古文辞学と祖棟学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵二︶
相 原 耕 作
目 次
︽序︾
︽本論一︾﹃弁道﹄の概念構成
︽本論二︾﹃弁名﹄の概念構成
︵1︶道︵2︶徳︵3︶仁﹇以上第四十八巻第二号﹈
︵4︶智 ︵5︶聖 ︵6︶礼 ︵7︶義 ︵8︶孝悌 ︵9︶忠信 ︵10︶恕 ︵11︶誠 ︵12︶恭敬荘慎独
︵13︶謙譲遜不伐 ︵14︶勇武剛強毅 ︵15︶清廉不欲 ︵16︶節倹 ︵17︶公正直
︵18︶中庸和衷 ︵19︶善良 ﹇以上本号﹈
︵20︶元亨利貞 ︵21︶天命帝鬼神 ︵22︶性情才 ︵23︶心志意 ︵24︶思謀慮 ︵25︶理気人欲 ︵26︶陰陽五行
︵27︶五常︵28︶極︵29︶学︵30︶文質体用本末︵31︶経権︵32︶物︵33︶君子小人︵34︶王覇
︽結び︾
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵二︶ ︵都法四十九ー一︶ 三二七
三二八
︽本論一一︾﹃弁名﹄の概念構成︵承前︶
︵4︶智 ﹁仁﹂と同様︑﹁智﹂も﹁聖人の大徳﹂である︒しかし︑﹁仁﹂の場合と異なって︑﹁聖人の大徳﹂としての﹁智﹂
と﹁君子の徳﹂としての﹁智﹂の隔絶が強調される︒
智もまた聖人の大徳なり︒聖人の智は︑得て測るべからず︒また得て学ぶべからず︒故に岐ちてこれを二つに
す︒聖と日ひ智と日ふ︑これなり︒故に凡そ経にいはゆる智は︑みな君子の徳を以てこれを言ふ︒﹁礼を知る﹂︑
﹁言を知る﹂︑﹁道を知る﹂︑﹁命を知る﹂︑﹁人を知る﹂のごとき︑これなり︒︵﹃弁名﹄智1︑五八頁・二一五頁︶
この﹁智﹂の概念規定の中には︑﹁聖人学んで至るべからず﹂という反朱子学の標語が埋め込まれている︒﹁聖人
の大徳﹂としての﹁智﹂と﹁君子の徳﹂としての﹁智﹂との区別ができないから︑経典中の﹁智﹂が﹁君子の徳﹂
であることを理解できず︑不可測で学習不能の﹁聖人の智﹂を我が物としようとし︑﹁聖人学んで至るべし﹂など
と言うのである︒このように︑﹁世俗のいはゆる智﹂︵同︑六一頁・二一六頁︶﹁世俗の知﹂﹁世俗の智﹂︵同︑六二
頁・二一六頁︶とは異なるレベルで儒学的名辞としての﹁智﹂の概念を設定したうえで︑さらに︑﹁聖人の智﹂と君
子の﹁智﹂とに区別するところに︑聖人命名の刻印を見ることができる︒
祖練は︑君子の﹁智﹂の用例として列挙された﹁知礼﹂﹁知言﹂﹁知道﹂﹁知命﹂﹁知人﹂を先王の道と関連づけな
がら︑君子の﹁智﹂の含蓄を豊かにしてゆく︒始めの三者は先王の道との連関が直接的に示される︒﹁知道﹂は
﹁先王の道を知る﹂こと︑﹁知礼﹂は﹁先王の礼を知る﹂こと︑﹁知言﹂は﹁先王の法言を知る﹂ことである︵同︑
五八頁.二一五頁︶︒﹁知言﹂が﹁人の言﹂を直接的に﹁知る﹂ことを意味しない点には注意が必要である︒﹁人の
言﹂を判断するためには判断基準となる先王の﹁義﹂を知らなければならず︑﹁義﹂を知るには﹁先王の法言﹂を
知らなければならない︒﹁いやしくも能く先王の法言を知らば︑すなはち規矩は我に在り︑以て人の言を知るに足 ︵20︶ る﹂︵同︑五九頁.一二五頁︶︑君子の﹁智﹂は先王の作った枠組に依拠することで初めて発揮されるのである︒
次の﹁知命﹂は﹁天命を知る﹂ことであり︑﹁先王の道は︑天に本づき︑天命を奉じて以てこれを行ふ︒君子の︑
道を学ぶも︑また以て天職を奉ぜんと欲するのみ﹂という形で先王の道とつながる︒これは︑﹁然る所以の理﹂﹁吉
凶禍福﹂﹁名利得失﹂と三た﹁道﹂とは無関係のものを﹁知命﹂と関連づける﹁後儒﹂への批判でも影︵同・
五九頁.二一五頁︶︒また︑孔子が﹁命を知らずんば︑以て君子たることなきなり﹂︵﹃論語﹄尭日3参照︶と述べた
ように︑己の限界を弁えることも重要である︒﹁凡そ人の力は︑及ぶことあり︑及ばざることあり︒強ひてその力
の及ばざる所を求むる者は︑不智の大なる者なり﹂︵同上︶︒﹁聖人学んで至るべし﹂とは︑まさに﹁不智の大なる
者﹂のスローガンなのである︒
最後の﹁知人﹂は︑一般的に人を知ることではなく﹁仁賢を知る﹂ことであり︑﹁智の大なる者﹂である︒なぜ
なら︑﹃書経﹄皐陶護の﹁人を知るに在り︑民を安んずるに在り﹂という皐陶の言葉に見られるように︑﹁人を知 ︵22︶ る﹂智と﹁民を安んずる﹂仁こそ︑﹁天下を平治する所以の者﹂だからである︒しかも︑
