• 検索結果がありません。

富 山 県 に お け る 宗 教 意 識 の 社 会 学 的 分 析

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "富 山 県 に お け る 宗 教 意 識 の 社 会 学 的 分 析"

Copied!
26
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ようと思うのである︒

北陸地方にある富山県は︑全国的にみて︑古くから仏教王国︑とくに真宗王国であることは周知の通りである︒と 同時に︑富山県は︑また︑社会構造の上からみて︑前近代的な封建遺制の多い農村型︑あるいは村落型の社会構造を

根強くもっている地方であることも明白なところである︒こうした前近代的な封建遺制の多い農村型社会構造をもっ

た富山県において︑その宗教意識が現在どのような実態を示しているかを社会学的に分析するという問題は︑いろい

ろの意味において関心をひかれてよいと思う︒私はかって︑拙論﹁富山県における講社の実態調査﹂

経済学部論集第十号︑昭和三十一年六月発行︶において︑そうした間題にいくらか触れておいたのである︒それで︑

今この小論では︑その際に論述したところを一層敷行し︑更にいくつかの点について新に考察したところを述べてみ 最初に富山県における宗教意識や宗教的信仰そのものの内容上の特徴を分析することから始めよう︒この問題につ

富山県における宗教意識の社会学的分析

︵富山大学紀要

(2)

‑ 2 ‑

一般に知識や合理的思惟や科学の末発達な時

いては︑われわれは︑何といっても︑富山県一般における宗教的な意識内容や信仰内容の重層性や混滑性なとといっ た事実を先す指摘しなければならないのである︒勿論︑この事は地域や個人によっていろいろとその程度や内容に差 のあることではあるが︑然し一般的にみて富山県における宗教意識や宗教的心性の内実にはいろいろの形や種類の信

仰が混合し︑重層し︑混清していて︑多様複雑な信仰の重層性や混滑性という事実がみられるのである︒また︑勿論︑

この事は広く日本全体についても妥当することであると言えるであろうが︑然し農村型あるいは村落型の社会構造を なお広く持ち続けている富山県︑とくにその農山漁村地帯においては顕著にみられる事実なのである︒即ち︑具体的 に言えば︑呪術︑農耕儀礼︑祖先崇拝︑神道︑仏教︑さらにはキリスト教などがいろいろの形で重層混滑し︑そして それらの行事や儀式がさまざまの形で慣習や伝統や制度となって︑日常化しているのである︒

こうした富山県における宗教意識の特徴を明らかにするために︑次にそのように重層混滑している︑さまさまな信 仰内容の宗教的や社会的な意味をそれぞれ簡単に分析していくことにしよう︒

先す第一に農村社会における呪術や農耕儀礼の間題から見ていこう︒

代や社会において呪術の支配力か大きいことは周知の通りである︒わが国の石器時代における原始社会においても呪 術信仰が人間の生活に大きな支配力をもっていたことはいろいろの資料によって推測されうるところである︒わか国

においては︑そうした石器時代における狩猟や採集の社会は︑大体紀元前︱︱世紀前後の時期に︑大陸からの新しい生

産技術の輸入によって︑金属器の使用と水田耕作の開始という段階︑つまり農耕社会へと発展していくのである︒と ころで︑そうした農耕社会への発展は確に知識や技術の著しい進歩を意味するものであったであろう︒然しながら︑

農業が一般に自然的諸条件に支配され︑特に天候や気象に依存し︑天災地変に左右されることが多いのであるから︑

それだけ豊作を祈願したり︑感謝したりする呪術や農耕儀礼の支配を一層強めることになったとも言えるであろう︒

(3)

‑ 3 ‑

こうした事情は︑例えば︑わか国における三世紀頃の宗教生活を伝えるといわれる︑﹁かれらの風俗として行事を行う場合には︑骨を焼いて卜し︑吉凶を占う︒また亀の甲を焼いて兆を占う︒女王卑弥呼は鬼道につかえて能<衆を惑わす﹂とあるのをみても明らかてあろう︒とにかく︑そうした卜占︑呪術︑農耕儀礼が︑禁忌︑方逢え︑物忌︑迷信なとと共に︑古くからわか国においては大きな支配力をもっていたのてある︒のみならず︑それらは︑今日と雖も︑程度や内容においていろいろな変遷かあったとしても︑依然としてさまざまの形においてわれわれの日常の生活を取り巻いている︒例えは︑現代科学の最尖端にある原子力研究所の建築着工に立って地鎮祭のような呪術的儀式か行われるといった具合なのてある︒特に知識や合理的思惟の末発達な︑また技術や科学の採用の遅れている農山漁村地帯においては︑生産労鋤やその他の生活領域に結ひついたさまさまな卜占や呪術や農耕儀礼などを頭著ならしめているのてある︒のみならす︑近時農村地方においていろいろな技術の採用や槻被化か進みつつあるが︑然し化学肥料を使いなから︑なお雨乞いや虫送りなとの儀礼を行うといった具合に︑そうした技術や科学も呪術や農耕儀礼を排斥することなく︑呪術や長耕儀礼か技術や科学と併存し︑更には広く神社信仰や仏教︑とくに新興仏教なとといろいろの形で混渚しているのてある︒例えは︑仏教寺院のうち檀家をもたぬ祈祷寺などで病気治療を目的とする呪術信仰を専らとしているものも少くないのてあり︑またいわゆる新興宗教は呪符による無肥料栽培しているのである︒こうした新興宗教の多くのものが呪術︑ あるいは信仰による豊作や病気治療や商売繁昌なとを宣伝することによって︑農村地方においては相当の信者を獲得

ジャマニズム︑神道︑儒教︑仏教︑憑唖現象︑営利事業 などの混合形態であることは言うまでもないであろう︒とにかく︑このようなわけて︑富山県の特に農山漁村地帯に おいては現在においてもなおさまざまな呪術や農耕鑑礼が残存していて︑祖当の支配力をもっているのみならす︑そ れ等が更にいろいろの形で神道や天皇信仰や仏教などと混合混滑しているといった実情なのである︒

﹁魏志﹂倭人伝のなかの一節に

(4)

