一その背景となるもの
赤 尾 憲 一
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P869年に出版されたMark Twainの初めての長篇丁んθ1ππooθ冠8
」ゐγoα己 は,明るい笑いに満ちた作品である。少くとも・大ざっぱにいっ
て,その前半は初期のTwainの特色であったヒステリカルなユーモアが,ほ
とんど影をひそめて,かわりに明るく,はしゃいだ,邪気のないユーモアが随 所にあふれている。これは同書がヨーロッパ観光旅行の報告記であったという
事情が,何よりも大きく影響しているといえるだろう。Twainは西部・こと
にSan FranciscoやNevadaのCarson City における,i雑
ばくで殺伐とした人間関係から解き放されて・いまだ見ぬヨーロ・パ大陸の・
さまざまな楽しい経験を予想して・心は浮き浮きしていた。もう一つ・アメリ ヵ人としては初めて「自主的」に,旧文明に接したという事情もある。それま でアメリカ人でヨーロッパへ旅行した人たちは,すべて単純な西欧崇拝者であ
り,裏返せばアメリカについての劣等感の持主だった・これに反し丁肋1π一 πooθ撹8 」ゐγoα己 には,いささかも卑屈な態度は見られない・悪びれず・
先入観にとらわれぬ自主的な目でヨーロ・パを見・そのよい点は率直にすばら しいと認め,その悪い点は遠慮なく批判し・それに比較してアメリカの良さを
認めている。こうした事情のため・この作品は・いつも1オクターブも2オク
ターブも調子が上っていて,説明文にはさまれて随所に笑いを目的とするエビ ソードがもりこまれているばかりでなく,説明文自体も説明とユーモアとが分 け難く溶けあっているということがめずらしくない。この作品ほど明るく朗らかな作品はTwainの場合他にないし,また同時代のアメリカ文学の中にも・
・これに匹敵するものはまず見当らないといっていいであろう・
ところで,そういった特色を持っ同書も,後半に入ると・おそらくは旅の疲 れからであろうが,目に見えて浮かれはしゃいだ気分が少くなってゆき・淡々
とした訪問地についての報告記事のみが目立つようになってくる。そのため作
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i全体からみると前半に比べて後半の方が見劣りするという結果になってしま っているが,しかしユーモアという点に限ってみた場含,かえって好都合とい えないこともない。すなわち同書に於けるユーモアの質が,比較的くっきりと 浮かび上ってくるからである。7加1脇ooθ撹8」ゐγoααのコー一モアを考えて みるにあたり,あえて最も人気があり,また愛読されている前半のいくつかの ユーモラスな個所を避けて,後半の部分からその具体例をピ。クア。プしてみ たのも,そういう事情からである。
第二部もおしつまった第・26章に人類の祖アダムの墓を訪問するくだりがあ る。第二部の後半は,いわゆる聖地訪問にまつわる記事で,いわば同旅行の核 心にあたる部分であるけれども・長期にわたる旅と,聖地における酷熱の気候
とが,旅行者一行を著しく疲労させ,そのため前半のフランスやイタリーにっ いてのあの,「シャンペンのグラスのようにきらめき」その上「腹の皮をよじ らせるほど」面白い説明はすっかり影をひそめてしまっている。アダムの墓訪 問の報告はそういった中の一部である。まずその部分を引用してみよう。
The tomb of Adam!How touchi㎎it was, here in a 1創nd of stra㎎ers・far away from h㎝e, and friends, and aIl who cared for me, thus to discover the grave of a blood relation.
True, a distantσne, but stiH a re】ation. The unerring in一 sti皿ct of nature thrilled its recognition. The fountain of my filiaI affection wa8 stirred to its profoundest depths, and I gave way to tumultuous emotion。 I Ieaned upon a pilIar and b皿じst into tear8・Ideem it no shame to have wept over the grave of my poor dead relative.Let him曲o would sneer at my emoti㎝cIose this volume here, for he wiIl find Iittle
to his taste in my journeyings through Holy五and. Noble old man・・…he did not Iive to seeme…・・.he did not Iive to 一 see his child. And I・…1・一・・alas, l did not live to seeん乞ηz.
