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近 現 代 中 国 の 土 地 制 度 改 革

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(1)

近 現 代 中 国 の 土 地 制 度 改 革

Agrarian refornl in Modern China

吉 田 法 一

Kolchi YosHIDA

(平 成 7年

10月

2日 受理 )

本稿 は 1995年 8月 7日 か ら 10日 にか けて北京で開催 された「 東 ア ジア経済近代化学術座談会」

に提 出 した報告「近現代中国の農業問題 と土地改革………中国近現代農業の小商品生産段 階説 につ いて」 と、その後 の筆者 の若干 の補充、訂正 を合 わせた ものである。座談会の報告 を第一 部 と し、補充部分 を第二部 とす る。内容 の上 で少 し重複す るところや矛盾す るところが あ るが 勘弁 されたい。なお第一部 は日頭 での報告 の便宜 も意図 していたため注の付 け方が不統一であっ た。本稿 で は注 の付 け方を第二部 にそろえ、注 の内容 について一部修正、付加、省 略 した。 し か し本文 につ いて は明 らかな誤植 を除 いて訂正 していない。読 みに くい文章 をあわせて了承 さ れ たい。

第一部 は じめに

近現代 中国農民が農奴 なのか小 ブル ジョヮなのかそれ とも半 プ ロレタ リアなのか とい う階級 的本質規定 をめ ぐる論争 やその経営 の性格が 自給的か商業的かをめ ぐって、また零細 な経 営規 模 が生産 の栓桔 とな って いるか否か とい う見解 の対立が現 れた時 は、同時 に中国社会 がその進 路 をめ ぐって重大 な岐路 に立 って いるときであ った。 この論争 は大 き く言 って三度 あ った。第 一 回 目は 1920年 代後半か ら 1940年 代 にいたる中国革命 の路線 をめ ぐる論争、新民主主義革命論、

土地革命 の階級路線 の形成期 である。第二回 日は 1950年 代前半 の社会主義への移行期 にお け る

「過渡期 の総路線」をめ ぐる論争 の一環 を構成 した、「個体経済」す なわ ち農民経 営 の現状把 握 に関す るものであ る。そ して第二回 日は 1980年 代 に始 まる人民公社 の解体 によ って復 活 した 小経営、「家庭聯産承包責任制」下 の家族農業 の動向に関す るものであ る。あえて言 えば第一 回 目の論争 は土地改革 に対す る敵 と味方の判別 をす るための農民層内部の階級区分がその焦点 であ り、第二 回 日は中農化 した農村 における農民経営の小商品生産段階の有無がその焦点 で あ り、第二 回 目は零細 0分 0錯 圃制 と農村工業化 のなかでの小経営農業生産力 の発展方向が そ の焦点 であ る。小経営をめ ぐる焦点 が、階級→所有→生産力 と移動 して きた歴史 ともいえ るの であ る。

本報告 は、 この三つの段階 において小農民・ 小経営が どのよ うに認識 されて いたかにつ いて

の初歩的な整理 の試 みである°。

(2)

I  農業 にお

.け

る小経営、単純小商品生産 、近代 的小商品生産 につ いての若干の説 明 ②

(1)小 経営生産様式 ………「 労働過程 の側面 が小規模生産、社 会 的側面 (生 産 関係 の側面 )

が 自分 の労働 に もとづ く私有 である。」0

9)単 純 小商品生産 ………「 小商品生産 とは小経営が商品生産化 した ものであ り、一 般 的 に は単純商品経済、 W一 G一 Wで ある。………たんな る余剰販売 だけでな く、交換 を 目的 と して いる場合 も多 い。 しか しその商品生産 の目的 は生活や生産 に必要 な物資の獲得、使用価 値 の獲 得 であ る。 」 °

(0  近代 的小商品生産 ………「 小商品生産 が剰余価値を 目的 とす るよ うになった場合、形 式 的 には G一 W一 G'  となる。つ ま り直接的生産過程 は小経営であるが、剰余価値生産 とい う点 で は資本主義 と同 じ性格 を もつ よ うになる。 これを近代的小商品生産 と規定 しよ う。近 代 的小 商品生産 は、単純小商品生産が流通過程 をつ う じて資本主義 に結 びつ け られ た場 合 に成立 す る」

0、

「 小経営 であ るか ぎり、生活維持 が基本的欲求であるか ら剰余価値生産の性格 は副次的 0 部分的であ り、小経営全体 として は自給的部分、単純小商品生産が優勢 であるのが一般 的 で あ

る。」

lel

Ⅱ   中国土地改革 にお ける「 階級路線 (区 分 )」 と、農村 における商品経済の発展 との関係 に つ いて

(1)現 代 中国の土地改革 において、その対象であった地主制 の封建的性質を否定 し、代 わ り に前近代的中間的地主制 を設定 した場合 に土地改革史 はどのよ うに考 え られ るのか。 この よ う な視点 か らの初歩的 な考察を、報告者 は「近現代 中国 の土地変革」 で初 歩 的 に試 み たので

0、

この シンポ ジウムで は土地改革 に決起 した側 の農民 につ いての再検討 を行 いたい。 この場合 の 視点 は小経営生産様式 の世界市場への包摂 に関す る、中村氏の上記 Iで ある。

(2)土 地改革 における「 階級区分」につ いて

董志凱氏 は「 関干我 国土地闘争中的劃階級問題」のなかで、「 回顧歴史、在二十 余年 的土地 闘争中、農村階級劃分標準演変的総趨勢是由政治、経済、歴史等多元標準 向以剥削関係為主 的 一元標準転化、由篭絡地考察有無剥削発展到具体地分析剥削的時間、性質和数量。這 個演変 導 致土地 改革 中分清了敵我友、縮小了打撃面。 」 °と述べている。最近相次 いで出版 されて いる中 国土地改革史 の著作 において もこの見方 は共通 して いるよ うであ る。

地主、富農、中農、貧農、雇農 とい う階級区分 が直接 には レーニ ンの「 農民層 分 解論 」 に依 拠 して いることはあ きらかであるが、 この農民層 の両極分解論 は農業 における資本主義的生 産 関係 が、 ブル ジョワジーとプ ロレタ リアー トの形成が過大 に評価 されやす い傾向を持 って い る と思われ る。 この過大評価 とは、二つの点 に表 れている。一つ は、 レーニ ン自身 に よ って『 社 会民主党 の農業綱領』 0で 述べ られているところの発展 の「 方向」 と「 時期」に関 してである。

二つ は、本来農業 における資本主義 の発展 は農民層 の両極分解をお し進 め るはず なのに、半 殖民地半封建中国において は帝国主義 と封建地主 の二重 の収奪 によって両極分解 が歪 曲 され、

農業 ブル ジ ョワジーの形成が阻止 され るため、農村 では大量 の半 プ ロンタ リアー トが蓄積 され る、とす る「 中国農村派」以来 の階級分析 についてである。そ こでは例えば「 農村人 口の七 〇 パ ーセ ン トが貧農 と雇農であった。土地所有 の状況 についていえば、農村人 口の一〇パ ーセ ン

トに も満 たない地主 と富農 が土地 の約七〇〜八〇パ ーセ ン トを しめて いた。それに反 して、農

村人 口の九〇パ ーセ ン トを しめる貧農、雇農、中農 その他 の勤労人民 は合計二〇〜三〇パ ーセ

(3)

ン ト程度の土地をもつにすぎなかった。」⑩あるいは中農は戸数で20%、 所有土地で 15〜 20%に

す ぎないという数値が、「本来 100%を 占めていた中農が分解 の結果わずか に 20%弱 とな って しまった」 と、暗黙のうちに評価 されていたのではなかろうか。これが近代における農民層分 解の結果であるとすれば、分解 は基本的には完了 したこととなり、中国農村 はすでに根底か ら 近代的変革を被 ってお り、貧雇農 は十三分に近代的プロレタリアー トの資質を持つ階級である

