■アブストラクト
企業年金は,企業の重要な一事業(経営要素)という側面と投資家として の側面をもつ,特殊な存在である。この意味では,企業年金関係者(特に,
企業年金の制度運営者)は,コーポレートガバナンス・コードとスチュワー ドシップ・コードという, つのコードを同時に意識した行動が求められ る。
もちろん,企業年金関係者には法的にも受託者責任が課せられるが, つ のコードが企業価値の向上を目指して策定されている以上,自らが行うコー ポレート・ガバナンス,企業年金ガバナンスに関する行動原則を確立するに あたって,企業価値との関係を可能な限り念頭におく必要がある。企業経営 者がそうであるように,企業年金関係者もまた,直接的なステークホルダー
(年金の加入者および受給権者)以外のステークホルダーをも意識した,高 次元のガバナンス行動が求められているといえよう。
■キーワード
コーポレート・ガバナンス,企業年金ガバナンス,企業価値
.はじめに
民主党政権から自民党政権に衣替えして以降,アベノミクスの名のもとに 様々な改革が打ち出され,実行に移されてきた。中でも,企業年金関係者が
コーポレートガバナンス・コードの 策定と企業年金の対応
丸 山 高 行
/ 平成27年 月30日原稿受領。
注目すべき事項の一つとして,コーポレート・ガバナンスを巡る変革がある。
コーポレート・ガバナンスは,エンロン事件に代表される数々の不祥事へ の対応を経て,現在は,企業価値の向上につなげる 手段 としての役割が 期待されるようになってきた。代表的な動きが, スチュワードシップ・コ ード および コーポレートガバナンス・コード の制定である。これらコ ードは,わが国企業を 投資先として魅力ある企業 に変貌させることが強 く意識されており,コーポレート・ガバナンスは新たなステージに突入した といえるだろう。
企業年金は,企業経営の重要な一部をなす。企業の経営者がコーポレー ト・ガバナンスを意識した行動を強めるのであれば,企業年金の関係者も当 然に,コーポレートガバナンス・コードを視野に入れる必要性が生じること になる。同時に,企業年金関係者は,その規模にもよるが機関投資家として の側面ももつ。この点では,スチュワードシップ・コードの遵守が要請され ることになるが,コーポレート・ガバナンスという大きな枠組みの中での行 動原則については,必ずしも明確になっていないのが現状である1)。
そこで本稿では,コーポレートガバナンス・コードの策定を受けた企業年 金の対応について,重要なポイントをまとめておきたい。そもそも企業年金 関係者は,従来から企業年金のガバナンスについては鋭意取り組んできた。
この企業年金ガバナンスはコーポレート・ガバナンスと密接な関係をもつは ずであるから,まずは つのコードをふまえたコーポレート・ガバナンスと 企業年金ガバナンスの関係をどうとらえるかが出発点となる。さらに,コー ポレート・ガバナンスと企業価値,企業年金ガバナンスと企業価値がどのよ うに結びつくのかという難問に対して自分なりの判断基準をもつことが,行 動原則を確立する上で有効な手段となろう2)。
1) 実際,上記コーポレートガバナンス・コードの第 章は 株主以外のステー クホルダーとの適切な協働 となっているが,企業年金の運営に関しての記述 はない。なお,本稿で想定する企業年金は,確定給付型の企業年金である。
2) もちろん,企業年金関係者に課せられた受託者責任の遵守が必須の条件であ ることは,いうまでもない。
本稿の構成は,以下の通りである。まず第 章では,コーポレートガバナ ンス・コード,スチュワードシップ・コードという つのコードが表裏一体 の関係にあることを確認した上で,コーポレート・ガバナンスと企業年金ガ バナンスの関係について主要なポイントを整理する。次に第 章では,コー ポレート・ガバナンスと企業価値,第 章では企業年金ガバナンスと企業価 値という重要テーマを取り上げ,それぞれガバナンスと企業価値の関係を自 ら考える上で参考となる,代表的な経済学的分析アプローチを紹介する3)。 続いて第 章では,第 章〜第 章をふまえた上での企業年金関係者の行動 原則を提示し,最後に第 章で簡単なまとめを行う。
.コーポレート・ガバナンスと企業年金ガバナンス
