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近江商人市田清兵衛家の経営(一)

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(1)

腎 \

近江商人市田清兵衛⋮家の経営︵一︶

 は し が き 一 市田家の略歴 二 市田家の経営

1 支店と店則

2 経営状 況

3 取引と金融

4 土 地 経営

5 雇用形態

 む  す  び ︵以上本号︶ ︵以下次号︶ は し が き        ︵1︶

 近江商人の経営については、これまでさまざまな方面から研究がなされてきたのであり、われわれもこれまでいくつか

      ︵2︶ の事例研究を続けてきた。しか、し、われわれの研究も八幡に本家を構え、松前に活躍の舞台をもつ商人を中心としたもの であった。ここで取り.上げる市.飼家も八幡に本家を置く商人であるが、松前に拠点をもち、場所請負などによって當を蓄 えた商入ではなく、北関東に支店を設け活躍した別のタイプに属する近江商人であった。      近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶       八三

(2)

     .近江.商人市田清兵衛家の経営︵﹂︶      八四       ︵3︶       ︵4V  市田清兵衛家については、すで.に宮本又次氏によってその家.訓が紹介され、その後﹃滋賀県八幡町史﹄や安岡重明氏に        ヨソ よ.る明治八年の.店制改革の研究が行なわれている。しか.しながら、.市田家の経営全般に.わたる諸問題につい.ては、従来ほ        ︵6︶ とんど取.り上げら.れることはなかった。そこで、本稿では市田家の企業者活動について、新たな史.料の.紹介.はもちろんの ことAそ.の企業.者活動全般にわ.たって江戸期から明﹁治期にか.けて可能な限り連続して見て﹁みること.にする。ただ、その中 でも次のような点に注目しながら市田家の経営を考えて見ることにしよう。

 第一に、市田家の企業者活動における大きな変革やその対応は同家の経営状況の中でどのような意味・役割があったの

か。市田家自身の内的要因にも目を向けて考えてみること。第二に、市田家の経営を単に高崎支店の経営だけでなく、土

地経営などについても併せて考えること。第三に、店則等にみえる支店を核とした行商経営を行なう近江商人としての市

田家の特質を示すこと。第四.に、近江商人の雇用形態の特色の一つとされる近江出身者の雇用・登り制度などについて、

市田家の場合においてどのような形態をとったのか検討すること。第五に、市田家の貸付において見られた近江商入仲間

内での加入者など近江商人仲間の結合について明らかにすることなど。以上のように、市田家の経営の特質を具体的な経

営内容を見て行く中で明らかにするとともに、市田家の経営において見られる近江商人としての特色をも明らかにしてみ

たい。 ︵1︶江頭恒治﹃近江商人中井家の研究﹄︵雄山閣、一九六五年︶、丁吟研究会編﹃変革期の商人資本−近江商人丁吟の研究一﹂︵吉川弘文館、 一九八  四年︶、西川嘉男﹁元禄・享保期における前期的資本の動向−近江日野の豪商、正野玄三家の場合1﹂︵京都大学﹃史林﹄第四二巻第五号、一九五  九年九月︶などの研究がある。 ︵2︶ 拙稿﹁近江商人西川伝右衛門家の松前経営﹂︵滋賀大学経済学部附属史料館﹃研究紀要﹄第一八号、一九八五年一月︶、同﹁近江商人岡田弥三右  衛門家の経営﹂︵同第一九号、一九八六年三月︶。 ︵3︶ 宮本又次﹃近世商人意識の研究1家訓及店則と日本商人道一﹄︵有斐閣、一九四一年︶二一四∼二一八頁、のち﹃宮本又次著作集﹄第二巻︵講  談社、﹁九七七年︶二︸七∼二ニニ頁。 ︵4︶ ﹃滋賀県八幡町史﹄︵八幡町、一九四〇年︶。

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︵5︶ 安岡重明﹁明治初年における近江商人市田家の店制﹂︵﹃同志社商学﹄第一五巻第六号、一九⊥ハ四年三月︶。 ︵6︶ 他に、市田家については、近松文三郎﹁市田清兵衛家事歴﹂︹﹁︺∼︹二一︺︵﹃太湖﹄第一三四号∼一六二号、一九三七年三月九日∼一九三九  年七月九日︶、江南良三﹃近江八幡人物伝﹄︵近江八幡郷土史会、[九八一年︶などの研究があり、また市田家の﹁日記﹂に記載されている気象史  料を利用した研究として、水越允治﹁近畿・東海地方における近世の気候復元一とくに乾湿条件について一﹂︵﹃京都大学防災研究所年報﹄第二八  号B!2、一九八五年四月置、同編﹃近畿・東海地方における一七八㎜∼︻八七〇年の間の梅雨季の天気記録︹資料︺﹄︵一九八六年︶、東京大学地  震研究所編﹃新編日本地震史料﹄第五巻別巻三︵一九八六年︶、同第五巻別巻五i二︵一九八七年︶などがある。 一 市田家の略歴        ︵−︶         ︵元︶  市田家の事業の始まりについては、﹁市田家.略記﹂によれば、﹁慶長天和之頃二南八幡新町四丁目へ引移リ初代ス、此初 代庄兵衛ト云ヒ小間物商売セリ、其嫡男清兵衛ト云ヒ旅商ヒ心掛ケ柳小間モノヲ以初発濃刀朋ヨリ信錫へ旅商ス、此清兵衛 不幸ニシテ父二先立チ寛永廿年上十月病死セリ、三代目父ノ素志ヲ継キ信刀加ヨリ上鮎加へ下り上錫安中宿主馬町止宿シ、小 間モノニ太物交田上刀珊一円ヲ行商セリ、土地産物糸絹真綿買入名古屋京都へ製し、又者上錫苧買入江戸下し、忌避名古屋 大坂本国へ登し、其後都合寄安中宿引払ヒ、宝永四年高崎田町弐丁目︵今ノ地︶借家店ヲ開キ此トキ小間モノヲ土類、此ト キ四代目幼名孫市出店主トシ明治初年.迄通名、十月此開店之際小間モノヲ止メ、太物高宮布名古屋大坂等ヨリ繰綿下し呉 商合テ専業ス、正徳弐年号メテ三刀加盛名古屋木綿古手買下し、続テ大坂古手買下し、是ヲ今日下リ古手ト称シ当店開始ナ リ、此トキ三代清兵衛浄林ト云ヒ七十有余年俸シテ、年々三四回ッ・往復致し嫡男孫市開店之補助也、、正徳四年曽月齢七 十八歳ニシテ出店病死セリ、此後孫市子名相続シ、延享弐年新町四丁目ヨリ小幡町︵今ノ居住地︶移り、此三代労力非常ト        思ベシ﹂とあり、また﹁市田日記﹂には、﹁商業之事﹂として﹁往古関東江志、上州安中宿伝馬町万屋三右衛門殿二旅宿致.

し小間物類商三糸絹真綿仕入京都日野屋九兵衛殿上野屋新右衛門殿へ差上し、夫より名古屋白木屋徳右衛門殿へ登す、其

後麻買入江戸大坂名古屋表へ取引始る、宝永四丁亥二月遅日去て高崎店開ク借宅、全五戊子年店勘定帳出来、十六己丑年

     近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶       八五

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     近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶       八六 太物高宮布繰綿商売糸絹真綿麻鰻登す、蚊帳差下す﹂とあるよ﹁うに、市田家の初代は庄兵衛と称し、慶長・元和年間.︵一 五九六∼一六二三︶頃八幡の新町四丁目に来住して小間物の商いを営んでいたが、その嫡男である清兵衛は、美濃から信州

へ初めて小間物の行商に出かけた。三代目も上州安中を拠点に行商を続け、小間物だけでなく太物も売り歩き、一方その

土地の産物や生糸・綿・苧等を買入れ、名古屋・京都・近江・江戸へ登せていた。そして、宝永四年︵一七〇七︶には、拠 点を安中宿から以後市田家の支店となる高崎田町二.丁目へ移し、その時小間物商いを止め、太物・高宮布・呉服等の売買 に専従し、やがて古手等も取り扱うようになっていった。さらに、延享二年︵一七四五︶には、八幡の住居を新町から小幡 町へ移し、市田家の経営基盤が形成された。

