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世界経済論研究の主要論点について

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(1)

研究ノート

世 界 経 済 論 研 究 の 主 要 論 点 に つ い て

ー と く に 森 田 桐 郎 編 ﹃ 世 界 経 済 論 ﹄ の ﹁ 世 界 シ ス テ ム ﹂ ア プ ロ ー チ の 構 造 と

問題点についてーー

清 水 嘉 治

161

一 ま え が き

森田桐郎氏は︑去る四月二四日︑病魔と闘いつつ逝去した.六農であった・彼は・箭・わたくしに﹁﹃世界経済論﹄をまとめたいのであるが大変な魑である﹂と乏もらしていた・彼がこのδ年間・もっとも精力的に研究していたのは︑現代世界経済の編成と国際労働移動Lの問題であった・それは充九輩隻部省の科学研究費補助金の研究成果墾口薫.﹃国際合移動・労男移動に関する統計資料Lをまとめ・その研究代表者として国際労働力移動に関する研究の婁性を強調していたことでも明らかである・彼は︑国際労働力移動に関する研究の第天者であり︑その蔑な研究は定評があり・蟹されていただけに︑このたびの急逝は惜しまれる︒ただ哀絶の念にかられるのみである︒

(2)

以下・このト年間の彼の嚢業績をみると︑一九八七年に編著として﹃国際労働力移動﹄(東京大学出版会)を

公刊し・九四年には﹃国際労働移動と外国人労働者﹄(同文舘)を発表している︒いずれも共同研究である.一

方 彼 は 二 九 八 八 年 に ・ 木 前 利 秋 と の 共 同 論 文 ﹁ 資 本 の 国 際 化 . 新 国 際 分 業 ︑ 鼻 労 働 市 場 ω 三 経 済 学 論 集 ﹂

(東京大)五三巻・四号・さらに九〇年︑単独で︑同じタイトル佃﹃経済学論集﹄(同右)五六巻︑亘勺を発表して

いる・いずれの作品も・きわめてユ†クな薪世界システムL論か・りのアプロ←としての﹁鼻経済論﹂

こうした共同研究の成果に立って︑一九九五年編集した労作が︑﹃世界経済論1︽世界システム︾ア.フロー

チー﹄(ミネルヴァ書房)である︒

二森田桐郎編﹃世界経済論﹄のねらいとは何か︒

なによりもまず・彼はなぜこの本を編集したのか︒そのね・りいを簡単に紹介する︒

彼は二九九〇年前後に集中して起った蓮・東欧における﹁社会義﹂体制の解体によ.て東西冷戦対凱

が終わり召由義的民主義と市場経済の勝利が明・りかとなり︑それを超えるよ・つな思想や制度はあり得な

いことが証明されたのであるから・いまや歴史は終ったのであり︑もはや大峯窯[くべき問題は消滅した︒

今後に残されるのは思想とは無縁の経済的計算や技術的問題だけだ︑といっち口説とムードLに対して厳しい

批判をしている・この背景には︑九・箭後の﹁社会義﹂体制崩壊に対して︑社会義は敗退し︑資本義

が勝利したというムードへの批判がある︒

現代世界において・根底的な解決を迫っている深刻な問題が消滅したといえるであろ・つかLと設問し︑現代

(3)

163世 界 経 済 論 研 究 の 主 要 論点 にっ い て

の世界の体制のあり方︑とくに貧困と不幸に直面している第三世界の数卜億の人々のことをどう考えたらよいのか︒また}﹂.つも問いかけている︒百由な墨義の体響をもって任じている高度工業諸国の社会状態は・

歴史の最高の到達占{といわれるのにふさわしいものであろうか.いや︑そうしたことよりもむしろ・生物としての人間の生存麟である自然環境を傷つけて顧みない現代文明は︑それこそ人類史の終わりを招き寄せてい

るのではないだろ.つか︒Lと訴え︑同時に二〇世紀を彩.た﹁社会義﹂の実験が・﹁真に人間的な社会を形成する)﹂とに失敗したのはまぎれもない婁であるか・り︑既存の公式を繰り返すだけでは未来への展望をつることはできない︒全く新しい飛躍が要求されている﹂のだと静かに強調する・}﹂.つした世界の構造を経済の面かり認識するための﹁基本的な視角を提供しようとする﹂と}乞に妻のね︑bいをおいている︒とくに労働の鼻的連鎖の讐を明らかにしたいとい・つのである・従来の鼻経済論が国

