 分の 1 を 占めた ことに伺える

ごと く,国内洋紙市場の主要商品であった。

だが,国内での新聞用紙需要の増加は国内 の

新聞用紙 メ‑カーにのみ市場機会を提供 したの ではなか った。周知の ごと く,近代 日本におけ る貿易関税制度は徳川幕府がオ ラ ン ダ と 1 85 5

( 安政 2) 年 の 日蘭和親条約に続いて 1 85 7 年 に 結 んだ同追加条約における関税率規定を起源 と し,次いで 1 8 5 8 年にア メ リカ, イギ リスな ど 5 カ国 と相次いで結んだ修好通商条約に付属 した 貿易章程の規定で一応の確定を見た とされ てい る。貿易章程 では 日本の輸入税 を従価 5 ‑3 57 6

原則 として 2 0% ,輸 出税を 5% と定めていた。

しかし,その後 1 86 6 年 に各国 と結ばれた改税約 書 と付属税 目では,幕府の譲歩に よって輸入税 は輸 出税 と同様の従価 5% か,それを基準に換 算 した従量税額にまで引下げ られた。本論で検 討す る洋紙輸入税 もまた総 て 「 元代 二従 ヒ五分 ノ税 ヲ収 ム‑キ品」 として該当 させ られ ていた のである

2)

但 し, この改税約書の もとでの輸入税率は 日 本側に とって先の貿易章程 の場合に比 し著 し く 不利な上に,修好通商条約に よる関税 自主権の 喪失に縛は られた片務的協定税率であった。そ

1 4‑

(2)

近代 日本 の製紙業 と新 聞業 の洋紋輸入税 をめ ぐる対立関係

こで, この改訂が明治期 になる と日本の国是 と された治外法権の撤廃化 な どとともに 「 関税改 正」問題 として 「 条約改正」運動の対象 とな っ たのである。 これに一応の 目途がついたのは, 周知の ごと く 1 8 9 4 年に イギ リスやア メ リカと調 印した改定通商航海条約に よってであ った。 日 本政府 は 1 8 9 9 年か らの同条約発効に よる関税 自 主権 の原則的な回復に備え ,1 8 9 7 年に関税定率 法を公布 して 1 8 9 9 年か ら施行す るとした。 同法 では新たに輸入税を品 目別に従価 5‑4 0% ,主 として2 0% 前後, もし くは同程度 の従量換算額 にする とし, また輸出税 の全廃 も定めていた。

だが, 日本は改定通商航海条約 の調印 と併せて 別に イギ リスや ドイツな ど 4 カ国 との間で重要 輸入品を対象 とす る従価 1 0%の依然 として片務 的な期間1 2 カ年 の協定税率を定めた追加条約 の 締結を余儀な くされていた。 したが って,それ が失効す る 1 9 1 1 ( 明治 4 4 ) 年 までは関税 自主権を 完全に回復す るまでに至 らなか ったのであ 8 3) a

この よ うな関税制 と税率をめ ぐる一連の 「 改 正」経過の中で,本論 の検討す る洋紙輸入税に ついて も,国内産業の保護,育成の観点か ら税 額改訂 の動 きが見 られた。 しか し,その税額を め ぐっては印刷用紙,なかで も新聞用紙につい て国内産業問に利害の対立が顕在化 した。 国内 の新聞用紙 メーカーが税額の引上げを要望 した のに対 して,新聞業者は引下げを主張 して譲 ら なか った。その上,新聞業者は 「 関税改正」問 題 に取組む国内の政治動向に,言論報道機関 と

して多分に深 く構造的な関わ りを もっていた。

因 って,新聞用紙 についての 「 関税改正」は国 内の洋紙製造業界 よ りも新聞業界の意向を強 く 反映 した方向でなされた。新 聞用紙 の国内 メー カーは, この よ うな新聞業界 の意向 と折 り合い をつけなが ら産業 としての 自立的な発達をほか っていかねばならなか った。本論の課題は近代

製紙業経営史 との関わ りの中で, この新聞用紙 輸入税をめ ぐる第二次世界大戦前の国内製紙業 と新聞業の対立関係 と市場の構造的な特徴を歴 史的に解 明,考察す る ことにある。

目 梨粧,新聞業 の雁行的発達 と関税問題

明治初期に民業 として創業 された国内の洋紙 製造企業は,技術や原料資源,市場な どの制約 か ら暫 く一様に不安定な経営を余儀 な くされた。

初期 の各 メーカーは 1 8 7 6 (明治 9) 年に政府 よ り 「 地券」用紙 の製造を受注 して累積欠損を償 却 したが,それに先立ち一部の メーカーは既に 新聞用紙の製造を手掛けていた よ うである。 だ が,当時の新聞は有力紙で も 1 日当 りの発行部 数が付表の よ うに未だ殆 ど 1 万部以下に過 ぎな か った。新聞用紙 としては一部で和紙 もあった が,多 くは イギ リスな どか らの輸入紙が使われ て,国産洋紙になると未だ品質な どで難点が多 か った。 外 国紙は輸入税が 1 8 6 6 年以来の 「 元 代 」 ( 輸出地での市価)を基準 とした従価 5%

に過 ぎず, 価格面 で も 強い競争力 を もってい た4 ) 0

但 し ,1 8 7 7 年の西南戦争に際 しての戦況報道 な どに よって国内の新聞業が徐 々に発達を見せ る と,国産洋紙 も次第に販路を拡 げてい くよ う にな った。 国内 メーカーに よる新聞業者や印刷 請 負業者‑の販売は初め直売の方法が多 く採 ら れたが,やがて独立洋紙商経 由の方法が一般化 して, メーカ‑の特約洋紙商 も現れ るよ うにな った。洋紙商は単に新聞用紙 の流通を仲介 した に止 まらず,新聞用紙を作 る裁断業 も併営 した。

これは当初 の新聞が発行元 ごとにサ イズの異な る平判紙に印刷 されたためであ が ) .

2)3 )大蔵省編 『 明治大正財政史』第 8巻,経 済往来社 , 1 9 59 年, 1‑4 9 ,1 5 5 ‑1 8 6,57 5 ‑61 5 見 通商産業省編

『 商工政策史』第 5 巻,商工政策史刊行会,1 9 6 5 年, 3

‑ 8,2 0 0 ‑2 2 5 ,2 3 3 ‑2 50 ,2 7 4 ‑2 80 , 4 2 7 ‑4 5 2 , 4 85

‑5 4 6 貫。 「 洋紙輸 入税 の沿革」 (日本製紙連合会 『 紙業 雄志』第 1巻 第 1 号,1 9 0 6年, 3 貫。

‑ ガ

4 )成 田潔英 : 王子製紙社 史』 第 1巻, 王子製紙, 1 9 5 7 午,1 0 3 ‑1 1 6 頁。前掲 :明治大正財政史と 第 8 巻, 1 5 8

‑1 6 9 頁。

5) 大 日本印刷編刊 『 七十五年 7 )歩み一大 日本印刷株式会 社 史』1 9 5 2 年,1 9 ‑2 5 頁C前掲 『 王子製紙社 史』第 1巻, 1 1 0 ‑1 1 3 ,1 8 7 ‑1 9 8 頁。前 田和利 「 洋紙流通枚情 の形戎 過程」 (指句大経営研究ご第11 巻 第 2・3 号,1 9 8 0 年,1 6 2

‑1 6 5 貢。 日本紙パル プ商事編刊 『 百三十年史 』 1 9 7 5 年,

4 8 頁。

(3)

慕‑ 全国有力新聞の 1 日当 り発行部数 ( 概数) ( 単位 :1万部) 大阪毎 日 J #京 日日l報 知 J読 売 朝 野 恒 事新報l万朝報 l中 央

0 . 3. ‑0 . 6 0. 9 ‑1 . 1 1 . 8‑2 . 1 2 . 4‑3 . 3 2 . 9‑3 . 4 3 . 5 ‑4. 6 5 . 0‑6. 6 5 . 8‑7 . 6 6. 9‑1 0 . 2

9. 9. ‑1 2 l l . 3‑1 2

1 1 . 9 1 0 . 4‑1 3 . 2 1 3 . 3‑1 4. 3 1 3 . 7‑1 5 . 8 1 6‑3 0 1 8 , 3. ‑3 5 1 9 . 9‑21 2 4. 1 ‑2 9 . 6 31 . 6‑3 5, 8 3 4 . 1 ‑3 9 . 6 4 4. 5‑5 7 . 8

5 8 . 5 7 5 . 4 85 . 6‑1 2 6 . 1

9 6 . 6 91 . 4 1 0 4. 1

8) . 8

1 . 8 1 . 4 3. 3‑6

5 . 6 5 . 9‑7 . 1

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0 7 8 6 2 1 1 2

3 5 6 5 1 1 1 1

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3 6 6 4 2 1 1 1 1 2

0. 4

寧 薬 3 81 5 6 0 誓

2 0 2 ‑ . 3 01 2〇 〜2 0 ' 5L8‑9

( 注) 数値は一定期間の平均部数, もし くは特定 日の部数である。以下 の文献か ら作成。別掲 『近代 日本 の新聞 広告 と経営』。同 『 近代 日本の新聞読者層』。 同 『 新聞大観』第 1集。 日本新聞販売協会編 『新聞販売百年史 』 1 9 6 9 年。 『紙業雑誌』第 1 8 巻第 7 号 ,1 9 2 3 年。別掲 『毎 日新聞百年史』。同 『 読売新聞百年史』。同 『読売節 聞八十年史』。品川弥千江編 『東奥 日報 と昭和時代 ( 前期) 』1 9 7 9 年。山本武利 「新聞産業の形成過程」( 『 東 大新聞研究所紀要』第1 9号 ,1 9 7 0 年)。別掲 『日本広告発達史 ・上』。同 『日本新聞百年史』,大阪毎 日編 『 大 阪毎 日新聞五十年史 』1 9 3 7 年。別掲 『日本新聞発達史』