次に神道︑あるいは神社信仰の内容について考えてみよう︒今日一般に神道と呼ばれているものはもともとわが国

の民族宗教︑つまり︑農耕社会における呪術的な農耕鍛礼を本質的内容とするものである︒それは仏教や儒教と並ん

で明確な教義をもった思想体系であるかのように主張され︑受け取られてもいるようではあるが︑もともとそうした

明確な教義や経典をもった思想体系というものではなかったのである︒それが︑いわゆる神道として教義や経典をも

つようになったのは︑大体鎌倉時代以後︑十三世紀の末ごろに︑仏教や道教などの大陸からの教学を借用することに

よって︑伊勢外宮の神官らが﹁神道五部書﹂を作り︑いわゆる伊勢神道を開いてからのことであると言われる︒そし

てそれがやがて江戸時代には儒教の教学と結びついたいわゆる儒家神道へと発展しているのである︒とにかく︑神道

はそのようにもともとわが国における古来からの民族宗教としての呪術的な農耕儀礼を本質的な内容とするものであ

って︑個人の高度な魂の救済といった精神的問題に触れるものではなかったのである︒だから︑神道は大体村落共同

体における呪術による農耕の順調な進行と豊かな牧穫を祈る集団的共同行事としての祭り︑すなわち︑春の農耕の開

始にあたり豊作を祈願する祈年祭と秋の牧穫にあたり牧穫を感謝する新嘗祭という︑春秋二季の祭りを重要な内容と

しているのである︒神道を国教のように見たて︑神社信仰を国民に強要するようになったのは明治以後の天皇制絶対

主義の政策に外ならない︒従って︑富山県においても神社信仰は︑大方にもれず︑大体殆んど年春秋二回の祭事に終

始しているのであって︑氏子が特別の講社を作って︑会合し︑その他の行事を行うということは余り見られない︒

然しながら︑だからと云って︑富山県における神社信仰の意義を軽視することは大変な誤りであろう︒上にも触れ

たように︑広く見て︑わが国の神道が呪術的な農耕儀礼に始まり︑鎌倉時代以後︑仏教や儒教の教義をまねて教義や

経典を作り︑江戸時代になって儒教倫理と結びつくことによって吉川神道や垂加神道などを形成し︑薔端な国家主義

にまで発展し︑更には明治以後の天皇制絶対主義のもとで国教のように取り扱われて国民に強制されるようになって

(5)

‑ 5 ‑

くるという過程において︑それはさまざまな要素︑つまり︑呪術︑

ジャマニズム︑農耕儀礼︑祖先崇拝︑仏教︑儒教 などといろいろの形で混滑してきているのである︒富山県における神社信仰も現在豊作の祈願や感謝に始まって︑加 持祈祷︑神占︑雨乞い︑虫送り︑氏神信仰︑産土神信仰︑祖先崇拝︑仏教信仰︑病気治療︑現世和益︑さらには神国 思想や天皇崇拝︵特に農村地帯になる程︑家々には神棚と並んて天皇や天皇一家の写真かかかけられている︶などに 至るまで極めて複雑多様な内容を含んでいて︑それ等とさまざまな形で混看しているのてある︒次に参考までに︑そ うした神社信仰と天畠信仰の結合をしめす︑富山県のある教祖の最近の手記を挙けておこう︒それによると︑

天皇信仰の糊立を以て既成宗教の廃止︒一一︑土地全面の買上日本現在戸数に貸与皆農皆公の実施︒三︑各戸の財産を

金に見積りて無利子預金にせしめて物たけに改め働かぬ者食わざる元即に応する事︒注意︑現在の議会制度を廃して 神社中心にせねば日本はなくなるのだ︒のみならす地球が爆破して全人破滅が予感する︒﹂⁝⁝

界全人が和合して日本天皇を皆信仰の中心にする様になる﹂︑と︒ ﹁日本敗戦により世

送るを業とす︑終戦後はマ元帥へ教書を送るを業として居ります﹂という男てある︒これは極端な例ではあろうが︑

然し富山県における神社信仰は明らかに現在もそうした天皇信仰︑粗先崇拝︑農耕儀礼︑

呪術などと混隋し︑更には

その他の宗教外的な諸勢力とも結ひついて︑特に農村地帯においては単に春秋二回の祭事に限らず︑矢張り依然とし

て重要な社会的や個人的の機能や影響をもっているのである︒

次に仏教信仰の内容について検討してみることにしよう︒わか国の仏教は︑周知のように︑六世紀の頃に︑北部支 那に根ついた大乗仏教が百済から伝来したことに始まるわけであるか︑六︑七世紀の頃においては︑聖徳太子のよう な孤高の哲人は例外として︑当時の日本人はそうした解税の教えとしての仏教を実は一般にはわが国古来からの民族 完教である呪術的儀礼という形て受け容れたのである︒つまり︑仏教信仰は正道を修めて成仏するといった解脱の教

もっともこの教祖は﹁戦争中は日本政府へ教書を

﹁ 一

(6)

一般には神道信者であると同時に仏教信者であり︑ 富大経済論集

義としてではなしに︑先ず病気の平癒や天災地変の消除を祈願する鎖災致福の呪術として受けとられ︑大化の改新の 頃からの朝廷の仏教興隆政策においても当時の律令の官僚制国家の安寧を呪術的に保障するための鎮護国家の手段と して利用され︑さらには平安時代の天台・真言の二宗においては貴族達の現世における欲求や利益を加持祈祷という 呪術的儀礼によって充足させることを最大の仕事とするようになったのである︒勿論︑やがて鎌倉時代に入るに従っ て︑仏教は︑特に法然の浄土教や真鸞の浄土真宗や更には栄西の臨済宗や道元の曹洞宗などが出現すると共に︑次第 に従前のような国家権力との迎合関係を革新し︑広く庶民と結びつくことによって民衆化し︑また仏教本来の宗教的 教義に基づいた理解や受容をも活澄に押し進めていったのである︒然しながら︑そうした新仏教も︑その教団の目ざ ましい発展にも拘らず︑仏教思想としては大体十五世紀以後見るべき発展もなく︑大体その頃から日本の思想界の指 導的地位を失うにいたったと言われるのである︒その後の仏教が今日に至るまで︑その教義においても︑また活動に おいても︑古い伝統を固守して停滞し︑更には社会的現実といろいろの形で妥協し︑それに譲歩して︑低迷や衰微の 傾向を辿ってきていることは否定でぎないところであろう︒西洋においては︑かっておよそ五世紀頃からゲルマン民 族のローマ・カトリック教への集団改宗が行われ︑それによってゲルマン民族はゲルマン固有の無数の地方的部族的 な民族宗教を放棄し︑やがてヨーロッパが形成されるにいたる基盤が作られたのであった︒然しながら︑わが国にお ける仏教の伝播や受容の過程はそれとは趣を異にしているのである︒つまり︑仏教はわが国においては一般には鎖災 致福や鎮護国家や加持祈祷の呪術的儀礼として受けとられ︑わが国古来からの民族宗教としての呪術信仰や神社信仰