家間の経済関係︑灌の推移といった問題や情報と金融のネζ7クに関心を集中してきたのに対し・﹁労働本位制﹂に立って世界をみるという観点を強調した点に本書の独自性がある︒

芳奎田は︑▼﹂れまでの鼻経済論に登場してこなかった労働運動・都市農村・女性・環護壊などの新しい問題群を﹁鼻シス}アム﹂の視占{か︑b取扱.ているだけで夢︑他方で︑国際分業・貿易肉際投資.国際通貨などの問題群を組み入れ︑教科書としてユ〒クな構成をしているといってもよいであろう・

蛮臼は文字通りの月並な薮製日Lではない︒従来の配界経済論Lに対する独自な理論展開を示した鼻経済論である︒

では︑本書の主要構成をみてみよう︒

篁章総論ー世界経済の構造と変容(執筆者︑室井義雄)

(4)

第二章国際貿易の伝統理論(野口旭)

第三章伝統的貿易理論に対する批判的潮流(森田桐郎)

第四章世界経済の︽中心1ー周辺︾構造(森田桐郎)

第五章資本の国際化11国際投資と多国籍企業(森田桐郎)

第六章労働力の国際化i国際労働力移動‑1(竹野内真樹)

第七章世界経済における貨幣‑国際通貨と国際金融t(尾上修悟)

第八章世界経済における都市ー資本による都市形成〜(松川誠こ

第九章世界経済における農村i統合される第︑︑︑世界農民ー(前田邦彦)

第δ章世界経済における女性t資本義の展開と女性労働‑(久場嬉r)

.一(平)

第三章世界経済と環境破壊‑市場の世界化と環境破壊(小野塚佳光)

以上・問題群を秘めた個性的な世界経済論の構成である︒では轡返していうが︑﹁教製口﹂といわれる奎[

は・従来の平板な広く浅く叙述した世界経肇細の教科書では努︑従来の世界経済論に対する挑戦的問覆起

を示した理論分析中心の﹁教科書﹂であろう︒したが・て︑世界経済論に対する警な問題群を提出している

ので・ここにその嚢部分を紹介し︑同時に新しい問題点を示したいものである︒}﹂の占⁝でも森畏に教え︑り

三 世 界 経 済 の 構 造 と は 何 か ︒

篁は・世界経済の構造と変容における伝統的国際経済学への批判の中味である︒従来の多くの国際経済学

は・社会的毘産の自立的な単位としての﹁国民経済﹂の存在を前提として国家間の﹁国際的﹂な経済関係の

(5)

165世 界経 済 論 研 究 の 主要 論 点 につ い て

理論的把握の方法を取.てきた.例えば︑比較生産費説に袋される伝統的貿易理論においては・同質の経済警をもち︑厘の発展水準に到達している二国(または姦国)が曹m交換を行うことを想定した理論であり・}︑れを批判する︒さりに従来の国際資本移動論や国際労働力移動訟智薗民経済L姦立の分析単位とみなす

点において伝統的貿易理論と同じアプロ≠を採用しているという.その例として独占段階における国民的利潤率の糞を資本輸出の展的条件とみな三資本過剰論L︑労働力移動の萬を国民的賃金水準(ないし所得機会)の肇への個人の反応に求めるコブッシュ臼プル理論Lなど(本書︑・→ジ)が示されている・本章蟄者である室井義雄氏は︑▼︑の国民主体の国際経済の限界を指摘する︒すなわち篁は・国民国家自体が充世紀ヨ﹁ロッパとい.つ﹁特定の時間と空間において出現した︑特殊歴史的なものである‑ ・この国民国家には・雨家民族﹂と﹁少整族﹂とが存在し︑﹁;の援︑;の言語︑;の国家﹂という西欧型のモデル自体が虚

構ではなかったかという批判である︒

第二は︑国民経済Lは︑棄的に百立した独立の存在ではありえないL︒それは・﹁世界﹂という総体性の中のサブシステムにすぎないという︒

第三に︑独立した薗民経済Lを前提として国民経済相互の関係を分析することに終始しては・﹁世界﹂の全

体馨の認識をできないとい・つのである.現実そのものを歴史的に記述することが国際経済学の課題ではな

いが︑理論的抽象の出発点は︑41工業的地域をも含む﹃世界﹄全体の現実的構造でなければならないであろう

(三ページ)﹂という︒

室井義雄氏による伝統的国際経済学への批判の中味は︑以去ように笙点が国民経済相互関係としての国際経済関係設定惹アルの限界にあり︑第二点が薗民経済﹂それだけで警の存在ではないということにあり・

