エ グチ カツ ヒコ
氏名(生年月日) 江 口 克 彦 (1940 年 2 月 1 日)
学 位 の 種 類 博士(経済学)
学 位 記 番 号 経博乙第 58 号 学位授与の日付 2014 年 3 月 20 日
学位授与の要件 中央大学学位規則第 4 条第 2 項 学 位 論 文 題 目 地域主権型道州制の総合研究
―社会経済分析の視点から―
論 文 審 査 委 員 主査 佐々木 信夫
副査 片桐 正俊・田中 廣滋
外山 公美(立教大学コミュニティ福祉学部教授)
内容の要旨及び審査の結果の要旨
1.本論文の目的
本論文『地域主権型道州制の総合研究―社会経済分析の視点から』は,筆者(江口克彦)がシン クタンクPHP総合研究所の研究者,経営者(常務,社長)として長年「地域主権国家の形成」に ついて研究し,その集約として「地域主権型道州制」という新たな日本の統治システムを構想する に至った研究成果をもとに,学位論文としてまとめたものである.
しかも,筆者は現在,参議院議員として道州制という制度を立法化する立場に立っており,理論 と実践をつなぐ重要な地位にある.ただ,これまで各界から多くの道州制に係る提言がある割に,
その概念,内容,効果,課題の整理など学術的な研究としての道州制論が手薄な状況にあることに 気づき,立法化に向け,その状況に強い危機感を抱くようになった.そこで,これまでの研究を整 理し理論と実践をリンケージさせようという強い動機のもとで,本論文を執筆したとされている.
本論文の目的は,経済学的な視点に立って道州制,とりわけ地域主権型道州制について,その概 念を明らかにし,実証的な社会経済分析を通じて道州制実現の意義を明らかしようとするものであ る.しかも,これまでの道州制論議が,広域化対応や財政再建をねらいに国・都道府県・市町村と いう閉鎖型のタテの垂直型統治機構の再構築として論じられることが多かったことに対し,筆者は 違う立場をとる.道州という新たな広域地方政府間,広域地域圏間に競争原理を導入することで国 民経済を活性化しようという,開放型の水平型統治機構の構築を構想しようとしている.公共部門 に「新たな国のかたち」を構築しようという点で画期的な発想に立っての論文と言える.地域に立 法権,行政権,一部の司法権を与え統治権を確立する「地域主権」の考え方に立ち,それを前提に 地域間に水平的競争関係を生み出す「地域主権型道州制」の意義を論証しようとしている.それが 本論文の特徴をなしている.
道州制に係る研究は,政治学,行政学,社会学,経営学,あるいは都市工学など,さまざまな観 点からのアプローチが可能だが,本論文は,経済学とりわけ公共部門の経済学,公共経済学の視点 に立って道州制問題を取り上げようとしている.公共部門にある種,擬似的な市場メカニズムが働 くよう地域間競争の原理を入れ,道州政府間の政策競争,道州広域圏間の競争といった,水平的な 競争関係を生み出す統治システムへの転換を明確に打ち出している.
「地域主権」という考え方のもと,地域経済,国民経済の活性化を通じて国民生活を豊かにする,
新たな統治システムの切り札として「地域主権型道州制」を構想している.これは従来のタテ型の 集権的統治システムではなく,地域間競争メカニズムを作動させるヨコ型の地域主権型統治システ ムを構想するものであり,公共部門に競争原理が作動することをねらう,ニューパブリックマネー ジメント(NPM)の視点を入れた公共経済学としての「道州制」研究と位置づけられる.
これまでの日本は,政策決定権と課税権の多くを国に集め,それを法制度,補助金,交付金制度 を通じて地方を誘導しコントロールする中央集権的な体制で公共政策が行われてきた.それは地方 からすると,公平性,統一性を担保する体制として評価され,長い間,国民からも支持されてきた.
しかし,農村国家の中で確立したこの体制も1世紀以上を経て時代に合わなくなった.画一行政,
金太郎飴型まちづくりという状況を生み,細切れの都道府県制と各省政府が垂直的に統合され,閉 塞的な経済を生むに至っている.長期不況もこうした時代に合わない古い統治機構が大きく係って いる.
地域が多様化し,価値観が多元化した高度都市国家に変貌した現在,その時代状況にあった新た な統治システムの構築が求められている.そこに道州制論議の基本的根拠がある.
現在は,地域に合う公共サービスの多様性,問題処理の迅速性,住民参画による民意の反映が強 く望まれるようになっている.経済社会の変化に統治システムが適合できていない,統治機構改革 が置き去りになっていることの打破,その切り札として登場してきているのが道州制改革である.
これまでの中央集権型統治システムは,国と自治体が形の上では別々の政府機構とされながら,
しかし実体としては国と地方が一体化・融合化し,あたかも「日本官僚制」というひとつのピラミ ッド構造の中に組み込まれた護送船団のような動きにあった.その中で地方は陳情・請願を繰り返 すことで,地域ニーズを満たそうと努力してきた.決して地域や自治体が公共政策の主体になって きたわけではない.むしろ国の下請け的な役割を担ってきたといってもよい.
時代状況が多元化,多様化した国家に変容したにもかかわらず,依然,統一性,公平性のモノサ シしか適用できないとすれば,それは経済学的にみて,資源配分の点でも,財政の効率性,効果的 運用の点でも極めて不合理なものとなる.また面積,人口などの規模に関わりなく都道府県,市町 村という自治体がそれぞれ多くの公共施設等をフル装備する,いわゆるフルセット型行政が行われ
てきた.その結果,類似の社会資本(空港,港湾,道路,公共施設など)の乱立や二重,三重行政 が生まれ,公共資源の効率性が著しく低下してきた.それを日本官僚制の制度疲労とも表現してい る.
