(毎月 1圃25日発行)ISSN田 19-4副3
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2005
NO. 149
ひろば⑩ 福祉のしくみが変わるとき 一障害者自立支援法をめぐって一 高 田 嘉 敬 部落のいまを考える⑮ こベる刊行会 「人権擁護法案への私的な感想」にかかわるわたしの 「弁解」 佐々木寛治 最近読んだ本から⑥ 斎藤美奈子著 『物は言いよう』 一自らの性差別意識をチェックするー 坂倉加 代 子 尼崎だより⑩ 介護現場は常に薄氷を踏むが知し (前編) 中村大蔵水 平 社 の 頃 な ら 、 い や そ れ 以 前 の 時 代 で あ っ て も 政 治 的 社 会 的 道 義 的 責 任 を 追 及 す る 声 が あ が っ た で あ ろ う 、 現 職 閣 僚 や 政 府 高 官 に よ る 度 し 難 い 差 別 発 言 が 、 何 事 も な か っ た か のように放置される一一今年は、同対審答申が出されて40年 と い う の に 、 こ れ も ま た 、 部 落問題をめぐる今日の状況のー断面なのでしょうか。 「法」が失効して3年余り。交流会で続けられてきた議論は、 2002年 の 第19回 で は 各 地 の実態調査をもとにした法後の「部落のいま」を、 20固においては「部落の内・外に生き る」をテーマに部落問題をめぐる個々人の生き方/人生への態度を、そして21聞 に お い て は『破戒Jの主題であり、かっ今日なお部落問題の中心課題としてある「隠すと名乗る」 をめぐる諸問題でした。 そ し て 今 年 は 、 あ ら た め て 「 部 落 の い ま 」 を 議 論 し た い と 思 い ま す 。 多 様 な 生 き 方 ・ 部 落問題との向き合い方が増えてきた(議論の場に上るようになった)一方、「法」後の 3 年間においても各地の部落で人口の流出と高齢化、そして貧困化が著しいと言われていま す。具体例を話題提fj~ いただきながら、〈人間と差別〉をめぐる議論をすすめていきたい と思います。 テーマ:部落のいまを考える一同対審答申40年 日程/10月22日出 141時 開 会 18時 夕 食 19時 再 開 21時 懇 親 会 10月23日(日) 91時 再 開 12時 解 散
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日 時 /10月22日(土j午 後2時∼23日(日)正午 場 所 / 大 谷 婦 人 会 館 [ 大 谷 ホ ー ル ] ( 京 都 ・ 東 本 願 寺 の 北 側 ) 京都市下京区諏訪町通り六条下ル上柳町215 TEL (075)371 6181 交 通 /JR京 都 駅 か ら 徒 歩 8分 、 地 下 鉄 烏 丸 線 五 条 駅 か ら 徒 歩 2分 、 市 バ ス 烏 丸 六 条 か ら 徒 歩2分 費 用 /A 8,000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み) B 4,000円(夕食・参加費込み) ご注意/※会場にはなるべく公共の交通機関をご利用のうえ、お越しください。 ※参加費は当日受付にてお支払いください。 申込み/ハガキ・FAXまたはメールで、住所・氏名(ふりがな)・宿泊の方は性別・ 電 話 番 号 ・ 参 加 形 式 (A・ Bの い ず れ か ) を 書 い て 下 記 あ て に お 申 込 み く だ さい。 阿H字社 干602-0017 京 都 市 上 京 区 上 木 ノ 下 町73-9TEL(075)414 8951 FAX(075)414-8952 E-mail: [email protected]
五条通
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七条通 締 切 り /10月17日何) .第1日目の夜には恒例の懇親 会を開きます。各地の名産・ 特産の持ち込み大歓迎ですのひ ろ ば ⑩
福祉のしくみが変わるとき
障害者自立支援法をめぐって 高田嘉敬︵福祉施設職員︶ これは、だれの問題か 介護保険は、高齢者のための制度だから、高齢者だけ が考えたらよい課題でしょうか。けっしてそうではない はずですが、多くの人にとっては、高齢者になるのが未 来︵あるいは近未来︶のことなので、どうしても、他人 ごとになってしまいます。 さて、現在、障害者福祉のしくみが、戦後最大級とい ってもよいスケールで変わろうとしていることは、ご存 知でしょうか。やはりというべきか、障害のある人のた めの福祉だからでしょうか、あまり注目されていないよ う で す 。 福祉というのは、多くの人々にとってなじみのない制 度︵しくみ︶かもしれません。どこか、うさんくささを 感じている人もいるでしょう。私も、この仕事︵福祉施 設の職員︶をする前は、そうでした。﹁どこからお金が 出るんやろう。ややこしい人を世話する仕事の何が楽し いんやろう。・:﹂どこか聖人君子然とした施設職員に出 くわしたりすると、別の世界の人ゃなあ、と感じたもの で す 。 ほんのつい最近ですが、福祉というのは、隣人の範囲 を決める問題なのではないかと思うようになりました。 福祉施設に勤めて二O
