はじめに ― キャリアコンサルタント養成講習への参加を通して 本稿の問題意識を端的に述べるなら,次のことである。
若年層にとって働くこと(仕事をすること)が生きがいになるように するには,大人の側からどのように働きかければ良いか。
※以下,
「若者=若年層」を 20
代~30
代の男女と捉え,大学生も含めている。若者の就職状況は数値的には好転しているが,就職後短期間で「自分に 合わない」と感じて離職し,失業したままでいる者や他への転職に向かう 者が少なくないという。これに対して大人たちはどう対応すべきか。
私事であるが,60代後半の筆者には,通常の雇用された職業人としての 教員生活にタイムリミットが迫っている。いよいよ人生の終盤期に入っ た。この筆者の生き方にも,上の問いが確実にオーバーレイしてくる。
ここ数か月間,民間の「キャリアコンサルタント養成講習」を受講して きた。その受講動機は本稿の執筆動機とも重なるため,記しておく。
1点目は,若者にとって,今の社会や大人たちを見ていると将来の自分 は大丈夫だろうかと不安にならざるを得ない状況があること。若者たちは 様々な不安を抱えて生きている。若者だけの問題ではないが,とにかく
「不安」を不治の病にしておいてはならない。
現代キャリア教育論
―個の不安の克服を目指すレジリエンスの 強化に関する一考察―
中 元 順 一
2点目は,その「不安」という病への具体的な処方箋を,部外者でなく,
我が身に即して考察する必要性を感じる。特に,トランジション(転機・
転職)する若者に理性的・合理的に対処する方法を模索している。
最後の3点目は,上記2つのことをテーマにした諸議論を通して,これ からの人生で一緒に接する人や出会う人たちに,このテーマについて,常 に機会を見つけて語り合い,より広く考察し具体的行動を取っていきたい。
以下に述べるこれから求められるキャリア教育こそ,人生を意義あるも のにすべく真摯に生きている人たちにとって,学びと思索と日常生活の具 体的行動のヒントを提供できるものと信じている。
1.今,なぜキャリア教育か ― 若者の実態と学校教育の見直し
(1)キャリア及びキャリア教育の定義
厚生労働省の「キャリア」の定義(厚生労働省「キャリア形成を支援す る労働市場政策研究会」報告書(平成14年7月)からの引用)である。
キャリアとは,過去から将来の長期にわたる職務経験やこれに伴う計 画的な能力開発の連鎖を指すもので,「職業生涯」や「職務経歴」などと 訳される。
一方,文部科学省の「キャリア」の定義(中央教育審議会「今後の学校 におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」(平成 23 年1
月31日) からの引用)である。
キャリアとは,人が,生涯の中で様々な役割を果たす過程で,自らの 役割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ねで ある。
同じ答申から詳細な説明を引用すると,次の箇所が理解を深め易い。
人は,他者や社会とのかかわりの中で,職業人,家庭人,地域社会の 一員等,様々な役割を担いながら生きている。これらの役割は,生涯と いう時間的な流れの中で変化しつつ積み重なり,つながっていくもので ある。また,このような役割の中には,所属する集団や組織から与えら れたものや日常生活の中で特に意識せず習慣的に行っているものもある が,人はこれらを含めた様々な役割の関係や価値を自ら判断し,取捨選 択や創造を重ねながら取り組んでいる。
人は,このような自分の役割を果たして活動すること,つまり「働く こと」を通して,人や社会にかかわることになり,そのかかわり方の違 いが「自分らしい生き方」となっていくものである。
このように,人が,生涯の中で様々な役割を果たす過程で,自らの役 割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ねが
「キャリア」の意味するところである。 (太字,下線:筆者)
「役割」がキーワードである。そして,同答申でキャリア教育は次のよう に定義され,現在,一般的に流布している。
<平成 23 年中教審答申から> キャリア教育とは,一人一人の社会的・
職業的自立に向け,必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して キャリア発達を促す教育のことである。
キャリア教育は,特定の活動や指導方法に限定されるものではなく,
様々な教育活動を通して実践されるものであり,一人一人の発達や社会 人・職業人としての自立を促す視点から,学校教育を構成していくため の理念と方向性を示すものである。 (太字,下線:筆者)
我が国において,文科省関連の報告書等で「キャリア教育」が初めて公 的に使用されたのは,中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育の接 続の改善について」(平成11年12月) であり,初めて小学校から発達段階 に応じた「キャリア教育」を実施する必要があると提言された。
それまでは中等教育以上の「勤労観・職業観を育てる教育」の定義で あったが,先の平成23年の答申で,初等教育以上の「生涯にわたる生き方
を学ぶ教育(キャリア発達を促す教育)」として大きく修正された。
(2)新学習指導要領(平成29・30年告示)におけるキャリア教育 この度の新しい学習指導要領(小・中=2017(平成29).3.31改訂,高
=2018(平成30).3.30改訂)では,平成23年の中教審答申の「キャリア 教育」の定義に基づいて,それぞれの校種の総則において,今まで以上に キャリア教育の充実を図ることが強調されている。
小学校のキャリア教育 中学校のキャリア教育 高校のキャリア教育
〔総則〕
第 4 児童の発達の支援
(3)児童が,学ぶことと 自己の将来とのつなが りを見通しながら,社会 的・職業的自立に向け て必要な基盤となる資 質・能力を身に付けて いくことができるよう,