その頃の新聞用紙取引の例 として 1 8 7 9 年の製 紙会社 ( 後の王子) と報知社 ( 郵便報知新聞) の場合は, メ‑カ‑直売で 「 長壱尺六寸 r T ] 弐尺 弐寸 」 ( 4 8 . 5 C 皿×6 6 . 7 c m ) の新聞用紙 6 0 リーム (3 万枚)を毎月 5 日頃 までに納入 し,毎月 3 0 日に代金 1 20 円を受取 る契約であ った。 メーカ

な ど。

‑ほ地方の新聞業者な どへの直売契約にな ると

「 手付金」支払いを要求 した例 も多か った。但

し,当初 の メーカーと新聞業者や洋紙商 との取

引関係は未だ必ず し も恒常的,系列的にな って

お らず,多分に単発的,随意的であった。 メー

カーと洋紙商 の特約関係 も双方が複数 の相手 と

(4)

近代 日本の製紙業 と新聞業の洋紙輸入税 をめぐる対立関係

同様 の特約を結んだだけでな く,特約洋紙商の 多 くが輸入紙 も同時に取扱 っていた。 また,新 聞業者の方で も輸入紙を含めて新聞用紙の買付 先を特定 しない場合が多か った よ うである

6)

ところで, 国内製紙業界では主たる販路を当 初の官需か ら民需 向けに移す中で,やがて輸入 紙 関税 の引上げを求める意見が現れた。神戸製 紙所 ( 後 の三菱製紙所)を経営す るア メ リカ人 貿易商 ウォルシ兄弟の兄 ・トーマスは 1 8 8 0 年に 製紙会社支配人 の谷敬三 と輸入税 問題について 懇談 し,それを伝 え聞いた製紙会社代表取締の 渋沢栄一が 「 政府へ建言 も致 し度」 と彼に 「 高 論」を書簡で問合せ ると,輸入紙 1 ポン ド当 り 新たに 2‑3 セ ン トの従量税賦課に よる国内製 紙業の保護を提言 した。その提言は 日本の関税 自主権回復を前提 とした ものなので,直ちに実 現で きるものではなか った。 しか し,既 に別の 拙論 で検討 した よ うに,それ以後 トーマス と渋 沢を中心 として製紙所連合会 の結成がはか られ てい ったのである 7) 。

製紙所連合会は設立 と同時に新聞用紙な どの 販売価格協定を実施 して市価の統制な どをめざ した一方で ,1 8 8 1 年に東京売捌人仲間 ( 東京洋 紙売捌商組合) との間で 「 東京売捌商組合‑‑・

可成輸入紙 ノ取扱 ヲ減却スル コ トヲ努 メ」 とし た申合約束を結び, 「 輸入紙防禦法併に内国製 紙販売会社設立」について も一応 の合意を得た。

だが,売捌人仲間側は後 日になると 「当今本邦 製紙 の景況にては到底輸入の防禦は至難」 とし て販売会社設立の合意取 消しを伝 えた。事実, 当時低廉なベルギ ー紙 の輸入が増えて,製紙所 連合会側 の販売価格協定 も所期 の成果をあげて

6) 成田潔英 「 研究から生産まで一新聞用紙」 ( 高分 子 学 会 『 高分子』第 5 巻 ,1 9 5 6 年, 4 4 ‑ 4 5頁) 。 前掲 「 洋賦 流通機構の形成過程 」1 67 ‑1 6 9 貢。前掲 『 百三十年史』

5 5 ‑5 6 貢。大阪朝 日新聞社編刊 『 五十年の回顧 』1 9 2 9 年, 39 7 貢。

7)8) 前掲 「 製紙所連合会の設立 と価格協定 」4 4 ‑づ2 貢。

前掲 『 王子製祇社史』第 1 巻 , 1 81 ‑1 8 7 貢 。 「 明治 1 4 年 4 月 1 0 日 製紋所連合会議案 」 ,1 8 81 年 6 月 7 日売捌人 附番よりの書簡 ( 『 浅野家有恒社 製紙所連合会書類 自 明治 1 3 年至同 2 0 年 5』1 8 8 0 ‑1 8 8 7 年,所収 ) 。 「日本封 紙所連合会の起源及其事業」( 『 賦業雑誌』第 1 巻第 1 号.

1 9 0 6年 , 81 9 頁) 。前掲 「 研究か ら生産まで 」 45 頁。

いなか った。その頃に横浜や神戸 の外商たちが 盛んに輸入 していたのは四つ切 りで新 聞用紙 の 普及寸法にな った 「 三 々判 」 ( 別名が新 聞判, 7 0

c

m×1 0 0c m),新 聞紙面 の拡大に よ り二つ切 り で使われ るよ うにな った 「 菊判 」( 6 4 c m×1 1 8 c m ) な どの平判紙 であった

8)

0

製紙所連合会は,そ こで製紙会社が起草 して 神戸製紙所を除 く加盟 メーカー 5 社 の代表者が 連署 した輸入紙増税嘆願書を渋沢栄一の仲介で 1 8 8 2 年 4 月に外務卿の井上馨 と大歳卿の松方正 義‑提出した。その主 旨は,国内製紙業の保護 を 目的に 「 下等印刷紙」を中心 とした輸入紙に 重量 1 ポン ド当 り 2 . 5 銭の従量税賦課を求めた ものであ った。 当時輸入紙の平均価格が 1 ポン ド 1 2 銭位に下 っていたので,それに当てはめる と従価 2 0% 程度に相当 した。 ちなみに,政府で も既に関税改訂 の試案 として 1 8 7 3 年に 「 匂紙」

を従価 1 5 % , 「 版下用紙及書翰用紙」を同 7 . 5 % , 1 8 7 9 年には 「 書籍及新聞用紙」を同 2 0 % とす る 輸入税の引上げを検討 してお り,それは特に唐 突な請願 ではなか った と思われる。 しか し, 日 本の関税 自主権喪失に よって,政府 として も当 面如何 ともし難か った よ うで何 ら具体的な反応 がな く終 った9 ) 0

ところで, この時期になると国内新 聞業の発 達は新たな局面を見せ るよ うにな った。東京 日

日や郵便報知 ( 1 8 9 4 年報知新聞 と な る),朝野 な ど政論中心 の紙面で従来知 られて きた 「 大新 聞」が 自由民権運動の衰微 とともに読者離れに 直面 した一方で,大阪朝 日や読売な ど通俗的記 事 を中心 とした紙面 の 「 小新聞」が次第に読者 を増や し始めた。なかで も,大阪朝 日は付表の ごとく 1 8 8 3 年か ら‑ 日当 りの発行部数が 2 万部 を上 回った。 この よ うな 「 小新聞」 の伸長を契 横 にして,それ以後 「 大新聞」紙面の 「 小新聞」

化や逆に 「 小新 聞」紙 面の 「 大新聞」化に よっ て 「 中新聞」の登場が促 され るとともに,購読 料引下げに よる販売競争 も激 し くな った。当時

9 ) 前掲 『 王子製祇社史』第 1 巻 ,2 2 2 ‑2 30 貢。前掲 「 製 紙所連合会の設立 と価格協定 」5 6 ‑57 貢。前掲 「 洋紙輸 入税の沿革」 4頁。

‑ P I

(5)

読者離れで低迷 した郵便報知は ,1 8 8 7 年の購読 料 引下げに よって発行部数を 1 万部以上に伸ば して注 目された。 この よ うな発行部数の増加は

1 部当 りの発行 コス トの逓減化につなが った と 解 され るが,それに先立 っての購読料引下げが 発行 コス ト削涼の取組みを先行的に必要 とした のは想像に難 くない。そのために よるもの と推 測 され るけれ ども,報知では 1 8 8 8 年に新 聞用紙 を フラソスか ら大量輸入 した。 この輸入は外商 が輸入済みの現物をただ買取 ったのではな く, 国内の新聞業者に よる最初の前 以て発注 した輸 入であった と思われ る 1 0 ) 。報知 の輸入価格は不 明であるが,外紙 の輸入増加に よって国内の新 聞用紙市価が下落 した ことか ら見て, 国産紙 よ り割安であ ったのは確かであろ う。報知に とっ て割安な輸入紙の使用は長期安定的買付け先の 確保 とい う点 で難があ った ものの,発行 コス ト の削減に一応 の短期的効果があ った と見 られ る。

報知については不 明ながら ,1 89 3 年の大阪朝 日で は新聞用米代が事業窪費の 39% を 占めていた

11)

0

新聞業の発達に とっては 1 8 9 0 (明治 2 3 ) 年末 か らの帝 国議会 開設 も大 きな支えにな った。そ れ以後 の新聞は議会関係記事の掲載に よって政 治 情報 の 日常的な伝達媒体 として読者層を拡 げ た。 なかで も,東京朝 日は 1 台が従来使用 して いた平台 (円筒 (ロール〉式) 印刷 倣2 5 台分 に 相当した 1 日当 り 4 ページの 2 枚掛けで 2 . 5 万 那 (1枚掛けでは 1 .5 万部)の印刷能力を もっ た フランス製 マ リノニ式輪転機を議会の開設に 先行 させて導入 し,新聞製作におけ る一層の迅 速化 大量化を実現 した。大阪朝 日や大阪毎 日 もやがて追随 して輪転 印刷 を開始 したので,節 たに新聞用紙 として巻取紙が需用 され るよ うに な った 1 2 ) 。だが,国内の新聞用紙 メーカーは巻