年近くたった私の結論です。高齢 者や障害のある人の問題は、隣人と共に暮らす︵福祉を 支え合う︶しくみを作りなおすことだと考えれば、これ は私たちの隣人に対するまなざしが問われていること、 といってよいはずなのです。 養護学校が義務制度化された一九七九年、それまで障 害児と呼ばれた人々は、就学免除があって義務教育の外 でした。守られる隣人の﹁子ども﹂ではなかったわけで す。その後、サギヨウシヨが激増しました。このように こぺる 1し て 隣 人 の 範 囲 が 広 が っ て き た の で す 。 ですから、﹁当事者﹂を振りかざして、厚生労働省の 法案に反対することには、違和感があります。 当事者抜きで﹁グランドデザイン﹂を決めるな 私 た ち 当 事 者 団 体 と の 十 分 な 議 論 の 上 で ・ : 当事者参画、合意に基づく支給決定方法の検討を ︵ 以 上 一 ﹃ ﹁ グ ラ ン ド デ ザ イ ン ﹂ に つ い て の 緊 急 要 望 ﹄ 全 国 自立センター協議会二 OO 四 年 一 一 一 月 一 五 日 ︶ どうして、本人ではなくて、当事者なのでしょう。 ﹁当事者﹂は、自らの優先順位を排他的に主張したい 気持ち︵まず私︵たち︶のいうことを聞け、君たちは黙 れ ︶ を あ ら わ し て い る よ う に 見 え ま す 。 ここで、﹁当事者主体の制度﹂という支援費制度創設 時のキャッチフレーズを思い起こします。本人の自己決 定が最優先されることがうたい文句になっています。こ の点には他者が口を挟んではならない、といっているよ うなものです。福祉関係者はほとんど例外なく、このキ ャッチフレーズを歓迎しましたが、﹁当事者﹂という表 現 は 、 は た し て 適 切 だ っ た で し ょ う か 。 当事直接、そのことに関係すること。 ︵ ﹃ 新 明 解 国 語 辞 典 ﹄ 四 版 ︶ 一九九一年二月、三省堂、第二刷、第 ﹁ 直 接 、 そ の こ と に 関 係 す る ﹂ 人 は い ろ い ろ で す もしも﹁当事者主体﹂というのなら、その制度にかかわ った厚生労働省の人々や自治体の担当者、そして施設の 職員たちも﹁当事者﹂に含まれていた、と思います。
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障害者自立支援法案のめざすところ 全国で六五五・九万人︵身体障害者三五一・六万人、 知的障害者四五・九万人、精神障害者二五八・四万人 ﹃ 障 害 者 白 書N
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年版﹄より︶の障害者が暮らしている ことになっています。ここで﹁暮らしていることになっ ている﹂とわざわざ回りくどく書いたのは、﹁だれを障 害 者 と 呼 ぶ の か ﹂ ︵ ﹁ 障 害 と は 何 の こ と か ﹂ と い う しかた︶が揺れていますので、この数値で現実が捕捉さ れているのかどうか議論の余地があるからです。ともか く、日本社会では少なくとも約五%の方々が障害者とし て 認 定 さ れ て い る 、 と い う こ と で す 。 昨年の秋、厚生労働省は障害者福祉の体系を大きく変 える﹁改革のグランドデザイン案﹂を発表しました。今 年二月、その構想を具体化した﹁障害者自立支援法﹂︵こんなのは、﹁障害者自立知らん法﹂や、と陰口をたた いています︶が国会に上程され、内容に修正が加わると しても、法案そのものは通過しそうな気配です。 このような事態は、二
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三年に導入された支援費制 度がたちまち財政難に陥ったことが、発端です。従来よ りも利用しやすい福祉サービスの提供のしくみ︵支援費 制度︶が生まれて、おおかたの予想をうわまわる事業規 模の拡大をみたのは、介護保険が一割の自己負担ととも に導入されたことと対照的でした。 この法案は、施設にとっても利用者にとっても、決定 的といえるほどの影響をもたらしますが、最大の争点は、 運用コストの負担のあり方です。限られた財源で持続で きる制度設計が、政策立案者にとって最大にして唯一の テ l マ だ か ら で す 。 応益負担︵という新しい自己負担のかたち。これまで は応能負担︶の導入など、この法案は、障害者福祉の運 営コストを抑制するために、思いつく限りのといってよ いほどさまざまな枠組みが設けられています。これらは、 利用者︵福祉制度の消費者︶のみならず施設を運営する 側にとっても、厳しい内容となることが予想されます。 各地で抗議集会やデモがおこなわれ、サギヨウシヨの周 りでは、騒然としています。 さて、﹁障害者自立支援法﹂を因数分解すると、障害 者十自立十支援+法。﹁障害のある市民が自立生活する ために、みんなで︵公的に︶支援するしくみを法制度化 する﹂ということになります。この法案は、ほんとうに ﹁名は体を現している﹂といえるのでしょうか。まず、 ことあるたびに厚生労働省は﹁白立支援の観点﹂を強調 しますが、これは、限られた財源︵コスト︶の中で、最 大の効果︵﹁自立支援﹂︶を求める観点、と読み替えてお く 必 要 が あ り ま す 。 厚生労働省は、この法案が五つの点で優れていると自 画 自 賛 し て い ま す 。 一つめは、これまで障害種別ごとに異なる法律に基づ いて提供されてきた福祉サービスが一元化されます。確 かに、二一障害︵精神・知的・身体というくくり方をして います︶が、法体系も制度も別々バラバラに実施されて いる現状を思えば、これは意味のあることかもしれませ ん 。 二つめは、障害者の地域生活について、就労︵働くこ と︶をポイントにその施設支援の体系を再編すること。 これは、サギヨウシヨをはじめとする障害のある人のた めの就労支援施設が激増したことに応えたものです。た だし、サギヨウショは、障害のある人が働くこと︵就労 支援︶を事業目的に掲げてきた以上、私たちの方こそ、 まず説得力のある回答︵将来構想・展望︶を出す必要が こぺる 3ありましたが、厚生労働省に先を越されたのです。 三つめは、﹁規制緩和﹂。既存の社会福祉法人をはじめ とする福祉系サービス事業者以外からの︵つまり一般企 業などの︶参入を容易にすること。高齢者と同様の道筋 をなぞっているように見えます。 四つめは、全国どこにいても同じような水準のサービ スを受けられるようにすること︵﹁手続きや基準の透明 化、明確化﹂だそうです︶。これは、一見望ましいこと のように思えますが、全国一律の﹁適正規模と水準﹂が 手厚い支援をしている地域ではなくて、支援の活発でな い地域に横並びになる可能性は十分ありますから、手放 しでは喜べません。さらに、介護保険と合流するために、 制度聞の整合性をはかる意味合いも、忘れてはなりませ ん 。 そして五つめは、﹁増大する福祉サービス等の費用を 皆で負担し支え合う仕組みの強化﹂。じつは、これが肝 心かなめ。厚生労働省のいう﹁公平な負担﹂論です。こ れを最後にもってきたところが、お役人の狭知だと思い ます。受益者負担という古くて新しいテ l マが、装いも 新たに再浮上しているわけです。 本稿の目的は、法案の逐条解説をすることではありま せん。五番目の﹁公平な負担﹂論と法案の攻防をめぐる この間の動向について、違和感というか、ついていけな いところが、私にはあります。法案のょいところは運動 の成果だといい、悪いところは政府の責任転嫁だと叱責 するだけで、本当にいいのかという疑問があるのです。 それらが何なのかを考えてみることにします。