特別活動を要としつつ 各教科等の特質に応じ て,キャリア教育の充実 を図ること。
〔総則〕
第 4 生徒の発達の支援
(3)生徒が,学ぶことと 自己の将来とのつなが りを見通しながら,社会 的・職業的自立に向け て必要な基盤となる資 質・能力を身に付けて いくことができるよう,
特別活動を要としつつ 各教科等の特質に応じ てキャリア教育の充実 を図ること。その中で,
生徒が自らの生き方を 考え主体的に進路を選 択することができるよ うに,学校の教育活動全 体を通じ,組織的かつ計 画的な進路指導を行う こと。
〔総則〕
第5款 生徒の発達の支援 1 生徒の発達を支える 指導の充実
(3)生徒が,学ぶことと 自己の将来とのつなが りを見通しながら,社会 的・職業的自立に向け て必要な基盤となる資 質・能力を身に付けて いくことができるよう,
特別活動を要としつつ 各教科・科目等の特質 に応じて,キャリア教育 の充実を図ること。その 中で生徒が自己の在り 方生き方を考え主体的 に進路を選択すること ができるよう,学校の教 育活動全体を通じ,組織 的かつ計画的な進路指 導を行うこと。
(太字,下線:筆者)
特に,『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 ・ 総則編』は,キャ リア教育の意義について,次のように強調している。
キャリア教育が学校教育全体を通して行うものであるという前提のも と,これからの学びや自己の生き方を見通し,これまでの活動を振り返 るなど,教育活動全体の取組を自己の将来や社会づくりにつなげていく ための役割を果たすことである。
また,幼稚園教育要領「総則」でも,関連記述があるが割愛する。
なお,小中高ではそれぞれの特別活動,特に学級活動(高はホームルー ム活動)において,キャリア教育に関する記述が強調されている。
キャリア教育に関連する系統的な諸資料は,次のものがある。
「キャリア教育」資料集 - 文部科学省・国立教育政策研究所 - 研究・
報告書・手引編 平成29年度版(平成30年5月,国立教育政策研究所 生徒指導・進路指導研究センター)
(3)学校教育の見直し ―「総合学習+道徳」を更に上回る教育を 一方,学校教育においては,いよいよ道徳が教科化した。小学校では今 春(2018.4)から,中学校では来春(2019.4)から道徳科が「特別の教科」
として実施される。これまでの各教科の学力最優先の発想から脱し,新た な道徳科への期待は,次のような趣旨で学ぶ時間となることである。単な る「資料を読んで感動すること」をねらいとする時間ではない。
「発達の段階に応じ,答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の 生徒が自分自身の問題と捉え,向き合う『考える道徳』,『議論する道徳』
へと転換を図るものである」(中学校学習指導要領(平成29年告示)解 説 特別の教科 道徳編)
先に見たように,キャリアやキャリア教育の捉え方が大きく変わり,単 に職業や就業に関わる意味だけでなく,人の内面的・哲学的なレベルから 行動レベルの生き方の実践までを広く意味するものと捉える必要がある。
そうなると,キャリア教育は,道徳科だけでなく,総合的な学習の時間
とも関連が深いことが首肯でき,確認のために引用しておく。
「総合的な学習の時間の目標は『探究的な見方・考え方』を働かせ,総 合的・横断的な学習を行うことを通して,よりよく課題を解決し,自己 の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目指すもので あることを明確化した」(中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 総合的な学習の時間編)
すなわち,キャリア教育は,「社会的・職業的自立に向け,必要な基盤と なる能力や態度」を育成することをねらいとし,すでに総則で見たよう に,学校の教育活動全体,中でも特別活動を要として指導するものである。
道徳科も総合的な学習の時間も,自らの発達的な課題や生き方の課題を探 究する学びとして,まさにキャリア教育と相互作用的な学びを保障するも のであると捉える必要がある。
(4)大学におけるキャリア教育
今後のキャリア教育の進展にとって,幼小中高の新学習指導要領(幼は 教育要領)の改訂は大きな転機となるに相違ない。では,大学における キャリア教育についてであるが,ここで厚生労働省が,「中高大学等におい てキャリア教育を担う者を対象に,キャリアコンサルティングの手法を活 かしたキャリア教育の企画・運営を担う人材を養成する」ための講習テキ スト等を見ておきたい。HPを検索すると最新のものは,『平成28年度 大 学等におけるキャリア教育実践講習テキスト』がある。そこから重要な箇 所を引用しておく。先に紹介した中教審答申(平成23(2011)年)の文章 がここでも多く引用されている。
◎大学等におけるキャリア教育の基本的な考え方
○ 大学等の教育は,学生が自らの視野を広げ,進路を具体化し,それま でに育成した社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる能力や態 度を,専門分野の学修を通して伸長・深化させていく段階である。
○ 大学等においては,高校までにおけるキャリア教育の目標である生涯 にわたる多様なキャリア形成に共通して必要な能力や態度の育成と,
これらの育成を通じた勤労観・職業観等の価値観の自らの育成・確立 を基礎として,高等教育が多くの若者にとって社会に出る直前の教育 段階であることを踏まえ,学校から社会・職業への移行を見据えた キャリア教育の充実を目指す必要がある。
◎課題
○ キャリア教育は,担当の教職員のみが行う取組みであると認識されて いるなど,全学的なキャリア教育の位置付けや,教育プログラムの整 備,運営組織・体制の整備,教職員への意識啓発等について課題が見 られる。
