• 検索結果がありません。

教育制度論入門

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "教育制度論入門"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

教育制度論入門

アメリカ教育制度論の現代的動向

黒 崎

教育と不平等 教育の機会均等 補償教育 文化剥奪論

〈目  次〉

教育の機会均等の再検討

学校のコミュニティ・コントμ一ル 教育のヴァウチャー・プラン 教育の公共性と公教育の概念 1 教育と不平等問題

A 諸個人の能力に差異が認められること,および学校 制度が諸個人を既存の社会的分業の枠組にもとついて分 化するという機能をはたしていること,この二つの事柄 の把握をめぐって,教育制度の理論は論争的に構成され

る.

 伝統的な枠組からは,この課題は教育の機会均等原則 にしたがって議論されることになる.教育の機会均等の 理念は,教育制度によって社会の不平等を解決しようと するものであり,こうした教育制度への期待は,近代的 教育制度の成立の当初から存在していたものである.ア メリカ公教育制度の創設者として有名なボレース・マン が,学校を,社会を平等化する平衡車輪とよんだことは よく知られている.そして,こうした教育制度への関心 は,今日我々のまわりにも支配的なものとして存在して いる.たとえば,次のような主張はそのなかでも代表的 なものといえよう.

 「憲法や法律が教育の平等を重視したのは,国民の経  済的社会的不平等をもたらす決定要因一人間の能力  の発達の不平等一を教育の機会均等を通じて克服し  ようとする,いわば一種の 教育革命 理念に通ずる  ものがある」〔伊ヶ崎・三論1980:93〕.

B これに対して,1960年代以降,とりわけ70年代に,

教育制度研究はその理論的枠組を大きく転換させたとい える.そこに成立することになった新しい教育制度への 関心の内容を端的に表明して,ボールズは,次のように

述べている.

  「自由な市場制度に内在する諸力がもたらす不平等  は,教育のもつ平等化の力によって相殺できるという  楽観主義は,単なる気やすめにすぎない⊥

 伝統的な教育制度論の枠組が,教育制度を社会の平等 化の方向と結びつけることを自明なものとしていたのに 対して,新に登場した一連の教育制度研究は,教育制度 がむしろ社会の不平等の固定化に寄与しているという分 析結果を提起しているといえよう.教育制度研究のこう した動向を決定づけたかにみえる共同研究r不平等』を 主宰したジェンクスは,連邦政府の要請にもとついてお

こなわれた大規模な調査報告の再分析の結果として,次 のように指i摘している.

 「われわれが調べた結果に徴しても,学校を改善して  もそれが学校外に大きな社会的変化をもたらすだろう  と期待するわけにはいかない.もっと具体的にいえ  ぽ,われわれの調査結果の示すところによれぽ,教育  の機会を平等にしてもおとなたちをもっと平等にする  ことに対してはほとんど効力がないであろう」〔ジェ  ンクス他,1972:356〕.

 さらに,この新しい理論的関心が批判の的にしている のは,旧来の教育制度論が,ことを専ら教育政策上の問 題として論じてきた,その方法的態度であった.「不平 等な教育の源泉はむしろ政治の領域をはなれて,資本主 義社会に特有の階級構造そのもの,さらには階級的下位 文化のなかに求められねばならない.つまり,不平等な 教育は階級構造そのものに根ざしているのであり,その 階級構造が不平等な教育を正当化し,再生産する役割を はたしているのである⊥これが新しい理論的枠組を生 むにいたる方法論上の批判であった.たとえぽ,我々の 身のまわりで,能力主義と教育という問題が,専ら能力 主義教育政策の問題としてのみ論じられていることを想 起するならば,ボールズの,この方法的批判が現代の日 本の教育制度論の問題状況にもそのままあてはまること がわかるだろう.

C すでに紹介したもののなかからも,新しい教育制度

(2)

論の枠組が,旧来の教育制度論の諸前提がもつ楽観主義 を教育制度の現実の機能の分析によって批判するもので あったということが理解されたであろう.すでに言及し たジェソクスの教育と平等化との関係の否定とならん で,ボールズとギンタスが提起した対応原理は,教育制 度について我々が抱いてきた観念に衝撃を与えるもので あったといえるのではないだろうか.

 ボールズとギンタスは,労働者のパーソナリティ特性 のうち労働現場で上司から評価される要因を分析したエ ドワードの調査結果と,高校生のパーソナリティ特性の うち学校での成功に役立っている要因を分析したメイヤ ーの調査結果(この調査にはボールズとギンタスも参加

図1 管理者に評価されるパーソナリティ特性(管   理者の評価とパーソナリティ特性の相関)

 DisapProved       ApProved 一3 −2 −1  0 1   2   3 4 5

CREATIVE

INDEPENDENT

PERSEVERANT DEPENDABLE CONSISTENT

IDENTIFIES WITH WORK

EMPATHIZES ORDERS

PUNCTUAL

DEFERS GRATIFICATION

PREDICTABLE TACTFUL

TEMPERAMENTAI、

*R.C. Edwards, Personal Traits and Success in Schooling and Work, Educational an4 Psツcho−

 logical Measure/nen彦 (1976).

図2 高校で評価されるパーソナリティ特性(学業   成績との部分的相関)

Penalized

一3 一2  −1   0 1   2   3 4

CREATIVE AGGRESSIVE INDEPENDENT

PERSEVERANT DEPENDABLE CONSISTENT

IDENTIFIES WITH SCHOOL

EMPATHIZES ORDERS

PUNCTUAL

DEFERS GRATIFICATION EXTERNA工LY MOTIVATED

PREDICTABLE TACTFUL

*1Ω,SAT−Verbal, SAT−Mathematicalの条件をコン   トロールしたときの相関を示す。

**S.Bowles, H.Gintis and Peter Meyer, The Long  Shadow of Work, The ln5urgent Sociologist   (Summer 1975).

している)とに,注目すべき対応があることを指摘して

いる.

