Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 駒 澤大 學 佛教 學 部論 集第 16 號 昭 和
60
年 10月Candrakirti
『
五
蘊
論
』
に
お
け
る
諸
問 題
池
田
練
太
郎
1
は じ め に現 存 する仏 教 文 献の うち法 相を体 系 的に , かつ 簡 潔に整理 し た 文 献の 多 くは, 説 一切
有
部 (Sarvastivadin
)
の系統
の もの や1), ある い は そ の 流 れ を 汲 む唯 識 派 (Vij
負anavadin
) の もの z)で ある とい え る で あ ろ う。 しか る に , 今こ こ で 取 り上 げよ う と す る
Candrakirti
(Zla
ba
grags
pa
月 称 c .600
−650
)のPndca
・sleandhaPr α
kara
”a (「五 蘊 論 』= 以下PSP
(1
)と省 略)3)は 中観 派 に 属 す る論 書 であ り, ま さに諸 法 の 整理 を 目的
とし た , 中観
派の 丈 献 と して は 極め て 特 異な論 書とい うこ とがで きる。 こ の 論 書は 中 観 派の 論 師で あ るCandrakirti
の 現存す る著作
の うち4) , 註 釈書
な どの 類を除い た独 立の 論 書として 注 目 され て よい もの の 一つ で ある。 瓜 生 津 隆 真 博士 は , こ う した 観 点か らル血4
勿
α窺 α肋 槻 緬 7α (「入 中 論』) とこ の 論 書をCandrakirti
の 著 作中の‘ ‘重 要 な独 自の 論 書” とし て挙 げて い る5)。 けれ ども, ・
PSP
(1
) に つ い て は, これ までに 瓜 生 津博
士 6) ・ 山 口益 博士 7) ,LinatnerEE
3)等に よ っ てそれぞ れ 論 文が 発 表 されて は い る もの の , 纒 ま っ た 成 果は 必 ず しも 多い とは い え ない 。筆
者は中 観 派の 文 献や 思 想に つ い て は 不案
内であ
るか ら, その 内容に つ い て詳
細に , しか も的を外さずに 論 ずる こ とは 困難で ある と自覚 してい るが, それに も関
らず,敢
えて い まこ の論 書
を取 り上げ
た の は , ま さに 先に 述べ た よ うに , こ の 論 書が 主 と して 法相 を 整 理 し, 法体 系を 明 らか に する こ とを 目的 とし た 論 書だ か らで あ る。PSP
(1
) は ,後述
する よ うに, 著 作 者の 全 くの 独創
に よっ て生み 出 さ れ た論 書 で は な く, 先 立つ い くつ か の 論 書を参 考に し て著
わ さ れ た と考 える こ と ができ
る 。 そ の なかで これ まで の 研究 に よ っ て関 連を指 摘 されて い る論 書 が二篇
ほ どあ
る9) 。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
24
)Candraklrti
r
五 蘊 論 』に お げる諸 問題 (池田 ) そ れ らは すなわ ち,1
)Vasubandhu
(世 親,400
−480
):Pafieaskandhapralearana
(『大 乗 五 蘊 論 』 = 以下PSP
(2
)と省 略 )1°)2
)P7
σ肋 7α拠 δ雇 励 σ7窺伽 α頗 プσ (『入 阿 毘達磨
論 』= 以下PAA
と省 略)u ) の 二 論書
であ
る。ま た, 瓜 生
津
博士 は , これ に加えて,3
)Vasubandhu
:.4
∂痂4
加 7〃3α々o諏 ∂肋5y
α (「阿 毘達 磨倶舎論 』 = 以 下A
KBh
と省
略 )12) との 関 連を も指 摘 され てい る13) 。PSP
(1
)は , 前 述の よ うに ,Candrakirti
の 思 想 を考 察 する うえで も, また, 中 観派 の 法 相を 知 る うえで も 重要な論 書 とい うこ とがで ぎる。 しか し,実際
に こ の 論 書を調べ て み る と , 種々 の 問題が存 在 する こ とに 気付
くの である。そ こ で本 稿で は ,
PSP
(1
)に つ い て解
題的
な解
説を付
しつ つ , そ れ と ともに こ の 論 書 に 纒わ るい くつ か の 問 題 点につ い て 考えて み た い 14〕。2
名称 につ い てPSP
(1
) の サ ン ス ク リッ ト語の 正 式 名 称は 現 存サ ン ス ク リ ッ ト語 文献か らは 確 認で きない 。本稿
で用い て い るPahcaskandhaPrah
αragea とい う名 称 もチ ベ ッ ト大 蔵 経の 中 観 部 (dBu
ma )に 収め られ て い るチ ベ ッ ト語 訳 中に 見 られ る題名
, す な わ ち,Pa
fitsa
ska ndhaPra
々4
rae2a
(
273b6
)か ら採 っ た もの で あ る。 チ ベ ッ ト訳 の 同 じ
箇
所に は ,PhungPo
lnga
’i
rabtu
b
ツedPa
とい う訳 語が付
さ れ て い る15)。
この 語は先に掲 げた, チ ベ ヅ ト大 蔵 経
・ 唯 識 部 (
Sems
tsam
) 所 収のVasu
・bandhu
のPSP
(2
) と ま っ た く同 じ で あ り, ふ た りの 生 存 年 代やVasubandhu
の 知名
度な どか ら考えてCandrakirti
がVasubandhu
のPSP
(2
) の 存 在を知 っ て お り, そ れ を 意識 してPSP
(1
)を著わ し た と推 察 す るの が自然
であ
ろ う 。もっ とも, こ の 問題は , 著 者 の 意識 とは 別 に ,
後
の 中 観 派の 論 師た ち, あるい は チベ ッ ト の 仏 教 者た ちに よ っ て 明確に 表 現され ,PSP
(1
) の 一 般 的な呼称
も変 化し て い っ た。 すなわ ち,MadhyamafearatnaPradiPa
(『中観 宝 燈 論 』= 以下 一
587
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Candraklrti
『五 蘊論 』に おける諸 問 題 (池田 ) (25)MRP
と 略す )に t‘dBu
maPhung
Po
lnga
Pa
’ (?MadhyamaleaPancaskan
−■
dhah
α, 「中観五 蘊 論』)と述べ られi6〕
, ま た, チ ベ ッ ト大 蔵経
Peking
版のdKar
chag に お ける
PSP
(1
) の 当該箇
所VL
‘“dBu
ma ’i
Phung
Po
lnga
Pa
’ と記されてい る17) こ と な どか ら も, こ の こ とが 知 られ る。 こ の 「中 観の 五
蘊
論」
とい う 表 現につ い て は, 次に 著 者の 問題を考え る際に 考 察す る こ とに し た い。3
著 者につ いてPSP
(1
