研究ノート
世 界 経 済 と 多 国 籍 企 業 の 主 要 な 問 題 点
清 水 嘉 治
187
噌現代資本主義・国民経済・世界経済の各危機の連関性
二世界経済と多国籍企業論の主要閲題
ーR・ギルピンの所説をめぐってーー︹
①R・ギルピンの問題提起
②多国籍⁝企業の規制問題
三改めて多国籍企業論の問題点を考える
ωアメリカ多国籍企業の増大と地球企業の論埋
②資・本の﹁相互浸透論﹂の⁝問題古由
四多国籍企業の規制間題
ω多国籍企業と発展途上国の論理
一︑現代資本主義・国民経済・世界経済の各危機
の連関性
現代資本主義論が活発に議論されてからかなりの歳月を経過
した︒その論点の中心は︑現代資本主義の性格が︑占典的資本
主義の性格とどのように違っているかという点にあった︒とく に資本主義の三大病といわれる恐慌︑窮乏︑失業の課題を︑現
代資本主義は︑どのように解決し︑どのような新しい難問をも
つようになっているかを.小すことにあった︒この点について︑
(1)わたくしは︑いくつかの問題を提起してきた︒
とりわけ重要な課題は︑一九六〇年代︑七〇年代の先進資本
主義の経済体質の変化を踏えて︑展開されなければならないこ
とを強調してきた︒とくに一九七〇年代は︑第一に︑﹁窮乏﹂←
﹁大量消費﹂に対応して,環境汚染・資源枯渇・都市問題Lが
主要課題になった︒第二に﹁恐慌﹂←﹁高度成長﹂に対応して︑
﹁スタグフレーション・分配の不公平﹂が深刻な課題になった︒
第三に︑﹁失業﹂←﹁完全顧用﹂に対応して﹁社会保障下の構造
的失業﹂と﹁管理社会しが出現した︒
一九七〇年代の先進国の基本的経済体質は︑こうした↓︑一大病
を︑どのように克服するかにあった︒この問題は︑一九八〇年
代にもちこされた︒この三大課題に︑どのように対応するかが︑
先進国の難問になっている︒
商 経 論 叢 第20巻 第1号 188
こうした難問に対する基本的アプローチこそ︑資本主義の体
質変革を迫るものであった︒こうした難問は︑一九七九年の世(2)界経済の危機が深刻化する中で︑より一層顕在化した︒とくに
失業問題は︑先進国共通の課題となった︒一九七九年と八一年
の失業率をみると︑一九七九年に︑イギリス五.六%︑フラン
ス六・○%︑イタリア七・七%︑西ドイツ三.八%︑日本二.
一%であり︑八一年には︑それぞれ︑二・三%︑七.八%︑
八・四%︑五・五%︑二・二%に上昇した︑こうした事態は︑
八三年六月まで続いた︒とにかく八三年四月以降.先進国は︑
石油価格が一バーレルニ五ドルに低下したこととアメリカの景
気回復によって︑世界経済は部分的に需要回復の状況を.小して
いるが︑それは︑レーガンの強引な景気回復策によって︑アメ
リカ経済の﹁安定化しを見せたものであり︑その性格は︑構造的(3)には︑ぎわめて不安定であった︒一方︑EC︑口本においても︑
アメリカの景気回復に並行して︑若干のタイム・ラグはあるも
のの︑先端技術産業を中心として︑践行性をもった景気回復を
示したのである︒
もちろん︑一九八三年から八四年にかけて世界経済は︑景気
回復を部分的に示し︑一部の失業者も職場に戻り︑株価も︑全
体として上昇した︒にもかかわらず︑先進国における国家財政
は構造的危機に直面した︒例えば一九八二年の主要先進国の財
政赤字比率をみてもわかるように︑イギリス︑マイナス一二.