 この対応関係から導きだすボールズの仮説は,次のよ うなものである.

 「学校における社会関係は労働の場でのそれの複製で  あり,そうであることによって若い世代の社会的分業  への適応を助けるものである.」また「万人に開放さ  れている学校教育によって,社会的分業体制のなかで  個人の占める地位は家柄ではなく,自分自身の努力と  才能の結果となるという理念に反して,階級下位文化  を媒介して,学校制度は既存の階級構造を再生産する  という機能をはたしている」.

 ボールズとギンタスは,この対応原理を旧来のマルク ス主義の理解を統計的手法によって実証する,近年とく に発達してきた研究の成果と位置づけている.

1−2 背景と意義

A 教育制度論の新しい理論的関心は,1960年代半ぽ以 降に展開されたアメリカ合衆国の教育政策の動向をめぐ って成立し,発展をとげたものであった.その政策と は,ジョンソン政権による「貧困との戦い」,「偉大な社 会計画」における補償教育政策を端緒とし,その理念及 び成果をめぐる激しい論争と,補償教育政策の「失敗」

につづくコミュニティ・コントロール運動及び教育ヴァ ウチャー・プランのことである.これらの政策,とりわ け補償教育政策にかかわって,田中成明は,平等原理の 転換という観点から,次のように述べている.

 「すでにアメリカ社会においては,いわゆる『メリト  クラシー(meritocracy)』の弊害が説かれ, r機会の平  等』に代わってr結果の平等(equality of result)』

 を求める声が高まるなかで,このような平等原理の転  換がはじまり,とくに公民権運動の高揚を背景に50年  代末から連邦政府によって推進されてきた教育・職業  等々の領域における実質的平等の保障をめざす公共政  策のなかで,それはかなりドラスティックな形で実施  されてきているものである⊥

 ここで能力主義の弊害の自覚からうまれた教育政策と 把握されているものの中心をなすのが,1964年の経済機 会法によるヘッド・スタート計画と1965年の初等中等教 育法の第一章の規定にもとつく,貧困家庭が集中してい る地域の特別の教育活動を振興するための施策に代表さ れる補償教育政策であることは,いうまでもないであろ

う.この講義が検討の対象としようとする補償教育,コ ミュニティ・コントロール,教育ヴァウチャー・プラン については,それぞれ個々の問題としては,これまで少 2

(3)

ないながら日本においても紹介され,検討が加えられて きている.しかし,それらが一連の事態の展開であり,

そこに資本主義社会における教育制度の問題が集約的に 現れていることは見失われている.ここに,この講義の 独自の観点がある.

B この講義は,素材をアメリカ合衆国の教育政策に求 めながら,解決すべき問題の関心をあくまで日本におけ る教育制度の現実にむけるものである.このことについ て,次の二つの点を述べておきたい.

(a)教育の自由化の理念が臨時教育審議会で高唱され,

それをめぐる論議が様々におこなわれている.この教育 の自由化の理念は,後で説明するように1960年代末から 今日までアメリカ合衆国で提唱されてきた教育ヴァウチ ャー・プランをモデルとするものである.しかし,日本 の最近の議論において,ヴァウチャー・プランが問題に される場合,ヴァウチャー・プランがアメリカ合衆国に おいていかなる文脈で提唱され,いかなる課題の解決を 期待されて登場したものであるかについて,ほとんどま ったくといってよいほど考慮されていない.そのため に,これらの議論はヴァウチャー・プランに対してまっ たく恣意的な評価をくだすことになっている.アメリカ 合衆国に素材をかりて,それを理論的に検討するという

ことは,こうした日本の,アメリカ教育制度をモデルと した議論の状況に対して批判を加えるということを意味

している.

(b)第二点は,アメリカ教育制度論の動向とはまったく 無関係に進められているかのように見える場合の日本の 教育制度論の問題状況にかかわっている.この15年間 に,日教組は,教育制度検討委員会を組織し,二度の報 告書をまとめている.それらは,「日本の教育はどうな っているか」,「日本の教育はどうあるべきか」,「日本の 教育をどう改めるか」という構成からなっており,終 始,日本の教育の現実問題を直i接とりあつかっている.

そこでの改革の中心理念は「発達の必要に応ずる教育」

に結晶化される「教育の正義の原則」であった.しか し,その理念は,必ずしも十分,制度論として展開され ているとはいいがたかった.

 ところで,アメリカ合衆国の教育政策及びそれをめぐ る教育制度理論の動向に注目するならぽ,この教育制度 検討委員会の活動した同じ時期に,教育を含めた社会政 策における新しい正義の公準をめぐる議論が発展し,ま た,発達の必要に応ずる教育の理念が,教育の機会均等原 則の新しい内容として,具体的な形で提唱されていた.

もし,教育制度検討委員会がこの合衆国の教育政策の動

向を視野にいれることができたならぽ,すくなくともも うすこし具体的に,その理念を教育制度論として展開す ることができたであろう.

 アメリカ合衆国の教育政策の動向を素材にとって検討 を加えるという方法に即して日本の教育制度論の状況を みれば,教育政策担当者の側では,その動向について注 意を払いながら,これを恣意的に利用するという態度を もって一貫している.これに対して,教育政策を批判す る教育運動の側の状況は,ほとんどそうした動向を無視 し,そのことによって自らの理論を深めるてがかりを失 っているというべきであろう,

 日本の問題の解決のために,アメリカ合衆国の動向に 素材を求めるという,この講義が前提とする日本の教育 制度論の問題状況の把握は,このようなものである.

