著者 川森 めぐみ
雑誌名 同志社大学日本語・日本文化研究
号 14
ページ 149‑168
発行年 2016‑03
権利 同志社大学日本語・日本文化教育センター
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014446
中級学習者への文学読解授業
Modern Japanese Reading Comprehension Class on Literature for Intermediate Foreign Students
川森 めぐみ
要 旨
本稿は、中級レベル外国人学習者に対する文学読解授業の実践報告である。まず、
授業デザインを紹介する。授業目標は、「日本語で日本文学を読みたい」という学 習者のニーズに応えることである。そのためには、小説を通じた異化作用体験をし、
それが読むモチベーションを向上させ、読解力をさらに高めようとする循環運動 が必要であろうと考えた。次に、データと先行研究から、語彙不足および逐語読 みが学習者に内在する問題であることを指摘した。その解決の枠組みとして、語 彙教育、予測ストラテジー教育、小説を読むストラテジー、小説技法の知識の有 用性を検討した。さらに、実践したactivityとその効果を紹介した。そして、次の ことが明らかになった。①語彙不足は大きな問題ではない。②ピア活動は読み方 を変化させるのに大きな効果があった。③教師主導でない進め方に全員が適応し たわけではない。④一人称小説の特徴はよく理解された。⑤ごく短い抜粋で異化 作用を起こせたかは判断保留である。学習者は読解力の進捗と、日本文学へのモ チベーション向上に高い自己評価を与えた。
キーワード 日本語 中級 文学 読解 activity 異化作用
はじめに
本稿は、2015 年度春学期に同志社大学日本語・日本文化研究センターおよび留学生 別科で行なった、Ⅵレベル技能別科目読解Bの実践報告である。読解Bは文学を読む 授業である。
本稿では、まず、授業デザインを紹介する。次に、文学作品を読解する上で中級レ ベル学習者が抱える問題点を指摘した。さらに、それらの問題解決の枠組みを検討した。
そして、実践したactivityとその結果をデータによって報告する。
1 授業デザイン 1.1 学習者の特徴
本授業の受講者は 2 クラス 17 名である。
プレースメントテストでⅥレベルと判定された受講者は、少なくともN2 レベルの 日本語力は十分にあると思えた。ただ、集中持続時間が短い傾向があり、授業では
activityを多く取り入れるのがよいであろうと予想された。
受講者のニーズは、「日本語で日本文学を読んでみたい」という内発的なものである。
レディネスは効果的な学習法、クラスでのふるまいの得手不得手などで、学習者はよ く自覚している。それに比べて、ビリーフは「授業とは教師が主導的に行なうもので ある」「著名な作家の作品を読むことが文学の授業である」「語彙を増やさなければ読 解できない」などであるが、授業中、顕在化することはない。「教師のやり方に表立っ て異議を唱えない」というビリーフが強いためであろう。
教室の中で学習者Aは教師だけを見て、学習者BやCが視野にないこともある。し かし、Aの質問は、教師だけでなく、BにもCにも答えられる内容であることが多い。
教室は、そこにいる全員の間に存在するコミュニケーションギャップを相互に埋めて いこうとする場である。
そもそも中級レベル学習者が「日本文学」を「日本語で」読む意義とは何だろう。
日本文学の内容を理解するだけであれば、翻訳や映像で事足りる。しかし、日本語で 読めば達成感もあり、表現からも作品を味わうことができる。とはいえ、中級レベル で夏目漱石や芥川龍之介などを逐語的に読んでも意義はない。現代大衆小説でも学習 者のニーズに応えられる。学習者はすでに第一言語で異化作用を体験している。特定 の作品を読みたいと思っているわけではないため、取り組む対象には受動的であるが、
取り組む行為には意欲的であるといえる。
1.2 授業の目標
この授業の目標は「日本文学を日本語で読みたい」という学習者のニーズに応え、個々 の学習者なりにおもしろさと読解力の進捗を感じ、将来も「日本文学を日本語で読み たい」というモチベーションを向上させることである。
「おもしろさ」とはどのようなものなのであろうか。文学の中でも、特に小説を読む おもしろさを、廣野(2011)は「異化作用」という概念を用いて説明している。
異化作用とはシクロフスキイ(1917)が述べた「小説が差し出す絵空事によって、作品を 読んだ後には、読者の現実の認識が読む前と違ったものになる」ということである。そのよ うな異化作用を起こすためには、小説の 2 つの面、すなわち内容と技法を味わうことが必要 である。(中略)内容とは書き手が何を表現するかであり、技法とは書き手が内容をいかに 表現するかである(廣野 2011:3-4)。
異化作用のことを、授業では「登場人物に心が動く」(共感・反発)、「物語の中に入 る」(登場人物と同じ視点を持つ)、「日常的な現実が読んだ後では特別な現実になる」(認 識の変化)などと表現した。
より具体的に述べてみよう。SF小説でもない限り、登場人物は空を飛ばない。バス に乗っている。窓に映るものは何か、どんな気持ちで見ているか、なぜそんな気持ち なのか。それらは読み手も経験しているか、想像しうるものである。小説に切り取ら れた現実が、小説の表現によってくっきりと見えてくる。読み手は登場人物が自分で あるかのような、あるいは友だちであるかのような感情を抱く。そのような読み手が 次にバスに乗ったなら、何の意識も持たずに乗っていたときとは違う目でバスでの光 景を見るようになる。