)がCandrakirti
の著
作で ある とい うこ と を 正面か ら疑問視 し て論 じ た研 究は , こ れ まで の とこ ろ現 れてい ない よ うで ある。実
際Candrakirti
著 作 説を 覆 すほ ど有 力な資
料を提示する こ とは, 極め て 困難
な こ とに 違い ない 。 しか し, 従 来ほ とん ど疑わ れる こ との なか っ た ,Candrakirti
著作説を裏 付 けて い る とされ る根拠
を, もうい ちど検
討 して み る こ とは決 して 無駄
な作業で は ない よ う に 思わ れ る。 とい うの は , そ れ らに は 思 い の 外不 確 定な要 素 も多
く含ま れ て い る か らで あ る。しか し,
結論
か ら先に述
べ て し ま えば, そ う した検 討に よっ て 必ず し もPSP
(1
) のCandrakirti
著 作説 を否 定 し去る こ とは で きな い 。 た だ ,PSP
(1
)を直ち にCandrakirti
の著
作 と 決め て か か る こ と を躊
躇 させ る よ うな, い くつ か の 要 因 を 提 示 し うるの み で ある。 そ れに よっ て ,今後
こ の 論書
を扱 う場 合に , 著 者の 問 題 を考 慮に入 れ て考 察す る必要性 を指 摘 す る意 味で , 以下 に 些 か 論 じて み よ う と思 うの で ある。まず 最 初に ,
PSP
(1
) がCandrakirti
の 著 作で ある こ とを確 認 する た め にLindtner
氏 が提示 し た根拠 を 以 下 に掲
げ, そ れ に 対 し て で きる限 り批 判 的な観 点か ら, 逐 次検 討 を 加えて み よ う。 氏は 次の よ うに ,PSP
(1
) に つ い て , 客観 的基準 (external criteria ) と主観 的 基 準
(
internal
criteria )との 二 つ の 立 場
か ら, そ れ ぞれ
5
箇 条と3
箇 条の 論拠 を 挙げて い る 18) が, い ま こ こ で は, 客 観 的 基 準の5
項 目を中心 に して考 察 して み よ う。a ) 客 観 的基準
1
)〔
あ
ら ゆ る校 訂 版の〕
チベ ッ ト語翻
訳 の colophon がCandrakirti
(
Zla
ba
grags
pa
)の こ と を著 者で ある と述べ て い る 。2
)MadhyamakaratnaPradiPa
tl
こは, 著 者の名
前に 言 及 した 引 用 文が 見 られる。Komazawa University Kom 三1z三1w三1 University
〈
26
)Candrakirti
『五繿論 』に お け る諸問 題 (池田)3
)AtiSa
のBodhima
”rga 〔pra
〕diPaPanjika
一に お け るCandrakirti
の著
作
の リス ト 〔に はPSP
(1
)が挙 げ られて い る〕。4
) 典拠 に つ い て の 言 及 はな い が ,Jayananda
のMadhyamaka
“ vata ’ra ・雌 σ に は
PSP
(1
)か らの引
用 が存
する。5
)PSP
(1
)の最後
の韻
文の なか で , 著 者が 自らをCandrakirti
と呼ん で い る。 (a −1
)PSP
(1
)の末
尾に はCandrakirti
の著 作
である こ とが 明 記 されて いる。
Peking
版の 記述
を 一 例 と して引
い て お く。/
Phung
po
lnga
pa
2hesb
ツaba
’i
rabtu
b
ツedpa
slobdpon
Zla
ba
grags
pas
mdzadpa
rdzogs so // (305b3
−4
)エ9)また,
dKar
chag に も類 似の 記 述が認め られる。 これ もPeking
版の もの を引 用 して お く。
slob
dpon
chenpo
Zla
ba
grags
pas
mdzadpa
’i
dBu
maphung
po
lnga
加12
°)い ずれ に し て も, こ うし た チ ベ ッ ト に おけ る伝 承 に よ る 限り, .
PSP
(1
) の 著者 をCandrakirti
である とする こ とに疑
問 を抱 く余 地はない 。 また , こ の 「中観 五 蘊 論 」 とい う言い 方につ い て は次 の (a −2
)で 論 ずる。 (a −2
)MadhyamakaratnaPradiPa
(=MRP
) に 見 られ る引用 とは 次 の もの で あ る。/slob
dpon
Zla
ba
grags
pa
’i
zhal nas /dngos
po
nignyis
te
/gzugs
can
dang
/gzugs
can mayin
no 〃gzugs
can nignyis
te
だbyung
ba
dang1
’byung
ba
las
gyur
pa
’o〃
gzugs
can mayin
pa
’i
chos nignyi
te!
’
dus
byas
dang1
’dus
mabyas
so〃
’dus
byas
kyi
chos nigsum
ste!
semsdang
!
semslas
byung
ba
dang
ldan
pa
mayin
pa
’01
1
’dus
ma
byas
kyi
chos nibzhi
ste!
so sorbrtags
pa
’i
,gog
Pa
dang
!so sorbrtags
pa
mayin
pa
dang
!nam mkha ’dang
!
chosrnams
gyi
de
bzhin
nyiddo
zhesgsungs
modkyi
ノ
…21)PSP
(1
)の 該 当 する箇 所 (286a3
−7
;P
.19
,〃.8
−16
) は , た し か に上記
の引
用 文 とほぼ対 応 する と見 做 し て よ い であろ う。 イ ン ド撰 述 のMRP
にPSP
(1
) が 引かれて い るわ けで ある か ら, その 意 味で , こ の 文はCandrakirti
の 著 作で あ る こ とを裏 付 ける証左 と なる で あろ う。 一585
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Candrakirti
『五 蘊論 』に お ける諸問題 (池田) (27
)し か しな が ら, 問
題
はむ しろMRP
その もの か ,あ
るい はその チ ベ ッ ト訳
に あ るの で は なか ろ うか 。 チ ベ ッ ト の 所 伝でBhavya
造とい われ るこ の 論 書は , 山 口 益博士 の 研究に よ っ てP7
α殖
砂アα4
功α 吻刎α 郷 04勿
σ 窺 σ々α〃ア∫漉 (『般 若燈論』),Madhyamakah
.rdayaka ’rilea− (『中観心頌』),Madhyamakahrdayavrttitarha
一ブ
厩1
σ (=TX
『中 観心 頌註 思 択 紹』)等
を著
わ し たBhavaviveka
(orBhavya
,清 弁, c .
