Ⅰ.はじめに
助産師は,助産師国際連盟(International Confed- eration of M idwives :ICM)の定義によれば,その国 において正規に認可され,ICM 基本的助産業務に必須 な能力及びICM助産教育の世界基準の枠組に基づい た助産師教育課程を履修し,合法的に助産業務を行い 助産師の職名を使用する免許を取得するために登録さ れ,かつ,法律に基づく免許を得るために必要な資格を 取得した者で,かつ助産実践の能力を示す者であるとさ れている . 我が国においては保健師助産師看護師法(保 助看法)で「厚生労働大臣の免許を受けて,助産又は 妊婦,褥婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業と する女子」とされている . 古くから世界の多くの国では出 産に際し母親とその子のケアに関わり,妊産婦と胎児・
新生児とその家族と経験を共有し専門的な免許を与えら れた人が助産師である .
助産師のありようは時代とともに変遷してきた . 助産師 の名称も 1947(昭和 23)年までは産婆と呼ばれ , 以降 は助産婦として , 2002(平成 14)年には保助看法の名 称変更に合わせ助産師となった . 出産習俗の文脈で助産 師をみると , 明らかに現代とは様相を異にする助産師像 が浮かび上がってくる . 産婆と呼ばれていた時代には有
【資料】
助産師と出産習俗に関する一考察
A study of childbirth customs and midwives
鈴木 祐子 岩﨑 和代
Yuko SUZUKI Kazuyo IWASAKI東都医療大学ヒューマンケア学部看護学科 E-mail : [email protected]
していたが,現在の助産師が失ってしまったものは何か , 文献を通して考察してみたい .
本稿では産婆を含めて出産に関わる人を「助産師」と 統一して論じていく .
Ⅱ.先行研究及び問題の明確化
柳田1)は,産育儀礼やそれに関する語りに沿った研究 を行い,その成果は「日本産育習俗資料集成」注1)とし てまとめている . 妊娠・出産・育児の大項目のもとに,日 本各地の民俗を具体的に記述している . 調査されたのは 第二次大戦前の産育習俗が当たり前に行われていた時期 である . 多数採録された妊娠,出産,子育てをめぐる習 俗からは,多くの禁忌や作法があり,産み育てることを めぐる人々の営みや,願いが明らかにされている . 習俗と は,「人が自らの生命と生活を防衛するために,それぞ れの時代に適応した生活権であると位置づけている . 生 命に対して 7 歳になるまでの子どもは,神様であり,授 かりものであったとしている . 超自然の世界が存在し,
神仏や大いなる力が生命を授ける」とされている . そこで 発生する支援や関りは,専門的なものではなく,家族・
親族,それを取り巻く地域社会の人々により行われ,民 間ケアというものがそれなりの比重を占めていた . 助産師 は,現代のような出産介助や産後のケアの専門家だけで はなく , 人の生死に関わる位置づけがあったことが推察 要 旨
助産師のありようは時代とともに変遷してきた . 出産習俗の文脈で助産師をみると明らかに現代とは様相を異にする助 産師が浮かび上がってくる . かつて助産師が有していながら失ってしまったものはなにか . 鎌田久子の論文をもとに検証 した . 結果 , 戦後になって助産師の失われた役割は「呪術者,司祭者としての役割」「生命力を与えるだけでなく,子ども の成長,健康,幸福に一生を通じてかかわり守る役割」であった . 助産師は,失われた役割から現代が必要としている役 割を再認識し,主体的に獲得することが課題ではないだろうか .
キーワード:助産師 出産習俗 呪術者
される .
Ⅲ.方法
助産師が出産習俗に果たした役割を,助産師の視点 から論じている「助産婦雑誌」注2)の中での論文表1)を中 心にかつての助産師の役割や位置づけを概観し,失わ れたものと同時にその意味するところを明らかにし考察 していく . 論文の中心的な執筆者である鎌田は,柳田國 男に師事し産育習俗についての民俗学を専門的に研究し た人物である . それとともに鎌田が「助産婦雑誌」1982 年から 12 回に分けて掲載した「産育習俗今昔」と「子 産み子育て考」3)をテーマに 1985 年 4 月から 7 回に分け て行われた座談会で鎌田が発言した内容も分析・考察 した .