こととなる。

しか し、中国の貧雇農たちは、現実の土地革命では農民 として、小経営者 として、小土地所 有者 として行動 した。この理由をロシアの場合のように封建的土地所有の強固な残存に求 める ことは、中国地主制の非封建的 0中 間的地主制説に従 う本報告の立場では、できない。小経営 生産様式論の立場か らは、事態 は逆 に近代的小商品生産への転化 0中 農化にいたる過程がなお 初歩的に進行 し始めた段階 としてみることができよう

m。

̲つ めが方向は正 しいが時期が間違っ ているとすれば、二つめは方向が間違 っている、といえよう。中国土地革命において特徴的で あった「平分土地」という農民の自然発生的要求の中に中国の貧雇農の階級的本質―前小 ブル ジョワ的・ 小 ブルジョヮ的性格を発見することができる。すなわち彼 らは「封建」地主と 日日」

富農の土地・ 財産を没収するだけでな く、富裕中農のそれ らを も含む農村の富者一般の財産 を 没収、平等分配の対象 とす ることを要求 したのである。「財産は罪行の産物だという通念………

が貧 しい農民には特に根強か った」 ・ ことは、彼 らが小所有者で はあるが、小 ブル ジョヮ以前 の性格 もなお保持 していたことを示 している。中華人民共和国が成立 して以後の 1950年 の土地 改革法では貧農団の組織化が否定 されたのはうなずけることである。

なお、土地改革の階級区分において多元的基準か ら剥削関係 という一元的基準への発展がみ られたとす る点 については、再考すべき問題であろう。 1950年 の「農村の階級構成要素 の区分 に関す る政務院の決定」は「土地改革法」の実施細則 にあたるものであ り、具体的で適切 な

「政務院補充決定」が追加 されている。 しか し、 1933年 の「土地闘争 における若干 の問題 に関 す る決定」以来の階級基準が継承 されており、この決定 は地主 と富農の規定を剥削関係 に、す なわち地主 は「封建的地代」の剥削に、富農 は賃労働の剥削にのみ もとめてはいない。 141富 農 と地主 との区別の実際の基準 は自ら農耕労働 に従事す るか否か とい う点 に求め られている。

「富農 自己労働 ;地主 自己不労働、或只有付帯労働。故労働是区別富農興地主的主要標準。」的そ れ故明 らかに賃労働を搾取す る典型的な富農が逆に地主 (封 建的地主 )に 判定されるのである。

「 因此対於那種只雇長工耕種、没有他地租債利等剥削、自己負指揮生産之責、但不親身従事主 要労働者、働照地主待遇。 」 m lplつ いで家族人口あた りの収入額すなわち生活 レベルとい う消 費基準が採用 されている。例えば、地主 と富農の区分では、「在特別情形下、須有不同的処置。

………是大而家中有人参加生産者。例如有人剥削地租債利的数量復大、如収租百担以上、或放 債大洋千元以上、而家中人口不多、消費不大、則雖這家有人毎年従事四個月以上的主要労働、

働是地主、不是富農。但如人口甚多、消費甚大、則雖有百担租或千元債、只要有人従事主要労 働、則応照富農待遇。 」∞また、富農 と中農 との区分において も、「凡経常雇請両個長工、或有 其他剥削、其剥削分量的総和相当於雇請両個長工以上者、一般可以算為富農。但家庭消費人口 多、生活並不富裕者、例不応算為富農」

m。

土地改革の階級区分では、剥削の種類 (生 産関係 )

以外 に、労働の有無 という勤労原理 と生活水準 という消費原理が貫徹 していたのである。 これ

は農村における経済関係が「封建的」土地所有制 と資本主義的商品経済に純化 していなか うた

こと、すなわち農民層分解がなお弱体であったことの現れであり、その農民の意識への反映な

(4)

のであ る。そ して この ことは近現代中国 における資本 による農業の包摂 、小経営 の近代 的小商 品生産への転換 の具体的内容 につ いての一層 の分析 を迫 るものである。ただ、中国共産 党 が 19 20年 代以来 の土地改革 において、 この問題 を実践的 にあるいは経験 的 に解決 して いた ことは、

高 く評価 され るべ きであろ う。土地改革 の実際の経験 とその 1949年 以後 の理論化 との間 に食 い 違 いが生 じた と思われ るのである。大胆 に言 えば、 この相違 の理論的原因 は レー ニ ンの『 ロシ アにお ける資本主義 の発展』における両極分解論 の導入であ り、現実的土台 は 1950年 代 の社 会 主義への急速な移行 が、農民 の とりわけ下層農民 の「 革命性」を求 めた ことにあろ う。

Ⅲ  50年 代前半の「 過渡期の経済法則」論争 と小商品生産

(1)1949年 か ら 1952年 の「国民経済回復期」 と、 1953年 に始 まる第一 次五 ケ年計 画期 の期 間

:こ

、 とりわけ 1953年 か ら 56年 にか けて、 この間の多様 な ウク ラー ド (国 営経済 、合作社 経済 、 農民 と手工業者 の「 個体経済」、私的資本主義経済、国家資本主義 )の 相互 の関連 と発展方 向 を どうみ るかにつ いて、自熱 した論争がたたかわれた。 この論争 の歴史的意義 は 1949年 の人民 政協 の「協 同綱領」に由来す る「 新民主主義経済」的合意 を、 1953年 末 に突如 開始 され た「 社 会主義への過渡期 の総路線」に転轍す ることにあ った と思 われ る。

「協同綱領」の第二条 には「 有歩瞭地将封建半封建的土地所有制 改変為農民 的土地 所有 制 、 保護 国家的公共財産和合作社的財産、保護工人、農民、小資産階級和民族資産階級的経済利 益 及其私有財産、発展新民主主義的人民経済 、穏 歩地変農業 国為工 業 国」 mと 述 べ られてお り、

多 ウクラー ド的工業化 の展望 が示 されていた。 この見通 しの もとで は、当然農業 におけ る小農 民経営 も長期 に存続す るもの とみなされた

0。

少 な くとも農業集 団化 は工 業化 の後 にな るはず で あ った。 しか し、「過渡期 の総路線」は資本主義 と社会主義 との対立 による急速 な社 会主義 への移行をめざ していた。新民主主義 とい う時代規定 は、社会主義 へ の過渡期 と変更 され た。

新民主主義経済 は独 自の経済法則 を もたず、社会主義 が資本主義 に勝利す る間のみ続 く過 渡 的 な戦場 とされた。 この結果多 ウクラー ド的工業化 は社会主義的工業化 にかわ り、農業集 団化 は 工業化 に先行 し、機械化無 しでの集団化 がめざされ ることとな ったのである。

土地改革 によって中農化 した農村 で は、農民層分解が不可避的に進行す る、 しか も徹 底 的 に 地主制 が消滅 させ られた農村 では もっとも急速 に資本主義が発展す るであろ う、農民 は資本 主 義 と社会主義 との十字路 に立 っているのだ とい う、「危機意識」が形成 された。再 び階級 闘争 によつて この危機 は克服 されねばな らなか った。中農 は上層 と下層 とに区分 され、また土地 改 革以前 の階級区分 によ って新 旧中農 に再分割 されたのである。貧農 と新 中農 の うちの下層 中農

と旧中農 の うちの下層中農 とが集団化 の主体 とされたのである。

υ )こ の論争 の一方の旗手 は工学文氏である。その小経営 に関す る論点 はほぼ二つ に集約 さ れ よ う。第一 は小経営すなわち「個体経済」に独 自の経済法則 を認 めることであ る。 この法 則 とは「 用初歩提高生産技術的弁法、努力発展生産改進、来供給 自己興市場増長的物質 的和 文化 的需要」であ る。なお同様 な立場 を とる魯南氏 は「在落後的技 術基礎上 、用 自己労働 的弁 法 、 保証満足 自己生活的需要。這個法則決定了個体経済発展的基本特徴。 」 mと して、生産 の 目的 か

ら市場 を削除 しているが、 これ は単純小商品の定義 として は妥 当だが、近代的小商品生 産 の特 徴 に関 して は王氏 の規定 の方 が正 しいであろ う。

第二 は 50年 代前半期 の中国農民 に小商品生産者 とい う規定を与え るか ど うか、 とい う発展 段

階 に関す る点 である。

(5)