⑴ コーポレートガバナンス・コードとスチュワードシップ・コード コーポレートガバナンス・コードは,2015年 月 日, コーポレートガ バナンス・コードの策定に関する有識者会議 から コーポレートガバナン ス・コード原案 という形で基本的な考え方が示された。このコード原案を 受け,東京証券取引所は2015年 月 日付で コーポレートガバナンス・コ ード を有価証券上場規程の別添として定めるとともに,関連する上場制度 の整備を行った。
一方,スチュワードシップ・コードは,2014年 月26日, 日本版スチュ ワードシップ・コードに関する有識者検討会 によって 責任ある機関投 資家 の諸原則≪日本版スチュワードシップ・コード≫ として策定・公表 された。その後,保険業界を始め多くの機関投資家がコード遵守を表明する とともに, 建設的な対話 の促進に向けて,社内体制の整備を急いでいる 状況にある。
つのコードの関係を簡単に示したのが,図 である。スチュワードシッ プ・コードは機関投資家側の投資家原則,コーポレートガバナンス・コード
3) 紙幅の関係から,各分析アプローチのモデル設定や計算ロジック,さらには シミュレーション結果等の細部は,紹介する論文を直接参照していただきたい。
は企業側の企業統治原則という表裏一体の関係にあり,いずれのコードも企 業の持続的成長,企業活動の活性化,企業価値の向上を大きな目的としてい る。特に,大口の機関投資家を始め株主は,対話の促進を通じた企業価値の 向上によって保有株式の時価が上昇すれば,大きな恩恵を受けることになる。
⑵ コーポレート・ガバナンスと企業年金ガバナンスの関係
前節で,二つのコードは基本的に表裏一体の関係にあることをみた。次に,
本稿の大きな目的であるコーポレート・ガバナンスと企業価値,企業年金ガ バナンスと企業価値の関係を分析するために,まずはコーポレート・ガバナ ンスと企業年金ガバナンスの関係を経済学的に整理しておこう。
コーポレート・ガバナンスの起源は,バーリとミーンズによる 近代株式 会社と私有財産 (Berle and Means (1932))にさかのぼるとされる。彼ら はその書の中で, 所有(株主)と経営(経営者)の分離 という,近代株 式会社の姿を初めて提示した。
その後,コーポレート・ガバナンスは数多くの歴史を積み重ねてきたが,
中核的な定義は, 企業の法的な所有者である株主の利益が最大化されるよ 図 コーポレートガバナンス・コードとスチュワードシップ・コード
出典:著者作成
うに,経営者の行動を律する仕組み として差し支えないであろう(狭義の コーポレート・ガバナンス)。さらに視野を広げれば, 企業を様々な利害関 係者(ステークホルダー)の集合体としてとらえ,関係者間の利害を適切に 調整し,全体としてより望ましい方向に向かわせる仕組み ととらえること もできる(広義のコーポレート・ガバナンス)。
コーポレート・ガバナンスにせよ企業年金ガバナンスにせよ,ガバナンス がどう企業価値に関わるかを解明するためには,ガバナンスの主体と客体の 関係を整理する必要がある。基本的な関係性については丸山(2013)でも提 示したが, プリンシパル・エージェント・モデル(以下,P‑Aモデル)
を使って今一度簡単に確認しておこう。
図 ⑴が,前述した狭義のコーポレート・ガバナンス構造となる。株式会 社の所有者である株主は,通常,日常の業務執行を経営者に委託する4)。た だし,経営者は,必ずしも株主の利益を最大化するように行動するとは限ら ない。この場合に,株主の被る不利益が,エージェンシー・コストである。
エージェンシー・コストを可能な限り減らすために,コーポレート・ガバナ
4) 実際は株式会社運営のためのガバナンス機関として取締役会等の機関設計が 行われたり,ガバナンス主体と業務執行部隊を分けた企業運営も行われている が,ここでは単純化して図示している。
図 コーポレート・ガバナンスと企業年金ガバナンス
出典:著者作成
ンス的には様々な工夫が実行される5)。