Ⅳ.分析結果
Ⅳ- 1 ≪出産習俗≫
「出産習俗」は,出産ないし子どもの誕生に伴う習俗 とされ,通過儀礼の一つと考えられている.人生の始ま りとして過度期に印をつけ,心に訴える儀式であり,親 になるという敷居を超える意味があったとされていた.
文化人類学では,帰属する社会の習慣のもとに親子を置 くという意味があり,「社会構造の再配分」ともいわれて いる.松岡4)は,その意味は「妊娠・出産は,女性が 新たに人間を生み出すと同時に共同体が新たにメンバー を迎え入れて再生を図る機会であり,どの文化でも妊娠 から産後のある時期までは母子に対して様々の制約やき まりごとが用意されている」としている.
具体的なものとして,1.腹帯(胎児の社会的生存権 の確認の儀礼),2. 安産祈願(水天宮など霊験あらたか な神仏に祈願),3. 胞衣の処理(胞衣,すなわち胎盤が 児の生命を左右するために願をかけて土中深く埋め踏ん でもらうなどの地方によって処理法に意味をもたせてい た),4. 臍の緒を大切にする(親子の命を継続に対する 信仰),5. 七夜着物(性別が判明してから,嫁の実家か らおくられた着物を着る.麻の葉模様の着物とされた),
6. 初宮参り(生後 30 日前後に母子が氏神に参拝)など がある .5)
Ⅳ- 2 ≪出産習俗からみた助産師≫
鎌田は,1983 年の助産婦雑誌の中で「産育習俗今 昔」を 12 回にわたり掲載している . その内容は,生命の
認知 ,トリアゲオヤ・産湯・初出の儀礼・食い初め・誕 生祝いなどの出産習俗の具体と地域によって呼び名や時 期が違っていることや,当時の人々の死生観を考察し助 産師注 3)が果たして来た役割について言及している . 鎌田 は,自らの立脚点として民族学的に伝承性を重要視しな がら,現代では「出産習俗」がどのように受け継がれて いったかを考えるとしている .
生命の認知では,妊娠したことを「十字路で出会った」
とする地方があることや,42 歳の厄年の父親で 2 歳の子 どもが居る場合には子どもをいったん「十字路に捨てる」
風習があることから,「十字路は生命の去来を示す拠点」
であり,全宇宙の集約であるとしている .
助産師は,トリアゲ婆という名前だけでなく地方によっ て色々な呼び名や役割があったことを示している .トリア ゲバアサン,ヒキアゲバアサン・コシダキバアサン・コトリ オヤ・コズエババ・コゼンバ・コズリババ・コゾエバアサン・
コゾエドン・コゾエバ表2)などである . 助産師は子どもを 取り上げるのみならず,それぞれの意味するところは多 様である .トリアゲという言葉には,生まれた子どもを取 り上げるということだけではない . 一人の人間として扱う という意味も含まれていた .「引き上げ」という言葉には,
産み落とすと相対する意識が含まれているとし , また,「人 間界に引き上げる」という行為としている .
コトリオヤという言葉は,この世に引き入れる意味が あるとする . コズリババには子どもを手に取り安置する意 味が,コゾエバアサンには,我が仲間に据えるとか居つ かせるという意味を上げている .トリアゲルという動作だ けでなく,さらに一歩進めてその場所に落ち着かせると いう意識を伴ったものであるとされている .
山形県・山口県・島根県の一部の地域では,2 人の 産婆が出産に関わったとされている . 産婆とトリアゲババ の 2 人である . 産婆を技術的助産師とし,生児の存在に 深い関わりのある女性をトリアゲババと呼んでいる .トリ アゲババは,5 か月か 7 か月のオビカケの日(今でいう妊 娠 5 か月の戌の日に行われる着帯の日)に腹帯を締めて くれた胎児の生存を認める人である . また,臍帯切断を したヘソババという助産師もいた . ネイシという公的神役 をしたとされる . 臍帯切断は母から分かれ,一人の人間 として独立したことを意味し , 臍帯切断の仕方で子ども の生涯が決まるとされていた . 臍帯切断することを「クレ をくれる」といい,それは位(身分)や運命を決定する 行為であるとされた .