2 教育の機会均等

A 新しい理論的関心が批判の姐上にのせた伝統的な教 育制度論の第一のポイントは,教育の機会均等論であっ た.この問題から検討を始めたい.

 教育の機会が社会的身分など,能力以外の理由によっ て差別されることなく,国民にひとしく開かれているこ とは近代社会の教育制度の基本的な原則とされている.

教育基本法第三条は「教育の機会均等」という表題のも とに,次のように定めている.

  「すべて国民は,ひとしく,その能力に応ずる教育を  受ける機会を与えられなけれぽならないものであっ  て,人種,信条,性別,社会的身分,経済的地位又は  門地によって教育上差別されない⊥

 教育の機会均等の理念は,「すべての人間が人間とし て形成されなけれぽならない」とした,近代社会形成期 の先進的な思想に由来するといわれる.同時に,固定し た身分制度によって社会が構成されていた近代以前の社 会に対比して,個人の自由と平等を原理として構成され る近代社会においては,教育の機会均等の理念が社会の 階層構成を合理的に説明する基本的原則となっている.

それは,階層間の移動(個人の側からは常に上昇移動が 意識される)が教育の機会の獲得の如何によって行なわ れるということに外ならない.したがって,この原則は,

諸個人が平等である社会についての期待を表明している とともに,業績によって社会的階層を構成するという原 理にも転化する.学歴社会とよばれる問題の発端がこの 原則のなかに伏在しているといえよう.

 教育の機会均等原則の,この二つの側面はその理念の 成立期においては,近代社会の人間の自由の実現という

(4)

期待のうちに統合されていたと考えられるが,今日で は,この二つの意味内容の区別に無自覚であることは,

教育の機会均等の概念を不当に拡大させる危険をもち,

問題を混乱させる原因ともなりかねない.

B 教育の機会均等の理念が,法制度としては広く認め られているにもかかわらず,高等教育への進学者を取り 上げてみた場合,この原則から予想されるものとは著し

くかけはなれた実態が生まれていることは,しぼしぼ指 i摘されている.

位階級区分を用いて,その収入区分に属する年齢補正さ れた世帯の,同じく年齢補正された世帯全体に占める比 率(年齢比率)とその各分位に属する学生が全大学生に 占める比率(在学者比率)とを比較したものである.

 選抜度指数=在学者比率/世帯比率

 すぐにわかるように,選抜度指数値1.00が,機会の均 等の状態を表し,これを下回る指数値は均等に達してい

ない状態を表すことになる.

 これとは別に,ボールズが利用しているのは,表2に 掲げる資料である.

B−1 菊地城司は家計調査における,全世帯を対象と した一般的な収入の5分位区分を大学進学に適齢の子ど もをもつと推定される年齢の世帯主に限定したものに補 正し,その各経済階層からの大学進学率を選抜度指数と いう推計をもって検討している(表1).選抜度指数は 世帯主年齢によって補正された(ここでいう世帯主年齢 補正とは,上記のように大学生を子どもにもつと推定さ れる年齢の世帯主だけを対象として取り出すという意味 である)収入5分位階級別の大学進学機会の比率を推計 するものであるが,全世帯を対象としたときの収入5分

表1年間収入5分位階級別大学選抜店指数(世帯   主年齢補正)

睡巨 1皿卵(上位)

国公立大

私立大学 1973 1974 1975 1976 1973 1974 1975 1976

.65

.57

.56

.50

.50

.47

.49

.61

.92  .85

.60  .75

.72  .84

.84  .42

.51  .75

.47  .73

.60  .81

.56  .71

.91  1.37

1.10    1,57

.98  1.52

1.22    1.51

.90

.87

.99

.97

1,73 1.90 1.62 1,62

表2 ハイ・スクール卒業生の大学在学率(アメリ   力合衆国)1967年

B−2 以上のデータは教育の機会均等の理念が人種,

性別,社会的身分,門地などによる教育の機会の差別を 法的に廃止するものであったとしても,経済的地位によ る教育の機会の不平等についてまで,単純に廃止するこ とはできないということを示している。日本経済調査協 議会の報告書『新しい産業社会における人間形成』(1972 年)も,次のように指摘している.

 「家庭教育費については市街地が農山村の3倍も支出  している.大学生の74%は私立に在学しており,その  結果,経営管理者の子弟は農林漁民の子弟の約30倍,

 技能工の子弟の約100倍の割合で大学に進学している  ものと推定される」.

 通常,教育の機会均等原則は,こうした経済的地位に よる教育機会の不平等の問題に対しては,教育の無償化 と奨学制度の整備によって解決を図ろうとする.しか し,そこには二つの問題点が残されている.

 第一に,教育の機会を享受するために必要な経済的費 用は学費に止どまらない.なによりも在学期間,労働か

ら解放される必要があり,またその間の生活費が保障さ れなけれぽならない.この観点からみて,経済的不平等 に対して教育の機会を真に均等化するという目的に照す

家庭の所得水準 大学に在学していない 者の比率

全体

$3000以下  3000〜 3999  4000〜 5999  6000〜 7499  7500〜 9999 10000〜14999 15000〜

53.1 80,2 67.7 63.7 58.9 49.0 38.7 13.3

表3 高校生の家庭的背景(1979.12)

1A劇M校

父親の職

父親の学

農業等および技能工・

生産工程作業従事者 管理的および専門的 職業従事者

10%

50

65%

5

義務教育卒業 ・・}65

大学および

旧制専門学校 55 5

A枝:トップ・ラソクの進学校 M校:公立職業高校

4

(5)

ならぽ,今日実行されている教育の無償化と奨学制度は きわめて内容的に乏しいものであるといわないわけには いかない.

 次に,より複雑で根底的な問題として,教育の機会均 等原則が唯一の合理的な教育機会の配分原理としている 個々人の能力の水準が経済的水準によって決定されてい るとみられることである.