一方,企業年金ガバナンス構造も,P‑Aモデルを使って図 ⑵のように 示すことができる。企業年金ガバナンスには主たるプリンシパルが複数存在 し,両者が雇用・被雇用の関係にあるという点が特徴的である。図 ⑵の 者間の関係から,狭義の企業年金ガバナンスは, 年金ファンドの所有者で ある加入者や受給権者に対して,年金給付が約束通り履行されるように,年 金ファンドを管理・運営するメカニズム と定義できるだろう。
企業年金ガバナンスについても,コーポレート・ガバナンスと同様,より 広義にとらえることも可能である。たとえば,図 ⑵の経営者の背後に存在 する株主まで視野を広げれば,図 ⑴のコーポレート・ガバナンスの延長線 上に企業年金ガバナンスが位置づけられることがわかる。また,図 ⑵の企 業年金と(運用受託機関を通じた)投資先企業との関係を考えれば,両者は 図 の 対話の促進 が望まれる関係にあることがわかる。このようにプリ ンシパルとエージェントの関係を整理していけば,コーポレート・ガバナン スと企業年金ガバナンスの関係も自ずと明らかになってくるだろう。
.コーポレート・ガバナンスと企業価値
コーポレート・ガバナンスと企業価値(特に株主価値)との間には,どの ような関係があるだろうか。この問いに答えるために,本稿では,次の つ の仮説について経済学的に考えてみたい。
①全般的にコーポレート・ガバナンスへの取組みを強化すれば,企業価値は 高まる。
②主要株主の株式保有割合が高まれば,企業価値は高まる。
③社外取締役の数や独立性が高まれば,企業価値は高まる。
④コーポレート・ガバナンスの強化によって ROE が高まれば,企業価値は 高まる。
5) たとえば,ストック・オプションの付与(成果連動型報酬),モニタリング
(ないしディスクローズ)の強化,社外取締役の導入等の機関設計などである。
⑴ コーポレート・ガバナンスへの取組み強化と企業価値
仮説①は,前章の 広義のコーポレート・ガバナンス に立脚して考えれ ば,特定のステークホルダーを意識してはいない。各ステークホルダーがガ バナンスを重視した結果,総体的にコーポレート・ガバナンスへの取組みが 強化されれば,企業価値,ひいては株主価値にもプラスの効果があるという 考え方である。
仮 説 ① を 検 証 し た 代 表 的 な 論 文 と し て,Gompers,Ishii and Metrick (2003)があげられる。彼らは,企業の定款等に定められている 経営陣を 保護する条項 の数で ガバナンス・インデックス を作成し,株式のパフ ォーマンス(
α
)との関係を分析することによって,両者の間には有意に負 の相関があることを見い出した。すなわち, 経営陣を保護する条項 の少 ない,外部のステークホルダー(特に株主)に対してオープンな企業ほどコ ーポレート・ガバナンスへの取組みが進んでおり,結果的に企業価値,ひい ては株主価値が高まる(株式のパフォーマンスが良い)との結論を導き出し たのである。また,宮島・原村・稲垣(2003)では,アンケート調査の結果をもとに企 業統治改革の積極性を示す指標(Corporate Governance Score,以下 CGS)
を作成し,企業パフォーマンス(トービンのq,ROA)等との関係を分析 すると,両者には正の相関が認められるとしている。CGS は,株主総会に よる統治メカニズム,取締役会による統治メカニズム,情報公開による統治 メカニズムという つのサブ・インデックスから構成されている。こうした 一連の企業統治改革のうち,とりわけ積極的な情報公開(IR 活動)が,株 主と経営者の間に存在するエージェンシー問題の緩和や経営者の緊張感の上 昇を介して,企業パフォーマンスの向上に影響を与えていると論文は結論づ けている。
⑵ 大株主の存在と企業価値
仮説②は,図 ⑴の株主の役割に着目した分析アプローチである。この仮
説については,佐々木・米澤(2000)が,⒜低い経営者持ち株比率,外部株 主からのプレッシャーの不在,密接なメインバンク(すなわち 日本型コー ポレート・ガバナンス構造 )が,トービンのqで測った株主価値にマイナ スの影響を与えていることを指摘した。このほか,彼らは,⒝上記⒜のよう な株主価値への悪影響の経路として付加価値分配が重要であること,⒞トー ビンのqが低いにもかかわらず設備投資が行われ,日本型ガバナンス下での 過剰投資問題が生じていたこと,⒟トービンのqが低い企業が資金調達を行 った場合に,株価の下落が大きくなることなどを,実証分析から明らかにし ている。
