唯識思
想成
立
の
根拠
と
染浄
二
分
の
依
他
性
・
転依
島 村
大
心
0
.
序 文
我
々 は前 輯
に 発表
した拙 論
「
唯 識 思想
に お け る真
理の意 味 」
に おい て、
四 つ の真
理命
題を提 出
した
。 その内
、
既
に上 記 拙 論
にお
い て我
々は次
の 二点
を明 らか
にした
。縁生依 他 性を中 心と す る 三
性
説は、
般若
空思想に おける第一
真 理 命 題 (悟りに おける能 所 識の滅 ) を唯 識の立場か ら
一
段と明 確に し たもの である こと。
真実性
は、
般若
空思想
に おけ
る第
三真
理 命 題 (真 如が実有
であ るこ と) を唯識 派の立 場 か ら捉 え
直
した もの であること。
本 稿
では、
こ こ で説 き得 な
かっ たの
真
理命
題の内、
につ い て 述べ よ
う
とす
るも
の であ る。
その内
容
は次
の逓 り
であ
る。二
分
依 他 性およ び転
依の思 想 は般 若 空 思想にお け る 第二真 理 命 題 (悟 りにお い て は無明 即 明・
煩 悩 即 菩 提の事 態が成 立し てい ること) を唯 識 派の立 場 か ら 理 論 的に表 現 しようと し た ものである こ と。
この
問
題を
、
以
下『
摂 大 乗 論
』
を中心
にし
て解 明す
ること を試
み る。 こ の 二分 依 他 性・
転 依 は、
本 論で 明 ら か に す る よ う に、r
起 信 論 亅の一
心
、
お よ び「
釈 摩 訶 衍 謝
に お け
る「眠 士 夫 悟 士
夫
の共 通
身心 相続
」
、
「
望
別決 断
」
(大
正32619a
>
、厂
染 浄 真 如
」 「
染 浄 本
覚」 「
染浄
虚 空
」
(
同
614
b
)
、
「
非
有 為 非
無 為
の一
心
本法 」
(同6
且Oa
)の概 念 内 容 を理 解 す
る ため にも重 要
なも
の であ
っ て、 かつ唯 識 概 説 書
で触
れ ら れ る こ と は稀
な の で、
許
さ れ る範
囲 で詳細
に 説く
こ ととす
る。
な お、
これを説 く前
に、
上記 拙 論
では紙 数
の制 約
か ら触
れる こ の でき な
かっ た唯 識 思 想
、
特
に真
実 性の成 立 根 拠 と し て 論書
が挙
げる (133
)智 山学 報 第 五 十 五
輯
多
く
の喩 を説 明
して おく
こと にす
る。
そこでの喩
の多
く
は、
以下
に説 明 す
る よう
に、
禅 定 状 態
に関 す
るも
の で、
凡 夫
の 日常 生 活
の意 識
徹 心 ) に は該 当
しな
い。 こ れ は悟 り
が元 来
、禅 定 状 態
にお け
るも
のであ る
こと を前 提
にし
て いる か ら であ
っ て、 この点
を明
確
にし
ていく
こ と は重
要
であ る
。尚
、上 記 拙
論
と 同様
に、
本
稿
も、
基
本
的 に は 上 田義
文の理解
し た古
唯 識説
に よ るこ と と し、
テ キス トは長 尾 雅 人
r
摂 大 乗 論
亅
上
下 (講 談 社)を使
用す
る。
1.
真 実 性 成 立
の
根 拠
縁
生依
他 性
を 基礎
と し て成
立 す る と こ ろのく
分 別 性の無 蕭 唯 識仮 有 無 境
、
及 び境 識 倶 泯
=
三 無 性
、
と し
て の勝 義 無 性 な
る事 態 〉
(=
般 若 空 思 想の発 見し た 第一
真 理 命 題 )は
、
凡 夫
の理 解 を越 え
てい るのであ
っ て、
凡 夫
にと
っ ては
、
論 理 的
に完 全
に は解 明 され
るも
の ではな く
、
唯 識 観
という行 的 智
に よっ て悟
ら
れ るも
のな
のであ
る (上 田cIO3 )。 これ を我
々が 多 少 な り
とも 理 解 す
るの は、
中観 思 想
お よ び「
起 信 論
亅
に おけ
るそ
れぞ
れの悟
りの構 造
と対
比す
る こ と が有
益
で あ る の で、
まず
こ れ ら二者
の悟 り
の構 造 を再 確 認 す
ること
か ら始
め る。(
1
} 中観 思 想
に おけ
る悟 り
の論 理 構 造 と真 理 命 題
こ の
よ う な事 情
は中 観 思 想
でも同 様
であ
っ て、
悟 り
に お け る第
一
真
理命
題、
す な
わち
〈
凡
夫
に とっ て は存在
し てい るも
のと見 え
てい る能取
・
所取
、
の止
滅 と
、
識
別作
用の止 滅 〉
は、
悟 り
に おいて実 現 す
るの であ
っ て、
これ を 凡夫
は、
論 理 的
に完 全
に説 明 す
ること はでき な
い。し
かし
、
中 観 思 想
に おいて は、
こ の事 態
を、縁
起
・
無 自性
・
無相
・
平
等
という
空
概
念
に よっ て、
説 明
す る の であ
る が、
そこには以
下の論 理 構 造
が内 包
さ れて い る ことを 推 測 す
る ことが でき
る。
(
a) す な
わち
、
〈
凡 夫
にと
っ て存在
し
てい ると見 え
ている一
切
法〉
は
、
縁
起