 次に、市田家の歴代当主を第1表によって見てみよう。初代には、一男二女がいたが、長女に婿養子を迎え二代目とし、

長男は市田孫兵衛家として分家させた。三代目は、七八歳の長寿を全うし、前述したように市田家の基礎を築き、市田家

中興の祖と呼ばれ、四男二女のうち嫡男を四代目とし、四男利助を分家させた。この彌兵衛家と利助家とが市田本家を支

えることとなり、本家の﹁山市印﹂に対して、孫兵衛家は﹁山カセ印﹂、利助家は﹁山田印﹂と称された。 四代目には、 三男一女がおり、.長男が五代目となり、次男は孫兵衛家を嗣いだ。五代目には子供がなく、一旦重兵衛家を嗣いだ弟に六

代目を委ねた。六代目には、二男皇女がいて、七代目はその長男がなったが、十九歳の若さで他界したため、六代目の後

妻たみが八代目として跡目を相続した。そして、九代目には、八幡近在の益田村の旧家である益田又四郎家の三男源之助

を迎え、六代目の五女そえと結婚し、八代目の没後相続した。二男をもうけ、長男が十代目となる。十代目には、四男五

女がいたが、いずれも早世したため、八幡北橘町高田嘉兵衛の弟小四郎を迎え、十代目の妹知恵と結婚した。嘉永二年

(一

ェ四九︶には十代目が隠居し、十一代目の相続となった。十一代目には、 一男五二がいたが、嫡男祐太郎は文久二年

二八六二︶十八歳で死去し、十一代目も同年その後を追った。そのため十二代目には、十一代目の後妻であるたみを名義

(5)

藩μ辮 掛田購θ引引脹阯

  麟 晋   ︵三三嬢︶ 註灘避醒︵醤駆︶ ωb。潜 海》詫 卜海 ゆくカヘユ  こみの

沸海詳塩海

目O白 目三 脚沸 田湘療.

蕪識

蛙飛避 錦曲舞 錦獅麟

薫餓

︵國甜︶ 錦湘識 鍛湘職 豊漁識 (爵?E叶温︶ 錦漁謝 ︵賭・響満︶ 錦獅醸 (隅

T︶

蕪識

旨置 お 海声 如

露蕪

♂卉 HN︾ H。。海  ︵群︶ 諮獅識

蕪職

錦掴識  ∼測瞬卸 興轟卸∼國弾8 囲脚NO∼目爵蔭 H識蔭∼晒颯b。  睡颯b。∼蹄嘲お  爵蟄b。・肉︵麿︶     ∼矯沖刈 辮爵刈︵一㎝︶∼洲温ω 囲圖。。︵濠︶∼踵興心  調蜂膳・癖     ∼浸興㎝ 浸堺①・H︵b⊃Q。︶    ∼舗熱卜。 漸涛卜。・団︵Q◎b∂︶    ∼済︾b。 済︾b。∼囲郎蒔  温郎軽・O︵謡︶     ∼温三遷 温瀞卜⊃O︵旨︶∼囲酪。。目  温酪ωH︵G。一︶     ∼汁胤癖 汁国膳︵HΦ︶∼汁H。。 汁HQ。ρ﹃︶∼超哲。。  麗劃。。∼ 割叶需池︵輯醤︶ 爵 碑 蔭踊轟 ・洪’呂l

H8・

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冊醐b。・b。︵謡︶ 隠繭お︵緯︶ 浦沖¶︵宅︶ 洲温ω・刈︵お︶ 國急心・b。︵朝ω︶  渥興α・昌 石経ω・HH︵誤︶ 蛍b。・ 刈︵軽。。︶ 温血b。㊤・◎。︵9︶ 温酪ωで嵩︵b。O︶ ︾囹膳・①︵切O︶ 汁Hc。・㊤︵8︶ 萌割Q◎・旨︵ωH︶ 燦撃渇川暑﹁針田諮湘蹴醤蝦繭﹂︹昌∼︹b⊃目︺︵﹃冴踏﹄臓目恕畑∼熟H露如、  近江商人市田清兵衛家の経営︵︸︶ H出梅。卦猷F海士苺離申蒔嶺酋孟灘。泌凶漁ゆ醤掛田翼湘餓伴騨叫。 潜海即卦θ涌七瀬”H温目測猷O。畑卦郷涛弼揖﹀田醤♪翼今。 照脅叫㌶︸材圧餅。心密b。卦猷G。譲日興醤断面俄涛紬㌶禦湘鹸醤鳩m腋“艸蘇鄭 劃醜蜘獣畜丑醤噌諮灘泪梱離婁卿ゆ醤︸蝋倖誹﹁串醤箕ゆさ体ぺb。甜伴舜㊥。 凶ハ﹂弼署﹀田醤野G咄噌庖酋が︵QQ声鄭θ申寝⋮︶。 QQ翻H母猷O。畑卦∵野畑掴曲﹃ 知渦箕醤緊縛墜涛翻㌶鵡湘鹸醤贈諮灘噛函割麟誉醤π湘6⑰沸皿伴鍔が。 佃野幽翠即雲謡藩。日鵠ひ舜C。 朝海θ番。圖萌醤㊦貼卵θ買手叢℃卜。母猷O。卵θ翻黙鳶搬訂動融四十11蜜藩詩勢 嘩黙細伴叫矯b。掴四域猷6。畑翻翼叫螂涛細団雲。 ①沸θ漸温嚇禦珊。 ①︾θ涛細雪軸㍊ドO難θ詩思 ①卉θ麟職詩勢管奪皿孟竿入酬。 洲温刈醤尚譜θ購田図田書θ田別丁酔浮階肖晒﹄㊤岳①卉θ団卦小凶陛詳蘇。楽 調園藤孟灘。小罪割黙鼎θ満灘卍醇伴踊興刈盆困叢蘇。即湘淘酪噛涛凝同属婁。三 国雲碑滑動。。甜a翻ほ。 O声θ海漣噛海諮。比興藤岳甲︻財田鴬刮︵㊤詫㊦満団︶θ建Oサ伴誹蘇。σサ㌶自 瞭蒔臨勢遍岸向甜翻叶。野獣“∩非︸集旧識㊦逓ゆ出立詣渉崩鳶噂囲女H。。幽幽貸。 小θ斡♪謎ウ日丑オ醤θ溝ぐノ小叩箇諭崩鉢漸涛沸三三叶。闇岳翼軸叫。三脚嬉単 川住卜卦猷O噂ぐノ恥きぴ梱偉。洲痴一㎝岳誉暑費酬田瓢湘識θ迅鉱ノ團沁咽蒔詣詠糟皿串 θ翼醤鰍伴鉾蘇暁咋鴇皆野調誘叫。 訓田醤陛O離申買果糟HO海θ算珊珊伴鵡薩。⋮㎜⋮塗瞬嬉⋮蜂?冊割厳。μ掴㎝母班O燭 闇塗輿餅嚢虫オθ圏田藤掛繍認闇汁勢階黙噛置詣田畠。済︾吋岳。。池蜘蹟詳冴雲回 付︵一。。蝕︶。 障︾θ滞n>詩炉嘩鹸麟﹀噛嗣軸譲溢豆嚇邸髄℃串醤蟄導θ駆ご蒔おが。昌詫θ即野 θ曽冒副肝製︸瞥旨謙漸蹄餅蹴蕊㊦涛温誌国晋蒔無ラ漁q糟温酪帥醤目油蘇薩。 職㊦暢爵沸刈樹O並闘叶。卦申Oゆθ勢。温湿り盆爵鼎θ募勝勢贈藤職強面酬。温 州Hω禽翻二世︾授間餅”吉 ∩卦申㎝﹀朕G。 日ω海θ繭咽諮︾雲。 温瀞b。卜。醤才鋒θ撫蹄6ψ竃泌田醤阪6諒涛雲唐楓申π沓渉嘘碁器噌鍔叫。油虫階蹄 ﹁卦脚巨益灘価咋酬。照6ゆ温酪b。。。盆劇並割賠。卜。画配G。一。。海θ田面旧自誘藤 鼎伴舜㊥。トコ漣H卦猷O。 旨声θ畑遡錦一。 一U︾θ涛肥湘涛。 団卉θ三三縢。          お晶群ら。並O田∼おω⑪醤刈油O田︶砦6寄薄。 八七

(6)

     近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶      八八 人とし、隠居中の十代目が健在であったため、指揮に当たった。明治元年︵一八六八︶には、十一代目の長女のぶに蒲生郡

