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264 思春期後の男性では 20% 位が睾丸炎になり睾丸 が腫れて痛む 思春期後の女性では 5% 位に卵巣炎 が起こる 約 15% の患者では 頸の硬直や頭痛を 伴う髄膜炎が起こるが 普通は一週間位で治り 後 遺症は残らない場合が多い そのほか 難聴が 1,000 人に 1 人 脳炎が 5 万人に

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はじめに

 ムンプスワクチンは 1980 年代初めに承認され、 1989年からは麻疹・風疹・ムンプス(MMR)混合 ワクチンとして定期接種が始められた。しかし、ワ クチン被接種者における髄膜炎の多発から、単独ワ クチンとして任意接種になり、接種率は 30%から 40%ときわめて低い状態がいまだに続いている。  2017 年 4 月、感染症学会は、ムンプス自然感染 による髄膜炎などの合併症のリスクを指摘した。9 月には耳鼻咽喉科学会が、2015 年からの 2 年間行っ た大規模全国調査にもとづいて、ムンプスによる難 聴が多発している現状を報告した。そして、両学会い ずれも、ワクチン接種の定期接種化を要望している。  筆者は 1970 年代、ムンプスワクチン開発の時代、 国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)で、 ムンプスワクチンの検定基準作成から承認審議に関 わっていた。その際の経験も含めて、ムンプスワク チンが生まれた歴史的背景や経緯を振り返るととも に、わが国の現状を考えてみたい。

Ⅰ. ムンプスの特徴

 ムンプスは、英語の mumps の発音をそのままカ ナ表記したもので、流行性耳下腺炎、またはおたふ くかぜとも呼ばれている。これらの名称が示すよう に、耳下腺と顎下腺が腫れるという特徴的な症状を 示す病気で、紀元前五世紀にすでにヒポクラテスが 記載している。  ムンプスという病名は、1600 年頃、この病気が「口 を閉じたまま、もぐもぐ言う」の意味の英語 mump

ムンプスとムンプスワクチン

Mumps and mumps vaccine

話題の感染症

やまの

 内

うち

 一

かず

 也

や Kazuya YAMANOUCHI 東京大学名誉教授、 ベルギー・リエージュ大学名誉博士 の複数で呼ばれていたことから生まれたと考えられ ている。唾液腺が腫れて会話や食事が困難になった 症状に対して付けられたものである。  日本におけるムンプスのもっとも古い記録として は、平安時代、村上天皇の天徳 3 年(959)の出来事 として、『日本紀略』に、「今年人民頸腫世号福来病」 という記述がある。今年は人々の間に頸が腫れる病 気、世にいう福ふくらいびょう来病が流行ったという意味である。 耳の裏から頸にかけて腫れてお多福のような顔にな ることから、「福が来た」としたものと推測される。 平安時代、お多福は美人とされていた。頸が腫れあ がった顔をながめて、美人になったとなぐさめてい たのだろうか、それとも、からかっていたのかもし れない1)。江戸時代、文政 11 年(1828)には、お たふく風という風邪が流行したという記述があり、 この頃にはおたふく風邪の名前が用いられていた。 当時、熱が出て喉が痛む病気は、すべて風邪と呼ば れていた。  ムンプスの症状は古くから知られていたものの、 重い病気とはみなされていなかった。以下に紹介す る感染症としての実態が明らかにされたのは、1960 年代終わりにムンプスワクチンが承認されてから である。病気の重要性からワクチン開発が促進され た麻疹、ポリオなどの場合とは正反対であった。  ムンプスウイルスは、唾液を介して広がる。感染 力は麻疹ウイルスよりは低く、ウイルスが含まれた 唾液が付いた指をしゃぶったり、ウイルスに汚染し たものを食べるといった子供の行動で広がることが 多い。ウイルスに感染したのち、16 日から 18 日の 潜伏期ののちに 80%位が発病する。最初の症状は、 発熱、食欲消失、疲労、頭痛である。2, 3 日後に 30 ないし 40%で耳下腺が腫れ、1 週間で回復する。

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 思春期後の男性では 20%位が睾丸炎になり睾丸 が腫れて痛む。思春期後の女性では 5%位に卵巣炎 が起こる。約 15%の患者では、頸の硬直や頭痛を 伴う髄膜炎が起こるが、普通は一週間位で治り、後 遺症は残らない場合が多い。そのほか、難聴が 1,000人に 1 人、脳炎が 5 万人に 1 人位起こる。

