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『宗教研究』新第9巻第3号(*69号)

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(1)

――目次――

1,

宗教発生論の再建について,宇野円空,Enkū UNO,pp.1-10.

2,

宗教音楽表現上の特質,宗教と音楽との関係を論じて,成田恵門,Emon NARITA,pp.11-26.

3,

踊る巫と踊らぬ巫,朝鮮における巫の一分類,秋葉隆,Takashi AKIBA,pp.27-41.

4,

心・心所に関する有部・経部等の論争,水野弘元,Kōgen MIZUNO,pp.42-54.

5,

恵心僧都「往生要集」古板本について,大山公淳,Kōzyun ŌYAMA,pp.55-61.

6,

菩提達磨伝の研究,林岱雲,Taiun HAYASHI,pp.62-76.

7,

石清水社領庄園史考,細川亀市,Kameichi HOSOKAWA,pp.77-88.

8,

般若小品の訳出者について(承前),林屋友次郎,Tomojirō HAYASHIYA,pp.89-102.

9,

印度における仏教批評の型,龍山章真,Shōshin TATSUYAMA,pp.103-115.

10,

イレネウスの異端排撃書,原始基督教異端諸派研究資料の輪廓,森敬之,Takayuki MORI,pp.116-143.

11,

仏教における方便思想について,梶芳光運,Kōun KAJIYOSHI,pp.144-149.

12,

松村武雄博士著『民俗学論考』を読む,小山栄三,Eizō KOYAMA,pp.150-157.

13,

宗教社会学の意義と問題,J.Wach, Einführung in die Religionssoziologie, 1931,諸戸素純,Sozyun

MOROTO,pp.158-166.

14,

新刊紹介,pp.167-177.

(2)

宗教の料率的考察は.宗教史といふ名でも宗教拳の名に於ても、まづその菅生費薙の問題から進められ、現に

それを最も重要な仕事の部門としてゐることは経である。これは歴史科拳の立場に於ける必然な変求でもあり、

またその意味でおそらく最初の試みでもあつた。これを一つの宗教史と見なすことの可否については、昨年末の

本誌で松井了穣氏が詳しく論じられたが、︵新八彗ハ撹、﹃宗教史の諸形態﹄︶、もし宗教拳といふものを記述的な宗教

史と封立せしめるなら、私はむしろこれを宗教単に願せしめて、その形腰論的考察の大切な部分であることを認

めたいのである。笥宗教畢﹄三三−三八東︶

しかし宗教発生論の肝臓や畢史的意味はとにかく、問題はなほその内容や方法に閲して残ってゐる。文化現象

の比較研究は第十八世紀以爽未開民族に於けるそれらの原始性を過信して、それと高等文化との覆生的閲係を

無條件に想定して来た。ぃかもこの蕾生的願係には同時竺方で年代の概念が介入せしめられー他方では素朴な

便値批判をすら含んでゐた。これが生物畢に於ける進化論の碇立と相まつて、形而上拳の確固にまで一般的進化

の観念を容れた1め、文化の蓉生にはその具脛的な過程を度外親して、年代や場併の槻係を超越した階段の想定 宗教致生論の再建について

崩朝地闇塊諭の禰建につ いて

宇 野 固 空

(3)

蒜劉顎塵靂¢項趣lこついて

によつて、その進化が極めて安倍に是認されて来た。それ故特鱒宗教については、何より先に呪物崇拝や自然崇

拝またはアニミズムなどをその最初の形腰と想定することから、それが多神教一神教等の高等な宗教となつた一

列の段階を立てて、そこに進化の理法の必然性を見ようとする発生論が最も有力であつた。そしてこれをまた諸

宗教薔生の歴史的事箕と考へる宗教進化論は、たとへその起源や草薙の段階概念に於て部分的に異るにもせよ、

大鰹に於て、なほ廉い範囲に支配的に行はれてゐる。

この意味で宗教進化論に謝しては、圭としで民族車上の停播詭の立場から、多くの批難や疑義が提出されてゐ

るので、これはすでに私も自著その他で再三紹介した。そしてこの停播故による宗教昏生の設明は、今のところ

一つの方法論的原理として主張されるだけで、未だその具性的内容は輿へられす、またこれによつて従来の進化

論的な草生諭が全都排除されるわけではない。しかし宗教の蕾生を孤立した民族文化またはその宗教自鰹の単に

婁生的な作用と見て、文化の停播による宗教の牽化曹蓮の革質を度外成することはー方法論的にもまづ修正され

なくてはならない。ことに宗教進化論が多く自ら誇滞するやうに、それが形而上畢的草生論や歴史哲畢でないと

すれば、たとへその封象たる宗教が一つの文化現象であつても、その話形潜の配列に或る種の償値批判を混入せ

しめて、単なる牽澤の過程を進歩といふ戟念で解絆することは普を得ないのであつて−進化といふ言葉の通俗的

な意味は、今少し精密に科皐的な範囲に制限する必要がある。

それに諸宗教の比較による蕾澤段階の廟念をば、直ちにその鼻腔的な蓉蓮の事賓と考へることも、これまでの

い巷 −帥

(4)

惑戚惑劉観相背部爪W。どし一書ゆ義の遷化ぺ噂㈹ど壌屏ど疇慧叫−報謝

しょぅとするのは、歴史的に見て乾かに進化論的考察の粗浸であつ・たことを示すものである。

勿論宗教の起源や登達の段階といふことは、必ずしも個々の民族的もしくは創唱的な宗教系統に閲するもので

はなく、年代と地域を異にする種々の宗教系統に通じて、或る程度まで共通な畢生過程を概括したものを意味す

る。ティーレが各宗教の個々の歴史の集積のほかに、諸宗教を全経としての、若しく鱒宗教そのもの1費蓮が考へ

らるべきだといふのも、特に後者の意味の野生論をさすのである。しかしこの場合に個々の宗教の具鰹的な費生

と、それらを概括した全宗教の発生といふ観念とは、明白にこれを区別することが重要であつてー一宗教の草生

過程を直ちに全鮭のそれに旗張してはならす、また後者のむしろ抽象的な形式をー具醍的な牽生の事案であるか

のやうに誤認してはならない。ことに各宗教の葦際の発化登蓮が、時と虚によつて多くの差異を示し、その周囲

の文化の状態や停播によつて一様でないことば、これらの概括に際しても特に望息さるべきである。

進化の観念は本来生物笹上でも、菱化または菱易邑pliOnといふ言葉でいひ表はされたやうに、永い間の連

l

績的牽化であつても、低値や目的との囲係は改想されてゐなかつた。しかるにそれが委建といふ言葉で置きかえ

られた時にーこれ笈が氷に空㌢な機械的費化では苧、卯が警なる如き白壷的姦化を特に強調するや

ぅになつた。けだし進化といひ蓉建といふ言葉が、多くの外線によつて起る牽化よりも、内園を童とする能働的な

開費を意味する以上、生命現象の茸展を示す生吻畢上の用語として、これを採用したことは適切である。そして

■ 宗教教生論の再建lこついて

(5)

生物個鰹の璧最長に封して、猶が豚になるやうな種裾的粟化や新種の璧生を、特に進化といひ粧して来たこと

も決して不常ではなく、これらの観念は相常な制限をもつて、雷然文化現象にも連用されてい1はすで雪た。

たゞ進化といふ言葉は益々磨い範囲の野生発達を示すことになつて、通俗的には専ら生物の全種族の澄生的尉

係を意味したり、往々形而壷的に宇宙的進化といふ親念にすら尉ひられた。その結果進化の観念は単なる靂

としての発牝臓係のほかに、高等雷のはつねた下等なものから委達しー少くとも墨縄なものから復讐急が

草生することを扱想し、一般に或る種の償植批判による進歩の観念を加へたものとなつ去㌦ことにこれを人警

その文化についていふ時、その幼稚なものよ旦姦なものへといふ償値的進歩の観念は、常識的な先見と猫断に

根接しっ\その重要な契機としてひろく是認されてゐるのである。

こんな進化の観念に射する疑義は、文化史的方法としてつとに民族拳の範囲から提起されーその反動としての

極囁な停播設は、今や文化の自費的な委遷そのものをすら否定せんとするのであるJいはゆる文化の豪速を生物

に於けるそれと同志するか、またこれ藍単に倖掴による機械的な複合として説明すべきかは、別に詳しく論究

さるべき根本問題である。しかし宗教発生論としては、宗教を生命現象の特殊な顧現と見て、その猫自の委建と

事案としての進化を想定することは可能であり、同時に生物界に於けるそれとは異つた契機をも認めるべきであ

る。そして︰姦全陛の進化を論ずるにしても、形而1拳的左傾域を侵さない史的考察を本領とするならばJ諸宗

教に射する高下俺劣等の償植づけを離れ、それによる進歩の観念を精算して、純粋に科畢的な普通の概念に終始

鮎仏経変らない.〇 宗教琵生論の再建lこついて 四 ガβ

(6)