(6)

第 三 点 が ・ 伝 統 的 国 際 経 済 関 係 は ︑ 資 本 義 的 に 発 展 し た 棄 諸 国 相 互 の 関 係 の み に 解 消 さ れ て ﹁ 世 界 ﹂

の全体的構造をみていないという点にある︒

もちろん・現代の時点からみれば︑伝統的国際経済学の理論は︑一面で︑指摘されるように﹁限界﹂である

いても﹁資本義的国民経済﹂を対象としていたし︑雨における商品の生産︑分配︑流通の循環システム︑

菌内における再雀構造の分析と外国貿易との関連性を追求していたのではなかうつか︒マルクスの場A口に

・り'フ

先進資本義諸国は・芳で国内の個別栞が極大利潤を求めて外国市場へ進出し︑他国と商.⁝市場をめぐ.

て争奪戦を展開したことは自明のことであり︑国家は︑国益の蕩︑または国家権力の利益の蕩か.b自国資

本を政策的に誘導し・同時に個別資本も国家の政策を利用しつつ︑自己の利益に狂奔した}︑とも歴史的事実な

のである・したがって伝統的国際経済学は︑外国貿易︑外国投資を通じて国家間の経済関係のあり方︑メカニ

ズムを分析した点にその特徴的性格をもっていたし︑﹁世界﹂の全体構造の認識は不レ分であった}﹂とはい.つま

でもない・独占段階においては︑先進国の帝国義的市場支配を中心に︑金融資本︑寡占的資本が極大利潤を

求めて従属国の原料独占・市場独占を強制した}しとも歴史的妻であり︑資本輸出が商・即輸出と並行して擁

的に展開されたことも歴史的事実であり︑したが.て国民経済は︑それぞれの国民服を身につけた自国の個別

資本の対外進出を通して市場獲得を志向した︒このことは︑当時の先進各国の支配資本の行動パターンであり︑

したがって当時の支配的資本による市場獲得の︑市場再分割の競争を志向した点を踏えて﹁世界市場﹂の支配

関係のシステムを究明すべきなのであって︑それを園民経済L間の貿易︑資本の均衡論の分析に終始した}﹂

(7)

世界 経 済 論 研 究 の11要 論 点 につ いて 167

とは︑伝統的国際経済学の限界であ.たというべきであろう︒したがって国民経済の対外膨張または拡張政策

の一環としての﹁世界市場﹂分析を重視すべきではなかったか︒

ところで室井氏は︑﹁国民経済﹂が世界経済の﹁理論的出発点﹂たりえないので︑エマニュエル・ウォ!ラス

ティンの﹁鼻システム論﹂に求あている︒ウォー三ティンは︑﹁社会変化を研究するための理論的な分析単位を︑個々の政治的.文化的単位そのものにではなく︑多数の政治的支化的単位を内包してはいるが単一の

分業関係の下にある﹃鼻経済﹄に▼﹂そ求めるべきであるL︑皇張している(‑︑‑四ページ)・だが本害におけ

る世界経済論分析は︑ウォーフステンの苓体構造﹂とその変容過程の認識を躍凡つつも・鼻経済の成立時

期をウォーフスティンのよ・つに天世紀に求めるのではなく︑商人資李体の曹嬰禦展開した=ハ世紀以

降の時期を﹁世界経済﹂の形成過程とすべきだという点と︑弼界経済Lを規定する生産様式を里のそれでは

なく︑複数の生産様式に求めるべきであるという︒

そ の 聖 産 様 式 L と は ︑ 天 間 生 活 の 物 質 的 諸 条 件 と 人 間 相 互 の 諸 関 係 を 崖 し ︑ か つ 再 崖 す る 社 会 的 生 産

過程の在り方Lを示す範躊である(五→ジ)︒そうだとすれば︑資本制生産様式を他の様式から区別する独自な

ものは︑資本が︿労働力の商品化﹀を基礎として︑社会的再生産のあらゆる諸契撃﹁商品・貨幣関係﹂を通じて自己の価値増殖.落運動に包摂しよ・つとする・・だある(同右︑奏←)という︒そして資本制生産様式