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ものの見方のちがい 利用者︵福祉の消費者︶から見たら、できればこれま でどおり無料に近い自己負担と最大限の介護量を維持し たいのが本音でしょうし、サギヨウショから見たら、施 設が経営できる運営費収入を確保できるかどうか︵雇用 が存続できるかどうか︶、が最大の関心事になるでしょ う。また、政府や自治体は、コスト増を最小限におさえ つつ、地域住民のニ l ズを充足できるしくみを追求した い こ と で し ょ 、 っ 。 このように、この法案をめぐって、﹁当事者間﹂の思 惑は大きくずれています。議論の裂け目があるというこ とです。率直にいって、それぞれの立場の利害がこれほ ふ く そ う ど轄轄しているのに、その主張のちがいに目が向けられ るよりも、各自の正義を語ることのほうが忙しいように 見 え ま す 。 ここで、議論に参加している人々に共通していること は三つあると思います。立場はちがっても、みな﹁自立支援﹂という御旗を掲げていること。つぎに、最小のコ スト︵利用者や施設であれば自己負担、政府や自治体で あれば財源︶で、最大の効果︵利用者なら福祉サービス の支給量、施設なら運営費収入︶を求めていること。最 後に、これはやはり、福祉とお金の問題にゆきつくとい う こ と 、 で す 。 : 二
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三年現在、全国で約一万人の全身性障害 者がいるが、:::︵介護に必要なコストは一引用 者 ︶ : : : 総 額 で 五O
二億円にしかならない。介護保 険が五・四兆円といわれているのに比べて、いかに 少額かがおわかりいただけるだろう。 ︵ 中 西 正 司 ・ 上 野 千 鶴 子 ﹁ 当 事 者 主 権 ﹄ 二 OO 三 年 一 O 月 、 岩 波 書 店 、 八 七 頁 。 な お 、 本 書 は 、 ﹁ 当 事 者 ﹂ に つ い て ユ ニ ー ク な 主 張 が ち り ば め ら れ て お り 、 別 の 機 会 で ﹁ 当 事 者 と い う の は だ れ の こ と な の か ﹂ 検 討 し て み る つ も り で す ︶ 福祉がお金だけの関係になったような、とんでもない ことがありました。知的なハンディのある方を、ガイド ヘルパーが移動介護という事業で﹁観光﹂した時のこと です。予定時間をかなりオーバーしてようやく目的地に ついたのですが、このままゆっくり過ごすとヘルパ!と しての契約時間をこえてしまうので、現地に着いてすぐ にとんぼ返りしたのだそうです。これでは、なんのため に出かけたのかわかりません。あまりのことに親が抗議 して事業者が謝ったという、顕末です。福祉とお金が等 価な関係になると、こういうことが起きます。事業者や ヘ ル パ l の人聞に対するまなざしは、疑われて当然です。 もちろん、福祉はお金だけで解決するわけではありま せんが、いつでもお金︵福祉財源の再配分︶が焦点化し てしまうのは、それなりの理由がある、と思います。 さまざまな福祉サービス︵サギヨウシヨのような施設 や ホ l ムヘルプサービスなど︶のリアルなイメージ︵実 際の様子︶が多くの人々に共有されていないことは、あ りうることでしょう。また、福祉というのは、公害対策 事業のような、できれば必要経費︵社会的コスト︶を少 なく済ませたい事業、とみられているからかもしれませ ん。多くの福祉施策が、対策事業的な性格を帯びて制度 化されてきたことは、まぎれもないことです。 しかし、私にとっで、福祉の枠組みを考えることは、 だれが隣人なのか、思いめぐらすことに似ています。私 の想像力の及ぶ範囲が試されているのです。4
公平とは、どんなことか こぺる 負担の平等化を根拠に、制度を利用したい人は例外な 5く自己負担が必要、と叫ばれるようになりました。厚生 た と 労働省のお役人は、わかりやすい喰えとして、施設を利 用しても家にいても食事をするのは同じなのだから、食 費を自己負担するのは当然、といいます。しかし、この ﹁負担の平等化﹂論は、さも当たり前のようにきこえま すが、とても乱暴な言い方です。 たとえば、マクドナルドには、障害者や高齢者に対し て割引制度がありません。自己負担一
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です。だか らといって、だれもこのことを非難しません。金持ちも 貧乏人も自分のお金をにぎりしめて、ハンバーグを食べ るのです。一方、刑務所︵のような社会矯正施設︶では、 食費は無料です。さらに、ホテルコスト︵これは、ナイ ターと同様の和製英語のようです︶代を払えとは、だれ も考えていないでしょう。もちろん、出所後杜会復帰し てから、食費代金を請求されることはまったくありませ ん。こちらは、自己負担なしです。 これらは両極端な例でしょうが、自己負担は一律では ありません。利用する場所や施設によって、無料から全 額までさまざまです。しかし、マクドナルドが有料であ ることも、刑務所の食費が無料であることも公平だと考 えられています。このように、食べること一つをとって みても、自己負担に違いがあってよいのです。それは、 食事を提供する施設の社会的意味︵合意形成︶が、マク ドナルドと刑務所では異なっているからです。 私たちはいったいどのような方法で、福祉制度の合意 形成をはかつてきたのでしょう。障害のある人を三つに 分類することも、六五歳から高齢者と呼ぶことも、私た ちは当たり前なこ乙として受容してきたのではなかった でしょうか。私の職場を見わたしてみても、福祉の領域 で自明なことなど一つもないと思います。だから、確か なものさしが必要なのです。5