によっ て生起
して いる。
(
b} 縁 起
によ
っ て生 起 し
ているも
のは
、
そ
の存 在 根 拠 を
、
自分 自 身
では な
い他
の因
と縁
に よっ てい るのであ る
か ら、無
自性
であ
る。 (134
)唯識思 想 成 立の根 拠と染浄二 分の依他 性
・
転 依 (島 村 )(
C)
無 自性 な
る こととい
う局 面
に注 目す れ ば
、一
切 法
は、一
刹
那も 自
性 を保
つ こ と は で きず
に、
次
刹
那
に は、
個 物
(XD
は、他
のも
の (X2
、
X3
……
)へ と変 換 し
て ゆく
。従
っ て凡
夫
によ
っ て個 物
と し て認
識 さ れ てい るも
のは、
X1
を固 定
し、
そ こ に与
え ら れた 名称
・
概 念
に よっ て仮
設
され た も
のな
の であっ て、
X
そのも
のを認 識 し
ている
の でな
い。そ
れ故
、
万物
(X
}は
常
に変 化 し
てし ま
っ て捉 え ら
れな
い のであ
る か ら、
捉 え
られ な
いX
そ
のも
のが
、
真 実
には
、他
(Y) と裁 然
と区 別
さ れ る個 別 相 を保 持
して い る もの と規 定 す
ること は で は ない (無 相)という
こと にな
る。(
d) この よう
に、
真 実
には
(=
悟 りにおいては )個 別 相
がな
い という
こと
は、
万物
(
X、
Y、
Z、……
〉は
、
真 実
には 平 等 な
るも
の (X=
y=
Z=……
) と してあ
ると
いう
ことであ
る。〈
e)
凡
夫
にと
っ て個物
と
し て存在
していると見 え
ている万 物 が
、
真 実
に は全
て個 別相 を失
い平等
であ
ると
いう
こと は
、
真 実
=
悟 りにお
いて は、
認 識
対
象
が個 物 (
x
)と し
て認 識 され ず
、一
相
(=
平 等 相=
無 相) とな
っ てい ること
であ
る。と
こ ろ で、
そ の万 物
に は、
認 識 対
象
(所 取 )のみ な らず 認 識 主 体
(能取
)も含 まれ
てい る のだ から
、そ
の両 者
は真 実
には、一
相 す
な わ ち〈
認 識対 象
と認 識 主 体
は平
等相
(一
相・
無差別 )〉
なの であ り
、
そ
の両 者
は個 物
と しては存
在
し ていな
い (能所
の未 分 す なわ ち個 別 相の止 滅 という )状 態 な
のであ
る。
以 上の(c}
〜
{e}の無 相=
〈
個 物の止 滅 (=
能 所の止 滅 )〉
な る事態
を 比喩 的
に表
現 す る な らば、
個物 を、
そ れを 構 成し ている最 小 単 位 (クt一
ク)の レベ ル で 見て い ることである※。 さ らに言う
な らばクt一
ク の元であるエ ネル ギー
(物質
はエ ネルギー
の一
形 態である。
E
=
mc りの レベ ル で見て いる事
態 とい え よ う。
この こと こそが大 乗仏教の 能所
識 の滅な る第一
真理命 題 を 「空の内 実 」か ら見 た論
理構造
なのであ
る。
※ これ と同
一
の例と し て は、
r
大乗
起 信 論」
宇 井38及びr
大乗起 信論義 記」大
正44巻
251c は微 塵
と瓦器
の喩
を挙
げ、
r
釈 摩 詞 衍 論j
は大 正32 巻628 c は、
(135
)智 山学 報 第 五 十五輯
E
=mc2 を越えるもの (=
「一
相 す ら無 し」 同614C
) と して「
不見徴塵」
の喩 を挙
げている。
サ
ー
ン キ ヤ学派
の要eCPt
SOPkhya
−
kirikA
(3
〜
5
世 紀 )は、
第 11渇に おい て、
プラク リテ ィ (非 精 神 原理 》から展 開し たもの (vyak 【a )
、
す なわち現 象 界の諸物の平 等 (sirnfinya) を 説 くが
、
そ の理 由と し て ガ ウ ダバー
ダの注 釈 書は、
諸 物を
構 成す
る 三穂
(Ui−
gu卿
が 共 通 で あ ることを 挙 げ る。
こ の よう
に イ ン ドで は、諸
物
の平等
・
無 差 別 を、
その構 成要素
の共
通性
によっ で説明 す
る仕 方
が一
般 的なことであっ たのか も知れない。 し か し
、
仏典
・
論
書ではこ こに挙 げ た 例の他 に は あ ま り見 られ ない。
(
f
)
さ ら に、
これ ま で述
べ てき
た(
a)
〜
{
e)
の過 程 を 見 る な らば
、
第
二 の真 理
命 題
(無 明 即 明、・
煩 悩 即 菩 提・
世 俗諦
即 勝 義 諦 〉 が 浮か
び 上 がっ て来
る。
す な
わち(
a)
縁
起
→
(
b
}
無 自性
→
{
c)
無相
→
(
d
)
平 等
→
(
e)
能 所 識
の止 減
、
の過程
に おい て、
〈
(
a)→
(b}〉
は世 俗 諦
帆 夫 世 界 )の領 域
であ る が
、そ
の世 俗
aUhe
{
b
)(
無 自性 )
を契 機
と し て〈
(c}無 相
→ ω 》平
等
→ (e)能 所 識
の 止滅 〉 な
る勝 義 諦
(悟 り・
真
如 )と し