これを変える統治機構改革として道州制が謳われている.とりわけ本論文では,地域圏に統治権 を与え,各圏域が自立的な政策主体として活動する地域主権型国家に代えることが重要であるとの 認識に立っている.それは国民から集めた税金などの有効利用の点からしても,地域資源として潜 在的に眠る経済資源の活性化の点からしても,また地域に宿る文化,伝統,人材,技術などを競争 型システムに変えることで顕在化する点からも極めて合理性の高いことである.
そこで 130 年余,不変の地域割であった 47 都道府県体制に代わる,約 10 の広域的な道州政府を つくり,そこに権限,財源,人間の 3 ゲンを与える地域主権型道州制へ移行することは急務の課題 であるというのが筆者の主張である.公共部門に地域間競争を興し,公共部門に道州間の市場メカ ニズムが働くよう大胆な統治システムへ転換することで日本経済の閉塞状況を打破し,人口減社会 に向かっても活力ある日本を維持できる.それが,筆者のいう地域主権型道州制への移行である.
その公共部門のあり方を再設計する,それが政治の重要な役割であると位置づけている
2.本論文の要点
本論文のひとつのキーワードは「地域主権」である.従来使われてきた地方分権ではなく,地域 主権という表現を持ち出し,その理論化を図っている.
筆者が地方分権(decentralization)ではなく,「地域主権」(regional sovereignty)という用語 を使う意義は次の点にある.これまで使われてきた地方分権でいう「地方」という用語は,中央が 地方を蔑視するニュアンスを感じさせる.中央と地方の上下主従の関係を表すのが「地方」であり,
あらゆることを国が地方に命令,支配,管理,統制,干渉する統治機構である中央集権体制の下で 使われてきた用語と認識している.
その結果,地方とされる地域はますます元気がなくなり,高齢者から生甲斐を失わせ,若者から 元気を喪失させている.「地方」という言葉は,そういう意味合いを感じさせるものであるという のが筆者の捉え方である.そこで,あえて「地域主権」という用語を持ち出し,その概念の構築に 力を注いでいる.国家も大事だが,地域も同じように重要ではないか.そういう認識が生まれて始 めて,21 世紀,日本はグローバル化する国際社会のなかで,それこそ「然るべき地位」を占めるこ とができるというのである.
この地域に立法権,行政権,一部の司法権といった統治権を与える「地域主権」という用語法に 対しは,国家主権に反するという視点から批判がある.これに対し筆者は反論する.まず憲法論と して,憲法上,日本は戦前の天皇主権国家では,天皇は国家元首であり,全ての統治権の総覧者で あった.しかし,戦後は国民主権国家であり,国民が参政権を有しその行使を通じて国家を統治す
ることとなっている.
国家主権という表現は現行の「日本国憲法」上の規定にはないが,「自然権」と存在する.それ は国家という独立国が存在する以上,他国との関係において自ら統治する権利を有し,侵害されな い権利を有するという点で国家主権という考え方は成り立つ.同様に,一定の区域,自治権を与え られた地域圏にも自ら統治し,侵害されない権利が存在するというのが,筆者の「地域主権」とい う使い方の意味するところである.
特に強調しているのは,これまでいわれてきた「地方分権」だと,それは国家の持つ統治権を分 け与えるという意味であり,多分に中央集権体制を前提としている.地方分権は中央地方関係に上 下主従関係の構造を持ち込んでいることが前提となっている.そこで言われる地方分権改革は手段 ではあるが,地方分権の国を創ると言われても,所詮それは国と地方を上下主従の関係に固定した 中での国家像に過ぎない.筆者はそこを否定する.
地方分権改革を進めるのは目的ではなく手段にすぎず,それは地域の自治体が主体的に政治や行 政を営める自立した統治体(地方政府)を確立する目的のために行われるものである.地方分権を 進めて(手段),地域主権国家を確立する(目的)という理解が正しい,と説いている.
この考え方の基調は,戦前,戦後の日本がモデルにしたフランス,ドイツなどの大陸系諸国の集 権国家,つまり統治権は国家のみに存在するという考え方ではなく,イギリス,アメリカなど英米 系諸国の分権国家に近い.つまり権限を上位政府から分け与える,上から下へという発想ではなく,
もともと市民主権の下で市町村を国民がつくり,そこで処理できない広域の問題を自治体に委任し,
さらに外交,防衛等,国全体に関わる問題を中央政府に委任するという,下から上へという,国民 主権の発想が基本になっている.いわゆる「補完性の原理(Principle of Subsidiary)」という考 え方がそれである.
市町村を基礎自治体とし,それを補完する広域自治体が道州(現在は都道府県)であり,それを内 政について補完するのか国の役割であると捉える考え方である.これはいまや地方自治を語る際の 常識的な見方となっている.その点,地域主権型道州制は,大陸系ではなく英米系,もっと言えば 日本の戦後憲法がめざした「民主国家,国民主権の建設」に合致したものと言える,とする.
その中央集権体制という統治機構を改め,地域のことは地域で,地域住民が主体となって,自主 独立の気概で地域行政を行ってはじめて,効率のよい政治・行政,そして地域づくりができる.地 域に統治権を与える道州制,それを「地域主権型道州制」と呼んでいる.
それでこそ,若者や高齢者が張り合いのある日々を送ることが出来る.地方が元気になり,若者 がやる気を出す行政を行うことが出来る.中央に支配される地方ではなく,国と地方が役割を分担 して,横の関係になることができる.こうしてこそ水平的な競争関係が生まれるという論理構成と なっている.
「道州制」の概念についても類型化し,深い意味付けを与えている.従来,道州制といっても,そ れは単なる都道府県合併を指すものから,米国のような連邦制国家を意識した構想までさまざまで あった.ひと口に道州制といっても,国の出先機関的な地方庁案のような「中央集権型道州制」も あるし,州憲法や州軍隊を有する連邦国家を前提とする「連邦制型道州制」もある.筆者の言うの は,そうではない.集権体制を補完する道州制でもなく,連邦制を模した連邦型道州制でもない,
むしろその中間に位置するとみられる.それが「地域主権型道州制」である.