先王の道は︑民を安んずるがために設けたれば︑すなはち宜しく民を安んずるより大なる者なきがごとかるべ
きに︑しかも人を知ることこれに先んず︒孔子︑智仁を称するにも︑また智は仁に先んず︒これ官なし︒民を ︵23︶ 安んずるの道は︑人を知るに非ずんばすなはち行ふこと能はざるが故なり︒︵同︑六〇頁・二一五頁︶
このように︑﹁智の徳たる︑人を知るより大なるはな﹂いのだが︑大切なのは︑﹁人を知る﹂とは﹁その長ずる所を
古文辞学と祖裸学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵二︶ ︵都法四十九ー一︶ 三二九
三三〇
知るに在りて︑その短なる所は必ずしも知らず﹂という点である︵同︑六〇頁・二一六頁︶︒人の長短得失何もかも ︵24︶ 知ろうとするのは誤りであり︑﹁世俗のいはゆる智﹂であって︑﹁先王の道の尚ぶ所﹂ではない︒﹁世俗のいはゆる
智﹂の基準では︑﹁鮫﹂の﹁才を知るのみにしてその悪を知らざりし﹂尭は人を知らないことになるが︑﹁尭の人を
知るは︑舜を知るに在りて︑鮫を知るに在らず﹂というのが﹁古の道﹂なのだ︵同︑六一頁・二一六頁︶︒このよう ︵25︶ に︑政治に有用な人材を登用するためには︑何もかも知り尽くそうとすることは無意味なのである︒
不可知の領域を残さず何もかも知ろうとする﹁世俗のいはゆる智﹂の典型は﹁宋儒の格物窮理の説﹂であり︑
﹁先王の教へに遵﹂って習熟することがないため︑﹁知る所はみな世俗の知﹂である︒﹁見るべし先王の道に遵はず
んば︑すなはちその智を成すこと能はざることを﹂︵同︑六一ー六二頁・二一六頁︶︒こうして︑朱子学的﹁智﹂は解
体される︒
以上のように︑祖棟によれば︑孔子の﹁知礼﹂﹁知言﹂﹁知道﹂﹁知命﹂﹁知人﹂は﹁みな先王の道を以てこれを言
ふ者﹂である︵同︑六二頁・二一六頁︶︒﹁智﹂は完全に先王の道に組み込まれる︒しかも︑全てを知ることは否定
されている︒このことは﹁智﹂の含蓄を収縮させるかというと︑そうではない︒むしろ︑﹁世俗の智﹂と儒学の概
念としての﹁智﹂とを峻別し︑﹁聖人の智﹂と君子の﹁智﹂とを区別し︑君子の﹁智﹂の様々なバリエーションを
知ることで︑﹁智﹂という言葉の含蓄を操作することが可能になる︒そして︑﹁智﹂の及ばない不可知の領域がある ︵26︶ からこそ︑操作可能性が確保され︑政治が有効に行われるのである︒
︵5︶聖 ︵27︶ ﹁聖なる者は作者の称なり﹂︵﹃弁名﹄聖1︑六一二頁・二一六頁︶が︑﹁聖﹂の命名の本義である︒何の含蓄もない概
念規定に見える︒しかし︑﹁作者﹂が﹁聖﹂概念を言い尽くしているわけではない︒聖人は﹁聡明容知の徳﹂によ
って﹁制作﹂した︵同上︶︒聖人の徳は﹁広大高深にして︑備らざる者な﹂いのであって︑﹁ただその事業の大なる︑
神化の至れるは︑制作の上に出つる者なき﹂故に︑﹁制作﹂の一点に目をつけて﹁聖﹂と名づけたのである︵同︑
六一二頁.一二七頁︶︒従って︑制作しなければ聖人ではないが︑聖人の徳は制作だけではない︒つまり︑﹁作者の称﹂
という﹁簡短﹂な概念規定は︑聖人概念を限定すると同時に聖人概念の含蓄を拡張するという︑両様の働き方をし
ているのである︒
まず︑﹁聖﹂を﹁作者﹂に限定することは︑朱子学的な道徳的完成者としての聖人概念を大きく転換させるもの
であり︑﹁作者﹂ならざる孔子が聖人であるかどうかが問題化することになる︒この点について︑祖棟は︑孔子の
道徳的完成者としての側面は一切顧慮せず︑﹁制作﹂の観点からのみ様々な検討を行い︑﹁古の聖人の道は︑孔子に
籍りて以て伝る︒孔子なからしめば︑すなはち道の亡ぶること久しかりしならん︒千歳の下︑道つひにこれを先王
まさ しボら に属せずして︑これを孔子に属するときは︑すなはち我もまたその尭舜より賢れるを見るのみ︒⁝故に且くこれを
なつ 古の作者に比して︑聖人を以てこれに命くるのみ﹂と︑あくまでも﹁作者﹂と関連づけて判断するのである︵同︑
︵28︶ 六四頁・二一七頁︶︒
次に︑﹁作者﹂という限定がかえって含蓄を広げる場面を見よう︒放伐を行った湯・武を︑他の聖人より劣るも
のと見なしたり︑聖人ではないとしたりする議論を︑祖裸は激しく非難し︑﹁それ聖人もまた人のみ︒人の徳は性
を以て殊なり︒聖人といへどもその徳あに同じからんや︒しかるに均しくこれを聖人と謂ふ者は︑制作を以ての故 なり﹂とする︵﹃弁名﹄聖3︑六七頁・二一八頁︶︒ここには︑﹁制作﹂の一点に絞った命名が﹁聖人﹂の多様なあり
