『ユ リシーズ
』 の アイオ ロス挿話 :表現 と実体
永 原 和 夫
Ul
yS S e S ( 1 9 22)の Aeol us
挿話 は本来的 に雄弁術 に関する章 である。Ja mes Joyce
の ような風刺的精神 の持主 にとって,長々 しい議論や政治演説, そ して 新 聞口調 などは噸笑の格好 の材料 である。新聞社 の編集室で政治 と救世主問題 をめ ぐって, ア イル ラ ン ド自治 に関 し,不死 鳥公 園暗殺事件,言語 運動,Dea s y
先生 のロ蹄疫 に関する手紙 など様 々な議論がなされ,演説が披露 される。その間に
Le opol dBl oom
がAl e xa nde rXe ye s
商会の広告の ことで事務所 を訪 ね,再三屈辱 を うける。一方St ephe nDeda l us
は親 しく迎 え られ,手 に した ばか りの給料 で記者諸君 を近 くの酒場 にさそう道すが ら話す彼 のプラムの寓話 で, この章 は空気が抜 けたように終 る。 二人の主人公の道 は交差するが;話・し 合 う機会 はない。 この挿話 はUl y s s e s
の小 さな章であるが,Joyce
は新聞見出しと思 われているものを挿入 して先行の
6
章の基本的な話法 を変えたために, 批評的解釈 に混乱 をきた した。見出 しは,確かにわれわれの読書 を中断 させる が, これ を無視 した り,抜 き出 して特別扱 いすることはできない。見出 しはそ れに続 く部分 に注釈 を付 すだけでな く,両者 は互 いに反発 しあい,口調 の違 い が微妙 なアイロニーを醸 し出す。本稿 ではAe ol us
挿話 の解釈 に混乱 をもた ら した文体上の問題 を論 じ,誇張 した議論 や演説の嵐が,アイル ラン ドの麻痔 を むき出 しにする過程 を見 ていく。Ul y s s e s
の謎 を解 く一つの鍵 がその標題 にあることは, この作 品の出版 を予 告 す る講 演会 でVa l e r yLa r ba udに よってパ リの聴 衆 に告 げ られ た。彼 は Joyce
か ら教 え られていた 「創作計画表」s c h e ma
には触 れなかったが,父 を 求 め る若 い芸術 家St e phe nDe da l us
がTel e mac hus
で,子 を失 ったユ ダヤ人 の広告取 りLeopoldBl oom
がOdys s eus
でi ダブ リン市 における彼 らの一 日〔1 7 9
〕の生活が,
Odys s e us
の10
年 に及ぶ地中海 の放浪 に照応 すると教 えた。( 1 ) 1 930
年 になってSt uar tGi l be r t
は,Joyce
の許可 を得 て 「計画表」 を公表 し,大体一 時間の出来事 とされているUl ys s e s
の各章 の場面 は,Od ys s e y
の18
の挿話 に対 応 す るだけでな く, それぞれ 「肉体器官」
の一部 が与 え られてお り, 特徴 的 な 「色」と 「象徴」 を持 ち,ある 「学芸」 で統一 され,独得の 「技法」 をもっ て書 かれていることを明 らか に して,Homer
との額似 を細か に述べ, この作 品の神秘学的側面 を強調 した。 ( 2 )
この第7
番 目の章 で,Bl oom
が12
時 に新聞 社 で遭遇 す る屈辱 は,風の神Aeol us
の島におけるOdys s eus
の大失策 に基づ いている。従 って この章 で捧 げ られている 「肉体器官」は肺,
「学芸」は修辞学,「色」は赤, 「象 徴」̲は編 集長, 「技法」は省 略推理 法 (
e nt hyme mi cを Gi L ber t
は省略三段論法 と解釈 している)で ある。 この章 は無数 の風 の言及 でふくれあが り,
Joyce
は意識的に修辞的言語 を用 いているといって,chi as mus
,di a s yr m
,ana phor a
,di a er es i s
,as yndet onなど 90
以上 に及ぶ修辞的方法の用例 を列挙 した。本文 は新聞の見出 しを真似 た大文学の標題 で63に小分 けさ れ,標題 自体 は新聞用語 の歴史的発展 を反映す るように変化 す る。 また
Gi 1 ‑ ber t
はこの章の前後が電車の線路で囲まれているのは,Aeol us
の島がSt r om‑
bol
i火 山島で,火 口か ら流 れ出 た溶岩 が軽石 となって海面 に浮 び, そ こか ら 浮島の ようにそそ り立つ この島の周辺が鉄鉱石 で被われていたか らであ り,釈 聞社 の事務室でゲラ刷 りは風 に吹かれそ,火山灰のように床 に舞 い落 ちると説 明 した。Gi l ber t
の注釈学 は,Wi l s on や Cur t i us
か ら,Joyceは意識 の流 れの横 溢
を制御するためにあま りにも厳格 な古典的規則 を導入 して,筋 の展開 を犠牲 に したとい う批判 を生 むきっか けを与 えた。(3)確 か に 「計画表」 はJoyce
が作 品( 1 ) Va l e r yLa r ba ud," J a me sJ oyc e
,"I, aNo uv e l l eRe vueFr ans ai s 1 8( 1 922 ) . Sc h e ma
は二種頬あり,Gi l be r t
が公表 したのはLar ba u d
に渡されたものと同じであるが,そ れ以前 にCa r l oLi na t i
に渡 されたイタリヤ語の ものがあ り, これ らはRi c ha r d El l ma nn
," Appe ndi x二Th eLi na t ia ndGor ma n‑ Gi l b e r tShe maCo mpa r e d
,""Ul y s s e s "
o nt h eLl f fe y ( Ne wYor k,1 972 )で見ることができる。
( 2 ) St ua r tGi l be r t :Jo yc e
'S"Ul ys s e s" ( 1 930;2n de d. , Ne wYo r k,1 9 59) ,p p.1 1 6I 1 33.
『ユ リシーズ』 のアイオロス挿話 :表現 と実体
1 81
を構築するために用 いた骨組 であ り,出来 あがった作品の結構 や意味 をこれに 求めることはできない。 しか し,W.
