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日本におけるALT政策の「変化要因」に関する考察 -歴史的制度論の視点を中心に- [ PDF

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Academic year: 2021

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1.論文の構成 序章 本論の目的 第 1 節 先行研究の検討と研究の目的 第 2 節 本論の構成及び研究方法 第 1 章 理論的背景 第 1 節 教育制度研究の分析視覚 1 項 方法論の不在 2 項 教育「制度」研究 第 2 節 歴史的制度論における「制度」 1 項 旧制度論に対する新制度論の登場 2 項 「経路依存」の概念整理 3 項 本論における「制度」 第 3 節 分析枠組み 第 2 章 ALT 制度が生み出す文化 第 1 節 ALT 制度の概要 1 項 システム化されている制度 2 項 「望ましい ALT 像」 3 項 参加者の分布 第 2 節 「国際化教育」における ALT の役割 1 項 外国人人材の活用 2 項 暗黙的ルールとしての制度 第 3 節 小括 第 3 章 中曽根首相の改革方針 第 1 節「国際化」の基本路線 1 項 開かれた愛国心 2 項 国際国家日本 第 2 節 首相の私的諮問機関 1 項 首相を取り巻く政策ネットワーク 2 項 臨時教育審議会の登場 第 3 節 「国際化」をめぐる動き 第 4 節 小括 第 4 章 外国語教育の見直し 第 1 節 「経済自由化」への転換 第 2 節 教育における「国際化」 第 3 節 ALT 政策理念の変化 1 項 外国人青年の招致 2 項 地域における「国際化」 第 4 節 小括 終章 本論の成果と課題 2.概要 序章:本論の目的 本論文は、文部省独自で実施されていた ALT(外国語指 導助手)制度が、自治省・外務省・文部省の 3 省共同運営 の制度に変更するまでの過程において、その変化を促進 させた諸要因を探るものである。単に制度が変化するま での過程を追うのではなく、制度に関する政策過程にか かわっていた諸アクター(個人及び集合体)の発言及び報 告書などを当時の社会的・政治的状況とともに分析する ことによって、制度を貫く「政策理念」の変化に影響し た要因を明らかにする。 現在の ALT 制度は 1986 年 10 月、「JET プログラム(語 学指導等を行う外国青年招致事業 Japan Exchange and Teaching Program)」としてその政策提言がなされた。同 制度は、ALT の招致において外国語コミュニケーション 能力の向上とともに日本と諸外国との相互理解の増進及 び地域の国際化の推進に資することを主な目的とし、専 門的な外国語教員ではなく、「日本に関心がある外国人 青年」を招致しており、それ以前、文部省が「英語教育 の改善、充実」という目的で実施していた既存の制度と はその性格を異にする。 従来、ALT 制度に関する先行研究は、主に制度に対す る現状分析や課題の検討を中心に行われており、新しい 制度に変化したきっかけを、当時の日米貿易摩擦という 「外的な圧力」から説明し、それを当たり前のような背 景として位置付けていた。 特に、「国際化」のために存在する制度である点を前 提にしつつ、より厳密な手続きを経た ALT の選抜及び研 修などが必要であるとは指摘しているが、そもそも ALT 制度における「国際化」とは何かについては、未だ詳し く整理されていない。そのため、ALT が学校で働く際に 生じるトラブルや日本人教員との共同授業における課題 を取り上げ、その原因や解決方法を個人の意識(転換)か ら探るミクロ的な分析がほとんどであり、「制度が問題

