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現代株式会社法構造の 状況的理解によせる覚書11史的序説1

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(1)

現代株式会社法構造の状況的理解ぬよせる覚書 1   ﹁株式会社の事業ほいつも取締役会︵cO邑OfdirectOr¢︶紅よって管理される︒実ほ︑取締役会ほしばしほ多く  

の点で所有孟卦︵generいーc邑OfprOprietOr且の支配に服する︒がこれら所有者の過半ほ殆ど会社の営業につ  

いてまるで理解する気がない︒そして党派根性がたまたま彼らの間に燃えさからないかぎり︑会社の営巣を自分で面  

倒みることなく取締役連が適当と思う額の配当を半年毎また竺年毎に受取るの軋甘んじる︒この面倒および一定額  

以上の危険からの全き免脱こそ︑本来なら決してどんな組合企業︵priくateC︒partnery︶にも自分の財産を投じょう  

としない多くの人々が︑株式会社への投機師となる誘いなのである︒:=:株式会社の取締役は︑自分自身のでなく︑  

他人の金の管理人盲anagers︶であるから︑組合企業の社員が自分自身の金を監視するのと同じ細心な注意は︑彼に  

期待できない︒・ ⁚⁚⁝:﹂︒﹁それ故︑過怠と浪費が株式会社の事業経営に決まハて多少とも鯵みつく羽目になら  

ざるをえない︒この故に外国貿易を営む株式会社はめったに個人貿易商人︵pri遥tead諾nturerS︶との此肌争に耐え  

ぬいていけないのである︒従って︑これら株式会社は独占営業特権なしには全く殆ど成功したことがなく︑往往にし  

て独占営業特権があっても成功していない︒独占営英特権なくば株式会社は不良経営しているのが普通であり︑独占  

営業特梅を伴えば不良経営・競業制限の両つながらを行っている︒﹂  

− A.SmitF Tbe竜ea−tF O≠Nati昌S︸ed.by CannanVMOd.Libr.−父笥.pp㌫警こⅣ苫P−1   現代株式会社法構造の  状況的理解によせる覚書11史的序説1  

岩  崎  

︵三六こ ニー   

(2)

ま.え が き  

﹁会社制時代︵age OfcOrpOrCy︶﹂を標ぼうする﹁二〇世紀資本主義革命﹂論︵バーリィ︶や ﹁経営者革命﹂論  

を極点としたいわゆる﹁所有と経営の分離﹂は︑いわゆる﹁企業主体﹂概念と持ちつ持たれつしながら︑資本主義  

・の山般的危格段階突入いらい資本制高次化に内在する傾向として︑様ざまな形で次第に強く︑山定のイデオロギィ  

睦を漸次鮮明ならしめつつ︑繰返し論じられている︒複雑な経営機構を伴う現代マンモス企業の威力を自然に反映  

し︑たこれらの理論系譜は本来経営学・会計学の拾頭に即応するものであり︑これら分野では︑その現代的機能に対  

・する理論的反省は別として︑それなりの根拠が存した︒けれども︑株式のノーマルな在り方が主に利潤=配当証券  

・投機証券であることに触発された株式債権説や株式会社財団説が新たな意義をもって登場し︑いわゆる﹁株式会  

社の構造変革﹂に伴う﹁企某日体﹂論が広く渉遷し︑株式債権説の展開が企業自体論に結びつく必然性も主張され  

だす︑という夙に︑私法学の領分にもかような理論傾向が入りこむや︑株式会社法理に深刻な動揺をもたらした︒   

実はこと新しげに撤りまかれる﹁所有・経営の分離﹂論や株式債権論にみる株式会社像ほザッハリソヒにみれば  

その通りであり︑それこそ資本制下における資本の集積︒集中体としての株式会社の本質・機能が生みだすものに  

他ならず︑産業資本的株式会社の出現以来たえず説かれきたったことであり︑資本制社会の現状と近来頓に整いだ  

した現代企菜関係統計・資料からみれほ︑論者の説くところは寧ろ稚拙に過ぎる︒   

会社法にとっての問題は︑経済的本質がさようなものに他ならぬ株式会社の市民法理体系化に際し︑法系の興り  

を問わずニュアンスの差こそあれ普遍的に株主が会社を所有し・その会社が会社資産︒事業を所有・管理する構成  

が契約法理に則って採られたのほ︑なぜか︑である︒この点を資本制社会での株式会社の占める意義・機能と照合    鶉三十三巻 欝三号  ︵三六二︶ 二二  

(3)

しっつ反省しない株式会社法基礎理論は無力であり︑そのいわば会社法内部で資本主義の制度恵を匠激し毒とい  

ゎんばかりの倫琶・公共性強調も霊が還りするだけで有害鯉怨であり︑その株式会社観ほA・スミス︵彼の  

視野鱒あった会社については︑大塚・層史論晋憲︶以来の諸の真的なそれに劣為皮相・非歴史的な模写論に過ぎ  

なくなる︒  もちろん︑今早問題は遥か大規模かつ複雑であり︑殊に後述する完三〇年代以降のアメリカ罠表例とする経  済力集中および企業金調達の変貌芸社法に後述のどとく最も重な問題を提起し︑是︑彗の現実像たる投  

資家保護な目的とした企業会計墓備ならびに慧謁な証券市場論︵惹︑この面の画期的労作である︵但しその故にや  

莫味さを免れない︶川合・株式価格形成の理論︶を踏まえた証券政引法の充実︵この点わが国ではSECと藻に鷺す  

るアメリカ各州のいわゆる﹁青空法﹂研究が不充分である◇ この点の論稿ほ別誌に発表の予定︒人参照︑LどssandE・M−  

ewett︸B−ueSkyLaw﹂冨穿−On詳→OrOn−○盲言s・︶がなおさら現実の課題となっているが︑株式会社  め法的構造に関する問題の質に変り往ない︒   

わが私法学における﹁所有と経営の分離﹂論に対してほ既に秀れた批判があり︵宮島・挽式会社における業務執行磯  

画論−−その山﹁所有と経営の分離﹂論︑法律論欝警・5買収︶︑株式債権論も痛烈な構造的批判を受けている︵参  

喝富山・株式と資本所有の論理的構造1株式債権論の検討と批判−︑民商法雑誌芸子5・6合併号所収︶︒従って︑  永稿ほそれら論点にいきなり立入るのでなく︑歴史的・比較法的に株主対経営の対抗関係を考察していく裡に現代  線式会社制度に内在する﹁支配﹂の経済化を必然に予定する法の機能を明らかにし︑株式会社の法律像の社会経済  的意義を鮮明たらしめ︑その把握に即した現代株式会社法理を再吟味していきたい︒本号掲載分はその導入部に当  ・る︒  

現代株式会社法構造の状況的理解によせる見書 1  ︵三六三︶ 二三   

(4)