1 0) 山本武利 ; 近代 日本のgr . " J読者励 法政大学出版見 1 981 年・63 ‑90 貢.読売新聞社絹刊 F 読売新聞1 0 0 年史』

1 97 6 年,1 7 0 頁。報知gr 詞社

刊 丁 報知七十年』1 9 4 1 年, 1 5 6 貢。

ll )前掲 ぎ 王子2相 社史:第 1巻.1 1貢。鈴木尚夫拓 冒 現 代 日本産業発達史HI 紙 ・パルプム交絢社出版局.1 96 7 年.1 1 4 頁。朝 日新聞社編刊 F 近代 日本の新聞広告 と蓮 営‑朝 日新聞 を中心に』1 9 7 9 年,1 3 0頁。

1 2 ) 日刊t uT l r C通T F吐〟 刊 :臼本坊仰販売史B 1 931 年 , 2 ∞

取紙需要への対応が遅れた。製紙会社は東京朝 日に巻取紙を供給 したが,未だ木材パル プを主 原料 とし得 なか った技術や原料面の制約か ら量 産化に手間取 った。 また 1 8 9 0 年に創業 した富士 製紙 も似た よ うな状況にあった と思われ る。そ こで朝 日では横浜の東洋商会を介 して フラソス か ら新聞用巻取紙を輸入 し,その不足分を補な わ ざるをえなか った。朝 日か らの再三再四の督 促に も拘 らず,製紙会社の‑ 日当 りの巻取耗製 造高は 1 89 2 年末にな って も 1 0‑ 11本に止ま り, その内の 5 本を大阪朝 日 , 4 本を東京朝 日や同 系 の国会新聞向けに して手一杯であった。そ こ で当時の同社 では製造高を 1 7‑1 9 本まで増やす べ く工場設備の増強を急いでいた 1 3 ) 。

この よ うな新聞業の発達に雁行 させた対応 と は別把,国内の製紙業界は帝国議会の開設に合 せて 1 891 年 1 月に貴衆両院へ 「 輸入洋紙税額改 正之義 二付請新書」を提出 したo製紙会社や富 士製紋,有恒社 ( 1 8 7 4 年創業),千寿製紙 ( 1 8S 8 年設立,創業は 1 8 91 年 4 月),四 日市製紙 ( 1 8 3 9 年創業)の 5 社代表者が連署 した詰新書は,現 存 している校正用の文面で見 る と 「 私共‑小的 大紋 卜相抵抗 シテ幾多 ノ難苦 ヲ嘗 メ以テ今 日二 及 フ ト雄 モ常 二輸入紙 ノ為 メニ需給 ノ権衡 ヲ擾 乱セ ラレ蛎 モスレ‑私共 ノ営業 ‑一敗地 二塗 レ ソ トスル ノ状況 二之 レ有 り侯 ・ ‑我製紙 ノ如キ吾 邦 巳二其生産 アルモ ノニ‑保護 ノ旨趣 ヲ以テ同 一 ノ輸入品 二対 シ相当 ノ課税 セ ラレソコ トヲ要 ス ト錐 モ奈何セソ現今 ノ税率‑原価 ノ五歩 ニシ テ是 レ極 メテ軽税 ナ レ‑固 ヨ リ前述 ノ目的 ヲ達 スル 二足 ラス候」 と述べ , 「 普通紙 頬 」(重量 1 ポソ ド当 りの 「 原価」が 4‑ 1 1鋲の 「印刷用紙」

と同 8‑1 8 銭の 「 筆記用紙」を普通紙 と見た) について同 1 ポン ドに付 き 1 . 5 銭の輸入税賦課 を求めた。 また従来の従価課税方式については,

‑201 頁。朝 日新聞大阪本社編刊 町 村山喜巨 平伝ユ1 9 5 3 年, 2 1 6 ‑2 47 頁。 日本新閏連盟福刊 Tロ本新聞百年史j l1 9 62 年,5 1 3 151 5 貢。毎 日新聞社編刊 丁 毎 日新 聞 百 年 史‑ : 1 9 72 年,4 53 頁。

1 3 )前掲 F 王子製紙社史j第 1 巻,32 3 頁。第 2 巻, 1 9 57

年,1 41 ‑ 1 45 貢。朝 日新聞社編刊 『 上野理‑伝31 95 9年,

3 78 ‑37 9 貢。前掲 F 百三十年史c l1 04 ‑1 05貢。

(6)

近代 日本の製紙業 と新聞業の洋耗輸入税 をめ ぐる対立関係

「 紙類 ノ品位‑其等差 明著ナ ラス鑑別 シ易スカ ラサル老ナレ‑送状 二価格 ヲ低記 スル弊貴行‑

レ易 ク縦令‑之 レニ二割三割 ノ従価税 ヲ課 スル トモ原価 ヲ低記 スル トキ‑其税 モ亦之 レニ応 シ テ幾分 ヲ免 レ得 レ‑ナ リ」 と不備を指摘 した

14)

0 しか し, この請扉 は後年において 「 是は条約改 正 問題にして,帝 国議会の権能に属せず,徒爾 の請願な りLが如 し」 と評 された よ うに,依然 具 体的な成果 を得 られずに終 った 1 5 ) 0

ところで,当時 の 『東京経済雑誌』では, こ の請願について国内製紙業界 の抱えている産業 的困難がむ しろ 「 製造上の熟練を謀 らざる」 と

「 価格の大に低落せ ざる帳簿用,苦学用,及び 書簡用等の洋紙を製造せ ざるが為めな り‑是れ 宜 し く我が 内地洋紙製造家の競争を試むべ き所 な らずや」 と批判的に論 じていた 1 6) 。 こ うした 論 調か らも伺えるよ うに,国内の製紙業 と需要 者であ る新聞や雑誌 出版業の雁行的発達は,そ の一方で輸入紙 の関税問題をめ ぐって次第に利 害 の対立を表面化 させ始めていたのである。

日 洋祇輸入税 をめ ぐる国内利害の対立

1 8 9 0 年代になる と,国内の新聞業界 では東京 や大阪 とい った大都市部を中心に不偏不党の中 立的報道を重視 した 「中新聞」 の台頭が進んだ。

1 89 4 (明治 2 7)年か らの 日清戦争は戦況 の速報 競争を通 じて新聞の商業主義化 と大衆化に拍車 をかけた。 この時期 に有力紙 の 1 日当 り発行部 数 は付表 の よ うに大阪朝 日が 1 0 万部前後,大阪 毎 日や東京朝 日,万朝報 な ども 4‑ 6 万部台に 増 えた。 また先述 の朝 日や大阪毎 日に続いて, 東京 日日や報知,時事新報 な ども輪転 印刷を開 始 した り,準備す るよ うにな った 1 7 ) 0

しか るに,国内の新聞用紙 メーカーは依然 と

1 4 ) 『自明治 1 3 年 至明治 3 1 年 旧聯合会重要保存書類』

1 8 8 0 ‑1 8 9 8 年,所収。

1 5 )王子製紙編刊 『日本紙業総覧』1 9 3 7 年版,6 4 8貢。

1 6)浜 田徳太郎 『 紙業界五十年』博退社,1 9 3 7 年,5 2 ‑5 3 頁0

1 7 )前掲 『日本新聞百年史』51 5 貢。

して新 聞用巻取紙 の量産化に手 間取 っていた。

1 89 3 年 までには王子製紙 (同年に製紙会社を改 柿)のほか,富士や四 日市製紙な ども巻取紙を 生産す るよ うにな っていたが,技術や原料面の 制約か ら 日清戦争期の需要増加に十分対応 で き なか った。そ こで朝 日は ドイツか ら巻取結を輸 入 した。 また平判の新聞用紙 まで生産が間に合 わず,王子の特約商の中井商店な ども地方の中 小新聞社 向けをア メ リカか らの輸入に頼 った。

そのため,王子は 1 895 年にな ると 「 今‑殆 ソ ド 年来 ノ取引 ヲモ謝絶 スル ノ止 ム ヲ得サル ニ至 レ

リ」ため として新聞用紙 の本格的な量産化を計 画 し,翌 1 896 年に静 岡県内で 日本最初の専門工 場建設に着手 した 1 8 ) 。

このよ うな国内の新 聞業 と製紙業 の展 開 とは 別に, 日本は既述の よ うに 1 89 4 年 イギ リスやア メ リカと調 印した改定通商航海条約 に お い て 1 89 9 年か らの関税 自主権の原則的な回復化を実 現 した。そ こで 1 89 7 年にな ると関税定率法を公 布 して ,1 89 9 年か らの各種輸入税 の引上げ と輸 出税 の全廃を前以 って定めた。 同法は 「印刷料 紙」の輸入税を 「 其 ノ他各種 ノ紙類」 な どと共 に従価 1 5% まで引上げていた。その際の課税元 価 は 「 仕入地,産 出地若 ク‑製造地 二於 ケル原 価 二荷造費,運送費,保険料其 ノ他輸入港 二到 著 スル迄 ノ諸費 ヲ加‑テ算定 ス」 とされた。但 し , 「 従量税 ヲ以テスル ヲ便宜 トスルモ ノ ‑ 勅 令 ヲ以テ‑六箇月以上 ノ平均価格 ヲ算出シ附属 税表 ノ税率 二基 キ之 ヲ定 ム」 とし ,1 89 8 年 の勅 令第 22 0 号にて 「印刷料紙」は 1 897 年 の平均価 格を基準に算定 した 1 00 斤 ( 約 1 3 2. 3 ポン ド) 当 り 1 .75 7 円の従量税が適用 され ることになっ た。 しか し,その後 イギ リスや フランス, ドイ ツと結ばれた追加条約は依然 として 日本側の片 務的な協定税率の規定を残 して い た。 「印刷料 紙」の輸入税 について も, イギ リスとの追加条 約は 1 00 斤当 り 1 .1 6 3 円, ドイツとになると 「 一 枚 1 086 万 インチ ( 0. 7 平方 メー トルー 引用老記)