七%︑フランスマイナス九・三%︑イタリアマイナス一八.七
%︑西ドイツマイナス一二・七%︑日本マイナスニ八・三%で あった︒日本︑イタリア︑西ドイツのマイナスが目立った︒ア
メリカは景気回復期に入っても︑国家財政の赤字は二︑○○○
億ドル以上である︒日本の累積赤字は約一三〇兆円である︒(4)一九八三年四月以降世界経済は景気回復基調を示したといっ
ても︑国家財政の構造的赤字を克服することができなかった︒
もちろん︑世界経済の不況といっても︑それはあくまでも︑
先進国それぞれの国民経済を支えている企業経営と従業員に対
して厳しい圧力としてのしかかってくる問題なのである︒
現代資本主義経済を支えるものは企業であり︑その企業経営
が悪化すれば︑必然的にそのしわよせは企業に働く従業員にの
しかかる︒だからこそ失業問題が発生するのである︒
企業経営が悪化すれば︑必然的に︑法人税収入も︑企業に働
く勤労者の所得も低下する︒
これを企業内労使関係でみるならば︑ある企業は労働協調︑
企業合理化でのりきり︑ある企業は︑労使対立の緊張関係に直
面し︑労働者の首切りとなって表面化したりする︒またある企
業は︑市場競争の波におし流されて︑企業経営悪化に直面し︑
遂にぱ倒産においこまれる︒失業者が激増し︑社会問題化する︒
一九七三年の石油危機以降の先進国の企業の経営体質は︑悪化
せざるをえなかった︒つまり︑従来の安い燃・原料価格の構造
に支えられた企業経営体質がゆさぶられたからである︒先進国
の企業は︑この石油危機のインパクトによって産油国や発展途
上国の燃料・原料の低価格構造と相対的に安価な賃金構造に支
えられて経営を維持するシステムを半ば放棄せざるをえなかっ
世界経済と多国籍企業の主要な問題点
189
たのである︒それは先進国共通にスタグフレーションに直面し
たことによって明らかである︒もちろん一九七〇年代後半の先
進国の経済構造が変化するなかで︑先進国の国民経済の体質は
変革を迫られたのである︒省エネルギー政策をいち早く採用し
た日本や西ドイッは︑スタグフレーション下にあってもアメリ
カやイギリス︑イタリアなどのように深刻な景気後退に薩面せ
ずにすんだ︒だが先進国は︑おしなべて︑スタグフレーション
に基づく国家財政の構造的危機を招くことになった︒というの
は︑従来の企業成長型に依存する財政構造は︑企業経営が弱体
化すれば︑当然︑財政収入を低下させる︒したがって先進国は
共通に国家財政の危機を招来する︒そしてそのしわよせは︑一
般消費税等の導入によって︑大衆・勤労者への税負担を重くす
る構造を招くのである︒
こうした構造からどのように脱出するかが先進国の政策課題
である︒つまり国民生活に対応した産業構造をどのように再編
成するかにある︒このことが︑国民経済の基本課題でなければ
ならない︒だが国民経済の体質は︑世界経済との関係なしには
存在しなくなった︒一九七蝋年の国際通貨危機︑七三年末の国
際石油危機および七九年の第二次石油危機は︑先進国の国民経
済の体質をゆさぶったことでも明らかであろう︒国民経済を支
える産業の構造変化は︑ドラろアィックに進んだ︒↓九六〇年
代︑七〇年代︑八〇年代前半の日本の主導産業の変化をみても︑
それは明らかであろう︒鉄鋼︑造船︑石油化学︑自動車︑先端
技術産業というように︑主導産業の輸出の変化をみると︑産業 構造の変化がきわめて激しく展開された︒
国民経済の構造をみても︑大企業と中小企業の格差が拡大し
ただけでなく︑大企業間︑中小企業間においても︑産業構造の
変化に対応した競争が激しくなった︒それは国民経済を支える
国内市場における大企業間︑大企業と中小企業間︑中小企業間
の激烈な競争となって顕在化した︒もちろんこの競争は︑価格︑
技術︑品質︑労働力︑広告宣伝などをめぐって厳しく展開された︒
現代資本主義は︑国民経済の体質を変えるだけでなく︑世界
経済との連関性を密接にする︒現代資本主義は︑先進国間︑先