Y.Ti ndal
l等多 くの象徴的解釈 を引 き出 す要 因になったの もGi l ber t
のUl y s s e s
研究 で あ り,Joyce
の監督下 で執筆 さ れたという事実が,多 くの誤 ちが含 まれていると しても,表書 にあなど り難 い 権威 を与 えている。Joyce
はUb' s s e s
執筆 にあた りVi ct orB6r ar d
等のO d y s s e y
研究 をつぶ さに調べていたが,M.Se i del
はこれ らの資料 を元 に,現代都市の 放浪 をOdys s e us
の航海図 と重 ね合 わせて見せた。Bl oom
やSt ephen
が出入 りす るFr e e manandNat i o nalPr e s s
とFr e e man' sJo ur nalandNat i o nalPr e s s
を 刊行 す る新 聞社 は,St r ombol
iが地 中海 の ほぼ中央 に位 す るように, ダブ リ ンの中心 にある。市 の南西のDa l key
にある学校か ら都心 に出てきたSt ephen
の道程 と,北東 のGl as ne vi n
墓地 か ら戻 り,新 聞社か ら少 し南 のDi l l on
競売 所へ行 って引 き返すBl oom
の道程 は,I t haca
が見 えるところまで行 って,逮 風 にあお られて再 びAeol us
の島に戻 ったOdys s eus
の航路 にぴった り当てはまるという。(4)
一語一句 を書 き取 った紙片 には じま り,それを取捨選択 して書 き写 した雑記 帳か ら生 まれ た草稿 ,そ してタイプ原稿 と
Li t t l eRe m
'e
wの予備的連載 を経 て, 数度 の校正 の末 に出版 に漕 ぎつ けたUl ys s e s
の特異 な創作方法 につ いて は,La r ba ud
やFr ankBudgen
が早 くか ら触 れていたが,創作 の全過程 を再構築 する作業 に先鞭 をつ けたの は,Wa lt onLi
tzのTheAr to fJame sJo yc e
(1961)
である。(5版 は当時使用可能 であった作家 の書簡 や草稿,ゲ ラ刷 り等 を調べて,Joyce
の創作意図がUl ys s e s
の中央 ではっき り変 っていることを明 らか に した。前半 で は筋 に したがって人生 が展 開 され て い くが,第
1 0
番 目のWander i ng Rocks
挿話以 降,Joyce
は独 自の文体上 の実験 に乗 り出 している。前半 でのJoyc e
の意図 は意識の流れの手法 を用 いた人生の細 かな再現 にあるが,後半 で は"adi r ectcor r es ponde ncebet wee n s ubs t a nceand s t yl e"
を 設 定 す る( 3) Edmu ndWi t s / On ,Axe l ' sCa s t l e ( Ne w Yor k ,1950); Er ns tRob e r tCu r t i u s ,Ja me s
Jo y e sun ds e i nUl y s s e s ( Ne ueSc h we i z e rRun ds c ha u ,1929) .
( 4) Mi c ha e lSe i de l ,Epi c G e o g 7 初 . ・ Ja me s J o y c e '
sUl y s s e s ( Pr i nc e t o n ,1 976) ,pp. 1 63‑
1 68.
"expr es s i vef or m "
を作 る ことに,Joyceの努 力 が傾 け られ てい る と Li t z
はいっている。 これは主題 の特徴 を形式 に表現 あるいは模倣 す るもので,その ような傾 向はSi r e ns
挿話 で動 か しがたい ものになるのであるが,Li t z
は主 と してLi t t l eRe vi e w
との対比 か ら,Aeol us
挿話 が"e xpr es s i vef or m "
の最 も 早 い例 である ことを立証 した。1918年 のLi t t l eRe m' e w
に掲載 されたAeol us
挿 話 の叙 述 方法 は基 本 的 に先行 の6
章 と変 りな い。 1921年 の大改訂 で,Joyce
は 「計画表」 に基づ き新聞見 出 しを加 え, この章 の 「色」 に合 わせて
Mur r a y
の名前 をJohn
か らRed
に換 え,Gi l ber t
が あげている95の修辞的形式 の うち30
を新 たにつ け加 えた。また
Li t t l eRe m' e w
以 降の風及 びAeol us語 の追加 に は次の ような ものが あ
る。" t hewi ndt o" ( U.117)
(6),agoodcur" ef orf l at ul ence" ( U.119) ," fann e d
b
yge nt l e s t 2 : e Pk yr e s "(a 123)
," Wi ndf a l l "(U.124)
," Wha t ' si nt hewi nd"
," whi r l wi nd"
," getwi nd of "
," Wea t her c ocks "
," t he s ame br eat h" ( U .125)
," vent "(a.126)
," 0,HARP EOLI AN" ( U. ‑127)
," Ther e' sahur r i canebl ow‑
i ng" ( U.128)
," bl owi ng" ( U.129) ," t heve ntofhi sj a cket " ( U.130)
," 0,f ora f r es hofbr eat hai r ! "( U.135)
," as ha peofai r " ( U.137)
," bl owndownbyt hat c ycl one" ( U .138)
," di vi neaf f l at us "(U.140)
," f ourwi nds "
," You t a kemy br eat h a wa y" ( U 143)
," Wi ndy Tr oy" ( U .144)
," br ea t hl es s
"," puf f i ng" ( U.
146) ," s qua l l s "
," RAI SI NG Tf I E WI ND" ,
I" r ai s et hewi nd" ( U.147) .
Li t z
には じまるUl ys s e s
の復原作業 は,Mi cha elGr ode nに引継 がれ,63
巻 に及ぶ Jame sJo yc eAr c hi ve
を経 てGa bl er
のUl ys s e s. ・A Cr i t i c alandSyno pt i c Edt ' t i o n ( 1984
)で完 成 した。(7)新 聞社 を現 わ す の に̀ ̀t hef ourwi nds" (U.
( 5 ) Fr a nkBud ge n,Ja me sJo y c ea ndt h eMa k i n go fUl y s s e s( 1 934; r e p r i nt e d,Bl oo mi n g‑
t on,1 960) ,p.172;AWa l t o nLi t z ,Th eAr to fJa me sJo y c e ( London,1961) ,p p.49‑
52.
な おLi t z
の新 しい意見については次の2
論文参照," Th eGe n r eo fUl y s s e s
,"Th e Th e o r yo ft h eNo v e l ,e d.J o l m Ha l pe r i n( Ne wYor k,1 974) ,pp.109‑ 120
;" I t ha c a
,"Ja me sJo y c e '
sUl y s s e s ,e d.Cl i veHa r ta ndDa vi dHa yma n( Be r ke l e y,1 974) ,pp.385‑
405.
( 6 ) Ul y s s e s
のテキス トはRa ndomHous e ,1 9 61
を用い,参照ページは本文中にコツコで括 り
U.で は じまる数字 で示 した。
『ユ リシーズ』のアイオロス挿話 :表現 と実体
1 83
143
),倦 怠 を現 わす倦 み果 て た言 語 とい う" e xpr es s i vef or m
" は,Yvor Wi nt er s
が InDe fe ns eo fRe as o n
(1947)でEl i ot
のTheWas t eLand
を批判 したと同 じ弱点 があ り,
Li t z
は後 に彼 の立場 を変更 したが,61
年 の彼 の思想 を 支 えていたのは,Joyce
がDef oe
のTheSt o ㌻ m
に認めた累重的表現の力であっ た。Thebook( Th eSt o r m) ope nswi t ha ni nqui r yi nt ot hec a us e sofwi nds ,t he nr e ‑ c a pi t ul a t e st hef a mouss t or msi nhuma ns t or y,a ndf i na l l yt hena r r a t i ve,l i keagr ea t s na ke,be g inst oc r a wls l owl yt hr oug h at a ngl eofl e t t e r sa ndr e por t s . . . . Themod‑
e r nr e a de rdoe sagoodde a lofgr oa ni ngb e f or eher e a c he st hec onc l us i ons ,b uti n t hee ndt heobj e c toft hec hr oni cl e rha sbe e na c hi e ve d.Bydi ntofr e pe t i t i ons ,c on‑
t r a di c t i ons ,det a i l s ,f i gur e s ,noi s e s ,t hes t or mha sc omea l i ve,t her ui ni svi s i bl e
・(8)S.L Gol dber g
は,Li t z
の ̀̀expr es s i vef or m "
は人生 を"debumani z e"
す るので はないか とい う疑念,
Wi l s on
やCur t i us
の象徴主義 に対す る反論 を 押 し進 め,Ul ys s e s
はなに よ りも小説 と して読 まれな けれげな らないと,Th e
Cl as s i c alTe mpe r ( 1961)
で, 詳 細 な 論 陣 を はっ た。Aeol us
に は じま りWa nder i ngRoc ks
か らOxenoft heSun
に至 る各章 は人生 を発展 す るので は な く,「計画表」 に したが って単 なる技術的彫 琢 に集 中 している。"Thepat ‑ t er noft hei r̀ s ymbol i c'andt echni ca . 1devi ces"
はあま りにも観念的 で,外在 的かつ気 まぐれで,これ らの章 は"pr ecar i ousi nt el l ect ual i za t i onofs t r uct ur e' '
に陥 っていると非難 した。(9)Gol dber g
が理想 と したのは作中人物の内的世界 と 外 的世界 が結合 す る"r eal i s m "
で ある。Ul ys s e s
の文体上の変化 に, は じめ て そ れ が要 求 す る重 要 性 を公 正 に認 め,批 評 的検 討 を加 え たの はAr nol d
(7)
Ul y s s e s
の復原の詳細 につ いては拙稿 「ミュ ンヘ ンの復元 : 『ユ リシーズ』新版」小樽商大 『人文研究』第7
0
輯( 1 9 8 5
), pp. 89‑1 2 2
参照。( 8 ) Ja me sJoyc e ,Da ni e lDe fo e ( Buf f a l o,N.
