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智山學報 第49 - 005苫米地 誠一「大伝法院襲撃事件と不動化現説話 : 覚鑁の伝記をめぐって」

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Academic year: 2021

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(1)

 

   

 

   

 

 

一 大伝 法 院襲 撃事件 と不動 化現 説話

  興

大 師

聖 人 ( 一 〇 九 五 〜

四 三 ) の 伝 記 を め ぐ る

問 点 の 幾 つ か に つ い て は 、 前 稿 ,   に 少 し ば か り 述 べ た

で あ る が 、 そ こ で

れ ら れ な か っ た 問 題 の

で 、 今 回 は 、 保 延 六 年 (

四 〇 ) 十 二 月 に 起 こ っ た と さ れ る 金 剛 峰

方 悪

に よ る 大

院 ・

厳 院

り 上 げ た い 。  

鑁 が 高 野

上 に 大 伝

院 と 密 厳 院 を

立 し た

、 鳥 羽 上 皇 の

信 の 下 に

11

伝 法 院 方 に よ る 高 野 山 の 】 山

配 が 進 め ら れ 、 そ れ に

発 す る 金 剛 峰 寺 方 と 大

と の 間 に 不 和 を 生 じ た 。 そ の 中 で 金 剛

方 に よ る

法 院

る 反 感 ・

斥 行 動 の 頂 点 に あ る も の と し て 、 こ の

は 知 ら れ て い る 。

し 関 係 す る 諸 史 料 を 比

し て み る と 、

際 に 在 っ た

件 で あ る か 否 か 、

だ 大 き な

問 が 存

る 。 結 論 か ら 言

な ら ば 、 こ の

延 六

十 二 月 の 大

法 院 ・

院 襲

件 は 起 こ っ て い な か っ た と い う こ と で あ り 、

こ の 記 事 が 、 ど の よ う な 過 程 を

て 覚

伝 中 に 成 立 し 、 展

し て い っ た か を 明 ら か に し よ う と

る も の で

る 。

(2)

NII-Electronic Library Service 智 山学報 第四十九輯

づ こ の 事

に 関 連 す る

柄 を 現 在 一 般 的 に 知 ら れ て い る と 思 わ れ る 内 容 に つ い て 、 そ の

・ 項 目 に 分 け て 列

し て み る 。  

1

保 延 年 間 、

鑁 、 密 厳 院 に 籠 居 し て 無 言 行 を 修 す 。 ( 『 覚 鑁 上 人 事 』 『 霊 瑞 縁 起 』 ) こ の 間 、 し ば し ば 入

の 覚 鑁       は 不 動 の

姿

に 変 ず る 。 ( 『 上 人 縁 起 』 。 以 下 『 行 状 記 』 『 結 網 集 』 『 本 朝 高 僧 伝 』 な ど は 『 上 人 縁 起 』 と 全 同 な の で 省 略 )  

2

金 剛 峰 寺 衆

、 籠 居 中 の 覚 鑁 が 既 に 死

し た も の と 疑 い 、 こ れ を 確 か め よ う と

院 へ の 乱 入 を 企 て る 。 ( 『 覚       鑁 上 人 事 』 『 霊 瑞 縁 起 』 『 上 人 縁 起 』  

3

、 覚

、 兼 海 の

言 に よ り 無 言

を 結 願 し 、 手 書 を 上 皇 に 捧 げ 、

法 会 に 出 る 。 ( 『 覚 鑁 上 人 事 』 『 霊 瑞 縁 起 』 『 上 人       縁 起 』 )  

4

、 保 延 六

十 二 月

院 領

園 相 賀 の

と 金 剛

寺 領 荘 園 と の 問 に

争 い が

き る 。 ( 『 上 人 縁 起 』 『 高 野 春 秋 』 )  

5

、 十 二 月 八 日 金 剛

悪 僧

園 の 境 界

い を 口 実 に 兵 士 を

め 、

伝 法 院 ・ 密 厳 院 を

撃 す る 。 ( 『 上 人 縁 起 』       『 高 野 春 秋 」 )  

6

、 襲

さ れ た 覚 鑁 を め ぐ る 不 動 化 現 説 話 ( 錐 鑽 不 動 の 伝 説 ) ( 『 上 人 縁 起 』 。 『 撰 集 抄 』 は 年 次 を 示 さ ず 。 『 高 野 春 秋 』 『 太       平 記 』 は 内 容 が 少 し 異 な る 。 )       イ 金 剛

寺 悪 僧 が 密

院 内 に 乱 入

る 。       ロ 、 密 厳

内 に お い て 入 定 し て い る

鑁 が

の 不 動 明 王 と 同 じ 姿 を 現 ず る 。       ハ 、 二 体 の 不 動 を 見 て 、 ど ち ら が 覚 鑁 で あ る か 不

と な っ た 金 剛

悪 僧 が 、 鏃 を も っ て 不 動 像 の

を 揉 み 一 32 一 N工工一Electronlc  Llbrary  

(3)

大伝 法 院襲撃事 件と不動化現 説話

7

1098

、   、   、

12

 

11

  、       、

14

 

13

 、        、

15

、 刺 す 。 二 、

造 の 本

動 像 が 血 を 流 す 。 ホ 、 こ れ を 見 た

鑁 は 本 尊 が

代 わ り に な っ た こ と を 悲 し ん で

よ り 起 ち

に 復 す 。 へ 、

い た 金 剛

寺 僧 達 が 、 そ の 場 か ら 逃 げ る 。 金

寺 衆 徒 は 、

野 山 上 の 大 伝 法 院 ・ 密

院 他 百

坊 を 切 り 払 い 、 大

院 衆 徒 を 高 野 山 よ り 追 い

。 ( 『 上 人 縁 起 』 『 高 野 春 秋 』 )

、 高 野 山 を 去 り 、 根 来 円 明 寺 へ 移 る 。 ( 『 上 人 縁 起 』 『 高 野 春 秋 』 )

達 も

鑁 に 従 っ て 根 来 へ 移 る 。

件 の

本 で あ る

が 遠 流 に 処 せ ら れ 、

等 は あ 、 心 状 . 起 請 を 差 し 出

。 ( 大

院 を 破

せ る 金

悪 僧 の 中 、 張 本 を 遠 流 に 処 し 、 ま た 怠 状 起 請 を も っ て 、 大 伝 法 院 僧

を 帰 山 せ し め 、 元 の

 

ご と く 大 伝

院 ・ 密

院 ・ 菩

心 院 の 御 願 を 修 行 せ し め る 院 宣 が 下 る 。 ) ( 『 上 人 縁 起 』 )

羽 上

よ り 高 野 帰 山 の 院

が あ る も 、

鑁 は 帰 山 せ ず 。 ( 『 上 入 縁 起 』 )

鑁 の

で あ る

海 等 か ら 金 剛 峰 寺

へ 和 平 ・ 高 野

山 の

し 入 れ が あ る も 、 金 剛 峰

は 許 さ ず 。 ( 『 高 野 春 秋 』 )

覚 鑁 入 滅 す る 。 久 安 三

、 改 め て 大 伝 法 院 座 主 隆 海 ・ 密 厳 院 主

海 等 よ り 高 野 帰 山 の

し 入 れ が あ

、 上

院 宣 が 下 さ れ る 。 ( 『 本 寺 與 伝 法 院 相 論 文 書 写 』 『 高 野 春 秋 』 ) 金 剛 峰 寺

海 ・ 隆

等 よ り 、

後 一 切

( 金 剛

) の 命 に

か ず 違 背 す る こ と

れ ば 擯 出 せ し む と の

状 ・ 起 請 を 出 さ せ 、

山 を

す 。 ( 『 本 寺 與 伝 法 院 相 論 文 書 写 』 『 高 野 春 秋 』 〉

(4)