○ 職業の種類や企業等の業種・規模・業務内容等の多様化を踏まえ,社 会人・職業人としての基礎能力を持ち,産業構造等の変化に対応でき る柔軟な専門性と創造性の高い人材を育成することが強く要請されて いる。
○ 現在の厳しい雇用情勢や学生の多様化に伴う卒業後の移行支援の必要 性を踏まえ,学生等が,それぞれの専門分野の知識・技能とともに,
職業を通じて社会とどのようにかかわっていくのか,明確な課題意識 と具体的な目標を持ち,それを実現するための能力を身に付けられる ようにすることが課題となっている。
○ 各大学等においては,各機関の教育機能及び教育方針を踏まえ,キャ リア教育の方針を明確にし,教職員の理解の共有を図った上で,学生 一人ひとりの状況にも留意しながら,教育課程の内外を通じて,全学 で,体系的・総合的にキャリア教育を展開していくことが必要である。
○ 教育方法として,授業科目の内容の実社会における適用,グループ ワーク・ゼミ形式の授業,調査・実習・発表重視の授業,課題対応型 学習,インターンシップ等を活用するとともに,教育課程内外の活動 を効果的に組み合わせて実施することが重要である。(中教審「今後の 学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」(答申)2011
年1月)より (下線:筆者)
※ 上記
2011
年答申により,同年4
月から全大学でキャリア教育が義務化された。(5)就職に対する若者の意識の実態と行動の現実
キャリア教育が必要とされる理由は,現代の社会情勢が「混迷する社会」
となり,かつてなくそこで生きる人たちが,老いも若きも自らの生き方の 頼みとする指針を得られないからと考えられる。その思いを強くした理由 は,筆者自身が昨年から2回(6か月間と4か月間),民間のカウンセリン グ及びキャリア関係の講座に参加し,今の若者=若年層や少し上の年代の 人たち(30代~40代)の生き方や職業観の現実を見聞したからである。
企業社会では,終身雇用制度(定年制)と年功序列賃金体系が揺らいで 久しい。今,「世は転職全盛の時代」であると言っても過言ではない。例え ば,「居ることが辛い今の職場から,今より条件の良い他の職業に移りた い」といった街頭ポスターや転職サイトの言葉通り,多くの若者が転職を 志向し具体的に行動している。実に多くの若者が離職/転職の話題に翻弄 されている。筆者のこの驚きは,ルーチンで変化の少ない大学生活を送っ ているだけでは分からなかった現実社会の動きであろう。それを2種類の 養成講座が強く感じさせてくれたのである。
さて,それでは日々共に学んでいる大学における学生たちのキャリア発 達やキャリア形成の状況や職業観はどうか。これも一言で表せば,「学校か ら社会・職業への移行が円滑に行われていない」ということである。たと え世は売り手市場であろうと,変わらず就活の労苦は涙ぐましいものを感 じるが,内定を獲得後,少なくない学生から「少し頑張ってそこが自分に 合わないと感じたら退職し転職する」という短兵急な発想が働く前から聞 かれ,教員を目指さない教職課程で学ぶ学生たちの中にも同様の言葉がよ く聞かれる。就職後数年の離職率の高さが示すように,そこには,就職を 目指す学生の側の利己的で現実主義のニーズがあり,対するそれまでの学 校教育と就職を支援する大学の側のキャリア形成の視点の弱さが,ある。
転職の話題については,後のトランジションの章で詳述する。
(6)産業カウンセラー及びキャリアコンサルタントの定義
本章の最後に,「キャリア教育」の一つの視座として,また,筆者にとっ て残りの人生に大きく関与する社会的機能として,「産業カウンセラー」及 び「キャリアコンサルタント(※キャリアとコンサルタントの間に「・」
は入らない)」の定義と読み替えられるものを紹介しておく。
<産業カウンセラーとは>
倫理綱領[平成18年5月27日より施行]
第1編 総論 第1章 総則 使命
第1 条 産業カウンセラーは,人間尊重を基本理念として個人の尊厳と
人格を最大限に尊重し,深い信頼関係を築いて勤労者に役立つこと を使命とする。
2 産業カウンセラーは,社会的現象や個人的問題はすべて心のあ
りようにより解決できるという立場をとらず,勤労者の問題は勤労 者をとりまく社会環境の在り方と関連していると捉える。
3 産業カウンセラーは,産業の場での相談,教育および調査などに わたる専門的な技能をもって勤労者の上質な職業人生(QWL:Quality of Working Life)の実現を支援し,産業社会の発展に寄与する。
※
「産業カウンセラー」は一般社団法人日本産業カウンセラー協会の登録商標で
ある。<キャリアコンサルタントとは>
キャリアコンサルティング(労働者の職業の選択,職業生活設計又は 職業能力の開発及び向上に関する相談等に応じ,助言及び指導を行うこ と)を行う専門家で,企業,需給調整機関(ハローワーク等),教育機 関,若者自立支援機関など幅広い分野で活躍しています。(厚生労働省H Pから)
※
2016
年4
月からキャリアコンサルタントは国家資格化した。先に紹介した『平成28年度 大学等におけるキャリア教育……テキスト』
には,今後キャリアコンサルタントの存在を重視する必要があることを示 唆した一文があった。これからの大学におけるキャリア教育は,就職支援
を第一のこととしながらも,それまでの段階でキャリア教育によって
「キャリア形成=自らの人生をいかに考え自己実現していくか」を実質的 に教育できるかがカギになるだろう。その際,大学・キャリア・センター におけるキャリアコンサルタントの役割が重要になってくると考えられる。
◎キャリア教育の類型とキャリアコンサルタントの関わり
○ キャリア教育を実施している大学等の中には,就職支援について力を 入れていることはもちろん,キャリア教育にも大いに力を入れている 大学等もある。
○ 大学等においては,キャリア形成支援や就職支援については,かつて の就職部,現在のキャリア・センターの職員(大学職員のほか,キャ リアコンサルタント等) が担うことが多く,正課の一般教養科目や専 門教育科目の講義等については教学組織の職員(教員)が担当するこ とが多い。