方を承認するものとして機能するとともに︑﹁聖﹂の含蓄を操作することによって祖棟が聖人概念の転換を成し遂
古文辞学と祖棟学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵二︶ ︵都法四十九−一︶ 三一一二
一二
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げようとする姿がよく現れている︒
また︑祖棟は︑﹁作者﹂とは異なる﹁聖﹂の含蓄をも確保する︒
周礼の六徳に︑智と日ひ︑聖と日ふ︒これ聖人の徳を岐ちてこれを二つにし︑以て君子の徳となす︒けだし人
の性は同じからず︒故にその智は︑能く政治の道に通ずる者あり︒これに命けて智と日ふ︒能く礼楽鬼神の道
に通ずる者あり︒これに命けて聖と日ふ︒故にそのいはゆる聖も︑また聖人の徳のごときに非ず︒︵﹃弁名﹄聖
2︑六五頁・二一七頁︶
﹁智﹂の場合と同様︑﹁聖人の徳﹂としての﹁聖﹂と﹁君子の徳﹂としての﹁聖﹂とを明確に区別するのである︒さ
らに︑﹃詩経﹄や﹃春秋左氏伝﹄の用例について︑﹁古来みな智の微妙なる者を称して﹂﹁聖﹂としたとする︵同上︶︒
このように︑祖棟は︑﹁古来﹂の﹁聖﹂︑それとは異なるレベルで設定された聖人命名の本義としての﹁聖﹂︑それ
と区別される君子の﹁聖﹂を提示する︒こうした弁別作業は︑﹁聖﹂の含蓄を広げるとともに︑古文辞に見える
﹁作者﹂を意味しない﹁聖﹂の用例を︑﹁聖人﹂の﹁聖﹂とは区別することによって︑﹁聖人﹂が﹁作者﹂であるこ
とを守る⁝機能をも果たしているのである︒ ︵30︶ なお︑﹃北渓字義﹄には﹁聖﹂を主題とした項目がない︒しかし︑朱子学者にとって︑聖人は道徳的完成者であ
り︑人間として完壁な存在であるから︑﹃北渓字義﹄が記す人間のあるべき姿を全て実現しているのが聖人であり︑
その意味では︑どの項目も聖人に関わるのであって︑﹃北渓字義﹄全体が聖人をテーマとしているのだとも言える︒
したがって︑﹃北渓字義﹄が念頭におく聖人概念は︑﹁作者﹂の一点に絞られる聖人概念と異なって︑極めて豊かな
内実をもつように見える︒しかし︑豊かな内実を全て完成させた聖人の姿はむしろ画一的なものとなりうる︒これ
に対し︑祖棟の聖人概念は︑﹁作者﹂に限定することによってかえって含蓄に富むものとして構成されているので
︵濃麗・
︵6︶礼
﹁礼﹂は﹁道の名﹂である︵﹃弁名﹄礼1︑六九頁・二一九頁︶︒これは︑﹁仁義礼智信﹂を﹁性﹂とする朱子学や・
それを批判して﹁仁義礼智の四者は︑皆道徳の名﹂︵﹃語孟字義﹄仁義礼智3︶とする仁斎と異なる立場を明示して
いる︒同時に︑﹁道﹂が礼楽刑政の﹁統名﹂であることに対応しており︑﹁いはゆる経礼三百︑威儀三千・これその
物なり﹂という﹁礼﹂の個別性・具体性が示される︵﹃弁名﹄礼1︑六九頁二=九頁︶︒﹁礼﹂の多種多様なあり方
わだかま は︑﹁礼の体たるや︑天地に幡り︑細微を極め︑物ごとにこれが則をなし︑曲ごとにこれが制をなして・道はここ
に在らざることなし﹂︵同︑七〇頁・二一九頁︶とも表現される︒しかし︑人知を圧倒するかのようなこれらの表現
から︑﹁礼﹂とは何かを理解するのは難しい︒にも関わらず︑﹁礼﹂の概念そのものについて︑﹃弁名﹄は言葉を尽
くして明らかにすることはない︒
言の喩す所は︑詳かにこれを説くといへども︑またただ一端のみ︒礼は物なり︒衆義の苞塞する所なり︒巧言
ありといへども︑また以てその義を尽くすこと能はざる者なり︒これその益は黙してこれを識るに在り︒︵同・
七一頁・二一九頁︶
人知を圧倒し︑﹁衆義の苞塞する﹂﹁物﹂である﹁礼﹂の含蓄こそ︑言語による教えに勝る﹁礼﹂の有効性をもたら
すのであるから︑﹁礼﹂の概念を言葉で説明することには意味がないのである︒
祖裸は︑﹁礼﹂の概念を言葉で明らかにしようとする立場を執拗に批判する︒程子は﹁礼楽﹂を﹁序和﹂によつ
て解するが︵﹃論語集注﹄陽貨11参照︶︑﹁序はあに礼を尽くすに足りて和は楽を尽くさんや︒歯葬と謂ふべきのみ﹂︒
古文辞学と祖裸学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵二︶ ︵都法四十九ー一︶ 三三三
三三四
朱烹は﹁礼﹂を﹁天理の節文︑人事の儀則﹂と解釈するが︵﹃論語集注﹄学而12参照︶︑これは﹁善く孟子を読まざ
