強調と文法 : 二重否定の一考察
著者 楳垣 實
雑誌名 主流
号 8
ページ 9‑20
発行年 1942‑07‑05
権利 同志社大學文化學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016573
強 調 と 文 民
一 一 一 二 重 否 定 の 一 考 察 一 一 一
楳 主
宣
は し カ3 き
との小請で、は jespersenのNegaiion in English仰 dOther Languages1l を霞んでゐる間に思ぴういた問題「言語に3なげる強調」の極めて小さ友部 分を取り扱ふa しかも最近護んでゐる小林智賀子氏の「マルテ4の言語 皐J")を遇ビて接した J¥/Iartyの意味論からも, かなP教へられる所がる った。わたしは強調が Eれほど言語現象のうちで重要注投思を持ってゐる かを Jespersen Ire設へられ,言語現象の理解に心理的左研究がどれほど 役立つかを Martyに教へられた。けれども力足らデ,見るべき結果が得
られないととは残念である。
との小請では,強調左る言語現象がw いかに文誌に作用す−るか,そして 雨者がどんな交渉関係
κ
立っかを遺べてみたいと考へる。しかもとの開題 はp 文罷論と文法論との関保でもあるので,その鮪にも鰭れるととと怠る。もちろん時間のき、び、しい制限をうけるので,極めて限られた部分の特異友 例一一二重否定表現ーーを採りあげて,それにようてとの問題の方向だけ をつたへ得るに過ぎたい。との小論は決して研究と呼べるやうなものでは なく,紹介といふか提案といふ位のものである。第一貫に貧弱な安料しか 得られ丘かったととは,えったしの最も恥づる所、である。けれども,わたし の思ひっきが,誰かに取り上げられ,幸にして何等かの取り 柄を見出され,
更に深められ喪展せしめられたたならば,それ以上の幸躍はないのだ。
1〕 Otto Jespersen; Jllegation in English and Other Lang立αgesCopenhag君主1,
1917.
2) 小林智袈:zp.;「マルティの言語拳」東京(興支社)昭和16.
‑ 9 ‑
1 強 調
言語活動が「話し手
J
と「聴き手」とを議想して成り立つものでるり,f
話し手J
の心的過程を意国的 iiこ表現して「君事き手jの精神生活に何等かの 影響を興へるととを目的とするものである以上は,「話し手J
がg「謹き手j に封ずる影響の程度や効果をと漆め考へて,表現に種々の工夫や技巧を加へ,停濯の意国を完遂しようとして,意識的に又は無意識的に努力するととは,
雷然のととである。
したがって, との停廷の手段方法に加へられるごと夫は,それが身振りと か{言説とか又l説会霊その他の利用といったゃう友二弐的(?〉なものでるっ ても,音聾・文字・記競・::'
r i f
競tr..cによるものでるっても,叉さらに文法 的な方法,す訟はち語嚢や語注によるものであっても,すべてとれらを強 調(emphasis)と考へるととが出来る。 とれらの場合には,「話し手」の;震国はすべて「謹き手」への心的影響を主眼としてゐるので,「話し手」の 心的過程を「話し手」の欲するままに, 「罷き手」に停達したいための手 段なのである。 Martyiま「諜き手
J
の精神生活に生じた影響を「意味」と 呼んで、ゐるやうであるが,強調はその「意味」を「謹き手」に正しく想、ひ\浮ばせるために採る手段友のである。
強調といふ言葉は,或はとの場合不適営かも知れ左い。何故かといへば,
「皇室き手jへの影響の程度や効果さへ大きければ, その停遣のたkうに採る 手段は必歩しも強いととを必要としたいからである。例へ('.f口で、話す場合 に,撃を{まめた方がー居効果を強めるとともある。しかし強調は元来心理 的現象主主のであって,たとへその強調のための手段が,物理的に弱くとも,
心理的には騒いのであるから,強調と呼んでも差支へはなからうとI~、ふ。
強調なる現象は,護生的!亡は心理的現象ではるるけれども,現象そのも りは言語的念事宣だから,言語準的研究の詣象と友じ得る。しかも,わた しは強調がどん主主文法的事賓となって現れるかを調べてみたいと思ふのだ。
‑ 1 0 ‑
文法的事賓といへば,音韻・諾嚢・語法・文字と!績を這ふて述べるぺき宅、