讐二十三巻 野寺  ︵三六四︶ 二四   

株主対経営の対抗状況をみていくことは株式会社のいわゆる﹁支配﹂と取組むことにはかならず︵参照︑池m・中  

村﹁株式会社支配の法的研究︶︑資本制社会の現段階で﹁資本の集積・集中機構﹂たる株式会社を問題とする以上︑独  

占とその経営機構的ないし法的手段たる諸企業合同形式を真向から取扱わねばならない ︵米国における独占論のスタ  

ンダードな綜合的考察は︑D・Dewey一MOnOpO−yinEcOnOmicsandトaw−C已cagO−器P詮∞ps.︶︒この点︑殆ど  

仝く企業合同を視野外におくわが会社法ほ二四五条に若干の企業合同調製手法が株式総会の特別決議事項とされて  

いるのみである︑この面の唯㌻第山の法規制たる独禁法が次第に骨抜きになっていく大勢に燃して︑甚だ無力で  

あり︑それだけに︑わが国会社法研究者は︑証券資本・銀行資本・保険資本の高次な結合現象が様ざまに出現しき  

たりかつ在来の企業合同論をほみでた新たな諸の結合形式が登場しっ 

ればならない︒︵こうした問題意識に茂った株式会社支配の法的研究のモノグラフとして︑ドイツ軋ほ滞米研究の成果を見事に  

生かして米独両法の比較考察をダルマソ臭のない歴史的・社会的地盤に立ってやりとげた秀作ErnsこOaC訂mMestm賢keru  

七erwa−t亡ngu KOnZerngeWa−t und Rechte der AktiOn賢e︸−器00只ar訂r各e﹀∽諾Seitenがあり︑巻末の周到な参  

考文献衷も従来の会社法書の枠にほまらなぬ広裾野さを示し︑狭い私の知識を悍からず妄言すれば︑戦後西独株式法関係モノクラ  

ブィで理論的価値において常山位にある︒フランスにほ︑自国に視野を限りそれだけに精密・塩原でしかも史的∴社会的考㍍も欠  

かないMiche−ぎn訂eckeuLesGr︒upeSdeS︒Ci憲s﹂壷芯Paris.琵音s.︵Bib︸誉h.deDrOitPきeJT.舛≦︶  

スイスにほ余り価値ほないが M・HOfmannU WandFng u・→2nden2eninderMacht2−−ungu.N誘ammeロSet・  

望ngder宕−wa−tungpriくaterAktienge邑−schaften.St.Ga−訂n−誤ナ︶   

﹁株式会社間の語合同が占める重要さを掻く証明する徴標ほ現時設立される数少い株式会社の土台とする状況に  

ょって供される︒これら新株式会社の殆ど全部が︑しばしば精妙・錯経でしかも相当巨額な資本の結集を要する任   

(5)

務をうまくなしとげるために︑お互同志で合同する他の諸社によって設立される﹂︵M・くanhaecke一p・望︒より最  

近にほ︑コンツェルン間の提携による﹁共通﹂子会社︵f山lia−2COmmune︶設立現象も山般化しっつある︵cf・M・  

くanFaecke.n︒ら︑勺.設et s.︶︒   

ともあれ︑コンツェルンの徴標が︑二ケ以上の法的に独立な企業が経済的目的上統∵指揮の下に統括される︑こ  

とに在るの畔周知のとおりである︒しかしこの山見全く自明の響きよい概念規定も詳しく検討すれば脚連の難問  

が生じるのは後にみる通りである︒﹁コンツェルン概念をめぐる近時の論議は︑山方で経済的目的設に至ったかぎ  

走を伴う企業合同としてのコンツェルンとかかる企業合同調製のための諸手法とを区別することが二般に知られる  

りで︑本質的進歩を遂げた﹂ ︵KaユHaヂ KOn詣rnprOb−2me und Akti2nreChtsr2叫Orm in theOreti・icber   

SicFt⁚iロBetriebsgr訝se u.已nternebmungskOnNent巧atiOロ ︹N昏nberge巧Abh・Zu den 萄i誌cb・・戸  

誓Nia−w.wissenschaftenHefニ芦Beユin︼冨.S・3︒﹁企業合同調製手法﹂ にほ︑資本参加・人的結合︵後述  

ウンクアネエムンダフヘアトラク ベトリイブスパハーベトリイブ云イイバアラソ′1ング ベトリーブスプユウルJク の米国でいう︿ぎter−OCkin的directOrSバ丁企 業 契 約︵経営軍貫槽︑経 営 委 任︑経 嵩口 管 理︑  

ゲビンケマイノシカフト  インチインりγノテルング  経 営 指 攣などの契約︶があ一り︑企業合同に稼得利益の新配分もよく結びついている︵損益共同契約︑  

.1ゲビンアブフユウルンクスヘアトラク  利 益 悦 還 契 約︶︒かような契約ほもはや何の経済的独立性も占めぬ企業によって締結されるの.が常であり︑  オルガンゲノゼルシヤフー  パイズンツ′ヌヘア土フク      とのことほいわゆる指 令契約についても同様である︵ちなみに︑ドイツ税法上有名な機関会社加馴鹿がこの点問題  オルガ︑ノシャフト  虹なり︑ドイツ法人税法ほ機関会社陰に指令契約︒利益償還契約の結合を要件としているくg−.〇−B罫−erけEinkstgり・隣賢ps  

・恭.u.die Gewstg小 ︵−父岩Beck打heSteuerkOmmentareBd﹂︶︸冨K箸pstg・一Anm・<﹂柑■S・畠Off・︶   

個々の内容ほ後に詳論するが︑かような手法によってニケ以上の企業間の緊密な経済的結合が資本的結合の有無  ヘアトラク  ベダイリグング女  紅よらず達成されるかぎり︑コンツェルン形成に利用する手法に応じて資本参加コンツェルンと契 約コンツ  

︵三六五︶ 二五   現代株式会社法構造の状況的理解によせる党讃 1  

(6)

︵三六六︶ 二六  第三十三巻 第三号  

よルソを区別できる︵Mes−m賢ker㌫・ニ00ff・︶︒コ・ンソニルソ形成の際の狛いとなる永続的結合の保障は十分高  

度の資本参加によってのみ確保できるから︑この両手法ほ実際上対立するのでなく︑補完的に作用しあう︒  

ヱンチティ  今日アメリカで支配的な単山体説によればコンツェルンは︑ただ公式上のみ多くの法的に独立した部分に分散き  

れた経済的単ふ体︑統一益菜である︵ずM.MO︒ni−zリTheeロtityth賢y︒fc︒nS︒−idatedstatemenざBr含k官  

−冨−︶.◇この経済と法のずれほ特にわが会社法で注目されねばならない︒︵この点︑大隅・企業合同法の研究︑および船  

出・株式会社法の基礎慧品頁以下︑参照︶︒   

ドイツ会社法学確立と同時期に同じ現実を踏まえたマルクスの株式会社観めいたものを︑史的認識を穏んじる本  ヽヽヽヽヽヽ  稿にとって不消化な素材ながら︑なおかつ史的興味から︑資本論のコンテキストにおいて付録的にまとめておく︒  

マルクスの株式会社論ほ資本論第三巻第二七茸﹁資本制生産における信用の役割﹂に在るのに︑素人が厚顔にこん  

な非生産的なことを敢行するのほ︑私法学でもかなり行われているマルクスのこの点での引用が資本論全体系の中  

での位些つけを無視していることが多いからでもあり︑のみならず東独ですら西独経営学批判に際して同様な誤ま  

りからこっけいな株式会社論が行われていたこと︵参照︑上林﹁株式会社︒独占体・国家独占資本主義−東ドイツにおけ  

る理論的討議の考察を中心としてー﹂経営研究46号所収︶に鑑みても︑株式会社論の系譜を明らかならしめるのに役立  

・つこうした試みほ︑われら商法研究者にとってあながち無駄な反省を線返すことにならないであろう︒後に触れる  

ように︑株式流通現象の法的取扱にも証券市場論への同様な心構えが必要なの望写をまたない︵川合・株式価格形  

成の理論75頁以下は︑現在の投資ブーム裡に実務を賑わしている新株時価発行が現実的契機となっている株式プレ︑\\アムの本質究  

明紅絡む創業者利得論争について問題の意味を始めて適確に把みだされ︑経済学・会計学・経営学・商法学の関心が交叉するこの  

閑適を大きく前進せしめられた︒ただしその際の教授の社員権説評価︹殊に同書92頁註における富山・前掲論文批判︺にほ法およ   

(7)