小農経済 は小商品経済 と自給生産 とか ら構成 されてお り、理論的部面 で は、価値法則 は小商 品経済部分 にのみ貫徹 してお り、自給 自足部分 にたい して影響 を与 えて はい るが支配す る こと はで きないか ら、小農経済 の経済法則 を価値法則 と規定す ることはで きない。また実際上でも、

土地改革以後 中農化 した農民生活 で は、食料 の消費が増加 して余剰食糧 の販売 は減少 し、商 品 化率 は低下 した。 1954年 の糧食 の商品化率 は四分 の一 に達 しない。すなわち、50年 代前半 の中 国農業 は「 分散 した一種 の半 自給経済」である。

)

(3)多 くの批判者 たちは全面的 に王氏 の見解 を否定 した。その主張の核心 は当該時期 の個体 経済 は小商品経済 であ り、小商品経済 の経済法則 は価値法則 である、価値法則 は資本主義 に も 共通す る商品経済 の一般法則 であ って、それゆえ小商品経済 は独 自の経済法則を もたず、資本 主義 や社会主義 のよ うに独立 に存在で きる生産様式 で はない、 とす るものであ った。 ここで は 最 も総合的 な批判 を行 っている関夢覚氏 の主張を紹介す る。

まず小商品経済 の定義 につ いて王氏 を批判す る。自然経済 と小商品経済 とい う「這両個範 疇 並不適合於用来 区分 同一 的農民小商品経済 中的商品生産部分与 自己消費 的部分 。我個只能説 、 小商品生産者農民、其生産和産品可以区分為供 出売的部分和 自己消費的部分、即区分為商 品 的 部分和 自給 的部分、而並不能像王学文同志那様、認為在同一的小農経 済 中既 包含着 商 品経 済 、 又包含着 自然経済。 」 @)つ いで、 この販売部分 と自己消費部分の単 なる大小によって小農経済 が

自然経済 か商品経済 かを決定す るのは、「機械的、形式的看法」である。過渡期 の中国 で は自 給 的生産 が商品生産 に従属 してお り、商品生産 の比率 は小 さいけれ ども小農経済 の生産 と生 活 に大 きな、決定的 な影響 を与 えている。「 小農経済中的商品部分和 自給部分的矛盾統一 中、商 品生産是矛盾的主要方面 、発展的方面」であるがゆえに、それ は小商品生産 である、 と規定 す

ることがで きる。

つ いで、小農経済を「半 自給 自足的生産 とか 自然経済 よ り小商品経済への過渡的形式」 と規 定す ることの実践的意味 につ いて以下 のよ うに批判 して いる。それは第一 に農民 の階級分化 を 軽視 し、農民 の とりわ け富裕中農 の「 自発的資本主義傾 向」を軽視す るものであ り、第二 に労 農 同盟 (工 農聯盟 )に 疑間を さ しはさむ ものである。すなわち、工農聯盟 は「 城市和郷村之 間 的商業結合和生産結合作為 自己的経済紐帯的」 と してお り、小商品経済を否定す ることは この 紐帯 を弱 め、農村 の都市か らの独立 が可能であ り、プ ロレタ リアー トの指導 が不必要 で あ る、

とい う誤 った考 え方を うみだす こととなる。結果 として王氏 は「不知不覚地忽視了我国過渡時 期工農聯盟 的反対資本主義、建設社会主義的性質」のである。

この点 につ いて は、孟氣氏 はもっと象徴的に表現 している。「我個不是一般地争論什座是個 体経済、而是争論我国過渡時期的個体経済到底是以 自然経済為其特徴形態、或者是以小商品経 済為其特徴形態的問題」かつま り社会主義 は自然経済 の上 には建設で きない ことは自明であり、

現在 が社会主義 への過渡期 であるな らば、小農経済 は小商品経済でなければならないのである。

この点 で王氏が合作社経済 の記述 について、論争 の発端 となった自己の最初 の文章が「 過渡期 の総路線」発表以前 に出 された ものであると釈明 しているのは、 この論争の現実的背景 を示唆

している。

4)。

関氏 は最後 に小商品経済 の経済法則 が価値法則 のみであ ることを再度確認 した後、 この価値 法則 は「 自発的」に小商品生産者 の両極分化を促進す るとともに、「 作為姑在十字路 口的経済、

………官同時還受社会主義的経済規律 (社 会主義基本経済規律和国民経済有計画的、按比例 的

発展規律 )和 資本主義的経済規律 (剰 余価値規律、競争和生産無政府状態的規律等 )的 双 重影

(6)

響」 6)。 資本主義 と小農経済 とは、その性質 が異 なるとはいえ、生産手段 の私有 制 とい う同 じ 基礎 の上 に立 ってお り、剰余価値法則 と価値法則 は「一脈相通 じてお り」、小農経済 は時時刻々 と資本主義 を生 み出 している、 と主張 している。なお、工学文氏への他 の批判者 の論 点 に多 く 共通 しているの は、農民 を労働者 と しての側面 と小所有者 との側面 とに三分割 し、前者 は社 会 主義への積極性、後者 を資本主義への自発性 と結 び付 けて、相互 に対立す るもの とす る発想 で あ る。生産物 の販売者 、経営者 と しての性格 はこの場合 には所有者的側面 に包含 されて理解 さ れて いる。た しかに土地改革後 の農民 は自己の経営地 の所有者 であ ったが、小経営 は他 人 の土 地 の上 で も、すなわち土地改革以前 の地主制 の下 で も成立 して いたのであ り、今 日にお いて も 成立 して いるのであ る。そ して この場合 は自己の独立 した労働 に由来す るものである。小経 営 の場合 には生産物 の取得、販売 とい う小商品生産者的側面 は所有で はな く独立労働 に由来 す る と考 え るべ きである。農民 は労働者 であるがゆえに小商品生産者 なのであ り、 もしも小経 営 が 自発的 に資本主義 に向か うもの とすれば、それ は第一 にかれの労働者的側面 に由来す るもので あ る。二重性論 は誤 りであろう。土地改革後 の農業 の発展 の原動力 は農民 自身 の生産へ の積 極 性 であ ったが、 この生産積極性 は個体経済的積極性 と互助合作的積極性 とに区分 され、 これ が 農民 (と くに中農 )の 自己が労働者であ りヽまた私有者 であるとい う二重性 の反映で あ る とす る理解 は、今 日で も例 えば許族新氏の 1982年 出版 の『 中国国民経済的変革』にお いて も引 き続 き維持 されている ° ° 。 しか し今 日か らみれば、合作への積極性 もまた自己の経営 の存 在 を前提 に した ものであ って、やは り個体経済的積極性 に含 まれ るものであ った。自己のため と と もに 同様 に他者 のために働 く人間類型 は、社会主義 も資本主義 もまだ この世 に作 りだ して はいな い のであ る。 この二重性 とい う発想 は農民の上層 ほど所有者的、資本主義的傾向が強 く下層 ほど 労働者 的、社会主義的傾向が強 い、 というよ うに農民層 を再 び階級区分す る根拠 となる とと も に、基本的 には中農化 した農村 のあ らゆる小経営 の内部 に、社会主義 と資本主義 との二 つ の道 の対立 を導入す る通路 の役割をはた したのである。「 個体経済」の経済法則を小商品生 産 、価 値法則一般 に還元す ることの問題点 は、それが濃厚 な 自給生 産部分 を捨 象 す るか らで はな く

(こ の際 には具体的な商品化 の程度、剰余労働 と必要労働の分割 の程度 を調 査す れ ば よ いので あ って、小商品生産 という定義 の次元 とは直接 には関係がない )、 「 供給 自己与市場増 長 的物 質的文化的需要」 とい う個体経済を「 個体」経済 た らしめ るもの、商品生産部分 と自給生 産部 分 とを結合 して一つの経営体 た らしめ るもの、自己と家族 の直接的再生産 とい う小経営 の本質 に対す る軽視 を もた らしたか らである°つ。農業小経営を「個体労働者 所有制 」 とよぶ ことは、