NII-Electronic Library Service 智 山 学 報第四 十九輯  

16

安 三

八 日 、 裳 切 り 騒 動 (

伝 法 院

正 会 に 当 り 、

伝 法 院 衆 徒 が 色 衣 を

る こ と を 不 正 と し 、

     

衆 徒 が

院 ・ 密 厳 院 を 襲 撃 し て 八 十 余 坊 を 切

払 い 、 大

法 院 衆

を 高 野 山 上 か ら 追 い 払 う ) ( 『 根       来 要 書 』 『 兵 範 記 』 『 愚 昧 記 』 『 高 野 春 秋 』 )  

17

、 同

二 月 、

伝 法 院 衆 徒 、 金 剛

寺 衆 徒 の 悪 行 を 訴 え る 。 ( 『 根 来 要 書 』 『 兵 範 記 』 『 愚 昧 記 」 )  

18

、 同 年 五 月 三 日 、

院 襲

の 悪 僧 の

本 と し て 、 執 行 宗

、 玄

等 、

流 に 処 せ ら れ る 。 ( 「 根 来 要 書 』       『 兵 範 記 』 『 愚 昧 記 」 。 『 高 野 春 秋 』 は 処 罰 の 理 由 を 異 な る も の に す り 替 え る )   以 上 、

鑁 伝 関 係 諸 資 料 か ら 現 在 一

的 に 理 解 さ れ て い る と 思 わ れ る 、 密 厳 院 籠 居 か ら

鑁 滅

の 裳 切 り 騒

に 至 る 過

を 十 八 項 目 に 分 け て 概 観 し て み た 。   こ こ で こ の 問 題 に

す る 現 代 の

鑁 伝 研 究 の 状 況 を 見 る と 、 そ の

ど が 根 来 ( 新 義 派 ) の 系 統 に よ る も の で

る だ け に 、 金 剛 峰 寺 方 の 史 料 に 見 ら れ る 主

を そ の ま ま に

り 上 げ て い る も の は

い と い え よ う 。 し か し そ れ ら の

に し か

れ な い

に 付 い て

り 上 げ て い る も の は

い 。   ま つ 不

現 説 話 ( 錐 鑽 不 動 の

説 ) に つ い て は 、 ど の 伝 記 研

も 同

に 、 後 に

り 上

る 『 撰 集 抄 』 の 記

を 引 い て 、

六 年 の

件 の

と す る

は 保

し な が ら も 、 諸 説 の

え ら れ る こ と を 述 べ る 。   こ れ ら の

記 の 中 で 、 昭 和 九 年 に 中 野 達

が 著 さ れ た 『 興 教 大 師 正

』 で は 、

関 師 錬

『 元 享 釈

』 に お い て 既 に

な こ と と し て 批 判 さ れ て い る と し て 、 こ れ を 取 り 上 げ る 『 上 人 縁 起 」 以 下 の

記 を 批 判 す る 〔 、 ∀ 。 而 し 保 延 六

二 月 の 襲

と 、 こ れ に よ っ て

鑁 以 下 の 大

院 方

が 根 来 へ 移

し 、

峰 寺 方 が 大 伝

院 方 の 坊 舎 を

し た こ と を

と し て

め ら れ て い る

。 そ し て 大

徒 の 高 野 帰 山 問 題 に つ い て は

の 帰 山 者

居 た で あ ろ う と

測 さ れ な が ら 、 『 高 野 春 秋 』 な ど に よ り な が ら 、 兼 海

の 帰 山 は 久 安 三

に 帰 服 の 怠 状 を 差 し 出 し た 結 果 で あ る と し て い る 。 一

34

一 N工工一Electronlc  Llbrary  

(5)

大伝法院襲 撃事件と不動 化現 説話   次 に 、 昭 和 十 六

に 出 版 さ れ た 那 須 政 隆 博 士 の 『 興 教

師 伝 』 ( 三 で は 、 主 と し て 『 上 人 縁

』 に 従 い 、 錐

不 動 の 伝 説 を

し 、

延 六 年 十 二

院 襲 撃 を 認 め て お ら れ る 。 そ の 口

と さ れ た 相

の 荘 の 西 堺 の

に つ い て も 、 保 延 五

七 月 の 院 宣 八

を 上 げ て 認 め て お ら れ る よ

で あ る 。 ま た

鑁 の

野 離 山 ・

来 移

を こ の 時 と し 、 上

に 随 従 し た 者 は

名 で

っ た ろ う が 、 や が て

く の 弟 子 達 が

来 へ 集 ま っ た の で あ ろ

と さ れ る 。   ま た 昭

五 十 年 に 出 版 さ れ た

田 良 洪

士 の 『 覚 鑁 の

究 』 ( 5 ) で は 、

海 の 「 覚 鑁 上 入

』 に よ っ て 、 こ こ に 記 述 の

い こ と か ら 、 保 延 六

院 襲

乱 入 説 は 、 そ の

が 明

で な い か ら さ ほ ど 重 視 は 出 来 な い と し て 、

定 的 で あ る 。 ま た 錐 鑽 不 動 の

説 に つ い て は 、 『 撰

抄 』 の 逸

は 、 保 延

間 の 無 言

中 に 、 金 剛

寺 悪

の 中 に 密

院 に 乱 入 し よ

と 企 て る

れ た と い う

実 が 訛

さ れ て 生 じ た も の で あ ろ

と さ れ る 。 そ し て

来 移

に つ い て は 、 『

』 の

に 、 保 延 五 年 十 一

五 日 に 「 聖 人 、

山 へ

着 す 。 」 ( 6 ) と あ る の を 根 来 と

し 、 ま た 『 保 延 六

打 聞

』 の 四 月 の

に 、 「 密

院 に て

身 法 の

は 」 ( 、 ) と あ る の を 、 こ の

 

に は

の 密

院 に は 居 住 し て い な か っ た と

釈 さ れ 、 保 延 五

冬 の 移

と さ れ て い る 。 但 し 、 こ の 『

集 』

 

に 見 え る 「 当 山 」 は 高 野 山 大 伝 法 院 で あ る と 理

す べ き で あ る し 、 密 厳 院 は 高 野 山 上 に し か な く 、

六 年 四 月 に 覚 鑁 が

山 に 居

し て い た こ と は 明 ら か で あ ろ

。 ま た 櫛 田

士 は 、

鑁 の 移

に 伴 っ て 弟 子 達 も

来 へ 移

し て い た も の と さ れ 金 剛

寺 方 の

料 に よ っ て 、

鑁 入

後 の

安 三 年 に 、

院 座 主 隆 海 ・ 密

院 主 兼 海 ら の 起 請 と

羽 上 皇 の 院 宣 に よ っ て

徒 が

野 山 へ 帰 山 し た と さ れ る ( 8 ) 。   昭

五 十 二 年 に 出 版 さ れ た 宮

士 の 『 興 教 大

』 下 巻 巻

の 「 覚 鑁 小 伝 」 ( 9v は 簡 単 な 小 伝 で あ る が 錐 鑽 不

説 は 『 上 人 縁 起 」 と 『 撰 集

』 を 紹

し 、 保 延 六

の 襲 撃 と そ れ に よ る

び 大

院 方 衆 徒 の 根 来 移

め ら れ て い る 。 但 し 、

山 の 問 題 に は

れ ら れ て い な い 。 ま た そ の 後 平 成 九 年 に 出

さ れ た 『 興 教 大 師

集 成 』 第 四 巻 所 収 の 「 総 論

 