1 8 ) ̲ 前掲 『 百三十年 史二1 0 5 ‑1 0 6,1 2 4 ‑1 2 5 頁。島田林太

郎 『 思い出の債』1 9 5 6 年,1 8 ‑1 9 頁。前掲 『 王子製紙社

史』第 1巻,3 2 4 ‑3 2 5 頁。第 2 巻 ,1 7 ‑2 0 貢。

(7)

図一 洋乱 新聞用杜の製造高,輸入高の推移

1 6 0, 0 0 0 1 4 0, 0 0 0 1 2 0, 0 0 0 1 0 0, 0 0 0 8 0, 0 0 0 6 0, 0 0 0 4 0, 0 0 0 2 0, 0 0 0 1 8, 0 0 0 1 6, 0 0 0 1 4, 0 0 0 1 2, 0 0 0 1 0, 0 0 0 8, 0 0 0 6, 0 0 0 4, 0 0 0 2, 0 0 0

1 8 7 5 1 8 8 5 1 8 9 5 1 9 0 5 1 91 5 1 9 25 1 9 3 5 別掲 『日本紙業総覧』,同 『王子製紙社史』第 4 巻 ,『経済雑誌 ダイヤ モ ン ド 」 】1 9 2 4 年 1 0 月 1 日号 より作成。

(8)

近代 日本の製紙業 と新聞業の洋薪輸入税 をめ ぐる対立関係

ヨ リ少 カラサルモ ノ五百枚毎 ニ2 4 ポン ド以下 ノ 重量 ヲ有スル」 ものを 1 0 0斤当 り 0 . 8 円,新聞 用紙な どの該 当した 「 其 ノ他各種 ノ印刷料紙」

を同 1 . 1 6 3 円 と定めていた。 この新たな協定税 率は, さらにア メ リカな ど他国 との交易に も夫 々の改定通商航海条約に規定のあった 「 最恵国 条款」 に もとづいて適用 された。 そ の 結 果, 1 8 9 9 年か らの 「印刷料紙」輸入税 の引上げは実 質になると従価 1 0% 程度に抑 えられたの で あ る 1 9) 0

国内の製紙業界に とって, それで も洋紙輸入 税 の引上げは長期的に見 ると一応 朗報であった と思われ る。 日清戦争を契横 とした洋紙輸入の 増加は付図の ごと く戦後 も暫 く続いていた。 な かで もア メ リカや ドイツか らの新聞用紙輸入が 増 えた 。1 8 9 8 年には翌年か らの輸入税引上げを 見越んでア メ リカか らの輸入が特に多か った。

国内の有力新聞業者の多 くは輸入紙を国産紙 と 当時臨模応変的に併用 していた。そ こで, この 併用が戦後にな ると国内 メーカ‑に値引 きを求 め る有効な手段 と な った。 製耗所連合会 で は 1 8 9 7 年末に国内市価下落の懸念か ら輸入紙対策 を協議 し,有力洋紙商 5 社 に対 して輸入紙 「 中 央売捌所」 の設立に よる価格統制を提案 した も のの,洋紙商側が 国内 メーカーに よる直売 の全 廃を条件 としたので折 り合いがつかなか った 2 0) 。

国内製紙業界の受取 り方 と対照的に,新聞や 雑誌 ・出版業界では輸入紙の併用に妨げ と見 ら れ る輸入税 の引上げに当然不満であった と思わ れ る。 この よ うな輸入紙 の需要者側での不満は, 関税定率法が施行 された直後の同年 2 月の第 1 3

1 9 )前掲 『 明治大正財政史』第 8 巻,1 7 0 ‑1 87, 2 2 5 ‑2 32 , 57 5 ‑ 402 貢。前掲 『 商工政策史』5 7 5 ‑ 602 貢。前掲 『 米 業界五十年』2 3 3貢。

20 ) 「 製紙所連合会幹事 神戸製紙所二見昇書簡」1 89 8 年 1 1月 ( 前掲 『自明拍1 3 年至明治31 年 旧聯合金重要保存 書類』所収) 。 成 田潔英 『 洋紙販路の開拓 と実際一中井 商店史』稿本,1 9 6 5 年頃,59 貢。前掲 『 王子製紙社史』

第 1 巻,3 2 5貢.第 2 巻,3 9 ‑41 貢。前掲 『 百三十年史』

1 33 頁。「 米国製紙業の進歩 」( 『 東洋経済新報』第8 6号, 1 89 8 年 4月,22 貢) 。 「日本製紙連合会の起源及其事業 」 ( 『 紙業雑誌』第 2 巻第 5 号,1 90 7 年 7 月.1 9 0 ‑1 92 貢)。

前掲 『 近代 日本の新聞広告 と経営』1 81 貢。

回帝国議会におけ る衆議院での田 口卯書,名須 川良平の両議員に よる 「 印刷料紙」輸入税の全 廃化を求める関税定率法の一部改訂案の上程 と な って具体化 した。 「 新聞紙雑誌書籍等 ノ印刷 用 二供スル紙類 ノ輸入 二向テ課税 スル‑智識 ノ 発達 ヲ妨 ゲ文明進歩 ヲ害 スルモ ノ トス」が上程 の理 由 とされた。 しか し, それは国内の製紙業 界 に とっては, 「 寝耳に水を注がれた るが如 く, 泣面を蜂に刺 されん とした るが如 く,周章狼狽 の鉢な きを得 ざ りき」事件であった。製紙所連 合会加入 メーカーを中心 として未加入 メーカー

も加えた 「 全国製紙連合会」が急遠組織 されて, 政府 関係者や議員に 「印刷料紙 ノ無税輸入 ヲ非

トスル意見書」を配付 して反対を表 明した。そ の意見書は国内製紙業の 「 現状及発達」 と 「困 難 ナル実況」を先ず説 明し, 次に 「 新関税率協 定 ノ精神及印刷料紙 卜新関税率 トノ関係 」 ,

関税率 力紙価 二及ホス影響如何及従量税 日工於 ケル和斤英斤 ノ区別 」 , 「印刷料紙 ノ無税輸入 タ ラシムへ カラサル理 由及各国印刷料紙 ノ輸入税 目 」 , 「 英国二於 テ紙税 ノ廃止‑我 力新関税率 二 適用 ス‑ カラサル理 由 」 , 「 新聞用紙 ノ ミノ無税 輸入‑行‑ル‑ カラザル理 由 」 , 「 結論一 製紙業 発達 ノ必要及其重要輸 出品 トナル‑キ時機」 と 項 目分け して具体的に論 じた ものであった。そ して既に公布 されていた 「印刷料紙」の国定輸 入税引上げに際 しての製紙業界の関与について ち, 「 製紙業者‑政府 ノ為 ス所 二一任 シ敢 テ其 業 ノ為 メ保護 ヲ求 メタル コ トナ ク議会 力関税定 率 ヲ定 メ若 ク‑政府 力英独 卜協定税率 ヲ約定 ス ル方 ニテモ印刷料紙税率 ノ高低 ヲ論争 スル所 ア ラザ リシ‑世人 ノ公認 スル所 トス即 チ此税率‑

政府 力自由 ノ意見 ヲ以 テ之 ヲ定 メ当業者亦之 二 悦服 シテ敢 テ竃 モ税率引上 ケヲ請求スル ノ意ア ル ニア ラス唯 夕新関税率実施 ノ恩沢 二均箔 セ ソ コ トヲ厩 フノ ミ」 と専 ら受身的姿勢 を 強 調 し

た 2 1 ) 0

この よ うな具体的,多面的な意見の開陳は, 田 口な どに よる法案上程に呼応 して出された国

21 ) 「日本製紙連合会の起源及其事業 ・続」(噛モ 業雑誌』

第2 巻第7 号.1 9 07 年 9 月,2 85 ‑2 8 6

)。

‑ 2 1 ‑

(9)

内 メーカーへの批判を多分に意識 したため と思 われ る。批判 として輸入紙増加の原因は 「内地 の製紙業者が物価 の騰貴を 口実 として不 当の暴 利を貴 り頻 りに紙価を昂騰せ しめた」ためで,

「 関税増加の結果 としで ‑新聞雑誌 の原料品は

・ ・ ・ 香 移品の如 きと同一の関税を負担せ ざる可 ら ざるか,不 当 も亦た甚 し」 とした ものな どがあ っ た 2 2 ) 。

国内製紙業界に よる反対運動に対 し て , 「 東 京新聞業者」か らは 「内地 二於 テ木材原料 ヲ以 テ製紙業 ヲ営 ム トキハ百斤 ノ原価三円 ノ上 ヲ出 ヅル コ トナ シ‑製紙業者 ガ現行 ノ重税ヲ維持セ ン ト主張 スル‑外国紙輸入 ノ道 ヲ杜絶 シテ百斤