は︑示商︒翠産︑労働力康産の場としての豪族制Lなど︑さまざまな斐本義諸関係と接合しつつ・それ︑りを包摂しているので﹁資本制生産様式﹂と﹁資本主義﹂を区別している︒この蚕本嚢Lを習本制生産を基軸として様々な41資本制的諸関係を包摂・統合し︑統爾な分業体委形成している鼻的な経済シ

ステムLとして規定している(六ぺ←)︒したがってこの再界経済﹂は構藷連関の中にあって﹁支配提

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属﹂︑﹁宗主国‑植民地﹂︑﹁資本制‑非資本制﹂あるいは﹁西欧‑非西欧﹂という複数の対立軸の重なり合いに

よって構成される複合的構造をもつものとして形成され︑また歴史的に展開してきたのであるという︒

いうまでもなく・資本主義世界経済は︑さまざまな生産様式を包含し︑複雑な分業体系で構成されることは

いうまでもない︒このことはすでに多くの歴史学者も指摘した通りである︒資本主義世界経済は︑単純に社会

主義世界経済と対峙して論じても余り意味がないし︑資本主義世界経済というからには︑歴史的発展段階とし

て社会主義経済を想定しているのかどうかウォーラスティンの所説では不明確である︒また世界経済を中心と

周辺というポーラリゼーションー1両極化に分解するのも︑あまりにも単純な考え方ではなかろうか︒中心部自

体の中の集中と分化︑統合と再編と周辺部自体の集中と分化︑統合と再編もたえず考察の対象にすべきであろ

う︒もちろん︑中心と周辺との中間項を入れて考察もしている(第四章)が︑ここでもその連関性を示すべきで

はなかろうか︒

一方・現代世界の特徴は︑﹁自立的な﹃国民経済﹄の間の対等な国際経済関係などではなく︑多国籍企業の企

業内分業を槙桿とする﹃生産の国際化﹄であり︑あるいは︑無国籍を特徴とするユーロ市場の発展にみられる

ような︑様々な局面における相互関連の一層の深化であり︑その過程における︿中心‑周辺﹀間格差の累積的

拡大である(六ページ)というふうに世界経済を単純に特徴づけられるのであろうか︒わたくしなりに主張する

とすれば︑当時と地域経済・国民経済・世界経済の連関性を理論的に整理すべきではなかろうかと考える︒

現代世界経済は︑一方で先進国︑中進国︑途上国︑最貧国が存在し︑他方で︑国連未加盟国の地域群も存在

し︑全体として様々な生産様式を選択し︑生存し続けている︒現代世界経済は︑一方で世界市場経済を前提と

した先進資本主義諸国間の競争︑先進国内部の経済格差の克服︑先進国と中進国との経済格差解消の競争︑先

(9)