大 師

鑁 の 生 涯 と 思 想 」 ( 田 ) も ほ ぼ 同 様 で あ る が 、 但 し

鑁 が

(6)

NII-Electronic Library Service 智 山 学 報 第 四 十 九 輯 移 住 し て 、 大 伝

院 を 根 来 へ 移 し 、 学

の 養 成 に

げ た と さ れ て い る 。 こ れ は 『 霊

縁 起 』 に 覚 鑁 が

に 入 っ て 、 「 即 ち

法 院 の

を 根 来

に 移 し 修 せ ら る 。 」 と あ る の に よ ら れ た も の で

。 但 し

鑁 の

跡 と し て 、

で は

円 明

宮 寺 を

し た の み で 、 こ こ に

伝 法 院 を 移 し た 事

は 認 め ら れ な い 。   次 に 昭

六 十 一

に 出 さ れ た 岩 出 町

来 山

委 員

『 根 来 山 誌 』 ( 、 〉 で は 、 概 ね

を 踏 襲 し な が ら 、

し 、 覚 鑁 の 根 来 移 住 を 保

十 二 月 と し 、 こ こ で は 『 高 野 春 秋 』 の

撃 記

と 錐 鑽 不

の 伝 説 を

介 す る ( 『 上 人 縁 起 』 に は 触 れ な い ) が 、 そ の 間 の

情 は 明 確 で は な い と す る 。 ま た 弟 子 達 の 高 野 帰 山 に 関 し て も 、 櫛 田 博 士 と 同

に 『

秋 』 の 説 を 認 め て い る 。   平

三 月 出

の 福 田 亮 成

士 「 興 教 大

覚 鑁 上 人 入 門 』 ハ 2 は 極 く 簡

な 一 般 向 け の 入 門 書 で あ る が 、 錐 鑽 不 動 の

に つ い て 『 撰

抄 』 の 記

を 紹

し 、

野 山 上 に

い の

っ た こ と を 述 べ ら れ る の み で 、

院 ・ 密

院 襲

に つ い て は 何 も 触 れ ら れ て い な い 。 ま た 覚 鑁 の 根

移 住 に つ い て は 保

の 翌

に 当 た る 永 治 元 年 と さ れ て い る が 、 論 拠 は 示 さ れ て い な い 。 ま た

鑁 滅

の 弟 子

の 高 野

山 問 題 に も 触 れ ら れ て い な い 。   平 成 二

十 二 月 に 出 さ れ た 松

恵 水 師 の 『 興 教 大 師

上 人 伝 』 ( . ) で は 、 『 上 人 縁 起 』 に よ っ て 、 保 延 六 年 十 二 月 に 相

の 堺

に こ と よ せ て 金 剛 峰 寺 衆

が 大 伝 法 院 ・ 密

院 を 襲 撃 し 、 そ れ に よ り 覚 鑁 并 び に

伝 法 院 衆

が 根 来 に

住 し た こ と を 述 べ ら れ て い る 。 但 し 一 説 と し て 櫛 田

士 の 保 延 五

十 】

を 紹

す る 。 錐 鑽 不

説 に つ い て は 『 上 人 縁 起 』 『 撰 集 抄 』 を 紹

し 、

鑁 の 不 動

仰 の

烈 な こ と を 物 語 る も の と さ れ る 。   平 成 四

九 月 発 行 の 勝 又 俊 教

士 著 『 興 教 大

の 生 涯 と 思 想 』 ( 国 ) で は 、 保 延 五

十 一 月 に 密 厳 院 襲 撃 ・ 乱 入

り 、 そ れ に よ り

鑁 并 び に

法 院 方

徒 が 根 来 へ 移 住 し た と さ れ る 。 こ れ は 櫛 田

士 の 提 唱 さ れ た 保 延 五

十 一 月 の 日

と 『 上 入 縁 起 』 の 襲 撃 記

と を

び つ け ら れ た も の で あ ろ う し 、 恐 ら く

五 年 七 月 二 十 八 日 付 け の 院 宣 八 箇

高 野

荘 の 荘 民 が 相

の 荘 を

妨 す る の を 止 め て い る の を

け た も の で あ ろ

が 、 典 拠 と な る 史

36

N工工一Electronlc  Llbrary  

(7)

大伝 法 院襲 撃事 件と不動化現 説話 が

し な い 。 ま た 覚

入 滅 後 の

法 院

の 高 野

問 題 に つ い て は 、 何 も 触 れ ら れ て い な い 。

 

四 年 三 月 出 版 の 口 Φ

ニ オ 〈 o 口 α 霞

5

Φ お 師 『 内 〉 困 ¢ 闃

゜。 口

01

2

= 審 碧 ユ 乏 ゜ 『 訂 。 h 内 α α。

∪ 巴 ゜・ 7 昌 ( 日

語 訳 『 即

成 仏 へ の 情 熱 』 ) ( . ) で は 、 ほ ぼ 那

政 隆 博 士 と 同 様 に 『 上 人

起 』 の 説 を そ の ま ま

介 し て い る の み で

る 。

っ て

鑁 の

移 住 を

延 六

十 二 月 と し 、

で あ る 大

徒 も そ れ に 付 き

い 移 住 し た と さ れ る よ

で あ る 。 そ の 後 、 弟 子

は 高 野 へ

山 し た と さ れ る が 、 そ の 間 の

情 に つ い て は 何 も 触 れ ら れ て い な い 。

 

成 五 年 に 出

さ れ た 『 浄 土 仏 教 の 思 想 』

七 巻 所

田 宏 哲 博 士 「 覚

言 密 教 と 浄 土 教

1

」 ( 幡 ) で は 、 や は り 『 上 人 縁 起 』 の 説 を

に 述 べ る の み で

保 延 六

十 二 月 に 相

の 荘 の

争 い か ら 大 伝

院 ・

厳 院 が 襲 わ れ 、 覚 鑁

び に 大 伝

が 根

へ 移 住 し た と さ れ る 。 錐 鑽 不 動 の

説 も 『 上 人

起 」 の 説 を

単 に 紹 介 さ れ て い る の み で あ る 。 ま た

鑁 入 滅

の 弟

達 の 高 野 帰 山 問 題 に は 触 れ ら れ て い な い 。

 

一 般 に

法 院 方 (

統 で 作 ら れ た

鑁 伝 で は 、 覚 鑁 の 入 滅 ま で を 語 る の み で 、 そ の

の 弟 子

の 高 野 帰 山 問 題 に ま で は

れ ら れ て い な い 。 こ れ を 殊 更 に

り 上

る の は 、 金

峰 寺

係 の 史

で あ る 。 但 し 、 こ れ ま で

て き た よ う に 、

の 研

で は こ の 金 剛 峰

の 史

に よ っ て 、

子 達

院 方

徒 の 高 野 離 山 ・ 根 来

住 と

鑁 入 滅

の 高 野 帰 山 が 論 じ ら れ て い る と い え る 。

 

 

 

 

 

 

         

