ソーシャル・メディア時代のメディア・リテラシー 教育の新たな展開 : プログラミング的思考からア ルゴリズム・リテラシーへ
著者 坂本 旬
出版者 法政大学キャリアデザイン学会
雑誌名 生涯学習とキャリアデザイン
巻 17
号 2
ページ 23‑35
発行年 2020‑03
URL http://doi.org/10.15002/00023234
はじめに
2020年度から小学校の新学習指導要領が実施 されるが、その目玉の一つがプログラミング教育 である。筆者はプログラミング教育についてはす でに「『プログラミング教育』とは何か 教育に おける批判主体の喪失と再生」(2017:92-97)を 書いており、当時のプログラミング教育政策の問 題点を3つのズレとして示した。
同論考で示した一つ目のズレは欧米で使われて いる「コンピュテーショナル・シンキング」と日 本で使われる「プログラミング的思考」との違い であった。二つ目のズレは政府がプログラミン グを導入する契機となった産業主義的な目的と 学校現場で導入が予想されるプログラミング言語
Scratchの開発者の理念とのズレ、そして三つ目
が欧米の教育政策で重視される「批判的」と呼ば れる用語を「主体的」と言い換えることによる教 育理念のズレであった。いずれもメディア・リテ ラシー教育研究に関わる問題である。
本稿は、プログラミング教育の観点から、ソー シャル・メディア時代におけるメディア・リテラ シー教育のあり方に焦点を合わせ、メディア・リ テラシー教育とプログラミング教育を接合する原 理を検討する。そして、今日急速に世界的な注目 を集めているメディア・リテラシーとしてのアル ゴリズム・リテラシーの概念に着目し、日本にお
ける研究と実践のための必要条件を検討する。
1. プログラミング教育とプログラミ ング的思考
メディア・リテラシー教育とプログラミング教 育の関係を考える際に、避けられない問題がコン ピュテーショナル・シンキングとプログラミング 的思考の違いである。すでに広く知られているよ うに、文科省によるとプログラミング的思考とは
「自分が意図する一連の活動を実現するために、
どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つ の動きに対応した記号を、どのように組み合わせ たらいいのか、記号の組合せをどのように改善し ていけば、より意図した活動に近づくのか、といっ たことを論理的に考えていく力」と定義されてい る。
このようなプログラミング的思考概念は、欧米 では使われておらず、日本独自のものであり、欧 米で使用されている用語はコンピュテーショナ ル・シンキングである。コンピュテーショナル・
シンキングには多様な定義があるが、アメリカの 有力団体である国際工学教育学会(ISTE)によ ると、必ずしも限定されないという留保をしつつ も以下のような特徴を持つ問題解決プロセスとし て定義されている。(1)
法政大学キャリアデザイン学部教授
坂本 旬
ソーシャル・メディア時代の
メディア・リテラシー教育の新たな展開
プログラミング的思考からアルゴリズム・リテラシーへ
・コンピュータや他のツールを活用して問題 解決できるように、問題を系統立てる
・データを論理的に組織化し、分析する
・データを抽出し、モデル化やシミュレー ションなどで再表現する
・アルゴリズム思考(一連の定形化されたス テップ)を経て解決を自動化する
・もっとも効果的で有効なステップとリソー スの組み合わせを得るためにとりうる解決 法を見出し、分析し、実行する
・より広い問題解決のためにこの問題解決プ ロセスを一般化および変化させる
ISTEによると、さらに教師は、分解、データ の収集と分析、抽出、アルゴリズムのデザイン、
コンピュータが人々や社会に与える影響など、コ ンピュテーショナル思考の中核に位置づく知識を 教えることが求められる。
一見してわかるように、プログラミング的思考 は「アルゴリズム思考」にあたり、コンピュテー ショナル・シンキングのほんの一部でしかない。
阪東らはプログラミング教育および欧米のコン ピュテーショナル・シンキングに対するより広範 な研究の中で、コンピュテーショナル・シンキン グは「プログラムを考えるプロセスというプログ ラミングに限定的な思考プロセスではないという 点は一貫している」と述べ(阪東他、2017:178)、「プ
ログラミング的思考の考え方は Computational
Thinkingの概念に比べて矮小である」と結論づ
けている(阪東他、2017:182)。
しかし、文科省はプログラミング的思考を「い わゆる『コンピュテーショナル・シンキング』の 考え方を踏まえつつ、プログラミングと論理的思 考との関係を整理しながら提言された定義」(文 部科学省、2016)と述べている。コンピュテー ショナル・シンキングを土台にしつつプログラミ ングに焦点をあてたものであると認めているが、