Y. ,1 964) ,pp. 1 5‑ 1 6.
この部分がLi t z
の̀ ̀ I t ha c a"
論文に引用 されている。( 9 ) S. L Gol dbe r g,Th eCl a s s i c a lTe mpe r ( London ,1 961 ) ,pp. 284‑ 285.
Gol dma n
である。彼 は,・ TheJo yc ePar a do x ( 1966)
で,Gol dber g
の"di c t um"
は初期の挿話 にはうま くあてはまるが,後期の挿話 になるに したがい無理がで て くる,後期 の挿話 でわれわれが観察す るの はむ しろ ′
̀ade l i ber a t e l ypl a y‑
ed1 0nga pbet we e nt hena r r a t i ves t yl esa ndt hema t e r i a lwhi c hi st hei rs ub‑
j e ct
"であると主張 した。Aeol us
挿話 は前半 の経験 の再現 と後半 の組織的 な 文体上の実験 との中間点 に位 し,新聞見出 し,修辞法,風のモチーフといった"t hemaj ora r bi t r a r yna r r a t i vei nt r us i ons"
は, この章 の人間的行為 と融合 しない,む しろ反発 し分裂 しようとする。"Iti soneofal a r genumberofi n‑
S t a nc esi nwhi c ht hebookf or ce sTst oke eps e pa r a t et hewa yl tt a l ksa bout t hi ngsa ndt het hi ngsi ti st a l ki ngabou
t."Gol dber g
は文体 的実験 をJoyce
の落 し穴,無用の長物 と して排斥 したが,
Gol dma n
は人生の模倣 とその文学 的表現 とを別々に楽 しむ ことをすすめるのだ。 ( 1 0 ) Ka r e nLa wr e nc e
のUl ys s e s
の 話法研究 は,Gol dma n
が42
頁 で書 いたことを2 0 0
頁 の書物 に引 き伸 ば した も ので ある。彼女 はAe ol us
挿話 でわれわれが出会 うの は中断的 な"aki ndof doubl ewr i t i ng"
であ り,挿入物 は新聞社 の出来 ごととは関係 のない言語遊戯を指向するといっている。(ll)
La wr e nc e
にとって,新聞に由来する見出 し語 は, 作 中の どの人物 にも属 さない非人間的声であ り,任意 の語句 と交替可能 な気 まぐれな読書 の障害物 である。
Joyce
の文体上の百科全書的実験 を,Gol dma n
もLa wr enc e
も, ことばと対象,実体 と表現 とのギャップを埋 める絶望的な努 力 と考 えている。しか し
Joyc e
のア イロニーは実体 と表現 との対立か ら生 まれ るPであ り, これ らを分離 して も融合 して もアイロニ カルな意味の ほとん どが失 われ る。J ol m Pa ulRi que l me
は後者の例 であるO( 12) La wr enc e
もGol dma n
も結局 は,Gol dbe r g
には じまる人生 の直接的表現 を理想 と している。Ri que l me
はそれ に対 し,いかなる文学上 の約束 にもと らわれない人生 の純粋 に直接的な模倣 な( 1 0 ) Ar no l dGo l d ma n ,Th eJo y c ePar a d o x ( Lo n do n ,1 966) , pp. 81I83.
( l l ) Ka r e nLa wr e n c e ,Th eOd y s s e yo fSt y l e i n
"Ul y s s e s" ( Pr i n c e t o n ,1 981 ) , p p. 55‑ 79.
( 1 2 ) J o hnPa ulRi qu e l me ,Te l l e ra n dTa l ei nJo y c e' sFi c t i o n ( Ba l t i mo r ea n dLo nd o n ,
1 983) , pp. 1 82‑ 1 93・
『ユリシーズ』 のアイオロス挿話 :表現 と実体
1 85
ど考 え られないといって,
Ul y s s e s
の客観性 の神話 を一挙 に突 き くず して しま う。"Quot e da ndna r r a t e dmonol ogue sa r ee mpha t i ca l l y no t l m ma ns pee c h i ns omepur ef or m buts t yl i z edl i t e r a r yf or mspr es e nt i ngt houg h tt hr oug h t he medi a t i onofl i ngui s t i cconvent i ons ." La wr e nceは Aeol us
挿話 に安 定 と連 続性 を与 えているのは,最初の6
章か ら続 く内的独 白と対話 と三人称の記述か らなる"na r r a t i venor m"であるといっているが, Ri quel me
はこのような標 準的話法 などUl y s s e s
に存在 しないという。 あるの は話者 の声 と作 中人物の声 が複雑 に混 り合 い変化す る不安定 な文体 であ り,絶 えず三人称 と一人称 とが混 合 していると彼 は考 え る。 この章 にはr e f e r e nt i a l
な文体 と,見 出 しで代表 さ れるs e l f ‑ r e f er ent i a l
な文体 とがあ り,これ らは分離,独立 してあるのではな く, 融合 して新 しい文体 を作 る。例 え ば,第3
番 目の部分 で,"GENTLEMENOF THE PRESS"
と酒樽 の交錯配列法,そ してRe dMur r a yと Bl oom
との 対話 (α 116)は絶対的 に対立 しているのではな く,む しろこれ ら三文体 は併 置 され て そ れ ぞれ の独 自性 を相 殺 しあって い る。 ま た最初 の見 出 し"I N THE HEART OF THE ⅡⅠ BERNI AN METROPOLI S" (U .11 6)は,確か
に形式的な新聞用語ではあるが, これは後 に続 く文の前置詞句であ り,われわ れが受 ける違和感 は単 に活字上 の問題 だとす る。 つ ま りここで はあ らゆる対 立 は融合 し,平均化 され,すべての差異 がな くなる。この ような場 でアイロニー は窒息 す る。
Ri que l me
の新 しい文体 とは"a l l ot r opi cf or m '
'と呼 ばれてい るものである。それは文体 間の形式的相違 を閉 じた体系 の中で同質化 し,結局 一面的な意味 しか伝達 しない。Ri quel me
がいかに彼 の語 りのテ‑プを涙 じ曲 げ,両端 を合 わせてみて も,Aeol l l
S挿話 は変 な体裁 を している。大文字 の見出 しや修辞法や風のモチーフ は読者の注意 を喚起するのをやめない。 あつかま しい新聞用語 はその後 に続 く 部分 とのギ ャップを際立 て,風 の言及 やAeol us
語 は対話 か ら浮 きあが り,修 辞法 はある表現が絶対でないことを示す。交錯配列法がそのよい例 である。Gr o s s boo t e d d r a yme n r ol l e d b a r r e l sd u l l t hu d d i n g ou to fPr i nc e ' ss t o r e sa nd
bumpe dt he m upont hebr e we r yf l oa
t. Ont hebr e we r yf l oa tbumpe ddul l t huddi n g ba r r el sr ol l e dbygr os s boot e ddr a yme noutofPr i nc e ' ss t or e s . (U.11 6)