と衝突することなしに並行的に採用されたのである︒従って︑例えば︑一般の家々に神棚があると同時に仏壇がある

一方では農耕儀礼や民族宗教である神社の祭りを繰り返

していながら︑他方ではやはり民族宗教から出ている正月や彼岸や盆の行事が仏教の教義や儀式と混合して行われて

(7)

おり︑明らかに神社信仰と仏教信仰とが併存混肴していて︑そうした混滑せる信仰が日常の生活意識や生活様式とな っているのである︒ところで︑こうした事態は仏教王国といわれる富山県においても極めて広汎に︑また顕著に認め

られるのてある︒この事は︑昭和三十年度における富山県下八市七郡における大字総数︱︱九五八に対し︑宗教法人と

しての神社総数は約︱

10 00

︑仏教関係では総数一六九

0

わが国における仏教のこうした受容の過程を考えるに当って︑今ここで更に庄意すべぎことは︑そうした仏教信仰 が徳川時代に入るに従ってわが国に古くからあったと考えられる祖先崇拝と結ひつき︑やがて祖先崇拝を主要な内容 とするに至っているという事実であろう︒それで︑こうした関連において︑次に祖先崇拝の問題について考えてみる ことにしよう︒元来︑祖先崇拝は︑末開の生産力の低い︑交換過程の未発達な︑閉じられた封鎖的社会に広く見られ る現象であると言ってよかろう︒一般に閉じられた封鎖的社会︑とくに農山漁村においては︑その主要生産労働の場 である耕地や山林や漁場から自由に移動することが不可能なことや交通通信運輸機関の末発達なために︑その生活は 必然に狭小な生活空間に閉ざされた定住的生活とならざるを得ないのである︒ところで︑狭小な封鎖的社会において 先祖代々にわたって生活を続ける場合には︑人は自らその社会の伝統的生活様式を早くから習得し︑やがてはそれに

通暁するようになり︑そこにそうした伝統的生活様式に通暁した老人の権威や威光を生み出すようになる︒しかも︑

例えば︑農村においては︑手労働的集約的な家族的小経営の農耕が存われ︑科学的合理的な農業技術よりも非合理的 な面を多分に含む篤農的技能が重んぜられるため︑そうした経験や技能に習熟している老人に権威や威光が与えられ

や災難に耐えて家族員や村人達を指導し︑ 易いのである︒更に又そうした権威や威光をもった老人は長年にわたってその狭小な封鎖的社会において幾多の困難

それ等の人達と日々直接的面接的な情緒豊かな共同生活を送るところか

キリスト教では総数七となっていることによっても明瞭

(8)

‑ 8 ‑ す場所を設けるためです﹂とあり︑また﹁先祖は根であり子孫は枝葉てある︒先祖の加護なくして子孫の繁栄はな

な時に買ったらよろしいのですか﹂という﹁間﹂にたいしては︑

ということはありません︒親孝行は今日からでも実行するのが道であります﹂というのである︒このように︑富山県 における仏教信仰は特に祖先崇拝を主要な内容としていて︑それは祖先崇拝やさらには氏神信仰や産土神信仰や神社

信仰などともいろいろの形で混渚しているというのが実情なのてある︒ い﹂のであるから︑

富大経済論集

﹁答﹂として﹁先祖に感謝をささげるのに何時から

ら︑自ら彼等によって敬愛されるようになる︒だから︑そうした老人は死後においても守護者として尚いますが如く に追慕愛惜され︑また死の故に神格をおひて畏怖されるようになるのである︒祖先崇拝は︑こうした社会的条件に︑

霊魂不滅や転生輪廻などの宗教的観念か結ひついて起るのである︒永い間封鎖的な農村型社会構造を基盤としてきた 日本の社会に広く祖先崇拝が根強く見られるのはそうした理由に基づくのであり︑尚今日においてもそうした祖先崇 拝が特に封鎖的な農山漁村地帯に盛んであるのも同様の理由によるのである︒そして︑ここで注意すべきことは︑わ が国における祖先崇拝が︑教義や儀式の面において︑多くのものを仏教信仰から借用していて︑仏教信仰はそうした 祖先崇拝を重要な内容としているということである︒このことは︑例えは︑祖先崇拝が仏壇を媒介として営まれてい る事実や︑更にはまた︑農村においては仏様とは一般に決して仏教本来の覚者を意味せす︑死者の別名であることが 多い事実によっても明らかであろう︒農村では︑柳様には現世利益や病気治療を祈願し︑仏様には祖先の供養や死後 の冥福を祈るというのが普通であろう︒こうした事情はわけても富山県において顕著に腔められるところである︒次 に富山県の地方新聞に時折り見うけられる富山市内のある仏具店の販売広告記事を引用することにしよう︒それによ

﹁なぜ家ごとに仏壇を設けるのですか﹂という﹁問﹂にたいし︑﹁答﹂として﹁先祖に対して感謝の誠を表わ

﹁朝夕先祖に感謝の誠をささげ﹂るために仏壇を設けましょうとし︑さらにはまた﹁仏壇はどん

(9)

の近代化が甚だ遅れていて︑ 姿並びに使命を表わしているのでもある﹂

なお最後にこうした祖先崇拝か更に儒教的な家族制度の道徳と複合している事実について簡単に注意しておこう︒

冗来︑わか国の封建社会における支配的イデオロギーとしての儒教道徳は宋学︑すなわち︑十四世紀頃における末代 の新しい儒教哲学である朱子学の伝来に始まるのてある︒そして︑それは︑君臣︑父子︑夫婦など凡て上下尊卑の別 に従い︑下は上に随順することによってはじめて泰平である︑とするところから︑封建社会の身分秩序を広く正当化 する支配的イデオロギーとして採用されるに至ったのであった︒だから︑言うまでもなく︑こうした儒教道徳は元来 封建社会における支配身分たる武士身分のための道徳であったのであり︑また事実武士の身分においては封建君主に たいする忠と親にたいする孝とか密接な関係におかれていたのである︒明治維新後の天皇制絶対主義の政府はさらに こうした封建君主にたいする忠を近代的中央集権的な国家にたいする忠誠に拡大し︑天皇にたいする忠と親にたいす る孝とを一本にした家族国家観や家父長制家族主義の道徳観を普及させていったのである︒そこからして︑わが国は