プログラミング以外の部分については触れておら ず、コンピュテーショナル・シンキングの中核に ある「問題解決」の要素が反映されているとはい えない。文科省の「小学校プログラミング教育の 手引(第三版)」(2020)にはプログラミング的 思考を、意図した一連の活動を実現するための手 順を論理的に考える力として図式化している(図 1)。この図によれば、プログラミング的思考の中 に問題解決があるのではなく、問題解決のプロセ スの一部としてプログラミング的思考があること がわかる。試行錯誤しながら動きに対応した命令
(記号)を組み合わせるプロセスはプログラミン グそのもののように見える。つまり、日本のプロ グラミング教育を海外のコンピューティング教育 と同列に論じるのは必ずしも正しくないというこ とになる。
さらに、プログラミング的思考の定義の曖昧さ 図 1 プログラミング的思考を働かせるイメージ
(文科省「小学校プログラミング教育の手引(第三版)」p.16より)
がプログラミング教育の導入に波乱を巻き起こす 事態となっている。プログラミング的思考はプロ グラミングを前提とはしていない。文科省も前掲 文書で「コーディングを覚えることが目的ではな い」と指摘する。
一方、 黒上と堀田による『プログラミング教育 導入の前に知っておきたい思考のアイデア』
(2017)はコンピュータを使わないプログラミン グ教育のあり方を提案している。黒上は「教科の 学習や日常生活における様々な思考を、より論理 的にしながら、それがプログラミングにも活かせ るようにすることを考えたい」と述べる(黒上・
堀田、2017:7)。また、堀田も「新たにプログラ
ミング体験を行うことばかりに着目するだけでな く、むしろ日々の授業改善の中でプログラミング 的思考につながる論理的思考力を育てるように授 業改善をしようという提案をしている」(黒上・
堀田、2017:15)と述べている。
同書では、プログラミング的思考の要素を順序
(順次)や場合分け(分岐)、繰り返し(反復)の 3つとして捉えて、教科内容や日常生活に適用さ せている。一つの例としてジャガイモを茹でるレ シピを挙げている。このようにコンピュータを用 いない実践もプログラミング教育に含め、考え方 を可視化できるよう自己の考えの筋道を客観的に 捉えることを実践の目的とするならば、それをプ ログラミング的思考と呼ぶ必要もなくなる。
もう一つの論点を挙げておこう。果たして、コ ンピュータを使ったプログラミング体験は日常生 活における問題解決に役立つのかという問題であ る。黒上は前掲書で、プログラミングによって論 理的思考力が身につくという考え方に疑問を呈し ている。考えを論理的に伝えるためには、根拠を 示すことや三段論法、背理法などが必要になるが、
これに対して黒上は「プログラミングにはあまり 関係がない。むしろ、それらができるようになる と、プログラミングにも活かせるというのが実際 だ」と指摘する。そして、「小学校で重要なのは、
考え方を可視化できるように、自己の考えの筋道 を客観的に捉える力を育成しておくことだと言え
るのではないだろうか」と述べている(黒上・堀田、
2017:6)。そもそもプログラミングはコンピュー
タとの対話であるが、日常生活の中で論理的に考 える場合は、現実世界との対話が必要であり、二 つの対話を同例に扱うことには無理がある。
実際、プログラミングと日常生活の問題解決能 力の向上との間の明確な因果関係は証明されてい るとはいいがたい。宮田らは先行研究を整理した ところ、プログラミングの学習が日常生活の問題 解決能力を伸長させると結論づけた研究成果もあ れば、因果関係を否定する研究成果もあった。宮 田らは「それぞれの研究で用いられたプログラミ ングの指導方法の違いによるものと考えられる」
と指摘している(宮田他、1997:4-5)。そして「ハ ノイの塔」を問題解決の目標に設定したプログ ラミング教育の結果、「問題解決のプロセスを重 視したアプローチでプログラミングを指導した場 合、問題解決能力の転移が起こりやすいことがハ ノイの塔問題という限定された状況で実証され た」と結論づけている(宮田他、1997:12)。しかし、
他方で、地図の中にあるすべての観光地を特定の ルールを前提に最短距離でまわるコースを考えさ せる最短経路課題には影響を与えなかったともい う。日常生活で「ハノイの塔」を解かなくてはな らない場面はほとんどないが、地図の最短ルート を見つける状況は日常生活でも数多くみられる。
つまり、この研究から、プログラミング的思考力 が日常生活の問題解決思考力へ転移したと結論づ けることはできないだろう。
なお、文科省が子どもたちに論理のプロセスを 教える教育を教えようとしたのは今回が初めてで はない。加々美勝久は昭和44年(1969年)に告 示された中学校数学科学習指導要領に、「現代数 学の内容」として「二進数・二進法」、「点と線の グラフ」、「アルゴリズム」が含まれていたことを 紹介している(加々美、2017)。二進数・二進法 やアルゴリズムを含む「論理を進めていく方法や 考え方」(昭和44年版中学学習指導要領)の学習 が行われていたのである。この学習指導要領は「教 育の現代化」の一環として教育内容の高度化を目