び法理論の機能に対する大きな誤解がある︒︶   

わが伝統的・通説的会社法理論が批判ざるべき点は︑中核理論に社員地位説な固執しきたったこと自体にあるの  

でなく︑この理論の上部構造性に対する無自覚さ︑にある︒   

つまり︑資本の集積・集中体たる株式会社ほ生産力の社会化と所有の私的性格強化という資本制社会発展の特色  ヽヽヽヽ  かつ基本的矛盾を推進する代表的制度であり︑そうした基本矛盾の部分的克服として株式会社発展過程でカツコ付  

﹁所有の社会化﹂といえる現象が生じまたそのことが更に支配の経済化をもたらしている︒そうした株式会社発展  

を辿る上において会社法が社員地位説を中核理論に確立することの意味が︑即ち︑資本制社会の三相二体的基礎法  

施療展開の必然な高次的構成が社員地位説であり ︵参照︑川島・所有権法の理論︑翠玉章︶ そのことが株式会社また従  

って資本主義発展の不可欠な法的前提をなしたことが︑伝統的会社法理論に適確に把握されていなかった︒そして  

会社法学ほその中核理論の正しさの究局的根拠を認識できぬままに︑特殊ドイツ的な団体法論に影響されすぎた︒  

その反動たる諸の新派的会社法論にも︑以上の批判は共通する︒   

株式会社における法と現実のずれはその意味で資本制社会発展に当初から必然に予定の前提といえる︒株式会社  

をめぐる本愚論的検討ほこのことを明確に認識しないかぎりいっさい無効である︒新しいしかも規模︒手口において  

・戦前以上のコンツェルン形成段階を迎えつつある今日のわが国では︑その過程で諸のカツコ付﹁所有の社会化﹂が微  

妙な影轡をもたらしつつも︑株式会社制度に対する正しい接近が腎てなく現実の必貸となっている︒わが会社はほ︑  

原基的構造をドイツ法より承け︑現実適応的改良をアメリカ法より採っている故︑独米両法な中心とした比較考察裡  

に株式会社の本来的法構造とその現実機能をみていくのが本稿の狙いであり︑その考察の焦点として株主︒取締役  

・会の対抗関係を取上げる︒しかし︑所詮は右のような反省に立つ未熟な私なりの株式会社法論再検討冤蜃である︒  

現代株式会社法構造の状況的理解によせる覚琶 1  ︵三六七︶ 二七   

(8)

第三十三巻 第三号   

︹註録 マルクスの株式会社観︺  

① 機能資本家たる株式会社   

株式会社は対外的に個人資本家と同じく権利主体として現わ  

れ︑その機能は個人資本家の機能と同じい故に︑マルスも株式  

︵2︶  ︵1︶  ・会社をnもSSO註erten︒Od.れへkOmbiniertenW> 只apita−isten と  

表現した︒この用語ほもSSON訂rte00舛apital︸﹀と同義であり︑ ︵ 

︵4︶  3︶  ・資本家ほ意思と意識を具えたもの︑人格化した資本に他ならな  

︒   株式会社の形に組織された産業資本ほ純外見上まで諸死物  

︵5︶  ︵貨幣・生産手段︑商品︶の統劇︑つまり価値︑である︒この  

廠値は貨幣‖商品の不断の形態交代下に利益を得る︒つまり自  

己換価し大きくなる資質を有す︒   

﹁資本は神秘な︒白創の利子源︑自分自身の増殖として表わ  

れる︒物︵貨幣︑商品︑価値︶はまさに単なる物として表われ  

る︒つまり仝再生産過程の結果ほ︑物自体に本来の資質として  

︵6r︶  I表われる﹂︒利益ほ資本の果実として表われる︒そしてこの流  

通過程内部紅おける資本の幽玄な現象を﹁生産された物しか目  

︵−1︶  に入らない俗流経済学﹂ほ資本そのものの本質とみなす︒﹁資  

太を価値の︑価値増殖の︑独立な源として説明したい俗流経済  

学にとって︑もらろんこの形式ほ見つけものの大好物である︑  

つまりそれほ︑その中に利潤の源がもほや認められず︑かつそ  

・の中に資本制生産過程の結果が∃過程そのものから切離され  

︵8︶  ヤ ー 独立の走在を占める︑形式である﹂︒しかし ﹁資本ほ物   でなく︑或一定の︑社会的︑戎一定歴史社会形式︵Gesescha・  ftsfOrmatiOn︶ に属する生産関係である︒そしてこの生産関係  が或物となって現われかつこの物に或特定の社会的性格を与え  る︒資本ほ物質的かつ生産された生産手段の総計でほない︒資  本ほ資本に変じた生産手段であり︑かつ生産手段それ目休が資  本でないことほ︑金銀それ自体が貨幣でないに同じい︒資本は  社会の戎足部分が独占した生産手段であり︑そしてこの牲産手  段ほ生きた労働力に対して独立化したまさにこの労働力の産物  ・活動条件であり︑生産手段ほこの対立に由り資本に人格化さ  ︵9︶  れる﹂︒   

生産者たる労働者階級の生産物そのものたる生産手段は︑こ  

の社会構成︵Gesesc雷ftgOrdnung︶の中で︑ほ自らが資本  

に変じさる迄は︑活動を始められない︒資本ほ対象化された  

︵諾rgegenSt旨d−ichte︶︑死果てた労働であり︑そして生きた  

労働の吸収に由って蘇生するしかない吸血鬼めいたものであ  

︵10︶  る︒生産手段は生きた労働に対する︑賃金労働者に対する指揮  

権能を与える︒資本すなわち賃金労働者に対する支配である︒ \ ︑ 従って賃金労働者そのものほ資本の従物である︒   

督本の果実として表われたもの︑価値の換価物︵die宕rwe・  

rtung des Werts︶ は︑実のところ賃金労働者の生産物であ  

り︑賃金労働者の不払労働の結果である︒そしてこの不払労働  

を我物とする資格が賃金労働者にほない︒彼の不払労働は彼を    ︵三六八︶ 二八  

(9)