地域主権型道州制は「官僚主義を廃止,地域の自主自立を徹底した道州間に水平的競争関係をも たらす」,新たな道州制と定義している.しかも,この用語は筆者が長年の研究成果と講演で使用 している中で確立してきたオリジナリティのある術語であるというのである.確かに社会的に「地 域主権型道州制=江口克彦氏の主張」と捉えられている.
その意味するところは,日本全体を一色に塗りつぶす中央集権型の統治体制を根本的に改め,国 民一人ひとりが自助の精神を持ち,地域の政治・行政に主体的に参加し,みずからの創意と工夫で 地域の特性に応じた地域づくりを行える統治体制,すなわち,国政機能を分割して自主的な地域政 府たる「道州」を創設することである.
その考え方の根底には,広域圏(道州)を一つのマネージメントの主体(統治主体)に置くとい う考え方がある.「地域主権型道州制」は公選知事,公選議会を置く内政の拠点性になる広域自治 体を創る.そこを政治行政の主体にしていくという考え方である.
このように地方分権改革を徹底し,従来の道州制論と一線を画した,地域に統治権のある「地域 主権型道州制」という概念を打ち立てたのが本論文の特徴である.それが,今後の日本にふさわし い新たな統治システムであるというのが,本論文の結論となっている.
筆者のいう「地域主権型道州制」は次のような基本原則を具備すべき要件としている.
① 道州は地方分権を推進するものである
② 道州は都道府県に代わる広域自治体で,基礎自治体を補完する
③ 国と地方の役割を抜本的に見直し,内政に関わる事務は基本的に地域(道州及び基礎自治体)
が総合的,主体的に担う
④ 国の地方支分部局は廃止し,企画立案を担っている中央省庁そのものを解体・再編する
⑤ 内政に関する道州の決定権を確立するため,国の法令は基本事項にとどめ,広範な条例制定権 を認める.国の法律に対し地域事情を加味した「条例の上書き権」を認める
⑥ 各道州が自主性,自立性を発揮できる地方税財政制度とする.
⑦ 区域割りは地理的,歴史的,文化的条件や地元の意見を最大限尊重する
ところで,国と地方の関係において,国のとる自治政策の理念には,「自治の原則」と「平衡の 原則」という基本的に相反する二つの原則が混淆している.
「自治の原則」(principle of autonomy)とは,地域的な行政サービスは,地域の自己決定と自己 負担の原則に基づいて供給されるべきと考える理念である.自己決定・自己責任・自己負担の原則 だが,これに従えば,国が責任を負うべきサービスと自治体が責任を負うべきサービスが分けられ ると同時に,そのサービスの財源も国と自治体で分離されることになる.
国が行なうべき仕事は,安全保障や外交,司法といったように明確に限定され,そうしたサービ スの財源は所得税,法人税などの国税でまかなうとされる一方,地域的なサービスとその負担のあ り方については,それぞれの地域住民が独自に決定できるような制度がつくられる.これによって,
地域住民みずからが,高い税負担と充実した地域サービス,あるいは逆に低い税負担と必要最小限 のサービス,といった選択ができるようになる.
ただ,この「自治の原則」を貫徹した場合,いくつかの問題が生じる.まず,税源が地域によっ て偏在しているため,各自治体でサービスのレベルが異なってしまうことである.人口規模の大小 とか,高額納税者が多い地域とそうでない地域など税源の偏在により,得られるサービスのレベル が自治体によって異なってくる,サービス格差が顕在化するという問題である.実際,住民は住ん でいる場所の変更は容易ではないため,不利益をこうむる住民が必ず生じる.居住地を自由に変え られるのであれば,住民は財政力が強くサービスの良い地域に集まり,財政力が弱くサービスが十 分に供給されない地域には人が住み着かなくなる.いわゆる「足による投票」が起これば,条件の 不利な地域から人は去る.
理論的には,財政力の弱い自治体は自然に淘汰されよう.弱い自治体が消えていくなら,最終的 に強い自治体のみが残るということなら自治体間の差はなくなっていこうが,実際にはそうはいか ない.住民自身,居住地の変更は容易ではなく,財政力の弱い自治体に住む人たちは残る.弱い自 治体にすむ人々も,財政力の強い自治体に住む人たちと同じレベルの受益を求めることができるよ う,財政調整機能は残さなければならない.
一方の「平衡の原則」(principle of equalization)だが,それは,住民はその居住地にかかわ らず同一水準の税負担で,同一水準のサービスを享受できるようにすべきと考える理念である.昭 和 25 年のシャウプ勧告の「地方財政平衡交付金」の趣旨を踏まえ現在地方交付税制度として定着し ている.これに従えば,全ての行政サービスの供給は国が全面的に責任を負い,税金も全て国が集 めることになり,自治体はいっさいの裁量をもたない国の出先機関,出張所といった機能だけを果 たすことになる.
ここで生じる問題は,まず,各地域によって異なる行政需要に対して,画一的なサービスしか供 給できなくなる点である.つまり,都市と農村あるいは北国と南国では,求められる行政サービス がまったく異なるにもかかわらず,同じ物が供給されることになり,地域によって無駄や不足が生 じたりする.
つまり「自治の原則」を重視した自治政策を行うべきか,「平衡の原則」を重視た自治政策を行 うべきか.長らく日本が採用してきた中央集権体制の下では,各自治体,各地域に「平衡の原則」
が働くよう様々な財政均衡措置がとられてきた.地方交付税はその代表的なものである.ただ,「平 衡の原則」を重視すると,受益と負担の関係が曖昧になることによって,サービスの供給に無駄が 発生するという問題も生じる.