指したものであったが、その結果、「落ちこぼれ」
と呼ばれる学習についていけない児童生徒の増加 が社会問題となり、1977年の学習指導要領から は姿を消している。
さて、プログラミング教育は本当に論理的思考 を学ぶためのものなのだろうか。筆者が二つ目の ズレとして示した問題はこのことと深く関わって いる。プログラミング言語のScratchを開発した ミッチェル・レズニックは「表現手段としてのプ ログラミング」を掲げ、「クリエイティブ・シン カー」を育てることが目的だという(2)。このよう な思想はレズニックが所属するMITメディアラ ボの伝統であり、さかのぼればピアジェ学派に属 するシーモア・パパートらが開発したLOGOに たどり着く。パパートは、ピアジェの構成主義を 参考に、LOGOによって「子供が自分自身で私 的なマイクロワールドを作る」ことを学習の目標 として位置付けた。マイクロワールドは「複雑性 を剥ぎ取られ、把握しやすいように単純化された もの」であり、「子供はその構成物と自由に遊び たわむれることが許される。材料の上に制約は あっても、その組み合わせを探求する上での制約 はない」と指摘し、「その環境の持つ力は『発見 の可能性が豊富である』というところにある」と 述べている(パパート、1982:187)。
パパートの思想はその後のコンピュータ教育に 大きな影響を与えた。行動主義心理学を土台に 特定の教育内容を順次的に教える技術としての CAI(Computer Assisted Instruction)に対抗 する教育理論とみなされたのである。こうした理 解はLOGOの延長線上にあるScratchにも当て はまる。プログラミング教育に対する産業主義的 な目的を批判するレズニックの主張はこのように して理解することができる。吉田葵と阿部和広は ピアジェの構成主義に対してパパートは構築主義 を唱えたことを引き合いにしつつ、「構成主義が 知識の再構成は頭の中でのみ起こるとしていたの に対し、構築主義では、頭の外である現実世界で の意味あるものを作る活動に自身が関わっている ときにこそ、知識が構築される」と指摘する(吉
田・阿部、2017:13)。そしてプログラミングがプ ログラミング以外の知識や技能の習得に役立つか という問いに対して、「プログラミングをするだ けではプログラミング以外の知識や技能が自然と 習得できるわけではありません。プログラミング を行って、なにかを作る過程には、既存の知識と 結びつけたり、興味関心を持って学んだりする きっかけがあり、それによって、プログラミング 以外の知識や技能を習得することに役立つ」と書 いている(吉田・阿部、2017:15)。
パパートの理論はプログラミング教育が論理的 思考そのものではなく、コンピュータが作り出す マイクロワールドでの試行錯誤を通じた探究活動 に焦点を当てたものである。その思想は今日教育 現場で幅広く受け入れられているScratchにも受 け継がれている。一方、吉田らはプログラミング そのものに焦点を当てるのではなく、既存の知識 と結びつけたり興味関心を持って学んだりするこ とに意義があると指摘している。つまり、「コン ピュータは楽しいもの」と感じさせることがもっ とも重要なのである(吉田・阿部、2017:52)。こ のような理解はプログラミング教育を無意味なも のにさせないために、必要なことである。しか し、このような考え方がそのままメディア・リテ ラシー教育に接続するわけではない。むしろ、デ ジタル・リテラシーとの接合を考えるべきであろ う。メディア・リテラシー教育と接続させるため には「批判的思考」の視点が必要となる。
2. メディア・リテラシーとプログラミ ング教育
日本のメディア・リテラシー教育とプログラミ ング教育の関係を扱った論文や実践記録は極めて 少ない。小林祐一らはメディア・リテラシー教育 としてスマートフォンのアプリの設計を行う実践 を報告しているが、メディア・リテラシーとプロ グラミング教育の関係について考察を行っている わけではない(小林・齋藤・佐藤、2015)。メディア・
リテラシーとプログラミング教育の関係をより直
接的に扱っているのは浅井和行の所論である。浅 井は以下のように述べている。
これまで「メディア・リテラシー教育の先 進国」と言われてきたイギリスでは、ナショ ナルカリキュラムにおいて、小中学校段階で 批判的思考を大切にしてきた「メディア教育」
(ヨーロッパではメディア・リテラシーを育 てる教育を「メディア教育」という)が変容 してきていることが報告されている(村井、
2018)。小学校ではメディア教育の単元や時 間数が減り、中学校ではその内容が実践から 理論に変わってきている。そのため、理論を 実生活の中で実践に移すことができない子ど もが増えている。また、「批判的思考」その ものに着目した教育から「プログラミング」
というわかりやすい技術的なものに移行しよ うと、「プログラミング教育」が導入されて いる。この現状は、現在の日本のメディア 教育の状況と似ているように思える。(浅井、
