• 検索結果がありません。

氏名 佐竹サタケ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "氏名 佐竹サタケ"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

氏 名 佐竹

サ タ ケ

美穂

学 位 の 種 類 博士(文学)

学 位 記 番 号 人博 第

149

号 学位授与の日付 令和元年

9

19

課程・論文の別 学位規則第4条第2項該当

学 位 論 文 題 名 風土記の研究―「中央」と「地方」をめぐる新たな読み―

論 文 審 査 委 員 主査 教 授 飯田 勇 委員 教 授 猪股 ときわ 委員 教 授 近藤 瑞木

【論文の内容の要旨】

風土記の研究は、本文に注釈を施すものから始まり、諸本校訂や漢籍の受容、文字使用に 関する研究、受容史研究などと進められてきた。説話研究の分野はこれらに少し遅れる形で 登場し、近年盛んになっているが、未だ『古事記』や『万葉集』の研究と比べると遅れてい ると言える。

その原因の一つとして、風土記が官命の要求に応える形で成された公式文書であるとい う性質がある。風土記は『続日本紀』所載の和銅六年の官命を承けて編纂されたものとされ ているが、官命には土地の産物や土地の沃塉を記すことなど事務的な事項が並ぶ。地名の由 来や古老の伝える伝承を記すことも求められているが、歴史や説話を集めることを目的と したものではなく、あくまでも土地に関する事務的な報告を求めたものであるという理解 があり、風土記の記事を説話として読む研究を遅らせた側面がある。

また、風土記が中央政府からの官命に応えた文書という理解は、 「中央」の視点に寄り添 って書かれた「地方」が書かれたのが風土記であるという見解を生んだ。

風土記研究のごく初期には、風土記は「郷土」を書いたものだとされていた。記紀によっ ては知り得ない地方の情報を得られる文章群として考えられていたと言える。ただしその 見方は長くは受け入れられず、風土記が『続日本紀』和銅六年の官命によって成立したとい う前提から、 「中央」の視点から書かれた「地方」が風土記だとする説が今日まで広く支持 されている。さらに、国司層や郡司層などを実際の編述者として想定され、中央からの命を 受けた支配者層の視点が混入するとする論考もある。

このような観点から風土記を読むとき、問題となるのは実体としての“地方”が想定され、

そこにもとからあった伝承などが風土記に記載されるに当り、どのように改変されたかと

いう観点で風土記の説話が読まれることである。説話によって「在地性が強い」や「中央色

が濃い」などといった表現が用いられることがあるように、風土記を分析する場合に、どの

(2)

程度中央の視点が混じっているのか、地方性を残しているのか、といった観点で風土記が読 まれている。しかし、この方法は、現在では知り得ない実体としての地方を前提とする点で どこまでも推測に基づく論になってしまうという憾みがある。

そこで本論文では、 「地方」はあくまでも書かれたものであるという前提に立ち、 「地方」

を書くときに説話によって「中央」は呼び出されて来るという関係性にあるものと考えた。

例えば風土記の「天皇」の説話は「中央」性が濃いと言われるが、問題とすべきは、そこに

「中央の視点」が混入しているという点ではなく、 「地方」を書く際に「中央」が関わると 言う形で語られるという点であろう。風土記に「中央」と「地方」はそのまま表れていると いうことではなく、すべて説話の中の関係性において記述されている。その関係性を考える ことが風土記の説話を研究することになると考えた。

説話内での関係性としての「中央」と「地方」を考えるために中心的に分析したのは、 「国 造」 、 「連」 、 「臣」 、 「君」、 「直」などの姓を持つ者たちの記事である。彼らの記事は「中央」