自己負担|無料は本当によいことかi
サギヨウシヨを利用するのに自己負担が求められるの は正しいことなのかが、今問われています。 どんな施設を利用するときにも、コストは必ずかかり ます。利用料金が有料であれ無料であれ、どこかにお金 がかかっていることは、まちがいありません。それを、 だれが、どのように負担するか、当然、議論の分かれる と こ ろ で す 。 自己負担を考えるときに、私は、平等と公平と普遍性、 が大切だと思います。平等というのは、﹁モノやコトが 偏りなく提供されることが保障されている状態﹂、公平 とは﹁それが人間のあり方として望ましいと思える状 態﹂のことと考えておきます。そして、普遍性︵だれにでも例外なく通用すること︶が、私のものさしです。 一律の自己負担は平等な負担にはなっているでしょう が、公平ではないと思います。また、障害のある人には 認められて高齢者には認められないメニューがある場合 には、必ず合理的な説明がなされなくてはなりません ︵恋意的な制度の運用は、どんな場合でも例外なく問題 です︶。ですから、平等でなくても、公平性と普遍性が 保たれていればよいと思うのですが、この点からみると、 自己負担について、まだ説得力のある回答に出会ってい ま せ ん 。 障害者の医療費負担は老人医療費負担とは違う! 生きる事を許されないのでしょうか?:::重度の 人 は 地 域 で 生 活 で き な い 。 : ・ 利益などそれ程ないにも関わらず、応益負担など負 担できないというのが僕の現状です。ただでさえ最 低限の生活を送っているのに、− ︵ 以 上 一 ﹃ 叶 O 回 一 巳 肌 川 町 、 O 五年二月、きょうされん兵庫 支 部 よ り ︶ これらは、厚生労働省の﹁グランドデ、ザイン案﹂に反 対する施設職員や利用者の声ですが、このような主張に は、あまり説得力が感じられません。まず、障害者がい つでも︵いつまでも︶特別扱いされていいのかどうか、 これはけっして自明なことではないでしょう。 つぎに自己負担そのものが拒否されるべきなのか、あ るいは、自己負担には応じるべきだが実際の負担額が高 すぎることが問題なのか、吟味されていません。もっと リアリティのある議論をすべきところだと思います。 かつて改良住宅の家賃が改定されたときに、﹁家賃が 高くなっては、生活できなくなる﹂という反論が運動側 からありましたが、そのときと似たような印象を受けま す 。 原則として自己負担すべきでないというのなら、その 根拠を明らかにしたらいいわけです。また、自己負担す るのがよいと判断するのなら、いくらまでだったら負担 してよいと具体的に提案すべきでしょう。 今までが無料だったから、有料になったら生活できな くなる、というのではあまりに飛躍しすぎています。ま してや、﹁障害者の医療費負担は老人医療費負担とは違 う!﹂ではお話になりません。もしも、本当に﹁違 う!﹂と思うのなら、そのことをきちんと説明する必要 が あ り ま す 。 さて、サギヨウシヨの場合、自己負担をどのように考 えたらよいのでしょう。私は、障害者だからという理由 だけで、無条件にタダ︵無料︶がよいとは思いません。 こべる 7
逆 に 一
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自己負担して作業所を利用することは、ま っ た く 考 え に く い こ と で す 。 私は有料がよいと考えています。ただし、二つの条件 が あ り ま す 。 ひとつは、だれにも差し障りのない範囲︵そのことで、 施設利用を断念されることのないようなほど︶の軽い負 担であること。自己負担は限りなく軽減されるしくみが 必要なことも、付け加えます。 もう一つは、﹁返す﹂という発想です。結果として無 料になる施設利用はあっていいかも知れません。しかし、 いつか余力ができたら﹁返す﹂︵そのカタチや内容はさ まざまあっていいでしょう︶という心意気も必要だと思 うのです。たとえば、将来税金が払えるような職業につ いたときに、でもよいのです。かりに、そのようなチャ ンスが巡ってこなかったとしても。 さらに付け加えれば、自己負担︵この場合、制度を維 持するのに必要な負担の担い手︶というのは、利用者と 事業者︵サギヨウシヨ︶のどちらが担うべきなのかも議 論 が 必 要 で し ょ う 。 6 共に生きるために 共生社会が、理想的な社会のキャッチフレーズになっ て い ま す 。 ﹁0
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と 共 生 す る ﹂ 。 こ のO
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にあてはま る言葉が、自然であったり、在日であったり、障害者で あったり、高齢者であったりするわけです。 どうして、共生社会がこのようにもてはやされるよう になったのでしょう。私は、隣人︵あるいは隣りの環 境︶の範囲が広がることに意味が感じられるようになっ たからだと思います。視野︵興味関心︶の外だった人々 や環境に対して、少しずつまなざしが向けられるように なり、配慮し慈しむ対象から、共に暮らす隣人へと移り 変わってきているイメージを、共生は表現していたはず で し た 。 ですから、共生というのは一方通行ではありません。 一方的にさしだし、さしだされる関係を、私たちは求め てきたのではありませんから。今応援してもらったら、 いつか﹁返す﹂姿勢を持つことは、共生社会が成り立っ ためには不可欠だと思うのです。 自分でお金を払うこと︵自己負担︶には、この他にも 効用があります。サギヨウシヨを利用する側からすれば、 ﹁元を取るぞ﹂という気持ちがきっと起きることでしょ う。たとえ少額でも、お金を払って利用するのと無料と では、どこかちがいます。提供する側︵施設︶からすれ ば、有料の緊張感︵ここがプロの腕の見せどころ︶があ ります。具体的な成果が求められているわけです。かりに、成果が出せなかったら︵サギヨウシヨの場合なら、 利用者の給料を引き上げることができなかったり、十分 な仕事を提供できなかったりしたら︶責任を取る、とい う こ と で す 。 もしも、お店で注文したハンバーグが冷えていたら、 だれでもすぐに文句を一言うでしょうが、学校給食で少し 冷めた焼きそばが出されても同じように怒るでしょうか。 運用コストの負担を媒介にした施設利用にあたってのほ どほどの緊張感は、利用する側もされる側にとってもよ い こ と だ と 思 い ま す 。