2019:15-16)
浅井は「批判的思考」を重視するメディア・リ テラシー教育から技術的なものを重視する「プロ グラミング教育」へと移行しつつあるイギリス の状況は日本と似ていると指摘するが、それは 正しいだろうか。確かにイギリスの教育政策は、
2014年の「ICT」科から「コンピューティング」
科へ移行し、「技術的なもの」に焦点が当てられ つつある。しかし、イギリスのメディア・リテ ラシー研究者はこうした状況に対して批判的であ る。他方で英国議会による「偽情報と『フェイ クニュース』最終報告書」が示すように、「フェ イクニュース」問題の影響により、「批判的思考」
が重視されつつあるという状況もある(House of Commons, 2019)。
イギリスの著名なメディア・リテラシー研究者 であるデイビッド・バッキンガムは、自らのブロ グにイギリスのメディア・リテラシー教育の状況 に対して、「メディア・リテラシー政策はゾンビ
の一つになってしまったように思える。未だに名 声を有しているが、もはや生きている証を示して はいない。そこで、私たちはコミュニケーション 政策の世界からメディア・リテラシーが消えたこ とをどのように説明することができるのだろう か」と書いている。ブレア政権以降のメディア・
リテラシー教育は「メディア教育者たちが慣れ親 しんだ批判的リテラシーという考えとは全く逆の もの」であり、「メディア・リテラシーの放棄は、
時としてどんなにメディア・リテラシーへのリッ プサービスがあったとしても、政府が本当のとこ ろ市民にどれほどメディアに対する批判的なスタ ンスを取ってほしいのだろうか」と疑問を投げか けている(バッキンガム、2019:59-62)。
また、浅井論文に引用されている村井論文には 次のように書かれている。
メディア教育が減っている背景についてポッ ター氏は「政府が機械的テクニカルなこと、
コンピューティングなどに移行させている。
(中略)その結果サイエンス・テクノロジー、
エンジニアリング、数学というコア科目が促 進され、資金がメディア以外の科目に行って いる」と回答した。バーン氏も「メディア教 育がプログラミングなどコンピュータについ て学ぶ方向に重点が変わった」と同様の回答 をした。この現状に対してポッター氏は「学 校のメディア教育を進めるモチベーションが 下がっている」と否定的な認識を示した。(村 井、2018)
この文章の中で否定的な認識を示したポッター 氏とはロンドン大学教育学部に所属するジョン・
ポッターであり、ダイナミック・リテラシーとと もに「純粋にテキストベースでもなければ、表面 的な文化的政治的議論でもない場所に位置づけら れるリテラシーの新たな批判的理論」(Potter &
McDougall, 2017:12)の必要性を主張している。
だからこそ、彼はバッキンガムと同様に批判的な 視点を軽視するイギリスのメディア教育の現状に
否定的な認識を示したと考えるべきであろう。
しかし、日本ではこのような「技術的なもの」
への移行に対するメディア・リテラシー教育研究 者からの議論はほとんどない。そもそも日本には 批判的思考を重視するメディア・リテラシー教育 が学習指導要領を通して学校現場に位置づけられ たことはなく、日本の現状をイギリスと同様に考 えることは困難である。先に挙げた小林らの報告 はプログラミング学習を通したメディア・リテラ シー教育実践の開発をめざしたものであったが、
バッキンガムやポッターらによるイギリスの批判 的思考を軽視するメディア・リテラシー教育政策 への批判に相当する視点を見ることはできない。
バッキンガムは2007年に『テクノロジーを超 えて―デジタル文化時代の子どもの学び』を出 版し、その中でパパートらによるプログラミン グ教育に対して、これまでの研究成果をもとに 次のように指摘する。「LOGO利用に関する研究 は、その価値や効果が明確なものだとはとても いえない。LOGOは子どもたちがプログラミン グに子どもたちを引き込むのには非常に効果的 かもしれないが、プログラミングによって育ま れた手続き思考の型を他の状況に転移可能だと するエビデンスは非常に限られたものしかない」
(Buckingham, 2007:39)。さらにバッキンガムは、
コンピュータ利用が子どもの問題解決能力を向上 させるという見解に対して、パパートの元同僚の ワイゼンバイム(Joseph Weizenbaum)が次の ように答えたことを紹介している。「もしそれが 本当なら、コンピュータの専門家は他の人々より も良い生活を送っているだろう。我々はそんなこ とはないことをよく知っている。私が知る限り、
しばしば主張されるのだが、プログラミングがラ テン語の勉強よりも精神に良い効果を持つという 主張には根拠がない。」(Buckingham, 2007:40) 前章で、宮田らと吉田らのプログラミング教育 に対する所論を紹介した。宮田らの研究は「ハノ イの塔」という限られた状況での転移を示したに 過ぎなかった。吉田らもプログラミング的思考が 他の分野の知識や技能に転移することを暗に否定