るの失﹂による︒孟子は﹁恭敬の心は︑礼なり﹂﹁辞譲の心は︑礼の端なり﹂と言うが︑﹁それ恭敬.辞譲の以て礼
を尽くすに足らざることは︑孟子といへどもあにこれを知らざらんや﹂︒仁斎は﹁尊卑上下︑等威分明にして︑少
しも喩越せず﹂と言うが︵﹃語孟字義﹄仁義礼智1参照︶︑どうしてこれが﹁先王の礼を尽くすに足らんや﹂︒このよ
うに︑後世の学者は︑﹁言語にのみこれ務﹂め︑含蓄なき﹁己の言を以て﹂︑尽きない含蓄を備えた﹁先王の礼を尽
くさんと欲す﹂るのである︵﹃弁名﹄礼1︑七二ー七三頁.一=九ー二二〇頁︶︒
したがって︑﹁礼﹂は﹁道の名﹂であるというそっけない説明︑人知を圧倒するかのような﹁礼﹂の多種多様性
の表現は︑無用な概念規定によって﹁礼﹂の含蓄を失うことを避ける︑古文辞学的概念構成に沿ったものであるこ とが理解できる︒不可知の領域が確保されてこそ︑﹁礼﹂は有効に機能するのである︒
︵7︶義 ﹁礼﹂と同様﹁義もまた﹂︑﹁性﹂や﹁徳﹂ではなく﹁道の名﹂であり︑﹁先王の立つる所﹂である︵﹃弁名﹄義1︑
七五頁・二二〇頁︶︒したがって︑﹁義﹂とは﹁先王の義﹂である︒ところが︑﹁人多くは礼の先王の礼たることを知
れども︑義もまた先王の義たることを知らず﹂︵同上︶︒まずは︑﹁義﹂の聖人命名の本義を弁えておかなければな
らない︒ けだし義なる者は道の分なり︒千差万別︑おのおの宜しき所あり︒故に曰く︑﹁義なる者は宜なり﹂と︒先王
すでにその千差万別なる者を以て︑制して以て礼となす︒︵同上︶
﹁礼﹂と同じく︑﹁道﹂が﹁統名﹂であるのに対して﹁義﹂は個別的である︒そして︑﹁義﹂は﹁千差万別﹂の﹁宜﹂
に対応して個別性.具体性・多﹁義﹂性が具わっており︑﹁礼﹂以上に多様である︒﹁義﹂と﹁礼﹂の関係について
は︑祖裸は︑﹁けだし先王の︑礼を立つるや︑その教へたることまた周きかな︒然れども礼は=疋の体あり︑しか
うして天下の事は窮りなし︒故にまた義を立つ﹂︵同上︶とも述べている︒いずれにせよ︑﹁礼﹂と﹁義﹂の含蓄を
活用しながら︑無窮の現実に対処するのでむ罷︒
なお︑祖棟が義‖宜という音義説的な立場を採用している点には注意を要する︒この字解は﹃中庸﹄20−5にあ
り︑纂が言及するように︑曇や黍もこれを踏まえてぬ馳・これに対し・仁斎は二義を宜と訓ず・⁝但だ其
の立日同じき者を取つて︑其の義を発明するのみ︒直訓に非ず︒⁝設し専ら宜の字を以て之を解するときは︑則ち
処々窒擬︑聖賢の意を失ふ者甚だ多し﹂と︑義ー1宜を厳しく批判している︵﹃語孟字義﹄仁義礼智9︶︒では︑狙棟
は聖人命名説を逸脱して字義に囚われているのかというと︑そうではない︒祖棟が問題にするのは︑﹁宜﹂の基準
は何か︑先王なのか己の臆見なのか︑ということである︒韓愈や朱烹は﹁これを臆に取りて以て義となす﹂︵﹃弁
名﹄芋︑七六頁三三酷︶・義﹄を拒否する仁斎もこの点では同じで彩しかし・祖棟によれば・義﹂はあ
くまでも﹁先王の義﹂なのだ︒ここに聖人の命名がはっきりと刻されていると言えよう︒
このように︑﹁義﹂が﹁先王の義﹂であることを強調する一方で︑祖棟はこれとは異なる﹁義﹂をも提示する︒
即ち︑上引の﹁けだし義なる者は道の分なり︒⁝制して以て礼となす﹂に続けて︑﹁学者はなほその制する所以の
意を伝ふ︒これいはゆる礼の義なり︒しかうしてその空言を以て伝ふる者︑これいはゆる義なり﹂︵同︑七五頁゜二
二〇頁︶と述べる︒﹁礼の義﹂については︑﹁礼﹂の項にも﹁先王の︑礼を制する所以の義﹂とあった︵﹃弁名﹄礼1・
七貢・三九頁︶︒これは毒の﹁論説の言﹂蕊・やがて﹁礼﹂が見失われて二義つひに礼より離れて孤行し・
また礼に就きてその義を言はず﹂という事態に至る︵同上︶︒﹁空言﹂による﹁いはゆる義﹂とはこのことであろう︒
古文辞学と祖裸学−荻生祖棟﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵二︶ ︵都法四十九ー一︶ 三三五
一二
工ハ
このように︑祖棟は﹁先王の義﹂とは異なる﹁義﹂の用例・用法をも検討してゆく︒これは︑﹁先王の義﹂を守る
とともに︑それに尽きない﹁義﹂の含蓄を確保する作業でもある︒
最も厄介なのは﹁仁義並称﹂問題である︒祖裸は︑﹁仁・義並べ称する﹂ことは多いが︑﹁六経.論語に︑この言
あることなし﹂とする︵﹃弁名﹄義8︑八一頁・二二二頁︶︒祖裸からすれば︑﹁仁.義を以て並べ言ひ︑つひに以て
