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「択一的故意」について

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(1)

「択一的故意」について

その他のタイトル Der dolus alternativus

著者 佐伯 和也

雑誌名 關西大學法學論集

巻 53

号 4‑5

ページ 1066‑1122

発行年 2004‑02‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/12321

(2)

﹁ 択 一

的 故

意 ﹂

は じ め に 一 択 一 的 故 意 の 事 例

︱︱択一的故意の事例における﹁行為者の表象内容﹂

三 ド イ ツ

・ わ が 国 の 学 説 の 検 討 曰 観 念 的 競 合 説

□ 一 罪 説

□ 実 践 的 解 決 説 圃 類 型 区 別 的 解 決 説 田 故 意

・ 過 失 競 合 説 因 量 刑 解 決 説 四 択 一 的 故 意 の 事 例 の 解 決

1

試論の展開 曰 原 則

□ 事 例 の 検 討

むすびにかえて

について

0

和 (

1 0

六 六

(3)

﹁ 択

一 的

故 意

﹂ に

つ い

( 1

0 六

七 ︶

一人を殺す意思を有する者︑

犯罪成立の主観的要件としての﹁故意﹂に関する問題は︑わが国においても活発に議論されてきた︒中でも︑﹁錯 誤論﹂は︑﹁法定的符合説﹂か﹁具体的符合説﹂かという対立を軸として一時期脚光を浴びた︒そして︑さまざまな 事例分析を積み重ね︑ようやく本来検討すべき諸問題に到達している︒その一っが︑すべての﹁錯誤理論﹂に共通し

(2 ) 

た﹁故意の個数﹂の問題である︒

従来︑とくに錯誤論における具体的符合説は︑行為者が A を B と誤信し︑殺害したような﹁客体の錯誤﹂

るいは行為者が A

を殺そうとしたが︑

内 容

と 捉

え ︑

の事例あ

A 以外の予期しなかった B を殺害してしまった﹁方法の錯誤﹂の事例のような

﹁単純な事例﹂を出発点として︑さまざまなケースにおいて︑﹁およそ人﹂ではなく︑﹁その人﹂を殺す意思を故意の

(3 ) 

一人を殺す意思は﹁一個の故意﹂であることを強調し︑複数の故意を肯定する法定的符合説を厳しく批 判してきた︒しかし︑近年︑このような批判を展開してきた具体的符合説によっても︑﹁一人を殺す﹂意思が︑﹁一個

(4 ) 

の故意﹂であるのかどうかが︑様々な事例において︑疑問視されてきた︒その意味では︑

広く言えば︑﹁︱つの構成要件﹂を実現しようとしている者︑あるいは﹁︱つの客体﹂を侵害しようとしている者は︑

︱つの故意の犯罪を行っている︑

つまり﹁一個の故意﹂であり︑複数の故意を有していないと本当にいえるのかどう

(5 ) 

かが︑錯誤理論の共通の︱つの検討すべき課題となったのである︒

同様に︑﹁故意の個数﹂

の問題は︑様々な見解が主張され︑理論的にも重要でありながら︑わが国で今日までほと

(6 ) 

んど論じられることがなかった﹁択一的故意の事例﹂解決においても生じる︒教科書等では︑﹁不確定故意﹂の場合

は じ め に

0

(4)

第五三巻四•五号

﹁故意の個数﹂の問題解決にも影響することは明

一 人

三 一

〇 の一類型として︑行為者が

A か B

のどちらか﹁一人だけ﹂を殺すつもりであったような事例が検討対象となっている

(7 ) 

のであるが︑後述のように﹁択一的故意﹂という概念は︑その内部に様々な﹁類型﹂を包括しうるものである︒

的・包括的にいえば︑択一的故意の事例とは︑行為者の表象において︑自己の行為が︱つの構成要件を実現するある いは︱つの結果を発生させることについては確信しているが︑どちらの

︵どの︶構成要件を実現するのかについては不確定である︑つまり︑行為者が︑二つ

︵ 以

上 ︶

の構成要件実現・結

果の発生︵の可能性︶について︑相互排他的に︵択一的に︶計算に入れている場合ということができるであろう︒そ の意味で︑択一的故意の事例では︑行為者は︑複数の構成要件が同時に実現するあるいは複数の結果が同時に発生す

るとは考えておらず︑

(8 ) 

いることになる︒したがって︑錯誤における故意の個数の問題と同様に︑﹁択一的故意の事例﹂においても︑

殺害する意思といった行為者の表象内容をどのように捉えるのか︑そして﹁故意の個数﹂の問題が重要な争点になる

の で

あ る

関法

一方の実現・発生という表象は、他方が「実現しない•発生しない」という表象を前提として そこで︑本稿は︑択一的故意の事例の検討を通じて︑択一的故意の事例に対する一定の結論を提示することを主た

る目的としている︒もちろん︑その帰結が︑錯誤論における学説・

( 9 )  

らかであるが︑関係する限りでその点について触れるにとどめる︒

( 1

)

最近のものとして︑﹁特集・錯誤と故意概念﹂現代刑事法一巻六号(‑九九九︶四頁以下︑清水晴生﹁近年のドイツにお ける客体の錯誤と方法の錯誤とを巡る議論の展開について(‑)︵ニ・完︶﹂法学六六巻四号︵二

0

0 二︶四 0 頁以下︑六六

巻五号︵二

0

0 二︶二三頁以下︑専田泰孝﹁具体的事実の錯誤における﹃新たな﹄解決について﹂早稲田法学七八巻三号

︵どの︶結果を発生させ︑あるいは︑どちら

( 1

六 0 八 ︶

一 般

(5)

﹁択一的故意﹂について ︵ 二

0

0

三︶六七頁以下︑およびそれらに引用された各文献参照︒

(2)井田良﹁故意における客体の特定および﹃故意の個数﹄の特定に関する一考察(‑)│︵四・完︶﹂法学研究五八巻九号

︵一 九八 五︶ 三三 頁以 下

10

号(‑九八五︶五六頁以下︑一︱号(‑九八五︶五九頁以下︱二号(‑九八五︶五二頁以

下︑鈴木左斗志﹁方法の錯誤について﹂金沢法学三七巻一号(‑九九五︶七三頁以下︑および専田泰孝﹁具体的事実の錯誤

における﹃故意の個数﹂(‑)︵ニ・完︶﹂早稲田大学大学院法研論集八三号(‑九九七︶一

0

三頁以下︑八四号(‑九九七︶

1 0

三頁以下︑およびそれらに引用された各文献︒さらに︑安田拓人﹁錯誤論︵上︶﹂法学教室二七一二号︵二

0

0

︶七

頁参

照︒

( 3 )