進国と発展途上国間︑先進国と社会主義国間の﹁相互依存﹂関
係を緊密化する︒とくに先進国間︑先進国と発展途上国間の
﹁相互依存﹂関係は︑資本による市場経済の支配・被支配関係
を創出する︒
もちろん︑この資本による市場支配関係は︑二国間︑多国間
の嬉際経済法関係を通じて︑組織化されている︒
さぎにもふれたように︑三つの国際経済危機は︑国民経済の
みならず世界経済の体質を変えようとした︒たしかにこうした
危機は︑先進国の物価︑貯蓄︑投資・消費の関係︑さらに外国
貿易の形態に至るまで︑経済生活のすぺての問題に︑インパク
トを支えた︒
こうした三つの危機の中で︑﹃法人企業統計年報﹄(一九八三
年︑大蔵省)をみると︑七〇年代の十年間の世界経済の危機のも
とにあっても︑大企業の総資本は︑二倍に増大した︒↓九七四
年と七五年の第一次石油危機を除外すると︑大企業の内部留保
商 経 論 叢 第20巻 第1号 190
の蓄積が伸びた点にある︒大蔵省の﹃法人企業統計﹄において
は︑有価証券と投資勘定の比重が増大した点にある︒二〇〇
〇万円以下の中小企業では︑合わせて一%前後でしかないのが︑
一〇億円以上の大企業では一〇倍の一〇%前後の比重を占めて
いる︒そしてこの一〇年間で九・四%から一二%へと二・六%
(5)も高くなっている﹂という︒つまり不況期にも︑国幾経済のな
かで︑大企業は中小企業に比べて︑資産を増大させた点である︒
﹃エコノミスト﹄(一九八四・三・一九)によると︑﹁過剰資本
下の低成長経済にあっては︑内部資産の蓄積額が設備投資を上
回る傾向にあるといわれているが︑投資機会の減少と他方での
金融の自由化︑国際化は︑企業の金利選好意識を強め︑国内外
での収益率の相違による実物資産運用と金融資産還用の比較を
シビアにし︑企業の余剰資金の金融資産への投資を増大させて
きた︒また最近ではそれにとどまらず︑海外から金利の安い資
金を調達し︑高い金利商品に投資運用するということさえおこ
(6)なわれているという︒﹂
こうしてみてもわかるように︑不況下において大企業は︑資
産蓄積を高め︑その資産を金融機関を通して︑さらに蓄積し︑
みずからの保全に努めたのである︒それは︑国内金融市場のみ
ならず国際金融市場を通じて︑資金の蓄積を加速度化させたの
である︒ここに大企業は︑国民経済の枠をこえて︑たえず国際
市場を通じて蓄積を強化しているといってもよいであろう︒
こうしてみるならば︑大企業は︑国内市場︑国際市場を問わ
ず︑資産運用の多角化を企図し︑資産の蓄積を高める行動様式 を示したのである︒こうした大企業は︑一九八四年六月以降の
景気回復過程のなかで︑設備投資行動にでたのである︒
二
世 界 経 済 と 多 国 籍 企 業 論 の 主 要 問 題
lR・ギルピンの所説をめぐってー
㈲R・ギルピンの問題提起
こうしてみると︑いまや先進国の大企業は︑国内市場︑世界
市場を問わず︑極大利潤をいかに獲得するかを至上命令とした
のである︒
とりわけ︑こうした大企業の行動様式を典型的に示したのが︑
多国籍企業であるといってよいであろう︒そうだとすれば︑多
国籍企業の行動様式をみずして︑世界経済は存在しないのであ
(7)る︒だからといって︑世界経済を規定している多国籍企業を︑
すべての本質であると把握するのは間違いである︒多国籍企業
が︑今日国際貿易において︑国際市場において︑支配力を発揮
していることは事実である︒だからといってそれによって国民
経済全体が支配されているという考え方も間違いである︒この
点は︑後で論議しよう︒
ここで︑私たちは︑プリンストン大学の国際政治学者ロバー
ト・ギルピソの﹃アメリカの権力と多国籍企業‑海外直接投
(8)資の政治経済学﹄におけるカナダの民族学者であるカーリ・レ
ヴィット女史と︑元アメリカ国務次官であるジョージ・ポ!ル
による多国籍企業論のうけとめ方をみることにしたい︒前者の