山之上村歩武右衛門の二男竹三郎を貰い受け、同三年には十代目も亡くなり、翌年竹三郎が十三代目を嗣いだ。十三代目

は、二男五女をもうけたが、長男を流産で亡くし、次男が十四代目となった。十四代目は、明治三十一年若干二十歳で死

亡したため、十三代目の長女りうに奥田家より覚次郎を養子に迎.え、十.五代目とした。十六代目には十五代目の長男、十 七代目には十五代目の次男がなったが、いずれも短命で、十八代目には十五代目の長女を当てた。

 分家との関係は、前述したように本家から次男を相続させたり、本家の女子を嫁がせたりし、一方本家の家系が途絶え

かけた際には支援を求めたりもした。また、分家との間には次のような取り決めもなされていた。        ︵4︶        規定一札之事   一利理念家名打絶有之鋤彫、此度再興之志願二付、元手金三千五百両配分之上預リ置候処実正明白也、然ル上子家跡再興之黒甜    本家之播佐をいたし、時之主人平々和順明暮し業躰無怠相槍古格を相守永久相続可致候、年々勘定相立候ハ・右利足として金    百七拾五両、出勤料として金三拾両宛相渡シ可申候、為後日約定書如件       本家     天保十四年卯三月      市田清兵衛印       市田利助殿

すなわち、本家は利助家から三五〇〇両の元手金を預かり、その利子として一七五両と本家への出勤料として三〇両を年

々支払い、分家は本家を補佐すべき旨を定めたものであった。また、十代目清兵衛が認めたと思われる安政五年︵一八五

         八︶の﹁遺言﹂が存在し、そこには次のように記されている。     遺 言 ︸両家之義手配二不拘清兵衛名前之者上席可為、利助名前遊者次席選挙得二而補佐凝集         ︵倹︶ 一本家之義古格を守、検約を元として商売大切二可致事

(7)

一人田方之義音信物諸入用本家半減之心得二而取斗可申、質素相単離申事 一全方相続金之義未不極候得とも、本家6百両八田印6三拾両助成之事  但し、養育料之義二相成車庫者、右之利足型積リ引写本家5五両、全印6壱両弐歩相渡し可申事 一譲助賄料之内遺物として   一      西光寺日経料   一五拾両       清丘公衛∼殿へ   二二拾両       利助殿へ   一弐拾両       政治郎殿へ   一弐拾両       お知恵殿へ   一弐拾両       お恵喜殿へ   一弐拾両       お久万殿へ   一拾両      裕太郎殿へ   一拾両      おのふ殿へ   一拾両       おとく殿へ       ました   一五両      捨治郎殿へ       吉むら   一五両      お八重殿へ

;蕎宛      醒帥讐

      外二・近江屋彦兵衛       麻屋庄兵衛殿       浜野忠助殿       志摩茂助殿 右指引残金半金高本家へ相渡し、半金高人田印江相渡可申事 近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 八九

(8)

   近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 右之通相心得一統和順二而永久相続頼入候、以上  安政五年午十︸月   御法てふあとをしたひて行なれハ たみもまよハし雪の山ミち 九〇

これは、十代目が十一代目をはじめ高崎店の面々に至るまでの人々に対し、自分が死んだ後の市田家の行く末を案じて書

いたものである。そこには、まず分家の利助家と孫兵衛家のことが記されており、分家はあくまでも分家であり本家であ

る清兵衛家の補佐役であること、また利助家の音信物諸入用は本家の半分であること、孫兵衛家へ相続金として本家より

一〇〇両、利助家より三〇両助成することが示され、この当時の三者の無関係がわかる。本家に対しては、古格を守り、

倹約を旨とするように指示している。さらに、文末には歌を付け加えており、それは、すでに隠居をして当時六十三歳に

なる十代目が、妹知恵を翌年亡くし、その婿に迎えた十一代目とその嫡男祐太郎が四年後にこの世を去り、後妻に迎えた

たみが十二代目となる市田家の近い将来をあたかも予想していたかのようであった。

 市田家は、八幡に在住していたため、家業が繁栄するにつれて他の近江商人と同様、八幡町の惣年寄役等を勤めること

       となった。最初に勤めたのは、寛政十三年︵一八〇一︶である。その時の模様は﹁役用日記﹂に、﹁寛政十三辛酉年三月十四

日御陣屋より御差紙、明十五日四ッ時罷出軍様被仰付、月番箔屋甚兵衛行事大文字屋徳蔵出京口付、扇屋五郎兵衛附添田

出候所、頭取寺村市右衛門取次二田中玄関江出ル、御勤番吉川定右衛門様井福知山より御附役大内垣早取苗村源八様井中

野千蔵様御列座二二御勤番6被仰付皇朝、今般其元惣年寄頭取役景仰付候、万端寺村市右衛門申談大切二相勤潮脚蟻蜂付、

則御書下ヶ上屋清兵衛其方儀惣年寄頭取役被仰付候、万端寺村市右衛門申談入念可相勤候、但役中弐人扶持露盤之、酉三

月、右之通被仰付候二付、御上意難有仕合二奉存候と申上、寺村氏江申入豊里今般被仰付翼下難山仕合奉存候﹂と記され、

当時の領主朽木氏より惣年寄頭取役を九代目清兵衛が命ぜられている。九代目は、その後文化五年︵一八○八︶二月に再

(9)

       ︵7︶

度惣年寄役を仰せ付けられ帯刀御免となり、五人扶持をもらっている。八幡は、文政九年︵一八二六︶には幕府の直轄領

       ︵8︶

となり、天保十三年二八四二︶には尾州領にかわった。そして、﹁惣年寄役中書附﹂によれば同十五年には、また次のよ

うに惣年寄役を仰せ付けられることになった。 天保十五年辰正月三日内池氏6呼二参候二付別家忠七罷出前処、御役所5御用之儀御座候二付、別紙之通被百出石墨御霊貸主之       小幡町中       麻屋清兵衛 右者御用之儀有之者、此節出店上州古河江相越居候由、附而者早々罷登リ候様飛脚を以可申遣候、若病気二目早速罷薄儀難致と 申越候ハ・其節書付を以申達候様可被致候    正月三日       若林佐次五郎     内池甚蔵殿     梅原治三郎殿 右之半被仰藩候間、早々飛脚生立二様御古聞有之、依之忠七申上候ハ清兵衛義旧騰百八日出立二而上州高崎へ下向之御願申上置 候得共、用向片付不申昨二日発足直濡、早速飛脚相立可申旨申上、則中村喜三郎四日出立一一延滞下ス 同十三日高崎着致し御用之趣承ル、然ル処清兵衛義道中6不快之所、未快気不仕候二付快気次第罷登蔭間、夫迄御猶予御願申上 候様、書面相添同十⊥ハ日出立二て喜三郎差登ス 同函館日帰幡二付、廿七日右書面門並を以忠七6内池黒部即断申上候、然ル処同日御差紙到来、明車八日置ツ半時御役所江罷出 候様被仰聞候二付、名代麻屋孫兵衛罷出候処、大代宮⋮様6基面渡候御書付左書通       小幡町中麻屋清兵衛       名代 八幡町惣年寄申付、役儀相勤候内苗字帯刀差免候       直屋孫兵衛 右之通可申渡旨御勘定奉行衆被申聞候   但、役料之儀内池甚蔵通受納可致候    近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶       九一

(10)

   近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶   、辰正月 右之通被仰渡直様御請書差上候様被仰聞     乍恐以書付願上候御事 今般惣年寄役被仰付候、  天保十五年辰正月    八幡町      御役所 苗字市田等名乗申候、此段御届奉申上候、以上 九二

小欝中塵清兵衛

  代

   麻屋孫兵衛

このように、支店が存在するからといって役儀が免除されたわけでなく、上州高崎にいる十一代目清兵衛のところへ役所

より御用の義があるので早速戻って来るように通達があり、急いで八幡へ帰ると惣年寄を命ぜられ、その役所に提出した

請書には市田と名乗る旨が記されてあった。ところが、弘化三年︵一八四六︶頃には、十一代目清兵衛も健康を害してい

       む  たようで、惣年寄役の赦免を願い出て、同五年にようやく役儀御免となったようである。

 次に、第2表によって市田家の事業の推移を簡単に見てみよう。前述したように宝永四年︵一七〇七︶には高崎支店を

開き、翌年には﹁店勘定帳﹂を作成した。そして、正徳五年︵一七一五︶には、柏屋理左衛門の借家を買取り、高崎支店

を確固としたものとした。享保十年︵﹂七二五︶には質物を扱い、元文二年︵一七三七︶には店勘定が正月と八月決算に定 められ、明和七年︵一七七〇︶には瀬戸物商いが、享和四年︵一八〇四︶には足袋商いが始まり、市田家の事業が拡大して