490
−
570
) とは 別 の 人物の著
作で ある とい うこ とが 論 証 されて い る22)。
Candrakirti
はPrasannapaddi
に お い てBhavaviveka
を批 判し て い るが,MRP
の 著者Bhavya
はそ れ とは 逆 にCandrakirti
を高 く評価し て い る。 す な わ ち, 前 者 の 場 合 とは, ふ た りの 生 存 年 代 と思 想的立 場 が逆転 して い るこ とに な っ て し ま う。 し か もMRP
中に はCandrakirti
a
こ よ っ て批 判されるBhavavi
− veka よ りも後 代のDharmakirti
(法 称, c.−650
−) の 名 も見 られ るの で, こ の 場 合, 上 記の 論 書を著わ し,Candrakirti
に よ っ て批 判 されたBhavaviveka
と,MRP
の 著者 とされ るBhavya
とは 異な る人物
と考えるべ きで あ る こ とに な る 。 以 上が 山口博士 の 説の 要 点で あ る。とこ ろ で ,
MRP
に は, 先 に 示 した よ うに , ‘ ‘dBu
maPhung
Po
lnga
Pa
” とい う表 現がみ られる。 そ の 前 後を含むMRP
の 文を 示す と,1
’di
’i
don
rgyas
par
slobdpon
Zla
ba
grags
pa
’i
zhal snga nasmdzad
pa
’i
dBu
maphung
po
lnga
pa
dang
!
bdag
gis
bkod
pa
rTogge
’
bar
ba
la
sogspar
blta
bar
bya
’0123 )と な っ て い る。 し か る に , そ こ に記 さ れ た
「
私が著わ し たMadhyamakah
.rda 一 ッαηノ観 如 7 んαブ
厩1
σ (rTogge
’bar
ba
)」 と い う, ま さに その こ と ば が,MRP
がBhavaviveka
の 箸 作とい わ れる根 拠に な っ た の で ある 24) 。 とこ ろが 実 際の 内 容か らは , 山 口博士 が論証
された よ うに ,MRP
の 作 者は 到底Tf
の 作 者 と 同 一人 物
とは見
做せ な い の である。 そ し て, こ うし た 混 乱を招い た原因で ある ま さに その こ と ばの 中に , 「Candrakirti
論 師がお造 り に な っ た 『中 観五蘊 論 』 (?Ma
−dhyamafeaPaZicasleandhaka
)」とい う語が 現 れるの で ある。 それ だか らとい っ て,Candrakirti
がPSP
(1
>を著
わ し た とい う記述
を直
ちに 否定 す
るこ と な どでき
る は ずは ない 。 し か しな が ら, その よう な疑 惑に充ちた 文 章の 中に,PS
・P
(1
) に 関 する記 述が併 記 されて い る事 実は ,PSP
(1
)の 記述
に も不安 定な要 素が背 後に存
在 し て い るの で は ない か , とい う印象
を与
え るに充 分
で あろ う。 ま た , 先に述べ たPSP
(1
)の 名 称の 問題に 関る が , こ こ に 見 られ る, “dBu
ma 一 584 一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (28 ) Candraklrti 『五 蘊 論』 に お ける諸 問 題 (池田) (or ma ’
i
)Phung
Po
lnga
Pa
’ とい う表 現は , 、PSP
(1
) に も と も と付
さ れ てい た もの で は な い 。 後 に 述べ る よ うに , 、PSP
(1
)がVasubandhu
のPSP
(2
)を ■ の の念
頭に お い て 作 成 され た論書
である こ とは 明 らか で あるが, 「中観 (の )五 蘊 論 」 とい う言い方
もその 延 長線
の 上 に 乗 っ た もの と み て よい 。PSP
(1
) は, 中観
派の 側か ら, 唯 識 系の 法 相に 対 抗 する必 要上 作 成 されたの であ
ろ うが, そ の点
が更に強
く意
識され 出した時期
に , こ の よ うな表現
が 意 図 的に 用い られる よ うにな っ た の であ る。 し た が っ て, 「中観
」 とい うこ とを強
調 し た この 表 現は,MRP
の 中で初め て 用い られた か , あるい は, それよ り幾 分前の時
代
に使
わ れ る よ うに なっ た の で は ない か と考 えられ る。MRP
に はCandrakirti
やDharmakirti
の 名が見 られ る こ とか ら, こ の 論 書の 成 立 年 代は, ほ ぼ8
世紀
以 降と見 なし て よい の で は ない か と思わ れ る。 もしそ うで あるな らば, 「中観の 」 とい う限定を付
し てPSP
(1
)
を捉 える よ うにな っ た の は , 最 も早い時 期で も8
世 紀 初 頭 頃で はない か と推察
され る。ちなみ に ,
MRP
の チ ベ ヅ ト語翻
訳は , そ の colophon に よれ ば,!
bla
ma rJebtsun
zangsgling
pa
dge
bsnyen
lngonpo1!pa
p4i
ta
chen
po
Di
paM
ka
ra shridznya
nasbka
’drin
zhuspa
las
/phyis
so ma
pu
ri ’i
gtsug
lag
khang
du
rgyabrTson
’grus
sengge
dang
!
Nag
tsho
tshul
khrims
rgyalba
gnyis
kyis
yang
dang
yang
du
zhusnas
bsgyur
cinggtan
la
phab
pa
’0125)とあ り,
Diparpkaragrijfiana
←Ati6a
)が 校 閲 し た の ち (zhuspa
las
),brTson
’grus
sengge
とTshul
khrims
rgyalba
の 二 人 が , 繰 り返 し校 閲し (
yang
dang
yang
du
zhus nas ), 翻訳 しつ つ確
定 した , とい わ れて い る。こ こ に
見
られ る よ うに , 敢えて翻 訳の 様 子を 「繰 り返 し校 閲 し た」
とい う ご とく記 し た こ とが 示
唆
す る意味
に つ い て は ,十
分 注 意を払 う必 要が ある とい える であろ う。 な ぜ な ら, 繰 り返 し校 閲される うちに改 鼠が な された場 合 もあ っ た と思
わ れる か らである。 し か し, こ の 点に つ い て 明確な答え を出 すこ とが 困難である
こ とは言 う まで もない 。
(a −
3
)Ati6a
のBodhima
−rgaPradiPaPanjika − (『菩 提 道 燈 細 疏』 ニ ・BMPP
)に 見られる
Candrakirti
の 著 作 リス トとは , 次の もの で あ る。1slob
dpon
zia
grags
kyis
!dBu
mala
’」%
g
pa
dang
!Rigs
pa
drecg
cu
Pa
’i
’grel
Pa
dang
!
dBu
ma ’i
(D
. ed 。, ma )Pherng
Po
lnga
Pa
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Candrakirti
『五蘰論 』に お ける諸問 題 (池田) (29 )dang
!