Ⅱ. 第 2 次世界大戦時の

緊急課題となったムンプス

 ムンプスは長い間、子供が普通にかかる病気で、 発熱や唾液腺の腫脹を起こすが、重要な病気とはみ なされていなかった。ムンプスが注目されたのは軍 隊である。ムンプスは、成人がかかると、子供では 稀な、睾丸や膵臓などの炎症という、やっかいな病 気になったのである。感染力が強いため、ぎゅう詰 めの兵舎や訓練キャンプで、ムンプスは急速に広 がった。そして、睾丸が腫れるため、ムンプスは淋 病に次ぐ性病とみなされた。  第 1 次世界大戦では、ムンプスはフランスに遠征 した米陸軍の兵士の活動を妨げた最大の原因となっ た。その際のムンプスによる入院は、1,000 人あた り 55.8 人(総計 23 万人)であった。ムンプスで失 われた活動時間は、総計 300 万時間と推定された2)  1939 年、第 2 次世界大戦が始まった際、米国保 健省が第 1 次世界大戦中に軍隊で発生した感染症の 状況を調べたところ、ムンプスは、死亡の主な原因 ではなかったが、兵士の戦闘活動に大きな被害を及 ぼしていたことが明らかになった。そこで、米国政 府は、インフルエンザに次ぐ重要な病気として、ム ンプスワクチンの開発を、国立衛生研究所(NIH) のカール・ハーベルとハーバード大学のジョン・エ ンダースに要請した。  第 1 次世界大戦当時と異なり、今度はムンプスが ウイルスにより起こる病気であることが明らかに なっていた。すでに 1933 年、クロード・ジョンソ ンとアーネスト・グッドペイスチャーが、患者の唾 液を細菌フィルターで濾過したのち、アカゲザルの 耳下腺内に注射して耳下腺が腫れることを見いだ し、さらにサルの耳下腺組織乳剤を細菌フィルター で濾過しながら、サルで 7 代継代することに成功し ていたのである3)  ハーベルは、孵化鶏卵で増殖させたムンプスウイ ルスを紫外線照射で不活化したワクチンを開発し た。1945 年、フロリダ州のサトウキビ畑での労働 のために西インド諸島から連れてこられた黒人の間 でムンプスが発生し、4 月から 12 月にかけて 2500 名のうちの 632 名が発病した。そこで、ハーベルは、 不活化ワクチンを新たに参加した集団に接種して、 ワクチンの有効性を調べた。1,344 名にワクチンを 接種し、1,481 名を非接種対照として、ムンプス感 染の頻度を比較したところ、ワクチン接種グループ の方が発病の頻度は若干低く、発病しても症状は軽 いという結果が得られた4)  エンダースは、ムンプスウイルスを感染させたカ ニクイザルの耳下腺組織の乳剤をホルマリンで不活 化したワクチンを試作し、ボランティアで試験した 結果を 1946 年に報告した。それによれば、41 名の 子供にワクチンを接種し、32 名には対照として未 接種のまま、ムンプスウイルスを耳下腺管内に接種 または口腔内に散布する試験を行ったところ、ワク チンは約半数で免疫効果が見られた5, 6)

Ⅲ. 戦後軽視されたムンプス

 戦争中は、兵士のムンプスが注目されたが、終戦 とともにムンプスは昔と同じように、ほとんど無害 で、時には滑稽なイメージを持つ子供の病気とみな されるようになった。1955 年、ニューヨーク州衛 生局のパンフレットには、リスのように頬を膨らま した子供の漫画が掲載されていた。そして、「子供 では後遺症は滅多に起こらない」ので、ワクチンを 接種するべきではないとして、「ほとんどの場合、 子供ではムンプスは軽く済み、終生免疫を与えてく れる」と軽い調子で書かれていた。  日本でも子供のムンプスはほとんど問題にされて いなかった。1970 年代半ば、厚生省のムンプスワ クチン調査会で私が小児科の権威の委員にムンプス ワクチンの必要性を尋ねたところ、「子供にはあま り必要ないが、子供がムンプスにかかると保育園や 幼稚園に連れて行けなくなるので、母親が仕事に行 けなくなる。それを防ぐことができるので母親の役 に立つ」という内容の答えがあった。  1950 年代、米国の新聞ではしばしば、ムンプス の記事が一面に現れていた。ほとんどが、軽症とい うことを誇張する内容であった。新聞が良くとりあ

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げていた理由は、野球選手、ボクサー、フットボー ル選手、コーチなどがムンプスにかかりベンチ入り しなければならなかったためである。