﹁祖先教の国てある﹂とか︑さらにはまた﹁現実の家族︑即ち現実の家庭生活の成員だけから家はなり立っているの ではなくて︑⁝⁝祖先を杞る行事こそは︑我邦における家の最も重要な任務てあり︑随ってまたその事か家の本当の

︵文部省蔵版﹁家庭教育指導叢書︑第一輯︑

昭和十九年︶と言われたので ある︒こうした簡単な指摘によっても推測されるように︑わが国における儒教は早くから家父長制家族道徳を奨励し 従って祖先崇拝や天皇崇拝などと結びつき︑その結果祖先崇拝は一方においてはこうした儒教と︑また他方において

は︑先程述べたように︑仏教とも混滑し︑

さらには神社信仰などとも混着するということになっているのである︒と ころで︑富山県にみられるような︑過小農的家族経営に依存する農村地方においては︑諸他の理由と相まって︑家族

一般には家交長制家族の支配が依然として広く残存しているのであるか︑

それだけに儒 教道徳を中心とした祖先崇拝か根強く又広汎に見うけられ︑祖先崇拝かそうした儒教やさらには仏教に支えられて日

富山県における宗教意識の社会学的分析︵石瀬︶

(10)

‑ 10  ‑

富大経済論集

富山県における︑特に農山漁村地方における宗教意識や宗教的信仰の内容は︑

今まて簡単に見てきたように︑決し て単純明確というべきものではなくて︑全国的にみて可成り多様複雑なものを含んでいるものであることは否定でき ないと思う︒つまり︑それは呪術︑農耕儀礼︑神社信仰︑仏教信仰︑祖先崇拝︑儒教道徳などを包含しており︑それ 等が生活の多くの領域においていろいろの形で併存し︑重層し︑混滑していて︑それ等の行事や儀式が依然として慣 習や伝統となって日常化しているのである︒このようなわけで︑富山県における︑特に農山漁村地方における宗教意 識や宗教的信仰の重層性や混滑性は疑うべくもないところであると思う︒そして︑それは言うまでもなく宗教的寛容

とは全く異なった心性なのである︒それは異種類のものや矛盾せるものの結合に無頓着な︑

謂未開人的な﹁融即律﹂的心性なのであり︑多様複雑な信仰の呪術的魔術的融即とても言うへきものであろう︒

クス・ウェーパーの言葉で言えば︑まさしく﹁魔術の園﹂に外ならないのである︒

それでは︑こうした宗教意識や宗教的信仰の重層性や混滑性は一体いかなる社会的条件によって生するのであろう か︒次にその問題について考えてみることにしよう︒元来︑閉じられた狭小な生活空間に定住して生活する封鎖的社

一般に諸他の社会との間に接触交渉が少く︑従ってそうした諸他の社会から別異な行為様式や生活様 式が移入伝播される機会も少いために︑自己の社会の行為様式や生活様式を諸他の社会の行為様式や生活様式と比較 検討し︑そうすることによって自己の行為様式や生活様式の意義や価値を反省批判するという機会にも恵まれず︑そ の生活は自ら過去から仕来った伝来の慣習的様式に無自覚的無批判的盲目的非合理的に従うところの伝統的生活とな らざるを得ないのである︒もともと︑人間の合理的客観的な思考判断

U rt e

i le n

は ︑ ないもの︑あるいはそれと矛盾するものから根源的に分別する

t e i l

e n

という﹁矛盾の原理﹂ 会においては︑ 常の行事となっているのである︒

や︑或る事を考えるに 本質的には︑或るものをそうで

レヴィ・ブリュールの所

(11)

‑11‑

一般に慣習や伝統は社会の普遍

は必ず然る可き合理的客観的なる根拠が存在すべきであるという﹁理由の原理﹂に基ついて成立し︑また発展するも のなのてある︒社会の伝統的な行為様式に無自覚的に盲従し︑自己の社会の行為様式と諸他の社会の行為様式との比 較検討によって意義や価値のあるものとそうでないものとを分別する機会も少く︑また自己の社会の行為様式の根拠

や理由について反省批判する機会も少い閉じられた封鎖的社会においては︑一般に当然合理的客観的な思考判断の発

達が阻止されざるを得ないわけである︒そして︑こうした合理的客観的な思考判断の欠如する社会における程︑矛盾 や根拠に無頓着な︑例の未開人的な﹁融即律﹂的思考法が強く支配するようになるのである︒これが︑閉ざされた封 鎖的な農山漁村社会において︑非合理的な卜占︑呪術︑迷信︑農耕儀礼︑民間信仰などが多く︑しかもそうした呪術 や農耕儀礼などが神社信仰や仏教信仰や祖先崇拝や儒教道徳などと︑分別批判されることなしに︑融即混滑している

︱つの根本的な社会的条件であるといってよいであろう︒この場合︑特に女性は︑男性に絞べて︑狭い家のなかで生

象的︑直観的︑情緒的に捉えることが多く︑ 活することが多く︑従って一層封鎖的となり︑そのため女性はその狭小な封鎖的生活空間において物事を個別的︑具

それだけ一層非合理的無反省的となり尻いのである︒非合理的な呪術や 迷信や狂信のみならず︑多様なる信仰内容の混着性が特に女性に多くならざるを得ないわけてあろう︒

さらにまた︑封鎖的社会においては︑今述べたように︑その生活は無自覚的︑非合理的︑無批判的となり︑自ら古 くからの慣習的様式に盲従する保守的伝統的生活が支配的となるのである︒古くからの慣習的様式か自覚反省批判さ れることなしに日常の生活様式となっているのてある︒このことは宗教生活についても妥当する︒農村地方において は︑宗教はいろいろのものか融即混滑したままに慣習や伝統として制度化され︑行事化され︑

知っている者も振めて少いと言ってよい︒また︑閉じられた封鎖的社会においては︑

日常化されている︒だ から︑どの信仰においても︑宗教上の教義は一般に殆んど問題にされす︑自己の信奉する信仰の教義や経典について

(12)