はあ~が,との小論では前l℃断った通り,語法の部へいきなり飛び、込んで,
しかもその二重否定表現だけを取りあげるとととする。
2 強調としてのこ霊否定
OE や M E,更に ModE初期の二重否定(DoubleNegation)叉は累 加否定(CumulativeNE:gation)が3 強調の一種であるととは云ふまでも ないが,ととでは近代の中期以後を塁
i
象とする。近代の中期以後のご霊否 定は,大韓口語俗語 ?と脹られてゐてF 無教育者や子供の言葉に多いので,標準英語ではたいけれEも,一流の作家の文章l'L.も現れ左い誇では;まい。
断ってむくが強調とじてのこ霊否定は, not without, not uncommon のやうた二重否定が結局肯定に友る場合を云ふのではなく,〈との場合は二 重否定によって「話し手JのE害時を示し,「諜き手Jへの効果を柔げるのでs
強調と正反釘の「歯に衣を着せた
J
表現であらう。〉二重否定がやはり否定 を現はす場合である。との種の二重否定は種々の類があるので,便宜上 Jespersenの分類に 従って詔介する。
a ニ重牽引(DoubleAttraction)
Nobody never went and hinted no such a thing,'said Peggotty.‑Dickens. I don't know nothing about it. ‑Cockney.
No, I shall not do no such thing.
if nobody had s巴邑nnothing of neυer愉ahat nowhere's?−Yorkshire Dialect. との二重否定は OEでは極めて規則的だ、と云はれてゐるが, Eliza朝で は稀J仁左り, Shakespeareでは二つの到しかをいと云ほれてゐる。そし て十七世紀以来一つの例も見営らlr.く怠ったと云ふ。ととろが十八世紀の 初頭に Peggeが, LondonCockneyやYorkshireDialectの中l℃との 程の二重否定が残ってゐる事ーを報告して以来3 研究家の注意を惹くやうに
‑‑11 ‑
在‑07ど。現代でも俗語として用ひちれるととは多いJ
Jespersenはとの現象を言是明して「i命理的には一つの否定詩で
7さ泊古,同一の文中に否定語が二つ以上あてコても非論理的とは呼べ左
ν
、。と れは草たる冗語句(r.εdundancy)でるって,文韓的見地(astylistic point of view)から起ったものであるコだから肯定文で everyとanyとを,alwaysとonall occasionsとを並局するのと同様に不営で、は左いのだ。
とのやうな二重否定が起った理由は,先に;主ぺたやうに,否定語を動詞へ 引きつけようとする傾向と,他の語へ引きつけようとする傾向,と3 との否 定表現の二つの大きな傾向が&同ーの文章<D'f.:I.かで同時に満たされやうと した結果友のでるる。しかし否定の繰返しは,議音量l'C::Jないて否定語の要 素が比較的小さい園語(OEの ne,n‑. Russ.の en,MHGのn‑.,GKの
OU (uと表音される), Magyarのs・'n−等)では慣習的危現象と怠って ゐるやうに臣、はれる。つまり否定の要素が軽微だ、から見越されし易いために 繰返されるのだーだから notや nichtが完成された後の英語ーやドイツ語 では,との種の現象f土次第に減ってゐる。又一方では皐校で教へる論理7さ
とかラテン語だとかの影響が,との通俗的な冗語宿]を用ひる傾向を止める のにカがあったととも明かである。しかし最後に,唯一つの否定語で満足 するととは,話し手としても謹き手としても,文芸を躍を最後まで憶へてゐ trければ左ちたいからjー居多くの mentalenergy
t r :
必要とするので,いつで、も主!?ある毎に否定を繰返す方がヂ、っと容易及ととは明かだーーと附 け加へて治かねばたらお:い。」(p.65 ff.)と述べてゐる。
b 手写穀否定(ResurnptiveNegation)
I shall never do it, not auy circumstances, not on any condition, neither
at home. nor abroad.‑Jespersen.