これは文 の主語,述語,目的語 はい くらでも置 き変 える可能性があることを示 して い る。 ま た この例 は
Leneもan
の回文,"Madam
,Ⅰ ' m Adam.AndAbl e wasIer eIsa w El ba" ( U.1 37
) と は違 っ て,St ephen
の こ と ば で もBl oom
の ことばで もない。挿入物 はその奇妙 な形 で,姿 を変 えることに よっ て存在 を明 らかにする話者がいることを示 し,修辞法が この章の主題であるこ とにわれわれの注意 を向けているのだ。 この章の政治議論 や演説 に見 られる認 識 と表現 との対比が何 を暴露 するかは後 に詳 しく調べ る。その前 に気 まぐれな 話者の性格 を知 るために,先行の6
章 の話法 を概観 してお くのは無益 な ことで はない。何故 な らこの 目に見 えない話者が,その皮肉な影響力をはっき り行使 しは じめたのはこの章 がは じめてなのだか ら。Joyce
はSi r ens
挿話 を書 いていた時,彼 の文体上 の実験 に疑蘭 をいだきは じめたEzr aPound
に,Odys s eus
の放浪 をダブ リンの一 日に圧縮 する方法 と して文体上 の変化 は不可欠 であ り,"Capr i ci ous
" な遊 びではな早 と答えた手 紙 で次のように書 いている。Iunde r s t a ndt ha tyouma ybe gi nt or e ga r dt heva r i ouss t yl e soft hee pi s odewi t h di s ma ya ndpr e f e rt hei ni t i a ls t yl emuc ha st hewa nde r e rdi dwhol onge df ort he r oc k。fl t ha c a .
(13)文体上 の旅 の出発点 である
"t hei ni t i als t yl e"
とは, よくいわれる意識 の流 れの ことで あ る。 これ はDor r i tCohn
に よれ ばquot edmonol ogue,nar r at ed monol ogue,ps ycho‑ nar r at i ve
に分 け られ よう。( 14)
しか し実際 には三種頬 の語( 1 3 ) Le t t e r so fJa me sJo y c e ,vol .I ,e d.St ua r tGi l be r t( Ne wYor k,1 957) ,p 129.
( 1 4 ) Dor r i tCo
lm,Tr a n s par e ntMi n ds/Nar T l a t i v eMo L ksfo rPT l e S S e nt i 7 1 gCo n s c i o u s n e s si n
Fi c t i o n ( Pr i nc e t on,1 978) .
『ユリシーズ』のアイオロス挿話 :表現と実体
1 8 7
りがあるので はな く,すべてSt ephe n
の意識 で統一 されている。われわれ はSt e phe n
の精神 に直接参加 し,慎 み深 い話者 が三人称 で記述 す る環境 の中 をSt e phe n
と共 に歩 き,St e phe n
の思考 を自動的 に彼 の もの と受 け取 り,話者 に帰 尋ことはない。話者 と作中人物 と読者の三角関係 はきわめて緊密で,話者 と作 中人物 との距離 は全然 あるいはほとんどないので,皮肉な注釈 も皆無 と いって よい。St e phe n
自身が十分 なアイロニー を提供 す るので,話者 が余分 なアイロニーをつ け加 える必要 がないのである。第 四章で突然,Bl oom
の視 点 に くら替 え させ られわれ われ は平衡感覚 を失 う。"MrLe opol dBl oom a t e wi t hr e l i s ht hei nne ror ga nsofbeas t sa ndf owl s"
(U.5 5)
というこの章の冒 頭の文章 は, これまでの話者 と作 中人物 と読者 との平和 な関係 をくずすに十分 なだけの アイロニーが こめ られている。 しか し,数頁 も読む うちにわれわれ はBl oom
のユ ダヤ人的性格 を認 め,最初の文章 のアイロニーはBl oom
がユ ダヤ 人 の 肉屋Mos esDl uga c z
を考 え る と ころで強 調 され る。 ま た わ れ わ れ がSt e phe n
以外の人物の意識の中にいる事実が, これ ら二人か らわれわれの距離 を少 し増 す。Lot us ‑ Ea t e r s
挿話 はダブ リン市 とい う新 しい人物 をキ ャス トに 加 え,都会 の苦痛 を和 らげる薬草が い く種類 か加 え られ る。Ha des
挿話 は同じ方法で死 を考 える。
最初の
6
章の話法 はあま り変 るようには思 えない。薬草 や死 の観念 という主 題 的要素 が無理 な く導入 され るのは,それ らがBl oom
の思考 の一部 と考 え られ るか らである。 しか し
Ha de s
挿話の終 りで これまでの安全地帯が二 ヶ所 で 破 られている。Bl oom
が いない時 にわれわれは他の人 たちの会話 を耳 にす る の だ。そ してす ぐにその視点がBl oom
の もので はな く, どこかほか にあるこ とに気づ く。そ してAe ol us
挿話 で話者 の存在が大文字 の新開見出 しで告 げ ら れ るの で あ る。 ダ ブ リ ン市 の南 北 両 端 か らほ とん ど同 時 刻 に, は じめ はSt e phe n
,次 にBl oom
の意識 を別 々に3
章づつ述べて きた話者 は, この章 で は じめて二人 を同 じ場所 に登場 させ,彼 らを含 み,かつ僻撤できる視点が必要 になった。ダブ リン市 はいまやBl oom
やSt e phe n
と同 じ重要性 を帯び,プロ ットに第
3
の 人 物 と して の 位 置 を しめ る よ う に な る。 この章 でJoyc e
はSt e phe n
とBl oom
の声 だ けでな く,い くつ もの声 を使 い分 けている。一つ は これ まで通 りの客観 的 な公平無私 の叙述 者 の声 で ある。 もう一 つ はLot us ‑ Ea t e r s
で薬草 を,Ha de s
で死 のモチ‑ フを導入 した話者 で,Ae ol us
挿話 では風 と
Aeol us
語 だけでな く,多 くの修辞法 (これ も人間が作 る風 であるが ) をつ け加 えている。 しか しこれ らはHa des
またはLot us ‑ Ea t e r s
におけるよう に主題 となるのではな く,話法上の視点の変化 を指す信号 なのである。新 しい 視点 は見出 しに顕在する注釈者 とその後 に続 く部分の眼に見 えない話者 との相 互関係か ら成立する。見出 しはそれに続 く部分 に注釈 を付すだけでなく,両者 は互 いに反発 しあっている。Aeol us
挿話の話者 は先行の6
章 と同 じ方法 を用 いなが ら,噸笑的注釈 と皮肉な併置 とをその技法 に加 えているのである。Ma r i l ynFr e nch
が い う よ うに この章 で噸 笑 の対 象 に な らな い もの は な い。(15)幻想 は現実 に,ギ リシャはローマに, アイル ラン ドはイギ リスに,過去 は現在 に,可能 は事実 に対立 し,互 いに罵 しりあっている。新聞社 の編集室 に 集 まる者 たちだけでな く,機械 や ドアまで声 を張 りあげる。"S
llt .Al mos thu一 ma nt hewa yl t
Sl l tt oca l la t t e nt i on. Doi ngl t Sl e velbes tt os pea
k. Tha t doort oo s i l tcr ea ki ng,a s ki ng t o bes hu
t.Ever yt hi ng s pea ksi ni t sown wa y. Sl l t
''(U.1 21).