 事態はきわめてデリケートであり,正確な把握は困難 であるが,日本教育学会入試制度研究委員会の調査報告 はその一端を示し得ているといってよいであろう(表

3).

 人種あるいは社会的階級・階層間の言語活動の特徴お よび文化内容と個人の能力の発達との相互関係について の研究は特に資本主義の発達している諸国で進められて おり・そこでは,これまで能力として測定され,評価さ れてきたものが,ミドル・クラスといった特定の社会階 層との間に固定的な関係がつくりあげられていることが 指摘されている.家庭の社会的経済的背景に規定され て,成長する世代の一人一人が極めて異なった文化環境 におかれていること,能力の発達がそうした文化環境と

りわけ言語環境に大きく依存していることは,現在で は,ほとんど常識化しているといってよいほどである.

教育学を専攻しているのではない,たとえぽ次のような 一社会学者の発言などによってもそのことは窺い知るこ

とができよう.

 「未権利状態のr悪循環』(経済的地位による教育機  会の不平等を指す一引用者)がどのようにしてうま  れるかは,現在ではよく理解されているところであ  る.労働者階級の平均家庭数は中間階級よりも多く,

 親子としての直接的接触の度合も低い一それは,子  供の言語的表現能力がそれにより影響される限り,子  供の知的能力にも恒久的な影響をおよぼしうる現象で  ある。のみならず,教育に対する労働者階級の態度  は,子供に不利である場合が多い,学校についてみれ  ば未権利状態地域における貧弱な器具や施設と資格の  劣悪な教育スタッフや知的発達自体よりも統制の諸問  題が重視される教育環境と結びついている」(ギデン

 ズ).

 すでに述べたボールズの議論が,こうした点を分析的 に掘り下げるものであったことは,繰り返すまでもない であろう.知的能力によってのみ編成されているはずの 学校制度をとおして,既存の階級構造の次世代への再生 産がいかにして可能になるかというメカニズムについて の彼の仮説的説明は,次のようなものである.

 「生産の階級的構造に基礎をおく社会的分業は明確な

形で階級的な下位文化を生みだす.そして,各下位文 化に特徴的な価値やパーソナリティ特性,期待は,階 級による家族内での社会化の違いを通じて,世代から 世代へと伝達される.さらに,そうした出身階級の違 いに応じて,子供達が受ける学校教育の種類や年数の 違いが,それを補完する役割を果たす」.

C 教育の機会的均等の理念は,発達の機会を等しく保 障しようとするものであると同時に,個人の自由と平等 を原理とする近代社会において,社会の階層構成(社会 的分業)を合理的に説明する唯一の理念ともなってい る.したがって,教育の機会が制度の建前としては平等 に開放されているという装いをもったとしても,事実と して,教育への機会が経済的に優位な階層の子弟によっ て占有されることは,近代社会の階層構成を著しく固定 的なものとし,人々に新たな身分的秩序として意識され

ることになる.

 特に,家庭の社会的経済的背景が,教育の機会均等理 念によって唯一の合理的な教育機会の配分原理とされる 個々人の能力の水準を決定している観を呈していること は,この問題の複雑さと深刻さとを表わしているものと して注目される必要がある.今日,諸々の社会的差別は 経済的格差としても現われるから,教育の機会均等の理 念の下でも,結果としては,人種,社会的地位などとい った差異が,能力の問題を媒介として再び教育の機会の 配分における差別として生きつづけることになるからで ある.こうして,教育の機会均等理念の再検討が,教育 の問題であるとともに,社会全体のあり方にかかわる問 題としてクロ・一一ズアップされることになる.

図3 補償教育の理念

(1)教育機会の現状(不平等)

      家庭環境  学校環境  富裕層 XXXXXXXXXX XXXXXXXXXX  貧困層 XXXXX   XXXX

② 伝統的な教育の機会均等  富裕層 XXXXXXXXXX XXXXXXXXXX  貧困層 XXXXX   XXXXXXXXXX

(3)補償教育政策による教育の機会均等 富裕層

貧困層

XXXXXXXXXX XXXXXXXXXX XXXXX      XXXXXXXXXXXXXXXXX XXX        XXXXXXXXXXXXXXXXXXX X     XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

(6)

3 補償教育政策一理念・政策・結果一

A 理念

 こうした教育の機会均等理念の再検討として,1960年 代半ば以降とりわけ注目を集めたのは補償教育政策

(compensatory education) と呼ぽれるものであった・

それは,社会の各階層間に能力が平均的に分布している という仮説を前提として,社会諸階層の教育の機会の分 配の「結果の平等」化を図ろうとするものである.すな わち,社会諸階層の潜在的能力を等しいと仮説するなら ば,実現している能力に格差が生ずるのは,それぞれの グループのおかれている社会的経済的背景,環境の差異 に起因するものということになる,したがって,この格 差を解消するためには,社会的経済的背景を異にする個 人に対して,それぞれ,その置かれた環境条件に反比例 して(つまり環境の劣悪さに応じて)教育サーヴィスを 傾斜的に分配する必要が起こる.こうした補償教育政策 の理念は,図3のように図解される.