宗教の静蓮に廃しても、生物のそれに於ける個鰹蜃生と系統草生とに該督するものを隈別することは不可能で

なく、現にこの聖和は往々そのま土姦費生諭にも取入れられてゐる。そしてこの場合に個鰹寮生の観念は、多

く個人の生涯に於けるその宗教的生活の発育過程にみとめられて禿たので、それが生物個鰹の発育過程と多くの

類比をもつ粘からは、そこに宗教の個健蓉生を考へることは理由のないことではない。しかし今宗教そのもの1

費生を見るのに、個人に於ける宗教的生活を、それ自鰹生命ある一個経と見なし得るか香か・そこに多少疑問を

挟む像地がある。人間はま空偶の生物であるから、その生命の聾育と他の生物のそれとは、単なる類比以上に

l

全然同種の過程に贋することはむしろ昔然であるが、その生活の一断面である宗教自性の聾生を考へる時に、そ

れは果して発生の壬鰹として一生物経と類比し得べきものであらうか。

宗教といふものを厳密に現足する時、それ餃各人の生活行動にあらはれる畏敬の腰度である。この感度のうち

には特殊な思想、感情もしくは行動形式をふくむけれども、全醍としてそれは個人の生活機能の二蹴を抽象した

ものであ少、二つの生命現象ではあつても、それの王鰹たる物質的存在としての毒物鰹のやう忙、明かを備鰹

の概念を示すものではない。したがってこの意味での宗教の菅生といふことは、個人の費育に伴つてその宗教的

生活が蓉展することを意味し、厳密に宗教そのもの1生命が自昏的に開賛する過程とはいひ難い。そこに生物畢 的な蟹澤の概念乾そのま1宗教に適用し得ない貼があ少−宗教はむしろ個人に肝属する機能として、それ自鰹

生命ある個鰹の婁生とは応別して考へる必要がある。

宗教酔生静の再建lこついて 五 淵

(7)

宗教菅生論の再建について ■ 六 それでもし宗教それ自身の哉遷を容認するとすれば、その宗教は物質的な個鰹ではなくても、或る程度の個性 をもつた生命ある一種の嘗鰹でなくてはならない。宗教といふ語は個人の生活経験や態度よりも、多くの場合民 族的もしくは創唱的な個々の宗教系統を指すに用ひられる。そしてこれらの宗教系統はまた事案上、部族や国民 その他の敦園の生括機能の一面ではあるけれども、その集合的観念や制度には多少の客親的寛鰹性があり、その停 承としての系統には.相互に樹立しての統一ある個性と、それ自身に奨化し蓉展する力または生命が認められる。 すなはち最小限直に襲蓮の概念を適用し得る宗教は、むしろこの意味での文化現象であり、個人的機能よりは集 囲的存在としてのそれである。もとよりこの停承系統の発育を、強ひて生物鰹のそれから類推することは、敢曾 有機醍戟に於けると同様な誤謬を生じるが、宗教の蓉生に於ける個鰹の概念は、この集囲的な宗教現象に求める 外はないのである。 この意味での集囲的宗教は、種々なる隈制をもつ敦圏自鰹ではなく、また集同約な宗教的意識や行動そのもの でもなく、これらに一定の形悪を輿へその内容を形づくるところの観念や制度であ少、それが政令的停統となつ て保持されたものである。しかし教団が宗教的な個人の集合または統合でありー集固的な意識や行動の現資の壬 醍が多数の個人であるやうにー教義と祭法及び制度が、個人に於ける宗教的朝食や行動形式の集蹟であることは 明かである。故に個人的宗教槻の立場からはーすべてこれらを個人の生活に於けるものに遇元して、そこに︷ホ教 の存在畢低または個醗を認めようとするのは、多少埋乱のある見解である。しかし生清機能としての宗教でも. 曹雇鵬憫≠ハQ産地惣作の盟Tなる仙琴曾ヤはないが、こと軽停統としての教義や脚匪は、個人を払越して ガβ

(8)

惑覗犠Ⅵ嘲凋、q融雲倒であるqす.な雌懲職人的宗教雌一昔横町qの番地標横の↓胡覇凱葦毛れ

を個人的に分輿されたものが大多数であつて、それ自際蓉蓮し成長する宗教的個鰹は、むしろ倦承としての生命 をもつ教義や制度である。 これを生物界に於ける個腔に響へていへば、この集園的な宗教こそ、一個の有機鰹であ少、個人の宗教的生活 はむしろその構成細胞に比すべき地位にある。すなはち前者はその構造上から後者に湯元することができ、その 一そう原本的な生命単位の集合ではあるが、生命原象の高次の統一はむしろこの集合鰹にあらはれ、その主鰹と しても、個々の細胞や個人の宗教よ少も直接に有力なものである。故にあらゆる意味での宗教的集囲から分離し た個人の宗教的生活でも、その戟念や行動の形式は、つねに若干集囲的な停統に依嫁し、それの鹿骨的生命に支 持され、その有機的部分として存在するのが多い。もつとも畢一細胞から成る生物個醍があるやうに、これらの 俸続からも全く猪立した個人的宗教が、往々天才的な人格や先果者に見られることは事葦であつて、この場合そ ヾ れは客栽的な意味に於ても一つの宗教的備醍七見なすことができる。しかし歴史的忙宗教現象の全鰹から考へ て、これらlはむしろ除外例的であつて、費生費育の粘から見ても、その集囲形態に於て原始的といはぎるを得な いものである。 、 かくして生活機経としての宗教はその本源を個人的生活に委し、事案上各人の意識と行動とに現はれるが、 一種の客観的な賛経としての宗教もしくはその形腰は、その集圏的形麿に於てより多くの有機的統一があり、こ れを個人に分輿してその力を養ふ敢骨的な生命と、またそれらを構成分子として統合した文化的個性とがそこに 宗教敦生論の再建について 七 β甜

(9)

蒜剥顎塵誼の再建について

認められる。これは恰も生命そのもの1本源と所在はこれを個々の細胞に邁元するにしても、その生命の表現形

潜または活動軍使としての個鰹は、多くこれらの袴合から成る有機肥と考へられるのに似たものがある。そして

この場合物質的生命と精静的融合的生命との差異は、特に明解に陸別して考へられねばならないが、その費生や

黎育が単なる細胞や個人の宗教よりも、主としてそれらの複合醍に於て認められる粘には、また多少の類比が訪

いでもない。

宗教の費邁に於ける個鰹牽生が、個人の宗教的生缶の蓉育にあると考へられる時に、その集囲的形腰すなはち

民族的もしくは創唱的な宗教系統自性の費澤は、むしろその系統委生と見なされ、少くとも屡々これと混同され

てゐる。しかし個々の宗教系統が上記のやうに一そう適切に宗教的な個鰹だとすれば、これの費溝こそ宗教の個

鰹発生であつて、系統黎生はまた別に考ふべきである。けだし後者は本来﹃種﹄の寮生皇風味し一生物の諸種厩の

畢生関係の設問であるから、宗教の費薄に於ける系統養生の問題は、その集囲的諸系統を幾つかの種屠に彙類し

て、各種贋の発生とそれらの相互関係を明かにし、全鰹としての宗教の蕾遷の径路や方向を示すことによつて解

決されるのである。そしてこれこそ各宗教系統の歴史的発育を跡づける宗教史とはちがつた宗教費生論の主なる

使命であり、いはゆる宗教の進化草薙はこの解決を想定して認められるのである。

しかるにこれに勤して従来の宗教進化論がなした等身は、多くは倍値概念をふくむ概念的な段階を立てゝ、そ

れ粧藍縁賢軒縁.思牡向挿牝歴鹿整備澄思漁池酢賢一。いルか絶縁の鹿野M打払匡覿浄汝 卿

(10)