し、むしろプログラミングの楽しさを伝えるこ とに焦点を当てていることを思い起こすべきだ ろう。少なくともプログラミング的思考が他の状 況に転移できると断定するだけの研究成果はほと んどないのである。もちろん、吉田らの主張のよ うに子どもの生き生きとした創造的な学びのため に、プログラミングを教育に取り入れることには 意味がある。しかし、すでに前章で指摘したよう に「批判的思考」を中核とするメディア・リテラ シー教育にプログラミングを統合するためには、
メディア・リテラシー研究の新たな概念を検討す る必要がある。それがアルゴリズム・リテラシー である。
3. メディア・リテラシーとしてのアル ゴリズム・リテラシー
ソーシャル・メディアにおけるメディア・リテ ラシー教育に必要な構成要素とは何だろうか。従 来のメディア・リテラシー教育研究の視点からは、
利用者参加型のメディアであることに焦点が当て られてきた。しかし、ソーシャル・メディアの特 質はユーザーがコンテンツ制作に参加できるだけ ではない。メディア・リテラシーの観点から今日 大きな注目を浴びているキーワードはアルゴリズ ムである。ソーシャル・メディアはプログラムさ れたプラットフォームであり、そこにはさまざま な人間によって作られたアルゴリズムが稼働して いる。
例えば、中橋雄はソーシャル・メディアにお けるメディア・リテラシーを論じた論文の中で、
「コンテンツを生成するユーザーが、アクセス数 に応じて広告収入を得ることができる仕組みに なっているサイトもある。広告を見るかわりに 利用者は無料で効率よく情報を集めることがで き、キュレーターにもメリットがある。よく考 えられた仕組みだが、アクセス数を集めるため に、質の低い情報をあたかも価値のある情報のよ うに紹介するものが増えることも危惧される。そ うした事例について調べ、それを防ぐための方策
について議論する実践も意義がある」と述べてい る(中橋、2016:25-26)。この文章で描かれたア クセス数に応じて広告収入を得る仕組みこそがア ルゴリズムである。この他にもアルゴリズムには YouTubeの動画リコメンドシステムやAmazon などのショッピングサイトと連携した広告表示シ
ステム、Googleの検索ランキングシステムなど
がある。ソーシャル・メディアはこうした人為的 な意図が介在する複雑なアルゴリズムの複合体で ある。アルゴリズムは目に見えないため、子ども を含む利用者はあたかもその機能を自然現象であ るかのように感じるだろう。
それだけではない。スマートフォンのアプリも コンピュータのソフトウェアもビデオゲームも カーナビもすべてアルゴリズムである。もちろん AIもまたアルゴリズムに他ならない。アルゴリ ズムは私たちの生活のあらゆるところに浸透して
おり、私たちの日常生活における意思決定を支援 もしくは影響を与えている。同時にアルゴリズム が社会的にもたらす問題も次第に明らかになりつ つある。2016年にはマイクロソフトのチャット ボットTayがTwitter上でヘイトスピーチを撒 き散らした事件があった(3)。アルゴリズムは必ず しも人間にとって良い効果をもたらすとは限らな い。
アルゴリズム・リテラシーの重要性を指摘した レポートとして、ピュー・リサーチ・センターの リー・レイニーとイーロン大学イメージング・ザ・
インターネット・センターのジャーナ・アンダー ソンが2017年に発表した「コード依存:アルゴ リズム時代の賛否両論」を挙げることができる。
同レポートによると、「アルゴリズムはあらゆる ものを最適化するよう作られている。それは命を 救い、ものごとを簡単にし、混乱を治めることが 表 1 アルゴリズム時代における 7 つの主要論点
アルゴリズム不可避な
論点 1 アルゴリズムはあらゆるところへ拡大し続ける
・ 利点は可視および不可視となり、人間は世界への洞察をより拡大しうる
・ 同時に対抗者による数多くの対抗アルゴリズムも付随する 論点 2 前途洋洋
・ 問題解決へのデータ中心アプローチが拡大する
・ コード・プロセスが洗練され、向上する。倫理的課題も良い方向に向かう
・ 「アルゴリズムは完全である必要はない。単に人間よりもよければ良い」
・ 将来、世界は善良な AI に統治されても良い
関 心
論点 3 データと予測モデリングが最高レベルに達すれば人間性と人間の判断力は失われる
・ 主として利潤と効率を追求するプログラミングは危険である
・ アルゴリズムは人間と結果を操作し、「私たちの心を読む」ことさえする
・ これらすべては未だ欠陥の免れ得ない論理主導社会へとつながっていく
・ 人間は洗練された意思決定能力やローカルな知性を失うと危惧する人もいる
・ プログラムが複雑なシステムを担うと人間は蚊帳の外に置かれる
・ ソリューションには個人への尊重の埋め込みが含まれるべきである 論点 4 アルゴリズムによって組織されたシステムの中にバイアスが存在する
・ アルゴリズムはプログラマーとデータセットのバイアスを反映する