表4 3年生および6年生の読み書きテストの結果   (全市の生徒の成績の平均に対する上下を月数で   表示したもの)

1965−66 1966−67 1967−68 1968−69 1969−70

  [3年生]

クリーブラ比較対象 ソド小学校群

一3     2.5

−2     0.5

−1     0

−2    0

0 2

  [6年生]

クリーブラ比較対象 ンド小学校群

0    −4

−2    −1.5

−2    −2

−6    −1 一〇.5   −1

(誤差0.5)

B 政策

 補償教育政策の代表的なものは,アメリカ合衆国のヘ ッド・スタート計画,初等中等教育法第一章およびイギ リスの教育優先地域計画,コミュニティ・アクション・

プランなどである。ヘヅド・スタート計画は1億5千万 ドルの予算をもって出発し,初等中等教育法は初等中等 教育財政に占める連邦政府の予算の比率を一挙に2倍に ふくらませるという具合に,補償教育政策には非常に多 額の教育費が投入され,したがって,その効果をめぐる 議論も極めて活発におこなわれることになった。

(誤差1)

      表5 中学1年生時の成績

(0〜4の5段階評価による各教科の成績評価を平均し たもの。いうまでもなく,4が評価の最上位である。)

は転轟垂ド比較対鱗差

1965−66 1966−67 1967−68 1968−69 1969−70

2.01         1.94     0.07 1.86         1.82     0.04 1.82         1.54     0.28 1,95         1.62     0,33 1.92         1.77      0.15

C ニューアーク・ヴィクトリア計画の結果

 ニューアーク・ヴィクトリア計画の結果の分析は,補 償教育政策の効果について,一つの典型的な結論を導き だすものであるようにおもわれる.この計画が実施され たクリーブランド小学校はニューアーク市の中心部,99 パーセント以上が非白人で低所得層からなる地域に位置 していた.この計画は1964年から1970年にかけて実施さ れ,この間ヴィクトリア財団から100万ドルの資金が提 供され,市教育委員会も同程度の資金をこの計画のため に特別に支出している,この計画によって実施された特 別の教育活動の主要な内容は,次のようなものであっ

た.

  教師の定員の増加   学校図書の充実

(誤差0.08〜0.05)

医歯療サーヴィス 課外の見学 実習

クラブ活動

黒人のための黒人史および黒人文化についての特別  カリキュラム

専任のケース・ワーカーの採用 親の学校参加事業

C−2 このヴィクトリア計画の結果は,上の二つの表  によって示される.

 この二つの表によって示された結果は,次のように要 約することができるであろう.

 (1標準化された学力テスttトで測定する限り(表4),

  補償教育活動は生徒の学力を向上させることに役立   っていない・

 ②担当教師がおこなう成績評価で測定する場合には 6

(7)

 (表5),補償教育活動はある程度の効果をあげた  とみることができる.

(3)この二つの異なる結果から,補償教育活動は,子ど  もの知的能力の発達それ自体に効果をもったという  よりも,社会的適応力ないしは教師や規律に対する  尊敬などといった,教室で成功するために必要な行  動の手がかりを与えたという点で,わずかに効果を  あげたと推測することができよう.

4 文化剥奪論(省略)

5 教育の機会均等の再検討

A 補償教育政策は同じ出発点から出発しなかった生徒 は,讐え平等な教育条件が与えられても,発達のための 平等な機会を保障されたことにはならないという考え方 によるものであった.もし,こうした生徒に発達のため の平等の機会,平等の質の教育を与えようというのであ れば,彼等のハンディキャップを補償する必要があるの ではないかという考え方である.

 こうした観点から教育の機会均等概念の抜本的な再検 討をおこなったのはコールマンであった.コールマン は,伝統的な教育の機会均等の概念が生徒一人当りの教 育費,学校の施設・設備といった教育条件の平等化にと

どまっていることを批判し,生徒一人一人に対する教育 効果が平等化されることが必要であるとし,伝統的な概 念が「機会の平等」と特徴づけられるとすれぽ,新しい 概念は「結果の平等」を特徴とするものと把握されるべ きであるとしたのであった.この新しい概念を一言で定 式化するならば,同じ能力のものは社会のどのグループ に属しているかに関係なく,同じ教育の結果を得るとい う目標の実現を求めるものとすることができよう.コー ルマンの議論の特徴は,社会的諸グループ間の教育の結 果を比較し,グループ間の教育の結果を平等にすること を教育制度の側の達成すべき責任と捉えたところにあっ

た.

その人の能力にかかっているとしても,人々の間に能力 の差異があるという事実によって,教育が権利としてす べての人に保障されるべきであるということはいささか も否定されない.こうしてブラックストーンは教育の機 会均等原則に先立つ道義的優先事項として,「必要に応 ずる」教育の機会の保障の原理を提唱し,次のような結 論に達している.

 「教育の権利の理想的な充足は,社会的・経済的・教  育的条件を保障し,すべての人が,その人の能力の可  能性を実現させることにある」.

 ブラックストーンは補償教育のあらゆる試みに支持を 与え,「経費は高くつくが,我々はそれをしないわけに はいかない」としたのであった.

B−2 補償教育政策に端を発し,コールマンの提唱に 促された,こうした問題関心に基づいて,グリーンは

「能力に応ずる」教育の機会の配分原理と「必要に応ず る」教育の機会の配分の原理との統一を主張している.

すべての個人は,その能力や社会的有用性という観点と は無関係に,「必要な」教育水準のミニマムを保障され る権利をもつ.それは社会福祉制度が正義とみなされる のと同様であるとグリーンはいう.しかし,これだけで は不十分である.なぜなら,教育の機会均等概念の意義 は,教育について,相対的に稀少な資源を,相互に利害 を異にする諸個人間で,どのように分配することが正義 に適うかという問題を取り扱うところにあったからであ る.グリーンは,こうしたミニマムを超える水準の教育 の機会については,能力に応じて配分されるべきである とする.その議論を図解すれぽ,次のように解説するこ とができよう.