話者が併置,対照 し皮 肉な注釈 を加 えている,すべての意見 や立場 を分類するのは不可能 に近 い。 しか しで きるだけ忠実 にプロ ッ ト にそって渦巻 く議論や演説の後 についていけば,やがてモーゼがわれわれの道 を先導 し,
St e phe n
のPi s ga h
にたど りつ くだろうÒ ̀ I N THE HEART OF THE HI BERNI AN METROPOLI S"
は, その 滑稽 な新聞口調 で, この章の焦点が, ダブ リン市の中心部であることをはっき り示 している。市の中心 にあるのは心臓 ではな く,ネルソン塔か ら出発する電 車であるというのだか ら, この注釈 は相当の皮肉である。 この皮肉は章の最後 ですべての電車が止 る時,倍加 される。 ここにか も し出 される効果 は見出 しと それに続 く部分 との併置か ら生 まれる。両者の一致 と不同が不安定 な効果 を生 むの で あ る。 同 じことが次 の部分 で もいえ る。"THE WEARER OF THE
( 1 5 ) Ma r i l ynFr e nc h ,Th eBo o ka sWo r l d:Ja me sJo yc e
'S̀ ̀ Ul y s s e s" ( Lo n do n ,1 976) ,p p・
93‑ 1 03.
『ユ リシーズ』のアイオロス挿話 :表現と実体
1 89 CROWN'
'とは うす汚 れ た郵便車 の ことで ある。一致 に含 まれ る差異 が帝 国 の威光 を噸笑 し, ひいて は権威 に対す るあ らゆる壮大 な幻想 や迷妄 を笑 い飛 ば す。 こういうことが積 み重 さなると,人 も物 も平均化 されて しまう. これは心 臓 が征服者 に捧 げ られた塔 で,生命 をささえる血液が電車 である機械 の世界 な のだ。そ こで はすべての個性 が無視 され る。併置 が生 年平均化 は次の部分 に も 受 け継 が れ る。気違 いの新 聞配達夫Da vySt e phe n
が"aki ng' sc our i e r 一 "
と 呼 ばれているの は,彼 が抱 える新聞に この ような大 げさな呼名がつ け られてい るか らだ。Re dMur r a y
の紙 ばさみが持主 と同 じ注 目を受 けている。 それ に し て も酒樽 が地響 を立 て る下 で働 く,広告 取 りと広告係 ,それ に新聞配達夫 が"GENTLEMEN OFTHE PRESS"
だ とは,余 りに も人 を食 った馬鹿 げ た表現で ある。わた したちが笑 っているのは,虚飾 にみちたヴ イク トリヤ朝 の 新 聞口調 だけでな く,取 るに足 らない行為や仕事 を重大 に考えたがる人間のみえや 自惚 で もあるのだ。
併置 が生 む皮 肉 な効果 は,類似 と対比 をす ばや く感 じ取 る俊敏 な知性 に た よって い る. そ の 好 例 を
"WI LLI AM BRAYDEN,ESQUI RE,OF OAX‑
LANDS,SANDYMOUNT"
の部分 にお ける,Bl oom
の意識 の流れ に見 るこ とが で き る。意 流 の流 れ の方 法 は,類 似 と対 比 を契 機 に働 く連 想 の無 言 のs ynt a x
で あ り, その基本 は,S. L Gol dbe r g
もい うように,併置 にある。( 16) Eve ni n g Te l e gr a ph
を発 行 して い る週 刊Fr e e manNat i o nalPr e s s
とFr e e man' s Jo umalandNat i b nalPr e s s
の社長 ,Wi l l i a m Br a yde n
が事務所 に現 われ ると,Re dMur r a y
はイエ スにそっ くりだ と言 う。Bl oom
は イエ スが ラザ ロの二 人 の姉, す な わ ちMa r y
とMa r t ha
に語 る絵 を思 い浮 べ,Fl ot ow
の オペ ラMar t ha
で"M' a ppa r i
" を歌 っ た テ ノー )i,歌 手Ma r i o
に似 て い る と い う。Mur r a y
がMa r i o
はイエ スの生 き写 しだとい うと,Bl oom
の心 に胴衣 を着 て, ひ ょろ長 い脚 の赤 い ほっべ た を した"J e s usMa r i o"
が現 われ て,"Co l 0 me t h o ul o s to ne , /Co l 0 met ho ude aro ne ."
と歌 う。 これ はこの章 の救世主 モチー フ の最 初 の例 で あ る が,Bl oom
の 当 面 の思 考 の 中 心 で もあ る。Gi l be r t
が( 1 6 ) Go l d b e r g ,Th eCl a s s i c a lTe mpe r ,pp. 265‑ 267
"c onc r e t es ync doc he
" と銘名 した厳 め しい見出 し"THE CROZI ERAND THEPEN"
は,大司教 ("hi sgr a c e")
が二度 も社長 に電話 をか けてきたと 重 々 しい口調 でいう,Mur r a y
の権威 に対する素朴 な畏敬 を笑 い物 にするため と,権威の実体 を暴 くために用 い られている。 この大司教 は,新聞社の営業部 長Na nne t t i
が名前 も思 い出せない,投書マニヤで,̀電話 の用件 は自分の手紙 をTe l e g 7
1aPhにも再録す るよう,権威 を笠 に言論 に圧力 をかけていたのである。Br a yde n
の代 愉"t hekne es
,l e gs
,boot s . . ‥ Ne c k"
(U.118)が階上 に消 えて い くの と,電報配達 の少年 が一言̀ ̀ Fr e ema n!
" といって,‑通 の封筒 をカウンターに投 げて走 り去 るの との,併置の効果 についてはなにも説明 を要 しま い。Bl oom
はBr a yde n
社長 も一種 の救世主 に は違 いないが,"Wi l rhe s a vet heci r c ul a t i on?"