先王の道に命くるに至る﹂︵同上︶事態︑また︑﹁仁義の道﹂などという誤った言い方が﹁つひに千万世儒者の常言
となる﹂︵同︑八四頁・二二三頁︶事態を正すために︑この誤解は是非とも解かれねばならない︒
祖棟は︑道・仁・礼・義について︑概念相互の区別と関係を次のように説明する︒
それ先王の道は博しといへども︑民を安んずるに帰せざる者なし︒これいはゆる仁なり︒然れども仁は言を以
て尽くすべからず︒故に礼楽を作りて以てこれを教ふ︒これいはゆる芸なり︒義もまた先王の立つる所にして︑
詩・書の載する所これなり︒先王の教へは︑礼・義を立てて以て人の大端となす︒故に書.論語.中庸は︑み
な礼・義を以て並べ言へども︑仁・義を以て並べ言はず︒何となればすなはち仁なる者は大徳なり︒義の倫に
非ざるなり︒礼・義はみな道なり︒徳に非ざるなり︒仁・義並べ言ふときは︑すなはちその倫に非ざるものを
なら わす 比べて礼を遺る︒故に古の教へは然らず︒︵同︑八一−八二頁.二二二頁︶
道の名である礼と義を並称することはあっても︑徳の名である仁と道の名である義を並称することはないと祖棟は
言う︒しかし︑この表現に既に窺われるように︑道ー仁−礼︵楽︶ー義という諸名辞の連鎖が︑このような類別を
困難にしているのではないだろうか︒それに︑そもそも類別が困難なのではなくて︑狙棟が勝手に分類しただけな
のではないか︒本当に仁義は並称しないのだろうか︒既に仁斎も﹁孔子仁智と並べ言ひて︑孟子仁義を以て之を連
称するは︑何ぞや﹂という疑問に答える中で︑次のように述べているのである︒
或ひと以為らく﹁孟子始めて仁義を以て並び称す﹂と︑非なり︒易・中庸︑及び荘子等の書︑亦皆仁義を以て
之を連称するときは︑則ち孟子特に当時の名称に従ふ︒蓋し従ふべくして之に従ひ︑意を以て之を創始するに ︵39︶ 非ず︒︵﹃語孟字義﹄仁義礼智12︶
但し︑仁斎は︑孔子と孟子の意図を理論的に解明する一方︑仁義並称・連称の具体例は挙げていない︒これに対
し︑祖裸は仁義並称の例を﹃礼記﹄﹃易経﹄﹃孟子﹄から列挙する︒仁義並称を否定しておきながらその例を並べる
のは一見︑奇妙だが︑祖裸は︑これらの用例を﹁論説の言﹂として一定の文脈の中に置くことで︑聖人命名の本義
と区別するのである︒
祖棟は︑孔子の弟子である﹁七十子﹂以後は﹁道芸を論説するを以て務めとな﹂し︑﹁道芸を論説する﹂には
﹁時ありてか仁.義を以て並べ言ふ﹂とする︒ここにはあまり問題のないものもある︒﹁初は聖人を去ることいまだ
もと 遠からず︑故にその言もまた道に蓋らず﹂︑仁義並称していても︑同類のものとして並べたのではなかった︵﹁仁゜
義を岐ちてこれを二つにせず﹂︶︒しかし︑﹁道芸を論説するの言﹂の中には︑﹁仁義を岐ちてこれを二つにし﹂て﹁孔
門の旧に蓋る﹂ものも出てくるようになる︒﹁末流﹂ともなれば︑﹁紛然として百家と衡を戦国の際に争ふ﹂中で︑
議論に勝とうとし︑﹁つひに仁義を以てこれを聖人の道に命け︑以てこれに別﹂ち︑しかも﹁礼を遺れ﹂︑﹁先王゜
孔子の道と背馳﹂していったのである︵﹃弁名﹄義8︑八一ー八三頁・二二ニー二二一一貢︶︒
︑あように︑程は︑﹁論説の言﹂が次第に聖人の命名から離れて名物露してゆく堕落過程の各段階に・﹁仁義
並称﹂の用例.用法を位置づける︒こうすることで︑﹁先王の義﹂を擁護すると同時に︑﹁先王の義﹂とは相反する
﹁義﹂の様々な使い方を丹念に区別し︑含蓄を拡張してゆく︒聖人命名の本義に惇る用例・用法が古文辞に存在す
る以上︑聖人命名の本義を把握するだけでは古文辞に習熟することはできないの匂蹟麗︒
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︵8︶孝悌
祖裸は︑恰も聖人の命名と無関係であるかのように︑﹁孝悌は解を待たず︑人のみな知る所なり﹂︵﹃弁名﹄孝悌︑
八豊三三頁︶と皇麗・﹃北渓字義﹄﹃語孟裏﹄には﹁孝悌﹂を・Tマとした項目は捻・やはり﹁解を待
た﹂ないのかもしれない︒孟子も﹁良知﹂︵11慮らずして知る所の者︶.﹁良能﹂︵‖人の学ばずして能くする所の者︶を
論じて﹁該提の童も其の親を愛することを知らざる者はなく︑其の長ずるに及びて︑其の兄を敬することを知らざ
るものはなし﹂としている︵﹃孟子﹄尽心上15︶︒これを踏襲するかのように︑祖棟は︑﹁ただ孝のみは︑幼より行ふ