これらのことから鎌田は,助産師は子どもを生ませる だけでなく,生児の生存権を左右する力を有する存在と
発表年数 著 者 名 題 名 1975 年 菅原真佐美 日本産育習俗資料集成を読んで
―人間誕生にかけられた祈りの数々 1977 年 藤田八千代 胎児娩出術
1982 年 鎌田久子 出産の場―外から内へ,そして外への変遷 1982 年 鎌田久子 社会の一員となる―初出の儀礼
もう一つのお産革命―産む,産ませてもらうの相違 生命渇仰・トリアゲオヤ―二種類の助産
1982 年 芳賀日出男,中田昭
近藤宏二,鎌田久子 写真でみる誕生習俗
1984 年 塩津三治 色浜区の産小屋と出産習俗―昭和 51 年 6 月調査 1984 年 大河原千鶴子 生活の変化と出産の習俗
秩父郡小鹿野町の調査から 1984 年 村山伊勢子,脇坂久代
剣持登志子,戸崎千恵子 出産祝食に関するアンケート調査を実施して 1986 年 宮里和子,坂倉啓夫
菅沼ひろこ,鎌田久子 出産の場 1986 年 宮里和子,鎌田久子
菅沼ひろこ,末光裕子 ・誕生―地域の承認
・安産祈願
1989 年 高橋八重子・石村朱美 ・産育習俗としてのへその緒に関する意識調査 1992 年 安澤菊江 浜松地方の出産に関する―習俗―
山瀬家のコヤ産屋のあとを訪ねて 2004 年 横尾京子 ・産着・臍の緒
2011 年 松岡悦子 文化人類学からみたお産の痛み
発表年数 題 名
トリアゲバアサン 生児をあの世からこの世に取り上げる . この世の人間仲間に入れる意味からきてお り具体的な動作として,産婦から生まれた子どもを 1 個の人間として扱うという 意味がある.
ヒキアゲババ 鳥取県 ムラにヒキアゲバアサンが 1 人いて,産気づくとコシダキバアサンとと もに取り上げている . 子どもの名付けの時まねかれていた . 引き上げるとは,人間 仲間に引き入れる者という名称である .
コトリオヤ 鹿児島県の黒島では,出産の世話をしてくれる女性のことを指している .
コトリババア 福島,茨城,群馬の諸県でも産婆のことをさしている . 子どもをこの世に引き入れ る意味である .
コズエババ 確実に我が仲間に居つかせる意味であり,トリアゲルという初歩的な動作ではな く,さらに 1 歩進めて落ち着かせるという意識も加わっている.生児を現世の人 間仲間に加えるという意識が強く,児は生存権をもつ人とされてきたのである . ハカシンバア 伊豆の新島では産婆のことをよんだ .
ヘソババ 生児が母から離れて完全に 1 個の人間として独立することであり,意味を大きく 捉えていた .
コナサセ婆ンサマババ 岩手県で 1 週間か 10 日間産婦と起居を共にして世話をした .出産後すぐご飯を炊き産の神に供える習俗はあるが,産婆に食べてもらうところも多い . 表1)「助産雑誌」出産習俗に関する論文一覧
表2)出産習俗の中で語られる助産師の呼び名と役割(鎌田久子論文基に筆者作成)
認識されていたとしている . また,助産師は子どもの成 長を見守り続ける存在であったことから,助産師の果た した役目の喪失は,子どもにとって生涯にわたる保護者 を喪失するに等しいとも指摘している . 千葉県北部には,
助産師が出産時,産婦の耳元で安産を願いながら,昔 話をし,その意味はこちらの世界に子どもが去来するよ うにというトギという役割があったとされる . お産を介助 した助産師とは別に親と子の仲を取り持つ役割をもった トリアゲオヤが存在したとされる .
トリアゲオヤという言葉から助産師は本来,聖なるも のがあったにも関わらず,現代では削ぎ落とされて,脱 落してしまい,技術的な面だけが強調されていると述べ ている . 命の支配者のような命を司ってくれる人が助産師 ではなかったかと指摘する . 助産師による取り上げ方が 悪ければ死んでしまうかもしれない,それでも産婦が助 産師に委ねたのは,聖なる人であったからではないかと 分析している .「日本産育習俗資料集成」に子どもを養 子として他家に斡旋することの他,堕胎や出産直後の嬰 児殺し(間引き)を助産師(産婆)に依頼していたとい う報告があることから , 助産師は児の生殺与奪権を有し ていたことを示唆している .
