45
『
称
仏
六
字
』
の
功
徳
に
つい
て
の
一
考察
一
特
にそ
の精 神衛
生
面
につ い て一
医学 博 士
藤
岡
隆
男
序 文
ほつ がん えこ う智 栄が善 導 大 師 を 讃 嘆 した碑 文に
、 「
称
仏六字、
皀卩嘆
仏、
皀μ臓悔 、
皀卩発 願廻向、
一
切善 根荘
厳 浄 土」
v とあり、
「尊 号 真 像 銘 文 」
(
広本 )
にはこ れを説
明 し て、「『
称 仏 六 字』
とい ふ は南 無 阿 弥 陀 仏の 六字 を と なふ ると な り。『皀卩嘆 仏 」 とい ふ は す なわ ち
南
無 阿弥陀
仏を
と な ふ る は 仏を
ほ め た て まつ るに なる と也。 また『
皀卩懴 悔 亅とい ふ は、
南無阿弥
陀仏 をと な ふ る は す な わ ち無始
よ りこ の か たの罪 業 を懴 悔 するになると まふ す 也。『皀卩発 願 廻 向 』 とい ふ は
、
南無阿弥
陀 仏 をとなふ る は すな わち安 楽 浄土 に往 生せむとおもふ に なる也、
また一
切 衆生 に こ の功 徳 をあ た ふ るになる と也。 『一
切善根荘厳浄
土』
といふ は、 阿 弥 陀の三 字に一
切 善 根 をお さ め たまへ る ゆへ に、
名 号 を と なふ るは す な わ ち浄
土を荘厳
す る になる と し るべ し と也。
」
1)と仰せ られてありま すが、
こ の 教 えこ そ 濁 世の迷
妄 を晴
らし、
目的を
失い使命 を忘
れて混
迷を
つ・
“
け る大衆
に、真
に向 うべ き方 向と力とを
与えて 、 真 実 永 遠 なる安ら ぎを与
えて下れ るもの と信 じ、浅学未
信にしてその任 に非 ざる こ と は熟 知 し な が ら も、
こ ・ に発
表し て、
諸 賢の ご賢察
を乞 うも
ので あ り ます 。第
1
章 嘆
仏
銘 文に、
「
即 嘆 仏」
といふ はす なわ ち南 無 阿 弥 陀 仏 をとなふ るは仏 をほ め た て まつ るになる と也、 と仰せ ら れ る。金 光明 経、
讃
歎品 に は、「
我 れ今
、諸
仏 を礼
し讃歎
す るを以 っ て、身
口意の業悉
く皆 清浄
な り。」2 〕 と あ り、 無 上 依経巻 下、讃
歎 品 3 )には 、 も し 人 が囗論して人に勝
っ た と して も、 それ は 世間 的には、 口 は わ ざ わい の も と とい うこ とに なる が、
もし諸 仏如来 を讃 嘆 す れ ば、
こ の語 は 至極 真 実であっ て、
むなしい 思い に自分 を 見 失 う とい うこ と は な く、 わ ざ わい を除 き、
心っ ねに安 らか と なり、
大 般 若 を生 ずる、
とい う。 こ・
で口論 すると は 云っ て も、
勿 論 その主 張 は 単に「
我 を張 る」
態で はな くて、 そ れぞれの理性 に立脚 し ての こ と だ と人は云 うで あろう。 併しE .Fromm
も“
Man
for
himse
]f
”の中で言 及し てい る ように
、 「
人 間の光 栄で あるべ き理 性は ま た そ の 呪誼で も ある」
ので す 。大智
度 論 巻 三 十にも、 「
ひ とびと は醜い 貪 欲、
瞋 恚、
愚 痴の心で み る か ら真
実に讃嘆
す るこ と が で きな い の だが、
智 慧が あ り、
三 毒の煩 悩の薄い 諸 天、
世 人で あって も ま だ 如 実に讃 嘆で き るもの で は な い。 それ は一
切智がない からで あ り、
煩 悩がな く なっ てい ない か らだ。 また声 聞、
縁 覚は三 毒の煩 悩 を尽 くし た と はい っ ても ま だ完全に尽き た とい うわけでは ない し、
真 実の智慧
が ない か ら、
如実 に讃
嘆す るこ と は 不 可 能で ある。 た・
“
仏一
人のみ は、
三毒の煩 悩 を完全 に滅し尽 くし、一
切智
を成 就 し 給 うたの で 、 能 く如実 に讃 嘆で き るのだ。」 4}と あ り ます 。 そし て諭 伽 師 地 論 巻 七 十 四に は、
如 来 を讃 歎 すると、
その功 徳が、
その者
自 身の 利益に な るこ とが説かれて あ るの で あり ます。 5〕46
藤 岡 隆 男仏
を讃嘆
す る と身口意が清浄
とな り、 大 般 若 を生ずるとい う。 ま た 仏 を讃 嘆で き るものは た・
“ 仏一
人のみ とい う 。 而 して念 仏を称
えるこ と はその ま・
嘆 仏になる とい い、 仏を讃
嘆 する とその功 徳 がその者
自身
の利 益になる とい う。 され ば念 仏 者は諸 仏に等
しい という
ことに なる で あ ろ う。 され ば親鷺
聖 人が、 念仏者
は諸 仏に等しい、
と仰せ い ださ れ たのは、 まこ とに故 なきことで はない 。《
諸 仏等
同》
而し て親
鸞
聖人の諸 仏 等 同の思 想は、 『
浄土和讃』
の初 稿 本(
宝 治2
年、
聖 人76
才)
に、
歓 喜 信心無 疑 者おば
與 諸 如 来 等 と と く
大
信心 は仏性
な り仏 性 す なはち如 来 なり 6〕 と あ るの が最 初で
、
これが再 校 本(
建 長7
年
、 聖人83
才 )には、
信
心 よろこぶ その ひと を如 来 と ひ と し と と き た ま ふ
大信心 は 仏 性 なり
仏 性 す なわ ち如来 な り 6〕 となっ て い て、 これ は慶 信 上 書に聖 人 も加