Tshig
don
gsal
ba
la
sogspa
mdzaddo
!26)こ こ に は ,
Candrakirti
の 主だ っ た著 作4
篇
が列 挙 されて い る。Ati6a
の 生存
年
代は982
−1054
年
と され るか ら,彼
の 時 代にPSP
(1
)がCandrakirti
の著
作 と し て 既 に 十分定着
して い た の は む しろ当 然の こ とで ある。また, 彼が, 」
PSP
(1
)を 「中 観の 五蘊 論 」 と表 現して い る こ と も, 先 に み たMRP
の 場 合か ら推 し て 自然の こ と とい え る で あろ う。 し か し, チ ベ ッ ト に重 大 な影 響を与えた彼
が, ‘ ‘dBu
ma ’i
Phung
Po
lnga
Pa
’ とい う表 現を 当た り前 の こ と とし て用い て い た とす れば, それ が チ ベ ッ トの 仏 教 界に 定 着 す る た め に 大 きな力を与
えた とみ て もさし た る誤 りに は な らない であろ う。恐 らく, 先の
MRP
や こ のBMPP
な ど, ‘ ‘dBu
ma ’i
Phung
Po
lnga
Pa
’ とい う言い方
が見
出せ る丈献
は ,Ati6a
及びTshul
khrims
rgyalba
が著述
・翻
訳等
に何
等か の 形 で関
係し て い る文 献か , ある い は , そ れ以後に 成 立 し た ,dKar
chag や 目録に限 定 され る の で は ない か と想
像 され るの で ある2ア)。(a −
4
)Lindtner
氏が指摘
する よ うに ,Jayananda
(c。1100
)のMadhya
一魏 σ々σ抛 雄 γ切魏δ に
PSP
(1
) の もの と見
敬し うる詩句 が引
用 さ れて い る2s)。彼は , チ ベ ッ トに
Candrakirti
系
の 中観
思 想が紹 介される際に 一翼 を 担 っ た人
物
と言 わ れるが29) , 前 項 (a −3
)のAtiSa
の 場 合 と同様, 彼の 活 躍 し た 年 代 3°)か ら
考
えれば,PSP
(1
)
をCandrakirti
の著 作
とし て疑わ なか っ た と し て も当
然で あろ う。 (a −5
)PSP
(1
) の 末 尾に 見 られる, 著者
が自
分の名 前
を名 乗 っ て い る箇 所は , 次の よ うな 韻 文で ある。1phung
Po
lnga
yi
yang
dag
don
!!
mdorbsdus
rabbshad
bstan
bcos
’
di
!
1
’bad
pa
medpa
’i
’jig
rten’
di
’i
!!
don
du
Zla
ba
’i
grags
pas
byas1
(
305b3
;p
.51
,ll
.16
−17
)五蘊の 正 しい 意 味を
簡
潔に 纒め て説 い た こ の 論を,こ の
努
力 無 き世 間の た め に ,Candrakirti
が作
成 した。こ こ で は
byas
とい う語が使われてい る の で ,翻
訳老が , 著老自身
が こ の verse を 陳べ て い る と理解 し た こ とが知 られる の で ある。 周 知の ご と く, 原 文に なか っ た もの を, 翻 訳に 携わ っ た 者 な ど, 他の 人が付
加 して書
い た場 合は, 一般に敬
語 で ある mdzad の 語が用い られる 。 実 際, こ の verse の 直 後に , 先に 引い た ,1Phung
po
lnga
pa
zhesb
ツaba
’i
rabtu
b
ツedpa
slob
dpon
Zla
ba
一 582 一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
30
)Candrakirti
『五 蘊論』に お ける諸問題 (池田)grags
pas
mdzadpa
rdzogs so1 (305b3
−4
;p
.51
,U
.18
−
19
) とい う, 締め括 りの 文が付され てい る。し か し, 何れ に して も, こ れは少々 奇 妙で は ない か 。 著 者である
Candrakirti
自身が, 自分の 名 前を記 して , 自作 で ある こ とを強 調 し て い るの で ある。 例 え ば ,
Prasannapada
一の 各章の 末 尾に は, 「以 上は ,acarya
Candrakirti
の 造 っ た 『浄明旬 論,
中
論 釈 』の うち,「
縁
の観
察」
とい う第
一章
であ
る」な ど とい う よ うに 31) , そ の 著 者の 名 を 記 して い る 例 も あ る が , こ れ はacarya
とい う語 が 付せ られ て い る こ とか ら も判 る よ うに , 後か ら他の 人の 手 が加 わ っ た もの である 32) 。 した がっ て , い ま問 題に して い る場 合 とは明 らか に 異 なる とい え る。当 面の こ の verse が, 本 当に
Candrakirti
に ょ っ て 書かれ た もの で あるの か , あるい は,PSP
(1
) は彼の作
で は な く, 他の 者に よっ て著
わ され, そ の 人物
がCandrakirti
の著
作に 帰 す る た め に意
図的
に書 き
加えたも
の なの か,あ
る い は ま た, 後世 の 者, 例 えばチ ベ ッ ト語へ の 翻訳 者が,Candrakirti
の 著 作で ある こ と を強 調 す る た め に , 敢えて付 加し た もの なの か , そ う し た こ とにつ い て は 知る す べ が ない 。 し か し, とに か く, こ の詩
句の 存 在がか えっ てPSP
(1
)をCandra
−kirti
の 作で あ る と見 敞す こ とに 対して , ある種の 抵 抗を感 じ させ る こ とだ けは 確か で ある。Lindtner
氏は, 以上 の よ うな客 観 的な基 準 (a −1
〜5
)の 外に , 主観 的 基 準 (b
) と して ,(
1
)PrasannaPada
−Madhyamahav
.rtti,Stinyata
’ saPtativrtti , }励 ’
畑
爭 一.