Ⅳ- 3 ≪出産習俗からみる命≫
鎌田は,腹帯の風習について宮古島では,かつては エイの尾を身につけていたという. エイが人間の子を産む という昔話から風習化していたといわれる . この昔話の 根底にあるのは,人の生命は海の彼方からもたらされた という思想である . エイを媒介にして生児の魂・人間の 生命力が海の彼方よりもたらされるという思想である . 腹帯に蛇の抜け殻を巻いておくと安産になるという地 方もあり, 脱皮・再生という意味を包含している . 腹帯に 入れるものとして共通していたのは,一本の紐状または 帯状のものを結ぶ行為である . 一本の紐を固く結んで,
そこに目にみえぬ霊力を安置させることであり,霊力は 胎児の生命であったとする . 民俗学的には腹帯の意味と して,出産の儀礼に関与する援助者との関わりを明確に する役目や,広く地域社会の共同体としての認識を持つ ムラ社会全体に新たな成員を迎えるという認識を促すこ とにあったとされる .
産湯は,生まれた直後にする湯浴みではなかった . 一 定の時間を置いてする地方があった . 湯の中に少量の塩 を入れたり,大根を入れたり,漆器を入れたりする場合 もあった . 湯の中に色々なものを入れることで児が持つ 力を増加させるという意味があったと考えられている . 産
湯を一定の時間おくのは,生後数時間は人間と見做して いないからだとする . 試験的意味合いがあり,静観する 時間があるとする . 愛知県には,テトオシという習俗が あった . 産湯が終わった後,トリアゲミズを浴びテトオシ という襦袢のようなものを児に着せる . その上から家の中 で最年長者の着物を着せるのである . テトオシとは,手 を通すことであり,人として認められることである . 人間 として認められる衣服を身につけるという意味であるが,
身につける以前に児の命がつき死亡したとしても,それ は人ではない,未生以前であるので,死者ではない . 再 生する・また生まれてくる可能性のある子と考えるのであ る . 産湯にまつわる習俗は,死後の身体を清める湯かん と共通項があるとしている . 湯の準備 , 湯の捨て方 , 扱い 方に共通した点があるとされる . 湯かんより始めて死者と 認識していく過程と同じように,産湯によって一個の人間 と見做すのである . 湯は生と死の通過儀礼として重要な 役割を担っていたことを意味している .
Ⅳ- 4 ≪失われた出産習俗≫
医療施設での出産が主流になったことによって失 われたものとして,こうした「出産習俗」がある.
鎌田は出産が近代化したことは,出産が日常の人間 の営みの外に出てしまったと表現する . 近代医学と は,危険に対して常に先手を打って予防的な医療処 置をした方がよいという出産管理である . 医学的診断 に基づいて,必要であれば処置を受けながら出産す ることは,段階的に人としてみなされていき,未生 という概念は存在しない . 人としての社会的誕生を支 える役割までは含まれていない.今や病院では児の 出生後は,母児に対する素早い判断と適切な処置を 行うことに主眼がおかれ,母親に対して通過儀礼を するような時間や精神的に厳かさが入り込む余地は ない.
出産の施設化は,人間の誕生の心理的,文化的,
社会的の意味をそぎ落とし . 単に生物として生まれる ことはできる . しかし人間が本当に生まれるためには 受け入れる家族や地域の人々の関与が必要である . 受 け入れるには段階が必要となる . 生物としての誕生と 社会的誕生の間には一定の期間があり,猶予の期間 が必要であろう . このように人間が社会的に誕生する にあたってはいくつかの段階があり,それが通過儀 礼である.出産の施設化は通過儀礼を形骸化したも のとして残せても,根幹の思想は削ぎ落とされてし まったと考えられよう .
妊娠から出産までは 180 日(40 週)を要する . この変 化のなかで「出産習俗」の持つ意味を伝承するために,
妊婦としての過ごし方や心構えを伝える人が存在してい れば,妊産婦は「出産習俗」から学ぶ機会が得られて いたのかもしれない . この大切な役割を誰がするかとい う合意形成がなされないままに戦後日本の出産の近代化 は進み,受継がれてきた「出産習俗」は姿を消してしまっ た.科学的根拠のもとに多くの「出産習俗」は消え , そ の根底にある生命観の変換をも余儀なくされてきたとい える .
一方,日本における助産所で行われてきた一連の支 援内容は「出産習俗」を伝承している側面がある.6-9)助 産所で妊婦健康診査(妊婦健診)を受ける女性たちは,
正常な妊娠経過や分娩になるように妊娠に伴う身体的変 化や精神的変化,それに合わせた食事や休息のとり方,
日常生活における身体の使い方,運動方法,異常の発 見の仕方,お産についての知識,陣痛にあわせた過ご し方や呼吸法等 , 多くのことを助産所で学ぶ.時には穏 やかに流れる時間の中でマッサージを受けながら子育て や日々の生活での悩みを打ち明け,雑談することも多い.