日本における ALT 政策の「変化要因」に関する考察

―歴史的制度論の視点を中心に―

キーワード:「制度」,政策理念,歴史的制度論,ALT 制度,国際化,中曽根政権 所 属 教育システム専攻 氏 名 鄭 修娟

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である」とは述べているものの、いずれも制度に反映さ れている「国際化」を前提にしながら、制度に対する「静 態的」説明に留まっている。 しかし、 佐藤・山田(2010)によると、「制度」はある 特定の社会的文脈、文化的枠組み、人々の現実認識の在 り方という三つの要素がワンセットになっているもので あり、これは「制度」に歴史や文化・理念が潜んでいる ことを意味する。 次に、村上(2003)は、制度が存在する ことは「何らかのメリット(利益)を持つアクターが存在 することである」と述べ、「制度」に対する「動態的」解 釈を重視している。ALT 制度の場合、その運営主体が文 科省・総務省・外務省といった政治的アクターである点 から、各学校の事情を十分に考慮せず、政治的・行政的 権力の担い手による教育意思や目標が、一定の政治的過 程を通しそのまま具体化された可能性が高い。 この点、教育制度は、社会教育制度や教育行政制度を 包含した、「教育に関する制度」として、学校制度より一 層包括的な概念で用いられるが、この「教育に関する制 度」には、制度を意識的に方向づけ拘束することによっ て一定の理念を実現しようとする「教育政策」が含まれ ている(兼子・永井・平原 1974)。 ALT 制度は、各学校現場に語学指導助手を配置する「教 育上のある目的」を実現するために形成された「教育に 関する制度」である。そのため、制度に反映されている 教育理念がいかなる手続きを経て、現実を価値的に表現 する基準たる資格を付与されるようになったのか、その 歴史的に形成された過程(田原 1987)を検討するのは意 義があると考えられる。 本論文では、特定の政策理念が反映された「歴史的産 物」として「制度」をとらえる「歴史的制度論」の知見 を手がかりに、よりマクロな視点から ALT 制度に関する 政策過程に焦点を当て、それに影響を与えたと予想され る多元的なアクターの選好・属性、政策が議論された場 などの諸要因を当時の時代的文脈に引きつけながら動態 的な考察を試みた。 そのために、歴史的資料・文書(新聞記事、報告書、 演説文、政策メモなど)を収集し得られたデータに基づき、 「過程追跡」方式を通じ、事例の結果を生み出す因果プ ロセスを逆にたどって追及しながら、その文脈からそれ ぞれの原因が何から引き起こされたのかを推論した。 具体的には、制度が学校現場で果たす「逆機能」を把 握した上で(第 2 章)、このような非合理的な方向に進ん でいる制度が存在する理由を「制度の起源」にあると想 定した。そこで制度が作り上げられるまでの歴史的経緯 を辿って追跡(第 3 章・第 4 章)しながら、それに影響を 与えたと思われる要因をそれぞれ「環境的要因」、「制度 的要因」、「アクター要因」として位置付け、これらの「変 化要因」が制度の「政策理念」(国際化)をどのように変 化させていたのか、その動きを検討した。 第 1 章:理論的背景 本章では、従来の教育制度研究における方法論の不在 を論じ、本論において主な分析視点になる「歴史的制度 論」及びその中心的概念である「経路依存」について整 理した。 近年、教育行政(制度)研究における法的アプローチの 限界とともに、従来の教育制度論があまりにも規範的性 格にしばられてきた点が指摘されている(黒崎 2009)。特 に、その対象となる「制度」が system、institution、 organization のどこに位置づけられるのかといった制 度の意味内容に関する問いについては、まだ明確な方向 性が示されていない。そのため、教育制度研究における 新しい視点として、学問の領域を超えた方法論、たとえ ば政治学や経済学等の隣接学問分野における方法論の適 用は必要であると考えられる。 本論の主な視点である歴史的制度論は、制度の構成的 側面および個人や制度が置かれる「歴史的展開」へ着目 しながら、「制度」を歴史的あるいは社会的に構築された ものとしてみなし、公式的組織や機構だけではなく、非 公式的ルールや手続き、暗黙的ルールなども含んだ概念 として定義している(Sven Steinmo 他 1992)。つまり「制 度」は、ただ個別的な組織や集団を意味するというより も、その間に存在する政治的ネットワークを指している と言える。換言すると、ある特定の歴史的状況に依存し 発展してきた「見えない権力」が「制度」に反映されて おり、歴史的制度論はそのような制度がもつ「権力性」 へ着目する傾向がある。 特に、歴史的制度論は、ただ制度が持続されている事 実をみるのではなく、ある制度が形成される際に採用さ れた政策選択が、長期間にわたって制度に対し影響を与 えるとし、過去の経緯や伝統が、機能をはたさなくなっ た非効率的な制度をそのまま存続させる可能性を「経路 依存」の概念で説明する。 この点、「経路依存性」を持つ制度は、その政策過程 において出された種々の政策アイディアの中から、ある 意味で当時の政治的・経済的環境の要望を最もよく充足 するものを採用したメカニズムであると言える。そのた め、現場で実施される際に、制度固有の機能が失われた 「逆機能」が生じる場合が多々あると考えられる。 本論文は、この「経路依存」の概念を前提に、政策過