「日本語で日本文学を読みたい」というニーズを満たすこととは、授業中のactivity を通して異化作用が起こせる読解力を伸ばしていくことである。ここでいう読解力と は、語彙が増え、表現に敏感になり、展開や登場人物に心を寄せ、表現を根拠に予測 ができる力のことである。学習者が異化作用を体験したかどうかは、内面的なことで あるため、外から観察することはできない。しかし、ふりかえりシート1の記述から推 測できる。分析結果は 4.8 で報告する。
つまり、本授業は学習者が異化作用を体験し、日本文学を読もうというモチベーショ ンを向上させ、読解力をさらに高めようとする。そのような循環運動を起こすための ものである。
1.3 授業のすすめ方
授業は一斉授業に自律学習を組み入れて行なった。一斉授業の部分は、教師が教材 を選び、授業ペースを決め、activityを設計・実施する面である。自立学習の部分は、
教師から提供されたことに対して、学習者が必要性や到達度を自己評価する。そのた めには、学習過程を自ら記録したポートフォリオ(ふりかえりシート)が必要である。
毎回の授業のすすめ方は概ね次のようなものである。
①ストラテジーの紹介/小説技法の紹介。
②共通の既有知識を持つための短い話し合い。(例:寮生活)
③最初の読み。学習者が一段落程度ずつ読み、難しそうなところの見当をつける。
④ 教師についての数回読みや指名読み。この読みでは、漢字読み方チェックに集中 して読む、内容を考えて読むようになど、意識を向ける点を教師が指示する。
⑤学習者相互の質問、回答、確認。教師は補足、訂正することもある。
⑥多義性を帯びた文学的な表現への着目、理解。
⑦作品についての意見や感想の交換。
⑧ふりかえりシートに記録、教師への提出。
⑨返却されたふりかえりシートで復習、保管。
他に学期中 2 回の朗読と、レポートのactivityを課した。
1.4 教材の選定
教材とはだれが、どのようにして選ぶものなのであろうか。
木山(2008:51-54)は次のように報告している。N2 レベルであっても教科書以外読 んだことのない海外在住学習者は多数存在する。自律的な読み手とは、自分の読みた い本を読みたいように読める読み手のことで、そうなるためには「読む楽しさ」を体 験することが必要であるとして、滞日研修中、図書館にリライトを含め約 200 冊の本 を揃え、ピア活動やふりかえりシートといったactivityを行なった2。
このように学習者が銘々に教材を選ぶ場合もある。しかし、通常は教師が選んでいる。
本授業では岩佐他(2006)『留学生のための現代日本語読解』を選んだ。同書「はじめ に」の記述から適当であると判断した。まず、中上級向けというレベルが合致する。「学 習者は新しいものを読みたがっています」「この読解教材では、新しい日本の小説を読 むことで、現代日本社会に触れるということに主眼をおきました」という趣旨が、学 習者のニーズに応えうる。また、表現からの異化作用を起こすには、教材がauthentic であることが必要である。それから、短い抜粋なら多くの作品に触れられる。短さは 不満につながるとも、先を読みたいという意欲がわくとも捉えられる。ただ、この教 科書における抜粋は 1 作品につき 1000 字程度なのである。その程度の量で異化作用を 体験できるのであろうか。しかし逆に、長い分量を読めば異化作用が生ずるという保 証があるとも限らないであろう。
次の記述から学習者は抜粋を読むことにとまどったとはいえ、否定的には捉えてい ないことがわかる。
・ 初めは、全文ではなく、小説や文章の一部の内容しか見られないのは不慣れでした。だが、
慣れてくると、これもいいのではないかと思うようになりました。本当に小説の継きを知 りたいなら、自分で探しにいくはずであろう。
・ 文学作品を読むことなんて全部読んでいなかったら、理解できないとおもっていました。
しかし、この授業のおかげで、様々な読み方(方法)があるとわかるようになりました。
教科書所収 12 作品の選択基準は明らかではない。「現代日本語読解」というタイト ル通り、講演の文字起こしや新聞コラムがある。これらは授業で除外した。6 つ収めら れている小説すべてが一人称で、作品の冒頭に限られているため、2 つ除外した。エッ セイ 2 つは残した。追加したのは『セイジpart2』、『春琴抄』、『名前のないもの』、そ して短歌である。
前後の作品同士を比べやすいように扱う順を考慮した。その比較点を表1にまとめた。
表 1 前後の作品の比較点
作品名、作者、発表年 直前に読んだ作品との比較点
『美女入門』林真理子、1999
『鞄』千宗室、1990 ごろ 情景が目に浮かぶかどうか
『あの日にドライブ』荻原浩、2005 エッセイと小説の違い 視覚化の度合
『ノルウェイの森』①②村上春樹、1987 作品中で会話が果たす役割の違い
『春琴抄』谷崎潤一郎、1933 作品の提示と叙述 異なる時代のベストセラー
『セイジ』(前・後編)辻内智貴、2002 他人のための自己犠牲 一人称ならではの作品
『名前のないもの』三浦しをん、2004 三人称小説での視点の動き方
これらの比較点は、4.3 で紹介している話し合いactivityの中心的なテーマである。
1.5 教師の説明の量と質
中級以降の授業では、なぜ教師が授業の時間を独占していくのであろうか。
国際交流基金(2010:33)では、「初級では文型学習が中心で、口頭練習するため学 習者の発話が多いが、中級の読解では読んだり考えたりする活動が多くなり、学習者 の発話が減るのは当然である」と指摘している。
しかし、学習者の沈黙に教師が耐えうることは難しく、教師は、少なくとも筆者は 沈黙を打ち消すように説明してしまう。筆者の説明は目的によって分けられる。①小 説の技法などの知識提供である「紹介」。②作品読解中、教師が着目を促した上で行な う「解説」。③教師の側から「質問」を投げかけ、学習者の反応を見る「確認」。本授 業では、②を極力減らし、教師主導の③はしないことにした。教師と学習者の間にお けるインフォメーションギャップで、教師だけが正解を知っている一方的な関係では、