○ 大学等において実施されているキャリア教育は,就職支援,キャリア 教育への力の入れ方によって,(1)就職支援中心型,(2)中間型,(3)
キャリア教育重視型という3つの類型に分類することができる。
『平成28年度 大学等におけるキャリア教育実践講習テキスト』
(太字,下線:筆者)
また,学部初期のキャリア教育の授業の在り方も問われる。
先に紹介した中教審答申(平成23(2011)年)を念頭に,本学のシラバ スを検索してみると,1年次に配当されている「キャリア ・ デザイン ・ ワー クショップ」の内容は協働体制によるグループワークを主とした授業であ るが,これを2~4年次にはさらに発展形として,内面拡充型の授業形態を より多く配当する必要がある。ある面で,教職課程4年次の総仕上げ授業 としての「教職実践演習」のねらい ・ 内容に近いものが考えられる。
2.トランジション(転機)の意味 ― 若者の漂流の危機を中心に
(1)転機の諸側面 ― 積極的視点,発達論的視点など
人生におけるトランジション(転機,Transition)の機会は少なくない。
進学・退学,就職・離職・退職,結婚・離婚,起業・廃業など,危機的状 況が付随する場合も多い。本稿では,キャリア教育との関連で,若者の就 職・離職の問題を論じるが,それは現代の若者の心理状態や精神構造を如 実に物語る典型的な事例として見ることができるからである。
「転機」には2種類の捉え方が考えられる。
一つの捉え方は,積極的・前向きに捉えられるものか消極的・後ろ向き に捉えられるものか,である。
積極的・前向きに捉えれば,物事の改革は,新たな生産的な行為に見え るものが多い。例えば,「転職」をポジティブに考えれば,それを周到に 行って新たな人と出会う場面が増え,交流が活発になって様々なアイディ アが生まれて生産機会が増え,それが高消費に繋がって好景気が実現され る,というような社会経済のプラス面が実現するようなケースである。
しかし,逆に「転職」を消極的・後ろ向きのネガティブな考え方―一般 的に年齢が高い人ほどそう捉える傾向が強い―をすれば,多くは移り気や 忍耐の欠如などで逃避的に行われ,職を転々とする人の行為が生産的な行 為に結実することは困難であると受け取られよう。
当然,学生たちが就職した後に早々と転職する際,大学の指導者たちだ けでなく,世の大人たちは必ず挫折と思しき行為と判断し,思い止まらせ るようにするだろう。「簡単に転職をしないこと」「離職する際は今一度初 心に還って考え直すこと」「離職はキャリアのイメージダウンである」な どである。しかし,時代は確実に変わってきている。この時代性を考えず,
対応の仕方が旧態依然のままで良いわけがない。
さて,もう一つの捉え方である。カウンセリング研究者の黒川雅之氏の
米国カウンセリング研究者シュロスバーグ(Nancy K. Schlossberg)の研究 に関する論文によれば,トランジションは,発達段階の移行期として捉え るか,人生上の出来事として捉えるか,と次のように大別して考えられる という。(黒川,2018)
<トランジションとは>(要約)
1 発達段階の移行期としての「トランジション」
例えば「人生行路(ライフ・コース)」や「ライフサイクル」の文脈で は「転機」と訳され,生涯発達の心理学では「移行」「移行期」を指す。
人生の連続性の中で捉える視点。一般的にはこの意味合いが強い。
2 人生上の出来事の視点から見た「トランジション」
結婚,離婚,入学,転職,失業,病気などその人独自の出来事として 捉える視点。シュロスバーグはこちらの立場で考え,その出来事自体に 注目し,その対処に焦点を当てた。
シュロスバーグは,様々な転機を乗り越える成人が考慮すべき資源とし
て,「4S」(状況Situation ―タイミングやストレスの程度など,自己Self―
社会経済的地位や価値観など,周囲の援助Support―人間関係や奉仕・援助 など,戦略Strategies―状況修正や情報収集など,の4つの頭文字)がある とし,転機に直面したとき,どの「S」で躓いたかの項目をチェックすべき ことや,また,その対処法として,それぞれの内容を吟味して脆弱な「S」
を明確にし,他の「S」とともに強化することが有用だと述べる。
また,転機にはタイプとして,①予測していた転機,②予測していな かった転機,③期待していたものが起こらなかった転機,の3つがあるこ となど,若者の転機/転職に関連させて,その多くの考え方が参考になる。
(2)安易な離職願望をもつ若者への支援 ― 転職はいけないことか
「転機」は回避できず身に降り掛かってくるものである。大きな病気や失 業など,リスクや不利益の伴う「転機」ならば避けるよう努めるべきであ るが,転職はどうだろうか。発端は望まない状況であっても,一旦状況が
そうなった際には,適切に対応する必要がある。なぜなら,一般的に言わ れるように,職業の意義は,「生計のため」であり,「社会と関わって,で きれば貢献するため」であり,最後に「自己実現するため」である。
本稿の結論的な主張として述べるなら,もし若者が転職の問題で悩んで いるとすれば,大人たちは転職を思い止まらせる(再考する)努力をある 程度行った後は,本人の転職への意識や実際に行おうとしている活動内容 を確認し,転職を円滑に実現する「軟着陸」の発想が必要なのではないだ ろうか。もちろん,依然として,適切なキャリア教育が行われ,最初の就 職先から一生転職しないことが望ましい姿ではあるだろうが,それが困難 になりつつある現状では,大人たちは,「よく考える若者」や「揺れない若 者」にすべく早くから意図的・計画的に教育していく必要があると考える。
そこで,キャリアコンサルタント関連でこの問題を扱った厚生労働省の 委託研究の成果を紹介する。それは次のような趣旨である。
「労働者の属性ごとの特徴の理解の促進」が必要であり,キャリアコン サルタントに「個々の労働者等のキャリア形成上の課題に応じた支援を 行うため,労働者の属性ごとの特徴や課題に対する見識を拡げ・深める こと」を求めている。(厚生労働省委託・研究事業報告書,2018)