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程における権力(関係)が、どのように特定の方向性を持 つ教育理念からなる教育「制度」を構築してきたのか、 その歴史的過程に注目した。 このように、特定の制度における政策過程を事例とし て、その形成・変化に影響を与えたと予想される諸要因 を動態的に考察することは、何が制度を維持させてきた のかをみることにより「制度の存在理由」を社会科学の 基盤において問う(田原 1987)ことである。 第 2 章:ALT 制度が生み出す文化 本章では、ALT 制度の現状を把握するために、ALT 担 当教員に対するインタビューを行い、現在の制度が非合 理的であることを論じた。 インタビューを通じ、現在の ALT 制度はその目的とし て、「国際化」に主な重点がおかれているため、学校が必 要とする「教員としての ALT」ではなく、国や企業が要 求する所謂「グローバル人材」の招聘が中心となってお り、そのため、学校現場における ALT の活用にあたって 担当教員の大量な業務内容や責任感などが負担になって いる状況がうかがえた。 特に、このような ALT 管理における教員の責任は、ALT の任用規則やハンドブックなどに明記されていないにも かかわらず、制度を学校現場で実施していくうえで「暗 黙的ルール」として認識されていた。歴史的制度論が定 義している「制度」の視点から考えると、公式的にシス テム化されている現在の ALT 制度(system)が、現場にお い て 実 施 さ れ て い く こ と に つ れ 、 暗 黙 的 ル ー ル (institution)としての新たな「制度」を生み出している と言える。 このように制度が持つ固有の機能(外国語教育)から はずれた、非合理的な方向に進んでいる現在の制度が「存 続している理由」を「経路依存」の概念から考察した際 に、それが持続するか否かは、如何に制度が発生したの かという「制度の起源」に由来すると考えられる。 そこで、本論ではその起源の「分岐点」を文部省独自 の制度から三省共同運営の制度に変化した 1986 年 10 月 に位置づけ、そこまで至った特定の歴史的経緯を追跡し、 政策過程に影響した諸要因を分析することによって非合 理的であると思われる制度が「国際化」という理念の下 で維持されてきた理由を考察した。 本論文は「歴史分析」が前提ではあるものの、相対的 に短い期間を対象(1982 年~1986 年)として、政策事例が どのような歴史的経緯を経て変化したのかを検討し、特 定の構造・パターンを抽出することを重視する点から、 歴史研究とは異なると考える。 第 3 章:中曽根首相の改革方針 本章では、1982 年の中曽根政権の発足が「英語教育」 を主な目的としていた既存の ALT 制度を、「国際交流」と いう新しい目的を持つ現在の制度に変化させた「環境的 要因」であるとみなした。また、「国際化」における首相 個人の信念・価値観を把握しながら、そのような理念を 支持していたアクター(個人及び集合体)に注目すること によって、首相個人の理念が具体化されていく過程を追 跡した。 中曽根政権は発足早々に米国を基軸とする多面的外 交方針を推進しはじめたが、中曽根個人の政策メモを検 討してみると、教育の領域における「人造り」の基本路 線として「世界的に眼を開く愛国者」を強調していたこ とが読み取れる。しかし、これは 1970 年代後半から経済 界を中心に要求された「愛国心」を基本路線とする「国 際化」の理念と一致するものであった。その中でも松下 財閥による「世界を考える京都座会(1983 年 4 月)」は、 常に国民全体による国際化への対応を呼びかけていたが、 そのコアメンバーの多くは、大平内閣の時代から「大平 総理の政策研究会」のメンバーとして活躍しており、中 曽根とはすでに顔見知りであった。 このような「愛国心」を基調とする「国際化」は、そ の後、首相の私的諮問機関として設置された「文化と教 育に関する懇談会(1983 年 6 月)」を機に、より具体的な 方向性が示された。文教懇は、教育改革に対する報告に おいて「自国文化の認識に伴い他国の文化に対する理解」 を重視しながら、それに加え、外国語を含めたその他の 教科における「教員の資格」を課題として取り上げ、従 来の資格制限の枠をより広げる方向に議論を進めていた。 特に、「外国語教育」の充実を浮き彫りにさせながら、 「国際化」のための対策として外国の青少年、留学生、 外国人教師など、とりわけ多くの外国人の受け入れを打 ち出した。しかし、そのような国際化の実現のために、 自国の文化に対する理解・尊重の必要性を基本路線とし て出したのは首相や経済界の提言と一致すると言える。 いわゆる「開かれた愛国心」を基本路線とする「国際 化」は、日本の文化や伝統の尊重をその前提に置き、ひ たすら国民全体への対応を強調しながら、「国際国家」日 本のための国民の協力を呼びかけていたのである。 第 4 章:外国語教育の見直し 本章では、首相や経済界を中心に進められた「開かれ た愛国心」を基本路線とする「国際化」教育が、「産業構 造の転換」につれ、「コミュニケーションの重視」及び「外 国人青年との交流」の拡大につながるようになった経緯