自律学習は行なえないのではないかと考えたためである。
そのような進め方に対して、学期末授業評価で 3 名の学習者から「毎回小説を読む 前に、先生は背景を説明したほうがいいと思います」という趣旨が記されていた。こ の記述は「これまでのあらすじ」の説明を求めているように読めるが、実際に扱った のは作品の冒頭である。背景とは何を指すのか不明だが、読む前に学習者に何か不安 があったことがわかる。
2 中級レベル学習者の読解時の問題 2.1 語彙
中級レベル学習者に対して文学読解の授業を行なう場合、教師にも学習者にも「知 らないことば(以下、未知語)が多過ぎて読み進められないのではないか)」という懸 念がある。
そこでいう「多すぎる」とはどの程度なのであろう。客観的に明らかにするために、
教科書の「語彙リスト」を利用して調べてみた。語彙リストに載せることばを選ぶ基
準は、明らかではない。著者の経験則からなのか、旧日本語能力試験シラバスからな のかもしれない。しかし、その教科書を使う学習者の標準的なレベルを想定して、著 者が「未知語かもしれない」と判断した語彙をリストに入れたのである。
ここでは 2 種類の中上級向けの教科書で未知語率を調べてみた。1 つは『留学生のた めの現代日本語読解』(表 2)で、もう 1 つは社会科学系論説文を集めた一橋大学(2004)
『留学生のためのストラテジーを使って学ぶ文章の読み方』(表 3)である。語彙リスト の見出し語文字数と本文文字数を数え、未知語率を計算した。
表 2 『留学生のための現代日本語読解』未知語率
①作品 ②語彙リスト文字数 ③本文文字数 ④ ②/③%
『美女入門』 77 851 20.4
『鞄』 254 495 54.3
『あの日にドライブ』 305 1171 26.0
『ノルウェイの森』 336 1083 31.0
『セイジ』 237 1893 14.4
平均未知語率 29.4
表 3 『留学生のためのストラテジーを使って学ぶ文章の読み方』未知語率
①タイトル ②語彙リスト文字数 ③本文文字数 ④ ②/③%
法の世界の動物 77 698 11.0
少子高齢化と労働人口 67 643 10.0
ことばに焼きつけられているもの 45 956 4.7
死刑制度廃止論 55 656 8.4
環境税導入の是非 69 880 7.8
平均未知語比率 8.38
表 2 と表 3 から中級レベル学習者にとっての未知語率は、文学作品で 30%弱、論説 文で 10%弱ということがわかる。語彙という面から見ると、あらゆる分野の読解が難 しいわけではなく、文学作品の読解が難しいといえる。論説文のことばは情報を伝え るものである。文学のことばは作家が選りに選って作品の世界を創るものである。そ うした特徴を持った文学作品語彙と、学習者の語彙数の乖離が問題なのである。
しかし、未知語率とはそのまま読解に支障をきたす数字ではないという先行研究が ある。
高橋(2012:54-55)は、中級学習者がテキスト3の語彙に対して抱いている意識を、
学習者が作成した語彙リストと短文によって考察した。学習者が「知らないと判断した」
ことばは、「実際に知らない」ことばではない。テキストの内容理解には関係がないこ とば、あるいは中国語話者にとって漢字で意味が判断できることばは、「知らないこと ばであると判断していない」ことを明らかにしている。
山方(2008:48-49)は、母語が中国語と韓国語の学習者(N1 レベル)について、
未知語の意味推測のためにどのような知識を用いているかを調査した。その際、使用 したテキストはN2 レベルのもので、未知語率は 6%ほどであった。中国語の学習者は
漢字から、韓国語の学習者は語彙と文法から意味推測を行なっていると報告している。
これらの研究から、中級学習者の文学読解は語彙だけで成否が決まるものではないと いえる。
2.2 ストラテジー
それでは、語彙以外の問題とは何であろうか。
伊藤(1991:147-156)は、中級レベル学習者は読解の際、ストラテジー使用に問題 があると指摘した。そして、ストラテジーを 15 項目に整理した。その内訳は、学習態 度に関するもの(4 項目)、ボトムアップモデルの読み方から生ずる問題(7 項目)、読 後の情報処理(4 項目)である。その解決のために毎回の授業で 2 〜 3 のストラテジー を紹介した結果、学習者は新聞コラムが読めるようになり、客観的なテストの成績も 上がり、満足度も高まった。それゆえ、読解力の向上には、トップダウンモデルの読 み方も使えるようにするストラテジーの指導が必要であると結論づけた。
舘岡(2005:74-87)は、よい読み手ではない学習者の読み方を調べた。N2 〜N1 レ ベルのアメリカ人学習者を、事前テストで高得点グループと低得点グループとに分け、
その後、同一テキストを読ませた。すると、後者は既有知識を使わず逐語読みをし、
英語に翻訳し、自問自答もなく、ストラテジーも使用しなかった。換言すれば、よい 読み手とは、既有知識とテキストを突き合わせる読み方をしているといえる。そのため、
読解力の低い学習者に対しては、自身の既有知識を掘り起こさせる必要性を述べてい る。その手段としてピア・リーディングが適していると提唱している。
このように、中級レベル学習者にとって読み方の問題点は、逐語読みからさまざま な読み方へと拡張できないことであるといえる。
3 問題解決手段の検討 3.1 語彙問題
中級レベル学習者に内在する問題は、語彙不足とストラテジーが適切に使えないこ とである。この 2 つは相互的で、語彙数が十分であればそれほどストラテジーを使わ ずに読める。反対に語彙数がやや不足していても、ストラテジーがうまく使えれば読 める。