世 界経 済 論 研 究 の 主要 論点 に つ い て 169

進国と途上国︑最貧国との経済格差の拡大の克服という大きな課題を担っている︒単純な中心と周辺︑先進国

と途上国との経済格差の拡大︑富と貧困の拡大傾向をどのように具体的に克服するかが大きな課題であり︑中

心部による周辺部の搾取︑収奪の強化の実態を指摘しただけでは解決できない課題が残っている︒世界経済に

ついての実証分析︑理論分析︑政策分析の三位一体化の研究が必要ではあるまいか︒

四 ︽ 中 心 ︾ ︽ 周 辺 ︾ の 論 理 と 課 題

︽中心ー1周辺︾構造論は第四章で詳細に展開されている(一〇四ー一.↓.六ページ)︒この章では︑一九四八年に

発足したECLA"(国連ラテン・アメリカ経済委員会)のもとで︑五〇年代ラテン・アメリカの工業化が進んだ

が︑大衆の生活水準の改善にはならず︑窮乏化が進んだことを背景に従属論が紹介されている︒とくにA・

G.フランクが出版した﹃ラテンアメリカにおける資本主義と低開発﹄(一九七六年)が取り上げられ︑その核心

は︑周辺部社会の︽低開発︾は︽中枢︾の経済発展と不可分の相互関係にあり︑低開発の発展は︑中枢の発展

と関連性をもっているというのである︒このこと自体の説明は︑従来も指摘されてきたように思う︒

︽中心︾1︽周辺︾間の経済関係についてウォーラスティンは﹁国際貿易﹂に替えて﹁商品連鎖﹂(8ヨヨaξ

合巴ロω)というコンセプトを導入すべきだという︒それは一つの最終消費品目を取上げ︑この品目に至るまでの

一連の投入(貯℃鳥)f先行の様々な加工作業︑原材料︑輸送機構︑素材加L過程への労働投入︑その労働者

への食料の投入等を辿って(一一八ページ)みると︑その連結した一連の過程を﹁商品連鎖﹂と呼んでいる︒

森田氏は︑この﹁商品連鎖論﹂の意義をわたくしなりに要約すると次の三点に求めている︒

第一に︑商品連鎖は周辺部から中心部へ向う特徴があるということである︒商品連鎖を生産物の流れからみ

(10)

ると︑第一次原料生産(自然に直接依存する生産活動)に特化した︽周辺︾から主要な工業立地点である︽中心︾

へ向かうのであるが︑他方︑最終製品から第一次原料にいたる生産物連鎖を逆にたどるならば︑そのパターン

による連鎖のそれぞれの環は︑最終製品の側から規定されるという︒

第.一に︑最終生産物から遡及して原料にまで及ぶ﹁商品連鎖﹂をみると︑高度の技術を活用し︑資本集約的

で︑かつ相対的に高賃金の熟練労働を使う生産分野と︑低技術で︑労働集約的で不熟練労働によって展開され

る生産活動とが存在することを前提に世界システム論を展開し︑高技術・資本集約的熟練労働の生産部面を巾

核的生産活動と呼び︑低技術・労働集約的熟練労働の生産部面を周辺的生産活動と呼んでいる︒商品連鎖論は︑

森田氏のまとめによれば︑﹁世界的規模でのこの連鎖の各局面における生産活動の性格から︽中核︾部分と︽周

辺︾部分という経済圏の存在を明らかにするのである﹂(一二〇ページ)︒さらに森田氏は︑世界システム論が﹁中

核﹂と一周辺﹂の両極に分化することの単純理解をいましめるために︑両者の中間に位置する㎜半周辺﹂(︒︒Φヨ㍗

oΦ言ぴΦ曙)という範疇を設定する︒﹁それは︑経済的には中核的生産活動と周辺的生産活動とをあわせ持ち︑︽中

核︾に対しては周辺的生産物を輸出し︑︽周辺︾に対しては︑中核的生産物を輸出する︒﹂この点は説得的であ

る︒第一章の内容を一歩前進させている︒

第三に︑商品連鎖とは労働の連鎖であると特徴づけた点は︑従来の世界システム論より一歩前進していると

いわなければならない︒とくにフランクの理論を克明に分析し︑その限界を明らかにしている(一一.]1].∵︑

ページ)︒とくに︑周辺の低開発を生みだす原因として強調されていた﹁経済余剰﹂の流出・移転である︒P・

バランの所説を踏えて﹁世界資本†義の独占的構造﹂によって経済余剰が﹁巾枢﹂に移転・吸収されるという

議論を展開したこと︑だが﹁世界資本主義の独占的構造﹂とそれによる余剰移転のメカニズムについて必ずし

(11)