考え方はこうである︒
世 界経 済 と多 国 籍企 業 の主 要 な 問題 点 191
[国際企業は︑﹃時代遅れの﹄民族国家に向かって明らかにイ
デオロギー戦争を宣告している⁝⁝物質主義︑近代化︑国際主
義が企業資本主義の新しい自由の旗印であるという非難は十分
な根拠をもつ︒その意味合いは明白だ︒すなわち民主主義的意
思決定の一つの政治的単位としての民族国家は︑﹃進歩﹄の名
ぐユのパワしのもとに︑新しい重商主義的小型権力に対し支配権を譲り渡さ
なければならないということである︒
他方後者の意見はこうである︒﹁多国籍企業の構造は現代の
要求を満たすために仕組まれた現代的概念であるのに対し︑民
族国家は︑われわれの現在の複雑な世界の要求を満たすには︑
あまりにも旧弊窺念であ吃それにうまく適応していな脆﹂
R・ギルピンは︑こう整理する︒﹁一方において︑強力な経
済および技術の力が高度に相互依存的な世界経済を築きつつあ
り︑そのために国境のもつ伝統的重要性は低減している︒他方︑
民族国家は︑いぜんとして︑国民の忠誠心を思うままにしてお
り︑政治的意思決定の基本的単位である︒﹃われわれの世代の
謝位は畠中心的ナショナリズムと地球忠的技術の間にあ
る﹄﹂と︒要するに︑レヴィヅト女史は︑アメリカの多国籍企
業の支配に対抗するためには︑民族国家の指導力の重要性を強
調する︒すなわちナショナリズムの立場である︒これに対して︑
ポールは︑多国籍企業の生産力を完全に発揮するために︑民族
国家の支配力の低減すなわち帝国主義の現代的支配力を主張す
る︑といってもよいであろう︒
両者の間に︑国民経済と世界経済をめぐる多岡籍企業の位置 づけの違いが明瞭に示されている︒ここには多国籍企業の支配
力が国民経済に対してきわめて大きなインパクトをもっている
ことを示す︒
だがR・ギルピンは︑国民経済と世界経済の関係を多国籍企
業の行動様式を通じて説明しようとしているが︑それは説得的
な論理展開を示しているとはいえない︒たしかに︑彼の主張は
こうである︒すなわち︑経済と政治との関係は︑少なくとも現
代慢界において相互的なものであるという点にある︒一方では︑
政治は主として経済活動の枠組みを決定し︑支配グループの利
益に奉仕すべく仕組まれた方向に移しかえる︒あらゆる形態の
権力の行使が経済制度の性質の主たる決定要凶となる︒他方で
は経済過程は︑それ自体権力と富を再分配する傾向をもつので
ある︒このようにしてグループ間の権力関係を変質させるので
ある︒これがひいては政治制度の変革に導き︑それによって経
済関係の新しい構造が生まれるという︒したがって現代世界に
おける国際関係のダイナミツクスは主として経済と政治の間の
(10)相互作用という機能をもつというのである︒
問題は︑経済と政治の相互作用の内容なのである︒経済構造
における大企業の支配が︑政治構造にどのように作用し︑同時
に︑政治構造は︑経済構造における大企業の支配をどのように
保障しているかの分析が弱いといわざるをえない︒にもかかわ
らず︑他方で︑彼は︑海外投資の政治経済学についてこう主張
している︒﹁海外投資が工業国盛衰の唯一の(または基本的の)原
ヘへ囚であるというのでもなく︑海外の競争国に対し先進国の経済
商 経 論 叢 第20巻 第1号 192
が相対的に衰退する傾向への対応策としてのみ︑すべての海外
投資が説明できると主張しているのではないLとして︑﹁海外投
資の政治経済学はひとまず︑一国の産業拡大の観点から︑した
がって他国に対する潜在的または現実の相対的衰退への一国の
対応策として大略を説明できる﹂というのである︒私なりに整
理すれぽこうだ︒ある先進国の企業は︑自国の工業が衰退すれ
ば︑必然的に他の国への直接投資行動をおこすという論理なの
である︒したがって海外投資の政治経済学は︑国内経済の衰退
現象から産業の笑策として成立するというも功恥ある.R.