1

『 伝 法 院

鑁 上 人 縁 起 』 の 説  

鑁 の 根 来 移 住 の 切 っ

け と な っ た と さ れ る 保

十 二 月 の 金 剛 峰

衆 徒 に よ る 大

法 院 ・ 密

院 の 襲

き 打 ち

は 、 現

に 知 ら れ て い る よ

な 形 で の 話 は 、

間 ( = 二 六 二 〜 = 二 六 七 ) 以 降 の

立 と 推

一 一

(8)

NII-Electronic Library Service 智 山学報 第四 十 九輯 さ れ て い る 『

法 院 本 願

鑁 上 人 縁 起 』 ( 以 下 『 上 人 縁 起 』 ) に お い て 初 め て 見 ら れ る も の で そ れ 以 前 の 伝 記 類 、 正 応 五 年 ( 一 二 八 八 )

満 撰 『

野 山 大

願 霊 瑞 并

家 縁 起 』 二 巻 ( 以 下 『 霊 瑞 縁 起 』 Y や 元

二 年 ( = 二 二 二 ) 成 立 の 虎 関 師 錬 撰 『 元

書 』 中 「

鑁 伝 」 、 正 中 二

( 一 三 二 五 ) 六 月 三 十 日 成 立 の 栄 海 撰 『 真 言 伝 』 中 「 覚

」 な ど に は 見 る こ と が 出 来 な い 。 そ れ ら よ

以 降 の

立 で あ る 『 上 人 縁 起 』 に お い て 、 い わ ゆ る 「 錐 鑽 不 動 」 と し て 知 ら れ る 不

現 説 話 ・

説 を

い 、 保

と い う 年 次 を 明 記 し た

院 ・ 密 厳 院

が 説 か れ る よ う に な る 。   『 上 人 縁 起 』 で は こ の 間 の 状

を 次 の よ

に 描 写 す る 〔 卩 ) 。 (

1

は 、 長 承 三 ・ 四 年

よ り 密

院 に 籠 居 し て 入 定 を 修 し た と し 、 こ の 時 、 昼 は

鑁 が

尊 不 動 明 王 を 供

し 、    

は 不 動 三

地 に 住 す る

鑁 を

不 動 が

養 し た と す る 。 (

2

) こ の 間 、

鑁 は 門 を 出 る こ と も な

、 他 門 の 衆 は 誰 も 入 れ

、 こ れ に よ り 金 剛 峰 寺 衆 徒 は 偏

を な し て

    野 山 に お い て 弘 法 大

入 定 は 天 下

双 の 奇 特 、

二 の 勝

な り 。 爰 に

鑁 上 人 、 大 伝

院 を

て て 金     剛 峰

に 竝 び 、 禅 堂 を 造 っ て

院 に 擬 す 。

師 の 入

、 竜

の 三 庭 を

ち た ま ふ に 、 覚 鑁 が

、 慈

の 下 生     を 期 す 。 事 毎 に

師 に 竝 び 、 入 定 を

に 擬 す 。 然 れ ば 早 く 大 勢 を

て 密

院 に

入 し 、 上 人 を 引 き 出 し て 入    

を 妨 ぐ べ し 。 云 云 」 と 群 議 を し 、

院 に 乱 入 し て 入 定 を

げ ん と し た 。 (

3

) こ れ に

し 弟 子 達 の

め に よ り 、

鑁 は

を 出 て 、 保 延 五

四 月 二 日 に 伝

会 の 開 白 を

す る た め に

堂     し 、 諸 衆 の

姿

を 現 し た 。 (

4

し そ の

も ま た 籠 居 し て い た 間 に 、 相

の 荘 の 堺 争 論 が 起 き た 。 こ れ は 『 御

印 縁

』 を 改 め て 相

を     掠 め

る も の と さ れ る 。 (

5

) そ し て 保 延 六

( 一 一 四 〇 ) 十 二 月 七 日 に 金 剛 峰

衆 徒 が 蜂

を 企 て 、 翌 八 日 に

に 乱 入 し た と こ ろ 、

    内 に

鑁 の 姿 が

え ず

上 に 二 体 の

動 尊 が 同

し て い た 。 悪

ど も は ど ち ら が 覚 鑁 で あ る か を 見 分 け ら れ 一

38

一 N工工一Electronlc  Llbrary  

(9)

大 伝法 院襲撃 事件と 不動化現説話    

、 矢 の 根 を 以 て 膝 を

た と こ ろ 、 二

に 血 を 流 し た 。 こ れ に よ り 悪 僧 達 は 力 及 ば ず に 退 去 し た と い う 錐     鑽 不 動 の

が 語 ら れ る 。 (

6

) 覚

は 過 無 き 本 尊 に こ の よ

な 憂 き 目 を 遭 わ せ る こ と は 悲 し い こ と だ と し て 、

厳 院 を 出 て 直 ち に

来 へ 入 っ た 。 (

7

) そ し て こ の 不 動 の 霊 像 は

大 師 の 御

で あ り 、 東

西 院 の 本 尊 で あ っ た が 、 美 福 門 院 の

し 付 け に よ

覚 鑁     が

を し 、 模

を 東

に 返 し 、

法 大 師

作 の

尊 を

院 に

置 し た と さ れ 、

来 の

厳 院 に

し 、     今 に

え ら れ て い る と い

の 不 動 像 の 縁 起 が 語 ら れ る 。 (

8

) そ し て 金

寺 の 悪

達 は 、

鑁 を 追 い 出 し た

院 方 の 坊 舎 二 百 余 坊 を 切 り

せ 、 仏

を 奪     い 取 り 、 大

法 院 方

七 百

人 を

し た 。 (

9

) こ の こ と が

院 方 よ り

へ 注 進 さ れ 、 貫

よ り

羽 上 皇 へ 伝 え ら れ 、

本 で

る 執 行 宗 賢 、 執 行 代

、    

に 処 せ ら れ た 。 (

0

璽 ) ま た こ こ で

阿 闍 梨

く の 僧 が 起 請 ・

を 霪 げ た と し 、

賢 の

三 年 (

三 四 ) 八 月 五 日 の 起 請     怠

を 引 用

る 。 ま た

の 起

・ 怠

を 進 め た 人

を 上

る 。 (

1i

) そ の 後 、 覚

野 由 帰 山 の 院 宣 が 下 さ れ る が 、

山 す る こ と な く 、

来 寺 を

立 し た と さ れ て い る 。 ま た こ     こ で

延 五

七 月 二 す 八 日 に 下 さ れ た 院 宣 八

条 状 の 一 部 が 引 用 さ れ る 。   こ の 『 上 入 縁 起 』 の 記

に は 、

く の 矛 盾 ・ 問

が 存 在 す る 。  

づ 切 っ

と な っ た と さ れ る 保 延 六

十 二 月 の

の 境 界

い で あ る が 、 こ れ に つ い て は 『 上 人

起 』 の

立 年

の 問 題 と 合 わ せ て 、 別 に 論

る こ と と し

、 た だ こ の

が 『 上 人 縁 起 』 以 前 の

関 係

中 に 見 ら れ な い こ と と 、 そ こ に

び つ け ら れ た 『 御

趨 』 を

権 の

拠 と す る 問

の 生 じ て く る の が 、

院 が

野 山 上 か ら

く な っ た

柄 で あ る こ と だ け を

し て お き た い 。 一 39 一

(10)