いったようすがうかがえる。ところが、幕末から明治に至るにしたがい火災や騒動に加えて、市田家の歴代当主の相続に

おいて生見られたように、その経営は必ずしも順調とは言えなかった。そのため明治五∼八年には店改革や本家改革を行

なったりしたが、思うようには進展せず、同十六年には瀬戸物商いを止め、同三十三年には偉方で大損害を出し、大正三

(11)

舗b9贈 掛田醤副議二二四脚ヒ

 引池

爵沖蒔・b。   ㎝   Φ   ◎Q 団姦b。   軽・笛   ㎝・卜◎   ① 弼碗b。   ㎝・田   ①   HO・H   犀   H① 誹浸b。   ω 淵楓卜 圏淵b。 暗螺N 囲蓄N・田   α   刈・田   QQ 栂費卜・HO 瀦へ冨・HO   燈・目 済興帥・㊤   ①・H   Hω・c◎ 宙群d三三温蒔麗ロ×掛強謡θ命磯aぺ認く。 温慰詩圧歯。 易潜幽瞬御歌講臨写”米識脂溶勢漉齪叫。鷺煎眺司叫。 温置ぺ三三則嫁霜誰三三濟諮瑚瀾︿。 団≧珊蝋湖﹀酬。繭≧升欝湖轡型。 副諒湘田署卜。﹃皿二三幡叶醸卍θ露薦♪麟麟醜。 訓鍮温帝室♪知群㊥。 薩晋爆存﹀き”田≧團臨躁﹂・エ瀞諾唯ぺ尾能藤津ぐノ葎叫。 嘩鰍律﹀き矯錦﹀落選。 弧歯掛醜函冴昼諸掛剖藩臣酬。 国≧暑講甥≧鴨取期−﹁叫。 温辮輝薄齢群劔。 評落窪鎌誌群劔。 説喉越昼蝿糾團π鋭か。 温轡諦。。㎞五加劃岡π脚婚酬。 国≧細≧圏圖叫雌熱望劔。主こ.ユ汁畑汁諮罵−﹁叫。 歯叫腕薫書誌さ叙。 含鉛砦O懸都府珍獣確痔嚇ぴ。 二一三三麟澗ぐノ一群が。 蝋日野湘裁鵡詐顯ベノこノ蕊争闘♪雲麟G讐卦醤諮瓢。 温顔繭樋爵丑争乱ぴ。 温蜥空回爵爵縁約箔餌。 副舘三三沁肝O蟄皿難旧婚酬。 副蚤温竃ぺ湘賠口叩冴誌婚崩。 四鼠朗慰卜馬”三三温Q。囲×ω翻℃賭訓蔚ω醍×Q。醒。 副鴎錦側廊叫。 韻臨温丑餓薩圧。 即誌晋圃油諮湘識伴痔群燭醤堺乳搾。 画歴冊ヰ経鼻痔3旧帥勢望瞬母トのαOO副噛冴薄母一〇〇〇副・ 暑 ㎞ 洲癒①・。。   o。・ω 置・c。 竃・Hbo

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近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 九四 年にはついに高崎店を閉鎖することになってしまったのである。 ︵1︶ ﹁市田家略記﹂︵滋賀大学経済学部附属史料館保管市田清兵衛家文書︶。 ︵2︶ ﹁市田日記﹂︵滋賀大学経済学部附属史料館所蔵﹁近江商人資料写本﹂第七五号︶。    市田清兵衛家文書は、現在滋賀大学経済学部附属史料館に真崎文庫として保管されており、そこには﹁日記﹂あるいは﹁日誌﹂と記されている   史料が、文化元年︵一八〇四︶から明治三十九年︵一九〇六︶まで延べ一一〇冊残されている。さらに同史料館保管の市田清兵衛家文書の中に   は、﹁年々記録﹂上︵文政六年∼弘化五年︶と﹁歳々記録﹂下︵嘉永二年∼慶応五年︶の二冊の史料があり、それは当主が当時手元にあった日記   や文書から﹁日記﹂風に日を追って重要と思われる記事を編年体で書き残したものである。一方、近松文三郎氏は前掲﹁市田清兵衛家事歴﹂︹一︺   の中で、﹁同家には稀有とも云ふべき珍らしき浩漸の日記を保存す、最初は実に宝永四年にして、同二月は同家第三代清兵衛の時代に上州高崎に   支店を設けたときである。或は其記念として此日記を初めたるか、勿論それを認めしは六代の主人にて種々の材料を用ひて編述したものと考ふ轟   爾来連続遂に明治三十九年四月に及ぶ、其時期実に約二百年に及ぶ勿論明治時代に至り廿二三年頃には敏本を見る。宝永四年より安永五年迄七十   年間は六代直晴、安永六年より文政五年迄の四十六年間は十代直良の筆になる、初めの方は極めて簡明に年を経て漸次精緻を加ふ、特に寛政より   化政は単に一家のことのみに止らず内外の出来事に及び、文政⊥ハ年以後は代々の主人親ら日々執筆を怠らず﹂と述べ、﹁年々記録﹂に相当するよ   うな宝永四年から文政五年にかけての﹁日記﹂が戦前には存在していたようであるが、残念ながら現在同史料館の市田家文書には見当たらない。   ただ、同史料館には、彦根高商時代に筆稿収集された﹁近江商人資料写本﹂があり、その第七五∼八三号には、﹁市田日記﹂匪が収めちれていで、   その最初の箇所に﹁近松文三郎氏ヨリ軍記﹂﹁八幡市田家日記其他抄録﹂と記されており、これが近松氏のいう﹁日記﹂であろう。ところが、こ   の写本にはかなり近松氏の手が加えられた形跡があり、果たして初めから存在した﹁日記﹂そのものなのか大いに疑念を慰まざるをえないのであ   るが、文政五年以前の﹁日記﹂は現在この写本しか手掛かりがないため、ここではこれを用いた。       ︵3︶ 八幡に住み移る前は、神崎郡石川村に居住しており、元は佐々木氏に仕えた武士であったようである ︵前掲近松文三郎門﹁市田清兵衛家事歴﹂   ︹一︺︶。 ︵4︶ 天保十四年三月﹁規定一札当事﹂︵文政十三年正月﹁調印之控﹂滋賀大学経済学部附属史料館保管市田清兵衛家文書︶。 ︵5︶ 安政五年十一月﹁遺言﹂︵滋賀大学経済学部附属史料館谷管市田清兵衛家書書︶。 ︵6︶ 寛政十三年三月﹁役用日記﹂︵同右︶。 ︵7︶ 近松文三郎﹁市田清兵衛家事歴﹂︹七︺︵﹃太湖﹄第一四〇号、一九三七年九月九日︶ ︵8︶ ﹁惣年寄役中書附﹂︵滋賀大学経済学部附属史料館保管市田清兵衛家文書︶。 ︵9︶ 同右。さらに、嘉永四年にも十一代目が町年寄役を仰せ付けられている。 二 市田家の経営 ここでは、市田家の経営理念・経営形態・経営状況などを組織・損益・取引・投資・金融・雇用等にわたって見る中で、

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市田家の経営上の特質を明らかにしたい。       1 支店と家則