搾取する資本を増殖し︑まさぬ﹁彼の不払労働が資本︑即ち賃  

金労働を搾取する所有︵Eigen言m︶︑新たに搾取すべき新たな  

賃労働を獲得できるという条件の下にしか増殖できない所有︑  

︵H︶  をつくりだす﹂︒まさにこの賃労働搾取に由る剰余価値獲得が  

みかけに産共資本そのものの作用として表われる︒﹁産業資本  

が資本の唯劇の定在態︵Da00乳nwe−se︶であり︑その中での剰  

余価値なり剰余生産の奪取のみならず︑同時にその創出も資本  

の作用である︒それ故産業資本ほ生産の資本制的性格を条件づ  

ける︒つまりその走在ほ資本家・賃金労働者の階級対立の定在  

︵13︶ を封入する﹂︒   

みかけ上は物の関係である背後に隠れたこの生産関係︑この  

搾取関係が︑資本また従って株式会社の本質である︒   

この資本ほ主体として︑意欲・行動するものとして︑意識を  

具ぇた蟄本として必然にそのまま資本家である︒資本家として  

資本ほ経済人でありかつ樅利主体性を要する︒﹁市民社会でほ  

︵︶  資木は独立かつ人格的である﹂︒いいかえれば︑資本家として  

株式会社ほ人格化された資本にすぎず︑その覗ほ資本魂︵Ka・  

︵柑︶  pita−see−e︶ である︒つまり株式会社ほ利得を唯劇の衝動とす  

る︒その人格性の本質もこの点匿っきる︒社会の内部において  

資本は利得に努める人格たるのみか︑そのまま社会的権能︑但  

︵16︶  し﹁疎外された︑独立化せる社会的権能﹂である︒生産はまず  

その創出者たる労倣者を隷従させた後に︑最後に資本制生産態  

︵㍑︶  ・の内部で奪取者白身をも隷従させる︒これほとりわけ恐慌の時  

現代株式会社法構造の状況的理解によせる覚書 1   に明瞭となる︒との点で資本制紅おいて﹁人間に対する死物の  

︵18︶  完全支配﹂が表現される︒   

この支配ほついに個々の資本家の個性が捨象された株式会社  

の無名的人格に格別あらわである︒故に産業資本的つまり近代  

株式会社はその本質上 −しかも当時の状況にとって最高の  

ー一機能資本=面接搾取する資本の化現である︒  

8   7 6 5 4 3 2 1   

)      )   )   )   )   )   ) \−/  

121110 9  

\J  \J   )    )  

D.只apital−Ad−戸S一N∽〇.  

a.a.〇;溺dり HいS.∽∽〇.  

a.a.〇.V S.−の〇.  

a.a.〇..S.Nき⁝出d.肖﹀S.父器誉  

くglけa.a..〇.一Bd.HUS﹂巴・  

aけa.〇.ⅦBd.肖︸S.酷戸  

Marが句Ormen.die derkapita−i裟筈Fen PrOdu芝iO持  

言rhergehen﹀Beユin−辞NリS.ひの・  

P宍apita−﹀Bdけ声S.缶00.自己換価過程の主体たる 

価借︵D・只apita−.Bd.H⁝S・−巴し︑この物の統一を︑  

法的に無主体の権利主体とする目的財産説も︑マルク  

スのいう俗流経済学と同水準にあるといえよう︒  

a.a.〇..出d一目−S.∞の↓f.  

aルa.〇;Bd.H一S.Nた.  

a.a.〇.︶S.芸−◆  

M.−E..Ausgew旨−te Sch已ten in zwei出師ndenV  

出d一H︸S.∽の.  

︵三六九︶ 二九   

(10)

⑧ 貨幣資本家たる株主   

機能資本家として株主会社ほ﹁剰余労働の盾按扱取入︵Au・  

︵1︶  spumper︶かつ労働鵬般の使用者﹂である︒従って生産過程に  

対する指揮・総監督︑すなわち労働者に対する監督︑彼の労働  

に対する支配ほ︑株式会社の機能に属する︒この監督・支配に  

は︑生産方法そのものの技術に由って制約される部面と︑他の  

面 − 贅本制生産方法に典型的な面 ⁝︑つまり賃金労働者に  

彼の労賃の対価のみならず剰余価値も生産するよう強いる部面  

18171615  

\′  \■ ■、_ \■   第三十一一打巻 第三号  

13︶ D.只apital一望.戸S.竺・  

14︶ MIE.﹀Ausg.ScF−if●叶nN声︸茫.・HuS・当∵﹁この  

過程では対象化された労働ほそのまま労働者の非対象  

性として︑労働者に対立せる主体性の対象性としてお  ヽヽ  かれることにょり﹂ 労働者に麺癌な意思の所有とし  ヽヽヽ  て︑資本は必然に々のまま資本家である︒そして︑資  

本は要るが頚木家ほ要らないという二三の礼金主義者  

資本の概念には  の考えほ全くの偽わりである︒ 

資本家が含まれている﹂⁝句Ormen﹀d訂der kapitL  

P⊇d.くOrbergehen﹀S.諾●  

D.只apitaiJ出d.−.S.N舎け  

a.a.〇.﹀Bd∴戸S.N譜−  

くg−.Enge−sリAntid旨ringu S∴芯P  

M.−E.﹀ごber只unst u.Eteratur.hrg.苫n L仙訂?  

Etz︸出ern−¢ひ○﹀S.竺.   ︵三七〇︶ 三〇  

とがある︒もちろん彼の蘭が肝要である︒けだし無線な主人の  

ために働きまたその故にその労働に何ら自己の利害をもちえな  

い賃労働者ほ︑﹁奴隷と同じく︑彼を働かせかつ彼を統御する  

へ2︶  主人を持たねばならない﹂のである︒   

この資本制に必然な機能を行使できるよう︑資本は︑あらゆ  

る対外的流通行為におけると同様︑生産の内部でも意欲しかつ  

行動できねぼならない︒つまり人間のみがもつ資質を具えねぼ.  

ならない︒しかし株式会社でほ個人たる機能資本家が宴人とな  

って労働者に向い合うことはない︒それどころか労働者に向い  

合っのほ社会の富の無名な・一部である︒労働者ほ曽木家を見る  

ことがない︒労働者ほ︑彼の剰余価値を誰が︵先取りの形にな  

る︶発起人利潤の形でなり或いは株主として配当の形で取りこ  

むかを︑その奪取者を取引所で探さないかぎり︑知らない︒輝  

式会社の法律上の社員たる株主ほ生産過程を気にかけない︒被  

ほただ配当金額と取引所での差益に関心をもつだけで︑せいぜ  

い通常壷⊥回の株主総会参加権を行使するだけである︒生産過  

程・換価過程に株主が関心をもつのは︑それによって彼の投資  

が直接影響される︵すなわち取引所相場と配当額︶かぎりにす  

ぎない︒   

株式会社の社員ほつまり機能資本の機関でない︒社員ほ人的  

会社と異り彼ら全体として叉ほ個人資本家におけるような個∧  

として資本の人格化ではない︒それどころか資本家は生産過碍  

の指揮・監督を株式会社の有給響貝に委ねきっている︒︑マルク   

(11)

スがManagersとかDirigent2nと表現したこの者の俸給ほ︑  

﹁他の労働の価格と同じく︑その価格が労働市場で規制される ︵3︶  或樫の熟練労働の労賃﹂である︒   この管理人らは株式会社の形に組織された機能資本の行為機  

関である︒彼らほ︑所有樅瞭なくして︑産業資本軋帰属する叫      ︵4︶      ︵ヱ  切の機能を行使する︒これに反し︑株主ほ単に︑資本所有者の︑  

︵6︶  貨幣褒本家の︑つまり貨幣資本貸手の︑機能を行使するだけで  ある︒株主に残るものとてほ︑もほや︑自分の貨幣を資本に変  

じること︑つまり有益な投資を求めそして自ら産米資本家にな  らなくとも利子が入ってくるようにする仕事だけである︒株主  

ほ︑﹁戎金額を払いこむことそして後は自分が何もせずにただ ︵ 7︶  遊びながらそのようにかき集められた財産を働かせる﹂ほか︑  何もすることがない︒またこの最後の活動すらその後の発展に  