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補足|福祉と国民| ︵ 注 ︶ さて、この法律には、﹁国民﹂が数箇所出てきます。 ここは、市民と表現するほうが適切だと思います。そ れにしても、この法案は、隣人へのまな、ざしを問いなお す施策︵新しい福祉のしくみ︶の法制化を目的としてい る は ず な の に 、 一 条 も 一 一 一 条 も な ん と 温 か み の 感 じ ら れ な い文章なのでしょう。私にとっては、唐突な条文なので すが、この法律に﹁国民﹂が登場することは、それなり の根拠︵政策者の意志︶がありそうです。 じつは、身体障害者福祉法や知的障害者福祉法などに も﹁国民﹂が出てきます。 福祉と国民のあいだに、どのような関係があるのか ︵あるいはないのか︶、いまだ基本的な議論がなされてい ません。隣人と共に暮らすしくみに﹁国民﹂という概念 は本質的には関係ない、と私は思います。︵このような 視点から、﹁国籍﹂﹁国民﹂といった近代国家の枠組みを 超 え ら れ な い も の か と 夢 想 す る も の で す 。 ︶ 福祉関係の法律にかならずといってよいほど﹁国民の 責務﹂の条文が設けられている意味は何なのか、あらた めて吟味しておくべきです。権力者のなまなかにできな い意図が﹁国民﹂の条文にはあるはずです。障害者自立 支援法の場合には、﹁国民皆負担﹂の周知徹底と制度の 運用責任を﹁国民﹂に転嫁することだと思います。 全国民の内、わずか5%が障害者だといわれていま す 。 その他部%の国民合意を得ることは・ 国が本当に国民の福祉を考えているのなら: ︵ 以 上 一 ﹁ き ょ う さ れ ん 斗 OZC ﹄ ぬ 郷 、 一 五 頁 ︶ O 四 年 二 一 月 号 、 少なくとも、このように、わざわざお役人の土俵の上 にあがって、﹁国民﹂をひっぱりだす必要はないのです。 隣人は、国民のことではありませんから。 こぺる 98
おわりに 制度を利用する立場からも、サギヨウシヨなどの施設 を運営する側からも、それぞれの危機感がひしひしと伝 わってきます。たしかに、自己負担が導入されたうえに 利用の上限が低く設定されて介護保険に合流されてしま う危うさも、施設の運営コストを切り下げて、福祉のラ ンニングコストそのものが圧縮されてしまうことにも、 納得いきません。 法案の攻防をめぐって、それぞれの立場からの言い分 は、それなりの根拠があるという意味で、﹁ごもっとも﹂ です。しかしけっきょく問われているのは、私たちです。 私たちは何をしてきたのか。外に向かって要求すること は無論のこと大切ですが、内に問いかける議論は、それ 以上に必要だと思います。 社会的背景も時代状況もまったくちがっていますが、 ﹁地対協意見具申﹂が出たころを、どうしても重ねて考 えてしまいます。サギヨウシヨには、なぜお金が必要か、 サギヨウシヨはいくつあったらよいのか、その適正規模 と満たされるべき水準は何なのか、これらを説明する順 番が、こんどは私たちに回ってきたのだ思っています。 ︵ 注 ︶ こ の 法 律 は 、 : : : ︵ 中 略 一 関 連 法 の 叙 述 部 分 ︶ : 者 及 び 障 害 児 の 福 祉 に 関 す る 法 律 と 相 ま っ て 、 障 害 障 害 児 が そ の 有 す る 能 力 及 び 適 性 に 応 じ 、 自 立 し た 活 又 は 社 会 生 活 を 営 む こ と が で き る よ う 、 必 要 な 障 サ ー ビ ス に 係 る 給 付 そ の 他 の 支 援 を 行 い 、 も っ て 障 び 障 害 児 の 福 祉 の 増 進 を 図 る と と も に 、 障 害 の 有 無 わ ら ず 国 民 が 相 互 に 人 格 と 個 性 を 尊 重 し 安 心 し て 暮 と の で き る 地 域 社 会 の 実 現 に 寄 与 す る こ と を 目 的 と ︵ 第 一 章 総 則 ︵ 目 的 ︶ 第 す べ て の 国 民 は 、 そ の 障 害 の 有 無 に か か わ ら ず 、 等 が そ の 有 す る 能 力 及 び 適 性 に 応 じ 、 自 立 し た 日 常 は 社 会 生 活 を 営 め る よ う な 地 域 社 会 の 実 現 に 協 力 す 努めなければならない。︵︵国民の責務︶第三条︶ 二 OO 五 年 六 月 一 一 一部落のいまを考え る⑮
﹁人権擁護法案への私的
な感想﹂にかかわるわた”
し
の
﹁
弁
解
﹂
