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そもそも「ノワール」とはなにか、という問いからこの「講義」ははじまる。

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Academic year: 2021

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『「マルタの鷹」講義』の受講者であれば、この「ノワール」の「講義」には 別の意気込みをもって臨むべきだろう。『マルタの鷹』というひとつの作品に 切り込んでいく「講義」を仮に「ゼミ」とでも呼ぶのであれば、『ノワール文 学講義』はさしずめ「概論」といったところだからだ。しかしながら、この「概 論」も、けっきょくのところ、ダシール・ハメット論へと収束していくのであっ て、「講義」名だけを見て登録してしまったという受講者のなかからは、予期 していたものとちがった、という声が漏れ聞こえてきそうでもある。それでも やはり、ハメットが他のハードボイルド探偵小説家たちとは一線を画す「成長」

を遂げた、ノワール小説の先駆かつ確立者であり、いかに稀有で魅力的な作家 であるかということについては十分に説得されるだろう。

そもそも「ノワール」とはなにか、という問いからこの「講義」ははじまる。

第一章「黒の黎明」、 「黒い誘惑─初期ノワール小説について」である。「ノワー ル」は、第二次世界大戦後のフランスで相次いで上映されたアメリカ映画を総 称した「フィルム・ノワール」に由来し、明確な定義もなければ、ジャンルで もない。ただ閉塞感という「雰囲気」をもつ作品を指すのだという。この「雰 囲気」は 30 年代という大恐慌の時代を背景として書かれたことによるもので、

それを共通項に初期ノワールとして緩く括られる作品群は、ゆえに、社会批判

倉 田 麻 里 諏訪部浩一著

『ノワール文学講義』

(研究社、2014 年)

〈書評〉

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をその基底とする。本書では、そうした社会批判性を重視するため、初期ノワー ルと戦後の後期ノワールとを区別する。そして、その起源を自然主義小説に遡 るのだ。

本書における「ノワール」の輪郭は、この社会批判性のほか、ひとつの「構造」

が見出されることによって、さらにはっきりと浮かび上がってくる。その「構 造」というのも、第一に主人公が閉塞した状況におかれ、第二にそこからの脱 出を試み、第三にそれが失敗に終わる、というものだ。それは順に、リアリズ ム、ロマンス、悲劇に準えられ、ノワール論は一気に「小説」というジャンル 論へと敷衍される。

このように、構造的に「小説」というジャンルそのものの歴史さえも包摂す るものとして本書ではダイナミックに解される「ノワール」小説が、その名の 由来が暗示するように、当時新しい成長産業であった映画と互恵関係を結んで きたことは、次章「黒の光佄」、「ノワール小説の可能性、あるいはフィルム・

ノワール」で論じられる。ノワール小説と映画とが影響を与え合うなかで、そ れぞれ互いのメディアの差異に意識的になり、独自の特徴を際立たせるような 作品を創出していったのだ。

つづく「ファム・ファタール事件簿─ハードボイルド探偵小説の詩学」では、

E ・ S ・ガードナー、ハメット、レイモンド・チャンドラーの「ファム・ファタール」

という象徴的な女性の描き方から、これらハードボイルド探偵小説作家の「詩 学」を対比すると同時に、いかに彼らが「自意識」的な作家であったかを明ら かにする。とくにハメットは、他の二者とは異なり、ファム・ファタールに対 するシェルターを用意せず、探偵を、結果的には自意識を揺るがされてしまう、

ロマンティシズムとリアリズムの間に揺れる、いわば「男」らしくない男とし て描き出し、同時代のモダニズム小説をむしろ逆にサブテクスト化するような、

はるかに強力な「自意識」をもつ作家として別格に位置づけられる。

この傑出した作家、ハメットについての三つの「講義」すなわち「『ガラスの伴』

─ノワールの先駆」、 「成長する作家─『「マルタの鷹」講義』補講」そして「ハメッ トと文学」が、「黒の先駆」として最終章を飾る。著者のハメットに対する賛 辞は、端的に、作家としての誠実さに向けられているといえよう。著者が「必 然」と呼ぶ、ハメットが探偵小説作家としてたどった「成長」を、作家自身が

「必然」として受け入れていくことは、おそらく容易なことではなかったはずだ。

しかし、ハメットという作家は、非常に「自意識」的であったが ために、 「誠実」

に「必然」の声に従ったのだ。この作家の「自意識」の探偵小説というジャン

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ルとの相克は、作品において、主人公のつねに理不尽な現実を突きつけてくる 社会との葛藤として再現される。そして、それがハメット作品を「古典」の地 位にまで押し上げている。

『マルタの鷹』を基点に、「派手なアクションとスピーディな展開」のハード ボイルドから個人と社会との葛藤を描くノワールへの「成長」を果たし、さら に「成熟」へと突き進んでいった作家は、その後黙した。それがハメットとい う作家の、ハードボイルド探偵小説作家としての逆説的な面目躍如と呼びうる ということが、この章、そして本書のやや叙情的な着地点だ。

さいごに本書の年表と図版に触れておきたい。「ノワール文学年表」は、ス ティーヴン・クレインの『街の女マギー』からはじまり、フォークナーやフィッ ツジェラルドの作品が含まれ、戦後ノワールが省かれているからこそ、本書が

「ノワール」をどのようなものとしてとらえているか明示するつくりとなって いる。図版については、ほとんどがペイパーバックの表紙、ぶっきらぼうとし かいいようのないレイアウトで、映画のクリップ以外は参照されるべき資料と して機能しない。しかしあとがきにいたって、これらは、著者が留学時にその 足で一冊一冊集めてきたものなのだと気づかされたとき、圧倒的な重みをもっ て迫ってくる。すなわち、本書自体の負うノワーリッシュなナラティヴを、こ れら一冊一冊が語りはじめるのだ。「語らない」こと(紙数の制約のために「語 れ

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ない」のであろうが)の多さとともに、ハードボイルドというほかない。

これらの図版とともに著者の文章を追うのは、ハメット作品にハメットとい う作家の「成長」あるいは人生を見るのとおなじ作業といえる。「ノワール」

という茫漠とした大衆文化に、ジャンル的な枠組みを与え、その文学的拡がり

と奥行きを示し、そのより高次な芸術作品としての可能性を照らし出そうとす

る「講義」を受講し終えたとき我々は、作品であれ批評であれ、テクストの裏

側にはつねにノワーリッシュな生の苦闘があることを知るだろう。

参照

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