「自治の原則」のもとでは,住民の負担で地域サービスが提供されるが,「平衡の原則」のもとで は,国の財政によって全国画一のサービスが行なわれるため,サービスが誰の負担で行なわれてい るのかが曖昧になってしまう.負担者が分からなければ,住民は費用のことを考えず,またそれが 自分たちの払う税金であることも忘れ,次々とサービスを求めるようになり,加えて行政側も本来 は無用のものを供給し,住民から身勝手な要求にまで対応するようになり,その結果,財政が破綻 する恐れが生じるのである.
筆者の地域主権型道州制では,5~7程度の府県を包括した地域広域圏が統治主体になるだけに,
基本的に「自治の原則」で地域経営が可能なり,それを補完修正する程度の「平衡の原則」を加え れば足りるという認識からなっている.だから中央集権体制に組み込まれない地域主権型国家体制 への移行なのである.
道州制論議は古くから存在する.未だ実現しない「幻の改革構想」とみる見方もある.この点も 著者は否定する.2000 年の「地方分権一括法」の施行以降,実現可能な構想となってきている.事 実,憲政史上初めて 2012 年 3 月 29 日,一つの政党(みんなの党)が「道州制移行基本法案」を国 会に正式に提出したし,続いて 2013 年 6 月の通常国会のさなか,日本維新の会,みんなの党が共同 で「道州制基本法案」を立法府に提出している.政権与党の自公両党も,今後,道州制推進基本法 案を共同提案する動きにある.このように立法過程において制度設計が具体化する動きになってき ているというのである.これは明治以降,130 年余,考えられなかった出来事であり,実現可能性 が極めて高くなった改革構想であるというのが筆者の認識である.であるがゆえに,「理論なき道 州制」を脱却するために,本論文を執筆するという強い動機が存在する.
他の研究者と違い,その個人的な背景にも特徴がある.筆者が道州制研究に関わるようになった のは,昭和 44 年,松下電器産業株式会社の創業者で,PHP 総合研究所の創設者でもある松下幸之助 の秘書となり,その仕事の一環として「廃県置州論」を研究するよう指示された時からとされ,爾 来 40 年近く,この課題テーマの研究に間断なく取り組んできている.松下の「廃県置州を研究せよ」
という一言が本論文へ繫がり,その後の筆者の「地域主権型道州制」に取り組む活動と原点になっ ていることは間違いない.
筆者(江口)は,私淑した松下幸之助の考えを発展させ,「地域主権」の考え方を確立し,続い
て「地域主権型道州制」として,ひとつの学術的な理論まで到達している.それを吟味検討するた め,PHP総合研究所の経営者(社長)に就任すると直ちに各界の有識者を糾合し,「道州制研究 プロジェクト」を発足させ,さらに,第1次安倍内閣で設置された内閣官房『道州制ビジョン懇話 会』の座長に就任し,議論,研究,検討を続けてきた.その取り組みの延長線上に国会議員(参議 院議員)となった今日があり,今度は立法過程のなかで法律の立案作業や審議などを通じて,道州 制の実現に尽力しているのである.
こうしたことから,本論文は,筆者のその長きにわたる研究成果の集大成であると同時に,現実 政治の中で立法過程での実現をめざそうという生きた構想研究と言える.
3.論文の構成と概要
本論文は,資料編を除き本文は大きく 2 部構成からなっている.第 1 部は道州制の背景と要因と して,序論,そして第 1 章から第 5 章までその背景,要因を分析し,第 2 部は道州制の設計と分析 とし第 6 章から第 11 章まで道州制について論述し,終章でまとめと今後の課題を述べている.巻末 に第 3 部として膨大な資料編がつけられており,最後に初出一覧と,引用文献を含む参考文献(邦 文,英文)が掲載されている.
第 1 部 道州制の背景と要因 序 章
第 1 章 道州制研究の意義 第 2 章 東京一極集中の構造
第 3 章 中央集権システムとその限界 第 4 章 財政面からみた中央統制システム 第 5 章 「地方分権」の意義と諸論点 第 2 部 道州制の設計と分析 第 6 章 道州制の意義と諸論点 第 7 章 道州制と区割り,税財政 第 8 章 道州の統治システム 第 9 章 道州制と大都市,市町村 第 10 章 道州制と社会的,経済的効果
第 11 章 道州制の立法過程―現在と道州制批判への反論 終 章
第 3 部 道州制の資料編(巻末)
初出一覧 参考文献
各章の主な概要は以下の通りである.
序章では,さきに述べた研究の動機や問題意識及び論文の目的と構成が述べられている.とくに 経済学の観点から道州制とりわけ地域主権型道州制について,その概念を確立し,実証的な社会経 済分析の手法を通じて道州制実現の意義を明らかしようとしている.
また,これまでの道州制論は,広域化対応や財政再建をねらいに国・都道府県・市町村という閉 鎖型のタテの垂直型統治機構論として論じられる傾向にあったが,筆者の立場はそうではなく,道 州という新たな広域地方政府間,広域圏間に競争原理を導入することで国民経済を活性化しようと いう,開放型のヨコの水平型統治機構論として構想し,公共部門の新たな姿を構築しようとしてい る.それが地域主権の確立であり,地域主権型道州制への移行であると述べている.
第 1 章「道州制研究の意義」では,道州制が,このところ急速に政治のテーマとなってきたにも かかわらず,学術的議論の不足,あるいは不毛な議論に危機感を抱いていること.
筆者は,松下幸之助の廃県置州論を出発点に,本論文のテーマである「地域主権型道州制」に取 り組んできた経緯を説明.その到達点として「地域主権」という用語を生み出した.これは筆者の オリジナルな用語としている.その用語が生まれた瞬間とその意味する点を説明する.また,筆者 の言う「地域主権型道州制」は現行憲法の改正を必要としないことも論じている.さらに,「道州 制」は,1927 年(昭和 2 年)から今日まで幾多の議論がされており,その内容もさまざまであるこ とを説明している.加えて,立法過程に入ってきた道州制について,今日こそ,道州制研究が必要 であるとし,その意義を展開している.