語彙不足をどのように捉えたらよいのであろうか。埋めるべき欠点と捉えることは 適切なのであろうか。文学を読む最大の醍醐味は「この話は一体どうなるのか」と登 場人物への共感とともに展開を追うことにある。わからない語彙がある状況だからこ そ予測を迫られる。語彙不足はそのような利点でもあると捉えることができる。
語彙リストで予習をさせるのがよいという考え方もある。しかし、小林(2008:42- 43)は次のように指摘した。語彙リストは読みの負担を軽減させるという暗黙の了解が、
教師にも学習者にもある。しかし、中級レベルの学習者の場合、文脈がない状況では
語彙の意味が識別しづらい。
語彙不足は早晩解決する。学習者はいつまでも中級レベルに留まっておらず、この まま学習を続けていけば、あらゆる機会から語彙はいかほどにも増えていく。それに 対し、予測のストラテジーは小説読解においてはたらかせやすい。中級の間に身に付 けておきたいものといえる。
3.2 逐語読み問題
教師は何を以て学習者が逐語読みをしていると判断しているのであろうか。
伊藤(1991:148)は、一語一語辞書を引くこと、分からないところで止まってしま う点を報告している。筆者の観察も加えると、まず、手を使った辿り読みをする。そ れから、教師の口頭質問に対する答え方からも推測できる。単語でしか答えられない。
文章の記述順に従った質問にしか答えられない。部分的な理解で済む質問には答えら れても、全体的な理解を要する質問には答えられない。つまり、トップダウンレベル の読み方ができていないのである。
初級の読解は多くの場合逐語読みである。それが中級になると、にわかに「逐語読 みしかできない」と問題視される。だが、逐語読みにもよい点がある。すべての内容 が明らかになることで、学習者は一種の安心感を持つことができる。一方、問題点は、
地を這うように読むために時間がかかること、どの文も均一に「平読」するため重要 箇所とそうでない箇所の判別がしにくく、文章全体が見通せないことである。
なぜ学習者は中級以降も逐語読みを続けるのであろうか。
ここでは、テストと読み方の選択に注目してみたい。出題に部分的なことが多ければ、
高得点を取るためには逐語読みが有効であると学習者は判断し、読み方を拡張する必 要性を認識しない。教師は、トップダウンレベルの読み方もボトムアップレベルの読 み方も自在に組み合わせて読めるよう、支援に当たっているはずである。それが出題 によってかえって読み方を縛ってしまっては、本末転倒である。
実際に人はどれほど「正確に」読んでいるのだろうか。インターネット上にある多 くの作品要約の中から『ノルウェイの森』を検索してみると、登場人物の一人「レイコ」
の位置づけはさまざまである。
①直子のルームメイトだったレイコさん(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
②直子の世話係のレイコ(www5b.biglobe.ne.jp/˜michimar/hon2/008.)
③直子の面倒見役のレイコ(d.hatena.ne.jp/windupbird/20112051)
④直子の担当医だった玲子さん(manapedia.jp/text/1360)
(検索はいずれも 2015.05.05)
興味深い点は、①〜④のいずれの設定でも『ノルウェイの森』のあらすじに破綻が
ないことである。いちいちの事柄はそれほど意識されていないといえる。廣野(2015a: 41)も「フランケンシュタイン」が怪物の名であると、1818 年の作品発表以来、誤解 されていることを述べている。小説の中で、怪物は名がないために「自分が誰なのか」
を説明できない事態に直面し、善から悪へキャラクターを転換させる。名は物語の中 で重要な位置づけなのである。
繰り返すが、中級レベル学習者の課題は、読み方を拡張すること、中でもトップダ ウンレベルの読み方の中心となる予測ができるようになることである。正確でない読 み取りは、読み方を広げていく過程にはつき物の、単なる予測の失敗と解釈してもよ いであろう。
それでは、予測を促す効果的な手段はあるのであろうか。
2.2 で見たように舘岡(2005:87)はピア・リーディングを推奨している。それは、
他の学習者と共に読み、話し合いをすることによって、既有知識を活性化させたり理 解を補足したりしながら、ストラテジーを高めていくactivityであるという。
池田・舘岡(2007:50)は、ピア活動にとまどう学習者もいるが、何度も教師から 有効性を説明し、教師自身の学習観を披歴し、教師と学習者および学習者同士の信頼 感を形成すれば、ピア活動は学習者が主体で教師は支援者であるという自律学習が可 能になると述べている。
ストラテジー問題は、予測を中心に解決していくことが必要である。そのために、
ピア活動が有効であるとまとめられる。
3.3 小説を読むためのストラテジー
ストラテジーを小説の読解に限定して考えてみよう。
石黒(2010:95-170)は小説の読み方を「味読」と名付け、そのストラテジーを説明した。
味読という読み方は、読み手が登場人物に感情移入し、物語に没頭できるような状態 に入る読み方のことである。そのコツは、視覚化、予測、文脈のストラテジーを使う ことである。文脈のストラテジーとは「手を振った」という 1 つの表現には「さよう なら」「おいでおいで」「違う、違う」「やめてくれ」「タクシー、停まってくれ」など のようにさまざまな意味があるが、ここでの意味はどれかということを文脈から読み 取っていくことである。
石黒の言うところは、本授業で行なっていることとほぼ同義であるといえるであろ う。「物語に没頭できる状態」というのは異化作用の体験のことで、視覚化や予測は
activityを通して行なうこと、文脈のストラテジーとは、本授業で言うところのことば
の持つ多義性であろう。
3.4 小説技法についての知識
小説技法とは書き手による内容の示し方のことである。廣野(2015b:9-33,48-53)