してはl嘩加1一町境憾当職.丁;ズ.Å−多義I↓鍼慧−卦五盗分けて−すべ・で毛彗感冒bで列・・∬1

したところに、費生論としての多くの弱貼が含まれてゐた。それ故宗教の一そう厳密な進化費澤を考へ、兵に歴

史的に各種の草生を詮明するには、第一にその種類といふべきものを軍記的に決定しなければならぬ。この意味

で宗教草生論に拳的な精番さを輿へるには、まづその賓型静思蒜が必要であ少、それはまた在来のいはゆる宗

教の分類や類型論のやうに、個人的宗教の性格による類型の指摘や、委生閲係を漁想したり償値批判を加へての

段階の区分であつてはならない。

もつとも生物車上でも種や靡の戟念は、それ自経きはめて不明梶な拍動的のものである。ましてこんな客観的

取扱の困難真義については、その種類や類型の概念が未だ拳的に何ら決定されてゐない。そして宗教のやうな

赦曾的文化現象に於ては、その各系統すなはち個陛の分界すら明確でないだけーこれを彙類配分して種屠の概念

を精密にすることは容易でなく、全鰹が限られた教の譜系統からは、賢際そんなに多くの具世的な種類は挙げら

れないであらう。しかしこの粘言れまで輿へられ空姦はあまりに概念的であつて、将軍崇拝といひ多神教と

いひ.単にその封象たる存在の概念の異同を主として・宗教の全形麿に謝する比較を放いてゐる。これ鱒宗教を

専らその信念内容や教義鰹系と理解して、その常澄の完全な把握がなかつたからではあるが、生活態度としての

宗教はその封象概念のほかに、なほ種々の形態的要素を具へてゐるのでー宗教的類型としては嘗然これらが考慮

さるべきである。

すなはち諸宗教の動機または理想は、その性質を決定する根本的な要素であつて、聖への奉仕を王とするもの

宗教教生論の再建についち ヽ 九

(11)

宗教蟹生論の再建について 一〇 と合一を目的とするものと、また功利的な動機から出立するものにもその慾求の如何によつて無限の種板がある。 これらをその目的概念として見る時には、それは宗教の概念形態の一部ではあるけれども、封象の観念形暦とは 異った分類指標である。ことに宗教の行動様式は、概して鰻丼祭祀と自修方術等に分けられるが、各宗教系統に 於けるこれらの主要形式とその組合せとは多様な壁化を示し、その類型を決定するに重要な形悪である。宗教の 集固形恕は往々その分類に適用され、部族的宗教や団民的宗教等が区分されてゐるが、これにも一方では民族的 ● な全醍赦曾の集団と、部分赦曾としての侍殊約数囲との封立があり、その囲結や連帯の性質も区々である上に、 公的なもの私的なもの、内秘的な集囲と停遣的救国など.無数の形態または種類を示すのである。 要するに宗教の種類や類型を決定するのに、すべてこれらの形態的要素を周到に顧みねばならぬことは、生物 に於けるそれが単に外部的陣形ばかりでなく、内部の機官や組織構造から、その生理的援式や遊動の方法等にも よるのと同様である。この試みが宗教に関して過去に於て甚だ不十分であつたことは勿論、今後に向つても容易 の業でないことは明かであるが、これだけの畢的努力を排ふことなしには、宗教類型論は依然として宗教史的常 識観たるを免れないであらう。したがつてまた宗教委生論も系統発生の問題を放棄するか、もしくは粗雑な進化 論的濁断の聾套を脱することはできないので、眞に畢的な意味での宗教の進化黎達を説くには、このやうな反省 と用意とを必要とする。少くとも宗教そのもの1正常な理解からはじめて、その個鰹と種類の概念を開かにし、 その蓉育と進化の意味を精密に限定して見ることは、宗教牽生論の料寧的再建に快くべからざる條作であるJ 8ββ

(12)

既にエルンスト・サンデ政宗敦と聾術とが感情の廣頓にあることによつて両者の相似性を見ることが出来ると 論じた。彼によれぼ両者は先づ感情に依存してゐる。宗教は心事であるが故に、特に悟性に依存する畢間よりも 垂術の方がより近似すポと。或はl淡くして直観と結合する直感としてそれらは我々に現はれこの直感望もの ︵二︶ が両者の最初の近似性のタイトルである。そして此の感情は紳秘感であり轟術創作の太質的なるものを形る.こ ︵三︶ の限りに於て宗教と相似であるとも云つてゐる。更に、感情生活は垂術が最も密接に宗教と柏解れる鮎であつて、 眞正の大塾術の事稟は教化を受ることに似てゐるから此の事賓の上に垂衝が宗教に代り得るとする主張者が支持 されるけれども併し宗教的教化と撃衝的享楽との間には腔験々のものに於ても後作周に於ても常に一の癌別が存 ︹凹︶ 在する即ちそれは簡畢に云へば聖俗の差別であると。宗教的教化は心の決定に於て存し自己自身の歓喜と悲哀で あるに反しヽ峯術に於ては常に享楽が問題となる、郎シラーと共にサンデもこれをこSpie巨eb。といつてゐる。彼 は眞正の峯術は眞の車間込同じく麻痺にして或る意味では排他的でさえもあるからもしも萄術をボブエラールな 宗教音欒表現上の特質

宗教書発表現上の 特質

− 宗一敦と青紫との囲係を論じ て 一

成 田 悪

39き

(13)

宗教音盤表現上の特質

一二

ものとするものは必然的にそれの本来的本質の重要な二部分を奪ふことになる。かくては革術は特にそれに謝す

る教養あり、定まれた地位にある少数のためのものであるにすぎないこと▲なる。そこでこぎ邑詳菩√空i gi。n苧。in草−といふことはたしかに問題となるべき概念である。峯術はその純粋形式にては督通唯少数者のた

めに存するが宗教はその最も純粋な形式にては全鰹のために存するものであつてー民衆の宰繭に勤し蛮衝よりも

︵五︶ より廉く、より概かな基礎を示してゐる。宗教は就中直感ではあるが唯単にそれのみではなく努力であり表象で ︵六︶ あり、認識でもあり又、厳密なる畢的意味の知諦ではなしに宗教的知識1信仰−−⊥であると。

以上に於て略明かであるようにサンデ峰宗教と峯術との近似性と差異性とを論じてゐる。彼に於ては近似と差

異との外に侍両者の本質的閲係が見増されてゐるように考へられる。即ちその残された間短はヨハン、ネス●ナー ︵七︶ ︵凡︶ ゲルの屏謂﹁可確約綜合﹂といふことである。ナーゲルもりンヂと同じく両者の相似性と根本的封立位とを説いて ゐるが更に綜合の可髄にまで及んでゐる。彼は両者の相似性として一、垂線的享楽と宗教的所念−二、整備家と 聾者の創造的鰹敬 三、聾者的立澄 四、非合理性的生活と作用−の四を蓼げてゐるがこれはリンデの詮明

を禰ふものでもあろう。その掛立位に閲して一、塾術は﹁人格的﹂生活の﹁表出﹂と鼓撃雲に射して宗教は

︵︼○︶ ﹁超人椅的﹂偉力の﹁印象﹂と啓示である。二、賓在に願する相違としては、茸在に就てそれが人間意識の単なる生 産物であること1人間意識へ作用する屏輿牲の意味に於るものとを底別して考へるならば 汐尋象山邑edin嘗を と哲ヨ乳乱nserぎgt蔓と些一つの別なるものであつて今塾術と宗教とに於ける賢在は云ふまでもなく肝輿性と してのそれで毯る。廟してとの欝狂慣凡そ貰在が人間意詔呼野心て倉世相阜非倉陛拍車扮 ︼経の阿搾を陣Pとす さク4

(14)

るなむば後者他虜ずるものであ惹α塾珊家硝人称機¢蛮忙鴎哨の慧恕守る必郷憧が基蟻鹿頂勾奇1

即ちそれは非合理的蜜在は﹁生ける形﹂を要求するといふことである。しかも峯術家は此等蜜在の創造者ではあ少

えない。彼は自己の意志と聾術的﹁必然﹂との間に力強き緊張を経験する。そこでは彼は全く塾術的形式の創造者

であるにすぎない。然るに宗教的箕在は本来の十分なる意味に於ける非合理なものであつて、人格性の本質に於

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ てあるようなそして峯術的鰹陰に於てあるような、非合理なものでもあるといふようなものではなくして、世間

