ツ
ォ ン
カ
バ
の
『
善
説
心
随
』
和訳
(
1
)
チ
ベ ット
仏 教
研
究会
ツ t ソ カバ (Tsong
kha
pa
,1357
〜1419
)は1357
年に チベ ッ ト東 域の アム ド ー(
Amdo
)で生 まれた 。最
初彼
は仏教
の 思想
や実
践での 広範
な知 識 を多 くの著
名 な師の もとで修あ
た。 特に 彼はサ キ ャ 派 (Sa
skyapa
)の レ ン ダワ (Ren
−dawa
,1349
〜 縫12
)に 中観 帰謬 論 証派 (Pr
齡 a壼gika
)の 教義を学
んだ
。 そし て彼
は渚 時の チ ベ ッ ト仏 教 教斷 の堕 落を嘆 き, ア テ ィ ーシ ャ1(Ati6a
∫982
〜1054
) の理念
を奉
じ, シ ャ キ ャシ ュ リーバ ドラ(
sak
ヲa6rlb 難ad 鍛 ,1127
〜 Σ
225
)
由来
の戒律
主義や, レ ン ダワ よ り学んだ中観哲 学に もとつい てT ’密
教を これ らと矛
廬 な く実 修するとい う趣
旨の教 義体系
を完
成し, チ ベ ッ ト仏教
を 再興
した。 そ れ故, 彼はま た ゲル ク派 (Dge
I
spa
)の 始 祖とされ る。こ の よ うに
彼
は チベ ッ ト仏
教の復興者
であ
り,偉
大な宗
教老
・思
想家
である だけでな く,彼
に は仏 教の 思想
や実
践に 関 する膨大 な著作
が ある。 北京
版西蔵
大蔵
経に は,120
点
もの薯作
が ツ ォ ン カ バ のも
のとして掲
載されてい る。 その うち仏 教の哲 学や思想に関する著
作の代表
的 な もの は次の通 りであ
る。『菩提 道 次 第広 論 『
(
】Lam
rim
chen mo )Pek
.No
.6001
『
菩提道
次第略論
』(
]Lam
rim chungba
)
Pek
.No
,6002
『入
中論
広釈
・密意 明解
』(
dGongs
pa
rabgsal
)
Pek
、No
,6143
『中論 釈 ・ 正 理海』(
Rigs
pa
’i
rgya mtsho )Pek
.No
.6
工53
『
善
説 大海
』(
Kun
gzhi
dka
, ’grel
)
Pek
.No
.6149
『善 説心髄 』 (恥
gs
bshad
snyingpo
)Pek
.No
。6142
こ の うち 『
善
説 大海 』 と 『善
説心髄
』 とは, チ ペ ッ ト人に よっ て唯
識思想
そもの の につ い て
論
じ られてい る数
少ない論
書であ
る。 特に 『善説
心髄
』は中観
ツ ォ ン カバ の
r
善説心随』和訳 (1
) と唯
識の 思想
を対 比し て論 じ られてい る ため, 主に 中 観の思想
に よっ てい る ツ ォ ン カバ の唯
識解
釈を探
る上 で 重要 な書であ
る。本
書 (
『善
説心 髄』)は1407
年
,彼
が51
歳
の 時に 著さ れ た もの とい わ れ て い る。本 書
の 書かれた 目的は主 に次の よ うなもの であると考
え られ る。1
.中観
と唯識の患
想の 差 異を 明確にさせ る こ と2
. 『解
深密経
』 と 『無 尽 慧所 説経
』をも とに経典の了義
・未
了義
を規 定 す る こ と3
.中観
の自
立論証 派 (Svatantrika
)と帰 謬論 証 派の 思想の 差異 を 明確に し ,真
の中観派の 思想を 明示 するこ とツ ォ ン カバ は 仏 陀の 教え を 正 し く理解する た め には経 典の 了義 ・ 未了義の 基 準 を 設定 するこ とが重 要で ある と考 えて い た。 この こ とは
多
くの経 典の 論説
が 表 面 的に は矛盾
し てい るよ うに見え る た め, その 内容を ツ ォ ン カバ が正し く分類
し, 理 解 し よう
とし た た め で ある。 しか し経 典 自体は議 論の 対象で ある か ら, 了義 。未
了義
を確
定す る根拠とはな りえ ない 。 そこ で ツ ォ ン カ バ は最終 的に論
理 に よっ てこれを規定し よ う とし た 。 本書 も
こ の手法
を用い て著さ れてい る。本
書
の構
成は, 唯 識 思 想を論究 する第一章 (
『解深密
経』に 説か れ る 立 揚 ) と, 中観 思想
を論究す
る第
二 章 (『無
尽慧所説経
』 に 説かれる立 場)
と の 二 章 立 てに なっ てい る。本
研究で は こ の内
の第
一章
の解
読を試みて , ツ ォ ン カバ の唯識
思想 解釈を解明し よ うと し て い る。こ こ で, この 第一
章
の 科 文を挙るげと以下 の 通 り である 。 (36
) 幽429
一〈科 文〉 (一
)
『解 深密 経』に説かれ る立場
(
1
)経
の中
に どの よ うに説かれて い るか経
に おい て矛盾
を除 く質
問その 矛
盾
を除 く答
え(ア)無 自
性
の あ り方
は,何
を密
意し て無 自性
と説かれた かを解釈す
るこ と 要約して説 示 する こ と (b
)詳しく解 釈 する こ と(
c)
そ れ らの喩
を 示す
こ と(
1
)何
を密
意して不生な どと説かれ た か を解
釈すること三
性
の自
性 を理解す
るこ と そ れ らに よっ て成 立 する意 味を尋ね ること(ア)経が
布
置され るこ と (t
)その意 味を少し説 明するこ と(a)経に お ける言 葉の意
味
を少し説 明する こ と(
b
)
未 了義
と了義
の仕方
を少
し説 明す
るこ と 一428
一 (37
)ツ ォ ン カバ の 『善説心随』和訳 (
1
) (2
)
その 意味を どの よ うに解 釈 する か阿閣
梨
で あるア サ ソ ガが 主 に 『解
深密
経』に依拠
した方法
そ れに よっ て
真実
を確定
した方 法(
7
)二 辺 を捨
て る方
法を一般に 示すこ と (a)『菩 薩地』に説かれた方 法(
1)
増
益 ・損 減を見 る方 法(
2)
その 二 つ を否定す
る方法
(
b
)
『摂決択分
』 に 説かれた方 法(
1
)前 分 (学説 )を置 き, その 意味を問答
すること 答えの 分を否 定 す るこ と(
ぐD
他の学説につ い て矛盾
を 示すこ と(皿
)自
らの 学説につ い て 矛盾
を除 くこ と(
。)それ ら とは別の 論書
に説
か れた方 法(
1)
『大 乗荘 厳 経論』 の 中に説かれた方法
(2)『中辺分 別 論 』の
中
に説
か れ た方
法(
イ)増
益の 辺 を特に 否 定 するこ と(
a)
否定
さ るべ き増
益を認識 する こ とそ れ を
取
り除 く方 法(1)実 際に否
定す
るこ と(
2
)
そ れに関す
る議論
を除
くこ とそ れに よっ て
経典
の未 了義 ・ 了義を 区別する方法
(38
) 一427
一今
回は, こ の 内,試
訳 として,第
一章第
一節
の終わ りまで ( (b
)未 了 義と 了 義の 仕方を少
し説 明するこ と)の 和訳 を発
表し, 大 方の 御 叱正 と御
教 示を乞 う次第である。 残 りの 部分の 和 訳につ い て は, 別の機会
に 発表 する予定で ある。なお, 本書 『
善
説心髄
』 の テ キス トは, 現 在, ラサ (Lhasa
) ・ タ ッ シ ル ン ポ(
bkra
shislhun
po
)・ペ キ ソ (Peking
)・ クン ブソ (sku’
bum
) の 四つ の 版
があ り, また こ れ らの版を クン ブン 版を も とに 対 校し た校訂 本
(
THE
ESSE
−NCE
OF
ELOQUENT
SPEECH
ON
THE
DEFINITIVE
AND
INTERP
−RETABLE
,SOKU
Publication
,INDIA
,1991
)がある。 本研 究で は, こ の クン ブ ン の校訂本を使 用し て解 読に あた っ た。
ま た, 本書の 注釈は非 常に 多数 あ
’
り, 現在, 判 明してい るもの だ けで, 以下
の もの が ある。
1
.Zab
勿 o 甜oπ9
」りa n丿∫d
身丿i
de
ん乃ona
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ろ
Pted
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9
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’
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legs
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po
,
Toh
.5459
2
.Drang
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’