(U.1 1 8)
と自問する。Joyc e
の併置的s ynt a x
はその 答 えを半 ば用意 している。Bl oom
は輪転機 の喋音 の中で,血液 の循環 が止 って死 んだPaddyDi gna m
の ことを考 えるO"WI TH UNFEI GNEDREGRET I T I SWEANNOUNCE THE DI SSOLUTI ON OF A MOST RESPECTED 工 ) UBLI N BURGESS' '
は,社会の くずにす ぎない酔 っぱ らいの死 と,機械 の喋音,ブル‑ムのおぞま しい墓場のねずみの思い出に併置 され,ヴ ィク トリヤ朝新聞界の気取 りだけで な く,死の尊厳 まで も噸笑する。
Ma c h i n e s . Sma s hama nt oa t o msi ft h e yg oth i mc a u g h t . Ru l et h ewo r l dt oda y.
Hi sma c h i n e r i e sa r ep e g gl n ga wa yt o o. Li k et h e s e ,g o to u to fh a nd:f e me nt i n g.
Wo r ki n ga wa y,t e a r i n ga wa y. An dt h a to l dg r e yr a tt e a r i n gt og e ti n. (U.11 8)
機械 が支配 するこの世界ではすべてが平均化 され,意味がな くなる。
" The
ma c hi nescl a nkedi nt hr ee f ourt i me. Thump,t hump,t hump.Now i fhegot
pa r a l ys e dt h ' er ea ndnoonekne w how t os t opt hem t he y' dc l a nkona ndon
t hes a me,pr l nti tovera ndove ra ndupa ndba c
k.Monke ydoodl et hewhol e
t hi ng"
(U.119).『ユリシーズ』のアイオロス挿話 :表現と実体
1 91 Ul y s s e s
の主 目的 は,Ha r r y JLe vi n
がい うように,二人 の主人公 がそれぞれ の鍵 を失 った後 に‑箇所 に集 め,彼等 に語 り合 うものがあるか否かを見 ること にある。(1 7 )Bl oom
は家の鍵 を忘れ た市民 で,芸術家のSt ephen
は彼の塔の鍵 をMul l i ga n
に奪 われている。人生 の鍵 を失 った者同志 の道程 が,は じめて実 際 に交差 するこの章 で,広告周施業者 のBl oom
が,茶,葡萄酒,酒精商Al e ‑
Ⅹa nderKe yes
のために考案 した図案 はUl 3 ' S S e
Sの主題 だけでな く,神話 と現実 とい う二重 の方法 をも暗示 している。Bl oom
の図案 は交差 した一対の鍵,天 国 と地獄 の門の扉 を開 く聖ペテロの象徴 か ら思 いついたものである。その図案 を, 自家 の"home‑ r ul e"
を失 ったBl oom
が, 自治の手本 であるマ ン島の議 会 (t hehous eofke ys
)を暗示 す るといって,独立派の市会議員 で もある営 業部長 のNa nnet t i
に採用 させ ようと してい るので ある。Na nnet t i
の条件 は 三 ヶ月の契約更新 である。 ア イル ラン ドを離 れた ことがないア イル ラン ド人Bl oom
には, イタリア生 まれのNa nnet t i
が母国 を見 た ことがないのが不思読 である。Bl 。。m
を異邦人 と しそ常 に排斥す るダブ リンが,Na nn。t t i
のような 人 を受 け入れ,市会 に登用するのは, この作品の多 くのアイロニーの一つである。
印刷工場 を通 りす ぎなが ら
Bl oom
は,老植字工 のMonks
が,活字 を逆 に 組 んでい くのを見 て,父がヘブライ聖典解釈書 を右か ら左へ読 んでいたのを思 い出 し,過 ぎ越 しの祝 いを考 える。Bl oom
のユ ダヤ教の戒律 に関する知識 は, キ リス ト教のそれ と同 じくらい不確かである。それにもかかわ らず, これはユ ダヤ人で あるBl oom
を待望 のモーゼ,アイル ラン ドの予言者 に して救世主 た る人物 に設定 す るだけの潜勢力 を持 ってお り,Te l e gr a ph
紙 の編集室でわれわ れが聞 く,.政治的弁論 の主題 に彼 を結 びつ ける。Bl oom
がKe yes
に会 うために電車 で出か ける前 に,電話で所在 を確 かめよ うと,編集室 に入 ると,Ma cHugh
教授 は"Theg hos twa l ks . "
(U.1 2 3)と
い う。 こ う してBl oom
はHa ml et
の父 親 に比 べ られ る。St ephe nの実 父
Si monDe da l us
は,事務所 にたむろする市民 たちとDa nDa ws onなる者 の誇
張 した文 章 を物笑 い に して いる。Bl oom
が現 われ た時 に発せ られ るSi mon
Deda l us
の悪 罵"Agoni s i ngChr i s t'
'(U.1 2 3)
は,Bl oom
が救世主 で あ る ことを示 す不適切 な ことばと解釈 す ることもできる。NedLa mbe r t
はSi mon Deda l us
の噸笑的注釈 を受 けるために,Da ws on
の華 やかな形容詞 で飾 りたてた演説,
"Hi g h f al ut i nes t uf f .Bl a dde r ba gs"
(U.1 2 4)
を読 み上 げている間 に,Ma cHug h
教授 は再 びHaml e t
に触 れ る. こう してSt e phen
の実父 と,彼 の精 神 的父 た らん とするBl oom
とが一堂 に会 する場 で,Hamle t
に何度 も言及 され,Sha kes pea r e
が 彼 らの 関 係 に重 大 な役 割 を果 す こ とが 暗 示 され, や が てSt e phen
が図書館 でSha kes pea r e
論 をぶつ ことになるのである。Da ws 。n
の演説 は明 らか に感短 的 なアイル ラ ン ドの 自然賛美 であるが,それ を笑 ふ者 たちの心 的態度 もあま り変 らない。"Al lve r yf i net oj e era ti tnow i nc ol dpr i ntbuti tgoe sdownl i kehotca ket ha ts t uf f ."
(U.1 26)
と水 を差すの を
Bl oom
は忘 れない。"ERI N,GREEN GEM OF THESI LVERSEA"
(U.1 23)
はDa ws on
の気取 った題 名 で あるが, アイル ラ ン ド人 の感傷趣 味 に対 す る当て こす りで もある。それ は後 にMyl e sCr a wf or d
が歯磨用綿糸 を歯 にはさんで指 で弾 くの に,"0,HARPEOLI AN" (U.1 27)
という注釈 が加 え られて いるの に通 じる。 ハ ープはアイル ラン ドを代表 す る楽器 だか らで あ る。ア イオロスのハ ー プは風 で奏で られ,Cr a wf or d
はこの章 の風神 なのだから, ここには
Home r
との照応 関係 に対 す る愉快 な比 倫が認 め られ る。Da w‑
s on
の"NATI VE DORI C" (U .1 26)
は遠 くモ‑ゼの約束 の地"Ourl ove l y l and" (U .12 4)
を指 しているの も見落 してはな らない。編集長 の
Cr a wf or d
が奥 の部屋 か ら出てきて,一同 に親 しく通称 で声 をか け るが, ここで もBl oom
は無視 され る。 彼 は, J. ∫.0' Mol l oy
が押 し開 けた ド アの把手 に腰 を突 かれ,"Ibe gyour s . ' " (U .1 2 4)
と詫 び,Le ne ha n
と衝突して,̀
̀myf aul t"
(U.1 29)
といって,弁解 ばか りしている男 である。アスコ ッ ト金杯 賞競馬 の本命 は,下馬評高 い惇馬Sc e pt e r
だとLe ne ha n
がい う。勝利 をお さめたのは,Bl oom
と同 じように,誰か らも見 むきもされないダ‑クホー ス,Thr owa wa y
で あ る。近 くの競 売所 に きて い るKe ye s
に会 うため に事 務 (17) Ha r r yLe vi n ,Ja me s J o y c eIACr i t i c a lI nt r o d uc t i o n ( Ne wYo r k ,1 960) ,p ・66・
『ユリシーズ』のアイオロス挿話 :表現と実体
1 93
所 を出た
Bl oomの後 に,その歩 きかっこうを真似 て新 聞少年 たちが凧 の よう
に くっつ いてい く。"Begone!