その取り上げられた労働者の属性とは,「安易な離職願望を有する若 者」,「育児と仕事の両立に悩む女性」,「キャリア形成上の課題に直面する 中高年」の3つである。
ここでは,「安易な離職願望を有する若者」へのキャリアコンサルタン トの望ましい支援・指導の在り方の概要を紹介するが,これまで通りの単 なる「早期離職しない若者」に止めようとする単純な動機では対応してい ない新たな点を読み取りたい。
◎調査結果(集約)の概要
○ 若者の支援においては,失敗経験等により自尊心が傷ついたり,自己 評 価の低い者への配慮が求められる。
○ 若者支援においては,幅広い職業・業界の知識や企業情報,労働に関 する知識等を若者が理解するように支援することが求められる。
○ 非正規から正規雇用への移行を目指す若者に対しては,情緒的な不安 を低減させる一方で,非正規の雇用でも就業を継続することや,自己 啓発を行うことが有効だと考えられる。
○ 採用初期は,望ましいコミュニケーションがとれるような職場の環境 づくりの支援や,若者自らが,上司,先輩に働きかけることが出来る よう,能力開発のための支援が有効である。
○ 勤続1年未満の早期離職がその後のキャリアに与えるマイナスの影響 への理解を促し,在職しながら能力開発や再就職をするための支援を 行うことが有効であると考えられる。
◎実務家へのヒアリング調査結果
<若者の全般的な課題・状況>
○ リアリティショック(イメージしていた職務内容や職場環境と現実と のギャップなど),学生時代に持ったプライドが崩れる状況が様々な 場面で起こることが報告された。
○ 若者の思考や行動特性として,評価を気にする,自分で答えを見つけ るスキルが乏しい,悩みを自ら相談できずに突然離職する等,コミュ ニケーション面の課題が多く報告された。
○ 若者は,社内人材より第三者の方が相談に行きやすく本音を言いやす い。一方,過去に親身な相談を受けたことがなく,その体制作りの必 要性が指摘された。
○ 就職活動の際,自己理解と仕事理解が不十分なまま志望動機や自己P Rを作成する事例が多いので,正しい支援が必要である。
<早期離職する若者の課題>
○ 早期離職する若者の特徴として,相談できない(コミュニケーション 力が低い),自己理解(アイデンティティ)不足や自己不一致,納得感 の不足等の意見が出された。
○ 若者が職場に定着していくために必要な要素として,職場が自らの居
場所である感覚,モデルやメンターとなる存在,同僚等と愚痴が話せ る環境の必要性等の意見が出された。
○ 早期離職を抑止するためには,若者のストレスに対する上司の察知能 力,評価システムの導入や再考,管理者教育,上司部下の信頼関係の 構築の必要性等の意見が出された。
○ 離職を考えている若者支援の課題は,丁寧な振り返りにより,辞める 理由の明確化や自己の進むべき方向性等が明確化すること,その他,
共通認識として,就労が最低でも3年は続く方法(課題対処スキル)
を考えることが重要であるということが示された。
<開発を希望する技法等>
○ 転職の準備度合いを通じて離職を再考させるようなツール,3年続く ためのソーシャルスキルチェックと指導集,自己と職務の関連づけ シート (アイデンティティ確立シート),職務分析のツール,離職願望 がどの程度あるかを測定するツール等の意見が出た。 (下線:筆者)
そして,キャリアコンサルタントに求められる資質・姿勢・能力を次の ようにまとめている。当然,キャリアコンサルタントに限らず,そのよう な若者に関わる大人たちに求められる資質・姿勢・能力であることは言う までもない。
◆対若者・キャリアコンサルタントに必要な資質や姿勢と能力 必要な資質・姿勢 必要な能力・知識
・ 相談者を尊重し理解する姿勢(来 談者中心)
・ 相談者の曖昧さを受容できる
・ 自己の拘りや価値観に固執しな い
・ 若者の現状を否定しない姿勢
・ 自分が若者だった頃の不足や未 熟さを認識できる姿勢
・ 公平さ
・ 受容,共感的理解の姿勢
・ 傾聴力
・ 相談者の抽象的な回答を具体化 し深められるような言語化・明確 化のスキル
・ ポジティブ・リフレーミングのス キル
・ 動機付け力
・ 現在の雇用環境や労働環境の知 識
・ 相談者が設問をイメージできない
・ 各技法の内容や時間配分を事前 に理解する
・ アセスメント・ツールなどの使用 前に相談者に対して,使用目的を 明確に説明し十分な理解を得る
場合に例示や補足説明ができる こと(事前準備,説明力)
・ タイムマネジメント
・ 技法を用いるだけでなく,掘り下 げる質問や考えや気持ちを明確 化する等して相談者とコミュニ ケーションを深められる力
(3)「転職への十分な吟味」と「変化への素早い対応」
先にシュロスバーグの転機の際の資源としての4S(状況,自己,周囲 の援助,戦略)について述べたが,まさに転職こそ,事前にこの4Sを問 うて吟味する必要がある。また,脆弱な資源を明確にし,補強策を適切に 考えておく必要がある。
その上,「転機のタイプ」ならぬ「転職のタイプ」として,①予測してい た「転職」,②予測していなかった「転職」,③期待していたものが起こら なかった「転職」の3つのうちどのタイプなのかによって,積極的・前向 きな転職であるか,消極的・後ろ向きの転職であるかを判別することがで きよう。とにかく言えることは,現代の転職希望者が多い状況は,「①予測 していた『転職』」の方が,「②予測していなかった『転職』」よりも確実に 増加している現実があるということである。
ネット上で,ある大手の人材派遣会社が運営する転職関連のメルマガの 記事で次のような一文が目に留まった。やはり転職はリスキーなのか。
<その転職の目的は何?でございます!>
他の企業への転職を考えるとき,多くの人は今の仕事では得られない 経験や待遇などを求めています。人生は一度きりですので,転職を機に 今までとはまったく毛色の異なる業界や職種にチャレンジするのも素晴 らしいご決断でしょう!