NII-Electronic Library Service 智 山学 報第四十九  

に (

9

) の 張 本 で あ る 執 行

賢 、 執 行

玄 信 、

が 遠 流 に 処 せ ら れ た と い

記 事 で

る が 、 こ れ は 『 高 野 春 秋 』 ( . ) な ど が 指

す る よ う に

三 年 ( 一 一 六 八 ) 正 月 八 日 の い わ ゆ る 「 裳 切 り 騒

」 に お い て 、 金 剛 峰 寺

衆 徒 が 大 伝

院 を 襲 撃 し 、 諸 院 房

を 破 却 し 什 物 を 奪 い 、 こ れ に よ り 大 伝 法 院 方 衆 徒 等 が 逃

し た 。 こ れ に 対 し 五 月 三 日 に

の 張 本 と し て

行 宗 賢 、 玄 信 、

流 に 処 せ ら れ る 、 と い

時 の も の で 、

延 六 年 、 明 け て 翌 永 治 元 年 の も の で は な い 。 ま た (

8

) の 金 剛 峰

の 悪

達 が 大

法 院 方 の 坊

坊 を 切 り

せ 、 仏 旦 ハ ・ 本

等 を 奪 い

り 、 大 伝

衆 徒 七 百 余 人 を 追 放 し た 、 と い

は 、 「

鑁 を 追 出 し た 」 と い

以 外 は 、 こ の 「 裳 切 り 騒 動 」 の 記 録 と 全 く . 致 し て い る 。   「 裳 切 り 騒 動 」 の 切 っ 掛 け は 、

野 に 隠 遁 し て い た 入 道 教 長 ( 、。 ) の 命 に よ り 、 正 月 の 修 正

に お い て

方 衆 徒 が 色 衣 を

し た こ と で あ り 、

野 の 定 め で は

衣 を

こ と が 高 祖 空 海 の 起 請 で あ る と し て 金 剛 峰 寺 衆 徒 が 非 難 を し 、 こ れ を 無 理 に 制 止 し よ う と し て 騒 動 と な

、 金

峰 寺

の 中 に 死 亡 す る も の が あ り ( こ の 時 大 伝 法 院 方 は

を 持 た ず と す る か ら . ) 、 こ れ が 大

法 院 方 の 抵

に 遭 っ て 死 亡 し た も の か 、 騒 乱 の 中 で

間 の

に よ っ て 誤 っ て 死 亡 し た も の か 不 明 で あ る 。 ) 、 勢 い を 増 し た 金 剛

寺 衆

が 大 伝

院 方 の 坊

を 切 り

せ 、 財

い 、 衆 徒 を

い 払 っ た も の で あ る 。 左 大 臣 三 条 実 房 ( 一 一 四 七 〜 一 二 二 五 ) の 日 記 で あ る 『 愚

』 ( 怨 に よ れ ば ( こ の

実 房 は 中 納 言 ) 、

本 で あ る 入 道 教 長 は

ち に 逃

去 っ た と い

。 ま た 両

の 僧 侶 を 召 し て

決 さ せ た 上 、 院 宣 に よ り 本 寺 ( 金 剛 峰

方 )

徒 を

禁 に 処 し た た め 、

種 の

を 盗 み

っ て 逃 げ 去 っ た と さ れ て い る 。

い は 鳥 羽 上 皇 の 院 司 で あ っ た 兵

卿 平

( 一

二 〜 一 一 八 七 ) の 日 記 で あ る 『 兵 範

』 ( 怨 で は 、

に 執 行 宗 賢

の 処 分 の 内 容 が 詳 し く 記

さ れ て い る 。 勿 論 、 こ れ に 関 わ る

院 方 の

状 や 院 宣 な ど も 残 さ れ て い る 。   こ れ に 対 し 保 延 六

又 は 翌 永 治 元 年 の

伝 法

状 と い

も の は そ の 記 録 が 無 く 、 処

に 関 す る 院 宣 の

録 も 『 上 人 縁 起 』 に 引 か れ る も の だ け で あ る 。 そ も そ も

宗 賢

の 処 分

体 が 仁

の も の で あ り 、

治 元

40

一 N工工一Electronlc  Llbrary  

(11)

大伝 法院襲 撃事件と不動化現説話 の も の で は な い 。 永 治 元

行 検

は 琳 賢 で あ り 、 琳

は 後 の 久

五 年 ( 一 一 四 九 ) 五

に 大 塔 が

火 に よ っ て 焼

し た 責

を と っ て

任 す る

ま で 、

校 職 を

に 勤 め て お り 、 そ の 間 に 金 剛 峰 寺 方

が 、 大 伝 法 院 方 と の

論 に 関 わ っ て 何

か の 処 罰 を

け た と い う 記 録 は 全 く 見 ら れ な い 。

然 、 執 行 は 『 上 人 縁 起 』 が 述 べ る

賢 で は な い 。 こ れ は 実 際 に こ の

に 、 金

侶 に 対 し て 何

の 処

わ れ な か っ た と

え る べ き で あ る 。   ま た (

10

) で

賢 阿 闍 梨 を

め と す る

く の 僧 が 起 請 ・ 怠 状 を

げ た と し 、

の 起 請 ・ 怠 状 を 引 用 す る が 、 こ こ に

面 を 上 げ て い る の は 長 承 三

三 四 ) 八 月 五 日 の も の で あ り 、 。 ま た

の 長 承

延 年 中 の 起 請 ・ 怠 状 を 進 め た 人 数 を 上 げ る が 、 こ れ ら も 全 て 保 延 六

よ り 以 前 で あ る 。 従 っ て こ れ ら の 起 請 ・ 怠 状 が 保

⊥ ハ

の 襲

件 や そ の

の 処 罰 に よ る も の で な い こ と は 明

で あ る 。   ま た (

H

) の 帰 山 の 院 宣 と 云 わ れ る も の は 、 そ の 本

が 示 さ れ

、 金

の 張 本 を 遠 流 に 処 し 、 そ の 他 は 怠 状 ・ 起

を 捧 げ た の で 、 早 く

山 し て 御 願 の 勤 め を

る よ う に と い

も の で あ る が 、 な ぜ 本 文 を 上 げ る こ と が で き な い の か 。 こ の 中 で 怠

・ 起 請 の 問 題 を 除 け ば 、 内 容 的 に は 仁 安 三

の 裳 切 り 騒 動 の 時 の も の と 一 致 す る の で あ り 永 治 元

の 院 宣 そ の も の は 伝 え ら れ て い な い と い え る 。   ま た

法 院 ・ 密 厳 院 は 鳥 羽

皇 の 御 願 寺 で あ り 、 そ こ で は

願 の 勤 め が

さ れ な け れ ば な ら な か っ た 。

し こ の 御 願

却 し た と す れ ば 、 重

で あ っ て そ の 張

で あ る

を 初 め と す る 金 剛 峰

衆 徒 が 処 罰 を さ れ な い

が な い で あ ろ

し 、 そ れ に 対 す る 朝

・ 院 政 関

等 か の 記 録 が

っ て い る

で あ る 。 実 際 、 仁 安 三

の 「 裳 切 り 騒 動 」 が 大

っ た の は 、 鳥 羽 上 皇 ・ 美

門 院

願 の

・ 焼 亡 し 、 そ こ に お け る 御 願 の 御

を 中

さ せ た た め で あ り 、 そ の 早 急 な

興 が 図 ら れ て い る

。 そ し て そ の

件 の

本 と し て 、

の 執 行

が 遠 流 に 処 せ ら れ 、 院

の 関 係 文 書 が 『 根 来 要

』 に 収 録 さ れ

に 「 兵

記 』 ・ 『 愚 昧

』 な ど の 公 卿 の 日 記 に

(12)