表6 能力に応ずる教育と必要に応ずる教育

機会の平等隣果の讐

能力に応ずる教司 X X

B 発達の必要に応ずる教育と能力に応ずる教育  ブラックストーンは教育の機会均等原則に先立って,

その前提条件として認められるべき道義的優先事項があ ることを主張する.彼は「メリットによって諸個人を格 差的に取り扱うことは不可避的ではあるが,その場合,

まず,これらのメリットを発達させる機会が与えられて いるという公正さが要求される」と述べている。さら に,教育は人間の権利であり,教育機会の利用可能性が

腰に応ずる教司 ・  x

(1)「必理の原理」はすでに存在しており,無視するこ  とはできない。

②「必要の原理」は結果の平等を厳密に要求する。

(3)「必要の原理」は適用の上限を限定される。

(4)「能力の原理」を絶対化することは現実に反する。

(5)「能力の原理」は結果の平等を厳密には要求しえな  いo

(6)「能力の原理」は適用の下限を限定される。

 グリーンの議論は,能力に応ずる教育の機会の保障の 原理と必要に応ずる教育の機会の保障の原理の適用に,

それぞれ制限を加え,この二つの原理を一組のものとし 7

(8)

て教育制度の理論を構成しようとしたものであった.

C 教育の機会均等原則の意義は否定しうるるものでは ないが,これに何の留保を付け加えずにおくことも,ま た正当化しえないというのが,現代の教育の機会均等原 則をめぐる議論に共通した背景をなす関心であった.

 こうした現代の教育の機会均等概念をめぐる議論は,

コールマンの提唱する「機会の平等と結果の平等」およ びグリーンのいう「能力の原理と必要の原理」という二 組の対概念を利用するならぽ,表7のように整理される であろう.

表7 教育の機会均等概念の整理

な問題については解決することができない,

 (1}社会の不平等をなくすことはできない.不平等にい   きつくプロセスを公正なものとし,そのことによっ   て不平等という結果を承認しやすいものにするだけ   である.

 ②競争を公正にするというこの原則の内容は,競争の   性質を人間的なものに変えるわけではない.また,

  公正な競争は有用であることを必然的に件うという   ものでもない.偏差値体制と通称されている事態   も,不公正な競争から生みだされているわけではな

  い.

 以上の問題は,今日,「能力主義と教育」あるいは「教 育における能力主義批判」というテーマで検討される.

機会の平等 結果の平等 能力の原

必要の原

①現行高等教育綱噸野育(特別奨

②能力別学級融等1⑥補償教育

③生涯学習

1

⑦マイノリティ優先

④現礒翻育綱⑧魏ストリvミ 入学

上段=高等教育レベル 下段=義務教育レベル

(1}機会の平等と結果の平等を区別したのはコールマン  の功績である.

② 能力の原理と必要の原理の区別はグリーンの提唱で

 ある.

(3)高等教育と義務教育のレベルの区別は,教育の機会  均等理念の二重性(表6参照)に対応させようという  ものである.

(4)①では受験機会の開放と無償教育・奨学制度が想定  されている.

(5)⑧は「民主主義社会の目的が技術と人格の発達をと  おして社会の一般的生活(mainstream)に実質的な内  容を伴う参加をする機会を広げようとするものであれ  ば,教育の機会は,こうした目的がすべての人々に実  現するまでは不平等だということになる」という主張  にもとつく諸施策を指している。

(6>現行の教育制度は①と④をメイソとし,②と③をサ  ブにしている。

(7)コールマソの提唱するものは⑤と⑥ということにな

 る。

(8)グリーンは①と⑧を複合することを求めている。

(9)日本では能力の原理VS.必要の原理というシェーマ  にもとついて論争がつづいている。このシェーマでは  事態を適切に捉えられないであろうということを示す  ところに,この図解の意義がある。

D 未解決の問題

 教育の機会均等論は,どのようなものであれ,社会的 地位を獲得するための競争それ自体を批判する力をもつ ことはない.すなわち,教育の機会均等論は,次のよう

D−2 能力主i義と教育

 能力主義というのは,次のような考え方をさす.

 (1)いかなる社会にも他の地位よりも重要であり,その   地位につくために特別の力量が要請されるような特   定の地位が存在する.

 (2)どの社会にも,これらの特定の地位にふさわしい力   量を教育・訓練によって獲得することができる才能   をもった個人は,少数のメンバーに限られている.

 (3)これらの地位のために必須な才能をもった個人にと   って,その力量を得て,その地位につくために犠牲   をはらうことを魅力あるものとするため,これらの   地位に対して高い収入・権威・名誉などを与えるこ   とは合理的である.

 (4にうした社会的不平等は社会を維持していくために   不可避的であり,機能的には決定的に重要である.

 能力主義と結び付いた教育政策は,次のような特徴を もっている.

 (1画一的,序列的な能力観  ②早期選抜

 (3)多様なカリキュラム

D−2−2 能力主義批判の観点は,次のように整理さ

れる.

 (1)能力の発達が社会的地位の向上を約束していない.

 (2)能力主義の原理は,社会の中で実際には機能してい   ない.

 (3}能力主義が完全に実現するならば,その社会はいま   よりも耐えがたい社会となるであろう(ヤング『メ   リットクラシー』至誠堂選書).

D−2−3 現代社会の階層化のメカニズムは,能力主 義のいうものとは異なっているのではないか.ギデンズ は,このメカニズムについて,以下の3つの基準にした

一8

(9)

がっていると把握する.

 (1)生産手段の私的所有によって社会的地位を手にする   か,

 ②学歴および資格の所有によって,それにふさわしい   地位を獲i得するか,

 (3)肉体的労働力を提供することによって,それに見合   う地位につくか,と.

 こうしたメカニズムに照らしてみれば,能力主義の議 論は,階層化の1と3に挙げた基準を故意にみのがすも のであるといえよう.

D−3 能力主義に対する批判は,次のような論理にお いておこなわれ得るとおもわれる.

(1)社会は分業を必要とし,人々は社会的に異なる地位   につくということ,および人々の能力に差異がある   ということ,この2つの事実を無視することは現実   的ではない.