的なものに勤して唯、比較し得ないもの﹁全く他のもの﹂として封立するのである。かくの如き、比較し得べからざ

名もの、科し得べからぎるもの、即ち﹁紳﹂として宗教が呼ぶものこそ、指示することの出来ぬ賢在として安富し

て各眞正宗敦に自己顕現するものである。塾術には竪術家の入籍的人間的なるものに宿つた非合理性があるに反

して宗教にはこれに封立する﹁全く他のもの﹂の非合理性がある。塾術作品は天才に於て生活の一部として置かれ

て、表現を要求する非合理なるものを媒介する忙反し宗教的詮は全陛として世界を動かす非合理なるものを媒介

︵一一︶ する。峯術作品に於て動き且つ語るものは人間であるが宗教的密に於てはそれは紳である。

然らばナーゲルの所謂﹁可能的綜合﹂とは如何なるもの牽言ふのであるか。

︵ンブルグの壷家オットー・ルンゲは宗教は垂彿ではない。宗教は紳の最高の贈物である。宗教は唯聾彿にょつ て荘取に且明白に叙述せられ得るにすぎないと云つた。ナーゲルもこの意味に於て両者の綜合を諭するまで1あ

る。宗教的鰹駿の一切の内容は戦術的形態を勧らんとするものであり我々もこの鮎に於てナーゲルを支持するこ

とが出来ると考へるのである。この場合塾術はそれ自身が最後的なものではなくして啓示の方法手段となるので

宗教音欒表現上の特質 −▼ ∂タ虎

(15)

宗教音築表現上の特質

一四

︵一二︶ ぁるから聾術家はむしろ奉仕的地位に立つのである。整術が宗教の手段となるのみならす眞の聾術は宗教的生命

によつて生されるのであつて、聾術がその本来の目的に到遷することの出来るのは聖壇の階梯の上に於て初めて

︵〓ニ︶

可経である。ナーゲルはかくして、整備は﹁宗教の奴嶽﹂とな少、且それ以外でありえないものである。併し、か

かる陶係に於ても塾衝は決して低劣となるのではない。即ちー﹁宗教の奴隷﹂として聾術は初めて最大のものに裁

て語りうる。換言すれぼ最後のもの、最偉のもの、一切を奉仕せしめるところのものに就て語るのである、と結

︵一四︶

んでゐる。

宗教と塾術との園係はか1る所論に於て略妥富なる結論に遷するものと云ふことが出来る。宗教と塾術とは全

く臭ったものである。それは宗教が超世間的なるものを根本的規範とするに反し整備は世間的人間的規範を出で

ないのであるからである。しかもかくの如く質の異つたものが他を手段として一が表現せられることによつて結

付けられるのは全く偶然のことである。峯術家には、非合理的賓在が形態付けを要求する必然性があるとは云らて

もその葦在の要求が蛮衝家に輿へられることを要する。即ち何かに於て語ることに就てその語られるべきものが

語るものに醍験され啓示せられねぼならないのである。こ1に両者の偶然的結合がある。塾循はその表現せんと する封象によつて多くの異った意味を持って種々柏を現はしてくる。しかして宗教的世界は1全く他のもの﹂であ

り超人間的僚域であつてその故に他の一切が俗なるもげとして否定せられることによつて一切の最高着である。

整術もかく・の如きものに就て表現すること1他の俗なるものに就て表現することに於て自ら秩序をなしてくる。 堪術払蛭併酌秩序や争つて掛亦敢を甑p。必振術即ち宗教艇術は艇術中最高の位置庭あるのである㍉たれ庭粗旭浜裁定 郎略

(16)

栂属地が扇表ふ.のではなぐして球際に彊彿む哺解すもならば自然にこの秩序の存することを慧叩するのである。

青果に於て云ふならばジャズとクラシックのシンフォニの間に如何なる秩序的閲係があるであらうか。或は云ふで

ぁらう。ジャズにもそれ自身の意味がありシンフォニにも自身の意味があつて両者は臭った領域にあるのである

からそれを比較し秩序付けることは出来ないと。しかしそれはその人が具に最高の音楽的陛駿なきが故であつて

ジャズもよしシンフォテもよしと云ふ場合に我々はその﹁よし﹂に程度上の差異を認めるべきであると思ふ。

宗教整衝の中に宗教鎗童、宗教文拳、宗教彫刻、宗教演劇、宗教書紫等を数へることが出来る。今時宗教音楽

に就て考察を進めようとするのであるが既述のことから明であるように宗教音楽は音楽の最高峯である。しかも

宗教に既に数多の表現が輿へられることから宗教音楽にも種々相があり従って又宗教書楽の償値の秩序を考へる

.ことも出来る。

書組織に於て或る意味を表現するものが書架であ少、それが宗教である場合その音楽を特に宗教書楽と呼ぶこ

とが許されるであらう。

︵一六︶ 日蓮伶雄氏は宗教書楽を次の三種に別けてゐられる。

l

一、主として神前の儀式に用ひげれるもの

二、.信徒各自の修養に資する目的を以て作られたもの 三、祭儀の像興として之を行ひ、以てその宗教の旗布に要せんとするもの 宗教音禦表現上の特質 ︼五 ∂腑

(17)

而して我々の俳論よりすれぼ之等のすべては皆、宗教の種々なる音粟的表現である。

軍に右三種のみならす演奏曾用に作曲せられたる楽曲に於て名箕共に宗教書柴として実昔なものも奪見する・。

日蓮氏は紳といふものは個人の個性を超越した靡の概念的のものであるから、単に特殊な人間の聾にのみ約束

された肝の言語の如きものを超越した概念的感情にして初めて紳と直接に交通し得べきものである。之れは即ち

︵一七︶ 音楽と舞踊であると述べてゐられるが静が果して個性超越的概念的のものであるかどうかといふことを再吟味す

る要がないであらうか。氏の所謂概念的とは如何なる意味であるのであるかは詳しく知ることば出来ないけれど

も凡そ宗教の紳が概念的存在であるといふことは宗教的脛験の観察に於て安富を鉄くものではあるまいか。紳は

女抽象的な一つの形式であるとも云はれてゐる.がこれは従来哲拳者が屡†極限概念としてのイデーを紳とすると

いふ思想に依るものではなからうか。しかしてこの形式としての紳の表現は形式音楽に於てのみ可能であるとせ

られてゐるがこれは一面妥常なる考へ方であると思ふ。併し、被表現者が形式的であることと表現が形式的であ

ることとには必然的廃蓮はないと思ふ。

音楽である以上他の整術に謝する特異性を有してゐねぽならない。普通鱒青紫を内容的と形式的とに分けるけ

れども本来の意味からすれぼ形式的青紫が音楽の純粋なるものである。宗教書欒に就ても宗教的1意味﹂の膏薬的

表現といふところにその本質的意義があるのであつて、歌詞は常に従腱的立場にある。故に宗教歌に於ては詩文

︵山八︶ が本質的なものであつて∵音楽が信仰との結合に於てあると云ふ考へは誤りである、と云ったビロデーモの所論 匿隋壮瞥酔陰鼎仙出酢惣.い。 宗教音楽表現上の特普 押β

(18)

鞘出項慨笥ガ.苅Wサヂナ㍗の原論としての▲音盤仰が人間古見釘ぎを罫との番組み姐介せあるごと計甘鳳し・紗 ∩イU

︵︼九︶ てゐる肝に於て、一語も埜へずそのま1がホメロス時代のギリシャに適用相乗ると云ってゐる。我が国でもかの

﹁天の詔琴﹂の事例を見ることが出来、シャマンに於ても同じ例を聾見するのである。しかもその書架たるや正し

く目的のための手段であつて、コ・ンバリウの所謂、

PニpnOuS三等ロSCOロ1bien︸Pm戻−雲2d袋pユnを諦2SニOi︸−d22か士eニ21i︷red︰−R己↓為dごr−﹀﹀い2−︼2n亘p浣une許

︰e︼︼e e乳un mO︸2n︶un価○息r邑On m品iq莞−ungtere︼igieuH.