佐々木寛治︵部落解放同盟豊中 支 部 運 営 委 員 ︶ 一四七号に八木晃介さんの﹁人権擁護法案への私的な 感想﹂という一文に﹁見えにくい部落解放同盟の方向﹂ と記された項があり、そこで﹁一部マスコミ報道に組坂 委員長と古賀誠座長との会談への、つがった見方﹂につい て論じられていますが、その関連で﹁﹁週刊金曜日﹄︵三 月一一日︶に投稿した部落解放同盟全国大会代議員がい うように﹃事実無根﹄と見るのか、どちらが正確なのか は わ か り ま せ ん が 、 ﹂ と 書 か れ て い ま す ︵ 一 一 ペ ー ジ ︶ 。 投稿したのはわたしですが、このような形で引き合い に 出 さ れ る こ と は ﹁ 本 意 ﹂ で は な い の で 、 二 一 言 ﹁ 弁 解 ﹂ させていただきたいと思います。とは言っても、投稿を 読み返してみると、わたし自身としては全国大会での ﹁議論﹂の概要を報告しただけで私見を述べたつもりは なかったのですが、八木さんの指摘のように受け取られ でも仕方がないかなと思いました。だから、事はそれで おしまいでもいいわけですが、あえて一言をというに至 ったのは、この問題をどう考えるかは現在およびこれか らの部落解放運動にとって大きな意味を持つと思ってい るからです。なお、ここで述べることはわたしが居住す る部落のみの実情であることを断っておきます。 ﹁同和﹂対策特別法が失効し、特別対策としての﹁同 和﹂事業が消滅していくなかで、部落内における部落解 放同盟および部落解放運動の影響力が薄まり、それは支 部員の高齢化と若年層の無関心ともあいまって、組織存 亡の危機が遠くない現実の問題として浮上してきていま す。それが部落差別の解消過程と軌を一にするものであ るならば歓迎すべきことですが、そうではない実情にあ ることが明らかであるだけに、危倶や焦燥がいよいよ募 ります。これが、混住がすすみ、部落産業も伝統芸能も ない、二OO
戸足らずの都市部落の現実の一端です。そ して、持てる資源︵人・物・金︶は限られており、とく に部落解放運動に汗しようとする人の問題は一番深刻な 問題で、固定化しつつある運営委員︵役員︶が身も心も すり減らさざるをえない状況です。 それでも何とか状況を切り拓こうという気持ちが萎え ないのは、これまで培ってきたお互いの人間関係がある からです。たいそうな言い方をすれば、だてに部落解放 運動にかかわってきたわけではないということであり、 歴史や伝統の爪の垢ぐらいはかじってきたということが こべる 11あるからだと思います。 こうした実情ですから、あれもこれもはとてもじゃな いけどできませんから、﹁やらなければならないこと﹂ を無理してまでやらない、﹁地元の運動にプラスになる こと﹂をやるというスタイルにならざるをえません。そ の点からすると、﹁人権侵害救済法﹂制定の運動はどこ か遠くの出来事のようにしか聞こえていません。目の前 の些事にとらわれず、大局的な視点が必要なのかもしれ ませんが、今ある現実が三三年間に及ぶ﹁特別措置法﹂ 時代の結果であることをみると、法制度の確立を焦点化 した運動は、わたしたちが抱える状況に肯定的な結果を もたらすとはおおよそ思えず、もはやそうした運動から 人心は離反していると思います。﹁笛ふけど踊らず﹂で はなく、﹁踊り手﹂がいなくなりつつあるのです。 部落解放運動は、差別糾弾闘争から行政闘争を経て社 会システム変革運動の地点にきているとするのが通釈な のかもしれませんが、果たしてその先に部落解放が展望 できるのか?部落解放同盟の社会的・政治的力量と影 響力は自他共に認めるものですが、それが依って立って いるのは全国に散在する部落です。大樹も水分や養分が 供給されなければ枯れてしまうように、部落解放運動の 現 場 で あ る 支 部 の 活 力 軍 ﹂ そ が 力 の 源 で す 。 もちろん、中央本部もこうしたことは承知のはずです から、逆に、人権救済法の制定という全国共通テ の運動展開による一体性や求心力の確保ということを考 えてのことなのかもしれません。それにこうしたことで もなければ、組織の瓦解や運動の消滅が避けられないの かもしれません。わたしもこれに同意することはできま すが、だからといってそれでいいとは思わないのです。 ﹁特別措置法﹂時代の負の遺産ともいうべき﹁法・行政 依存﹂のアク抜きができきれないままになだれこんでい るとしか思えません。わたしの市でもすでに人権に関す る﹁宣言﹂や﹁条例﹂があり、部落問題の解決のための 基本方針や計画も策定されており、自治体レベルではそ れで十分だと思います。国の責任の明確化や法・制度の 制定・改革の必要性を軽視するわけではありませんが、 やはり現場感覚とはおおきなズレを感じざるをえません。 大事なことは、水平社八三年、﹁特別措置法﹂三三年 を経た部落問題が今、どうなっているのかワ部落差別 は今、どこに・どうあるのか?ひいては、部落とは? 部落差別とは?部落民とは?といったことを聞い、 自分たちの足元から部落差別の根っこを掘り出すことで す。しかし、﹁人権侵害救済法﹂制定をはじめとする今 日の部落解放運動にはこのような問題意識が感じられず、 結果としてそれは﹁現場﹂の活力を殺ぐことになると思 い ま す 。
最近読んだ本から⑥
﹃
物
は
言
い
よ
う
﹄
| 自 ら の 性 差 別 意 識 を チ ェ ッ ク す る | 斎 藤 美 奈 子 著坂
倉
加
代
子
︵
四
日
市
市
在
住
︶
続けて二度読んだ。同じ本を繰り返し読むなんでめっ た に な い こ と で あ る 。 この本は、新聞、雑誌、書籍の中から採った発言など を 事 例 に 、 FC チェックする形で書かれている。 F C と は フ エ ミ コ l ド。言動がセクハラや性差別にならないか どうかを検討するための基準のこと。 どの事例にもみられる斎藤美奈子流の辛口 FC チ ェ ッ クが痛快だ。私の中でひっかかっていた事柄が解かれて い く 心 地 よ さ を 味 わ う 。 例えば、ひとつの事例。森喜朗元首相の発言︵二OO
三 年 六 月 ︶ 。 ︽少子化の今だから言いますが、子どもをたくさんつ くった女性を国が将来、ご苦労さんといって面倒みるっ ちゅうのが本来の福祉です。ところが、子どもを一人も つくらない女性が好き勝手といっちゃいかんけど、まさ に自由を髄歌して楽しんで年とって、税金で面倒みなさ い と い う の は お か し い ん で す ﹀ 。 著者は︿おかしいのはあなただよ﹀と、まず一喝。続 く FC チェックをかいつまんで紹介すると、①子どもを 産まない女は社会に貢献しない人間だから必要はないと いっているように聞こえること。子どもを持つ持たない は個人の選択にゆだねられている。②産まない女性を ﹁好き勝手﹂﹁自由を調歌して﹂﹁楽しんで﹂といった表 現でひとくくりにしていること。内実は人それぞれ。欲 しくても子どもができない人もいる。③福祉のはきちが え。子どもの有無とは関係なく、税金は平等に払ってい るし、福祉を受ける権利も平等にある。子どもがいない 人も子どもの福祉に必要な社会的費用を負担し、そのこ とに文句は言っていない、などである。 も う ひ と つ 、 小 泉 首 相 の 発 言 ︵ 一 一OO