・ )売価 ヲ六七 円ニモ高 メテ暴利 ヲ貴 ラ' / トノ意 ナ リ」な どとす る反論が出された。そ こで 「 全 国製紙連合会」は 「 輸入税全廃論 二対 スル弁 明 書」を追加配布 して,新聞業界か らの反論に対 応 した。東京商業会議所や東京洋紙商組合 も未 読院に対 して独 自に法案の反対を建議 した り, 請願 した2 3 ) 。

田口,名須川議員が 5 8 名の議員に よる賛成署 名を得て衆議院に上程 した 「印刷料紙」輸入税 の全廃化法案は,調査委員会に検討が付託 され た。上程 当初には衆議院の議員定数 3 0 0 名の内 で憲政本党 (旧進歩党)を中心にして 8 9 名の賛 成者が一応見込 まれていた。同院の党派別議席 数は当時 の第 2 次山県内閣 と提携関係にあった 与党的立場の憲政党 (旧 自由党) と国民協会が 1 1 9 と 1 9 ,野党的立場の憲政本党 と日吉倶楽部 が 1 2 3 と 1 2 ,無所属が 2 7 であった。そ して先の 8 9 名以外の議員については 「 意向は未だ容易に 測知すべか らず」 とされた。其 の内に,憲政党 では内閣が 日清戦後政策 として各種 の増税 を企 図していたのに同調 した と思われ るが,党議に ょって 「 免税に反対す る意見」を表 明した。困 って,法案は議会の会期終了を名 目として結局 成立までに至 らなか った 2 4 ) 。

こ うした一連の経過の中で,国 内の製紙業界 は結果的に 「印刷料紙」輸入税の引下げを阻止 で きた。だが, 日本製紙連合会の機関誌が後年 に , 「 従来我製紙業者は政治問題に対 し極 め て 冷淡な りLを以て・ ・ ・ 其注意及び運動は甚だ粗慢 迂閥な り」 と回教 した よ うに対応が後手に回っ たのを否めなか った。事実,製紙所 連 合 会 は

「 此度の事変につ き頗 る悟 る所あ り,残分経費 を増加 し以て将来の発展 を期せん」 との理 由で 1 8 9 9 年 5 月に 日本製紙所組合‑改組 され,次い で11 月には 「 現行関税法の変更運動に対 してほ 之 に反対す る方針を採 り之に反対す る運動を為 す事」 として王子製紙,富士製紙な どの 5 社に

「 其運動を一任」す るよ うになった 2 5 ) 。 ところで,洋紙輸入量は前図に見 られるごと く 1 8 9 9 年 になると前年の見越 し輸入の反動に よ り激減 し, ア メ リカか らの新聞用紙輸入 も途絶 した。 しか し ,1 9 0 0 年には北清事変に際 しての 新聞用紋需要の増加を反映 して,洋紙輸入が再 び増加す るな ど一進一退状態を示 したOその間 の国内新聞用紙市況は同事変によ り一時的な活 況を再び示 した ものの,国内メーカー間の売込 み競争が激 し く概 して低調であ った 。1 9 0 1 年に は王子 と四 日市両製紙 に よる大阪朝 日‑の売込 み競争が過熱化 し,大阪朝 日に商談の主導権を 握 られ るよ うにな った。そ こで王子 と富士, 四 日市の 3 社 に よる新聞用紙共販機関 として共同 洋紙会社が同年 1 0 月に設立 されたのである2 6 ) 。

内 政治力格差 と輸入税 引下げ

国内の新聞用耗 メーカーは 1 9 01 (明治 3 4 ) 午

22 ) 「 印刷用紙輸 入税全廃意見」 ( 庁 東洋経済新報B 第 11 6 号 ,1 8 99年 2 月 ,3 6 ‑3 7 貢) 。

2 3 )前掲 「E l 本現総連合会の起源及其事業 ・ 続 」 ( F 紙業雑 誌J第 2 巻第 7 号 .2 8 9 ‑2 9 0貢。第 2 巻第 8 号 ,1 9 0 7 年 1 0 月.㍊7貢)。

‑ 2 2‑

2 4) 同前誌,第 2 巻第 8 号 ,3 3 7 ‑3 3 8 貢。林茂他編 『日本 内閣史 凱 第 1 巻,第一法規 出版 ,1 9 81 年 ,3 2 0 ‑3 2 6 瓦 25) 前掲 「日本製紙連合会の起源及其事業 ・続」( 碓モ 業隷 誌:第 2 巻第 8 号 ,1 9 0 7年 1 0 月. 3 3 8‑3 4 2 頁) 。拙論 「 第 1次大戦期前の 日本製紙連合会̲ ( 冒 経営 史学i l第 1 6 巻第 3 号 ,1 9 8 1 年 ,1 2 ‑1 3 貢)。

2 6 ) 「 本邦印刷料紙 の産額及西洋紙輸 入の概況」 ( F 東洋経 訴新報』第 1 3 9 号 ,1 8 9 9年 1 0 月 ,2 8 頁) 。前掲 J 洋紙販路 の開拓 と実際 』8 6 貢Q西鳴束洲 F 通俗紙業発達 如 紙業 新聞社 ,1 92 6 年 ,61 貢.前掲 冒 王子畢I l 紙社 史』第 2 巻, 1 2 2 ‑1 2 3 頁。拙論 [ 戦前期 日本における新聞用紙共, E Bカ ルテルの展開」 ( 明治大学 F 経営論集B第 31 巻第 4号.

1 9 84年 . 6 8 ‑7 0 貢) 。

(10)

近代 日本 の製紙業 と新 聞業の洋紙輸入税 をめ ぐる対立関係

以降,共同洋紙を通 じた共同販売に よって新聞 用紙市況の統制を企 てるよ うになった。 しか し, その統制効果は既 に別の拙論で検討 した ごと く, 輸入紙 との競合や大 口需要先である国内の有力 新聞業者に よる取 引桔抗力の形成が足伽 とな り,

メーカ‑問の表面的な販売競争 の抑制を別にす ると,第一次世界大戦後まで左程見 るべ き効果 の未だなか ったのが実情であった 2 7 ) 0

前掲 し た園の ごと く,新聞用紙を含む洋紙輸 入は 1 9 01 年以降 も一進一退の状態を見せたが, 1 9 05 年になると前年か らの 日露戦争 に よる国内 での新聞発行の活況か ら生 じた新聞用紙 の不足 化を背景に急増を示 した。その開戦直後はス ウ

ェーデンな どか らの新聞用紙輸入が途絶 し,そ れ まで輸入紙 をかな り併用 していた朝 日の よ う に国産紙 の新規買付けが困難で苦 しんだ例 もあ ったが,やがてア メ リカな どか らの輸入が増加 した 2 8 ) 。王子製紙 な どの特約店であった有力洋 紙商の博進社 では共同洋紙 の 在庫払底 に よ る

「 火急の際」 として,事前 に紙質な どの打合せ や指定 もせずに三井物産 の仲介にてア メ リカの ウ ィス コソシソ製紙 に新聞用紙 5, 000 トン ( 栄 トソとして 1 , 000 万 ポソ ド相当)の緊急輸入を 電報 で発注 したほ どであ った。 また,戦況報道 での写真掲載や印刷技術の向上 とともに良質の 新 聞用紙が求め られて,その点か らも輸入紙が 次第に選好 されてい くよ うにな った。 日露戦争 期に戦前比の平均で 36% の伸 びを示 した新聞用 紙 の国内需要において, 国産紙 と輸入紙 の供給 比は大体 8対 2 であった と言われてい る。但 し, ア メ リカか らの新 聞用紙輸入は 1 9 C ‑ 6 年に入 ると ア メ リカ市場での需要増大に よって途絶 し, ド イツやオース トリ7, ノル ウェーな どか らの輸 入が代 って増 えた 2 9 ) 。

2 7 ) 同前論文 ,7 0 17 2 貢 。

2 8 ) 前掲 訂 村 山音邑 平伝 L2 4 9 貫。 前掲 E 王子3' l 紙社 史』第 2 巻 ,1 7 3 貢o 「 北米合衆国新聞用怒最近十年史」 (F 紙業 雑誌コ第 3 巻第 2 号 ,1 9 0 8 年 4 月 , 61 7 頁) Q 「 新連合 会 の 目的事業」 ( 同上誌,第 8 巻 第 3 号 ,1 91 3 年 5 月, 1 0 7貢) 。 「 十年前 の我 が新聞紙」 ( 同上誌 ,第 9 巻第 7 号, 1 91 4 年 9 月, 2 頁)。

2 9 ) 浜 田徳太郎編 F 山本留次翁言行 録 』博退社 ,1 9 5 4 年, 61 ‑62 ,3 3 4 ,3 4 3 ‑3 4 4 貫d前掲 F 百三十年 史 』1 67 貢。

この 1 9 06( 明治 39 ) 年 には洋紙輸入税のあ り方 が再 び政治問題化 し, 国内の製紙業界は新聞業 界 の政治力に よ り遂に不本位 な新聞用紙輸入税 の引下げに直面 してい くことになった。新聞用 轟 氏の輸入税は,前述の ごと く欧米諸国 との条約 に よって 1 899 年以降 も 1 00 斤当 り 1 .1 6 3 円の 「 協 定税率」を適用 され ていたが, その適用満期で ある 1 9 1 1 年に先立 って政府では先ず「国定税率」