陣痛が始まれば,励ましてくれ,出産を介助して,出産 後はゆったりと過ごしてから自宅に戻っていく.退院後 の生活やそれに続く子育ての戸惑いや悩みも,妊娠中か ら出産の時までを詳細に知る助産師が相談に応じてくれ るのである.妊婦健診や出産,産後に「今が一番かわ いい」「この子は家の守り神」など子どもの命についての 呪術的意味を語り,生活者の視点を大切にした知恵や 先を見越した育児の心構えを語ることは,ある意味「出 産習俗」の精神を伝えている.
今お産の神様をはじめとする神様たちは登場しない.
子どもは最初から人として認識されているため,お七夜 の祝いはなく,誕生した子どものその後の通過儀礼に出 産を取り上げた助産師が参加することはない.従ってか つての「出産習俗」を , そのままの形で助産所が伝承し ているわけではない.しかし , 助産所の助産師が自らの 信念に基づき,妊娠から出産そして産後・子育てまで一 貫した支援を行っているという点はかつての助産師と同 じともいえよう.
Ⅴ.考察
鎌田の論述した「出産習俗」の中でかつての助産師が 果たした役割は,その後の習俗の文脈で語られる助産 師像より呪術的である . 鎌田の研究動機は,生と死の問
題であり,現代の生や死は隔離された中で行われ,今ま での生活から隔絶されて生と死が行われる違和感であっ たとされる . かつては子どもの誕生に最初に出会うのが 助産師であり,その後の成長に関わり続けた存在であっ た . 現代ではなぜそれが希薄になっているのかという疑 問があった . なぜかという思いが出産習俗研究の原点と なった.だからこそ,助産師の役割を検証する際,生 に関する意味合いを色濃く打ち出したのではないかとも 考えられる . 助産師は,トリアゲルという聖なる行為をし,
トリアゲル行為者は,命を司るという役目を担っていたと したのであると考える .トリアゲ方が悪ければ児は死んで しまうかもしれない . ある意味,聖なる行為であるし,命 に対する逆らえない静かな諦観が産む側に根付いていた とも考えられる . 子どもを授かったという言葉から,子ど もの命は自分の意思ではどうにもならない存在であると いう生命観があった . 鈴木10)は ,「間引き」という嬰児 殺しは,選択されない命であったが,選択される命との 違いは子どもとして認めるか否かの違いだけであり,選 択されなかった命があることを認識されていなかったと している.すなわち , 子どもは常に選択される命であると の認識があったのではないかと指摘している . 中山11)は,
「日本産育習俗資料集成」の中で子どもがなかなか生ま れない状況(※不妊をさすと思われる)に対する方策と しては,各地で多少の差があるが神仏への祈願,妊娠 した女性にあやかる,貰い子をすると自分の子が産まれ る,呪術,など見えない霊力に頼ったりあやかるという 共通したものがあったとしている .
鎌田は,さまざまな「出産習俗」をとりあげながら,
その根底にあるものはなにかと死生観を踏まえながら , 密接に関与した助産師像を浮き彫りにしている . 通過儀 礼や分娩介助を通して,母親とその家族,地域集団で の関係を繋ぐ助産師 midwife”女性と共にある者”であっ たことを示している . 出産習俗が失われつつある現代に おいて,助産師もかつての役割を担ってはいない . 1950(昭和 25)年頃は,95% が自宅出産で助産師が 出産の介助者であったが,1970(昭和 45)年には出産 の 85% が病院や産科診療所など施設での出産となり, 出産リスクが強調され科学的根拠のもと出産は医師の管 理下に置かれていく . このような医療の近代化の歴史の 中で,助産師も大きく変化していった . 宮里和子12)は,
出産が施設で管理されることで,生児や家族と深い関わ りのある人としての助産師の役割も消失したと指摘する . 出産形態の変化と介助者や出産場所の変化などから 意識の変化も起きていく .「助産婦雑誌」の中でも出産
は自然がよいという言説注4)があったことを論証してい る . 出産の文化的意義についても様々な論文で検証され たにも関わらず,「出産は安全を優先すべき」「出産は,
とても痛みがあり其の痛みは,母親であれば受け止めな ければならない」というイメージ先行のフレーズが独り歩 きして,「出産=病院=安全」という価値観が強固になっ ていった経過がある.痛みを我慢するのは母親ならば当 然という押しつけ的役割規範に対する母親側の抵抗意 識などがあり, 意識形成がおきたのだと考えられる.こ の結果は,病院や診療所などでの施設分娩が 99%(2015)
という数値が現実を象徴している .