二 年 一 月 ︶ ︿ 女 の涙は最大の武器。泣かれると男は太刀打ちできないて これは外務大臣時代の田中真紀子さんの悔し涙に対する 首相のコメントだ。著者のコメント︿小泉首相と田中外 相は﹁男/女﹂ではなく、同じ内閣の首相と閣僚である。 夫婦や恋人同士の痴話ゲンカならともかく、政治上の案 件でのこと。首相は、部下をオンナとみなし、職務上の トラブルを﹁女/男﹂という私的な領域の問題にすりか えて語ったことになる﹀と。そして余談ながらと前置き し、政治の場で、むしろすぐ泣く例として学歴詐称疑惑 で辞職した古賀潤一郎さんや田中真紀子さんの宿敵であ こぺる 13った鈴木宗男さんらを挙げている。 ま た 、 一 一 一 白 っ て い る 当 人 は 、 ど こ が 問 題 な の か わ か っ て いないこと、そればかりか、野党や市民団体から指摘さ れると、一層、彼らの差別感情がヒ l トアップすること も著者はキチンと付け加えている。 本書の前書きに︿
FC
は現代社会のそこここに残って いる性差別現象について考えるためのツ l ルである。と 同時に自分自身をかえりみるための鏡である﹀と書いて あるが、ちょうどピンク色の空気の中にいてピンク色が 見えないような、そんな隠れた性差別をこの本は浮き彫 りにしてくれる。それとともに、私もふと何気なくイエ ロ ー ヵ l ド の 発 一 一 言 を し て は い な い だ ろ う か 、 ま た 受 け 手 としての私は、どれだけF
C
を身につけていると言える だろうかなどと考えさせられた。 とりわけこの本が、著者も言っているが、言葉狩りの 本ではなく、とても落ちついた説得力を持つ理由は、 F C を社交上の問題と位置づけているからかもしれない。 ︿あなたが自室で何を言おうと、何をしようと勝手だが、 社会的な場では社会的なル l ルがあるのだ。人に命令さ れなくとも、事実あなたがパジャマや下着姿で外に出て いくことはありえないだろう。これと同じようにFC
も 要は社交上の問題なのだ﹀と斎藤美奈子は言うのである。 なるほどと納得しながら私は、七、八年前の出来事を 思い出し苦笑した。当時、市の教育委員長が、公的な機 関紙の巻頭に︿青少年問題の解決は女性が家庭に帰るこ との他にない﹀旨の文章を書き問題になった。その時、 市の幹部である男性は八子どもが学校から帰った時に母 親がお帰りを言ってやれるよう、ウチの家内は働かせて いない﹀と力説し、教育委員長の意見を支持したのだっ た。著者の一言うマナーを無視した両者の発言がどれだけ 私も含んだ働く女性を不快にしたことだろう。 さて昨今の性差別論議には、アレルギーや反感が噴出 している。それらの論議の中にあるさまざまな誤解をこ の書が解いてくれやしないかと期待する。 ﹁あとがき﹂に、この本は実用書であると明記されて いる。私はこの本を自分の中にFC
を築くための実用書 として二度読んだのだ。 もう一度読もうと思う。何が性差別なのかは、なかな か見えにくいものなのだから。 それにしても﹃物は言いよう﹄というタイトルは気に 入らぬ。グ言いよう u の奥に建前ゃ、ごまかしを感じる か ら で あ る 。 ︵ 平 凡 社 、 二 OO 四 年 一 月 一 六 OO尼崎だより⑬
介護現場は常に薄氷を
踏
む
が
如
し
︵
前
編
︶
中村大蔵︵特別養抽出老人ホ 1 ム 岡 田 苑 ︶ ﹁ 老 人 ホ l ムでは生キズが絶えない﹂ o ホ l ムでの老人 虐待ではない。生キズの多くは職員が老人より受けたも 付いけん のである。介護労働現場での﹁職業病﹂は、腰痛、頭肩 わ ん 腕障害だけではない。 介護とは優れて精神的な労働であるのにもかかわらず、 現場はとてつもなく重筋労働である。これは体験した者 でないと実感できない。だから、マスコミなどによく登 場する評論家などの介護コメントはどうもきれいごとす ぎて、私はしっくりいかない。 最近グループホ l ムでの熱風殺傷事件と老人保健施設 での熱湯殺傷事件が話題となった。グループホ l ムは痴 呆高齢者ケアの切り札ともてはやされ時代の寵児ですら ある。経営母体は社会福祉法人、医療法人にとどまらず 有限会社、株式会社までとその幅は広く、痴呆ケア|グ ループホ l ム新たな介護ビジネスと短絡的な傾向でこ とは進んでいる。老人保健施設は医師の管理下にあるれ っきとした医療機関だが、老人ホ l ムへの待機所と酷評 されるほど、リハビリ機能を駆使して杜会復帰を促すと の趣旨とは異なった現実がある。 グループホ l ムの事件に接して先ず思ったことは、こ れはもしかしたら自分だったのかもしれないとの感だっ た。一人夜勤の中で起こった事件であり、彼は夜勤専門 の パ l トだった。しかも二ヶ所の介護現場を掛け持ちし ていたようだ。介護保険が始まってから介護職のパ l ト 化が一挙に進んだ。しかも、グループホ l ムでの厚労省 現行基準は老人一八人に対して職員一人の夜勤でも可と なっている。ちなみに、園田苑では入居五O
人に対して 昼間は三対一の介護職配置だが、夜勤は五 O 人プラス短 期入所四人計五四人に対して一一人である。これは全国平 均である。園田苑はさらに管理宿直者一人、予備宿直員 一人を配している。それでも夜間に何かがあったらその 職員だけでは対応できない。 夜勤者の勤務時間は前日の午後四時二 O 分 か ら 翌 朝 一 O 時まで。途中仮眠時聞が三時間あるが、その時間通り にとれる時はめったにない。夜勤者を増やせばいいのだ が、その分昼間の職員数がぐっと減り生活援助と離床介 助が困難になってくる。ちなみに園田苑の入居者の要介 こぺる 15護度平均は四・二︵要介護度の最高は五︶、平均年齢八 四才、合計総年齢四二