の方を 1 00 斤当 り 1 .65 円に引上げ よ うとした。

1 89 8 年の勅令第 22 0 号で同 1 .75 7 円 とされてい た新 聞用紙を含む 「印刷料紙」 の国定税率は, その後の価格変動を理 由として 1 9 03 年に 1 9 01 年 価格を基準 とした 1 .5 69 円に下げ られたので, それを引上げ戻 そ うとした ものであ った。政府 が税額 の引上げを再 び考えた事情は必ず しも定 かではないが,協定税率の適用満期後に備える べ く大蔵省の設置 した関税調査委員会が 19 06 年 の 「現行協定税率に関す る調査」で協定税率適 用に よ り発達を阻害 されているとした 1 2 種の産 業 ・製品分野に 「 紙業」を含めた ことも関係が あった よ うに思われ る。政府では 1 9 06 年 3 月の 第 2 2 回帝国議会に 「印刷料紙」の輸入税 引上げ を含んだ関税定率法 と付属輸入税表 の改定法案 を上程 したのである 3 0 ) 0

議会での法案審議 の大略は既 に拙論 31 ) で検討 したが,法案 の上程 に先立つ 2 月に新聞業の関 係者 よ り大蔵大臣に関税改訂 をめ く ・って要望の 開陳があ り,製紙業界に警戒心を抱かせた。但 し, その要望の内容は不詳 とされた。 日本製紙 所組合の閑東地区 メーカーに よる 会 合 で は,

「 大臣 ノ答弁並 二大蔵省 ノ意向等‑固 ヨリ聞知 スル ヲ得 ザ レ トモ察 スル ニ新聞業者 ノ希望/、 到 底我 々製紙業者 ノ為 二不利益 ナル主趣 タル ヲ免 カレサルベ ク万 々一大蔵省 力其希望 ノ一部 ダモ 採納 スル事共 ア ラバ容易ナ ラザル義 二付我 々同

浜 田徳 田郎 F 洋紙二十五年 史』博進社 ,1 9 3 6 年 ,4 5 頁。

前掲 「 十年前 の我 が新聞紙」 2貢。前掲 「 北米合衆 国新 開用紙最近十年 史 」7 貢。 「 欧米 は新 聞用紙 を輸 出せず」

( F 紙業耗謹』第 8 巻 第 3 号 ,1 91 3 年 5 月 , 4 貢)。

3 0 ) 前掲 『明治大正財政 史』第 8 巻 ,2 32 ‑2 41 .2 4 7 ‑2 4 8, 5 9 0‑ 6 02 貫。前掲 了 商工政策 史工第 5 巻, 51 3‑ 51 4 , 5 2 1 ‑5 2 4 頁0

31 ) 前 掲 「 第 1 次大戦期前 の 日本BL 転連合会 」1 5 11 7 頁。

(11)

業者 タル者此際予 メ相 当 ノ防衛策 ヲ講 シ置 クノ 必要 アルべ ク」 とした王子製紙 の意見が支持 さ れた。だが,その具体的な対策については , 「関 税 ヲ軽減 シテ政府 ノ歳入 ヲ減却スル カ如 キ希望

‑大勢 二鑑 ミテ政府 当局者 ヲ動 力スべ ク トモ見

‑ス且 ツ事 ノ真相未 夕不確実ナル今 日当方 ヨ リ 事 ヲ構 フル カ如 キ‑反 テ策 ノ待 タルモ ノニ非ザ ルべ ク」 として静観 の域を結局 出なか った。 し か るに新 聞業界 では,政府 が翌 3 月に新聞用紙 の輸入税 引上げを含めた法案を上程す ると.そ の引下げを逆に求め る意見書を貴衆両院の議員 に配布 して法案の 「 修正」を働 き掛けた。 この

「 東京各新聞社組合」の作成 に よる 「関税定率 法改正法律案中印刷料紙税率修正意見書」は, 政府 の上程 した 「印刷料紙」輸入税 引上げ案が 現行国定税率の従価 1 5% を換算 した従量税 とし て も,それが紙質の相違 な どを勘案 しない一律 課税 のために粗悪低廉な新聞用紙な どの税額 と して過大であると批判 した。そ して 「 吾 々当業 者‑最早一枚 ノ外 国印刷料紙 ヲモ用 フル能 ‑ザ ル ノ ミナ ラズ, 内地製品‑忽 チ之 レニ準 シテ価 格 ヲ昂騰 シ,一般新聞業者 ノ受 クル痛苦言 フニ 忍 ビザルモ ノアルベ シ」 と訴えた。 また,意見 書に添付 された「印刷料紙税率修正意見参考書」

では,新聞用紙 な どの輸入に対 して 1 0 0 斤当 り 1 . 1 6 3 円 とす る現行の協定税額を定めた際の換 算基準であった従価 1 0% がむ しろ妥当であると し, 「 新聞用紙」の 1 0 0 斤 当 り輸入価格を 7 . 8 5 6 円とすれば税額が 0 . 7 8 5 円 , 「 他 ノ印刷料紙」 も 同 じ く 1 5 円 とすれば 1 . 5 円にな るとした 3 2) 。

この よ うな 「 修正」運動を聞 き及んだ製紙業 界 では, 直ちに 日本製紙所組合の関東地区 メー カーが対応を協議 した結果 , 「 此際我 々製 紙 業 者 二於 テ 自衛 ノ為 メ黙止観過 スべキ場合 ニアラ ズ速 カニ対抗運動 二着手 シ防衛 ノ方法 ヲ採ルベ キ」 として 「 臨時事務所」を設置 した。 また, 富士や王子,東京板紙 ( 1 8 8 1 年創業) ,九 州 製 3 2 )3 3 )3 4 ) 「 関税改正 問題 二関 スル対議会,対政府運動 顛末」 (日本製紙所組合 『 明治三十九年春季総会決議録』

1 9 ( 姫年 ,所収) 。 「日本製紙連合会 の起源及其事業,続」

(『 紙業雑誌』第 3 巻第 4 号 ,1 9 0 8 年 6 月 , 3‑ 8 頁。第 3 巻 第 5 号 ,1 9 08年 7 月 ,3‑6 頁)0

舵 ( 1 9 0 3 年設立)の メーカー 4 社 と共 同洋紙が 協議 して,王子 と富士の社員 3 名で 起 草 し た

「印刷料紙税率 二関スル意見書」を大蔵 省関係 者や衆議院議員な どに急拠配付 して対抗 した。

この製紙業界 よ りの意見書は政府案の支持を表 明す るとともに,新聞業界か らの修正要求 につ いて 「 今其意見書 二拠 レバ,思 ヒキヤ協定税率 ヲ国定税率 二変更スル ニア ラズ,却 テ協定税率 ノ最低率 ヲ変 ジテ,殆 卜無税 二均 シキ軽少ナル 税 ヲ新聞用紙 ノ名 目ノ下 二付加セン トスルモ ノ ニシテ,若 シ此 ノ修正案 ニシテ実行サル 、ニ至 ラノミ ,独 り産業奨励 ノ大主趣 二背反セル ノ ミナ ラズ, ‑内地 ノ製紙業 ヲシテ,潰廃 二至 ラシム ル恐 レア リ」 と批判 した 3 3) 。

但 し, この製紙業界に よる意見書の内容は, それが配付 され る前 に新 聞業者へ漏れ伝わ って いたか とも思われ る。その配付 の当 日に 「 東京 各新聞社組合」 もやは り衆議院議員‑ 「印刷料 紙税率修正意見追 申」 とした文書を配布 し, 日 本製紙所組合に よる意見書が国産紙 に比 して輸 入紙を割安 とした指摘 についてむ しろ割高であ ると反論 した。そして,輸入税 を従価 1 00 / Oに改 めて も 「 吾 々/ 、董 ヲ内地製紙業者 ガ訴 フル ガ如 ク苦痛 ヲ与 フルア ラザル ヲ信 ジ疑 ‑ザルナ リ」

と主張 した。そ こで 日本製紙組合 では数 日後に 再び衆議院議員や政府 関係者に 「印刷料紙税率 修正意見追中書 二付 弁明」 と題す る文書を送付 した。 この弁 明書は,先 の新聞業者に よる追 中 書が 「 我 々製紙業者 ノ計算 二遺漏ア リ,世 ヲ欺 隔スル ニ過ギズ ト断言セ リ ト聞 ク」けれ ども,

「 本問題 ノ影響/ 、極 メテ広大 ニシテ‑区 々タル 新 聞業者 ノ用紙買入価格 二於 テ,多少 ノ利益 ヲ 来 スガ如キ些事 ヲ以 テ,云 々スべキ ニア ラザル 理 由 ヲ弁 セルベ カラズ」 として新聞業界の主張 を再 び批判 した

34)

この よ うに国内の製紙業界 と新聞業界の 「印

刷料紙」輸入税の改訂をめ ぐる対立は,双方に

よる議会や政府 関係者 向け文書 での陳情合戦の

様相を呈 した。製紙業界においては, 日本製紙

所組合 の 「 臨時事務所」に王子製紙専務の鈴木

梅四郎や富士製紙社長の村 田一郎,九州製紙社

(12)

近代 日本の製紙業 と新聞業 の洋紙輸入税 をめ ぐる対立関係 長の大川平三郎な どが 「 連 日‑・ 出張」 し,陳情

運動を直接管掌 した。新 聞業者側の 「 東京各新 聞社組合」 の陣容は不詳であるが,その当時ス ウ ェーデンか ら数千 トンの新聞用紙 を輸入 して いた と言われ る報知な どが運動の先鋒になって いた よ うである 3 5) 0