・ アルゴリズムはしばしば制限された、不完全または不正確なデータに依存する 論点 5 アルゴリズムにおける分類は分断を深める
・ 不利な点はよりいっそう不利になりえる
・ アルゴリズムは企業のデータ収集によって形成されるフィルターバブルやサイロを作り出す。これ によって人々は幅広い意見や信頼できる情報に出会うことを制限され、セレンディピティを失う 論点 6 失業が増える
・ 高性能のより効率的なアルゴリズムは多くの人間の仕事を置き換える
・ 人間性支援のために再定義されたグローバルな経済システムを追求する者もいる
特殊課題
論点 7 アルゴリズム・リテラシー、透明性及び監視の必要性の増大
・ アルゴリズム・リテラシーから始める―これは基本的なデジタル・リテラシーを超えるものである
・ 説明責任のあるプロセスと監視、透明性が求められる
・ ポリシールールや監視への見通しに対して、多くの人が悲観的
(Rainie & Anderson, 2017:4の表より)
できる。しかしそれでもなお専門家は、アルゴリ ズムは同時に企業や政府の強すぎる支配下に置か れ、バイアスを永久化し、フィルターバブルを作 り出し、選択や創造性、セレンディピティを消し 去り、失業者を拡大することにつながりうること を心配している」という(Rainie & Anderson,
2017:1)。そして彼らは、さまざまな研究者や専
門家、実践家、行政担当者に対して、今後10年 間の個人および社会に対するアルゴリズムのポジ ティブおよびネガティブな影響を尋ね、1,302の 回答を得た。その結果をもとに、アルゴリズム時 代における7つの論点を整理している(表1)。
この表にはアルゴリズムがもたらすメリットと デメリットが書かれている。そしてそれぞれの論 点解説には、研究者や専門家による意見が抜粋さ れている。メディア・リテラシーにとっていずれ も重要な論点であるが、とりわけ重要なのは論点 4と論点5および論点7であろう。論点4では次 のような説明がされる。ここでは作り手とデータ セットという二つの要素がある。アメリカにおけ るアルゴリズムの作り手、すなわちプログラマー の多くは白人またはアジア人であり、アルゴリズ ムは彼らにとって有利になるように作られる可能 性がある。またはAIのために集められるデータ そのものに人種やジェンダーなどのバイアスが含 まれていることがある。論点5にも二つの要素が ある。一つは伝統的なデジタル・デバイドと同様 に情報環境に恵まれた情報に対する知識を持った 人々とそうでない人々との分断であり、もう一つ はアルゴリズムが作り出す階層分類機能によるエ コーチェンバーが作り出す社会的政治的分断であ る。
論点7はメディア・リテラシーに直接的に関わ る問題である。私たちの生活そのものがアルゴリ ズム化していく事態に対して、私たちはどのよう に対応すべきなのだろうか。そこで必要とされた のは一般大衆向けにアルゴリズムの機能を教える 教育である。アルゴリズムの制作者たちには説明 責任がなく、回答者は説明責任を持てるような何 らかの方法があるべきだと答えている。
回答者の一人は「私たちの食べ物や衣類がどこ でどのような環境で作られているのか知りたいと 思うのとまったく同じように、私たちのデータや 私たちの決定がどのようになされるのか問うべき だ。この情報のサプライチェーンは何なのか。明 確な報告義務や追跡記録はあるのか。前提は部分 的な情報や欠陥のある情報源、関係ない基準に基 づいていたのか」と問う。私たちがアルゴリズム をうまく利用するためには、あるべき場所にガバ ナンスや説明責任の制度が必要となる。アルゴリ ズムの透明性と説明責任は、アルゴリズム・リテ ラシーの代わりではなく、むしろ土台である。そ して、アルゴリズム・リテラシーに関わる意見に は次のものがある。「基礎教育の一部としての真 の情報リテラシーを作り出す努力を積み重ねない のならば、アルゴリズムを利用できる人々の階級 とアルゴリズムを利用される階級ができてしまう だろう」(Rainie & Anderson, 2017:15-16)。ア ルゴリズム・リテラシーはまさに民主主義そのも のと深く関わっている。
ピュー・リサーチ・センターの調査レポートは 決して体系的なものではなく、いわばブレーンス トーミングといってもよい。ルネ・ホッブスはこ のレポートに示されたアルゴリズム・リテラシー という概念をメディア・リテラシーの文脈で受け 止めた。ホッブスは「ドイツでは、ニュース・リ テラシーはフェイスブック規制の代わりになる か」と題したブログ記事の中で次のように書いて いる。
メディア規制が少なすぎるのもまた危険だ。
チェックアンドバランスはますます重要にな りつつある。なぜならば今日、プラットフォー ム企業はすべての男性女性、そして子どもの 個人データを収納する広大な貯蔵庫の中に強 大な政治的経済的な力を保管しているから だ。(メディア・リテラシーの一部としての)
アルゴリズム・リテラシーは、プラットフォー ム企業が思想の市場への公開を制限しつつデ ジタルツールをより有用なものにできるよう