Ⅳ. 開発されてから有用性が

認識されたムンプスワクチン

 1963 年 3 月 23 日夜、メルク社のモーリス・ヒル マンの 5 歳の娘ジェリル・リン・ヒルマンが発病し、 ヒルマンはムンプスと診断した。彼はちょうど海外 に出かける直前だったので、彼女の喉のぬぐい液を 取って凍結保存し、帰国してからニワトリ胚に接種 した。そこで分離されたウイルスを彼は、出張中、 病床に残していった娘への感謝をこめて、ジェリル・ リン株と命名した。  ウイルスを入手したことがきっかけになって、ム ンプスワクチンの開発を始めたと一般に伝えられて いるが、ヒルマンはそれを否定し、1959 年にすで にムンプスワクチンの開発に着手していたと総説に 書いている。当時は麻疹ワクチンの開発だけが進ん でいて、ほかのワクチンはまだ理論的可能性に留 まっていたが、彼は、小児に対して一回の接種で済 ます混合生ワクチン(麻疹、ムンプス、風疹、水痘、 A 型肝炎)のアイディアを固めていたという。  ヒルマンらは、ジェリル・リン株をニワトリ胚と ニワトリ胚細胞で継代して弱毒化したワクチンを開 発した。最初の臨床試験は、1965 年フィラデルフィ ア州の心身障害児の学校の子供たち 400 名で行われ た。半数にワクチンを接種し、残りの半数は対照と して、ワクチンを接種しなかった。それから数ヶ月 後、フィラデルフィア州でムンプスの流行が起きた。 接種を受けなかった子供 61 名が発病したが、ワク チン接種グループでかかったのは 2 名だけであっ た。このワクチンは 1967 年に承認され、リンの妹 のカーステンが最初のワクチン接種を受けた7)  ワクチンが承認された頃、ムンプスは公衆衛生上 での優先順位はあまり高くなかった。届け出疾病に もなっていなかった。『ランセット』誌の論説では、 ワクチンが実用化されるまで、ムンプスワクチンへ の関心は乏しかったと述べていた。  それまでのワクチンはいずれも、重い病気を予防 するものであった。ワクチンが生まれたことで、疾 病制圧予防センター(CDC)の疫学者たちは、戦争 中を除いてこれまであまり関心が持たれていなかっ たムンプスに対するワクチンがどのように役立つの か、検討を始めた。1968 年には、前述のようなム ンプスの病態など、この病気の詳細な医学的特徴が 明らかにされた。ムンプスワクチンは、開発されて から、その病気を予防する意義が初めて認識される という、これまでのワクチンとはまったく異なる経 緯を辿って生まれたのである。  ムンプスは本来は大人の病気であるが、集団感染 が起こりやすい子供のうちに接種して予防するのが 妥当という考えが生まれてきた。子供にはすでにワ クチン接種プログラムが出来ており、それにムンプ スワクチンを加えれば良かった。子供に免疫が出来 れば、子供だけでなく、大人への感染防止にもつな がった。  ムンプスワクチンは、米国ではこれまでに 1 億 5,000 万ドーズ以上が配布されている。1967 年以前、米 国では毎年 18 万 6,000 人の症例が報告されており、 実際は倍以上発生していたと推定されている。ワク チン接種が始まってから患者の発生は著しく減少し ている。2,000 年は 1,000 名以下、2016 年には 4,000 名と稀な病気になっている。  日本では 1964 年頃から開発研究が始められ、 1972年にはムンプスワクチン研究会が発足した。 その結果、占部株ワクチン(阪大微研研究会)、星野 株ワクチン(北里研究所)、鳥居株ワクチン(武田薬 品)の 3 つが開発された。前二者の承認申請の審議 には、国立予防衛生研究所麻疹ウイルス部で麻疹ワ クチン検定主任をつとめていた私も参加した。ワク チンの必要性や子供での安全性が問題にされたが、 十分な議論は行われないまま、審議は打ち切られた。 後述するように、米国ではすでに 1971 年には麻疹・ ムンプス・風疹(MMR)の 3 種混合ワクチンが接種 されていた。米国でのワクチン開発の後を追いかけ ていた日本では、風疹ワクチンが 1977 年に承認さ れていたため、ムンプスワクチンの承認を急いでい たことが、審議打ち切りの背景にあったと推測して いる。占部株と星野株ワクチンは 1980 年に承認さ れ、鳥居株ワクチンは 1982 年に承認された。