筆
して あ るよ うに、
『
華 厳 経』
の「
此ノ法ヲ聞
テ信心 ヲ 歓喜
シテ疑 ナ キ 者ハ 速二 無 上 道ヲ成 ラム、 諸 ノ如来 ト等シ トナ リ」
の文に よっ てい る 7乏 い う。 み ろ く松 野 純
孝
に よ れ ば、「
弥
勒 等 同」 は建 長7
年 頃よ り高調 さ れ てい た が、
康 元2
年 正 月27
日の 『唯 信 鈔 文 意』 を境
と して、
同年
2
月17
日の『
一
念 多念 文 意』
から大 きく打
ち出
さ れ るよ うになっ た と い う。 そし て また聖 人が「
弥勒
等同」
、「
如 来等
同」
を打 ち 出 し たことの理由の一
つ とし て、
門弟
の ラディカル な行 動の抑 制にあっ たこ とを
挙 げて い る。 8}森
龍
吉は、 聖 人が こ の諸
仏等
同 を その消 息で強 調されたの は、
異 解の問 題で教 団 が動揺
してい た 建 長7
年
で、 教 団の危機
を克
服 する た めの力 点が造 悪 無 碍の 制 誡か ら諸仏等 同の強調 に移
っ たこ とを指滴
9}し、
赤 松 俊 秀10「も そ れ を認め てい る。
大 原
性
実 は、
教 行 信 証の 外、
現 世 利 益 和 讃、
文 類聚
鈔な どにもみ える種
々 の現実 的 利益の中
心 は 正 定聚
の利 益で、
聖 人はこ れ を信の現 益の中
心 と し、
別 に成等 覚とも、
便 同 弥勒
とも、
諸 仏 等同
と も 名づ けら れ たの だ とい う。 併し、 もと よ り現実の「
身」
が等 しい とい うので は な く、 臨 終 捨命
の 夕、
仏の位 を得る人で ある か ら等
しい の で ある、
と して、
末 灯 鈔(
3)
の、
浄土の真
実 信 心の ひ と は、 こ の身こ そあさ ま し き不浄
造悪
の身
なれ ども、
こ こ ろはすでに如来と ひ と し け れ ば、 如釆と ひ と し と ま ふ す こともあ るべ し、
の こ文 を 引 用 してい る 。 u〕而して
「
諸 仏 等同」
が、 radical(
過激 )
な行動
の抑
制 に あっ た とい う考え方につ い て で あ るが、
当時
、 造悪
無 碍とい っ た過激分
子 のあっ たこ と は、 聖 人の こ消
息に よっ て も充 分 うか・
“
い 知るこ と はでき るのであ る。併 し、 如 何に極 悪の者 を 救わんが た めの弥 陀の 本 願よ
、
と聞い たか ら と て、 そ れ だ けの理由で逆
悪
を犯 すこ と が で き よ う筈は ない ので あ る。 それは 歎 異 抄 第 十三章 laに 「され ばと て身にそ なへ ざ らん悪業
は、 よもつ く られ さ ふ らは じ もの を」と あるを引 用 するまで も ない ことで あ ろ う。 そ れに もか・
わらず
造 悪無碍 に走っ たにつ い て は、 何か大きな理 由がな ければ な ら ない と 考え るの は、
私一
人で あ ろう
か 。《
自 我同一
性危
機》
勿 論、 如 何に小さ な罪とい へ ども
、
そ れ は宿業
の 故で ある とい う。併
し ま た環境
に支 配 さ れ るこ とも当 然で、 親 鸞 聖人 も「
悪 を好
む者
に近づ く な」
とい まし め てい るの で、 そ れを
認めてい た と う なづ け よう。『称仏 六 字亅の功徳につ い て の
一
考察47
而 し て親 鷺 聖人は建 保
2
年(
聖人42
才)
以来、
東 国の 人びとに活溌 な布 教を
行ない、
念 仏 がひろ ま るにつ れ て、村
々 の有 力門 弟 を中
心 に数十、
数百の農
民の結合
が生 ま れ た。 そ して その結合
は、
それ ま で一
方的支 配下
に あっ て不可能で あっ た農民相 互の横の組 織づ くりをあ た え た とい うこと で あ る1Stか ら、
こ ・ に在 蒙 農民 に、
所 謂『
自我同
一
性』
が確
立 されてい っ だこ と で あ ろう。併
し一
方に於て、 聖人の教え が農民 に滲
透 し、 彼 らの 問に横の組 織づ くり が でき た こ とに よっ て、 彼らを
支 配し てい た領 家、
地 頭、 名 主、寺
院、 神 社との あい だに妥 協 を許さ ぬ対立 が生 じ、
1Stそ れ がの ちの ち ま で色々 の かた ち で弾
圧を
っ ぐけ たこ と で あ ろ う。法然 上 人行 状
絵
図 第 四 十二 巻leには、「
上 人の歿後
順
徳
院の御 宇建 保
後
堀川院の御宇
貞 応
嘉 禄
四 條 院の御 宇
天 福
延 応た び た び
一
向専 修 停止 の勅
を くだ さ る・
事あ りし か ど も、
厳 制 すた れや す く、
興 行と・
”
まりか た くして 、遺
弟の化 導 都鄙 にあ ま ね く、 念 仏の こ ゑ洋
々 と して耳 にみて り。(中 略 )
爰
に上 野 国よ り登山 し待 ける、
並 榎の 堅 者 定照、 ふ か く上人念 仏の 弘 通 を そ ね み申て、
弾 選 択 といふ破 文 をつ くり て、
隆 寛 律 師の庵にを くるに、
律 師又顕 選 択 とい ふ書 をし る し て これ をこたふ 。(
中略)
定 照い よい よい きどをり て、
こと を山 門にふ れ衆 徒の蜂 起 を す・
め、
貫 首 浄土寺
僧 正 円 基 に うたへ、
奏 聞 をへ て、隆
寛、幸
西 等 を流 刑せ し め、
あま さへ 上 人の大
谷の.