つ一〇︶

である。

︵二C︶ ﹁斯様にして主なる我等が紳は下僕ダビテによつて歌ふことに於て昧好く味はれる飲物を作り玉ふ﹂肝のダビテ の讃歌に就てその本質的なるものは歌の言葉にあるか歌ふことにあるか。ヂェロールはメロデーは普通言葉と同 じ重要性を持ってはゐない。言葉が本質的なものであつて、紳の宿昔を停へるのは言葉に依り、メロデーは聖書 ︵二一︶ の文句の普及と理解とを易からしめる屡く重要なる手段であるにすぎないと云ってゐる。かくの如くに考へるな らばすべて宗教書楽は言葉に仕へるものとなるのであるがしかし他面に於て音楽は果して自己目的なものを持ち えないかどうかも考察せねばならない。形式音楽と柾それが一の意味の音楽的表現である限りその意味への奉仕 ヽヽヽヽ 者となると考へられるがしかも書架は音の響き聴かれることに於てのみ存在するものであるから意味の表現その ヽヽ ものに音楽の生命があるタ考へねばならない。ベッカーも眞の書架は書かれた譜ではなく、生の音であると云ふ。 ︵二三︶ 古代の人間には音楽をば紳の鰻挿にせよ、舞躇にせよ、詩の胡讃にせよ、何等か青紫以外の事件と結合させなけ 宗教音欒来現上の特質

(19)

︵二四︶ れば考へることが出来なかつたのである。か1る音楽には言葉が峯術的形成の最大の補助者であつた。このこと からすれば所謂宗教書楽はベッカーの云ふ﹁自己目的としての演奏曾としての﹂音楽とは臭った意義を持ち而もそ の特性はそれが音楽以外の事件と結合することにある。これは必しも必然的結合ではないにしても屡く見るとこ ろのものであつて古代人に限らす現代人の鰻丼式などに於ても現に存してゐる。であるからといつて自己目的的 意義なしとは直に云ふことは出来ない。果して宗教音楽は言葉に補助せられるかご一一口菓を補助するかに就ては、 それが響くことに宗教的なるものを表現するといふことからすればそれが宗教書柴の目的でなければならない筈 であ少、従って言葉に補助せられるものでも、言葉を補助するものでもないのであると云ふことが出来よう。宗 教的意味は音楽が響き止む時にも存在するであらう。しかし宗教書楽といふ一の存在の意味は響いてゐる問に於 てのみ保たれてゐるべきである。言葉の響ではない響こそ書架の書架たる生命である。 新教々禽で歌はれる讃美歌の中には楽曲そのものに宗教的なものがある。既に知られてゐるように初代新教讃 美歌が獲た直接的一般性は非常なものであつて、畢校でも教へられ畢生の歌ふ替が町々に聞える程であつた。ル ︹二六︶ クーの敵はルターが書物と詮教とによつてよ少も讃美歌による方がはるかに人心を破壊するものであると言明し たことは歌ふことそのものに重要なカを認める反証でもあらう。 サン・デュロームは我々は紳を歌ひ讃美するに聾を以てせす・に魂を以てすべきであると云った∪宗教音楽の中心 的意義であると思ふ。魂より出づる聖なる書架は種々相を持ってゐる。例へば感謝の歌、悪魔排ひの歌等。後者 め酢惚正心ぺ厨雅浩呪術檀め秘技なネ∬係七示すものであゎ・宗教者難が他Q≠のと結合すると云はれる明らか 耕 宗教音奨表現上の特質

(20)

鰯鰯別間頂Ⅵ戯詔Ⅷ アロンは春草をなす時金の鈴を裾につけた衣を着た。この鈴が出入に際して響く焉に彼は死ぬることがなから ︵二七︶ うとある。鈴の傲韻は寺や家の周にうろついてゐる窓婁を退散せしめるからである。基督教徒は悪魔退散のカを ば専ら讃美歌の歌に於て見出してゐる。故に卑俗な音楽は魂を悪化せしめるために悪塞が用ひる最も教具ある手 段として考へられる。ヂェロールも云ふ如く教父蓮はたしかに原理上呪術と聞ひつ1もその影響を蒙ってゐた。 ︵二八︶ そこで悪魔を防ぐために讃美歌のみならず所癖、信仰の言葉の朗読をも推奨してゐる。 このように音楽と呪術とを結合せしめることは一方から云ふと宗教書楽自身から出た後作用であり第二義的意 味のものであるのではなからうかっ即ち宗教書楽が呪術の手段として使用せられることがあつたにしてもそのた めに前者の自己目的が蓉ぜられたと見ることは出来ないのである。宗教音楽が他の事件に結合せられて考へられ たり言葉との閲係に重鮎を置くことは音楽自腔の意味が忘れられて一の道具として死枯してしまふ場合であると も考へられる。 ▲一 ︹紳と魂との接解は人格的内的作用によつてのみ果され、朗諌、詠歌、所藤、讃美歌等は全く二次的重要性を持 つにすぎないと考へる人ぢ例へばか1る思想の最初の基督教徒たるアレクサンドワァのクレメソトの如きはポル フィルその他のやうに﹁沈獣﹂の重要性を見たものである。我々の研究の封象ではないがかういふ考のあることも 面白い封照である。︺ 要するに宗教書楽が宗教の奴隷としての音楽であると云つても或る宗教書楽曲自身に於て宗教が表現せられて 宗教者禁裏現上申特質 4βl

(21)

宗教晋簗表現上の侍質

二〇

居りそれを聞くことに於て直に宗教的感情を惹起せられる如きものは音楽自身に於て宗教が響くのであつてそれ

は必ずしも言葉の補助を要しないし文書案を補助するものでもないと考へるのである。さうして宗教書粟自鰹の

意味こそ他の宗教整術に謝する特色でもあるのである。

三 然らば楽曲の如何なる形腰のものが特に宗教的と耕し得られるであらうか。無限の種々相を含む宗教音楽の一

一を列聾することは不可能事である。こ1には二三の例を拳げて解剖をしてみたいと思ふ。

これは詩篇第十九篇の最初の部分、

﹁うたのかみに謳はしめたるダビデの歌⋮⋮⋮⋮:・等蒼はその御手のわざをしめす﹂ の楽譜であつて見られる如く︼P、椚reの園庭音程間にあり最も簡単なる形式を示してゐる。 抑9

(22)

と.仙叩は仙1苛止ザチメJ¢彗闊であるO ﹁天にまします我等が父よ、アーメン、汝の名よ、崇められよ、アーメン、汝の構成よ来れ、アーメン、汝の意 ︵三〇︶ 志よ天にも地にも等しく起れかし、アーメン﹂ ︵三こ これは龍谷梵唄阿輌陀儀法の一節の音譜の略示である。これら三曲を比較してみるに如何にその形式が相似して ゐるかに驚くのである。三者何れも簡単なメサスマを持ってゐる。これらは近代書架では恐らくレシタチープと 解せられるものでもあらう。更に複雑なるメリスマを持つものも少くなく殊に梵唄に於てその著しいものがある。 併し表現の技巧の夜雉性が意味を十分に現はすものとは限らす右に奉げた簡単なる組織にも宗教的なものを見る ことが出来る。 一般に親まれてゐるヘンデル作﹁ラルゴ﹂は宗教的に響いてゐる。即ち特に. は宗教的である。 l マスネ作﹁タイースの冥想■−11﹂はアンダンテ・レりギオソと註してあるが成程宗教的であるかのように準くでも 宗教音奨表現上の特質 一朗

(23)

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こG︼○︸・i2iI=HCelsisDe〇・ごAlle雪○喜2箪詫?匂ugPAゴ2g−・〇ヨPnOコ1rウppOe訂nmPr邑○−こーn glO−・ia Uei p已1is、

A己。gr。諸芸十1−ハR。CitPt号︶㍉どヨ1S買ニーー〓。︼︼i∽琶邑P⋮邑i㌧−その他の如き急速調を含んではゐるけれどもーそ の中に織込まれてゐる特に宗教的なるものは急速調に於てではない。例へぼ第二楽章の=壬。㌢i︼:豊︼Ⅵ︼sD︵○こ のアレグロ・ピグ丁チェにしてもその一八〇節メーノ・アレグロに於て特に一四五節テノール・ソロのメロデーは 一書 如何に歌心れてぁるか。製曲は成捏メーノ・アレグロ︵少し速く︶であるがそQ歌は全く鰐除に聡かれるであらう。如 宗教者柴表現上の特質 二二 あらう。併し最初の註の、こd。uM去つCSu註モーとあるように宗教的と云はんよりむしろ﹁気持よく甘い﹂感じであ る。特にその最初の部分 の如きは散りにも非宗教的であらう。 龍谷梵唄回向は簡単な曲節ではあるけれども宗教的に響く。新教讃美歌にしろ奮教の滴轍にしろ大鰹は曲は緩 同」鹿ノ