ギルピンは︑この点を二つの局面から説明している︒
相互依存的国際経済の第一の局面は︑海外投資が支配的経済
の財梱とよんでいる力の象徴である︒その技術優位と産業効率
により︑中枢の所得は急速に上昇する︒国内的には︑消費でも︑
投資でも吸収されない高水準の貯蓄がある︒中枢の富と貯蓄が
ペリアユリ蓄積されるに従い︑資本は世界経済の周辺に輸出される︒この
インフヲストヲクチヤ 局面における資源産裳下部構造︑製造業鱗する海外投
資は主として中枢の相対的経済力に関係しているという︒
こうして︑ギルピンは︑中枢と周辺すなわち先進国と途上国
の構造変化により︑海外投資は︑極大利潤を追及するために︑
中枢から周辺への立地を求めるということになる︒ここには︑
海外投資の必然性を資本輸出の論理に基づいて説明するのでは
なく︑中枢から周辺への投資の移動として把握している︒この
点︑海外投資を︑きわめて機能的に解明しているにすぎない︒
資本の自己増殖過程の一環としての海外投資把握ではないとい ってもよいであろう︒この点が︑彼の理論の弱点であるといわ
ざるをえない︒
第二の局面についてみよう︒彼によると︑﹁海外投資は支配
的工業国の相対的衰退に対する対応策となることが多くなる︒
中枢におけるつぎの二種類の構造的変化を反映して︑海外投資
にはずみがつく︒第一は︑周辺に比較して中枢における国内投
資機会の一般的減少である︒十九世紀におけるイギリスの場合
がそうであった︒第二は不完全資本市場の存在と︑国内を犠牲
にして海外投資を進める企業構造である︒これは一般的には二
十世紀におけるアメリカの場合に当たる︒いずれの場合にも︑
中枢の金融業者や産業家は︑彼らの資源の収益性の低下を防ぐ
(13)ために海外に投資するのである︒し
ここでは︑先進国から途﹂国への資本の移動は︑高利潤率.
高利子率をめざして展開されるという論理に帰着する︒問題は︑
こうした単純な論理から説明できるであろうか︒周知のように
現代資本主義のもとでの個別企業は︑極大利潤の追及のために︑
国内市場のみならず世界市場を求めて︑企業活動を展開するの
は当り前のことである︒この点はすでに資本輸出論の必然性と
して証明された公理である︒だが現代資本主義の論理は︑きわ
めて複雑性をおびている︒多園籍企業といえども︑単純に︑高
利潤率︑高利子率を求めて海外投資をするわけではない︒あく
までも︑企業は︑政治的安全保障のもとでの行動をする︒この
点で︑政治と経済の相互依存性が成立するのである︒だが現代
の先進国の経済はぎわめて多様性を内包している︒一般的には︑
世界 経 済 と多国 籍 企 業 の主 要 な問題 点 193
政治的安全保障のもとでの資本の海外進出である︒この点は︑
アメリカ︑日本の両国にとっても共通しているといってよい︒
こうした前提のもとに︑先進国の海外投資は展開される︒それ
は大企業︑中小企業を聞わず︑海外投資行動を活発化する︒
R・ギルピンもこの点を承知のはずである︒彼は︑それを[国
際的変動のモデルLとして説明せざるをえないのである︒この
点︑わたくしも認めよう︒
﹁相互依存的経済制度‑地域的︑国内的︑国際的のいかん
を問わずーは支配的中枢もしくは中央と︑従属的周辺もしく
は後背地とから構成される階層構造である︒中枢またはその制
度の組織面および管理面の構成分子から成立する︒それがロン
ドンやニューヨークのような金融的および商業的都市であるか︑
マンチェスターやピッツバーグのような工業都市であるかは別
として︑中央は周辺から諸資源(食料・原材料・労働力)を引き
出し︑これと交換に製品︑サービス︑市場を提供する︒中央i
周辺関係の種類には数々あるが︑重要な点はその制度の管理と