NII-Electronic Library Service 智山学報第四 十九輯 記 録 さ れ て い る 。 『 高 野 春 秋 』 で も こ の

行 検 校 達 の

罰 ・ 交 代 は 記 録 さ れ て お り

し て 無 視 さ れ て は い な い ( 理

け は 金 剛 峰 寺 方 に

な も の に 改

さ れ て い る が ) 。 そ れ に 対 し て 、 保 延 六

十 二 月 の 大 伝 法 院 ・ 密

院 襲

件 も 、 全 く 同

に ( 同 一 の )

願 寺 の 破

事 件 で あ り 、 院

廷 に と っ て も 重

で あ っ た

で あ る 。 若 し こ れ が

際 に 在 っ た こ と で あ れ ば 、 金 剛 峰 寺 方

徒 の 処 罰 は 勿 論 、 大

法 院 方 か ら の

状 、 そ れ に 対 す る 院

、 更 に は 第 三

的 史 料 と し て の 公

の 日 記 類 等 に 何 等 か の 記 録 が

さ れ て い る 筈 で あ る 。 し か し 『

要 書 』 に も 、 『 扶 桑 略 記 』 や 公 卿 の 日 記 な ど の 当 時 の 他 の 記 録 類 に も 、 全 く そ の 記

を 見 出 せ な い し 、 金

寺 方 僧

の 処 罰 に 関 す る 記 録 も

出 す こ と は 出 来 な い 。

っ て 、 翌

治 元

以 降 も 引 き 続 い て 正 月 の

拝 を 初 め と す る

を 、

の 執 行

賢 が 無 事 に 勤 め て い る 。 仁

三 年 に は 見 ら れ る

法 院 ・ 密 厳 院

建 の 院 宣 に 関

る 記 事 も 、 永 治 元

以 降 の 時

に は 見 出 せ な い 。 こ れ ら の 記 録 が 全 く 残 さ れ て い な い こ と 、 及 び 金 剛

方 衆

の 処 罰 が 実 際 に は 全 く

わ れ て い な い と

え ら れ る こ と は 、 こ の 保 延 六 年 の 襲 撃 事

そ の も の の

性 に 重 大 な

問 が 存

す る と い

こ と で あ る 。 42

N工工一Electronlc  Llbrary  Servlce

         

2

『 高 野 春 秋 編 年 輯

』 の 説   『

野 春 秋 』 〔 召 で は 『 上 人

起 』 の 伝 承 と 同 様 に 保 延 六 年 十 二

伝 法 院 ・ 密 厳 院

件 を 記 録

る が 、 そ の 内 容 は 十 二 月 七 ロ に

寺 ( 金 剛 峰 寺 ) 方

徒 及 び 坊 人

が 相 賀

の 争 論 に こ と よ せ て 諸 荘 の 兵 士 を 集 め 、

法 院 へ 駈 け よ せ よ う と し た 。 八 日 に

人 が 兵 士 を 引

し て

院 ・ 密 厳 院 を

め る と 、 院 僧 ( 大 伝 法 院 方

徒 ) は 甲 冑 を 帯 し 、 番 士 を 組 み 入 れ て こ れ を 待 ち 受 け 応 戦 し た が 、

に 退

し た 。

鑁 は

来 へ 出

し 、 本

方 衆

は 勝 ち に 乗 じ て 僧 房 八 十

宇 を

し た 。 此 れ は

鑁 の 門

の 僑

に よ る も の で 、

寺 を 蔑 す み 、

院 を

し た た め で 、 祖 神 ( 高 野 明 神 ) の

意 で

る と す る 。 ま た そ こ で

記 の 中 に 「 山 史 に 云 く 」 と し て 、

鑁 は 密

院 を 追 い 立

(13)

大伝法 院襲撃事件 と不動化 現 説話 て ら れ 、 院 の 前 の 蓮 池 に 入 り

造 の 五

に 変 じ た が 、

人 が こ れ を 打 ち

そ う と し た の で 、 ま た 形 を 現 じ て 不 動 口 に 逃 げ 、 不 動 堂 に 入 っ て 不 動 に 化 け た 。 世 智 の

が 試 み に

を も っ て

を 揉 む と 血 が 流 れ 、

鑁 は こ れ を 見 る に

び ず 、 堂

び 出 し て 直 ち に 根 来 に

っ た 、 と さ れ る 。 ま た こ の

件 に 関 す る 私

を 述 べ た

に 、 「

集 』 が

等 の 配

を 載 せ る の は 仁

三 年 の 「

切 り 騒 動 」 の 誤 り で あ る こ と を 指 摘 す る 。   但 し こ こ で 、 こ の 保 延 六

の 騒 動 に 対

る 金 剛 峰

衆 徒 の 処

や 、

の 対 応 の 問 題 な ど は 一 切 触 れ ら れ て い な い 。 勿 論 こ れ は そ の よ

な 処 罰 が 無 か っ た か ら で あ ろ

し 、 保 延 五 年 に 補

さ れ 、 こ の

の 執

検 校 で あ っ た

が 永

正 月 の

拝 を

め る な ど 、 そ の 後 も 一

し て

職 に

っ た こ と を 記

し て い る 。   こ れ に

し 仁

の 「 裳 切

騒 動 」 に 関 す る 『 高 野

秋 』 の 記

( 弩 は 、 些 か 誤 謬 が 見 ら れ る 。 こ こ で は 正

十 一 日 に

院 僧 侶 が

い 交 じ っ て

の 修 正 会 を

め る 時 に 、 本 寺

人 が 末 院 衆 の 絹 の 裳 を 切 り 捨 て 、 こ れ に よ り

院 の 悪 僧 が

寺 の

仕 僧 を 殺

し 、 そ の

合 戦 と な っ て 、

隆 海 ・

主 日 禅 ( 釜 は 出

し 、 本 寺 方 は 力 を 励 ま し 、 院 僧 七

輩 を 追 撥 し 、 院

二 百

坊 を

し た 。 こ れ は 久

三 年 の 院 僧 帰

の 誓 紙 ・ 院 宣 に 任 せ た も の で あ る と す る 。 こ の

住 問 題 に つ い て は

に 触 れ る が 、 更 に 『

野 春 秋 』 で は 二 十 日 に 、 日 禅 ・

等 (

法 院 方 衆

) の

・ 非

・ 濫

、 特 に

鑁 の 大 師 号 奏

の 趣 を 官 に 訴 え 、 五 月 三 日 に

裁 が 下 り 、 騒 動 の 原 因 は 大

法 院

の 非 法 ・

の た め で あ り 、 本

殺 害 は 重 罪 で あ っ て 永 く

住 す べ か ら ず 、

害 人 は 禁 獄 と し 、 以

鑁 の

号 の 奏 上 は し て は な ら な い と い う こ と に な っ た 。 し か し 本

方 の 訴

は 私

を 先 に し 公 裁 を 後 に し た も の で 不

で あ る か ら

・ 上 綱 玄

等 が 配 流 さ れ る こ と に な っ た 、 と す る 。   こ の 『

秋 』 の

は 、 『 兵

記 』 『 愚

記 』 に 照 ら し て 明 ら か に 誤 り で あ り 、

騒 動 の

実 関 係 を 金

峰 寺

な も の に

る た め に 歪 め て し ま っ た

の で あ る 。 金 剛 峰 寺 方 僧 の 死 亡 に つ い て は 、 『 愚

』 に よ れ ば

院 ・ 密 厳

の 争 乱 の 中 で 起 き た も の で 、 実 際 に ど の よ う な 状 況 下 で 起 き た こ と か は 不 明 で あ る 。 こ の

(14)