Weighed down by sorrow and disappointment, he died before】
w曲rn・_six thous調brief s㎜ers加for l w曲rn.
But let us try to bear it with fσrtitude. Let us trust that he i s better off v雌e he is . L,et us t曲 comfort in the thought ちhat his Ioss is our eternal gain.
Twainは故国から遠く離れた地で「血縁のもの」に出合ったことが彼をこ
の上なく感激させたといい,その感激のためさめざめと涙を流したといってい る。しかしながら,この一見まじめそうな表現も後半を読むことによって,彼 一流の感情過多な言葉遣いによる皮肉であることに気がつく。表面はいかにも 人類の祖アダムの墓にめぐり合えた僥倖を喜こびながら,しかし実は彼はアダムの墓なるものに感激する見物客を嘲け笑い,また麗々しく墓を飾り立てて語 く連中の意図を皮肉っているのである。それというのもこれがアダムの墓であ るという証拠はどこにもなく・・一 前節でTwainは「アダムの墓でないと証 明した人が一人もいないのだから,アダムの墓であることはまちがいない,と
皮肉たっぷりに説明している……いやむしろ,はっきりいって客寄せのため
のいいかげんのものであることを見抜き,そうとすれば人々がどのようにありがたがろうとTwainにとってはまったく無意味であるからだ。一般の人々は
アダムという人間の古さを思い,そしてその墓に偶然めぐり合えた奇跡的事実 に,いわば観念的に圧倒されてしまう。一般には,「古さ」と「価側とを結びつけが ちだが,それというのもその古さと現代との深い結びっきのためであり,現代 文明の本質を今日のものたらしめたことと強い因果関係を持っている場合が少くないからだ。とすれば地上に現われた最初の人間といわれるアダムの墓は,
それが存在すると考えただげでもきわめてロマンティ・クであり・古さという
点からは地上のあらゆるものに優先し,それだけに強い関心をひき起こすも
のであっただろう。しかし丁冊in にとっては事実だけが,疑いよちのない,手 に触れ目で見れる事実だけが意味のあるものだった。たとえアダムの墓といえ ども,その信ぴょう性が確実な事実ないしは史実によって裏付けられなければ ならなかった。こういった態度の背後にあるのは観念,感傷の否定であり,言いかえれば現実の絶対重視であるといっていいかもしれない。この事実,現実 配
だけを信頼できるものと考える彼の態度は丁加瓦πoo¢撹3渤γoα己の冒頭
より随所に見られるところである。いやむしろ本書は終始一貫して,そういっ たリアリスティックな姿勢に終始しているといっていい。コロンブスの真筆な るものを茶化すところも,エジプトのミイラを皮肉るところも,すべて同じくリアルなものだけが信ずるに足るといったTwainの基本的態度の具体例であ
る。このようないわばヨーロッパ観光旅行の見せ場に澄いても,一時の感激,興奮はあっても,結局のところ落ち着く先は,単に「言い伝えられ」ているに過ぎ ぬものが,果して信ずるに足るのかという懐疑心であった。そしていわばヨー
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ロッパの歴史,文化の象徴であり具象化である歴史的遺産や名所,旧跡も・あ らためて自分の現実感覚に照らして考え直し,少しでも疑わしいものは笑い・
やゆ,皮肉の対象とした。その笑いはあるときは喚笑となり・あるときは感傷 過剰という仮装となり,またあるときはさりげない控え目な表現となった。
7んθ1ππoo飢加オ脅o認におけるユーモアは,こういった現実主義から生れ たものであるが,次にそれがどのような事情のもとでTwai nの骨肉となった かを考えてみたい。