現代は「子どもを作る」という言葉を使うが , かつて は「子どもを授かる」と表現していた.子どもの命が自 分の意志ではどうにもならないことを意味している.生 殖医療の発達によって , 近代まで諦めてきた生命の誕生 が可能となった時代にあって,生命は科学的技術によっ てどうにかなるという意識を生んだとしても不思議ではな い.鈴木13)は,助産所で出産した直後に子どもを亡くし た母親の言葉について言及している.「子どもが亡くなっ たその時の光景はしっかりと覚えている.自分は,スター トラインにたったと思えた.なにかの啓示のように思え た.とても悲しいことではあったし,なんで・・という思 いはあった.だからといって誰かを恨むということでは なく・・本当に夫や助産師さんは一生懸命で,ありがた いとしか思わず,でも自分の子どもの死は , なんとなく納 得できてしまった」という母親の静かな語りの中に抗い 難い運命として子どもの死を受容していたことが伺えると する.死は特別なものではなく生と連続しているもので,
原因があって結果があるのは当然であり,子どもの死が 抗いがたい事実として存在し,そこから始めなければな らないという諦観があったことを示している.助産所の 助産師が,この母親に対して折に触れて語り続けたこと は,生命の大切さとともに人智の及ばないものに対する 畏敬の念を伝承していたことに他ならないのではないだ ろうか.
出産の文化的側面とは,「出産習俗」であり「子産み 子育て文化の伝承性」と置き換えられよう. 子育て不安 が施策として行政支援の上位に置かれる今 , 親から子へ 自然に伝承されていた子育ての知恵が伝わらなくなり,
伝統的な子育て文化が崩壊したため,初めて妊娠出産 をする女性の育児不安があるのではないかという指摘14)
がある.切り離された通過儀礼の中には,社会との関係 性の中で母親が獲得できた育児力があり,育児力の獲 得と出産の関係性は深いと考える.母親であれば本能
的に子どもをかわいいと思い,育児行動がとれるのは母 性本能と考えられていた,母性本能は育まれるものであ り自然発生的に育児はできるものではない.通過儀礼は 成長の節目を象徴し,その段階で「元気でいてくれたこ とを喜び合う」ことで子育ての社会的承認が得られ,子 育ての社会的意味を学び,自覚と覚悟が形成されていく.
自然出産や出産習俗がなくなりつつある現在の出産状況 にあっては,母親の個人的負担感は重く,子どもが社会 の中で育っていく社会的存在であるという認識は形成さ れにくいと言わざるをえない.「出産習俗」が伝承されな い社会 , それに関わってきた助産師の機能・役割の変容 は , 育児力の獲得ができにくい母親の存在が少なくな い現実を象徴している一端ともいえるかもしれない.
Ⅵ.結論
鎌田は戦後になって助産師の失われた役割は「呪術 者,司祭者としての役割」「生命力を与えるだけでなく,
子どもの成長,健康,幸福に一生を通じてかかわり守る 役割」と指摘する . かつて「出産習俗」に示される多様 な役割を担っていた助産師 midwife は”女性と共にあ る者”として , 失われた役割から現代が必要としている 役割を再認識し,日本における歴史的な存在意義を振り 返り, その機能と役割を今一度再考することが求められ よう.