な方法で、私たちの提供するデータをどのよ うに利用するのか、私たちがそのことを理解 するための力となりうるのである。(Hobbs, 2017)
ホッブスは、ドイツにおけるフェイスブック規 制を行う代わりにニュース・リテラシーを教える ことに合意したジャーナリストや研究者、政策担 当者を批判する。規制も教育もどちらも必要だと 指摘しつつ、メディア・リテラシーの一部として のアルゴリズム・リテラシーの必要性を主張する のである。アルゴリズム・リテラシーはGAFA と呼ばれる強大なプラットフォームを読み解き、
活用する能力である。
ホッブスは、ダナ・ボイドによるメディア・リ テラシー批判に対する反論記事の中で再びアル ゴリズム・リテラシーに触れている。ボイドは 2017年1月に「メディア・リテラシーは逆効果だっ たのか?」と題する記事を書いた。そこから二人 の論争は始まったのである。ボイドは2018年3 月、テキサスで開かれたSXSW EDUのキーノー トスピーチ「私たちは何をなしてきたか」でもメ ディア・リテラシーを批判した。ボイドによれば、
メディア・リテラシーは生徒たちの間違った理解 を認識させる認知的強化練習に過ぎず、真の問題 は私たち自身の、そして他者の人間性を理解する ことである(Boyd, 2018)。これに対して、ホッ ブスはブログ記事「選択の自由:実存する危機」で、
メディアを問うことが社会的政治的不安定を導く というボイドのメディア・リテラシー理解を歪め られたものだと論じる。ホッブスは指摘する。「メ ディア・リテラシーはメディア・メッセージに問 いを投げかけ、脱構築すること以上のものだ。そ れはまた、世界の中で意味を作るプロセスを振り 返り、メッセージを創造し、行動することを含ん でいる。」「メディア・リテラシー教育は絶えず変 化するメディアやテクノロジー、文化環境に対し て絶え間なく対応することを目的とする教育学的 アプーチである」(Hobbs, 2018)。このような議 論の文脈の中で、ホッブスはアルゴリズム・リテ
ラシーについて次のように述べる。
今やメディア・リテラシーは見てクリックす ることに依存する経済に注意を向けることに 依拠している。そのため、アルゴリズム・リ テラシーを取り入れる教育学的な方策が求め られている。アルゴリズム・リテラシーによっ て学習者は、自分たちがオンラインプラット フォームとの相互作用によって作り出すデー タが、自分たちが受け取る情報やエンターテ イメントのコンテンツの形成にどのように使 われているのか理解するのである。(Hobbs, 2018)
さらに、ホッブスは国際リテラシー学会の紀要 に「アルゴリズム・パーソナライゼーション時代 のプロパガンダ:リテラシー研究と実践の拡張」
と題する論文を書いている。ホッブスは次のよう に指摘する。「アルゴリズム・パーソナライゼー ションと現代プロパガンダは、広範に広がる現代 社会の構成要素であり、人々があらかじめ持って いる信条、態度、価値観と同調するメッセージに よって、オーディエンスを注意深くターゲットに するのである。友人や家族と交流するだけで、人々 はデジタル・プラットフォームに大量のデータを 放出する。しかし、彼らはそれが自分たちをどの ように説得し、操作するのかほとんど知らない。」
(Hobbs,2020:10)
そして、拡張されたリテラシーとしてのデジタ ル・メディア・リテラシー(digital and media
literacy)を念頭に置きつつ、次のように主張す
るのである。「リテラシー研究に携わる研究者は、
アルゴリズム・パーソナライゼーションと説得術 の分野に関わるリテラシー実践に対する入念かつ 体系的な研究に取り組むべきである。それらはも はやリテラシー教育において無視された概念では ないのである。」(Hobbs, 2020:11)
このように、アルゴリズム・リテラシーは、バッ キンガムが「サービスが無料ならば、あなたが製 品なのです。あなたやあなたのデータがここで売
買されている商品なのです」と指摘した「デジタ ル資本主義」に依拠するソーシャル・メディア時 代に不可欠なリテラシーであるということができ る(バッキンガム、2019:8)。
結論
2019年12月、ソウルで韓国ユネスコ国内委員 会主催によるメディア情報リテラシー国際会議が 開かれた。この会議で韓国とベルギーのメディア・
リテラシー研究者による共同研究の発表が行われ た。そのテーマがアルゴリズム・リテラシーだっ たのである。研究成果についてはまだ論文として 発表されていないため、本稿で引用することはで きないが、発表に使われたスライドは公開されて いる。この研究はYouTubeのリコメンド・アル ゴリズムを対象としたものだが、注目すべきはメ ディア・リテラシー教育という大きな枠組みの中