明確なのは︑たとえば︑平野博士の﹁殺人の故意は︑﹃およそ﹂人を殺す意思ではなく︑﹃一人の﹂人を殺す意思なのであ

るから︑一個の故意しかないのに︑殺人既遂と殺人未遂の二罪を認めるのは不当であろう︒﹂︵刑法総論

I

︵一

九七

二年

︶一

七六頁︶という方法の錯誤との関連での主張である︒少なくとも︑﹁具体的符合説﹂の支持者からの﹁数故意犯説﹂への批

判は︑従来︑﹁一個の故意から複数の故意犯を認めるのはおかしい﹂という点にあり︑その点を責任主義との関連で厳しく

批判していた︒最近でも︑内藤謙﹃刑法講義総論︵下︶

I

﹄︵一九九一︶九二四頁では︑﹁数故意犯説が︑行為者にA一人を

殺す意思(‑個の故意︶しかないのに︑

A.B

両者に対する二個の故意犯の成立⁝⁝を認めることは︑故意の無限定の拡大

を肯定することになり︑責任主義に反するといえよう⁝⁝︒それは︑具体的には︑刑法三八条二項の趣旨に反するように思

われる﹂とし︑また︑堀内捷三﹃刑法総論﹂︵二

0 0

0 )

1  0

三頁では︑﹁数故意犯説は本来1個しかない故意を

2

度にわた

り評価し︑複数の故意を認めることになるので︑責任主義に反する﹂といわれている︒

このような具体的符合説からの﹁数故意犯説﹂への批判は︑最近では︑﹁故意のないところに故意犯を認めることが問題

である﹂という批判が主たるものとなりつつある︒というのは︑具体的符合説の立場からも︑﹁一人を殺す意思﹂をもって

いる者に﹁複数の故意犯﹂を肯定する見解が登場してきているからである︒(4)特に、井田•前掲注(2)「故意における客体の特定および『故意の個数」の特定に関する一考察(二)」法学研究五八巻10号(-九八五)五九頁、七四頁以下参照。さらに、他の問題との関連も含めて、専田•前掲注(2)参照。(5)たとえば、具体的符合説の立場から、故意の個数を「量刑の問題」とするのは、鈴木•前掲注(2)九九頁以下、山口厚"

井田 良" 佐伯仁志﹃理論刑法学の最前線﹄︶︵二

0 0 

1 )

における佐伯仁志教授の報告﹁第三章故意・錯誤論﹂一︱五頁以

~

( 1

0

九︶

(6)

関法第五三巻四•五号

ロ (

1 0

七 0

)

下、安田•前掲注(2)七一頁参照。さらに、おそらく、中森喜彦「錯誤論2||—構成要件的錯誤|ー'」法学教室一〇七号

︵一 九八 九︶ 五

0

頁︑さらには︑山口厚﹃問題探究刑法総論﹂(‑九九八︶︱二六頁以下︑同﹃刑法総論﹂︵二

0 0 

1 )

一 九

0

頁以下︑川端博

1 1 前田雅英"伊藤研祐"山口厚﹃刑法理論の展望﹄︵二

0 0

0 )

における同教授の問題提起︱︱七頁およ

び︱二五頁以下の本論も参照︒しかし︑このような見解によれば︑

X

が眼前の客体を

A

と誤信したが︑実際には

B

および

C

であり︑両名が死亡した場合︑﹁一人を殺害する意思﹂を故意において考慮しないとすると︑最初から

X

B

および

C

の両

名を殺害しようと思っていたケースと同じ罪名になり︑この場合︑

A

のみを撃ち殺そうと考えていた

X

は ︑

B .

両名を撃

c

ち殺そうと考えていた場合と同じ﹁不法・責任内容﹂を有することになる︒量刑的解決に先送りし︑故意内容ではなく︑量 刑で﹁一個の故意﹂として評価する︑または︑先のような﹁重畳的故意﹂を有している者と量刑において差異をもたらすの は︑依然として︑錯誤の問題における体系的説明からは︑錯誤の場合の不法・責任内容を重畳的故意の場合に合わせる形で 重く評価しているのであって︑責任主義に反するおそれは否定できないであろう︒なぜ︑不法・責任内容が同じであるのに︑

量刑で軽くすることができるのであろうか︒可能だとするのは︑不法・責任内容がすでに錯誤事例の場合には軽いことを認 めている証である︒

(6)

専田•前掲注(2)「具体的事実の錯誤における『故意の個数」(ニ・完)」早稲田大学大学院法研論集八四号(-九九七)

︱︱二頁以下︑増田豊﹁択一的故意と重畳的故意をめぐる刑法解釈学的諸論点﹂﹃刑事法学の現実と展開││'齊藤誠二先生 古稀記念ー﹂︵二

0

三︶一四五頁以下参照︒さらに︑教科書で︑すでに山中教授は︑﹁二つの異なる価値客体に関する択

0

一的故意﹂の事例を挙げている︒しかし︑最終的な解決として︑﹁一故意﹂の肯定という観点から︑未必の故意の﹁下位事

例﹂と解している︵山中敬一﹃刑法総論

I

﹄︵ 一九 九九

︶二 九一 頁以 下︶

( 7

) すでに︑江家義男﹃刑法講義︵総則編︶﹄︵改訂五版︑一九四九︶二四一頁において︑択一的犯意として︑例えば︑犬を連 れた人に向かって発砲するときに︑犬か人かに命中すべきことを認識しているような場合がそうである︑という説明が見ら れる︒このような事例の﹁歴史的起源﹂は本稿の関心事ではないが︑古くからこのような事例も挙げられていたことは︑特 記に 値す る︒

( 8 )

もちろん︑本文のような記述から︑択一的故意の事例における故意は︑一個であるという結論を引き出すことはできない︒

︱つの構成要件実現ないしは一っの結果の発生を認識している択一的故意における行為者は︑二つ︵以上︶の構成要件実現

(7)

﹁択一的故意﹂について

また

逆もそうであろうが︑ ないしは結果の発生の﹁可能性﹂を認識しているということも可能だからである︒その意味では︑錯誤論において︑行為者の表象を﹁評価﹂し︑いかなる場合も﹁一人を殺す意思﹂は﹁一個の故意﹂であるとする﹁具体的符合説﹂と択一的故意における数個の︵未必の︶故意の肯定は︑矛盾しないということもできよう︒が︑錯誤論における故意の個数を考慮する具体的符合説から︑択一的故意における解決においても﹁一個の故意﹂を徹底させているのは︑専田・前掲注︵