第 2 章「東京一極集中の構造」では,ヒトもカネもモノも情報も企業も,その他あらゆるものが,
東京に一極集中してくる.そのメカニズムを理論的に述べるとともに,東京の現在の状況を具体的 な実例,数字を挙げて論じている.その一方で,地方は,衰退の一途を辿っている点も問題視して いる.こうした東京と地方の跛行的状況を論じ,その拠ってくるところの原因が,国のかたち,す なわち「中央集権体制=官僚体制」にあるとする.とにかく,わが国は,早急に,地方分散,地方 分権策を講じないと,東京だけが肥大化し,まもなく立ち行かなくなってしまう.そうした一極集 中への警鐘を鳴らし論じている.
第 3 章「中央集権システムとその限界」では,中央集権システムと地方分権システムの理論的な 解説をし,日本の統治構造を説明する 2 つの代表的な学説(神野,西尾説),すなわち集権分散型 システムと集権融合型システムを論じている.中央集権システムは,すべてが中央=国の支配下に あり,いわば,縦の関係である.その中央集権システムのもとでは国が地方を統治しながら,許容 範囲内で,地方の自治を認めるというものだが,日本の現在は地方の活動量が多いゆえに集権分散 型といえると神野モデルを解説.一方,国に意思決定権限が集中している点では中央集権だが,一 定の地方自治を認め,なおかつ個別事業ごとに国と地方が関わる形で事務事業が成り立っている形
を集権融合型システムと呼ぶ,西尾モデルについても詳しく解説している.
地方分権システムとは,それぞれの地方が主権の一部と独自の憲法を保持し,いわば,中央=国 とは,ほとんど横の関係である.すなわち,中央の支配は極力廃し,地方が独自性を持って行政を 行なっていくということである.筆者は,これからの日本は,分権と事務事業の分担を国,地方と も明確にした分離の体制が望ましいとし,分権・分離型国家を目指すべきと考えると論理を展開.
集権システムのもとでは,いかなるシステムも縦型の関係,中央集権体制=官僚体制から脱却でき ず,その弊害によって日本は衰退すること必定であり,ここは思い切って,分離・分散型システム の「地域主権型道州制」に国のかたちを移行させなければ,国民のやる気,地方の自助努力,気概 は生まれず,日本は夕日の如く沈んで行くと述べている.官僚制の弊害,また財政破綻の危機,特 殊法人や過度の規制や保護政策によるコスト高など,中央集権体制の弊害の大きさも詳しく論じて いる.
第 4 章「財政面からみた中央統制システム」では,自治政策には,「自治の原則」と「平衡の原 則」のバランスをどうとるかが問題だとし,現在の中央集権体制=官僚制のもとでは「平衡の原則」
が優先され,なかなか「自治の原則」を貫徹することは難しい.もとより「自治の原則」を貫徹す れば,税源が偏在するため,各自治体でサービスに格差が生ずるだけでなく,国からの干渉も避け がたくなる.したがって,「平衡の原則」を,より重視するようになる.
しかし,「均衡は平等である」ということは言えない.都市と農村,北国と南国では,求められ るサービスが異なるにも拘らず,「均衡は平等なり」という先入観に捉われ,それぞれの地域,地 方の実情に合わないサービスが行なわれるようになる.官僚は,手間を考えると,多様な行政を嫌 う.従って,条件,環境が全く異なることを承知しながら,一本の法律で全国一律の統治を行なう.
かくして,国民の不満,法律不適合ゆえの地方の衰退現象が起こる.
日本の国家財政は,国も地方も危機の状況にある.国の歳入は 6,地方の歳出は 4.地方は,歳入 が 4,歳出が 6.そのねじれを国は地方へ補助金,交付金として分配している.そのねじれによって,
依存,甘え,脅迫など,さまざまな弊害が出てくる.また,社会保障,生活保護,各種補助が,財 政を膨張させている.勢い,国債,地方債の発行となり,将来世代へツケをまわすことになる.ま た,地方は,歳入の自治が欠落している.結果,自助努力も行わず国の財政,借金に頼る.国地方 のもたれ合い構造の中で,国債,地方債,借入金を合わせて,ついに 1000 兆円をこえた.
こうした国と地方の関係を根本から変革しなければ,21 世紀の日本はない.ここでは,交付金,
補助金等の問題点を論じ,また,地方自治体,地方議会の問題点も論じている.
第 5 章「地方分権」改革と限界では,地方分権の動向と現状を述べている.また,全国一律行政 の不公平さを論ずるとともに,規格大量生産の時代の終焉と多様な統治システムの必要性を説く.
現在の地方分権政策が,ゆっくりではあるが,進行していることは認めるが,それはどこまで行っ ても「国のかたち」を根本から変えて,21 世紀にふさわしい,また,グローバル化の時代に耐えう
る日本にすることにはならない.
地方分権改革では,事務は地方に移譲されるが,十分な権限移譲も税財源移譲も行なわれること が尐ない.財源の肝心なところは,霞が関の官僚に握られたままである.それでは,「平成の大合 併」に見られる不満と不安が増大するだけである.税財源も権限もその役割に見合って完全に道州・
基礎自治体に移譲されるべきと論ずる.地方分権という,外観だけの改革ではなく,いまの日本に 喫緊に必要な改革は,まさに根本から統治機構を変革すること,「中央集権体制=官僚体制」から
「地方分権体制=地域主権型道州制」へ,がらりと「国のかたち」を変えなければならない,と論じ ている.
第 6 章「道州制の背景と諸論点」では,道州制導入の背景についてまず述べる.とにかく中央集 権体制=官僚制が「体制疲労」を起こし,今日の超複雑・超高速の日本に適応不能になっている.
また現在の都道府県の広さは,北海道を除けば,狭すぎる行政範囲となっている.日本の国土面積 は,38 万平方キロ.米国の一州,モンタナ州とほぼ同面積である.その狭い国土を,さらに 47 に 細切れにして,それを単位に行政をしているのだから,時間的,空間的に狭すぎる.その狭すぎる 行政区域では,現代的問題,たとえば,環境問題,産業廃棄物処理問題,尐子化に伴う地方大学問 題,広域災害問題,広域消防問題,救急病院問題,広域犯罪問題など,解決することは不可能にな ってきた.