NII-Electronic Library Service 智 山学報第四十 九輯

方 の 主 張 に よ れ ば 甲 冑

え ず と す る 璽 。 ま た

法 院 密 厳

の 再 建 、 大

の 帰

に つ い て も

に よ っ て 促 さ れ て お り 、 『

野 春

』 に 載 せ る

裁 の マ 水 く

べ か ら ず 」 と い

な も の で は な い 。

の 遠 流 と い っ た 処 罰 は 「

切 り 騒

」 の も の で あ っ て 、 訴 奏 云 云 と い う よ

な も の で は な い 。 勿 論 、

訟 の 仕 方 だ け で 遠 流 に さ れ る こ と は

え ら れ な い 。 こ れ は 金 剛 峰 寺

の 訴 奏 が 正 し い も の で あ り 、

に も 認 め ら れ た と 主 張 し な が ら 、 し か も 遠 流 の 処 罰 の

実 は 誤 魔 化 せ な か っ た た め に 、 そ の 理

を 作

し た も の で あ ろ

。   ま た こ こ に 見 ら れ る 覚 鑁 大 師 号 奏 請 の 問 題 で あ る が 櫛 田 博 士 は こ の 『 高 野

秋 』 の

述 を

用 さ れ て い る よ

で あ る が

、 仁

三 年 は

入 滅 か ら

か 二 十 五 年

の こ と で あ

、 覚 鑁 の

弟 子 達 が 生

し て い る 。 入 滅 直

に 大 師 号 を 下 賜 さ れ た 慈 覚 大 師 円 仁 の 例 な ど も あ る が こ れ は 特 殊 な も の で 、 真 言

で は 空 海 に 対

る 弘

大 師

の 下 賜 も

入 定 か ら 八 十 六

後 の 延

二 十 }

で あ っ た し 、 覚 鑁

時 で は 寛 助 ・

が 先 師

朝 ( 九 一 六 〜 九 九 八 ) の 大 師 号 を 奏 請 し た の が

朝 入 滅 後 百 年 以 上 を 経 た 天 仁 二 年 ( 一 一 〇 九 ) で あ っ た 。

鑁 の 師 で あ る 寛

は 勿 論 、 未 だ 益 信 ・ 聖 宝 な ど も 大 師 号 を 下

さ れ て い な い 時 に 、 如 何 に 鳥 羽 上 皇 の

依 を

け て い た と は い え 、 入 滅 直

の 大 師 号 奏 請 な ど が あ っ た と は 考 え が た い 。 大

の 本 寺 (

首 ) で あ る 仁 和 寺 門 跡 、 ま た は そ の 政 所 が そ の よ う な 奏 請 を 認 め る

も な い し 、 院 庁 へ 取 り 次 ぐ こ と も あ り 得 な い で

ろ う 。 な ぜ 『 高 野 春 秋 』 が 宗 賢 等 の

流 の 理 由 付 け と し て こ の よ う な 内

し た の か は 不 明 で あ る が 、

鑁 大

奏 請 の

事 は

実 と は 認 め が た い し 、 こ こ に こ の よ う な

が 挿 入 さ れ た こ と は 、 や は り 「 裳 切 り 騒 動 」 に お け る

裁 の 理 由

け の た め の 付 会 と

べ き で あ ろ

。 一

44

N工工一Electronlc  Llbrary  Servlce

       

3

亠 咼 野 山 上 の 大

法 院 方 と 久 安 三

野 帰 山 説 ま た 「

秋 』 で は 、 保

六 年 の

に よ っ て 大

を 追 却 し た 後 、

院 座 主 神

( 隆 海 ) ・

(15)

大伝法院襲撃事件と不動化現説話 密 厳 院 主

海 の 誓 状 と 院 宣 に よ っ て 帰 山 を 許

羣 ま で 、 高 野 山 上 に は 大

院 方 衆

は 存 在 し な い も の と し て い る 。

田 博 士 は 襲

件 そ の も の は 認 め ら れ な い よ

で あ る が 、 然 も こ の

山 の 院 宣 を 認 め て 、

鑁 の 根 来 移 住 に 伴 っ て

達 も 移 住 し て い た も の で あ り 、 そ の 間 に 高 野 へ 帰 山 す る こ と が で き な か っ た も の と さ れ て い る 。

し 覚 鑁 が

来 へ 移 住 し た

も 、 高 野

上 に 大 伝 法

・ 密 厳

は 存

し 、 大 伝

徒 は 居 住 し て い た の で あ り 、 決 し て 覚 鑁 と と も に

来 に

り 、 高 野

上 か ら そ の 跡 を 絶 っ た な ど と い う こ と は な い 。   先 づ こ の 時 期 の 大 伝

院 ・ 密

の 政

を 果 た し て い た こ と は 、 永

( 一 一 四 二 、 四

二 十 八 日 に 改 元 し て

元 年 ) 三 月 十 三 日 に 相

の 荘 河 北 の 下 司 職 に 関 す る 下 文 冊 ) が 密

院 政 所 よ り

さ れ 、 同

治 元

十 月 十 一 日 に は

伊 の 国 使 ・

人 達 が 大

法 院 領

を 押 妨 す る の を

え る 訴 状 が 大

法 院 三 綱 の

に よ り 出 さ れ て い る 藝 こ と な ど か ら 明 ら か で あ る 。 ま た こ の 騒 動 の 償 い と し て

伊 国 司 か ら 渋 田 の 荘 が 大

院 に 寄 進 さ れ て い る

が 、 そ こ に 再 建 の 言 葉 は な い 。 ま た 康 治 二

( 天

元 年 ) に 日

・ 国

の 神 人 等 が

法 院 領 山 東

を 押

し た こ と を 訴 え た 天 養 二

三 月 二 十 八 日 の 訴 状 哲 で も 三

が 署

を し て い る 。 若 し 保 延 六

の 襲 撃 に よ っ て 大 伝

・ 密

院 が

さ れ 、 伝 法 院 方

来 に 移 住 し た ま ま

野 に

山 し て い な か っ た と

れ ば 、 即 ち 大

院 ・ 密 厳 院 が

質 的 に

し な く な っ て い た と す れ ば 、 政 所 の 僧 侶 達 は 根 来 に 住 し て い た で あ ろ

が 、 そ の 院

は 実 効 で き な か っ た で あ ろ う 。 こ の こ と は

野 山 上 の

院 ・ 密 厳 院 に 何

も な く 、 そ の 政 所 が

能 し て い た こ と を 示

も の と

え ら れ る 。

な く と も 、 設 え 襲 撃 が あ っ た と し て も 、

治 元

に は 完 全 に

さ れ て い た と い う こ と に な ろ

。   ま た 保

七 年 ( 一 一 四 一 、 七

十 日 に 改 元 し て 永 治 元

) 三 月 二 十 三 日 に 、

二 代

院 学 頭 (

以 降 の 初 代 ) で あ っ た 宝 生 房 教

野 南 谷 住 房 に 入 滅 す る が 、 そ の 最 古 の 伝 が

( 〜 一 一 八 七 〜 )

『 高 野 山

』 〔 . v に 見 ら れ 、

弟 の

に 委 曲 を 知 る と し て そ こ に 仏 厳 房 聖 心 が 随 従 し て い た こ と が 示 さ れ る 。 聖 心 も ま た

十 一 .