tikavrtti
,Catukliataleav7tti
, ル勉励y
α 解 αん励 α毎 7α蝕45
丿α とPSP
(1
)の
引
用 文 献の 共 通 性。(
2
)PSP
(1
)の 明快
で 力 強い 文体
がCandrakirti
の 他の著
作の 文体
と通 ずる こ と。 (
3
) 「慧 (prajfia
)」に関 す る パ ラ グ ラ フに 示される教 理 的 見地 と ,Candra
−kirti
の 他の著
作に見 られ る教 理 的 見 地 との 一 致。 とい う3
点 を 示 し て, 先の 客 観 的 基準
との 両方か らPSP
(1
)をCandrakirti
の 著 作 と結 論づけて い る。こ の うち (
b
−1
)の 引 用の 点 に つ い て は,Lindtner
氏 が 予告
して い る1
〕SP
(J
) の 註 釈 的 研 究を,筆
者は ま だ見
てい ない の で, どの よ う な内容を氏が指 摘 し て い 一 581 一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
Candrakirti
『五 蘊 論』に おける諸 問 題 (池 田) (31
) る の か 判 然 とし ない 。 恐 ら くは「
慧
」の解
説の箇 所
で引
かれて い るい くつ か の 引 用の こ とを指 し て い るの であ ろ うが33), そ れ らに は た し か に共通す る内 容の もの が認め られる よ うで ある。 (b
−2
)につ い て は , 主観的 な 要 素が あ ま りに強 くて判断は下 しに くい 。(
b
−3
)につ い て は , 山 口博士 は, 「慧 の 心 所に 関す る 月称の 言葉の 中 に は , 月称
に よっ て 展 開せ られ る中観
説の形 態
が よ くあ らわれてい る と 思われる もの があ るの で, …」 と述べ て お られる34) 。 一方 ,Lindtner
氏は, そ こ に 見 られる教理 的 見地 がCandrakirti
の 他の著
作の もの と ‘ ‘exactly
the
salne ” で ある と言 う。 しか し, そ こ まで 決 定 的な表
現を採 っ て よい もの か ど うか は 疑 問で ある。 以上 の 「主観的基 準 」の うち , (b
−2
)以外はCandrakirti
の 著 者 性 をi
幾分 裏 付け る とは 思 わ れ る。 しか し な が ら,筆
者 は, (b
−1
) (b
−3
)の いずれ もが ,「
慧
の 心 所 」の 箇 所に限 られて い る こ とに注 意 す るべ きで ある と考 える 。 こ の 点に つ い て は, 後で ま た 触 れ るで あろ う。4
構造 につ い てPSP
(1
) はPSP
(2
) 及びPAA
の 両者に 関 連が強い の で あるが , 以 下に三 者 の梗
概を 比較 した表を 掲 げ, 検 討 する こ とに したい 35) 。PSP
(1
)0
序1
五 蘊1
.1
色 蘊1
.2
受 蘊1
.3
想蘊1
.4
行 蘊L4aI
,4bI
.5Hll
.1P
.ed .D
. ed . (Ya
) (Ya
)273b6
239b1274a5
239b6
274a5
239
b
6
278b5243b3
279b8
244b3
280b2245a3
心相応行281a6245
a6 心 不相 応行 303b8265
a5 言哉蘊304b4
265b7 十二 処305a4266
a7 意処 ・法処 305a5266b
1
Lindtner
(P .1
.) 1 .21
.41
.268
.1810
.1111
.10
12
.1048
.449
.2550
.2450
.26
一580
一PSP
(2
)0
序 正 五 蘊1
.1
色蘊1
.2
受蘊1
.3
想蘊1
.4
行蘊1
.4a
心所 法1
.4b
心 不相応行1
.5 識 蘊1
十二 処ll
.1
十ご 処PA
.40
序1
総説ll
色句義 皿 受句義y
想 句義V
行句義V
.1
総括V
.2
相 応V
.3
不相 応V
【 識 句 義W
因 ・ 果 ・縁Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
32
)ll
.2 三 無 為 ].2a
虚空 ].2b
非択 滅ll
.2c
択 滅 皿 十八界 結 語Candrakirti
『五 蘊論』 に お ける諸 問題 (池田)305a7
266b3
51
.3
305a8
266 b3
51
. 3305a8
266b3
51
.5
305a8 266b4 51 .6
305b1
266b4
51
.9
305b2
266b5
51 .14L2
(四)無 為1
.2a
虚空L2b
非択滅L2c
択滅 皿.2d
真如 皿 十八 界 田 虚空句義K
択滅 句義X
非 択 滅句 義X
[ 結 語こ の 表に よっ て明 らか な よ うに,
1
〕SP
(1
)の 骨 格はPSP
(2
) の 骨 格と極似
し て い る。 両論の 違 い は, 大 き な 点で は ,PSP
(1
) が虚 空 ・非 択 滅 ・択 滅の 三 無 為 を構 造
の 骨格
に 採 り入れて い るの に 対 し て ,PSP
(2
) は, 三無為
に真 如
無 為を加 えた四無 為 説 を 論 構 造の 骨 格 に 採 用 して い る 点の み で ある。先に
PSP
(1
)の 題 名に つ い て み た際に も触れ た よ うに, こ の 二つ の 論 書に お け る共通性は歴然と して お り, 成立年 代等
を含め て両 者の 関 係を考 え れ ば , こ の 場 合 , やは りPSP
(1
)はPSP
(2
) の 影響を強 く受 けて著わ され た と見 敏す の が 妥 当で ある。PSP
(1
) とPAA
の 構 造 も, 細か い 点を意識 せ ずに 全 体 的に捉 えた場 合に は , か な りの 相 似 性 を 認 め る こ とが で き る。 し か し, そ の 相 似性は,PSP
(1
) と1
)S
、P
(2
)に 認め うる近似
性 と比較
した 場 合, むし ろ全 くP4A
に依
っ て い ない とみ て よ い 程 度の もの で ある。PAA
及 びPSP
(2
)は い ず れ もPSP
(1
)
に先
行す
る論 書
で あ る36)。 もし,PSP
(1
)の 著 者が , どち らの 論 書 を も参 照 す る こ とが 可 能であ
っ た と仮
定す
る な らば, あるい は, どち らの 論 書を も参 照 して い る と仮 定 するな らば ,PSP
(1
)は , 構造
上 は , やは りPSP