‑ 12‑

富大経済論集

的な行為様式や生活様式として一種の強い社会的拘束力をもつにいたり︑社会成員をそうした慣習や伝統に配与し︑

それを分有するように誘導強制するものてある︒だから︑封鎖的な農村社会においては︑宗教は各自の自由なる選択 決定によるのではなく︑云わば信教の自由以前の状態にあるのであって︑家や更には村の信仰がそのまま無批判的世 襲的に受けつがれ︑また受けつぐように拘束強制されるのである︒特に︑先に指摘したように︑富山県の農村地方に おけるように︑祖先崇拝を中心とした家父長制家族道徳が根強く残存し︑また仏教がそうした祖先崇拝を主要な内実 としているところにおいては︑個々人は家族のなかに埋没することとなり︑従って仏教における宗派の選択などは決 して個人の自由に任ねられることなしに︑殆んど全く家の宗派を無批判的世襲的に受けつぐのであり︑また社会的な 主体性や自主性の少い嫁入った女性なども勿論その家の宗派を受けつぐように強制されるのが一般なのである︒そし て︑このことは︑農村社会の封鎖的排他性とあいまって︑異なれる宗派の信者を非難排斥するにさえいたらしめる︒

例えば︑特定の宗派によって占められている部落に他の宗派の信者が来住する時︑新入者は単に他所者として蔑視さ れるだけではなく︑交際や通婚までも拘束されたり︑さらには部落のある者が他の宗派に改宗する時︑部落からいろ いろの形で迫害をうけたり︑村八分になったりすることざえも起るのである︒このように︑農村社会においては︑い ろいろの信仰内容や宗教形態が融即混滑したままで慣習や伝統となって日常生活に滲透しているのであるが︑そのよ うにしていろいろの信仰内容や宗教形態が長年の間に融即混滑し︑更にそれ等が日常生活に密着溶透するにいたると それ等が次第に有機的に連関し合い︑機能的に統合するようになってくるのである︒だから︑そうしたいろいろの信 仰内容や宗教形態と生活との統合体から或るものを除去廃止せんとしても︑農村社会の保守的伝統性のために非難を うけるのみならず︑更にそうした除去が除去せんとする部分と有機的に連関統合している諸他の部分の廃止や改変を

も必要とし︑しかもそれが︑古い大きな伝統的統合体として固定しているものになる程︑一般に大きな努力や困難を

(13)

‑ 13‑

とにしたいと思う︒ 伴う結果︑依然として古くからのいろいろな信仰の混滑形態をそのまま慣習的に持続していかざるを得ない傾向をもっているのである︒ベソカーなどか︑宗教的社会と非宗教的社会とを比較して︑宗教的社会は新しい変動に対する大なる否定嫌悪を示し︑そうした社会のパースナリティは承認への欲求や応答への欲求をもつが︑それ以上に著しい安

われわれは︑これまで富山県の︑特に農村社会における︑いろいろの信仰の混灌形態を生み出すと思われる︑何つ かの社会的条件を簡単に分析してみたのであるが︑こうした問題を考えるには︑更に次のような視点が一層肝要なの

である︒つまり︑富山県などにおいて︑特にその農村地方において︑

礼︑神社信仰︑仏教信仰︑祖先崇拝︑儒教などが︑或るものは衰微したとはいえ︑然しなお広汎にまた根強く存続し 併存し︑混滑していて︑更には新興宗教などが可成りの程度に普及しつつあるのは︑実は一層根本的には富山県一般 にみられる︑特に農山漁村地帯における︑経済構造と政治構造と︑それ等に囲饒せられた家族構造などの特徴︑つま り︑それ等の領域における前近代的︑封建的︑非合理的な遺制の広汎な残存とそれ等に対抗している近代的︑民主的 合理的な性格との特有の入込んだ併存混滑やほぐし難い矛盾葛藤に基づくことなのである︒そうした問題を詳しく取 扱うことは他の機会にゆずらざるを得ないのであるが︑ここでは更に次の節で多少簡単にそれ等の問題にも触れるこ われわれは︑前の節で︑先ず富山県における宗教意識や宗教的信仰の混合性や重層性や混渚性という特徴について

指摘し︑次にそうした特徴を生み出すと思われる何つかの社会的条件を簡単に分祈してみたのであるが︑次にこの節で

定への欲求をもっている︑という所以であろう︒

いろいろの信仰内容︑すなわち︑呪術︑農耕鍛

(14)

富大経済論集 は富山県における宗教意識や宗教的信仰の内容を更に別の何つかの観点から一層検討していくことにしたいと思う︒

最初に︑本論を逸れて︑少し廻り道を辿ることになるか︑富山県のような村落型社会構造の支配的な地方における 生活意識や社会意識を分析することによってその宗教意識の内容を明らかにするということにしたいと思う︒先ず︑

何よりも︑富山県の︑特に農山漁村地方においては︑

いまなお依然として封建的な家父長制家族の支配か強く︑家父

長制家族主義が広汎に認められることは否定すべくもないところてあろう︒一尤来︑

日本の農業は︑常に指摘されてい るように︑全体的にみて︑過小農的家族経営を基盤としてきたのであった︒つまり︑

日本の農家の経営規模は︑戦前 において約一町歩であり︑約六五%か一町以下であったのであり︑現在では一戸平均八反歩を割り︑約七五%が一町 以下の小経営なのである︒そして︑この零細な耕地か家族労働によって経営され︑

のてある︒富山県の農業も全く同様で︑

しかもその半ば以上が兼業農家な 今ここで詳しい資料を紹介することは省略せさるを得ないか︑

は︑そうした経営が家族員全体の共同労働や集団責任のもとに行われることになる︒従って︑

らうけつかれてきた家族の一具としてのみ取扱われることとなって︑

昭和三十二年 度農業基本調査によると︑県下農家数は八万三千五百十戸︑農家人口は四十七万七千五百五人︑耕地面積は七万七千 五百五十四町歩余であり︑経営面積て一番多いのは五反以上一町の農家で︑三一・六%をしめる一一万六千四百五戸に

およひ︑専従農家は二七・九%の︱︱万一二千︱︱]百十八戸で︑残りの大半か兼業農家であって︑兼業牧入十万円以上の農家か三万八千三百九十戸で、全体の六――-•八%をも占めているのである。従って、富山県の農業は明らかに過小農的