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〉盤予等 /安ユ施 く楽「一

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除である。宗教的であるためには援除調であることを先づ必要 とする。併しその逆は必ずしも眞ではない。 曲が緩除調であるが故に宗教的楽曲は決して演奏魯的肇麿は 望まれない。無論べートベンの荘厳禰轍はその中にA宕grO‡・

(24)

て 散 要 意 に 味 を む は の 壮 星 よ 凋葛頑咄蟻耶 勘淵誹瀾耶 闘 る まで 磯葡戯 て なく私 「夕 は べ て の べ 星 影 劇欄州側堀川m嘲 祀顎 」を が ン 挙 げ のミ て み 朋劇 よ リ う。 レ た。 サ・ムニス そ な の い の 息 。

I

も い レ 鵜 ふ 牒 え こ な と ん の 舶盟溺馴剛 と す 例 る と 萄腰桶 可 し 胡 宗教晋奨表現上の特質

(25)

は最初の歌ひ出しであるが如何にも宗教的である。

以上の如き二三の例を以て律することの不可であることは無論であるが只今の屏では先づ次のことが音はれは

しないであらうか。

楽曲が宗教的と耕せられるためには緩除詞であること、特に宗教的なる部分は下行的形式に於て響くことーし

かもこの下行が飛躍的でないとと等である。

か1る l併給の誤審多きことは無論の事と思ふがそれは他日を期して訂正することにしよう。

只今奉げた語例は大乾草背約形式である。これらに於ては必然的にメロディーとりズムとを問題とするのであ

るが複書的形式に於てはハルモニの考察を要することとなる。この問題も他の機曾に譲ることとしたい。

宗教官業表現上の特質 導きのしるべあり﹂︵以下略︶それの ︵こ字邑巳ndeい謬ligiOnu乱国仁邑●−害ひs.ダ∽.芦 ︵ニ︺P P〇.切.ひ ︵三︶a.P〇.∽.ヾ ︵四︶P P O●P−¢ ︹匿レ.心r骨plP詮 ー ︼九三二、四、一〇 − J郎

(26)

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︵七︶JO訂呂㌫巧腐el︰出打身iOロ百d 同星・YOn ibre日考慮昌uロd くe旨賢口許Nue⋮巨nder●−冨0−P︼↑ub

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(27)

日本音禦の研究p・謡−景

︵一七︶同、

︵一∧︶Th爪OdOr魚G今○︼d︰F灰pか透de−−g︼訂温︼P巳房ique・−篭−p・笥

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吋pul謬k訂rい試usi打g箆己cEe a紆曾汚ど己cEO d竹r巨象k已打払en句Crm毛呂dlungen−−岩戸O訂p・蛤・

︵三︶せOmiロuSitぷueせe畠nO賢rperD2まds巧言mCO旨it電tiOne日quPedul訃窺乳qu∽どpeりCP邑○莞m︵崇cぎe︶ ︵三︶T●G仇rOld︰p■p●○●p●−○ひ ︵童︶ベッカー、西洋音楽史︵太田澤︶p●ヨ ︵三田︶同、p●∽00G曾○︼dいP●芦○●p﹂会 ︵孟︶同、p●∽∽ ︹蓑︶Gr01βせictOn弓旬e︻試u乱Opnd已Fsic㌻n∽・く○︼・lく・p・黒岩 ︵云︶出嘆及認諾−∽ひ ︵天︶血石r01dいa●a●○●p●︼忠 ︵克︶=の欒曲はヂエロールの抹月し圭ものである。 ︵三〇︶謬ternO告ごq已袋⋮ロCOe︼im●Ameコ.∽呂e琵ee首雪men言冒・Am芦Ad烹n山atregnl−m言ul︼J・Am巾コ一句㌻t乙lラ

t監t皇Si2t︼neO色∽et iロter−・P A−dbn︵etP︶

︵三一︶額捨助成形、往生安禁固

︵三︶春秋社、世界音集金集、第十四巷、解託部

宗教音柴表現上の侍質

(28)

巫の分猿は種々なる観鮎の下に行ふことが可能であ つて、之を研究上必要なる限りに於て儀すことが私の 仕事の一つである。先づ従来の研究者の行った分類の 主要なるものを見ると、第一に男巫女巫の別があつて、 支那で之に巫劇の文字を首てることは、人の周ねく知 る肝であるが.之に閲しては北部シべヮアに於けるが 如く、螢性巫の一群を別にする必要のある場合もある。 次にツ7プリツカの試みた家族巫・職業巫の別、一lオラ ヂエの主張する個人巫・家族巫・職業巫の別、叉呪術の 黒白によつて分つ黒巫・白巫の別等があるが、私は伶こ の外に入巫事情を標準とする竪琴竿新入巫、巫性の眞 傾を載鮎とする眞巫・僻隼巫術の赦脅的機碓による 踊る巫ミ踊らね巫

踊る巫と踊らぬ巫

− 朝鮮に於ける巫の一分類−・

l

公巫・私巫、乃至は巫の階級的分類等も亦必要であると ︵一︶ 考へるのであるが、弦忙は只舞踊といふ極めて表面的 にして、而も賓は本質的なる棲徴の下に、朝鮮に於け る巫の分類を行って見たい。 さて私は掌って朝鮮の民間信仰を支配する呪術宗教 的職業人の最も重要なるものとして、併謂ムウダング とバンスの二つを挙げ、前者を歌舞降静の巫人と考へ、 ︵〓︶ 後者を読経祓塵の卜人と呼んだが、今こ1に巫と稀す るのは、此等の両者を含むと共忙、鈴この外に存する 幾多の呪術宗教的職業人の無組織的なる一切をも合せ 意味するものである。 そこで第一忙吾々の注意を引くものは.所謂歌舞降 紳の巫人即ち温る巫の一群であつて、之を歌舞巫と呼 二七

4鱒

(29)

踊・0巫ミ踊らね巫 ぶことにしたい。それは主として女巫であるが、中部 朝鮮より北鮮にかけて、殊に京畿・黄海・平安の方面に 於いては、斯かる女巫をムウダング又はマンシソと僻 し、男巫をバクス又は。ハクスムウダングと呼ぶに勤し て、所謂三南の地たる思清・全羅・慶何の方面にありて は、歌舞巫の系統をサーlと耕し.斯くの如き世襲女巫 ■ ムプファ をタンゴル又はムウグングと呼びー英夫即ち巫夫を花 レギチェインクワンブイ 郎・才人・康大等と日つて居る。但し巫夫は単にタンゴ ルの巫事に嘗少.巫粟を以て之を助くる者に過ぎすし て、猿立に歌舞降紳をなすことは殆んど無く、只江原道 の一部に今辟歌舞降紳をなす花郎があるのみである。 然るに更に南の方潜州島に渡ると歌舞の男巫が可なり 多く.それが却つて女巫の上位に置かる1の要を空し、 斯くの如き歌舞巫を男女を問はすムウダング又はシン パングと呼んで居る。而して之と相似たる形が掌って 成鏡道北部にも見られ、之を男女共にススング又はム チエガスンダ ウダングと耕したが、之が出身階敢である在家侭の地 位胆高上七共庇、今は殆んゼ井跡lを絶つて∵掛ろ損巫 二八 であるポクスりが、代って腰倒的な勢力を占めて居る。 さて斯くの如き歌舞巫が主として女巫であることば 前に述べたが、今その特質を理解する焉めには二應其 職業的機能を考へて見なければならぬ。一際シヤマン の機能に閲する従来の拳者の分類は、大鮭に於て栢一 致する屏であつて、例へばバンザロフはプリヤアトの シヤマンに就いて、癖祀者・敦言者・皆循者の三機能を ︵三︶ 具備するものを最も完全なるものとなし、サムナアは ︵田︶ 一般に所両者・換言者・響街着の三機能をあげ.ニオラ ヂエも亦チユクチのシヤマンに就て見鬼巫・汲言巫・呪 ︵五︶ 欝巫の三を考へマツドックスは更に呪術者・占卜者・所