 高崎支店は、宝永四年︵一七〇七Yに設置されて以来市田家の経営にとって重要な役割を担ってきたのであるが、ここ

では店則・規則類を紹介しながら、その支店組織などを中心に見てみることにしよう。

 まず、六代目清兵衛が安永七年︵︸七七八︶年に五七歳で亡くなる前に定められ、よく知られている同四年九月の﹁高

     ︵1︶ 崎店定目下書﹂を見てみよう。なお、七代目を嗣ぐ長男孫吉は同年まだ十二歳であった。         定    高崎店定目下書    一御公儀様御法度之趣奉承知堅相守リ可申候、出御町内へ対案礼無之様相心得可申事        ︵慎︶    一店前々6仕来リ候作法狼リに不相成様、唄統同心古格を守り時行移気成義可相図候、尤時之宜敷を用ヒ悪きを糺聖杯格別之事        ︵倹︶    一店中傍輩和順に致同心謙にして不奢家職を勤正直ヲ本とし、常に始末を相心得諸事検約を守り他6出入之老若貴賎無隔不出無         ︵ママ︶      ︵カ︶    見様町実に二様取扱可塑候、支配人当翌年倍順達に相勤店主一統下知可請候、将又為若輩支配不相成義不謎謎候、時之廻リ6       ︵カ︶    奉公年員遅速二不構中途6相勤候者にても致年歯相応気料骨柄実躰に相勤リ医者支配当役可相心得候、自利根に修リ他ヲ喘リ    気随我満之族有之ハ喩其用足と云とも早速髄鞘遣シ、着替リ人員致加増其要用相勤申様可章章   一金銀出入勘定市毎に支配人井頭分血相加リ立合相改可申立、取取遣大切二可致義不申及、常に盛相勘定ヲ相弁繰廻シ鹿末無謬    様可相心得候、時貸又・ハ歩判銭当座入替貸是又可為無用事       ︵精︶   一商売筋不寄何致大切掛方不塒大筋出来不申様一統申合出盛相勤可申候、導出勘定指引事夫々に立合相改可申事   一店前々6仕来リ候商売之外新規之義ハ店晒熟談之上国元へも着駅沙汰相始至宝候、尚又買置物思無心附有之節玉薬と相談申合    一統同心其上にて可致候、尤百金二余リ候爵致ス間敷候、附不実思入売買堅無用之事   ︸質物幽玄之義語意請人証印ヲ取無間違様念入可申候、尚又入替質能見くらへ取扱鹿島無燈様可致候、外貸時貸堅無用之事   一店中衣類綿布二限リ候義不申及、二季仕着せ前面を用ひ銘々順々相応器品支配人井筒頭分葦戸斗器用シ可申候、自身気儘に致 近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 九五

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近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 九六  ズ間敷候、若見馴不申候不似合成衣類着いたし候ハ・致吟味支配人取上ヶ可申事 一旅行市廻リ実躰に相守り時行移気成風俗可相百工、日限其要用二応シ日章申合帰足指引勘定相改可申事  ︵瑠璃︶ 一浄留理小歌三味線掛外童謡何二遊芸稽古堅無用二候、家職暇有之網羅帯出情焔致候、或蛇毒将棋謡等迄も可相鎮事 一自用二付無拠他出いたし候ハ・行先キを支配人頭分者へ祭服可耕出門 右之趣堅相守リ可申者也        ︵六代清兵衛︶   安永四季未年九月 日       直 晴︵花押︶

すなわち、古格を守り、移り気を戒め、始末を心得、倹約を行なうこと。ただし、時勢をよく見極めて積極的な行動を取

ること。金銀の出し入れ諸勘定は立ち合いの上改めること。新規のことは支店中はもちろん本家に伺いをたてた上で始め

ること。遊芸は申すまでもなく、碁・将棋も慎み、暇があれば読み書き・算盤に励むこと。自分勝手な行動をしてはなら

ず、何事も支配人や頭分の指示に従うことなどを定めている。        ︵2︶  また、同じ年の十一月に﹁追演﹂として次のような﹁店定書ノ下書﹂が認められている。     追 演      店定書ノ下書 一火元用心大切二可致義不申及裏耳払多段粉無用候、商売用二蕃客来之節土蔵二曲たはこ盆取扱書ハ・跡取仕舞念入鹿末担当様 可被要望、盗人用心常に相心得土蔵へ要用聖節ハ度毎三戸口達切出入可致候、別而市日二無断裏へ出入被致候衆中へも心附、 其内疑敷仁有之ハ其用向相尋可申候        ︵慎︶ 一商事之外諸付合無用二相心得美服美喰常二相差諸道具類有来リ之外物好無益品求間三塁 一諸代呂蔵入員数時々相改類寄ヲいたし置、取扱鹿末無之組絵に可被相心得選 一月井十六日夜店中一統致惣寄、商事諸色高下掛ヶ方之善悪或ハ銘々思寄之売買事金銀廻シ方質物貸附之粋士相互田無腹蔵申談、 尚又自分くに心得違も無之ハ轡虫候上、其宜敷二随ヒ店回一統同心熟談之惣寄合相不可申候 一店支配首尾能致退役休息之上無悲自身渡世相続之仁ヲハ用之万端可申談候

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右之趣急度可相心得候、已上   安永四乙未年十一月 日

直晴

この定書では、支店内での店員の心得をさらに具体的に規定している。火および盗人の用心、贅沢の禁止、商晶の在庫管

理、毎月の店中寄合での意思の疎通、人材の活用などがあげられている。

 少し年代が下るが、安政四年二八五七﹀二月に、高田嘉兵衛家から養子に来た十一代目清兵衛に心得違いの事があり、

      ︵3︶ 五か条の詫状を十代目に提出したのを請けて、十代目から九か条の教諭書が渡され、それに対する請書が次の史料である。 市田家の当主としての心得や経営方針が随所に現れているので、見てみることにしよう。    一正月廿三日被仰聞候、私心得違之廉々五ヶ条感心仕業段御三申上候建付、左之趣御教諭被成下主簿存候        ︵カ︶    一両御霊江不敬之義仏前二おみて誠心二御佗申上御先祖之斎日古格之通墨守可悲運    一家婦之儀勝手用向井多人数之世話不少候一一付、家事専一二致し銘々世話行届不申候共勘弁可影響       ︵精︶      ︵ カ ︶    一手代之儀実意二而商売愛情いたし候者を用ひ、娯陥らふものを愛せす正路二階仕、下男下女等家中不都合悪弊様申付、私用之    義成丈差拍へ可申候    一是迄買調申候品之内杯盤弐脚七子絹壱疋家風二ふれ障壁候鳥、売払可申候    一当家古来之仕来リを相守、高田初他家之風儀うつり不帰様相心掛ヶ可申候    一命用評儀規制、自分気質を改y仁義礼帽照性二もとっきて罷申談候、井別家手代より申出義義有之候ハ・同様二相心得可申候    一商売ハ主人本業二而手代補助いたし繕事昌付、商用専一二心掛ヶ店下向書状往来隔番二相勤無解怠可仕候    一勝手用向思慮之上混雑無之様差図致し、家婦二まかせ倹約相守可融候    一諸用向念入候儀宜しく候得とも、作事諸道具衣類食事等ハ相応を相即へ随分手軽買取斗可仕候         ︵服︶   右之趣難有承伏仕候、尚又常々東照宮様御遺書之趣心掛ヶ、家内和順致し永久相続可致様御教示豊成下愚在大慶之仕合二奉存候、   向後戒慎仕家風狸二相成不申様諸事相勤可申候、依而御請奉申上候、以上     ︵安政四年︶      ︵4︶        廉︵跡押︶     巳二月十二日       直 近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 九七

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     近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶      九八 そこには、市田家の先祖から伝えられた古格・仕来りを守り、十一代[日の実家である高田家をはじめ他家の家風に染まっ

てはならないこと。勝手向きについては立春の領域に属するので、主人が口出しすべきではないこと。作事・諸道具・衣

類・食事等は、相応を旨とすべきこと。手代は、有能な者を適材適所に用い、下男・下女等も私用に使うのは慎むこと。 評議を行なうときは、主人として自分勝手な言動をせず、別家や手代の意見もよく聞くこと。主人は商売の中核となり、 手代はそれを補助すべきものである。したがって、主人は商いを専一に心掛け、支店へ﹁の下向や書状の交換を怠りなく行 なうことなどを肝に銘じて、家内和順と市田家の永続を誓っているのである。  さらに、市田家には年代未詳であるが、江戸期の店則として次のような史料があるので紹介しておこう。        ︵5︶        覚   一御公儀様御法度之趣急度可相守事   ﹁上々様謹而奉恐井御家中様方江慮外仕間敷事   一町方御役入中可敬事   一火之用心盗賊等之心得無油断くわへきせる無用之事   一家業朝暮厚心掛忠義大切二可務事   一掛商一切無用之事   ︸商用二不限諸用共江州江可及相談、自分之取斗無用之事   一為登商物江州指図之外、自分以料簡店表6京都大坂江為直登無用之事   一店代呂物毎日可致点検事   一日々勘定可致無解怠事   一過言雑談ケ間敷挨拶可慎事   一毎朝店中可致早起事   一自分不相応之衣類者不及申二、手廻道具等二至迄奢ケ間敷畳無用思事