(14)統治における中枢の支配的役割である﹂という︒
ここでも海外投資の政治経済学の本質は︑中枢と周辺の相互
依存関係の問題として究朋されているだけで︑新しい論理展開
を示しているとはいえないのではなかろうか︒先進国から先進
国への海外直接投資︑先進国から途上国への海外直接投資︑先
進資本主義国から社会主義国への直接投資形態を︑多面的に示
すなかで海外投資の政治経済学を構築することがでぎるのでは
あるまいか︒R・ギルピンの場合は︑中枢と周辺︑つまり先進 国と途上国との関係で海外投資を問題にしているのである︒一
九七〇年代から活発に展開された先進国相互間の海外投費行動
をも明確に位置づけるべきであった︒一九六〇年代のアメリカ
多国籍企業の対西ロ!ロッパ直接投資活動︑一九七〇年代のE
C系多国籍企業の対米直接投資活動などをみると︑資本の相互
浸透がいかに活発になったかを知るのである︒この相互浸透を
みるかぎり︑先進国の多国籍企業は︑部分的寡占的優位性をも
つこと︑工程の技術革新︑優れた品質︑資本調達力︑高い利潤
率︑寡占報酬などをめざして︑投資活動を試みる︒この点にお
いては︑多国籍企業は︑世界市場支配をめざして︑激烈な企業
間競争をもたらす︒R・ギルピンは︑﹁海外投資の政治経済学﹂
の﹁まとめ﹂のところでこういっている︒
﹁海外投資は︑中枢から周辺へ工業力の立地が移動する主た
る原因ではないが︑それはこの傾向に拍車をかけもするし︑中
枢の産業基盤を再建しようとするどんな努力をも究に帰せしめ
がちなものである︒海外投資は資本の所有者(金利生活者や多国
籍企業)に恩恵を施すが︑それは労働者階級や中枢の産業上の
地位の犠牲においてである︒したがって︑短期的には︑海外投
資は中枢に力を加えるかもしれないが︑中枢の相対的衰退に対
する長期的解決を妨げるという危険をおかすのである︒それゆ
えに︑中枢の産業や政治の力という見地からみれば︑海外投資
(15)戦略を疑間とするのも当然なわけである﹂という︒
ここでは明らかに海外投資戦略は︑短期的には︑自国に利益
を与えるが︑長期的には︑不利益を与えるという︒のみならず
商 経 論 叢 第20巻 第1号 194
海外投資は︑資本家にとっては蛸恩恵を施すLが︑労働者階級
や他の産業に対しては利益を与えないという趣旨に基づいてか
いている︒他方︑ギルピンは︑海外投資と権力との関係をこう
かいている︒﹁国家同士相競う世界では︑権力が究極的には産
業基盤に立脚しているものだけに︑海外投資は中枢の不利に帰
するような権力の再分配に寄与するものである︒同様に重要な
のは︑投資家は海外収益や資源や︑その他の利益のためには︑
現地政府にますます依存するようになることである︒衰退する
中枢の︑台頭する周辺へのこのような依存は政治的衰弱化の基
因となる︒また海外投資は国際緊張を激化させることができ華と・
ここでは︑国家権力と海外投資の関係を︑国内的性格と対外
的性格との関連で論じている︒海外投資は︑国内的には︑権力
の再分配に寄与するが対外的には︑現地の資源.現地工場での
採算性を維持し︑確保するために︑現地政府権力に依存すると
いうのである︒
こうしてみると︑海外投資を担う多国籍企業とは︑国民経済
の制約を離れて︑世界市場を求めて︑生産︑流通︑分配の全活
動を展開している企業であるといえる︒したがって︑多国籍企
業は︑国民経済に寄生し︑同時に︑国民経済を犠牲にしつつ︑
世界経済における︑通貨︑貿易︑為替︑市場︑価格︑資源を︑
みずからのものとするための支配力を発揮する企業体であり︑
一国レベルの権力で規制できない︑怪物的性格をもった企業で