つれますます株式銀行によって株主から取上げられる︒けだし  

﹁信用の発展忙つれこの貨幣資本そのものが社会的性格を帯  

び︑銀行に集硫されかっ銀行によっ七︑もうその値接の所有者      ︵ 8︶  にょってでなく︑貸出される﹂からである︒  これと共に資本所有・資本機能の分離が完成する︒つまり資  

本の機能︑資本家の社会的機能はもほや資本家階級匠よって行  

使されない︒資本家は生産の職員︵Funk賢n賢︶としては余討  

︵9︶  になってしまう︒エンゲルスほ日く︑﹁資本制生産方法ほ︑ま  

ず労働者を排除してしまうと︑今度は資本家を排除する︑そし  

てたとえ差当りまだ産業予備軍にではないにせよ︑労働者と全  

貌代株式会社法構造の状況的理解によせる覚畜 1   ︵10︶  く同様︑資本家を過剰人口に追いやる﹂︒﹁かくして︑まさに贅  本利生産休例の発展は資木家空す織エと同様笹余討たらしめる・  ことが分る︒違うのほただ︑手織工がゆっくりの餓死を宣告写  れるのに対し︑余計になった資本家は飽食に因るゆっくりの死  髪豊ロされる︑という点だけである︒両者とも自分が何をし始  めるべきかを知らない︑という点だけが両者に一般に同一であ  ︑‖J  る﹂︒無機能・投機株主ほ ﹁ただ余計なほかりか決定的に有害  

︵に﹂  な現象である﹂︒しかも資本家ほさらに配当の形で自分から矢      ︵ 

13︶ われゆく機能の代金を掠めとる︒   

従って︑企業者利得が︵利子と並んで︶利潤の一部として﹁  

資本家の労働﹂の対価だとする資本家的な企業者利得論は︑仮  

面を剥がれる︒白己の労働に対するこのみか上の賃金ほ︑それが  労働の溌止後もいぜん支払われ続けられる故に︑今や単なる剰  

余価値であることが判然とする︒資本所有のみかけ上の果実た  る利子および資本機能のみかけ上の果実たる企業者利得ほ実の  

ところ同劇の源︑賃金労働者搾取︑をもつ︒   

さて株主は株式会社といかなる関係に在るか︒株主は機能資  

本の主体でも株式会社なる資本人格の積極的成員でもない︒樺  

式会社の主体ほ株主から逮分された再生産過程内部の機能資本  

の組織である︒その機関ほ有給の管理人︵白らが資本家でほな・  

いが︑商人的・技術的識見ある職人助手として︶であり︑資本 ハ14︶  の利害代表人として賃金労働者に向いあう︒   

株式会社は機能資本の組織として他人資本の利用者である狩  

︵三七こ 三脚   

(12)

第三十三巻 第三号  

すぎず︑その他人栗本が株式発行︵貸借対照表技術上⁝﹁白己  

資本﹂︶またほ社債発行ないし借入 ︵﹁他人資本﹂︶ のいずれに  

由来しょうと本質は変らない︒法律上株式会社ほ株式会社の表  

示する資本金体の社団的所萄者として表われる︒けだし株式会  

社に賀本機能行使のため貨幣・生産手段・商品の所有者権能が  

帰属せねばならないからである︒生産手段の所有主体というこ  

の機能教本の法的地位にそして株主の生産手段に対する法的無  

所有性にこそ︑株主の無機能性ならびに資本の人格的・社会的  

権能が法的に表現されていよう︒.株主の法的特権は供与ずみ貨  

幣資本への式任限定である︒この有限責任は他の債権名として  

の賀木賃手転あってほ法上当然に自明である︒しかし貨幣資本  

家を法律上会社の成員と擬制する株式会社では︑有限責任は明  

︵15︶  文で国家が保証せねはならなかった︒   

それ故︑株式会社の社員たる株主が日旦父番すること︑株主  

の社員地位が商品として譲渡できることは︑ふしぎでない︒株  

主の身上・個性ほ全く問題外で︑株式を失えは株主の社員地位  

もなくなる︒株主の金地位ほ株券という鵬枚の紙に奉不され︑  

無記名橡券ほ法的流通上紙幣と全く同じ扱いを受ける︒︵ド刑  

法山四九条は無記名株券偽造を紙幣偽造と同扱いする︶︒   

総会制度・共益権軋表現される株主の形式的民主自治機構を  

貫く資本的支配原則ほ︑株式制度の中核とほいえ︑この度別の  

貫徹がより多様・広汎虹鹿骨紅なるほかりであること︑これこ  

そ帝国主義段階になってからの山般現象であるが︑既にマルク   ︵三七二︶ 三ニ  

スもこの点に触れ︑﹁資本制壁産を土台にして株式企業では︑  

現実の管理人たちと並んでかつその上に一審の取締役会・監査  

役会が出現することにより︑管理賃にからむ新ぺテンが展開さ  

れる︒そのさい実のところ管理・監査ほ株主劫掠のまた私富の  

︵16︶  単なる口実となる﹂と述べ︑この点の異国の例を挙げていた︒  

エンゲルスも日く︑﹁取締役と株主に関しては︑両者とも︑塀  

締役が指揮にまた株主が監督にユ出ち入るとが少いはど︑好都令  

︵17︶  だと弁えている﹂︒  

4 3 2 1  

\、_′   )  \J    )  

5︶ マルクス主義の所有論にいう各用語の使い方を註記し  

ておく︒所有︵Eigentum︶=奪取︵Aneignung︶︒贅  

本所有=剰余価値の奪取すなわち剰余価値の究局的奪  

取︒資本機能︵只apita−funktiOn︶=あとで分配さるべ  

き剰余価値の最初の源初的奪取に結びついた︑賃労働  

搾取の機能︒これにほ生産手段および生産物に対する  

法禅的所有権原が通常不可欠である︒  

6︶ 貨幣資本家ほ資本所有者と同義︒けだし貨幣資本家ほ    D.只apita−−Bd=誓∵Sご00試 a.a.〇..SりたN−.  

Sふヨ∴くg−・auChS什畠ひけ  やa・〇・u   

缶芝川 なおBek打er.NHR.Bd・葛・Er−ang  a.a﹀〇.﹀S.   

en−002一S.∽宗⁝﹁Pecuロengesch監ten において奴  

隷が主人を代表したように︑取締役ほ第三者に対して  

株主を代理する﹂︒  

(13)

っては前提とされている筈の︶利害を全くもたない﹂︒  

15︶ ﹁全社員の有限茸仕別の成立が株式会社の発生の︑そ  ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ  の質的変化の決定的指標となる﹂所以紅ついては︑参  

照︑大塚・発生史論17貰以下および564頁以下︒  

16︶ D.K富i邑・出d﹂㌘S・畠∽\氏読∵蒜e・auCFS●彗り\怠○●  

17︶ Artike−aus︿.T訂LabOur Stan計rd㌦﹀S.彗●   

⑨ 擬制資本としての株式  

外見上株式は︑配当請求権・︵総会参加権を主とする︶共益   

現代株式会社法構造の状況的理解によせる党苔 1  

14 13 12 

) \−/ )  

1110 9 8 7   

)   )    )    )    )  

利子請成権の形で剰余価値の終局的奪取梅原を保有す  

るから︒  

出ek芥eru a.a.〇こS.崇這.  

D.只apita−一也d﹂㌘S.卑NP  

S.畠N.  a.a.〇.﹀  

Anti・D旨ring﹀S.∽余.  

En的e−s︼Artike−aus.一TheLabOurStandard.一班eユin  

−詑テSふ∞.  

ebenda.  