墳墓
を破 却し て、
死 骸 を鴨 河にな がすべ き よ し結 構 す。」
とあり、
また 同 第 四 十 四 巻leにも、 「
並榎
の竪者
定昭
が凶 害によ りて、 山 門に う たへ 、 奏聞 にを
よびて、 上 人の門 徒、国
々へ 配 流せ られ」
たこ と が 記 さ れてい る。ま た
破
邪 顕正抄15)に も、「
在々処 々 に をい て念 仏 者の堂 舎 を破 壊 し、
ことにふ れ お りにつ け て浄 あ と う 土門の行者
を阿黨
す。弥
陀の畫
像、
木 像 をば外 道の形 像 な り とい ひて、
あ しを もてこ れ を蹂 躙し、
真
宗の法 門聖教 をば外 道の所 説 なりと称 して、
つ ば をはい て これを毀 破 す。 あ まさへ 浄土 の本 書 三 部 經以下五祖の 釈 等 数 十 帖 を して、
これ を うばひ と らし めをは り ぬ。(
中
略)
その と きくだ んの諸 ど う そ う 僧 等 人 勢 悪 徒 を 引 卒 して念 仏の行 者の住 宅に発 向 す。(
中
略)
そ の躰
たらく解 脱 幢相
の こ ろもの う へ に はかた じ け なく放逸
の ようひを帯 し、
剃 除 鬚 髪の い た f き のあひ だ に は ほ しい ま・
に邪
見 の か ぶ と を著せ り。 弓 箭 をよこたへ 刀剣 をさ・
げて、 よ そ ほ ひ目を
お ど ろ か し、
高天 に さ け び厚 地 をた たひてこえ み・
に徹 す。 おほ よ そ そ の勢 力大千
界を
ひ・
“
か す。 ほ と ほ と修 羅の軍衆
にす ぎた り。」と、
ら ん す い また「
在 所に発 向し て追出を
い た し、
あ る ひ は住
宅 を破
却 して愁 歎 を く はふ。濫
吹 の はなは だ し き こ と すこ ぶ る 是非に ま ど ふ ものな り。 し かの みな らず、
あ るひは 念 仏 を 行 ずべ か らざる よ し、
起請
り ん し きょ 文を
か・
し めて三塗
の苦 患 を うれへ し め、
あ る ひ は国
中 を追 放 すべ きむ ね綸旨
あり と称して 自 由 虚 た ん ち ょ う ち ゃ く 誕 をか まへ、
あ る ひ は打 擲 刃 傷 を くはへ て面々 に耻 辱 をあ たへ、
ある ひ は 逃脱牢籠
にをよ ん で一一
に山林にま じは ら しむる条、
悪 行の い たり お ほ よ そ常篇
に こえ た り。」と ある。また念 仏 者に対 する弾 圧が はげしくな るにっ れて
、周囲
の人達ばか り でな く、母
姉妹
な どからも 激 しく批 難、
罵 詈 され、
全 く孤
立 無援
の窮
地に陥 らさ れ た者 もい たよ うで ある。
leま た 日蓮は建 長七年
、
念 仏 無 間 地 獄 鈔 ITを書い て、
「
浄
土宗
は、
現在の父たる教主釈 尊に背き、 師匠
で あ る釈
尊に背い て 阿 弥 陀 仏 を信じ たの で 当 然 無間 地 獄に墮つ べ きで ある 。」と、
念 仏 者 をはげ し く批 難 してい るの です。而 して親 鸞聖 人 は
、
称 名に具わ る嘆 仏の 功 徳に よっ て身
口意の業
清浄
とな らせ られ たので しょ う か、
決して荒々 しい 言 葉で応じられ ませんで した。
聖 人は、 「
わ れもひ と も 生死 をは なれ ん ことこ そ諸 仏の御 本 意」
ISで はなかっ た ですか と、
諸 仏の 御 本 意 を明 らか に さ れてい る の です。 勿 論、
清48
藤 岡 隆 男 信 士 度 人經 にも 「棄 恩 入 無 為真
実 報 恩者」
1Stと 明 らか に記 されて い る こ とを
忘れては ならない の であり ます。さらに親 鸞 聖 人の去っ た 関 東の門 弟の間には
、
い ろい ろの異 義が生 じ てい た。 す なわ ち、
歎 異抄
第 十一
章
2 によ る と 、誓
願 不 思 議 を信 じ て念 仏 ま うすの か、 また名号不 思 議を信 じてい る の か と云 い お ど ろか した者がいたこと が 知 られ、 これ は末
灯 鈔(
9
)
21〕によ っ て も うか・
“
い 知 るこ とが で き る のである。 また歎 異 抄 第 十二章
IMによ る と 、 經釈 を
よ み学せ ざる ともが ら は往 生 不 定で あ るとい う 異 義 を称え るもの があっ た こ とが窺わ れ る。 ま た第
十三章
laに は 、 本 願 を信 じ て念 仏 して も、
悪が 止め られない の は「
本 願 ぼこ り」
だとい っ て批 難 する者が あっ たこ と。 さらには、 弥 陀の本
願は極悪
の者 を
助け る本 願 だか ら とい っ て、
殊 更に悪 をっ くっ て往生の業 とすべ し とい う不 心得者
があっ たこと が 知 られ、
これ は末 灯鈔 (
16
)
24、 (
19)
2s、 (
20
)
2e、 御 消 息 集(
5
)
anによっ て も うか f い知 る こ とが で き るので あ る。 ま たこ の逆に、
道 場に「
は りぶ み」 を
し て、 これこれの こ と を 犯し た者 は はい っ ては な ら ない と、