のやうな例がその代表的左もので, 否定文が一躍完結したるとへ, after‑ thoughtとして否定形の語勾が迫力目されてゆくものである。
He wasnt changed ac all h.ardl̲,r. ‑Kipling.
‑ 12ー
But no one scarcely could throw hims巴Ifdown. ‑Morris.
のやう左・hardly,scarcelyもとの部類l℃入る。また.withoutのやうti:間 接否定語と共に hardly,scarcelyが{更はれるとともある。
Withou』scarcely hearing a word, ・・目...,,. ‑Thackeray.
との場合は二つの否定語は相殺もしない代りに,殆んど強調的効果をも伴 はti:く友るのは,一龍どう云ふ誇だらうか。
ιC 艶営的否定 (Paratic Negation)
元来否定の意を含んでゐる動詞p 例へば deny,forbid, hinder, douむと のやうな動詞に従属する簡にある否定を云ふのでるる。
You may deny that you w巴r己notth己meane
Of my Lord Hastings lat己imprisむnment.‑Shakespεare.
・what hinders in your own instanc己thatyou do not retur乱tothose habits.
‑Lamb.
とれは文法的には誤用7でとして非難する人もあるが3 英語で!二ほとんど 慣倒的になうてゐる。しかもとの種の文を聞いても,護んでもp論理的混 筒
L
をさほど強く感じないゃうである。恐らく二重牽引の場合と同じ心理か らであらう。それは最初に denyとかhinderとかいふ否定の動詞が出 てくると,語き手の頭には否定文を罷くのた、といふ「気がまへjが出来上 るから,従麗箭が否定されても,得心して語けるのだらう。d そ の 他
Jespersenはとの項で四つの例を奉げてゐる。
a b巴ggarwithout less quality.‑shakespear.邑 のやう汝 shakespeareに多い否定語又は宇否定語の重複と
no milk in the house! no nothing! ‑Carlyle.
のやうな no十名詞で物のない事を列拳して,最後に no+ロothingで 打切る場合(との場合は anegative of everything7芝、と J出 向:rsenlま 説明してゐる〉と3
Don't be longer than you can (not) help. ‑C. 0. D.
・‑13 -~
のやう在例(とれは N.E.D.では canは C目立notの誤用7でと説明して ゐるがp Jespersenは「Whateleyが云ってゐるやうに more than I cannot helpと云ふのはunidiomaticであって,本来とのidiomlまthan
と比較されるものはp すべて宣
i
祭には否定の概念を示すといふ事置に基い て生じたものたので, Hehas more than necessary.は Itis not neces‑ sary to have more.の意でるる。一一ーしかしとの helpを詮拐するのは か左り困難だ。英国では Icould not help admiring her.と云ふのが普 通だが, 米園では Icould not help but admire herと云ふ否定表現を 好むといふ事賓を参考すべきだ、J
というてゐる。〉と,Seldom or ever could I d吉tectany approach to a labial. ・‑Ellis in Trans.