は 15 の技法を紹介している。その中から筆者は次の 3 つを選んだ。
①ストーリーとプロット。出来事の時間的な並べ方のことである。ストーリーは起 こった順に出来事を語る。一方、プロットは回想小説によく使われ、現在の出来事を語っ ている中に、ふいに過去の出来事が顔を出す。読み手は出来事がいつのことか注意し て読む必要がある。
②人称の問題。一人称の作品では、語り手は物語中に「僕/わたし」として存在して いる。語り手の見聞きしたことを読み手は同じ視点から追体験する。一方、三人称の 作品では、語り手は物語の外にいて次々と視点を移す。読み手はそれを追っていく必 要がある。
③提示と叙述。出来事の進行速度のことである。提示とは、会話のように出来事が そのままの時間で流れていることを指す。一方、叙述とは、語り手が出来事を要約し 一気に時計の針を進めてしまうことである。この2つを組み合わせた揺さぶりによって、
読み手は単調な時間の流れから解放される一方、要約された出来事を明確に把握しな ければならない。
これらの知識をあらかじめ持っていると、何に気をつけて読めばよいかがわかる。
4 問題解決のための activity とその効果 4.1 語彙リストの作成 activity
文学のことばは頻用性がない。それゆえ、作品中の語彙は理解語彙と考えてよい。
だが、日常的に目にすることば同士の結びつきでなく、他のことばと結びつくことに よって、ことばの多義性が現れる。そこには、意味のずらしによるおもしろさがある。
たとえば、「時を置かずに」という表現での「置く」は、学習者が通常想起する「置く」
の意味ではない。ことばの多義性は授業中、教師から積極的に着目させたことである。
本授業では、個々の学習者に「気に入ったことばや表現」リストをつくるactivity を課した。
表 4 は、学習者が選んだことばや表現の総数、そのうちの上位 3 表現と、それらが 総数に占める比率を計算した。( )はそのことばを選んだ人数である。
表 4 各回における気に入った上位 3 表現とその比率
回 作品名 総数 上位3つのことば/表現 比率(%)
1 回 『美女入門』 62 こわばる(8)波打つ(8)恐怖のあまり
(7) 23/62 = 37%
2 回 『鞄』 108 雲泥の差(13)武骨な(7)鞄もどき(7) 27/108 = 25%
3 回 『あの日にドライブ』① 112 不機嫌(10)ろれつの回っていない(10)
露骨に(10) 30/112 = 27%
4 回 同② 97 地図をたどる(8)ハズレ(馬券・を引い ちまった)(8)叩き起こす(6)〜ぽっち
(6)気を配る(6)
34/97 = 35%
6 回 『ノルウェイの森』①② 75 かがんで注意深く靴の紐をしめなおした
(6)威張っている(5)焦点(4)漠然と した(4)煩わしい(4)
23/75 = 31%
7 回 『春琴抄』 90 強情を張る(12)足手まとい(10)うやむ
や(8) 30/90 = 30%
8 回 『セイジ』① 90 ボンヤリと(10)夏期休暇(9)下宿(9) 28/90 = 31%
9 回 同② 58 (商店の屋根)越しに(5)惹かれる(4)樵
(4) 13/58 = 22%
10 回 同③ 200 この細やかな幸福は粉々に打ち砕かれて
しまった(13)静寂(8)喧噪(7) 28/200 = 14%
12 回 『名前のないもの』① 132 二人の間にしばらく沈黙が落ちた(10)
断腸の思い(8)物悲しい(7)なにくわぬ 顔で(7)ことの次第(7)ごっそり(7)売 りさばく(7)
53/132 = 40%
13 回 同② 77 逆襲する(8)人相風体(7)愕然とする
(7) 22/77 = 29%
上位 3 表現は総数のうち 20 〜 30%台を占め、学習者の選択には少なからず共通性が あることがわかる。動作表現ではなく、人や物やことの状態を示すことばや表現を選 んでいる。表には反映される数ではないが、中国語圏の学習者はカタカナのことばを 選ぶ傾向があった。
しかし、多義性のある表現はほとんど選ばれていない。学習者はことばの多義性に 注目していないことがわかる。
4.2 実演 activity
文章から得た情報の視覚化を図るために、学習者が場面を演じた。まず監督を決め、
監督がキャストやナレーターを割り振り、小道具も使い演技指導もする。ことばの意 味がはっきりして、印象的で覚えやすくなるactivityであると、学習者は評価した。
4.3 話し合い activity
授業では「話し合い」と呼んでいたピア活動である。1 回目の授業で「みんなで思っ たことを話し合いましょう」という学習者からの提案で始まった。
表 5 は、1.4 で紹介した前後の作品の比較点以外の予測テーマである。
表 5 各作品の話し合いによる予測テーマ
作品 テーマ
『美女入門』 なぜ主人公の行動が目に見えるようだと感じるのか
『鞄』 作者がセカンドバッグを持たなくなった理由
『あの日にドライブ』 主人公の以前の職業は何か 酔っ払いのつけていたバッジの意味
『ノルウェイの森』 自分にとっての寮生活 直子と緑の違いや行末
『春琴抄』 なぜ佐助はいじめられながらも春琴に仕えるのか なぜ春琴は簡単に子どもを里子に出してしまったのか
『セイジ』 自転車旅行の後に物語はどのように展開するか セイジとは人?物?
なぜセイジさんはリツ子ちゃんの目の前で自分の手首を切り落としたのか 他者のために自分を犠牲にする佐助とセイジの違い
『名前のないもの』 登場人物たちは一貫して何を見ているか
『ノルウェイの森』についての実際の話し合いの一部を筆者のメモから再現してみる。
A:(ワタナベくんが好きでも)緑さんのライバルになりたくないです。
B:どうしてですか?
A:気が強い、おしゃれ。んー、かわいい黄色いチョッキ着てる。
C:でも、「たまに世の中が辛くなる」と言ってる。気が強いだけですか?