(16)

NII-Electronic Library Service 智 山学 報第四十九輯 十 八

の 大 伝 法 院 学 頭 墾 で あ り 、 九 条

実 の 帰 依 の

と し て 、 ま た 『 十 念

往 集 』 の 抄 出 者 璽 と し て

ら れ る が 久 安 六

の 覚 法 法

王 の 高 野 で の

法 要 に さ い し て 小 田 原 教 懐 聖 人 堂 に

さ れ た 孟

盆 講 を 、 浄 林

海 .

蓮 房 . 大 乗 房 証

・ 泉 勝

・ 理 覚 房

と 共 に 、

華 の 役 を

め て い る

院 方 の 僧 侶 で あ る 。

論 、

も ま た 大 御 室 性 信 法 親 王 ⊃ ○ 〇 五 〜 一 〇 八 五 ) 付 法 の 仁 和

で あ り 、 大

法 院 方 の

と い

べ き で あ る 。

は 「 血

聚 記   弔 ) で は コ 咼 野

生 院 阿 闍 梨 」 と 称 さ れ 、 『

野 春 秋 』 で は 高 野 に 隠

し た 初 め に は 往 生 院 に

に 南 谷 に 庵 室 を 作 っ て 移 り 住 ん だ と さ れ て い る 。 覚 鑁 が

野 山 に 初 め て 登 っ た 時 に 寄 住 し た の が 往 生 院 で あ っ た し ( 覗 ) 、 こ の 時 既 に 教 尋 は 南 谷 に 移 っ て い た も の の 、 そ こ に 住 し て い た ( 覚 鑁 を 迎 え 入 れ た ) 阿 波 上 人 青 蓮 は 、 や は り

和 寺 僧 と さ れ る ( 輩 。 こ の 往 生 院 は 興 福

僧 で あ っ た 小 田 原 聖 迎 接 房 教 懐 ( 一 〇 〇 一 〜 一 〇 九 三 ) の 創 建 で

る が 『 霊

縁 起 』 羣 で は 大

法 院 の 八 箇 所 僧 院 の 一 に 数 え ら れ て い る 。 こ れ ら の こ と か ら

れ ば 、 こ の

期 に

生 院 は 仁 和

別 所 と な っ て お り 、

も 、 覚 鑁 も 、

和 寺 僧 と し て 仁

寺 別 所 に 入

し た も の と す べ き で あ ろ

。 ま た そ れ が 大

法 院 の

立 に 伴 っ て 、

伝 法 院 方 の 僧 院 と な っ た と

え ら れ る 。 保 延 六

十 二 月 か ら 未 だ 三 ヶ 月 し か 経 て い な い 時 に 、 教 尋 ・ 聖 心 と い う 大 伝 法 院 方

が 高 野 山 上 に 住 し て い た の で あ る 。 『

野 春 秋 』 で は 教

( 金

峰 寺 方 ) の 僧 で

る か の よ

に 記 し 、 大

法 院

頭 と な っ た こ と を 「 末 院 の 学 頭 に

し て

徒 に 本

門 を 写 し 学 ば し め る 」 も の と し て い る

§

が 、 こ れ は 前 年 ( 保 延 六 年 ) に

院 方

野 山 上 か ら 追

し て

も い な い

の 所 を 、 『 高 野 山 往 生

』 に 教 尋 の 伝 が

録 さ れ 、

野 山 上 に 居 住 し て い た こ と が 明 白 で あ る た め に 、 こ れ を 本

と し た も の で あ ろ う 。   或 い は

二 年 に 覚 鑁 建 立 の

来 の 円 明 寺

の 落 慶 供 養 が 行 わ れ て い る が 、 『

要 書 』 に よ れ ば

治 二

二 月 十 七 日 に 高 野 山 よ り 大 日 ( 本

) を 迎 え 、 閏 二 月 八 日 に

羽 院 の 熊 野 詣 の 途 次 に 供 養 を

せ ら れ た と さ れ る 埀 。 と す れ ば こ の 時 、 高 野 山 上 に 大

院 方 の 勢 力 が 存 在 し 根 来 と の 問 を

復 し て い た こ と に な ろ う 。 一

46

一 N工工一Electronlc  Llbrary  

(17)

大伝法院襲 撃事件 と不動 化現 説話   こ の よ

に 見 て く る と 、 『

野 春 秋 』 な ど の 金

方 史 料 の

え る 久

院 座 主 神

) .

厳 院 主

海 の

状 と 院

に よ る 大

法 院

野 帰 山 の 記

と い

も の は 信 憑 性 が 無 い も の で あ り 、 『 上 人 縁 起 』 の 説 く 保

六 年 の 大 伝 法

撃 を 取 り 込 ん だ 所 で

上 げ ら れ た 偽

做 す こ と が で き よ う 。 こ れ を 創

し た 理 由 は 、 応 に 大

院 ・ 密 厳 院 を 襲 撃 ・

し 、 伝

院 方 衆 徒 を 追

し た 仁 安 三

切 り 騒

で の 金

方 の

動 を 正 当 化 す る た め の も の で は な か っ た か と

え ら れ る 。   こ の よ う に 『 上 人 縁 起 』 の 記 述 は 、 仁

法 院 襲

件 (

切 り 騒 動 ) や 長 承 三

か ら 以 降 の

. 怠 状 の 記 録 な ど 、

の 前 後 関

や 、 他 の

と の

の 混 同 が 甚 だ し く 、 そ の

三 者 的 史

か ら は 、 保 延 六

が あ っ た と は

え が た い 。 ま た 永 治 元

以 降 も 高 野 山 上 の

伝 法 院 ・

院 は

ら ず に 機

し て い た と 考 え ら れ 大 伝

院 方 衆 徒 も

高 野 山 上 に

し て い た 。 こ れ ら の こ と か ら す れ ば 、 保 延 六 年 十 二 月 の 襲 撃

件 そ の も の が

際 に は

し な か っ た と

え な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。

  と こ ろ で 『 上 人 縁

』 よ り 以 前 の 不 動 化 現 説 話 と い え ば 、 既 に 指 摘 さ れ て い る よ

に 、 『 霊

縁 起 』 よ り

し 以 前 ( ほ ぼ 同 時

) に 成 立 し た と

測 さ れ る 『

集 抄 』 と い う 説 話 集 の 「

鑁 上 人 定 中 成 不 動

」 に 、 い わ ゆ る 「

鑽 不

」 と し て 知 ら れ る 最 初 の 説

例 が 見 ら れ る 。   こ の 『 撰

抄 』 は 西 行

( 一

八 〜 一 一 九 〇 ) の 撰 に 化 託 さ れ て い る が 、

は 建 長 二 年 ( 一 二 五 〇 ) か ら 十 数

間 、 ま た は 数 十 年 あ た り 、 遅

と も 正 和 四

( 一 = = 五 ) よ り 以

に 編 纂 さ れ 、 成 立 し た 編 者 ( 作 者 )

詳 の 鎌

の 説 話

と さ れ る 愈 。 こ れ は 大 伝

院 が

野 山 上 か ら 根 来 へ 移 さ れ た

に 相 当 す る と い え よ う 。

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7 ) Henri Focillon, ‘L’Eau-forte de reproduction en France au XIXe siècle’, Revue de l’art ancien et moderne, 28/ 1910,

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