.. . Thewor l di sbe f or eyou. "
(U.1 29)
とい う 編集長の ことばに送 られて意気揚 々と出かけるBl oom
に"EXI TBLOOM "
と見出 しをつ けて,はや したてるこの話者 は相当の皮肉屋 である。それはこの 章 の終 り近 くで
St e phe n
の寓話 を"SOME COLUMN!‑ THAT' SWHAT WADDLER ONESAI D"(U.1 47)といって,今世紀 の下品な新聞用語で,
適格 にSt e phe nの真 面 目 くさった態度 を笑 い飛 ばす の と釣 り合 って い る。
Bl oom
が退場 し,St e phe n
が0' Ma dde nBur ke
に伴 なわれて,De a s y
先生の 原稿 を持 って事務所 に現 われ るまで,Dub l i ne r s
の"I vyDa yi nt heCommi t ‑ t e eRoom" にあるような政治談議が客観的 に述べ られる。
ヘ ブライ/ アイル ラ ン ド文化 とローマノ イギ リス文化 との対比 は,
U1 5 / S S e S
の一貫 した主題の一つである。それはこの章 におけるように真面 目に取 り扱 わ れ ようと,I t ha c a
挿話 の ように喜劇 的扱 いをうけようと, これ ら二項 の うち 好 意 的 に扱 わ れ るの は常 に前 者 で あ る。Cr a wf or dが 口 に した TheRo s eo f
Cas t i l e
の一節,̀ Twa sr a n ka n dfa meL h a tt e mpt e dt h e e
,̀ Twa se mpi r ec h a r me dt h yh e wt .
は
Le ne ha n
の なぞなぞ," Wha tope r ar e s e mbl e sar a i l wa yl i ne? " (U.1 3 2)
を生むが,それはまたMa c Hugh
教授の間違 いだ らけの推論のきっか けでもあ る。( 18)
ロ‑マ帝国 は"va s t"
ではあるが"vi l e"であると教授 は叫ぶoユ ダ
ヤ人 は山頂 にエホバの祭壇 を建 たのに, ローマ人 とその しもべであるイギ リス 人 は"c l oa c a lobs e s s i on"にか られて, その足跡 を刻 したすべての新 しい岸
辺 に水洗便所 を作 った。彼 ら征服者の文化 は物質的で精神のか けらもない。 ラテ ン語の
"do mi nus"
は物質的支配 を暗示 しているが,英語の" Lor d
"は"Lor d J e s us
" と"Lor dSa l i s bur y
" の区別 さえつ かない.それに対 し"Kyr i o s"
( 1 8
)C・ H ・ Pe a k e ,Ja me sJo y c e:Th eCi t i R : e na ndt h eAr t i s t ( St a n f o r d ,1 9 77 ) ,p. 1 91
は
"Shi ni ngWor d!Thevowel st hes e mi t ea ndt heSa xonknow no
t.Kyr i e ! Ther a di a nceoft hei nt e l l ec
t."(U.1 33)
で あ る か ら,"l a ngua geoft he mi nd"
で あるギ リシャ語 を教 えるべ きだと教授 は言 って,心性 の極点 と して「時 は金 な り」 という格言 しか持 たない種族 の言語 を話 し,下司なラテ ン語 を 教 え ざる をえな い身の上 を嘆 く。
"Wea r et hef a t .Youandla r et hef ati n t hef i r e"
(U.131).
アイル ラン ドはイギ リス帝国に踏 みに じられた犠牲者 だというのである。
Ma c Hug h
教授 はアイルラン ドが この ような状況 にあえて耐 えているのは, アイル ラン ドが常 に"l os tca us e s
" に忠節 を尽す国だか らだ という。敗者 に甘んず るところE.こ,精神の帝国,知性 と想像 力の勝利が宿 る。勝者 は敗れ,敗者が勝つ。結局, イスラエルとギ リシャそ してアイルラン ドの 文化が,彼 らの征服者 の文化 より優 れるという都合のよい主張 を補強するため に,
Ne s t or
挿話 に続 いてPyr r hus
が この章で も引き合 いに出 される。しか し,だか らといって この ような議論 をす る者 が,彼 らの中のユ ダヤ人
Bl oom
を侮辱 するの を止 めるわ けで はない. また この場 にはMa cI I ugh
教授 の立場 に正面 か ら反対 する者 もいない。それどころかTa yl or
の演説 で敷宿 さ れ間接的な支持 さえ得 る。 しか し彼 らの ことばと彼 らの行 いとはどうも辻複 が 合わない。 この章では表現 と実体が合致するため しがない。彼 ら栄光の犠牲者 たちがやっていることといえば,新聞社の編集室 にたむろ して,筋 向いの酒場 に足 を運ぶに十分 なだけの景気がつ くまで,空論 を飛 しているにす ぎない。彼 らの一人 はダブ リンの"a l lt het a l e nt s"
が集 まっていると自慢す るが,実 際 には挫折 者 の"OMNI UM GATHERUM " (U 1 3 5)
で あるo J.J.0' Mol ‑ 1 oy
はかつ ては"Cl e ve r e s tf el l ow oft hej uni orba r"
(U.1 25)
と呼 ばれた弁 護士 なのに,酒 と賭 ごとに身 をほろぼ した病人で,借金の目的で事務所 に寄 っ たのである。酒 はCr a wf or d
の容貌だけでな く頭脳 まで も荒廃 させて しまった。鳥の ような顔 を真赤 に して,足 をひきず って歩 く編集長 を,仲 間の一人 が,
"I nc i pl e ntJ l gS .Sa dc a s e. ' '(U.1 2 7
)という。Ma c Hugh
教授 もまたダブ リ ンの風土病の犠牲者である。彼 は腹 をすか し,無精 ひげをはや し,糊のきいて『ユ リシーズ』 のアイオロス挿話 :表現 と実体
1 9 5
いないカラー はきたない髪 で汚 れ, シャツの袖 は垢 じみ,綻 びている。Le ne
‑ha n
は戯 歌 を作 って"h emo s t l ys e e sdb ub l e ."