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      ︵倹︶ 一大酒いたすへからす、朝夕膳部之類可致検約事 一腰之物都而刃物好井諸道具求申間敷事 一夜分外出堅無用要用有之節者支配人江相届可請差毒消、用向調次第早々可重事 一金銀請判井一戸口入請合判形預リ物堅無用之事 一道中往来無油断途中6道連堅無用之事 一朋輩相互二睦敷先輩江致礼敬下を慈可為和合専事 一病気之節者早速服薬養生厳常々可致灸治事 ︸閑暇之節万芸為逸之間書学専可致稽古事 一錐支配人不得其意儀有之節者、不限軽重早々江州江可申越事 一諸代呂物何二よらす外江見セ申節、柳之二二而茂品数を先帳面江控置尊上遣し可申事   但し、先方6帰り候節も数引合受取可申事 一呉服太物類等外江見せ候節切々小口へ判押候上遣し可申事   又先方6帰り節品数判改受取可申事 一代呂物売渡代金不請取直二来ル筈二候共先帳面江控可申事   但、必心覚二致置申間敷、代金来候ハ・直帳面消し可申事        ︵非︶ 一蔵江無用之人不可人、客来之節者随分大切二取扱是丈壱人組・付添御客斗不可差置甚無礼之至也、 一支配人用事二付他出之節、台所二至迄銘々気を付重鉢無風様申合留主可相難事 一家内都而乱ケ間敷儀相慎、客来之節者格別用事無聖節台所江出致雑談引込居申間重事 右之条々急度可相守者也    月 日      西屋清兵衛殿          店中 何れも此段相心得斗出申事 江州本家

これは、八幡の本家から高崎支店宛に認めた店則の案文と思われる。そこには、二七か条に及ぶ条文が詳細に掲げられて

近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 九九

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近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 一〇〇 おり、公儀の法度を守るのはもちろんのこと支店で店員が注意しなければならない細々とした事柄に至るまで取﹁り決めて

いる。特に、登せ荷物や支配入の不心得など商用に限らず何事においても、支店で勝手に決断せず本家へ相談し指図を仰

ぐこと、行商から帰れば必ず品数を点検すること、道中の途中での道連れ禁止など行商を旨とし近江の本家と支店とを行

き来する近江商人ならではの特色を示している。

 次に、明治期の支店の規則について見てみよう。支店には、後述するように質方・瀬戸方・太物方・空方等が設けられ

      ︵6V ていたようであり、まず明治二十一年十二月の﹁支店建方規則写﹂を見てみることにする。     支店絹方法則 一此規則ハ勿論他二定ムル店法等堅ク相守ルベキ事 一商業上ノ万事ハ常二差配人其他勤番ノ者ト隔意ナク協議ヲ遂ケ、然ル后実行スル者トス 一各市場二出買セントスル時ハ、陸前日二於テ当日買入レントスル絹太織ノ数額ヲ予定シ置クベキモノトス  但、持出金ノ義士電燈額ヲ帳簿二明記捺印シ、猶曲射ノ節ハ其差引計算ヲ詳カニシ差配人ノ認印ヲ得ベキモノトス 一行商中金員ノ貸借ハ決而之レヲナサ.・ルモノトス 一商品ハ総テ註文ヲ請ケタル后買入ル・ヲ主旨トナスト錐モ、時機二依リ差配人勤番ト協議ノ上目見計ヲ以テ買入レ見本トナシ 各得意へ出荷スルコトアルベシ 一商業上過度ノ大利ヲ貧ラス、成丈ケ薄利ヲ以テ売捌キ、各得意ヲシテ永遠二信用ヲ置カシメンコトヲカムベシ 一得意ハ新旧二拘ラス能ク其商体ヲ察シ、決而其度二過ギタルノ懸貸ヲセザル様注意スベキ事       ︵情︶ 一新二取引セント欲スル時ハ、克ク其店内外ノ事状ヲ探索見聞スルコトヲ専要トス 一市場成行相庭ハ常二怠リナク各得意二報知可致事 一在店他行二拘ラス怠慢奢移ノ所為アルベカラズ  但、不得止ノ交際費等ハ其理由ヲ帳簿二明記スベキモノトス 一商業上他行滞留中ハ時々其他ノ商況ヲ支店二報知シ互二音信往復可見事

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  但、他行滞留日数等ハ出立前支店二等テ協議予定シ置クベキモノトス、又出市ハ総テ日帰二定ムルト雌モ、    ントスル場合二於テハ其理由ヲ即日支店二可報モノトス 一此規則ハ実行経験ノ上不適ノ項目アル時ハ衆議ノ上改廃加除スルコトアルベシ 以上   明治弐拾壱年拾弐月参日 其不得止宿泊セ

すなわち、商業上の事柄はよく協議を行ない実行すること。市で出営する時は前日に買入数量を予定して置くこと。商品

は注文を受けてから買入れるのが原則であるが、時機により見計らいをもって見本を買入れてもよいこと。過度の利益を

貧ることなく、できるだけ薄利で売り捌き信用を得ること。また、商用で出かけたときは、その土地の商況を支店へ知ら

せることなどを取り決めている。        ︵7︶

 さらに、市田家がかなりの苦境に立たされたと思われる明治二十二年九月には、支店改革にともない﹁条目補遺﹂が定

められた。その緒言は、次のように記されていた。   其れ商業者活物也、故に地の理により人和により又時勢の変遷により、或は利し或は損し時に或は損益相償ふあるハ掛売買的の   常慣にして敢而怪むに足らすと錐も、我支店の如き累年失敗相接続し損失は年に益多きを加へ維持の目的既に危し、之れが主た   る者をして転た嘆息せしむか如き者、蓋し又他に少かるべし、鳴呼其非地理の適せざるにある欺人和の協はざるにある欺、将又   時勢の変遷にある鰍宜しく其因の存せる処を研究して重れが挽回の策を講せざるべからす   抑も吾人が商業を営む所以のもの一言繋れを約セは収利の二字に外ならす、然るに既往の形跡今夫れ墨田商人たる者誰か黙して   忍ふことをなさん、余者寧略言を閉ぢ業を廃するの勝れるに如かざるを信ずる者也、煮れ共顧みて考一考を費せば此支店や昔時   我祖宗が千辛万苦幾多の銀張を経て経営せる処のものにして古来地方の信用最も厚し、然るに今一朝にして之れを廃し祖先の功   労をして空しく水泡に属せしむる者時の主人に於空者実に憾なき能はざる也、諸氏又此の如けん、然れ誓事既に往ぬ贋を警むも   切なし、只将来に溜て諸氏に望むらくは各自其固有の努力心を今日に換廃せしめん事を、なんとなれハ今後数年間諸氏の勉否を   鑑察し、其成蹟の如何に依り支店の存廃を決せんとする露なれバ也、各員夫れ之れを思へ       近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶       一〇一

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近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 一〇二 傭ら既往の状況を視察するに入各其精神離散せる者の如し、是項事に似たりと蹉も其影響せる処実に至大なり、爾今各員共同一 致を主とし忠実精勤を旨とし只一の至誠神を以而花客を遇せよ、是第一の要務也、又多衆の内動もすれば風潮に誘中れて無謀の 競売を試むる者あらん、壁上も戒しむべし、夫れ競争なる者ハ吾人社会に於而者実に貴重なる利器也と錐も之レを濫用するトキ ハ却而不当の失敗を招かん、諸氏幸に留意せよ 各員中条目の何たるを忘れ歴然トして其本条に陣触せるも毫も恐る∼色なき者、往々闇之甚だ不都合之至りに付き厳に処置すべ き筈なれ共、今回支店改革に際せるを以而既往は営めずと蹉も爾后は必ず左の条目を遵奉可望事   明治廿三年庚寅九月

すなわち、近年における支店の不振を嘆き、その原因が地理的なものか、店員の一致協力が得られないためか、世の中の

動きにあるのかを見極め、挽回策を練ろうとするものであった。その決意は、並々ならぬものであり、今後数年間店員各

自の努力を期し、その成績によって支店の存廃を間うというものであった。そのためには、店員が一致協力して勤めに励

み、真心で接客し、無謀な競売を戒めることなどに注意し、次に掲げる一=条に及ぶ条目を遵守すべきこととしている。 以下、各条目について順を追って見てみることにしよう。 第壱条 役員名称及其資格  一勤番人    主人家若くは特別功労ある者之に当る     但、本店主人より之を任命す  ﹁支配人    商業に熟練にして衆望ある者を撰抜して之に当らしむ     但、本店主人之を任命す  一帳場員    支配人と異なる処なし