で、コンピュテーショナル・シンキングとアルゴ リズムを位置付けている点である(図2)。この 図に書かれているように、「コンピュテーショナ ル・シンキングは、アルゴリズムを土台としたソー シャル・メディアがどのように機能するのか批判 的に考える力を発達させる一つの方法となりう る」と考えられている。韓国側での実践は京仁教 育大学で行われ、アルゴリズム制作にはScratch が使用された。韓国の事例は今後の日本における メディア・リテラシー教育とプログラミング教育 との関係を考える際の参考になるだろう。
本稿で検討してきた、いつくかの問題を考慮す るならば、韓国の事例を参考にしつつ、日本にお けるメディア・リテラシーとプログラミング教育 との関係を以下のように再考すべきである。
第一に、メディア・リテラシー教育研究をグロー バル化へ対応させることである。ソーシャル・メ ディア自体がグローバル化している現在、一国内 図 2 デジタル・プラットフォーム時代と YouTube とメディア・リテラシー
(Jacques & Jeong, 2019:35)より引用
だけの研究では「フェイクニュース」などの新た な課題に迅速に対応する研究を進めることは難し い。すでに韓国とベルギーの共同研究がユネスコ のメディア情報リテラシー・プログラムの枠組み で報告されたことからもわかるように、国際的な メディア・リテラシー教育研究に際しては概念な どを国際的標準に合わせる必要がある。例えば、
「プログラミング的思考」という曖昧な用語はそ のままでは研究には使用できないだろう。コン ピュテーショナル・シンキングを用いつつ、プロ グラミングのプロセスに焦点を当てた概念として 再定義する必要がある。それはバッキンガムが「プ ログラミングによって育まれた手続き思考の型」
と呼ぶものに対応する。
第二に、メディア・リテラシーの観点から、プ ログラミング教育の可能性を検討する際には、「プ ログラミング的思考」が他の知識や技能に転移す るエビデンスは極めて限られたものであることを 考慮する必要がある。さらにメディア・リテラシー に必要な「批判的思考」の要素も存在しない。つ まり、プログラミング教育は、そのままではメディ ア・リテラシー教育にはなりえない。もちろん、
本稿で取り上げた吉田らの所論のように、プログ ラミングそのものの楽しさや創造性を重視したプ ログラミング教育には教育的価値があるが、それ をデジタル・リテラシー教育と呼ぶことはできて もメディア・リテラシー教育と呼ぶことはできな い。
第三に、メディア・リテラシー教育にプログラ ミングを位置付ける最良の方法はアルゴリズム・
リテラシーの考え方を導入することである。ユネ スコのバーガーもまたコーディング・リテラシー やアルゴリズム・リテラシー、データ分析などを メディア情報リテラシーの新たな要素だとみなし ている(Berger, 2019:26)。アルゴリズム・リテ ラシーは世界のメディア・リテラシー教育の新た なキー概念である。
デワードはカナダのメディア・リテラシー協会 のブログに「アルゴリズムとメディア・リテラ シー」と題する記事を書いている。この記事では、
アルゴリズムは「目標とする結果をもたらす一連 のルール、連続したステップおよび動作」として 定義される。そしてデワードは次のように指摘す る。「ソーシャル・メディアを利用する際のアル ゴリズムの諸要素における人間の側面の理解は、
メディア・リテラシーの枠組みを適用することで 促進できる。教育者として、私たちのメディア・
リテラシーのカリキュラムの中心にアルゴリズム とソーシャル・メディアの諸要素を位置付けるこ とを考える時が来た」(DeWaard, n.d.)。
2020年度から始まる小学校のプログラミング 教育もまた、創造性や楽しさを追求するだけでは なく、同時にデジタル・シティズンシップ教育の 枠組みの中で、子どもたちが日常的に触れるソー シャル・メディアの仕組みを批判的に理解するた めのメディア・リテラシー教育の一部として理論 構築と実践を進めるべきである。その際にはすで に韓国とベルギーのメディア・リテラシー研究者 たちが進めているユネスコなどの国際的な共同研 究のネットワークに参加することが不可欠となる だろう。
注
(1) ISTEによるComputational Thinking(Learner) の解説は以下のリンクにある。 https://www.iste.
org/standards/computational-thinking(2020 年2月14日アクセス)
(2)日経XTECH「米MIT教授インタビュー、プ ログラミング学習の「目的」こそが、そのあ り 方 を 決 め る 」https://xtech.nikkei.com/it/
atcl/column/14/499982/090900033/?P=2
(2020年2月14日アクセス)
(3)次 の 記 事 を 参 照 の こ と。Microsoftʼs racist chatbot returns with drug-smoking Twitter meltdown. The Guardian.(Mar 30th, 2016) https://www.theguardian.com/
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