とひやか す。Ma c Hug h
が この 作 品 で重要 なの は,彼 がSt ephen
とよ く似 てお り,St e phen
が ア イル ラ ン ドに留 まっていた らどの ような人物 になるか示 しているか らである。教授 は教育 もあ り知的で,機知 に富み,優雅 に話す ことができる。彼 は征服者 の言語 を話 し,物 質 的 な こと ば を教 え な けれ ばな らな いの を残 念 に思 って い る。 彼 は
Nes t or
挿話 のSt e phe n
を思 い出 させ る よ うにPyr r hus
につ いて語 り,Ant i ‑ s t he nes
を持 ち出 して,後 にSt e phe n
が 自説 と して述 べ る比 除 を教 え たの もMa c Hug h
で あ る。彼 はSt e phe n
が尊敬 す る人物 で,St e phe n
の寓話 を理解 できたと思 える唯一 の人である。彼 はその寓話がモーゼに関す る彼等の議論 に 触発 され た ことまで見抜 いて い る。 しか しMa c Hugh
もCr a wf or d
も0' Mo1 ‑ l oy
もみな敗残者 である。彼 らはなに もな しとげた ことがない し, な しとげることもない。他 の人物,
Le ne han
と0' Ma dde nBur ke
は卑 しい取 りまき連 で ある。 この章 で成功者 は,通俗的な美文 をたれ流 す,パ ンを焼 いて財 をな したDoug h t yDa w
と,有力 な縁者 の援助 を受 けているNedLa mb̲ er t
,そ して抜 け目のない
Ga l l a l l er
である。優秀 な者 は常 に失敗 し,愚か者 だけが力 を得 る この国 はどこかおか しい。そ ん な現実 に眼 をつぶ って,
Cr a wf or d
とMac Hug
bは過去 を讃美 している。編 集長 のCr a wf or d
が法曹 界 にいまやWhi t e s i de
やBut
tに匹敵 す る大人物 な しと非難 す ると,弁護士 の
0' Mol l oy
は新聞界 にもはやGr a t t a n
な く,Fl ood
な しと応酬 す る。"Suf f i ci entf ort heda yi st hene ws pa pert he r eof"
(U.1 39) . Cr a wf or d
はSt e phen
にな にか書 いて み な いか と い う。"Putusal li nt oi t
,da m i t ss ou
l.Fa t he rSona ndHol yGhos ta ndJa ke sM' Ca r t hy"
(U.135).ぴ りっと した もの を与 えて,民衆 に圧力 をか けるのだという
。Cr a wf or d
のいっ てい ることは, ど ことな くUl 3 / S S e
Sに似 た真実 を求 めている ように聞え るが, 実際 には広告 を使 って不死鳥公園の暗殺事件 をアメ リカの新聞に流 して,新聞 界 の寵児 になった"t hepr e s s ga ng
"である"THE GREAT GALLAHER"( U.
1 35)
の真似 をす る よ うにすす めて いるので ある。Cr a wf or d
が歴史 の悪夢 を追 っている時,
Bl oom
がKe yes
商会 の広告 の ことで電話 をかけてきて,当然 の ことなが ら手 ひどい仕打 ちを受 ける。 これ らのアイル ラン ド人 にとって現在 によ り,過去が大切 なのである。St e phe n
は編集長の振れた口元 を見なが ら,今朝海岸で作 った死 の接吻の詩 とI ) a nt e
.の地獄篇の一節 とを重ね合 わせ,"RHYMESANDREASONS"の 関係 を考 えている."Mout h,s out h.I st hemout hs ou t hs omewa y?"
(U.1 3 8)
その間 に一座 の者 たちの議論 は,Chi l d
兄弟殺 し事件 に及 び, ミケ ランジェ ロのモーゼ像 を引 き合 いに した,Se ymorBus he
の最 も洗練 され た法廷弁論 が0' Mol l oyによって披露 される
。 彫刻か ら芸術 に話題が変 り,0' Mol l oyは St e phe nにア イル ラン ドの神秘主義者 たちや "t heopa lhus hpoet s :A.E.t he ma s t e rmys t i c" (α 1 40)の ことを尋 ね るが, St e phe nはほとん ど聞 いてい
ない。彼の無言の思考 がまだ詩 と芸術の間 をめぐっている時に,Ma c Hugh
教 授 はアイル ラン ド語復活 に関するFi t z gi bbon
判事 とJohnF. Ta yl or
との討論の ことを話 しだす。
この討論会 と
Ta yl o
rの演説 が この章 にお ける弁論 の頂点 をなす。Fi t z gi b‑
bon
の立場 は, アイル ラン ドにお ける70 0
年 の英語の歴史 がその永続性 を保証 す るとい うものである。Ta yl or
の反論 は,J oyc e
が実際にこの討論会 に出席 して聞いた演説 をほとんど文字通 り引 き写 したものであるが,アイルラン ドの 言語の歴史 とユ ダヤのそれとの比較 に基づいている。エ ジプ トの主僧 は彼 らの 民族の優越性 を誇示 し,ユ ダヤ人 に彼 らの文化,宗教,政治組織 を受 けいれるよう勧告する。
But ,l a di e sa ndge nt l eme n,h a dt h ey o ut h fulMo s e sl i s t e ne d t oa nda c c e pt e dt h atv i e w o f
l i fe ,h a dh eb o we dh i sh e a da ndb o we dh i swi l la ndb o we dh i ss pi r i tb e fo r et h atar r o ga nt
a dmo ni t i o nh ewo ul dne v e rh av eb r o u gh tt h ec h o s e 7 2
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『ユリシーズ』のアイオロス挿話 :表現と実体
gu n g eo ft h eo u t l a w. ( U.1 43)
1 9 7
これ は
J oyc e
がUl y s s e s
か ら特 に選 んで レコ‑ ドに吹 き込 んだ,お気 に入 り の一 節 で あ る。Joyce
は ア イル ラ ン ド語 復 活 運 動 に批 判 的 で あっ た が,Ta yl or
の演説 は自発的追放者Ja mesJoyc e
の心情 を代弁 していたのであろう。しか し彼 は,
Ta yl or
がモ‑ゼ伝説 を英雄的 に理想化 していることも知 ってい る。Ma c Hugh
教授 は声 にな らない空腹 のお くびで演説 を中断する (U.1 43)
0 そ して0' Mol l oy
はモ‑ゼ は約束の地 にはい らないうちに死んだといって演説 を しめ く くる。 同 じ運 命 を,Le ne ha n
は ア イル ラ ン ドの モー ゼ,John St war tPa r ne l
lに見 て,茶 化 す よ うにつ け加 え る。"A s udde n‑ a t‑ t he mome nt‑ t houg h ‑ f r om ‑ l i nge r l ng p ‑ i l l ne s s‑ of t en‑ pr e vi ous l y‑ e x‑
pe ct or a t e d‑ de mi s e"
(U.1 43) .St ephe n
はPa r ne l
lを裏切 ったア イル ラ ン ドの蒙昧 な民衆 を思 い出 して,すべての政治的演説 がむな しく感 じられ る。"Gone wi t h t he wi nd. Hos t s atMul l a ghmas ta nd Ta r a oft he ki ngs . Mi l esofea r sofpor c hes . Thet r i bune' Swor dshowl e da nds ca t t e r edt ot he f ourwi nds . A peopl es hel t e r e dwi t hi nhi svoi c e. Dea dnoi s e. Aka s i cr e‑
cor dsofal lt ha te ve r . a nywher ewhe r e ve rwa s ・ Lovea ndl audhi m:meno mor e"
(U.1 43) .
だ が 彼 は似 非 モー ゼ 気 取 りで 一 同 を近 くの 酒 場 に導 く。