てあ
る。
つま り
凡夫
の世俗
世 界
く
{a)縁
起
→Cb
)無
自
性
〉
は、
そ
のま ま
が 仏 陀
の悟 り
の世 界
〈
(
c)
無 相
→(
d
}
平 等
→(
e瀧 所
識
の1L滅 )
〉
であ
ると
いう
第
二真 理 命 題
の構 造
(俗 諦=
勝 義 諦 )を保 持 し
てい ることを 示
し てい る の で あ る。
この構 造
は、
大乗
仏教
が最 初 期
の般 若 経 典
におい て既
に発 見 し
、
そ
の後
究 極
の真
理と
して種
々の大
乗
経 典
に説
き続
け ら れ るも
の であ
っ て、
密 教
で は さら
に強 調
さ れ る に至
っ た の であ
る(
島村
b
の A資料 を参 照)
。 し かしな
が ら唯 識思 想
の縁
生
依 他 性 を基 礎 とす
る三無
性説
で はこれを
説
明
す
る こと
は で きず
に、
二 分依 他
性
に依
っ たの であ
る (後 述 )。〔
9) と
こ ろ で悟 り
にお け
るく
識
別作
用
の止
滅〉
の根拠
は、般若空
思 想
で は「
無 為
にお
いては作 用
一
般 が な
い」 と
いう説
一
切 有 部
に おけ
る原
理を
そ のま
ま 適 用 し て 述べ るのが一
般 的 で あ る。
これ に対
して唯 識 説
ではこ の原 理 を用
いず
に、島村
cの3
.一
(
2)
にあ げ た 諸 例
の ごと く
、
〈
認識 対
象
の無
→識 別
作
用 の無
〉
という論 理 を用
い るのが 特 徴
であ る
。な お
、
「
倶 舎 論 亅 分 別 界 品 第
30
頌
に対 す
る釈
で は「
依
縁 (五根五境 ) 無 きが故
に 五 識 も亦
た無
し」
と説 明
さ (136
)唯 識 思想 成 立の根 拠 と染 浄二分の依他 性
・
転 依 (島村
) れ てい る点
に留 意 す
べき
であ
る。注 第
二真
理命
題の無 明 即 明につ いて は、
「釈 謝 (大
正第
32
巻
623
)
に六 種の
無
明 とし て詳
しく説
か れてい るの で参 照 され たい(
拙論 「
「
釈 摩訶衍論 亅
にお け る 六 無 明の真 意 」
1
印 仏研 ]2005年
及 び拙
論 「無 明 即 明の論 理 構 造一
「釈 摩訶 桁 論 亅による理 解 」 「豊 山 教 学大 会紀 要 亅 第34号の
付
論4
.
参 照 )。
中村
元「
仏 教語大辞典」
1313
「
無為 法」
。
た だ し、
桜 部71〜
2に よ れ ば、
有 力 能 作 因
、
無 力 能 作 因、
増上縁が無 為
に はあ り うると される ので、
無 為の無 作 用 性 につ いて は
、
筆 者の今後
の検討
課題
とし て留保
してお き たい。〔
2} 『
大 乗起 信 論
』
に おけ る悟 り
の論理 的根 拠
中観 思 想
で は、
空
の内実
と して以
上の よう
な複 雑
な構
造 を う か がい知
るこ とが
でき
る。 これに対 し
てr
起 信 論 亅
で は、
〈
無 明
に よ る一
心
へ の熏 習
の滅
〉
(これは取 り も直 さず無
明の滅
=
・
一
一
心独存
の こと)
に よっ て認 識 作 用
(妄 心 ) が成
立 せず
、
こ れ に よっ て認 識対
象
(
妄境界
)と
認
識 主 体
(能 見 相 ) が成
立 し ない、
と単 純
に論
理構 成
さ れている (詳 細は拙 論 島村e>。
こ の
論
理 は、
無 明
→行
→識
→
名
色→……
六 入→触
→受
……
老 死 と
いう十
二縁 起
に よ る妄
境 界
(俗
諦 ) の成 立 過 程
の、
逆 観
によ
るく
無 明
の滅
→識 別作 用
(
行
、
識 )の滅
→認 識
対 象
(
名
色)
の滅
→認 識 主 体
(六 入、
触、
受・
…・
・
老 死 )の滅 〉 を背 景
に し てい ること
は明
らか
であ
る。そ
れ故
「
起 信 論 亅
の上記
論
理
構
造
は仏 教 徒
に とっ ては当然
の こと であ り
、中 観 思 想
で見
た ご とき複雑
な構
造
は本 来 不 要
であ
っ た と 思 わ れ る。
しか し、
こ の一
心独
存
の論
理で は、
般 若 空
思想
が明 ら
か にし
た第
二真 理 命 題
(無 明 即 明、
煩 悩 即 菩 提 )の構 造
を説
明で きな
いの で心 真 如 門
で中 観思 想
の空
と全 同
の内 容
を繰 り
返す
こ と に よっ て こ れを 補
っ たのだと
思 わ れ る。そ
れでは唯 識 説
の場 合
は どう
であ
ろう
か。
能
所
識
の滅
な る第
一
真 理 命 題 は
、
唯 識説
に お け る縁 生 依 他性
に よ る 三性 説 と
して説 明 され
てお り
、そ
の成 立 根
拠
を 次項
で述べ る よう
に多
くの譬
喩で説 明 す るの で あ る。 ま た、
煩 悩 即 菩 提
な
る第
二真 理 命 題
は、 二分 依 他性
に よっ てその成 立 を根
拠づ け るのであ
る が、
(137
)智
山学
報第
五 十五輯
これ につ い ては 次節 「
2
.