しかし,一時的な気分で転職先を決め,気が変わればまた職を変える
ような働き方をしていると,高い専門性のある人材を求める企業からは お呼びがかからなくなってしまいます(´;ω;`)。将来,自分が下した 判断に足を引っ張られるのは辛いこと……。転職活動を始める際は,こ の転職が何のためのものなのか目的をはっきりさせ,後悔しない道を選 びましょう!
(パソナ運営メルマガ『経理キャラナビ』掲載記事,2018.8.30 より)
この章の最後に,人生の転機をどう迎え臨むか,のテーマを扱った寓話 を紹介する。スペンサー・ジョンソンの『チーズはどこへ消えた? Who
Moved My Cheese?』(2000)であり,次はその粗筋である。
< 『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー ・ ジョンソン)(粗筋) >
○ ある男が会社に自分が低く評価されていて不満な時にこの物語を知っ て勇気を得た。
○ 2匹のネズミと2人の小人(原文ママ)が,状況の変化の中,迷路(住 居や会社)でチーズ(自分に合う生活や生き方)をうまく見つけるか どうかで,望みを成就できるものとできないものとに分けられ,不安 を解消できるものとできないものとに分けられる。
○ 「なすがままになるのではなく,自分から動いて選び取っていく」
○ 「早い時期に小さな変化に気付けばやがて訪れる大きな変化にうまく 適応できる」
○ 「不安や恐怖は新しい方向へ踏み出せばあっさりと解放される」
○ 意欲的な小人(原文ママ)の一人が書き残した教訓。①変化は起きる,
②変化を予期せよ,③変化を探知せよ,④変化に素早く適応せよ,⑤ 変わろう,⑥変化を楽しもう,⑦進んで素早く変わり再び楽しもう
○ 今の不幸を嘆いて前進しないより自分の新たなチーズを思い描こう。
結論的に言うなら,人生はいつも生産的に動くことが大切であり,「転 機」は今生きている自らの人生と並走して起きているかもしれない。それ が表面化すれば適切に対処し,必要性があれば「転機」を受け入れればい い。それだけの素養や柔軟性を保つよう学び続ける人でありたい。
3.不安という最大の病 ― 中高年の動揺の危機を中心に
(1)何らかのキャリア形成上の課題に直面する中高年への支援
先の章では,若者の「転機」について論じたが,そこでの最後の寓話
(『チーズは……』)はこの章にもまた活きてくる話である。ここでは,もう 一つの「転機」について論じることになる。厚生労働省が前章の「若者」
と同様に重視した属性の一つである「キャリアチェンジを余儀なく迫られて いたり,何らかのキャリア形成上の課題に直面する中高年」の問題である。
先の「若者」同様の形式で,「中高年」に対するキャリアコンサルタント の望ましい支援・指導の在り方が研究報告されている。以下,同様に,要 約してその概略を紹介するが,これまで通りの単なる「退職して人生の坂 を下る中高年」像のままではない新たな対応の在り方を読み取りたい。
◎調査結果(集約)の概要
○ 中高年者は60歳を区切りとした意向の変化があるが「自己適性志向」
(仕事の内容に興味があり,能力・個性・資格を生かせる仕事を選ぶこ とを示す)を満たすことは年代問わず重要な視点である。
○ 中高年者ならではの自己分析・自己理解を促す支援は重要である。中 高年者の転職は賃金低下や職務上の質等,様々な変化が起きるため,
客観的状況とそれに伴う主観の両面を配慮した支援が求められる。
○ 特に,現状や起こる変化をネガティブに捉えている場合や不安感が大 きい場合は,現実を受け入れるための情緒的な側面に配慮した支援,
例えば,認知を柔軟にする支援や,仕事や生活に関する自分なりの意 味・意義に対する認識を深める支援等も有効である。
○ 中高年者の活用は 「現場力の強化」「技能継承の円滑化」 というプラ スの側面もあることを個人と組織に訴求していくことも有効である。
○ 上記のような支援のために,中高年者の転職時の特徴をまとめた資料 作成や中高年者に有効な自己分析の視点の整理,転職に関する関連拠 点の活用方法の整理,人脈の棚卸しやネットワーキングの促進,中高 年者ならではの職業スキル一覧の作成,中高年の類型や就労可能性 マップの作成,経済面や生活面を含めたライフプランニングを有効に
行うためのツール作成,認知を柔軟にする支援技法の習得,仕事や生 活に関する意味・意義を深める支援方法の整理等が有効と考えられる。
◎実務家へのヒアリング調査結果
<中高年の抱える課題,環境や状況>
○ ポータブルスキル(厚労省定義「業種や職種が変わっても通用する,
持ち出し可能な能力」)を有している人の場合であっても,それをいか に表現するかが課題であり,それが無い場合には再訓練が課題となる こと,再就職に自分で取り組めないこと,自己の環境変化をポジティ ブに受け止められないこと,役職定年を迎える人はその 1・2 年前から モチベーションが降下する人が多いこと,キャリア・プランニングに 取り組むことが遅く,60歳になってからでは適応が困難であること,
雇用延長者が単にお金をもらうためだけで働くと様々な問題が生じる こと,自分が予期せぬ形で辞めている人の中で,役職についていた人 は突然バックボーンを失い,過去の栄華にすがって生きる人が多いこ と等の課題が報告された。
○ 支援を行う際の視点としては,時間をかけて地に足を付けてもらうこ と,在職中(40歳超えぐらい)から長期的なレンジで考えること,環 境や役割の変化に対してキャリアコンサルティングによって新たなモ チベーションをもたらすこと,年下の上司との関係性の支援,自己概 念やどう生きるか,今の自分を肯定するような支援,培ってきた経 験・能力を転用できる方向性を探すためのキャリアの棚卸し(ジョ ブ・カード作成)と,その能力を転用できる可能性を見出す支援の必 要性等が指摘された。また,自分の役割がある人が元気であるという 意見も出された。