2

︶﹁具体的事実

の錯誤における﹃故意の個数﹂︵ニ・完︶﹂早稲田大学大学院法研論集八四号(‑九九七︶一︱二頁以下参照︒

( 9 )

錯誤論における法定的符合説の﹁数故意犯説﹂からの択一的故意事例の説明は︑明らかではない︒たとえば︑﹁行為者が

A

B

のどちらか一人だけを殺すつもりであって︑どちらに当たるのかを確信してはいなかった﹂という例で考えた場合︑

﹁およそ人を殺す意思﹂が行為者にあるのであるから︑両者に﹁未必の故意﹂ではない﹁故意﹂を認めることも可能であろ

う︒しかし︑上述の択一的故意の事例の場合︑最初から両者に対して﹁未必の故意﹂が肯定できる場合であるという理由で︑

﹁錯誤論﹂とは違ったアプローチをとり︑この結論を排除することも考えうる︒しかし︑それならば︑

X

A

を殺害しよう

としたが︑意図しなかった客体

B

をも殺害してしまった場合︑﹁数故意犯説﹂からは︑予期していない客体

B

に対しても

﹁故意﹂を肯定するのであるが︑

X

A

に対して殺意をもっており︑同時に

B

についても﹁殺してしまうかもしれない﹂と

考えていた場合には︑

B

に対しては﹁未必の故意﹂となるのであろうか︒あるいは︑

A

に対して殺意があり︑

B

に対しては

﹁傷害の故意﹂のみしかない︵重畳的故意の︶場合︑

B

に対しては傷害の故意にとどまるのであろうか︒そうではなく︑

B

に対しても︑均衡上殺人の﹁故意﹂が肯定されるべきであるという推論が許されるならば︑択一的故意事例においても︑

各々︱つの客体については

1 0

%の認識はないのであるがこの点を強調する方法があるとしても

0

ll︑先に述べた

結論に至る可能性は安全に否定できないのではないだろうか︒

いずれにせよ︑択一的故意に関する解決法が︑﹁錯誤論﹂にも影響するであろうが︑

をも参照して頂きたい︒

( 1

0

一︶

( 8

)

(8)

う行為者の表象自体に特殊性があるのみならず︑

第五三巻四•五号

択一的故意の事例

択一的故意の事例として様々に挙げられているものの共通の要素は︑

一方の結果の発生は︑

三︱四

まず︑ドイツの文献等でよく挙げられている﹁密猟者事例

(W il de re

, r

F a l l

)

﹂で説明しよう︒

( 1

0 七

二 ︶

つねに複数の犯罪結果の惹起が起こりうる行

為の結果として行為者の表象において包括されてはいるが︑結論的には︑その中の最大限︱つの構成要件が実現され

るあるいは結果が発生しうるものとして把握されているという点にある︒つまり︑行為者の表象において︑それぞれ

( 1 0 )  

つねに他方の結果の不発生を前提としているのである︒

﹁密猟者は︑山林監視官とその猟犬によって追跡された︒彼は︑山林監視官もしくは彼が連れている猟犬を撃ち

殺し︑それによって逃走するという表象において︑追跡者の方向に一発の銃弾を発射した︒行為者の表象が実現

するとしても︑結論において一方もしくは他方の結果が生じることになるであろうが︑両者の結果は同時に生じ

ることは決してない︒その銃弾は山林監視官と猟犬同時にあたることはなく︑山林監視官のみまたは猟犬のみに

しかあたらない︒山林監視官を殺害する前提となるのは︑猟犬への打ちそこないであり︑逆に︑猟犬の殺害は山

林監視官に当たらないことである︒﹂

この事例からもわかるように︑択一的故意の事例の場合︑﹁︱つの結果あるいは︱つの構成要件を実現する﹂とい

一般的には︑同時に︑行為者が認識していた特定の客観的状況にも

これらの事例の特殊性は反映しているのである︒客観的に観察しても明らかなのは︑行為は実際の客体の状況および

投入された手段に基づいて二つの客体の同時の侵害には至り得ないことである︒つまり︑密猟者は一発の銃弾が両者

関法

(9)

﹁ 択

一 的

故 意

﹂ に

つ い

② 猟 犬 に 命 中 さ せ た 場 合

①山林監視官に命中︵死亡︶させた場合 に同時にあてられえないほどお互いに並んで追いかけている犬および山林監視官に一発の銃弾を撃っているのであり︑

( 1 2 )  

それゆえ︑両者に同時にあたるということは客観的にも排除されていると考えられる場合が想定されているのである︒

それに対して︑投入された手段もしくは客観的状況が両客体の侵害を同時に︵重畳的に︶惹起しうると行為者が適

切にも認識しているときは︑﹁択一的故意﹂の場合ではなく︑﹁重畳的故意

( d o l

u s c u

m u l a

t i v u

s ) ﹂の事例である︒た

とえば︑行為者が散弾銃で両客体に向けて撃つあるいは両追跡者が同時に撃ち殺されることになるほど相前後して追

( 1 3 )  

いかけてきていることを知っているときがそうである︒この場合︑行為者の認識を前提として︑複数の故意犯を肯定

したがって︑択一的故意の事例としては︑ つねに行為者が客観的状況を適切に認識し︑正しく評価していたことが

前提となる︒つまり︑行為者が択一的故意の客観的状況自体を認識していなかったとき︑択一的故意の問題ではない ということである︒また︑逆の場合もそうなのだが︑行為者が︑当該構成要件あるいは結果が相互に排除されている という誤った前提を有していたときも︑およそ独自の問題ではなく︑むしろこれらの場合には︑付加的な︑かなり独

( 1 4 )  

立した法的判断を必要とする特殊な︑別の事情が択一的故意という固有の問題に付け加わると考えられる︒

以上によって︑択一的故意の諸事例において︑択一的故意をもって行われた行為の結果は︑客体の︱つの侵害かあ るいは打ちそこないであることになる︒つまり︑最初の事例に照らして言うと︑行為が次のような経過をたどった場

合ということになる︒ することには何の問題もないである︒

三一五

( 1

0 七

三 ︶

(10)