(2
) にの み 基づ い て い る と判 定 し て も大 過ない で あろ う。 なぜな ら, .PSP
(1
),PSP
(2
) は いず
れ も五蘊
・十二処 ・ 十八 界の , い わ ゆる三 科を基 本 的な骨 格に 据えて い る が, それに 対し てPAA
は 色 ・ 受 ・想 ・行 ・識 ・ 虚 空 ・ 択滅
・非 択滅
の 八 種の 句義
(padartha
) を 基 本 的 な骨 格 と して い る か らで ある37) 。 もっ と も,PSP
(1
) 及 び・PSP
(2
)は , 上 記 の ご と く三 科 を基本構 造 と し て は い る が, 両 者の 題 名が 示す よ うに , 実 際の 論 述は 五 蘊の 枠 組み の 中で 説 か れ て お り,十二処 及 び十八 界の
部
分は 古 来の 「蘊 (skandha )・ 処 (ayatana
)・界 (dhatu
)」とい う形
式
を壊さぬ た めに 取 り入 れ られ てい る と見散
す こ とがで きる。 し か し,Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Candrakirti
『五 蘊論』に お け る諸問題 (池田) (33
) 一方
PAA
は , 前 記の 二 論 書が 曲が りな りに も十二処 ・十八界に よる構 造上 の部 分を 持つ の 対 し て, こ の 両 方につ い て構 造 的に は お ろ か , 触れ るこ と も ない の で あ る。以上 の こ とか らみ て , 論書の 構 造の 点で
PAA
がPSP
(1
) に及 ぼ し た 影 響は, ほ とん ど なか っ たか , あるい は , あっ た とし て も第
二 次 的な もの であ
っ た と言 う こ とがで きる。 これに対
し て ,PSP
(1
) とPSP
(2
)は構 造 的に あ ま りに も似
て お り, 両 者の 一致 を単な る偶 然と見做 す こ とは 到 底で きな い 。 した が っ て ,PSP
(
1
)
の作者
は, 論書
を著
わ すに際
し てPSP
(
2
)の 存 在 を強
く意識
し, 十 分 参 照 し て い た と推 察で きる の で あ る。5
本
文 に おけ る諸
問 題1
.とこ ろで , 構 造の 上 で は あま り近い
関 係
を指 摘 する こ とは で きな い が , 内 容 的に は ,PSP
(1
) とPAA
に は 無 視で き ない ほ どの 類 似 性が 認 め られ る。 それ は殊に 心 相応 行法 の 解説 の 箇所 に 顕 著 に 現 れ てい る。 そ こ で説かれ る諸の 心 所 法 や, そ の 配 列, 解説 は ,PSP
(2
) よ りもむ し ろPAA
に非常に 近 い もの で ある 38) 。以 下に,
PSP
(1
)・
PAA
・PSP
(2
) の 心 相 応 行 cittasamPrayukti −salpskara(心所 法 caitasika )の 解 説 の 箇 所に お い て取 り上 げ られ る諸 法を整理 して比 較 し た表を掲 げる こ とにす る39)。 PSP (1) にお け る 心相 応行法 PS 、
P
(1
) 漢訳Skt
. 1.思 cetana2
.触 spar6a3
.作 意 manask2ra4
.欲 chanda5
.勝解 adhimukti6
.信Sraddha
7
.精進 virya8
.念 smrti9
.定 samadhi10
.慧prajfia
P
.ed .281a6281b1281b6282b1283a7283b1283b8284a1284a1284a2
Lind
. ed . 12 .1112 .2113
.514
.115
.1015
.1816
.516
.916
.1116
.15 一578
一 PAA 1.思2
。触3
.作 意4
.欲5
.勝 解6
.信7
.精 進8
.念9
.定 10 .慧PSP
(2
) 〔1
〕遍 行1
.触 2.作意3
。受4
,想5
.思 〔2〕別境6
.欲7
,勝解 8 .念Komazawa University Kom 三1z三1w三1 University (
34
)11
.尋 vitarka 12 .伺 vicara13
.放逸 pramada 14 .不 放 逸 apramada15
.厭 nirvid16
.欣prahar
§a17
,軽 安prasrabdhi
18
.害 vihirpsa 19 .不害 avihi 甲sa20
.慚hri
21
.愧 apat 「apya22
.捨 upek §巨23
.解 脱 vimukti24
.…善根ku
忌alam 田a (1
)無貪 (2
)無 瞋 (3
)無癡25
.不善根 akuSalamala (1)貪 (2
)瞋 (3
)癡26
,無記 根 avyakrtamUla (1
)愛 tr6rpa (2)無明 avidya (3
)慧 mati27
.結 samyojana (1
)愛結 anunaya −s. (2
)恚 結 pratigha −s. (3
)慢結 mana −s. (4
)無明結 avidya −s. (5)見結 dy$ti
−s. (6
)取結 paramarSa −s. (7
)疑 結 vicikitsa −s. (8)嫉 結 ir$ya − (9
)慳結 matsarya −S.28
.縛bandhana
(1
)貪縛Candrakirti
『五 蘿 論』に おけ る諸 問題 (池 田)291b4292
a5292b1292b1293a2293a3293a4293a6293a7293a7293b1293b2293b5293b6
27
.1128
. 828 .2128
.2429 .2129
.2529
.2730
.130
.430
.630
.1330 .1630
.2430
.28
294a2
30
.10
294a4
30
.18
297a5
36
.16
− 577 _ 逸 逸 放 安 尋 伺 放 不 厭 欣 軽 サ の ロ ロ サ コ ロ ー2
3
4FD6 7°1
11
11
1
1 害 不 慚 愧 捨8
QV O ー イ ⊥1
2 2 根根
結 明 結 結 結 明 結 結 結 結 結 縛 記 根 貪 瞋 癡 善 善 無 無 無 不 貪 瞋 癡 無 愛 見 慢 無 結 愛 恚 慢 無 見 取 疑 嫉 慳 縛 貪 , ) ) ) ° ) ) ) . ) ) ) ) ・ ) ) ) ) ) ) ) ) ) 響 )
2123312341234512345678961
2 ( ( (2
( ( (2
( ( ( (2
( ( ( ( ( ( ( ( (2
(9
.定10
,慧 〔3
〕善 11 .信12
.慚13
.愧14
.無 貪15