また,今日の中央集権体制=官僚体制は,官僚の個々の問題というよりも,その体制そのものが 無駄と堕落を生む温床と化している.なにごとも長く留まり続ければ,必ず,淀み,腐敗し,赤錆 び,機能不能となる.経済の活性化,地方自治体の活性化,国民の活性化のためにも,新しい統治 機構に転換しなければならない.
新しい統治機構,すなわち「地域主権型道州制」が実現すれば,道州や基礎自治体の租税権はど うなるのか,国会議員はどうなるのか,国家公務員はどうなるのか,地方交付金,補助金はどうな るのかなど,地域主権型道州制の骨格について,ここで詳しく論じている.
第 7 章「道州制と区割り,税財政」では,道州制の区割りについてまず述べる.区割りは最大の テーマであるとし,どのような区割りをすべきかについて,第 28 次地制調の提示した 9 道州案,PHP 総研の 12 道州案,さらに識者の 10 州+2 都市州(特別州)を紹介している.また,府県を割るこ とも含め,白紙から区割り案を策定すべきある点も強調している.いずれにしても,道州の人口は,
700 万人~1000 万人とし,基礎自治体の人口は,15 万~40 万人規模で,その数は衆議院議員の小選 挙区と同じ 300 とする.
もう一つの論点として税財政を論じている.国の財政をどうするかについて,二つの方法を例示 する.一つは,国費分担金.いわば,それぞれの道州が,「日本クラブ」のメンバー会員のように,
道州内総生産,域内 GDP の大きさに比例して,一定の参加費を,国に納める方法である.もう一つ は,あらかじめ,共同税として,直接,国が徴税する方法である.さらには,国と道州と基礎自治
体が,独立した税項目で国税,道州税,基礎自治体税として徴税する方法も考えられるなど,税財 政のあり方を論じている.
第 8 章「道州の統治システム」では,道州という新たな地方政府の骨格を述べている.道州制移 行の際は,各省やその出先機関,都道府県の組織の継承など,古いしがらみを残してはならない.
道州の組織は新設として,可能な限り理想的に設計されなければならないとする.道州の組織は,
二元代表制を採用し,議会と執行機関(長)は直接選挙とする.また,道州の役割,権限,業務の 量や質を十分精査したうえで,過大な組織にならないようにする.そのようなことを原則にして,
執行機関と議決機関がお互いに,ある種の緊張感を保ちつつ,チェック・アンド・バランスを働か せ,不正など税金の無駄遣いがないようにする.
道州議会と並んで,執行機関としての道州知事,及びそのスタッフとしての副知事,局長も構成 も重要となる.道州は,政策スタッフ制組織を有し,道州知事の補助機関と位置づける.そして,
できるだけ組織の簡素化,スリム化を図り,意思決定の迅速性を重視してフラットな統治システム にしなければならない.いずれにしても,優秀な人材の確保,人材の育成が道州・基礎自治体の統 治システムの形成に必要不可欠であると強調している.
第 9 章「道州制と大都市,市町村」では,道州と基礎自治体のあり方を論じている.現在,人口 50 万人以上の政令指定市 20,人口 30 万人以上の中核市 40,人口 20 万人以上の特例市 42.合計す ると約 3000 万人,全人口の 33%になる.しかし,これらの都市も徐々に人口減尐によって,衰退 しはじめる.都市もまた,地方ではいたるところ,シャッター通りが見られ,活気を失っている.
まして,道府県の衰退は,それ以上に激しい.その場合,都市を含め,市町村を,また,道府県を,
どうしていけばいいのか.もはや,その対応は,現在の統治機構,中央集権体制では対応できなく なってきている.
一方,人口流入を続け膨張する東京は,逆の意味で大きな問題を抱え込む.このまま続けば,東 京都は人口流入で,さまざまな難問が出てくる.首都直下型地震のときにどうするのか,老朽化す るインフラをどうするのか,過密化する人口による社会不安,犯罪の多発等々,膨大で複雑な巨大 都市の病巣に,的確に対応する行財政が可能か,高い政策能力を有しているか.こうした,都市の 膨張と衰退,市町村の疲弊,その逆に異常に膨張する東京の危険性の増大.これらのことを考える と,いま,わが国は,国のかたちを,もう一度,白紙からの発想をしなければならない時にある.
都市制度,市町村制度の再構築を求めている.
第 10 章「道州制と社会的,経済的効果」では,地域主権型道州制に移行した際の社会的,経済的 効果を幾つかの道州を例にシミュレーションしている.
中央集権体制における大増税,大借金という手法ではなく,道州制という新しい国のかたちによ って,お互いの道州が切磋琢磨し,善政競争をしてそれぞれの道州が,燃え上がり,全国が経済成 長することによって,国,道州,基礎自治体が十分な税収を確保するだけでなく,東京だけの繁栄
発展から,全国各地域の繁栄発展に,日本全体が活気づき,活性化する効果があると論じている.
すなわち,地域主権型道州制という国のかたちによって,①成長,安心,安全,そして活力ある 日本に生まれ変わることができる,②各道州が道州外,海外との直接貿易,観光客誘致を積極的に 行なうことができる,③イノベーションと税対策による産業の日本回帰と外資の参入の可能性がで てくる,④美しい国,道義道徳の再興,安心安全の回復を図ることができる,⑤自由な発想,自由 な行動,自由な成果が得られる社会へ転身できる,⑥個人が人間的才能を十分に発揮できる社会が うまれる,⑦楽しく,生甲斐のある生活ができる,⑧国際社会を舞台に活躍,貢献できる日本国民 に生まれ変わる,などが考えられる.
そうした可能性を,具体的に四国州,北海道,北陸信越州,東北州,沖縄州,東京特別州を仮想 して論じている.