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一行商員 一売場員  行商員売場員者其資格対等の者にして各其器に任ずと錐も在店人員の都合に依り臨時交替せしむ   但、重役会議を経由して本店主人之を任命す 一売場属員  行商員売場員の次斑たるべし

とあり、勤番人・支配人・帳場員は市田家の主人から任命され、重要な地位にあった。行商員・売場員は、同等の地位に

あり、適宜交替も見られ、前三者による重役会議によって指命された。   第弐条 役員任期    一勤番人支配人帳場員等の重役者其任期を定めず、其時機に依り長短あるべし    一行各員売場員ハ其任期を満三年鼻糞而一期と定むと錐も、一期中人員に異動ありて其影響を波及せる時ハ任期を終へしむる     の限りにあらず        ︵績︶    一売場属員は仮りに其任期を三ヶ年と定むと雛も其勉励の成蹟に依り累進或ハ再任す

 役員任期は、勤番人・支配人・帳場員については特に定めず、行商員・売場員・売場属員は一応三年とするが、勤務状

況により昇進・再任する場合もあった。   第参条 役員服務    一勤番人口支店の事務を総括し、商業上一切の事項を整理するの責に任じ支店各員の行状を監査し、時々本店へ申告し或は時     機に依り独断を以て行商員以下の役員を織防するの権を有す      但、支配人欠席せるトキは代りて其事務を取扱ふべし    一支配人は勤番人を補佐し其事務に参与し、勤番人事故ありて店務を執る能はざる時は代理之責に任じ、又行商員或は売場員      近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶      一〇三

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  近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶      一〇四 に鉄ある時は代りて其事務を理むべし  但、帳場員を補佐して其事務を渋滞せしめさる様注意すべし ︷帳場員は左の諸項を守るべし  一常に帳場にありて諸帳簿の整理及商品代価の出納並に商品売買の掛引を監督す  一宿印鑑類は常に大切に保管し他人をして淫に使用せしむべからす、若し他日帳場員保管の印鑑に付き紛紙ある潴溜、其責  帳場員にあるべし  ﹂必要品購求代価の外淫に出金すべからす  一掛買通帳ハ常に帳場に保管し各自より請求せる物品金銭母艦需用者の姓名を賢母に記すべし.  一帳場員は店書及各自の私信を論せす、発着せる郵便物にハ其都度認め捺印の上投函若しくハ配付せしむべし、若し他日捺  印なき書状表はるトキハ帳場員其責を免れす  一店頭に於而当条目を犯し、若しくハ醜機なる言行ある者を認むるトキハ厳責すべし  一腰に金銭出納に注意すべし、万一不足あるトキハ帳場員をして其不足を償要しむべし、尚一日ノ売上金高ハ奇零を除きて  奥帳場へ納むべし  一帳場員事故あって欠席せんとするトキハ支配人若しく者勤番人に委托すべし 一行商員ハ左の諸項を守るべし       ︵空自︶       回と定め、行旅日子を出立前に帳場へ届置き、行旅中仮令取入金の手違等ノことあるも送金ヲ約 ﹁行商即得意廻りハ例月  し置き或者次回を期し、必ず予定の日限に帰店可致事   但、不止得事故アリて延日せんとするトキハ其旨を急報すべし  ︸行商員は其行商に関する一切の事務を担任し、各得意に信義を尽して取引を致すべし、又常に不婚の野並等をなさゴる様  最も注意致すべき事  一行商中貸売競争者致間敷候事  一行商員は上得意よりの注文品を帳簿に記載し、重役之内一人の点検を得て各売場の属員に荷造りせしむべし、又荷払之時  も同様重役の点検を経べきものとす

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 但、注文帳に記載せる出荷物品の傍へ各其原価を支店の暗号にて朱書し、一目損益の計算に便ならしむべし 一荷払帳を製七置き毎に遺漏なく詳記し、后日参考の一助とすべし 一従来の古掛を取入差様専一に注意すべし       ︵絆︶ 一行商に必用なる足袋股引脚半編傘ハ現品或者代価を以而給与す、其他行商重曹雨止交際上の費目者其理由を詳記して帳場  へ請求する事を得べし  但、交際上之為め予定の日限を過ぐるを得ず 一行平曲在店の日者売場員を補助し、無常に売場員と共に商品の有無を調査し、若し売切品等あるトキ日面旨支配人に報告 すべし 但、商品有無調査及倉庫之掃除に者各売場の属員を使役する事を得 一毎月五日迄に其前月分の概算及商景を本店へ報告すべきものとす  但、報告書に者帳場員の認印を承くべし ﹁売場員は其座席を定め将官を担任し、重役の指揮を守り其属員を使役し、常に身を体調塾員以下の模範となるべし  但、商晶有無調査井二請持売場の商景報告等者、総而商員に等し ﹁売場属員は常に座席を定めす、売場員以上の指揮を請け信義を以而来客を遇し、売場員事故ありて欠席するトキハ之が代 理を勤むべし 一売場演習売場属員は水揚荷物請取の任を担当し、其都度其員数を其送券に照合し、尚濡荷或者荒荷の有無を点検し、粗漏 無之様請取其員数及月日井二出荷主保送人等を蔵入帳に詳黙し置くべし  但、此際濡荷荒荷或者脱荷等有之時歪面旨重役に申告し、直に保送人出荷主に照会し極細等閑に付すべからす

 最高事務総括者である勤番人のもとに、それを補佐する支配人がおり、さらにその下には帳場員・行商員・売場員・売

場属員がいて、それぞれの任務に当たった。例えば、帳場員は、諸帳簿の整理・金銭の出納・売買品の記帳・印鑑の保管

などを行ない、金銭出納の不足・印鑑の紛失や必要以上の出金には特に注意すること。行商員は、得意回りを行ない、得

意先との信頼関係を保つこと、貸し売り競争を行なわないこと、注文帳・荷乱筆を作成し漏れなく記帳すること、毎月概

      近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶       一〇五

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     近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶      一〇六

算・商況を本店へ報告すること。売場員は、座席を定めて客請けを担当し、荷物の受取・員数の点検・蔵入帳への記帳な

どを行なうと同時に行商員と同様商品調査・商況報告を行なうこと。売場属員は、座席を定めず売場員以上の者の指揮を

受け、来客を接待し、売場員の補佐を行なうことなどが取り決められていた。

第四条会議

 一重役会議老、勤番人支配人帳場員の重役を以而組織し、左の諸項を議定する剛堅   一営業上の要件   一行商員以下の給料井二賞罰   一純利金の配当に関すること   一本店より下附せられたる諮問案井其他臨時の要件    但、議了したる決議録者本店へ詳報して其指揮を乞ふべし  一総会議者重役及行商員売場員を以而組織し、商品の仕入方及其他商業上の要件を議定す   但、決議録者重役会議に等し

 会議には、重役会議と総会議の二種類があり、重役会議は勤番人・支配人・帳場員の重役からなり、営業上の要件・行

商員以下の給料ならびに賞罰・純益金の配当・本店からの諮問案などの要件を決議し、総会議は、重役と行商員・売場員

から構成され、商品の仕入方など商業上の要件を決議した。

第五条規箴

 一支店者純然たる商業場にして設令は露店の大なる者の如くなれハ、決裂百事に修飾を欲すべからす  一支店にありて商業に従事する者は常に商品を大切に取扱ふべし  一当店者古来実業的商店にして決而投機的商業を営む所に非らされバ常に見込買をなし、聖者余悠に商品を仕入れ徒らに金融   を妨くる者支店の本意に濁れり、藪に従事する者宜しく此辺に注意して異りに奇利に眩惑せらる\事掌れ

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    一常に言語動作を謹むべし、特に客に対して者充分鄭重の待遇をなすべし     一上下の礼は常に相弁へ下席之者に対してハ成丈温和を以て之を遇し、上席之者に対して者毫も軽侮の言行あるべからす、必     す互に敬愛の二字を守るべし     一私怨私情を以而支店の大切なる事を忘るべからす     一当店商業上の秘事は勿論其他諸規則等一切他言致間敷候事     一上席之者下席の同僚を私役せんとする時老、必ず其理由を述へて重役の許可を無くべし     一登棲及興行見物井に勝敗遊戯ハ勿論、凡而風俗を乱すべき媒介となるべき事柄ハ、一時の談話と錐も堅く不相成、其他商業     以外の談話は必ず謹署すべき事    一店頭に於而乱坐し、若しくハ往来諸人の批評をなすべからす    一新聞紙井に雑誌類の被見を許すと錐も、怠れが為め事務を怠り或は高声にて読むべからす     一昼夜の別なく私用の為め店用を避くる事を得す    一支店にありてハ午睡は勿論故なくして引籠る事を許さす、若し無拠事故ありて引籠らんとするトキ稗蒔旨を帳場員若しくハ     支配人に申出べし