べし﹂︑﹁ただ孝のみは︑心に誠にこれを求めば︑学ばずといへども能くすべし﹂︵﹃弁名﹄孝悌︑八五頁.二二三頁︶
とする︒しかし︑この容易さこそ重要である︒﹁孝弟忠信﹂は︑﹁中庸﹂つまり﹁その甚だしくは高からず人みな行
ふべきの事﹂であるから︑﹁先王の道を学ぶには︑必ず孝弟より始﹂める︒易しいところから始めて﹁仁賢の徳に
馴致﹂するのであ三同・会頁三二匙︶・このように︑﹁孝悌﹂は道を学ぶ出発点にあり︑﹁孝﹂は﹁至徳要
道﹂と称され︵同︑八五頁・二二三頁︶︑﹁先王﹂は﹁孝を重ん﹂じた︵同︑八六頁.二二四頁︶︒ここに聖人の命名が
刻印されているのである︒
ところが︑﹁論説を喜ぶ﹂後儒は﹁仁・孝を以てこれを一つにす﹂る︒これでは﹁孝﹂の重要性が理解できない
のみならず︑重要ではあっても道を学ぶための出発点に過ぎない点が看過されてしまう︒﹁孝はおのつから孝︑仁
はおのつから仁﹂︵同︑八五頁・二二四頁︶︑異なる名辞を区別してこそ︑﹁一を挙げて以て百を廃する﹂︵同上︑﹃孟
子﹄尽心上26による︶事態が避けられ︑概念の含蓄が確保されるのである︒
︵9︶忠信
﹁忠﹂は﹁人のために謀り︑或いは人の事に代りて︑能くその中心を尽くし︑視ること己の事のごとくし︑懇到
詳悉︑至らざることなきなり﹂︵﹃弁名﹄忠信1︑八六頁・二二四頁︶︑﹁信﹂は﹁言に必ず徴あるを謂ふなり﹂︵﹃弁名﹄
忠信2︑入⊥ハ頁.二二四頁︶とされる︒﹁忠﹂は﹁中﹂+﹁心﹂︑﹁信﹂の妾は﹁言﹂であるから︑ここには字形に基
づく字義解釈が含まれている︒これは︑﹃弁名﹄が否定的に言及する程子の言葉︑﹁己を尽くすをこれ忠と謂ひ︑実
を以てするをこれ信と謂ふ﹂︵﹃弁名﹄忠信3︑八九頁・二二五頁︑﹃論語集注﹄学而4参照︶とは異質に見える︒しか
し︑朱烹の﹃論語集注﹄里仁15は﹁中心為忠︑如心為恕﹂︵中+心11忠︑如+心11恕︶を引き︑﹃論語集注﹄学而6
も﹁信者︑言之有実也﹂︵信は︑言の実有るなり︶としている︒﹃北渓字義﹄も︑上記の程子の言葉を敷術して︑﹁尽
己是尽自家心裏面﹂︵己を尽くすとは是れ自家の心の裏面を尽くす︶︑﹁以実是就言上説﹂︵実を以てすとは是れ言の上に
就て説く︶とする︵﹃北渓字義﹄忠信2︶︒﹁心裏面﹂は﹁中心﹂と同義であろう︒﹃北渓字義﹄忠恕1にも﹁字義中心
為忠︒是尽己之中心無不実︑故為忠﹂︵字義は中心を忠と為す︒是れ己の中心を尽くして実ならざること無し︑故に忠と
為す︶とある︒このような字形に基づく字義解釈を︑祖棟はどのようにして超えてゆくのだろうか︒
祖裸の特徴は︑﹁忠﹂﹁信﹂を政治と関連づけることである︒まず︑﹁忠﹂は﹁君に事ふるを以て﹂あるいは﹁専
ら訟を聴くを以て﹂言うとする︒﹁子は四を以て教ふ︑文・行・忠・信﹂︵﹃論語﹄述而24参照︶についても︑﹁忠は
政事の科たり︒政事なる者は︑君の事に代る︒故に忠を以てこれに命く﹂という独特の解釈を行う︵﹃弁名﹄忠1︑
︵46︶ 八六頁・二二四頁︶︒
次に︑﹁信﹂につき︑﹁民︑信なくんば立たず﹂︵﹃論語﹄顔淵7参照︶などに関連して︑﹁大氏︑先王の道は︑民を
安んずるがためにこれを立つ︒故に君子の道は︑みな人に施すことを主とす︒いやしくも人に信ぜられず︑民に信
古文辞学と祖裸学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成ー︵二︶ ︵都法四十九ー一︶ 三三九
三四〇
ぜられずんば︑すなはち道は︑はたいつくにかこれを用ひん︒然れども信ぜられざるの本は我に在り︒君子の︑信 ︵47︶ を貴ぶ者は︑これがための故なり﹂︵﹃弁名﹄忠信2︑八七頁・二二四頁︶と︑﹁信﹂の政治的な役割を説く︒﹁朋友と
交りては︑言ひて信あり﹂︵﹃論語﹄学而7参照︶についても︑﹃中庸﹄20116の﹁上に獲らるるに道あり︒朋友に信
ぜられずんば︑上に獲られず﹂を引きながら︑﹁朋友なる者は︑その声誉を游揚して︑これを上に達する所以の者 なり﹂として︵﹃弁名﹄忠信2︑八七頁・二二四頁︶︑政治的登用のための方法として﹁信﹂を捉えている︒
さらに︑﹁忠信﹂は﹁孝悌﹂とともに﹁中庸の徳﹂であり︑﹁先王の道を学ぶには︑必ず忠信を以て基となす﹂
(『
ル名﹄忠信3︑八八頁・二二四頁︶︒﹁孝悌﹂が家族内に止まるのに対し︑﹁忠信はみな人に施す者﹂である︒﹁先王
の道﹂は﹁民を安んずる﹂ためのものであるから﹁人に施す者を主﹂としており︑この点︑﹁忠信﹂は﹁道に近﹂