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@「西部」という広大な地域に論ける千差万別の生活について・単純化して考 えることは危険なことであるかもしれない。しかしそれら全部に共通する原理 を明確にすることはできないまでも,少からぬ部分に見られた似かよった生活 態度や,それを隼じた外的・内的必然性や・またその結果生じた社会習慣など といったものの基盤にあるものについて若干の推測をしてみることは可能であ
ろう。
西部では・ ・そしてかつては東部に澄いても同様だったが一 そこを自 己の新天地として移り住んだ人たちにとって,生活条件がどのようにきびしく
とも,そこにしがみついても生き抜いてゆくことが至上命令だった。新しい天 地は究極的には希望を約束する「乳と蜜のあふれる地」ではあったが,移住当 初は,いうまでもなく苦しい斗いの連続だった。いかにして苛酷な気候を耐え 忍ぶか,原住民や野獣の脅威をどのようにしてしのぐか・農業や牧畜等の基本 的生産手段を取りまくさまざまの悪条件をどうやって克服するか。そしてこう した危険を征服して,いち澄うプリミティブな社会ができても,そこにはそこ でまた,日常生活にともなう種々様々のトラブルがあり,あるときはマラリヤ などによって代表される手強い病気に・あるときは無法状態に・またあるとき は天変地災などによって生活はいつも不安定だった。安定した社会では想像も できぬような,いわゆる奇想天外な出来事が日常茶飯事のように発生した。こ
ういった面にっいてこれ以上,こ\で詳述している暇はないけれども,た冥い えることは,このような生活が西部人たちの性格を,きわめていかつく・喜怒 哀楽を内に澄しつつみ,激情を強烈な意志でもって抑えつけ,明日へのあてに ならぬ希望や昨日への懐古趣味とは無縁の,掛げ値なしの現実主義者にしてし まったことは想像できよう。ことに,さしあたって冒頭の小文との関連において 考えれば,西部人は正真正銘の現実主義者だったが,それというのも心の最も
奥深いところでは明日への思いを烈々たる赤さで燃え続けさせながらも,しか しさしあたって現実には明日をどう迎えるか,いや今日一日をいかに過すかが 焦眉の問題だった。こういった事情が否応なしに彼らを最も素朴で,しかしそ
れだけ本物の現実主義者にしていった。カンザス州出身の上院議員Jo㎞J.
1㎎alls U833−1900)はその辺の事情を次のようにいっている。彼は カンザス州について述べているのであるけれども,この「カンザス」という言 葉を「西部」という言葉に置き換えていっても同じことであろう。
For a generation Kans闘has been the testi㎎ground for ev一 ery e贈riment in morals, politics, and social life. Nothi㎎
ha8 been venerable or revered merely because it exists or has endured.㌔.every incoherent and fantastic dream of s㏄ial im一 prove叩ent and reform, every economic deIusion... every pol it一
ical fal I㏄y nurtured by mi sfortune, poverty, and fai lure, re一 jected elsewhere, has here found tolerance and adv㏄a£y....
There has been nei ther pe ace, tran qui l l i ty, nor repose. The
farmer can never foretelI his harvest, nor the merchant his gains, nor the politician 1曲suprem{肥y. Somethi㎎startli㎎
has always ha確ned, or bas been constantly anticipated.