もト分な分析を与えなかったという︒この理論的空白を埋めるものと評価されるようになったのが︑エマニュ

エルの﹃国際的不等価交換論﹂である︒森田氏のエマニュエルの所説の展開は︑きわめて説得的である︒そし

てエマニュエルの﹁巾心﹂と﹁周辺﹂間の不等価交換論は︑両者間に賃金と剰余価値の格差が存在するならば・

当然︑交換の不平等が生じるという考え方である︒

五 資 本 の 国 際 化 の 論 理 と 問 題 点

世界 経 済 論 研 究 の 主 要 論点 に つ い て X71

次に資本の国際化の章では︑﹃資本論﹄に依拠して論理を展開しているのが特徴的である︒例えば流通過程の

国際化を資本循環の国際化の第一形態に求めていること︑生産過程の国際化を第二形態に求めていることなど

である︒資本室義世界経済下の国際貿易とは︑﹁単なる商品流通ではなく︑産業資本の循環諸局面のうちの流通

過程(G‑W︹PM︺及びWーα)が国民国家の枠を超えて展開しているものである﹂(一三七ページ)︒この定義で

は︑産業資本の国際循環のために商品流通があると解釈されている︒もしあえて﹃資本論﹄に依拠していえば︑

生産資本の循環︑流通資本の循環を通じて商品流通が鯖されるわけである︒現実的には︑曹⁝の国際的販売

と購買︑資本輸出(産業資本︑商業資本︑銀行資本︑証券資本︑国家資本)の国際的循環をトレースすることによっ

て資本の国際化の運動を考えるべきではないかと︑わたくしは考えている︒

﹁資本の国際化﹂について整理しておくと︑第一にラグナー・ヌルクセの﹃国際移動論﹄・カール●イヴェル

センの﹃国際資本移動理論の諸側面﹄が国際資本移動論のまともな理論分析であったという︒森田氏によると︑

薗 際 資 本 移 動 は ︑ 資 本 的 瞳 男 と し て の 貨 幣 の 国 際 的 移 動 ︑ 貨 幣 制 度 を 異 に す る 国 家 間 で の 貨 幣 の 貸 借 と 把 握

され︑それは利子率の差異によって生じるものと考えられた︒さらにわが国でも資本輸出論の展開の有力な議

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論の典拠とされたR・ヒルファディングの概念が紹介されている︒とくに機能資本の﹁輸出﹂︑一産業資本﹂の

﹁輸出と利子生み資本﹂の輸出の・一形態は︑区別されて整理されている(一四〇1四一ページ)︒この点は︑すでに

様々な形で論じられてきたので省略する︒基本的問題は︑商業資本︑銀行資本︑産業資本の各輸出の形態分類

を踏えて・現地においてどのような具体的メリットとデメリットを与えたのかの分析が必要ではあるまいか︒

機能資本の本性と形態を総合して分析することによってそれは可能となるのではないだろうか︒この点︑私た

ちに残された課題であると思う︒

ハイマーの直接投資論(の﹄・ξヨ︒︻為7巴艮巽コ山ぎ口巴O℃興豊︒屋︒h密け一8巴距舅ω"﹀︒︒醗¢身︒hU一﹃Φ︒葛︒﹃Φ一αq口

ΦΦζω︒︒.qQ︒.BΦh

O9・℃冨r即甲O︒7魯Φε一.Φαの'遍9ζ三ぎ巴8巴Oo壱o﹃きo﹃寄α冨一︾Oo8餌9h勉ヨげ﹃置ひq︒Oゴ陣く①﹃ωξ℃りΦのω﹂㊤刈り・

宮崎義一訳︑前掲書に収録)は︑次の四点で限界であるという︒第一にアメリカの海外進出企業の現地における資

金調達を説明できないこと︑第二に︑資本の相互交流︑特に直接投資の相互現象を説明できないこと︑第三に︑

現代の直接投資の担い手のほとんどは︑個人でも政府でもなく︑企業であるから︑それは国内活動と結び付け

て考えるべきであり︑証券投資の理論で説明できないこと︑第四に利子率の差異に基づくものなら︑投資は特

定国の全産業に対して行われてしかるべきであるが︑実際は直接投資は一部の産業に集中し︑かつすべての国

に対して行われていること︑以上である︒最終的にハイマーは︑ある国の企業が︑外国の既存企業ないし潜在

的競争企業に対して独占的優位性を有する場合︑この優位性の利用によってより高い利潤を得る︒このことが

海外経営を行うための直接投資の動機となる(]四〇ページ)と要約している︒

では・ハイマー理論は何を問題にすべきなのか︒資本輸出論は︑先進諸国間︑先進国と中進国間︑先進国と

(13)

173世 界 経 済 論 研 究 の主 要論 点 につ い て

途 上 国 間 に お け る 民 聞 企 業 の 直 接 馨 ︑ 民 間 企 蕎 の 相 互 投 資 ︑ 直 縫 資 の 担 い 手 と し て の 多 国 簗 業 の 行 動

様式などの実証分析を通して︑理論化を試るべきではないだろうか︒

ハイマーは︑万で先進国の多国籍企業の海外進出については重厚な分析をしているが同時に・直接投資先の現地経済の雇用︑賃金などでどのよ・つなメリッ巻発揮しているのか︑さらに中進国・途上国の先進国の企