A:緑さんはちゃんと言わないでしょ。何は辛いもの? んー、男の人はだまされる。
D:そうですね、謎、謎があるほうがモテる。
E: 緑さんはワタナベくんの前に水を 3 杯を飲んでる。首はこう(顎を上げて喉をなでる)。
とても魅力がある。
全員:きゃーっ。
ここでは、あたかも緑という人物が実在し、その子を巡って品定めをしているよう である。
例に挙げた話し合いの発言では、意見の根拠を文中の表現に求めている。緑がおしゃ れなのは黄色のチョッキを着ているから。謎は質問からそれた答えをしているから。
魅力的なのは喉を見せる動作をしているから。クラスで半数ほどの学習者は、『ノルウェ イの森』を翻訳で読んでおり展開を知っている。しかし、文中の表現からどのようなメッ セージを受け取るかという読み方では、展開を知っていることが特に役に立つわけで もない4。
読み方ストラテジーの変化によって、手を使った辿り読みが減った。そして、上の 例では「緑さんのライバルになりたくないです」という発言から話し合いが始まる。
文章であればトピックセンテンスに相当するものである。続く発言がサポーティング センテンスの機能を果たしている。それは自然と読むときにもトップダウンモデルの
読み方を促した。
話し合いは学習者も「いろんな作品を読んで、ぎもんをもって考えてみたり、いけ んを交わしたりしてすごくよかったです」と評価している。2 つのクラスを観察すると、
話し合いが活発なクラスは、「聞く」という姿勢を見せる。体を乗り出し、顔を上げる。
一方、なかなか話し合いが進まないクラスでは、「言おう」と考え、しかしうまく言え ないために下を向く。ことばの解読によって内容がわかると思い、教科書の文字から 目を離せない。それでも、徐々に読み方は変わっていったため、活気がないからと早々 に打ち切るべきactivityであるとはいえない。
4.4 報告 activity
話し合いでの予測は妥当であったのか。それを解明した学習者がクラスで報告した。
『あの日にドライブ』の続きを読んだ学習者は、「あまりわかりませんでしたが、とに かく銀行の酔っぱらいさんはもう(この後)出ません」と報告した。『セイジ』を読ん だ学習者は、「セイジさんは急に切っていません。その前、ほんとにほんとに長い間考 えていました」と、セイジが自分で自分の左手首を切ったのは突発的な行動ではない と報告した。また、別の学生は映画『セイジ』の同じ場面で「血がたくさん出ますね。
映画は赤い色がこう(手で円を描く)なって、赤くてきれいでした」と報告した。そ れを受けて「(切断された)左の手首は映画の中にもありましたか?」との質問があり、
「ありません」という答えを得て全員が安心した。
他にも、「谷崎潤一郎さんのお墓は銀閣寺のそばにあります」「台湾には春琴さんの 漫画もあります。佐助さんは優しいおにいさんみたいです。うそですね」「林真理子は 美人じゃないです。本屋で見ました(『野心のすすめ』の帯写真)」などの情報提供があっ た。
4.5 朗読 activity
話し合いが予測を中心とした大掴みな理解なら、理解度がわかる精読のactivityと して朗読を行なった。各自好きな作品の好きな部分(10 〜 15 行程度)を選んで行なった。
朗読で理解度が測れる理由は、文にポーズを入れることによって、読み手が捉えた意 味のまとまりを聞き手に伝えられることである。エッセイ『鞄』の冒頭で考えてみよう。
ポーズは / 記号で示した。
原文 バブルの 頃からセカンドバッグを抱える男子の姿が目に付くようになった。
ポーズ① バブルの頃から/セカンドバッグを抱える男子の姿が/目に付くようになった。
ポーズ② バブルの頃からセカンドバッグを抱える男子の姿が/目に付くようになった。
ポーズ③ バブルの頃から/セカンドバッグを抱える男子の姿が目に付くようになった。
ポーズ④ バブルの/頃からセカンドバッグを/抱える男子の姿が目に付くようになった。
ポーズの置き方①〜③はいずれも意味が把握できる。だが、④のような切り方から では意味を掴むことはできない。
学習者の朗読は、意味のまとまりが十分に考えられていた。「読む」のではなく「話す」
あるいは「語る」ために、暗記をしたり起立したりして朗読するという演出もあった。
従来、内容理解度はペーパーテストで測られてきた。点数は理解度を可視化するが、
同時に誤解や見落としを不正解と位置付けてしまう。学習者は減点というマイナス評 価を回避し、一層逐語読みから離れようとしないであろう。
4.6 小説技法理解の activity
小説技法を理解するためには、まず、「語り手」という概念を把握する必要がある。
その理解のために、役割分担した音読のactivityを行なった。
A= 会話における僕:どうかな、そういうのって考え方次第だからね。(中略)そういうこ とだよ
B=直子:そうね
C= 語り手としての僕:と言って彼女は頷き、しばらく何かに思いをめぐらせているようだっ た。(中略)こんなに長く話をするのも初めてだった。
A:寮か何かに入るつもりなの?