また,西崎・倉澤(2003)では,⒜外部の大口株主(金融機関,非金融法 人,海外投資家,機関投資家)のプレゼンスの増大が,モニタリング活動等 を通じて企業価値を上昇させる効果を実証している。彼らは,外部の大口株 主による株式保有比率の上昇は,理論的には企業価値に対して正負いずれの 影響も与え得るとした上で,わが国のケースで,外部の大口株主による株式 保有比率の上昇や株式保有構成の変化が企業価値に与える影響について実証 分析を行った。その結果,上記⒜のほか,⒝個人の保有比率は企業価値に対 して負の影響を与えており,モニタリング活動に関するフリー・ライダー問 題6)の存在が示唆されること,⒞1990年代以降,非金融法人企業による株式 持合いが企業価値に負の影響を与えている可能性が高いこと,⒟外国人投資 家については,投資家・株主として国内投資家に勝るパフォーマンスであっ たことなどを指摘している。
⑶ 社外取締役の導入と企業価値
さらに仮説③は,取締役会メンバーのうちの社外取締役の役割を重視した 分析アプローチである。海外の先行研究をひもとくと,まず Rosenstein and
6) フリーライダー問題とは,経済学用語で,対価を支払わずに便益を享受する 者が存在する状況をいう。ここでは,個人投資家が大口株主が行うモニタリン グ活動にただ乗りするマイナス効果を指摘している。
Wyatt (1990)が,取締役会に社外の人材が加わる,すなわち,取締役会の 独立性が高まることが期待されるニュースに対して,株価が正の反応を示す ことを実証している。独立的な取締役が企業経営に対して有効なアドバイス を提供したり,効果的なモニタリング機能を果たすことによって,企業価値 に 正 の 影 響 を 与 え る 考 え 方 に 立 脚 し て い る。ま た,Byrd and Hickman (1992)は,独立取締役が取締役会の過半を占めているケースで,買収を発 表した企業の株価反応が独立性の低いケースに比べて有意に高いことを示し ている。
わが国においても,取締役会の独立性と企業パフォーマンス間の正比例関 係を支持する研究は多い。ただし,内田(2012)のように,この正比例関係 は見出せなかったとする実証研究も存在する7)。
⑷ ROE 重視と企業価値
このように,コーポレート・ガバナンスが企業価値にプラスの効果を及ぼ すとする仮説①〜③については,その信憑性を支持する研究も目立ってきて いるといえる。しかし,仮説④に関しては,特に後段の ROE が高まれば 企業価値は高まる という関係性について,否定的な見解も多数存在する点 に留意が必要である。現在,コーポレート・ガバナンスをめぐる議論では,
ガバナンスの対象,ないし成果として ROE に着目すべきとの主張もしばし ば見られるが8),ROE と株価の関係については,より深い考察が望まれると ころである。
7) また,内田(2012)は,外国人持株比率の低い,いわゆる 日本型コーポレ ート・ガバナンス構造 の企業は,トービンのqで代表される企業パフォーマ ンスが低くなっている点を明らかにしている。
8) たとえば, 伊藤レポート ( 持続的成長への競争力とインセンティブ〜企 業と投資家の望ましい関係構築〜 プロジェクト 最終報告書,2014年 月)
では, 基本メッセージ として, 個々の企業の資本コストの水準は異なるが,
グローバルな投資家から認められるためにはまずは第一ステップとして,最低 限 %を上回る ROE を達成することに各企業はコミットすべきである と提 唱している。
たとえば,オショーネシー(2001)は,アメリカ市場での実証結果による と,ROE の高低と株式リターンの間には明確な正の相関関係は見出せなか ったとの事実を公表している。特に,最も ROE が高いグループは全体平均 よりも株式リターンが低いだけでなく,最もリスクが高かったとの実証結果 は注目に値するだろう。また,アメリカ市場について,そもそも利益率が平 均回帰の傾向にあるとする研究成果も数多い。たとえば,Fama & French (2000)は,利益率の平均回帰とともに,利益率が平均より低いほど平均回 帰の傾向が強くなる観察結果を提示している9)。