<開発を希望する技法等>
○ 生きてきた原動力(興味・関心,キャリアアンカー等)を明確化する ツールや,経験を通じて自分の出来る職務内容,保有能力を整理し適 切に表現できるような自己理解を深める方策,65歳以降をどうするか を意識させ今後の方向性について自分で考え自己決定を促すツール。
○ 労働市場や,その中での自分の立ち位置の理解を促すツール,現実を 受け止めさせる技法,過去の自分と決別させるツール,転職者の行動 規範(最初は大人しくしよう,前職の自慢はすべからずetc)等を期待
する意見が出た。
○ 支援の場面では,求人案件に対応するために必要な要件と能力を分析 し考えさせることや,転職者のモデルの提示,自分でやってきたこと を感じ,キャリア・ストーリーを語れるようにする中で自己肯定感を 高める支援が必要であるとの意見が出された。 (太字,下線:筆者)
ここには「不安」に関する直接的な表現は見えないが,「頑固さ」や「固 定的な信念」の存在は,裏返せば「不安」を見て取ることができる。多く の中高年者が人生の下降期を迎え,未来へ向かう不安な心境は一律のもの ではなく,個々に違う事情をはらんでいる。「お気楽なもの」から「深刻な 不安」まで千差万別であろう。筆者の場合も,その不安は波状攻撃のよう に起こり,それへの対処法が2回の講座に参加するという具体的な行動で あった。当然,上記報告書の記述内容では,外側から観察された描写が多 く,その内側に存在する真実の声を十分に読み取ることはできない。
ここでも同様に,キャリアコンサルタントに求められる資質・姿勢・能 力が次のようにまとめられ,中高年に関わる人に十分参考になる。
◆対中高年・キャリアコンサルタントに必要な資質や姿勢と能力 必要な資質・姿勢 必要な能力・知識
・ 関係構築
・ 相手の立場を把握し理解する
・ 自分の思い込みを外し,自己一致 した状態で対応する(まっさらな 気持ち)
・ 失礼にならないよう,人生の先輩 であるという尊敬の念を持つ
・ キャリアを振り返ってもらう環 境を作る姿勢(「30年以上,よく 頑張ったな」と思ってもらえるよ う)
・ カウンセリング基本的能力(聴く 力)
・ 労働環境の理解。現在の雇用状況 の把握,社会情勢(インフレ・デ フレ,年金状況等)を把握してい ること
・ 財産,相続等にも対応できる知識
・ 目標設定力とアクションプラン 作成の助言力
・ 相手に合わせて柔軟に対応(変 化)する力
・ 中高年自身がどのような苦悩を 抱えているか分かろうとする
・ やらせようとしない
・ 作業(シート)をやるのではなく,
そこで感じることを大事にする
・ 相談者の MUST より WILL を大 事にする
・ 焦らず曖昧な気づきをゆっくり 待てる(フォーカシング)力
キャリアコンサルタントの楠木 新氏は,講演及び著作で次のように述べ ている。(楠木,2018)
<定年後を見据えた働き方改革(楠木 新) >
○ 40歳過ぎて働く意味に悩む状態を[こころの定年]と呼ぶ。
○ 厚労省統計の「21~60歳の総労働時間:約8万時間」に対して,60~
84歳の総自由時間が同じく8万時間(下記はその内訳)
・60~74歳=自由時間11時間/日×365×15(年) ≒6万時間 ・75~84歳=自由時間5.5時間/日×365×10(年) ≒2万時間
○ 60~75歳は黄金の15年間で様々な可能性を秘めた人生の後半戦。
○ ボランティアではなく,僅かでもお金になることに拘る(社会と繋 がっている証明)。
○ 手の届くロールモデルを複数探して目標とする。例えば,同窓会,地 域活動,PTA活動などの人たちは社会の先達ゆえ大切にする。
○ 「病気が人生が変わる転機となる」 =多くの著名人が大病を患った後 に,新たに再生して大きな仕事を成し遂げている。
○ サラリーマンよりフリーランスの方が顔つきが良い。定年後はいい顔 になることに取り組むようにする。 (下線:筆者)
ここでは定年後の生活設計に関わることが示されている。病気が「転機」
の機会となることやフリーランスの伸びやかさなどが示され,「定年後」
が新たな再生の機会となることに期待を抱かせようとしている。
(2)正当な反骨さと老年学(ジェロントロジー Gerontology)の内容 ただ,この章では,どうしても次のことを一言して強調しておきたい。
一般に,中高年の生き方に対しては,不幸な立場や不安に包まれた人生 のイメージが濃く,柔(やわ)な論調になりがちである。苦しまない健康 面への対策,安定した経済生活への対策,やりがい・生きがいをもつため の対策など,手厚く温かく行き届いた論調が,しかしどれを信じれば良い か判断のしにくい雑多な情報が,次から次へと提示されてくる。
筆者もまた,高齢期に入って,何かと弱気になり,甘えることや寂しが ることを隠せなくなってきた。しかし,時には突然スイッチが入ったよう に,毅然とした言動を取り戻そうと振る舞うことがある。やはりいつでも
「流れに抵抗する人間」の姿勢を忘れてはならないと戒めている。
教育学者・上田 薫(98歳)氏は,高齢を押して毎年講演をされる。そし て,ここ数年常に次の言葉を主張される。(上田,2018)
「皆さんは,もっとこれからやって来る時代に悲観的にならなければダ メです。もっと悲観し,そして,真向かわないといけないのです」
このような気概,気骨,真っ向勝負を辞さない姿勢,を決して忘れては ならない。か細くなっていく声ではあるが,常に襟を正されるのである。