C:と僕は訊いてみた
B:ううん、そうじゃないのよ
C: と 直子は言った
B: ただ私、ちょっと考えてたのよ。共同生活をするのってどんなだろうって。そしてそれ はつまり……
C: 直子は唇を噛みながら適当な言葉なり表現を探していたが、結局それはみつからなかっ たようだった。彼女はため息をついて目を伏せた
B:よくわからないわ、いいのよ 『ノルウェイの森』
このactivityによって「語り手」についてはよく理解された。「この作品(『ノルウェ
イの森』)の語り手は僕ですが、他の小説みたいに話していません」や「『セイジ』は 一人称で書いています。いっしょに自転車を漕いでいく体験ができます」という感想 があった。
4.7 レポート activity
関・平高・舘岡(2012:80-87)は評論作成activityを紹介している。中上級レベル 学習者が村上春樹の『蛍』について評論を作成する。その手順は次のとおりである。
思考マップを書き、構想マップを書き、その話し合いをし、構想メモをつくり、話し
合いをし、内容を絞り込み、構成を決め、アウトラインを作り、話し合いをし、アウ トラインを修正し、原稿用紙 2 枚に仕上げる。評論発表時に、聞き手はメモを取って 質問およびコメントする。これらを 2 回の授業で行なうという。
このように厳格な手順の活動では、次のような問題は起きないのであろうか。他者 の書く内容に何度も話し合うほど関心が持てない、話し合いでアドバイスがけちをつ けられたと思いモチベーションが下がるなどである。
本授業では、800 字程度のレポートを書き、クラスで発表した。発表前に文言の訂正 と教師からの短いコメントがつけてある。
以下、表 6 にレポートで学習者の選んだ作品名あるいはテーマ、人数、題 5 を示す。
表 6 レポートで選んだ作品および題
作品/テーマ 人数 題
『美女入門』 1 フェミニズムの観点から
『あの日にドライブ』 1 人間臭さへの共感
『ノルウェイの森』 4 自分の居場所 悪に寝込んだ僕 死と生救いとしての緑
『春琴抄』 4 ライトノベルズと原作の違い
佐助への手紙(友人であるわたしから)
原文は読みにくい
「草食系」の佐助
『セイジ』 3 セイジにおける人間主義 セイジのしたこととその評価
セイジの行為についての考え方が変化したこと
短歌 1 万葉集と古今集と水原紫苑歌集
日本文学 3 日本文学とわたし
日本文学の傾向 無常観
違う面からもレポートを見てみよう。ある学習者が『あの日にドライブ』について、
5 月のふりかえりシートに書いた感想と、7 月の学期終わりに書いたレポートの内容を 比較する。また、自身のコメントも併記する。
ふりかえりシート
(前略)読んだところでは、作者は酔っているお客さんのイメージをうまく表現できたと 思います。とくに「どちらまで行きましょう」と聞いたら、客の話し方が想像だけ面白く て、笑いたいんです。
レポート
(前略)荻原浩の作品の中で「人間くさい」が感じられ、とても現実的だが、面白いと思 う。たとえば、主人公がお金を稼ぐために、上手にタクシーを走ったり止めたりする。実 際私たちの生活の中でもよくあることではないだろうか。普通恥ずかしくて言えないこと が、作品の内で書いたら、共感した。それに、作者は「一発勝負」「競馬」などギャンブ
ル表現が主人公の心の状態を分かりやすい言うまでもないが、主人公の性格まで分かって くる気がする。(後略)
自身のコメント
読んだときがとても前に思いました。前よりもよくわかって、この主人公がもっと好きと 思いました。
この学習者は、ふりかえりシートでもおもしろさの根拠は「話し方」であると述べ ているが、どのような話し方かは伝えていない。それが、レポートでは共感の対象を 運転手に限定し、描写されている小狡い行動を「人間臭さ」の根拠として挙げている。
また、「一発勝負」「競馬」というギャンブルのことばによって主人公の心理状況が描 かれているのであると説明している。そして、コメントで「前よりもよくわかって」
と言及しているように、再読によって明らかに作品理解を深めている。こうした進捗 も読解力が向上したといってよい。
4.8 自己評価 activity
学習者が小説を読んで異化作用を起こしたかどうかは、外からの観察ではわからな い。しかし、ふりかえりシートの記述から推測はできる。ふりかえりシートの総数は 181 で、異化作用体験ではないかと判断される記述は 40 ある。異化作用体験のための 2 つの面、「どのような話か」という内容についての記述が 29、「どのように描かれて いるか」という表現についての記述が 11 ある。以下、顕著な記述を挙げる。どの部分 を以て異化作用を起こしたと判断したのかは下線部で示した。内容の記述を○、表現 の記述を●で示した。
『鞄』●あちこちもセカンドバッグを抱える男子の姿が見えるという情景を頭の中に想像し てみると笑っちゃいました。泥棒みたいな持ち方です。実際にはホステスさん達と同じよ うな鞄を持ちたくないのだろうか。ホステスさん達の鞄について書いてあった時に「セカ ンドバッグ」という言葉ではなくて、わざわざ「クラッチバッグ」ということばに変えて いる。
『あの日にドライブ』○この男はだめ男というより、迷いやすい男なのではないかと思う。
私も自分がいったい何が欲しいかよく迷っている。既に選択をしたのに、正しいかどうか よく迷ったり公開したりしている。もうこの道を選んだのに全力を出すべきことが知って いても、思いどおりにならないときも「あの時そうしなかったらいいじゃないか」という 考えもよく出てくる。この文章を見たとき、自分のことを見ている怖い感じがする。もし かして私もダメ女。
●最終電車が出た後の駅づけは、一発勝負のギャンブルだ。筆者がそう言った。実は人生 も同じでいつでもどこでもギャンブルがあります。筆者は銀行員からタクシー運転手に
なった原因を、たぶん会社でギャンブルをして失敗したことをことばで知らせています。
『ノルウェイの森』○読者の私にとって自分が本文に書かれた画面のなかにいたようだ。
『春琴抄』○いったいどんな文学でしょうか。こんな話を初めて聞きました。春琴の話を読 むと、なおことみどりは普通の人だと思ってきます。
『セイジ』〇主人公は友人に強制されて、自転車旅行をすることにしました。最初はただやっ てみるかと思いましたが、やっているうちに快適で好きになりました。私たちの人生もそ うではないでしょうか。先入観のせいで、おもしろいことを取り逃がしてしまうかもしれ ません。