OO
才︵年︶だから﹁妖怪度﹂と な る と そ れ ど こ ろ で は な い 。 さて、話を元に戻そう。熱風をあて死に至らしめた介 護職員は新聞報道で読む限り、﹁こんな奴が何で介護現 場におるのか﹂と眉をひそめるような人物ではなさそう である。人並みに優しくおとなしい人物だったようであ る。想像するにこの夜、熱風で死に至らしめた老人にと ても手を焼いていて、寒いと言った老人に床置き式の温 風器を当てたのではないだろうか。 直接介護にタッチしていない私でもたまに老人に呼ば れることがある。老人の繰り返す要求や愚痴、何をして も納得してくれない時、﹁どうセエ l ちゅんじゃ﹂と思 わず心の中で叫んでしまうことがある。ましてや常日頃 から相性の悪い老人の場合には双方の感情が一気に高ぶ る。しかも、実力行使にすぐ訴えるタイプの老人はどこ にでもいる。老人といえども人聞社会の有り様と何ら変 わりはない。新人職員の場合は完全になめられ、﹁ヘタ クソ!﹂との罵声とともにマヒのない方の手で引っ掻か れる。老人を転倒させては大変だから手を離すわけには いかない。介護はよく水を使う仕事でもある。傷口は小 さくとも治りは悪く化膿する場合も多い。 脳卒中の後遺症を持つ人たちで社会復帰を目指すグ ループのお世話をした時の体験だが、日の前の物をやた ら投げる人がいた。当時の私はこれも後遺症の一っかと 思う程だったが、意志疎通が出来ぬ故の腹立たしさの表 現行為であるとわかるにはある程度の付き合いが必要だ っ た 。 ことほど左様に老人たちへの対応は難儀である。老い ることに付き合うとはそんなに生易しいものではない。 だからといって老人が実力行使に訴えたらやり返せと言 っているのではない。職員からの﹁虐待行為﹂に正当性 があると言っているのではない。介護現場は常に薄氷を 踏むが如き社会である。そのことを知ってほしいのだ。 介護系の学校で学んだ人たちは、介護実体験の乏しい 教師から徹底的に﹁受容と自己決定の尊重﹂をアプリオ リに叩き込まれるから、真面目な学生ほど老人の﹁抵 抗﹂に遭うと自分を責める。確かに職員と入居者は対等 の関係ではないが、相手は海千山千のつわものばかりで ある。これを機会に介護現場での﹁事件・事故﹂や﹁虐 待﹂についてどっしりと腰を据えて考えてみよう。鴨水記 マ﹁この叩年間は﹃国連人権教育の叩 年﹄という取り組みによって、園内の 人権問題、とりわけ差別や偏見に焦点 が当てられ、教育活動が進められてき ま し た 。 / ︵ 略 ︶ 取 り 上 げ ら れ た 課 題 は 、 女性、子ども、高齢者、障害者、同和 問題、アイヌの人々、外国人、 HIV 感染者等、刑を終えて出所した人、犯 罪被害者、インターネットによる人権 侵害、その他のロ項目です。︵略︶/と ころで、このように人権課題が並べら れていると同和問題への関心が薄まっ てしまうのではないかと心配です。実 際に同和問題を扱う時聞が削られたり、 内容も歴史的知識を教えるのみになっ てしまったりした学校があります。 ︵略︶同和問題は我が国固有の差別問 題としてしっかりと学習してもらわね ばなりません﹂。ある団体の機関紙に 連載されているコラムの一節。部落問 題への社会的関心をつなぎとめておき たいという願望がにじみ出ています。 マ﹁同和問題をはじめとする人権問 題﹂﹁日本における人権問題の最たる 同和問題﹂という物言いが罷り通って 三十余年。部落問題は人権問題の代名 詞になった観あり。おかげで人権と聞 くと部落問題を連想してしまう人さえ いる始末。﹁いつでも、どこでも﹂部 落問題を教えよという意見には、﹁部 落問題の特別化﹂が一部であれ特権化 を招いたこと、同和教育が﹁響き合い、 重なり合う﹂感性の広がりと深まりを 必ずしも生み出さなかったことへの視 点が稀薄です。これではまわりの人び とを納得させるのはむずかしいと思う な 。 マ﹁ブランド物のパックを抱えた女性 が、空席もある 2 人掛けの電車内なの に、なぜか私の隣の席に座った。/パ ックからあんパンを出して食べ出した。 終わると、化粧ポ l チ を 取 り 出 し た 。 ニオイがイヤなので、思い切って﹃お 化粧されるんだったら、他の席で﹄と お願いした。/すると、﹃ここはあなた の家じゃないでしょ。公共の場所よ。 公共の場所は、自由に使えるの﹄と反 論 し た 。 / ﹃ 電 車 の 中 は 、 公 共 の 場 所 。 みんなで、人の迷惑にならないような 使い方をするものよ﹄と話すと、何と ﹃静かにしてください﹄と怒り出した。 /傍若無人な若い女性を見てきたが、 ひょっとしたら、彼女たちは﹁公共の 場所﹄の意味を誤解しているのではな い か ﹂ ︵ 名 古 屋 市 、 N − M ︿ 日 ﹀ 。 ﹁ 朝 日﹂名古屋本社版、出・ 6 − U 夕 刊 ︶ 。 ところで、柳田国男︵一八七五 1 一 九 六二︶が幼いころ、家の門口に酔っ払 って寝込んだ若い博徒が引き起こされ かかって、﹁自由の権だ﹂と怒鳴った という︵柳父章﹁翻訳語成立事情﹄ 岩波新書︶。﹁これが自由といふ言葉に 対する私達の概念を頗る混乱させまし て、何だか非常に厭な困ったもののよ うに感じ、久しい閉その時代の自由民 権運動の首領であった板垣退助さんに 対する反感のようなものが抜け切らず に居りました﹂というのが柳田の回想。 それからおよそ一二五年。﹁自由﹂の 理解に進歩と深化はあったのでしょう か ね 。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ 編集・発行者 こベる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下jレ上木ノ下町73-9 阿件杜 Tel. 075-414 8951 Fax. 075“414-8952 E mail: [email protected] 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 01010-7-6141 第149号 2005年8月25日発行