さて,帝国議会における関税定率法及付属輸 入税表 改定法案 の審議にあた り, 当時の第 1 次 西園寺公望 内閣の与党であ った立憲政友会では 3 月 2 0 日の同党調査委員会にて政府案 に賛成す る旨を決定 した。だが,その当 日の同党代議士 総会は中央新聞を経営す る大岡育造な どの主張 に よって新聞業界の求めていた 「印刷料紙」輸 入税の従価 1 0% 案を支持 した。その結果,政府 原案を修正す る動 きが新たに表面化 した。 2 日 後 の 2 2 日におけ る衆議院の同法案特別調査委員 会は 「印刷料紙」の輸入税を ドイツとの協定税 率の区分 に従 って 「 一枚千〇八十六万 インチ ヨ リ少ナ カラサルモ ノ」で 5 0 0 枚 当 りの重量 4 5 ポ ン ド以下 の ものを従価 1 0%, 「 其 ノ他」を同 1 5

%に修正す ると決議 した. この修正案は直ちに 同 日の本会議に提 出されて,政府側の不賛成 に 拘わ らず可決を見た。 ところが,その後 の貴族 院の審議では, 同法案特別調査委員会が衆議院 の修正可決案に反対 して,そ こに規定 された 4 5 ポン ド以下 の ものに 1 0 0 斤当 り 1 .1 7 円, 4 5 ポン

ドを超 えるものに同 1 .6 5 円の従量税を賦課す る とした独 自の修正を決定 した。そ して, この再 修正案を会期最終 日であ った 2 7 日の同院本会議 で 「 満場一致」の賛成にて可決 した。そ こで両 院問に協議委員会が急速 開かれて検討 した結果, 重量 4 5 ポン ド以下を 1 0 0 斤当 り 1 円,その他を 同 1 .9 5 円とす る最終修正案が協定 された。それ が閉会間際の両院本会議 に再提 出され,政府側 の反対 もな く可決 し直 されたのであ が 6) 0

3 5 ) 「日本製紙連合会 の起源及其事業,続」 (F 紙業雑誌』

第 3 巻第 4 号 , 5 頁.第 3 巻第 6 号 ,1 9 0 8 年 6 月 , 4‑

5 頁)。前掲 『日本新聞販売史 』47 3 頁。 「 関税 問題」(『 紙 業雑誌』第 5 巻第 2 号 ,1 9 1 0 年 4 月 ,2 8 頁)0

3 6 ) 前掲 「 関税改正問題二関スル対議会,対政府運動顛末」。

「日本製紙連合会 の起源及其事業,続」 ( 『 紙業雑言 乱]第 3 巻第 6 号 ,1 9 0 8 年 8 月 ,4‑ 5 頁)。 前掲 『日本紙業 総覧 』3 9 0 ‑3 91 頁 )。

か くて,新関税定率法 と付属輸入税表は 1 9 06 年 3 月に法律第 1 9 号 として公布,勅令に よって 1 0 月か ら施行 された。国内製紙業界 と新聞業界 で利害の大 き く対立 した新聞用紙 の輸入税は同 法 の定め る重量 4 5 ポン ド以下 の 「印刷料紙」に 該 当したので, 旧来の国定税率であった 1 0 0 斤 当 り 1 .5 6 9 円, さらに協定税率の同 1 . 、 1 6 3 円ま で も下 回る 1 円に引下 げ られたのである。 また, 45 ポン ドを超えるものは, 旧来の国定税率であ る同 1 .5 6 9 円が 1 .9 5 円に引上げ られた ものの, それ よ り低い上記 の協定税率,すなわち同 1 .1 6 3 円の方が 1 9 1 1 年 まで適用 され続けたので, 引上 げが殆 ど実質的な意味を もたなか った3 7 ) 0

国 新聞用祇輸入税問題の再燃化

洋紙, と りわけ新 聞用紙 の輸入税問題は, 前 述 の よ うに 1 9 06 (明治 3 9 ) 年の関税定率法改定 に際 して新 聞業界の意向に沿 った決着を一応見 たが,その後 も 「関税改正」運動に絡んで議論 が再燃 した。大蔵 省は 1 91 1 年予定の協定税率撤 廃 に備えて 1 9 0 6 年 6 月か ら国内外 の産業実態や 輸入品価格の調査,それに新たな双務的協定税 率制の可否を検討 し始め ,1 9 0 8 年 1 月全 国商業 会議所連合会に 「関税及関税率適否調査」を諮 問 した。 同連合会は既 に 1 9 0 7 年末に閃税問題 の 調査検討を決議 していた こともあって,政府が 協定税率の撤廃化に先立 ち関税改訂 の予定を各 国に通告 しなければな らない期 日とされた 1 9 1 0 年 8 月 よ り逆算 した 1 9 0 9 年 6 月を一応 の成案期 限 として 1 9 0 8 年 6 月に調査を開始 した 38) .

そ こで国内の製紙業界で も ,1 9 06 年の改定 関 税定率法 の公布直後 「 平素 ヨ リ対政府,対議会 策 ヲ講 ジ得ル様」に として 日本製紙所組合を改 組 して発足 させていた 日本製紙連合会を通 じて 再 び対応 してい くよ うになった 。1 9 0 8 年 4 月に

3 7 )前掲 「 洋祇輸入税 の沿革 」 5‑ 6 貢.

3 8) 「 関税改正調査 の方針 」 (『 紙業雑誌』第 2 巻第 3 %, 1 9 0 7年 5 月 ,1 1 6 頁)0 「 関税調査 の進行」 ( 同上誌,第 2 巻第 4 号 ,1 9 0 7年 6 月 ,3 6 頁) 0 「 関税 問題諮問案」 ( 同 上誌,第 2 巻第 1 2 号 ,1 9 0 8 年 2 月 ,5 3 頁)。全 国商 業 会 議所連合会 『 商業会議所連合会調査要綱並理 由書 』1 9 0 8 年。

‑ 2 5

(13)

先ず三菱製紙所 (旧神戸製紙所),東京 板 紙, 中之 島製紙 ( 1 8 7 5 年創業 した蓬莱社 の前身) の

3 社 を諮 問担 当委 員に選 んで,常務理事 の富士, 王子,九州 の 3 社 と協力 し合 うよ うに した。 同 年 9 月には富士 と東京板紙,王子 の関係者が連 合会 を代表 した 「 特別委員」 として大蔵 省 関税 調査委員 に よる諮問, 面談 に直接応 じた。大蔵 省が後 に纏 めた 「関税 に関す る諮問 ・答 申 ・建 議 ・論断 の要領」 に よると , 「 物品の関税 上 の 意見」 として 「 紙 叛」輸 入税 については 日本製 耗 連合会 と富士, 東京板紙, 王子 の 3 社 を 「意 見提 出者」 に して, 次の よ うな意見があ った と 記 されてい る。す なわ ち, 「印刷料紙 は撞 木原 料 を用 ゐた る もの と否 と及巻取 の もの と否 とに 区別 し,税 率は毎百斤一 円五十六銭 と一 円九十 五銭 とす, 又 国定税 率 とな さは年 々新 聞業者 の 運動 に よ り変化す る ことあ るべ きを以 て,寧 ろ 協定 条約に若 干年束縛す るを可 とす。其他 の紙 頬は現行 国定率を概 して穏 当 と認 む」。 ち な み に, この 「 紙環」 をめ く ・っては,東京洋紙商 同 業組合か らほ 「印刷料紙は巻取 の もの と否 とを 区別す るの必要 な し ‑急激 に税率を増加す る は商業上 に影響す るを以 て之を避け られた し」

との意見が 出 され ていた 3 9 ) 0

と ころで,先 の関税定率法改定 に よ り新 聞用 紙輸 入税 の引下 げを得た新 聞業界 では,有力紙 を中心 に長期安定的 な買入れ先 として国内 メー カーを選 好 しなが らも輸 入紙 の併用 を交渉 材料 に買入れ価格 の引下 げをはか る場合が多か った が,地方紙 な どにな る と国 内 メーカーの供給余 力不足 で輸 入紙 を もっぱ ら使用 した と ころもあ った。 この よ うな輸 入紙 の利用実態 との関連は 定か でないが ,1 9 0 8 年 7 月東京朝 日 の 社 説 は

「関税改正」 問題 に言及 して , 「 保護主義 の 工 業家仲間に国定税 率を振 り回 されて, ‑却 て比 較 的貧民に高価 な る 日用品を貫はせ,一種 の消

費税重課 を致す に,亦 吾人 の欲せ ざる所」 と協 定税 率撤廃後 の国定税 率適用 の強行 に反対 して 新 た な双務的協定税 率の採用を主張 した。 また, 同年秋 には大蔵 省の意 向 として 「 大体 ‑現行法 に準拠す べ Lと雄 も, 内国工業 を保護す るの 目 的 よ り,工業 原料 の関税 率は現 行 よ りも大に低 減を加ふべ き筈 な り」 との風評 も聞かれた。但 し, そ の頃 の農商務省や外務省, さらに多 くの 関連産 業 では未だ意 向や要望が具体化 していな か った よ うである。 当時 の 日本興業銀行総裁 ・ 添 田芳一は閑税 問題 の取組 みについて, 「 政府 以外 に於 ては,商業会議所 の如 き一二 団体が多 少研究に従事せ るのみ, 他 の当業者等に何等の 企 あるを聞かず」 と述べ ていた

40)0

1 9 0 9 (明治 4 2) 年 にな る と政府 内外 で 「関税 改正」 をめ く ・る論 議が高 まった。大蔵 省が早 く か ら国定税 率を 「 単税率」 とす る方針を固めて いた のに対 し,外務省は衆議院第一党 の立憲政 友会が検討 していた 「復税率」案 に関心を寄せ たO また, 農商務省 は国 内の関連業種の調査 に 手 間取 りなが らも独 自の構想を練 っていた。 そ こで外務省を中心 に関係各省間の意 向調整が新 た にはか られ てい くよ うにな った 4 1 ) 。