と「地方」の関係性が見えやすく、かつ「中央」と「地方」を語る際に見られる位相差につ いても考えることができる説話となっているためである。

第一部では「遣」わされると書かれる者たちの記事から、風土記にどのような関係性とし て「中央」と「地方」が見られるかを考察した。

各風土記に「遣」わされたと書かれる者の記事を検討すると、同じく「中央」性を持つと 考えられる「天皇」の記事との差異が見えて来る。例えば、 『常陸国風土記』では同じ井戸 を掘る記事でも天皇が行う場合は人を使って掘らせるのに対して「遣」わされる者が掘る場 合は自ら掘る。他にも『肥前国風土記』では、同じく「土蜘蛛」に対する記事でも天皇の記 事では必ず「誅滅」の対象となるのに対して「遣」わされる者の記事では命の代わりに「玉」

や海産物を献上する説話として語られている。

これらの記事から言えることは、 「遣」わされたとされる者たちは、 「天皇」と比べて、よ り土地との距離が近く語られているということである。土地との距離の近さの記述は、ある いは彼らが土地の領主としての性質を負っているように書かれていることを意味するかも しれない。しかし彼らは決して「地方」側の者とは書かれない。「中央」の者として「遣」

わされることが記されるのである。 「中央」側の者の事蹟が書かれることで「地方」が描き 出されていることが確認できるとともに、 「天皇」の記事と比べることで、 「中央」と「地方」

の関係性が一様でないように書かれることも浮き彫りとなった。

第二部では、姓や役職を持つ者たちによる土地の荒ぶる神祭祀の諸相について考察した。

彼らの記事には共通点が見出せる。それは、神を祭り、あるいは鎮まった記述の後に未だ神 の威力があるような記述が続くことである。

たとえば『肥前国風土記』では川上の神が鎮まったとの記述の後に、同じく川上の神「世 田姫」のもとに毎年「海の神」が通っていることが記され、 『常陸国風土記』の「祟」る神

「立速男命」は賀毗礼の高峰に去ったが山には今も「種属」や祭具が石と成ってあるという。

このような記述からは、神が風土記筆録現在も祭祀を必要としていることが読みとれると

(3)

考えられる。

姓を持つ者たちが土地の神の祭祀に関わるとき、祭祀の継続が示唆される。神の祭祀を行 う者とは、言うまでもなくその神を奉斎する者である。風土記の記述は、土地の神を祭祀し 続けていく者たちを「県主」や「連」 、 「国造」などとして「中央」側の者として位置付ける。

それが風土記の土地の神、とりわけ荒ぶる神の記事の書き方であると言える。

以上、風土記における姓や役職を持つ者たちの記事を中心に考察してきて、土地とより距 離の近い存在として書かれる者たちを「中央」側の人物と位置付けていく風土記の記述のあ り様が確認できた。

井戸を開くことや土蜘蛛退治、瑞祥の目撃や荒ぶる神の祭祀など、その土地にとって一大 画期となるべき出来事を書くとき、 「中央」が呼び出され、語られていく。 「地方」が「中央」

との関係性で語られるというのはこのことを指す。そして、だれが「中央」性を負うかによ って「地方」の書かれ方は変わっていく。姓や役職を持つ者たちの記事において「地方」が 語られるとき、 「中央」と「地方」はより近いものとして記述される。風土記の「中央」と

「地方」の関係性は説話によって変化していくものと捉えられた。

参照

関連したドキュメント

鋼板中央部における貫通き裂両側の先端を CFRP 板で補修 するケースを解析対象とし,対称性を考慮して全体の 1/8 を モデル化した.解析モデルの一例を図 -1

このように,先行研究において日・中両母語話

ロボットは「心」を持つことができるのか 、 という問いに対する柴 しば 田 た 先生の考え方を

について最高裁として初めての判断を示した。事案の特殊性から射程範囲は狭い、と考えられる。三「運行」に関する学説・判例

ƒ ƒ (2) (2) 内在的性質< 内在的性質< KCN KCN である>は、他の である>は、他の

[r]

前章 / 節からの流れで、計算可能な関数のもつ性質を抽象的に捉えることから始めよう。話を 単純にするために、以下では次のような型のプログラム を考える。 は部分関数 (

専門は社会地理学。都市の多様性に関心 があり、阪神間をフィールドに、海外や国内の