家族経営であり︑しかも兼業化への傾向が著しいのである︒ところで︑こうした過小農経営において︑しかも技術や 機械の利用度か低くて︑労働生産性よりも土地生産性の上昇を目指した︑手労働的︑集約約︑篤農的経営において

そうした過小晨的家族 労働に依存する農村社会においては︑個々の家族員はそうした家族のなかに云わは埋没吸牧せしめられ︑先祖代々か

そうした家族が農村社会における重要な単位と

(15)

こうした場合に成立する家族は一般には夫婦中心の近代的小家族とはならず

に︑家父長の権威をもとに老若男女か縦の支配服従関係や︑主従関係において序列つげられた︑親子中心の家父長制家

族となるのである︒もちろん︑こうした家交長の櫂威や支配の成立は︑塵々指撞されているように︑上層農家に顕著 にみられることであって︑中貧晨層においてはそれ程てもないが︑然しこれら中貧農層の貧困は必然に家族の全体的 秩序や集団的統制や共同的強制を生みだすことによって︑個人を矢張り家族の全体に従属させ︑家族の全体的共同体

的な意志や統制に服従せしめることになるのである︒

また︑農村地方のこうした家父長制家族においては︑都市社会における近代的小家族に較べると︑経済的に未だ明 確に生産と消費とが分離しておらす︑家族は消費集団てあると同時に生産集団でもあり︑今なおある程度まで経済的 な自給自足性を保持していて︑日常の生活においても生産と消費か同じ狭い家族や村のなかて行われるのであるから それだけ晏業家族においては家族員相互の生活の共同関係か重層して複雑となり︑家族員相互を結ひつける紐帯も強 く︑従ってまた家族の個人にたいする拘束力も大きく︑個人は家族から独立し難くなってくる︒こうした条件か過小 農家族経営による農村社会において家父長制家族の成立や支配を一層促進強化しているのである︒

さらにまた︑こうした家父長制家族を単位集団として含むところの村落共同体そのものが何程かの家族主義的樺成

を特徴としているのである︒元来︑前近代的な封鎖社会になる程︑いろいろの社会的機能は分化せず︑従ってコミュ

あるいは基礎的全体社会とアソジエージョン︑あるいは機能的部分集団との未分化の状態がみられる︒だか

ら︑封鎖的な地縁共同体としての村落社会においても︑

社会と機能集団との末分離末分化の状態が顕著にみられるのである︒従って︑例えは︑農村の人々は同じ氏神の氏子

また労力交換の関係をも作っており︑農業協同組合の構成具てもあり︑共有地の有権者でもあり︑講集団を

ならざるを得ないのである︒

そうしたコミュニティとアソジェージョン︑

あるいは基礎的

(16)

‑16‑

富大経済論集

組織し︑消防組を維持してもいるといった具合なのである︒つまり︑同じコミュニティの土台の上にいろいろのアソ

ジェージョンが成立しているわけであるが︑

と範囲を等しくし︑ それらのアソジエージョンは︑程度に差はあっても︑大体コミュ一一ティ

コミュ︱︱ティの成員がその内部でそのままいろいろのアソジエージョンに共同で所属していて︑

同じコミュニティの上にいろいろのアソジエージョンが重層累積しているのである︒村落社会が累積的集団として特 微つけられるのはこうした理由による︒このように︑村落社会においては︑村人たちは︑村の範囲を超えることなし に︑重層的にいろいろな種類の集団の成員となっていて︑生活の多くの領域において共同的︑協力的な社会関係を累 積させ合っているのである︒そして︑こうした村落共同体における社会集団や社会関係の重層性や累積性は︑村落社 会の封鎖的狭小性や過小農的経営と相まって︑村人たちの社会的人間関係を日々の直接的︑面接的︑熟知的な︑また 多面的︑全人格的︑協同的︑永続的な関係にしているのである︒こうした場合に︑村落共同体における個々人の社会 的連帯性がそれだけ強くなり︑従ってまたそうした村落共同体の個々

A

におよぼす支配や拘束が生活の広い範囲に及

び︑そうした共同体の拘束力や強制力が強大となってくるのは当然であろう︒

ところで︑その成員にたいしてこうした強大な拘束力や強制力をもつ村落共同体がさらに一種の家族主義的構成を 帯びることになってくるのである︒すなわち︑先ず農村社会は︑繰り返し述べてきたように︑狭小にして封鎖的な地 縁共同体なのであるが︑こうした狭小にして封鎖的な地緑共同体は必然に何程かの血縁関係を重層累積させてくる︒

つまり︑本分家関係という血緑的親族集団としての同族を構成してくるのである︒同族は系譜の本末にもとづくもの であり︑本家が同族神や祖先の祭杞権をもつ単系の親族集団てあるが︑それは単に系譜上の本末関係や上下関係であ

るのみならず︑同時に︑経済的︑政治的︑社会的にも︑本家の庇護統制と分家の奉仕従属という形のもとに︑

身分的上下関係や主従関係をなしていて︑その原理は明らかに本家中心主義であるという特徴をもっていることは周

(17)

‑17‑

知の通りである︒農村社会においては︑こうした同族が大きな支配力をもっているのであり︑さらには何つかの同族 団が存在している場合には︑特に強大な同族団の本家かそうした長村社会の生活を支配統制するという傾向をおびる ようにもなってくるのである︒この点において︑長村社会は︑程度の差はあっても︑何程かの同族関係︑従ってつま り本家の伝統的潅威を中心とした一種の家族主義的構成をもつようになってくるのである︒

そして︑また晨村社会におけるこうした家族主義的構成を強化するものとして小作関係や擬制的な親子関係の慣行 が挙げられねばならないであろう︒経済的自立性を欠如する︑小農︑あるいは過小農を特徴とするわか国の農業にお いては︑周知のように︑小作関係が戦前においては広汎にみられたのであり︑戦後の農地改革は確かにそうした小作

関係を根本的に改革したのではあるが︑然しなお何程かの程度において残存し︑

またそうした慣行に伴う生活感情は 依然として根強く存続しているのである︒富山県の農村社会においても事情は全く同様であるといってよい︒ところ で︑これも周知のように︑小作関係は決して平等の人格の間に成立する耕地の単なる貸借関係にとどまるものではな ぃ︒大部分の小作契約が口約束であり︑常に減免慣行をともなっていたことによっても明らかなように︑親作地主の 田を作らせてもらぅことがすでに御恩なのであり︑耕作権は常に不安定の状態にあり︑小作料の減免は親方地主の恩