彼にとってどうでもよかった︒﹂︻事例二︼

第五三巻四•五号

行為は失敗し︑山林監視官にも猟犬にも命中しなかった場合

( 1

七 0 四 ︶

これら三つの形態が︑択一的故意に関する基本的な行為経過として考えうることになる︒では︑どのような基本的

事例が考えうるのであろうか︒上述の考えによると︑自己の行為が二つの相互に排斥する構成要件もしくは結果の一

つが実現する•発生することになることを行為者が知っているという事実のみが、択一的故意の決定的な基準となる。

この非常に広い概念的規定は︑多くの異なった事例類型をも包括している︒たとえば︑トリフテラーは︑教科書にお

いて︑択一的故意の場合︑本質的に︑次のような三つの事例が区別可能であるとして挙げている︒ ③ 

﹁行為者は︑森の外れに石像なのか人が立っているのか知らなかったが︑自らの腕前を試そうとした︒それゆえ︑

彼は︑器物損壊あるいは場合によっては殺人をも故意により行うことを︑決心した︒﹂︻事例一︼

﹁現場を押さえられた密猟者は︑彼を追跡する狩猟者と一緒に走ってくる猟犬に向けて発砲した︒両者のうちの

一 方 に 命 中 さ せ れ ぱ

﹁ある者が︑誰かを殺そうとしていた︒彼は︑特定の人を狙うことなく︑約二 0 人の群集に向かって一発の銃弾

を発射し︑その際︑

( 1 7 )

三 ﹂

 

いずれにせよ︑追跡が直ちに中止されることを予期していたので︑どちらに当たるかは︑

いずれにせよ︑これらの人々の一人のみが死ぬことになるであろうと考えていた︒﹂︻事例

これら三つの事例の相違は︑明らかであろう︒最初の事例では︑﹁︱つの行為客体︵人か石像か︶

関法

三 一

( 1 8 )  

の み

が 存

在 す

る ﹂

(11)

﹁択一的故意﹂について

【子供•犬事例 (Kind/Hund

F a l l

)

も︑両者を死亡させることはないと考えていた ︻

密 猟

者 事

(W il de re

, r

F a l l

)

︼ おり︑択一的故意は︑各々これらの行為客体に向けられている﹂のである︒最後の事例では︑﹁行為者の故意は︑択 のであり︑次の事例では︑﹁﹃択一的に二つの異なる行為客体﹄︵異なる二つの法益を具現するもの︶が問題となって

( 2 0 )  

一的に︑グループのすべての構成員に向けられている﹂のである︒同じような分類は︑他の著者によっても見られる︒

たとえば︑ローラント・シュミッツは︑択一的故意に関する論文の﹁序﹂のところで︑﹁問題提起としての事例﹂ひ

とつと︑通常︑択一的故意に関して議論されている三つの事例とを挙げている︒

︻ 群

集 事

例 ︼

﹁行為者は︑狙いを定めずに五 0 人のグループにビール瓶を投げ入れた︒その際︑彼は︑そのうち一

( 2 3 )  

人を傷害する故意をもっていた︒しかし︑どの人にこれが当たることになるのかについて知らなかった︒﹂

﹁行為者は︑新しい銃の射程をテストしようとし︑遠くで並んで立っている二人の

者に向けて一発の銃弾を発射した︒彼は︑二人のうちの一人に当たるもしくはどちらにもあたらいということも

ありうると考えていたが︑

( 2 4 )  

一 的

故 意

︶ ︒

︻ 射

手 事

( S c h i . i t z e n

, F a

l l )

い ず

れ に

せ よ

﹁密猟者は︑犬を連れた山林監視官に追跡された︒逃走の際︑彼は︑

後方に向けて撃ち︑そのとき︑山林監視官か犬かを死亡させる

一発の銃弾を

︵もしくはどちらにも当たらない︶ことはあって

( 2 5 )  

︵ 二

つ の

異 な

る 価

値 客

体 に

関 す

る 択

一 的

故 意

︶ ︒

﹁行為者は︑茂みに動くものを認識し︑その動く物体に向けて銃弾を撃った︒ 一人のみに当たることを確信していた

︱ ︱ ︱ ︱ 七

( 1

0 七

五 ︶

︵二つの同価値客体に関する択

(12)

あたる︒つまり︑これらの事例群は︑択一的故意事例における﹁行為が二つの客体に向けられた事例類型﹂とでも呼

( 2 9 )  

びうるものである︒この類型は︑二つの客体が眼前に存在し︑そのうちどちらか︱つの客体を侵害する︑ということ

を行為者が認識していた場合であり︑行為者の﹁表象の択一性﹂は︑唯一︑将来の因果経過に依存している場合であ

( 3 0 )  

る︒さらに[事例三]および [群集事例]も類似の構造を有しており︑﹁二つの客体﹂か﹁それより多いか﹂という

( 3 1 )  

点に相違があるに過ぎないので︑この事例類型に入れることが可能である︒

それに対して︑後者の﹁行為が︱つの客体に向けられた事例類型﹂と呼びうる択一的故意の事例としては︑トリフ

テラーの

[ 事

例 ︱

]

およびシュミッツの

トリフテラーの[事例二]︑

[子供•犬事例]がここに属する。この場合、行為者の表象の択一性は、将 ローラント・シュミットの挙げる同様の 位置つけについて完全にははっきりとわかっているわけではない︑

( 2 8 )  

で あ

る ︒

[ 密

猟 者

事 例

]

および[射手事例]が前者に 実際には唯一存在する客体に向けられている場合 その際︑彼は︑隣人の子供か犬かを撃ち殺すことをありうると考えていた︵行為者が相互に排他的な二つのあり

( 2 6 )  

うる性質

( E

i g

e n

s c

h a

f t

)

を認めている一客体に関する択一的故意︶︒﹂

以上の事例に共通しているのは︑行為者が法益侵害行為をなそうとしているのではあるが︑どの具体的な客体にそ

( 2 7 )  

れが実現することになるのかを行為者が知らないということであるが︑これらの事例からわかることは︑択一的故意

事例における︑最初の基本となる相違は︑行為者によって認識された客観的状況に関係していることである︒行為が

二つの実際に現存する客体に向けられているか︑あるいは︑行為者が明らかに確認していないかもしくはその法的な 関法

第五三巻四・五号

三 一 八

( 1

七 0

六 ︶

(13)

﹁ 択

一 的

故 意

﹂ に

つ い

一のところで最初にあげた﹁密猟者事例﹂において︑ 一定の結論を引き出すならば︑非常に単純なように見える︒ 択一的故意の事例における﹁行為者の表象内容﹂

( 3 2 )  

来の因果経過に関係しているのではなく︑客体の具体的な性質ないしは客体の特定に関係している︒すでに一見して

明らかなのは︑二つに事例類型とも択一的故意の定義のもとに属するということであるが︑にもかかわらず︑かなり

本質的な違いが認められる︒最初の事例では︑両客体︵たとえば︑山林監視官も犬も︶が侵害される実際の危険にさ

らされているが︑後者の事例類型では︑実際に存在している客体のみ

( 3 3 )  

か犬か︶が危険にさらされているのにすぎないのである︒

さらに︑客体の﹁数﹂ではなく︑客体への侵害が刑法的にどのように評価されるのか︑

構成要件の種類︵客体の価値的差異︶﹂という観点から分類することも可能である︒トリフテラーの

[ 事

例 ︱

︱ ]