業の覆投資の受け入れシステム︑条件などの分析が不充分なのではないか︒例えば・最近の事ジア・歯など先進国の直接投資を畠の自謹済に適用している}芝︑内発的発展に活用している実態をどのように評価すべきなのか︒ハイマあ理論分析に欠落している点を究明すべきではなかろうか・芳︑ヴ.ーノンの理論︑世界経済における多国籍傘の婁性︑企業内国際分業・資本の国際化の段階的発展を重厚に整理している点は学ばされる︒ヴ・)ン︑ハイ了の先進国の支配資本の相手国での役割を・現地の法制度︑現地の諸〒ズ︑地域経済の活性化と環境悪化との関係︑開発と自立に対する資本の国際化をどのように理論化するかを︑今後私たちの課題としたい︒

六新世界経済論における新しい範瞬

第六章の﹁労働力の国際化﹂も鼻システム論の環として婁な意義つけを行っている・ここでは遍代世界シス一アムと移民Lの問題が取り上げりれ︑次に雨際労男移動の諸類型Lを示している・菌際労働力移

動はグローバルな労働供給シス一アムの一形態であるL(石・チジ)という罵又け止め方を前提に・その特徴や機能は︑世界的規模での資本蓄積の不均等な展開︑それに対16した国際企業構造との関連で位置づけられている・笙類型は︑周辺部への労働力輸入であり︑これは周辺部における輸出向け生産と関連している・第二類型は・

(14)

周辺部の資本蓄積と結びついた労働力流入であり︑それは周辺部における工業化の急速な発展と︑それに伴つ

蓄積の進展による労働力需要の増大が︑移民労働力を必要とするケースである︒第三類型は︑中心部における

資本蓄積の著しい進展によって引き起す労働力輸入である︒第四類型は︑中心部において労働に対する資本の

支配を維持することに︑より直接的に結びついた労働力輸入である︒こうした四類型は︑S.サッセンの﹃労

働と資本の国際移動﹄(奮桐郎ほか訳︑岩婆居︑冗為.年)に依拠して整響れている︒第六章の執筆者は竹

野内真樹氏である・竹野内氏は︑資本義世界システムにおける国際分業構造に焦点をあててサッセンの議論

と・外部社会がこのシステムに統合される過程に注目するポルテス及びボスウェルージョルジャニの類型化の

図式を整理し・=ハ世紀以来のさまざまな国際労働力移動を整理している︒そして第六章の終りの部分で︑﹁世

界労働市場の成立﹂において︑﹁中心部と周辺部とを包摂した重層的なヒエラルヒー構造をもち(一国内部の階層

的労働市場もその一部である)︑賃金の格差その他の労働力及び労働諸条件の差異が︑諸国間︑諸地域間に存在す

ることこそが︑この労働市場の本質的特徴である﹂(・.Q..ページ)という指摘は︑きわめて説得性をもっている

と考える︒

戦後の世界的規模で展開されている資本蓄積に規定された労働の移動と客体をダイナミックに把握すること

は今後の課題であろう・と同時に︑世界経済のグ甲バル化とージョナリズムの進行の中で︑国際的資本蓄

積と地域的労働の再編とをどのよう繕びつけて論じるかも︑重要な課題である︒さ・りに国際的情報化の進展

の中での人間の労働のあり方の問題も改めて考察すべき対象課題になるであろう︒

その他︑本書における﹁世界経済における貨幣﹂の問題︑都市と農村の問題︑女性問題︑第三世界における

開発と貧困︑環境破壊の諸課題についての重厚な分析は︑今後︑世界経済研究者にとって貴重な教訓となるで

(15)

175世 界 経 済 論 研 究 の 主 要 論点 に つ い て

あろう︒

﹁共同研究﹂における森田桐郎氏が残した成果は今後私たち残されたものの課題であり・私自身・彼との立場の相違をこえて︑改めて世界経済の研究に取り組みたいと思っている︒

とくに人間主体︑喪主体の農経済︑国民経済︑世界経済の関連性と新しい政策のあり方を究明していく必要性にかられる次第である︒

森田さん安︑りかに休んで下さい.覚の残した学問的濃は︑わた‑したちの共有の財産になっています・

本当にご苦労様でした︒心から哀悼の意を申し上げる次第です︒

(一九九六年七月.︑.十一日)

凹 ㎜ … 闇蘭聞h…

ド州門胤一

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