恵として受けとられたのであり︑

子作ぱ小作米牧納や家事万端の手伝のための出入やまた親作の庇護などを通して親

作に隷従し︑その結果親作と子作とは一種の家族主義的主従関係を作り上げることになり︑

的な庇護従属の家族主義的主従関係が親作の搾取や牧奪を隠蔽してきたのである︒しかも︑封鎖的伝統的な農村社会

そしてこうした親方子方 においては︑こうした親作小作の関係が一般に一代限りではなく︑代々譜代的に結ばれることによって︑それはそれ だけ一層庇護従属の家族主義的主従関係の巾を広め︑厚さを増すということになったのである︒そして︑こうした地 主小作関係に先に述べた本家分家関係が重複してくる場合には︑親作である本家の支配や権威がいわば相乗的に増大

(18)

ているのである︒

しかも︑先にも述べたように︑封鎖的な農村社会においては︑

しているために︑村の支配者も重複する傾向が強いのである︒例えば︑部落会長が同時に氏子総代でもあり︑

家総代や講の代表者でもあり︑農業協同組合長や消防組長でもあるといった具合になってくるわけである︒あるいは このように同一人に重複せないにしても︑同一の上層的支配階層に集中しやすい︒そして︑そうした支配者が伝統的 慣習的に同一の上層家族や上層階層から選出されることになり︑そうした伝統的な支配者や有力者が恰も家長のよう に見倣され︑家父長のような権威を帯びることによって︑伝統的な家父長主義という社会意識や生活意識を生み出し

われわれは︑今まで︑本論を少し逸れて︑姻り道を辿りながら︑農村社会︑あるいは村落共同体において︑

うにして︑又どれ程︑家父長制家族の支配か強く︑またそうした家父長制家族を単位集団とする村落共同体そのもの か支援しているのである︒ 富大経済論集

し︑それだけ農村社会の家族主義的構成を一層強化することになるのである︒

農村社会における家族主義的構成はそれらのみに止まるものではない︒すなわち︑自立性の小さい不安定な小農や

過小農に依存する農村社会においては︑今までに述べてきたような本家分家関係や地主小作関係などに結ひついて︑

いろいろの擬制的な親子関係や親方子方関係か作られてきたのである︒例えば︑名付親︑烏帽子親︑鉄漿親︑村入や 氏子入や株入のさいの親方取りの慣行がそれである︒それらは︑言うまでもなく︑小農や貧農が有力者の保護や庇護 を求め︑それに対し奉仕や服従をささげ︑社会的な上下関係を形成することによって︑経済的な依存関係や従属関係 を確立せんとするものに外ならない︒こうした擬制的な親子関係は今日では非常に少くなったのであるが︑然し依然 として農山漁村地方においてその名残りが何つか見うけられ︑矢張りそうした農山漁村地方の家族主義的構成を何程

いろいろの社会集団や社会関係が重層累積

また檀

どのよ

(19)

‑ 19‑

明らかにすることにしたいと思う︒ 然として広汎に認められるのである︒ が家族主義的構成をもっているかを何つかの観点から分析し︑そうすることによってそうした村落社会が経済的︑政治的︑社会的にみて伝統的な家父長制家族主義や権威主義という社会意識や生活意識に支配されている事情を明らか

マックス・ウェーバーは︑西ヨーロソパ・アメリカ型の市民社会形成に主導的役割を果し た産業的中産者層に独自なエトスをプロテスタンティズムに基つく資本主義の精神であるとし︑それに対し東ヨーロ

ッパ・プロジャ型の農業的中産者層にみられるエトスは家父長制的伝統主義の精神であると説いたのてあるが︑そう

した家交長制的伝統主義や伝統的な権威主義の精神か東洋や日本の村落共同体においても支配的な生活意識や社会意 識の内容となっているのてある︒富山県の長山漁村地方においてもそれは顕著に見られるところである︒そして︑ま たそれは︑富山県自体の可成り強い封鎖性の故に︑市部においても︑程度や内容に多少の相異はあっても︑矢張り依 ところで︑次に︑富山県におけるこうした伝統的な家交長制的家族主義や罹威主義を背景におきなから︑それと富

山県における宗教意識や宗教的集団との関連を分析し︑そうすることによって富山県における宗教意識の実態を一層

べたように︑富山県は仏教王国︑

先す最初に富山県における伝統的な家父長制家族主義と祖先崇拝との関係をみることにしよう︒すてに第一節て述

わけても真宗王国であるといわれるのであるが︑富山県における仏教信仰は明らか に祖先崇拝を主要な内容としているのである︒そして︑家父長制家族というのは︑これも先にこの節て見たように︑

先祖代々の祖霊の守護のもとに︑家父長の権威を中心として老若男女が縦の主従関係に序列つけられた︑親子中心の 家族制度なのである︒だから︑家父長制家族においては︑家族具は凡て家交長の統制と権威のもとに代々の先祖の整 にたいし感謝や供養を捧け︑守護や冥福を祈ることとなり︑時々の精進や法要か重視せられることになる︒とすれは

にしたのである︒かって︑

(20)

‑ 20 ‑

ま ︑

, 9,   氏神信仰や産土神信仰とも重層混滑してくることになるのである︒ 県における仏教信仰はこうした脈絡のもとに明らかに祖先崇拝を主要な内容としているのであって︑従って又それは こうした家父長制家族制度かとれ程祖先崇拝と粗互に因果的な適合関係をもっているかは栃めて明瞭てあろう︒富山

また︑こうした家父長制家族主義は︑家の祖霊と家族員とを仲保する地位にある︑僧職者の僧階制や寺院の本未関

係とも適合し合い︑そうすることによって一層祖先禁拝を支援し︑

そうした祖先崇拝も他方では僧職者の地位や潅威 を一層高めるといった関係にあると云ってよいのである︒各僧職者や師弟の間に明確な僧位僧階制による職級上の上 下関係や支配服従関係がみられ︑また僧職が家父長主義的な世襲となっていることは云うまでもない︒また︑寺院に ついては︑殆んど凡ての宗派において古くから本山と末寺の関係︑つまり本末関係がみられ︑本山を頂点として各地