この軽視 の象徴的あ らわれである。そ して人民公社 の解体 によって小経営が全面的 に復活 した 90年 代で もなお農民 は「農業労働者階層」 とよばれ ることがあ るのであ る。

この論争 の批判者側 の もう一つの問題点 は農業小経営 の生産力 に関す る問題、「 用初歩提高

生産技術的弁法 、努力生産改進生産」につ いてであ る。王氏の批判者 たちが口を揃 えて この可

能性 を否定 したのは、今 日か らみて驚 くべ きことであ った。孟氣、蘇星、朱立基氏等 は小経 営

はその内部 に分業を含 まず、単純再生産 を行 うのみであ って、最終的 に貧困か ら抜 け出す こと

がで きない、ま して 日増 しに拡大す る社会の需要 に答 え ることはで きない、 とい う小経 営 の定

義 的観点 か らの批判 を展開 した。孫暁郵、粛鴻麟、曹錫光氏等 は「我国農業的社会主義 改造 的

若干政策的客観依拠 問題」において もう少 し現実的に事態を とらえて はいた。「 事実上 小農経

済在精耕細作、合理施肥等上面 、也還有潜力可以発掘 、也還能在一定程 度上提 高単 位面積 産

量」0)と 述 べて いたのであるが、 しか しまた他方 で、 53、 54年 の、回復期 に比較 した場合 の農

(7)

業成長率の「鈍化」はすでに小経営の成長の限界を示す ものだとしたのである。

「協同綱領」と富農経営を保存 した土地改革法の もとで十分に解放 されるはずであった小経 営生産力 はほぼ革命前の最高水準に到達 したとたんに、突如その未来を否定 されて しまったの である。この事情が小経営にたいする認識をゆがめた真の原因であった。

Ⅳ   家庭聯産承包責任制下の小経営

(1)土 地の村民集体所有制の特質について。 1986年 制定の「 中華人民共和国土地管理法」第 八条 は次のように述べている。

D。

「集体所有的土地依照法律属干村民集体所有、由村農業生産 合作社等農業集体経済組織或者村民委員会経営、管理。己経属干郷 (鎮 )農 民集体経済組織所 有的、可以属干郷 (鎮 )農 民集体所有。村農民集体所有的土地巳経分別属干村内両個以上農業 集体経済組織所有的、可以属干各該農業集体経済組織的農民集体所有。」

この条文の集体所有の範囲はたいそう曖昧であるが、多 くの土地 は村民集体所有であり、そ の経営 と管理 は村民委員会のもとにあろうと思われる。村民委員会は 1993年 で全国 に802352個 あ り、郷村戸数 は 22983.8万 戸、同人口は 91333.5万 人であり、自然村 を 365万 とす ると 00、 1村 民委員会 は 4.5個 の自然村、 286戸 、 1138人 で構成 されていることになる。

(・

)つ いでに 1自 然村 当たりでは 63戸 、 250人 となる。この村民委員会は「村民 による自治組織であ り、その首長 に 当たる主任 (村 長 )は 村民会議によって直接に選出されなければならず、また村民委員会 は村 民会議 に責任を負いなが ら、郷人民政府の業務遂行に協力することとされている。」「行政村 レベルにおいては、党支部、村民委員会および経済合作社が設置されている。そのうち、党支 部 は、政治組織の基礎単位 として以前か らもあり、………村民委員会は、以前の生産大隊か ら 変身 した ものだが、内部構造が殆 ど変わ ってお らず、………新 しい組織 と言えるものは村経済 連合社のみである。それは、生産大隊の経営管理機能に取 って代わって、村所有の集団企業の 直接的経営を遂行す ると同時に、農業機械、病虫害、潅漑管理等のサービス組織を管轄 し、そ れ らの組織活動を通 して個別農業経営や農家合作経済の経営管理に問接的に介入する。………

しか し実際には、この三つの組織は独自的に存在 し各々機能 しているわけではない。農民達が 三者の関係を「三塊牌子一個門、説了算的還是那個人」と言 っているように、」「党支部 は依 然 として中心的な位置を占めなが ら、村民委員会 と一体化 し、経済合作社 という管理組織を通

して、域内の村営企業および戸別経営の農業に対する統一的管理業務を担 って」いる。 @) しか し村経済連合社はすべての行政村内に設置 されているわけではない。「 70%前 後 の村

(小 組 )が 集団経済組織を設置 しているものの、そのうちの

80。

77%は 村民委員会 (小 )と 集 団経済組織が合体 したもの (「 政社合一」……… )だ という (… …… )。 おそ らく名 ばか りの 集団経済組織が多いのであろう。」

0め

。以上の厳善平及び小林弘二両氏の研究に したがえば、人 民公社の政社合― は制度的には、郷 レベルでは解体されたが、村 レベルでは、制度的に も実質 的にも解体 されていない、と考えて も誤 りはなかろう。

ところで、村民集体所有制の主体、所有者の範囲はどうなっているのであろうか。人民公社

時代には、三級所有制の もとで一番下部の生産隊が基本核算単位であり、土地所有の主体 は生

産隊であると日本ではみなされてきた。核算単位が土地所有単位であるとすると、 1979年 を例

としてとりあげれば、人民公社 は 53348、 人民公社核算 はその うち 54、 生産大隊 は 69。 9万 、生産

大隊核算 は 51767、 生産隊は

515。

4万 、生産隊核算 は 501.4万 である

0)。

農村の土地 はほぼ 500万 個

の生産隊に帰属 していたであろう。ところが政社分離後の村民委員会数 は 84、 85年 の90万 台を

(8)

経 てその後 い ったん 70万 前半 に減少 し、現在 はほぼ 80万 であ り、 もとの生産大隊が村 民委 員 会 によ こすべ りした ことは、 この数字 か らも明かである。 とす ると生産隊が解体 した とき、土 地 所有 はいったいどうなったのであろ うか。土地管理法では集体所有 の主体 は、農業集体経 済組 織 または村民委員会であ り、村 内に二つ以上 の農業集体経済組織があるばあいにはその各 々の 経済組織 である、 と定 めていた。さきの小林氏 によれば、 この集体経済組織 は、村単位が 51%、

村民小組 (旧 生産隊 に該 当 )が41%で ある。「集団経済組織 が置かれて いるのは、村 レベ ル と 小組 レベルがそれぞれ半 々 くらいであ る。土地 と資産 がどの単位 に帰属 しているかが、 どの レ ベルに置 くかを きめる主要な決 め手 になるとい う」① ことを考慮す ると、ざっとみて もとの生 産隊の半分 で は生産隊の所有地 が もとの生産大隊の レベルす なわち村 レベルに引 き上 げ られ た ことになろ う。 しか しさ らに村 の政社合一、党支部支配 の管理機構 を考 えれば、あ るい は実質 的 にはほとん どすべての土地 の所有単位が村 レベルに引 き上 げ られたので はなか ろ うか。人民 公社 の集団労働 か ら家族 ごとの分割労働への大転換 と、 30戸 規模 の小集団所有 か らほぼ 10倍 の 280戸 の村民委員会所有 への転換 が 1980年 代 の前半 に相次 いで起 こった こと、前者 が中国経 済 の躍進 を支 えた原動力 と して大 きな注 目を集 めているのに、後者がその実態 さえ よ くわか らな い こと、 この対照 は一見奇異 な印象 をあたえている。これ は中国小経営農業 の蘇生 には農民 の 独立 した労働、独立 した経営が不可欠 であるが、土地所有 はさ しあた り無視 しうることを実証 す るものであろ う。生産隊が解体、動揺 した ことは土地 の集団所有制 の解体 の危機 を も意 味 し て いた。 この危機 に際 して、共産党組織の存在す る行政村が集団所有単位 として登場 した こと が、中国社会主義 を ソ連邦 の道 か ら救 った もの と思われ る。

「 人民公社 の所有制 は、生産隊を基礎 とす る三級所有制、すなわち生産隊、生産大 隊 、人民 公社 がそれぞれ土地 をは じめ とす る共有財産を所有す るもの とされて いる。ところが土地 (そ れに社隊企業 も )を どの レベルで所有す るか とい う点 につ いて は終始 あいまいなままで実際 に