 ②しかし,富や所得の分配が社会的偶然(どのような   両親の下に生まれてきたか)によってきまることが   正義に反するのと同じように,能力によって富や所   得が直ちに決定されることも正義に適うとはいえな

  い.

 (3)なぜなら,it−一人として,より大きな生来の力量に   恵まれるに値する特別な人間だと考えるわけにはい   かないからである.それは,いわば自然的偶然であ   る.また,恵まれた才能を開花させたのは努力であ   るといいきることも疑わしい.それもまた,幼年期   の幸福な家庭とか社会的環境に依存しているからで   ある.

 (4)もとより,才能に恵まれた者が自らの能力を発揮す   ることは当然であり,奨励もされる.同時に,そう   した才能に恵まれた,より大きな能力は共同の利益   のために用いられる社会的資産とみなされるべきで   ある.

 (5)したがって,自然的,社会的に有利な立場にある人   々は,単により多くの恵みをうけているからという   理由で利益をうけるべきではない.彼等は自らの努   力を償うための利益を得ることはできる.そして,

  それ以上の利益を主張するばあいには,そうするこ   とが恵まれない人々の状況を改善することに役立つ   という条件の下でのみ,才能に恵まれた者は,自ら   の幸運から利益を得ることができる.

 これは,公正としての正義と名付けられたジョソ・ロ ールズの議論に依拠するものである.

6 学校のコミュ=ティ・:1ントロール(地域的自主管

理)

A 補償教育に対する最もラディカルな批判は,大都市 中心部の黒人およびマイノリティ住民によってすすめら れたコミュニティ・コントロール運動のなかにあった.

 統合教育の実現をめざしてきた黒人運動における教育 要求は,1960年代半ぽを分水嶺として大きく変化する.

1954年のブラウン判決から10年を経過し,1964年の公民 権法の成立によっても,統合教育の実現は失望すべき状 態にあり,北部大都市においては中心部に流入する黒人 および他のマイノリティ・グループがゲットーを形成 し,それにつれて白人の郊外への脱出がすすむという居 住地域の事実上の分離が顕著になり,教育上の分離はか えって拡大したとみられるようになった.同時にこの事 態は大都市の黒人およびマイノリティをコミュニティと 学校のなかではマジョリティとするにいたる.しかし,

コミュニティと学校を管理する政策の決定過程では,彼 等は依然としてマイノリティの地位に止められていたの である.このような状況の下で補償教育政策が現状を有 効に改善し得ないとみなされたことは,黒人運動内部 に,統合教育の目的としての正当性と補償教育の前提の 妥当性とについての疑念を生ぜしめたのであった.

B コミュニティ・コントロール運動

 コミュニティ・コントロール運動は,ボス政治として 特徴づけられているマシン・ポリティクス(政党機関に よる政治)と革新主義(progressivism)による都市行政 の改造とを「弁証法」的に統一しようとするものであっ たと理解されている.都市政治の政策決定が,まずマシ ン・ポリティクスによって支配され,革新主義の改革が それにかわったという展開順序から,コミュニティ・コ ントロール運動は直接的には革新主義の所産に対する批 判となる.革新主義の教育制度における所産について,

森田尚人は,次のように指摘している.

 「政党機関のボス政治を打倒して,民衆の直接政治を  実現しようとした革新主義が,政治を公正な精神と専  門的知識をもつ有能な指導者に託そうとして,かえっ  て政治の中央集権化と官僚化をおし進めるという逆説  を生んだのである.(略)こうした逆説は,当時の都市  における学校改革運動に端的に現われている.学校改  革は教育を地域ボスの影響から切りはなして,専門的  教育者の手に委ねようとした.そのため改革運動は教  育委員会の選出母体を地域から市全体に拡げ,しかも 9

(10)

 その総数を削減することによって,地域の代表が直接  教育行政に参加する道を封じた.その結果,教育委員  会の構成は一変し,実業家と専門職業家にほとんど限  られることになったが,それは同時に,移民やカトリ  ック教会の影響から公立学校を切りはなすことでも  あった」(森田尚人「革新主義運動とジョン・デュー

 イ」).

 コミュニティ・コントロール運動はこうした革新主義 の改革によって確立された都市行政機構とその活動を,

地域の住民の要求に直接に応えるものに再編成すること を目指したのであった.

B−2 学校のコミュニティ・コントロールの要求を最 初に定式化したのはウィルコックスである.彼は当時コ

ロンビア大学の黒人のアシスタント・プロフェッサー で,イースト・ハーレムで7年余にわたり地域活動に従 事していた.この地域に建設されたIntermediate School(IS)201が,当初の教育委員会の約束と違って 分離学校とされたことをきっかけにして始まった紛争 は,黒人民衆の教育要求を統合教育からコミュニティ・

コントロールへと転換させた画期であったといわれる.

この紛争のなかで,親の代表によって教育行政当局に対 して提示されたのがウィルコックスのプランであった.

 ウィルコックスは,この提案の冒頭で,次のように述 べている。それは,コミュニティ・コントロールを支持 する人々の気分をきわめてよく表現するものであった.

 「分離された白人の学校が良い学校でありうるとすれ  ば,IS 201のような分離された黒人とプエルトリコ人  の学校もまた,良い学校でありうる」.

 白人との統合によってではなく,黒人のままで,バッ シソグによってではなく,ゲットーに生活し,その地域 の学校へ通いながら,黒人の子どもたちは自らの能力を その限界にまで発達させることができるという確信が,

この提案を支えていたことは明らかである.学校のコミ ュニティ・コントロールのプランとして具体的に提案さ れたのは,IS 201に学校=コミュニティ委員会(School

=Community Committee;SCC)を設置することであ った.SCCの任務と権限は,次のところにあった、

 (1)校長候補者の選考と面接.