Ⅴ. MMR ワクチンの開発

 1960 年代終わりまでに、ヒルマンは麻疹、ムン

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プス、風疹の 3 つのワクチンを混合して一緒に接種 する方針を決めていた。3 つを別々に接種するより、 1回で済ませる方が良いだろうと考えたのである。 「3 つの病気を 1 回の接種で予防するという夢が現 実になってきた」と彼は語っていた。  細菌ワクチンでは、1960 年代初めにはジフテリ ア、百日咳、破傷風の 3 種混合ワクチンが用いられ ていたが、ウイルスワクチンでは、混合されたもの はそれまで開発されていなかった。しかも、麻疹ウ イルスは免疫抑制を起こす。麻疹ワクチンも弱いな がら免疫抑制を起こすことが推測されていた。1994 年にはシュワルツ・ワクチンでの研究で弱い免疫抑 制が起きることが報告されている。臨床試験では、 この点にとくに重点が置かれた。  ヒルマンの MMR ワクチンは、子供での臨床試験 で、それぞれのウイルスに対する中和抗体を単独ワ クチンの場合とほぼ同じ程度に産生することが確認 された。とくに副作用が強くなる傾向も見られな かった。  この MMR ワクチンは、米国で 1971 年に承認さ れた。  日本では、1980 年に厚生省委託研究費による「弱 毒生ウイルス混合ワクチン(MMR)開発研究班」が 結成された。3 年間の成果をまとめた報告書では、 麻疹ワクチンは幼児全員、風疹ワクチンは思春期前 の女子全員、ムンプスワクチンは任意であるため、 3種類のワクチンを混合して幼児に接種すれば以下 のような利益が期待されると述べている。 ① ワクチンの製品化の過程および流通経路における 費用の低減化。 ② 接種回数の減少による接種者および被接種者双方 における費用、労力および時間の節減。 ③ 或る程度以上の接種率を保つことができた場合に は、現行の接種方式では期待しえない風疹および ムンプスに対する集団免疫効果が生じ、両者の流 行の阻止が可能になる。  この研究会では、麻疹は北里研究所の AIK-C ワ クチン、ムンプスは微研会の占部株ワクチン、風疹 は 武 田 製 薬 の TO-336 株 ワ ク チ ン を 混 合 し た、 MMRワクチンについて、1981 年から 1983 年にか けて、2 回にわたって計 1,163 名の小児での臨床試 験を行った。一方で、3 社はそれぞれ自社株ワクチ ンを混合したワクチンを開発していたが、研究会は 「合理的かつ科学的根拠に基づいて最良の組み合わ せを提示し得るならば、1 種類の MMR ワクチンを 普及するほうが、多種類のワクチンの出現をみるよ りも、国民の健康のためには望ましい」として、過 去の実績にもとづいて上記の組み合わせを統一株ワ クチンとして提案した8)。合理的な根拠とは、厚生 省主導の話し合いで、3 社のワクチンが一つずつ選 ばれたことを指すのであろう。実際には、研究会に よる臨床試験は、上記の組み合わせのワクチンだけ で行われていて、これが統一株に選ばれていること から、早い時点で話し合いは行われていたと考えら れる。科学的根拠を示した資料は、私が調べた限り、 見当たらない。  統一株ワクチンの定期接種は、1989 年から開始 された。

Ⅵ. MMR ワクチンが提起した

ワクチン副作用問題

 日本では、統一株ワクチンが約 10 万人の子供に 接種された頃、165 名の髄膜炎の発生がみつかった。 ムンプスワクチンが稀に髄膜炎を起こすことは知ら れていたが、米国での 20 年間の成績では、髄膜炎 の頻度は 100 万人あたり 1 人以下であった。それと 比べると、日本のワクチンではきわめて高かったた め、1991 年に統一株ワクチンの接種は中止され、 自社株ワクチンの接種が始められた。このワクチン になって髄膜炎の発生頻度は 1/3 になったが、それ でも米国での発生頻度をはるかに上回っていた。そ のため、1993 年には自社株も含めて MMR ワクチ ンの定期接種はすべて中止された。4 年間に被接種 者は 183 万名あまりで、髄膜炎は 1,754 名に達した。 そのうち 627 名は、髄液から検出されたウイルスの 遺伝子構造から、占部株ムンプスワクチンによる髄 膜炎と判断された8~ 10)  占部株ムンプスワクチンは海外のワクチンメー カーの MMR ワクチンにも使用されていた。カナダ では、占部株ムンプスワクチンを含む MMR ワクチ ンの接種後 4 週間以内に髄膜炎を起こした患者 8 名 の髄液から分離されたムンプスウイルスが、遺伝子 構造から占部株であったことから、占部株による髄 膜炎と結論された。1991 年にこの MMR ワクチン の接種は中止された11)