賢 善 精 進ぶる者が あっ た こ とな どが 知 られ るの で あ り ま す。 我国
に伝わ り一
時
盛んで あ っ た戒 律 仏 教 も、
た も ち難い ので次 第に衰えて し まっ たの です が、
法然 上 人の頃か ら そ ろ そ ろ小乗
戒 が ま たは や り出 して、
親 鸞 聖 人の 時 代 よ りその末へ かけて興 隆し、
ま た大 乗 戒 も文永年中
か ら中
興す るよ うになった とい う。
2X これに刺 戟されて賢 善 精 進 を 外に装
う念 仏者
もで・
き たこと で あ ろ う。 また歎
異抄第
14
章
2elによ る と 、 罪 を消 して往 生せん と して念 仏 申 す 異 義が、第
十 五章
29}に よ る と、 煩悩
具足の身
で、
こ の世 で さ とりをひ ら くとい う異 義者
が、第
十六章
30による と 罪 を 犯し たり、 同朋同侶
との間で口論 をし た りした と き は、
必ず
廻 心せ よ と強 調 する異 義 者が、
ま た第 十 七 章31〕に よると 、 辺 地往
生の人 は、 っ い には地 獄に お ちると おどす異 義者
が、
また 第 十八章 によると、
施 入 物の多少 によって 大小 仏に な る と お ど ろかす異 義 者の あっ たこと が 知 られ るの で あ る。 さらに末 灯 鈔 (12
)
3Sによ る と、
念 仏 往生 と信ず
る ひ と は 辺 地の往生 とて き らわ れ ると お ど ろか す異義者
が、 ま た御 消 息 集(1 )
制、(3 )
35)に よると 、一
念 多 念のあ らそい の あっ た こ とを、
また同(
4
)
anに よ る と、 諸 仏、
諸 菩 薩 をかろ しめ、
よ うつの神 祗、 冥道をあ なつ る 人々 の あっ たこ とが 知 られ るの で あ り ま す。大 原
性
実は、 聖人帰 洛後
、 関東
教 団に於け る直 弟 系 (門 徒 系 〉 と血族 系との間 に は暗
黙の 間に熾 烈 な抗 争が あっ た ようで 、 これ は義 絶の消 息の写 し が顕 智によっ てなさ れ、 高田門徒
の教 団に伝え られてい るこ と を もっ て して も うな づ け よ うsn、
と云っ てい る が、
私には、
これ ら異 義 者 間には主導権争
い か ら当 然軋轢葛
藤 が 生 じた で あろ うこと が推
測 さ れ る の である が、
そ れ をさらに最高
調に し た もの が善鸞
の異義で はなかっ たであ ろ うか と思わ れて なら ない。こ の善 鵞の異 義につ いで は
、古写
書 簡(
3
)
3w、
に よっ てみると、
聖人 が夜、 慈 信(
善鸞)
一
人に 教え た 法文があり、 今ま での念 仏は み ない た づ らご と だ と 云っ て、 人 ごと に み なすて し め たとい う こ とで あ る。念 仏
者
に対 する弾 圧のは げしい 当 時、
一
般
社会
に於て自我 同一
性 を確 立、
維 持 するこ とも、 また それを
一
般 社 会か ら保 証されるこ と も不 可能であっ た で あろう。 され ば親 鸞 聖 入は こ消
息(
7
)勒
こ「
さて は念仏のあひだの こ とによ り、 ところ せ き や うにうけ たま はり さ ふ らふ。 かへ すがへ す こ ・ ろ ぐ る しくさふ らふ。」と仰せ られて い る が、 併 し ま た、「(
念 仏)
まふ し た ま ふ ひ と は、 なに か くる しくさ ふ らふべ き 。」と仰 せ ら れて い る ように、
念 仏 し て、
すで に弥 陀 等 同 を自覚してい るもの は と まどうこ と もなかっ た筈
で ある。 ところ が、
信心 な くと も、 た・
“
念 仏者
の 仲間 に入 っ て、
彼 らとの「称 仏六字』の功 徳にっ いて の
一
考察49
間 に自 我 同一
性 を持っ てい た り、
彼 ら か ら そ の保 証 をされてい た で あ ろ う ひ とびと は、一
般 社 会に容
れ ら れ なくとも、
まだ彼 らとの間 にそ れ が維 持されて い たこ とであ ろ う。 然る にその仲 間と思っ て い た者
の中
か ら異 義 者が 生 じ、
その溝 が 深 まる にっ れて、
その 同一
性はもろ くも危 機に さらされ るこ とに なっ たこ とで あろ う。そ れをさらに
一
層 深刻
にし た もの が 善鸞
の異 義で あっ たので は あ る まい か。 ご消 息(
6
)
40tに は、
お ほぶ の中 太 郎の ところにい た 門弟 が 九 十 人 余りもみな 慈 信(
善 鸞)
に走っ た とい う。 また門 弟の中
には親 鸞 聖 人に不信 と憤
りを
感じ た者
も あっ たよ うで、
「親 鸞 も
偏頗
あ るもの と き き そふ ら」
う と あ る。 ま た こ消 息 (7 )
3Slには、 「
奥
郡の ひ とびとの慈 信 坊 にすか さ れて、信心 み な う か れあふ て」
と仰せ られてある。
こ の「
みな うか れ あっ た」
とい うことは、
自分が何 者で あ る か とい うこ と に 関 す る意 識と、
その 主 体 的 感 覚 を 失っ た状態、
即 ち、E .
Erikson
のい う自我同一
性(
Ego
identity
:1が 見 失 わ れ たこ と を意 味して い よ う。 血 脈 文 集(
2
)
2Siにも 同様の こ とが書か れて あ り 、「
こ とに人々 にっ きて、
親 鸞 を もそ らごと ま うし た るもの に な し」
た とあり、
さらにまた哀 愍 房が聖人 から手紙 を もらっ た とい うこ とが、
善 鸞の主張 を裏
づ けて い る と云い ふ らし たので あ ろ う。 古 写 書 簡 (3
) 3S にも哀愍
房のこ の事
件がの っ て い る が、
さらに重 大なこ と は、 善鸞
が自分一
人に夜 父 親 鸞が教え た 法 文 が あると 云 っ たの で、
常 陸、
下 野の人 々が 聖 人に うそい つ わ りを 教 え られ た と憤っ てい るとい う問 題で あ る。地 頭
、
名主の総 領 制的支 配 体 制 下に 強 固 な支 配 を うけてい た41}孤 独で希 望の ない 宿 命 的 な過 去の 生活 を想えば忍従
せね ば ならぬ と す る感 情と、
信 頼 もし敬 慕 もし てい た 聖 人に裏
切 られ た とい’
)憤
怒の 自然 な情 動に身
をゆだ ね よ う とい う欲求
との 両 価 性の 深 刻 な葛 藤 を体 験 し、
そしてその よ う な 同…
性 危 機の中で見 失わ れ た 自分 をと り戻そ う と し た一
部の 者 をし て、
無 意 識 的に造 悪 無 碍 とい う 過激
な行 動に走 らし て しまっ たの では ない であろ うか。
大 原 性 実は
、
法 然 門 下の信 者の中
には、
当時
の社会
状 勢よ り察し て、
社 会に容 れ られ ざ る不 平 分 チ、
或は不良 分 子が か なり多数 混入 してい たこ と が想 像せ ら れ、
か・
る人々 に とっ て吉 水の教 団は 罪の隠 匿 処で あ り、
逃 避 所で もあ り、
彼 らは 念 仏者
の 名に か くれて思 うよ うの振
舞 を なしつ・
あっ たこ とが想 像さ れ、
彼ら不良
の徒
に使 嗾せ られてその仲
間 に入 り、 或は また 浄土門の教 理の寛 容さ に狎れて、 凡人の常習
と し て知らず 識らず 悪に近づ き、
悪 を嗜む者が出
た こと が 知 られ る が、
か く の如 き本 願の真
意 を謬解 し、 念 仏の宗
義に叛け る造 悪 無 碍の徒 輩が真 宗 教 団に も混入 し、
獅 子 身 中 の虫となっ たの で あ ろ う と 云 っ てい る3T。た し かに この よう な人もあっ たで あ ろ う。 交
友
関係
が殊
に思春
期 に あ る者
の 精 神 生活の 充 実に果 す 役 割 はき わ めて重 要で あり、
こ の 関係
を一
歩
誤 る と、 そ れ が非 行へ の原 因と な るこ とが多 L し か しなが ら、
青少年が不 良 仲 間に交友
を 求め る 心 理 には、健
康な 人 間 関係が障害
さ れて い る とこ ろ か ら、
逃 避 的 ない し代 償的に こ れ を求め る傾
向がみ ら れ るの であっ て、 こ の場合
、 不 良 交 友は適 応 障 害の 結果で あっ て、 原因で は ない の で あ る 40 。 如何に極 悪の者 を も漏 ら したまわ ぬ弥 陀の本 願よ と聞か され た とて、
た S”
それ だ け で造 悪無碍に 走 っ た と は と て も考えられ ない ので ある。 た ・“
そ れは自分 を見失っ て犯した過 激 な 行 動の 自 己弁 護 にす ぎ なか っ たので はある まい か。 されば 聖 人は、
余の 人々 を縁と して念 仏 をひ ろ め、
彼 らと同一
i
生を持つ こ とは、
絶 えず 同一
性 危 機 に さ らされる こ と に なる の で ある から、
た・
”
ちに諸 仏、永
遠真
実の弥陀 との同一
性にめ ざ めし め て、
50
藤 岡 隆 男 そこ に永 遠に自 己 を 見 失 うこと の ない主体 的な自己 を 自覚せ しめ て、
不 安 を解 消せ し め ようと さ れ たのではあ るまい か。仏 教に おい て は、
救済
過程にお け る法の能 化 と機の所 化 と を一
応は区
別 する け れ ども、
元来は機
法 等 質、
生 仏 不二 、 み ん な が菩薩
で あっ て、 念 仏を称
えて正 覚 をとる とき、
みん なが仏 と なるので ある。 ティ リッ ヒも、 仏 教 と キ リス ト教
との根本
的 相 違 は 「同一
性」
(
identity)
の原 理と「
参与」
(partic
孟pation)
の原 理の相
違である とい っ て い る43 、 。 即 ち、
諸 仏、
弥 陀と の同一
性 を 己れに自覚
で き た の が、 念 仏者
の 自我 同一
一
性
(諸 仏 等 同、
弥 陀 等 同の 自 覚)
で あろ う。こ ・で
E
.
Erikson
に よ っ て提 唱されたこ の 自我同
一
性(
Ego
identity
)
と は、
一
言でい え ば、
自分が何 者で あるかとい うことに関 する意 識 と、
その主 体 的 な感 覚のこ と である。 これ は、青年
が 成就 しな ければ な ら ない中
心的 仕 事である と考え ら れ る。 すな わ ち彼が かっ てそ うで あり、
ま た現 在 な りつ・
あるもの と、
そ れから彼 が考
えてい る自分 と、社会
が認
め かっ 期待 する 彼 と、
これ らす べ て を総合
し て一
貫
し た自分
自身 を
つ く りあげ
るこ と で ある4e 。G
.
Caplan
は、
「
集 団に所
属して いたいと感
じ、
願 うのは、
そこではリラッ ク ス し た感じをあ じ わ え、安
全とい う気
持 を感
じ得、
信 じている他の 人がい ること で支 え られ、
多 分 もっ とも大
切 なこ と は、
そこで 自我の同一
性にっ い て連 続 的 な保 証が得 ら れるこ と である。
これはNathan
Ackerman
の
The
psychodynamics offamily
life
,1958
.
の中
で言
及さ れて い る。 自我の特殊
な機
能の一
つ は、 そ の人の人 生の中
で お き てい るこ と や、外界
の要求
や圧力、内
的 な衝 動のすべ て を、
その 人の 行 動に独 特 な様 式 を与
え る ようなある一
貫し た機 能の様 式 を生 み だすた めの統 合 作 用で あ り統一
的合
成 で あ る。 それを その人の同一
1
生 と呼ん でい る。 大概の人 は 外 界か らの 自分の 同一
性につ い ての 証 拠 をた えず 得た がっ てい るよ うにみ え る。
こ ・ で人は他 人が自 分が何 者で あるか を知 る が故に、
自 分が何 者で あるかを 知り、
他 人の 自 分に対 する反 応か ら 自分が何 者で あるかをい うこ とが で き る。 し か しこ うし た自 然の状 況 が何かの原 因で混 乱したと き、
見 知 らぬ所
にい っ たと きの よう な“
異 邦 人” 感 情を
もっ の であるが、内
省 してみ る と、 そこ にうっ せ き して い るの は、 自分は何 者で あるの か、
何 をしてい る の か、
何 を すべ き か、
が 不確か で、
何か迷子 に なっ た気
持であ る。 さて この 気 持 は正 常 な徴 候で あ る が、
もし何 回 も そ うした経 験 をしっ ゴ けれ ば、
自分の正常
な心の住
む集 団か ら す っ か り とびだ し て し ま う。
こ うし た人が よ くや ること は、
何 らか の印 象 を 与えるた めに、
他の人 々 に色々 なこ とをするの であ る。」 45)とい う 。福 島 章 も現 代の青
年
の動 機不 明の犯 罪につ い て 、「
現代
の 大き な社会
変 容の中
で、 彼 らの 自 我 同一
性 を確 立 することが困 難 と な り、
その よ う な同一
陸危 機の 中で見 失 なわ れ た “ 自分”を
と りもど そ うとする(
無 意 識 的本 能 的 な運 動 暴 発に類 似 する
)
主 体 的実
存
的 投企で あ る と理解す る ことが で きる。」 4のと云 っ てい る。鈴 木 大 拙の言 葉 をか りる と
、
自我 同・
.
性
と は、「
わ れがひ と で、 ひ と がわ れで あるが、
しか し、
わ れ は わ れ、
ひ と はひ とで あ る。 わ れ は わ れ で、 ひ と は ひ と であっ て、
し か も 自 己 同一
とい う社会
性(
これ が同 朋主義と呼ば れ る 理想像)
」
4nとい うこ とにな る であろ う。 こうした社会
性が異義者
た ち (善 鸞 らを 含め て)
によっ て崩壊
し た とこ ろ に、 同一
性 危 機に お ちい っ た門 弟が あっ たで あろ う こ と は想 像に難 くない であ ろ う。G
.
Caplan
は、 同一
性 危 機に陥
っ た 人に対し て、
その時、
「
君 はこ うい う 人 闇 なの だ と、
その 人 を もとにもど し て あげ な くて は な ら ない 。 こ の こ と は精 神 衛 生的 見 地か ら大切 で ある。
」
45}と云 っ て『称仏 六字 亅の功 徳にっ いての
一
考察51
い る。 され ば 聖 人は彼ら門弟
に 、 念 仏 者 を諸 仏が わ が よ き親 友 ぞと認
めて下さっ てい ること を知 ら しめ、
諸 仏との、 そ して弥陀
との同一
性の自我 を 自覚せ し めよ うと して、
諸 仏 等 同、
弥 陀 等 同 を 強 調され たの で は ない であ ろ うか。造 悪 無 碍 とい っ た過 激 な行 動 は
、
結 果で あっ て原 因で はない 。 勿 論 過 激 な行 動は抑 制さ れねばな ら ない 。併
しそれ だ け で は問 題の解 決に はなら ない 。 さ れ ば聖 人 は その原 因となっ た自我 同一
性危
機の救済
の た めに、 諸 仏 等 同、
弥 陀 等同 を
強 調 し たので あろ う。ま た、
「
いっ たん 自我 同一
性 が形
成さ れ る と、
たとえそ れが如 何よ うな もの で あ れ、
人は そ れを
守
ろ う と し、
そ れが失わ れ ることに対 し て不安 を抱 く よ うに なる。
そ して こ の不安と は、 平た く 云 えば、
自 分がな く なっ て し ま う とい う か、
きず き あ げ た 自 己か ら分離
する とい う不 安で あ る。−
14S
と い う。 さ れば誤
まっ た同一一
1
生 が確立す るの
を防 ぐために、
造悪
無 碍 者に対 して は、「
うや まひて と を ざかれ」
2e と も、
彼 らと 「同 座せ ざれ」
25)とも、
ま た「
なれむつ ぶべ か らず
」2 と も、
彼 らか ら「
っ・
し ん で とをざ か れ、
ちか づ くべ か らず」
2enと も、
聖人 は仰せ ら れ たの で あ りまし ょ う。《
清浄 ・
歓喜 ・
智慧
光》
さらに
、
称 仏六字にそ な わる嘆
仏の功徳 を、
聖 人は讃
阿弥陀
仏 儡 和 讃には次の よ うに詠
っ ていま す。 す なわち、
道 光 明 朗 超
絶
せ り清浄
光 仏と まふすな りひ と たび光 照かふ る もの
業
垢を
の ぞき解 脱 を う慈 光はるかに か ふ らし め
ひ かりのい た るところ に は
法
喜 を
うとそのべ たまふ大 安 慰 を帰 命せよ
無 明の闇 を破 する ゆへ
智
慧
光 仏 と なづ け た り一
切諸 仏 三 乗衆
ともに嘆譽 した まへ り 49〕 と 。
これにっ い て
憬
興は、 阿 弥 陀 如 来因位永劫
の修 行に、
衆 生に代っ て無 貪、
無 瞋、
無 痴の三善
根 を 成 就 し給い 、 この三善 根から清 浄・
歓喜 ・智
慧の三光 を放っ て、
一
切衆
生の 貪・
瞋・
痴の三毒
を対 彳台し糸合 うとい う。50) まこ とに
、
阿
弥
陀 仏の御 名 をき・
歓
喜
讃仰 せ し む れ ば功徳の宝 を具 足 して
一
念 大 利 無 上なり49) で あ り、 心 に信 じH
に称 う る時、
名号に具わ る あら ゆ る功 徳 を ば行者
の身
にたち ま ち具足円 満せ し めるこ と で あ り ましょ う 。 而 し て大 利 無 上 と は、
御 草 稿 御 左訓 に「
ネチハ ンニ イル ヲ タイ リ トイフ ナ リ」 とあっ て、
底 下の凡 夫が臨 終一
念の夕
に無上涅槃
を証
る程の大 利 益はないの で か くい うの で あ る が、
歓 喜 讃 仰せ し む れば と ある の で、
これは主 とし て称名
に具わ る嘆 仏の功徳
で あろ う。以 上 嘆仏の功 徳 を考え る と
、
こ の 世 で諸 仏 等 同(
諸仏 との 自我 同一
性)
を得て、
た とえ思想が混 迷 し、
断絶 化の深 まっ た社 会に於て も 自己を見 失 うこ と な く、
かつ は無 貪・
無 瞋・
無 痴が自然 に恵 与せ られ て、
すでに無上の安 らぎを得、
臨 終一
念の 夕に は無上の涅 槃 を証 ることであ り ま しょう、。第
2
章
懺
悔
「
即戡
悔 」にっ い て銘 文には、
「南 無阿弥陀仏 をと なふ る はす なわち無 始よ りこ の か た の罪業 を 懺 悔 するになる と まふす 也。」
と仰せ られる。52
藤 岡 隆 男禅
祕要
法経には、 「
懺 悔 によって歓喜
を生 じ、身
心軽軟、
心 明朗
と なっ て、
快 楽 常に倍
する」
51} とある が、
これ は 如何な る作
用によるもの で あろ うか。山口益は
、
「
一
般 に懺晦
とは、
原 語の上か ら は、厳密
にはK
§ama(
他 に対 し て謝 罪す る)
と、
五patti−
de
訟 語(
自 己に対 し て罪 を改 悔 する)
との両
語 が ある。 意 味の上 からい って、
『
他に対し て謝 罪 する』
とい う心事
に は、
同 事 に『
自 己に対して罪 を改悔 する』
とい う意 味も あ るべ き で ある、
大
乗 集 菩薩
学 論の 第八章 罪障
清 浄(
p五pa−≦
odhana・
罪障
を 清浄
にするこ と)
品に 『身 体が清浄
に せ られ た る と き は、
その受 用は適 正な るものたるべ し 。 人々 に とっ て食 物が塵芥
の微 塵 も なき よ うに 能 く整へ られ た る と きの如 く』、
『穀物
が雑 草に覆
わ れたる ときに は、 病の た め に衰
弱し て 成長せず.
恰
もその如 く、
仏の萌 芽
も煩 悩に覆わ れ た る と きには成 長せ ず。 身の清浄 と は何か。 罪 と煩 悩 と を清
む ることなり。 それ は等 覚 者の語の義 に従 うこ と に よ りあり。1
」
5M とい う。本
田義英
の研 究に よる と、「
懺悔
の功
徳 として は、古
い 三 曼 颶 陀 羅菩
薩 経 や 四十華厳
で は極 楽 往 生が出されてあ り、普 賢
観 経では普賢
の境
地に至 ることで あると説か れて い る。 懺悔滅
罪が普 賢の行 願に よっ て誓 わ れ、
普 賢がそれの支 配 者で あ り、権
化で ある とい うこ と は、
罪業
の障 ある人 間が普 賢の行 願に よっ て懺 悔せ し め られ、 そ れに よっ て業障
か ら度 脱せ しめ られ る と い うこと である。 そ し てその源を
、 智 慧の文 殊か ら慈 悲の普 賢へ とい う華
厳経の入法 界 品 に おい て み るので ある。 文 殊 の般 若 空 智がその真
義 を成 就 する とい うこ と は、
それ が限
り無き有執
の 世 界 を 対 象と し、 有執
の世 界へ は た らき出
る とい うこと であ る。 それに よっ て有の世界は空ぜ ら れ、
有 執の穢 濁は浄
化せ られ る。 有 執の穢
濁が浄 化せ ら れ る とい うことは、 有執
の凡夫が慈悲 を蒙
むる とい うことで、
般 若 空智
が増 上す る程、
有 執の凡 夫が慈悲
に浴 するこ と 愈々 深 厚 な もの が ある。 訟 とい う。金 光 明 経 懺
悔
品 に は、
「〔
ひ とびと は〕
諸 仏 及 び 父 母の恩 を 識らず、
善 法を解
せ ずし て、
衆 悪 を 造 作 し、
自 ら種姓
及 び 諸の財 宝 をたの み、 盛年放
逸に し て、
諸の悪 行を作
し、
心 に不善
を 念じ、
口 に悪
業 を作 す。 心 の所作
に随い、
その過 を見ず
、 凡夫
愚 行 無知闇覆
に し て悪
友に親 近し、
煩悩
心 を 乱 し、
五欲の因 縁、 心に念 恚 を生じ、
厭 足 を知 らず 、
故 に衆
悪 を作 す。 非 聖 に親 近 し、 因 っ て慳 嫉 を生 じ、
貧 窮の因 縁、
姦 詔に し て悪を作
す。 他 に繋 属せ られ、 常 に怖
畏 あり、
自在 を得ず
して、
而 も諸悪
を造 る。 貪 欲 恚 癡 その心 を擾 動し、渇
愛に逼 られ 衆 悪 を造作
す。 衣 食および女 色に よ り て 諸 結悩
熱し、
衆 悪 を造作
す」と。
され ば 仏は、
「
一
衆
生の為に億劫
に修行 し て無 量 衆 をして苦
海 を 度せ し めん」
との悲 願を
た て られ、
懺 梅の よ く衆
罪 を滅 する法 を説
か れ た。 す なわち 「千劫
に作
る所
の騒 の悪 業 も若 し能 く至 心に ひ とた び舗
す る都 是の如 きの衆
罪悉 く皆
滅 尽 す]
5St と・仏の慈
悲
の願 行 は、
一
衆
生のため に億劫
に修行
し て無 量 衆 をして その罪 業の苦か ら救お うとさ れ るの で ありま す。
こ れ ら を素直
にい た・
“
くな ら、
ば、
す なわ ち等 覚 者の語の義に従 う な らば、た と え億
劫に修 行 するも、
そ れ は全 く一
衆
生のため で あ り、
こ の一
衆生 が救わ れ ねばどうし て無 量の衆生 を 救 うこ と がで き ようか、
との御 旨がい た だか れる ので あ り ます。 こ の仏心 にふ れ、
こ の仏 を 讃 嘆す る とき 「身口意の 業 清 浄となる」で あろうから、
その受用 は適 正 なる もの と な り、
罪 と煩 悩は浄化 せ ら れ、
有 執の穢 濁は浄 化せ られ仏の萌
芽(
ご廻向の こ信心 の発 動 ) をみ るのであります。さ れば 親 鷺 聖人 は
、
「弥 陀五劫思惟の願 をよ くよ く 案ず
れば、
ひ と えに親 鸞一
人 が た め な り け りc!
と の’
懺 悔 と ともに、
「さ ればそ くば くの業
をも ち け る身に てあ り け るを助け ん と お もい た ちた まい け る本 願の か た じ け なさよ。
」
と歓喜
さ れ たこ と で あ り、 これ は善 導の二種 深 信に も 通ずる もの で は ある が、
こ・
に諸 結 悩 熱は皆滅
尽 して「
身心軽 軟、 心 明 朗、
快 楽 常に倍す」る大 慶 喜 を得 るの であ『称 仏六字』の功 徳につ いて の