dGe
’
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rgyal mtsho
,
Toh
.5565
3
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1
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丿i
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Pa
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’i
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ba
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pa
,MHTL
,11599
4
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9
σ04 プPo
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i
’Phreng
ba
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rgyal mtshan ;Toh
.6802
5
,Le93
bshad
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Po
’彡〃ztha ’
dP
ツ045んα
1
bzang
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By
’
Jam
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,MHTL
.11596
6
.Drang
nges rnambyed
legs
麓勿4
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Po
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dP
丿od
P
ごzゴ〃zadkar
Po
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Phreng
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Guru
Chos
’
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,
MHTL
.11587
7
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don
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bar
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J
Pa
’i
bstan
Pa
’
ゴ sgron 〃ze;
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’
byor
lhtm
grub
,Toh
.6829
8
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bshad
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Po
’i
dgong
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93
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byed
melong
∫By
Pra
ti
pt.v"-qop
rgasbwai
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a)
blo
bzang
dge
legs;
MHTL.
11626
9.
Drang
ngesbauduaya
dlear
Po'i
gan
md2od skalb2ang
reba
kun
skong;By
'Jamdbyangs
bzhad
pa'i
rdo rje,Toh.
6831
10.
Drang
nges mthabPyod
mdorbsdus
blo
gsal
mgrinrgyan;
M,
Narita.
2120
11.
Drang
nges rnam 'byedleyi
zin
bris;
N,
Narita.
2111
12.
Drang
nges mchan 'grelrtsom 'Phro
gghung
brgya'
sngangba;
By
dkon
mchogbstan
pa'i
sgron me,Narita.
2229
13.
Drang
ngesdlea'
'grelrtsom 'llllaro
legs
bshad
snyingPo'i
ptang
snying;
By
bStan
pa'i
sgron me,Narita.
2228
14,
Drang
nges zinbris
chu rgptundeg
byed
mchedyon;
By
bBal
rnangdKon
mchog rgyal mtshan,New
Delhi
15.
Drang
・nges rnam 'byedlegs
bshad
blo
bzang
clgongsgsal;
By
Blo
bzang
'phrinlas
('ol
kha
spru1 sku),
MHTL,
11645
16.
Legs
bshad
snyingPo'i
dha'
'greltegs
bshad
snyingPo'i
tlgongsrgyan;
By
Pra
ti
Rin
chendon
grub,
MHTL.
11625
17.
Legs
bshad
snsingPo'i
dka'
'grel rin chen sgron me;By
Gung
thang
blo
gros
rgya mtsho,New
Delhi
18.
Drang
ba
dung
ngesPa'i
don
rnamPar
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bstan
bcos
legs
bshad
snyingPo'i
bsdus
don
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ngeslta
ba'i
mig 'byed;By
'Jigsmed
dam
chos rgya mtsho,19.
Drang
ba
dang
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dbn
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bshad
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don
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bstan
bcos
legs
bshad
snyingPo'i'1'ug
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Drang
ba
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Pa
legs
bshad
snyingPo'i
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mtha' clag rnamPar
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bstan
bcos
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bshad
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Mi
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Drang
nges rnam 'bvedbyi
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don
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legs
Par
bshad
Pa
blo
gsal
mgul rgyan;By
bDe
legs
nyi ma,Toh.