両軍警草庵親考教育者及王者の機能を数泰。

屏で朝鮮の歌舞巫に於ては、常に此等の機能の大部 分を粂ね具ふることを見るのであつて、其家に堂々た る紳堂を設けて、そこに諾々の紳像を掲ぐることは. 必ずしも全鮮的で無いとはいへ、彼等の守護紳の宿る ティシンパン 原始的聖物として、或望月城逸の大紳盤の如く、食床 ︵勝︶喀脚光七盛つて紅布とかけ旅烏≠のを廠甘、成漉 よJβ

(30)

lL 蘭蛸撼鰯破戒戎ガが宣・シガ磯彗盟耶佗加脚光叩むlきハれ.た るものー鑑安置し、又臍州島に往々見るが如く、巫薇・紳 刀等の巫具その物に守護の塞が宿ると考へて、之を辞 曙い穀房の隅に奉するものもあつて、之等の聖物に射 する供犠所帝を始め、通常の巫祭に於ける甫舜・所願・ 備紳・聖供等の中に、藤研者としての豊かなる機能を見 ることが出来る。而も又、降紳状憩に於て督するコン ス︵神託︶と、算集・撒米・療紙・櫛刀等によつて行ふ紳 占とに見る放言者としての機能、肝謂チヨンゲペツキ メイインブリ ム︵将帥病魔祓除︶、盲人解︵眼病魔の祓除︶等の昏術と、 躇凡立刀・立鎗・街紅等の呪術に於ける呪皆巫として の機能は、吾々の親しく目撃する併であ少、陶酔の状 悪に於ける見鬼見紳の鰹験談は、夢多き彼女等に勤し て私の屡々望み得た屏であつて、文献も亦吾々に果巫 躊挿の豊富姦志記録を提供する。例へぼ李朝警鐘太宗 胡のみに就いて見るも↓元年夏四月早、末女巫帝両手 等祀壇﹂、﹁五年夏五月、采女巫細雨チ松岳開城大井﹂. ﹁十年夏五月己卯、来巫七十餞人手白岳山堂癖雨﹂、﹁十 踊る巫ミ踊らね巫 J.弔歌ゼ麒操軍よ璽笥選舅岡領抑川川疎闊・..文系巫富岳 盲人千明通寺癖之﹂、﹁十六年夏五月庚戊、衆巫手写祀 壇所雨﹂、﹁十八年六月、漠京及開城留後司来巫帝雨lニ 日﹂とあつて、歌舞巫が如何に璽︵謬ind邑。ユとして活 躍したかを見ることが出来る。侍新羅の次次雄が巫王 又は神主の意であ少、古代の花郎が教育的機能を有っ て居たことも文献の敦ふる屏である。従って吾々は朝 鮮の歌舞巫が、所謂呪術宗教的未分化状態の豊富にし て充賓せるものを有つことを知るのである。 〓 次に踊らぬ巫の一群にチョムヂェンイ︵占匠︶と耕する ものがあるが、南鮮地方に於ては、之を踊るムウダンダ になれない巫と考へて、リンムウダング︵泉熟巫︶と呼 んで居る。之も亦主として女巫であるが、原則として室 の一隅に女見紳の宿る紅色の紳衣を祀り、巫は先づ之 を拝してから、食床上に紳米を盛れるものを前転して、 憂欝なる呪文を呟きつ1紳米を床上に散らすことに俵 二九 4Jl

(31)

周ろ巫ミ踊らね巫 って紳占を行ふ。而して之と相似たるものに之も亦南 鮮に多きミョンド︵明遺︶、ヨングィ︵幼鬼︶、コンヂンイ 等と耕するものがあるが、それは峯唱吐言の術を以て 神託を輿へ、占卜を行ふものであつて、失張少女巫を 原則とし.女鬼紳を祀少、神米によつて紳占を行ふ粘 に於て、全く占匠と同様なる性質を有し、単に重唱の 術を漬する鮎に其特徴を示して居る。京城遽では之を ティジュ︵太子︶と僻し、筆者も掌って、其紳占と重唱と を戟察する横合を得たが.彼女の賛する極めて後裔な ティジュカタシ る紳の聾は、太子閣氏︵ティジュ姫︶の宿るといふ紳壇の スパリヨン 弄費蓮︵招ぎ代の造花︶より委するが如く思はれぬでも ないが、其は決してポコテスやヨヘルリンがチエクチ、 ヒリヤーク等の吐言巫に就いて語るが如き、高低遠近 森々として藤野を渡り大地に沈み、鳥獣の聾を賛する ︵六︶ といふやうな驚くべきものでは無く、又沈楽沐が辛巳 の春妓山よ少京師に向ふ途中、高峰の膵舎に莫貌の一 女巫を見て、厳に之を試みると、﹁俄而虚垂中、候侯有

艶.⋮牡温弾幕じ姓附帯斬新者∵豊㍍艶帯欝

三〇 晋⋮⋮逸復候候作琴日、去英去英・不復といへ るにも及ばないもので、此釜鬼が常に巫の命によつて 答申を飛行し一人家の竃紳より家状−鑑探り来ると信ぜ らる1にも拘はらす.別に虚卒中に聾ありといふやう な気色も無く、畢に牛開にした巫の口遽より出づる幽 かなる虫の音の如き醇が、其音色も高さも張ささへも ー足して居って.僅にその昔の長短を調節するに過ぎ ︵八︶ ないものであつた。併し乍ら彼女が、一定の精紳状悪 に伴うて生する撃音容官の異常に因ると考へられる此 の音に封して、現在如何なる信仰−虻持って居るかは、 私の洞察し得なかつた併であるが、彼女が始めて此の 異常なる聾に注意したのは、数年前彼女の室に宿泊し た一考婆の賓見に本づくといふことであるから、少く ともその昔初に於ては、己れの攣音容官の異常より来 る現象と考ふることの代りに、之を以て太子前の御聾 と信じたことは事箕らしい。 鈴近年に至つて.京城開城等の地に俄に流行し出し 允匿粧・い醜か計貯渡旨際じ法幣サ為組めがあ鞄 如ク

(32)

即ち原則とし亡堂々たる神殿む設け†り中崎一殿舟紳即ち 閑静を始め、主として道教の紳々を祀り、鋭敏鎗挿時 に読経を行ふものがあると同時に、蟄篤と占籍とを備 へて占卜をなすものである。之も亦女巫が多く、掌っ て開妃が亡命中、思州在の農夫の妻美女が、妃の未来 を重言して其信仰を博し、彼女に伴はれて京城に入少、 眞璽君の名に於て一世を風靡した女巫の如きも、殿内 ︵九︶ に属したものと考へられる。而も近頃はムウグッグに 倣つて歌舞を行ふものもあるらしいが、未来の殿内は 決して歌舞をなすことなく、専ら囲帝信仰と占トとを 本領とをなすものに外ならない。開城遽では之を勤断 と耕して居るが.殿内に似て祀紳が主に彿数的なもの ● シヤダング もあつて.筆者が成鏡北遣曾寧に於て一見した赦堂の ポウサル 如きは之に属し、之を菩薩とも云って居る。 以上占匠・太子・殿内・祀堂菩薩等は、女性を本鰹とす る踊らぬ巫であるが、今之を前蓮の踊る巫との比較に 於て考察する時は、既に江意せる如く、歌舞巫の職業 的機能が撮めて豊富にして、充質せる呪術宗教的未分 流ろ巫ミ踊らね巫 化頑轟励髄.郵冴嘩靴びでよ誌璧盟凰割引針鼠郡創珊旦 太子が之に加ふるに只重唱に依って行ふ紳託を以てす ることを考ふる時は、後の二者が何れも漁言占トを主 たる機能となすものなるととを見るであらう。私は此 意味に於て之等を紳占巫と呼び、殿内・法師・敢堂・菩薩 等の如く、堂々たる紳堂をかまへて.専ら新藤戒厳に 従事しっ1、伶形式的なる占卜を行ふものを戒廟巫と 名づける。 最後に.前述の紳占巫・就願巫に比較して、造かに複 雑なる機能を有ち、歌舞巫の豊富なるそれに野抗し得 るかに見ゆる踊らぬ巫として、所謂読経祓感の卜人た るバンスがある。之は殆んど悉く男巫であつて、盛に 併設仙詭等の名を冠する東経を諌窮する製に於て、 ソギヨシキヨンサキヨンカタキヨンギャングキヨンムン キEンムンヂエンイ 斎経・鰹節・経客・経 匠・経文・経 文 匠等と耕 せれ、又それが主として盲人なるの放を以てボングサ、 チャンギム等と呼ばれ、薗占卜を行ふ者なる意味に於 ポクりス ガタスルカタ スルカク サンボング いて卜術・ト術客・術客等の名があゎ、或は文金奉・ フンヂヤングハン′ム 訓長・郷漠等とも耕せられる。而も大鰹に於て、自家 三一 力餅