S.彗.  a.a.〇.﹀  

Rena−乙J闊ede各erdieHande−sgesesc訂ftenさm  

N.20諾mbeりー00記V Heide−berg−00冠︸S●−竺叩●⁝﹁会  

社はぎらに有効な関与に従事する共有者を欠く︒指導  

的識見および創造的手腕が下僕の小身に集中され︑こ  

の下僕は企菓の継続的繁栄に︵当然営其の所有者にあ   権に結びついた︑株式会社の社員地位の証書である︒株式ほ会  

︵1︶  杜に︵法的意味で︶属する現実資本に対する梅原および年年そ  

︵2︶  の資本から流出する剰余価値の支払指図を表示する︒剰余価倍  

︵8︶  ︵4︶  梅原として株式は商業信用の︑貨幣資本投下また従って所有形  

︵6︶  ︵5︶.  式の︑所有権原の︑一形式である︒すなわち剰余価値奪取樅と  

同義な資本所菊の形式ないし権臆である︒   

との剰余価値を受けとる形式が配当である︒配当ほ︑社債権  

者の利息と全く同じく︑資本利子の亜種にすぎない︒貸付資  

本供与の対価たるこの単なる利息匿おいて既述の蟄本物神︵=  

資本が白働磯城として自ら累加的に剰余価値を稼ぎだすとの外  

見︶ほ完ぺきとなる︒さらに配当は原則として平均利潤率以下  

に留まる点も地の利子形式と共通である︒もちろん多様な原因  

︵7︶ による例外がある︒   

平均利潤率との差異を生じる原因として︑︵1︶ 工業株式企  

︵8︶  業の有機的構成の高さ︑︵2︶発起人銀行の超過利潤の形での  

︵9︶  剰余価値先取りが配当・利子を圧迫すること︑︵3︶大株主・  

重役にょる株主劫掠 − 企英系列化・貸借対照表操作・重役賞  

与・資本増減操作など︑が挙げられる︒   

しかし利子形式としての配当は他の利子類に対して次のよう  

な特殊性がある︒︵こ配当額の不確定なことが︑投機を助長  

しかつ社債よりも大巾な相場変動をもたらす︑︵二︶供与した  

貨幣資本は原則として返還されない︒︵三︶配当には危険ある  

投資の対価として企業者利得の劇部が含まれている故︑配当は  

︵三七三︶ 三三   

(14)

第三十三巻 第三号  

平均に他の資本利子より高いっそれでも︑増配で株価が上がる  

から︑利子系列ほ多少とも自整傾向がある︒   

貨幣資本家たる株主が供与したもの︑彼が投資したものは︑  

現実資本︑貨幣資本現実価値である︒さし当り株主が受けとる  

ものは剰余価値奪取川配当請求権である︒しかし株式という  

社員地位の内容ほそれにつきるどころか︑株式会社の現実資本  

に関するなお広い権能を含むが︑資本植原のこの面ほどく疑わ  

しい性格のものである︒額面株のぼあい株式資本への関連は株  

式会社の︵法的︶資本の劇定割合で表現されるが︑この一定割  

合の価値はそⅥ名目上の数字︵名目価値︶にかかわらず無規定  

である︒けだし現実虹存在する会社資本ほ当初から︵法的︶資  

本と甚だしく相異することがありまた会社等業のその後の進展  

につれ︵法的︶資本ほ現存会社資本を上回りも下回りもするか  

らである︒企巣会計的からくりも正確な評価を全く拒む︒さら  

に︑この梅原は何らその割合額だけの現実会社資本請求権も与  

えずかつ元本返還請求擬すら与えない︒   

剰余価値受領権を別とすれぼ︑この梅原を実現可能化つまり  

元本回収させるものほ︑ただその市場性にすぎない︒株式は商品  

として︑有価証券として1主に取引所で−−−譲渡されうる︒こ  

の点で先述した有限責任の必然性 − 第三者に対して︵外部関  

係︶並びに会社に対しても︵内部関係︶がまたも前提要件となる︒   

もう岬つの前提要件ほ︑株式が有価証券としで発達すること  

である︒つまり︑株式の有価証券形式ほ貨幣資本家の過剰さの   ︵三七四︶ 三四  

︵10︶  補完物である︒株式が商品として流通するから︑株式は多少と  

も株式会社に現存する資本の重複物また従って株主の供与した.  

貸付資本の重複物である︒株式にあっては株式会社の現実資本  

がただ観念上流通するにすぎず︑実のところ流通から無縁のま  

︵11︶  まである︒この価値重複ほ会社に存在する冨をいささかも増殖  

していない︒つまりこの価値重複は擬制価値にすぎない︒   

株式のこの性質ほ取引所取引のさいにはっきりする︒擬制価  

値たる株価ほ︑取引所二ハ○年代後半以降に始めてドイツ株式  

︵12︶  制度上第一義要因となった︶で︑会社資本の現実価値と全く鮮  

︵13︶  関係に相場が決まる︒この紙上の現実価値複本の買手・売手い  

ずれも自分がどれ位の価侶を取引するのかを︑気にしない︒こ  

の売買の動機ほ単になるべく歯彼の取引日での相場差益に対す  

る投機にすぎない︒   

この投機は︑まず増減配紅表現の一端をみる景気変動から刺  

戟を受けるが︑さらに配当額を顧慮せず独白に展開される︒称  

式のこの特性︑投機株主への差益媒介が︑賃幣資本家の目から  

㌻れば︑株主の主特性なのである︒彼の所有権原は彼にとって  ヽヽヽ  は差益の.みこみである︒   

英国人は十八世紀始めの前期商業資本の矛侶の最後の爆発だ  

った南海泡沫のさいインチキ企英を泡沫と表現したが︑投機対  

象となったこの擬制資本所有権靡こそなお二僧あぶく玉と名づ  

けるに応わしい︒投機する者は誰でもこのしゃばん玉が破裂す  

ることのあるのを弁えているが︑強気思惑の買手ほそのしゃぼ   

(15)

ん望の値上りしない聞手持ちし︑破裂の前にいくらかの高値で  売れるものと当てこむ︒﹁どの株式詐欺においても︑誰もが嵐  

がきっと襲いかかる覧適いないとは知りつ1︑自分自身がかね  

づる︵GO−dre的en︶を掴みとつて安全になってから︑その嵐  

が自分の漁後の者の頭上にやってくるよう当てこんでいる︒ ︵ 14︶ Apr訂mOこed巴uge︵我なき後ほ野となれ山となれ︶::=ム﹂  

さらに︑この擬制資本は︵他の擬制資本と共に︶銀行に集ま  

る︒そして銀行はこれを預金又は自己資本で以て取得し︑さら  

により広汎な信用制度の幻影的土台として役立ち︑この信用制  

度内でまたもこの擬制資本が倍化し︑生産拡張をぎりぎりにま  

で上昇させるのに使われ︑どどの語りはその後ぬ来る恐慌で崩  

壊しかつ一切合切を追伴れにする結果となる︒  

9 8   

)     )  

7 6 5 4 3 2 1   

)    )    )  \−ノ   )    )    )  

現代株式会社法構造の状況的理解のための覚書 1   くg−.D.kapita−︸局d・寧S・ひN−.  a.a.〇こ田d.肖−S.∽∽〇.  a.a.〇.﹀出d.崗︶S.∽lヾ∽.  a.a.〇:S.叩NN.  a.a.〇ニS.A00ー.  a.a.〇.﹀出d−肖︶S﹂史ご出d−国﹀S.∽書u■琵−●  例えば︑鉄道制度特有の原因がD・只apita−﹀出d・戸  S.−票uL謡堅不されている︒  