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 英国では、これらの報告での副作用の統計学的リ ス ク は 低 い と み な し、1988 年 10 月 に 全 国 的 な MMRワクチン接種を始めた。用いられたワクチン の 85%は、占部株ワクチンを用いていた。日本で の髄膜炎の高い発生が 1990 年 5 月に問題になり、 1992年、占部株ワクチンを含む MMR ワクチンの 使用は中止され、ヒルマンの MMR ワクチンに置き 換えられた。  MMR ワクチン接種後、死亡または重度の後遺症 が残った子供 3 人の家族からは、国と阪大微研会に 対して訴訟が起こされた。大阪地裁の一審では、2 名についてはワクチンとの因果関係が認められ、1 名は因果関係が認められないとして却下された。こ の判決後、微研会と示談が成立した。高裁における 控訴審では、阪大微研会には過失責任を認めて損害 賠償の支払いと謝罪が命じられ、国には指導監督義 務違反による過失責任が認められた。ただしこれら は、国の立ち入り検査で判明した、ワクチン製造方 法の無許可変更に対するもので、ワクチン副作用と 直接関連したものではなかった。ワクチンと髄膜炎 の因果関係は示談が成立していたので、判断は下さ れなかった。  占部株ワクチンとジェリル・リン株ワクチンの両 方が使用された英国で、数学モデルを用いて解析し た成績では、集団内におけるワクチンの防御効果は 占部株の方がわずかにまさり、一方、ワクチンの副 作用の面ではジェリル・リン株の方がわずかにまさ るものの、両者の間に大きな差異はないと推測され た12)。2001 年 11 月の WHO 週報には先進国での約 5億ドーズのムンプスワクチンの接種結果を評価し た結果、占部株も含めて、市販のムンプスワクチン はすべて許容できると述べられている13)  日本では、2006 年以来、麻疹・風疹混合ワクチ ンが定期接種になったが、ムンプスワクチンは星野 株ワクチンと鳥居株ワクチンが任意接種で使用され ている。そのため、ワクチンで予防できる髄膜炎や 難聴がいまだに多く発生しているのである。ムンプ スワクチンの必要性を衆知させるとともに定期接種 化を急ぐべきである。

文  献

1 ) 日本紀略(天保四年) http://dl.ndl.go.jp/view/pdf/digidepo_2592150.pdf?pdfO utputRanges=31&pdfOutputRangeType=R&pdfPageSize= 2 ) Plotkin, S.A. & Rubin, S.A.: Mumps vaccine. In Vaccines,

5th Edition. Plotkin, S.A., Orenstein, W.A. & Offit, P.A. eds., Saunders, 2004., pp. 435-465.

3 ) Johnson, C.D. & Goodpasture, E.W.: An investigation of the etiology of mumps. J. Exp. Med., 1934 ; 59 : 1-19. 4 ) Habel, K.: Cultivation of mumps virus in the developing

chick embryo and its application to studies of immunity to mumps in man. Pub. Hlth. Rep., 1945 ; 60 : 201-212. 5 ) Enders, J.F., Kane, L.W., Cohen, S. et al.: Immunity in

mumps. I. Experiments with monkeys(Macaca mulatta). The development of complement-fixing antibody follow-ing infection and experiments of immunization by means of inactivated virus and convalescent human serum. J. Exp. Med., 1945 ; 81 : 93-117.

6 ) Stokes, J., Enders, J.F., Maris, E.P. et al.: Immunity in mumps. VI. Experiments on the vaccination of human be-ing with formolized mumps virus. J. Exp. Med., 1946 ; 84 : 407-428.

7 ) Hilleman, M.R.: The development of live attenuated mumps virus vaccine in historic perspective and its role in the evolution of combined measles-mumps-rubella. In “History of Vaccine Development”(Plotkin, S.A., ed.),

Springer, 2011. 116. 8 ) 伊藤康彦:ムンプスワクチンの開発と開発過程におけ る問題点。小児感染免疫、2009 ; 21 : 263-273. 9 ) 木村三生夫、堺晴美、山崎修道ほか:わが国における自 社株および統一株MMRワクチンに関する研究。臨床と ウイルス、1995 ; 23 : 314-340. 10) 国立感染症研究所:おたふくかぜワクチンに関するファ クトシート。2010. http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000bx23-att/2r9852000000bybc.pdf

11) Brown, W.G., Dimock, K. & Wright, K.E: The Urabe AM9 mumps vaccine is a mixture of viruses differing at amino acid 335 of the hemagglutinin-neuraminidase gene with one form associated with disease. J. Infet. Dis., 1996 ; 174 : 619-622.

12) Nokes, D.J. & Anderson, R.M.: Vaccine safety versus vac-cine efficacy in mass immunisation programmes. Lancet, 1991 ; 338 : 1300-1312.

13) Mumps virus vaccines; WHO position paper. Weekly Epi-demiologic Record. No. 45, 2001, 76 : 345-356, 2001.

参照

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