も一定 して いなか った。 と くに集団農業 の解体後生産隊が瓦解 したところで は、土地 の所有 権 が生産隊か ら大隊 に移 って しまった ところがある。集団所有 は名 ばか りで、実態 は隠蔽 され た 土地国有 で はないのか。あ る論者 はそ う指摘 して いる。だ とすれば農民 に土地 を管理す る自主 権 がないの も不思議 で はない。 」 00

所有主体 と地縁的行政単位 が一体であること、個 々の農民 の分割所有権 を認 めない形式 の共 有 、 これ は戸籍制度 とあいまって、個 々の農民 が生 まれなが らに してある特定 の土地 に結合 し て いることを しめ している。これは将来生 まれて くる人間、結婚 などを機 に村 に入 って くる人 間 に対 して、個 々の家族内の請負地 で処理す るので はな く、村全体 の土地 を改 めて再分配 す る

とい う点 に もあ らわれて いる。 253村 の調査 では、承包地 の調整 を行 った村 が 65。 2%、 調整 した 村 の うち人 口変化 を原因の首位 と したのが70‑80%で ある。 つ土地の承包期 間を 15年 0)以 上 と す る ことと、人 口変化 に応 じてたえず承包地 の調整を行 うこととを両立す るのは困難であろう。

農村人 口の増加 につれて承包地 の零細化が さ らに一層進行す る可能性 が強 いと思 われ る。 この

よ うな個 々の農民 に とって持 ち分権 の不明瞭な共同所有制 は、人民公社 0生 産隊 の解体 に さい

して土地 を いったん農民 に返却 したあ とで、あ らためて共 同化 したので はな く、農民 に は単 に

承包地 をわ りつ けただけで、生産大隊の看板 を村民委員会 に塗 りかえたにす ぎない ことに由来

してい る。人民公社 の政社合― が農民 に とって もっとも関係 の深 い基層 レ ベルで残存 した こと

は、その コ ミュー ン的理念 を も残存 させたのである。

(9)

υ )大 土地所有 0分 0零 細経営 につ いて。

今 日の家庭聯産承包責任制 の もとで、農家一戸 あた りの承包地 は 0.61ヘ クタール

(9。

2畝 )で

あ り、 この耕地 が平均 9カ 所 に分かれて い る といわれ る。 この数字 は土地改革後 の一戸平均 14.26畝 の所有 =経 営地 よ りもさらに零細 な ものであ る。 しか しなが ら、 これを単純 な、あ るい は宿命的 な人 口 と耕地面積 との関係 に還元す るまえに、この歴史的 0社 会的性格 を考 えて み た い。家庭聯産承包責任制への移行 に際 して、承包地 の徹底的な均分政策が とられた こと、 これ が現在 の零細・ 分散 0錯 圃制 の直接 の起源 であ る。一戸当た りの耕地が更 に細か く区分 され た 理 由 は土地 の肥脊 0水 0遠 近等 の点 で も平等 な配分 を実現す るためであ った。 これ は土 地 改 革 の「 平分土地」の経験 を思 い出 させ る。中国共産党 は土地改革 の時 には平均分配 が「 小 ブル ジ ョワ的急進主義」「極左路線」だ として批判 し闘 ったのに、なぜ今回はそ うしな っか たので あろ うか。実践 が決定的であ った。過去 にはそれが農村 に混乱を もた らしたのに、現在 は安定 を もた らしたか らであ る。報告者 は土地改革時の均分要求が「封建的」地主制を革命 的 に一掃 す るとい う「 小 ブル ジ ョヮ」的起源 にで はな く、貧困な農民 の富の再分配要求を土台 と して い た と考 えて いる。で は今回の均分要求の性格 とは何であろ うか。何道峰氏 は次のよ うに述 べて いる。 「 土地承包以平均分配使用、受益権為特征、無論在按 人 口平均分 田還是 在好壊 地 的搭 配 方面、都顕示了平均地権原則的色彩。而低収入的村比高収入的村更強調地権的平均 」 C30)。 農外 収入 の機会 があ る村 に比べてその機会 に乏 しい低生産力、純農村地帯 ほど土地均分 に こだわ ら

ぎ るをえないの はよ くわか る話である。 しか し均分 は全農村 に普遍的であ り、小商品生産 の発 展度、農村工業化 の発展度 に逆比例 して いるわけではない。同氏 は農民 にとって土地が「 生存 和社会保障的基本条件」を もっていることに注 目 しなが らも、この保障機能の相対的に低 くなっ て いる高収入村 のほ うが、逆 に土地移動 によ り多 くの規制 を設 けて い ることの理 解 に苦 しみ、

「 出現了一種制度錯位」 と説明 している 。の 。

小土地所有制 を創 出 した 1952年 までの土地改革 に対 して、 30年 後 に小経営 を復活 させ た今 回 の土地改革 の均分要求 は、正 しくレーニ ンの用語法 に従 って「 小 ブル ジョヮ」的本質 を もつ も のであ り、高収入村落 ほどよりその経営地への欲求を強めるもの と思われ る。 80年 代 に はい っ て は じめて、小経営の中国農業 は労働生産性を も追求 しは じめてお り (41p、 ゃ っ と本 格 的 に小 商品生産段階 に入 り、近代的小経営への展望 を もつ ことが客観的には可能 な段階 に到達 した と 思 われ る。す でに小経営農業 の発展 にとってマイナスに転化 している村民委員会の大土地所有、

穀物生産 の強制 、労働力 の 自由な移動を抑制す る戸籍制度等 々の政策的、制度的要因につ いて は、報告 の準備がで きなか った。

(1)劉 耀氏 は「 近代中国農民階級属性問題」 (『 近代史研究』 1984‑4)の なかで、「近代中国 農民的階級属性是封建社会里的農民 (実 際上是農奴 )、 還是半殖民地半封建社会里 的農 村 小 資産階級 、或者説是農村無産階級 ?」 (3頁 )と い う間に対 して、新 0旧 二つの民主主義革命 期 とも中国史学界 で は統一 的認識 がない、 と指摘 している。劉耀氏 自身 は小 ブル ジョヮ説 の 立場 を とって いる。

0)小 商品生産、清末小商品生産段階説 につ いての吉 田の見解 は「 日本 における中国近現代経 済史研究の動向 (I)農 業を中心 として (「 新 しい歴史学のために」 170号 1983年 )を 参照。

(0  中村哲『奴隷制・ 農奴制の理論』東京大学出版会 1977年  42頁

(10)

(4)中 村哲『 近代世界史像 の再構成』青木書店  1991年  183頁 、『 近 代東亜経 済発展 和世 界 市場』商務 印書館  1994年  156頁

傷 )同 184頁

(6)同 上 184頁

(7)中 村哲編『 東 アジア資本主義 の形成』青木書店  1994年   所収

(8)『 近代史研究』 1984年 3期  111頁

0)「 彼 らは………歴史的見通 しの誤 りをおか している。彼 らは理論的 な点 で は一般 に正 しい 立場 に立 って いるが、………一九〇三年 のわれわれの「 切取地」綱領 の誤 りを くりか え して いるのであ る。 この後者 の誤 りの根源 は、われわれが発展 の方 向を正 しく規定 しなが らも、

発展 の時期 を正 しく規定 しなか った ことにあ った。われわれ は、 ロシアで はすでに資本主 義 的農業 の諸要素が完全 に形成 されて いること、それ は地主経営 (… …… )に も形成 されて い

る し、農民経営 に も形成 されていることを前提 した。 この農民経営 は強力 な農民 ブル ジ ョワ ジーを分離 したので、そのため「農民的農業革命」の能力がないように見えたのである。………