ある︒もちろん私たちにとって重要な課題は︑先進国︑途上国 の市民生活の利益に立って︑多国籍企業の寡占的支配を規制す
ることにある︒この点が八ノ後の課題となるであろう︒
②多国籍企業の規制問題
ここで敢えていわなければならないのは︑戦後の世界経済は︑
多国籍⁝企業の支配によってのみ動いているのではない︒各国の
国民経済の基本は︑住民の生活と福祉に調和した産業の発展を
志向しているのである︒ところが多国籍企業は︑国民経済の福
祉への頁献よりも︑世界市場とくに途h国の市場支配に狂奔す
る行動様式をもっている︒だから問題なのである︒アメリカ系
多国籍企業にしろ︑EC系多国籍企業にしろ︑日本系多国籍企
業にしろ︑世界市場をめぐる競争において勝利することをめざ
している︒動機はすべてそうである︒それが寡占企業の論理な
のである︒だが︑結果は︑現地の経済に一方で寄与しつつ︑他
方で︑それを踏まえて収奪の論理を貫徹する︒ここに問題が発
生する︒この多国籍企業の剰余価値増殖行為が︑現地の国民経
済を混乱におとしいれたり︑世界経済を掩乱させるとすれば︑
国民経済を担っている市民にとって重大問題である︒そうだと
すれば︑必然的に︑多圏籍企業の世界市場支配︑国民経済支配
に対する国際的法規制を定める以外に方法はないであろう︒
この点で︑一九八〇年一二月第三五回国連総会は︑非産油発
展途上国の要請に基づいて多国籍企業に対して︑一方的な市場
支配を規制するために︑﹁制限的商慣行に関する原則とルール﹂
を採択した︒このルールは︑アメリカ︑イギリス︑西ドイツ︑
世 界 経 済 と多国 籍 企業 の主 要 な 問題 点 195
フランス︑日本などの先進国の多国籍企業の活動が発展途上国
の貿易拡大や経済開発を妨げているので︑新しい規則を作るぺ
きであるというのである︒これは︑当然の要請である︑そのル
ールとは︑輸出入価格を固定する協定︑多国籍企業間での談合
入札︑市場割当などを禁止すべきであるというのである︒たと・兄ば︑アメリカ企業が一次産品を買いつける場合︑買いつけ価
格や数量を多国籍企業経営者同士で話し合うことを規制すぺき
であるというのである︒この点は︑本研究ノートの終りで検討
したい︒
こうしてみると︑国連の次元で︑多国籍企業の支配力︑とく
に国民主権までを規制する支配力をコントロールすべきなので
ある︒
市民次元で︑国民経済︑世界経済のあり方を考え︑多国籍企
業を︑現地の福祉の目的に即して規制すぺきなのである︒
国民経済と世界経済の関係は︑現代の米・ソを中心とする軍
拡競争を規制し︑世界経済とくに非産油発展途上国の生活水準
をあげるような世界経済政策を展開すべぎなのである︒私の提
言のひとつはこうである︒現地での多国籍企業の利益の一〇銘
を︑現地の福祉の財源に寄与すべき法規制をすることである︒
現地の経済発展の基準を福祉中心の政策に体系化すぺきなので
ある︒
三 改 め て 多 国 籍 企 業 論 の 問 題 点 を 考 え る
ωアメリ力多国籍企業の増大と地球企業の論理 日本の経済学会で︑多国的企業論が︑大ぎな課題となったの
は︑"九六〇年代である︒
それはアメリカ系多国籍企業の積極的な西ヨーロヅパ商接投
資の展開の中に示された︒それは︑アメリカ多国籍企業による
西ヨーロッパ成長産業への直接投資の急増となって現出した︑
アメリカの臣大資本は︑西ヨーロヅパにおける市場支配を試み
るために︑かなりの直接投資をおこなったのである︒それはア
メリカの巨大企業の外国における生産活動として表面化した︒
アメリカのヨーロッパへの直接投資は︑一九五七年に輔六〇億
三千万ドルであったのが︑一九六六年には二九〇億六千万ドル
に上昇している︒ついでだが︑一九七〇年代も上昇し続けてい