のやう友 seldomor neverとseldomif everとの混肴された例を奉げ てゐる。
3 日本語の二重否定
日本語には殆んど見雷ら左いがy 「けしからぬ」などがそれでるらうか。
本来の意味は「怪しくあらぬ」で,「怪しかり」の否定形であって,「希有 注らすっ「悪く I'土ない」「おもしろい j等の意味に用ひられるのが普通で、b
る。
むかし,若き男,けしうはあらぬ女を思ひげし一一伊勢物語。
けしからね人を尽ひ問えさすとも,一一紫式部日記。
放免の下人の始決につけたる百主主議の,薄 iこ成9tこるなど,けしからぬ見物な b。一一凶季物語。
の如くかなり庚い時代にわたって使lまれてゐる。
しかし,とれらと年代の古いもの,又同時代のものに,それとさを然反封 の「怪しい」「不思議だJ「悪いJ「不都合だ'J'It..どの意にも用ひられてゐ る。
か〈けしからぬことはうけたまはらじ,戯れにも御徒言かな。一一宇津保物語。
遂に我が主主は,立主主二五主ゐやし〈なりぬぺきなめbと,いとど忍ふところにp
‑ 14 ‑
一一源氏物語。
との現象に封ずる説明としては園語事者ーのあいだに定設はないと云はれ るが,わたしは二重否定7さと居、ふ。とのやうな誇訟の生じた原因lむ 或 は
「けしうあり」が[けしかり」と音韻菱化を生じたために,「怪しう」とい ふ語の感じが弱められて,「けしかり」では物足らなくたって,「けしから すコ」と不定の助詞「‑f'Jが加へられて強調されたのだ、とも考へられる。し かもとのこ霊否定が確立すると, back‑formation
r
乙類する「二重否定か らの肯定J
が生れて, 「けしかりJ
が「面白いjといふ意味にも用ひられ るカミら面自V"o治はば拾えなごむとにゃうこれるけしかる業かなとて9法衣JJJtぎてかづけさせ 給ふ。ー←;密室露。
更に「けしかる」は明治拐には反語的に「怪しかる振舞に及ぶJ11;どム 本来の意味に戻されて用ひられたとともあうた。もちろん5 とれは文謹的 現象でるらうけれども3 強調で、あるととに嬰りはたい。
とれほど複雑な援化を遂げた語は珍らししとの語を深く調べた注らば それだ、けで立派左論文が出来るだらうが,今はそのいとまがない。とれに 類した三重否定ほ古語にもかなり多いらしく, 「;j;>ぼろげ左;らす−;:Jが
F
な ぼろげ」の意に用ひられ(その用例今採し嘗らナ〉,あー1玄ろげならでは, i霊ひ令ひ見給ふことも難きを,一一源氏物語。
のやうえ主用法も生ビた。
「るらけ左し」が「荒々しい」「乱暴tJ:j<D意;仁川ました左しjが「Jま した
J
と殆んど同義に「中途王子端で正嘗で、左い」からは下道いJ「無作法 だ」の意に用ひられるのは, 「言海J
註どでは「たしJ
を「蓄し」の意味?と解してゐるけれども,二重否定と見られぬととも左からう。しかし,と れに就いては, 京都の方言中にある「だいじない
J
「大切左いJ
11:ども考 へ合せるべきでラ必ヂしも二重否定と菌定し難い誌もるる。以上とさを然趣
: a
異にしたもので,和歌山!揺日高郡の方言に「るDもせぬj巳 − 15 町一
の意味に「左いもせん
J
を使ふ例がるる。とれとそ明かな強調二重否定で「ありもせぬ」で、は物足らたく友って,ヰく「無い」を言ひ現はしたい気持 から,先づ「無い」と出て,それに「ぜんJをつけた形であらう。例へば
無いもせんことを言ひふらして・……・口−
のやうに用ひる。日本語では否定詰は殆んど文の移りで主主いと現れたいか ら,との種の二重否定はありさうたものだと思ふが,今のJiJT,忠、ひ浮iぎた い。方言主調べたらもィコと出て来さうに臣、ふ。
4 否定強調の心理
以上のやう念材料を訟がめてみると,との覆の二重否定は,否定を強調 したいといふ心理が,その強調の効果を強めるために,文法の論理性を無 視してしまって,型を破る結果になるものであるらしい。しかもとの種の 強調の手段は,殆んどすべて,無意識的に行はれるもので,文章を論理的 に導かうとする努力よりも,否定を表現しようとする努力の方が拐、い場合 に起るのであらうと思ふ。それが否定を二重に現はす結果となうて現はれ る。英語の場合11'.:.は動詞を否定すると同時に名詞も否定する形とたり,日 本語で、は名詞の否定形がないから,従露首jの動詞を否定するとか(とれは
日常の談話では時折聞くととだ〉, 形容詞を伴ふ動詞主否定しておき訟が ら,否定し泣いのと同じ意味を現はしたりする。
否定か肯定かといふととは,話し手の心的過程を謹き手に惇へる場合に,
か左り重要なpointであるととは云ふまでもたい。 7でから否定文には特具 性がみとめられる。それは二重否定とまではいか左いが,否定の場合だけ にしか伎はれしたい語伺といふものがあるととである。とれは日本語のやう に動詞が文の最後に現れる文の構造をもった言語では,肯定か否定かは原 則として最後まで聞かねばならない。そと、で文のはじめかちヲとの文は否 定だと云ふととを誌き子に停へるためには,否定文で(;;_ければ使は友ぃ言jl 詞のやうたものを文の始めへ持って来て,露き千に否定の「集がまへ」を
‑ 16 ‑
、
作らせるものである。 「まさか」「まんざら」「さりとて」「決して」「少し もJ「とてもJt;r..