︑ そ

し て

シ ュ

ミ ッ

ツ の

つまり﹁二つの表象された

故意の事例として検討対象として取上げられることはほとんどなかった﹁同価値ではない客体﹂︵石像か人か︑犬か

( 3 4 )  

人か︶に関係している類型ということになる︒むしろ︑わが国の教科書などで一般に確認できたのは︑むしろ﹁同価

( 3 5 )  

値の客体﹂に関係した事例であり︑﹁行為が同価値の客体に向けられた事例類型﹂である︒

上述のすぺての事例類型は︑危険︵正確には︑危殆化︶ および構成要件的評価︵客体の価値︶ という観点から明白

な相違があるにもかかわらず、「一方あるいは他方の結果・構成要件の発生•実現に関する相互に排他的な行為者の

( 3 6 )  

表象内容﹂という共通性を有している︒本稿の考察も︑上述の事例類型を中心とする︒

[ ︷

密 猟

者 事

例 ]

および [子供•犬事例]

三一九

( 1

0 七

七 ︶

は︑わが国において︑今日まで︑択一的

[ 事

例 ︱

]

お よ

︵たとえば︑石像か人か︑あるいは隣人の子供

(14)

結果の︱つに導いた

第五三巻四•五号

三二

O

( 1

0

八︶

まず︑﹁実現された被害者の観点﹂から見るとき︑密猟者が︑山林監視官を撃ち殺したときは︑故意による既遂行為

が存在しうる︒なぜなら︑銃による殺害は︑相当であり︑行為者によって認識され︑意欲されて惹き起こされている

からである︒逆に︑他人の猟犬に命中させたときは︑疑いなく︑故意による既遂の器物損壊罪が成立する︒

また︑﹁実現されなかった被害者の観点﹂から考察するときも︑結論は︑同様に単純である︒密猟者が山林監視官

に当てなかったときは︑故意による殺人未遂である︒というのは︑行為者の故意は︑少なくとも︑未必の故意の形態

において︑山林監視官が銃弾によって死ぬことに向けられていたからである︒逆に︑行為者が猟犬に当てなかったと

( 3 7 )  

きは︑故意による未遂の器物損壊罪が成立する︒

上記に添った形で︑個々の犯罪事象を切り離し︑個々の犯罪事象との関係での﹁故意﹂を考える場合︑起こりえた

︵犬あるいは山林監視官に命中した︶択一的故意のすべての事例においては︑既遂の故意と同時

に未遂の故意を包括しており︑唯一っの行為において行われているので︑観念的競合になるという見解が主張される

( 3 8 )  

ことになる︒この見解によれば︑器物損壊罪と殺人未遂ないしは殺人と器物損壊罪の未遂が認められることになる︒

そして︑それゆえ︑撃ちそこなった︵山林監視官にも犬にもあたらなかった︶場合には︑二つの故意による未遂行為

( 3 9 )  

が一行為として把握されることになるのである︒

このような未遂と既遂ないしは二つの未遂の観念的競合とする見解は︑行為者の表象をそれぞれ二つの起こりうる

結果のひとつの側において︑独立して観察せず︑むしろその全体を一体のものとして観察するとき︑非常に問題であ

( 4 0 )  

るように思える︒というのは︑択一的故意の場合においては︑行為の現実的効果が制限されている︑

関法

つまり二つの客

体のうちの一っしか侵害しえないであろうことを行為者が適切にも認識しているにもかかわらず︑﹁複数の故意犯﹂

(15)

﹁ 択

一 的

故 意

﹂ に

つ い

有利に取り扱うことになる︒

一方では︑行為者は︑現実の実害を惹き起こした︵物の損壊ないしは傷害︶にもかかわ

の殺人をも認めることは︑択一的故意は︑

一 個

きである︑という主張が登場するのはもっともである︒ を肯定することになるからである︒つまり︑行為者がはじめから両客体を撃ち殺す﹁故意﹂をもって行為に及んだ場 合との結論に相違はないことになるからである︒このことは︑重畳的に結果惹起を可能と考えた事例にまで不法・責 任を高め︑後に量刑において一定の行為者の表象内容を考慮し︑それらの事例との差異を認めるということにつなが るのである︒したがって︑択一的故意を有する行為者に二重の犯罪的行為の責任を負わせることが妥当かが問われな ければならず︑複数の故意犯の成立は︑﹁責任主義﹂という観点からは︑非常に疑わしいように思える︒その意味で は︑﹁︱つの構成要件を実現するあるいは︱つの結果を発生させる﹂という行為者表象は重要な位置づけを有するペ

ただし︑択一的故意の事例では︑択一的表象をもつ行為者の犯罪行為は一個の故意による犯罪行為であるという思 考は︑刑法理論上の評価において︑著しい困難に導くことも否定できない︒とくに困難な問題が提起されるのは︑密 猟者が猟犬にのみ当てた事案の評価にあるということができる︒行為決意の全体性に向けられた観点においても︑実 際に生じた結果が故意によって惹き起こされたという確定を無視するわけには行かず︑その結果︑必ず︑故意による

( 4 2 )  

既遂の器物損壊罪を認めなければならないことになるであろうからである︒しかしながら︑故意の器物損壊罪と未遂 ことになるし︑実現された器物損壊罪の故意のみの肯定は︑行為者を二つの客体を撃ちそこなった事例と比較して︑

らず︑﹁三年以下の自由刑⁝⁝﹂︵二六一条︶

︵唯一っの犯罪的︶故意のみでありうるという前提から許されない

でのみ処罰され︑他方では︑現実の実害を生じさせることなく︑﹁三年

以上の懲役……」(-九九•四三条)に科せられうるからである。

~

( 1

0 七

九 ︶

(16)

翌坦探ば111恕巨・1‑Ro)t> 1111111 (1 

o<o) 

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1]11[]l-0

(二)Martin Fischer, Will und 

Wirksamkeit‑Der 

alternative Vorsatz, 1993, S, 3, 

姿芸窓迂踪終心垣等如

‑,.JJ0「I100綽~~

匡わふ悶ご霜」0詈苺や埒心°匡晒S誓翠竺EgonSchneider, Uber die Behandlung des alternativen Vorsatzes, GA 1956, 

S. 258,; Jan C, Joerden, Der auf die Verwirklichung von zwei Tatbestanden gerichtete Vorsatz, ZStW 95 (1983) Heft 3, S,  587£.; Roland Schmitz, Der dolus alternatives, ZStW 112 (2000) Heft 2, S. 302,; Johannes 

Wessels/Werner 

Beulke, Straf‑

recht Allgemeiner Teil, 32, AufL, 2002, 

S. 