文献
1) 柳田國男編集:日本産育習俗資料集成 . 恩賜財団母子愛 育会編 . 東京 : 日本図書センター ;600,2008
2) 鎌田久子 : 産育習俗今昔 . 助産婦雑誌 . 36:1-2 号 ,1983 3) 鎌田久子 , 宮里和子 , 菅沼ひろ子:座談会「子産み子育
て考」それぞれのアプローチ . 助産婦雑誌 .39:56 ‐ 63,1985
4) 松岡悦子:出産の文化人類学 ‐ 儀礼と産婆 . 東京 : 海鳴 社 ;87,1985
5) 坂 橋 春 夫 : 出 産 い の ち の 民 俗 学 . 東 京 : 社 会 評 論 社 ;254,2009
6) 岡本喜代子 : 助産力 . 東京 : 日本助産師会 ;142,2014 7) 木村尚子 : 産婆・助産婦団体と産科医の 100 年 ‐ 出産
と生殖をめぐる攻防 . 東京 : 大月書 店 ;290,2013 8) 大林直子 : お産 ‐ 女と男の羞恥心の視点から . 東京 : 勁
草社 ;348,1994
9) 長谷川まゆ帆 : さしのべる手 ‐ 近代産科医の誕生とそ
の時代 . 東京 : 岩波書店 ;324, 2011
10) 鈴木由利子 : 間引きと生命.日本民族学 232:3-8, 2002 11) 中山まき子 : 妊娠体験者の子どもを持つことにおける意
識 . 発達心理学研究 3(2):51 ‐ 64,1992
12) 宮里和子 : 会長講演,日本の子産み・子育て 伝承と変 容 . 第 4 回助産学会学術集会 ,1989
13) 鈴木祐子 : 開業助産師による育児力を高める支援 . 学位 博士論文.国際医療福祉大学大学院,2015
14) 森恵美 : 母性への新たな健康支援 . 母性衛生 .55(3):35-36, 2014
注釈
注 1) 日本産育習俗資料集成とは,出産昭和 9 年,恩賜財 団母子愛育会の事業の一環として,柳田國男によっ て企画されたものである . その企画は「全国各地ニ 於ケル妊娠,出産及育児ニ関スル行事,伝説,習俗 等ヲ調査シ,以テ母子愛護強化ノ資ニ供」するとい うもので,これを受けて愛育会や全国の民間伝承の 会会員(現在の日本民俗学会員)による未曾有の大 規模な一斉調査が実施された . その後,戦争の激化に よって,集められた資料の編纂は一時中断され,戦 後に至って再開された . 本書がようやく完成された のは,その発端から実に40年近くの歳月を経てか らであった .
注 2) 「助産婦雑誌」は,1954 年より医学書院より月刊誌 として発行される.2003 年「助産雑誌」と改題される.
注 3) 助産師は , 江戸時代に「産婆」という名称で職業と して一般化していた.1899 年産婆
規則が交付され水準が全国的に統一された.1948 年 保健婦助産婦看護婦法が制定され「助産婦」に改称 される.2001 年,「助産師」に改称される.本稿に おいては「助産師」と統一して論じた.鎌田論文では,
「助産師」を「産婆」としている.
「産婆」とは,出産を助けるものであるが,各地の名 称から考えて生児と深い関わりを持つ者であること が理解される . 出産後の儀礼の主役になっていること でも理解できる . 産婆には必ず食事を出していた . 生 まれるとすぐご飯を炊き酒肴をだす . 御頭付きの肴 を出す . 帰る時は重箱一杯のご飯を持たせる . 出産後 も産婆に食物を供することが行われる . 出産という 非日常の世界にいる産家の世界に共食という礼を媒 介として産婆も出産儀礼の関与者という位置づけで あったことを示している.
注4) 「助産婦雑誌」1979 年 1 月 Vol33 に「【お産革命】助 産婦職を大切にという中身」という特別記事があ る . 朝日新聞記者藤田真一が「お産革命」といく記 事を 1978 年から朝日新聞に連載しており , 助産師に とってこの記事は , どのようなメッセージ性があっ たのか , 作者である藤田からテーマを聞き産科医 , 助 産師 , 大学教授という立場から今後の助産師につい て議論している . その中で ,「革命」という言葉は何 を意味するかについて藤田は , かつてお産で中心的 役割を担っていた助産師の存在感が稀薄になってき たのは , 出産を医師に委ね安全に産ませるという風 潮があり , それは産む側からすれば「産む」から「産 ませてもらう」姿勢に変わったことだという考えを 述べている .
受付日:2017年11月24日 受諾日:2018年2月9日
Abstract
Midwives have conformed to time. From the perspective of childbirth customs, the midwives have clearly drifted from old traditions. In her essay, Hisako Kamada precisely assesses what the current midwives have lost. She deduces that after the Second World War, the midwives have lost their roles as “sorcerer and priest” and their ability to not only “protect life but also promote development, health, and happiness of their offspring throughout their lives.”
Perhaps, in this current age, a subjective and renewed awareness of a midwife’s role is the most crucial requirement..
Key words:Midwives chirldbirth customs sorcerer
【Reference】