.無 瞋16
.無癡17
.精進 18 .軽 安19
.不放 逸20
.捨21
,不 害Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Candrakirti
『五 蘊 論』に おける諸問 題 (池田) 〈2
)瞋 縛 (3
)癡縛29
.随 眠 anuSaya (1
)貪 随眠 r且ga −a. (2
)瞋 随眠 pratigha −a. (3
)慢随眠 mana −a. (4
)無 明随眠 avidya −a. く5
)見随眠d
馨ti
−a. (6
)疑 随眠 vicikitsa −a.30
,随 煩悩 upakle6a (1
)誑 m 議ya (2
)僑 mada {3
)害 vihirps 翫 {4
)悩 pradasa (5
)恨 upanaha (6
)言畠Sathya
31 .纒 paryavasthana (1
)僭 沈 sthyana (2
)睡 眠 middha 〈3
)掉 挙 auddhatya (4
)悪 作kaukrtya
〈5
)慳 matsarya (6
)嫉 irsya 〈7
)無 慚 ahrikya 〈8
)無1
蒐 anapatr 亘pya (9
)忿krodha
(10
)覆 mrak $a32
.漏 asrava (1
)欲漏 (2)有 漏 (3
)無明漏33
.暴 流 ogha (1
)欲 暴流 (2
)有 暴 流 (3
)見暴流 (4)無明暴流34
.軛 yoga297a6
36
.19
300a3
41
,7
300b5
42 .11301a8
43
.27
301b544
. 9 301b744
.17
(2
)瞋縛 (3
)癡縛 27 .随 眠 (1
)欲 貪随眠 (2
)瞋 随眠 (3
)有貪随眠 (4
)慢随眠 (5
)無 明随 眠 (6
)見随眠 (7)疑随 眠28
.随 煩悩 (1)誑 (2
)僑 (3
)害 (4
)悩 (5
)恨 (6
)諂 29 .纒 (1)棔沈 (2)睡 眠 (3
)掉 挙 (4
)悪 作 (5)嫉 (6
)慳 (7)無 慚 (8
)無 愧 (9
)忿 (10
)覆30
.漏 (1
)欲 漏 (2
)有 漏 (3
)無 明漏3L
暴 流 (1
)欲暴流 (2)有 暴流 (3
)見暴流 (4
)無 明暴 流32
.軛 悩 明 煩 貪 瞋 慢 無 見 疑 コ リ ロ コ4234
.56Z
〔2
り 9 22
9 召2
(35) 〔5
〕随煩 悩 28 .忿 29 .恨30
。覆 31 .悩32
.嫉33
.慳 34 .誑 35 .諂36
,僑37
.害38
.無慚39
.無愧40
.悟沈41
.掉 挙42
,不信43
.懈 怠44
.放逸45
.忘念46
.散乱47
.不正知 〔6
〕不定48
.悪作49
.睡眠50
.尋51
.伺Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
36
) ((1
)〜(4
)暴流と同じ)35
.取 upadana (1
)欲 取 (2)見 取 (3
)戒 禁 取 (4
)我 語 取36
.身繋 (kaya −)grantha
(1
)貪身繋 (2
)瞋 身繋 (3
)戒禁 取 身繋 (4
)見取 身繋37
.蓋 nivaraoa (1)欲 貪蓋 (2
)瞋 恚蓋 (3
)悟眠蓋 (4
)掉 悔蓋 (5
)疑 蓋i
38
.智jftana
(1
)華蛋智dharma
−j
. (2
)類智 anvaya −」, (3
)他心智 paracitta −j
。 (4
)世 俗智 samvrti −j
. (5
)苦 智duhkha
−j
. (6
)集智 samudaya −j
, (7
)滅智 nirodha _j
. (8
)道智 marga −j
. (9)尽智k
$aya −」. (10
)無 生智 anutpada −」.39
.忍kpanti
(1
)苦法智 忍 (2
)苦類智忍 (3
)集 法 智 忍 (4
)集 類 智 忍 (5
)滅 法 智忍 (6
)滅類智忍 (7
)道法智忍 (8
)道 類智忍Candrakirti
『五 蘊 論』に おける諸 問 題 (池田)301b7
44
。18
302a8
45
.16302b3
45 .27302b5
45
.32
303b6
47
,26
((1
)〜(4
)暴流 と同 じ)33
.取 (1
)欲 取 (2
)見取 (3
)戒禁取 (4
)我 語取34
.身繋 (1)貪身 繋 (2
)瞋 身繋 (3
)戒 禁 取身繋 (4)見 取身繋35
.蓋 (1
>欲貪蓋 (2
)瞋 恚蓋 (3
)悟 眠 蓋 (4
)掉悔蓋 (5
)疑 蓋 一575
一Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
Candrakirti
『五蘊 論』に おける諸 問 題 (池田) (37
)こ の よ うに して 比
較
す る と,PSP
(1
) に おい て心 相 応 行 法 とし て解
説 され る 心 所 法の 内 容や , 配 列順はPAA
に お ける 場 合とあま りに も相 似し て い る こ とが判 る。 い くらか の 出入 りを除 けば, 両 者の 法 相は , ほ とん ど正 確に 一 致して い る 。 こ の こ とか ら,PSP
(1
)の著
者は , そ の 論 を 作 成 する に 際 し てPAA
を参 考に し たか , あ るい は も と も とPAA
の 系 統の ア ビ ダル マ の 教 養を十分に 身に 付 けた 人 物で ある こ とに なる。 これは ,PSP
(1
) の 著 者の 出家 受 戒 した部 派, す なわ ち 所 属 部 派及 び系 統を考え る うえで 大 きな手 掛か りに な る は ず であ る。もっ と も, そ れ ぞ れの 法の 解説 は 必ず し も全て に わ た っ て 一
致
するわ けで は な い 。 瓜 生津博
士が指摘
され てい る よ うに ,PSP
(1
)はAKBh
か らも法相
上の解
釈 をか な りの 程 度に 借 りて い る よ うで ある4ω 。し た が っ て ,
PSP
(1
)は , 構 造 的 な骨 組み は1
)SP
(2
) の もの を 借 用 し, 内 容 的に は , 自らが本 来 持 っ て い た ア ビ ダル マ 的 教 養, あるい はPAA
の 法体
系に 基 づ ぎ, 更に ,AKBh
な どに 見られ る法 相の 解 釈を適宜採 用 し て著わ された論書 で ある とい うこ とに な る。 ∬. 以 上の よ うにPSP
(1
)は ,PSP
(2
) とPAA
の 両論 と, そ れ ぞ れ構
造 と 内 容の 点で 類 似 し て い るが , し か し, こ うして 比較 し て きた 二 論書 との 類似
の 中 で,PSP
(1