即d.目.S.N¢N戸彗00.  a.a.〇.﹀  

<g−●Hi−feldings︶Das Finan謎apita−−出eユin−澄↓︐  

S.−∽−.   って重要である︒   

14︶a.a・〇.︸璧・Ⅰ︸SルN∞−・  

④ 株式会社と資本主義の基本矛盾   

社会的生産力の発展・生産手段社会化の発展・生産力の社会  

的性駐強化に基いた︑生崖刀山柾宏椚性良どbPガ出払 承認し  

た資本制企業形式が株式会社に他ならないが︑そこでの取得形  

式はいぜんかつヨリ強められて私的・資本主義的である︒故  

に生産の社会的性格と取得の私的形式との矛侶=基本矛盾がヨ  

リ深まる︒生産の大規模化・社会化の発展に必要な大資本畳が  

株式会社によって調達可能となるということほ︑必要貨幣資本  

畳の二調達方法を表わすだけであって︑これにより山方では生  ヽヽヽヽヽ  産の社会化の発展がもたらされ︑地方では生産物お取得ほます  

ます︵株式会社形式をとる︶大資本の下に集積される︒株式会  

社ほ︑つまり︑﹁資本制的蓄積の法則﹂および﹁資本の集砧・  

集中の法則によって資本主義の基本矛盾が発展する劇場合には  

かならない﹂ ︵参照︑上林・前掲37〜40頁︶︒  

13 12 11 

)  \、..′   )  

0  

1  参照︑拙稿︒杏経32巻6号73頁所収のロレンツオ・フ  

ォン・スタインの言葉︒  

D.只apita−︸弱d.肖いS.−誓●  

a.a.〇こ宙d.芦S.缶抽.︵エンゲルスの補退︶︒  

a.a.〇こS㌫−崇.F∽P.L この二億所ほ本断金体にと  

︵三七五︶ 三五   

(16)

こ  ﹁管理の義務︑株式会社・株主の関係︑適切な責任形態︑これらほ今日まで株式会社の内部構成の中核問  

題たり続けている︒株式会社では部外管理者の自由決定さと実質的梅原者たる株主の並外れて些少な監督可能性が 

結びついている︒私法上この対比の鮮かさにおいて他に例のない利害状況は株式会社の任務からもたらされたもの・  

である︵Mestm抑cker一a●a−〇.﹀S●望﹂   

しかし︑近代株式会社の法原型を打ちだしたフランス商法典は︑株式会社の離職に関するかぎれごく原基的規冠  

7⁚−︑︑︑ニストラシカン  しかおかず︑株式会社にあてた九ケ条︵29〜37条︶のうち会社の業路執行を扱ったのはニケ条にすきなかっ  

た︒即ち︑第31条が﹁株式会社ほ︑免職可能な︑社員・非社員いずれたりともの︑有給または鯉債の︑期限つき受.  アドミニストレ  任者︵mandai蒜a tempS︶によって︑業務執行される﹂旨規定し︑また第32条の規定によれば︑これら取締役略  ゼプチオ︑′  マ/ダ  彼らの受けた委任の執行についてのみ芸を負い︑かつ取締役は︑彼らの管理に因り︑会社の債務についていかな  

る人的義務も連帯義務も約するものでなかった︒右二条文の他に︑フ商法典は取締役の地位に全然言及せず︑取締  

役会の存在そのものはもちろんのこと取締役の活動条件にも触れる所なかった︒さらに︑フ商法典は今日の株主総一  

︵1︶  会に当る審議械関や監督機関に何ら言及しなかった︒フランス株式会社法の業務執行機関に対する規制のいささか 

特異な発展ぶりは後述の箇所に委ねる︒   

フ現行法︵劇八六七年法22粂︶ほなお株式会社取締役に特有の要件として取締役が株主の互選によることを求める・  

が︵H礪254Ⅱ条−昭13改正1昭25改正対照︶︑本質的にほ資本制社会に共通に株式会社の株主・取締役の異質性ほ自明J  

の現象であり︑株式会社法理の普遍的建前たる﹁企業を目的とする︵自然︶人の結合に対する権利能力の賦与﹂ 膵    第三十三巻 窮三号  

緒論 問題の設定と射程   ︵三七六︶ 三六  

(17)

本来純財産行為だった社員の対会社関係を再び著しく財産法的関係に変じる︒このことほ遊休貨幣資本の社会的動  

員・自己資本化槻構を本質とする株式会社の結合概能資本性から当然であるが︑株式会社法の自己確せほ︑そもそ  

も︑機能資本性の表現に他ならぬ取引主体性を反映した法人たる株式会社が会社資産全部の所有・占有を収めるの  

に対し︑実質的植原者たる個人︵株主︶ほ定額貨幣資本供与とひきかえに一定割合の社員地位上の諸権利を取得す  

る︑という構成の体系化によっセ成就されたのだっ・た︒   

右に触れた株主権の財産法的変容から生じた緊張が集中するところこそ株式会社の管理機関である︒取締役は  

1トラスチイ 受託者であるといわれ︑その義務はこれを去口として説明できるといわれる︒この意義ほ後に検討するが︑他人の  トラヌト ︵2︶  財産管理から生じる利害対立を高度な適切さで処理する法制度たる﹁信託﹂をもつ英米法軋おいて︑またドイツ法  

でも︑取締役という所詮は部外管理人の義務がカズイスチックに規制されている︒諸国の判例・学説はかく受託者的  

立場︵監uciarypOSi−iOn︶に立つ取締役の地位が﹁職務︵Amt;f叫ic2︶﹂でありしかもドイツでは公法的性質の  ︵8 義務を伴うとする︒   

これで思合わされる後見人・過言執行人・道産管理人・和議ないし破産管財人の任務ほ財産管理なる目的によっ  ヽヽ  て厳密に限定されかつその権能も明確に枠づけられているが︑株式会社企業の管理を同様な形で限定はできない︒  

だが債務者に他人財産維持を義務づける債権法上の契約︵雇偲∵委任など︶から株式会社の管理者が占めるべき特殊  

地位が明確に認識できる︵代表と代理の計質︶筈である︒しかし株式会社では﹁雇主﹂紅指令の可能性が欠けてお  

り︑普通ならよくみかける勤務義務者の勤務請求権者に対する人的結びつきがなく︑勤務義務者たる取締役の大巾  

な自由がある︵代表と代理の顛質︶︒生ける現実の株式会杜は株主をめぐってでなく管理陣とその営む企業に現われ  

る︵代表の神話と現実︶︒それ故︑DOddほ︑周知のように︑manager一の受託者的義務の員徹が一般に可能か否か︑  

現代株式会社法構造の状況的理解によせる党苔 1  ︵三七七︶一一毛   

(18)

第三十三巻 第三号  ︵三七八︶ 三八  

︵1︶  ︵5︶  疑問視した︒株式会社発展の歴史と現実状況に照したこの間題の検討がたえず行われる所以もこの点にある︒   

︵l︶ J・Escarra﹀Tr・thかOr・et prat・de dr・CO月m・u Les SOCi巴訂cOmm・T・苧−盟芯一p・P   

︵2︶ cf・G●W●只eetOn﹀SOCia−C訂nge in the Law OfゴustsV CF≦T訂DirectOr aS Trustee一−綬00一p−空〜遥●   