79.; 

やふ旦'「ヨ垢韮嗅学」や竺終ゾ「誌華邸」知恙又知且到ハ嘩翠以い勾立 Kristian Kuhl, Strafrecht Allgemeiner Teil, 4, AufL, 2002, S, 9L; 華至全-<全Q詈翠U0~立ClausRoxin, Strafrecht,  Allgemeiner Teil, Grundlagen Aufbau der 

Verbrechenslehre, 

3. AufL, 1997, S, 403, ; 塙仕全雌全0号翠旦0~戸Fritjof Haft, Strafrecht, Allgeminer Teil, 8, AufL, 1998, S, 155.; Urs Kindhauser, Strafrecht, Allgemeiner Tei!, 2000, S. 155,; 洲,;̲!,

又枷終息{森IJ'\KQ浣旦図0\-,'~l-O超冊砕巳鑓森IJ'\K0~U0~立GunterJakobs, Strafrecht, Allgemeiner Teil, Die 

Grundlagen und die 

Zurechnungslehre, 

2. AufL, 1991, S. 278,; 

-<如寒剖咋咬全套如翠惑怜心全旦室怜心認:号苺旦

0~

Adolf Schonke/Horst Schroder, Strafgestzbuch, Kommentar, 26, AufL, 2000, S, 273. 

[Cramer/Sternberg-Lieben]

抵~\国

(~)

社号定旦将~\--'竺

f.E--ln淫や硲心"茶,>J Q屯遠J翠ぺ,~1

ざ迄迦託浅的宝旦丑

('I¥‑.I竺,f.E--

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枷終▽竺甚~o脳経’ヨD添記忘端士心'I1‑<Q,r‑心1-<茶溢~t"'<:"'ヽ芸茎旦0~\--''

三碧抵怒拉'「……迫蓬

Q姻ざ凶ニ

(17)

( 1 8 )   9 ) ( 1   ( 2 0 )

﹁択一的故意﹂について

 

不能犯みたいなものではありませんか?﹂というコメントをしている︵川端博 う点からしますと︑毒物の人ったワインを取ろうとした人についてだけが現実的危険があるのであって︑もう一方は単なる

I I 伊東研祐

1 1 前田雅英

1 1 山口厚﹃徹底討論

刑法 理論 の展 望﹄ (︱

1 0

0 0

)

︱ 二 七 頁

︶ ︒ ( 1 3 )  

F i s c h e r , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  4 . 

( 1 4 )  

F i s c h e r , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  4  .

フィッシャーは︑たとえば︑行為者は銃弾によって二つのうち一方にあたりうると信じ

ていたのであるが︑山林監視官と犬の両者に命中させたときは︑表象された因果経過に関する錯誤が存在し︑したがって︑

通説によれば︑逸脱が本質的であったのか本質的でなかったのかという問題が提起されることになるとし︑この問題は︑択 一的に結び付けられた結果惹起固有の問題ではなくて︑錯誤および表象された因果経過からの逸脱の問題であり︑択一的故

意の問題をめぐる議論等においても下位の役割を演じるにすぎないと説明している

( S .

4. )

さら

に︑

J a k o b s a . , a . O .   [ An m.  

l l ]

S   , 

.  27 8.  [ FN . 

73 ] 

‑ ‑ 4 l , R

 

昭唸

( 1 5 )

ドイツの多くの文献においても︑択一的故意の領域において︑両者の構成要件を実現した場合︑あるいは両方に結果が発 生した場合についての事例検討は一般的には行われていない︒ただし︑とりわけ︑イェルデンは︑人および犬が死んだ場合︑

人が死亡したが︑犬には当たらなかった場合︑犬は死んだが︑人は死亡しなかった場合︑および両者に当たらなかった場合

の四つのバリエーションを挙げている

( J o e r d e n a . , a . O .   [ An m.

 

1 1 ]

S .

,  

  5 88 .)

︒しかし︑少なくとも︑﹁最の錯誤﹂の検討な

どが必要であり︑両者に結果が生じたバリエーションの検討は︑単純に︑択一的故意に関する学説等からのみ結論づけるこ

とはできないであろう︒

( 1 6 )  

Ot to   T r i f f t e r e r , O   s t e r r e i c h i s c h e s   S t r a f r e c h t ,   A ll ge me in er e i   T l ,  

2.  A u f l . ,   1 99 4,

S .  

  1 87 . 

( 1 7 )

本文中の︻事例一︼︑︻事例ニーおよび︻事例三︼は︑原文には存在しないが︑本稿の考察の上の必要性から付したことを

お断りしておく︒

i f T r f t e r e r ,   a . a . O .   [A nm . 

16 ,]

S .  

  1 87 . 

T r i f f t e r e r ,   a . a . O .   [A mn . 

16 ],

S .  

  1 87 . 

T r i f f t e r e r ,   a . a . O .   [A nm . 

16 ],

S .  

  1 87

トリフテラーの見解は︑通説の﹁観念的競合説﹂であり︑次のように述べている︒

﹁故意はつねにすぺての択一的可能性に関して同程度に存在するのであるから︑行為者によってもくろまれたすべての場合

:  (

1 0

八一

(18)

関法第五三巻四•五号三二四

( 1

0

二︶

において︑少なくとも︑未遂のゆえに処罰されうる︒︱つの選択

( A l t e r n a t i v e )

が既遂になったときは︑その限りで︑未遂

処罰の代わりに︑既遂での処罰が生じる︒このような観点から︑故意の択一性は︑﹃単なる顧慮する必要がない︑二つを同

時に成し遂げようとしない余分な意思﹄である﹂

( a . a . O . [A nm . 

16 ],

S .     18 8.

)

( 2 1 )  

S c h m i t z , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  3 01 ff . 

( 2 2 )  

S c h m i t z , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  3 01

.  

( 2 3 )  

S c h m i t z , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .  

,  

30 1

括弧内の事例名は︑シュミッツの原文にはないことをお断りしておく︒さらに︑シュ

ミッツは︑以下のような事例も別の所で挙げている︒﹁行為者が教会の塔の上に立ち︑そこから︑追い散らす目的で

10

0

人の群集に向けて一発の銃弾を撃った︒その際︑一人を撃ち殺すことは確信してはいたが︑遠く離れているため︑行為者

はそれが誰であるのか知らなかった﹂

( a . a . O . [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  3

27 .)

︒この事例において︑シュミッツは︑量刑において︑一

つの﹁直接的故意﹂を出発点とする

( S. 32 8.