この よ うな政府 の動 きと別 に民間 での論議 も 次第 に高 ま りを見せた。大阪商業会議所 では税 率を 「保護」 と 「特別 」 , 「 普通」の三 本立 てに すべ Lと提奏 し, その中 で 「印刷用紙」 を 「 保 護又 は特別 の政策を必要 とせ ざる物品」 に類別 して 「 従価一割五分乃至二割五分」 の 「 普通税 率」 を想定 した。他方,大 阪朝 日は製紙業者 の

「 希望」 として 「国定税 率には,先 ず 四 六 判 ( 0 . 86m

2

‑ 引用老記)一連 (1 )‑ムー 同)五百

3 9 ) 「 明治3 9 年春季給全決諸 点 」 . 「 明治41 年春季総会決議 録 」 , 「 明治41 年秋季総会決議録」 (日本製紙所 組 合. 日 本製祇連合会 g 明治3 3 ‑4 4年 総会決議録』1 9 0 0‑1 9 1 1 年,所収) 。「 条約改正の準備」 (F 紙業雑誌B第 3 巻第 3 号,1 9 0 8 年 5 月, 51 ‑5 2 貢)。 前掲 7 明治大正財政史B 第 8 巻,31 3 ‑3 3 1 頁。

4 0 )前掲 F 百三十年 史』1 3 4頁。杉山喬談 「 製紙事菜 に つ いて」 (7 東京経済雑誌』第1 4 4 9 号, 1 9 0 8 年, 1 5 2‑ 1 5 3 頁) 。 「 協定税率 の利害」 ( F 紙業雑誌5 第 3 着 萌 6 号, 1 9 0 8 年 8 月, 4 9 ‑S O貢) 。 「 条約改正 と関税 問題」 ( 同上 誌,第 3 巻第 8 号,1 9 ( 坦年1 0 月,4 5 ‑4 7 頁) 。 「 関税調査 の現況」 ,添 田寿‑談 「 関税改正問題」 ( 嗣上誌,第 3 巻 第 9 号,1 9 0 8 年 11 月,4 7 ‑4 9 貢) 。

4 1 )前掲 : 明治大正財政史3第8 巻, 31 1 ‑31 2 頁 。 「 散文

会の関税案」 ( 『 紙業雑誌B第 3 巻第11 号,1 9 09年 1 月,

4 8‑4 9 貢) 。 「 関税調査方針未決定 」 , 「 関税改正調査の近

況 」 , 「 森本敬 氏の複関税率意見」( 嗣上誌, 第 3 巻 第1 2

号,1 9 0 9 年 2 月,3 9 ‑41 頁) 。

(14)

近代 日本 の製紙業 と新聞業の洋解輸入税 をめ ぐる対立関係 枚四十五斤 ( 1 0 0 斤は約 1 3 2 . 3 ポン ドー 同)以下

四十斤に至 る巻取紙即ち グラウソ ドパルプを用 i l i i d ふ る者 に対 しては百斤一 円六十五銭,其他には 一 円九十五銭 ( 即 ち現 国定率)見当に止め置か れん事」 と報 じた。 さらに ドイツやオース トリ アか らの輸入紙をめ ぐる当時の ダン ピング論議 の高 ま りも加わ って ,1 9 0 9 年の夏頃には 「 近来 の新 聞雑誌 には製紙工業の状況や,紙 に対す る 閑税問題を書 くことが流行 して きた」 とまで言 われ るよ うにな った 42) 0

1 9 0 9 年の秋になると,政府は 「 大蔵省原案に 農商務省案を参酌 して討議を重ね し め た る 結 果」 , 「関税改正」 について一応の成案を得た。

政府 の 「 条約改正準備委員会」 での 「国定税率 に関す る特別委員会」の 「 大体の方針」 として,

「 世界の大勢」 であ った 「 能 く中庸を得た る程 度 に保護主義を実行す る」意 向が外部で伝え聞 かれ るよ うにな った。そ こで,新聞紙面 な どで の論議が一段 と高 まった。 1 1月には,政府委員 会 で新聞用紙 の輸入税を 「 倍加以上に引上 ぐる こと」が内定 された として,東京 と大阪の新聞 業者 1 2 社が当時の首相兼蔵相の桂太郎 と農商務 相の大浦兼武に 「 新聞用紙 の輸入税は現状維持 を以て適 当の程度 となす」 との反対決議を申入 れ るまでにな った。 この新聞業者 に よる申入れ の取 り纏 め役をはた した メンバーの内,報知の 箕浦勝人や中央新聞の大岡育造は衆議院 の有力 議員で, また東京朝 日の池辺吉太郎や万朝報 の 黒岩周六,都 の楠本正敏 な ども新 聞業界にて名 の知 られた人物たちであ った。 さらに,立憲政 友会の有 力幹部で当時の院 内総務であ った原敬 も元大阪毎 日社長 とい う経歴 か ら新 聞業界 に近 い人物 と 目されていた 43 ) 。

この よ うな新 聞業界に よる対政府工作は,製 紙業界側に警戒心 と併せて妥協の気運を醸 し出 した。 日本製紙連合会の機 関誌は,新聞業界の 運動について 「 東京大阪の有 力なる各新聞社主, 社長,主筆等袖を連 らねて蔵相等を訪問 し,釈 聞用紙 に限 りて現行税 の維持を要求 し, 同時に 政友会 の領袖 にして新聞業に関係ある人 も, 同 説を唱‑て桂蔵相等を威嚇 した」 ,そ し て 「 卑 怯 に も新聞業者 の威喝に怖れ,新聞用紙 に当る 重量の印刷用紙 のみを, ‑据置 くべ Lと,桂蔵 相が新聞業者に 口約 した」 と後 に酷評 した。 ま た,既 に 1 9 0 9 年 9 月に全 国商業会議所連合会が 発表 していた関税意見 も 「 製造原料品」や 「 教 育学術其他社会公共の利益 に直接 関係を有す る 物品」 の課税免除や低率化を専 ら唱え,製紙業 界に とっては全 くの期待外れ と思われ る内容で あ った 44) 0

そ こで, 国内の新聞用紙 メーカーは新聞用紙 輸入税 の引上げを断念 し,そ の代 り政府関係筋

‑ 「 輸入税麦」 における 「印刷料紙」の類別変 更 の方を内 々に要望 した と言われている。従来 の税表では新聞用紙を 「 三 々判即ち一千〇八十 六吋平方 ( 0 . 7m

2

‑ 引用老記)の五百枚で 四 十 五封度 ( 2 0 . 4k 9一 同)を超へ ざるもの」 に該当 させていたが, そ こに規定 されている「 三 々判」

を当時新たに新聞用紙 の標準サ イズとな ってい た 「四六判 」( 0. 86m

2)

に改めることを求めた。

この要望は 1 m

2

当 りの重量規定を 5 8 . 3g か ら 4 7 . 5g に減 らして, 印刷用紙の該 当範囲を狭め

る意図があ った 45) 0

しか し,政府が大蔵省 よ り 1 9 0 9 年末に提 出さ れた原案 の一部税率を多少変更 して翌年 の 1 月

4 2 )前掲 『 明治大正財政史』第 8 巻, 3 3 2 ‑3 3 4 頁O 「 当業 者 と関税改正」( F 紙業雑誌』第 4 巻第 3 号,1 9 0 9 年 5 月, 47 ‑4 8 頁 ) 。 「 我 国の製紙業 と関税」 ( F ' 東洋経済新報』第 4 89 号,1 9 09 年 6 月,2 7 ‑2 8 頁 ) . 「 感服 した洋紙関税論」

( F 紙業雑誌』第 4 巻第 4 号, 1 9 0 9 年 6 月, 8‑ 9 頁) .

「日刊新聞の保護税説」 ( 同上誌,第 4 巻第 6 号,1 9 の年 8 月 , 2 頁) 0

43)前掲 E 明治大正財政史』第 8 巻, 31 2 ‑3 1 3 頁。 「 関税 改正 の方針」 ( : 紙業雑誌』第 4 巻第 8 号,1 9 他年 1 0 月, 5 2 頁 )0 「日刊新聞紙 の見たる本邦製紙工業状態 と輸入税 問 題 」 ( 同上誌,第4 巻 第9 号,1 90 9 年 11 月,4 4 ‑4 6頁).

‑ 2 7 ‑

「 新 聞業者の関税運動」 ( 同上誌, 第 4 巻第1 0 号, 1 9 0 9 年 1 2 月,45 ‑4 6 頁)

0

「 印刷料紙 の関税問題」 ( 同 上 誌, 第 4 巻第1 1 号,1 91 0 年 1 月, 4‑1 1 頁) 0

4 4) 「 紙 の時事問題」 ( 同上誌, 第 5 巻第 1号, 1 91 0 年 3 月, 3‑ 4 頁。 「 内外紙づ くし」 ( 同上詰,第4 巻第1 0 号, 1 9 0 9 年 1 2 月, 1‑ 2 頁 )0 「 新聞用紙 の輸入を 駆 逐」 ( 同 上誌,第 7 巻第 1 号,1 91 2 年 3 月,1‑ 2 真) 。前掲 『 明 拍大正財政史』第 8 巻,331 ‑3 41 頁。

4 5 ) 「 新 聞紙 の見たる製紙業」 ( 『 紙業雑誌』第 4 巻第1 1 号,

1 91 0 年 1 月,4 8‑50 頁)

0

「 関税問題」 ( 同上誌, 第 5 巻

貸 2 号,1 9 1 0 年 4 月, 2 4 頁) 。 前掲 「 印刷料紙 の関税 問

題 」9 ‑1 0 頁。

参照

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