わが国においても,ROE の高低と株式リターンの関係に着目した研究は 数多く行われている。たとえば,新井・名児耶(2013)では,日本企業につ いて ROE 等の利益率と将来の利益成長率との関係を分析したところ,平均 回帰の傾向がある(つまり,両者は負の相関関係にある)現象が実証されて いる。この傾向は米国についても同様に認められるとして,ROE のような 利益率(特に,直近の利益率)と将来の株価リターンの間には負の相関があ る,すなわち,株式投資において利益率を企業評価の尺度として用いること の妥当性について,疑問を呈する見解が示されている。
.企業年金ガバナンスと企業価値
前章では,コーポレート・ガバナンスと企業価値の関係について考察した。
それでは,企業年金ガバナンスと企業価値(特に株主価値)との間には,ど のような関係が存在するだろうか。
コーポレート・ガバナンスに準じれば,次の つの仮説について経済学的 な分析を加えることが考えられる。
①企業年金ガバナンスへの取り組みを強化すれば,企業価値は高まる。
②企業年金ガバナンスへの取り組み強化によって積立不足の減少につながれ ば,企業価値は高まる。
9) さらに,Dichev & Tang (2009)は,利益率の平均回帰の度合いは,利益の 変動率が高いほど大きい点を指摘している。
③企業年金ガバナンスへの取り組み強化によって投資先企業の ROE が高ま れば,企業価値は高まる。
④そもそも,企業年金を保有することによって,企業価値は高まる。
これらの仮説のうち,特にポイントとなる①,④については,今日まで理 論的ないし実証的な研究はさほど行われていないのが現状である。そこで本 章では,仮説①について新たな分析手法を提示した研究成果として,丸山
(2014)の概要を紹介しておきたい。
⑴ 企業活動に関する前提条件
丸山(2014)では,図 ⑵のプリンシパル・エージェント関係をベースに,
経営者(=株主)側が企業年金に対するガバナンス・レベル10)を上げれば,
全般的に株主価値が増加するというモデルを構築している。具体的には,
Leland (1994)をベースに,Fan and Sundaresan (2000)のモデルを一部拡 張したものである。
モデルの特徴として,将来的に会社経営が逼迫し,企業年金について給付 減額が避けられない事態となった時に,それまで経営者側がコストをかけて ガバナンスをしっかり行っていれば,従業員(OB を含む)に対する交渉力 が高まるというメカニズムを導入している。Fan and Sundaresan (2000)モ デルの負債(一般社債)を企業年金に置き換えるとともに,企業年金ガバナ ンスのレベルと給付減額交渉の際の経営者側の交渉力を結びつけることによ って,企業年金ガバナンスと企業価値および株主価値との関係を分析するこ とが可能となっている。また,企業年金ガバナンスについてのコスト関数を 導入し,一定の条件の下,コストと株主価値向上のメリットとの対比で,最 適なガバナンス・レベルを求めることができる。
企業活動に関する前提条件は,企業の負債が一般社債から企業年金に置き
10) 後述するように,丸山(2014)では,企業年金に関するガバナンスの強弱が 数値化できると仮定しているため,その水準を ガバナンス・レベル として いる。
換わることを除けば,基本的に Fan and Sundaresan (2000)と同一である。
なお,企業年金は,確定給付企業年金のみを つもつと仮定する。
企業が保有する資産
V
は,以下の確率過程に従う11)。なお,本モデルを 通じて,状態変数はV
つとする。dV
= ( μ − β) V
dt + σV
dW
ここで,
μ
は企業の総収益率の期待値,σ
は企業の総収益率の瞬間的な分 散,W
は 標 準 ブ ラ ウ ン 運 動 で あ る。ま た,βV
は,企 業 資 産 の 増 加 分(
μV
)から各ステークホルダー(株主および企業年金)へ分配される,(負 債に関する課税メリットを考慮しない場合の)キャッシュフローである。⑵ 企業年金ガバナンス・レベルの基準化とコスト関数の導入
企業が企業年金に対して払い込む掛金には,標準掛金