c
がその種の副詞でるるo‑英語のatall左どがその種類に麗すものだ、が,英語では動詞は文の始に 現れるのが普通であるからち 日本語の場合と!ま反主すに −度否定で現はさ れた文乞最後に念を押すやうに附けカロへるので,その効果は日本語の場 合とほとんど同じである。 alreadyt乙封ずる yet, some rと劃するお1y, as・・・・・・as− に 封 ず る SO・・・
…
as−ーなども,みなとの類であらうく更にとの「とてもJやatallが肯定に用ひられると 非常に語、いintensivetと なるととも,強調の一程として興味ある事置だ〉。
Jespersenが説明するのが困難だと云ってゐる more than one can help,,の helpにしても3 論理的には設明が困難だが,心理的には王塁解出 来るのだ。との語法も否定文だけにしか現れiないもので, Fmvlむ の い ふ や う に へ と れ ば
, Dont sneeze if yo臼canhelp it. のやう注形から
Dont sne邑zemore than you can help. の形に非論理的に護畏して行ヲて5更にとの形から
Sn己巴zeas little as you can help.
が生とたものであらう。わたしの考へでは,との場合もまた表現の欲求が はげしい徐札論理性を無親したもので, Dont sneeze といふ表現と you can help,,といふ表現とが, if円よりももっと張、い morethan円 によって結ぼれたので, 「意念にして言葉筒
L
る」といふゃうえ工場合ではた からうか。しかもとの場合, うっかりしゐると Dontsneeze if you can help itの代りに, Dontsneeze if you can' と云ひ集長、ないのだらうし, ifyou can help it と if you can とが結局同じ意味の表現 でるるといった感じを起させ左いものでもあるまい。 さうすれば Do1イt
1) H. W. Fowler; A Dictionary of Modern Eng!ish Usage, pp.2'.13‑‑4.
‑‑17 町 一
sneeze more than you caロ(Fowlerのいふやうに, Eしくは … ・you mustだが〉. といふつもりで
と云は!J̲いものでもあるまい。更にとの場合 helpなlる語が,ほとんど いつも canと結び合はして伎はれる官習があるた'oD, その慣習の
i
育i
主 といふととも考へられ,それと同時に helpの意味は,1
主性が強くたれば なるほど,握減されて,語感が強く頭に来主主くたってゐるので、るらう。ま た一方では help といふ語の菅がかなり店、いので can"だけで文を結 ぶよりI主3 can help と結んだ方が,昔の上からだけ去へば,いかにも 得心がいくやうな感ビがするのだ、らう。一ーとのやうえ乙萱に満断的な,思ひっき共第のやちな理屈は,挙間的に{可の挟擦も左いと非難されれば,
それまでの詰ではるるが,人間の言葉を話す,時!'L,人間の気まぐれ左心持 が,その話す言葉の上にも,色々の形で現れIXいとは断言出来ないと,わ たしは思ふのである。
若し上に述べたやうえ主話し手の心理が, との種の語法を生んだ、ものとす れば, Sneeze as little as you can." (Fowlerのいふやうにー… you may. でrもよいが〉の代りに Sneezeas little as you can help とい ふ語が生れたととも,治のづから判てコて来るだらう。
Jespersen 1:1,上l乞述べたやうに,「本来との idiomft thartと止と較 されるものは,すべて萱際には否定の概念を示すといふ事置に基いて生じ た」と説明し, hehas more than necessaryは itis not necessary to have more だといふ例を拳げてゐるが, aslittle as you can help日