(33)

踊ろ巫ミ踊らね巫

に紳堂を有するものは極めて少く、盲目の故に他に適

業なくして之を行ふものが大多数であつて、中には近

来按摩を余業となすものすらあるといふ程であるが、

鍾薇を急打して、力強き頼経を行ひ、或は病魔を揃へ

て之を挿し、又は之を壷瓶等に封じて、木に品り地に

埋め、又符籍︵呪符︶を朱書して悪魔を祓ふ等の、強制

的行動をなすこと多く、其讃斎する経文の中にも、或は

強経と耕し、又逐鬼経逐都窪等と名づくるものがあつ

て、呪璧祓穣者の性質を明かに認むることが出来るか

らーフルバアトがバンスを以て祓顧者︵POr駄芭に最

も近いと云ったのは、聴かに一面の眞理を看破せるも

︵一︹︶︶

のである。従って之を逐鬼、落部等と僻する併もある

が、それは一方に於て、多数の経文の中に無数の紳の名

を唱ふることによつて、彿敦及び道教の費遷せる宗教

儀盛の模倣なることを示すのであつて、加ふるに彼等

の甚だ重大なる機能として、卜術を行ふことを考へる

ならば、之を以て単に祓礁者となすことは、決して其眞

粕せ停ふる併以で壮扱い局線叉挙軌時代性於写姉﹂般等

三二

が歌舞の巫女と共に析雨のことにも参加したことを・

︵︻一︶ 文献によつて知ることが出来るのである。そこで便宜

上今之を諌経巫と呼ぶことにするのであるが、一鰹朝

鮮の民信に於ては、盲人は常人の見得ざるものを維く

見ると.いふ概念があつて︰ハンスを以て能く見る軍鬼

紳を見得る者と考へて居る。思ふに、之が彼等をして鬼

を祓ひ、辞意を卜せしむる所以の特質であつて、彼等が

読経の形式を採用するに至ったのは、恐らくは後世の

模倣であらう。而して此の見鬼の巫が、主として盲目の

男性であること蜂前に述べたが、中には手足の不具な

べクサ るもの、又肝謂白子等もあつて、斯くの如き異常なる外

貌は取りも直さず異常人の標徴であ少、白子は占トが

巧であるといふ信仰も現葦に存在する伊である。因に

全南地方では目明きの読経巫を花郎と稀して、慶伶道

の巫夫たる花郎、江原道の歌舞降紳の花郎西北鮮の遊

女を意味する花郎と陸別して居る。伶前述の紳占巫及

びパーンスの低級なるものが、邑落を絶つて占卜を菓と

するものを.†ル.ハりハ廻り華叉低けルバリやサ妙rγ 4上皇

(34)

舛薦uⅦ頑嘗巫垂加叡.が王山刃戯酵油認仙叫

と椚するものはトルパリムウダングのことであらう。 斯くて吾々は踊る歌舞巫に勤して、踊らぬ紳占巫戒 厳巫及び諌経巫を考へたのであるが、今之をその政曾 的地位.によつて排列するならば、最も近年の産物に鷹 して、呪術的要素の極めて少き祀頗巫を以て最高とな し、次に讃経巫、紳占巫を経て歌舞巫は最下位に置かれ ソンムウダン〆 るのである。而も所謂未熟巫たる紳占巫が、完熟せる歌 舞巫の上に立つことは二見奇なるが如くなるも、歌舞 柩即ちムウダングは、所謂サニ︵山者︶の系統を形成す るものを以て本鰹となし、其最も蟹澤せる南鮮のタン ゴルにありては、巫業を世製して階級的内婚を行ひ、常 一 人は之を以て一種異血の巫族として忌避不渾祓し、巫 女に交はれば積れるといふ信仰を伴って居る。斯くの 如きは全く不渾神聖概念の軸視であつてタンゴルが其 一 巫夫即ち花郎・才人・廣大等と共に、一種の不浄聖族を 形成Lて、封鏑的カストを成すことを知る。而して此の チャチユング ネ渾の聖族は嘗って清渾の聖者として.次々雄即ち王 卸ろ砿ミ踊らね巫 膚餓せ山川ドU−玉腐叩となb一−−−用人の.故事し停車したる欝及 ︵一二︶ び花郎との脚係すら噌示されるのであるが、一朝にし て其上位階顔の地位を失ふと共に、転落して政令の下 屠に沈冷し、而も通常の購民とは其本質を異にする肝 の、不浄異血のサニとして之に接近することを嫌悪せ サニ らる1に至ったものと考へられる。而して南鮮の巫族 サンサラム が山者と科せられる肝以のものは、北紆の在家僧が山 サンチヨンサラム 人と呼ぼれ、臍州島の蛇鬼憑依の購民が山村人と日は る1如く、谷に住む俗人と山に住む仙人との隔雄﹂云は ぼ凡俗と紳聖との訴離を意味するものに外ならない。 斯くて吾々は現在不浄の聖族として最下位に沈める 歌舞巫こそは、極めて古き歴史を有する原本的なる巫 であらうと考へるのであるが、それが他の踊らぬ巫に 封する最も明瞭なる区別は、歌舞殊に舞踊を行ふこと であつて、之が葦は最も本質的な特徴であると思ふ。 そこで次に少しくその説明を試みたい。 三 三三 4Jβ

(35)

踊ろ巫寸J踊らね巫 さて私は朝鮮の歌舞巫を観察することに依つて、そ こに二様の舞踊の存在することを登見する。即ち一は 降紳の舞であつて、他は備帥の舞である。前者は紳の 講井左行ふに鷺り、坐巫の打つ放談銅鉾の音に合せて. 立巫が静々と舞ひ始めつ\漸次急調に趣くと同時に 盛んに旋回と跳躍とを演じ、其極一種の叫聾を委して 舞を止め、紳容堂々として紳語を委し、紳の行動をな すものであつて、後者は祭節の終りに臨んで、所謂ノ レカラクと稀する讃歌を歌ひつ1、比較的優美に舞ふ 併のものである。 そこで此の降紳の舞が如何なる性質を持つものであ るかを考察する病めに、所謂巫病に躍れる者の行動を 戟察するに、巫病即ち一種のヒステリーに躍れる者は、 食慾衰へて人妖ひとなり、一室に幽居して極端なる憂 関の状態に陥って、身心の僕惜甚しく、之を虚主にか ホジュ ぶれたと考へる。即ち一種の不浄なる鬼紳の憑依と概 念することに於て、所謂琉偶の鬼にさいなまれつ1、 芽償建艦壊とな♪、祖師ル綱揮と.して身駄誌雷撃賢 三四 へ.風聾鶴嘆の暗示にも卒然として飛び上らんとする 状憩に至って、内心よりうづき上る躍出の衝動に駆ら れ、時として雪中に赤裸のま1踊り出すものもあつて、 乱舞の極、吾を忘れて陶酔の状態に、帥との合一感を 経験する。即ち不浄の鬼紳に憑かれたる者が、その苦 悩より逃れ之−で除かんとする行動として.弦に躍出・跳 躍・激動等の謂はゞ鬼神との苦闘が演ぜられるのであ る。而して此の不浄なる鬼紳より逃れ、之を祓って救 はれたる気持が、秤量との合一の陶酔境でなけれぼな らぬ。 一鰹朝鮮の民信に於ては、歌舞を業とする者は凡べ て鬼紳の憑依着であると考へられ、歌舞の行翁は是憑 依者の行偏であるとの信仰がある。従って斯くの如き チャンプクワンティ 鬼紳として、チヨンゲ又は侶夫・庚大等と耕するもの が存在し、それ等は凡べて不押下位の鬼神として、所 謂本堂の外廊又は側堂等に、措辞なる紳釜とは隔離し て之を祀って居る。例へば絵物山賂軍堂の側堂には朱 塗のホ綬師四節セかけ∵之L酢郎斬欝圭覆 〃 ハ○

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