6828
22.
Drang
ba
dang
ngesPdi
dOn
rnamPar
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bstan
bces
legs
Par
bshad
Pa'i
snyingPo'i
(igongsPa'i
dbn
gsal
bar
byed
Pa'i
melongr
By
Blo
bzang
dpal
ldan
rnam rgyal rdo rje,Toh,6830
23.
Legs
bshad
snyingPo'i
don
bsdus
blb
gsal
g2hon
nu'i mgul rgyan;By
Blo
bzang
'phrinlas
ye
shes,24.
Drang
ngesdlea'
gnas
gsal
byed
slealbzang
mgul rayan;By
rJedrung
Shes
rabdbang
po,
25.
Dnxng
ba
dang
ngesPa'i
don
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bcos
legs
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snyingPo'i
tigongsPdi
don
gsal
bar
byed
Pa'i
melbng
2hesbya
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By
Blo
bzang
dge
legs,
26.
Drang
nges rnam 'byedkyi
2inbris
bla
ma'ithugs
2:1'e'od stong2er
gyis
Phye
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legs
bshad
Pad
madkar
Po;
By
'Jigs medthub
bstan
nyi ma,27.
Drang
ngeslegs
bshad
snyingPo'i
2inbris;
By
dGe
'dunbstan
'dzinrgya mtsho
(zhva
dmar),
28.
Dam
chosdPtxl
ba'i
iegs
bshad
snyingPo'i
'grelPa
blo
gsal
ciga'sleyed;
By
Blo
bzang
Nyi
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ldan
Khri
pa),
MIHTL.
11622
29.
Drang
ba
dang
ngesPdi
don
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brtsams
Pa
blo
gsal
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dga'
ston;By
BIo
bzang
rabgsa1,
30.
dGe
han
th"n
mong maptin
Pa
drang
ba
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ngesPa'i
dbn
rnam
Par
Phye
ba'i
bstan
bcos
legs
bshad
snyingPo'i
rgya
cher
bshad
Pa
drang
ngesb2hi
'dril;Toh
6834
31.
Drang
ngeslegs
bshad
snyingPo'i
spyi
don
legs
Pa;
By
Tshe
brtan
lha
ramspa,
32.
Drang
nges rnam 'tupedbyi
mtha'dPyod;
By
dGe
'dunbstan
dar,
ツ ォ ソ カバ の 『善説心随』和 訳 (
1
)33
,Drang
ba
dang
nges 勿’i
aon
Par
rna 〃3 ,byed
勿’i
’b
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beos
legs
bshad
sn丿ing
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don
gSal
b
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Pa
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b2ang
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gsal
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bya
ba
;By
Sle
lung
bshad
pa
’i
rdo rjqOtani
.10971
34
.Dinng
ngeslegs
bshad
snying ’Po
’i
’grel
Pa
b2hi
’dril
(
New
Delhi
,
1975
);By
Don
grub
rgyal mtshan ,35
.1
)rang n8eslegs
bshad
,ε.nyingPo
’i
gin
b
プis
mdo 、
tsam
;By
Pha
bong
kha
dbe
chen snyingpo
,(
上記の うち, 目録番
号の ない もの は, “Bod
kyi
bstan
bc
(鶏khag
gi
mtshanbyang
, , に よっ た)
こ の うち, 本研 究にあた つ て使 用し た もの は2
■・3
・16
の 三種であ
る 。 さ らに,近年
の 本書
に対す
る研究
と し ては 以下の もの がある。1
,片 野道
雄 「ツ ォ ン カバ の 解 明する清弁
の 中観
思想一 『了義未
了義論
』二(二
) (
2
)(
A
)(
a)試解
一」,真宗総
合 研 究 所 紀要3
,1985
.1
2
. 白館 戒雲 (ツル テ ィ ム ・ ケ サ ン)
「『レ ク シ ェ ーニ ン ポ』の中観
プ ラーサン ギカ章
解
読研究
」,大谷