将来への夢がその唯一の生き甲斐であった彼らにとって,その将来がこれほど 当てにならぬものであったのだから,過去について思い患ったり懐しんだり,
要するにそれにとらわれることは問題外だった。そういう意味で彼らはローマ ンティシズムとは無縁だらた。過去と何らかのかかわりあいがあるとすれば,
っまらぬ失敗を二度と吾かすまいとするときにのみ,過去は彼らにとって意味
を持っていた。こうして未来を当てにできず,過去を懐しむゆとりの持てぬ西 臨
部人たちは,た冥この一瞬々々を生きてゆくことに没頭した。「アーカンソー の旅人」という小話がある。アーカンソー地方を雨に難渋しながら馬で旅をし ていた一人の男が,やっと一軒の人家を見つけたので,急いで雨宿りを頼むた めいってみると,一家の人たちが皆軒下に出て雨にあたってふるえながら立っ ている。お前さんたちはどうして中に入っていないのかときくと,中の方が雨 漏りがひどいという。屋根は西部特有の泥屋根だった。ではどうしてお天気の とき修理しておかなかったのか,ときくとお天気のときは雨漏りはしない,と いうのが主人の答えだった。この有名な笑話は,西部に澄ける前述のようなタイ
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プの人々の中で最も素朴なレベルの人たちを描いた,ユーモラスでせっない小 咄である。こういった精神は先にも述べたように,一言にしていえぱ現実主義
といえるだろう。Twainが1867年にヨーロッパに出かけたときは,彼はそ
れまでの西部に澄ける生活で,骨の髄までこのような精神を身につけていた。それは現実にしか関心を持たず,したがってすべての対象の価値判断を現実と のかかわりにもとずいてするという,いわば西部の大地から生れたとでもいえ る生活態度だった。
こういった態度,ものの考え方がヨーロ。パの歴史的遺産に触れたとき,ど のような反応を見せたか。西部人は性格が強烈で,頑固で,非妥協的だった。
これは西部でのきびしい生活の結果ともいえた。反面彼らはまじめで,素朴で 泥くさく,間違っても観念の遊びなどをすることはなかった。こういうタイプ の連中が新天地でもろもろの経験をしたとき,それらの価値判断をほとんど直 感的に,きびしい環境を乗り越えることを可能ならしめた天性の英知とでもい うべきものを十二分に発揮して,ほとんど直感的にせざるを得なかった。対象 から虚飾を剥ぎとり,対象の本質,核心にせまるものだった。古いものに価値 を於く人々が,えてして価値あるものと思いこんでしまうものでも,たゴ単に 古いというだけでは価値あるものとせず,現実にいかにかかわり合いを持っか という一点のみからすべての事物の価値判断をした。アーカンソーの旅人の小 咄のユーモアは,この直感が滑稽なほど限られてしまった例であるが・しかし 本質はよく示されている。彼らの批評には学問的裏付けがなかったので,間違 っていたり,ひとりよがりであることが避けられなかった。また事物の周囲に 才月と閑暇が附着してゆく霊妙深遠なるものへの関心はなく,またそれを感取 する能力にも欠けるきらいがあった。しかしこのような欠点にもかかわらず,
意想外な経験を繰り返し身を以て経験した結果身についた判断力は,先入観に よってわずらわされることなく実感によってよく対象の本質を見抜くことがで きた。ことにそれは権威に対しては有効であったが,それというのも彼らはま ったく権威に無縁であり,したがって怖れることなく冷静に判断しえたからで ある。コロンブスの真筆なるものも,アダムの墓も彼らの内心に直感的感動を 引き澄こさぬ限り無意味であり滑稽ですらあった。こうして幾多の文化,歴史 上の名所,旧跡,重要物件やそういったものへの無批判的崇拝が彼らのやゆと 冷やかしの対象となった。
Twainは丁加∠?〜πoo2π63」厨o磁の中で終始一貫して上述のような態度
でヨーロ。パの名だたる文物に接している。上述のほか,エジプトのミイラ,
キリストの最後の晩さんの絵,大コロシアム,ミケランジェロ,アベラールと エ・イーズの物語等々,それぞれの訪問先にっいての描字のいわばクライマッ
クと思われる部分で,いずれも旧文化への先入観にとらわれずに・西部人らし い現実主義の立場から遠慮のない批判を下し,自主的態度をくずしていない。
もっともそのすべてが必ずしも首肯に価するものではなく,中にはいささか未 熟の感がないわけではないけれども。ともあれリアリズムは,いわばぎりぎり の生活上の必要から生れた態度であったから,彼らはこの態度に劣等感を持た なかった。持ってみてもはじまらず,これ以外に生きる方法がなかったといっ