染 浄
二分
の依
他性 」
で説 明 す
る。
{
3) 唯識
説
に おいて三無性
(
悟り》
が成
立 す
る論
理的根拠
唯 識説
の悟
り
、す
な
わち
〈
分別性
のne
=
唯 識
〔
仮有)無
境
〉及
びそ
れ に続
く <
境 識
倶
泯
〉
=
三無 性
=
勝 義 無 性
〉
な
る事 態
は、前 述
の通 り行
に よ る見 道
(初 地)以 降
の境 地
によっ て の み悟
ら れ る と さ れ る。 とこ ろ で仏典
は離 言
真
如 な る事 態 を 日常 言 語 化 し
たも
のであ
り
、論書
お よ び仏教学書
は、
そ の言語
化 され た 仏 教 真 理 を さ ら に凡 夫
にも理
解
でき
る よう
に解説す
るも
の であ
る。
そ う
であ
れ ば唯 識 説
に おい て も、
悟
り に対
して 日常
言 語
に よって可 能 な
かぎ
り、
接 近
す る (説 明 する)必 要
があ
るの は言 う ま
でもな
い。そ
の た めにr
摂
大 乗
論亅
(長 尾a)は 以 下
の譬 喩 を挙 げ る
。唯 識 無 境
の理 証
{
a) 鏡
の譬 喩
(長 尾a2・
7)、
上 田c70これ は
「
解 深
密
経
亅
で挙 げ
ら れ る喩
であ
るが
、
真 諦 訳
(大 正31
巻 118c) は次
の よう
に記
述
す
る。「
鏡 面 (
XD
に影 像
(Y1
) を 見 る と き、
凡夫
はく
影 像 (Y1)
は外 的 事 物
(Y2 >であっ て
、
鏡 面 (XI 》でない〉
と考
えてい るが、
真 実に は影 像 (YDを見るというこ と は
、
鏡 面 (XD を見てい る の で あ る (Y
】=X1
とする)。」こ の
喩
の鏡 面 (
X1 ) は、
凡 夫
の識
(x2
)を 喩
え たも
のであ り
、
この喩
の よう
に凡
夫
は、
境
(Y2
) は識
(x2 ) で は ない と考 え
てい るのだ
が、
禅 定
に お け る認 識
(X3
)が 認 識 対
象
・
境
(Y 2)を
見
てい る際
には
、
境
(Y
2
)を 見
ると
いう
こ と は識
(x3》
を見
てい る のだ
・
…・
・
と
いう 意 味
であ る
。 これ は〈
境
は識
に他 な
ら ない〉
と
いう唯 識
説
の基 本 構 造 を 説
いた も
のであ
る。し
か し、
こ の譬 喩
を出 定 後
の散 心
に当
ては め た場 合
に は、
現
在の初歩 光
学の知 識
か らす
れ ば影
像
(YI ) は外 的事 物
(Y2
)か ら
の光
の反 射
であ
っ て、
鏡 面 (x l)
そ のも
の で はな
いか ら
(Yl
≠xI
)、 この譬
喩
は成
立
し ない。 し かし
、 こ の よう
な知
識の な かっ た 時 代 に「
解 深 密 経 亅
は影 像
(Yt ) は鏡 面
(X1 )そ のも
の のはず だ
と考 え
たのであ
る (なお、
玄奘訳
その他 と 真 諦 訳 と はその内 容 が 異 な るとする点につ いて は上田c73 以 下参照) と理 解 す
るよ りは
、
禅 定 状 態
にお
(138
)唯 識 思
想成
立の根 拠 と 染 浄二分の依 他 性・
転依
(島
村 ) け るY2
=X3
を 説
い たも
の と素
直
に理
解す
べき
であ
ろう
。
(
b
)
三昧
にお
い て見
ら れ る影 像
こ こでの
課 題
は「
三昧
に おいて対象
領域 と し
て見 られ た影 像 (
samidhi.
gocara
・
pratibimba)」
(長 尾a 上 288)
であ
るのだか
ら、
こ の譬 喩
を用
い なく
て も 三昧 中
に種
々 に 出 現 す る影 像
(Y2
) が、
定 心
(真 諦 訳 〉=
・
X3
そのも
の であ
ること
は体 験 的
に納 得
でき
ること
であ る
。そ
こで、
r
摂
大
乗謝
は続
いて (長 尾a上299
)、
「
心 が禅 定
に入
った 時
、青 黒
い死 屍 (
Y2) な どを
見
ること が あ
るが
、
そ
れ は心
(x3 ) を見
てい るので あっ て、
そ の時
に外 的 事 物
とし
て現 実
に存
す
る青
黒
い 死屍 (
Y3 )が あ
るの では な
い」 とす る
。 こ の よう
に、
出定 後
の凡 夫
の心
(散 心 )のと きは さ
てお き
、
〈
三味 に お
い ては唯 識 無 境
〉
で あ る こと は凡 夫
にも十 分 体 験 的
に納 得
でき る事 態
であ
る。(
C} 散 心
(聞・
思 )におい て記 憶 が 蘇
え る影 像
さ
て、
出定
後
の散
心時
(=
聞 思と して の 願楽行 地一
大 正 3置巻199
・C)の場 合 が
次
の よう
に検討
さ れ てい る (2・
8)
。聞と思の際に
、
過去の記 憶が蘇っ て影 像 (Y2 ) と し て 意 識 さ れ る 場合が あ るが
、
そ れは現に有る外 的 事 物 (Y3 )ではな く、
識 (X 2)のみ (vijfiaPtirnatra)
であ るこ とは 〔明 瞭 で あ る 〕。こ の こ
とは
、凡 夫 に も十 分納 得
できる
。 た だ し この よう
に散
心
に おいて、
唯 識 無 境
を推
量でき
るのは聞 思
に よ る 意言
分 別 (manojalpa ) に よ るのであ り
、
願楽行
地・
見 道
・
修
道
・
究
竟
道
の四位
のうち
の願 楽 行 地
にお
い てであ る
(上 田 c83>
。
(d)
未 覚 者
にお け る顛
倒・
増
益未 覚 者 は
、
元 来 無 な
る色
(認 識 対 象Y2
)を実 際
に有
るも
のY3
と し て認
識し
て いる (長
尾a 上 296〜
7}。未覚 者
に こ の よう
な顛 倒
な る煩 悩
があ
ること は
、
彼
ら にく
煩 悩 障
・
所
知 障
(k
猛 a顎eya,
亘v御 a) があ り
、
浄 化 す
る こ と (vyavadana }が 必 要
であ
るこ と〉
が 成り
立っ て いること
から 明 ら か
であ
る。 そ し て顛
倒 と は〔
虚
妄〕
分 別 す
な わち縁 生 依 他 性
(識 )の こ とであ
る か ら、縁
生依 他 性
があ
る の であ り
、
し た がっ て元 来 無いも
のを宥
るとす
る顛 倒 な
る (139)智 山学 報 第 五 十 五輯
識
(=
唯 識無 境 ) が成
立 して い る、
とす
る論 理 構 造
であ
る。
今
一
つ 明確
で な いと
ころが あ
る が、
未覚者
に虚
妄
分 別
があ
る こ と は否
定
できず
、虚 妄 分 別
の内 容
は顛 倒 な
のだ
、
だ
か ら唯 識
無境
と
いう
こと
が成
り立
つ のだ、 という論 理
であ
る と思
わ れ る。こ こ に
唯 識 無 境 と 言 う時
の「無境 」
の重 要 な 意 味 が 暗 示 さ れ
てい る。
す な
わち
無境
と
いう
とき
の境
と は、
唯 識 説
に おいて は、〈
近 代 科 学 が 考 え
るよ う
な認 識
者
か ら分
離
さ
れ た客
観 的
事物
(そ ういう も
のが あ る と近 代 科 学 で は仮 定 さ れてい るのだが、
般 若 空 思 想では一
切 法 を縁 起 即 無 自性な るも
の と し て捉
える) を議 論
の対 象 と し
て〉
、そ
のよ うな も
のが な
い (無 境 )と言
っ てい るので は な い。つ
ま り
、仏 教
は衆
生の救 済 を 目的
とし
たも
の であ
っ て、
行 者 か
ら分 離
され
た客観
的
事物
の在
り
方
・
仕組
みを
検討対象
とす
るも
の では ない。
そう
ではな
く
て衆
生
に苦
し みを も
た らす と
こ ろ の、
衆 生
の謬
れ る考
え
方
(
顛倒
)を正
そう とす
るも
のであ
る。従
っ て、
そ
こでの境
(無境 という と きの境 )と は
、
あ く
ま
で衆 生
に よっ て〈
謬
っ て認 識 さ
れ た在 り方
とし
て の境 〉 な
の であ
る。こ の
よ う な 境 とは
、
般
若
空 思 想
でも唯 識 説
にお
いても
、島
村
c2.一
{
2
)
で説
い た よう
に名 称
・
概 念 に
よっ て仮 設 さ
れ たも
の、 とさ
れ てお り
、そ
の仮
設
さ
れ たも
のが未
覚
者
に とっ ての境
な の で あ る。
そ し
て唯 識 説
が「
そ
の よう な境
がな
い」
と
主張 し
て い ること は、
「
八千 頌
般
若
経
」
が 以 下 の よう
に説
い てい る こと と
、
同
一
事
態
な の であ
る。na
hi
tedharmas
tatha samvidyante yathabalaprthagiana
afrutavant
。’
bhinivis
励 ノV
.
8
−
7
〜
9
諸物は愚 な る凡 夫が
、
そ れ ら に執 着 している よう な 形で は、
実は、
見 出だされ
な
い。
(
Dyada
na bhavati samjfiti samajfia prajfiapti vyavahatab,
tadfi prajfitipalzrnitcty ucyatel
V
.
89.
17〜
18表象
、名称
、 言 葉に よ る仮 設、
世 俗の言 語 習 慣が存 在
し ない時、〔
全て の ものは認 鑞 され ない ので あっ て
、
ま さ にその時に こそ ) 般 若 波 羅 蜜多
が有る と言わ唯 識 思 想 成 立の根 拠 と染 浄二分の依 他 性
・
転 依 (島村)
れ る。
※長 尾a 上 299は
、
以 上の こと を 「唯 識 無境 と は 唯 識無物 質 (
唯識無色)
の こと では ない
。……
も し無物 質
なら ば顛 倒
は起
こらない」
と簡
記 す る。 つ ま り唯識
無境
とは、
物質 (
認識
対象
)の有無 を
問 題にしているの で はな く、
あ く までも
、
凡夫
の顛倒
し た認 識内
容 そのも
のを 問 題にしている、 とい うこ と なの であ る。{
el一
水 四 見
の喩
※長 尾
a上
317〜8
は次
のよ う
に云
ってい る。 同一
の川の流 れ につ いて、
それを餓 鬼は膿の充 ち た 飲 め ないもの、
魚 は 自 己の佳み処
、
人 間は清 らかな 飲 用水
また は沐 浴 すべ き水の 流 れ、
神々 は虚 空に等
しい
も
の、
とそ
れぞれ認 識す
る。こ の よ
う
に、
同一
の境
に関
して、
見
る者
が異
な れ ば、そ
の境
は異 な
るも
のと
して顕 現
して いると説
か れる。す な
わち
こ こ でも 「
同
一
の川
の流
れ」
の非
存在
を
説 く
の で は なく
、
餓鬼等
にそ
れぞ
れ に顕 現 し
て (得知
さ れて)い るも
の (分 別性 ) が、
彼
ら の認
識 さ れ ている よう
に は存在
し てい るので は ない、
と説
い てい るの であ
る。
1
※
以
下 (hぽで の例 は、
「成 唯 識 論 述 記 亅によれ ば 「阿 毘 達 磨 経 」に記 載 されて いた と されている (長尾a上319
の注】)(
f
} 過 未 夢 影 像
の喩
認 識 され る対 象 が な くて も 〔認 識 対 象 と しての〕 識 (=
境 ) は 有 り得 ること(畏尾a上
3
旦6
) は、
過去
・
未
来に起
こ ることつ い て の夢
におけ
る影 像
におい て、
或 る ものが 対 象 と して認 識 さ れることに よっ て理 解さ れ る が、
そこに は実 際に存
在 するものは何 もないeな
る ほど
夢
に おい て は そ の通 り
だ と しても
、
凡
夫
の覚
醒 時
に おいても
この事 態
が そのま ま成 立 す
ると主張
し てい るので は なく
、
覚 者
に お け る場 合
の主
張
で あ る。
〔
9) 未 覚 者
の顛 倒
}
もし塵 (
境 )
が〔
凡 夫・
認 識者に とっ て〕
、
所
見の 通 りに実有 〔
と考
える こと (141)智 山 学 報 第 五 十五 輯
が 正 し けれ ば
、
〕修 〔
習〕
しない 者 (未 覚の者)に対 しても、
自ず と 無 顛 倒の智が 成 立 する こ と になる。
何故
な らば、
〔
こ の場
合には 識は〕
実 有〔
の境 を〕 見て いる こ と に な る か ら である。一
(長 尾a上316
)の 「摂 大 乗 論 亅の真 諦 訳 世 親 釈 (大 正31
巻186
a>しか し
、 こ の よう
な こ と は未覚者
に は成 立
し ない のであ
っ て、修 習
の結 果
悟
っ た者 俔
道以降
の者)
に し か無 顛 倒
の如 実 智
は成 立
しな
い。未 覚 者 が 見
ている塵
(境 ) は、
実 際
には有
でな
い ところに、有
であ
ると
顛 倒
して見
ている
にす ぎな
いのであ る
。(
h
} 聖 人
の入 観
の智
心が 自
在
と なること を得 た 禅 定 者 (=
声 聞・
独 覚r
世 親 釈 亅 大正 3卜186a)は、
その意 欲 (adhimukti )のカ
に よっ て、
大 地 を水
にした り火にし た りする ことが できる (十 遍 所 )。
長 尾a上316
〔4)の(a}、
318
止 を 得 た 修 行 者 が 観 に 努 め る時、 思 考 を
集
中 (manaskdra作
為 ) しただけ
で、 義 (artha 対 象、
観の対 象と なってい る法
の内容
)が 現 わ れ る。
長 尾a同無
分
別智
を得
た 人々 (nirvilpaka
肺盃na−
pr傘 a) 及 び無 分 別 観の中にい る 人々 にとっ ては、一
切の外 界の対 象 が 顕 現 しない。 長尾a同 及 び大 正31
・
冂9b
以 上
の諸 例 は
、禅 定
にお け る例 であ る
。す な
わち 凡
夫
の日常 生
活
に おけ
る例
では ない の であっ て、
これ は 悟 りが 禅 定 に おい て 実 現 す ること を前 提
に し ている か ら であ
る。(
i
) 幻 術 等 と虚 空
の喩
(長尾a2・
24
「
世 親 釈亅 大 正31
−
191b)幻 術
等
に おいて は、
可見な る幻
の象等
が幻
術 師に よっ て生み出される が、
そ の相 貌 は 見 えてい るだ けであって、
実 体 物 と し て は存 在
しない。
これと
同 じよ う に凡 夫に見 えてい る諸法
(分
別性
〕は、
縁
生依他性
が境
とし て顕現
し てい る (可 見である) もの の、
その凡 夫に見えて いる 諸法は実 際には不 存 在なので あ る。
この喩に よっ て縁生 と し て仮有
な るもの は、
識 (縁 生依
他 性 )の み であるとい うこと〔
唯
識無境
)が凡夫
にも推 知
さ れ る (上田 c245〜
5)
。
虚 空 (真 実 性 )は
、
第一
に雲 が あっ て も虚 空 が 染せ られ ない よ うに、
真 実 性 は〈
不浄の滅・
不滅〉
に関 わ り無 く、
そこに済 浄 性 が 本 来 成 立 している。
しか (142
)唯識 思 想 成 立の根 拠 と染 浄二分の依 他 性
・
転 依 (島 村 ) し第
二 に、
雲 等
の障 害
が減
した時に は、 清 浄 な 虚 空 (真 実 性 ) が 現 わ れ る、 と い う二面 性がある。
つま り、
真 稟 性 (虚 空 ) は、
縁 生 依 他 性 が 塵の相 (雲 ) と し て似現
していな
い(
=
翼 等
が滅
し た)事態
であ るのだ が、
真 実性
は、
実
は本
来自性清浄
=
有垢真如
と して (=
雲 が あっ て も真 実性
はその ま まで) 成 立 して い る、
ということが 凡夫にも推 知さ れ る の である。
MSA X皿一
16長尾 a8・
且4、
16諸 大 乗 仏 典
に おい て は、
虚 空
は真如
と 同
一
視
さ れ る が、
長
尾
a8・
14
、
16
は無 分 別 智 を 虚 空
の喩
で、
説 明
してい る。
尚
、上 記 長 尾
a2・
24
は
、
下 記
MSA
のX
皿一
16
の引用
であ
る。dharmlibhfivopalabdhiS ca nihsarnklelaviguddhitbl
mayidisadTSi
jfieya
alctiSasadrSitathblt
〔
境 とし ての〕
諸法
は存在
しな
いにも
か か わ らず
、〔
相 貌
とし て)
認識
さ れ る こ と、
及び雑 染 無 き もの が 清 浄にされるこ と は、
幻 術 などに似てお り、
虚 空 に似ている。
そのように知 られるべきである。
(」〉 八
喩
幻 術
(miyti>
、
陽炎 (
marlci)
、
夢
(
svapna)
、
光
の影
(
prattbhasa
)、
影 像
(
prati
−
bimba)
、
応 響
(pratigrutka)、
水
月 (
udakacandra }、
化
作 また
は変 化
(神 通 力に よってものや 人 を 作 り 出 すこ とnlrmana
,
長 尾 上372
)の喩 を 指 す
(長 尾a2・
6
、
26、
27)
。
こ れ は(
i)の〈
幻
術
等〉
の「
等」
の内容
を具
体
的 に 述べ た も の で あ る。
(
i
)
を
一
見 す
ると幻 術
等
は諸
法
(分別性)
の無
の喩
の よう
に見 え
る が、
こ こ で は諸 仏 典
におけ
る と同 様
に、
仮 有 な
るも
の とし
て の縁 生 依 他 性
の喩
とし
て述
べら
れ ている
。し
たが
っ て(
i
)
も 〈
縁 生 依 他性 が 分 別性 と し
て顕 現 す
る という
事 態
〉
を幻 術
(石、
棒 切 れ、
呪 文等に より幻象
が 生 じる こと)と
し て述
べ たも
の で、
縁
生依 他
性の喩であ
ること が分
か る。
こ の八喩
が説
か れ る そ れ ぞ れの理由
につ い ては
、
r
世 親 釈」 大正
31
−
192
b
〜
193
aに詳 説 され
てい るが
、
今
は省
略 す
る。
悟
り・
真 実 性 と
は、
三昧
の状 態
に お け る もので あっ て、
凡夫
の 日常 心
徹 心 〕の状 態
にお け
るも
の で はな
い。し
た がっ て上記
の譬 喩 も そ
のほ と ん ど は、
三昧
の状 態 を
述べ る譬
喩
で あっ て、
日常 現
象
世界
に 関わ
る警
喩
で はな
い。 こ (143》智 山 学 報 第五 十 五
輯
の こと
は、
「
仏 は常
に定
の状 態
にあ り
、
定
より出
でず 」
(「
涅槃 経亅大
正 12−
528 b)と説
かれ
、
同 じ事 態 を 「
釈 摩 訶 衍 謝
等
は、次
の よう
に説 く
如 是
定
心、
於一
切 時、
於一
切所
、常恒相続
、
不捨離 (
大 正32
巻
656c
)於
一
切 諸散 動 境 界、
其 心 安 定、
無 動 (同664
a)尚
、
r
起 信 論亅
は 「若 行 若 住 若 臥若
起、
皆応止
観倶 行」
(字 井
1(n)
と説
いてい る。2.染浄
二分
の
依
他
性
前輯
に詳説
した
縁
生
依
他 性 とは
、
縁 生
であ る と
ころ
の仮 有 な
る依 他 性
、す
な
わ ち アー
ラ ヤ識
か ら生
じた 染汚 分
に属 す る
・
凡 夫
の虚 妄 分 別
であ り
、 これを 基 礎 とす
る 三性 説 が 「
唯 識 〔
仮 有〕 無 境 」
=第
一
真
理命
題 (能所
識 の滅)を 明
ら かにす
るも
のであ
っ た (上 田 c265 )。 これ に対 し
て以 下
に述
べる
二分
依他性
は、
上
田 に よれ ば
これ とは ま
った く異 な る も
の で、
長 尾
a2・18
に 説
か れ たく
二種
の依 他性〉
のう
ち
の「
そ
の本性 が 染 汚 と清 浄
との いず
れ とし
て も成
立 してい ない依 他
th
safpkteSavyavadanasvabhavaparini 等pannaparatantra
kun
nasfion
mofispa
tangtrnam
par
byah
bahi
ngopo
fiid
yongs
su mapa
g
忌angyi
dbafi
]
の こ とであ
る。 これ は〈
長 尾
a2・
28
で説
く
輪
廻即
涅 槃
、
煩 悩 即
菩
提
〉
、無 住 処 涅 槃
、
転 依
の構
造、
す
な わち第
二真
理命
題を 明
ら か にす
るため (上田 c266 )の道 具 立
て であ
っ て、
唯 識 説
に おい て は、
無 著
が「
摂
大
乗 論」
に おいてのみ説
い たも
の であ
る (上田 c276、
勝 呂100)。般
若空
思
想
に おいても
、
輪 廻 即
菩
提
、
無 明 即 明 な
る事 態
は極
めて多 く説
か れ てい る (「〔悟 れ ば 〕 輪 廻は涅 槃 その ものとな る 」 長 尾alO・
28 憩2) 島 村bのA 資 料 )が
、
「そ
の論 理
は飛 躍 的
、
直 観 的 な も
の を多
分
に含
ん でい る」 も
のであ
る(
長尾
a上375
)。 この背 景
にあ
る論 理 は
、我
々 の推 定 す る と
こ ろ に よれ
ば、
L.一
{1)に示
し たく
(a}→ (bl>
世 俗 諦
一
・〈
(b)→ (e)〉
勝義
諦 とい うも
の であ
った
。
こ れを 別
の観
点
か ら説 明 す
るた め
に唯 識 説 が 発 明 した概 念 が
、以 下
で説
明 す
る二分 依 他性 と言
われ る も
のな
のであ
る。 これ
に は、煩 悩 即 菩 提 な
る第
二真
理命
題 を静 態
的 に 説 明す
る側 面 と
、
第
二真 理 命 題 が 実 現 す
る過 程 を説 明
(
144
)
唯 識 思 想 成 立の根 拠 と染 浄二分の依 他性
・
転 依 (島村
) す る動
態 的 側面
、
の両面
が あ る。
{
亅}
静
態 的 な
二分 依
他性
こ
れ を世 親
・
真 諦
は「
世 親 釈
亅
に以
下のよ う
に説 明
してい る。(
a)
長 尾
a2・
18
に対 す
る「
世 親 釈 」
188
b
の定 義
「
無定
性、
或 属浄 品、
或属 不 浄 品。 由此 二分 随一
分、
不 成立故、
名 依 他」
。〔
二分依他性
とは〕 定性無 く (
依他性
と呼
ばれ ても
、
定
とも
不定
とも
決 まっ た 性 質は無 く}、 あるい は浄 品 に 属 し、
あ るいは不 浄 品 (染 汚 品 )に属 す。 こ の二 分 のうち の 随一
の分 (二分の内
の一
方
が成
立 す れ ば他の一
分 )は成立 し ない の である か ら、
依 他と名つく。
こ れ は
行 者
の成
仏
の実
現
・
未実
現
の区 別
に よっ て説
い たも
のであ
っ て、
同
一
人
が「
生
死 にい る時
は、
彼
に は未
だ涅
槃
は成 就
し て お らず
、
涅槃
を 証
した 時
は、
も
はや彼
には生 死
は無
い」 と
いう事 態 を
二分 依 他 性
と して示 し
たも
の であ る
(上 田 c208 )。生
死 にい る 時 とは、
不 浄 品 す なわち業 煩 悩の熏 習よ り生 じる果報
識の体
類=
虚 妄 分 別
、
が 成 立 して いる 時で あっ て (上 田c205 )、
「世 親 釈 ] 188 b は「
若し 識 (耳
虚妄 分 別 ) がこの性 (二分 依 他 性 )を分 別し て、
あるいは 煩悩を 成 じ、
あるいは業 を
成
じ、
あるいは果報
を成
ずれば、
則
ち 不 浄 品に属 す 」 と記 述 する。
涅
槃
を証 した時
と は、
浄
品す
なわち 聞熏
習か ら生 じる出
世 間の思慧
・
修慧
の 体 類=
無 分 別 智、
が成 立 して いる 時で あっ て (上田¢ 205)、
「世 親 釈 亅188 bは、
「
若
し般若
が此の性 (
二分依他性 } を縁
じて分別す
るとこ ろ無 け
れ ば、
則 ち
浄 品 を成 ず 」と認 述 す る。(
b
)
長 尾 a2・
28
に 対す
る「
世 親釈
jl93a
の説 明こ こ で
、
上 記
内
容
はや や詳
しく説 明
さ れて いる。 これ は「
婆 羅 門 間
経亅
(長尾a上375
注1
によれ ば、
本 経 は 羅 什 訳 「思 益 梵 天 所 門経 」 大 正IS巻の36c
を指
す )の「如 来
は生死 を 見 ず
、
涅 槃 を 見 ず 」 を解 説 す
る世 親
に よ る「
摂
大乗
論
亅
の注 釈
なの であ る が、
そこ で の原文 及
び その取 意
は次
の通り
であ
る。
依 他 性 非 生 死。
由 此 性、
因真 実 性、
成 涅 槃。
此 性 非 涅 槃。
何 以 故、 此 由 分 別分
、
即 是 生 死 故。
是 故、
不
可 定 説一
分。
若 見一
分 余 分 性 不 異、
是 故 不 見生 死、
(145
)
智
山学 報 第 五 十 五 輯 亦 不 見 涅槃。こ の二分 依 他性は
、
真 実性
という
局 面 を 実現すれ ば涅槃
を 成 就す
る。
そ の 同 じ二 分 依 他 性 が 分 別 性の局 面 を実 現 す れ ば、
そ れ は 生 死 と なっ ている。 そ れ 故、
涅 槃 または生 死として決定
され た固定
的 な 局 面として は説 け ない の であっ て、 し た がっ て、
こ の 生 死 と し て の局面 と涅 槃 とし て の局
面は、
その本 性 を 見る な らば、
二分 依 他性 なる一
つ のもの であるか ら、
両 者 は 異 なるものでは ない の で あ る (生 死=
涅 槃 )。 そ れ 故 に 同経 は 「生 死 を見 ず 涅 槃 を 見 ず」
侮 生 死 即 涅 槃 ※) と 説いたの である。
※ 「生死 を見 ず 涅 槃 を 見ず
」
とは 「生 死 即 涅 槃」
の ことである、
とするの は 上田c267、
長 尾a 上 375及び 上配「
世 親 釈亅
193 aに よ るもの で あ る。
尚 法蔵
は、r
五 教 章」
義 理 分 斉の三 性 同 異 義・
三 性 総 説 に おいて、
これ を 引 用 して 「真妄
交徹」
と してい る。
つ ま り
、
分
別
性
(
=
生 死・
輪 廻
)と
いう 局 面 と
真
実
性
(
鵠
涅
槃 )と
いう
局
面
が一
な
る二分 依 他 性 と
し て、
す な
わち両 者
性 死 と涅 槃 )が 無 差 別 な
る事 態
と し
てあ る
こと を表 し
ている
の であ
る。 これ が、
ま さ
に龍 樹
が生 死 即 涅
槃
とし
て (上 田c280 )、ま た大 乗 仏 典 全 般 か ら
島
村
b
が
A 資料
と し て摘 出 し
たも
のな
の であ る
。そ し
てそ
れ はま
た、無
住
処 浬
槃
と呼
ば れ たも
の (上 田c281 ) なので あ る。
以 上 は二分
依
他
性
の静
止 的側 面
なの で あ る が、
これを
認識
レベ ル の三段 階
に分 け
て簡 単 に ま と
めてお く
。第
一
段 階 (
凡夫
の嬲 識レベル)
凡
夫
の認 識 レ ベ ルに おい て は、
二分依 他 性
(こ れ の内 実は次 項で明ら か にさ れ る よう
に、
アー
ラ ヤ織 を基 体 とする行 者の人 格 構 造 全 体 なのである が……
) にお
い て、
無 明
に基
づく虚 妄 分 別が 働
い てそ
の結 果
、認 識対 象 が 似 現 し
てい る事
態
で あり
、
これこそ が 生 死 で あ り、
輪 廻 世界
なので あ る。
換言
す れば、
凡 夫 におい ては、
〈
統
一
体
と して の行 者
の識
〉
(二分 依 他 性 ) が本
人に よっ て、
生
死・
輪
廻世 界 と
して認 識
さ れ ている の であ
る。第
二段 階
(阿 羅 漠・
独 覚の認 識レベル)行
者
が唯
識 行
に よっ て〈
統
一
体
と して の行者
の識
〉
(二分 依 他 性 )を
転換 す
(146
》唯識思 想 成 立の根 艇 と染 浄二分の依 他 性