第 11 章「道州制の立法過程-現在と道州制批判への反論」では,道州制に関する立法過程の動き を紹介したうえで,道州制批判への反論を中心にその意義を改めて説いている.
幾度も提案され議論されてきた道州制だが,ここに来て,具体的に政治の俎上にのせられるよう になってきた.与党の自民党も,公明党も,そして野党のみんなの党も,日本維新の会も,その政 策公約に道州制を掲げるだけでなく,第二次安倍内閣は,総務大臣に道州制担当を兼務させた.総 務大臣も大臣就任の記者会見で,道州制に取り組む意気込みを語った.果たせるかな,自民党は党 内に道州制推進委員会を立ち上げた.
これに遡ること一年半ほど前の,平成 24 年(2012)3 月 29 日に,みんなの党は,「道州制への 移行のための基本法案」を国会に提出.平成 25 年(2013)6 月には,みんなの党と日本維新の会が
「道州制移行のための基本法案」を共同提出している.
自公は,いまだ国会には提出していないが,共同で「道州制基本法案骨子案」をまとめ,内々に
「道州制基本法案」を纏め上げている.いままさに「道州制」は立法過程のなかで,立法化すべきと きに来ていると言える.
その状況を記述するとともに,400 回を超える講演の際,質疑応答では賛意もあれば,批判,反 対もあった.その批判,反対の意見にすべて答えて論じ,時に論争をしてきた.ここでは,全国町 村会の道州制の関する冊子「道州制の何が問題か」を全文掲載するとともに,含めて,その講演後 の質疑応答のなかで,繰り返される批判,雑誌論文等での反対意見に対し,筆者の反論を記述し,
「地域主権型道州制」の必要性,重要性を論じている.
終章では,本論文のまとめとして,筆者が本論文で主張してきた 4 つの柱について改めて記述し 評価を加えている.また道州制には課題も多い.基礎自治体のあるべき姿や国の省庁体制など研究 上遅れている領域があること,また道州制実現には社会的に,また政治的にも多くの乗り越えるべ き課題が山積していること,また強い政治的リーダーシップをもった内閣の存在が不可欠なことを 展望したうえで,筆者は今後とも研究上でも,立法過程上でも可能な限り,道州制に関する役割を
果たしていきたい旨を述べている.
4.本論文の評価と課題
以上の章立てからしてわかるように,本論文は,筆者(江口)の道州制研究の集大成としての学 術論文である.とくに学術的に価値の高い点は大きく 3 つの点にある.
第 1 に中央集権型道州制でもなく,連邦型道州制でもなく,第 3 の「地域主権型道州制」の概念 を初めて確立した点である.地域主権という概念も,地域主権型道州制という概念も,現在では政 界,経済界,官界で多く使われており,今や道州制の主流になっている.この功績は高く評価され る.
第 2 に,道州制について初めて学位論文としてまとめたという点である.日本には古くからで道 州制について様々な提案が報告書,提言,答申といった形態で多数存在するが,これまで学術的に 博士学位論文としてまとめたものはない.その点,江口論文はわが国で初めて道州制を学術的に体 系化し整理した論文である.しかも,地域主権型道州制として日本の新たな次世代の「国のかたち」
を構想した優れた研究業績であると言えよう.
第 3 に,経済学的な寄与についてだが,統治機構のあり方を経済学的な視点から初めて取り上げ 論じている点である.本論文は,公共部門の経済学(公共経済学)の視点から道州制問題を取り上 げ,公共部門にある意味で疑似的市場メカニズムが働くよう地域間競争の原理を入れ,道州政府間 の政策競争,各道州広域圏の圏域間競争が起こるよう,仕組みを変えることを論じている.そこで,
水平的な競争関係を生み出す統治システムへの転換を「地域主権」という概念を打ち建て,国民生活 を豊かにし,地域経済の活性化により日本全体を豊かさにする切り札として「地域主権型道州制」
を提唱し,その意義と設計の意図を論証してきている点は,従来の公共経済学でも見られない研究 である.
その意味するところは,中央集権体制を解体し,内政に関する権限,財源を国から地方へ移し,
地域圏の統治権を確立することで,各圏域が自立的な政策主体として活動する地域主権型国家に代 えることである.これは経済学的な観点でいう競争型の資源配分という点から極めて重要なことで ある.130 年余も経つのに地域割が不変となっている 47 都道府県体制に代わる,約 10 の区域割に 統合し,そこの道州政府に権限,財源,人間の 3 ゲンを与え地域主権型道州制へ移行することが急 務であると述べている.
その点,本研究は単なる地域経済の研究でもなく,公共部門の簡素合理化の研究でもなく,国家 の統治システムを公共部門のあり方のパラダイム転換として取り上げ理論化している点で極めて特 色ある研究と言えよう.
戦後,社会資本の整備に力を注いできた日本である.結果,高速道,新幹線,ジェット空港網な
どハードインフラはよく整備されているが,そのハードインフラを使うもう1つの血流に当たる統 治システムが国家を頂点に都道府県,市町村というタテ型の垂直的統治システムに組み込まれたま まで,全く有効に機能していない.むしろストロー効果が働き,本来想定した職住近接型の分散型 国土の形成に全く寄与していない.そこで今度は集権型のソフトインフラを地域主権型ソフトイン フラに大胆に組み替えることで,従来のハードインフラが地域広域圏の中で有効活用されるように なり,さらに地域に眠る資源を活性化させ,閉塞化した血流の流れを好循環させ,日本型の新たな 成長戦略をめざそうということになる.経済社会の改革の方向性を示す点でも経済学として高く評 価されてよかろう.
繰り返すが,本論文の価値は,第 1 に「地域主権」という用語を生み出したこと,第 2 に「財政 再建」を主な理由とせず,自由競争の原理を公共部門に入れる経済学的な視点に立った地域主権型 道州制を理論化したこと,第 3 に「補完性の原理」を前提としつつ,「国の役割」を明確に 16 項目 に限定し,税財源の移譲を含め,広域行政,住民行政については,道州,基礎自治体に完全委譲す る,地域主権の考え方を徹底していること,第 4 に道州の区割りについても多くが都道府県の合併 を前提にしているのに対し,本論文は地域の声によっては都道府県の枠を外し,新たな道州制の区 割りをすべきだと柔軟性を持って論じていること,などである.
ともかく,いま世の中では,「地域主権型道州制」という用語が当たり前のように使われている.
しかし,まだ学術用語として「地域主権」にせよ,「地域主権型道州制」にせよ,認知されている とは思われない.本論文を機に「地域主権」「地域主権型道州制」が専門書の辞書にも学術用語と して使われるようになるよう,希望したい.
このように優れた研究成果をもつ本論文であるが,本論文にも幾つかの課題,問題点がある.さ らに筆者が主張する道州制が実現するまでにも越えるべき課題は山積している.
まず第 1 は,本文の中で市町村とは言わず「基礎自治体」という表現を使っているが,それは現 行の市町村と違うという意味かどうか明確ではない.国家行政の 5 割近くを担える基礎自治体とい うのは,どのような体制であるべきか,絞り切れていないように見える.今後,この基礎自治体の 具体的イメージを構築しなければならないということである.
ただ,基礎自治体に行政の重心を移していく場合,住民に今までと比較して,どれほどのメリッ トが生まれるか,具体的に明示しなければ国民的支持を得られるとは考えにくい.全国町村会など が反対しているのもこの点を問題視している.道州制移行の際の基礎自治体のあり方について,幾 通りものシミュレ-ションを行うことが研究上の課題となる.
第 2 は,道州及び基礎自治体の職員のレベルアップの方法と自主性の発揮できる組織風土の醸成 を具体的に考えるべきである.これまでの中央集権体制に組み込まれ慣れ親しんできた自治体職員 は,困った時は国に照会し,補助金等財政保障を求める陳情・請願を繰り返す傾向にあった.事実,
そうしなければ,事業官庁としての役割を果たすことができなかった.
しかし,今後,地域主権型道州制の下では,道州はもとより基礎自治体も地方政府としての自立 性が求められる.かりに枠組みとして地域主権型の体制ができても,内部で働く職員が変わらなけ れば,器作って魂入らずになってしまう.政策能力の高い,政策官庁としての道州及び基礎自治体 が出来ていかなければならない.自立性の高い,ハイレベルの地方政府職員,その人材育成は道州 制移行の大きな課題になると言わざるを得ない.
第 3 は,国のキャリア公務員をはじめ,霞が関で働いてきた多くの官僚の道州ないし基礎自治体 への異動をいかにしてスムーズに実現するかという点である.
キャリア,ノンキャリアを問わず,国家公務員として採用された職員(現在 65 万人)は,国の機関 で働くことを前提に公務員に採用されている.その彼ら(彼女ら)を新たな統治機構の枠組みに乗 じて,道州ないし主な基礎自治体(政令指定都市など)に大幅に異動することを余儀なくされる.こ れ自体,大きな抵抗勢力として異動を拒否する可能性があるかもしれない.道州へなぜ異動しなけ ればならないか,その方が特に内政に関わる省庁職員はより力を発揮できるとの動機付けをしなけ ればならない.国家公務員,地方公務員という 2 分論に対し,道州職員という第 3 の公務員概念を 構築することも研究課題となろう.
また第 4 に,道州間格差の是正に関し,特に財政調整のルールの具体例を検討すべきである.国 が道州間の財政調整を行う垂直的財政調整より,道州間の水平的財政調整が望ましいと本論文で述 べているが,旧西ドイツなどのような水平的財政調整の経験を持たない日本に果たして水平的財政 調整が出来るのか.大都市と地方都市,農村都市を抱えるそれぞれの道州間で自主調整が出来るの か.いずれにせよ,国土の不均衡発展してきたわが国の現状からして,財政調整は不可欠である.
ナショナルミニマムの保障などをどうするか,それに関わる財政調整をどこまで徹底するのか,そ れらを含め具体的な研究が必要である.
第 5 に,道州内の基礎自治体の規模を道州の任意にするのか,それともある程度の基準(ルール) を示すか,現実を踏まえた道州制移行のプロセスについても研究すべきである.
そのほか,実際に道州制を実現しようとする際の課題も山積している.幾つか例示すると,
① 道州内における基礎自治体間の格差是正のためどのような方法があるか
② 国と道州・基礎自治体に関連する垂直連携事業にどのように対応すべきか
③ 巨大な「東京都」ないし「東京圏」の扱いをどうするのか
④ 新たな役割分担にふさわしい税財政制度はどのようなものか
⑤ 国民的合意の形成,そしてそれを実現できる強い政治体制をどうつくるか
⑥ 国の借金をどう処理するか,国有財産をどう処理するか
などである.いずれこれは実現に向けた研究上の課題ともなる.
とはいえ,21 世紀の日本を真の民主主義の国とし,国民の身近なところで政治行政が営まれる地 域主権型国家への転換が求められる.いろいろ議論はあろうが,旧体制ともいえる 47 都道府県制度 に代わる 10 州程度の道州に変え,内政の拠点にしていくというのも有効な選択肢となろう.
筆者には,今後も道州制研究を続け,このような課題を解決する方向性を見出し,立法過程とい う実践の場を通じて実現すべく努力するよう,期待したい.
本論文は,このようにテーマが広く大きな国のあり方を論ずることだけに,多くの難問,課題,
問題点を残している.
とはいえ,道州制を初めて学術論文としてまとめ,しかも経済学に斬新な知見もたらした高い水 準の業績であり,博士学位論文としては十分な水準に達している.
以上の評価に基づき,審査委員は全員一致で,本論文が中央大学博士(経済学)の学位授与に値 すると判定する.