 ②学校が教育委員会に提出するすべての書類の公開,

  カリキュラムの検討,親と教師の公開集会の開催な   どといった監査機能.

 (3)学校をつかっておこなわれる課外活動,成人教育活   動の運営と管理.

 (4)学校の入退学者,国語と数学の成績,教師の転出

  入,カリキュラムの内容などのレポートの作成とコ   ミュニティへの配布.

 (5>社会的地域的行事の校内での開催.

 SCCは親,地域リーダー,コミュニティ内外の教育 と社会問題分野の専門家によって構成され,その委員は 生徒の親の投票によって選ばれる.

 SCCは,教育委員会における教育長にあたるものと して,常勤の専門職を雇い,次の職務にあたらせる.

 (1)教職員の会合の主催および父母集会の主催,

 (2)SCCを代表して,特定の時間に教室を参観し,生   徒の家を訪問する.

 (3)地域の文化的諸組織を学校の活動に参加させる.

 (4)SCCが学校のために助手として雇うパートタイム   の職員の教育訓練をおこなう.これらの職員は地域   の住民のなかから選ばれ,家庭訪問,福祉関係の仕   事,課外および成人教育活動の仕事に従事する.

 この提案は,SCCの設置によって,顧客に対して学校 が応えるという関係を実現し,学校の管理者と教師がコ

ミュニティに責任をもつことを義務とするよう求めてい

る.

B−3 不当な一般化は慎まねぽならないが,コミュニ ティ・コントロール運動が追求した以下の諸点は,我々の 問題状況に照らしても興味深いものであるといえよう.

 (1槻たちが,校長といった指導的な専門職の採用の過   程に参加するという方法で教育の内的事項と呼ばれ   てきた事柄への発言権を行使していること.

 (2)学校プロフィールを提供するといった形で専門家の   仕事を具体的に公開させることが,親と教師,素人   と専門家が共同して教育の事業を行なうための出発   点であったということ.

 コミュニティ・コントロール運動が課題としたもの は,人格の発達に働きかける社会の教育諸力の特有の役 割を解き明かしながら,専門家と素人にそれぞれ固有の ものとされてきた領域において相互の有機的な関係を究 明することにあったといえよう.

7 教育のヴァウチャー・プラン

A コミュニティ・コントロールと並んで,補償教育の 失敗に促されて提起されたのが教育のヴァウチャー・プ

ランであった.教育のヴァウチャー・プランは,図4の ように図解されている.

 教育のヴァウチャー・プランの最初の提唱者はミルト ン・フリードマンであったといわれる.しかし,このプ

一10一

(11)

図4 STATE MONEIES

・AX・AY・… p国㌣國⇒  ANYQUALIFIED.9CI{00L

SCHOOL VOUCHER VOUCHER TAX

零回

VOUCHER

ランを1960年代の半ぽに連邦政府の教育改革の実験計画 にまで仕上げたのは,このフリードマンのプランを批判 的に修正したジェンクスであった.ヴァウチャー・プラ ンは,単に補償教育の失敗に対して提唱されただけでは なく,コミュニティ・コントロール運動に対抗ないし譲 歩するものとして提起されたものでもあった.この間の 消息をジェンクスは,次のように述べている.

 「我々は現在の都市の学校の危機を第一に政治的問題  としてみ,教育的問題は二次的なものにすぎないとみ  るべきである.ミリタントな黒人が,彼等の子どもは  愚かにされ,従属的なものにされるという陰謀の犠牲  になっていると信じるかぎりは,政治的問題は解かれ  ずに残されるであろう.もし,我々がそうした疑いを  もつ黒人の親達に,彼等自身の学校を建てることを励

図5

まし,援助するならぽ,我々は不幸を防ぐことができ る.これらの学校は3Rsの教授において既存の公立 学校より,あるものは優り,あるものは劣るであろう と,私は予想する.しかし,それが問題なのではな い.肝腎な点はすべてに寛容な政治的妥協を発見する

ことである」.

B ジェンクスのプランは連邦経済機会局によって採用 され,部分的には実験にうつされた.その概要については 本誌に掲載されている伊藤清江の論文を参照されたい.

 ジェンクスとともに教育のヴァウチャー・プランによ る教育制度改革を試みようとしているのは,クーンズで ある.それは,住民運動として今日なお話題を集め得る 唯一のヴァウチャー・プランであろう.ヴァウチャー制 度を導入するためにクーンズの提案するカリフォルニア 州憲法の改正案の最新のものは,r教育』1986年1月号に 訳出されている.その内容をクーンズ自身の図解で説明 すれぽ,図5のようである.

C クーンズは自らの教育ヴァウチャー・プランの意i義 を,次の言葉で要約している.

 「選択による教育のための発議は消費者に,われわれ

State

District traditional PS

」L

     1      l      L___

        1          旨

District         l

Traditinal pS     L_ S

Fa

90

Family      1

______1

25%Protecting Low lncome Families***

PS:Public School VS:Voucher SchQoI

S:Schoo1

* ヴァウチャーの額面は、現行生徒ト大当の公立学校費の90%。

**追加授業料の徴収を認める。

***所得階層下位25%あ家庭に対して、優先的入学措置と追加授業料免除をおこなう。

一11一

参照

関連したドキュメント

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

教育・保育における合理的配慮

 

さらに体育・スポーツ政策の研究と実践に寄与 することを目的として、研究者を中心に運営され る日本体育・ スポーツ政策学会は、2007 年 12 月

一貫教育ならではの ビッグブラ ザーシステム 。大学生が学生 コーチとして高等部や中学部の

光を完全に吸収する理論上の黒が 明度0,光を完全に反射する理論上の 白を 10

雇用契約としての扱い等の検討が行われている︒しかしながらこれらの尽力によっても︑婚姻制度上の難点や人格的

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き