,特別掛金q
の 種類があるとする。標準掛金は,年金制度を維持して行くための基本的な掛 金である。一方,特別掛金は,年金制度に積立不足があった場合に,その穴 埋めのために使用される掛金である。丸山(2014)では,上記の掛金とは別に企業年金ガバナンスに関する特別 なコスト
K
が発生するとして,K
をコスト関数の形でモデルに反映する。さらに,
K
は,企業年金の掛金に比例して増加するとともに,ガバナンス・レベルにも依存すると考える。また,企業年金ガバナンスのレベルが数値化 されて
で表されると仮定し,コスト関数を次の形で設定する。K = λ ( + q)
(ただし,λ
は定数)11) 確率過程に関する前提条件はやや専門的となるため解説は割愛するが,基本 的には,金融市場は無裁定かつ完備であり,取引は無限の期間にわたり連続的 に行われるものとする。したがって,割引価格過程がマルチンゲールとなるよ うなリスク中立確率測度が つ存在する。リスクフリー・レートは,時間を通 じて一定とする。また,配当支払いのために資産を切り売りすることは,禁じ られている。
⑶ 制度変更と交渉ゲーム
丸山 (2014) のモデルは,Leland (1994) や Fan and Sundaresan (2000) と 同様,いわゆる トレードオフ理論 12)をベースとして構成されている。こ うしたモデルでは倒産の定義がキーポイントとなるが,同モデルでは,企業 の保有資産額
V
がV
まで下落すると企業は(企業年金に対する掛金が支払 えないことにより)倒産し,清算されると考える。清算にあたっては清算コ ストV
(ただし,
は定数)が発生し,株主はゼロ,債権者(企業年金の 加入者および受給権者)は(1 − ) V
の価値を受け取る。清算に際しての固 定コストは考えない。さらに,同モデルでは,倒産時点の前に,経営者・従業員間で企業年金に 関する 再交渉 が行われることを想定する。具体的には,図 で示すよう に,
V
がV
まで下落する前のV
となった時点で,経営者は倒産を回避す るために企業年金のリストラクチャリング(制度変更)を計画し,従業員側 に提示する13)。12) トレードオフ理論とは,企業の最適資本構成は負債のもつ節税効果と,負債 の保有に伴う倒産コストとのトレードオフによって決まる,とする考え方であ る。
13) 制度変更は,積立不足の削減と標準掛金
および特別掛金q
の引下げを目 的に行われるが,たとえば予定利率を引き上げて年金債務を削減するような,図 企業資産額の変動プロセス
出典:著者作成
⑷ 交渉ゲーム(Bargaining Game)の内容
給付減額を伴う制度変更の際,経営者・従業員間で行われる交渉は,
V
=V
となった時の企業価値をν(V
)
とすると,ν(V
)
の価値を株主と従 業員との間で分け合う形としてモデル化する14)。ここで,企業が保有する資 産価値V
とν(V
)
の差額の大部分は,企業が支払う標準掛金
と特別掛金q
に対応する節税効果となる。ただし,交渉後,(V
≤) V
≤ V
の期間中は,企業の資産額に応じた水準に掛金が減額されるという経営悪化時であるため,
Fan and Sundaresan (2000)のフレームワークと同様,掛金およびガバナン ス・コストに関する節税効果はゼロと設定し,交渉後に
V
>V
となって利 益が回復すれば,節税効果が復活すると考える。交渉における株主の取り分割合を
θ (
0≦ θ ≦
1)
,従業員の取り分割合を 1− θ
と すると,交渉が成功した場合および失敗した場合の両者の取り分は,表 のようにまとめられる。
⑸ モデルによる分析結果
以上のモデル設定のもと,上記交渉ゲームにおけるナッシュ交渉解15)を決 表 給付減額に関する株主・従業員間の交渉
株 主 従 業 員
①交渉 が成功
θν (V
) (1−θ) ν(V
)
②交渉 が失敗
→
清算(1−)V
差額
(
①−
②) θν (V
) (1−θ )ν(V
)−(1−)V
従業員の同意が不要な対応ではなく,従業員の同意を必要とする給付減額を伴 うものとする。
14) すなわち,経営悪化時の給付減額交渉は,表面的には経営者と従業員の間で 行われるが,実質的には経営者の背後に存在する株主・従業員間の交渉である と考える。