い︵同︑八九頁・二二五頁︶︒ ︵49︶ このように︑政治的文脈で﹁忠﹂﹁信﹂﹁忠信﹂を捉えることは︑従来の議論を解体する意味をもつ︒即ち︑上引
の程子の概念規定は︑﹁先王の道﹂が﹁民を安んずるがため﹂のものであることを知らずに﹁ややもすればこれを
己に求﹂め﹁心に求﹂めるものとされ︑仁斎も︑﹁古はただ人に施す者を以てこれを言ひしことを知らず﹂とされ
る︵同上︶︒こうして︑字形に基づく字義解釈から出発した議論は︑先王の道の中に位置づけられるのである︒
︵10︶恕 ︵50︶ ﹁恕﹂にも﹁如﹂+﹁心﹂という字解があるが︑祖裸は︑﹁恕の解は論語に見ゆ﹂として︑﹁己の欲せざる所は︑
人に施すことなかれ︵己所不欲勿施於人︶﹂の﹁八字﹂を﹁恕﹂の概念規定とする︵﹃弁名﹄恕︑九〇頁.二二五頁︶︒
この﹁八字﹂は﹃論語﹄顔淵2と衛霊公23にある︒前者は仲弓の問いに対する孔子の答えの中にあり︑﹁恕﹂とい
う言葉はない︒後者は子貢の問いに対する孔子の答えとして︑﹁其恕乎︒己所不欲︑勿施於人﹂という形で出る︒
祖裸は︑前者を﹁正文﹂とする一方︑後者は﹁これ註の正文に入りしなり﹂とする︒つまり︑﹁それ恕か﹂だけが
孔子の答えであり︑残りは﹁論語を伝ふる者︑すなはちこの八字を以て恕の字を解するのみ﹂と解釈する︵﹃弁名﹄
恕︑九〇頁.二二五頁︶︒﹁恕﹂の﹁註﹂であった﹁入字﹂が﹃論語﹄の﹁正文﹂に混入したと見るのであるが︑祖
練は︑葱Lが﹁八字﹂を意味するのは﹁古来相伝の説﹂︵同・九亘三二五頁︶だとして馳・
一方︑祖棟は︑﹁恕は文においては︑如心を恕となす﹂を退ける︒この字解によると︑﹁己の欲する所︑以て人に
施すも︑また恕なり﹂ということになり︑﹁入字﹂のいわば消極的な﹁恕﹂から積極的な﹁恕﹂へと︑﹁恕﹂が拡張
される︒しかし︑﹁その事は広大にして︑学ぶ者の能くする所に非ず︒かつ人心は同じからず︑欲する所或いは殊
なり︒故にただ﹁己の欲せざる所﹂を以てこれを言ふのみ﹂として︑﹁入字﹂を優先させるのである︵同︑九〇頁・二
︵52︶ 二五頁︶︒消極的﹁恕﹂は積極的﹁恕﹂に比べて含蓄に欠けるように見えるが︑むしろ︑人知では捉えきれない
﹁人心﹂の含蓄を踏まえたものであると言える︒
続く程子批判についても同じことが言える︒祖棟によれば︑﹁己を推す﹂︵﹃論語集注﹄里仁15参照︶という程子の
﹁恕﹂の﹁解﹂は﹁不可なる者なし﹂ではあるが︑例の﹁八字﹂こそ﹁古来相伝の説﹂であり︑それ以上の解釈は せま 不要である︒しかし︑程子は﹁ただ欲せざる所を言ふのみにして︑欲する所を言はざれば︑その義窄きに似たるに
嫌ひあるが故のみ﹂︑消極的﹁恕﹂にあきたらず積極的﹁恕﹂を説いたのだと見なす︒
然れども概して己を推すを以て説をなすときは︑すなはち或いは小人の腹を以て君子の心を窺ふに至る者もま
たこれあり︒ただ明白斉整を務むるのみにして︑深長にこれを思ふこと能はず︒宋儒の病はみなしかり︒︵﹃弁
名﹄恕︑九一頁・二二五頁︶
古文辞学と祖裸学ー荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵二︶ ︵都法四十九−一︶ 三四一
三四二
人知の過大評価を椰楡しつつ︑﹁明白斉整﹂がかえって有害な結果をもたらすことを指摘するのである︒
さらに︑仁斎を批判する︒仁斎は︑﹁寛宥の意あり︑また付度の意あり︒言ふこころは︑毎に人の心を付度して︑
刻薄を以てこれを待せず﹂︵﹃語孟字義﹄忠恕1参照︶とする︒しかし︑これは﹁八字の中に尽きたり﹂︒しかも︑
﹁寛宥にして刻薄ならずといふ者﹂は︑﹁民を安んずるがために﹂設けた﹁先王の道﹂においては︑﹁恕の字のみ然
りとなさざるのみ﹂︵﹃弁名﹄恕︑九一頁・二二五頁︶︒仁斎の概念規定より﹁八字﹂の方が含蓄があり︑逆に仁斎の
規定では他の概念との区別が出来なくなるのである︒
︵11︶誠
﹁誠﹂は﹃中庸﹄の重要概念である︒﹃語孟字義﹄誠3も﹁誠とは道の全体︒故に聖人の学は︑必ず誠を以て宗と
為︑而して其の千言万語︑皆人をして夫の誠を尽くさしむる所以に非ずといふこと莫し﹂と高く評価する︒ところ
が︑祖棟は﹁先王・孔子の教へは︑忠信ありて誠なし︒その以て教へとなすべからざるを以てなり﹂と言う︒なぜ
か︒ 誠なる者は︑中心より発して︑思慮勉強を待たざる者を謂ふなり︒纏かに誠ならんと欲するときは︑すなはち