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を検討した。 教育における「国際化」は、文教懇に引き続き、首相 直属の審議機関として設置された「臨時教育審議会」に より継承・発展された。臨教審はその 4 次にわたる答申 を通じ、「国際人材育成」のための重要な資質として、外 国語を手段とする「コミュニケーション能力」を取り上 げ、「外国人青年との積極的な交流」を呼びかけた。 しかし、首相の好みが強く反映されたと言われるこの 臨教審発足には、経済界の意向が大きくかかわっていた。 たとえば、臨教審発足前の 1984 年 7 月、経済同友会教育 問題委員会は、「創造性、多様性、国際性を求めて-経営 者からの教育改革提言―」を提出したが、その中でも、 「国際化への前進」に関する内容として「学校における 外国人教師、企業における外国人正社員の採用を広い地 域から積極的に行う」と提言しており、「外国人教員」に 対し直接言及していた。このような動きは「外国人教員」 の定義を不明確にするとともに、ひいては「外国人青年」 との交流を促進させる要因であったと考えられる。 ここで注目したいのは、各時期別に「国際化」という 理念を支持し、推進及び修正しようとした「制度」の存 在である。私的諮問機関や審議会といった組織は、公式 的な「制度(organization)」として設立されていたもの の、その委員構成を検討してみると、それ以前から政府 内における種々の諮問機関に所属していた経歴を持った 人物が多く、首相個人及び財界首脳との密接な関係を維 持しながら、非公式的な政策ネットワーク(institution) を持っていたことがうかがえる。このような特定の経緯 を経て構築された「制度」は、「国際化」教育の領域にお いてその対象と概念を引き続き拡大させてきた。 しかし、「より広く社会の意向を十分に反映するた め」という理由で設置されたそれぞれの「制度」は、そ の答申や報告内容からもわかるように、主に政財界を代 弁する集団になっており、政策過程において、それぞれ の学校現場の事情を考慮した具体的な「国際化」教育政 策が提示されたのかは疑問が残る。 終章:本論の成果と課題 本論文では「歴史的制度論」の視点を中心に、国内外 の社会的状況(環境的要因)に加え、政策過程に影響して いた個人及び集団(アクター要因)、またこのようなアク ターからなる公式・非公式な政策ネットワーク(制度的要 因)が総合的に作用し、特定の理念が反映された「歴史的 産物」として現在の ALT 制度をとらえ、その非合理性を 論じてきた。 従来の ALT 制度に関する先行研究が、主に制度に対す る現状分析や課題の検討を中心に、その課題の原因をミ クロな視点から捉えてきたことに対し、本研究では、歴 史的制度論のマクロな視点を用い、同制度の存立基盤で ある政策過程を視野に入れ、それに影響していた諸要因 を改めて見直した。 そこで、ただ「制度が問題である」という結論ではな く、多様な組織、利益、アイディアといった制度が持つ 多面的側面を念頭に入れることにより、制度を本質的に 批判する必要性を提起できたと考えられる。このような 点から、本論は教育制度研究の領域における「歴史的制 度論」の適用可能性を試みたものとしても意義があると 言える。しかし、当時の資料として ALT 政策が直接言及 されている議事録などが不足していたため、制度の設計 時における諸アクターの意図を正確に把握するには限界 があった。 また、本論文では、主に「制度」を、ALT の管理や選 抜、研修など、公式的にシステム化されている「制度 (system)」、政策過程において影響していた諸集団・組織 としての「制度(organization)」、また「権力性」を持つ 非 公 式 的 な 政 策 ネ ッ ト ワ ー ク と し て の 「 制 度 (institution)」という三つの側面から捉えたが、それぞ れの概念に対する定義は不十分であった。今後、この三 つの「制度」の意味内容を改めて整理するとともに、そ れぞれがどのような相互関係を持ちつつ連動しているの か、さらに、それが教育の領域において、実際の政策に 与える影響をどのように把握していくかというテーマに 関しては、より研究を進めていく必要がある。 3.主要参考文献 兼子仁・永井憲一・平原春好『教育行政と教育法の理論』 東京大学出版会、1974 年。 黒崎勲 『教育学としての教育行政=制度研究』 同時代 社、2009 年。 佐藤郁哉・山田真茂留『制度と文化』日本経済新聞出版 社、2010 年。 田原宏人「教育制度研究と教育の概念」東京大学教育学 部教育行政学研究室紀要 6、1987 年、pp.11-17。 村上祐介「教育委員会制度はなぜ安定したのか:新制度 論アプローチによる首長・議会の合理選択仮説」東京 大学大学院教育学研究科教育行政学研究室紀要 22、 2003 年、pp.86-95。

Sven Steinmo・Kathleen Thelen ・Frank Longstreth、

Structuring Politics-Historical Institutionalism in Comparative Analysis- 、Cambridge University Press、1992 年、pp.2-10。

参照

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