ロシア農業 における資本主義的発展の程度を過大 に評価 したことがそれを生みだ したので あ る。」大月書店   国民文庫  163頁

〔 0  林一舟「 民主主義革命期 における農民問題」『 中国革命 における農民問題』北 京外 文 出版 社  1965年   所収  6頁

色 D a、 江南 につ いて は、足立啓二「 清〜民 国期 にお け る農業経営 の発展 」 中国史研 究 会編

『 中国史像 の再構成』文理閣  1983年   所収。 b、 華北 につ いて は吉 田「 二 〇世 紀 前半華 北 穀作地帯 における農民層分解 の動向」『 東洋史研究』 45‑1 1986年 参照。

10  小竹一彰『 国共内戦初期の土地改革 における大衆運動』 アジア政経学会  1983年  104頁

  「 中央人民政府政務院関於劃分農村階級成分的決定」『 土地改革重要文献彙集』 人民 出版 社  1951年  38頁

ω   同上 39頁

〔 D  同上 39頁

10  同上 45頁

α つ   『 建 国以来重要文献選編』中央文献出版社   1冊  1992年  2頁

081「 新民主主義政権か らの保護 と社会主義的国家経済 の指導 によって、その大多数 は、 なが らく安定 した中農 としての地位 を保持す ることがで きる し、激烈な階級分化 (0… …・0)に よつ て大多数 の農民が窮乏化す るとい う状態 はお こらない」 沈志遠『 新民主主義経済論 』青 木 書店  1952年  81頁   原典 は『 新経済学大綱』解放版  1949年

19  楊易「 対我国過渡時期経済法則問題的了解」『 学習   関於我国過渡時期 的経済法 則 問題 討 論専輯』 1954年   所収  9頁

20  魯南「 関於社会主義基本経済法則在我国過渡時期的作用問題」同上 28頁

│⇒

  王学文「 関干経済法則的幾個問題的答覆」『 経済研究』 1955‑1 30頁 、同「 再談我国過渡 時期的経済法則問題」『 学習』 1954年 第 11期  41頁 、同「 関於個体経済及初級 農業合作社 経 済的規律 問題」経済研究編輯部編輯『 関於我国過渡時期的経済規律問題討論専輯』   科学 出

版社  1956年   所収  69頁

12  関夢覚「 関於我国過渡時期小農経済的性質及其経済規律問題」同上『 関於我国過 渡 時期 的

経済規律問題討論専輯』所収  81‑2頁 、 89頁

(11)

20  「有関個体経済和個体経済規律的諸問題」『 関於我国過渡時期 的経済規律 問題討論専輯 』 所収  55頁

│り

  工学文「 再談我国過渡時期的経済法則問題」『 学習』 1954年 第 11期  41頁 。 なお最 初 の文 章 とは「 中国新民主主義的幾個経済法則」 (『 新建設』 1953年 第 10期 )で あ る。

クう  と ヒ 2095ア ヨ

10  中国社会科学出版社  201頁

│つ

  吉 田「 中国農業集 団化論 の再検討」注 Oa所 収

20  『 経済研究』 1955年 第一期  45頁

29  中華人民共和国土地管理法第八条 『 中国改革全書   土 地制度 改革 巻』大連 出版社  1992

年  149頁

00  小林弘二「 人民公社 の解体 と農村 の再編成 (I)」 『 アジア経済』31‑9 15頁

00  『 中国統計年鑑  1994年 版』中国統計 出版社。なお同書 11‑1表 「 農村基 層組織状 況」 は省 略す る。

00  厳善平『 現代中国農村 の社会 と経済』アジア政経学会  1992年  9、 13〜

14、

16頁

00  注0017頁

00  『 中国農業年鑑  1980年 』農業 出版社  5‑6頁

0う

   と ヒ 0017藤 罫

00  小林弘二「 人民公社 の解体 と農村の再編成 (Ⅱ )」 『 ア ジア経済』31‑10 24頁

00  何道峰「 村級農地制度的変革」『 中国農村土地制度的変革』北京大学 出版社  1993年  39

00  現在 は この期間 は 30年 に延長 されて いる。 シンポジウム後御指摘 いただいた。

09  注

0つ

37頁 401  同上 44頁

れ 0  陣希爆「 中国的農業発展 ;過去、現在与未来」『 20世90年 代中国農業発展論 壇 』 中国人 民大学 出版社   所収  25頁   なお図 2「 中国大陸与台湾之農業発展途経」 は省略す る。

第二部

I  土地改革 における階級区分についての補充 (1)ロ シア革命 における土地改革

中国土地改革 の一般的 な理論的前提 が レーニ ンの『 ロシアにおける資本主義の発展』 による

農民層 の ブル ジ ョヮ的両極分解論 と、その発展である『 1905,7年 の ロシア第一革命 にお け る社

会民主党 の農業綱領』、『 民主主義革命 における社会民主党の二 つの戦術』 の いわ ゆ る二 つの

道 の理論 に依拠 して いることはいまさ ら言 うまで もないことである。 しか し中国の土地改革理

論 が これを どのよ うに修正 し発展 させ たのか とい うことにつ いて は、あまり検討 されていない

よ うに思 われ る。 0『 二つの戦術』ではロシアが当面 しているブル ジョヮ革命では地主 的・ 大 ブ

ル ジ ョヮ的要素 の優勢 な革命 と農民的 0プ ロレタ リア的要素 の優勢 な革命 との二つの可能性 が

あ ること、 この後者 の革命の成功 は徹底的な民主主義的変革 とプ ロレタ リアと農民の革命 的民

主主義的独裁 を もた らす ことが主張 されている。 この二つの ブル ジョヮ革命 は『農業綱領』 で

は資本主義発展 のプ ロシャ型 の道 とアメ リカ型 の道 との対抗 として展開 され、前者 は「 農奴制

(12)

が封建領主 一地主 ―ユ ンケルの土地 の上で、債務奴隷制 と資本主義的搾取 とに成長転化す る こ とであ る。第二 の場合 には、基本的な背景 は、家父長的農民 が ブル ジョワ的農業企業家 に成 長 転化す ることである。 」 ②プロレタリアー トのヘゲモニーと労農同盟 によって後者 の ブル ジ ョワ 革命 を実現す るとともに、ひきつづ き革命を社会主義革命へ と転換す ること、これが周知の レー

ニ ンの ロシア革命の見通 しであった。

ここで は中国土地改革 との関連 において以下 の点 に注 目 してお きたい。まず第一 にそれ は ブ ル ジョワ革命 とプ ロ レタ リア革命 との二段階連続革命論 であ った ことであ る。プ ロレタ リアの ヘゲモニーによって、二つの革命 は接合 されているけれども、本質的 には二段階革命論である。

第二 にそれゆえ労農 同盟 は二つの革命 に対応 して全農民 との同盟 と貧農 との同盟 の二種類必要 となることであ る。「 プ ロ レタ リアー トは、実力で専制 の抵抗 を押 しつぶ し、 ブル ジ ョワ ジー の動揺性 が はた らく余地 のないよ うにす るために、農民大衆を味方 に引 きつ けて民主主義 的変 革 は最後 まで遂行 しなければな らない。プロ レタ リアー トは、実力 で ブル ジョワジーの抵 抗 を 打破 し、農民 と小 ブル ジョワジーの動揺性が はた らく余地 のないよ うにす るために、半 プ ロ レ

タ リア分子 の大衆を味方 に引 きつ けて社会主義的変革をや りとげなければな らない。 」 ③ただ し この ことは機械 的に二つの同盟が二つの革命段階 に配分 されているわけで はな く、 ブル ジ ョワ 革命段階 において この二つの同盟 が二重 に組織 され ることは言 うまで もない。

中 国 との関係 でなお もう一つ注 目すべ き点 がある。それ は現実 の ロシア革命が レーニ ンの こ の理論通 りには進行 しなか った とい うことであ る。一九一七年の二月革命でロマノフ王朝 はあっ けな く崩壊 し、 ブル ジョワジーの支配す る臨時政府 が成立 した。 ブル ジョワ的土地変革 な しに 農奴制的遺制 をひきず ったままでで ブルジ ョワ革命 が勝利 したのである。地方で は農民 た ちが 地主 の土地 を奪取す る農民的土地革命 が始 ま り、臨時政府 と農民 との対立 は激化す る様相 を呈 していた。 レーニ ンは これをプ ロレタ リア革命段階が始 ま った もの と判断 し、 ブル ジョワ革 命 路線 を十月革命へ向 けて権力奪取 の方向へ と転換 した。 この時点で農民的土地革命 はブル ジ ョ