方各地域に末寺や末々寺の関係が編成されていて︑

そこに明確な階統の組織や制度がみられるのである︒富山県に広 く普及している真宗においてもこの事実は明白に認められる︒元来︑真宗は古くからその布教様式として本願寺未寺 坊主や有力門徒を中心として大体郷村単位に月何回か同朋同行が講集団を結成して祖つどい︑寄合って信心を深め︑

広めていくという形をとったのであり︑冥宗の普及はそうした各地方各地域の未寺における講集団の拡大や普及によ っているのであるが︑やがて本願寺の勢力や権威が次第に確立拡大されていくにつれて︑講集団を主催する末寺と本 願寺との階統的本未関係も確立されるに至り︑そこに講のいわゆる上納金が年貢化して割り当てられるようになるの みならず︑本末関係が封建的伝統的潅威にもとづく支配服従関係として組織づけられるようになっているのである︒

こうした門主や僧侶者の世襲制︑僧階制における階統関係や中央集潅的木末関係などは正しく家父長制家族主義や伝 統的潅威主義によるものであるといってよいであろう︒日本の仏教は︑第一節でも触れたように︑徳川時代において 一般に殆んど常に封建的政治権力に妥協迎合し︑これを利用し︑またこれに利用されるという形で発展してきて

富大経済論集

(21)

‑21‑

いるのみならず︑その教義面においては封建社会や封建思想を維持し根拠づげる役割りを果すと共に︑その組織面に おいても多くの点において封建制度を模写し︑今日においても依然としてそうした前近代的な封建制度を保守してい るのである︒だから︑こうした僧職者の僧陪制や寺院の中央集権的本末関係なとが家父長制家族主義や伝統的権威主 義と適合し合い︑祖先崇拝を一層培養することになっていることは明白てあろう︒

明らかにしたように︑その参加資格が家単位てあったり︑

宗教意識や宗教的信仰内容における家父長制家族主義や伝統的権威主義は︑例えは︑富山県に庄倒に多い真宗の講 集団の組織や運営についてみても明白てある︒家父長制家族主義は︑繰り返し述べてきたように︑家父長の権威のも とに老若男女を縦の主従関係や上下関係に序列づけるものてある︒だから︑譜集団においても同様に︑前掲の拙論で

その戸主や主婦てなければならないものかあったり︑また 講集団か世代別や性別にそれそれ特殊の関心と意識をもつものとして組織されることにならざるを得ないのである︒

講集団の運営についてみても︑成程それは現在可成り公平な民主主義的性格を示してきているか︑然し以前にはいろ いろの点においてそうでなかったものてあり︑現在においても億かながら何つかの点においてそうてない事実を示し ている︒すなわち︑例えば︑講の宿となる家は村での家格の高い旧家や門徒総代などであったり︑世話人や役員も世 襲によってきまっているものや総代や有力者かなるというようなのか多かったり︑会食なとにおいても当然家格によ って座位かきまっていたりしたし︑程度に相異はあっても今日でもそうてあるものがみられるのである︒こうした講 集団の組織や運営における一種の家父長制家族主義や伝統的権威主義は明らかに現実の家族や村落共同体における家 父長制家族主義や伝統的権威主義に基づくものてあり︑また逆にそれを強化再確認することによって︑宗教意識にお

ける伝統的潅威主義や家父長制家族主義という内実を作り上げているのである︒

富山県における宗教意識の内実となっている家父長制家族主義的傾向はさらに次のような事情においても明白に認

(22)

‑ 22‑

科学への社会主義の発展﹂のなかで︑

められる︒すなわち︑富山県における真宗関係の講には男性のみの講と女性のみの講と更には男女共同の講がみられ

るが︑この場合女性のみの講が決して少くなく︑しかもそうした女講においても主婦のみの構成する講が割合に多く︑

その参加者は明らかに老中年層に多いのである︒つまり︑

般に低い地位や勢力しかもたないため︑

それは︑封建的な家父長主義的家族においては︑女性は一 そうした女講に参加するのは大体嫁入ってからの家族における長年の苦労と 業績を果した老令になってからのことか多いからである︒そして多くの老中年層の婦人は漸くそうした講に参加出席 し︑仏教教義における因緑思想︑無常思想︑凡愚思想︑末法思想などに慰められることによって︑家父長主義的家族 や経済的貧困における惨めな地位や重苦しい圧力の軽減やそれらからの解放を与えられることになるのである︒また

今日青壮年層の女性のための尼講や仏教婦人会などもいろいろみられるが︑

そうした尼講や仏教婦人会に出席する者 のうち嫁と舅姑関係による家庭の不和によるというものやさらには家庭から解放されて気晴しになるからというもの が少くないことも注意されてよいであろう︒農村の家族における嫁と舅姑間題か︑農村特有の経済的社会的諸条件に 家父長制家族主義がからみつくことによって︑どれ程深刻広汎なものであるかは固知のところである︒農村の家族に

おける年若い蕨は家父長制家族の最底辺にあって︑家父長や姑や夫の支配や権力のもとに︑日常多くの機会に心理的に

さまざまの抑圧︑欲求不満︑懐疑︑孤独︑罪悪感などに陥らざるを得ないわけであり︑それらを代償するために入信 したり︑講に出席することになるとしても︑それは桓めて当然のことと言わねばならないであろう︒かって︑

﹁ヘーゲル法哲学批判﹂のなかで︑宗教は﹁悩めるものの溜め息であり︑非情の世界の情操であり︑精神なき 状態の精神である︒宗教は民衆の阿片である﹂と語ったのも決して故なきことではない︒

エンゲルスも︑﹁空想より

﹁生産力と生産様式とのあいだの矛盾は︑例えば人間の原罪と神の正義との矛 府のように︑人間の頭のなかに発生したものではなく︑客観的な︑われわれの頭の外部にある︑それをひきおこす人

マルク

参照

関連したドキュメント

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

名の下に、アプリオリとアポステリオリの対を分析性と綜合性の対に解消しようとする論理実証主義の  

断面が変化する個所には伸縮継目を設けるとともに、斜面部においては、継目部受け台とすべり止め

市民的その他のあらゆる分野において、他の 者との平等を基礎として全ての人権及び基本

このような状況のもと、昨年改正された社会福祉法においては、全て

「社会福祉法の一部改正」の中身を確認し、H29年度の法施行に向けた準備の一環として新

レーネンは続ける。オランダにおける沢山の反対論はその宗教的確信に

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん