真
宗
別
途
義
の
研
究
ー
真
言
密
教
と
の
対
比
を
視
座
と
し
て
ー
【
目
次
】
序
章
普
遍
性
と
特
殊
性
九 頁 第 一 節 簡 択 の 論 理 一 一 頁 第 二 節 通 途 と 別 途 二 〇 頁 第 三 節 聖 浄 二 門 の 関 係 三 〇 頁 第 四 節 真 言 密 教 と の 対 比 目 的 三 七 頁第
一
章
教
判
論
四 三 頁 第 一 節 真 言 密 教 と 浄 土 真 宗 の 共 通 性 四 七 頁 第 一 項 万 機 普 益 と 速 疾 成 仏 第 二 項 事 に 究 竟 す る 方 向 性第 二 節 顕 密 二 教 判 と 浄 土 教 五 九 頁 第 一 項 空 海 に よ る 顕 密 二 教 の 分 判 第 二 項 空 海 と 浄 土 教 第 三 節 此 土 入 聖 と 彼 土 得 証 七 四 頁 第 一 項 法 然 に よ る 聖 浄 二 門 の 分 判 第 二 項 此 土 と 彼 土 小 結 真 宗 の 教 判 論 の 特 異 性 八 八 頁
第
二
章
真
理
観
九 七 頁 第 一 節 密 教 の 真 理 観 一 〇 三 頁 第 一 項 密 教 に お け る 究 竟 の 真 理 第 二 項 機 を 絶 す る 法 身 説 法 第 二 節 真 宗 の 真 理 観 一 二 四 頁 第 一 項 真 宗 に お け る 究 竟 の 真 理 第 二 項 機 に 応 ず る 選 択 本 願第 三 項 真 理 性 の 根 拠 小 結 真 宗 の 真 理 観 の 特 異 性 一 四 八 頁
第
三
章
機
法
論
一 五 五 頁 第 一 節 密 教 の 機 法 論 一 五 八 頁 第 一 項 随 機 に つ い て 第 二 項 随 自 意 と 随 他 意 第 三 項 釈 迦 の 随 機 と 法 身 の 自 受 法 楽 第 四 項 空 海 の 機 法 論 の 特 異 性 第 二 節 真 宗 の 機 法 論 ー 法 然 に つ い て ー 一 八 〇 頁 第 一 項 随 機 に つ い て 第 二 項 釈 迦 の 随 機 と 弥 陀 の 本 願 第 三 項 底 下 の 機 に 応 ず る 法 第 四 項 随 自 意 と 随 他 意 第 五 項 法 然 の 機 法 論 の 特 異 性第 三 節 真 宗 の 機 法 論 ー 親 鸞 に つ い て ー 二 一 三 頁 第 一 項 機 に 応 ず る 仏 意 第 二 項 権 実 の 基 準 第 二 項 如 来 廻 向 の 論 理 第 三 項 随 自 意 と 随 他 意 小 結 真 宗 の 機 法 論 の 特 異 性 二 三 九 頁
第
四
章
言
語
観
二 四 九 頁 第 一 節 言 語 即 真 実 二 五 二 頁 第 一 項 名 法 相 即 に 関 す る 問 題 第 二 項 念 仏 と 陀 羅 尼 の 同 異 第 二 節 密 教 の 言 語 論 二 六 四 頁 第 一 項 声 字 実 相 第 二 項 深 秘 の 言 語 第 三 節 真 宗 の 名 号 論 二 七 五 頁第 一 項 『 論 註 』 の 言 語 論 第 二 項 『 選 択 集 』 の 勝 易 二 徳 第 三 項 止 観 と 言 語 第 四 項 選 択 称 名 の 意 義 小 結 真 宗 の 名 号 論 の 特 異 性 三 〇 四 頁
結
章
不
二
而
二
論
三 一 一 頁 第 一 節 不 二 相 即 と 而 二 簡 別 三 一 五 頁 第 一 項 『 肇 論 』 に お け る 即 事 而 真 の 課 題 第 二 項 相 即 と 簡 別 第 三 項 指 方 立 相 の 問 題 第 四 項 能 行 ・ 所 行 の 問 題 第 二 節 密 教 に お け る 不 二 而 二 三 三 八 頁 第 一 項 不 二 の 法 門 第 二 項 修 因 感 果第 三 項 深 秘 の 因 果 第 三 節 真 宗 に お け る 不 二 而 二 三 五 一 頁 第 一 項 真 宗 に お け る 而 二 第 二 項 真 実 の 因 第 三 項 因 の 不 可 得 性
結
論
横
超
の
因
果
三 六 五 頁【
定
本
】
真 宗 系 で は 『 真 宗 聖 教 全 書 』 ( 『 真 聖 全 』 ) を 用 い 、 空 海 の 著 作 は 密 教 文 化 研 究 所 『 定 本 弘 法 大 師 全 集 』 ( 『 定 弘 全 』 ) を 用 い る 。 ま た 書 き 下 し に つ い て は 山 喜 房 仏 書 林 刊 行 『 弘 法 大 師 著 作 全 集 』 な ど を 参 考 と し て い る 。 ま た 他 の 経 論 儀 軌 等 に つ い て は 『 大 正 新 脩 大 蔵 経 』( 『 大 正 』 ) を 用 い る こ と と す る 。【
凡
例
】
① 引 用 文 が 漢 文 の 場 合 、 そ の 後 に 筆 者 に よ る 書 き 下 し を 掲 載 し た 。 ② 頻 繁 に 引 用 す る 典 籍 の 略 称 は 以 下 の よ う に 統 一 し た 。 『 大 正 新 脩 大 蔵 経 』 → 『 大 正 』 『 真 宗 聖 教 全 書 』 → 『 真 聖 全 』 『 定 本 弘 法 大 師 全 集 』 → 『 定 弘 全 』 『 真 宗 全 書 』 → 『 真 全 』 『 真 宗 叢 書 』 → 『 真 叢 』序
章
普
遍
性
と
特
殊
性
序
章
普
遍
性
と
特
殊
性
第
一
節
簡
択
の
論
理
平 安 時 代 末 期 、 法 然 は 「 選 択 本 願 」 を 掲 げ 、 従 前 の 大 小 ・ 権 実 ・ 顕 密 の 法 門 か ら 浄 土 門 を 独 立 さ せ た 。 『 選 択 集 』 本 願 章 に 「 選 択 者 取 捨 義 也 」 と 示 さ れ て い る よ う に 、 「 選 択 」 と い う 言 葉 に は 、 選 取 と 選 捨 の 両 義 が 含 ま れ (1 ) て い る 。 ゆ え に 真 宗 学 に お い て は 従 来 、 「 選 択 」 と 共 に 「 廃 立 」 と い う 表 現 が 、 ほ ぼ 同 義 語 と し て 用 い ら れ て き た 。 真 宗 に お い て 「 廃 立 」 と い う 表 現 は 、 法 然 の 『 選 択 集 』 三 輩 章 に 初 出 す る 。 そ の 名 目 そ の も の は 、 天 台 の 蓮 華 三 喩 の な か の 「 為 実 施 権 」 「 開 権 顕 実 」 「 廃 権 立 実 」 と い う 言 葉 に 由 来 す る も の で あ る が 、 真 宗 で 用 い ら れ て い る 「 廃 立 」 と い う 言 葉 は 、 天 台 流 の 開 会 を 用 い な い 「 取 捨 」 の 義 で あ る と こ ろ に 特 徴 が あ る 。 す な わ ち 、 選 捨 も し く は 廃 捨 と い う 厳 格 な る 簡 び の 立 場 を 顕 示 す る と こ ろ に こ そ 、 法 然 か ら 親 鸞 へ 継 承 さ れ た 浄 土 門 の 特 異 性 が あ っ た と 言 え る 。 こ れ は 貞 慶 が 『 興 福 寺 奏 状 』 の な か で 「 万 善 を 妨 ぐ る 失 」 を 挙 げ て 法 念 門 下 を 批 判 し 、 明 恵 が 『 摧 (2 ) 邪 輪 』 の な か で 「 菩 提 心 を 撥 去 す る 失 」 を 挙 げ て 激 し く 論 難 し た こ と か ら も 明 ら か で あ る 。 ま た 日 蓮 が 北 条 時 頼 ( 3 ) に 上 書 し た 『 立 正 安 国 論 』 の な か で 、 『 選 択 集 』 の 「 捨 ・ 閉 ・ 閣 ・ 抛 」 と い う 四 字 に つ い て 激 し く 批 判 し て い る と こ ろ に も 顕 著 に 表 れ て い る 。 す な わ ち 日 蓮 は 『 立 正 安 国 論 』 に お い て 、後 鳥 羽 院 御 宇 、 有 法 然 作 選 擇 集 矣 。 則 破 一 代 之 聖 教 、 遍 迷 十 方 之 衆 生 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 四 下 頁 ) ( 後 鳥 羽 院 の 御 宇 に 、 法 然 あ り て 『 選 択 集 』 を 作 る 。 す な わ ち 一 代 の 聖 教 を 破 り て 、 遍 く 十 方 の 衆 生 を 迷 わ す 。 ) と 述 べ て 名 指 し で 法 然 の 『 選 択 集 』 を 批 判 し て い る が 、 こ の と き 日 蓮 は 『 選 択 集 』 の な か か ら 「 二 門 章 」 「 二 行 章 」「 念 仏 付 属 章 」「 三 心 章 」 の 文 、 そ し て 結 示 で あ る 「 三 選 の 文 」 を 抄 出 し つ つ 、 法 然 が 説 い て い る 法 義 の い か な る 点 に 、 決 し て 見 過 ご す こ と の 出 来 な い 重 大 な 問 題 が あ る か を 、 具 体 的 に 指 摘 し て い る 。 言 う ま で も な く 日 蓮 の 指 摘 は 激 し い 攻 撃 的 精 神 に よ る も の で あ る 。 し か し こ の 日 蓮 の 指 摘 は 、 法 然 が 掲 げ た 浄 土 門 の 特 異 性 の 所 在 を 示 す も の と も 言 え よ う 。 す な わ ち そ の 論 難 箇 所 に こ そ 、 い か な る 点 で 法 然 の 浄 土 門 が 当 時 の 仏 教 理 解 の 枠 組 み を 逸 脱 し て い た か が 窺 わ れ る の で あ る 。 そ こ で い ま 長 文 に わ た る が 、 日 蓮 が 具 体 的 に 論 難 対 象 と し て 挙 げ た 『 選 択 集 』 の 文 を 『 立 正 安 国 論 』 の 引 文 に よ っ て 確 認 し て お こ う 。 ① 二 門 章 の 文 其 選 択 云 、 道 綽 禅 師 、 立 聖 道 浄 土 二 門 。 而 捨 聖 道 正 帰 浄 土 之 文 。 初 聖 道 門 者 、 就 之 有 二 。 乃 至 準 之 思 之 、 応 存 密 大 及 以 実 大 。 然 則 今 真 言 仏 心 天 台 華 厳 三 論 法 相 地 論 摂 論 、 此 等 八 家 之 意 、 正 在 此 也 。 曇 鸞 法 師 往 生 論 注 云 、 謹 案 龍 樹 菩 薩 十 住 毘 婆 沙 云 、 菩 薩 求 阿 毘 跋 致 有 二 種 道 。 一 者 難 行 道 。 二 者 易 行 道 。 此 中 難 行 道 、 即 是 聖 道 門 也 。 易 行 道 者 、 即 是 浄 土 門 也 。 浄 土 宗 学 者 、 先 須 知 此 旨 。 設 雖 先 学 聖 道 門 人 。 若 於 浄 土 門 有 其 志 者 。 須 棄 聖 道 帰 於 浄 土 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 四 頁 ) そ の 『 選 択 』 に 云 く 、 道 綽 禅 師 、 聖 道 ・ 浄 土 の 二 門 を 立 て て 、 し か も 聖 道 を 捨 て て 正 し く 浄 土 に 帰 す る の 文 。 初
め に 聖 道 門 と は 、 こ れ に 就 い て 二 あ り 。 { 乃 至 } こ れ に 準 じ て こ れ を 思 う に 、 密 大 お よ び 実 大 を 存 す べ し 。 然 れ ば す な わ ち い ま 真 言 ・ 仏 心 ・ 天 台 ・ 華 厳 ・ 三 論 ・ 法 相 ・ 地 論 ・ 摂 論 、 こ れ ら 八 家 の 意 、 ま さ し く 此 れ に あ る な り 。 曇 鸞 法 師 の 『 往 生 論 注 』 に 云 く 、 謹 ん で 龍 樹 菩 薩 の 『 十 住 毘 婆 沙 』 を 案 ず る に 云 く 、 菩 薩 阿 毘 跋 致 を 求 む る に 二 種 の 道 あ り 。 一 に は 難 行 道 。 二 に は 易 行 道 な り 。 こ の な か の 難 行 道 は 、 す な わ ち こ れ 聖 道 門 な り 。 易 行 道 は 、 す な わ ち こ れ 浄 土 門 な り 。 浄 土 宗 の 学 者 、 先 ず す べ か ら く 此 の 旨 を 知 る べ し 。 た と い 先 ず 聖 道 門 を 学 す 人 と い え ど も 、 も し 浄 土 門 に お い て そ の 志 あ れ ば 、 す べ か ら く 聖 道 を 棄 て て 浄 土 に 帰 す べ し 。 ② 二 行 章 の 文 又 云 、 善 導 和 尚 立 正 雑 二 行 、 捨 雑 行 帰 正 行 之 文 。 第 一 読 誦 雑 行 者 、 除 上 観 経 等 往 生 浄 土 経 已 外 、 於 大 小 乗 顕 密 諸 経 受 持 読 誦 、 悉 名 読 誦 雑 行 。 第 三 礼 拝 雑 行 者 、 除 上 礼 拝 弥 陀 已 外 、 於 一 切 諸 仏 菩 薩 等 及 諸 世 天 等 礼 拝 恭 敬 、 悉 名 礼 拝 雑 行 。 私 云 、 見 此 文 、 須 捨 雑 修 專 。 豈 捨 百 即 百 生 專 修 正 行 、 堅 執 千 中 無 一 雑 修 雑 行 乎 。 行 者 能 思 量 之 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 四 頁 ) ま た 云 く 、 善 導 和 尚 正 雑 二 行 を 立 て て 、 雑 行 を 捨 て て 正 行 に 帰 す る の 文 。 第 一 に 読 誦 雑 行 と は 、 上 の 観 経 等 の 往 生 浄 土 の 経 を 除 き て 已 外 、 大 小 乗 顕 密 の 諸 経 に お い て 受 持 読 誦 す る を 、 悉 く 読 誦 雑 行 と 名 づ く 。 第 三 に 礼 拝 雑 行 と は 、 上 の 弥 陀 を 礼 拝 す る を 除 き て 已 外 、 一 切 の 諸 仏 菩 薩 等 お よ び 諸 の 世 天 等 に お い て 礼 拝 恭 敬 す る を 、 悉 く 礼 拝 雑 行 と 名 づ く 。 私 に 云 く 、 こ の 文 を 見 る に 、 す べ か ら く 雑 を 捨 て て 專 を 修 す べ し 。 あ に 百 即 百 生 の 專 修 正 行 を 捨 て て 、 堅 く 千 中 無 一 の 雑 修 雑 行 を 執 せ ん や 。 行 者 よ く こ れ を 思 量 せ よ 。
③ 念 仏 付 属 章 の 文 又 云 、 貞 元 入 蔵 録 中 、 始 自 大 般 若 経 六 百 巻 終 于 法 常 住 経 、 顕 密 大 乗 経 、 総 六 百 三 十 七 部 、 二 千 八 百 八 十 三 巻 也 。 皆 須 摂 読 誦 大 乗 之 一 句 。 当 知 、 随 他 之 前 暫 雖 開 定 散 門 、 随 自 之 後 還 閉 定 散 門 。 一 開 以 後 永 不 閉 者 、 唯 是 念 仏 一 門 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 四 頁 ) 『 貞 元 入 蔵 録 』 の な か に 、『 大 般 若 経 』 六 百 巻 よ り 始 め て 『 法 常 住 経 』 に 終 る ま で 、 顕 密 の 大 乗 経 、 す べ て 六 百 三 十 七 部 二 千 八 百 八 十 三 巻 な り 。 み な す べ か ら く 「 読 誦 大 乗 」 の 一 句 に 摂 す べ し 。 ま さ に 知 る べ し 、 随 他 の 前 に は し ば ら く 定 散 の 門 を 開 く と い え ど も 、 随 自 の 後 に は 還 り て 定 散 の 門 を 閉 づ 。 一 た び 開 き て 以 後 永 く 閉 じ ざ る は 、 た だ こ れ 念 仏 の 一 門 な り 。 ④ 三 心 章 の 文 又 云 、 念 仏 行 者 、 必 可 具 足 三 心 之 文 。 観 無 量 壽 経 云 、 同 経 疏 云 、 問 曰 、 若 有 解 行 不 同 邪 雑 人 等 、 防 外 邪 異 見 之 難 。 或 行 一 分 二 分 群 賊 等 喚 迴 者 、 即 喩 別 解 別 行 悪 見 人 等 。 私 云 、 又 此 中 言 一 切 別 解 別 行 異 学 異 見 等 者 、 是 指 聖 道 門 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 五 頁 ) ま た 云 く 、 念 仏 行 者 、 必 ず 三 心 を 具 足 す べ き の 文 。 『 観 無 量 壽 経 』 に 云 く 、 同 経 の 『 疏 』 に 云 く 、 問 う て 曰 く 、 も し 解 行 不 同 邪 雑 人 等 あ れ ば 、 外 邪 異 見 の 難 を 防 が ん 。「 或 行 一 分 二 分 群 賊 等 喚 迴 」 と は 、 す な わ ち 別 解 ・ 別 行 ・ 悪 見 人 等 に 喩 う 。 私 に 云 く 、 ま た こ の な か に 「 一 切 別 解 別 行 異 学 異 見 」 等 と 言 う は 、 こ れ 聖 道 門 を 指 す 。 ⑤ 三 選 の 文
又 最 後 結 句 文 云 、 夫 速 欲 離 生 死 、 二 種 勝 法 中 、 且 閣 聖 道 門 、 選 入 浄 土 門 。 欲 入 浄 土 門 、 正 雑 二 行 中 、 且 抛 諸 雑 行 、 選 応 帰 正 行 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 五 頁 ) ま た 最 後 の 結 句 の 文 に 云 く 、 そ れ 速 や か に 生 死 を 離 れ ん と 欲 わ ば 、 二 種 の 勝 法 の な か に 、 し ば ら く 聖 道 門 を 閣 き て 、 選 び て 浄 土 門 に 入 れ 。 浄 土 門 に 入 ら ん と 欲 わ ば 、 正 雑 二 行 の な か に 、 し ば ら く 諸 の 雑 行 を 抛 ち て 、 選 び て 正 行 に 帰 す べ し 。 す な わ ち 、 こ れ ら 日 蓮 が 具 体 的 に 列 挙 し た 『 選 択 集 』 の 文 は 、 浄 土 門 と 念 仏 を 勧 め る こ と の み を 示 す も の で は な か っ た 。 日 蓮 が 激 し く 論 難 し た 通 り 、 こ れ ら の 文 に は 、 聖 道 門 を 捨 て 、 諸 行 を 捨 て 、 定 散 諸 行 を 閉 じ 、 聖 道 門 を 閣 き 、 諸 行 を 抛 つ と い う 極 め て 厳 し い 簡 択 の 立 場 が 顕 示 さ れ て い た 。 こ こ に 『 選 択 集 』 の 重 大 な る 問 題 を 読 み 取 っ た 日 蓮 は 、 就 之 見 之 、 引 曇 鸞 道 綽 善 導 之 謬 釈 、 建 聖 道 浄 土 難 行 易 行 之 旨 、 以 法 華 真 言 総 一 代 之 大 乗 六 百 三 十 七 部 二 千 八 百 八 十 三 巻 一 切 諸 仏 菩 薩 及 諸 世 天 等 、 皆 摂 聖 道 難 行 雑 行 等 。 或 捨 、 或 閉 、 或 閣 、 或 抛 。 以 此 四 字 多 迷 一 切 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 四 頁 ) こ れ に つ い て こ れ を 見 る に 、 曇 鸞 ・ 道 綽 ・ 善 導 の 謬 釈 を 引 き て 、 聖 道 ・ 浄 土 、 難 行 ・ 易 行 の 旨 を 建 て 、 法 華 ・ 真 言 、 総 じ て 一 代 の 大 乗 六 百 三 十 七 部 二 千 八 百 八 十 三 巻 、 一 切 諸 仏 菩 薩 お よ び 諸 の 世 天 等 を も っ て 、 み な 聖 道 ・ 難 行 ・ 雑 行 等 に 摂 め 。 或 い は 捨 て 、 或 い は 閉 じ 、 或 い は 閣 き 、 或 い は 抛 つ 。 こ の 四 字 を も っ て 多 く 一 切 を 迷 わ す 。 曇 鸞 道 綽 善 導 既 就 権 忘 実 、 依 先 捨 後 。 未 探 仏 教 淵 底 者 。 就 中 法 然 雖 酌 其 流 、 不 知 其 源 。 所 以 者 何 。 以 大 乗 経
六 百 三 十 七 部 二 千 八 百 八 十 三 巻 、 並 一 切 諸 仏 菩 薩 及 諸 世 天 等 、 置 捨 閉 閣 抛 之 字 、 薄 一 切 衆 生 之 心 。 是 偏 展 私 曲 之 詞 全 不 見 仏 教 之 説 。 忘 語 之 至 、 悪 口 之 科 。 ( 『 大 正 』 八 四 ・ 二 〇 五 頁 ) 曇 鸞 ・ 道 綽 ・ 善 導 す で に 権 に つ き て 実 を 忘 れ 、 先 に 依 り て 後 を 捨 つ 。 い ま だ 仏 教 の 淵 底 を 探 ら ざ る も の な り 。 な か ん ず く 法 然 は そ の 流 を 酌 む と い え ど も 、 そ の 源 を 知 ら ず 。 所 以 は い か ん 。 大 乗 経 六 百 三 十 七 部 二 千 八 百 八 十 三 巻 、 な ら び に 一 切 の 諸 仏 菩 薩 お よ び 諸 世 天 等 を も っ て 、「 捨 ・ 閉 ・ 閣 ・ 抛 」 の 字 に 置 き 、 一 切 衆 生 の 心 を 薄 す 。 こ れ 私 曲 の 詞 を 偏 展 し 、 ま っ た く 仏 教 の 説 を 見 ず 。 忘 語 の 至 、 悪 口 の 科 な り 。 等 と 述 べ 、 法 然 の 『 選 択 集 』 を 「 捨 」 「 閉 」 「 閣 」 「 抛 」 と い う 四 字 に 摂 め て 厳 し く 論 難 し 、 さ ら に は 法 然 が よ り ど こ ろ と し て い る 曇 鸞 ・ 道 綽 ・ 善 導 の 釈 義 ま で も 「 未 レ 探 二 仏 教 淵 底 一 者 」 と し て 批 判 し た の で あ っ た 。「 忘 語 之 至 、 悪 口 之 科 」 と ま で 言 う 日 蓮 の 批 判 は 極 め て 攻 撃 的 な も の で あ っ た が 、 そ れ は 「 選 択 」 「 取 捨 」「 廃 立 」 等 と い う 簡 択 の 論 理 に こ そ 、 法 然 が 掲 げ た 浄 土 門 の 異 常 と も い え る 特 異 性 が あ っ た こ と を 、 的 確 に 見 抜 い た も の で あ っ た と も 言 え よ う 。 こ の よ う な 厳 格 な 簡 び の 論 理 を 有 す る 法 然 の 「 選 択 本 願 の 念 仏 」 は 、 親 鸞 に よ っ て 「 本 願 力 回 向 の 行 信 」 と し て 継 承 さ れ た 。 す な わ ち 親 鸞 は 、 仏 道 の 因 果 を 意 味 す る 「 教 」 「 行 」 「 信 」 「 証 」 の 四 法 す べ て に お い て 、 如 来 廻 向 の 法 の み を 真 実 と し 、 機 受 で あ る 信 を 「 無 疑 」( 離 自 力 心 ) と し て 定 義 し た の で あ っ た 。「 信 」 と 「 証 」 が 直 接 す る 「 教 行 信 証 」 と い う 四 法 の 次 第 に つ い て 、 近 代 真 宗 学 で は 、 一 切 の 機 功 を 許 さ な い 唯 信 独 達 の 法 義 を 顕 す も の と し て 理 解 さ れ て い る 。 無 論 、 そ の 信 す ら も 如 来 回 向 に よ る 他 力 の 信 で あ る 。 こ の よ う な 親 鸞 の 如 来 回 向 の 論
理 は 、 法 然 が 示 し た 浄 土 門 独 自 の 否 定 の 論 理 、 厳 格 な る 簡 び の 立 場 に 徹 し た 結 果 と い え よ う 。 厳 密 に 言 え ば 親 鸞 は 「 廃 立 」 と い う 言 葉 を 一 箇 所 も 用 い て は い な い が 、 法 然 と 親 鸞 の 教 義 に 一 貫 す る 性 格 と し て 、 厳 格 な る 簡 び の 論 理 が あ る こ と は 疑 う 余 地 が な い で あ ろ う 。 そ の 意 味 に お い て 、 従 来 の 真 宗 学 に お い て 往 々 、 「 真 宗 の 要 は 廃 立 に あ る 」 と 言 わ れ 続 け て き た こ と は 、 も っ と も な こ と と 考 え ら れ る 。 し か し そ の 上 で 筆 者 は 、 そ の 真 宗 の 核 と な っ て い る 簡 択 の 論 理 を 正 確 に 理 解 す る こ と は 、 実 は そ れ ほ ど 容 易 な こ と で は な い と 考 え て い る 。 真 宗 特 有 の 簡 択 の 論 理 は 、 教 相 に お い て は 聖 浄 二 門 の 廃 立 と し て 顕 さ れ る 。 し か し 聖 浄 二 門 を 簡 別 し 廃 立 す る と い う こ と は 、 い っ た い 何 を 意 味 し て い る の で あ ろ う か 。 問 題 は そ れ ほ ど 単 純 で は な い 。 ま ず 何 を も っ て 聖 浄 二 門 を 簡 別 す る の か 、 そ し て 聖 道 門 を 廃 す る と は ど う い う 意 味 で あ る の か が 問 題 で あ る 。 浄 土 門 は 聖 道 門 と は ま っ た く 異 な る 法 門 で あ る の か 、 そ れ と も 共 通 す る 面 を 持 ち つ つ も 、 あ る 側 面 に お い て 教 理 を 異 に し て い る の か 。 ま た 「 教 理 を 異 に す る 」 と 言 う も 、 そ れ は ま っ た く 相 容 れ な い 教 理 で あ る と い う 意 味 な の か 、 そ れ と も あ る 局 面 に お い て は 聖 道 門 の 教 理 を 包 摂 す る 立 場 も 考 え 得 る の だ ろ う か 。 近 代 の 真 宗 学 に お い て 聖 浄 二 門 の 異 は 問 う ま で も な い 自 明 の こ と の よ う に も 思 わ れ て き た 。 し か し 聖 浄 二 門 の 簡 別 と い う こ と は 、 実 は 真 宗 の 本 質 に 関 わ る 問 題 で あ る 。 ま た 江 戸 期 以 降 の 真 宗 学 で は 、 教 義 の 学 問 的 研 鑚 が 深 め ら れ た 結 果 、 緻 密 な 教 義 体 系 が 構 築 さ れ て き た 。 し か し そ の 中 に は 、 華 厳 宗 や 天 台 宗 等 の 、 聖 道 諸 宗 で 用 い ら れ て い る 論 理 や 概 念 が 少 な か ら ず 活 用 さ れ て い る 。 ま た 親 鸞 の 著 作 上 に 無 い 概 念 を 新 た に 造 っ て 教 義 体 系 を 構 築 し て い る 面 も あ る 。 無 論 、 い か な る 教 学 に お い て も 絶 対
的 な 表 現 と い う も の は 考 え ら れ な い 。 も と よ り 真 宗 で は 親 鸞 の 上 に も 「 久 遠 実 成 」 「 円 頓 一 乗 」 な ど 、 天 台 に 由 来 す る 用 語 が 見 え 、 ま た 覚 如 ・ 存 覚 ・ 蓮 如 の 上 に も 「 本 師 本 仏 」 、「 願 行 具 足 」 、「 機 法 一 体 」 、「 仏 凡 一 体 」 な ど 、 浄 土 異 流 や 聖 道 門 で 用 い ら れ て い た 表 現 を 換 骨 奪 胎 し て 用 い て い る 場 合 が 少 な く な い 。 真 宗 に お い て は 従 来 「 別 途 不 共 」 と い う 表 現 が し ば し ば 用 い ら れ て き た が 、 他 宗 の 影 響 や 時 代 的 制 約 を 全 く 受 け て い な い 純 粋 培 養 の 論 理 と い う も の は 考 え ら れ な い と 言 え よ う 。 そ れ は 親 鸞 に お い て さ え 例 外 で は な い 。 ゆ え に 真 宗 教 義 を 構 築 す る た め に 、 決 し て 聖 道 諸 宗 の 論 理 や 概 念 を 用 い て な ら な い と い う 理 由 は な い 。 ま た 親 鸞 の 著 作 上 に な い 概 念 を 用 い て は な ら な い わ け で も な い 。 む し ろ 時 代 を 経 る ご と に 、 概 念 は 絶 え ず 再 構 築 さ れ て い く べ き で あ る 。 し か し 論 理 的 整 合 性 が 増 す と い う こ と と 、 そ の 論 理 が 法 義 の 本 質 を 捉 え て い る と い う こ と は 、 決 し て 全 同 で は な い こ と は 十 分 に 注 意 さ れ ね ば な ら な い 。 近 代 の 真 宗 教 学 は 聖 道 諸 宗 の 論 理 を も 活 用 し て 極 め て 緻 密 に 体 系 付 け ら れ 、 論 理 化 さ れ て い る 。 し か し 反 面 に お い て 、 曇 鸞 が 「 非 常 之 言 、 不 レ 入 二 常 人 之 耳 一 」 と 示 す 他 な か っ た 浄 土 門 の 非 常 性 や 、 法 ( 4 ) 然 が 「 選 択 」 を 掲 げ て 余 の 一 切 の 法 門 か ら の 独 立 せ し め 、 親 鸞 が 「 超 二 発 希 有 大 弘 誓 一 」 と 顕 し た 真 宗 の 特 殊 性 が 、 ( 5 ) 反 っ て 見 え 難 く な っ て い る の で は な い だ ろ う か 。 法 然 か ら 親 鸞 へ 継 承 さ れ た 厳 格 な る 簡 び の 論 理 は 何 を 意 味 し て い る の か 、 な ぜ 成 り 立 ち 得 る の か 。 「 選 択 」 と は 何 を 捨 て 何 を 取 る こ と を 意 味 し て い る の か 。 そ の 厳 格 な る 簡 び の 論 理 の 本 質 が 見 失 わ れ る な ら ば 、 様 々 な 概 念 や 論 理 を 用 い て 教 義 が 体 系 付 け ら れ る 反 面 、 真 宗 が 真 宗 で あ り え る 特 殊 性 を み ず か ら 手 放 す お そ れ も あ る だ ろ う 。 こ れ は 従 来 の 真 宗 学 で 多 用 さ れ て き た 「 通 途 」 と 「 別 途 」 と い う 概 念 に 関 す る 問 題 で あ り 、 筆 者 は こ の 聖 浄 二 門 の 間 に お け る 通 途 と 別 途 の 領 域 を 明 ら か に す る こ と こ そ が 、 真
宗 の 本 質 を 捉 え る こ と に な る と 考 え て い る 。 聖 浄 二 門 の 間 に お け る 通 途 と 別 途 の 領 域 が 明 確 に 認 識 さ れ て い な い な ら ば 、 い か に 廃 立 と い う 教 相 を 立 て よ う と も 、 そ れ は 有 名 無 実 と 言 わ ざ る を 得 な い 。 そ し て 真 宗 の 本 質 に 関 わ っ て い る 厳 格 な る 簡 び の 論 理 が 見 失 わ れ る こ と は 、「 選 択 本 願 」 そ の も の を 迷 失 す る こ と に な る で あ ろ う 。
第
二
節
通
途
と
別
途
「 通 途 」 と 「 別 途 」 と い う 概 念 に 関 し て は 、 村 上 速 水 氏 が 「 親 鸞 教 学 に お け る 通 途 と 別 途 」( 原 題 ・ 「 真 宗 別 途 義 の 研 究 」 ) 等 の 論 文 に お い て 、 従 来 の 真 宗 学 に お け る 「 通 途 」「 別 途 」 の 用 例 に つ い て 問 題 点 が 在 る こ と を 示 し 、 特 に 「 別 途 不 共 」 と い う 表 現 が 恣 意 的 に 用 い ら れ る こ と の 危 険 性 を 指 摘 さ れ て い る 。 本 研 究 は こ の 村 上 氏 の 論 考 を 前 提 と し て 論 を 進 め て い る ゆ え に 、 い ま 簡 略 に 氏 の 指 摘 に 依 っ て 「 通 途 」 「 別 途 」 に 関 す る 問 題 点 を 再 確 認 し て お く 。 ま ず 村 上 氏 は 言 葉 そ の も の の 意 味 と し て 、 通 途 と は 「 仏 教 全 体 に 共 通 す る 普 遍 性 」 、 別 途 と は 「 あ る 一 宗 に 限 る 特 殊 性 」 と い う 概 念 で な け れ ば な ら な い と 定 義 し た 上 で 、 従 来 の 真 宗 学 で は そ の よ う に 用 い ら れ て い な い 場 合 が 多 い こ と を 指 摘 さ れ て い る 。 す な わ ち 従 来 の 真 宗 学 に お い て は 、「 通 途 = 聖 道 門 」 「 別 途 = 浄 土 門 」 と い う 意 味 で 用 い ら れ 、 そ の 上 で 聖 道 門 ( = 通 途 ) を 廃 し 、 浄 土 門 ( 別 途 ) が 立 て ら れ て き た 傾 向 が あ る 。 村 上 氏 に よ れ ば 、 こ の よ う な 「 通 途 」「 別 途 」 と い う 概 念 の 用 例 は 覚 如 に 始 ま る と 言 わ れ て い る 。 す な わ ち 覚 如 の 『 口 伝 鈔 』 に は 、 お ほ よ そ 凡 夫 の 報 土 に 入 る こ と を ば 、 諸 宗 ゆ る さ ざ る と こ ろ な り 。 し か る に 浄 土 真 宗 に お い て 善 導 家 の 御 こ こ ろ 、 安 養 浄 土 を ば 報 仏 報 土 と 定 め 、 入 る と こ ろ の 機 を ば さ か り に 凡 夫 と 談 ず 。 こ の こ と 性 相 の 耳 を 驚 か す こ と な り 。 ‥ 中 略 ‥ 聖 道 の 性 相 世 に 流 布 す る を 、 な に と な く 耳 に ふ れ な ら ひ た る ゆ ゑ か 、 お ほ く こ れ にふ せ が れ て 真 宗 別 途 の 他 力 を 疑 ふ こ と 、 か つ は 無 明 に 痴 惑 せ ら れ た る ゆ ゑ な り 、 か つ は 明 師 に あ は ざ る が い た す と こ ろ な り 。 ( 『 真 聖 全 』 三 ・ 一 〇 頁 ) と あ り 、 阿 弥 陀 仏 の 本 願 力 に よ っ て 、 煩 悩 具 足 の 凡 夫 が 初 地 以 上 の 聖 者 の 境 界 で あ る 報 土 に 往 生 で き る と す る 説 、 す な わ ち 善 導 が 示 し た 「 凡 夫 入 報 」 の 論 理 を 以 っ て 、 「 聖 道 の 性 相 」 を 超 え る 「 真 宗 別 途 の 他 力 」 の 法 義 で あ る と し て 示 し て い る 。 ま た 『 改 邪 鈔 』 に お い て は 、 お ほ よ そ 他 力 の 一 門 に お い て は 、 釈 尊 一 代 の 説 教 に い ま だ そ の 例 な き 通 途 の 性 相 を は な れ た る 言 語 道 断 の 不 思 議 な り と い ふ は 、 凡 夫 の 報 土 に 生 る る と い ふ を も つ て な り 。 も し 因 果 相 順 の 理 に ま か せ ば 、 釈 迦 ・ 弥 陀 ・ 諸 仏 の 御 ほ ね を り た る 他 力 の 別 途 む な し く な り ぬ べ し 。 そ の ゆ ゑ は 、 た す け ま し ま さ ん と す る 十 方 衆 生 た る 凡 夫 、 因 果 相 順 の 理 に 封 ぜ ら れ て 、 別 願 所 成 の 報 土 に 凡 夫 生 る べ か ら ざ る ゆ ゑ な り 。( 『 真 聖 全 』 三 ・ 八 三 頁 ) と あ り 、 同 じ く 凡 夫 入 報 を 釈 尊 一 代 の 教 法 と し て の 「 通 途 の 性 相 」「 因 果 相 順 の 理 」 を 超 え 離 れ た 「 他 力 の 別 途 」 と し て 強 調 し て い る 。 こ の よ う な 覚 如 の 「 通 途 」「 別 途 」 の 用 例 に つ い て 村 上 氏 は 、 こ こ で 覚 如 が 用 い て い る 「 別 途 」 と い う 語 は 、 真 宗 教 義 の 特 殊 性 を 示 す も の で あ る 。 と こ ろ が 、 こ こ で 用 い ら れ て い る 「 通 途 」 と い う 語 は 、「 聖 道 の 性 相 」「 通 途 の 性 相 」 と い わ れ て い る こ と か ら す れ ば 、 聖 道 門 を 指 し て い る こ と が 明 ら か で あ る 。 し か し 「 通 途 」 と い う 語 は 聖 道 門 と い う 意 味 な の で あ ろ う か 。 「 別 途 」 が 特 殊 性 を 意 味 す る 語 で あ る な ら ば 、「 通 途 」 は 普 遍 性 を 意 味 す る 語 で な け れ ば な ら な い 。 こ こ で 覚 如 が 「 通 途 」 と い っ て い る も の は 、 言 葉 の 厳 密 な 意 味 か ら す れ ば 、 聖 道 門 の 「 別 途 」 で な け れ ば な ら な い 。
( 『 続 ・ 親 鸞 教 義 の 研 究 』 二 四 〇 頁 ) と 指 摘 さ れ て い る 。 す な わ ち 覚 如 に お い て は 「 通 途 = 聖 道 門 」 と 「 別 途 = 浄 土 門 」 が 対 概 念 と な っ て お り 、 「 通 途 」 と い う 概 念 が 、 諸 宗 に 通 じ る 普 遍 性 の 意 味 と し て 用 い ら れ て い な い 。 村 上 氏 の 言 う 通 り 、 覚 如 の 言 う 「 通 途 」 と は 、 言 葉 の 厳 密 な 意 味 か ら す る と 、 む し ろ 聖 道 の 諸 宗 に お け る 「 別 途 」 の 教 義 を 意 味 し て い る と 言 わ ね ば な ら な い 。 し か し 、 そ れ を あ え て 「 通 途 の 性 相 」 と 表 現 し 、 そ れ ら に 対 し て 真 宗 の 教 義 を 「 他 力 の 別 途 」 と 位 置 づ け た と こ ろ に は 、 覚 如 の 意 図 的 な 概 念 操 作 が 在 る と も 言 え よ う 。 村 上 氏 は 「 通 途 ・ 別 途 」 と い う 表 現 が 覚 如 以 後 の 真 宗 学 者 の 中 で 往 々 、「 聖 道 門 ・ 浄 土 門 」 の 同 義 語 の ご と く 用 い ら れ て き た こ と に つ い て 、 真 宗 の 聖 教 の 中 で 「 真 宗 別 途 」 と い う 語 を は じ め て 用 い た の は 覚 如 で あ る 。 そ し て そ れ 以 後 の 宗 学 者 が こ の 言 葉 を 右 の よ う な 概 念 と し て 使 用 し て き た こ と を 考 え て み る と 、 そ こ に は 聖 道 門 を も っ て 仏 教 の 本 流 と 考 え る 意 識 が あ り 、 そ れ に 対 し て 浄 土 門 乃 至 浄 土 真 宗 の 立 場 を い か に 区 別 し 、 い か に 勝 れ て い る か を 明 ら か に し よ う と し た の が 、 別 途 義 の 強 調 で あ り 、 別 途 不 共 で は な か っ た か と 思 わ れ る 。 ( 『 同 』 一 一 四 頁 ) と 述 べ 、 「 通 途 ・ 別 途 」 を こ の よ う に 用 い て き た 背 景 に は 、 覚 如 以 後 、 聖 道 諸 宗 に 対 し て い か に 真 宗 教 義 の 特 殊 性 と 超 勝 性 を 示 す か と い う 課 題 を 担 っ て き た 真 宗 学 者 の 意 識 が あ る と 指 摘 し て い る 。 無 論 、 村 上 氏 は こ の よ う な 真 宗 学 者 の 教 学 構 築 の 営 み そ の も の を 決 し て 否 定 さ れ て い る の で は な い で あ ろ う 。 し か し 一 方 で 、 従 来 の 真 宗 学 で は 、 別 途 不 共 の 名 の も と に 、 真 宗 教 義 を 仏 教 の 圏 外 に 位 置 づ け る が ご と き 主 張 が ま ま 見 ら れ る 。 こ れ ら の 主 張 を な し た 先 輩 の 意 図 は 、 先 に も 述 べ た よ う に 、 真 宗 教 義 の 超 勝 性 を 闡 揚 し よ う と し た も の
で あ っ て 、 決 し て な み す べ き も の で は な い 。 し か し 、 一 面 そ の 意 図 に 反 し て 、 か え っ て 真 宗 教 義 を お と し め る も の と な っ て し ま う の で は な い で あ ろ う か 。 ( 『 同 』 二 三 七 頁 ) と 述 べ 、「 通 途 = 聖 道 門 」「 別 途 = 浄 土 門 」 と 位 置 づ け て 廃 立 の 教 相 を 立 て る な ら ば 、 真 宗 の 超 勝 性 を 示 さ ん と し た 宗 学 者 の 本 来 の 意 図 に 反 す る 結 果 と な る こ と を 指 摘 さ れ て い る 。 聖 道 門 を 通 途 と し て 廃 し 、 そ れ ら に 別 す る 教 義 と し て 真 宗 を 立 て る な ら ば 、 聖 道 門 と 浄 土 門 の 間 に ま っ た く 接 点 が 無 く な り 、 延 い て は 真 宗 教 義 が 仏 教 で な く な る 危 険 性 す ら 生 ず る か ら で あ る 。 村 上 氏 は こ の よ う な 問 題 意 識 か ら 、 「 通 途 」 と は そ の 言 葉 通 り 、 聖 浄 二 門 に 通 じ る 普 遍 的 教 理 の 意 味 で な け れ ば な ら な い と 定 義 さ れ て い る の で あ る 。 す な わ ち 「 通 途 」 と は 、 「 こ の 点 が 見 落 と さ れ た な ら ば 、 も は や 仏 教 の 圏 外 に 堕 す る 」 も の で あ り 、 「 そ れ を 前 提 と し て 、 成 仏 と い う 目 的 の た め の 各 ( 6 ) 宗 教 義 ( 別 途 義 ) が 構 築 さ れ る 」 ご と き も の で な け れ ば な ら な い 。 こ の 意 味 に お い て 、 真 宗 に お い て 「 別 途 不 共 」 と い う 表 現 に よ っ て い か に 特 殊 性 が 強 調 さ れ る と し て も 、 そ の 「 別 途 」 は 「 通 途 」 を 否 定 す る も の で は な く 、 あ く ま で も 「 通 途 」 を 前 提 と し て 、 そ の 土 台 の 上 に 築 か れ る も の で な け れ ば な ら な い の で あ る 。 右 の よ う な 村 上 氏 の 観 点 は 、 普 遍 的 教 理 ( 通 途 ) に 基 づ き な が ら 、 聖 浄 二 門 が 各 々 に 特 殊 な 教 義 ( 別 途 ) を 築 い て い る と 見 る も の で あ り 、 こ の 立 場 に お い て は 、 「 別 途 」 の 領 域 は 宗 旨 の 数 だ け 存 在 す る 。 そ の 意 味 で 、 一 応 は 聖 道 諸 宗 、 と く に 天 台 ・ 真 言 ・ 華 厳 な ど の 大 乗 実 教 と 浄 土 門 を そ れ ぞ れ 独 立 し た 同 格 の 法 義 と し て 見 る 聖 浄 各 立 の 立 場 で あ り 、 こ れ は 親 鸞 が 『 信 文 類 』 や 『 愚 禿 鈔 』 に 顕 し て い る 二 双 四 重 判 に お け る 、 二 権 二 実 の 相 対 的 仏 教 観 と 言 え よ う 。 す な わ ち 親 鸞 は 『 信 文 類 』 に お い て 、
然 就 菩 提 心 有 二 種 。 一 者 竪 、 二 者 横 。 又 就 竪 復 有 二 種 。 一 者 竪 超 、 二 者 竪 出 。 竪 超 竪 出 明 権 実 顕 蜜 大 小 之 教 。 歴 劫 迂 廻 之 菩 提 心 、 自 力 金 剛 心 、 菩 薩 大 心 也 。 亦 就 横 復 有 二 種 。 一 者 横 超 、 二 者 横 出 。 横 出 者 、 正 雑 定 散 他 力 中 之 自 力 菩 提 心 也 。 横 超 者 、 斯 乃 願 力 廻 向 之 信 楽 、 是 曰 願 作 仏 心 。 願 作 仏 心 即 是 横 大 菩 提 心 、 是 名 横 超 金 剛 心 也 。 横 竪 菩 提 心 、 其 言 一 而 其 心 雖 異 、 入 真 為 正 要 、 真 心 為 根 本 、 邪 雑 為 錯 、 疑 情 為 失 也 。 忻 求 浄 刹 道 俗 、 深 了 知 信 不 具 足 之 金 言 、 永 応 離 聞 不 具 足 之 邪 心 也 。 ( 『 真 聖 全 』 二 ・ 六 八 頁 ) し か る に 菩 提 心 に つ い て 二 種 あ り 。 一 つ に は 竪 、 二 つ に は 横 な り 。 ま た 竪 に つ い て ま た 二 種 あ り 。 一 つ に は 竪 超 、 二 つ に は 竪 出 な り 。 竪 超 ・ 竪 出 は 権 実 ・ 顕 密 ・ 大 小 の 教 に 明 か せ り 。 歴 劫 迂 廻 の 菩 提 心 、 自 力 の 金 剛 心 、 菩 薩 の 大 心 な り 。 ま た 横 に つ い て ま た 二 種 あ り 。 一 つ に は 横 超 、 二 つ に は 横 出 な り 。 横 出 と は 、 正 雑 ・ 定 散 、 他 力 の な か の 自 力 の 菩 提 心 な り 。 横 超 と は 、 こ れ す な は ち 願 力 回 向 の 信 楽 、 こ れ を 願 作 仏 心 と い う 。 願 作 仏 心 す な わ ち こ れ 横 の 大 菩 提 心 な り 。 こ れ を 横 超 の 金 剛 心 と 名 づ く る な り 。 横 竪 の 菩 提 心 、 そ の 言 一 つ に し て そ の 心 異 な り と い え ど も 、 入 真 を 正 要 と す 、 真 心 を 根 本 と す 、 邪 雑 を 錯 と す 、 疑 情 を 失 と す る な り 。 欣 求 浄 刹 の 道 俗 、 深 く 信 不 具 足 の 金 言 を 了 知 し 、 永 く 聞 不 具 足 の 邪 心 を 離 る べ き な り 。 と 顕 し て 、「 横 」「 竪 」「 超 」 「 出 」 と い う 概 念 を 組 み 合 わ せ る こ と に よ っ て 、 ま ず 菩 提 心 に つ い て 四 種 を 分 け て い る 。 そ し て 大 小 ・ 権 実 ・ 顕 密 等 の 聖 道 諸 教 に 説 か れ て い る 菩 提 心 を 「 竪 超 」 「 竪 出 」 の 菩 提 心 と し て 総 じ て 「 歴 劫 迂 廻 之 菩 提 心 」「 自 力 金 剛 心 」「 菩 薩 大 心 」 と し て 位 置 づ け 、 そ れ ら 聖 道 門 の 「 竪 」 の 菩 提 心 に 対 し て 、 浄 土 門 に は 「 横 」 の 菩 提 心 が あ る こ と を 示 し た の で あ る 。 そ し て 、 横 の 菩 提 心 の な か で も 、 第 十 八 願 に 誓 わ れ た 信 楽 を
「 横 超 」 の 大 菩 提 心 と し て 示 し 、 そ れ 以 外 の 正 雑 ・ 定 散 諸 行 に よ る 自 力 の 立 場 で 往 生 を 願 う 心 を 「 横 出 」 の 菩 提 心 と し て 位 置 づ け た の で あ っ た 。こ れ は 菩 提 心 を 否 定 し て い る と し て 法 然 門 下 を 批 判 し た 明 恵 等 の 論 難 に 対 し て 、 浄 土 門 に は 聖 道 門 と は 異 な る 形 で の 他 力 の 菩 提 心 が あ る こ と を 論 証 し た も の で あ っ た と 考 え ら れ る 。 ま た 同 じ く 『 信 文 類 』 に お い て 親 鸞 は 、 善 導 の 『 玄 義 分 』 の 「 横 超 断 四 流 」 と い う 文 を 釈 し て 、 教 法 そ の も の に つ い て 「 横 」 「 竪 」「 超 」「 出 」 の 分 類 を 行 っ て い る 。 言 横 超 断 四 流 者 、 横 超 者 、 横 者 対 竪 超 竪 出 、 超 者 対 迂 対 廻 之 言 。 竪 超 者 、 大 乗 真 実 之 教 也 。 竪 出 者 、 大 乗 権 方 便 之 教 、 二 乗 三 乗 迂 廻 之 教 也 。 横 超 者 、 即 願 成 就 一 実 円 満 之 真 教 、 真 宗 是 也 。 亦 復 有 横 出 、 即 三 輩 九 品 定 散 之 教 、 化 土 懈 慢 迂 廻 之 善 也 。 大 願 清 浄 報 土 、 不 云 品 位 階 次 、 一 念 須 臾 頃 、 速 疾 超 証 無 上 正 真 道 。 故 曰 横 超 也 。 ( 『 真 聖 全 』 二 ・ 七 三 頁 ) 「 横 超 断 四 流 」 と 言 う は 、 横 超 と は 、 横 は 竪 超 ・ 竪 出 に 対 す 、 超 は 迂 に 対 し 回 に 対 す る の 言 な り 。 竪 超 と は 大 乗 真 実 の 教 な り 。 竪 出 と は 大 乗 権 方 便 の 教 、 二 乗 ・ 三 乗 迂 廻 の 教 な り 。 横 超 と は 、 す な わ ち 願 成 就 一 実 円 満 の 真 教 、 真 宗 こ れ な り 。 ま た 横 出 あ り 、 す な わ ち 三 輩 ・ 九 品 、 定 散 の 教 、 化 土 ・ 懈 慢 、 迂 廻 の 善 な り 。 大 願 清 浄 の 報 土 に は 品 位 階 次 を 云 わ ず 、 一 念 須 臾 の 頃 に 、 速 や か に 疾 く 無 上 正 真 道 を 超 証 す 、 ゆ え に 横 超 と 曰 う な り 。 す な わ ち 親 鸞 は 、 一 切 の 法 門 を 「 竪 超 」 「 竪 出 」 「 横 超 」 「 横 出 」 の 四 種 で 分 類 し た の で あ る 。 華 厳 ・ 天 台 ・ 真 言 等 、 速 疾 成 仏 を 説 く 大 乗 実 教 を 「 竪 超 」 と し 、 法 相 等 の 歴 劫 迂 廻 の 修 道 を 説 く 二 乗 ・ 三 乗 の 教 法 を 「 竪 出 」 と し 、 そ れ ら 「 竪 」 の 法 門 に 対 し て 、 浄 土 門 の 法 義 を 「 横 」 の 法 門 と し て 位 置 づ け た の で あ っ た 。 そ し て 浄 土 門 の
な か の 真 実 義 を 「 願 成 就 一 実 円 満 之 真 教 」 と 顕 し て 「 横 超 」 と 位 置 づ け 、 そ れ は 一 切 衆 生 が 品 位 階 次 を 超 越 し て 、 臨 終 の 一 念 に 速 疾 平 等 に 無 上 の 悟 り を 実 現 す る 法 門 で あ る と 示 し た の で あ っ た 。 ま た 浄 土 門 内 で 三 輩 ・ 九 品 の 往 生 の 差 別 を 説 く も の は 、 「 化 土 懈 慢 、 迂 廻 之 善 」 で あ り 、 そ れ ら は 「 横 出 」 と し て 位 置 づ け ら れ て い る 。 こ れ が い わ ゆ る 二 双 四 重 の 教 判 と 呼 ば れ る も の で あ る が 、 こ の 立 場 に お い て は 、 聖 道 門 と 浄 土 門 そ れ ぞ れ に 真 実 の 教 法 と 権 仮 の 教 法 が 立 て ら れ て い る 。 ゆ え に 従 来 、 二 権 二 実 の 相 対 的 教 判 で あ る と 言 わ れ て い る の で あ る 。 各 宗 が そ れ ぞ れ 普 遍 的 教 義 ( 通 途 ) の 上 に 特 殊 な 教 義 ( 別 途 ) を 築 い て い る と い う 村 上 氏 の 説 は 、 こ の 二 双 四 重 判 に 見 ら れ る よ う な 二 権 二 実 の 相 対 的 立 場 を 意 識 さ れ て の も の で あ ろ う 。 村 上 氏 は 右 の よ う に 、 一 応 は 「 通 途 」 を 諸 宗 に 通 じ る 普 遍 性 と し 、 「 別 途 」 を 各 宗 の 特 殊 性 と 位 置 づ け て い る が 、 結 論 的 に は 、 親 鸞 に は そ の 究 竟 の 立 場 と し て 、 各 宗 の 「 別 途 」 を も 包 摂 す る 立 場 が あ る と さ れ て い る 。 す な わ ち 親 鸞 に は 従 来 指 摘 さ れ る よ う に 、 聖 浄 二 門 を 同 格 に 扱 う 相 対 的 教 判 が あ る と 同 時 に 、 浄 土 の 法 門 に 余 の 一 切 の 法 門 を 包 摂 す る 絶 対 的 教 判 が あ る 。 親 鸞 に お け る 浄 土 真 宗 は 、 一 面 に お い て 聖 道 門 と 相 対 す る も の で あ る が 、 し か も 聖 道 門 を 包 摂 す る 浄 土 真 宗 で あ る 。 い い か え れ ば 、 仏 教 に 聖 浄 二 門 あ る 中 の 一 つ と し て の 浄 土 真 宗 で は な く 、 浄 土 真 宗 こ そ が 仏 教 な の で あ る 。 ( 『 続 ・ 親 鸞 教 義 の 研 究 』 一 五 七 頁 ) と 村 上 氏 が 述 べ て い る 通 り 、 親 鸞 に と っ て 浄 土 の 真 宗 と は 、 究 極 的 に は 、 自 ら の 教 理 体 系 の 中 に 全 仏 教 を 包 摂 す る も の で あ り 、 こ の 「 浄 土 真 宗 」 と い う 立 場 に 立 つ と き に 、 一 切 の 仏 説 、 諸 宗 の 法 門 す べ て が 自 ら の 仏 道 の 内 景
と し て 位 置 づ け ら れ て く る よ う な 法 義 で あ っ た と 言 え よ う 。 言 う ま で も な く 、 こ れ は 親 鸞 が 『 行 文 類 』 一 乗 解 釈 に お い て 、 言 一 乗 海 者 、 一 乗 者 大 乗 。 大 乗 者 仏 乗 。 得 一 乗 者 、 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 。 阿 耨 菩 提 者 即 是 涅 槃 界 。 涅 槃 界 者 即 是 究 竟 法 身 。 得 究 竟 法 身 者 、 則 究 竟 一 乗 。 無 異 如 来 、 無 異 法 身 。 如 来 即 法 身 。 究 竟 一 乗 者 、 即 是 無 辺 不 断 。 大 乗 無 有 二 乗 三 乗 。 二 乗 三 乗 者 入 於 一 乗 。 一 乗 者 即 第 一 義 乗 。 唯 是 誓 願 一 仏 乗 也 。 ( 『 真 聖 全 』 二 ・ 三 八 頁 ) 一 乗 海 と 言 う は 、 一 乗 は 大 乗 な り 。 大 乗 は 仏 乗 な り 。 一 乗 を 得 る は 、 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 を 得 る な り 。 阿 耨 菩 提 は す な わ ち こ れ 涅 槃 界 な り 。 涅 槃 界 は す な わ ち こ れ 究 竟 法 身 な り 。 究 竟 法 身 を 得 る は 、 す な わ ち 一 乗 を 究 竟 す る な り 。 異 の 如 来 ま し ま さ ず 、 異 の 法 身 ま し ま さ ず 。 如 来 は す な わ ち 法 身 な り 。 一 乗 を 究 竟 す る は 、 す な わ ち こ れ 無 辺 不 断 な り 。 大 乗 は 二 乗 三 乗 あ る こ と な し 。 二 乗 三 乗 は 一 乗 に 入 ら し め ん と な り 。 一 乗 は す な わ ち 第 一 義 乗 な り 。 た だ こ れ 誓 願 一 仏 乗 な り 。 と 顕 し 、 「 誓 願 一 仏 乗 」 と い う 観 点 よ り 釈 尊 一 代 の 仏 教 を 統 摂 し た 立 場 で あ る 。 ま た 同 様 の 絶 対 的 教 判 は 『 化 身 土 文 類 』 に お い て も 次 の よ う に 見 ら れ る 。 凡 就 一 代 教 、 於 此 界 中 入 聖 得 果 、 名 聖 道 門 、 云 難 行 道 。 就 此 門 中 、 有 大 小 、 漸 頓 、 一 乗 二 乗 三 乗 、 権 実 、 顕 蜜 、 竪 出 竪 超 。 則 是 自 力 、 利 他 教 化 地 、 方 便 権 門 之 道 路 也 。 於 安 養 浄 刹 入 聖 証 果 、 名 浄 土 門 、 云 易 行 道 。 就 此 門 中 、 有 横 出 横 超 、 仮 真 、 漸 頓 、 助 正 雑 行 、 雑 修 専 修 也 。 正 者 五 種 正 行 也 。 助 者 除 名 号 已 外 五 種 是 也 。 雑
行 者 、 除 正 助 已 外 悉 名 雑 行 。 此 乃 横 出 漸 教 、 定 散 三 福 、 三 輩 九 品 、 自 力 仮 門 也 。 ( 『 真 聖 全 』 二 ・ 一 五 四 頁 ) お お よ そ 一 代 の 教 に つ い て 、 此 の 界 の 中 に し て 入 聖 得 果 す る を 聖 道 門 と 名 づ く 、 難 行 道 と 云 え り 。 こ の 門 の 中 に つ い て 、 大 ・ 小 、 漸 ・ 頓 、 一 乗 ・ 二 乗 ・ 三 乗 、 権 ・ 実 、 顕 ・ 密 、 竪 出 ・ 竪 超 あ り 。 す な わ ち こ れ 自 力 、 利 他 教 化 地 、 方 便 権 門 の 道 路 な り 。 安 養 浄 刹 に し て 入 聖 証 果 す る を 浄 土 門 と 名 づ く 、 易 行 道 と 云 え り 。 こ の 門 の な か に つ い て 、 横 出 ・ 横 超 、 仮 ・ 真 、 漸 ・ 頓 、 助 正 ・ 雑 行 、 雑 修 ・ 専 修 あ る な り 。 正 と は 五 種 の 正 行 な り 。 助 と は 名 号 を 除 き て 以 外 の 五 種 こ れ な り 。 雑 行 と は 、 正 助 を 除 き て 以 外 を 悉 く 雑 行 と 名 づ く 。 こ れ す な わ ち 横 出 ・ 漸 教 、 定 散 ・ 三 福 、 三 輩 ・ 九 品 、 自 力 仮 門 な り 。 す な わ ち 、 こ こ で 親 鸞 は ま ず 釈 尊 一 代 の 教 法 を 通 判 し つ つ 、 大 小 ・ 権 実 ・ 顕 密 等 の 教 法 を 此 土 入 聖 の 法 門 と し て 位 置 づ け て い る 。 そ の な か に は 一 応 、 権 教 と 実 教 が あ る と 示 さ れ て は い る が 、 結 論 的 に は そ れ ら す べ て の 法 門 を 「 方 便 権 門 之 道 路 」 と し て 位 置 づ け て い る 。 そ し て 、 そ れ ら 此 土 入 聖 の 方 便 権 門 に 対 し て 、 彼 土 得 証 の 浄 土 門 を 立 て て い る が 、 そ の な か で も 本 願 の 名 号 を 除 く 一 切 の 行 法 を な お 「 自 力 仮 門 」 と し て い る 。 そ し て 結 論 と し て 、 横 超 者 、 憶 念 本 願 離 自 力 之 心 、 是 名 横 超 他 力 也 。 斯 即 専 中 之 専 、 頓 中 之 頓 、 真 中 之 真 、 乗 中 之 一 乗 、 斯 乃 真 宗 也 。 ( 『 真 聖 全 』 二 ・ 一 五 五 頁 ) 横 超 と は 、 本 願 を 憶 念 し て 自 力 の 心 を 離 る 、 こ れ を 横 超 他 力 と 名 づ く る な り 。 こ れ す な わ ち 専 の 中 の 専 、 頓 の 中 の 頓 、 真 の 中 の 真 、 乗 の 中 の 一 乗 な り 。 こ れ す な わ ち 真 宗 な り 。 と 顕 し 、 横 超 他 力 の 法 門 こ そ が 「 真 宗 」 で あ り 、 こ の 法 門 こ そ が 真 実 の 法 門 で あ る と 示 し て い る 。 こ れ も 絶 対 的
教 判 に 立 つ も の と 言 え よ う 。 こ れ ら は 浄 土 の 真 宗 を 唯 一 無 二 の 真 実 法 と 位 置 づ け 、 余 の 一 切 の 法 門 を 真 宗 に 導 く た め の 権 仮 方 便 の 法 門 と し て 位 置 づ け る 立 場 で あ る 。 ゆ え に 従 来 、 三 権 一 実 の 教 判 と 言 わ れ て い る 。 こ こ に 至 っ て は 、 聖 浄 二 門 は も は や 同 格 と は 呼 べ な い 。 こ の 立 場 で は 、 真 宗 の 「 別 途 」 は 、 聖 浄 二 門 に 通 じ る 「 通 途 」 の 領 域 は も と よ り 、 各 宗 の 「 別 途 」 を も す べ て 包 摂 す る 教 義 体 系 と し て 考 え な け れ ば な ら な い 。 ゆ え に 各 宗 の 「 別 途 」 も 「 別 途 」 と し て の 立 場 を 保 ち 得 な い こ と に な る 。 「 別 途 」 と は 、 あ る 一 宗 に 限 ら れ た 特 殊 性 を 意 味 す る 概 念 だ か ら で あ る 。 親 鸞 が 「 大 乗 無 レ 有 二 二 乗 三 乗 一 」 と し て 誓 願 一 仏 乗 を 立 て 、 聖 道 諸 宗 す べ て の 教 理 を 真 宗 に 包 摂 す る と き 、 仏 教 と は 真 宗 で あ り 、 真 宗 こ そ が 仏 教 で あ る と い う こ と に な る 。
第
三
節
聖
浄
二
門
の
関
係
右 の よ う に 村 上 氏 の 論 考 に 基 づ い て 聖 浄 二 門 に お け る 通 途 と 別 途 の 関 係 を 再 確 認 し て み た の で あ る が 、「 通 途 」 と 「 別 途 」 と い う 概 念 の 意 味 す る 範 囲 は 必 ず し も 一 様 で は な く 、 そ の 言 葉 が 用 い ら れ る 局 面 ご と に 、 そ の 意 味 は 異 っ て い る と 言 え よ う 。そ こ で 通 別 と い う こ と に 関 し て 聖 浄 二 門 の 間 で 考 え 得 る 関 係 性 を す べ て 列 挙 し て み る と 、 両 者 の 教 義 に は 、 A 「 聖 道 門 に あ っ て 浄 土 門 に 無 い 教 義 」 B 「 浄 土 門 に あ っ て 聖 道 門 に 無 い 教 義 」 C 「 聖 浄 二 門 に 通 じ る 教 義 」 D 「 聖 浄 二 門 の ど ち ら に も 無 い 教 義 」 の 四 通 り の 領 域 が 考 え ら れ る 。 D は 仏 教 の 圏 外 ゆ え に 今 の 問 題 と は な ら な い が 、 A B C の い ず れ の 領 域 で 「 通 途 」 「 別 途 」 を 用 い て い る か に よ っ て 、 聖 浄 二 門 の 廃 立 と い う こ と も 意 味 が 異 な っ て く る 。 そ こ で い ま 粗 雑 で は あ る が 、 聖 浄 二 門 に お い て 考 え 得 る 「 通 途 」「 別 途 」 の 在 り 方 を 図 示 し て み る と 、「 通 途 」 と 「 別 途 」 の 位 置 づ け に お い て は 、 少 な く と も 三 種 の 立 場 が 考 え ら れ る 。 ま ず 「 通 途 = 聖 道 門 」 「 別 途 = 浄 土 門 」 と 位 置 づ け て 廃 立 の 教 相 を た て 、 極 度 に 「 別 途 不 共 」 を 強 調 す る 立 場で あ る 。 こ れ は 覚 如 以 後 の 真 宗 学 に お い て 往 々 に 見 ら れ て き た も の で あ る が 、 仮 に 図 示 す れ ば 左 図 [ 1 ‐ 1 ] の ご と き も の と な る で あ ろ う 。 ( ※ 無 論 、 覚 如 以 後 の す べ て の 真 宗 学 者 が こ の 立 場 を 取 っ た と 言 う わ け で は な い ) [ 図 1 ‐ 1 ] [ 図 1 ‐ 2 ] [ 浄 土 ] 別 [ 浄 土 ] 別 鹸 [ 聖 道 ] 通 [ 聖 道 ] 通 ( 鹸 = 空 集 合 ) 村 上 氏 が 指 摘 す る 通 り 、 こ の よ う に 聖 道 門 と 浄 土 門 を 分 け て 通 途 と 別 途 に つ い て 廃 立 を か け る な ら ば 、 少 な く と も 表 現 上 は 、 聖 浄 二 門 に 共 通 す る 領 域 は ま っ た く 存 在 し な い こ と に な る 。 「 領 域 が 存 在 し な い 」 と い う 関 係 を 空 集 合 ( 鹸 ) と し て 正 確 に 図 示 す れ ば 、 [ 図 1 ‐ 2 ] の よ う に も 描 け る 。 こ の 立 場 に お い て は 、 「 別 途 不 共 」 と い う 表 現 に よ っ て 聖 道 諸 宗 に 対 す る 浄 土 門 の 特 殊 性 ・ 超 勝 性 は 強 く 打 ち 出 す こ と が で き る が 、 反 面 に お い て 聖 浄 二 門 に 通 じ る 普 遍 性 が 看 過 ( 鹸 ) さ れ 、 さ ら に 浄 土 門 は 「 通 途 」 の 圏 外 に 置 か れ る こ と に な る ゆ え に 、 浄 土 門 が 仏 教 で な く な る 危 険 性 す ら あ る と 考 え ら れ る 。
次 に 村 上 氏 が 再 定 義 さ れ た よ う に 、 「 通 途 」 を 「 聖 浄 二 門 に 通 じ る 普 遍 性 」 の 意 味 と し て 聖 浄 二 門 の 関 係 を 位 置 づ け る な ら ば 、 特 殊 性 を 意 味 す る 「 別 途 」 の 領 域 は 聖 浄 二 門 そ れ ぞ れ に 存 在 す る こ と と な る ゆ え に 、 図 示 す れ ば 左 図 [ 2 ‐ 1 ] の ご と き も の と な る で あ ろ う 。 さ ら に こ の 立 場 に お い て は 、 天 台 ・ 真 言 ・ 華 厳 等 の す べ て の 宗 旨 に 各 々 の 「 別 途 」 が あ る こ と と な る 。 ゆ え に 詳 細 に 描 け ば [ 図 2 ‐ 2 ] の よ う な 関 係 と な る で あ ろ う 。 [ 図 2 ‐ 1 ] [ 図 2 ‐ 2 ] [ 浄 土 ] 別 [ 真 言 ] [ 浄 土 ] 別 通 別 通 別 [ 聖 道 ] 別 [ 天 台 ] ( 別 途 は 諸 宗 各 立 ) こ の 立 場 は 、 親 鸞 が 二 双 四 重 判 と し て 顕 し た 相 対 的 仏 教 観 と 言 え る 。 村 上 氏 の 論 考 に よ れ ば 、 真 宗 の 学 派 に は 「 真 宗 が 仏 教 と し て い か に 普 遍 性 を 持 ち え る か 」 を 重 ん じ て 教 義 解 釈 す る 通 途 的 立 場 と 、 「 真 宗 が 諸 宗 に 対 し て い か に 特 殊 性 を 持 ち え る か 」 と い う 別 途 的 立 場 が あ り 、 前 者 の 代 表 と し て 石 泉 学 派 、 後 者 の 代 表 と し て 空 華 学 派 が 挙 げ ら れ て い る 。 聖 浄 起 化 の 本 源 と し て 本 具 仏 性 、 生 仏 不 二 の 理 を 認 め る 石 泉 学 派 は 、 [ 図 2 ‐ 1 ] [ 図 2 ‐ 2 ]
の よ う な 相 対 的 立 場 を 重 ん ず る も の と 言 え よ う 。 ま た 一 方 で 村 上 氏 は 、 本 具 仏 性 否 定 説 や 生 仏 異 質 説 が 見 ら れ る 空 華 学 派 に お い て は 、 真 宗 が 仏 教 の 圏 外 に 置 か れ る 危 険 性 が あ る と 指 摘 さ れ て い る 。 こ れ は 空 華 学 派 の 主 張 を [ 図 1 ] の よ う な 立 場 と し て 見 た と き に 、 別 途 不 共 を 強 調 す る あ ま り に 仏 教 と し て の 普 遍 性 ( 通 途 ) ま で 否 定 さ れ る 危 険 性 を 指 摘 さ れ た も の と 考 え ら れ よ う 。 最 後 に 、 親 鸞 が 『 行 文 類 』 一 乗 解 釈 に 「 「 大 乗 無 レ 有 二 二 乗 三 乗 一 。 二 乗 三 乗 者 入 レ 於 二 一 乗 一 」 と 示 し た 「 誓 願 一 仏 乗 」 と い う 絶 対 的 教 判 に よ れ ば 、 左 図 [ 3 ‐ 1 ] の よ う に 描 け る で あ ろ う 。 [ 図 3 ‐ 1 ] [ 図 3 ‐ 2 ] [ 浄 土 ] 別 [ 浄 土 ] 別 通 通 [ 聖 道 ] [ 聖 道 ] 鹸 ( 鹸 = 空 集 合 ) こ の 立 場 に お い て は 、 聖 道 諸 宗 の 教 理 は す べ て 、 誓 願 一 仏 乗 と い う 唯 一 の 法 門 に 帰 入 せ し め る た め の 「 方 便 権 門 之 道 路 」 と な り 、 浄 土 門 の な か に 位 置 づ け ら れ る こ と に な る 。 ゆ え に 浄 土 門 の 域 外 に 別 立 す る よ う な 法 門 は 存
在 し な い こ と に な る 。 す な わ ち 、 浄 土 門 に よ っ て 大 小 ・ 権 実 ・ 顕 密 の 聖 道 諸 宗 の 教 理 は す べ て 包 摂 さ れ る の で あ り 、 こ れ が 親 鸞 に お け る 究 竟 の 立 場 と 言 え よ う 。 こ れ を 包 摂 関 係 と し て 図 示 し 直 せ ば 、 [ 図 3 ‐ 2 ] の よ う に 描 け る で あ ろ う 。 こ の 絶 対 的 立 場 に ま で 到 る な ら ば 、「 通 途 = 聖 道 門 」「 別 途 = 浄 土 門 」 と 見 る こ と も 可 能 で あ り 、 こ こ で は [ 図 1 ] の 立 場 で 生 じ た 「 真 宗 が 仏 教 で な く な る 危 険 性 」 は 生 じ な い 。 ( ※ た だ し こ の 場 合 の 「 通 途 」 は 、 諸 宗 に 通 じ る 普 遍 性 で は な く 、 諸 宗 い ず れ か の 教 義 に 通 じ る 領 域 と い う 意 味 で あ る ) こ の 立 場 に お い て は 、 聖 道 門 ( 通 途 ) を 廃 す る と い う こ と は 単 な る 否 定 で は な く 、 そ の 教 理 す べ て を 克 服 し 、 超 越 す る こ と を 意 味 し て い る か ら で あ る 。 こ の 意 味 に お い て 、 「 廃 立 」 と い う 言 葉 で は こ の 立 場 に お け る 聖 道 門 と 浄 土 門 の 関 係 を 表 し き る こ と は で き な い 。「 廃 立 」 と い う 概 念 に は 否 定 の 意 味 し か な い か ら で あ る 。 親 鸞 が 「 廃 立 」 と い う 表 現 を 用 い て い な い 理 由 も こ の あ た り に 存 す る か と 思 わ れ る 。 ま た 村 上 氏 が 「 別 途 的 立 場 」 と 位 置 づ け る 空 華 学 派 の 主 張 も 、 こ の [ 図 3 ] の よ う な 包 摂 的 立 場 と し て 理 解 す る な ら ば 、 真 宗 が 仏 教 の 圏 外 に 置 か れ る 危 険 性 は な い と 言 え よ う 。 問 題 の 本 質 は 「 否 定 す る 」 こ と と 「 包 摂 す る 」 と い う こ と の 関 係 に あ る が 、 こ の 点 に 関 し て は 本 論 に お い て 詳 述 す る 。 以 上 、 村 上 氏 の 論 考 に 基 づ い て 聖 浄 二 門 の 関 係 お け る 「 通 途 」 「 別 途 」 に つ い て 再 確 認 し て き た 。 本 研 究 は こ の 村 上 氏 の 問 題 意 識 を 引 継 ぎ 、 そ の 論 考 を 踏 ま え て 論 を 進 め て い る が 、 村 上 論 文 と は 異 な る 観 点 よ り 、 通 途 と 別 途 の 問 題 を 考 察 す る も の で あ る 。 村 上 氏 が そ の 論 文 の 結 語 に お い て 、 以 上 に よ っ て 、 「 真 宗 は い か な る 意 味 で 仏 教 で あ る か 」 と い う 問 題 の 、 一 つ の 方 向 づ け は な さ れ た よ う に 思 わ れ る 。 そ の 意 味 で は 本 稿 は 「 真 宗 通 途 義 の 研 究 」 と 題 す べ き で あ っ た か も 知 れ な い 。
( 『 続 ・ 親 鸞 教 義 の 研 究 』 一 三 八 頁 ) と 述 べ ら れ て い る よ う に 、 氏 の 論 考 は 「 通 途 」 と い う 概 念 を 問 い 直 し 、 真 宗 が い か に 仏 教 と し て 普 遍 性 を 持 つ か を 考 察 さ れ た も の で あ っ た 。 す な わ ち 従 来 の 真 宗 学 が 往 々 に し て 「 別 途 不 共 」 を 強 調 し て 「 通 途 」 を 否 定 し て き た こ と に 対 し 、 氏 は 右 [ 図 2 ] に 表 し た よ う な 聖 浄 二 門 に 通 じ る 普 遍 性 と し て 「 通 途 」 を 定 義 し 直 さ れ た の で あ っ た 。 そ の 普 遍 的 教 理 の 具 体 例 と し て は 、 日 渓 法 霖 の 『 阿 弥 陀 経 聖 浄 決 』 に 提 示 さ れ て い る 「 三 同 七 異 」 の 説 に よ り 、「 理 性 本 具 」「 果 海 融 即 」 を 挙 げ ら れ て い る 。 ま た 村 上 氏 は 、 真 宗 を 「 因 果 相 順 の 理 」 を 超 え る 法 義 と 位 置 づ け る 覚 如 の 教 学 に 対 し 、 あ く ま で も 真 宗 は 因 果 の 理 法 に 順 じ て い る こ と を 強 調 さ れ て お り 、 そ の 意 味 で は 「 因 果 の 理 法 」 も 「 通 途 」 と 考 え ら れ て い た と 思 わ れ る 。 こ の よ う に 「 通 途 と は 何 か 」 と い う 観 点 か ら 「 通 途 と 別 途 」 を 問 題 に さ れ た 村 上 氏 の 論 考 に 対 し 、 本 研 究 は 「 別 途 と は 何 か 」 と い う 観 点 か ら 「 通 途 と 別 途 」 を 問 い 直 し 、 仏 教 全 体 の 中 に お け る 真 宗 の 特 殊 性 を 明 ら か に す る も の で あ る 。 縷 々 述 べ て き た よ う に 、 聖 浄 二 門 の 間 に は 、 両 者 に 共 通 す る 領 域 ( 通 途 ) と 、 浄 土 門 に し か な い 独 自 の 領 域 ( 別 途 ) が あ る 。 し か し 村 上 氏 が 指 摘 さ れ た よ う に 、 従 来 の 真 宗 学 で は 「 通 途 」 を 否 定 す る か の ご と き 傾 向 が あ っ た 。 そ し て 「 通 途 」 が 見 失 わ れ る こ と は 、 「 別 途 」 を も 見 失 う こ と を 意 味 す る で あ ろ う 。 真 宗 教 学 に お い て 「 別 途 不 共 」 と い う 論 理 が 恣 意 的 に 用 い ら れ る な ら ば 、 返 っ て 「 別 途 」 の 領 域 を 見 失 う 危 険 性 も あ る 。 右 [ 図 3 ] に 表 し た よ う に 、 親 鸞 に と っ て 浄 土 門 は 、 究 極 的 に は 聖 道 諸 宗 す べ て を 包 摂 す る 法 門 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 そ の よ う な 一 切 の 法 門 を 包 摂 し 得 る 「 別 途 」 と は 、 い っ た い 真 宗 教 義 の 何 処 に 存 す る の で あ ろ う か 。 ま た 「 包 摂 す る 」 と は
い か な る 意 味 で あ ろ う か 。 本 稿 は 以 上 の よ う な 問 題 意 識 よ り 聖 浄 二 門 の 間 に お け る 通 途 と 別 途 の 水 際 を 考 察 し 、 そ れ に よ っ て 、 真 宗 が 真 宗 で 在 り え る 本 質 的 領 域 と し て の 真 宗 別 途 義 を 究 明 す る も の で あ る 。 こ の 意 味 に お い て 「 真 宗 別 途 義 の 研 究 」 と い う 村 上 氏 の 論 文 と 同 じ 主 題 を 掲 げ る こ と も 、 無 意 味 な 重 複 で は な い で あ ろ う 。
第
四
節
真
言
密
教
と
の
対
比
目
的
本 稿 は 右 の よ う な 観 点 よ り 聖 道 門 の 教 理 と 浄 土 門 の 教 理 を 対 比 し て い る が 、 聖 道 諸 宗 の 教 理 の な か か ら 特 に 空 海 の 真 言 密 教 を 取 り 上 げ て 真 宗 教 学 と 対 比 し 、 そ の 共 通 点 と 相 違 点 を 考 察 す る こ と に よ り 、 真 宗 に お け る 別 途 義 の 所 在 を 明 ら か に す る と い う 方 法 を 取 っ て い る 。 真 言 密 教 と 浄 土 真 宗 、 生 仏 不 二 を 旨 と し て 即 身 成 仏 を 掲 げ る 前 者 と 、 自 力 無 功 を 旨 と し て 彼 土 得 証 を 掲 げ る 後 者 は 、 一 見 す る と 対 極 の 立 場 に あ る 。 真 言 密 教 が 不 二 の 立 場 に 徹 し た 宗 旨 で あ る の に 対 し 、 浄 土 真 宗 は 指 方 立 相 論 な ど で 指 摘 さ れ る ご と く 而 二 の 立 場 を 主 と す る 宗 義 で あ る と も 言 え 、 両 者 は ま っ た く 異 質 の 宗 義 で あ る か に 見 え る 。 ゆ え に 両 者 の 思 想 的 な 近 似 性 に つ い て は 、 少 な く と も 真 宗 学 の 枠 内 で は 従 来 ほ と ん ど 問 題 に さ れ て い な い 。 し か し 両 者 は そ の 教 相 に お い て 、 理 よ り も 事 を 重 視 す る 点 で 通 じ て お り 、 ま た そ の 背 景 に は 、 機 根 の 差 別 を 克 服 し 、 万 人 を 平 等 速 疾 に 成 仏 せ し め ん と す る 共 通 の 理 念 が あ る 。 こ の 点 に つ い て は 第 一 章 で 詳 論 す る が 、 両 者 の 間 に は 、 実 は 極 め て 近 い 立 場 も あ る と 筆 者 は 考 え て い る 。 も っ と も 、 理 よ り も 事 を 重 視 す る 教 相 は 真 言 密 教 や 浄 土 真 宗 に 限 っ た も の で は な い 。 密 教 へ の 足 が か り と な っ て い る 天 台 や 華 厳 で 談 ぜ ら れ る 「 即 事 而 真 」 の 論 理 は 、 遡 れ ば 鳩 摩 羅 什 門 下 の 僧 肇 の 『 不 真 空 論 』 に 、「 触 事 而 真 」 ま た は 「 即 真 之 義 」 と し て す で に 見 ら れ る も の で あ る 。 ( 7 ) 老 荘 的 な 無 に 偏 る 傾 向 の あ っ た 羅 什 以 前 の い わ ゆ る 格 義 仏 教 に 対 し て 、 生 滅 変 化 す る 現 前 の 事 相 を 離 れ ず 不 生 不滅 の 真 理 を 体 得 せ ん と す る 僧 肇 の 立 場 は 、 後 の 中 国 仏 教 に 大 き な 影 響 を 与 え た と い わ れ る 。 事 事 無 碍 法 界 を 説 く 華 厳 は 、 教 理 的 に は こ の 方 向 を 究 極 ま で 推 し 進 め た も の と 言 え る の で あ り 、 ま た 『 華 厳 経 』 が 真 言 密 教 と 浄 土 教 の 両 者 に 深 い 関 わ り が あ る こ と は 従 来 指 摘 さ れ る と こ ろ で あ る 。 ま た こ の よ う な 中 国 仏 教 の 傾 向 を 生 ん だ 僧 肇 の 『 肇 論 』 が 曇 鸞 の 『 浄 土 論 註 』 に 大 き な 影 響 を 与 え て い る こ と は 言 う ま で も な い 。 僧 肇 が 示 し た 事 を 重 視 す る 方 向 性 は 、 真 言 密 教 と 浄 土 真 宗 の 共 通 の 教 理 背 景 と 言 え よ う 。 し か し 両 者 の 特 異 性 は 、 単 な る 事 の 重 視 に 留 ま ら な い と こ ろ に あ る 。 真 言 密 教 と 真 宗 は 、 以 上 の よ う な 事 を 重 ん じ る 方 向 性 に あ り な が ら 、 さ ら に 最 も 具 体 的 な 事 象 で あ る 〝 言 語 〟 に 究 竟 す る 教 相 を と る と こ ろ に 、 共 通 の 特 異 性 が あ る 。 す な わ ち 大 小 権 実 の 諸 教 が 究 極 的 に は 廃 詮 談 旨 、 言 妄 慮 絶 の 境 と し て 第 一 義 の 真 理 を 位 置 付 け る に 対 し 、 空 海 の 声 字 実 相 、 真 宗 の 名 法 相 即 と い う 立 場 は 、 言 語 に 第 一 義 の 真 理 を 相 即 さ せ て い る 点 で 、 と も に 特 異 な 在 り 方 を 示 し て い る の で あ る 。 念 仏 と 真 言 陀 羅 尼 の 近 似 性 に つ い て は 、 真 言 系 ・ 真 宗 系 、 双 方 の 立 場 よ り 多 少 の 先 行 研 究 が あ り 、 真 言 系 か ら は 念 仏 を 語 密 に 包 摂 す る 指 摘 が 多 く 、 真 宗 系 か ら は 村 上 氏 の 論 文 「 念 仏 の 非 陀 羅 尼 性 」 等 、 そ の 異 質 性 を 主 張 す る 立 場 が す べ て で あ る 。 こ れ は 双 方 の 宗 義 か ら 考 え て 当 然 の 結 論 と 言 え よ う 。 そ の 点 に つ い て 言 え ば 、 本 研 究 は あ く ま で も 真 宗 学 の 枠 内 ゆ え に 、 両 者 の 異 質 性 の 検 討 を 主 と す る 。 し か し 無 論 、 両 者 の 教 理 の 優 劣 や 同 異 を 論 ず る こ と を 目 的 と す る も の で は な い 。 ま た 、 真 言 と 真 宗 の 間 の 思 想 的 な 相 互 影 響 の 有 無 を 問 題 と し て い る も の で も な い 。 本 研 究 は 空 海 の 真 言 密 教 と 浄 土 真 宗 を 純 粋 な 教 義 学 的 見 地 よ り 対 比 し 、 そ の 共 通 点 と 相 違 点 を 明 確 に す る こ と に よ り 、 真 宗 の 本 質 的 な 立 場 を 明 ら か に せ ん と す る も の で あ る 。 真 宗 の 本 質 を 確 認 す る 為 に 、 真 宗 自 身 を 深