た方が当っているだろう。Twainは,だから,ヨーロッパへいって少しも卑
屈にならず,ヨーロヅパ文化の実体を直視することができた。卑屈になったのは,Twain より素養もあり,レ・わゆる育ちもよかったMelvi HeやH.James の方だった。両者の相違はShakespea」eやBible に対する態度を比較して みると分り易い。Me】villeはBibleもShakespeare も,自分にとっては,
文化のエキス,絶対の軌範として疑わず,自分の教養の中核においていた。彼 はBibleやSh曲speareからの引用によって自分の描字に品ともっともら
しさとを加えようとした。これに対してTwainの方はどうだっただろうか。
臨o雇召加γη∬乞㎜・の第20章から2,3章の間にR伽¢oα掘ん♂乞8≠な
どの名作の場面が登場する。しかしここではMelvilleの場合とは違って・Shake speareに対する敬意からではない。 Twainは二人の悪漢どもに彼ら
の低い知的レベルまでShake spe areを引きずり下ろして勝手に使わせている。Shake spe areは利用し捨て去られる。神聖な存在ではなく一っの利用価値に
すぎなくなってしまっている。同じようにH.Jamesもヨーロッパ文化に接
した西部人を描いた作家だった。彼はr勧オ那θ悔oαπの中で典型的西部人Newmanを主人公にして,ヨーロッパ文化の中にほうり出されたアメリカ人
という立場を演じさせたが,彼の演じたドラマは悲劇に終っている。Newman
はどうしてもヨーロッパ文化の中に溶け込めず,さりとて自主的にそれを批判することもできなかった。この物語をかいたJamesの姿勢にはマ種の卑屈さ
が感ぜられる。おそらくそれは彼がもの心つく頃すでに,ヨー・ッパ文化の中 にとっぷり身を浸してしまっていた事実によるのかもしれない。別の言い方をすれば,彼は知ってしまったのだ…一自分たちの文化の上にもう一つの文化
があるということを。そしてそちらこそ本家本元であるということを。この点8
では・しょせんアメリカはヨーロッパの比ではない。他方Twainもいずれは
この事実を知るわけであるけれども・それまでに彼の個性はでき上ってしまっ ていた。∬㏄初θ碗γη」F粥πという作品は,何よりも雄弁に,彼が「西部」とい う世界に絶大の愛着と自信とを持っていたことを物語っている。それは簡単に いえば太西洋の向う側ではすでに一つの文明が完成し,今ようやく衰退にむか いつつあるのに対し・新世界ではようやく新しいエネルギーが台頭しつつあることへの自信であった。Newmanにまつわるコー一モアはどうしょうもなくも
の悲しげだが・Twai nについては底抜けに明朗なのもその違いは以上のよう なところからきているといえる。@ 3
@丁加伽πoo6撹3!霊伽磁は無類に嘉もしろい作品である。生き生きとし,
機智に富み・物事の本質をつき,それでいて読者を抱腹絶倒させるようなユー
モアが・到るところに満ちあふれている。Twainはこの作品で,彼が西部で
仕入れた笑いのテクニ・クを十二分に駆使し,題材をヨーロ。パにとって笑いの一大傑作を作るのに成功した。おそらくおもしろいという点では,Twain
の全作品だけでなくアメリカ文学の全作品の中でも,この作品の右に出るもの はないのではあるまいか。しかもこの作品の偉大さは,た冥おもしろいという だけではない。同時に偉大な文明批評になっていることが,この作品に深みも 与えることになっている。ヨー・。パの文明がその長短両所を,この新大陸か らやってきた青年の曇りのない視線の前にあらわにされた。と同時にまたアメ リヵという新世界が生み出しつっあった新種の文明の長所短所も明らかにされた。そしてそれらはいずれもTwainがリアリズムの立場から曇りなき眼で,
先入観なしに両文明を直視した結果であった。この権威にとらわれず,先入観 にわざわいされず,対象をあるがま\に見るというのは,西部のいわゆる
vernacu】ar h旧mor の本質的特質であった。 Twainが西部時代に身に
つけたこの Ve rnacular hmlor という武器を使って,西部のみでなくヨ 一・ッパ文明に立むかったとき,それは一西部のユーモアでなく世界のユーモアとなった・こうしてTん¢♂㎜00θ撹8渤γ0磁は数年後に書かれたRoω9伽9 あと並んで・Twain の,いや,アメリカ文学の中で,最も楽しく,そして
最も深みのある作品となった。L