 ここでは、店内での店員の心得を述べ、当店は実業的な店であるため投機的な商業を避け、常に商品を大切にし、言語

動作を慎むこと。上下の礼を弁え、下席の者に対しては敬愛をもって接すること。商業上の秘事は他言せず、商業に関す

る事柄以外の談話は慎むこと。私用で勝手に仕事を抜け出さないことなどを申し渡している。   第六条 疾病に関する事    一在店中疾病に罹りたる者は、其病源を糺し正当と認めたるトキハ医薬治療を実給して加養せしむ      但、滋養食物或者其他の養生費者給与の限にあらす    一平素不養生或者不品行より生したる疾病患者者医薬を給せす、即日解雇スル者とす    一疾病にて医師の来診を欲する者者、其旨を支配人若しくハ帳場員へ申出つべし

 店員が病気に罹ったときは、店の責任で治療を行なうが、養生費用までは給付せず、また不品行によって病に罹ったと

近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 一〇七

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      近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶       一〇葺 きは、即日解雇するなどという厳しい内容をもつものであった。

  第七条服務年期

   一年齢拾歳乃至拾五歳の者を傭入れ其傭入期限を予約し、半年若しく者一個年間者本店にて試役し、天性品行共に善良と認め     たる后者別紙書式第一号証を差入れしめ、然る后支店に下向せしむるものとす    一前項の契約を以而下向せる支店傭入者、其長上より指揮せられたる業務に服すること七年間にして初登せしむ間を普通とす、     然れ共勤惰の如何に依り遅速あるべし    一次登者初登の年より起算して四年目を以て順子とす、三度以下垂れに準じ六度を以而終期トす      但、終期登に者一戸構列とする者也    ︸終期別宅後と錐も、尚支店にありて勤続せしむる事あるべし    一前諸項の契約に依らす特に庸入れたる者は、書式第弐号証を差入れしむ

 店員は、十∼十五歳で雇入れ、本店で半年∼一年間の試用期間の後、善良と認めた者は正式に契約をし、支店へ下向さ

せること。下向して七年で初登りをし、初登より四年ごとに登りを繰り返し、六度で終わり別宅を許したが、場合によっ

てはその後も支店に勤めることもあった。 第八条 在務員俸給  一在来の仕付法及仕着料を廃し、更らに左の等級の範囲にて其勤惰の成蹟により年俸を給与す    但、重役之年俸者本店にて独裁し、其他者毎年重役会議之決議に依り本店より之を制覇す 年給表       壱 等 長  等      六度以上 弐 等 五度以上 三 等 四度以上 金百円以上 七十五円以上   百円以下 六十円以上 八十円以下 四十円以上 七十円以下 四 等   五 等 三度以上  弐度以上 三十五円以上  五十円以下 弐十五円以上 三拾五円以下 六 等 初上以上  弐十円以上 弐十五円以下  七 等 初登未満者 仕着 但、中年若しく者特に庸入れたる者の年俸は、 議にて増減する事あるべし 右年給表によらす其当初に早良之を定むと雛も勤惰に依り重役会

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一年俸者総而支店に預り置き、本人の請求に依り左の各項に就いて重れを支給す  但、其差引精算書者二季勘定毎に本入井に本店へ報告する者とす 一年期未満中の者者年給の十分ノ四以内を以て被服及其他必用の費に供し、他の十分の六以上ハ支店に積立置き、他日別宅の 時の資金に備ふるものとす  但、不塒の負債等生ずる時者、此積立金を以而償却せしむ 一二 を構へ或は特に傭入れたる者者年給の十分頃八を其年内に支給し、他の十分の弐は支店に積立置き不慮の失費に備ふる ものとす 一前両項の積立金者参拾円に満つる毎に相当の利子を付与す 一初登以前及初登後一ヶ年以内に於而解雇申出つる者ハ、其年度の給額及仕着を給せず 一予約の年期を終へずして解雇申出、若し店都合に依り聞届けられたるトキ者、其年度の年給の日割を給与す  但、初登弐ヶ年後別宅構之者迄とす 唄年期中正当の疾病により死亡したる者者、初登の前後を論せず其年度に給すべき物品若しく者年俸の金額を其遺族者に与ふ る者とす 一中年若しく者特に庸入れたる者一ヶ年以内に於て解雇申出でたる掛者、若干の報酬金を与へ弐ヶ年以上勤続之者にハ其年度 の年俸の日割を給与す        ︵ママ︶  但、特に庸入れたる者にして年俸を定めざる者にハ、重役会議之決議を以而物品或ハ酬王春を与ふ ︸本店若しく者支店より解雇を命せられたる者者、前篇項を適用するの限にあらす

 店員の俸給は、登り回数に応じて特等から七等までの年給表に従い、その勤務成績によって決められた。年俸は、支店

で預かり、そのうち一〇分の四までは必要経費として支給さ潜るが、残りの一〇分の六は支店で利子を付して積立て、別

宅の時に一括して給与すること。ただ不坪の負債が生じた場合にはこの積立金を充てること。別宅した者もその年給の一

〇分の八はその年に支給するが、残りの一〇分の二は支店に積立て、不慮の備えとすること。また、年期途中で辞めた者

近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 一〇九

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近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ でも、初登り後一年以内の者はその年度の給額・仕着は支給しないが、 っている。 第九条 元資金井別金之事        ︵六千円︶ ︵8︶  一今般改革に付き、元資金を長積丸とす    但、従前之利率を廃して無利息とす  一別金を要するトキハ相当の利息を本店へ納むべし    附言、当時流用せる元資に超過せる金員者漸次返却スる事、    納むべし

=○

それ以上の者は年給の日割を給することなどとな 尤此超過金に者本年に限り従前之利子即ち月六朱半を本店へ  従来本店から借りていた元資金を六〇〇〇円と定め、 息を支払い、漸次返却することとなった。

それは無利息とし、さらに別金を必要とするときは月六朱半の利

第拾条 純益金配当之事  一純益金配当ハ三ヶ年を以而﹂期とし、必ず中間に配当せざる者とす、而して其配当方法者左の単項に準拠す  一其年度利益金之内各員の年俸及仕着其他賞与金修繕費井に諸費一切を拍除したる純益を配当す其法   一拾分之弐  積立金   一拾分之六  本店納   一拾分之弐  支店各員再配当之分  一配当者重役立会之上公明正大の精算を遂げ、本店の指揮を請くべし  一支店各員再配当者年俸井仕着料の比例により分付す  一再配当者一期間勤続の者にあらざれバ分附せず    但、一期中正当之疾病に因り死亡したる者ハ、其勤務年内のみの純益金の配当に与る事を得  一支店各員の再配当金者年俸と等しく支店に預り置き、其証を本人に付与す

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 純益金は、その年度の利益金から年俸・仕着・賞与・修繕費等の費用を差し引いたもので、三年を一期として配当を行

      

なった。配当方法は、江戸期以来の商家によく見られた利益処分方式である三ッ割制度により、十分の二が支店での積立

金、十分の六が本店への上納金、残り十分の二が支店各員に対し年俸・仕着料に従って配当される仕組みになっていた。 配当を受ける者は、一期間勤続の者に限られ、その途中で死亡した者は勤務年内のみの配当を受けることができた。   第拾壱条 帰省に関する事    一初登之節授与すべき品     ︸双児縞袷羽織 壱枚 冬期     一絹無地軍羽織 壱枚 夏期        ︵二円五〇銭︶       或透綾ヲ以て代用す  但、代価直丸ス賀銭止     一帯     壱本       ︵︸円五〇銭︶       但、代価正丸栄賀銭止     一木綿儒神   壱枚     一同 股引   壱足     一騙蟷傘    壱蓋     一祝儀     金弐円     一麻      五百匁       但、麻無之時者外品を授与す     右被服類若衆列格之節授与せる時者、初登の時に附与せす    一次登以上五度迄は其都度土産として麻五百匁を給与す      但、麻無之時者外品を授与す    ⋮旅費は時変と物価の高低に依り時々改正す      但、当分半道金五円とす 近江商人市田清兵衛家の経営︵一︶ 一一一

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