大学研究年報
42
,1991
.2
3
. 白館戒
雲(
ツ ル テ ィム ・ ケサ ン)rr
レ ク シ ェ ーニ ン ポ』の 中観プ ラ ーサン ギカ
編 解読
研 究」, ’ 大 谷年
報67
−1
,1987
.6
4
.片 野道 雄 「ツ ォ ソ カバ の解
明するシ ャ ーン タ ラ クシ タ の中 観 思想一 『善説心髄 』の 試
解
一」, 仏 教 学セ ミ ナ ・−44
5
.片野
道雄
「ツ ォ ン カバ の中観仏
教 了i
義
説序
一 『善
説 心 髄』 二 , ( 一)
一(
二)
,(
1
)試解
一」6
.片野
道 雄 「シ ャ ーソ タ ラク シ タ の勝義
と して の否 定 論証
の綱 要一 ツ ォ ソカバ 造 『善 説心髄』試 解一」 , 大谷 年報
67
−3
,1987
.12
7
。片野 道 雄 「ツ ォ ン カ バ 造了義未
了義 論の試 解 (一)一 チベ ッ ト仏 教の唯識受
容につ い て の 一性 格一」, 大谷 大 学研 究年報
34
,1981
.2
8
. ツル チ ム ・ ケル サ ン 「ツ ォ ン カバ の 『未
了義 。 了 義善
説心髄』 に つ い て (42
) −423
一一 シ ノ プシ ス ー」, 印仏研
26
・−2
,1978
.3
9
.Robert
A
,F
.Thurman
‘‘Tsong
Khapa
’sSpeech
ofGold
in
the
Es
・sence of
True
Eloquel1
” ,Princeton
University
Press
,1984
10
,法尊 「辯
了不了義
善 説蔵 論」,大蔵経補 編
10
〈和訳〉了
義
と未
了 義
とを 決 択 す
る論
一 善 説心 髄一 マ ソ ジ ュ ゴ ーシ ャ尊
師に帰
命
い た します
。 大 自在天, 帝 釈天, 梵天, 欲 天, 遍入 (ビシ ュ ヌ)な どの [神々]が, 世 間に 対し て傲慢
なる音 声で大 き く宣揚し てい る。[
その よ うな]慢
心で思
い 上が っ てい るもの(
神
々)
も, そ の(
釈尊
の)
御 身 を見た場合, 目中の螢
の よ うに[
輝
きを失
わ]
されて,美
しい 光の 冠を [かぶ っ た頭を]下 げ
て, そ の(
釈尊の )御 足 元の蓮華
を崇
め尊
び, 天 の 中の天なる牟
尼に 帰命
い た し ます。 智 と悲 との深
さや広さ は, まこ とに量 り難 く, 広 大な波の よ うな菩提 行は響
きわ たっ て い る。[
その よ うな]善
説の 宝蔵
の よ うな文殊
と, 大 海の よ うな勝者の代表
(弥勒)
に 帰命い た します
。 如 来の 聖な る教 えを二 つ の学説
(中観 と唯識)
に よく区別して ,勝者
のす ぐれた教え を 三界
の 有情に対
し て太陽
の ように 明らか に示 された 一422
一 (43
)ツ t ン カバの 『善説心随』和訳 (
1
)龍樹
と無着
との御 足元に頂礼
い た し ます。 二 つ の大学
説 をよ く守
り , 世 界の百千の知
者の 眼を開 くもの, 聖 提 婆,[
聖]
馬鳴
, 仏 護, 清 弁, 月称
,世親
安 慧,陳那
, そして, 法称
な ど, 世 界の荘 厳であ り,釈尊
の教え を消減
させ ず, 瞳の よ うに守
っ てい るす
ぐれた方々 であ
る, 偉 大な る学 者達
に帰命い た し ます。 た くさんの教説
を聞
い て,証
理の道に おいて も多
くの苦 労を して, 現観
の 功徳の 資 糧が少な くない, たく
さん の方
々が,努
力し て も理解セ
きなか っ た境
地 を私
は師文殊 匸
菩薩]
の御 恩に よっ て 正 し く理解で きた の で,真実
の 教え を 理解
する智 慧に よっ て 慈悲の 念か ら述べ まし ょ う 。無比
なる説
者に な るこ とを望
ん でい る人々 は敬っ て聞 きなさい 。『聖
護 国所問
大乗
経 』に ,「空,
寂 静
, 不生であるこ との理趣 を知 らないの で, 有 情は迷っ てい る。彼
らに対
して慈悲
を持っ てい る の で, 方便の理趣 と百 1) 種類の 理証に よっ て 示 された の で ある。」 と説か れて い る。 これ は,諸
法の真 実が極め て 理解し難 く, そし て, 理解
で きな け れば, 輪 廻か ら解
脱で きない こ とを見て,慈悲
深い開祖
が方便
の 理趣 や 理証
の色
々 な門に よっ て, そ れ を認 識 させ る ため に示した と説
かれた の で あ る。 そ れ故に, 観 察 力(
伺
, vic 五ra) を 持っ て い る方
々は , ま さに そ れは ど うい う もの か を 理解 する た め に努
力す
ぺ き である。 そ れ もま た, 勝 者の 教 説の うちの 了義と未
了義
とを区 別するこ とに よ (44
) −421
一るの で ある。
その 二 つ (了義 ・ 未了 義 )を区 別する こ とに つ い て も , 「こ れは未 了義で あ る, これは 了義である」 と, 説かれた聖 教 (ア ーガ マ )だ けに よっ て [証 明す るこ と
]
は不 可能で あり, また, 大 解 釈者 達が了 義 ・未
了義
を 区 別す る解 釈を 著わ した こ とも無意昧
となるの で ある。 そ して, 経 典の中
に 了義
・未
了義
を確
定
する方 法とし て, た くさ んの 共 通 しない もの が説
かれ て い る。 したがっ て, 「こ れはこれで ある」と説か れ た だけの 聖 教 (ア ーガマ )に よっ て , そ の よ う に 確 定 する こ とは出来 ない 。 そし て その 場 合, 一般
的に , その よ うに限
りが な くなれ ば,特
に 了義
・未
了義
に つ い ても
, 「これ はこれであ
る」 と説かれただけ
で は証
明する こ とが 出来
ない の である。その 故に ,
経典
の 了義
・未
了i
義
を 区別する こ とに 関して, 授 記された大解 釈 者 達が 了義 ・ 末了義の 密 意を解 説した 。 それは また了義の 経典の 意味を他[
の意味]
に取
る こ とにおい て過失
とな り,他 匚
の意味]
に取
る こ とは適 当
で はな く, その意味
を決定
する証
理に よっ て, よ く確 定 された もの に 従っ て 密意 を求 め るべ きである 。 した が っ て,究極
的に 欠点
の ない 証理 だけに よっ て 区別しな け れぽならない 。証
理 と矛盾す
る学
説を認
めれば,説者
は信ず
ぺき人
とはい え ない の である。 そして, その こ とは事物
の真実
に関
して も成
り立つ の で, そ れは論理的に確立 し た理 由を持っ てい るの で ある。[釈尊は]こ の 意味 をお考えに なっ て,
「比丘 たち や, 学 者
達
よ, 焼い た り丁 切 断した り, 磨 くこ とに よ っ て, 金である よ うに, よ く観察
するこ とに よっ て. 2) 私の教え が取得されるの であ り,[
た だ]敬
い匸
だけ]
に よっ て では ない 」 と説
かれて い る の で ある。そ れ故に , 了
義
・未
了義
を区別 するこ とに は二 つ ある 。 (一)『解
深 密経』に 説か れ る立場 と, (二)『無
尽慧所説経
』に説
かれる立 場 とである。 (一) 『解 深 密経』に説
かれる立 場 第一 に は二 つ ある。(
1
)
経の 中に どの よ うに説か れて い る か と,(
2
)
そ 一420
− (45
)ツ ォ ソ カバ の 『善説心随』和訳 (
1
) の 意 味を どの ように解釈 する か とであ
る。 (1
)
経の中に ど の よ うに説かれて い る か第
一 にに
四つあ
る。経
に おい て矛盾
を除 く質
問
と, その矛盾
を除
く答
え と, 三性
の自性
を理解す
るこ とと, そ れ らに よっ て成 立 する意 味 を尋ね る こ と とである。 経に お い て矛 盾 を除く質
問第
一 は, 『解深密
経 』の中に, 「世尊
は無 量の異門
に おい て諸蘊
の 自相を もお 説 ぎに な られた。 [諸蘊の] 生の 相と, 滅の 相 と, 断 除と, 遍知をもお説 きに な られた。 諸蘊の よ うに , 諸 処 (十二 処 )と, 縁起
と, 諸食
(四食)
に 至 る ま でを も お説 きに な られ た。 同様に, 諸諦 の 自相 と, [苦 の ]遍 知 と, [集の] 断 除 と, [滅の ]現 作と, [道の ]修 習 と, そし て諸界の 自相と, 「十八 の] 種々 の界
と,多界 (
六大)
と,断除
と,遍
知 と,[
三十七]菩提分
の自相
と,所対
治と, 能対治
と,[それ らの 対 治の
]
生じて い ない もの を生 じ させ るこ と と, 生 じてしまっ たものを住させ る こ と と, 不忘 失と, 倍 修と, 増長広大 を もお説 きに な られ た。 世尊
は 一切
法が無 自
性で あり , 一切 法が 不 生で あ り , 不滅で あ り, 本来 寂 静であ り, 、自性涅 槃であるともお説 きに な られ たの で 世尊は何 を密 意
して 一刧法
が無 自
性であ
り, 一切法
が 不生であ
り, 不滅
で あ り, 本 来寂 静 であ
り,自性涅槃
であ
る とも
お説 き
にな られたの であ
ろ うか。 世尊
が何
を密意
して一切 法は無 自性で あ り, 一・一・切 法は不生であ り , 不滅
であ り, 本来寂静
であ り, 自性涅槃で あ る と もお 説 きに な られ た, その 意 味を こそ私は世 尊に お尋ね 3) 致 し ます。」 と説かれてい る。 これは, ある経に 「一切 法は無 自性で ある」な どと説か れて お り, あるもの に は 「蘊
な どの自相 などは ある」 と説かれて い る。[
これ ら]二 つ は言葉
通 り で あれ ぽ矛 盾であるが,[世 尊に] 矛
盾
がある わ け が ない の で, 何を密意し て無 自
性であるな ど と説
かれたの か と尋
ね てお り, そ こ で自
相があ
るな ど と説か 乳 た こ とも何
を密意
し て説か れ たの か と, その意 味 を問わ れ たの で ある。 (46
) −419
一4)
こ こ で 自相とい うの は, 中 国の大 注 釈な どの 中に,
特
別 な 相 (別 相)と釈
し て い るの は不 合理で ある。匸
そ の理 由は ]経 自体の中で遍 計所執
の場合
に自相
が成 り立つ こ とを 明ら か に説い て い る た めで あり,[
ま た]
遍 計 所執に つ い て も特 別に 象徴
された もの が ある の で, 相無 自性 が 遍計所 執に つ い て説 くこ とが で きない 過失
にな るため である。種 々 [の
界]
や多界に つ い て, 諸の解釈
がさまざ
まに釈してい るが, 後に 出 て 来る 『解深 密 経』 と合わ せれ ば, 十八界 と六界 (六大 )に な る の である。 不 忘 失 とは忘 れない こ とで ある。 その 矛盾 を除 く答 え第二 に は二 つ ある。 (
7
)無 自性の あ り方
が何を密
意し て無 自性と説かれ たの か を解釈 す るこ と と, (イ)何を密 意し て不生 などと説かれたの か を解 釈 するこ とと である。 (ア)
無 自性のあ り方が, 何を密 意 して無 自性と説か れたのか を解 釈 するこ と第
一に 三つ ある。(
a)
要約
して説 示 するこ と と, (b
)詳し く解
釈するこ と と, (c) そ れ らの喩
を示 す こ と とである。〈
a)
要 約 して説示 す ること第一は, 『解 深密 経』の 中に, 「
勝義
生 よ, 私が諸 法の 無 自性が 三種で あるこ と, す なわ ち相無 自性
と生無 自性
と勝 義 無 自性を密 意し て, 一切 法は無 自性で 5) あ ると説い た の であ
る。」と説
かれてい る の で, 三 種の無 自
性を密
意し て, 無 自性 と説い たの で ある。.『摂 決択 分』の 中に も,
「世
尊
が何
を密
意して 一切法は無 自性で ある と説い た か と言 えば,[
有情
を]
教化
する ため に そ れ (三性 )とそ れの 三種
の無 自性
6) を密
意して説い たの で ある。」 と説かれて い る。r
唯 識三十 頌』 の 中に も, 「自性は 三種であるが, 三 種 の 無 自性 を 密意し て, 7〕 一切 法は無 自性で ある と説い たの である 。」 と説かれて い る。 その 故に, ある 一418
− (47
)ツ ォ ソ カバ の 『善説 心随』和訳 (
1
) 人(
jo
nangpa
)
が , 「『般若経
』な どの諸経
に 一切法
は無 自
性で ある と説
かれ た こ とは, 世 俗の 一 切 法を密意
し た もの であ り, 勝義
を密意
し た もの で は な 8) い 。」 と説 く
の は, 『解深密経
』やアサ ン ガ兄弟 (
無着
と世親)
の説
と相違
して お り, 聖な る父 子(
龍樹
と聖提婆)
な どの学説
か らも外
れるもの であ
る。こ の よ うに ,
[
勝義
生 が世尊
に]何
を密意
して無自
性であ
る と説い たか を尋
ね たの は,匚
世尊
が]何
をお考
えに な っ て無 自
性である と説 示されたの か , ま た , 無 自性の あり方を尋ねたの で ある。答
え もそ の 二 つ の質
問の通
りに示 した の で,最
初に説 くの は, 色か ら 一切智
に至 る までの諸
法の すべ て の 種類
につ い て, 自体
や 自性 が ない と説かれ, これ らが三無 自性に 摂 約される。 そ して, そ の 無 自性の あり方を解釈 す れ ば [自性は]
理解
しやすい とお考
えに な っ て 三無
自
性に 摂 約 したの で あり, 勝義と世 俗の 一切 法を その 三つ に 摂約 され るの であ る。 そ の よ うに な さっ た 理 由も, 『般若
経 』な どに五蘊 ・ 十八界 ・ 十二 処 とい う一切 法 をそ れ ぞれに無 相 や無 自性や無 実体 と説 き, 特に 空 性や法界
や真如
な ど勝 義の あらゆ る種 類 を語っ て , それ らを 無 自性で ある と説い た の で , それら の 経 典に,諸
法は無
自性である と説かれ てい る法の中
に勝義はない と知者の 誰 がそ う言 うの であ
ろ うか。(
b
)
詳しく解釈
すること第
二 は, もし無 自
性で あると説かれてい る諸 法 が三 無 自性に摂約
される とき
, そ れ ら三つ は何
で ある か ,無 自
性の あ り方は どの よ うで あ るか とい うな らぽ, 第一 の 無 自性を説 くの は 『解深 密経』の 中に ,「諸 法の相無 自性とは何である か とい え ば, 遍 計 所 執の 相な るもの で ある。 そ れは 何 故か とい えば, 即ちそ れ
(
遍計
所執)
は名と言説に よ っ て安
立 された相
であ
るが,自相
に よっ て定 立 さ 9) れ るもの で は ない の で, その故にそ れは相 無 自性 と言われるの であ
る。」 と説 かれ てい る。 初め の 二 句の 問答に よっ て, 遍 計所 執は相 無 自性で ある と説か れて , 「そ れ は何故か とい えば」 とい うことに よっ て, そ の理 由 を 尋 ね たの で ある。 その 答 え とし て, 否定 的には 自相に よっ て成 り立 たず
,肯
定 的に は名
と言 説に よっ て (48 ) −417
一安立 された の である とい う理 由が説かれてい る。 こ の経 典に 明確に示された こ とに よっ て , 次の 二 つ (依 他起 性 と円成
実
性)
も また知 られるべ きで ある。遍
計
所執に おい て無 とされる相の自体
は,自相
に よっ て成立するか ,定 立 す る か につ い て言 わ れ る。 こ こ で 自相に よっ て有
る とか無
い とか を示 す基
準は,名
と言説に よっ て安立されてい る か ,安
立 さ れてい ない か で ある。 し か し,安
立 された と して も存
在 するとは限 らず
,安
立 する方 法につ い て もプ ラ ーサ ン ギ カ(中観)
が存在
する ものを名として の言 説の 力に よっ て安立するこ と と全 く 伺 じで はない の で,自
相に よっ て有
る とか 無い とか とい う意味
も 一一ik
しない の で ある。 し か し, こ の匚
唯
識の]
自相に よっ て有
る と把 握 するこ とが あるな ら ほ, プラ ーサ ソ ギカ(中観)
の 自相に よっ て成立す
ると把 握 するこ とも ある。 し た が っ て, あ るもの の根 本を前 者 (唯
識)の よ うに 把 握しな くて も,後者(
中観 )
の よ うに 把握 するこ とはあ りうるの である。第
二 の無 自性
は, 『解
深密
経 』の 中に, 「諸法の 生無 自性
とは何か とい えぽ, 諸 法の依 他起の 相な るもの である。 そ れは何故か とい えぽ, 即 ち そ れは他の 縁 の 力に よっ て生 じ た もの で あるが,自
らに よっ て [生じ た もの ]で はない の で, 10) そ の故
に そ れは 生 無 自性と言われ るの で ある。」 と説か れてい る。「自らに よっ てで はない の で」 と
説
か れて い るの で, 依他 起に お い て無とさ れる生の相
や自体
に よ る生 起 とは,自
らに よっ て生起す
るこ とである。 そ れは 自らの 力に よっ て生 起 するこ とであっ て,r
摂
決択
分』 の中
に, 「諸行
は縁起
に よっ て生じるもの で あるため,縁
に よっ て は生じるが,自
らは生じない という
11) こ とが, 生無 自性 と言 わ れ るの で ある。」 と説かれた通 りで ある。依 他起に おい ては 自性に よっ て 生
起
する よ うな 自体が ない の で 無 自性で ある と説かれてい るが, 自相に よっ て成 り立た ない か ら無 自性で あ る と説かれて い る学
説で はない の である。第三 の 無 自性を安立する二 つ の
方
法の うち, 依 他起に おい て勝義無 自
性を安 立 するこ とは,『解
深密
経』の 中に, 「諸 法の勝義
無 自性とは何か とい え ば, 縁 起に よっ て生じ る法
で あ り, それ らは生無 自性とし て無 自性であるが, 勝義
無自性
と して無 自性でもあるの であ
る。 それは何 故か とい え ぽ, 勝 義生 よ, 諸法 一416
− (49
)ツ ォ ソカバ の 『善 説心随』 和訳 (
1
) にgk ’い て清 浄 なる殀縁
であるもの, そ れは勝 義で あると顕示 した が, その依他
起
の 相は清浄
な る所 縁で はない の で , そ の故に勝 義無
自性 と言われ る の で あ 12) る。」 と説かれて い る。,依
他起
は勝 義の 自性 とし て無である か ら勝 義 無 自性 と言わ れ る。 なぜな ら,勝義
が何
かを所 縁 と して修習 する ときに障害
を滅 尽 する こ とになるとす れば, 二 依他
起を所 縁 とし て修 習 するこ とに よっ て障害
を清浄
に するこ とはで きない か ち であ る
。 『し か し, 遍
計
所 執 もまた , 勝 義無自
娃として安
立 さ れ ない の は侮
故か とい え ぼ, 清 浄な る所縁で はない とい うこ とだけに よっ て 匸勝 義無 自性とし てコ 安立 さ れ る とすれ ばそ の 通 りであ
るe しか し; 宴分 溺 を 否 定 す る か ら, 依催趨は,清 浄
な る所縁
では ない の で勝義
無 自性 とし て安立 されるが , 遍計所執は 匚勝義 無 自性 とし て]安
立さ れ ない ので ある。11
何故
か とい え ぽ,依他起
は遍計
所 執 が 空で あ るごとを所 縁 とし て修 習 される 『 こ とに よっ て ,障害
が清浄
に な るの である と知られるならば, その よ うに有
法 ,(
dharmin
)である依 他起を も所縁
と し な け れ ば な ら ない ので, そ れ も溝浄
な る所縁
になるか ら勝義
に な るであ
ろ うと疑問
を生「じ る が, 遍計所
執に その よ う な疑
聞 は ない か らである。その 疑 問の 過失はない 。 とい うの は, 声は
無常
で あると認識
する こ と に よっ て, 声は常であると掘 握 するこ とを断滅し ても, 声を所縁 とする こ とに よっ て常
で あると把 握 す る こ とを断滅
し ない こ とが矛盾で はない よ うな もの である。 依 他 起は清 浄な る所 縁であ るこ とに つ い て勝 義 と され る が, その 勝 義と して成 り立た な くて も, 飽の 勝 義 として成 り立つ か , 成 り立た ない か は後
に説 くこ と に な る であろ う。第
二 の勝 義 無 自盤の安
立の方法
も また, 『解深密
経2
の中
に , 「ま た ,譲
法の 円成 実の相で ある もの, そ れ もまた勝義 無 自性であるとい わ れる。 そ れは何 故 ・か とい え ば ,勝
義生 よ, 諸 法の 法 無我
であ
るもの, そ れは そ れ ら(
諸法)
の無
自
性であ
る と雷 わ れ, そ れは勝 義であ
るが,勝義
とは 一切法
の 無自
性が顕わ さ 閲 13) れ た もの であ
るの で, その 故に 勝 義無
自性 と言われる。j
と説
かれてい る。 (59
) 一一一415
一一諸 法の法 無 我で ある円成
実
は,清浄
な る所縁
であるの で, 勝 義で もあるが,諸法
の 我の 無 自性に よっ て よ く区別され, そ れだけに よっ て安
立 され た もの で ある か ら,諸
法の 無 自性 と も 言 わ れ るの で, 勝 義 無自
性 と言 わ れる。また, 『解 深密 経』 の 中に , 「もし
諸行
の相
と勝 義の 相とが 別で あ る な らば, それで は諸行
の無 我のみ と無 自性
のみ とが勝 義の 相で あるとい うこ とに もな ら なサ
!
.」 と説かれてい る. 喩の 場ft
・1
・・も湿空離
色 激 い ・ とだけに お・・て 安立 され る よ うに , 無我が安立 され ると説かれてい るの で, 有 法で ある行 に お い て 法の 我を た だ断滅し ただ けの 妄想 が ない こ とに お い て法 無 我とし て の 円成 実を安立するこ とは極め て 明か で ある。 そ れ故
, こ の 経が真
実の 意 味を説示す るこ とは 了義である と認め る ま まに, 不変
であ
る円成 実は否 定を断 滅する だけ の 断 滅以 外 もの を安
立せ ず, し か も知
の境
に 現われる もの を否定
するこ とを 断 滅す るこ とに よら ない肯定 を 独 立 した もの と認
め るこ とは矛 盾である。こ の 円成
実
は諸法の我の 自体を唯 断滅し た だ けで ある の で, 諸法の勝 義は 無 自性で ある と説か れ た が, 否 定の 自体
に自相
が成 り立た ない ので, 無 自性を認 め ない 学 説である。 (C)そ れ らの喩 を示す
こと第 三に は, その 三
無
自性の 喩は どの ようで ある か とは, 『解深密
経 』に , 「そ こ で , 即ち例え ば,虚
空の花
の如
く, その よ うに相
の無
自性が見られ るべ ぎで ある。 勝 義生 よ, そこ で, 即ち例 えば, 幻の所作
の如
く, その よ うに生 の 無 自 性が見られるべ きである。 勝 義 無 自性 もま た, そ れ と同様に見
られ るべ きであ る。 勝義
生 よ, そ こ で, 即ち 例 えぽ, ・虚 空は色の 無 自性の みに よ っ て顕され る もの であ り, そし て, すべ て に広がっ て い る如 く, その よ うに , その勝 義 無 自 15) 性か ら,法無
我が顕 され,す
べ てに 広が っ て い るもの と見 られ る べ きで ある。」 と説
かれてい る。遍 計 所
執
が虚
空の 花と等しい のは, そ れ が単に分 別に よ っ て仮設された こ と だ け を例えてい るの で あっ て, 所 知 として そ れ が存
在 しない こ とを例えてい る の ではない 。 依他 起が 幻 と等し い あ り方は, 後に 説 くで あろ う。 円成 実の 喩の一
414
−(
51
)ツ ォ ン カバ の 『善説 心薮鯛 和訳 (