ワ革命 の主要 な内容 であ るとい う位置づ けか らプ ロレタ リア革命 の一環へ とかわ った。また農 民運動 に対 して社会革命党が影響力を もっていたために 1917年 10月 26日 にだ された労 働者 0兵 士代表 ソヴェ ト第二 回全 ロシア大会の「土地 につ いての布告」 と「 土地 につ いての農民要望書」

は彼 らによ って作成 された ものであ った。「土地貴族 の土地所有 は「 い っさい無償で、 ただ ち に廃止 され る」むねが宣言 され、農民代表会議 の決議尋 民委託書一― に表 されて いた よ う な農民 の最 も急進的な要求 を もとにエス・ エル系の組織 が準備 した、均等主義 による農業 改革 の基準 が採用 された」のである

0。

労働者 と農民 の革命的民主主義 的独裁 によ る農村 で最 も徹 底 的 に資本主義 を発展 させ る道、両極分解を急速 に展開す るはずであ った土地国有 は実現せず、

「 農民 は圧倒的に「 中」農化 した。 しか も困 った ことに、農村 が全般的 に貧困化 す る と い う情 勢 のなかでそ うな ったのであ る」

D。

(a  中国土地改革 における二つの労農同盟

1949年 の中国革命 の場合 にはロシア革命 との関係で言 えば、プロレタ リアのヘゲ モニーの も

とに政治的 には社会主義革命 (プ ロ レタ リアー トの権力獲得 )と 経済的 には農村 の ブル ジ ョワ

的変革 (農 村 の旧体制 の打倒 と農民的土地所有 の実現 )と を結合 させ た ものであ った。 この点

で は実践的 にはロシアの二月革命か ら十月革命への経験 をひきつ いでいる。少 し以前 に 日本 で

展開 された中国革命 の性格 の転化 につ いての論争 は革命 の段階、任務、権力 の整合性 の理解 の

仕方 を軸 と して いた。 °この論争が難解な ものとなった理由の一つは革命の客観的に負 って い る

(13)

任務 と権力 の性格 とは一致す るはずだ とい う前提 自体 にあ ったと思われ る。 しか し近代的土地 改革 には種 々の形態、段階があること、資本主義 が解決 で きなか った農業問題 を社会主義 が集 団化 によって最終的 に解決す るのだ とい う楽観的な見通 しが消滅 した現在 の時点 で は、革 命 と 土地改革 とは本来分離 で きる ものだ とい う視点 に立 って過去 の歴史をふ りかえ ってみ ることが で きよ う。中国革命 は権力 の移行 の点で はや はリー段階革命であ り、民主主義的変革を実現 し、

「 社会主義」をめざ した とい う任務 の点で は二段階 の過程 を もっていた と考 え られ る。

いわゆ る土地改革 の総路線「 貧農 に依拠 し、中農 と団結 し、段 どりを追 って、区別 をつ けて 封建的搾取制度 を一掃 し、農業生産 を発展 させ る」 ことが、 この政策 の内部 に相互 に矛 盾 す る 要因を もっていた ことにつ いて筆者 は先 に考察 した ことがあ る。 ここで は労農同盟 の視点 か ら 貧農 に依拠す ることと中農 と団結す ることにつ いて考 えてみたい。まず この両句 の主語 につ い てであ る。貧農 に依拠す るのはい ったい誰であろ うか。この総路線全体の主体 は抽象的 には中 国人民全体 、よ リー歩具体化すれば労働者階級 (そ の前衛の中国共産党 )、 もう一 歩具体 的 に は土地改革 に派遣 された工作人員 であろ うか ら、貧農 に依拠 し、中農 と団結するのは以上の人々 を さす ことにな る。 しか しまた農民 を決起 させ下 か ら農民 の主体的な運動 と して土地改革 を実 践 した経緯 か らすれば、 この主語 はやや抽象的で はあるが、あるい は農民 の立場 か らみれ ば、

農民 自体 を指す もの とも解釈 で きる。 これは決 して言葉 の遊 びではな く、中農 と団結す るのが 貧農 であるとい う微妙 な解釈 を生 むか らである。貧農 が土地改革 の主力 であ るとい う表現 は当 時か ら現在 まで一貫 して使われて いる。農村人 口の七割を占め る貧農が 自 ら立 ち上 が り、三割 を 占め る中農 と団結 して地主 を (時 には富農 も )孤 立化 させ土地改革 を勝利 に導 くとい うのが 不動 の通説 であ る。 このよ うな理解 が中国共産党内に及 ぼ した影響 につ いての一例を紹介 して お きたい。 1951年 4月 の「 中国共産党第一次全国組織工作会議 の党 の基層組織 を整 頓す る こと に関す る決議」のなかで、「 中国革命 は過去 には都市のプ ロレタ リアー トと農村 の半 プ ロ レタ リアー トが領導 した」 0と 述べ られていたる この叙述 にた い し同年七月 の中共 中央 の解釈 は基 本的 にはそれを承認 し、ただ農村 の半 プ ロレタ リアー トは貧農 を意味す るか ら、農村 のプ ロ レ

タ リア (工 人 )と 雇農 とを表現す る農村 のプ ロレタ リアー トとい う言葉 をを追加すべ きだ と し た。「都市 と農村のプロ ンタ リアー トと半 プロレタ リアー トは共産党を通 じて革命闘争 に対 す る領導 を実現 した」

0。

しか し同年 12月 にな って中共中央 は「 中共中央の中国革命 の領導階級問 題 に関す る修正指示」のなかで これを全面的 に否定 し、「 中国革命の領導問題 について は、過 去 であろ うと今後であろ うと、均 しくただプ ロレタ リアー トだ けが (そ の前衛であ る中国共産 党 を通 じて )領 導す るい うことがで き、再 び半 プ ロ レタ リアー トを含 めて はな らな い」 mと し たのであ る。見方 によ って はひど く単純 なこの理論問題の処理 のために中共中央 が全国的土地 改革 の最終段階 において半年以上 を費 や した ことを覚えてお こう。

本稿 で は、貧農 が中農 と同盟す るので はな く、中国プ ロレタ リアー トが貧農 に依拠 し (貧 農

と同盟 し )、 さ らに中農 と同盟す るところの二重 の労農同盟 とい う解釈を とりたい。 さ らに言

えば、中農 との同盟 とは農村 の人 口に占める割合 とは異 なる次元で本質的には全農民 との同盟

を意味す ると考 え る。 これ はロシア革命 の理論 との関連性か らして も妥当な解釈 であろ う。 ま

た農村 にお ける革命 、 ブル ジョヮ的土地変革 の理論 に全農民 との同盟を表す言葉 がないとい う

ことは考 え に くい。貧農 との同盟 はブル ジョヮ革命期 には中農 の動揺性 を抑 え革命を徹底 的 に

進 め る役割 を果 たす プ ロ レタ リアー トの最 も信頼 で きる同盟 であ るけれ ど も、これが全農民 と

の同盟 を代行で きないのは自明である。 レーニ ンしろ中共 に しろ貧農、半 プ ロレタ リアー トと

(14)

の同盟 はブル ジ ョワ革命期 にはなお運動 の未来 を表わす社会主義的性格 の ものなのであ る。 い ずれに しろ、中国土地改革 の総路線 には全農民 との同盟を明示的、積極的 に表す概念が欠如 し て いた ことは明かである。農民 を全体 と して小 ブル ジョワとと らえ るよ りも、その 70%が 半 プ

ロ レタ リアー トの貧農であ り、社会主義 をめざす同盟者だ、と考 え る傾向の一起源 はここに も あ った といえよ う。また二重 の同盟関係 はあ る一時点を とれば、貧農 の利害をよ り重視 す れ ば 富農 を も含 む全農民 との同盟 を きずつ けることにな り、農民全体の利害 にウエイ トをおけば プ ロ レタ リアー トの階級性、独 自性を失 うことにな り、という非常 に微妙 なバ ランスの上 にたつ こととな った。左右両翼 の偏向 との絶えざる闘争 とい う中共 の特殊 な性格 もここに由来す るか もしれない。 しか し、今 日の時点か ら見れば、一切 の土地改革 の理論 の土 台 とな った