る(表‑)︒その特徴は︑アメリカ国内での商品の生産活動を踏
ま・兄て︑ヨーロッパ︑その他の国で︑生産︑販売活動を通じて︑
極大利潤を獲得することにある︒従来のアメリカ国内での商品
生産よりも︑現地での生産活動ならびに販売活動を通じて︑国
内よりも高利潤をあげることができるからである︒そのために︑
アメリカ多国籍企業は︑技術独占による価格政策を展開した︒
さらに多国籍企業特有の振替価格(欝蕊惹ヨ6駒蕗)の設定を通
じて︑高収益をあげる方式を採用したのである︒
アメリカ系多国籍企業が︑世界市場を対象として︑みずから
の投資.生産・販売活動を展開するということは︑資本の蓄積
の強化と結びついている︒たとえば︑現地で獲得した収益や技
術特許料︑株式配当︑利子を本国に還流することや法人税の低
い国に資金を集中したり︑現地企業を買収したり︑さまざまな
商 経 論 叢 第20巻 第1号 196
ア メリカの対外直接投 資 表L
(%)
1970 1975 ]976 1977
1962 1966
1957
(10億 ドル)
1
ナ タ 34.1
?5.2「37.2154.7178.2t124・2136・4い48・8
1
32.1 iV.J
7・1i
lo.訓
̲1
32.6 25.4 24.O G.7 1L3
31.1292
11:G1831:1 6.916・5
17.5i14・0
31.7 i5.7 9.5
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21・8i22・2121・1
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S酬 の,ofCurrent励 ・吻 鶴wi。 ・・i・・ue・・ よ り 作 る ・
企業経営
政策を通
じて資本
蓄積を展
開する︒
多国籍企
業を金融
面で補完
するのが
多國籍銀
行の存在
である︒
両者の
関係が︑
どのよう
に株式所
有︑融資
閃係︑人
的関係の
結合をも
っている
かを検討
するのも
重要な課 題で匁59二九七八年の菌連報告﹄による先進国の舞直
接投資の諸指標をみると︑先進国間の対外直接投資は増大し︑
七〇年代になって資本の相互浸透が強くなっている︒このこと
は︑六〇年代のアメリカ系多国籍企業中心主義から︑米.欧.
日の資本の相互浸透主義になっている︒もちろんアメリカ系企
業は︑世界経済の景気後退過程の中でも︑若干の撤退を余儀な
くされ塗だがかなり優れた力暑もぞいる︒この点は誰も
否定しないであろう︒この点で︑すでに︑R.パーネヅトとR
:ミュラーは︑多国籍企業の特有な行動様式を﹁地球企業と経
営者﹂﹁地球企業と開発﹂﹁地球企業と国益﹂の問題点として実
に詳細に分析している︒彼らは︑多国籍⁝企業を地球企業として(19)位置づけ︑次のように指摘した︒
﹁地球企業は︑経済生活の三つの基本的資源︑生産技術︑金
融資本︑マーヶティングに対する支配を通じて︑世界の政治的
経済を変えつつある︒生産の国際化は︑世界の財およびサービ
ス(世界総生産)の多くが次第に多くの諸国で生産され︑生産
工程がますます国境を無視することを意味する︑一個の時計や
一台の車︑一枚のシャツでさえ広く分散した地域で作られた各
種の部品・材料を含むことになろう﹂と︒そしてハワード.パ
ールムッター教授の定説をこう引用する︒二九八五年までに
は︑二〇〇〜三〇〇社の地球企業が非共産圏世界の全生産資産
の八〇%を支配することになろうと推定している︒﹂﹁もっと控
え目な予測でさえ︑驚異的なものである︒アメリカ商業会議所
のエコノミスト︑ジャド・ポークは︑二十世紀末までには︑