15) 交渉ゲームおよびナッシュ交渉解については,たとえば Muthoo (1999)参 照。
出典:著者作成
定し,さらには企業価値,株主価値等を決定する。本稿では,紙幅の都合も あるためモデルの解法については丸山(2014)に譲るとして,モデルによる 分析結果のみをここで示しておく。
企業が,企業年金ガバナンスへの取り組み強化によってガバナンス・レベ ル(
)を上げれば,全般的に株主価値は増加する。これは,ガバナンス・レベルの上昇によって,給付減額時における株主の従業員に対する交渉力が 高まるというモデル設定になっている影響が大きい。
一方で,ガバナンス・レベルの上昇によって,従業員に属する企業年金価 値と,株主価値と企業年金価値の総和である企業価値は低下してしまう。企 業価値が増加するようなモデルとするためには,たとえば,ガバナンス・レ ベルの上昇によって企業年金制度が充実し,それが従業員の勤労意欲の増加,
ひいては生産性の上昇につながるといった関連性を,モデルに組み込むこと が考えられる16)。
.企業年金関係者に求められるもの
コーポレートガバナンス・コードの策定を受け,企業経営者(特に,上場 企業の経営者)は,従来以上に 企業価値の向上 を意識した企業経営を迫 られることになった。企業年金の運営も企業経営の重要な一部であるという 視点に立てば,その関係者は,コーポレート・ガバナンスの進化を意識して 企業年金ガバナンスに取り組む必要があることはいわば当然であろう。
従来の企業年金ガバナンスは,コーポレート・ガバナンスと同様, 不祥 事を未然に防ぐ (=受託者責任を果たす)という目的が重要視されてきた。
しかし今後,企業年金関係者(特に,運営責任を負う制度運営者)は,以下 の つの役割を重視して企業年金ガバナンスを推進していくことが期待され るだろう。
16) なお,本モデルには企業年金ガバナンスの実施に伴うコストを組み込んでい るため,ガバナンス・レベルに対応する株主価値とコストの対比から,株主価 値を最大化する最適なガバナンス・レベルを求めることが可能となっている。
⑴ 企業経営の一翼を担う者としての役割
企業年金ガバナンスは,自身が所属する企業におけるコーポレート・ガバ ナンスの一部としての役割をもつ。この関係をわかりやすく図で示したのが 図 である。
図 のガバナンス・ルート①は,企業年金をもつ企業Aが,外部の機関投 資家からガバナンスを受ける状況を示している。この場合,企業Aには統治 指針としてコーポレートガバナンス・コードが,機関投資家には同様に行動 指針としてスチュワードシップ・コードが課されることになる。
企業Aが保有する企業年金の関係者は,企業年金が企業Aの内部にある規 約型にせよ,企業Aの外部に別法人として存在する基金型にせよ,このガバ ナンス・ルート①を意識したガバナンス行動を要請されることになる。特に,
第 章で交渉ゲーム(ナッシュ交渉ゲーム)として定式化した給付減額に直 面するようなケースでは,企業年金が外部からの直接的なガバナンスの対象
図 つのコードと企業年金の位置づけ
出典:著者作成
となることが十分想定されるだろう17)。
⑵ 機関投資家の一員としての役割
企業年金ガバナンスは,株主として投資先企業を統制するコーポレート・
ガバナンスの一翼を担っている。図 の②のガバナンス・ルートがこの関係 を示しているが,この場合,企業年金の関係者には機関投資家の一員として スチュワードシップ・コードに則った対応が課せられることになる。とりわ け,第 章で指摘したコーポレート・ガバナンスと企業価値の関係をふまえ ると,以下の諸点に留意して企業年金ガバナンスへの取組みがなされること が期待されよう。
①コーポレート・ガバナンスが企業価値に及ぼす影響については,経済学的 にも多方面から分析されているが,単なる 不祥事を未然に防ぐ という 効果以上のプラス効果を生むかどうかは,見解の分かれるところである。
②特に,コーポレート・ガバナンスの進展が ROE の向上を通じて将来的に 企業価値を高めるという論調も見られるが,そもそも ROE と企業価値
(とりわけ株式リターン)との関係は,しばしば単純な正比例の関係とは ならない。