)

( 2 4 )  

S c h m i t z , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  30 2  

( 2 5 )  

S c h m i t z , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  3 02 . 

( 2 6 )  

S c h m i t z , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  3 02 . 

( 2 7 )

 

S c h m i t z , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  3 02

具体的な侵害客体に関して︑行為者は未必的﹁表象﹂を持って行為していることにな

るが︑自明ではあるが︑行為者はもっぱら未必の﹁故意﹂をもっていたということにならない

( a . a . O . , S .  

30 2.

)︒可能性表

象を前提とする﹁故意﹂の形態は︑未必の故意に限られないからである︒﹁意図

( A b s i c h t

﹂の場合も考えうるのである︒)

意図に関係した事例については︑さらに︑

S c h m i t z , a . a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  3 28

 

を参 照せ よ︒

( 2 8 )  

F i s c h e r , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  5.  

( 2 9 )  

F i s c h e r , . a   a . 0 .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  5 ff  

( 3 0 )  

F i s c h e r , . a   a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  5.  

( 3 1 )

本文の﹁行為が二つの客体に向けられた事例類型﹂を﹁行為が二つ以上の客体に向けられた事例類型﹂と呼べばよい︒こ

の﹁群集事例﹂の特殊性は︑それぞれ一人づつへの﹁結果発生の可能性﹂としては﹁二つの客体の事例﹂より低いという点

にあるにすぎない︒

(19)

啜)Fischer, a.a.O. [Anm. 11], S. 6. Q蕊臣紅這ヤ心!'t1Q幸応丹零刈̲̲)¥JさRoxin,a.a.O. [Anm. 11], S. 402£.; Hans‑Heinrich Jescheck und Thomas Weigend, Lehrbuch des Strafrechts. Allgemeiner Tei!, 5. Aufl., 1996, S. 304. 如翁臣やヨ゜

(笞)匡話O祀翌礼⇒¥J'Fischer, a.a.O. [Anm. 11], S. 6£. 心氾⇒, >J Q「迫莱学」茶圭坦さ旦如嘔如如0全知応ら竺「幸〇

築芸」如淀心終士菜迎終ふ終::,0令終v刈や,~'<:-". 入ギ—送’躙郡迂如酪認\J:C, 1‑Q (a.a.O. [Anm. 11], S. 248££.) 

(苫)Fischer, a.a.O. [Anm. 11], S. 7£. 

(塁)埒社起旦'Fischer,a.a.O. [Anm. 11], S. 7£. !'t1 Q唸ぐ口や..,;p'如心I'{¥

‑‑<  ,  lt: 

掟茶100祢辻旦匡七ふ辛ド勾心匡®~~~旦

巨怜心芸零薇甜竺’踪盆唇--1/P~i-Q...4J̲̲)菜終二茶菜叫去心葵樹匁終二ゃ兵心臼禅ぷ沢ふぷ心Q匁迄吋念袖ス匁,[II] Q活叫::,1‑Q ~~ 忘‑‑<や埒炉J凶塩雑昔̲̲)¥J ::, 1-Q茶·~や埒心0全,i:o~i-QQ全呈ふ終全0心刈::,'内密ぐ口や~::;;;-'tllK経旦·~や母0,i.‑! 

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「隷甜終唇」旦1\J咤経皿印菜辛E製ゃぷi-QQ~!-(aふふ,>J Q芸思や匁可溢怜送逗哀̲̲)¥J哀艇菜雌E製和ぶむQリ刈以室器匁終ニ

刈日斜昇⑳°ば梨̲̲),

lt: 

唸知茶岡鑓眉̲̲)¥J ::, 1-Q「採窓⇒終全いど」~Q祢辻旦0::,\J'「堵藁」姐皿製t,1-Q~淀竺――遥皿鈎

竺心↑竺翌沢終二茶―9田宗后器P~I-Q刈田紐ミ菜心°

(~) やふ旦'翌禅琴婆く全刈::,'"'「甜翌巨学旦母心芸翠薮酌」炉料此ふ菜か1‑Qo>JQ詈尽旦0::, ¥J竺'Schmitz,a.a.O. [Anm. 

11], S. 330. 如⑱苗燐J丑°甜距巨学旦~!-(a眺終心詣咲旦巨t,1-Q芸翠以将::,¥J, ~1起拒憮狂泣出ギ如屯製t,i-QQJoerden,a.a.O. [Anm. 11], S. 565, S. 597££. 

(お)~Q糾媒竺'Fischer,a.a.O. [Anm. 11], S. 8£. 

(葵)

;.L."'""~

旦将太心帯器Q~堂や埒心0>J Q知応廷国淀如出恙怜i‑QQ迂JurgenBaumann/Ulrich Weber/Wolfgang Mitsch, 

Strafrecht, Allgemeiner Tei!, 10. Aufl., 1995, S. 441.; Peter Cramer, in: Schonke/Schroder, 24. Aufl., 1991, S. 245 (Rn 

90££).; Jakobs, a.a.O. [Anm. 11] , S. 278£.; Jescheck/Weigend, a.a.O. [Anm. 32] , 304.; Michael Kohler, Strafrecht, 

allgemeiner Teil, 1997, S. 169£.; Ingeborg Puppe, in: Nomos Kommentar zum Strafgesetzbuch, 1997, §15 Rdn. 155£.; 

Joachim Rudolphi, Systematischer Kommentar zum Strafgesetzbuch, §16 Rdn. 47.; Gunter Stratenwerth, Strafrecht, 

Allgemeiner Teil I, 4. Aufl., 2000, S. 147 (Rn 122).; Triffterer, a.a.O. [Anm. 16], S. 187.; Roxin, a.a.O. [Anm. 11], S. 403. 

抵唸姦゜「弄

1

忌迄擬」旦

0 ::, 

¥J 

111111‑R  (1  0 ぐ 11)

(20)

( 3 9 )

 

関法第五三巻四•五号

しかし︑﹁段階関係にある事例﹂あるいは﹁特別関係にある事例﹂では︑例外が承認されている︵たとえば︑

C r a m e r , a . a . O .   [A nm . 

38 ], S   . 

245 

(R n 

91 )

; 

J e s c h e c k   ¥ < ぶ i g e n d a . , a . O .   [ An m.  3 2] ,  S.

  3

04 .;  R u d o l p h i , . a   a . O .   [A nm . 

38 ], S  . 

245 

(R n 

9 1) ・  

( 4 0 )  

F i s c h e r , . a   a . O .   [A m n . 

1 1 ]

S

,  

.  9.  