︵3︶ Of・GOWer∵Pr.〇f mOd.cOmpJaw.Nnd ed.−誤↓﹀p.舎−et s∴Mes富許kerV S.P   

︿4︶ DOddLs Effecti諾EnfOrCement Of the句id宍iary Ob−igati昌S Of COrpOrate Managers POS乳b−e〜N U一CEc●L︐  

Reく●−筐︵−盟と●   

号︶参照︑大隅・変遷論146〜147異︑池田・中利﹁株式会社支配の法的研究﹂122〜146弓  

二︶ 従来主に語られ︑またとりわけわが会社法の対象となっている理念型は︑経済的にまた従って法的にも独  

立企業を営む株式会社の管理についてだが︑今日沼動する株式会社の大多数ほもうこの前提要件を充さず︑法的に  

独立な株式会社が決定的資本参加・諸契約に由ってコンツェルンに組入れられる︒コンツェルン権力は傘下諸杜の  

統一指揮を︑独立の株式会社の管理と同じ法形式で行う︒支配会社でほ経営陣が資本参加・コンツェルン契約に基  

く諸権利を代表する︒被支配会社が事実上ないし法的に支配会社に従属するのに︑コンツェルン傘下の被支配会社  

の機関も自社の業務を指揮する︒非従属株式会社の場合と対照的に︑この企業合同に基因する特殊な矛盾がヰじる︒  

娃団設立自由により自然人・法人ほ自設の権利主体という形で ー その極限例が山人会社 − 別の自己に向いあう  

ことができる︒従属法人は︑往時の株式会社出現と同様に伝来の所有権法体系を撹乱するのみならず︑宅i詳nsdO  

ぬmaなる資本制機構の大前提の上に築かれた血切の制度にも難を及ぼす︒従属会社にあってほその株主の共同利  

害なりその営む企菓の繁栄配慮が決め手なのではなく︑支配会社の利害が決定する︒これが従属株式会社の行為を  

姐定する︒支配会社が従属会社の唯一株主でなくば︑局外株主の持分は他人の管理に服することになりかつ会社外   

(19)

の目的に役立つこと庭なる︒今日ます喜多様に形成・深化されつつあるコンツェルン状況と孟から取讐ない  

︵1︶  会社法論は無意義である︒   

︵1︶この点のわが国の先駆的労作は︑大隅・会合同法の研究︵昭10︶◇ドイツの文献および問題点についてほH・W蔓n軍  

AktieヨeCht∵岩垂Ⅴ只aユsruhe﹀S.−0000〜N当に詳しい︒   

三︶ ①鼓上の問題の考察に格別適しているのはいうまでもなく米国法である︒そこでほ取締役会︵bOard  

已directOrS︶が株式会社︵cO膏ra−iOロ︶ゐ竺の管理機関であり︑取締役会は法によっで株式会社の法律関係を  

形成する包括的権限を付与きれている︵cf・S−2完nS︶Hb・〇n−FelawOfpri戸COrp・旨de≡軍p・芭2  エ︒その放に管理機関の権利・義務の歴史的に株主権体系から出発しっつフランス法はど営利性と契約性に徹し  

きれぬドイツ法︵Aktieロ琵h−︶よりも十分かつ多様に展開されている︒さらに︑広汎・豊富な事実を媒介とした米  国法ほ︑コンツェルン権力の法事実的基礎を認諭する根本的手がかりとなる︒わが会社法の建前を固めた大陸法系  

療にドイツの株式法と株式会社︵cOrpOra−i旦法は︑資本制社会荒ける株式会社の機能の普遍さ故に︑比較可能 ︵1︶  であり︑同忘生活関係が提起する利害対立にちなんで各法秩序がいかに共通の課題を遂行するかを認識しょう︒   

︵1︶この点の米国会社法に関するドイツの文献は︑Mes−蔓ker︸a・a・〇⁝H・只→OnS−21n盲Ob−em2d2SmOd2rnenameri・  

kanischenもーp邑i昌ニーRec貫inRabe−s〜・−畢S哀買古いものには声Ha家ei2DieAktienr2CFtニer  

Gegenwaき野−in−霊㌘∽cFヨeyuAk−ieu・AktiOn賢nR2CF−eder看e昔嘗mS−aa−enml−・be筈d2rer野註  

・SicF︷曽ng旨→rus−bild亡ng盲arburg−箆古∵Nahn箋ir−schaf−sf旨2r−uB邑看−rags2tEkinAktienrecざ  

Be旨︸Leip昇−望フランスの代表的文献はHub2註1epargneき1esSOCl註sCOmm・au監tats占n−Sd這m賢q   

ue.Leut Rかgime j亡ridi讐e﹀Par−S−誤−け  

現代株式会社法構造の状況的理解によせる覚書 1  ︵三七九︶ 三九   

(20)

第三十三巷 第三号  ︵三八〇︶ 四〇  

⑧ 本稿の論及は主に狭義の株式会社法に限られる︒株式会社管理機関における労働者の共同決定権や労  

働株︵actiOndetraくai−︶にも立入らない︵それは︑この種の制度は職能別ないし産米別紳合方式の欧洲で労働者に愛社心を  

吹きこむためが本質であって企菓別組合方式のもと労働者が本来的に愛社心鱒富むかつ経営者側が﹁経営権﹂を振りまわすわが国  

ではこれを受入れる基盤・必要はないし︑会社制度に内在する問題でないからである︒ド共同決走法問題の社会的・歴史的意儀  

は.塁・W・琵rscb−W2b2r甘Gぎerksc訂f−enind2rPO宴k二宮警警−nundOp−adenこ苫S.ドイツ現行経営参  

加制度の法的内容の簡要な概観は﹂応−.H・W旨dinger.Aktienrec貫Kaユsru訂−誤P∽﹂琵〜−父ご=声Her−in﹀Les  

申眉erienceAemandesdeCOge註On●Technique朝etRgisatiOnS﹀Paris−誤00冒柏pの.︶︒コンツェルン法の  

会社法的問題ほ個々の会社形式上の基本問題から分離すべきでないから︑コンツェルン法の取扱いももっばら株親  

会社法に限り︑ドイツに盛んな有限会社紅絡む問題ほ触れない︒企業形式を離れたコンツェルン法の問題ほ社員地  

︵1︶ 位に関するものでなく︑すぐれて会社債権者に対する有限責任に関連する︒この点でほ株式会社が体系的かつ法事  

央上適当な手がかりを与える︒   

戦後わが国の﹁法人成り﹂現象から周知のように︑税法は長らく会社法よりも強度に株式会社経営陣の行動を規  

︵2︶ 達するが︑それほ経営指揮についてと同じく会社形式の選択についても当てほまる︒理論上も税法・経営学ほ会社  

へ8︶ 法がかつて企業合同論で占めていた主導的役割を奪いさっているが︑︹我国においてそノの意味で画期的だったのほ  

Tこ 増地﹁株式会社﹂︵昭12初版︶︺︑税法的研究ほ会社法に課せられている任務を選別するのに役立つ限りで利用される︒  

経営学は︑コンツェルン化の一特長が︑コンツェルン会社の営業取引がコンツェルン関係外の契約当事者から遠ざか  

りそして劇様に純経営的制約をうけた企業指揮にほまりこむ点に在る故︑コンツェルン法の補助科学として利用す  

べきである︒   

参照

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