'『

発展 』 の農民層 の両極分解論 自体が普遍的な もので はないのであるか ら (筆 者 は中農化論 に立 って立 論 して いる )、 貧農 の半 プ ロレタ リア的性格 自体 も権力奪取 の政治的変革期 はともか く、農業、

土地改革 の長期的展望 に組み込 め るよ うな性格 の もので はない。 1949年 以後 の中国農村 は これ こそ革命 の最大 の成果 であるが、 ロシア革命後 と同様 にほぼ中農化 し、農民 は小商品生 産者 と して は小 ブル ジョワであるけれ ど も、分解 して大量 の農村 ブル ジョワジーを生 み出す恐 れ はな く、同 じことだが革命的な貧農 を分泌す ることもなか ったのである。 1953年 か らほぼ30年 にわ た る中国農村 の「 社会主義をめざす階級闘争」はこの意味で は本来存在 しない階級 の敵 を人為 亀ヾ政策 的につ くりだ したのだ、とい う感 を否 めないのであ る。

なお第一部 で指摘 した土地改革法 における階級区分 の微妙 な修正 は、例 えば一部 の富農 を 地主範疇 に入 れ、逆 に一部 の地主 を富農 に入 れ るとい う操作 は、階級区分論 と して はおか しな もので はあ るが、農民 の生活実感 に適合 しているとい う点 で は評価 され るべ きである。問題 は む しろ逆 に、なぜ階級区分 の正 しい理論 が農民 の生活実感か ら乖離 して いたのか とい うことに あ る。 この操作 の中心 は誰 もが 自ら働 くのに必要 な規模 の土地 を所有すべ きだ、 とい うことに あ るよ うにみえ る。た とえ雇用労働 にのみ依拠す る真 の富農 で もその経営面積 が 自己の直接 的 農耕労働 を不必要 にす るほど大 き くなれば地主 とみなすのである。 これ は農民 の 自然発生 的 な 勤労原理への妥協 であ り、 ロシア革命 の時 と基本的 には同 じ現象 の再来 であ る。土地改革 で実 際 に勝利 したの は、理論 で はな くて小経営農民 の本来的欲求であ った。む しろ不十分 な理論 を 実践 によって修正す る能力を発揮 で きるよ うな体制 を当時の中共 がつ くりあげた ことの ほうを 今 日評価すべ きであろ う。

Ⅱ   現在の農村経済体制 について

(1)現 在 の土地所有 の主体 につ いての形式的、制度的側面 について

第一部注 20の 『 中華人民共和 国土地管理法第八条』の条文 にたいす る『 中華人民共 和 国法律 集注』の注釈 は大要以下 の とうりである

m。

この第八条 は集体土地所有権 の三種 の主 体 を規定 している。第一種 は「 村農民集体」であ る。人民公社時期 に生産大隊を基本核算単 位 と して い た村 で は、その土地 は「 村農民集体」に属 し、村農業生産合作社が健全であればその経 営、管 理 によ り、村農業生産合作社が不健全であれば村民委員会の経営、管理 に属す る。第二 種 の主 体 は郷 (鎮 )農 民 である。 これにはさ らに二つのケースがあ り、一つ は人民公社 を基本 核算単 位 と していた郷 または鎮 の土地である。 もう一つ は公社 もしくは郷鎮 の農場、林場 、牧 場 、漁 場 、工業企業等 の使用す るところの既 に郷 (鎮 )農 民集体経済組織 の所有 に属す る土地である。

第二種 の主体 は条文 の後半で規定 されているところの、 これが問題 なのであ るが、村 内 の農 業

(15)

集体経済組織を組成 している農民集体である。これは以前生産隊を基本核算単位 としていた村 の土地で、なお生産隊を組成 している場合の農民集体所有である。政社分開の進行中に、 ほぼ 2/3の 生産隊が解散 したが、その財産 は村 レベルの農業集体経済組織か村民委員会が代わ って 管理 した。 しか し、この 2/3の もとの生産隊の帳簿 はなお存在 してお り、依然 として別 々に核 算、管理 されてお り、大多数の所ではなお原来の生産隊に相当するレベルの農業集体組織が基 本核算単位であった。土地に関する一切の事項、例えば、土地承包等 は依然 として もとの生産 隊を単位 としてすすめられていたのでぁる。 1986年 4月 に公布 された「 中華人民共和国民法通 則」第七十四条では、第一種の村農民集体 と第二種の郷鎮農民集体の二つ しか定められていなっ か ったため農民の間に不安や動揺を引 き起 こす恐れがあり (生 産隊を基本核算単位 として いた 村での生産隊間の土地の面積、肥沃度等の不均等 に起因す る承包地争奪の可能性 )、 「土地管 理法」の制定 に際 して この第二種のすなわち生産隊 レベルの集体所有権が追加されたのである。

以上の『 中華人民共和国法律集注』のたいへんはぎれのよい説明は、 じつ は 1986年 6月 27日 の『 土地管理法』が全文掲載された『人民 日報』の翌 日の版で、人民 日報記者の質問に答えた 全国人大常務委員会法制委員会の責任者の回答に依拠 したものである。そこでは、「現在多 く の農村の土地 は実際上なお生産隊の所有に帰 しており、農民の承包地は生産隊より分配 されて お り、国家が建設のために徴用する土地 も生産隊を被徴用単位 としており、建設単位か ら生産 隊に対 して補償費 と「安置補助費」 (代 替地等の移転のための諸費用 )を 支払 って いる。動揺 を引 き起 こさないために、すでに生産隊に属 している土地 は継続 して生産隊の農民集体所有 に 属す ることを明 らかにす る必要がある。それ故本法は民法通則の規定に対 して補充を した」 と 述べ られている。以上の説明に依拠 して、本稿第一部の実質的には全ての村での行政村 レベル ヘの土地所有単位の引き上げという推測をひとまず撤回する。しか しなお、よくわか らない部 分が残 っている。『集注』の言 うように 2/3の 生産隊が消滅 したということはこの生産隊規模 に該当す る集体経済組織が存在 していないということであり、それではいったいどのような団 体が、法的・ 形式的にも、経済的・ 実質的にも生産隊 レベル (ほ ぼ自然村に該当 )の 土地 の集 体的所有権を担 うことになるのか、ということである。『集注』の解説か らは、形式的組織 は 不在のまま実質的には旧生産隊の帳簿を管理 している村民委員会が土地承包等の実務を「代行」

している、ととりあえず解 されよう。

土地管理法 は 1987年 1月 1日 に施行 されたのだが、この翌年 88年 6月 1日 か ら『 中華人民共 和国村民委員会組織法 (試 行 )』 が施行 されている。もっとも村民委員会 自身 は人民公社 の解 体、郷人民政府の建立 と同時併行にその下に設置 され、 1986年 末には 86.6万 個 の村民委員会が すでに組織 されていたのである。この第十五条に、「村民委員会は若干の村民小組を分設す る ことができ、小組長は村民小組会議の推選による。」とある。先の『集注』によれば、 この村 民小組 は「村民の居住状況 とつなが りの程度、歴史的習慣によって決められる。例えば、一つ の自然村を範囲 として設立 された村民委員会では、村民小組は村内を分割 して設立 してもよく、

い くつかの自然村か ら構成 された村民委員会では、一つの自然村で村民小組を設立 してもよい。

小組長の「推選」とは、村民小組村民の投票か、話 し合いのいずれかである。」 と、説明 して いる。

この村民小組 は第一部で依拠 した見解のごとく、規模か らいって も、歴史的経過か らして も

もとの生産隊にほぼ該当 してお り、 1985年 前後に一挙 に解体 した生産隊は一、二年 のずれはあ

るが、村民委員会の下部機構 として復活 したのであろう。ただ し、生産隊は人民公社 の政社合

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