この章の最後に,これからの時代,益々存在感を増してくる高齢者の在 り方について,長く老年心理学を研究している長田久雄氏の研究を紹介す る。次は,長田氏監修で同じ研究者の﨑山みゆき氏がシニア人材のマネジ メントを論じたものの要約である。(﨑山,2015)
<シニア人材のマネジメントの教科書 ― 老年学による新アプローチ>
○ ジェロントロジー(老年学)は学際的な学問(アメリカで1930年代に 始まった)
○ 一般的な意見では「70歳以上が高齢者」が最も多い
○ 60歳以上の無業者は1980年代の65%から2010年代の70%へと増加
○ バンデューラ「成功体験は自己効力感を生む=自己効力感が高い人は 挑戦意欲が高い」
○ 転職「反発をしない人」,再雇用「腹をくくって頭を下げることにした 人」,雇用延長「今まではこうやってきた,こんなことやったことがな い,前と違う等と言う人」
○ 不安は人間の感情の中で最もストレスが大きい
○ 高齢者は語彙量が多いため,適切なそれを探し出すのに時間が掛かる
○ シニア人材活用のメリット ①人材不足解決,②ナレッジ伝承,③仕 事創出
○ 高齢期の三悪 ①病気,②孤独,③貧困 (下線:筆者)
なお,次の一覧表は,「子どもに対する教え方=ペダゴジー pedagogy 」 と
「大人(シニア)に対する教え方=アンドラゴジー andragogy 」の分類であ る。新しい学習指導要領と矛盾するところもあるが,学校外の立場の人の 見方が興味深い。
子どもに対する教え方 大人に対する教え方 教育者の
役 割
○ 責任者的役割
○ 覚えさせる,身に付けさせ ることに社会的期待と責 任がある
○ 支援者的役割
○ 覚えさせる,身に付けさせ ることは相手の自己決定,
自己責任による 教育者の
レ ベ ル
○ 模範となるために,学ぶ側 よりもすべてにおいて優 れていることが望ましい
○ 教えることに関しては学 ぶ側よりも優れているこ とが好ましいが,「学び方」
(方法論)を教えている場 合はその限りではない 教 材 ○ テスト,ドリル,教科書を
使う,体験学習などが中 心。教える側のニーズに 合ったもの
○ テキスト,講義,体験学 習,討議などが中心。学ぶ 側のニーズに合ったもの
学習成果 の 活 用
○ 将来的展望があれば良い し,義務教育として決め られた範囲であれば非日 常的でも認められる
○ 今役立つこと。問題解決 重視。学ぶ側の知的好奇 心を満たし学習の継続を 促すこと。不安感を抱かせ ない (下線:筆者)
―
「子どもに対する教え方と大人に対する教え方の違い」
(﨑山,2015)この一覧表に関連して,﨑山氏は「『大人に対する教え方』を正しく理解 する」ことの必要性を指摘している。高齢者への教育姿勢は,「子どもに対 する教育」とは異なる面が少なくないからである。特に,最後の「不安感 を抱かせない」は,「不確定な将来よりも確実な近い将来に安心感を抱くの がシニアの心理であるため」としている。
4.レジリエンスの意味 ― 心の復元の方法
さて,以上,若者と「トランジション(転機,Transition)」の意味との関 係で,また,中高年を動揺の危機(不安)との関係で論じてきた。そこで,
この二つの属性「若者」と「中高年」の共通性― 「転機」,「動揺」,「不安」
など―を考えれば,正常な心の状態を維持する方法や復元する方法について 論じる必要があると考える。それがレジリエンス(回復力)の問題である。
以下,(1) と (2)については,『産業カウンセラー養成テキスト』(2012 改訂版)を参照して,レジリエンスについて概説しておく。
(1)レジリエンスとは
「レジリエンス(Resilience)」という言葉は,最近,環境,生態,政治,
教育など様々な分野で使用されている。もちろん,ここでは,教育や心理 学の領域の扱いで,「回復力」「復元力」「弾力性」「折れない心」「しなやか に立ち直る力」などの意味で用いる。
テキストでは,「ストレス」との対比で「レジリエンス」が解説されてい
る。すなわち,ストレスは「外力による歪み」 であり,それに対してレジ リエンスは「外力による歪みを跳ね返す力」 である。両者ともに外力によ る歪みの存在を抜きにしては語れない。
物質同様に人間もまた,圧力がかかると,へこむ場合が多い。その際,
へこんだものがすぐに戻る人とすぐには戻らない人がいる。人の脆弱性と 回復性の差である。後者の例では,トラウマ・PTSD(心的外傷後ストレス 障害)などがある。
(2)レジリエントな人とは
レジリエントな(回復性の高い)人とはどのような人か。心理学者の ワーナー(Werner, E.E., 1989)たちが,ハワイの約700名の子どもたちに 30年間追跡したストレス関連の調査結果を紹介したい。そこでは,慢性的 な貧困,親の教育水準の低さ,不和,離婚,そして親の精神病などの要因 にさらされた,いわゆるハイリスク児の克服のプロセスを追っている。約
30%がハイリスク児に該当していたが,その内の1/3は逆境をうまく克服
していた。彼らには,児童期・青年期で,学習上・行動上の問題を示した者 はおらず,学校・家・社会がうまく連携していた。その要因は以下の三つ。
<ハイリスク児の逆境の克服要因>
① 温和な性格(見知らぬ人からの好意を経験しやすい)。
② 親身になって世話をしてくれる人が最低1名いた。
③ 学校で少なくとも1名の親友や,親身になってくれた教師又は教会の 関係者がいた。
さらには次のような結果も報告されている。
「ハイリスク児で,18歳時に大きな精神的・社会的な問題を抱えていた 者の多くが,30歳時には立ち直っていた」
それぞれのケースで転機となったのは,結婚,子育て,教会活動,軍隊 への入営の経験であった。これらの経験を通して,家族・親類や友人・先