③ROE の向上は ROA の向上によってもたらされたものか,事業の効率化 が図られているか等を,投資家としてよく見極める必要がある。
⑶ ROE の高低と株式リターンの関係
上述したように,企業年金関係者が機関投資家の一員としての役割を的確 に果たすためには,ROE の高低と株式リターンの間にどのような関連性が あるかについて自分なりの判断基準をもつことが重要であるため,ここで若 干考察を加えておこう。
そもそも ROE は 純利益/株主資本 として定義されるが,この指標は,
17) すなわち,図 のガバナンス・ルート①の一部として示されている破線部分 が実線に変わることを意味する。
さらに図 のように分解することができる。図 の上段の関係式をふまえれ ば, 純利益/総資産 ,すなわち,ROA18)が同水準の企業であっても, 総 資産/株主資本 で示されるレバレッジ比率の高い企業の方が,ROE は高 水準となることがわかる。同様に,図 の下段の関係式によれば, 純利益
/売上高 が同水準の企業であっても, 売上高/株主資本 が高い企業,
すなわち,自己資本の増加を抑えて借入れを積極的に行いながら売上を伸ば している企業の方が,ROE は高水準となるわけである。
ROE を高めるために(借入れに頼らず)自己資本を有効活用するという 企業行動にも,注意が必要である。図 はやや観念的であるが,企業の事業 ポートフォリオ(企業が行っている事業の組合せ)と株主価値の関係を,証 券ポートフォリオ分析でおなじみの有効フロンティアを使って示したもので ある。
図 は,縦軸に事業ポートフォリオが生み出すリターンを,横軸に事業ポ 図 ROE の定義
18) ROA(総資産利益率)を算出する際の分子には,通常,営業利益ないし事 業利益(経常利益+支払利息)が使われる。
出典:著者作成
ートフォリオから発生するリスクをとっている。図 ⑴のように,現在の事 業ポートフォリオが非効率的なケースでは,事業ポートフォリオの組合せを 変えることによって,より効率的な点Aないし点Bに移行することが可能で ある。この場合,点Aに向かうことができれば,企業全体のリスクを高める ことなくリターンの向上を実現することができる。リターン(利益率)を ROE でとらえれば,ROE の向上が株主価値の上昇につながる可能性が生ま れるということができよう。
一方,図 ⑵のような現在の事業ポートフォリオが効率的なケースでは,
注意を払う必要がある。たとえば,ポートフォリオを組み替えることによっ て点Aに移行した時,確かに事業ポートフォリオのリターンは高まるが,同 時にリスクも上昇することになる。このリスクの上昇は資本コストの上昇に 反映されるため,仮に企業の利益率(たとえば ROE)が高まったとしても,
将来的な利益を資本コストで割り引いた現在の株主価値(すなわち株価)は 不変である可能性が高い。利益率の上昇を株主価値の増加につなげるために は,図 ⑵の点Aや点Bに向かうような企業行動ではなく,有効フロンティ アそのものを点Cに向けて引き上げるような,自己資本の有効活用と事業の
図 事業ポートフォリオと株主価値
出典:著者作成
活性化が必要であろう。
.おわりに
企業年金は,企業の重要な一事業(経営要素)という側面と投資家として の側面をもつ,特殊な存在である。この意味では,企業年金関係者(特に,
企業年金の制度運営者)は,コーポレートガバナンス・コードとスチュワー ドシップ・コードという, つのコードを同時に意識した行動が求められる。
もちろん,企業年金関係者には法的にも受託者責任が課せられるが, つ のコードが企業価値の向上を目指して策定されている以上,自らが行うコー ポレート・ガバナンス,企業年金ガバナンスに関する行動原則を確立するに あたって,企業価値との関係を可能な限り念頭におく必要がある。企業経営 者がそうであるように,企業年金関係者もまた,直接的なステークホルダー
(年金の加入者および受給権者)以外のステークホルダーをも意識した,高 次元のガバナンス行動が求められているといえよう。
(筆者は住友生命保険相互会社勤務)
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