) に の み 際 立っ て異 な る特 徴は, 「慧 (praj
fia
)」に つ い て の解
説 の特
異 性に あるで あろ う。 そ こ でPSP
(1
) は , 全 体の バ ラ ン ス を無 視
して , 単な る 「慧 」 の解 説 に止ま らずに, 実に広 範に わ た っ て 自説 を展 開 して い る の で あ る。 こ の こ とは , 仏 教 術 語につ い て簡 潔な 解 説 を 行 なっ て い る他 の 部 分 と著 し く異 なり, ま た 自 ら 「簡 潔に 纒め て説い た こ の 論 (mdor
bsdus
rabbshad
bstan
bcos
’di
)」(305b3
;p
.51
,L
16
) と述べ て い る こ と とも矛 盾 し て い る。 こ の 「慧
」の 箇 所はPSP
(1
)全 体の 約4
分 の1
に も 及 んで い るが, い ずれ に せ よ, こ れは こ の 論 書の 全 体 的 な 性 格か らみ た 場 合に は , い か に も不自
然な印 象を与えるの で ある。し か し なが ら, そ こ で 展開 され る所説 が , 中 観 的な 色
彩
を濃
厚に 有 して お り, 後 世 こ の 論書
が 「中
観 の 五蘊 論」
と称せ られ る よ うに な る 大 きな要 因に な っ て い る こ とは 山口博士 の 指 摘 される とお りで ある41)。 皿 .PSP
(1
)本 文に 見 られ る問題 点を考 える上 で , 見 過 ごせ ない の は 「無 為(asa ・mskrta
)」 に 関 す る記 述の 矛 盾で ある。 すなわ ち,PSP
(1
)は , 構 造上 「十二 処 」 に 相 当す る箇
所で 無 為を説 き(表
1
参照), そ こ で は,虚 空
・非 択 滅 ・ 択滅
の 三 無為説 を 示 して い る42 )。 そ れに もか か わ らず, 「慧 」の 心 所の 解説 の 箇 所で 法 のKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
38
)Candrakirti
『五 蘊論』に お ける諸問題 (池田) 分 類を説く
とき
に は, 択滅
・非択滅
・虚
空 ・諸法
の 真如
の 四 無 為 説 を 示 し て い る43)ロ言 う まで も な く, 無 為 説は ア ビ ダル マ の 諸 説 の 中で も無視 で きない もの であ り, それ に よ っ て い
ず
れの 立 場に立 つ 人物
か を推 測 するこ との で きる, 基 準の 一つ と も な る もの で ある。 そ の よ うな無 為説 につ い て , 簡 潔に 法 相を解説 する こ とを 目 指 し, ま た 実 際それほ ど大 部で ないPSP
(1
)に矛 盾が見 られ るの は , や は り奇 異 な感 をまぬ が れない 。 瓜 生 津 博士 は こ の 点に つ い て ,「
無 為 説に つ い て 不統
一 の ま まに残 して い る こ とは 不 用意であっ た とい わ ざるを えない 」 と言わ れる。た しか に ,
Candrakirti
が 無 為 説に 二 種あ
る こ とを知 っ てい た の は 事 実 で あ る44)。 が, しか し, こ の こ とは 「不 用 意 」 な ど とい うよ うな 問 題で は あ りえ ない 。 もしPSP
(1
)が, 一人の 著 者に よ っ て著わ さ れ た 論 書で あ るな らぽ , そ の 人 の不 定 見を 問わ れて も致 し方な い よ うな問題
なの で ある。した が っ て , こ の こ とは 同 一
人物
に よ る単な る錯 誤に よ っ て起
っ た と考
え る よ りは , む し ろ, 「慧
」の 心 所 の 解説 と無 為の 箇 所とが別 々 に著わ され , 両者が , そ れ こ そ 「不 用 意 」に合せ られ たか, あるい は , もと も と三無為
か四無 為の い ず れ か に統
一 されてい た もの に ,後
世の人
の手
が加わ っ た か, ど ち らか に 考 える方が 穏 当で は ない か。 とに か く, 同 じ人物
が何の コ メ ン トも付 さずに , こ の 二つ の 説 を提示する こ とは , 不 自然な こ とと言 わ なければな らない 。 】V
. 以 上述
べ た 点とは幾 分異 なる視 点か らで あ る が, い ま 一つ 注 意を喚 起 し て お きた い の は , 有 為(
samskrta)
の 三相
(tri
・lak
$ani )と四相 (catur ・
lak
$ani )との 問題 で あ る。
PSP
(1
)は, 心 不相 応 行 法を列挙 す る際に ,生 (skye
ba
,jati
) とは何 で あ る か とい う と, 〔五 〕蘊が 生 ず る こ と (mngonpar
’grub
pa
, abhinirvrtti ) で あ る。老 (rga
ba
,jara
)とは何である か とい う と, 成 熟 す る こと (yongs
su sminpa
,paripaka
)で ある。住 (
gnas
pa
, sthiti ) とは 何で ある か とい う と, 生 じた諸 法が 棄 捨 され な いこ と (rnam
par
mi nyanspa
, avihina ) で あ る。無 常 (mi rtag
pa
, anityata ) とは 何で ある か とい うと, 生 じた 諸の 有 為〔
法
〕が破滅
す る こ と (rnampar
’jig
pa
, vina6a ) である。 とい う, 四種の 法を挙 げて い る 45) 。 言 う まで もな く, こ れ らは い わゆる有 為の 四 相 と言われる もの で ある。 一 573 一
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Candrakirti
『五蘊 論』に お ける諸 問 題 (池田) (39
)しか し,有為 の 相 (
lak
$apa ) に は , こ の 他 に , 三相 とい う纒め 方 もある。 そ れ に つ い て はPSP
(1
)が参 照 して い た 可能 性の ある 一PAA
及 びAKBk
に も論 述 されて お り46) , そ うし た議
論 を経て, 両 論 と も四 相説 に落 ち着
い て い るの であ る。とこ ろで ,
Prasann
αPada
一 の 第7
章は 有 為に つ い て論 ずる章で あるが ,Can
−drakirti
はそこ で ,Nagarjuna
(竜 樹 c.−150
−)のKarika
に 基づい て , 有為を 三相 (