1
)意 味
は, 大 体に おい て 閣らか で ある。 無 自挫 とし て説かれて い る無 良性の あ り方は, 以上の よ うに説かれて い るカ そ うで はな くして, 三 相共 に自
相ボ 成 立 しない もの として 無 自性を説 くな らぽ, 無自性
を 説く
経 を 言葉
通 りに執著
す るこ とになるの である。 か くして, 無 見 や断
見を得
る こ とにな る。 三稲 共に損
減 するの で , 無 柑 とする見解を持
つ こ とに なる。 そ こ で, 依 他起に 自相が成 り立た ない な らば, 生滅
はあ りえ ない の で, それを損 減 する こ とになる。 円成 実に 自相が ない な らば, 事 物の特
性が成 り立 た ない説
で ある。例
えば,自相
が成 り立 たない とい う見解
は, 他の 二 相に とっ て 損減
である と しても, 遍計
所執に とっ て どの よ うに損減す
る こ とに なる のか とい え ば, 他の二相に 自相がない 時に , そ の ご [相]は非 存在に なる で あろ う。 そ うで あれぽ, 遍計
所 執を仮
設 する所依 も ,仮 設す る人の言 葉 もない の で, 遍計
所執
が全 く存
在しない こ とに なるの であ
る。即ち, また 『
解
深密
経 』の中
に, 「私
の 密意す
る甚深
なる教
説は, 正 し く如
樊
に理解
されて い ない の で, その法を 信解
し て も, これら 一切の 法鳳 ,唯
, 無 農性であ り, こ れ ら 一一va
の法
は,唯
, 不生であ り, 唯, 不滅
で あり, 唯, 本来寂
静であ り,自
性 涅槃
である とい う法の意味
を, 唯, 言 葉 通 りに執 薯してい る。彼
らは それ
に よっ て, 一一ee
法
に おい て ,無
見や 無 相 とい う見
解
を得
るこ とに な る で あろ う。無
覺や無相
とい う見解
を得
るこ とに よっ て, 一切 法におい て一切
積
が損減
される の で, 諸 法の 遍 計所 執の相
をも損減し,諸
法の 依催起
の 相や円 成実
の相 を も損減
するの であ
る。 それは何故
か とい えば,勝義
生 よ, ’ この よ う に , 依 鼇 起の 相と円成実
の相カミあるな らば, 遍 計 所 執の 相 もま た遍 く知るこ と に な る で あろ う。 そ こ で, 依 他起の相 と円成 実の相を無 相とみ る者達
は,遍 計
所 執の相 を も損減
するの であっ て, そ れ故
に,彼
らは 三種
の相を損減
するとい 16) わ れる の で ある。」 と説かれて い る。「
〔
法
の〕窓味
を言葉通
りに執著す
る」 とい う句は, 無 自性を示 す経
の中
で, 「一切
法は, 勝 義に お い て 自性が空であ り, そ して , 自体
や 自相が空である」 とい うこ とを説い た もの であ っ て, そ れ らを説示する如 くに把握 するの は, 言 葉 通 りに執 著 することを認
め る考
えである。 依他 起 と円成 実 との相を無相と し (52
) −413
一て見た こ とは, その 二 が
自相
に よっ て成 り立たない と見るこ とである。 「それ は何
故か とい えぱ」 とい うよ り以降
は, 三相共
に損減
するこ とに なる理 由を示す
もの である。自相
に よっ て生 と滅
とが無い と説か れて い るよ うに把 握し た とき
も, ま た, 依他 起を損減 するこ とに な るの で, 他の 二 つ を も損減
する こ とに なると知るぺ きで あっ て , 生 と滅
とに 自相 が存
在しない な らば, 生と滅
と は非存在
にな る とい う説である。 (イ)何 を密 意 して 不生 など と説 か れ たかを 解釈 す るこ と第二 は, 無 自性のあ り
方
が以 上の 如 くで ある とき, 不 生 などは何
を密意
して 説かれた のか とい うな らば, これは最初 (
遍計所執)
と最後 (
円成実
)
との無
自性
を密
意して説かれてい るの であ
る。 その うち最
初のもの は, 『解
深密
経』 の中
に, 「そ こで ,相無 自
性を密
意し て, 私は, 一切法
が不生 , 不滅
,本来寂
静, 自性涅槃
で ある と説 い た。 そ れ は何
故か とい えば,勝義
生 よ, 即 ち無 自相 で あ る もの, それは不 生である。 不 生で あ る もの, それは不滅である。 不 生 に して 不滅
であ
るもの , そ れ らは本来寂静
であ
る。 本 来寂 静であるも
の, それは 17) 自性 涅槃で ある。 自性 涅槃で ある もの , そ こ に は涅槃
すべ き もの は何 も
ない」 と説かれてい る。遍
計
所 執に お い て, 生滅が ない 理 由に 対して, 自相に よっ て成 り立 た ない こ とを述べ たの で ,[
もし]生減
がある な らぽ, 自相 と して 成 り立 ち, 依他 起に おい て , 自相
と して成 り立つ 生滅
が ある こ とをも説
示し た の で ある。 生滅を離
れ たもの は無為で あるの で, 雑染
の 法 と適 合しない た め に, 本来寂
静, 自性涅槃 (
mya nganlas
’das
pa
) と説かれた の である。 こ こ で苦 (mya ngan)
とは雑 染で あるため である。
第二 も, ま た ,
r
解
深密
経』の 中に, 「ま た,勝義無 自
性は, 法 無 我に よっ て 顕 わ され るこ とを密意し て, 私は, 一切法が 不 生 , 不滅, 本来寂
静,自性
涅槃
で あると説い た。 そ れは何故
か とい え ば, 即ち, 勝 義 無自性
が法 無 我に よっ て 顕わ され る こ とは,常
常の時, 永 遠永遠の 時に正しく住す
るこ とだけである。 そ れは, 諸 法の 法 性(
真実)
な る無為
で あ り, 一・一・切の煩悩
を離
れ た もの で あっ 一412
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)ツ rk v カバの 『善説心随』和訳 (