思慮勉強に渉る︒故に誠なる者は得てなすべからざる者なり︒︵﹃弁名﹄誠︑九二頁・二二六頁︶
これは︑﹃中庸﹄20−17の﹁誠者不勉而中︑不思而得﹂︵誠は勉めずして中り︑思はずして得︶によるが︑﹁思慮勉強﹂
が不要なほど易しいのか︑意識すれば﹁誠﹂ではないという意味で難しいのか︑困惑させる規定である︒しかし︑
祖裸は﹁誠﹂概念をこれ以上解説しない︒そのかわり︑﹁誠﹂の用例・用法を示すことで概念の多様な含蓄を開示
しつつ︑﹃中庸﹄の﹁誠﹂や﹃大学﹄の﹁誠意﹂の解釈を転換させ︑既存の﹁誠﹂概念を解体するのである︒
﹃中庸﹄の﹁誠﹂について論じる中で︑祖裸は︑
先王の道を学んで︑久しうしてこれと化し︑習慣︑天性のごとくなるときは︑すなはちその初︑知らず能くせ
ざりし所の者も︑今はみな思はずして得︑勉めずして中るを謂ふ︒これ学習の力に出づ︒⁝道は外に在り︑性
は我に在り︒習慣︑天性のごとくなるときは︑道と性と合して一つとなる︒⁝故にその大要は︑学んで以て徳
を成すに在り︒徳を成せばすなはち能く誠なり︒︵同︑九三頁︑二二六頁︶
と述べる︒﹃大学﹄の﹁誠意﹂についても︑
きた 物格ればすなはち知至りて自然に意誠なるを謂ふなり︒その︑功を用ふるは︑全く﹁物を格す﹂に在り︒しか ︵35︶ うして﹁知至る﹂以下は︑みなその効のみ︒︵同上︶
とする︒﹁誠﹂は﹁教へ﹂ではなく︑﹁学﹂んだ末に到達する状態であり︑学習の﹁効﹂果である︒先王の道を︑具
体的な﹁物﹂に即いて学び︑反復し習熟した結果︑﹁徳﹂を完成させることが出来れば︑﹁誠﹂の状態に至るのであ
る︒ その一方で︑祖棟は︑道を学んだ効果とは無縁の﹁誠﹂をも提示する︒﹁天地・鬼神﹂は﹁思慮勉強の心なき者﹂
なので﹁誠﹂であり︑﹁性に得る所の者﹂は意識も努力もせずに誰でも出来るから﹁誠﹂である︵同上︶︒﹃中庸﹄
の﹁生知安行﹂も﹁聖人﹂に限らない︒
匹夫匹婦も︑みな︑生知安行する所あり︒磯ゑて食ひ渇えて飲むがごときは︑みな思はずして得︑勉めずして
能くす︒また生知安行なり︒故に悪に習ひて性と成る者は︑悪もまた誠なり︒これ誠はもと先王の以て教へと
なせし所の者に非ず︒⁝あに必ずしも執りて以て美徳となさんや︒︵同︑九四頁・二二六頁︶
朱烹の﹃中庸章句﹄では︑﹃中庸﹄20−8の所謂﹁生知安行﹂と﹃中庸﹄20117の﹁誠者不勉而中︑不思而得︑従
古文辞学と祖棟学−荻生祖裸﹃弁道﹄﹃弁名﹄の古文辞学的概念構成1︵二︶ ︵都法四十九ー一︶ 三四三
三四四
容中道︑聖人也﹂︵誠は勉めずして中り︑思はずして得︑従容として道に中る︑聖人なり︶とを対応させて︑﹁不思而得︑
生知也︒不勉而中︑安行也﹂︵思はずして得は生知なり︒勉めずして中るは安行なり︶とする︒﹃弁名﹄は︑﹁不思而得﹂
﹁不勉而中﹂が﹁生知安行﹂であることを肯定しながら︑これを﹁聖人﹂とはおよそ異なるものにもあてはめてゆ
く︒﹁思慮勉強﹂を待たずにできるのであれば︑内容や善悪は問わないのである︒
﹁宋儒﹂は﹁誠﹂概念を磨き上げ︑﹁或いは誠を以て実理となし︑実心となし︑真実無妄となす︒種種の解︑ます
ます精しくますます馨つ﹂︵﹃弁名﹄誠︑九三頁・二二六頁︶が︑その結果︑概念は含蓄を喪失してゆく︒祖裸は︑
﹁誠﹂の簡短な概念規定を掘り下げるのではなく︑多種多様な含蓄を示すことによって︑新しい概念規定の提示と ︵誕︶ 既存の概念規定の解体とを︑同時に行っているのである︒
︵12︶恭敬荘慎独
﹃北渓字義﹄が﹁敬﹂﹁恭敬﹂︑﹃語孟字義﹄が﹁敬﹂の項目を立てるのとは︑項目の立て方が異なる︒﹃北渓字義﹄
が﹁敬﹂の概念と﹁敬﹂の工夫について詳細に論じ︑﹃語孟字義﹄が朱子学的な﹁敬﹂の批判に言葉を費やすのに
対し︑﹃弁名﹄は古文辞に登場する﹁敬﹂類似の概念に言及しながら先行する概念規定を解体し︑新たな議論を構
築してゆく︒
居敬・窮理が朱子学の修養論の二本柱であることから分かるように︑﹁敬﹂は朱子学の重要概念であり︑﹁敬﹂に ︵55︶ 目的語がない用例︑﹁敬﹂の対象がないと目される用例に目を付けて︑﹁居敬﹂﹁持敬﹂が主張されたと言われる︒
これに従えない仁斎は︑﹁敬﹂に目的語がある用例を列挙して朱子学的﹁敬﹂の批判を試みる︒しかし︑現に目的
語がない﹁敬﹂が存在する以上︑これをどのように説明するかに議論の成否はかかっている︒仁斎は︑目的語がな
ま い﹃論語﹄の用例二つを挙げて︑﹁敬﹂の対象を補うことで対処した︒いずれも﹁民事を敬する﹂とするのである
(『