の場合にういては言及してゐ友い。しかし,わたしはとの設に反封ずるの ではたEく,との説明に更に上に連ベたゃうIX原因が加はってゐるのではIX いかと思ふのだ。 しかも Jespersenはとの helpの意味を設明するため に,「英国ではIcould not help admiring herといふの7さが,アメリカ 人は Icould not help but o.dmire herといふ否定表現を好むといふ事 霊を参考すべきだ、
J
と云ってゐる。彼はとれを参考してどう考へるべきか‑ 18‑
を述ペてゐ友いから,彼の意見を知る謹にはいかぬが, can not helpと can not help butとが同ビ意味l'C{支はれてゐる事置が, canhelpがcan司
not helpと同じ意味に伎はれてゐる場合の説明の参考となるといふ事だ、
けは間違びたい。わたしの考では cannot help but admire "'主る語」法も ー撞の強調であって,かLる語法が生じた亘援の原因は, can not help admingとcannot but admire友るさをく同じ意味主持うた二つの語法 が,いはば portmanteau・phrase といったものに法り上げられてしまっ たのでは左いかと息ふのだ。 mすに述べた Jespersenの 引 例 記ldom or everが, seldomor neverとseldomif evむとの混肴の形であるのと ほとんどその撲をーにするものであらう。
5 強 調 と 文 法
上に遺ぺたやうに,強調は文法を無視しよろとする強い傾向をもって文 に作用する。とれが意識的に現れるとともある語で,それは修辞法のー還 となる。しかもさう云ふ文語的事賓が一般性を得ると,新らしい文法的苦手 賓として認められる結果となる。語!I民の顛倒(Iロversion),語法の推移,
語棄の憂還など,強調のために起る文法上の事震はヲ教へ上!?三れば瞳分の 敦にのぼる。かくの如き強調の作用の根本となるものIi,語感の遮減とい ふ事置である。語嚢にしても語法にしても,たとへ最初は清新左感じを起
させたものであうても3 使ってゐる間には月並とえ工れ語感がうずく/J:l) ' 表現効果が弱くなり,物足らぬ感じを,話し手にも罷き手にも味ははせる
ととと友る。そとで話し手は,語き手に強い感銘を輿へたいと考へて,色 々のヱ夫をし,表現の技巧を撮らす。さうして新らしい文謹を創む出す。
その文龍が一般性を得ると,それはまた次第に語感の逓減といふ必然の運 命をたどるとととなり,更に新らしい表現に地位をゆづる。かくして言語 の時代相といふものが生み出される。わたくしは英語の二重否定にそのー〜
例Eと見るのだ。
19 c~
かう考へて来ると,言語に作用してゐる二つのカ,文法と強調がはっき りと感ぜられる。、ともに言語の停達の効果をねらひ訟がら,一方は論理性 に撲らうとし,他方は心理性に擦らうとする。一方は形式を整へるととに 努力を注ぎ,他方は形式を無観するととを頓着したい。何れを訣いても言 語の本来の機能主十分に護揮するととは出来ないのだ。
とのごうの力が文の形式乞決定するうへに相嘗の作用をする。論理性が 勝った場合には,法律文のやう主主ものに左札心理性が勝った時には詩の やう
t s .
ものに怠る。しかもその中聞に無数の段階があって,結局それが文 館といふものを生み出すか左り重要主主要素と友るやうに官、ばれる。えったし が強調が文法にむいてか左り重要主役員を演じてゐるといふφ
はその騎を指すので,文法研究にとの種の注意をはらふととによって,色々の新らし い理解を生み出すととが出来るだらうと{言宇る。
(日召和17.4. 3.)
え
‑ 20ー