( 4 1 )

行為者が︑いずれにしろ︑犯罪の﹁︱つ﹂のみが実現すると信じていたという事実は︑量刑の枠内において十分に考慮さ

れうるということになろう

( T r i f f t e r e r , a . a . O .   [A nm . 

16 ], S .     1

88 )︒ 同様 の主 張は

︑ R o x i n , a . a . O .   [A nm . 

1 1 ]

S .

,  

  4 03 . 

( 4 2 )

﹁客観的構成要件﹂と﹁主観的構成要件﹂の一致の原則によれば︑﹁実現された不法﹂のみを肯定することになるであろ

そし

て︑

( 4 3 )

このことから一個の故意の肯定へと歩むことは︑具体的符合説を主張されたときの法定的符合説に対する平野博士の批判 を一部認めることにつながる可能性があろう︒平野博士は︑﹁どのような犯罪が成立するか︑既遂か未遂か︑故意犯か過失 犯かという問題は︑一個の構成要件該当事実ごとに解決されるぺきものであるという原則を忘れている:⁝・何罪であるかは︑

各犯罪ごとに︑すなわち各個の構成要件︵該当︶事実ごとに︑独立に︑他の犯罪事実とは無関係に判断されなければならな い︒ほかにどういう罪を犯したかによって︑その罪についての判断が左右されるべきものではない﹂︵平野竜一﹁具体的法 定符合説について﹂﹃犯罪論の諸問題︵上︶総論﹄(‑九八一︶七四頁以下︶と言われた︒たしかに︑行為者表象において︑

軽い犯罪と重い犯罪を択一的に表象している事例においては︑重い犯罪表象についての故意のみを肯定するという点では︑

﹁実現した犯罪﹂に左右されないで決定していることになるゆえに︑上述の批判は妥当しないが︑﹁二つの同価値の現存す

る客体﹂に向けられた択一的故意の場合︑一方が実現し︑他方が実現しなかった場合における実現した方への﹁一個の故

意﹂の肯定︑そして実現しなかった方への故意の否定は︑他方との関連で決まることになるからである︒ここでは︑平野博

士の批判︑一個の故意のみの肯定の妥当性がさらに問われなければならないであろう︒ 三二六

( 1

0

四︶

(21)

( 4 4 )  

択一的故意の事例においては︑複数の故意を肯定し︑観念的競合とする見解がドイツにおいても支配的である︒た

と え

ば ︑

﹁ 択

一 的

故 意

﹂ に

つ い

ヤコブスは︑﹁択一的故意は︑独立した形態の故意ではなく︑実現が行為者の判断によって相互に両立しな

( 4 5 )  

い二つの故意が結合したものである﹂ということを出発点としている︒ヤコブスによれば︑

を実現し︑他方が構成要件を実現しない場合︑同様に逆の場合でも故意にとっては充分なのだから︑二つの可能性が

︱つの構成要件を実現するという場合︵たとえば︑窓ガラスの前にいる人に向けての発砲事例︶

には︑二つの故意が

( 4 6 )  

存在しなければならない︑その結果として︑既遂かつ未遂が行為単一として実現されているのである︒ヤコプスが言 うように︑確かに︑

果﹂をも表象していた場合︑

という結果﹂とともに﹁外れるという結果﹂をも念頭においている場合︑つねに二つの可能性を﹁択一的﹂に認識し

( 4 7 )  

ている︒このような場合︑したがって︑故意はつねに択一的である︒そうであるならば︑

一的故意の事例﹂においても︑同様に︑故意を肯定せざるをえず︑その結果︑﹁理論的には しては︶﹂複数の故意の肯定を正当化することができるであろう︒しかし︑このような理論的には可能な思考には︑

﹁二つの可能性のうちせいぜい︱つが実現される﹂という行為者表象はとくに重要視されておらず︑﹁未必の故意﹂

( 一 )

観念的競合説

X が Y を一発の銃弾で殺そうと考えたとき︑ X が Y に当たる可能性とともに︑﹁外れるという結

X に故意による犯罪が肯定されることに異論はない︒その意味では︑

ドイツ・わが国の学説の検討

三二七

( 1

0

五︶

(︱つのありうる理論と

︱つが実現するという﹁択 X

は﹁

Y に当たる 一方の可能性が構成要件

(22)

﹁行為者が︑行為の際に︑﹁法益侵害﹄

第五三巻四•五号

象﹂があるという点に︑

三二八

一方の結果との関係で﹁可能性の表象﹂があり︑他方の結果との関係でも﹁可能性の表

( 4 9 )  

つまり︑現実に起こった個々の事態に対する行為者の﹁個別的表象﹂が前提にされている︒

ここにいくつかの問題があると言えよう︒とくに︑この見解は︑﹁重畳的故意の事例﹂と﹁択一的故意の事例﹂の

( 5 0 )  

相違を無くしているという点に問題があることが指摘されている︒重畳的故意をもって行為する者は︑たしかに︑複 数の故意をもって行為しており︑またそれぞれの行為が観念的競合の関係にあることについても争いはない︒たとえ ば︑窓ガラスの向こうにいる被害者を傷害するために投石するような場合︑傷害の故意とともに器物損壊の故意を もって行為しており︑また︱つの行為という評価が可能である︒しかし︑明らかに︑択一的故意をもって行為する者

は︑はっきりと両結果︵法益︶

の侵害を排除しているにもかかわらず︑択一的故意の場合と重畳的故意の場合におけ る同一の結論への到達は︑この﹁一方のみが実現する﹂という行為者表象を考慮していないことを意味し︑最終的に は︑択一的故意をもって行為する者の﹁行為不法の程度﹂を重畳的に結果を認識している行為者の行為不法の程度に

( 5 2 )  

まで高めるものである︒もちろん︑ロクシンが言うように︑ここで問題となるような事例においては︑ドイツ刑法五 二条一項・ニ項による行為単一︵観念的競合︶が認められ︑実際の刑罰は︑

( 5 3 )  

ている法規からのみ判断される︒しかし︑同一の結論︑同一法規の適用において︑どのような相違が量刑上もたらさ れるのか︑という明確な返答はなされていない︒択一的故意の場合における量刑上の刑の低減︑まさにこれこそ択一 的故意をもって行為する者の﹁行為不法の低さ﹂を露呈するものであり︑﹁択一的故意の事例﹂と﹁重畳的故意の事

例﹂とを同一視した結果である︒それゆえ︑両者︵択一的故意の事例および重畳的故意の事例︶ 論からのアプローチとして︑

関法

に共通しているのは︑

﹃複数の可能性﹄を計算しており︑それゆえ︑すべてに関して

( 1

0

六︶

︵ 直

接 あ

︱つの︑すなわち最も重い刑罰を規定し

参照

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