●筆者の目を通じて、きれいな海辺の町の姿も頭の中に浮んできました。文の流れにつれ て、私の意識も筆者の目に重なるような第一人称の魅力を感じました。
『名前のないもの』〇今日、この『名前のないもの』を読むと、本当に怒ってきた。この男 は許せない。私は本が好きなので、真志喜くらいではなくても、心が不安でいっぱいだった。
●印象的な表現がありました。「本をふさわしいひとの手に渡るまで私が預かっているだ けだ」。本屋でアルバイトをしたことがある私にとってほんとうです。
小説の技法に触れている記述もあった。
・ この小説は短い。作家が使った言葉が単純。事情は日常。だが、とても面白い。それはな ぜでしょう?私の意見にすぎないですけど、それには二つの理由があります。一つ目は、
すこしだけ賭けの世界から言葉を交えて書きました。それはスパイスとして少し面白さを 加えました。二つ目の理由は、それは謎です。この人はなぜバッチを見たとたん態度をか わりましたか?バッチの意味は何ですか?小さいことですけど、これは小説はもっと面白 さを加える選択です。(『あの日にドライブ』)
予測の途中で不整合に気づいて「調整」している記述もあった。調整とは、石黒(2012:
158)が「読み手は、ある文脈に従って文章理解を進めていくうちに違和感を覚えたら、
かならずその文脈を個々の表現とつじつまが合うように調整している」と指摘してい ることである。
・ 今はお客さんが主人公の元銀行の知人ではないかと考えている。文章の「少し前までは、
自分も夜は酒を飲み、帰りが遅くなればタクシーを使う人間だったからだ。」からみると、
お客さんと前の主人公がよく似ている。そして始めのときは自動ドアが使われたから、主 人公はお客さんの顔と気がつかなかった。最後、お客さんのバッジを見たときようやくそ の人が知人だと気づいた。(『あの日にドライブ』)
「知人ならば乗車時に認識できたはずなのに」と気づいて調整している。
最後に、小説から細部を想像し、自分も登場する物語を創ったレポートを紹介する。
親愛なる佐助へ
お元気か。私の庭にはもう桜の蕾がふくらんで行く。そちらはどうなのか。
冬の最後の頃、君は冬の池を見ながら私に春琴のことを話した。その時、私は君がこの村 に初めて来た日を思い出した。(中略)そしていつだったろう。君が春琴の側にいると決め たあの日は。私は初めは君が春琴の綺麗な顔とお金に興味があるのではないかと思った。だ がそう思った私が今は恥ずかしく感じるほど、君は何年も経った今でも春琴を守りながら助 けている。
私と最後に出会ったあの日、君は私に春琴を死ぬまで守りながら、ずっと側にいると言っ た。春琴がひどい目に遭ったと父に言われたが、君まで二つの目をなくして、そんな姿で現 わすなんて、その時私がどんなに驚いたかは言うまでもない。一言も話せない私に君は笑顔 で、「私は幸せです」と言ったな。
(中略)君のことを完全に理解できると言うわけではないが、私は君の決定を尊重するこ とにした。君にとって有一の友人の私だから私が嫌いになるはずがないだろう。何も見えな い盲人の生活はどうか。何も見えないからこそもっと幸せか。
どうか楽しく春琴と人生を生きてほしい。また会う時まで風邪を引かないように。愛情を 込めて〇〇 (「佐助への手紙―友人であるわたしから」)
登場人物や出来事への共感は多くの記述から伺えるが、日常的な体験が特別な体験 に思えるという異化作用まで起こしたかは不明でもある。一方、『鞄』のセカンドバッ グとクラッチバッグが持つ人物によって使い分けられているとの指摘や、『名前のない もの』の「本をふさわしいひとの手に渡るまで私が預かっているだけだ」と自分の経 験を重ね合わせての感動がある。
異化作用体験の有無も明らかではないが、それが短い抜粋ゆえであるかどうかも不 明である。
自律学習の評価は学習者自身の自己評価である。朗読、レポート、学期末の自己評 価で、学習者は読解力が「向上した」と答えている。「これからも日本の文学作品を読 みたいと思いますか」という質問にも、全員が「はい」と回答している。
しかし、各自が向上したと感じる読解力で、ただちに様々な作品が読めるようになっ たわけではない。今後、新たに読む作品によっても必要な読解力は異なる。全員が同 じレベルの読解力へ到達したわけではない。「読解力が向上した」というのは、学期の 初めより、読み方が広がり異化作用体験への困難が減ったことと、再読における読み の深まりを自覚したことからいえるのであろう。
5 まとめ
以上、中級レベル学習者に対する文学読解の授業について報告した。この授業の目 標は、異化作用を経験して、作品を読もうとするモチベーションを向上させ、読解力 をさらに高めようとする循環運動を起こすものであった。
中級レベル学習者はauthenticな文学作品を読むには、語彙と読み方に問題を抱え ている。しかし、語彙についてはそれほど問題にならなかった。語彙不足を補うスト ラテジーは、学習者同士の話し合いによって、逐語読みだけではない読み方へ徐々に 移行できた。教師が率先して説明をしないという授業の進め方に、違和感を覚えた学 習者もいた。小説技法のうち、一人称小説の特徴はよく掴めた。学習者は異化作用を 起こせたとも起こせなかったともいえる。それが 1000 字程度の抜粋ゆえなのかも不明 である。しかし、各自読解力が向上したと認識し、日本文学への関心も高まった。
よい読み手になるためには、語彙を増やし、自在な読み方を身に付けなければなら ない。今学期の授業の中で学習者たちは、将来、自律的に選んだ作品を「先へ、先へ」
と読み進め、表現を味わい、異化作用を数多く体験するために努力したといえる。
注
1 ふりかえりシートは毎回の授業で教師に提出するものである。記入項目は、作品名、
活動、気に入ったことば・表現、意見や感想である。教師は文言の訂正、意見や感想 に返事を書いて返却する。学習者は銘々のファイルに保管する。授業中に把握しきれ なかった学習者の内面が見えるツールである。引用した記述は誤字の訂正以外、原文 のままである。提出物をデータとして利用してよいという許諾を学習者から書面で得 た。
2 本稿は実践報告であるため、先行研究の実践を要約して紹介している。
3 執筆者によって「テキスト」「テクスト」の表記があるが、タイトル以外は「テキスト」
で統一した。
4 すでに翻訳で『ノルウェイの森を』読んでいた学習者は、この作品や登場人物の好き 嫌いがはっきりしているという特徴があった。
5 この題名と副題には筆者が訂正したものを載せている。
参考文献
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